古村治彦です。
今朝、イスラム国に捕らわれていたジャーナリストの後藤健二さんを殺害した様子を撮影したと見られる映像がインターネット上に公開されました。これによって、先日、殺害されたとみられる会社経営の湯川遥菜さんと合わせて、2名の日本人がイスラム国によって殺害されました。
最悪の結果となってしまいました。湯川さん、後藤さんのご冥福をお祈りするとともに、ご家族、ご友人の皆様に心からお悔やみを申し上げます。イスラム国の蛮行については、憤りを感じます。無力な一国民でありますが、湯川さんと後藤さんを生還させられなかったことに悔悟の念を禁じ得ません。
今回の人質事件の概略を時系列順に簡単に書きます。湯川さんは民間軍事会社の経営を目指して、危険なシリアに入国し、そこでイスラム国に拘束されてしまいました。この事件が起きたのが2014年8月16日のことでした。在日本シリア大使館(現在はヨルダンに設置)は現地対策本部を立ち上げました。その後、解放に向けた交渉が行われたようですが、うまくいかなかったようです。
後藤さんが湯川さん救出も含めて情報を求めるために、シリアに入国したのが2014年10月25日頃のことで、そのすぐ後から連絡が取れない状況になっていました。2014年12月の段階で、後藤さんの留守家族の許に、身代金として約20億円の支払いを求める連絡があり、日本政府は非公開の形で対策本部を立ち上げました。しかし、湯川さん、後藤さんの解放に向けた動きに進展がありませんでした。
事態が急変したのは、2015年1月20日です。安倍晋三首相が2015年1月16日から17日までエジプト、17日から18日までヨルダン、18日から20日までイスラエルを訪問しました。その際に、イスラエルで、中東諸国に対して2億ドル(約240億円)の援助を行うと表明しました。その中で「イスラム国と戦う周辺諸国」という発言をイスラエル国旗と日本国旗の前でしてしまったことがイスラム国を刺激したのではないかと指摘されています。
2015年1月20日にイスラム国の関係者と見られる、イギリス訛りの流暢な英語を話す人物が、後藤さんと湯川さんを跪かせながら、「2億ドルを身代金として支払え」と要求する動画をインターネット上に公開され、大騒ぎとなりました。日本はヨルダンに対策本部設置しました。しかし、「テロには屈しない」という態度は崩さないことを決めていたために、解放交渉は困難を極めた(ほぼ何もできなかった)ようです。1月24日に後藤さんが殺害された湯川さんの写真を手にしている映像が公開されました。そして、後藤さんの解放条件が変更になり、自爆テロを起こし、イラクのアルカイーダの創設メンバーである、ヨルダンで死刑判決を受け拘留中のサジダ・アル・リシャウィの解放を条件としてきました。ヨルダン側はイスラム国への空爆に参加した際に撃墜された、ヨルダン軍パイロットのモアズ・カサスベ中尉の解放を求め、交渉が続けられてきました。しかし、本日未明に最悪の結果がもたらされました。
今回の事件は奇妙な感じを受ける事件でした。イスラム国は無理無体な要求(2億ドル)と交渉をもっと複雑化させる条件(日本の主権が及ばないヨルダンに拘束されている死刑囚の解放)という、ある意味で荒唐無稽な条件を出してきました。また、日本側はイスラム国と何のパイプもなく、イスラム国とパイプがある人材を日本から動けないようにするなど、両方ともに解決に向けて動きが鈍い、まるで最初から殺害ありきのような動きばかりであったと私は感じています。
また、「副島隆彦の学問道場」や同僚の中田安彦氏のブログなどを参照していただけると分かりますが、今回の件はイスラエル右派(ネタニヤフ首相)とアメリカのネオコン(ジョン・マケイン上院議員など)に日本が巻き込まれたという側面もあります。日本がアメリカ主導の「テロとの戦い(War on Terror)」に引きずり込まれたということです。
