古村治彦(ふるむらはるひこ)の政治情報紹介・分析ブログ

SNSI研究員・愛知大学国際問題研究所客員研究員の古村治彦(ふるむらはるひこ)のブログです。翻訳と評論の分野で活動しています。日常、考えたことを文章にして発表していきたいと思います。古村治彦の経歴などについては、お手数ですが、twitter accountかamazonの著者ページをご覧ください 連絡先は、harryfurumura@gmail.com です。twitter accountは、@Harryfurumura です。よろしくお願いします。

タグ:スティーヴン・ウォルト

 古村治彦です。

 2023年12月27日に最新刊『』(徳間書店)を発刊しました。2024年の世界で注目を集める、ウクライナ戦争、パレスティナ紛争、米中関係、アメリカ大統領選挙とアメリカ政治について網羅的にまとめました。是非手に取ってお読みください。よろしくお願いいたします。

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バイデンを操る者たちがアメリカ帝国を崩壊させる

 ジョー・バイデン政権の国家安全保障問題担当大統領補佐官ジェイク・サリヴァンが、シカゴ大学教授ジョン・ミアシャイマーとハーヴァード大学教授スティーヴン・ウォルトを批判している論稿をご紹介する。ジョン・ミアシャイマーについては、最新刊『』でも詳しくご紹介している。スティーヴン・ウォルトは、このブログでもよくご紹介している。両教授は、国際関係論(International Relations)という学問分野の大物であり、リアリズムという学派に属している。また、アメリカとイスラエルとの関係、アメリカ国内の親イスラエル勢力を分析した『イスラエル・ロビー』の著者としても知られている。サリヴァンは、民主党系の外交政策専門家であり、私は1作目の著書『アメリカ政治の秘密』(PHP研究所)でいち早く注目した。
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ジェイク・サリヴァン
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スティーヴン・ウォルト(左)とジョン・ミアシャイマー

 サリヴァンは、両教授それぞれの著作の内容や主張について、反対論を展開している。その反対論の内容は、アメリカが世界の警察官を辞めてしまうのは駄目だ、世界各国の民主化を合法・非合法の手段で推進すべきだ、中国とロシアに対しては厳しい態度で、その権威主義的な政治スタイルの転換を求めるべきだ、アメリカが外交的な力を維持するために、アメリカ軍の規模や世界転換を維持すべきだという内容だ。これらの主張は、民主党のヒラリークリントン系の「人道的介入主義派(Humanitarian Interventionism)」の主張そのものである。著書『アメリカ政治の秘密』で私は、あメリカ外交の潮流を「リアリズム(民主・共和)対共和党系のネオコンサヴァティヴィズム(Neoconservatism)・民主党系の人道的介入主義」の対立と分析した。この論稿の構造も、「ミアシャイマーとウォルト(リアリズム)対サリヴァン(人道的介入主義)」である。

 アメリカの国力や影響力が落ちており、世界の警察官としての役割を維持することはできない。バラク・オバマは大統領在任中にそのことをはっきりと述べている。しかし、民主党系の外交政策コミュニティは、今でも世界中を民主化し、非民主的な体制の国々の体制転換(regime change)を行おうと必死だ。しかし、そのような彼らの目的は既にばれている。そして、彼らの願いと実際の国力や影響力との間の乖離は大きくなるばかりで、その乖離はやがてアメリカに大きな災厄をもたらすことになる。アメリカの力を維持しようとあがけばあがくほどに、アメリカは苦しむことになる。

(貼り付けはじめ)

より多くかより少なくか、あるいは違うことをするか?(More, Less, or Different?

