アメリカ政治の秘密
古村 治彦
PHP研究所
2012-05-12




野望の中国近現代史
オーヴィル・シェル
ビジネス社
2014-05-23

 

古村治彦です。

 

 今回はジェブ・ブッシュの外交政策ティームの顔ぶれについての記事をご紹介します。大事なのは、ダイアグラムです。ここに出てくる名前を見ると、ネオコンたちが相も変わらず顔を揃えていることが分かります。

 

 ジェブは自分らしさを強調しますが、その周囲はがっちりと固められているのでしょう。

 

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ジェブ・ブッシュの外交政策ティームは不自然なほどに「同じ」である:ヴェンズ図から見てみる

 

フィリップ・バンプ(Philippe Bump)筆

2015年2月18日

ワシントン・ポスト紙

http://www.washingtonpost.com/blogs/the-fix/wp/2015/02/18/jeb-bushs-foreign-policy-team-is-eerily-familiar-in-1-venn-diagram/

 

元フロリダ州知事ジェブ・ブッシュは、今度の水曜日にシカゴにおいて自身の外交政策に関する考えを発表する予定になっている。この演説の予定発表に合わせて、ジェブ・ブッシュを外交政策の面から手助けする専門家集団の名前が発表された。

 

ジェブが「自分自身」の存在を明確にしたいと思うのなら、この専門家たちの名簿はこの目的を台無しにするものだ。21名中19名が彼の父か兄の政権で働いていた者たちだ。私たちは過去3回の共和党政権で彼らそれぞれが果たした役割を明らかにした。それを如何に掲載したヴェン図(ダイアグラム)として作成した。

jebbusuforeignpolicyteam001
 

 

ここに掲載したダイアグラムが示しているように、ジェブが絶望的なほどまでに父と兄とつながっていると指摘することはたやすい。しかし、覚えておかねばならないのは、共和党から誰が大統領になっても過去3回の共和党政権の経験をした人々から外交政策ティームの人選をしなくてはならないということだ。その誰もが何らかの形でブッシュ家という名前と関わるのだ。ミット・ロムニーの外交政策ティームに入っていた人々の多くがダイアグラムの中に入っている。彼は残念ながら大統領になることはできなかった。彼が大統領になれなかった理由は、4年前はまだイラク戦争に対する人々の不満が大きく、外交政策ティームにブッシュ(子)時代の顧問たちが入っていたことがマイなしになったためであると考えられる。

 

 ジェブはブッシュ家のワシントンにおける長い歴史のお蔭で多くの人々とかかわりを持っている。それが時に彼を複雑な心境にさせてしまうこともあるだろう。ブッシュは水曜日にシカゴとで次のように発言する予定だ。「歴代の大統領はそれぞれ、自分たちよりも前の大統領たち、彼らの生み出した諸原理、彼らの行った調整から学んでいます。私たちは知らねばなりません。歴代の大統領はいつでも変化している世界と環境を受け継いできたのです」。そして時々は、同じ顧問ティームを受け継いできたのだ。

 

(終わり)

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ジェブ・ブッシュの選挙対策ティームが外交政策顧問たちを発表(Jeb Bush’s campaign unveils foreign policy advisers

―ジェブ・ブッシュの選挙対策ティームが水曜日に21名の支援者と外交政策顧問たちの名前を発表した―

 

エド・オキーフ(Ed O’Keefe)、カレン・テューマルティー(Karen Tumulty)筆

2015年2月19日

ワシントン・ポスト紙

http://www.bostonglobe.com/news/politics/2015/02/19/jeb-bush-campaign-unveils-foreign-policy-advisers/6cDPeQgGhvrWqB1tLpN8aO/story.html
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ジェブ・ブッシュ

 

シカゴ発。ジェブ・ブッシュ元フロリダ州知事は水曜日、外交政策の関する考えを明確にすると約束した。更に、兄と父がそれぞれ大統領を務めた時に矛盾する政策を行ったが、それぞれに関与した人々を自身の外交政策顧問団として発表した。

 

 ジェブは、第41代大統領ジョージ・HW・ブッシュと第43代大統領ジョージ・W・ブッシュとの間で大きな矛盾が存在する領域に足を踏み入れたのである。

 

 ジェブは、超党派のシカゴ外交評議会の会員たちを前にして演説を行った。その中でブッシュ家の人間として3人目のホワイトハウス入りの可能性を持つジェブは次のように述べている。「アメリカの外交政策を形作ってきた家族を持ったことは私の幸運だ」。

