古村治彦(ふるむらはるひこ)の政治情報紹介・分析ブログ

SNSI研究員・愛知大学国際問題研究所客員研究員の古村治彦(ふるむらはるひこ)のブログです。翻訳と評論の分野で活動しています。日常、考えたことを文章にして発表していきたいと思います。古村治彦の経歴などについては、お手数ですが、twitter accountかamazonの著者ページをご覧ください 連絡先は、harryfurumura@gmail.com です。twitter accountは、@Harryfurumura です。よろしくお願いします。

タグ:オーヴィル・シェル

 古村治彦です。

 最新刊『悪魔のサイバー戦争をバイデン政権が始める』は絶賛発売中です。バイデン政権に就いての日本語でのこれほど詳しい分析は他にないと自負しています。是非お読みください。

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 悪魔のサイバー戦争をバイデン政権が始める

 今回は中国についての論稿をご紹介する。今回の記事は、私が翻訳した、オーヴィル・シェル、ジョン・デルリー著『野望の中国近現代史(原題:Wealth and Power: China's Long March to the Twenty‑first Century)』(ビジネス社、2014年)を底本にして書かれている。「恥辱の世紀」「復興」「富と力」という重要な言葉遣いは全て『野望の中国近現代史(原題:Wealth and Power: China's Long March to the Twenty‑first Century)』から採用されている。この本が中国の近現代史理解にとって教科書的な存在になっていることが分かる。

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 野望の中国近現代史

 今回の論稿の内容は「中国共産党はナショナリスト政党である」というものだ。中国、当時は清王朝時代であったが、1840年の第一次アヘン戦争に敗れ、西洋列強による植民地化が始まった。そして、1894年の日清戦争で敗北し、近代化で格下と見下していた日本にも後れを取っていたことが明確となった。第一次アヘン戦争からの約百年(1世紀)は「恥辱の世紀」ということになる。その間の主要な出来事は以下の通りだ。

第一次アヘン戦争(1840-1842年)

南京条約(1842年)

第二次アヘン戦争(1856-1860年)

天津条約(1858年)・北京条約(1860年)

太平天国の乱(1851-1864年)

日清戦争(1894-1895年)

下関条約(1895年)

五四運動(1919年)

満州事変(1931年)

満州国建国(1932年)

日中戦争(1937-1945年)

1800年当時の中国(清王朝)は世界のGDPの25%を占める超大国だった。それから僅か40年の間に西洋列強から攻撃を受け、沿岸部が植民地化されていった。更には隣国で格下の日本にも近代化で後れを取ったことも中国の政治指導者たちや知識人たちにとっては衝撃であり、屈辱だった。

そうした中から、中国の「復興」を目指す若者たちが出てきた。それが孫文であり、康有為や梁啓超といった人々だった。彼らのナショナリズムに共鳴したのが後に中国共産党を創建し率いていった周恩来や毛沢東であり、鄧小平、江沢民、胡錦涛、習近平とその流れは連綿と続いている。中国の復興のために必要なことは、「富と力」であり、この言葉は魏源が中国古典の中から復活させたものだ。

この歴史的な大きな流れを理解することで、中国の行動原理を理解することができ、様々な行動や出来事を分析することができる。今回ご紹介する論考はそのために大いに役立つものである。

(貼り付けはじめ)

中国共産党はこれまで常にナショナリスト政党であった(The Chinese Communist Party Has Always Been Nationalist

-中国の復興の探求(China’s quest for rejuvenation)は1世紀以上前まで遡る。

ラッシュ・ドシ筆

2021年7月1日

『フォーリン・ポリシー』誌

https://foreignpolicy.com/2021/07/01/chinese-communist-party-nationalist-centennial/

一世紀に渡り、中国共産党はナショナリスト政党であり続けてきた。現在、この点については様々な議論がある。特に、中国共産党が共産主義のイデオロギーを変貌させた後に、ナショナリズムに関連したテーマに集中しているのを、権力を維持する道具立てとして利用していると考える人々はそのように主張している。しかし、現実はより複雑なのだ。中国共産党のナショナリズム志向は長期的、歴史的な流れに埋め込まれたものであり、現在の中国共産党と新王朝末期の衰退(decline)による愛国主義的(patriotic)な考えの醸成とをつなぐものなのである。

1790年代、ジョージ・ワシントン米大統領がアメリカ合衆国大統領の一期目を務めていた時期、清王朝は最盛期を迎えていた。しかし、それから数十年、地方における反乱の頻発、外国勢力による攻撃と略奪、柔軟性に賭けた政府の存在によって、宮廷の高官たちの中には、「中国は衰退の時期に入っている」という感覚を持つようになった人物たちが出るようになった。魏源(Wei Yuan、1794-1857年)のような宮廷の高官たちは、清王朝の凋落を懸念し、「徳による統治(rule of the virtuous、德治)」というより典型的な儒教の伝統ではなく、“国家は「富と力(wealth and power、富强)」を追求する”という考えに基づいた中国の学問の歴史の一潮流を早急に復活させ始めた。中国国内の衰退はヨーロッパ列強の帝国主義的な野心と重なり、それは第一次アヘン戦争(First Opium War)という無残な結果となって現れた。その時から中国の「恥辱の世紀(century of humiliation)」は始まったのだ。その時から、多くの人々が過去の栄光を復活させるための方法を探し始めた。オーヴィル・シェルとジョン・デルリーは、彼らが編んだ浩瀚な中国知識人の歴史を取り扱った著作の中で、魏源が復活させた2000年前の「富と力」はまさに時宜を得た言葉となった、「そして、これ以降、中国の知識人と政治指導者たちにとっての“北極星(North Star)”であり続けた」と書いている。

