古村治彦(ふるむらはるひこ)の政治情報紹介・分析ブログ

SNSI研究員・愛知大学国際問題研究所客員研究員の古村治彦(ふるむらはるひこ)のブログです。翻訳と評論の分野で活動しています。日常、考えたことを文章にして発表していきたいと思います。古村治彦の経歴などについては、お手数ですが、twitter accountかamazonの著者ページをご覧ください 連絡先は、harryfurumura@gmail.com です。twitter accountは、@Harryfurumura です。よろしくお願いします。

タグ:ジェイク・サリヴァン

 古村治彦です。

 2023年12月27日に最新刊『バイデンを操る者たちがアメリカ帝国を崩壊させる』(徳間書店)を刊行しました。世界政治について詳しく分析しました。是非手に取ってお読みください。よろしくお願いいたします。

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バイデンを操る者たちがアメリカ帝国を崩壊させる

 櫻井よしこが自身のSNSで「祖国のために戦えますか」という、戦争を煽るような発言を行い、それに対して、「最前線に出ない人間が戦争を賛美するな」「お前がまず戦争に行け」という反応が出ている。ここしばらく日本はおかしな方向に進められてきたが、実際に戦争の可能性があるとなれば、実際に最前線に連れていかれる人たちを中心に批判が出るようになっているのだろう。これは良い兆候だ。

 戦争賛美者こそは真の平和ボケだ。今の日本に生きている人たちの圧倒的大多数は、戦争について知識を得ることはあっても、実際に経験していない。1945年の敗戦からもうすぐで80年が経過しようとしているが、その時に20歳だった人も100歳になる。日本は超高齢社会であり、100歳以上の高齢者も多いとは言っても、実際の戦場を知っている人はかなり少ないと言ってよい。

そうした中で、戦争を経験しておらず、戦争の悲惨さも知らず、頭でっかちの知識だけで、戦争を賛美している者たちこそが、「戦争を知らない子供たち」だ。平和の中で生まれ育ち、生きてきて、老齢を迎えて、自分は安全な場所にいて(戦争には行かないことが確実だと分かっていて)戦争を賛美する姿は老醜と言う他はない。平和のおかげを受けながら、戦争を賛美する姿は平和ボケだ。本当に戦場を知っている者、国家指導者として重い決断をする者、国家の利益について本当に考えているものは戦争を賛美しない。

 「祖国のための戦争に行けますか?」とは、より正確に書くならば、「少数の指導者が影響力を持つ財界や利益団体などの影響を受けて開戦を決めた、虚構として祖国のためと宣伝をして、それに考えが足りない人間から連れていかれる、“祖国のための戦争”にあなたは行けますか?」ということだ。

 前置きが長くなったが、このブログでよくご紹介しているハーヴァード大学教授スティーヴン・M・ウォルトの論稿を今回もご紹介する。ウォルトは国際関係論という学問分野の中のリアリズムという学派に属している。リアリズムは日本語に訳せば現実主義となるが、今回、ウォルトは、平和の実現という、戦争扇動者たちからすれば「夢想的」「ユートピア的」なテーマについて書いている。ここで大事なことは、人間は完璧ではない、人間は果然無欠ではない、人間は間違うということを肝に銘じておくことだ。これは国家指導者から一般国民まで共有すべきだ。

 戦争はいったん始まってしまえば、開戦した時の意図とは全く違う方向に進むことがほとんどであるし、人間が状況をコントロールすることはできない。何よりも自分たちが勝つと思って初めて負けることがどんなに悲惨かは歴史が証明している。戦争ということを簡単に決断すべきではないし、言葉を弄して、戦争を賛美し、煽動することは間違っている。戦争について正確に知り、自分たちが知りたいことだけを知るとか、捻じ曲げてそれを知識とするとかといった行為を戒め、自分たちは安全な場所にいながら、他人に戦争に行くことを促し、強制するというような人物を国家指導者の地位に就けないこと、そうした言説に対しては徹底的な批判をして対抗していくこと、これが極めて重要である。
 日本を中国にぶつけようと表や裏で暗躍している人物や勢力はいくらもいる。私たちは常に警戒し、そのようなことが起きないように努力しなければならない。そのためには、まず知識を増やし、自分の頭で考えることである。

(貼り付けはじめ)

恒久的な平和実現のための実践的なガイド(A Practical Guide to Perpetual Peace

-よりユートピア的な世界秩序に向けて、現実的な(そしてリアリスト的な)一歩を以下に踏み出すか

スティーヴン・M・ウォルト筆

2023年12月19日

『フォーリン・ポリシー』誌

https://foreignpolicy.com/2023/12/19/realist-guide-world-peace/

世界の多くの国では、年末の休暇時期を迎え、より良い世界のヴィジョンの実現に思いをはせる人たちも多いことだろう。あちらこちらの教会で平和を賛美する讃美歌が歌われ、説教壇からは敬虔な感情がこもった言葉が響き渡り、宗教的指導者も世俗的指導者も同様に未来への希望を表明して新年を迎えるだろう。しかし、ガザでの残忍な殺戮、ウクライナでの容赦ない破壊、スーダンの無意味な内戦、その他世界中で進行中の血で血を洗うような出来事を思えば、そのような暖かな感情など空虚にしか思えない。言うまでもなく、各国が他の人間を殺すより効率的・効果的な方法を見つけるために、莫大な資源を費やし続けている。

私たちは平和の実現について一体何かできるのだろうか? 数週間前、私は宇宙開発に関する興味深いセミナーに出席した。セミナーの講演者は、人類を宇宙の軌道に乗せ、月に送り、そしていつの日か火星に送ることは、人類を鼓舞するために新しく困難な挑戦を必要とするため、やる価値があるかもしれないと述べた。

彼のコメントを聞いて、私は考えさせられた。無人の宇宙探査(unmanned space exploration)は、軌道や月に人を送り込むよりも理にかなっていると私は信じている。もしそうなら、同じように奇跡的なことでも、もう少し身近なことを目標にしたらどうだろうか。火星に人類を移住させる代わりに、地球を平和にするのはどうだろう?

私は、このユートピア的なヴィジョンを阻む全ての障害を認識している。中央権力のない世界(world with no central authority)では、国家は安全保障を心配し、自国を守るための手段を講じる。そのための努力はしばしば他国を脅かし、時には暴力につながる。不確実性(uncertainty)、無知(ignorance)、さまざまな形の認知バイアス(cognitive bias)が、回避できたはずの、そして回避すべきであったはずの戦争へと国々を導く。指導者の中には、自らの権力を維持するため、あるいは歴史に名前を残すために戦争を始める人もいる。長年の不満を抱える国々は、それを覆そうと武力を行使することもあり、様々な種類の利益団体が影響力を高めたり、自国の利益を水増ししたり、あるいは自国の特別な大義を推進したりするために戦争を推進することもある。社会を統治するための唯一の真の方法を発見したと確信しているイデオローグは、自分たちの信念を他の人に押し付けるために野心的な十字軍(crusades)を進軍させることもある。

何千年もの間続く戦争は、解決策を模索すると当時に、謙虚さ(humility)を求めている。戦争の惨劇を終わらせる魔法の杖はないが、多少なりともより平和な世界を築くためのささやかなアイデアのいくつかをこれから紹介しよう。

第一に、世界の指導者たち(そして一般国民たち)は、リアリズムの教訓をより真剣に受け止め、戦争を永遠に終わらせる鍵を見つけたと主張するイデオロギーに対して、より懐疑的な目を向けることから始めることだ。マルクス主義者たちは、資本主義(capitalism)を打倒すれば戦争の誘因がなくなり、平穏な社会主義の楽園が訪れると考えた。リベラル派は、民主政治体制(democracy)を広めることで同じ奇跡が起きると考えている。たとえ民主政体を輸出する方法が分からずに、最初に「戦争を終わらせるためのいくつかの戦争(“wars to end war)」をしなければならないとしてもそれが重要だと考えている。リバータリアンは国家を縮小することを望み、ファシストは国家を崇拝するように言い、アナーキストは国家を完全に破壊することを望んでいる。宗教を信仰している人たちの中には、誰もが正しい神を崇拝すれば平和が訪れると考える者もいるし、無神論者の中には、どんな神であっても崇拝するのを止めればもっと平和な世界が訪れると主張する者もいる。これらの提案はいずれも、政治的信条(political beliefs)を受け入れたがらない他者に押し付ける必要があるため、問題を改善するどころか悪化させるのが一般的だ。

対照的に、リアリズムは謙虚さを奨励する。リアリズムは、人間の誤謬性[間違いやすさ]human fallibility)、チェックされていない権力の危険性(the dangers of unchecked power)、理性の限界(the limits of reason)、そして強い者や特権を持った者が容易に傲慢(arrogant)になり、自信過剰(overconfident)になることを明らかにしている。リアリズムは、政治生活を悩ませる避けられない不確実性と、人間の存在の避けられない部分である悲劇的な要素を認識している。政治上のリアリズムは、白か黒かで決まることはほとんどないが、通常は多くの灰色の色合いを含む世界、つまり意図しない結果が蔓延し、今日の成功が明日の問題の種を植え付ける世界を描き出す。

このような理由から、リアリストのほとんどは、国家が戦争に踏み切るのは、自国の生存、もしくは死活的利益が危機に瀕している場合という、切迫した必要性のある場合に限られるべきであると考えている。少なくともここ数十年間、リアリズムと制限(restraint)に基づく外交政策が実行されていれば、ほぼ間違いなく平和がより広まっていただろう。

リアリズムはまた、人類が共通して持つ人道的思いやり(our common humanity)に訴えても世界は平和に近づかないと示唆している。人間は社会的な動物(social animals)であり、集団に分かれ、異質と見なされる者を警戒する傾向が深く根付いている。いざとなれば、たいていの社会集団は自分たちの利益を優先し、たとえそれが他者を傷つけるものであったとしても、自分たちの利益を優先する。草の根平和運動やその他の反戦活動も十分ではない。民主政体国家であっても、戦争の決定は一握りのトップによってなされるからだ。このような理由から、指導者たちとその支持者たちに、戦争に踏み切れば自分たちの地位がより安全になる訳でも、自国がより安全で豊かになる訳でもないことを納得させることでしか、平和を促すことはできない。

つまり、よりリアリズム的な平和へのアプローチとは、バランス・オブ・パワー(balance-of-power)を重視することである。つまり、アナーキー(anarchy、中央政府がない状態)である国際社会においては、国家は、他国が強くなりすぎると必ず心配し、自国の安全を守るために均衡(balance)を保とうとする。このため、他国を犠牲にしてまで自国の力を強化しようとする執拗な努力は、通常、自滅的(self-defeating)となる。なぜなら、他国は最終的に力を合わせて強大な国家を牽制し、その野心を封じ込めるからである。

この原則の副次的な意味は、大国の重要な利益、とりわけ自国の領土付近を脅かすことは、厳しい反応を引き起こすに違いないということである。このような傾向を理解する指導者が増えれば、永続的に有利な立場を得ようとする無分別な試みは少なくなるだろう。さらに、鋭い共感能力(keen sense of empathy)、すなわち、必ずしも賛成しなくても、相手の立場に立って物事を見る能力を身につけた指導者であれば、誤ってレッドラインを越えてしまうことも少なくなり、全ての当事者がより良い状態を保てるような解決策を見出す能力も高まり、愚かな選択による戦争につまずくことも少なくなるだろう。

第二に、ほとんどの政治指導者は、一般市民の愛国の誇り(sense of national pride)に訴えることで権力を獲得し、維持しているが、他国にも同様の力が存在することをしばしば忘れている。ロシアのウラジーミル・プーティン大統領は、ウクライナのナショナリズムの力を軽視したために過ちを犯し、最終的な結果がどうであれ、予想以上に犠牲の多い戦争に身を投じることになった。ナショナリズムの力はまた、なぜ強大な国が他国を爆撃して永久に服従させることができないのか、なぜ脆弱な国家が制裁や他の形態の強制に抵抗するのか、たとえそうすることが非常に高くつくとしても、その理由も説明する。世界政治のこの側面をもっと多くの指導者が理解していれば、他国を強制したり、弱体化させたり、破壊したりするための実のない努力は少なくなっていただろう。

第三に、戦争を考えている指導者は、いったん戦闘が始まれば、もはや自分たちの運命をコントロールすることはできないということを思い起こすべきだ。戦争を始めると、複雑で予測不可能な要素が膨大に発生するため、ほとんどの戦争は、開戦者の予想以上に長引き、多くの犠牲を出すことになる。イギリスのウィンストン・チャーチル首相は平和主義者(pacifist)とは言い難かったが、世界政治のこの永続的な特徴を把握していた。チャーチルは自伝『わが半生』の中で「戦争熱(war fever)に屈する政治家は、ひとたびその合図が下されれば、もはや政策の主人ではなく、予測不可能で制御不能な出来事の奴隷であることを理解しなければならない」と書いている。ジョージ・W・ブッシュは大統領在任中、執務室にチャーチルの胸像を飾っていた。しかし、彼がその小さな知恵の核である本を読んだとはとても思えない。もし読んでいたら、2003年にイラク侵攻する前に、もっと真剣に考えていたかもしれない。

そして、チャーチルの話題が出たついでに続けると、チャーチルの浩瀚な第二次世界大戦史の巻頭言には次のように書かれている。「戦争においては解決が必要だ。敗北においては反抗が必要だ。勝利においては寛大さが必要だ。平和においては善意が必要だ」。これは悪くないカテキズム(catechism、訳者註:キリスト教の教理をわかりやすく説明した要約ないし解説)であり、私は最後の2つのフレーズに注意を向けて欲しいと考える。勝者が一方的に平和を押し付けることは、特にかつての対戦相手が敗戦から立ち直る可能性が高い場合、後々より多くの問題を引き起こすことになる。アメリカは第二次世界大戦後、博愛の精神(sense of philanthropy)からドイツと日本の再建を支援した訳ではないが、一部の政府関係者が提唱したカルタゴになされたような和平(Carthaginian peace)を押し付けた訳でもない。第一次世界大戦を終結させた懲罰的な(punitive)ヴェルサイユ条約との対比は、これ以上ないほど際立っている。同様に、ロシアを敗戦国のように扱い、その正当な懸念にその後何年も注意を払わなかったことは、多くの先見の明のある専門家が繰り返し警告したように、米露関係を悪化させ、今日の問題への道を開くきっかけとなった。

第四に、戦争は常にコストがかかり予測不可能であるため、賢明な指導者は大きな賭けに出る前に、あらゆる選択肢を尽くす。ロシアのウクライナ侵攻を食い止める外交的駆け引きがあったかどうか、あるいは2022年3月に進められていた和平調停活動が戦争を迅速に終結させ、ウクライナを分割や甚大な破壊から救えたかどうかは、誰にもわからない。しかし現在、西側の指導者たち、とりわけ西側のトップたちが、代替策を必要なほど徹底的に追求しなかったことを示す証拠が増えつつある。そのような努力は失敗に終わったかもしれないが、戦争を未然に防ぐ、あるいは戦争の芽を摘むためのより真剣な努力は、起きてしまった戦争よりも望ましいものであっただろう。

最後に、平和を促進するための努力は、平和をより普及させ、強固なものにするために何をするつもりなのかを説明するよう、指導者を目指す人々に求めれば、さらに進むかもしれない。国家の指導者を目指す人たちは通常、国をどのように強くしていくのかについて多くを語るが、私たちが彼らに問うべき本当の質問は、同胞をどのように安全にしていくのかということだ。真剣に考えて欲しい、大統領や首相になろうとする人は誰でも、戦争の可能性を減らし、平和をより強固なものにするために何をしようとしているのかを説明するべきではないだろうか? もし彼らが、問題はみんなのせいであり、トラブルメーカーを滅ぼして初めて平和が実現すると答えるなら、その人は本当に平和に関心のない人だと分かるだろう。もし彼らが単純化された決まり文句(「強さによる平和(peace through strength)」「ミュンヘンを思い出せ(remember Munich)」など)しか口にできないのであれば、世界政治が実際にどのように機能しているのかについて、より洗練された理解を持つ候補者を別に探すべきだ。もし平和の重要性が彼らの頭に浮かんだことがなく、何も語ることがないのであれば、取材記者はその理由を尋ねるべきだ。また、戦争は歓迎すべき、偉大で輝かしい活動だと言ったり、潜在的な敵は張り子の虎(paper tiger)で倒すのは簡単だと主張したりする候補者がいたら、食料庫(pantry)に非常用の食料を備蓄するか、近くの防空壕(bomb shelter)に向かうことだ。