-アメリカの外交政策はどこへ向かうべきか、そしてどこへ向かうべきでないか

ジェイク・サリヴァン筆

2019年1・2月号(発行日:2018年12月11日)

『フォーリン・アフェアーズ』誌

https://www.foreignaffairs.com/reviews/review-essay/2018-12-11/more-less-or-different

2016年11月以来、アメリカの外交政策コミュニティ(foreign policy community)は自己探求の長期的な旅に乗り出し、リベラルな国際秩序の過去、現在、未来、そしてアメリカがどこに向かうのかという関連問題に関する論稿でこのような出版物のページを埋め尽くしている。大戦略(grand strategy)はここから始まる。一般的な感情は、同じことだけを求めるものではない。大きな問題は、ここ何年もなかった形で議論の対象となっている。アメリカの外交政策の目的は何だろうか? 対応するアプローチの変更を必要とする根本的な変化が世界に起きているだろうか?

この真剣で思慮深い会話に、スティーヴン・ウォルトとジョン・ミアシャイマーがそれぞれ新しい本を携えて登場し、それぞれがアメリカ外交政策の失敗についての長年の議論を新たな激しさで展開している。ウォルトの著書は『善意の地獄:アメリカの外交政策エリートと米国の優位性の衰退(The Hell of Good Intentions: America’s Foreign Policy Elite and the Decline of U.S. Primacy)』というタイトルであり、ミアシャイマーの著書は『大いなる妄想:リベラルな夢と国際的な現実(The Great Delusion: Liberal Dreams and International Realities)』というタイトルだ。タイトルは、民主政治体制の促進(democracy promotion)、人道的介入(humanitarian intervention)、国家建設(nation building)、NATOの拡大(NATO expansion)に反対するという、彼らが展開する主張についての明確なヒントを与えている。彼らの主張とは制限とオフショア・バランシング(restraint and offshore balancing)である。

2冊の本はそれぞれ、何か新しいことが含まれている。ウォルトの著書には、外交政策コミュニティに対する広範な攻撃が含まれており、様々な病理に囚われて国を迷わせている聖職者たちの暗い絵が複数の章にわたって描かれている。一方、ミアシャイマーは政治理論に目を向け、リベラリズム、ナショナリズム、リアリズムの関係を探求する。リベラリズムはナショナリズムとリアリズムに変更を加えたり、廃止したりすることはできず、この3つが交わる場合には、後者の2つが前者よりも優先される、と彼は主張している。ミアシャイマーは、アメリカ政治で理解されているようなリベラリズムではなく、古典的な意味でのリベラリズムについて語っていることをわざわざ強調しているが、「ソーシャルエンジニアリング(social engineering)」に対する彼の繰り返しの攻撃は、彼がそれを両方の意味で使っている可能性があることを明らかにしている。ミアシャイマーにとって、 3つの主義(isms)は最終的に、リベラルな覇権戦略(strategy of liberal hegemony)は必ず失敗する、そして実際にアメリカに失敗をもたらしているという結論に達するための代替ルートを提供する。

著者2人は多くの正当な指摘を行っている。しかし、彼らの本には、イラク戦争のような明らかな間違い(clear mistakes)と、外交政策のような面倒なビジネスではよくある不完全な選択肢から生じる欠陥のある結果(flawed outcomes)とを区別できないという問題もある。彼らはまた、あまりにも頻繁に風刺画の誘惑に負けて介入について揶揄し、制度構築(institution building)を軽視するが、これは冷戦後のアメリカのアプローチのより永続的かつ広範な特徴であった。しかし、最大の失望は、どちらの著者も、現在外交政策コミュニティを巻き込んでいる新たな議論や、アメリカの今後の戦略に関するやっかいな疑問に実際には取り組んでいないことだ。

