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 古村治彦です。

 

 今回は、なべおさみ著『やくざと芸能と』(イースト・プレス、2014年)をご紹介いたします。なべおさみという人は、私が子供の頃(私は1974年生まれ)にはテレビで活躍していた人です。私も俳優としてテレビドラマに出演していたなべおさみの姿を覚えています。誰かの「子分」の役を好演していたように思います。



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なべおさみ

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なべやかん

 

 私が高校生の頃に(1991年だったそうです)、息子さん(後にビートたけしに弟子入りし、たけし軍団入りして、「なべやかん」となります)の明治大学替え玉受験事件が起き、テレビでは姿を見ることは少なくなりました。

  


 この本では、明治大替え玉受験事件のことはほとんど書かれていません。明治大学の出身者であるなべおさみは、自分の息子に対して、「何か特別な推薦入試」制度があって、それで明治大学の第二部(夜間学部)に入れてもらえると思っていたと書いています。ちなみに、「なべやかん」という芸名の由来は、鍋と薬缶という語呂の良さと、明治大学の二部(夜間学部)の夜間から、ビートたけしとなべおさみが考えついてつけたということです。

 

 なべおさみの芸名の由来というのは、彼が渡辺プロダクションに所属して、歌手の水原弘の付き人をしている時に、俳優の勝新太郎に電話をかけて、「渡辺です」と名乗った時に、勝新が渡辺プロの社長と間違えてしまい、それに気付いた勝新が「お前は渡辺じゃないよ、ナベだよ」と言ったことから、なべおさみ自身が翌日に「なべおさみ」という名刺を作ったことからはじまったということです。こうした面白い逸話がこれでもかと書かれているので、昭和芸能史を知りたい方にはお勧めの本です。

 

 なべおさみは渡辺プロに所属するタレントであり、同時に当時の社長の側近として、所属タレントの待遇面などに対しての不満に関する情報を集めながら、独立などを抑える「スパイ」「忍者」の役割も果たしていました。歌手の森進一の独立を抑えたり、布施明の子供を妊娠した加賀まりこ(かわいそうなことに流産してしまったということです)と会社側の連絡係を務めたりしていたということです。本の中で彼は渡辺プロの社長を「お屋形様」と呼んでいます。

 

 『やくざと芸能と』は、なべおさみの明大替え玉受験事件までの人生を網羅した内容となっています。ここでなべおさみがはっきりと書いているのは、彼が暴力団(やくざ)と深いつながりがあったということです(なべおさみは「任侠の方々」ということを歯を使っています)。このつながりは彼がまだ高校生で銀座や渋谷で遊んでいた頃からできていたということです。それは、芸能人となった後も続き、なべおさみが渡辺プロを退社し、勝新の付き人になる時、やくざの親分衆が集まり、「生活が大変だろうから」ということになり、皆でお金をカンパしてくれたという話も書かれています。

 

 芸能とやくざとは昔は緊密な関係にあったことはよく知られています。山口組を率いた田岡一雄組長は、神戸芸能社という会社を設立しました。芸能人が興行をうつ場合に、その土地土地のやくざの協力が不可欠だったそうです。しかし、そうしたことも歴史上のことになりました。今も芸能界とやくざとは裏でつながっているのかもしれませんが、表向きは、芸能界がやくざと関係を持つことはなくなりました。

 

 そうした時代になって、なべおさみがやくざとの関係をはっきりと書いたというのは凄いことだと思いますが、高齢になり、今さらテレビの世界には戻れないという諦念もあってこうした内容の本が書けたのだろうと思います。彼が描く「任侠の方々」は理想化されすぎているのではないかと門外漢には思われます。やくざを武士(サムライ)と見立てるような書き方はどうなのだろうかと思ってしまいますが、なべおさみからすれば、「それはあなたが何も知らないからですよ」ということになるのだろうと思います。

 

 なべおさみは、芸能に深く関わり、成功したことから、「芸能」の歴史を学ぶようになり、そこから日本(と世界)の歴史を学び、その成果を本の中に書いています。彼は被差別の歴史を紐解き、それに芸能とやくざを結び付けていきます。彼は「嘘部」の民という言葉を使って、食糧生産に直線関与しない技能者たちとして、被差別、芸能、やくざといった人々を捉えています。加えて、なべおさみは、「ユダヤの失われた氏族」がパレスチナの地を離れ、東の果ての日本に辿り着いたという「日猶同祖論」のような歴史観を展開しています。

 

 なべおさみは誠意回とも深いつながりがあり、政界における親分は安倍晋太郎(現在の安倍晋三首相の父)であったと書いています。彼は安倍晋太郎の頼み(指令)で、選挙応援や使者として全国を飛び回っていたということです。また、鈴木宗男氏が初出馬する時、金丸信に頼まれて、お金を鈴木氏の許に運び、一緒に選挙戦を戦ったとうことです。鈴木氏のトレードマークというべき体の大部分を出す選挙カーの箱乗りもなべおさみが伝授したものだそうです。

 

 なべおさみは書いていませんが、安倍晋太郎を政界の親分とすると、安倍晋三首相とも当然のことながら深い関係ができていたと考えるのは自然なことです。安倍晋三首相は、父晋太郎氏の秘書をしていたのですから。1991年に明大替え玉受験事件が起きた直後、安倍晋太郎氏は亡くなってしまいました。そこからはもう安倍家とは関係が切れてしまったのでしょう。

 

 『芸能とやくざと』の中で、なべおさみはその幅広い華麗な人脈(の一部)を明らかにしています。彼は裏人間としての役割を果たし、そのことでおそらく失脚というか表舞台から退場させられてしまったということができます。彼がタレントではなく、裏人間であればそういうことはなかったかもしれませんが、逆に考えると、タレントとして表人間としても地位を確立していたために、「消される」ことなく生き延びることができたのでしょう。今回、その彼が裏人間としての貌の一部を明らかにしました。これにも何らかの意図があるのでしょう。単なる老人の思い出話などではないでしょう。

 

 

 たけし軍団で、なべおさみにとっては明治大学の後輩にあたる浅草キッドの水道橋博士がなべおさみに注目してテレビ番組にでも引っ張り出してくれたら、面白い番組ができるのではないかなと思いますが、今のテレビではそれも無理なことなのかもしれません。そう考えると、出版にはまだ表現の自由がテレビよりも残されているのかもしれません。しかし、それは逆に出版は届く人の数が少ないので許されているということでもあり、出版という業界全体のマイナーさを示しているのだろうと思います。

 


 この『芸能とやくざと』は最近では珍しい、「奇書」の部類に入る本だと思います。夏休みの読書計画の一冊に加えても損はしないと思います。

 

(終わり)