恥辱の世紀において、中国は衝撃的かつ痛手が残る(traumatic)敗北を繰り返し、その結果に苦しんできた。これらの繰り返された敗北によって、清王朝の屋台骨は崩された。しかし、恥辱の世紀はまた、義源の「富と力」を基盤とする学者と活動家たちを生み出した。義源の学問上の後継者となった馮桂芬(Feng Guifen、1809-1874年)は恥辱の世紀で起きた主要な事件のいくつかを目撃した。第二次アヘン戦争(Second Opium War)と太平天国の乱(Taiping Rebellion)によって清王朝はほぼ瓦解した。馮桂芬は、中国の衰退を転換させるためにいわゆる洋務運動(self-strengthening movement、自修自強運動)を始めた。馮桂芬は次の世代の学者たちに影響を与えた。その中には将軍であり政治家でもあった李鴻章(Li Hongzhang、1823-1901年)も含まれていた。しかし、状況はほぼ改善しなかった。馮桂芬の死から僅か20年後、日本は日清戦争(first Sino-Japanese War)は中国を破ったことで、中国に衝撃を与えた。馮桂芬の始めた洋務運動の弟子であった李鴻章は中国の敗北を認めるために東京に派遣された(訳者註:実際には下関)。

日清戦争における敗北は、康有為(Kang Youwei、1858-1923年)と梁啓超(Liang Qichao、1873-1929年)のような中国の学者たちに対して大きな衝撃を与えることとなった。同様に孫文(Sun Yat-sen、1866-1925年)のようなナショナリスト的な革命家たち(nationalist revolutionaries)にも衝撃を与える結果となった。これらの人々がそれぞれ、中国にとって進むべき途であると考える方法を追求するために駆り立てられるようになったのは、日清戦争における敗北がきっかけであった。彼ら全員の究極の目的は「自分たちを強化する(self-strengthening、自修自強)」であった。これらの人々やこうした人々がその一部となったより広範なナショナリズム的な主張は、中国の復興と西洋に追いつくことに献身することになった。そして、彼らの言葉と行動は、中国共産党が芽生え育った土壌を形成した。若くて情熱的な孫文は1894年に李鴻章に宛てて8000字に及ぶ書簡を送った。それに対する返信はなかった。この書簡の中で、孫文は「中国の人口と物質の豊かさを考えると、我々が西洋を模倣し諸改革を実行すれば、20年以内にヨーロッパ列強に追いつき、追い越すこと(catch up and surpass)が可能となる」と書いている。

中国共産党初期の指導者たちの多くは、中国を復活させようというナショナリズムに基づいた動きに惹きつけられた、愛国的な若者たちであった。陳独秀(Chen Duxiu、1879-942年)、周恩来(Zhou Enlai、1898-1976年)、毛沢東(Mao Zedong、1893-1976年)といった後に名前を上げた人々は、康有為や梁啓超といった人々の著作を通じてナショナリズムに至る、自分たちの道筋を築き上げていった。毛沢東は後に、「私は康有為と梁啓超を崇拝していた。彼らの著作を暗記するまで何度も何度も読みこんだ」「孫文を中国の大統領に、康有為を首相に、梁啓超を外相に、と訴える内容のポスターを貼っていた」と回想している。鄧小平(Deng Xiaoping、1904-1997年)の父親は梁啓超の創設した政党のメンバーだったと報じられたことがある。このことは鄧小平の初期のナショナリスト的な観点を作り出したことは疑いようがない。その結果、鄧小平は五四運動(May Fourth movement)のような愛国主義的な出来事に参加し、中国を強化するという使命に惹きつけられていった。多くの未来の共産主義者たちと同様、鄧小平は外国で勉強した。鄧小平は魏源の訴えた「富と力」の追求という論理から導き出される答えを自身の最重要課題であると述べた。鄧小平は次のように回想している。「中国は弱く、私たちは中国を強化したいと望んだ。中国は貧しく、豊かにしたいと望んだ。私たちは中国を救うために学び、その方法を見つけるために西洋に向かったのだ」。

未来の共産主義者たちの多くは孫文に惹きつけられた。孫文は今でも中国共産党から崇められている。実際のところ、孫文率いるナショナリストたちは広州に政府と軍学校を創設した。これらは才能にあふれる、愛国的な若者たちを惹きつけ、彼らは広州にやって来た。その中には、周恩来、葉剣英(Ye Jianying、1897-1986年)、林彪(Lin Biao、1907-1971年)、毛沢東など後に重要人物となる人々も含まれていた。

これら若き共産主義者たちが権力を掌握した際、彼らは自分たちの共産主義イデオロギーに沿った政策を実行したが、それでも、中国共産党はナショナリズムに基づいた使命感を保持していた。西洋諸国との間の富と力における差を埋めることが中心テーマであった。毛沢東時代の産業近代化、失敗に終わった大躍進運動(Great Leap Forward)、「両弾一星(two bombs, one satellite)」への熱望(訳者註:中国の核開発・宇宙開発プログラムを指す。両弾とは原子爆弾と水素爆弾、一星は人工衛星を意味する)、そしてソ連が形成していた東側世界の秩序からの離脱という極めて危険な動き、イデオロギー上の指導的地位がソ連から移動したという主張、これらは全てナショナリズムに基づいた熱情によって行われたものである。鄧小平による改革開放と彼の経済とテクノロジーの発展への熱意は、洋務運動に参加した人々の言葉をほぼ真似たものである。江沢民(Jiang Zemin、1926年-)、胡錦涛(Hu Jintao、1942年-)、そして習近平国家主席などの鄧小平の後継者たちはナショナリズムに基づいたプロジェクトを実行し、中国の復興と地域と世界における秩序内での正しい場所を回復することに集中した。

今日、「復興(rejuvenation)」は習近平の政治上のプロジェクトの中心テーマである。しかし、中国共産党のナショナリズム志向と同様、復興は1世紀以上にわたるテーマであり続けた。中国史の研究者である王震(Wang Zhen)は、「復興というコンセプトは少なくとも孫文にまで遡ることができる。そして、蒋介石(Chiang Kai-Shek、1887-1975年)から江沢民と胡錦涛までの原題の中国の指導者たち全員によって重要視されてきたものだ」と述べている。1894年に、中国と日本が戦争にまで至る過程で、孫文は、ナショナリスト団体を創設し、興中会(Xingzhonghui、兴中会)と名付けた。これを粗く翻訳すると「Revive China Society」となる。孫文はこの会の使命を中国の復興だと宣言した。この使命は現在の中国共産党に直接つながっている。中国の指導者であった江沢民(Jiang Zemin、1926年ー)はかつて「孫文は“中国の復興(rejuvenate China)”スローガンを進めた最初の人物である」と述べた。そして、実際に、中国共産党が復興(rejuvenation、振兴中、复兴)という言葉を採用したのは、孫文からなのである。