●悪意と集団(BAD FAITH AND THE BLOB

ウォルトとミアシャイマーは、長い間、外交政策論議の中心的存在であった。2007年に単行本として出版されたアメリカ・イスラエル関係に関する2人の共同論争はさておき、2人は言論に不可欠な偶像打破(因習破壊、iconoclasm)を提供し、前向きな外交政策を支持する人々に、議論を研ぎ澄ませ、間違いについて考えさせ、彼らが避けて通りたいような難しい問題に直面させてきた。ミアシャイマーは、この新著を含め、あまりに多くのリベラルな国際主義者たち(liberal internationalists)が、ナショナリズムとアイデンティティの永続的な力と闘うことに失敗してきたことを指摘するのに、とりわけ力を発揮してきた。最近の歴史は、ミアシャイマーがより正しく、アメリカ外交がより間違っていることを証明している。この点や他の多くの点に関して、実務家たちはこれらの学者(そして学界全般)に対して、たとえ最終的に同意することにならなくても、より多くの意見を聞き、より徹底的に検討する義務がある。同じ意味で、これらの学者たち(そして学界全般)は、政策立案者たちに対して、立案者たちがたとえ決定において多くの失敗するにしても、誠意と誠実な奉仕を行う義務がある。

これが、ウォルトの議論の新たな側面を非常に厄介なものにしている理由だ。ウォルトは、彼の軽蔑の対象である「外交政策コミュニティ」を「定期的に国際問題に積極的に関与する個人および組織」と定義している。それより広い定義を思いつくのは難しい。しかしその後、ウォルトは多くの名前を挙げる。彼はシンクタンク、擁護団体、財団、そして「ブロブ(集団、blob)」を構成する特定の個人のリストでページを埋め尽くしているが、この用語はもともとオバマ政権で国家安全保障問題担当大統領次席補佐官だったベン・ローズが作った用語だが、ウォルトは繰り返し受け入れ、引用している。そして、彼の本のタイトルには「善意(good faith)」というフレーズが出てくるが、彼はそれ以外のものを考えている。「外交政策の専門家のほとんどは真の愛国者である」という必須の条件を付けた上で、ウォルトは彼らの意思決定の重要な動機と考えられるものに焦点を当てている。ウォルトは次のように書いている。

「アメリカ政府が海外で忙しくなればなるほど、外交政策の専門家の仕事は増え、世界的な問題への対処に充てられる国富の割合も増え、彼らの潜在的な影響力も大きくなる。外交政策がより抑制的になれば、外交政策コミュニティ全体の仕事は減り、その地位や存在感は低下し、著名な慈善団体の中には、こうしたテーマへの資金提供を減らすところも出てくるかもしれない。この意味で、リベラルな覇権主義と絶え間ないグローバルな活動は、外交政策コミュニティ全体にとっての完全雇用戦略を構成している」。

完全な開示を行う。ウォルトは間違いなく私にこのグループに分類しているようだ。したがって、私は彼の非人道的な主張を完全に客観的に評価することはできない。しかし、経験と常識から、それはまったく間違っていることが分かる。ウォルトは、国防総省や国務省やシチュエーション・ルームで、積極的な外交政策が国益と国際平和と進歩に関する世界大義にかなうと心から信じている外交官や公務員(もちろん政治任命者たち)と並んで働いたことはない。もしそうなら、彼は何がこれらの当局者を駆り立てているかについての見解を修正するだろうと私は確信している。

政府の行動に偏りがあるのは事実だ。しかし、ウォルトは、実務家たちが直面する決断にどれだけ苦悩しているか、そして何かを増やすか減らすか、あるいは違うことをすることのメリットについてどれほど熱心に議論するかを学ぶことになるだろう。自分の主張に反して、中東からの撤退に関するウォルト自身の考えを含め、非正統的な考えが実際にワシントンで審議されること、そして彼の提案が政策にならないのは、考慮されないからではないということに彼は驚くだろう。ウォルトは、因果関係の連鎖が、彼が想定しているものとは逆の方向に走っているという証拠を見つけるだろう。政策立案者たちは、外交政策が彼らの職業であるため、より野心的なアプローチを主張しない。彼らは、外交政策が野心的なことを達成できると信じているため、外交政策を自分の仕事にする傾向がある。実務家たちが学界にいる批評家たちを風刺することは、何の利益にもならない。逆も同様だ。