 

 ジェブは更に次のように述べた。「その結果として、私の考えは彼らから影響を受けていることは分かっている。しかし、私は私自身だ。私の世界に対するアプローチは、私自身の考えと経験に基づいて形作ることだろう」。

 

 彼は準備した演説原稿の中で、ジェブはイラクについて言及した。彼の父と兄はそれぞれイラクで戦争を行った。しかし、それは彼がイランについて言及していた時に、間違って「イラク」と言ってしまったのだ。

 

 しかし、ジェブは「イラクについては確かに間違いを犯した」とも語った。

 

 第二次湾岸戦争の正当性の根拠となったのは、CIAがもたらした情報を基礎にした、「イラクは大量破壊兵器を隠匿している」という前提であった。これについてジェブは、「正確ではなかった」と述べた。

 

 イランの核開発の脅威についてジェブは、「私たちが生きる現代において重要な外交政策問題だ」と断じ、オバマ政権は「その問題解決の任務を果たす」能力がないことを露呈していると述べた。

 

「オバマ大統領の抱える最大の矛盾は次のようなものだ。それは大統領になる時に世界により深く関与すると約束した人物(訳者註:オバマ大統領)が、世界におけるアメリカの影響力を下げているというものだ」とジェブは語った。

 

 ジェブ・ブッシュの選対本部が外交顧問として21名の名前を発表した。しかし、顧問団の名簿を見ても、ジェブ・ブッシュがどのような方向に進んでいくかはよく分からない。

 

 外交顧問団の名簿は、共和党の外交政策の流れを全て網羅したものとなっている。ジョージ・シュルツとジェイムズ・ベイカーが代表する比較的穏健な流れから、イラク戦争を計画立案したポール・ウォルフォビッツのようなネオコンまで網羅されている。

 

 ジョンズホプキンズ大学高等国際研究所の研究員ジェイムズ・マンはジョージ・W・ブッシュ政権の外交政策について2冊の本を出している。マンは「これは、ブッシュにとって、ある方向性を示すものと言うよりも、取り敢えず全てを集めてみた、というものだ」と語った。

 

 外交政策分野で有名なある共和党員は次のような評価を下している。「顧問団の名簿は総花的である。全ての人に良い顔をしようとしている」。彼は匿名を条件にこのように語った。それは、彼が名簿に載っている人々の多くと長い期間関係を持っているからだ。

 

 マンは、情報・諜報政策に関する問題は例外だと述べた。外交顧問団の名簿が示しているように、ジェブ・ブッシュはコースを変更しないであろう。ブッシュが発表した外交顧問団の中には、CIAの忠実な擁護者だと考えられる人たちがいる。その代表格としては、元CIA長官のマイケル・ヘイデンだ。ヘイデンは、連邦上院情報・諜報委員会が最近出したCIAの取り調べ方式に関する報告書の中で、厳しく批判された。

 

 正式な名簿から漏れている人々についても語りたい。

 

 コンドリーザ・ライス元国務長官は、名簿に載っている誰よりも個人的にブッシュ家と近い存在であるにもかかわらず、名簿に彼女の名前がない。これは、ジェブが兄ジョージ・Wのうり二つ(カーボン・コピー)と見られたくないと思っていることを示している。

 

 共和党内の幅広い考えを代表する顧問たちを採用することは、共和党の大統領候補最有力候補ブッシュにとって役立つことであろう。それは、彼以外の候補者たちが自分たちをジェブよりも右寄りの外交政策を持つと主張することを封じた点にある。

 

(終わり)

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見せかけのジェブ・ブッシュ式で復権する人々(Rehab, Jeb Bush-Style

 

共和党の大統領候補最有力のジェブ・ブッシュは、彼の兄の外交政策を主導した戦争屋と政治体制変革志向者たちに耽溺しているように見える。真面目な人物を飲酒に導くのは何だろうか?