これまで明らかにしてきたように、戦争という問題に簡単な解決策はない。しかし、もし人類が本当に新たな挑戦を必要としているのであれば、戦争の発生可能性(likelihood)と破壊(destructiveness)を減らすための持続的だが現実的な努力は、数人の勇敢な人間を遠い宇宙に送り込むよりも、はるかに人類に利益をもたらすだろう。そして、その手始めとして、戦争を始めることが望ましい結果を生むことはほとんどなく、しばしば予期せぬ非常に厄介な事態を招くことを、指導者たちに常に思い起こさせることが必要だ。

おそらくこの教訓は、2024年には昨年よりも良い結果をもたらすだろう。私はハードルを低く設定した。指導者たちがこのハードルをクリアすることを皆で祈ろう。

※スティーヴン・M・ウォルト:『フォーリン・ポリシー』誌コラムニスト。ハーヴァード大学ロバート・アンド・ベルファー記念国際関係論教授。ツイッターアカウント:@stephenwalt

(貼り付け終わり)

(終わり)

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ビッグテック5社を解体せよ

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 悪魔のサイバー戦争をバイデン政権が始める
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 古村治彦です。

 2023年12月27日に最新刊『』(徳間書店)を発刊しました。2024年の世界で注目を集める、ウクライナ戦争、パレスティナ紛争、米中関係、アメリカ大統領選挙とアメリカ政治について網羅的にまとめました。是非手に取ってお読みください。よろしくお願いいたします。

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バイデンを操る者たちがアメリカ帝国を崩壊させる

 ジョー・バイデン政権の国家安全保障問題担当大統領補佐官ジェイク・サリヴァンが、シカゴ大学教授ジョン・ミアシャイマーとハーヴァード大学教授スティーヴン・ウォルトを批判している論稿をご紹介する。ジョン・ミアシャイマーについては、最新刊『』でも詳しくご紹介している。スティーヴン・ウォルトは、このブログでもよくご紹介している。両教授は、国際関係論(International Relations)という学問分野の大物であり、リアリズムという学派に属している。また、アメリカとイスラエルとの関係、アメリカ国内の親イスラエル勢力を分析した『イスラエル・ロビー』の著者としても知られている。サリヴァンは、民主党系の外交政策専門家であり、私は1作目の著書『アメリカ政治の秘密』(PHP研究所)でいち早く注目した。
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ジェイク・サリヴァン
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スティーヴン・ウォルト(左)とジョン・ミアシャイマー

 サリヴァンは、両教授それぞれの著作の内容や主張について、反対論を展開している。その反対論の内容は、アメリカが世界の警察官を辞めてしまうのは駄目だ、世界各国の民主化を合法・非合法の手段で推進すべきだ、中国とロシアに対しては厳しい態度で、その権威主義的な政治スタイルの転換を求めるべきだ、アメリカが外交的な力を維持するために、アメリカ軍の規模や世界転換を維持すべきだという内容だ。これらの主張は、民主党のヒラリークリントン系の「人道的介入主義派(Humanitarian Interventionism)」の主張そのものである。著書『アメリカ政治の秘密』で私は、あメリカ外交の潮流を「リアリズム(民主・共和)対共和党系のネオコンサヴァティヴィズム(Neoconservatism)・民主党系の人道的介入主義」の対立と分析した。この論稿の構造も、「ミアシャイマーとウォルト(リアリズム)対サリヴァン(人道的介入主義)」である。

 アメリカの国力や影響力が落ちており、世界の警察官としての役割を維持することはできない。バラク・オバマは大統領在任中にそのことをはっきりと述べている。しかし、民主党系の外交政策コミュニティは、今でも世界中を民主化し、非民主的な体制の国々の体制転換(regime change)を行おうと必死だ。しかし、そのような彼らの目的は既にばれている。そして、彼らの願いと実際の国力や影響力との間の乖離は大きくなるばかりで、その乖離はやがてアメリカに大きな災厄をもたらすことになる。アメリカの力を維持しようとあがけばあがくほどに、アメリカは苦しむことになる。

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より多くかより少なくか、あるいは違うことをするか?(More, Less, or Different?

-アメリカの外交政策はどこへ向かうべきか、そしてどこへ向かうべきでないか

ジェイク・サリヴァン筆

2019年1・2月号(発行日:2018年12月11日)

『フォーリン・アフェアーズ』誌

https://www.foreignaffairs.com/reviews/review-essay/2018-12-11/more-less-or-different

2016年11月以来、アメリカの外交政策コミュニティ(foreign policy community)は自己探求の長期的な旅に乗り出し、リベラルな国際秩序の過去、現在、未来、そしてアメリカがどこに向かうのかという関連問題に関する論稿でこのような出版物のページを埋め尽くしている。大戦略(grand strategy)はここから始まる。一般的な感情は、同じことだけを求めるものではない。大きな問題は、ここ何年もなかった形で議論の対象となっている。アメリカの外交政策の目的は何だろうか? 対応するアプローチの変更を必要とする根本的な変化が世界に起きているだろうか?

この真剣で思慮深い会話に、スティーヴン・ウォルトとジョン・ミアシャイマーがそれぞれ新しい本を携えて登場し、それぞれがアメリカ外交政策の失敗についての長年の議論を新たな激しさで展開している。ウォルトの著書は『善意の地獄:アメリカの外交政策エリートと米国の優位性の衰退(The Hell of Good Intentions: America’s Foreign Policy Elite and the Decline of U.S. Primacy)』というタイトルであり、ミアシャイマーの著書は『大いなる妄想:リベラルな夢と国際的な現実(The Great Delusion: Liberal Dreams and International Realities)』というタイトルだ。タイトルは、民主政治体制の促進(democracy promotion)、人道的介入(humanitarian intervention)、国家建設(nation building)、NATOの拡大(NATO expansion)に反対するという、彼らが展開する主張についての明確なヒントを与えている。彼らの主張とは制限とオフショア・バランシング(restraint and offshore balancing)である。

2冊の本はそれぞれ、何か新しいことが含まれている。ウォルトの著書には、外交政策コミュニティに対する広範な攻撃が含まれており、様々な病理に囚われて国を迷わせている聖職者たちの暗い絵が複数の章にわたって描かれている。一方、ミアシャイマーは政治理論に目を向け、リベラリズム、ナショナリズム、リアリズムの関係を探求する。リベラリズムはナショナリズムとリアリズムに変更を加えたり、廃止したりすることはできず、この3つが交わる場合には、後者の2つが前者よりも優先される、と彼は主張している。ミアシャイマーは、アメリカ政治で理解されているようなリベラリズムではなく、古典的な意味でのリベラリズムについて語っていることをわざわざ強調しているが、「ソーシャルエンジニアリング(social engineering)」に対する彼の繰り返しの攻撃は、彼がそれを両方の意味で使っている可能性があることを明らかにしている。ミアシャイマーにとって、 3つの主義(isms)は最終的に、リベラルな覇権戦略(strategy of liberal hegemony)は必ず失敗する、そして実際にアメリカに失敗をもたらしているという結論に達するための代替ルートを提供する。

著者2人は多くの正当な指摘を行っている。しかし、彼らの本には、イラク戦争のような明らかな間違い(clear mistakes)と、外交政策のような面倒なビジネスではよくある不完全な選択肢から生じる欠陥のある結果(flawed outcomes)とを区別できないという問題もある。彼らはまた、あまりにも頻繁に風刺画の誘惑に負けて介入について揶揄し、制度構築(institution building)を軽視するが、これは冷戦後のアメリカのアプローチのより永続的かつ広範な特徴であった。しかし、最大の失望は、どちらの著者も、現在外交政策コミュニティを巻き込んでいる新たな議論や、アメリカの今後の戦略に関するやっかいな疑問に実際には取り組んでいないことだ。

●悪意と集団(BAD FAITH AND THE BLOB

ウォルトとミアシャイマーは、長い間、外交政策論議の中心的存在であった。2007年に単行本として出版されたアメリカ・イスラエル関係に関する2人の共同論争はさておき、2人は言論に不可欠な偶像打破(因習破壊、iconoclasm)を提供し、前向きな外交政策を支持する人々に、議論を研ぎ澄ませ、間違いについて考えさせ、彼らが避けて通りたいような難しい問題に直面させてきた。ミアシャイマーは、この新著を含め、あまりに多くのリベラルな国際主義者たち(liberal internationalists)が、ナショナリズムとアイデンティティの永続的な力と闘うことに失敗してきたことを指摘するのに、とりわけ力を発揮してきた。最近の歴史は、ミアシャイマーがより正しく、アメリカ外交がより間違っていることを証明している。この点や他の多くの点に関して、実務家たちはこれらの学者(そして学界全般)に対して、たとえ最終的に同意することにならなくても、より多くの意見を聞き、より徹底的に検討する義務がある。同じ意味で、これらの学者たち(そして学界全般)は、政策立案者たちに対して、立案者たちがたとえ決定において多くの失敗するにしても、誠意と誠実な奉仕を行う義務がある。

これが、ウォルトの議論の新たな側面を非常に厄介なものにしている理由だ。ウォルトは、彼の軽蔑の対象である「外交政策コミュニティ」を「定期的に国際問題に積極的に関与する個人および組織」と定義している。それより広い定義を思いつくのは難しい。しかしその後、ウォルトは多くの名前を挙げる。彼はシンクタンク、擁護団体、財団、そして「ブロブ(集団、blob)」を構成する特定の個人のリストでページを埋め尽くしているが、この用語はもともとオバマ政権で国家安全保障問題担当大統領次席補佐官だったベン・ローズが作った用語だが、ウォルトは繰り返し受け入れ、引用している。そして、彼の本のタイトルには「善意(good faith)」というフレーズが出てくるが、彼はそれ以外のものを考えている。「外交政策の専門家のほとんどは真の愛国者である」という必須の条件を付けた上で、ウォルトは彼らの意思決定の重要な動機と考えられるものに焦点を当てている。ウォルトは次のように書いている。

「アメリカ政府が海外で忙しくなればなるほど、外交政策の専門家の仕事は増え、世界的な問題への対処に充てられる国富の割合も増え、彼らの潜在的な影響力も大きくなる。外交政策がより抑制的になれば、外交政策コミュニティ全体の仕事は減り、その地位や存在感は低下し、著名な慈善団体の中には、こうしたテーマへの資金提供を減らすところも出てくるかもしれない。この意味で、リベラルな覇権主義と絶え間ないグローバルな活動は、外交政策コミュニティ全体にとっての完全雇用戦略を構成している」。

完全な開示を行う。ウォルトは間違いなく私にこのグループに分類しているようだ。したがって、私は彼の非人道的な主張を完全に客観的に評価することはできない。しかし、経験と常識から、それはまったく間違っていることが分かる。ウォルトは、国防総省や国務省やシチュエーション・ルームで、積極的な外交政策が国益と国際平和と進歩に関する世界大義にかなうと心から信じている外交官や公務員(もちろん政治任命者たち)と並んで働いたことはない。もしそうなら、彼は何がこれらの当局者を駆り立てているかについての見解を修正するだろうと私は確信している。

政府の行動に偏りがあるのは事実だ。しかし、ウォルトは、実務家たちが直面する決断にどれだけ苦悩しているか、そして何かを増やすか減らすか、あるいは違うことをすることのメリットについてどれほど熱心に議論するかを学ぶことになるだろう。自分の主張に反して、中東からの撤退に関するウォルト自身の考えを含め、非正統的な考えが実際にワシントンで審議されること、そして彼の提案が政策にならないのは、考慮されないからではないということに彼は驚くだろう。ウォルトは、因果関係の連鎖が、彼が想定しているものとは逆の方向に走っているという証拠を見つけるだろう。政策立案者たちは、外交政策が彼らの職業であるため、より野心的なアプローチを主張しない。彼らは、外交政策が野心的なことを達成できると信じているため、外交政策を自分の仕事にする傾向がある。実務家たちが学界にいる批評家たちを風刺することは、何の利益にもならない。逆も同様だ。

ウォルトは、外交政策の専門家たちの意図や動機が、彼らの見解が不変であることを意味し、彼らが学び、適応し、成長することができないという主張は間違いである。

ウォルトは、集団(ブロブ、blob)に悪意があると決めつけることで、2016年以降の外交政策コミュニティの変化を見逃している。彼は、ワシントンの外交政策協議があまりにもしばしば集団思考(groupthink)にとらわれてきたこと、従来の常識がいかに硬化し、そこから逸脱することがいかに困難であるか、地政学的傾向や民主政治体制の生来の魅力に関する多くの基本的前提があまりにも長い間当然のものとされてきたことなどについて、合理的な指摘をしている。しかし、外交政策の専門家たちの意図や動機が、彼らの見解が不変であることを意味し、彼らが学び、適応し、成長することができないというのは間違いである。

ウォルトもミアシャイマーも、ワシントン外交政策のコンセンサスにおける最近の重心の変化を無視している。2018年の討論会の内容は2002年の討論会の内容と同じではない。例えば、アメリカのイラク侵攻に対する彼らの情熱的な主張は、時間が経ったように凍結されているように見える。外交政策コミュニティのほとんどは、中東で再び選択の余地がある紛争が起こることに反対するだろう。現在の議論は、直接的な軍事力への依存を減らし、効果的な対テロ戦略をどのように追求するかについて争われている。国内への投資を重視する必要があるという彼らの主張にも同じことが当てはまる。2016年以来、リベラルな国際主義者たち(liberal internationalists)は外交政策と国内政策の関係についてより明確に考察するようになった。

●火星出身の政策立案者たち(POLICYMAKERS ARE FROM MARS

政策立案者たちにとって、ウォルトとミアシャイマーをどう扱えばいいのかが分からないことが多い。彼らは、ヨーロッパからの軍事的撤退のような思い切った行動によるバラ色の結果を含め、そのアプローチについて、彼らが描くリベラルな国際主義者(liberal internationalists)の誇張された肖像に似た確信をもって約束する。そして、彼らの議論のスタイルは、現在の問題を煽ることだ。彼らは、あらゆる問題、悲劇、予期せぬ副作用の責任をアメリカの意思決定者たち(U.S. decision-makers)になすりつける一方で、到達した成果や回避された災難はすべて当然だと考える。そのため、意図しない結果につながる行動は、意図しない結果につながる不作為とは異なる扱いを受ける。リビアへの介入は、ヨーロッパにおける難民危機に予期せぬ形で貢献したが、シリアへの介入の欠如もそうだったかもしれない。

これらの断絶が核心的な課題の一因となっている。学者たちの批評に対して政策立案者たちが行う議論は、全て反事実に寄りかからざるを得ない。もしワシントンがNATOを拡大していなかったら、現在ウクライナで起きていることはバルト海沿岸やポーランドで起きていただろうか? もし1990年代に日本から撤退していたら、今中国に対してどのような対応を取ることができていただろうか? 「もっと悪いことが起きていただろう!」というのは、議論の場では決して楽しい主張ではない。戦後のドイツと日本のケースを考えてみよう。ミアシャイマーは彼の著作の中盤でほんの少し言及しただけで、それを軽視している。もしアメリカが1945年にウォルトとミアシャイマーの処方箋に従ってアメリカ軍を撤退させ、ヨーロッパとアジアに自国の問題を自力で解決させていた場合の20世紀後半を想像してみて欲しい。そうであれば、この地域は現在とははるかに違った様相を呈していただろうし、おそらくははるかに暗い様相を呈していただろう。

ウォルトとミアシャイマーの基本的な戦略的前提は、アメリカの撤退はおそらく世界をより危険なものにするだろうが、その地理的条件とパワーを考えれば、アメリカは結果として生じるリスクを回避することも、有利になるように操作することもできる、ということのようだ。この論理の厳しさはさておき、それが正しいかどうかは全く分からない。ウォルトは、20世紀前半のオフショア・バランシング[offshore balancing](ウォルトが好む地域安全保障への手をかけないアプローチ)には「安心できる歴史(reassuring history)」があることの証明として、20世紀前半の例を挙げている。しかし、アメリカを巻き込むことが必至となった2つの破滅的な世界大戦以上に心強いものがあるだろうか。1930年代を成功とするアプローチを受け入れるのは難しい。

