古村治彦です。

 ジョージ・フロイド殺害事件に端を発する、人種差別に反対する抗議活動は過激化している。アメリカが南北に分かれて戦った内戦、南北戦争で南部諸州(Confederates)の将軍たちの銅像を引き倒すということを行っている。アメリカ南部を舞台にした映画『風と共に去りぬ』の配信ができない状態にもなっている。こうした動きはいくら何でもやり過ぎである。歴史を隠ぺいして見えなくすることにつながる。

 サンフランシスコでは北軍の指導者で後に大統領になったユリシーズ・S・グラントの銅像やアメリカ国歌の歌詞の基になる詩を書いたフランシス・スコット・キーの銅像が引き倒された。グラントは北軍の指導者であったが、南北戦争直前まで奴隷を所有していたり、アメリカが分裂しないのなら奴隷制度は継続しても良いと考えていたりということがあった。そのために過激な人々の攻撃対象となったようだ。

 エイブラハム・リンカーンはアメリカの首都ワシントンDCに大きな像が立っているほど、アメリカ史上偉大な大統領という評価になっている。私たちは、リンカーン大統領は奴隷制度を廃止した偉い人として習う。だから、ワシントンDCに大きな像があると思ってしまう。しかし、これは小室直樹博士が指摘していたことだが、リンカーン像があるのは、奴隷制度を廃止したからではない。アメリカが南北に分裂し、2つの国として固定化すること防いだ、つまり、アメリカの統一を回復したということがリンカーン最大の功績なのである。奴隷制度廃止は付けたりに過ぎない。公民権法が制定されたのはそれから約100年後の1964年だ。

 その時代その時代の先端の人々であっても、後の時代から見れば、「時代遅れ」である。当たり前だ。当時のことを現在の視点から批判することは許容されるが、断罪するということはやり過ぎだ。

 サンフランシスコの抗議加藤堂に参加した人々の中にはおそらくantifaの人々もいただろう。彼らからすれば、アメリカ国歌「星条旗」の詩を書いたフランシス・スコット・キーも罪深い人物ということになるのだろう。だったら器物損壊ではなく、徹底した批判をすればよい。批判は自由だ。しかし、フランシス・スコット・キーの銅像を引き倒すようでは、多くのアメリカ人からの支持も共感も得られない。それどころか、反感を招くだろう。そして、トランプ大統領に対する支持ということになるだろう。彼は「法と秩序(law and order)」という言葉を使っている。抗議活動の過激化はトランプ大統領の言葉に説得力を持たせている。トランプ大統領を当選させたくないという人々が抗議活動に参加しているだろうが、逆効果であることを理解すべきだ。

(貼り付けはじめ)

抗議活動参加者たちは北軍将軍のユリシーズ・S・グラントと国歌の歌詞を書いたフランシス・スコット・キーの銅像を引き倒した(Protesters tear down statues of Union general Ulysses S. Grant, national anthem lyricist Francis Scott Key

マーティー・ジョンソン筆

2020年6月20日

『ザ・ヒル』誌

https://thehill.com/homenews/state-watch/503685-protesters-tear-down-statues-of-union-general-ulysses-s-grant-national

金曜日、サンフランシスコでの抗議活動参加者たちが、ゴールデンゲイト公園にあるグラント元大統領の像を引き倒した。グラントは南北戦争時代に北軍を率いた。

NBCベイエリアの報道によると、サンフランシスコ市警察は、午後8時におよそ400名の人々が集まり、銅像を引き倒したが、逮捕者は出なかったと発表した。

金曜日、同じ公園で別の銅像が引き倒された。

金曜日、ゴールデンゲイト公園で引き倒された別の銅像は、聖ジュニペロ・セラと「星条旗(The Star-Spangled Banner)」の歌詞を書いたフランシス・スコット・キーのものであった。

金曜日はジューンティーンス(Juneteenthe)だった。ジューンティーンスは、1965年6月19日にテキサス州で最後の奴隷が解放されたことを祝う国が指定している記念日である。その日は奴隷解放宣言(Emancipation Proclamation)が発表されてから約2年後のことだった。

グラントは、南北戦争において北部を勝利に導き、アメリカ国内で奴隷制度を終わらせることに貢献した人物の一人として幅広く評価されているが、歴史家の中には、グラントと奴隷制度についての複雑な関係を指摘している人々もいる。

アメリカ南北戦争博物館の演出・プログラムスペシャリストであるシーン・キーンは記事の中で次のように書いている。「グラントは南北戦争の直前の約1年間、ウィリアム・ジョーンズという名前の人物を所有していた。1859年、グラントは35歳のジョーンズを買い取ったか、譲渡されたかで所有していた。ジョーンズはグラントに仕えたが、グラントは開戦直前にジョーンズを解放した」。

キーンはまた、数十名の奴隷を所有していた家族と婚姻関係を結んだとも書いている。

南軍がサムター要塞への攻撃を行った後、グラントは奴隷制度廃止主義者である父親に対して手紙を書いた。その中で次のように書いている。「私の考えは、反乱軍を従わせるために、そしてアメリカ合衆国憲法が認める全ての諸権利を守るために、鞭をふるうことです。奴隷制度に対する戦争以外には反乱軍を膺懲できないのならば、奴隷制度の廃止は合法的に行われるべきです。奴隷制度の廃止によって共和国(アメリカ)の存在を継続させることに失敗するならば、奴隷制度は存続させるべきです」。

サンフランシスコでグラントの銅像が引き倒されたことについて、ツイッターで多く批判が寄せられた。

今週、全米各地で抗議活動参加者たちは数多くの南軍の兵士や将軍たちの銅像を引き倒した。金曜日の夜にはワシントンDCにあるアルバート・パイクの銅像が引き倒された。トランプ大統領は銅像の引き倒しに関与した人々は逮捕されねばならないと述べた。

(貼り付け終わり)

(終わり)

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