 

マイケル・A・コーエン(Michael A. Cohen)筆

2015年2月27日

フォーリン・ポリシー誌

http://foreignpolicy.com/2015/02/27/rehab-jeb-bush-style-iraq-disaster-cheney-2016/

 

小説家F・スコット・フィッツジェラルドはかつて、「アメリカでは人生の第二幕はない」と書いた。しかし、アメリカの外交政策に関しては当てはまらない。

 

 先週、ジェブ・ブッシュ元フロリダ州知事は21名の外交政策顧問の名前を発表した。その名簿は過去の共和党の大統領たちの紳士録のようなものとなった。ロナルド・レーガン政権で国務長官を務めたジョージ・シュルツ、ブッシュ(父)政権で同じく国務長官を務めたジェイムズ・ベイカー、ブッシュ(父)政権でベイカーの下では働き、後に米通商代表部代表となったロバート・ゼーリックが顧問団に名前を連ねた。

 

 しかし、ジョージ・W・ブッシュ政権に参加した人たちがより多く参加しているのは特記すべきことだ。ジェブが発表した21名のうちの17名はジェブの兄ジョージ・W・ブッシュの下で働いた人たちだ。もう忘れた人も多くいると思われるが、ジョージ・W・ブッシュは2001年から2009年まで大統領を務めた。そして、ジョージ・W・ブッシュはこれまでの大統領の中で最も悲惨な結果をもたらした大統領だ。

 

 彼はイラクで戦争を始めたが、その結果は芳しくなかった。実際、イラク戦争は厄災そのものとなった。2008年、イラク戦争は大統領選挙の争点となり、バラク・オバマ(イラク戦争に反対)がヒラリー・クリントン(最初はイラク戦争を支持)に勝って民主党の大統領候補者になり、その年後半に行われた大統領選挙で、ジョン・マケイン(基本的に全ての戦争を支持)を打ち破った理由となった。

 

 しかし、オバマ大統領が二期目の後半を迎えた今、イラクでの間違った冒険主義とブッシュ(子)の厄災をもたらした外交政策は歴史の遺物となっている。そして、それらに責任を持つ人物たちは急速に立場を回復している(復権している)。そして、ジョージ・Wの弟ジェブは、彼の外交政策判断に自信を持っているので、彼らを自分の外交政策顧問団に招聘している。

 

 その具体例を一つ挙げよう。ポール・ウォルフォビッツは、ジョージ・W・ブッシュ政権一期目で国防副長官を務め、イラク侵攻一カ月前に連邦議会で、「戦争を実施し、彼の治安部隊と軍隊を降伏させること以上に、ポスト・フセイン時代のイラクに安定をもたらすことはできない」と発言した。このようなウォルフォビッツは、アメリカの外交政策の業界ではもう真面目に相手にされないのだろうと考える人も多いだろう。しかし、それは間違いだ。イラク戦争の計画立案者の一人と見なされるウォルフォビッツはジェブの外交顧問団に参加している。

 

 ディック・チェイニー前副大統領国家安全保障問題担当補佐官であったジョン・ハンナについても言及したい。ハンナは約2か月前にこの『フォーリン・ポリシー』誌電子版に論稿を発表した。その中で、「政治体制変革は、悪者たちに核兵器を持たせないために有効な手段であることは証明されている」と書いている。おいおい、イラクではさぞうまくいくはずだったの、実態はどうだ!ハンナ以外にもジョージ・W時代のヴェテランたちが名簿に名前を連ねている。スティーヴン・ハドリーは2001年から2009年にかけて、大統領国家安全保障問題担当次席補佐官と補佐官を務めた。ミーガン・オサリヴァンは2004年から2007年にかけて、ホワイトハウスでイラク、アフガニスタン政策に関わっていた(ご存じのように、この時期、戦争は順調に推移していた)。2004年から2005年にかけて駐イラク米大使を務め、後に国家情報局長官を務めたジョン・ネグロポンテも名簿に載っている。

 

 諜報分野で言えば、顧問団にはポーター・ゴスが入っている。彼は2004年9月から2006年5月までCIA長官を務めたが、彼をCIA長官にしたことは失敗であったと言われている。ゴスの後任としてCIA長官となったマイケル・ヘイデンもまたジェブの顧問団に入っている。ヘイデンの名前を聞いて、彼がアメリカ国家安全保障局長官時代に継続的に行われていたアメリカ国民に対する盗聴を思い出す人もいるだろう。この登頂は連邦議会や裁判所の許可を得ていなかった。ジョージ・W・ブッシュ政権下で国土安全保障省長官を務め、愛国者法の共同起草者の1人であったマイケル・チャートフも顧問団に名前を連ねている。最後に、マイケル・ムケイジーも忘れてはならない。彼はブッシュ政権最後の司法長官を務めた。著名なイスラム教専門家でもある。2013年の保守政治活動会議の席上、ムケイジーは「全世界の14億人のイスラム教徒の大部分はイスラム教の教義に忠実であり、全世界にイスラム法であるシャリーアを押し付けねばならないと考えている」と高らかに宣言した。