中国共産党の中国の復興を目指すナショナリズム的なプロジェクトに集中してきた。このことは中国共産党の公式文書で追いかけることができる。日中戦争(Second Sino-Japanese War)の期間中、鄧小平とその他の党幹部たちは同志たちに「復興への道(road to rejuvenation)」に注力するように訴えた。そして、中国共産党が最終的に勝利を収めた時、毛沢東は「中国共産党のみが中国を救うことができる」と宣言した。1978年に中国が改革開放を開始した時、鄧小平と彼の側近だった胡耀邦(Hu Yaobang、1915-1989年)と趙紫陽(Zhao Ziyang、1919-2005年)は、改革開放の目的は「中国の復興(rejuvenate China、征信中)」であると繰り返し、明確に述べた。改革開放は「富と力」を達成するためのものだ。1988年、天安門事件後の中国共産党による「愛国教育(patriotic education)」が始まる前に、江沢民は中国共産党の使命は「中華国家の偉大な復興を実現する」ことだと述べた。

このような考えや主張はこれまでの40年間の全ての中国共産党大会で明らかにされてきた。中国共産党の中でも最も権威ある文書の中で明らかにされてきた。1982年の第12次中国共産党大会での演説の中で、胡耀邦は「第一次アヘン戦争から1949年の解放までの1世紀以上の期間」について非難し、「中国は二度と再び恥辱を味わわされることは許容しない」と宣言した。趙紫陽は1987年の第13次中国共産党大会において演説を行った。その中で、「富と力」という言葉を使い、「改革は中国が復興を遂げるための唯一の道である」と主張した。第14次、第15次、第16次中国共産党大会で、江沢民は二度のアヘン戦争と恥辱の世紀に言及し、中国共産党が「中国国家の悲劇の歴史に終止符を打った」ことを称賛した。そして、聴衆に対して、「中国共産党は中国国家に深く根差しており、創設第一日目から、中国の復興という偉大なそして厳粛な使命を担ってきた」と述べた。第17次、第18次中国共産党大会において、胡錦涛はこれらのテーマを繰り返し、そして、中国共産党は「これまで無数の愛国者たちと革命に命を捧げた人々(patriots and revolutionary martyrs)が目指した中国国家の偉大な復興に邁進している」と付け加えた。最近のことで言えば、2017年の第19次中国共産党大会において、習近平は彼の「中国夢(China Dream)」構想、中国の「新時代」構想の中核に復興を置いている。習近平は二度のアヘン戦争の悲劇について言及し、復興は「中国の共産主義者たちにとっての原動力であり使命」であり、中国共産党だけがそれを達成できると宣言した。

創建当初から、中国共産党は中国共産党創建よりも前に出現していたナショナリストたちの業績を取り入れてきた。ほぼ1世紀にわたり、中国共産党の最高指導者たちは、「中国共産党は五四運動の精神を受け継ぎ、発展させてきた」「孫文の遺産から学びその実現に努力してきた」と明言し続けてきた。胡錦涛が毛沢東の生誕100周年記念式典の席上で述べたように、中国共産党は中国の復興に向けたリレーに参加しているということになる。胡錦涛は次の世に述べた。「歴史は長い河のようなものだ。今日という日は昨日から発展したものだ。明日は今日の継続である。中国国家の偉大な復興は、毛沢東、鄧小平、彼らの同志たち、数百万の革命に命を捧げた人々にとっての偉大な理想なのである。今日、歴史のバトン(baton of history)は私たちの手に委ねられている」。

「歴史のバトン」は時代を継いでいく指導者たちによって、今世紀半ば、もしくは中国共産党の権力掌握100周年まで繋げられ続けねばならない。少なくともこれまでの40年間、中国の国家指導者たちは全員、復興を達成する目標はこの時期だと示唆してきた。目標には西洋諸国との差を縮めること、そしてできれば国際システムを新たに作り直すことが含まれている。21世紀中頃での復興の達成への言及は1980年代半ばに出現してきた。鄧小平と彼の側近たちは、この時期に「適度な発展段階に到達した国々」のレヴェルに到達し、かつ「社会主義的近代化」を完成させると主張した。鄧小平の後継者である江沢民は中国共産党創建80周年記念式典での重要演説の中で復興達成の時期について次のように述べた。「20世紀半ばから21世紀半ばまでの100年間で、中国人民の苦闘は祖国の富と力を実現することで実を結ぶことになる。それが国家の偉大な復興なのである。この歴史的な復興の大義において、我らが党はこれまでの50年間にわたり、中国人民を率いてきた。そして大いなる進歩を達成してきた。これからの50年間の努力と勤勉で、その目的は成功のうちに達成されることであろう」。

現実的な意味で完成とは何を意味するのだろうか?鄧小平は、それは中国と世界との関係を変化させることであり、後には中国の社会主義に対しての批判者たちが最終的に中国の社会主義の優越性に「説得される」ことでもあると示唆した。江沢民は鄧小平の考えに同意し、西洋諸国と比較して、ある種の回復(restoration)を行うことだと強調した。清王朝の下での衰退の前、「中国の経済水準は世界をリードしていた」「中国の経済力は世界第一位だった」と江沢民は強調した。復興とは「世界の最先端のレヴェルとの差を縮める」ことと中国を再び「豊かで強力」にすることが含まれている。

回復には国際舞台における更に重要な役割ということも含まれるだろう。江沢民は、今世紀半ばで復興を成し遂げた後には、「豊かで、強力な、民主的で文明的な社会主義を建設した現代中国は世界の東側に屹立することになるだろう。そして、中国人民は人類に対して新たなそしてより偉大な貢献を行うことになるだろう」と述べた。胡錦涛は、回復とは、国際舞台において、「国際的な政治と経済の秩序をより正しく、合理的な方向に発展する」ように促進することを意味すると示唆した。これによって、中国は「ほぼ新しい姿で国家群の中で屹立する」ことになるだろうとも述べた。第19次中国共産党大会において、習近平は今世紀半ばまでの復興の達成が持つ意義を強調した。習近平は「中国は国家の強さと国際的な影響力を合わせて、国際的な指導的立場に立つことになる」と述べた。そして「世界最高水準の軍隊の創設、国際的な統治への参加、新しい形の国際関係の促進、人類にとっての共通の未来を基盤とする共同体の建設」がその要素となるとした。