政策立案者たちとこの2人の学者の会話が火星と金星のような関係にある理由は他にもある。ウォルトとミアシャイマーは、世界各地からアメリカ軍をアメリカ本国に帰還させ、トラブルが発生したときに再びアメリカ軍を派遣するためにかかる費用をごまかすことができる。ウォルトとミアシャイマーは、イランのような国が核兵器を保有することで生じる不安定性を軽視することができる。一方、政策立案者たちは、地域の軍拡競争やテロリストの手に爆弾が渡る可能性など、最悪のシナリオを考える。アメリカの外交政策からリベラリズム(liberalism)を排除することを主張することはできるが、政策立案者たちは、アメリカの戦略だけでなく、アメリカのシステムがリベラリズムを指し示しているという事実に対処しなければならない。例えば、ニューヨーク・タイムズ紙は中国共産党の汚職調査を止めようとはしないし、パナマ文書の公開はNATOの拡張と同様にロシアのプーティン大統領の怒りを買った。最後に、ウォルトがジョージ・W・ブッシュ大統領、バラク・オバマ大統領、ドナルド・トランプ大統領は外交政策へのアプローチにおいて基本的に見分けがつかないと書くとき、彼は極端な一般性のレヴェルで行動しており、その分析は意味を失っている。

しかし、ある意味、そんなことは気晴らしのようなものだ。現実主義者たち(realists)とリベラルな国際主義者たち(liberal internationalists)の間の戦線(battle lines)は、あまりにもよく描かれており、議論もよくリハーサルされているので、今さら多くを付け加えることは難しい。過去25年間、ワシントンがウォルトとミアシャイマーのアプローチを採用していたら、現在の状況はどうなっていたかをめぐって争うことは、今後25年間、ワシントンが何をすべきかを議論することほど生産的ではない。また、政策立案者たちがいくつかの単純なルールに従いさえすれば、物事を正しく進めるのは簡単だと主張する一方で、ミアシャイマーとウォルト両著者は今日のアメリカ外交の中心的な議論、つまり、集団(ブロブ、blob)が2016年以来格闘している厄介な問題については驚くほど何も語っていない。

第一は、悪化する米中関係をどのように形成し、対立に転じることなく、アメリカの利益を増進させるかである。中国をアメリカ主導の秩序に統合することを前提とした、アメリカの戦略コミュニティにおける「責任ある利害関係者(responsible stakeholder)」たちのコンセンサスは崩壊した。新たなテーマは、ワシントンは中国を見誤ったということであり、今日の合言葉は「戦略的競争(strategic competition)」である(ただし、中国がソ連と違って失敗する運命にある訳ではないと仮定するならば、何のための競争なのかは明確でない)。中国に対する好意的な見方から暗い見方へと、振り子(pendulum)がこれほど速く揺れ動くのを見るのは幻惑的である。このような新しい状況下でどのように行動すべきか、という指針は、驚くほど不足している。

ウォルトは基本的に両手を上げて、「アジアはアメリカのリーダーシップが本当に「不可欠な(indispensable)」唯一の場所かもしれない」と書いている。("indispensable " "leadership "という言葉が大嫌いなウォルトにとって、これは極めて重要な発言である)。もしウォルトが、現代最大の国家安全保障問題に例外を設けなければならないのであれば、彼のアプローチ全体を見直す必要があることを示唆している。流行する前から中国タカ派だったミアシャイマーは、中国に関してはリアリズムと自制は乖離せざるを得ないと主張してきた。しかし、この最新刊では、「リベラルな覇権(liberal hegemony)」を破壊することに固執するあまり、中国の台頭の継続を応援している。国際システムから見た議論としては正しいかもしれないし、そうでないかもしれないが、国益を考えるアメリカの政策立案者たちにとっては特に有益ではない。また、どちらの著者も、政策立案者たちが伝統的な安全保障上の考慮事項と同様、経済、テクノロジー、アイデアに関する新たな分野での競争に備える助けにもなっていない。地政学(geopolitics)がサイバースペース、宇宙、経済、エネルギーなど、拡大する領域にわたって展開される中で、これは彼らの分析における深刻なギャップである。

この欠陥は、第一の問題と表裏一体となった第二の難問につながる。それは、 アメリカの主要な競争相手は、どの程度組織的に非自由主義(illiberalism)を輸出しているのか、そしてアメリカの戦略にとってどのような意味があるのか。アメリカ進歩センター(Center for American Progress)のケリー・マグザメンと共著者たちのような専門家たちは、中国とロシアがともに権威主義モデル(authoritarian models)を維持するという最優先の目的を持っていることをより強調している。ブルッキングス研究所のトーマス・ライトが言うように、中国とロシアは「権威主義にとって世界をより安全な場所にするために、自由で開かれた社会(free and open societies)を標的にするという目的を共有している」のであり、したがって、アメリカの外交政策は、大国間競争(great-power competition)の中で、民主政治体制の擁護を最重要視する必要がある。

ウォルトもミアシャイマーも、アメリカの主要な競争相手は主として現実主義的な考えに従って行動しており、国内政治は主要な要因ではないと仮定している。その結果、ミアシャイマーが言うように、アメリカの「民主政治体制を広めようとする衝動」に対して後ろ向きとなる批判を展開し、ますます野心的で、組織化され、効果的になっていく独裁政権から民主政治体制を守るという課題にはあまり触れていない。外交政策コミュニティの新たな診断は間違っているかもしれないし、誇張されているかもしれないが、もしそうなのであれば、この2人の著者はどちらもその理由を説明していない。アメリカの競争相手がアメリカの経済・政治システムに圧力をかけるために行っている、直接的な選挙干渉(direct election interference)から、影響力を高めるための手段として汚職(corruption)や国家資本主義(state capitalism)を戦略的に利用することまで、さまざまな慣行を扱っていない。そして、現在流行しつつある診断が正しいとすれば、NATOを解体し、ヨーロッパから撤退し、志を同じくする同盟諸国にアメリカからの恩寵を獲得するよう指示するという彼らの望ましい戦略は、本当に論理的な次のステップとなるのだろうか?

ミアシャイマーは、「海外でのリベラリズムの追求は、国内でのリベラリズムを弱体化させる」と主張している。しかし、国内での影響(盗聴、政府機密、「ディープ・ステート」)に関する彼が提示する現代の例は、テロとの戦いに関するものであり、リベラルなプロジェクトとは言い難い。このことは、3つ目の難しい問題を提起している。テロリズムがもたらす客観的な脅威と、アメリカ国民が感じる主観的な脅威とのギャップに、意思決定者はどのように対処すべきなのか? ウォルトもミアシャイマーも、より平和主義的な国民を対外的な軍事的冒険に引きずり込む、血に飢えた外交政策共同体の精巧な風刺画を描いている。しかし、海外でのテロとの戦いとなると、リベラルな国際主義(liberal internationalism)に懐疑的な政治家たちに後押しされた国民は、テロリズムを軍事力の行使を必要とする緊急の、さらには存亡にかかわる優先事項であると考える。外交政策コミュニティは、そのような要求を推進するというよりも、むしろそれに応えつつある。

オバマのイラクでの経験について考えてみよう。2011年、オバマはウォルトとミアシャイマーの脚本を参考に、アメリカ軍を残らず撤退させた。そして2014年夏、ISIS(イスラム国)がモスルに押し寄せ、アメリカ国民の意識の中心に躍り出た。オバマ大統領の国家安全保障ティームにいた私たちは、アメリカ軍の武力で対応すべきかどうか、どのように対応すべきかについて活発な議論を交わした。2人のアメリカ人ジャーナリストが斬首された後、国民はISISを封じ込めるためではなく、ISISを打ち負かすための迅速かつ決定的な行動を求めた。ISISを封じ込めるためではなく、ISISを打ち負かすための、迅速かつ決定的な行動を求めた。しかし、テロ問題の政治的側面と、扇動者に影響されやすいという性質は、政策立案者がテロを他の国家安全保障上の課題とは異なるカテゴリーに位置づけなければならないことを意味し、脅威の客観的尺度には限界があるということである。今後数年間の戦略や資源に関する議論では、このダイナミズムをいかに管理するかが重要になる。ウォルトにとってもミアシャイマーにとっても、これは盲点(blind spot)である。

もう1つの盲点は、政策立案者たちが現在取り組んでいる4つ目の問題だ。それは、国家間の地政学的な競争が激化し、各国から力が拡散していく中で、政策立案者たちは、全ての国家が共有する主要な脅威に対処するための効果的なメカニズムをどのように設計すればよいのだろうか? 気候変動、疫病の流行、大量破壊兵器の拡散、そして再び世界的な経済危機が起こるリスクに対処するためには、協力が必要である。少なくとも、このような集団行動を動員するという文脈においては、ミアシャイマーは、外交政策コミュニティの多くの人々の動機となる理論が、古典的自由主義よりも、制度(institutions)、相互依存(interdependence)、法の支配(rule of law)を重視する古典的共和主義(classical liberalism)に近いかもしれないことを見逃している。また、ウォルトもミアシャイマーも、アメリカのリーダーシップなしには、あるいは健全な制度に根ざした健全なルールなしには、あるいは非国家主体や準国家主体の役割を考慮することなしには、このような協力がどのように実現するかについて説得力のある説明をしていない。

ウォルトとミアシャイマーは共に、効果的な外交に敬意を表しているが、どちらもアメリカの大幅な縮小がアメリカの外交遂行能力を損なうことはなく、どのように強化するのかについて、信頼できる説明を与えていない。例えば、ウォルトはイラン核開発に関する合意を気に入っているようだが、壊滅的な制裁と軍事力による確かな脅威が合意の実現に果たした役割についてはほとんど評価していない。外交における安心感と決意を示すことは、アメリカ軍を世界規模に展開することの重要な利点であり、それがウォルトにとって、リビアのような間違いを犯しにくくすることと、成功した外交に従事しやすくすることのどちらをより重視するのかという疑問を生む。イランとの交渉のような外交の成功とは何を意味するのか?

ウォルトとミアシャイマーが指針を示さなかった最後の分野は、人道的介入(humanitarian intervention)の将来についてである。これは驚くべきことだ。過去25年間を経て、ワシントンは、人道的な理由によるアメリカの軍事介入に必要な条件があるとすれば、それは何なのかという問いに取り組んでいる。過去の介入を批判することは、リベラルな国際主義に反対する両学者にとって中心的な柱となっている。しかし、両者ともそのような介入は決して試みるべきではないと言い切ってはいない。ミアシャイマーのリビア作戦に対する批判は、大虐殺を止めるためにアメリカが介入すべきではなかったというものではない。それどころか、虐殺の脅威は「偽りの口実(false pretext)」、つまり全てでっち上げだったと断じている。これは彼にとって、本当の問題を避けるための都合のいい方法である。

ウォルトに関しては、「戦争を防止し、大量虐殺を食い止め、他国を説得して人権パフォーマンスを向上させる」ためにアメリカの力を行使することには、驚くほど肯定的である。実際、彼は「(1)危険が差し迫っており、(2)アメリカに予想されるコストが控えめで、(3)アメリカの人命に対する外国の人命の重要度が高く、(4)介入が事態を悪化させたり、無制限の関与につながったりしないことが明らかな場合には、大量殺戮を阻止するために武力を行使することを容認する」という。これらは、過去四半世紀にわたってアメリカが追求してきた人道的介入のそれぞれに、政策立案者たちが適用してきたのと同じ基準である。(イラクは人道的理由による戦争ではなかったので別のカテゴリーに属する)。冷戦後の様々な介入は、主として最初の3つの基準を満たすものであった。ウォルトは4つ目の基準について、これ以上の指針を示していない。この基準は、行動すべきか(リビア)、行動すべきでないか(シリア)をめぐる議論の大半を占め、困難なトレイドオフの大半はここにある。人道的介入にも戦略的動機がありうることを、どちらの学者も考慮していないという問題もある。シリアを焼け野原にすることは、大量の人命を失う危険性があるだけでなく、ウォルトとミアシャイマーが重要と考えている1つだけでなく2つの地域(ヨーロッパとペルシャ湾)を不安定化させる危険性もある。

●新たな収束(THE NEW CONVERGENCE

これら難問のリストは、全てを網羅しているとは言い難い。トランプ時代は、より広範な国際環境の変化とともに、多くの仮定を再び議論の対象としている。特にウォルトは、進歩主義者、自由主義者、そしてアカデミックな現実主義者が、リベラルな国際主義者を打ち負かすために力を合わせる絶好の機会だと考えている。実際の潮流は別の方向に進んでいるようだ。ヴァーモント州選出のバーニー・サンダース連邦上院議員やマサチューセッツ州選出のエリザベス・ウォーレン連邦上院議員による外交政策論評をはじめ、最近の多くの論考は、左派と中道の一種の収束への道を指し示している。この収束は完全なものとは言い難いが、いくつかの共通の優先事項が明らかになりつつある。国際経済政策の分配効果に対する関心の高まり、汚職や泥棒政治(クレプトクラシー、kleptocracy)、ネオファシズムとの闘いへの集中、軍事力行使よりも外交の重視、民主的同盟国への永続的な関与などである。おそらく最も重要なことは、左派と中道が、リベラル・プロジェクトの多くの成功が、世界的な貧困と疾病に対する進歩や、フランスとドイツの間の永続的な平和のように、競争する運命にあるのではなく、ヨーロッパ連合(EU)を形成するという、深遠なものであったという事実に対する認識と、この認識を共有しつつあることである。

このことは、ウォルトとミアシャイマーが今後の議論において果たすべき役割を否定するものではない。第一原則を重視する彼らの姿勢は、多くのことが争点となっている現在、特に重要である。異なる考え方をするようにという彼らの忠告は、変化の激しい時代には有益である。政策立案者たちはこれらの本を読み、彼らの主張を慎重に検討すべきである。そして、ウォルトとミアシャイマーは、誠意と好意を持って、この先数十年にどのように取り組むべきかについて、政策立案者たちと難問に取り組む機会を歓迎すべきだ。

※ジェイク・サリヴァン:カーネギー国際平和財団上級研究員。2011年から2013年まで国務省政策企画本部長、2013年から2014年まで国家安全保障問題担当米副大統領補佐官を務めた。

(貼り付け終わり)

(終わり)

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ビッグテック5社を解体せよ

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 悪魔のサイバー戦争をバイデン政権が始める
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 古村治彦です。

 今回は、現在、ジョー・バイデン政権で、国家安全保障問題担当大統領補佐官を務めるジェイク・サリヴァン(Jake Sullivan、1976年-、46歳)が2020年当時に書いた論稿を紹介する。共著者のジェニファー・ハリス(Jennifer M. Harris、1981年-、42歳)はサリヴァンよりも若く、彼の右腕とも言うべき存在だ。サリヴァンは2011年から2013年まで、バラク・オバマ政権、ヒラリー・クリントン国務長官が率いる国務省で、政策企画本部長(Director of Policy Planning)を務めた。この時、政策企画本部でスタッフとして働いていたのがジェニファー・ハリスだった。
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ジェイク・サリヴァンとジョー・バイデン
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ジェニファー・ハリス

 ハリスはノースカロライナ州にあるウェイクフォレスト大学を卒業後、オックスフォード大学に留学し、修士号を取得した。帰国後にイェール大学法科大学院を修了し、弁護士となった。オックスフォード大学留学、イェール大学法科大学院修了、弁護士という経歴は、ジェイク・サリヴァンと同じだ。

政策企画本部は、国務省の重要な政策や構想(initiative)を担当する、頭脳集団、参謀集団だ。ジェニファー・ハリスはヒラリー国務長官が提唱した「エコノミック・ステイトクラフト」という考えの主要な立案者だった。

バイデン政権では、国家安全保障会議と国家経済会議の2つのホワイトハウスの機関に属する国際経済・労働担当上級部長を務めた。しかし、今年2月に辞任した。国家安全保障会議を主宰するのは国家安全保障問題担当大統領補佐官であり、ここでもサリヴァンは、ハリスの上司となった。ジェニファー・ハリスは、バイデン政権内の「対中強硬派」として知られていた。以下の論文から重要な部分を引用する。
(引用はじめ)