ウォルトは、外交政策の専門家たちの意図や動機が、彼らの見解が不変であることを意味し、彼らが学び、適応し、成長することができないという主張は間違いである。

ウォルトは、集団(ブロブ、blob)に悪意があると決めつけることで、2016年以降の外交政策コミュニティの変化を見逃している。彼は、ワシントンの外交政策協議があまりにもしばしば集団思考(groupthink)にとらわれてきたこと、従来の常識がいかに硬化し、そこから逸脱することがいかに困難であるか、地政学的傾向や民主政治体制の生来の魅力に関する多くの基本的前提があまりにも長い間当然のものとされてきたことなどについて、合理的な指摘をしている。しかし、外交政策の専門家たちの意図や動機が、彼らの見解が不変であることを意味し、彼らが学び、適応し、成長することができないというのは間違いである。

ウォルトもミアシャイマーも、ワシントン外交政策のコンセンサスにおける最近の重心の変化を無視している。2018年の討論会の内容は2002年の討論会の内容と同じではない。例えば、アメリカのイラク侵攻に対する彼らの情熱的な主張は、時間が経ったように凍結されているように見える。外交政策コミュニティのほとんどは、中東で再び選択の余地がある紛争が起こることに反対するだろう。現在の議論は、直接的な軍事力への依存を減らし、効果的な対テロ戦略をどのように追求するかについて争われている。国内への投資を重視する必要があるという彼らの主張にも同じことが当てはまる。2016年以来、リベラルな国際主義者たち(liberal internationalists)は外交政策と国内政策の関係についてより明確に考察するようになった。

●火星出身の政策立案者たち(POLICYMAKERS ARE FROM MARS

政策立案者たちにとって、ウォルトとミアシャイマーをどう扱えばいいのかが分からないことが多い。彼らは、ヨーロッパからの軍事的撤退のような思い切った行動によるバラ色の結果を含め、そのアプローチについて、彼らが描くリベラルな国際主義者(liberal internationalists)の誇張された肖像に似た確信をもって約束する。そして、彼らの議論のスタイルは、現在の問題を煽ることだ。彼らは、あらゆる問題、悲劇、予期せぬ副作用の責任をアメリカの意思決定者たち(U.S. decision-makers)になすりつける一方で、到達した成果や回避された災難はすべて当然だと考える。そのため、意図しない結果につながる行動は、意図しない結果につながる不作為とは異なる扱いを受ける。リビアへの介入は、ヨーロッパにおける難民危機に予期せぬ形で貢献したが、シリアへの介入の欠如もそうだったかもしれない。

これらの断絶が核心的な課題の一因となっている。学者たちの批評に対して政策立案者たちが行う議論は、全て反事実に寄りかからざるを得ない。もしワシントンがNATOを拡大していなかったら、現在ウクライナで起きていることはバルト海沿岸やポーランドで起きていただろうか? もし1990年代に日本から撤退していたら、今中国に対してどのような対応を取ることができていただろうか? 「もっと悪いことが起きていただろう!」というのは、議論の場では決して楽しい主張ではない。戦後のドイツと日本のケースを考えてみよう。ミアシャイマーは彼の著作の中盤でほんの少し言及しただけで、それを軽視している。もしアメリカが1945年にウォルトとミアシャイマーの処方箋に従ってアメリカ軍を撤退させ、ヨーロッパとアジアに自国の問題を自力で解決させていた場合の20世紀後半を想像してみて欲しい。そうであれば、この地域は現在とははるかに違った様相を呈していただろうし、おそらくははるかに暗い様相を呈していただろう。