習近平の今世紀半ばまでの復興の達成という大胆な発言は彼自身の性格や郷党心(parochialism)が出ているということだけではなく、より強力なものである。中国共産党のナショナリスト的なコンセンサスは清王朝時代最終盤の改革者たちが洋務運動を始めた1世紀以上前にまで遡ることができる。中国共産党でも党内での不同意と議論、闘争、派閥主義(factionalism)、そしてイデオロギー上の過激主義の拡大が存在している。しかし、中国共産党の創建者たちと後継者たちは火砲こそが中国の復興の原動力であるということを一貫して理解していた。手段や方法についての不同意は時に表面に出てくることもある。しかし、最終目的は比較的明確である。そして中国のポスト冷戦期の戦略にコンセンサスを与えられている。そして、その目的は、中国政府の最高指導者たちの多くにとっては達成に手が届くところまできている。

(貼り付け終わり)

(終わり)

amerikaseijinohimitsu019
アメリカ政治の秘密
harvarddaigakunohimitsu001
ハーヴァード大学の秘密 日本人が知らない世界一の名門の裏側
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アメリカ政治の秘密
古村 治彦
PHP研究所
2012-05-12


野望の中国近現代史
オーヴィル・シェル
ビジネス社
2014-05-23


 

 古村治彦です。

 

 今回は、ご好評いただいております『野望の中国近現代史 帝国は復活する』(オーヴィル・シェル、ジョン・デルリー著、古村治彦訳、ビジネスは、2014年)の、ウェブサイト「副島隆彦の論文教室」に掲載した宣伝を転載します。

 

 お読みいただければ幸いです。宜しくお願い申し上げます。


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「宣伝文0011」 オーヴィル・シェル、ジョン・デルリー著『野望の中国近現代史 帝国は復活する』(古村治彦訳、ビジネス社、2014年)が発売中です。 古村治彦(ふるむらはるひこ)筆 2014年5月25日

 

 ウェブサイト「副島隆彦の論文教室」管理人の古村治彦です。

 

 本日は、現在、発売中の『野望の中国近現代史 帝国は復活する』を皆様にご紹介いたします。この本は、私にとって初めての中国関連の翻訳となります。本書は、中国の近現代史、具体的には1840年の第一次アヘン戦争から現在に至るまでの、中国の近代化を彩った知識人と政治家たち11名を取り上げ、その人物に焦点を当てながら、歴史を分かりやすく書いた本です。

 

 本書は原著も400ページを超える大部で、翻訳も精一杯努力しましたが、480ページ近くになってしまいました。その分、お値段も高くなってしまい、皆様には申し訳なく思っております。しかし、ページ数、内容から考えて、2冊分以上の価値はあると私は胸を張って申し上げることができます。

 

 以下に欧米の一流メディアに掲載された書評をご紹介いたします。参考にしていただき、本書をお読みいただけますようにお願い申し上げます。

 

 

 

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ニューヨーク・タイムズ紙 2013年7月18日

 

http://www.nytimes.com/2013/07/21/books/review/wealth-and-power-by-orville-schell-and-john-delury.html?pagewanted=all

 

「書評:面目を失い、そして大躍進を行った―オーヴィル・シェル・ジョン・デルリー著『野望の中国近現代史 帝国は復活する』」

 

ジョセフ・カーン(Joseph Kahn)筆

 

 中国古代史の代表作である『史記(Records of the Grand Historian)』には、越王勾践が恨みの感情をどのように涵養していったかの話が取り上げられている。紀元前5世紀、勾践は越を統治し始めた時、勾践の宿敵が越を攻撃し、勾践は捕虜となった。宿敵は勾践を奴隷とした。勾践は3年間の奴隷生活の後、解放されて、王座に戻ることが許された。しかし、勾践は王としての優雅な暮らしを避け、農民たちが食べるような粗末な食事をし、質素な生活に徹した。彼は薪を積み上げただけのベッドで眠り、天井から苦い肝を吊るし毎日嘗めた。中国には「臥薪嘗胆(sleeping on sticks and tasting gall)」という警句がある。この警句は、勾践が恥辱を忘れずに、恥辱をバネにして自分を強くしたという故事を賞賛しているのである。

 

 『野望の中国近現代史』の中で著者オーヴィル・シェルとジョン・デルリーは中国の現在の台頭の知的、文化的源泉について丁寧に描き出している。シェルとデルリーは、勾践の物語を大元帥(Generalissimo)・蒋介石は大好きだったと書いている。蒋介石は中国を統一しながら、後に台湾に追われた。著者たちは、現代中国の重要なテーマとして「恥辱」を挙げている。19世紀初めの魏源から昨年(2012年)に中国国家主席に就任した数近平に至るまで、恥辱という概念が共通するのである。魏源は、全能の中華帝国が根本から衰退しつつあると主張した中国初の知識人である。著者たちは、「中国は過去150年間にわたり外国からの侵略を受けて恥辱を被ってきたが、その屈辱感が中国の統一を維持するための接着剤の役割を果たした」と主張している。

 

 多くの国々は勝利にこだわり、その勝利の上に歴史を作ってきた。アメリカは独立戦争の勝利の上に成立した。イギリス人たちは今でも第二次世界大戦に関するドキュメンタリーを見るのが大好きだ。しかし、中国人たちにとっては今でも1842年に第一次アヘン戦争に敗れたという事件が心理的に大きな傷となっている。中国は現在、3兆ドルの外貨準備を誇るまでになっているが、それをもってしてもこの傷を癒すことはできない。第一次アヘン戦争の後、中国はまずヨーロッパ列強に、後に日本によって傷つけられ、破壊され、分割されてしまった。中国の兵士たちが日本軍を追い出し、中国が再統一したのは60年以上前のことだ。しかし、中国人たちは中国が蒙った苦しみを歴史の中にウもさせるのではなく、記憶していくという決心をした。

 