政策立案者たちは、過少投資(underinvestment)が国家安全保障にとって、アメリカの国家債務よりも大きな脅威であることを認識すべきである。ワシントンの内外で毎年開かれる会合で、上級の国家安全保障専門家たちは、国家安全保障上の脅威の筆頭として、いまだに債務を非難している。将軍や提督たちは、定期的に連邦議会でその旨を証言している。しかし、もう議論の余地はないだろう。債務ではなく、長期停滞[secular stagnation](それによって、不安定な金融状況によってのみ満足のいく成長が達成される)の方が、はるかに差し迫った国家安全保障上の懸念なのだ。結局のところ、低成長に直面した緊縮財政と投資不足が、ハンガリーのヴィクトール・オルバンやブラジルのジャイル・ボルソナロのような不安定化する独裁政権を生み出すかを、世界は10年間も実証してきたのだ。

(中略)

産業政策[industrial policy](広義には、経済の再構築を目的とした政府の行動)を提唱することは、かつては恥ずべきことだと考えられていた。40数年の中断にもかかわらず、産業政策は深くアメリカ的である。ヘンリー・クレイのアメリカン・システムから、ドワイト・D・アイゼンハワーの州間高速道路網、リンドン・ジョンソンの偉大な社会(グレイト・ソサエティ)に至るまで、アメリカの歴史を通じて受け継がれてきた伝統である。

産業政策への回帰は、単に数十年前にこの国がやり残したことを取り戻すだけであってはならない。特定のセクターで勝者を選ぶことに注力するのではなく、月に人類を送り込む、ネット・ゼロ・エミッションを達成するといった大規模な使命(ミッション)に政府が投資することに注力すべきだというコンセンサスが生まれつつある。

(中略)

 もう一つの理由は、他国、特にアメリカの競争相手がそれを実践していることだ。習近平国家主席が主導している「中国製造2025(メイド・イン・チャイナ2025、Made in China 2025)」戦略は、中国を商業と軍事の両分野でテクノロジーと先端製造業のリーダーへと飛躍させることを目的とした、10年間の青写真である。正確な見積もりは難しいが、中国の補助金だけでも数千億ドルに達する。こうした投資は、人工知能、太陽エネルギー、5Gなど、多くの専門家たちが、中国はアメリカと肩を並べるか、既に上回っていると確信している、いくつかの分野で、大きな成果を上げている。

もしワシントンが民間部門の研究開発に大きく依存し続ければ、その研究開発は長期的な革新的な進歩ではなく、短期的な利益を生む応用に向けられているので、アメリカ企業は中国企業との競争で負け続けることになるだろう。そして、危機の際に、軍事技術からワクチンに至るまでの必需品を生産するのに必要な製造基盤が欠如すれば、アメリカは更に不安定を増すだろう。(翻訳は引用者)

(引用終わり)

 サリヴァンとハリスは、政府が産業政策を通じて巨額の投資を行うべきこと、そして、中国が産業政策を行っているのだから、競争に勝つためには、アメリカも産業政策を実施すべきであることを訴えている。サリヴァンは国家安全保障問題担当大統領補佐官であり、ハリスは、国家安全保障会議と国家経済会議の両方に所属する、国際経済・労働担当上級部長を務めた。これは、ジェイク・サリヴァンをはじめとする、バイデン政権の最高幹部たち産業政策の実施が、経済対策や景気対策の域を超えて、安全保障の問題であると考えていることを示している。

(貼り付けはじめ)

アメリカは新しい経済哲学を必要としている。外交政策の専門家たちがそれを助けることができる(America Needs a New Economic Philosophy. Foreign Policy Experts Can Help.

-アメリカは、経済政策を誤れば、大戦略を正しいものにすることはできない。
ジェニファー・ハリス、ジェイク・サリヴァン筆
2020年27

『フォーリン・ポリシー』誌

https://foreignpolicy.com/2020/02/07/america-needs-a-new-economic-philosophy-foreign-policy-experts-can-help/

アメリカの外交政策立案者たちは今、力がますます経済的な尺度で測定され、行使される世界に直面している。権威主義的資本主義(authoritarian capitalism)が、主流モデルになっている市場民主政治体制(market democracy)として挑戦しており、技術的混乱、気候変動、格差が政府と国民の間の結びつきを緊張させている。このような世界では、少なくとも他の何よりも経済が、地政学(geopolitics)におけるアメリカの成功と失敗を左右する。

ソヴィエト連邦が享受したことのないレヴェルの経済力と影響力を既に獲得している中国への対応となれば、なおさらだ。軍事力が重要であることに変わりはないが、米中間の新たな大国間競争は、結局のところ、それぞれの国がいかに効果的に自国の経済を管理し、世界経済を形成するかにかかっている。

共和国成立の初期から第二次世界大戦後までのアメリカの歴史を振り返って見ると、大戦略(grand strategy)の変化により、重商主義(mercantilism)から自由放任絶対主義(laissez-faire absolutism)、ケインズ主義(Keynesianism)から新自由主義(neoliberalism)へ、経済哲学(economic philosophy)の変化が時々必要となった。その変更を確実な者にするため、国家安全保障(national security)に関する議論が重要であることが証明されている。アメリカが新たな大国間競争(great-power competition)の時代に入り、格差、テクノロジー、気候変動などの強力な要素と闘っている今日も同様である。

これまでと同様、アメリカは過去数十年間に拡大した経済イデオロギー(不完全に新自由主義と呼ばれることもある)を超えて、経済の運営方法、経済が果たすべき目標、そしてそれらの目標を達成するために経済をどのように再構築すべきかを再考する必要がある。 そしてこれは経済的であると同時に地政学的な義務でもある。そしてこれまでと同様、国家安全保障と外交政策のコミュニティは、この国内経済政策の議論において積極的な役割を果たし、必要な改革を提唱し実現を支援すべきである。

今日、国内政策の穏健な専門家たちは、経済学者たちが多くのことを間違えており、重大な修正が必要であることを受け入れ、真の清算を経験している。その結果、労働者の力、資本への課税、独占禁止政策、公共投資の範囲などに関する議論に著しい変化が生じている。対外政策の専門家たちは、アメリカの競争力を強化するために何が必要かをより重視し始めたが、同じような基本的な清算はしていない。外交政策の専門家たちは、国内外を問わず、自国の経済前提において何を変える必要があるのか、より鋭く体系的な感覚を養うべき時が来ている。

過去3年間、ドナルド・トランプという国家的緊急事態(national emergency)に対処するため、外交政策に取り組む民主党と反トランプの共和党が団結して、同盟、価値観、制度に関する一連の重要な提案の中核を擁護してきた。そうすることで、経済に関する難しい質問についての意見の相違を無視したり、回答を避けたりする傾向があった。そして過去30年にわたり、外交政策の専門家たちは経済学に関する質問を国際経済問題を担当する小さな専門家コミュニティにほとんど丸投げしてきた。

その理由の1つは、経済学と外交政策は異なるものであるべきだという考えからきている。あたかも両者を混ぜ合わせると、長い間客観的な科学として扱われてきた経済学が、地政学の利己的な影響によって汚されてしまうからと考えられた。また、外交政策のエリートたちが、アメリカ社会の他の多くの人々と同じように、この経済学の正統性を内面化し、委任が単なる便宜的な問題であるかのように信じ込むようになったことも一因である。例えば、バラク・オバマ政権とジョージ・W・ブッシュ政権が、国内経済政策ではこれほど異なるアプローチを採用していたのに、環太平洋経済連携協定(TPP)から国際通貨基金(IMF)に至るまで、対外経済政策ではほぼ同じアプローチをとっていたのはこのためだ。

しかし、外交政策の専門家は、新たな経済政策論争を傍観する必要はないし、むしろ傍観すべきではない。過去において、アメリカの大戦略はその時々の経済理論に基づいて構築されてきた。例えば、アメリカは建国当初、重商主義(mercantilism)に基づく帝国を退けていた。フランスやイギリスのような既成勢力に勝てないことは百も承知だったが、アメリカは重商主義を否定し、代わりに自由貿易モデルを採用し、その普及に貢献した。実際、アメリカがアダム・スミスやデイヴィッド・リカードに早くから傾倒していたのは、地政学的に生き残るためでもあった。

冷戦時代にも似たようなことがあった。アメリカ政府は、イギリスの経済学者ジョン・メイナード・ケインズによって提唱された処方箋を用い、第二次世界大戦後の数十年間、ソ連経済が太刀打ちできないペースで経済成長を達成した。これは、公共投資(public investment)と、完全雇用(full employment)を優先する金融政策によって、消費者需要と工業生産を刺激するというものだった。歴史は、当時のケインズ主義の台頭を、世界大恐慌(Great Depression)と世界大戦に対する明白で必然的な対応として解釈する傾向があるが、冷戦の初期には、このアプローチが正統派として定着することは明確ではなかった。

1933年から1944年まで国務長官を務めたコーデル・ハルや、ヴェテランの外交官ジョージ・ケナンのようなアメリカの国家安全保障の専門家を含むさまざまな人物たちが、ソヴィエトに打ち勝つには、大恐慌前の数十年間に主流だった自由放任主義の経済哲学を捨てることが必要だと主張したからである。ケナンは冷戦初期に、より拡張的な経済学を主張する際に、1930年代の外交政策の惨状は、1920年代の「失われた機会(lost opportunities)」に起因すると主張した。

歴史は再びノックを鳴らしている。中国との競争の激化と国際政治・経済秩序の変化は、現代の外交政策当局に同様の本能を呼び起こすはずだ。今日の国家安全保障の専門家たちは、過去40年間主流だった新自由主義経済哲学を乗り越える必要がある。この哲学は、個人の自由と経済成長の両方を最大化する最も確実な道としての競争市場に対する反射的な信頼と、それに対応する政府の役割は、財産権の行使を通じて競争市場を確保することに限定されるのが最善であり、市場の失敗という稀な事例にのみ介入するという信念に要約される。

外交政策の専門家たちが次の経済哲学を考え出す必要はない。その任務はより限定的であり、新自由主義の後に何が起こるべきかについて展開中の議論に地政学的視点を提供し、その後、新たなアプローチが出現したときに国家安全保障を主張することである。

この目的を達成するために、外交政策コミュニティは多くの古い思い込みを捨てる必要がある。経済学の主流派からは、従来のアプローチの最も有害な要素が捨て去られつつあるが、外交政策の会話には、ある種の決まり文句がまだ残っている。

第一に、政策立案者たちは、過少投資(underinvestment)が国家安全保障にとって、アメリカの国家債務よりも大きな脅威であることを認識すべきである。ワシントンの内外で毎年開かれる会合で、上級の国家安全保障専門家たちは、国家安全保障上の脅威の筆頭として、いまだに債務を非難している。将軍や提督たちは、定期的に連邦議会でその旨を証言している。しかし、もう議論の余地はないだろう。債務ではなく、長期停滞[secular stagnation](それによって、不安定な金融状況によってのみ満足のいく成長が達成される)の方が、はるかに差し迫った国家安全保障上の懸念なのだ。結局のところ、低成長に直面した緊縮財政と投資不足が、ハンガリーのヴィクトール・オルバンやブラジルのジャイル・ボルソナロのような不安定化する独裁政権を生み出すかを、世界は10年間も実証してきたのだ。

これはなにも、借金や赤字が決して問題ではないということではない。むしろ、それは良い借金と悪い借金の区別を強調することであり、この点は現在経済界で広く受け入れられている。アメリカの国家安全保障コミュニティは、当然のことながら、中国に対するアメリカの長期的な競争力を決定するインフラ、テクノロジー、技術革新、教育への投資を主張し始めている。成長、インフレ、金利が全て遅れているため、政策立案者たちは、アメリカにはこれらの投資を行う余裕がないというシンプソン・ボウルズ委員会に遡る(そして2021年に民主党が大統領に就任すれば戻る可能性が高い)議論に怯えるべきではない。

しかし、悪い借金は中長期的な成長の可能性を高めることなくリスクを生む。トランプ政権の2018年税制法案は、1兆5000億ドルから2兆3000億ドル(2009年の景気刺激策の2倍から3倍)の値札を掲げており、高価な教訓となっている。企業やアメリカの富裕層に対するトリクルダウン減税を、アメリカの低・中所得層から富裕層へ何兆ドルも再分配するゾンビ・イデオロギーとしか見なせないほど、棺桶に釘が刺さりすぎている。

企業やアメリカの富裕層へのトリクルダウン減税という考えは信用できない。それは単に、アメリカの中低所得層から富裕層へ何兆ドルも再分配するものであり、外交政策専門家たちはそれを否定すべきである。

第二に、産業政策[industrial policy](広義には、経済の再構築を目的とした政府の行動)を提唱することは、かつては恥ずべきことだと考えられていた。40数年の中断にもかかわらず、産業政策は深くアメリカ的である。ヘンリー・クレイのアメリカン・システムから、ドワイト・D・アイゼンハワーの州間高速道路網、リンドン・ジョンソンの偉大な社会(グレイト・ソサエティ)に至るまで、アメリカの歴史を通じて受け継がれてきた伝統である。

産業政策への回帰は、単に数十年前にこの国がやり残したことを取り戻すだけであってはならない。特定のセクターで勝者を選ぶことに注力するのではなく、月に人類を送り込む、ネット・ゼロ・エミッションを達成するといった大規模な使命(ミッション)に政府が投資することに注力すべきだというコンセンサスが生まれつつある。

産業政策に立ち返るべき最大の地政学的理由は気候変動だ。炭素に課税するだけでは気候変動に対処できない。それには、研究開発、新技術の展開、気候に優しいインフラの開発を通じて脱炭素アメリカ経済(post-carbon U.S. economy)への移行を裏付ける、計画的かつ方向性のある公共投資の急増が必要となる。

もう一つの理由は、他国、特にアメリカの競争相手がそれを実践していることだ。習近平国家主席が主導している「中国製造2025(メイド・イン・チャイナ2025、Made in China 2025)」戦略は、中国を商業と軍事の両分野でテクノロジーと先端製造業のリーダーへと飛躍させることを目的とした、10年間の青写真である。正確な見積もりは難しいが、中国の補助金だけでも数千億ドルに達する。こうした投資は、人工知能、太陽エネルギー、5Gなど、多くの専門家たちが、中国はアメリカと肩を並べるか、既に上回っていると確信している、いくつかの分野で、大きな成果を上げている。

もしワシントンが民間部門の研究開発に大きく依存し続ければ、その研究開発は長期的な革新的な進歩ではなく、短期的な利益を生む応用に向けられているので、アメリカ企業は中国企業との競争で負け続けることになるだろう。そして、危機の際に、軍事技術からワクチンに至るまでの必需品を生産するのに必要な製造基盤が欠如すれば、アメリカは更に不安定を増すだろう。

第三に、政策立案者たちは、あらゆる貿易協定が良い貿易協定であり、より多くの貿易が常に解決策であるという通念を乗り越えなければならない。細部が重要なのだ。TPPをどう考えるにせよ、国家安全保障コミュニティは、その実際の中身を探ることなく、疑うことなくTPPを支持した。アメリカの貿易政策は、長年にわたってあまりにも多くの過ちを犯してきた。

ノーベル賞受賞者で経済学者のポール・クルーグマンは最近、中国の世界貿易機関(WTO)加盟がアメリカ国内の地域社会に与える影響について、「物語の重要な部分を見逃していた」と指摘し、この問題について謝罪の意を表明した。彼は、デイヴィッド・オーサー、デイヴィッド・ドーン、ゴードン・ハンソンらによる、アメリカの雇用が中国に奪われ、1990年代後半の議論では伝統的な経済学者たちによって否定されていた、劇的な雇用の喪失を記録した研究に、部分的に反応したのである。

新しい思想家たちはまた、個々の合意を超えて、今日の経済に適用される貿易理論の基本前提の一部に疑問を投げかけている。例えば、原則として損失者が補償される限り、貿易は必然的に双方の生活を豊かにするという考えは、経済学の分野で当然の圧力に晒されている。これは、法人税を広範囲に分配するどころか、そもそも法人税を徴収することでその利益を利用してきたアメリカの恐るべき実績を考えると特に当てはまる。