ウォルトとミアシャイマーの基本的な戦略的前提は、アメリカの撤退はおそらく世界をより危険なものにするだろうが、その地理的条件とパワーを考えれば、アメリカは結果として生じるリスクを回避することも、有利になるように操作することもできる、ということのようだ。この論理の厳しさはさておき、それが正しいかどうかは全く分からない。ウォルトは、20世紀前半のオフショア・バランシング[offshore balancing](ウォルトが好む地域安全保障への手をかけないアプローチ)には「安心できる歴史(reassuring history)」があることの証明として、20世紀前半の例を挙げている。しかし、アメリカを巻き込むことが必至となった2つの破滅的な世界大戦以上に心強いものがあるだろうか。1930年代を成功とするアプローチを受け入れるのは難しい。

政策立案者たちとこの2人の学者の会話が火星と金星のような関係にある理由は他にもある。ウォルトとミアシャイマーは、世界各地からアメリカ軍をアメリカ本国に帰還させ、トラブルが発生したときに再びアメリカ軍を派遣するためにかかる費用をごまかすことができる。ウォルトとミアシャイマーは、イランのような国が核兵器を保有することで生じる不安定性を軽視することができる。一方、政策立案者たちは、地域の軍拡競争やテロリストの手に爆弾が渡る可能性など、最悪のシナリオを考える。アメリカの外交政策からリベラリズム(liberalism)を排除することを主張することはできるが、政策立案者たちは、アメリカの戦略だけでなく、アメリカのシステムがリベラリズムを指し示しているという事実に対処しなければならない。例えば、ニューヨーク・タイムズ紙は中国共産党の汚職調査を止めようとはしないし、パナマ文書の公開はNATOの拡張と同様にロシアのプーティン大統領の怒りを買った。最後に、ウォルトがジョージ・W・ブッシュ大統領、バラク・オバマ大統領、ドナルド・トランプ大統領は外交政策へのアプローチにおいて基本的に見分けがつかないと書くとき、彼は極端な一般性のレヴェルで行動しており、その分析は意味を失っている。

しかし、ある意味、そんなことは気晴らしのようなものだ。現実主義者たち(realists)とリベラルな国際主義者たち(liberal internationalists)の間の戦線(battle lines)は、あまりにもよく描かれており、議論もよくリハーサルされているので、今さら多くを付け加えることは難しい。過去25年間、ワシントンがウォルトとミアシャイマーのアプローチを採用していたら、現在の状況はどうなっていたかをめぐって争うことは、今後25年間、ワシントンが何をすべきかを議論することほど生産的ではない。また、政策立案者たちがいくつかの単純なルールに従いさえすれば、物事を正しく進めるのは簡単だと主張する一方で、ミアシャイマーとウォルト両著者は今日のアメリカ外交の中心的な議論、つまり、集団(ブロブ、blob)が2016年以来格闘している厄介な問題については驚くほど何も語っていない。

第一は、悪化する米中関係をどのように形成し、対立に転じることなく、アメリカの利益を増進させるかである。中国をアメリカ主導の秩序に統合することを前提とした、アメリカの戦略コミュニティにおける「責任ある利害関係者(responsible stakeholder)」たちのコンセンサスは崩壊した。新たなテーマは、ワシントンは中国を見誤ったということであり、今日の合言葉は「戦略的競争(strategic competition)」である(ただし、中国がソ連と違って失敗する運命にある訳ではないと仮定するならば、何のための競争なのかは明確でない)。中国に対する好意的な見方から暗い見方へと、振り子(pendulum)がこれほど速く揺れ動くのを見るのは幻惑的である。このような新しい状況下でどのように行動すべきか、という指針は、驚くほど不足している。