 屈辱感はたいていの場合、行動を抑制するものとなる。本書は11名の人物を取り上げ、その人生を詳しく描いている。本書の中で、シェルとデルリーは、近現代の知識人や政治指導者たちにとって恥辱は刺激となったと主張している。ある意味で、その証拠を探すことは難しいことではない。天安門広場にある国立博物館は2011年にリオープンされたがその記念イベントのタイトルは「復興への道(The Road to Rejuvenation)」というものであった。このイベントの中で、アヘン戦争は現在の中国を作った出来事として扱われている。またイベントでは、中国共産党がどのようにして中国の偉大さを取り戻したかをディズニー風に展示していた。不平等条約の一つである南京条約が締結された静海寺の敷地内にある記念館には、次の言葉が飾られている。「屈辱感を感じることは、勇気を生み出す」。恥辱は中国共産党の宣伝にとっての重要要素となっている。

 

本書の著者シェルは、中国で経済改革が始まって以降の政治と社会について報告を続けてきたヴェテランのジャーナリストである。デルリーは中国と北朝鮮の政治の専門家である。著者であるシェルとデルリーは、中国共産党が屈辱感をアピールすることの裏側にある意図を正確に理解している。しかし、本書『野望の中国近現代史』は、このような感情は中国人の心理において深い傷を残していると主張している。そして、現在の中国の政治指導者たちの文化的な遺伝子の中にはこの傷が残っているのである。中国を愛するということは、19世紀に苦しんだ面目を失うことになった様々な事件を乗り越え、過去に苦しんだ苦い敗北を繰り返さないという情熱を共有することである。

 

 アヘン戦争の残したものや中国のナショナリズムの源流を探った本は本書が最初ということではない。しかし、本書『野望の中国近現代史』が読者に提示しているのは、「西太后から鄧小平まで、中国の最重要の知識人たちと政治指導者たちは恥辱を雪ぐという国家規模の希望を叶えようとしていたという点で共通している」という主張である。彼らは屈辱を感じ、その屈辱をバネにして「富強」の途を突き進んだのだ。

 

 中国の近現代史において知識人や政治指導者たちが行ったことのほとんどは無残な結果に終わった。150年以上にわたり、中国は帝国、軍閥、共和制、共産主義と支配者が次々と変化した。中国の支配者たちは封建主義、ファシズム、全体主義、資本主義を利用してきた。シェルとデルリーは、このような衝突し合うシステムやイデオロギーの中から中国を形成したものは出てこなかったし、指導者たちも何かに固執するということもなかったと主張している。著者たちは、中国の近現代史は、国家の復興(restoration)のために何かを追い求めた歴史であると書いている。

 

19世紀初めの改革者たちは、中国史上初めて、「中国は巨大であるが弱体である」と宣言した人々である。彼らの主張は正しかったが、19世紀当時、彼らは異端となってしまった。初期の改革者たちが提案した解決策は、「自強(self-strengthen)」であった。それは、西洋の技術と方法から中国に合うものを選び出して採用することであった。しかし、何度かのより深刻な後退を経験した20世紀初頭、学者や知識人たちの主張はより大胆になった。梁啓超は「恥辱感覚協会」の創設者となった。彼は「中国文化は中国人を小心にした」と主張した。梁啓超は中国伝統の儒教的な「核」を破壊し、西洋から輸入した思想によって国を再建したいと望んだ。

 

 中国国民党の指導者であった孫文と蒋介石もまた西洋の理想を追い求めた。彼らは西洋の政治、文化、経済的原理を追い求めて苦闘した。彼らは中国を復活させるために苦闘した。シェルとデルリーは、梁啓超の唱えた「創造的破壊(creative destruction)」という考えは、毛沢東までつながっているとも主張している。

 

 毛沢東が遺した破壊、階級の敵とされた人々の殺害、膨大な数の餓死者を出した大躍進運動、破壊と無秩序をもたらした文化大革命について、本書の著者たちは、こうした毛沢東の施策を急進的なマルクス主義からではなく、受動的な儒教の伝統の排除を試みたのだという観点から見てみることを読者に提案している。毛沢東は特に、「調和」という伝統に基づいた理想を消し去りたいと考えた。そして、「永続的な革命(permanent revolution)」の追求を人々に植え付けようとしたのだ。毛沢東は、中国の伝統文化を打ち破ることで、中国の持つ生産力を解き放つことができるようになると信じていた。

 

 著者であるシェルとデルリーは、「毛沢東は鄧小平と朱鎔基をはじめとする彼の後継者たちのために進む道にある障害を綺麗に取り除く意図を持っていた」などとは主張していない。鄧小平の後継者たちは、鄧小平が計画したことを忠実に実行し、成功を収めた。しかし、鄧小平が推進した市場志向の諸改革は、たとえ毛沢東が鄧小平に破壊され尽くした状態の中国を譲り渡していなくても、様々な抵抗に遭っていたであろうということを著者たちは証明しようとしている。毛沢東の行った、流血の惨事をもたらした様々な闘争やキャンペーン与党である中国共産党は疲弊し、人々は中国に古くから伝わる秩序という概念を追放した。鄧小平の採用した戦術は毛沢東のそれは全く正反対であったかもしれないが、毛沢東、鄧小平、そして鄧小平の後継者たちが追い求めた目標は一部ではあるだろうが、全く同じ内容であった。

 

 本書のタイトルは『野望の中国近現代史(原題は、富と力を意味するWealth and power)』であるが、本書は中国の台頭に関しては決定的な説明を行っているものではない。著者のシェルとデルリーは、本書の中で、中国経済に関してはほんの数ページを割いているだけに過ぎない。中国が大国として台頭していることを描いている他の本では、中国経済が中心テーマとなっている。しかし、シェルとデルリーは、中国の現在の成功を生み出した、政治と知的な活動とその基盤となる中国文化が如何に機能して、過去の苦境を乗り越えることができたかを丁寧に描いている。中国文化は、しかし、より豊かにそしてより強力になった中国にとってより大きな挑戦を用意している。この戦いは厳しい。それは一度打ち破られた幽霊であるはずの中国の伝統文化と戦い続けることなどできないからだ。

 

(終わり)

 

エコノミスト誌 2013年8月3日

 

http://www.economist.com/news/books-and-arts/21582489-great-power-still-licking-old-wounds-marching-forward

 

中国の偉大さの復活:前進し続ける

しかし、超大国は今でも過去の傷にこだわり続けている

 