貿易に対するより良いアプローチは、貿易から得られる理論的利益の多くを損なうタックスヘイブン(租税回避地)や抜け穴をより積極的に標的にすることである。また、企業投資のために世界を安全にするのではなく、アメリカ国内の賃金を向上させ、高賃金の雇用を創出することに焦点を当てるべきである。例えば、ゴールドマン・サックスのために中国の金融システムを開放することが、なぜアメリカの交渉の優先事項なってしまうのか? また、対外貿易政策を労働者や地域社会への国内投資と結びつけ、貿易調整を中途半端な約束に終わらせないようにすべきである。

うまく行けば、別のコースで経済的利益だけでなく、戦略的利益も得られるはずだ。ほんの一例を挙げると、TPPには存在しない為替操作(currency manipulation)に関する規定は、アメリカの中産階級を助けるだけでなく、複数の大陸にわたって中国の力を強化するために設計された一連のインフラプロジェクト、中国が進める一帯一路構想(Belt and Road InitiativeBRI)のような取り組みに資金を提供する能力を制限することによって、アメリカの戦略的地位をも助けるだろう。中国は一帯一路の資金の多くを外貨準備の備蓄を通じて賄ってきた。この外貨準備は、輸出の競争力を高めるため、自国通貨の価値を下げるために外国為替市場に何年も大規模な介入を行って蓄積したものである。

第四に、外交政策の専門家たちは、アメリカを拠点とする多国籍企業にとって良いことが、必然的にアメリカにとっても良いことであるという考えを捨てなければならない。アメリカの外交官は納税者の金で世界中を飛び回り、アメリカ企業が外国で契約や取引を勝ち取るよう働きかけている。しかし、こうした契約や取引によって創出される雇用は、アメリカ国内ではなく海外で創出されることがあまりにも多く、利益の全てまたは大部分は、アメリカの労働者や地域社会ではなく、投資家にもたらされる。

製薬業界を例にとれば、アメリカは医薬品開発において誰もが認めるリーダーであり、アメリカの交渉担当者の多くは医薬品を輸出の強みの源泉とみなしてきた。そのため、アメリカの貿易取引では大手製薬企業に対して寛大な条件が提示されている。知的財産(intellectual property)はアメリカが所有しているが、有効成分のほとんどは海外で製造されている。これはグローバル化の当然の事実のように聞こえるかもしれない。しかし、アメリカの医薬品の最大の輸入元は低賃金国ではなく、アイルランドとスイスである。

これは世界資本が低賃金国に移動しているということを示していない。それは税金逃れのために起こっている。カリフォルニア大学バークレー校の経済学者ガブリエル・ザクマンの試算によると、アメリカ企業が利益をアイルランドやスイスなどの税制の緩い管轄区域に移しているため、アメリカ政府は年間700億ドル近くの税収を失っているという。これは毎年徴収される法人税収のほぼ20パーセントに相当する額だ。

その結果、経済学者のブラッド・セッツァーが示したように、現在、アメリカの医薬品貿易赤字は民間航空の黒字を上回っている。実際、アメリカはスマートフォンよりも多くの医薬品を輸入している。アメリカ政府が、アメリカの利益から完全に乖離した業界にこれほど多くの政治資金を投じるべきかどうか、その答えは決して明白ではない。

政府による企業擁護は特権であり、権利ではない。今後のアメリカの政権は、海外で活動するアメリカ企業のために外交的影響力を行使するかどうか、またその方法を決定する際に、税制と歳入を考慮に入れるべきである。

最後に、外交政策の専門家の助けが自ら答えを導き出す中心となる分野がいくつかある。好例の1つは、独占禁止政策(antitrust policy)の再活性化に関して現在進行中の活発な議論だ。経済の集中(economic concentration)が低成長、賃金の停滞、不平等の拡大と関連している証拠を踏まえると、新たな経済的コンセンサスがどのような形で現れても、新たな形の独占禁止法が必要な要素となるだろう。

しかし、例えばアメリカが大規模なテクノロジー・プラットフォームを解体する場合、ワシントンが新たな国際的独占禁止法戦略も導入しない限り、中国のハイテク巨大企業に世界的な市場シェアを譲り渡すだけだと懸念する声もある。特に、戦略的技術の数々が天秤にかかっていることを考えると、外交政策コミュニティは、それらがどこで、どのように生産されるかについて、何か言うべきことがあるはずだ。

より広く言えば、国家安全保障上の懸念によって引き起こされる議論と、それを代弁する指導者たちは、しばしば、どのアイデアに価値があり、どのアイデアが真剣であるとみなされ、どのアイデアがそうでないかを決定する、強力な検証の源である。経済を管理し成長させる方法に関する新しい常識は、外交政策コミュニティがそのケースを説明する手助けをすれば、より容易に定着するだろう。

そして何よりも重要なのは、今日の世界に対する新たな大戦略(grand strategy)は、その背後にある経済哲学と同じ程度のものでしかないということである。過去の思い込みは、とりわけ国内の混乱と、アメリカの対中アプローチにおける弱点や盲点を招いた。今こそそれを捨てる時だ。外交政策界は積極的に新しい経済モデルを模索すべきである。アメリカの国家安全保障はそれにかかっている。

※ジェニファー・ハリス:ルーズヴェルト研究所研究員・ブルッキングス研究所非常勤上級研究員。2008年から2014年にかけて国務省政策企画局局員、2004年から2008年にかけて国家情報会議スタッフを務めた。ツイッターアカウント:@jennifermharris

※ジェイク・サリヴァン:カーネギー国際平和財団非常勤上級員。バラク・オバマ大統領次席アシスタント、2013年から2014年にかけてジョー・バイデン副大統領国家安全保障担当補佐官、2011年から2013年まで国務省政策企画局局長を務めた。

(貼り付け終わり)
(終わり)

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ビッグテック5社を解体せよ

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 悪魔のサイバー戦争をバイデン政権が始める
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 古村治彦です。

 久しぶりの投稿となりました。実は9月に新型コロナウイルス感染しました。その時に、ある出版社から、書籍出版の話をいただきました。回復後に原稿を書き始めました。それがようやくひと段落したので、ブログを再開します。よろしくお願いいたします。

 今回は、バイデン政権で重職を務める2人の論文をご紹介する。筆者は、ジェイク・サリヴァン国家安全保障問題担当大統領補佐官とホワイトハウスの国家安全相会議(主宰は国家安全保障問題担当大統領補佐官)でインド・太平洋調整官を務め、最近、米国務副長官に指名されたカート・キャンベルの論文だ。テーマは米中関係だ。重要な部分を以下に引用する。
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(左から)アシュトン・カーター元国防長官、カート・キャンベル、ジェイク・サリヴァン
(引用はじめ)

軍事力に資源を集中していたソ連とは異なり、中国は地理経済学を主要な競争の場と見なしている。将来を見据え、人工知能、ロボット工学、先端製造業、バイオテクノロジーなどの新興産業や技術に多額の投資を行っている。中国は、欧米企業の相互待遇を否定することで、これらの分野での優位性を追求している。アメリカは中国に恒久的な正常貿易関係を認め、世界貿易機関(WTO)への加盟を支援し、世界で最も開かれた市場の一つを維持してきた。しかし、産業政策、保護主義、そして完全な窃盗の組み合わせを通じて、中国は自国市場にさまざまな公式・非公式の障壁を設け、アメリカの開放性を利用してきた。

(註略)

中国との経済競争において最も決定的な要因は、アメリカの国内政策である。新たな「スプートニクの瞬間(Sputnik moment)」、つまり、ソヴィエト連邦が世界初の人工衛星を打ち上げた時のように、国民の研究を強力に鼓舞するような瞬間、という考え方は大げさかもしれないが、政府はアメリカの経済的・技術的リーダーシップを促進する役割を担っている。しかしアメリカは、ドワイト・アイゼンハワー大統領が提唱した州間高速道路システムや、科学者ヴァネヴァー・ブッシュが推進した基礎研究イニシアティヴなど、まさにその時期に行った野心的な公共投資から目を背けている。ワシントンは、基礎科学研究への資金を劇的に増やし、クリーンエネルギー、バイオテクノロジー、人工知能、コンピューティング・パワーに投資しなければならない。同時に連邦政府は、あらゆるレヴェルの教育とインフラ(社会資本)への投資を拡大し、アメリカの人口統計学的・技能的優位性を継続的に高める移民政策を採用すべきだ。公共投資を飢餓状態に追い込みながら、中国への強硬路線を求めるのは自滅的である。競争を考えれば、こうした投資を「社会主義的」と表現するのは特に皮肉である。実際、エリザベス・ウォーレン上院議員(マサチューセッツ州選出、民主党)やマルコ・ルビオ上院議員(フロリダ州選出、共和党)のような奇妙なイデオロギー仲間は、アメリカの新たな産業政策について説得力のある主張を行っている。

(中略)

アメリカはまた、中国による知的財産の窃盗、的を絞った産業政策(targeted industrial policies)、経済と安全保障分野の混合に直面して、技術的優位性を守らなければならない。そのためには、双方向の技術投資と貿易の流れをある程度制限する必要があるが、こうした努力は全面的に行うのではなく、国家安全保障や人権にとって重要な技術については、制限を課し、そうでないものについては通常の貿易と投資を継続できるようにする、選択的に行うべきである。このような対象を絞った制限であっても、産業界や他国政府との協議のもとで実施されなければならない。これを怠れば、知識や人材の流れを阻害し、世界のテクノロジー・エコシステムをバルカン化させかねない。そのような事態は、中国に対するアメリカの重要な競争上の優位性を無にすることになる。つまり、世界最高の人材を調達し、世界中から最大のブレークスルーを合成することができるオープンな経済ということである。一方、技術規制の行き過ぎは他国を中国に向かわせる可能性がある。特に、中国は既に多くの国にとって最大の貿易相手国である。(翻訳は引用者)

(引用終わり)

 サリヴァンとキャンベルは、中国との競争を念頭に置いて、アメリカ国内で「ワシントンは、基礎科学研究への資金を劇的に増やし、クリーンエネルギー、バイオテクノロジー、人工知能、コンピューティング・パワーに投資しなければならない。同時に連邦政府は、あらゆるレヴェルの教育とインフラ(社会資本)への投資を拡大し、アメリカの人口統計学的・技能的優位性を継続的に高める移民政策を採用すべきだ」と述べている。この内容がバイデン政権において実際に実行されている。バイデン政権が実施しているのは、産業政策(Industrial Policy)だ。具体的には、半導体製造強化である(CHIPS法)。

 アメリカは、中国に対して技術的優位を保ちたい。それが、軍事的な優位にもつながるからだ。しかし、中国もまた、効率的な産業政策を実施し、それに成功している。アメリカは、中国に追いつかれつつある。下記論文の題名は「悲劇的な結末を迎えない競争(Competition Without Catastrophe)」だ。キャンベルは対中強硬派として知られているが、中国との対決は「悲劇的な結末」を迎えることもあるということは分かっているようだ。アメリカが中国に対して採用できる対処方法はかなり限られつつある。

(貼り付けはじめ)

悲劇的な結末を迎えない競争(Competition Without Catastrophe

-アメリカは如何にして、中国に挑戦し、共存することができるか?

カート・M・キャンベル、ジェイク・サリヴァン筆
2019年9・10月号(発行日:2019年8月1日)

『フォーリン・アフェアーズ』誌

https://www.foreignaffairs.com/articles/china/competition-with-china-without-catastrophe

アメリカは現在、冷戦終結以来、最も重大な外交政策の見直しの最中にある。ワシントンは依然としてほとんどの問題で激しく意見が分かれているが、中国に関与する時代があっさりと幕を閉じたというコンセンサスは高まっている。現在議論されているのは、次に何が来るかということである。

アメリカの外交政策の歴史を通じて行われてきた、多くの議論がそうであったように、この議論にも生産的な革新と破壊的なデマゴギーの両方の要素がある。トランプ政権の国家安全保障戦略が2018年に掲げたように、「戦略的競争(strategic competition)」が今後のアメリカの対北京アプローチを活気づけるべきだという点については、専門家のほとんどが同意できるだろう。しかし、「戦略的」という言葉で始まる外交政策の枠組みは、しばしば答えよりも多くの問題を提起する。「戦略的忍耐(strategic patience)」は、いつ何をすべきかについての不確かさ(uncertainty)を反映する。「戦略的曖昧さ(strategic ambiguity)」は、何をシグナルとすべきかの不確かさを反映している。そしてこの場合、「戦略的競争」は、何をめぐる競争なのか、勝つとはどういうことなのかについての不確かさを反映している。

新たなコンセンサスの急速な合体により、米中競争に関するこれらの本質的な疑問は未解決のまま放置されている。アメリカは一体何のために競争しているのか? そして、この競争の最も妥当な望ましい結果とはどのようなものだろうか? 競争の手段と明確な目的を結びつけることができなければ、アメリカの政策は競争のための競争へと流れ、やがて危険な対立の連鎖に陥ることになる。

アメリカの政策立案者やアナリストたちは、40年にわたる対中外交・経済関与戦略(four-decade-long strategy of diplomatic and economic engagement with China)の根底にあった楽観的な前提を、ほとんど、そして当然ながら、捨ててきた。このことについては、本稿の著者の1人である、カート・キャンベルが昨年、イーライ・ラトナーと共に、本誌に論稿を発表した。しかし、競争を受け入れることを急ぐあまり、政策立案者たちは旧来の希望的観測の代わりに新たな希望的観測を持ち込もうとしているのかもしれない。中国の政治体制、経済、外交政策に根本的な変化をもたらすことができると思い込んだことが、関与の基本的な間違いだった。ワシントンは今日、同じような過ちを犯す危険を冒している。競争によって、関与が失敗した中国の変革を成功させることができると思い込んでいる。

米中両国の間には多くの分断があるが、それぞれが大国として相手と共存していこうという覚悟が必要である。アメリカの正しいアプローチの出発点は、ワシントンの決定が北京の長期的な発展の方向性を決定する能力について謙虚になることからでなければならない。中国の軌跡に関する仮定に依存するのではなく、アメリカの戦略は、中国の体制に将来何が起ころうと、それに耐えうるものでなければならない。冷戦の最終的な終結のような決定的な終局状態ではなく、アメリカの利益と価値観に有利な条件での、明確な安定した共存状態を目指すべきである。

そのような共存には、競争と協力の要素が含まれ、アメリカの競争的努力は、そのような有利な条件を確保することに向けられる。このことは、アメリカの政策が関与の域を超えつつあることから、短期的にはかなりの摩擦を意味するかもしれない。過去には、積極的な結びつきのために摩擦を回避すること自体が目的であった。今後、中国政策は、アメリカがどのような関係を築きたいかということだけでなく、アメリカがどのような利益を確保したいかということについても考えなければならない。ワシントンが追い求めるべき安定した状態とは、正しくその両方に関するものである。つまり、競争が続く中でも、危険なエスカレート・スパイラルを防ぐために必要な一連の条件である。

アメリカの政策立案者たちは、この目標を手の届かないものとして諦めるべきではない。もちろん、中国がこのような結果をもたらすかどうかに口を出すことは事実である。従って、米中関係においては今後も警戒が合言葉であり続ける必要がある。共存はアメリカの利益を守り、避けられない緊張が全面的な対立に発展するのを防ぐ最良の機会を提供するが、それは競争の終結や基本的に重要な問題での降伏を意味するものではない。むしろ共存とは、競争を解決すべき問題としてではなく、管理すべき条件として受け入れることを意味する。

●冷戦の論理ではなく、冷戦からの教訓を(COLD WAR LESSONS, NOT COLD WAR LOGIC

現在の競争に関するぼんやりとした言説を考えると、現在の競争を理解するために、アメリカ人が記憶している唯一の大国間競争である冷戦に立ち戻りたいという誘惑は理解できる。この類推(analogy)には直感的な魅力がある。ソ連と同様、中国は抑圧的な政治体制と大きな野心を持つ大陸規模の競争相手である。中国が提起する挑戦はグローバルで永続的なものであり、その挑戦に応えるには、1950年代から1960年代にかけてアメリカが追求したような国内動員(domestic mobilization)が必要となる。