今回の人質事件に関しては、安倍首相と自民党政権を擁護するための自己責任論(安倍首相には責任がない)とする主張もインターネット上で数多くなされてきました。自衛隊派遣(派兵)の条件を緩和せよという主張もありました。
しかし、武力によって国際門は解決できません。特に非国家主体を相手にする場合には際限のない泥沼に陥ることになります。戦争は国際紛争を解決する一手段ですが(日本は日本国憲法によって戦争を放棄しています)、国家間同士の戦争であれば、始まりから終わりまで、ルールに則り行われます(実態はそういう例の方が少ないのですが、建前上はそうなっています)。しかし、国家と非国家主体との間の「戦争」となると、ルールはないのですから、始まりが何かも(宣戦布告[declaration of war]する相手がそもそもいません)分かりませんし、終わりが何かも(講和条約[peace treaty]を結ぶ相手がそもそもいません)分かりません。また、捕虜の取り扱いなどもルールがないのですから、残虐なものとなります。その象徴がグアンタナモ基地です。「相手はテロリストなのだから何をしても良い」ということになり、拷問が加えられています。そうなると憎悪の連鎖は留まるところを知らず、もっとエスカレートしていきます。にほんはそうした憎悪の負の連鎖に巻き込まれ、泥沼に引きずり込まれようとしています。
安倍総理大臣は事件の一報を受け、「湯川さんに続いて、後藤さんを殺害したとみられる動画が公開された。ご家族のご心痛を思うとことばもない。政府として全力で対応してきたが、誠に痛恨の極みだ。非道、卑劣極まりないテロ行為に強い怒りを覚える。テロリストたちを決して許さない。その罪を償わさせるために国際社会と連携していく。日本がテロに屈することは決してない。食糧支援、医療支援などの人道支援をさらに拡充していく。テロと戦う国際社会において、日本としての責任をき然として果たしていく」と発言しました。
私は前半部は当然の発言であると思いますが、後半の「テロリストたちを決して許さない。その罪を償わさせるために国際社会と連携していく。日本がテロに屈することは決してない。食糧支援、医療支援などの人道支援をさらに拡充していく。テロと戦う国際社会において、日本としての責任をき然として果たしていく」と言う部分は大変危険であり、憎悪の連鎖に自ら飛び込んでいく発言であると思います。テロリストたちに「罪を償わせる」と言いますが、日本の主権が及ばない土地で(テロリストたちを逮捕することもできない)、具体的にはどのように行うのでしょうか。
これは簡単に言えば、「イスラム国と戦っている軍隊に対して支援を行うことで、代わりに仇を討ってもらう」という発想であり、そのためにお金を出すということですし、必要なれば自衛隊も、中東地域でなくても派遣(派兵)するということだと思います。
こうした憎悪を利用した対外問題に対する姿勢は、戦前とそっくりです。自ら泥沼にはまりに行った日中間の15年にも及ぶ戦争と同じです。安倍首相の発言は、「暴戻支那ヲ膺懲ス(ぼうれいしなをようちょうす)」「鬼畜米英、暴支膺懲(きちくべいえい、ぼうしようちょう)」と言った戦前のスローガンと同じです。沸点の低さとすぐに挑発に乗って相手よりも激烈な調子の挑発をしてしまうのは、安倍首相の「幼児性」も原因でありますが、日本全体の「程度」が下がっていると言えると思います。
世界の紛争地域での取材を重ねた後藤さんはもちろんのこと、田母神俊雄氏を応援していた湯川さんもまた現地の悲惨な状況を見て、人道的支援をしたいとお父上に話をしていたそうです。戦場の悲惨さを知る人ほど、勇ましいことなど言わないものです。私たちは冷静になって、お二人のご冥福をお祈りしつつ、憎悪の連鎖を断ち切ることが出来るような武力行使以外の解決策を模索する方向に進むべきだと思います。
(終わり)