 現代中国の基礎となった精神的傷を中国人たちは1842年に受けた。イギリス軍は、南京条約によって屈従することになった中国の喉にアヘンを押し込むことになった。アヘン戦争の結果として軍事的、外交的な敗北を喫したが、現在の中国では、アヘン戦争の敗北は新しい夜明けの前の暗闇となったと考えられている。

 

 実際、中国は、他国が勝利を祝うように、敗北を賞賛する。中国は、アヘン戦争の敗北後の数十年間に多くの恥辱を被った。ひとたびは世界最高の帝国であった中国(清帝国)はヨーロッパ列強によって、そして日本によって浸食された。この「中国は外国勢力によって恥辱を被った」という事実は現在の中国を支配している中国共産党の歴史観の中心的要素となっている。恥辱の歴史を強調することで、中国共産党が「富強(fuqiangwealth and power、富と力)」を回復させる上で果たした役割がより印象的となる。

 

 しかし、恥辱は中国という国家の成り立ちの中に組み込まれている。紀元前5世紀、越王勾践は治めていた国と自由を失う結果となった敗戦を忘れないと決心し、薪できたベッドに寝て、苦い肝を天井から吊るして毎日嘗めた。この苦い味を毎日感じることで、恨みを忘れず、後に復讐を成功させるための強さを身に付けた。苦いものを食べるという「吃苦(Chi ku)」は中国ではよく使われる表現である。

 

 『野望の中国近現代史』の著者オーヴィル・シェルとジョン・デルリーはそれぞれ、ベテランの中国ウォッチャーであり、若手の中国・朝鮮半島専門家である。著者シェルとデルリーは中国の経済的成功の源流を本書の中で探っている。中国史学者の中でも最長老のジョナサン・スペンス流に、著者たちは、1842年以降に中国を変化させようと奮闘した、11名の知識人と政治指導者たちを取り上げ、彼らの人生を詳述している。本書を貫くテーマは、悪評の高い西太后から改革志向の国務院総理であった朱鎔基に至るまで、中国の指導者たちは全て、中国の恥辱の歴史を転換しようとして、自分たちなりに奮闘してきた、というものである。

 

 中国が失った富と力を回復するためには正当な儒教の教えを乗り越える必要があった。儒教は国家よりも家族を、物質主義よりも精神性を、そして経済的な利益よりも祭礼の儀式を重視するように主張してきた。こうした儒教の教えが余りに根強かったために、中国は西洋列強からの脅威に対応できなかった。実際、富強の追求は、儒教のライヴァルである法家によって初めに主張された。法家思想の哲学者であった韓非子は2000年前に次のように主張した。「賢い指導者が富強の道を習得したら、彼は望むものは何でも行うことができるだろう」

 

 中国の「復興」の実現を目指して、本書『野望の中国近現代史』で取り上げられている人物たちは、新しいスタートにこだわった。彼ら改革者たちは、西洋から学んだことや思想を中国に試そうとした。中国の近代化の道筋は、様々な「主義」に彩られていた。立憲主義(康有為)、社会ダーウィン主義(厳復)、啓蒙専制主義(梁啓超)、共和主義(孫文)を試すように知識人たちは主張した。中国の伝統的な儒教にこだわった蒋介石すらも、レーニン主義とムッソリーニが始めたファシズムに魅了された。蒋介石が魅了されたレーニン主義とファシズムはしかし彼にとっては良い結果をもたらすことはなかった。独裁者は内戦に敗れ、台湾に逃亡する結果になってしまった。

 

 西洋のモデルを中国に適用しようとした試みのほとんどは悲惨な結果として終わった。中国の持つ歴史の力は近代性を否定しているかのようであった。この点で、著者であるシェルとデルリーは毛沢東について再評価をしようとしている。著者たちは、毛沢東が主導し、悲惨な結果に終わった大躍進運動と文化大革命についてなんら幻想も持っていない。また、毛沢東は自分の死後に起きた奇跡の経済成長を予見していたなどとも主張していない。しかし、著者たちは、毛沢東の永続革命に向けた情熱によって、まっさらな状態の中国を、中国の繁栄の設計者である鄧小平に引き継ぐことができたと主張している。毛沢東は大躍進運動や文化大革命を通じて中国の伝統文化を破壊した。毛沢東は、鄧小平の「改革開放という偉大な試み」のために「あとはショベルを入れるだけの」建設現場を準備したのである。

 

 これは議論や反論を呼ぶ主張である。他の国々は中国が経験したような心理的な傷、流血の惨事、苦境を経験せずに経済的成功を収めた。そして、中国は経済力、軍事力、外交力を増強し続けている。著者たちはこうした現状を書くだけで満足していない。彼らは、中国が手に入れた力で何をしようとしているのかという疑問を著者たちは提示しているのである。

 

 劉暁波はノーベル平和賞受賞者であるが、現在投獄されている。彼はこれまでにも何度も投獄されてきた。劉暁は本書の中で取り上げられた人々の中で最も示唆に富んだ人物である。劉暁波は、中国が富強を追い求める姿勢の裏側にある意図に対して、最も辛辣な批判をしてきた人物である。彼は中国の指導者たちが西洋を追い越すべきだと主張することを「病的だ」と批判した。劉暁波は、中国にとって必要なしかし耳の痛い疑問をいくつか提示している。それらは、「中国のナショナリズムが仕える対象は誰なのか?国家の誇りというものが一般の人々の犠牲の上に成り立っている独裁的な統治を正すのはいつのことか?」というものだ。

 

 魯迅は中国が各国に浸食されていた20世紀初頭における偉大な作家であった。魯迅は、「中国人は強い人間の前では奴隷のように行動し、弱い人の前では主人のように行動する」と批判した。中国は現在権威主義体制を採用している。そして、対外的には軍事力を増強し続けている。多くの人々は、苛められてきた子供が苦しみの中で成長して、力を手に入れて周囲を苛めるようになるのか、豊かで強力になった中国が国内と世界に平和をもたらすのか、懸念を持っている。これが現在の世界において最も議論されている問題である。

 

(終わり)

 

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(終わり)







 

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アメリカ政治の秘密
古村 治彦
PHP研究所
2012-05-12





 古村治彦です。

 本日は、2014年5月23日に発売になりました、『野望の中国近現代史 帝国は復活する』(オーヴィル・シェル、ジョン・デルリー著、古村治彦訳、ビジネス社、2014年)を皆様にご紹介します。