しかし、この類推は適切ではない。今日の中国は、かつてのソ連よりも経済的に手ごわく、外交的に洗練され、イデオロギー的に柔軟な競争相手となっている。そしてソ連とは異なり、中国は世界に深く組み込まれており、アメリカ経済と結びついている。冷戦はまさに生存競争(existential struggle)だった。アメリカの封じ込め戦略(U.S. strategy of containment)は、ソ連がいつか自重で崩壊するという予測、つまりこの戦略を最初に策定した外交官ジョージ・ケナンが信念をもって宣言したように、ソ連には「自らの崩壊の種(the seeds of its own decay)」が含まれているという予測に基づいて構築された。

今日ではそのような予測は当てはまらない。現在の中国国家が最終的に崩壊するという前提で、あるいはそれを目的として、新たな封じ込め政策を構築するのは間違っている。中国には人口動態、経済、環境など多くの課題があるにもかかわらず、中国共産党は状況に適応する驚くべき能力を示しており、それはしばしば残酷な場合もある。一方、集団監視と人工知能の融合により、より効果的なデジタル権威主義が可能になり、改革や革命に必要な集団行動を組織することはおろか、熟考することも困難になる。中国が深刻な国内問題に遭遇する可能性は十分にあるが、崩壊の予想は賢明な戦略の基礎を形成することはできない。たとえ国家が崩壊したとしても、それはアメリカの圧力ではなく国内の力学の結果である可能性が高い。

冷戦の類推は、中国がもたらす実存的脅威を誇張し、アメリカとの長期競争において中国がもたらす強みを軽視するものである。アジアのホットスポットにおける紛争のリスクは深刻ではあるが、冷戦時代のヨーロッパほど高くはなく、また核エスカレーションの脅威もそれほど大きくはない。ベルリンとキューバで起こったような核の瀬戸際政策は、米中関係に当然の帰結ではない。また、米中の競争が世界を代理戦争に陥らせたり、イデオロギー的に一致した国々が武力闘争の準備をするライヴァルブロックを生み出したりしたこともない。

しかし、危険性が低下したとはいえ、中国は極めて挑戦的な競争相手である。前世紀において、ソヴィエト連邦を含め、アメリカの敵対国がアメリカのGDPの60%に達したことはなかった。中国は2014年にそのしきい値を超えた。購買力ベースで、そのGDPはすでにアメリカのGDPを25%上回っている。中国はいくつかの経済分野で世界のリーダー的存在になりつつあり、その経済はソ連時代よりも多様化、柔軟化、高度化している。

中国はまた、自国の経済的影響力を戦略的影響力に変えることにも優れている。ソ連が内向きの閉鎖経済(closed economy)が足かせになったのに対し、中国はグローバル化を受け入れ、世界の3分の2以上の国にとって最大の貿易相手国となった。軍事化された米ソ紛争には欠けていた、経済的、人的、技術的なつながりが、中国とアメリカおよびより広い世界との関係を規定している。世界的な経済主体として、中国はアメリカの同盟諸国やパートナーの繁栄の中心となっている。学生や観光客は世界の大学や都市を溢れている。その工場は、世界の高度な技術の多くを生み出す工場だ。この太いつながりの網のおかげで、どの国がアメリカと連携し、どの国が中国と連携しているのかを判断することさえ困難になっている。エクアドルとエチオピアは投資や監視技術を中国に期待しているかもしれないが、これらの購入が、アメリカからの意識的な離反の一環であるとはほとんど考えられない。

中国はソ連よりも手ごわい競争相手として浮上しているが、アメリカにとって不可欠なパートナーでもある。アメリカと中国が協力しても解決が難しい地球規模の問題は、アメリカと中国が二大汚染国であることを考慮すると、両国が協力しなければ解決することは不可能である。その中で最も重要なのは気候変動(climate change)である。経済危機、核拡散、世界的パンデミックなど、他の多くの国境を越えた課題にも、ある程度の共同努力が必要だ。この協力の必要性は、冷戦時代にはほとんど似ていない。

新たな冷戦という概念から、封じ込めの最新版を求める声が上がる一方で、こうした考え方に抵抗感を示すのが、中国との融和的な「重大な交渉(grand bargain)」の提唱者たちである。このような交渉は、米ソのデタント(detente)の条件をはるかに超えるものだ。このシナリオでは、アメリカはアジアにおける影響力の範囲を中国に事実上譲歩することになる。このシナリオでは、アメリカはアジアにおける影響力の範囲を事実上中国に譲歩することになる。推進派は、アメリカの国内的な逆風と相対的な衰退を考えれば、この譲歩は必要だと擁護する。この立場は現実的なものと宣伝されているが、封じ込め以上に耐えうるものではない。世界で最もダイナミックな地域を中国に譲ることは、アメリカの労働者や企業に長期的な損害を与える。アメリカの同盟国や価値観にダメージを与え、主権を持つパートナーを交渉の材料にすることになる。重大な交渉はまた、投機的な約束のために、アメリカの同盟関係や西太平洋で活動する権利さえも放棄するような、厳しく恒久的なアメリカの譲歩を必要とするだろう。このようなコストは容認できないだけでなく、大筋合意は強制力を持たない。台頭する中国は、嗜好や国力が変われば、協定に違反する可能性が高い。

新しい封じ込めの擁護者たちは、管理された共存を求めるいかなる声も、重要な交渉のヴァージョンの論拠とみなす傾向があり、重要な交渉の擁護者たちは、持続的な競争を示唆するいかなる声も、封じ込めのヴァージョンのケースとみなす傾向がある。この対立は、中国の屈服や米中領有を前提としない、両極端の間の道を見えにくくしている。

その代わり、軍事、経済、政治、グローバル・ガバナンスという4つの重要な競争領域において、北京と良好な共存条件を確立し、米ソ対立のような脅威認識を引き起こすことなく、アメリカの利益を確保することを目指すべきである。ワシントンは冷戦の教訓に耳を傾けるべきであるが、その論理が今でも通用するという考えは否定すべきである。

●持続可能な抑止に向かって(TOWARD SUSTAINABLE DETERRENCE

真にグローバルな戦いであった冷戦時代の軍事競争とは対照的に、ワシントンと北京にとっての危険はインド太平洋に限定される可能性が高い。それでも、この地域には南シナ海、東シナ海、台湾海峡、朝鮮半島という少なくとも4つの潜在的なホットスポットがある。どちらの側も紛争を望んでいないが、米中両国が攻撃能力に投資し、この地域での軍事的プレゼンスを高め、これまで以上に接近して活動するにつれて、緊張が高まっている。ワシントンは、中国がアメリカ軍を西太平洋から追い出そうとしていると恐れ、北京は、アメリカが中国を囲い込もうとしていると恐れている。人民解放軍の元海軍司令官である呉勝利提督は、このような事態は「戦争の火種になりかねない」と警告している。

しかし、インド太平洋における米中両軍の共存を不可能と片付けるべきではない。アメリカは、中国の兵器の到達範囲を考えると、軍事的優位を回復するのは難しいことを受け入れ、その代わりに、中国がアメリカの行動の自由を妨害したり、アメリカの同盟諸国やパートナーに物理的な威圧を加えたりすることを抑止することに集中しなければならない。北京は、アメリカが主要な軍事的プレゼンス、主要な水路での海軍活動、同盟とパートナーシップのネットワークを持つ、この地域の常駐大国であり続けることを受け入れなければならないだろう。

台湾と南シナ海は、この全体的なアプローチに最も重大な課題をもたらす可能性が高い。いずれの場合も、軍事的な挑発や誤解は、壊滅的な結果を伴うより大きな火種を容易に引き起こす可能性があり、このリスクは、ワシントンと北京双方の指導者たちの思考をますます活性化させるに違いない。

台湾に関しては、歴史的な複雑さを考慮すると、現状を一方的に変更しないという暗黙の約束(tacit commitment)がおそらく期待できる最善のものである。しかし、台湾は潜在的な引火点であるだけではない。それはまた、米中関係の歴史の中で、誰にも言われていない最大の成功でもある。この島は、アメリカと中国の間の曖昧な空間の中で、双方が一般的に採用した柔軟で微妙なアプローチの結果として成長、繁栄、民主化されてきた。このように、台湾をめぐる外交は、他の様々な問題に関して、ますます困難を極める米中外交のモデルとなる可能性があるが、これには同様に、激しい関与、相互の警戒、ある程度の不信感、そして国際社会への対応が含まれる可能性が高い。忍耐と必要な自制が求められる。一方、南シナ海では、航行の自由に対する脅威が中国自身の経済に壊滅的な結果をもたらす可能性があるという中国政府の理解は、アメリカの抑止力と組み合わせることで、よりナショナリズム的な感情を調整するのに役立つかもしれない。

このような共存を実現するためには、ワシントンは米中の危機管理と自国の抑止力の両方を強化する必要がある。冷戦時代の敵対国同士であった米ソ両国は、偶発的な衝突が核戦争にエスカレートするリスクを軽減するため、軍事ホットラインを設置し、行動規範を定め、軍備管理協定を締結するなど、協調して取り組んできた。宇宙空間やサイバースペースといった新たな潜在的紛争領域がエスカレートのリスクを高めている現在、アメリカと中国は危機管理のための同様の手段を欠いている。

あらゆる軍事領域において、米中両国は、少なくとも米ソ海事事故協定(1972年)のような正式で詳細な協定を必要としている。この協定は、海上での誤解を避けることを目的とした一連の具体的なルールを定めたものである。米中両国はまた、特に南シナ海での衝突を回避するために、より多くのコミュニケーション・チャンネルとメカニズムを必要とする。二国間の軍事関係はもはや政治的な意見の相違を人質に取るべきでなく、双方の軍高官がより頻繁に実質的な話し合いを行い、個人的な関係を築くとともに、双方の作戦に対する理解を深めるべきだ。歴史的に見ても、こうした努力の一部、特に危機管理コミュニケーションについては、進展が難しいことは明らかになっている。中国の指導者たちは、危機管理コミュニケーションによってアメリカが恐れを持つことなく行動することを助長しかねず、また現場の軍幹部に権限を委譲しすぎることを恐れている。しかし、中国が力をつけ、軍事改革を進めていることから、こうした懸念は和らいでいるかもしれない。

この領域におけるアメリカの効果的な戦略には、意図しない衝突のリスクを減らすだけでなく、意図的な衝突を抑止することも必要である。北京が領土紛争において、武力による威嚇を利用して既成事実を追求することは許されない。とはいえ、このリスクを管理するためにアメリカ軍がこの地域で優位に立つ必要はない。トランプ政権の元国防総省高官エルブリッジ・コルビーが主張しているように、「支配を伴わない抑止は、たとえ非常に偉大で恐ろしい相手であっても可能」なのである(deterrence without dominance—even against a very great and fearsome opponent—is possible)。

インド太平洋における抑止力を確保するために、ワシントンは、空母のような高価で脆弱なプラットフォームから、莫大な資金を費やすことなく中国の冒険主義を阻止するように設計された、より安価な非対称能力(asymmetric capabilities)へと投資の方向を変えるべきである。これには、北京自身のプレイブックを参考にすることが必要だ。中国が比較的安価な対艦巡航ミサイルや弾道ミサイル(antiship cruise and ballistic missiles)に依存してきたように、アメリカは長距離無人空母艦載攻撃機(long-range unmanned carrier-based strike aircraft)、無人水中ヴィークル(unmanned underwater vehicles)、誘導ミサイル潜水艦(guided missile submarines)、高速攻撃兵器(high-speed strike weapons)を導入すべきである。これらの兵器は全て、攻撃作戦が成功するという中国の自信を失わせ、衝突や誤算のリスクを軽減しながらも、アメリカと同盟諸国の利益を守ることができる。アメリカはまた、東南アジアやインド洋に軍事的プレゼンスを分散させ、必要な場合には恒久的な基地ではなく、アクセス協定を活用すべきである。そうすることで、アメリカ軍の一部を中国の精密打撃複合体(China’s precision-strike complex)の外に置き、危機に迅速に対処する能力を維持することができる。また、人道支援、災害救援、海賊対処任務など、中国との紛争にとどまらない幅広い事態に対処できるよう、アメリカ軍の態勢を整えることもできる。

●互恵性を確立する(ESTABLISHING RECIPROCITY

軍事力に資源を集中していたソ連とは異なり、中国は地理経済学を主要な競争の場と見なしている。将来を見据え、人工知能、ロボット工学、先端製造業、バイオテクノロジーなどの新興産業や技術に多額の投資を行っている。中国は、欧米企業の相互待遇を否定することで、これらの分野での優位性を追求している。アメリカは中国に恒久的な正常貿易関係を認め、世界貿易機関(WTO)への加盟を支援し、世界で最も開かれた市場の一つを維持してきた。しかし、産業政策、保護主義、そして完全な窃盗の組み合わせを通じて、中国は自国市場にさまざまな公式・非公式の障壁を設け、アメリカの開放性を利用してきた。

この構造的不均衡により、安定した米中経済関係への支持が損なわれており、たとえ習国家主席とドナルド・トランプ大統領が短期通商停戦に合意できたとしても、関係が断絶するリスクが高まることに直面している。アメリカのビジネス界の多くは、知的財産を盗むために国家ハッカーを雇うこと、外国企業に事業の現地化と合弁事業への参加を強制すること、国内の大企業に補助金を与えること、その他外国企業を差別することなど、中国の不公平な行為を容認するつもりはもうない。

アメリカの労働者と技術革新を保護しながら、こうした摩擦の拡大を緩和するには、中国が世界の主要市場に完全にアクセスできるようにすることが必要であり、そのためには、中国が自国の経済改革を進んで採用することが条件となる。ワシントンとしては、アメリカの経済力の核心的な源泉に投資し、志を同じくするパートナーからなる統一戦線を構築して互恵関係の確立を支援し、自業自得を避けながら技術的リーダーシップを守らなければならない。

中国との経済競争において最も決定的な要因は、アメリカの国内政策である。新たな「スプートニクの瞬間(Sputnik moment)」、つまり、ソヴィエト連邦が世界初の人工衛星を打ち上げた時のように、国民の研究を強力に鼓舞するような瞬間、という考え方は大げさかもしれないが、政府はアメリカの経済的・技術的リーダーシップを促進する役割を担っている。しかしアメリカは、ドワイト・アイゼンハワー大統領が提唱した州間高速道路システムや、科学者ヴァネヴァー・ブッシュが推進した基礎研究イニシアティヴなど、まさにその時期に行った野心的な公共投資から目を背けている。ワシントンは、基礎科学研究への資金を劇的に増やし、クリーンエネルギー、バイオテクノロジー、人工知能、コンピューティング・パワーに投資しなければならない。同時に連邦政府は、あらゆるレヴェルの教育とインフラ(社会資本)への投資を拡大し、アメリカの人口統計学的・技能的優位性を継続的に高める移民政策を採用すべきだ。公共投資を飢餓状態に追い込みながら、中国への強硬路線を求めるのは自滅的である。競争を考えれば、こうした投資を「社会主義的」と表現するのは特に皮肉である。実際、エリザベス・ウォーレン上院議員(マサチューセッツ州選出、民主党)やマルコ・ルビオ上院議員(フロリダ州選出、共和党)のような奇妙なイデオロギー仲間は、アメリカの新たな産業政策について説得力のある主張を行っている。

このような国内基盤の上に、ワシントンは志を同じくする国々と協力し、国有企業から固有の技術革新政策、デジタル貿易に至るまで、世界貿易機関(WTO)が現在扱っていない問題について、新たな基準を定めるべきである。理想的には、これらの基準はアジアとヨーロッパをつなぐものである。そのためにアメリカは、WTOシステムの上に市場民主政治体制国家のルール設定イニシアティヴを重ねることで、これらのギャップを埋めることを検討すべきである。理屈は簡単だ。中国がこの新しい経済共同体への平等なアクセスを望むのであれば、自国の経済・規制の枠組みも同じ基準を満たさなければならない。この共同体の引力が合わさることで、中国は選択を迫られることになる。フリーライド(ただ乗り)を抑制して貿易ルールに従うか、世界経済の半分以上から不利な条件を受け入れるか、もし北京が、必要な改革は経済体制の変更に相当すると主張するのであれば、そうすることもできるが、世界は中国に互恵的な待遇を提供する権利がある。場合によっては、北京がアメリカの輸出や投資を扱うのと同じように中国の輸出や投資を扱うことで、ワシントンが中国に一方的に相互措置を課す必要があるかもしれない。このような努力は困難でコストがかかるものであり、トランプ政権が中国に対して共通の立場をとるのではなく、アメリカの同盟国と貿易摩擦を起こすという決断を下したのは、まさにアメリカの影響力の無駄遣いである。