 

 公平を期すならば、名簿に掲載された人々全てがイラクでの悲劇に責任がある訳ではないし、ジョージ・W・ブッシュ政権に参加したことが、外交政策立案から除外されるのに十分な理由になる訳でもない。それでも、イラク戦争の遺した傷跡のために、戦争に関係した人々が外交政策の分野から除外されてきたのは重要だ。

 

 最悪の結果をもたらした戦争を主張し、促進し、実行した人々がきちんとその報いを受けるような世界であれば、ウォルフォビッツのような人物を占拠ティームの外交政策顧問団に迎え入れることなどは政治的にはマイナスになるはずだ。しかし、ジェブがウォルフォビッツのような人物たちを招聘することは自分に対する信頼性を高めることにつながると考えていることは明らかだ。

 

 これは、ジミー・カーターが1976年の大統領選挙に出馬した時に、ヴェトナム戦争の計画立案者であったロバート・マクナマラ、ディーン・ラスク、ウォルト・ロストウに外交政策顧問になってくれるように依頼したようなものだ。

 

 繰り返しになるが、このような状態は何も驚くべきことではないのだ。ブッシュ(子)政権に参加した、外交政策顧問たちは、ブッシュが大統領職を離れてからも一定の地位と立場を保ってきたのだから。2014年9月、連邦下院の共和党所属議員たちは、自分たちの議員集会にディック・チェイニーを招待し、イラク政策について講演をしてもらった。その日は、オバマ大統領がイスラム国との対峙政策について全米に向けて演説する前日であった。共和党所属の連邦下院議員たちは、明らかにチェイニー副大統領を集会に招待することについて、何の不都合も感じていなかったのは明らかだ。連邦下院議員ピーター・キング(ニューヨーク州選出、共和党)は次のように発言している。「私たちのほとんどは、私たちがイラクで行ったことは正しかったと考えている」。連邦下院議員トーマス・メイシー(ケンタッキー州選出、共和党)は、「チェイニー氏の助言は何も論争を引き起こすようなものではなかった。彼は、軍事により多くの予算を割くことが重要だと述べた」と語った。

 

 チェイニーは昨年秋にいくつかの日曜日の政治討論番組に出演し、連邦上院情報・諜報委員会が出したいわゆる「拷問に関する報告書」について言及した。この報告書では、CIAが運営する刑務所や秘密施設に収容されている収容者たちに対する野蛮な取り扱いについて詳細に書かれている。共和党がチェイニーを政治的にマイナスな人物だと見なしていないのなら、彼らはウィスコンシン州選出の連邦上院議員だったジョー・マッカーシーの遺体を掘り出し、2016年の大統領選挙の選挙運動に使えばよい。

 

 共和党は傲岸不遜にもイラクで犯した過ちについて何らの羞恥も見せていない。もちろん民主党の一部もまた共和党と同じ間違いを犯したので、恥ずかしく思わないということも言えるだろう。ヒラリー・クリントンはジェブ・ブッシュの外交顧問団の顔ぶれを「兄のお下がり」と攻撃する可能性があるが、それもまた難しい。なぜなら、彼女自身が連邦上院議員時代にイラク戦争に賛成の投票を行ったからだ。

 

 イラク戦争に関する政治的な駆け引きは置いておくにしても、アメリカの国家安全保障政策を台無しにし、数億ドルの予算と数千人の命を犠牲にする戦争の計画立案者になることに関して経歴に傷がつかないという事実が示しているのは、戦争という訳歳から人々が何も学んでいないということである。そして、これからもそれは続いていくのであろう。実際、ブッシュ(子)大統領の外交政策顧問の多くは2003年の段階でイラクにおける戦争は成功裏に終わると自信満々で予想していた。その同じ人たちがオバマ大統領の外交を主とするアプローチを非難し、イランとシリアで軍事的なアプローチを取るように主張している。ブッシュ家から3人目の大統領が出て、彼らが政権に参加した場合に、以前とは全く異なる外交政策と国家安全保障政策を行うと信じられる理由がどこにあるだろうか?

 

 外交政策において悪い決断が繰り返される傾向にある理由を知りたいと思う人も多いだろう。過去に悪い選択を行った同じ人物が二度目は正しい選択をするだろうという考えがあることを出発点にして、そこから理由を探すのが良いだろう。

 

(終わり)