 私にとって初めての中国の歴史に関する本の翻訳となりました。第一次アヘン戦争から現在までの中国近現代史を網羅した一冊となっています。ページ数が多く、値段も高くなってしまい、皆様にはご迷惑をおかけします。しかし、これを1冊持っていれば、中国の近現代史に関しては大丈夫という一冊になっております。下には本書の原著の書評を掲載しております。参考にしていただければ幸いです。

 どうぞお手にとってご覧ください。お値段以上の価値があると確信しております。

 どうぞよろしくお願い申し上げます。


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サウスチャイナ・モーニングポスト紙 2013年8月11日

 

http://www.scmp.com/lifestyle/books/article/1295492/book-review-wealth-and-power

 

「書評:『野望の中国近現代史 帝国は復活する』」

 

アレックス・ロー(Alex Lo)筆

 

中国語の「中国(zhongguo)」を皆さんはどのように理解し、訳しているだろうか?この疑問の答えで、貴方が中国についてどう考えているか、そしてどのような前提条件やバイアスを中国に対して持っているかが分かる。極めて単純に言えば、中国は「中国(China)」ということになる。しかし、中国という言葉を構成する2つの漢字である「中」と「国」を分析すると、「中国(Chinese nation)」と「世界の真ん中にある王国(the middle kingdom)」という2つの解釈ができる。

 

「中国(Chinese nation)」という訳語は、イギリス、日本、アメリカといった近代的な、そして政治的に中立なただの国名である。しかし、「世界の真ん中にある王国(the middle kingdom)」という訳語は、西洋諸国のメディアが中国の排外主義と孤立主義を示唆する際に頻繁に使う言葉である。

 

 『野望の中国近現代史』の中で、中国は「中心の王国(the central kingdom)」と訳されている。「中(zhong)」という言葉を「真ん中の(middle)」ではなく、「中心の(cetnral)」と訳す方がより正確だ。それは、「中」という漢字は、地理的な中心性ではなく、政治的、文明的な中心性を示すからだ。そして、中国の支配者たちが数世紀にわたり中華帝国が占めてきた国際社会における地位を取り戻したいとして奮闘してきたことを理解する上で、「中」という漢字を理解することは重要なのだ。

 

 第一次アヘン戦争に敗北して、中国は世界の中心から引きずりおろされた。第一次アヘン戦争の敗北の結果、中国人は心理的に大きな傷を受けた。この傷は、中国の支配エリート層と知識人たちの間に世代を超えて受け継がれていった。これこそが本書の大きなテーマである。西洋列強と日本によって恥辱が与えられ、それを雪ぐために、富強を通じて国家を復興(rejuvenation)させるために中国は奮闘してきた。

 

 こうした物語は良く知られたものだ。本書『野望の中国近現代史』の著者オーヴィル・シェルとジョン・デルリーが行った、他の本との違いは、清朝から現代までの「改革者(reformers)」として知られる11名を取り上げ、中国の崩壊と復活の物語を紡ぎ出したことである。

 

 『野望の中国近現代史』は、西太后を中国の改革者の中に含んでいるがこれは驚きであった。彼らの取り上げた人物たちは改革者であるが、とても現実的なリストである。本書の半分以上を孫文、蒋介石、毛沢東、鄧小平、朱鎔基が占めている。しかし、本書は、彼らよりもあまり知られていいない清朝の官僚たちである、魏源と馮桂芬、そして、更に読者を脅かせるのは、西太后を取り上げていることである。

 

 私にとって本書の前半部が最も興味深い部分だ。著者たちは細心の学問研究の成果を利用して、西太后の歴史上の悪名に関して見直しを行っている。西太后は儒教特有の女性蔑視と西洋の幻想に基づいたオリエンタリズムによって、頑迷な保守派であり、中国の崩壊に大きな責任を負っていると言われてきた。

 

 実際、西太后は地方レベルでの改革を進め、李鴻章のような改革志向の有能な官僚たちを周囲に置いた。1895年、日清戦争に敗れた清は、李鴻章を日本に派遣し、日本との間で屈辱的な下関条約を締結した。この条約で、清国は朝鮮と台湾を日本の勢力下に引き渡し、条約港のいくつかを開港した。この条約の締結前に、李鴻章は、流ちょうな英語を話す、日本の明治維新の立役者、伊藤博文と議論を行った。その様子は、シェークスピアの悲劇に出てきそうな場面である。

 

 本書『野望の中国近現代史』は、梁啓超と陳独秀に関して章を立てて取り上げている。こうした人物たちは、五四運動(May Fourth Movement)と中国共産党に関して研究している人たちにはなじみ深い人物であるが、一般にはあまり知られていない。

 

 本書で最後に取り上げた重要人物は、現在投獄中の反体制知識人でノーベル平和賞受賞者の劉暁波である。著者のシェルとデルリーは劉暁波について活き活きとした、そして詳細な描写を行っている。著者たちは、劉暁波がキャリア書記で中国の文学界においてどれほど恐れられた人物として登場し、影響力を増していったか、そして文学上の論争を数多く行ったかを描写している。そして、1989年6月4日の六四(第二次)天安門事件を経験して、現在、西洋諸国で賞賛を受けるような、人道主義者へと変貌した様子を詳細に描いている。

 

 劉暁波は西洋流の人権と民主政体を普遍的なものだと主張しているので、中国本土には支持者はあまりいないが、海外には多くの支援者がいる。

 

『野望の中国近現代史』は学者たちの書いた素晴らしい内容の本である。私は本書を読む際に、一緒にパンカジ・ミシュラ(Pankaj Mishra)の『帝国の残滓:アジアを作り直した知識人たち』を読むことを提案したい。この本もまた梁啓超と孫文を取り上げている。ミシュラの『帝国の残滓』を併せて読むことで、中国の改革者たちが、西洋の支配に抵抗しながらも西洋の科学、技術、イデオロギーから学んだアジアの人々の中の大きな部分を占めていることをより理解できるだろう。

 

(終わり)

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フィナンシャル・タイムズ紙 2013年7月14日

 

http://www.ft.com/intl/cms/s/2/deae9dec-ea41-11e2-b2f4-00144feabdc0.html#axzz2hRKlRYDF

 

「中国の現実政治の誕生と再生」

 