アメリカはまた、中国による知的財産の窃盗、的を絞った産業政策(targeted industrial policies)、経済と安全保障分野の混同に直面して、技術的優位性を守らなければならない。そのためには、双方向の技術投資と貿易の流れをある程度制限する必要があるが、こうした努力は全面的に行うのではなく、国家安全保障や人権にとって重要な技術については、制限を課し、そうでないものについては通常の貿易と投資を継続できるようにする、選択的に行うべきである。このような対象を絞った制限であっても、産業界や他国政府との協議のもとで実施されなければならない。これを怠れば、知識や人材の流れを阻害し、世界のテクノロジー・エコシステムをバルカン化させかねない。そのような事態は、中国に対するアメリカの重要な競争上の優位性を無にすることになる。つまり、世界最高の人材を調達し、世界中から最大のブレークスルーを合成することができるオープンな経済ということである。一方、技術規制の行き過ぎは他国を中国に向かわせる可能性がある。特に、中国は既に多くの国にとって最大の貿易相手国である。

この点で、中国企業フアウェイの5Gインフラ開発への参加に対するトランプ政権の大声で一方的なキャンペーンは、警告となるかもしれない。もし、アメリカのトランプ政権が事前に同盟諸国やパートナーと調整し、創造的な政策立案を試みていたら(例えば、フアウェイの機器の代替品の購入に補助金を与える多国間融資イニシアティヴを確立するなど)、他の供給者を検討するよう各州を説得することにもっと成功したかもしれない。そうすれば、フアウェイがアメリカ商務省のアメリカ技術を供給できない事業体のリストに登録されたことを受けて、現在5G展開で直面している2年の遅れを最大限に活用できたかもしれない。テクノロジー分野における中国との貿易を制限する今後の取り組みが成功するには、慎重な検討、事前の計画、多国間支援が必要となる。そうしないと、アメリカの技術革新を損なう危険がある。

●反中国ではなく、親民主政治体制を(PRO-DEMOCRACY, NOT ANTI-CHINA

米中間の経済・技術競争は、新たな対立モデルの出現を示唆している。しかし、対立する2つのブロックの間に鋭いイデオロギー的分裂があった冷戦時代とは異なり、ここではその境界線はより曖昧である。ワシントンも北京も冷戦に特徴的だったような布教活動をしている訳ではないが、中国がそのシステムを明確に輸出しようとしていないとしても、最終的にはソ連よりも強力なイデオロギー的挑戦をしてくるかもしれない。国際秩序が最も強力な国家を反映するものであるならば、中国が超大国の地位を獲得することは、独裁政治へ他の国々が近づく可能性が出てくる。中国の権威主義的資本主義(authoritarian capitalism)とデジタル監視(digital surveillance)の融合は、マルクス主義よりも耐久性があり、魅力的であることが証明されるかもしれない。独裁者や民主政治の面での後進国への支援は、アメリカの価値観に挑戦し、中国北西部における100万人以上のウイグル族の拘束など、中国自身の残酷な慣行の隠れ蓑を提供するだろう。世界中で民主的な統治が失われていることが、アメリカの利益にとって重要なことなのかどうか疑問に思う人もいるかもしれない。民主的な政府はアメリカの価値観に沿い、良い統治を追求し、国民を大切にし、他の開かれた社会を尊重する傾向がある。

ワシントンは、米中競争の中で点数を稼ぐためではなく、これらの価値観の魅力を高めることに集中することで、政治的な領域で中国と共存するための有利な条件を確立することができる。中国のプレゼンスが世界的に高まるなか、アメリカは冷戦時代にありがちだった、ライヴァル政府との関係だけで第三国を見るという傾向を避けるべきである。トランプ政権の政策の中には、ラテンアメリカでモンロー・ドクトリンを発動したり、アフリカで中国に対抗することを主眼とした演説を行ったりなど、この古いアプローチを反映しているものがある。中国のイニシアティヴに対して、ワシントンが自国を北京との競争における戦場としてしか考えていないと感じられるような、考えなしの対応をするよりも、自国の条件に基づいて国家と意図的に関わるような姿勢の方が、アメリカの利益と価値を高めることができるだろう。

中国の一帯一路構想(China’s Belt and Road Initiative)は、この原則を実際に適用する最も明白な機会を提供する。アメリカとそのパートナー諸国は、あらゆる港湾、橋梁、鉄道路線など、あらゆる場面で中国と戦うのではなく、進歩に最も役立つ質の高い、高水準の投資について各国に積極的に売り込むべきである。反中国だからという理由ではなく、成長促進、持続可能性促進、自由促進という理由で投資を支援することは、特に中国の国家主導の投資が各国である程度の反発を引き起こしているため、長期的にははるかに効果的である。コスト超過、入札なしの契約、汚職、環境悪化、劣悪な労働条件などが原因である。

この観点から、民主政治体制を守る最善の方法は、良い統治に不可欠な価値観、特に透明性(transparency)と説明責任(accountability)を強調し、市民社会(civil society)、独立メディア、情報の自由な流れを支援することである。こうした措置を講じることで、民主主義が後退するリスクを減らし、発展途上国の生活を向上させ、中国の影響力を低下させることができる。このような行動をとるには、アメリカとその同盟諸国やパートナーから多国間資金を注入し、各国に真の選択肢を与える必要がある。しかし、もっと根本的なことも必要である。アメリカは、人的資本と良好なガバナンスへの投資が、中国の搾取的アプローチよりも長期的には良い結果をもたらすという確信に、より大きな自信を持つ必要がある。

また、人間の倫理について難しい問題を提起する新技術の規範を設定するには、スコアよりも原則に焦点を当てることが不可欠である。人工知能からバイオテクノロジー、自律型兵器から遺伝子編集された人間に至るまで、適切な行動を定義し、遅れをとっている国々に一線を画すよう圧力をかけるために、今後数年間は重要な闘いが繰り広げられるだろう。ワシントンは、このような議論のパラメーターを遅滞なく形成し始めるべきである。最後に、中国との共存は、アメリカが、中国国民に対する中国政府による非人道的な扱いや、外国NGO職員の恣意的な拘束に対して声を上げることを妨げるものではないし、また妨げることはできない。北京のウイグル人抑留に対する西側の相対的な沈黙は、道徳的な汚点を残している。したがって、アメリカとそのパートナーは国際的な圧力を動員し、中立的な第三者による抑留者への接見と、抑留に加担している個人や企業への制裁を要求すべきである。中国は、そのような圧力は関係を不安定にすると脅すかもしれない。しかしワシントンは、人権侵害について発言することを、予測可能で日常的な関係の一部とすべきだ。

●競争と協力を守る(SEQUENCING COMPETITION AND COOPERATION

米中関係の競争が激化するにつれ、協力の余地はなくなることはないにしても、縮小するだろうという考えは、しばしば信仰の対象であると考えられている。しかし、敵国であっても、アメリカとソ連は、宇宙探査、伝染病、環境、地球規模の共有物など、多くの問題で協力する方法を見つけた。現代の課題の性質を考慮すると、アメリカと中国の間の協力の必要性ははるかに深刻である。米中両国の指導者は、このような国境を越えた課題における協力を、一方の当事者の譲歩としてではなく、双方にとって不可欠な必要性として考慮すべきだ。

協力と競争のバランスを適切に保つために、ワシントンはそれぞれの順序を考慮する必要がある。アメリカは歴史的に、まず中国と協力し、次に中国と競争しようとしてきた。一方、中国政府は、第一に競争し、第二に協力することに非常に慣れており、戦略的利益分野におけるアメリカの譲歩に明示的または暗黙的に協力の申し出を結びつけている。

今後、ワシントンは国境を越えた課題に関して熱心な求婚者になることを避けるべきである。熱心さがかえって交渉材料となり、協力の幅を狭めることになりかねない。直感に反するかもしれないが、北京との効果的な協力には競争が不可欠である。多くの中国政府関係者のゼロサム戦略思考では、アメリカのパワーと決意に対する認識は非常に重要であり、中国官僚機構は長い間、両者の変化に注目してきた。このような敏感さを考えると、ワシントンが毅然とした態度で臨み、コストを課すことさえできる能力を示すことは、共通の大義(common cause)を見出すことについて真剣に語ることと同じくらい重要である可能性がある。従って、最善のアプローチは、競争によってリードし、協力の申し出によってフォローし、グローバルな課題に対する中国の支援とアメリカの利益に対する譲歩の間のいかなる関連性の交渉も拒否することであろう。

●二極を超えて(BEYOND THE BILATERAL

アメリカの政策立案者が念頭に置いておくべき冷戦の教訓がもう1つある。それは、中国との競争におけるアメリカの最大の強みの1つは、他の国々よりも両国に関係しているということである。アメリカの同盟諸国とパートナーの重みを総合すると、あらゆる分野で中国の選択が決まる可能性があるが、それはアメリカがこれら全ての関係を深め、それらを結びつけるよう努めた場合に限られる。米中競争に関する議論の多くは二国間の側面に焦点を当てているが、アメリカは最終的には、アジアとその他の世界の関係と制度の密なネットワークに中国戦略を組み込む必要があるだろう。

これはトランプ政権にとって覚えておきたい教訓だ。これらの永続的な利点を活用する代わりに、関税や軍事基地の支払い要求などにより、アメリカの伝統的な友人の多くを疎外し、主要な制度や協定を放棄または弱体化させてきた。国連や世界銀行から世界貿易機関に至るまで、多くの国際機関はアメリカが設計と主導に協力し、航行の自由、透明性、紛争解決、そして貿易。これらの機関から撤退することで、アメリカの長期的な影響力を犠牲にして短期的な余裕と柔軟性が得られ、中国政府が規範を再構築し、これらの機関内で独自の影響力を拡大することが可能になる。

アメリカは、同盟を削減すべきコストではなく、投資すべき資産と見なす必要がある。有能な同盟諸国からなる独自のネットワークを構築する有意義な能力がない以上、北京はアメリカがこの長期的な優位性を浪費することほど望むことはないだろう。中国との明瞭な共存関係を確立することは、どのような状況下でも困難であるが、支援なしには事実上不可能である。アメリカが抑止力を強化し、より公正で互恵的な貿易システムを確立し、普遍的価値を守り、世界的な課題を解決するには、単独では不可能である。効果的なものにするためには、アメリカのいかなる戦略も同盟諸国とともに始めなければならない。

※カート・M・キャンベル:「ジ・アジア・グループ」会長兼最高経営責任者。2018年から2019年にかけてマケイン研究所キッシンジャー記念研究員を務めている。2009年から2013年にかけて国務次官補(東アジア・太平洋問題担当)を務めた。

※ジェイク・サリヴァン:カーネギー国際平和財団非常勤上級研究員。2013年から2014年にかけて国家安全保障問題担当副大統領補佐官、2011年から2013年にかけて国務省政策企画局局長を務めた。

(貼り付け終わり)

(終わり)

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ビッグテック5社を解体せよ

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 悪魔のサイバー戦争をバイデン政権が始める
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 古村治彦です。

 今年の5月、ジョー・バイデン大統領の国内政策担当大統領補佐官・ホワイトハウス国内政策会議議長を務めた、スーザン・ライスが退任した。ライスは外交政策の専門家として知られ、バラク・オバマ政権では国家安全保障問題担当大統領補佐官と米国連大使を務めた。2つの役職は共に閣僚級のポジションだ。オバマ政権下での国務長官就任が確実視されていたが、2011年のリビア・ベンガジ事件についてテレビ番組に出演しての発言で大きな批判を浴び、連邦上院の人事承認が必要な役職に就くことが不可能になった。
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バラク・オバマとスーザン・ライス
 ジョー・バイデン政権が発足し、ライスは国内政策担当大統領補佐官・ホワイトハウス国内政策会議議長に起用された。ライスは大学院時代から外交政策畑一筋であったため、国内政策担当に起用されたことは驚きをもって迎えられた。ライスは国内政策担当大統領補佐官・ホワイトハウス国内政策会議議長として、新型コロナウイルス感染拡大阻止、学生ローン救済問題、糖尿病患者に必要なインシュリンの上限額設定、移民問題、南部国境問題などを担当した。よりはっきりと書けば、副大統領格として政権内部を取り仕切った。政権発足から2023年2月までバイデン大統領の首席補佐官となったロン・クレインとスーザン・ライスはオバマ政権下においてエボラ出血熱対応でタッグを組んだ間柄であった。バイデン政権の国内問題はライスが対応したということになる。カマラ・ハリスにはそうした能力がないということは分かっていたから、スーザン・ライスが起用された。スーザン・ライスが退任と言うのは国内問題についての一応の対応が終わったという政権内の判断もあるだろう。

そして、後任にはニーラ・タンデンが起用された。タンデンは国内政策の専門性を持ち、ビル・クリントン政権時代からホワイトハウスで働いていた。ファースト・レイディだったヒラリーの国内政策担当補佐官を務めた経験を持つ。また、オバマ政権下では医療保険制度改革(オバマケア)で重要な役割を果たした。バイデン政権では大統領上級顧問(医療保険制度・デジタル担当)、大統領秘書官を務めてきた。
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ニーラ・タンデンとジョー・バイデン

  ニーラ・タンデンはヒラリー派のど真ん中の人物であり、カマラ・ハリスとの関係も深い。タンデンは自身が設立メンバーとなり2003年に創設されたシンクタンク「アメリカ進歩センター(Center for American ProgressCAP)」において2011年に所長となった。このCAPはヒラリー派の牙城である。タンデン自身も「クリントン・ロイヤリスト(Clinton Royalist):ヒラリー・クリントンの忠実な支持者」と『ニューヨーク・タイムズ』紙に報道されたことがある。

そして、カマラ・ハリス副大統領の妹であるマヤ・ハリスが研究員を務めていた。タンデンとハリス姉妹にはインド系という共通点もある。CPAという場所と妹を通じて、ヒラリー・クリントンとカマラ・ハリス副大統領はつながっている。そのキーパーソンがニーラ・タンデンである。

カマラ・ハリスはバイデン政権一期目のここまで、目立った仕事はさせてもらえない。南部国境問題を担当させてもらったが、うまくいかなかった。国内政策担当大統領補佐官がスーザン・ライスということで、ライスに対して批判は集まったが、ハリスはほぼ無視されている状況だ。批判さえされないというのは、「好き嫌い」を超えての「無関心」ということになる。ハリスは透明人間のような存在感だ。ライスが退任し、タンデンが国内政策担当大統領補佐官・国内政策会議議長就任で、ハリスの存在感が増すことになるだろう。より正確に言えば、ヒラリーの代理人として行動するということになるだろう。
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ヒラリー・クリントンとマヤ・ハリス
 タンデンはバイデン政権発足時にホワイトハウス行政予算管理局長に指名された。この役職は連邦上院の人事承認が必要だ。タンデンはツイッター上で共和党を攻撃していたが、それだけでなく、同じ民主党内の進歩主義派や保守派を揶揄し批判した。そのために、人事承認を得られずに、就任は否決された。「タンデンはヒラリー派の重要人物だ」ということで、人事が否決させたことも考えられる。そのタンデンがバイデン政権で重要な役職に就くことになった。
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カマラ・ハリスとヒラリー・クリントン(若い頃)

今回の人事について考えられることは、バイデン政権二期目はヒラリー色が強まるということだ。スーザン・ライスはベンガジ事件によって国務長官就任の可能性を断たれた。ベンガジ事件はヒラリー・クリントン国務長官(当時)の失策であったにもかかわらず、だ。そのため、ライスにはヒラリーのために働く気などない。ヒラリー色が強まる、ヒラリー院政と言うべきバイデン政権二期目に付き合う義理などない。アントニー・ブリンケン米国務長官、ジェイク・サリヴァン国家安全保障問題担当大統領補佐官もバイデン政権一期目で退任するだろう(サリヴァンが国務長官に就任する可能性は残っているが)。大統領の任期8年間を全うするというのは大変なことだ。外交政策分野の重要な役職でヒラリー系の人物たちがバイデン政権二期目になって登場してくるということになると、2024年からの世界は不安定化するということになる。それまでにウクライナ戦争は停戦しておかねばならない。また、世界に不安定をもたらす要素をできるだけ減らしておく必要もある。

 宣伝になって恐縮だが、ここに出てくる人物たちは全て拙著『悪魔のサイバー戦争をバイデン政権が始める』で取り上げている。バイデン政権について理解するためには拙著は非常に有効であると自負している。今からでもぜひ読んでいただきたい。

(貼り付けはじめ)

スーザン・ライスがバイデン大統領の国内政策担当大統領補佐官を退任(Susan Rice to step down as Biden domestic policy adviser

アレックス・ガンギターノ筆

2023年4月24日

『ザ・ヒル』誌

https://thehill.com/homenews/administration/3966064-susan-rice-to-step-down-as-biden-domestic-policy-adviser/

ジョー・バイデン大統領は月曜日、スーザン・ライス国内政策担当大統領補佐官が退任すると発表した。

ライスはバイデン政権発足当初から補佐官を務め、銃乱射事件から学生ローンまで、政治色の強い国内問題を数多く担当した。バイデン大統領は声明の中でライスの功績を称揚し、「スーザン・ライスほど能力が高く、アメリカ国民のために重要な事績を成し遂げようとする決意に満ちた人物は存在しない」と述べた。

バイデンは続けて次のように述べた。「リーダーとして、また同僚としてのライスを際立たせている要素は、彼女が自分の役割に真剣に取り組み、緊急性と粘り強さをもたらすこと、行動と結果に対する彼女の方向性、そして彼女がこの仕事に取り組む誠実さ、謙虚さ、ユーモアである」。

バイデン大統領はライスの退任日がいつになるかは明言しなかったが、NBCは彼女が5月26日にホワイトハウスを去る予定であると報じた。

バイデンがこれから選挙モードに突入し、早ければ火曜日にも再選を表明すると見られている中でのライスの補佐官退任発表となった。

バイデン政権の移民問題や南部国境の危機への対応には批判が集まっている。またジェフ・ザイアントが新しい大統領首席補佐官が就任してわずか数カ月後に、ライスの退任が発表された。NBCによると、ライスとザイアントは高校時代からの知り合いだということだ。

ライスはオバマ政権時代に国家安全保障問題担当大統領補佐官と国連大使を務めた。バイデンは声明の中で、ライスの外交政策における経歴に触れ、彼がライスを国内政策最高責任者に指名した当初は人々を驚かせたと述べた。

バイデンは、ライスが国家安全保障問題担当大統領補佐官と国内政策担当大統領補佐官の両方の役職を担当できる能力を持つ唯一の人物であることを指摘した。

バイデンは、医療保険制度改革法(オバマケア)の拡大、国家精神衛生戦略への取り組み、インシュリン費用35ドルの上限設定、銃乱射事件削減への取り組み、警察改革の推進、マリファナへの新たなアプローチの設定、学生の債務救済、移民制度への取り組みなど、彼女の功績に感謝した。

バイデン大統領は「功績を挙げれば切りがないが、どれもスーザンなしでは実現不可能だっただろう」と述べた。
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スーザン・ライスがバイデン大統領の国内政策担当大統領補佐官を退任(Susan Rice to Step Down as Biden’s Domestic Policy Adviser

-ライスはバイデン政権でより政局化されている諸問題のいくつかを監督してきた。それらの問題の中には銃規制、学生ローン救済、移民が含まれる。

ゾラン・カンノ=ヤングス、アイリーン・サリヴァン筆

2023年4月24日

https://www.nytimes.com/2023/04/24/us/politics/susan-rice-biden.html#:~:text=WASHINGTON%20%E2%80%94%20Susan%20Rice%2C%20President%20Biden's,Ms.

ワシントン発。ジョー・バイデン大統領の国内政策担当大統領補佐官であったスーザン・ライスは、移民問題、銃規制、学生ローン救済など、バイデン政権下で、最も政治問題化された諸問題のいくつかに対処してきたが、来月退任するとホワイトハウスが月曜日に発表した。

バラク・オバマ大統領の国家安全保障問題担当大統領補佐官や国連大使を歴任したライスは、ホワイトハウスがアメリカ南部国境での不法移民の越境をめぐる圧力に直面し、バイデン政権が国境捜査官による移民追放を許可したトランプ時代の公衆衛生法第42条を解除する準備を進める中で退任する。

ライスの補佐官としての最後の勤務日は5月26日だ。

ライスの在任中、インシュリン価格の上限設定、医療保険の拡大、超党派の銃制度改革の可決など、立法面での功績が目立った。しかし、彼女はまた、移民問題や他の分裂問題に対する政権のアプローチについて批判を浴びた。

本『ニューヨーク・タイムズ』紙は先週、ライスのティームに対しては移民児童労働危機の拡大を示す証拠を繰り返し示されていたと報じ、その中には複数のスタッフが人身売買の兆候が増加していると警告した2021年のメモも含まれていたと、内部事情に詳しい関係者が暴露する内容も含まれている。

退任が発表された後にインタヴューを受けたライスは「児童労働や移民の児童労働に関するシステム上の問題について私たちは報告を受けたことはなかった。私はそのことを報告するメモを目にしたことはない」と述べた。

ライスは、当初から補佐官としての勤務は2年間にすると予定していたという。

ライスは「勤務期間もだいたい2年半くらいになる。もし2年半くらいになるなら、夏前に退任して、夏を楽しみ、家族と一緒に過ごしたり、ちょっと旅行したりする時期にしようと考えていた」と語った。

バイデン大統領は、国内政策会議をリードする役割にライスを指名したことで多くの人々を驚かせた。この会議は、国家安全保障会議に比べてより規模が小さく、名前もよく知られていなかった。2020年の大統領選挙においては、ライスはバイデンの副大統領候補として名前が挙がっていたし、これまでの経歴から国務長官と関係がある役職に就く可能性があった。

しかし、2012年にリビアのベンガジにあるアメリカ公使館がテロ攻撃を受け、4人のアメリカ人が死亡した事件への対応をめぐって共和党の攻撃の的となっていた。この論争により、彼女が連邦議会の承認を必要とする役職に就ける可能性は低くなった。

「ライスはバイデン大統領が国内政策担当に選んだことに驚いていた」とロン・クレインは述べている。クレインはバイデン大統領の前首席補佐官であり、政権移行期間中にライスに電話をかけてこのニューズを伝えた人物である。

クレインは次のように述べている。「彼女は、“あなたも知っているでしょう、私は国内政策の専門家じゃないのよ”と言っていた。私は“そのことは分かっているよ、スーザン、しかし、私はこれまで君がホワイトハウスで働いてきたことを見ていて、困難な問題にも対処して、仕事をやり遂げることができる人だと知っている”と答えた」。

月曜日、バイデン大統領はライスの業績を称えた。

バイデンは声明の中で、「国家安全保障問題担当大統領補佐官と国内政策担当大統領補佐官の両方を務めた唯一の人物として、スーザンの公的な職における業績は歴史に残るものだ」と述べた。

ライスの退任を最初に報じたのは、NBCニューズであった。

ライスは、自動保育ややホームヘルス分野の補助員への投資など、バイデン大統領の気候変動・社会支出パッケージの全てを議会で法案通過させられなかったことを後悔していると述べた。ライスは、メンタルヘルスの問題を含む様々な問題への取り組みについて誇りに思うと語った。彼女は「もし私たちがそうした問題に懸命に取り組まなければ、より厳しい問題が起きたことだろう」と述べた。

複数の政府関係者は、ライスが2022年1月に警察改革の大統領令の初期草案が流出し、警察組合の支持を危うくした後、警察組合との交渉に没頭した時のことを記憶している。彼女は、警察による殺人に関して人種間格差について言及することを譲らないことを明らかにした、と複数の当局者が語った。警察組合は結局、バイデン政権が殺傷力の行使に関する部分の文言を変更したことに満足し、支持を表明した。

ライスはバイデンを長年にわたりよく知っている。オバマ政権の国家安全保障問題担当補佐官を務めた時、彼女のオフィスは副大統領のオフィスと非常に近く、お手洗いの場所が一緒だった。ライスは、バイデンが当時彼女のオフィスを「アポなし(unannounced)」訪問することが多く、そのことを気に入っていたと述べた。

国境管理問題のバイデン政権のアプローチに関して、民主党と共和党両方が激しく批判し、ライスはその批判に耐えてきた。最近、ニュージャージー州選出のボブ・メネンデス連邦上院議員(民主党)は、政権のアプローチによって、バイデン大統領は「亡命者否定大統領(asylum denier in chief)」になったと述べ、ライスが制限的な強制措置の背後にいると非難した。

移民の権利擁護団体であるナショナル・デイ・レーヴァラー・オーガナイジング・ネットワークのパブロ・アルバラードは「ライス補佐官の在任中は、移民の権利と人権に関するホワイトハウスの悪しき決定が次から次へと下された」と述べている。

ライスは月曜日、移民問題は「純粋に強制執行だけで対処できるものではない」と述べた。

ライスは「私たちは法を執行する責務を担っている。しかし、同時に、正当な保護ニーズや難民申請をしている人々の主張を聞き、彼らのケースを法的に判断することを可能にする義務もある」と述べた。

※ゾラン・カンノ=ヤングス:バイデン政権のホワイトハウスで、国土安全保障と過激主義を含む国内問題と国際問題を幅広く担当するホワイトハウス特派員。2019年に国土安全保障担当の特派員として『ニューヨーク・タイムズ』紙に入社した。

※アイリーン・サリヴァン:国土安全保障省担当のワシントン特派員。AP通信で働いた経験を持ち、調査報道の分野でピューリッツア賞を受賞している。

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バイデン大統領は二―ラ・タンデンを新しい国内政策担当大統領補佐官に指名(Biden names Neera Tanden as new domestic policy adviser

アレックス・ガンギターノ筆

2023年5月5日

『ザ・ヒル』誌

https://thehill.com/homenews/administration/3990218-biden-neera-tanden-domestic-policy-adviser/

ジョー・バイデン大統領は金曜日、退任するスーザン・ライスの後任として、ニーラ・タンデンを国内政策担当大統領補佐官に指名すると発表した。

タンデンはバイデン政権下で大統領上級顧問とホワイトハウス秘書官の2つの役職を務めてきたが、後任にステファニー・フェルドマンが就任する。フェルドマンは長年バイデンの補佐官を務めており、大統領次席補佐官兼ホワイトハウス国内政策上級顧問を務めている。

バイデンは声明の中で、「ニーラ・タンデンが引き続き、経済的流動性や人種的公平性から医療、移民、教育に至るまで、私の国内政策の立案と実施をこれから推進することを発表でき、それを嬉しく思う」と述べた。

タンデンは、ホワイトハウスの3大主要政策会議のいずれかを率いる史上初のアジア系アメリカ人となる。タンデンは、センター・フォ・アメリカン・プログレスとセンター・フォ・アメリカン・プログレス・アクション・ファンドの会長兼CEOを務めた経験を持つ。

バイデンは政権発足当初の2021年、タンデンを行政管理予算局長に指名した。彼女は、アメリカ進歩センターでの仕事に端を発した論争の中で、連邦上院民主党の中道派からの任命支持が得られず、指名を取り下げた。彼女は、ミッチ・マコーネル連邦上院少数党(共和党)院内総務(共和党)を『ハリー・ポッター』の登場人物ヴォルデモートに例えるなど、危険なツイートをしていた。

タンデンは以前、オバマ前大統領の下で医療保険制度改革担当の上級顧問を務めていた。

バイデンは声明の中で「タンデンは、医療保険制度改革法(オバマケア、Affordable Care Act)の策定に関して重要な役割を果たし、クリーン・エネルギー補助金や効果の高い銃制度改革など、私のアジェンダの一部となった主要な国内政策の推進に貢献した。ニーラは実績を積む過程で、彼女が国内政策担当大統領補佐官として監督することになる重要なプログラムのいくつかに関して知識と経験を蓄え、その洞察力が私の政権とアメリカ国民に大いに貢献すると確信している」と述べた。

タンデンは大統領選挙における選挙運動にも携わっており、国内政策担当大統領補佐官への昇格は、大統領が再選を目指して動き出した1週間後のことだ。彼女はオバマ・バイデン大統領選挙キャンペーンで国内政策担当部長、ヒラリー・クリントン大統領選挙キャンペーンで政策担当部長を務めた。

バイデン大統領は先月、ライスが国内政策担当大統領補佐官から退任すると発表した。ライスは政権発足当初から国内政策担当大統領補佐官を務め、銃規制から学生ローンまで政治問題化した諸問題に対処した。

フェルドマンはバイデンが副大統領時代にバイデンの下で働いた。オバマ政権が終了後にはデラウェア大学で働き、その後2020年の大統領選挙でバイデン陣営に参加し、そして、ホワイトハウスで働くようになった。バイデンはフェルドマンについて、「もっと長く働いてくれて、最も信頼できる補佐役の一人」と述べている。

バイデンは更に金曜日、ザイン・シディクを国内政策会議の筆頭副議長に昇格させると発表した。シディクは以前、経済流動化担当大統領次席補佐官を務めた。
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バイデンが国内政策担当大統領補佐官にニーラ・タンデンを指名(Biden names Neera Tanden as his domestic policy adviser

-タンデンはスーザン・ライスの後任となる。ライスは今月末に政権から離れる予定となっている。

アダム・キャンクリン、エリ・ストコロス筆

2023年5月5日

『ポリティコ』誌

https://www.politico.com/news/2023/05/05/biden-to-name-neera-tanden-as-his-domestic-policy-adviser-00095566

ジョー・バイデン大統領は金曜日、ニーラ・タンデンが次のホワイトハウス国内政策会議議長を務めると発表した。

タンデンは、長年にわたり民主党側の有能な人物として活躍してきた。今月末に政権を去る予定のスーザン・ライスの後任として補佐官に就任する。タンデンはこの1年半、ホワイトハウスの上級顧問や秘書官(staff secretary)を務めてきた。政権発足当初は行政管理予算局(Office of Management and Budget)の責任者に指名されたものの、連邦上院の反対でこの人事は流れてしまった。

バイデンは人事交替発表の声明の中で次のように述べている。「ニーラは、実力を蓄積していく過程で、彼女が国内政策担当大統領補佐官として監督することになる重要なプログラムに関わってきた。その洞察力は、私の政権とアメリカ国民に貢献してくれると確信している」。

さらにホワイトハウスは、オバマ政権時代から長年バイデンの補佐官を務めているステフ・フェルドマンがタンデンの後任として秘書官を務めると発表した。

バイデンは再選キャンペーンを準備しているが、彼の再選はインフラ整備、気候、ヘルスケアにまたがる一連の国内政策の成果を効果的に実施できるかどうかにかかっている。こうした重要な状況下で、タンデンは国内政策担当大統領補佐官に起用されることになった。ライス議長下の国内政策会議は、来週から解禁されるトランプ政権時代の厳格な国境政策である公衆衛生法第42条を置き換えるための政権の戦略を考案する際にも中心的な役割を果たしていた。

タンデンは民主党の政策サークルで豊富な経験を持ち、以前は進歩主義的なシンクタンクであるセンター・フォ・アメリカン・プログレスを運営していた。また、オバマ政権では医療保険担当の高官を務め、医療保険制度改革法(オバマケア、Affordable Care Act)の策定に貢献した。

彼女の起用は共和党側、そして、攻撃的だった彼女のツイッターアカウントの標的になっていた民主党側の各連邦議員からも不安視されそうだ。

彼女の攻撃的なツイートが原因で、共和党やジョー・マンチン上院議員(ウエストヴァージニア州、民主党)は、タンデンの行政管理予算局長指名に強固に反対したのだ。国内政策会議議長の役割は連邦上院の承認を必要としない。

タンデンにコメントを求めたが返事はなかった。

(貼り付け終わり)

(終わり)

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ビッグテック5社を解体せよ

akumanocybersensouwobidenseikengahajimeru001

 悪魔のサイバー戦争をバイデン政権が始める
20211129sankeiad505

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