デイヴィッド・ピリング(David Pilling)筆

 

アジアの大国の過去と現在を理解する手助けとなる研究

 

 孔子は「礼儀作法と公正さ(propriety and righteousness)」こそが国家の基礎であり、「力と利(power and profit)」は国家の敵であると教えた。鄧小平によって進められた、富の創造を目的とした諸改革は、孔子の教えが間違っていることを証明することに貢献した。

 

本書『野望の中国近現代史』は素晴らしい本である。著者であるオーヴィル・シェルとジョン・デルリーは中国を専門とする学者である。彼らは、中国近現代を彩った偉大な思想家たちの知的な苦闘を描いている。著者たちは「中国近現代史の偉大な思想家たちの業績に共通する目的は次のようなものだ」と結論づけている。それは、外国の侵略と国内の機能不全の下で19世紀において崩壊した中国をどのように強く、豊かにするかというものであった。

 

 「富強(富と力、wealth and power)」という概念は、紀元前221年に秦の始皇帝の下で中国が統一される前から存在するものである。法家(Legalists)として知られる学者たちのグループは孔子に対する批判者として登場した。彼らは調和の取れた社会という孔子の考えを否定し、現実政治(realpolitik)と私たちが呼ぶものを主張した。法家思想の韓非子は極めて簡潔に現実政治に就いて次のように書いている。「賢い支配者が富と力の術を手に入れたら、彼は望むものを何でも手に入れることができる」

 

19世紀、「富国強兵(rich nation, strong military)」という概念の実現に邁進したのは中国ではなく、日本であった。明治新政府の指導者たちは、外国からの侵略に抵抗するためには、日本の国富と技術力を増進させねばならないと決断した。そうすることでのみ、外国人(野蛮人)を排除できるのだと確信していた。

 

 中国では、法家思想の伝統(Legalist tradition)は孝行と忠誠という儒教の概念によって制限をかけられてきた。『野望の中国近現代史(原題はWealth and Power)』の著者たちは、中国の再生は現実的な法家思想のルーツの再発見が基礎になっていると主張している。本書は外国の優越と機能不全に陥った国内システムをどのように克服するかという問題と格闘した知識人たちの人生を描くことで、中国の近代化のプロセスを追っている。著者たちは、20世紀初期の思想家たちの考えを丁寧に追いかけている。彼らは梁啓超から孫文、蒋介石、毛沢東、鄧小平を取り上げている。

 

 本書の前半部は特に興味深い。それはこれまで私たちにとって馴染みの少ない人物たちが取り上げられているからだ。魏源(1794~1857年)は中国の軍事面での立ち遅れと劣勢に関して多くの書物を書き残した学者であった。そして、長い間無視されていた法家思想に注目し、蘇らせた人物である。魏源は、「賢王」と言えども、臣民たちを豊かにし、国家を強くしなければならないと書いている。

 

 中国は第一次アヘン戦争(1839―1842年)によって、イギリスから恥辱が与えられた。その後、魏源は日本の明治維新の元勲たちと同じ結論に達した。それは、中国は外国に目を向け、その偉大さを回復させるべきだ、というものだった。魏源はまた、中国が恥辱を被ることが中国に変化をもたらすための強力な誘因となるとも主張した。魏源は、「恥辱を感じることは勇気を生み出す」と書いている。この感情は、毛沢東の1949年の建国宣言の中にある有名な一節である「中国は立ち上がった」につながるものだ。この屈辱感は現在の中国の若者たちの中にも燃え上がっており、著者たちは「過剰な愛国主義(hypersensitive patriotism)」と呼んでいる。

 

 本書『野望の中国近現代史』は、中国の哲学と革命におけるドラマの中で活躍した主役たちの人生を、いきいきとそしてしっかりした構成で書いている。私たちは本を読むことで、鄧小平が登場するまで、無秩序のひんぱんに流れが変わるので分かりにくい中国史を全体として理解でき、納得できるようになる。この本で取り上げられている快苦者たちは全て恥辱を乗り越え、国家の富強(富と力)を確保することを目標としていた。

 

 鄧小平は働きながら学ぶためにヨーロッパに旅立つ前に、父親に向かって「中国は弱い。私たちは中国を強くしたい。中国は貧しい。私たちは中国を豊かにしたい」と語った。現在、習近平国家主席は「中国夢(チャイニーズ・ドリーム)」という概念を提唱しているが、これは、2つの目的を含んでいる。それは中国を繁栄させ、「中国の国家としての復興(rejuvenation of the Chinese nation)」を保証するというものである。

 

 『野望の中国近現代史』は、この伝統の中に、毛沢東が支配した狂気と野蛮の時代を位置づけている。1912年に書いた初期のエッセイの1つの中で、毛沢東は、本書の著者たちが「法家たちが強調する、強い指導力、厳格な権威主義的コントロール、中央集権主義、司法と刑罰の妥協の余地のないシステム」と呼ぶものを賞賛した。毛沢東は、多くの犠牲者を出した集産化闘争を通じて封建制度を破壊した。その結果、鄧小平は全く白紙から経済改革を進めることができたと著者たちは書いている。鄧小平が継承した中国は、「4000年の伝統から脱する」ことができていたのである。

 

 しかし、それが現在の中国に深刻な問題を残してしまっている。もし中国の台頭が法家思想の「効果のあるものは何でも使えアプローチ」の勝利だとするならば、儒教の道徳観は、現在の中国においてどこに存在できるだろうか?本書の最後に取り上げられている人物は劉暁波である。彼は現在投獄中であるが、ノーベル平和賞の受賞者である。彼はこれまで一貫して中国共産党の中心的な役割をことごとく批判してきた。彼は、国の誇りを取り戻すとして中国共産党がやっていることは、非人道的な統治であり、世界に対して、「中国は野蛮な方法で富強の追求を行っている」と印象付けているだけに過ぎない、と考えている。

 

本書で取り上げられた思想家たちの多くは彼らが生きている時代には主流から外れた存在となった。中国共産党創設者である陳独秀は世の中から忘れ去られたまま亡くなった。しかし、彼らの考えは現在の中国のプロジェクトの中に息づいている。本書の著者たちは、劉暁波が唱える人気のない主張でさえも現在の中国で重要な役割を果たしていると主張している。

(終わり)

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