ウォルトは基本的に両手を上げて、「アジアはアメリカのリーダーシップが本当に「不可欠な(indispensable)」唯一の場所かもしれない」と書いている。("indispensable " "leadership "という言葉が大嫌いなウォルトにとって、これは極めて重要な発言である)。もしウォルトが、現代最大の国家安全保障問題に例外を設けなければならないのであれば、彼のアプローチ全体を見直す必要があることを示唆している。流行する前から中国タカ派だったミアシャイマーは、中国に関してはリアリズムと自制は乖離せざるを得ないと主張してきた。しかし、この最新刊では、「リベラルな覇権(liberal hegemony)」を破壊することに固執するあまり、中国の台頭の継続を応援している。国際システムから見た議論としては正しいかもしれないし、そうでないかもしれないが、国益を考えるアメリカの政策立案者たちにとっては特に有益ではない。また、どちらの著者も、政策立案者たちが伝統的な安全保障上の考慮事項と同様、経済、テクノロジー、アイデアに関する新たな分野での競争に備える助けにもなっていない。地政学(geopolitics)がサイバースペース、宇宙、経済、エネルギーなど、拡大する領域にわたって展開される中で、これは彼らの分析における深刻なギャップである。

この欠陥は、第一の問題と表裏一体となった第二の難問につながる。それは、 アメリカの主要な競争相手は、どの程度組織的に非自由主義(illiberalism)を輸出しているのか、そしてアメリカの戦略にとってどのような意味があるのか。アメリカ進歩センター(Center for American Progress)のケリー・マグザメンと共著者たちのような専門家たちは、中国とロシアがともに権威主義モデル(authoritarian models)を維持するという最優先の目的を持っていることをより強調している。ブルッキングス研究所のトーマス・ライトが言うように、中国とロシアは「権威主義にとって世界をより安全な場所にするために、自由で開かれた社会(free and open societies)を標的にするという目的を共有している」のであり、したがって、アメリカの外交政策は、大国間競争(great-power competition)の中で、民主政治体制の擁護を最重要視する必要がある。

ウォルトもミアシャイマーも、アメリカの主要な競争相手は主として現実主義的な考えに従って行動しており、国内政治は主要な要因ではないと仮定している。その結果、ミアシャイマーが言うように、アメリカの「民主政治体制を広めようとする衝動」に対して後ろ向きとなる批判を展開し、ますます野心的で、組織化され、効果的になっていく独裁政権から民主政治体制を守るという課題にはあまり触れていない。外交政策コミュニティの新たな診断は間違っているかもしれないし、誇張されているかもしれないが、もしそうなのであれば、この2人の著者はどちらもその理由を説明していない。アメリカの競争相手がアメリカの経済・政治システムに圧力をかけるために行っている、直接的な選挙干渉(direct election interference)から、影響力を高めるための手段として汚職(corruption)や国家資本主義(state capitalism)を戦略的に利用することまで、さまざまな慣行を扱っていない。そして、現在流行しつつある診断が正しいとすれば、NATOを解体し、ヨーロッパから撤退し、志を同じくする同盟諸国にアメリカからの恩寵を獲得するよう指示するという彼らの望ましい戦略は、本当に論理的な次のステップとなるのだろうか?

ミアシャイマーは、「海外でのリベラリズムの追求は、国内でのリベラリズムを弱体化させる」と主張している。しかし、国内での影響(盗聴、政府機密、「ディープ・ステート」)に関する彼が提示する現代の例は、テロとの戦いに関するものであり、リベラルなプロジェクトとは言い難い。このことは、3つ目の難しい問題を提起している。テロリズムがもたらす客観的な脅威と、アメリカ国民が感じる主観的な脅威とのギャップに、意思決定者はどのように対処すべきなのか? ウォルトもミアシャイマーも、より平和主義的な国民を対外的な軍事的冒険に引きずり込む、血に飢えた外交政策共同体の精巧な風刺画を描いている。しかし、海外でのテロとの戦いとなると、リベラルな国際主義(liberal internationalism)に懐疑的な政治家たちに後押しされた国民は、テロリズムを軍事力の行使を必要とする緊急の、さらには存亡にかかわる優先事項であると考える。外交政策コミュニティは、そのような要求を推進するというよりも、むしろそれに応えつつある。

オバマのイラクでの経験について考えてみよう。2011年、オバマはウォルトとミアシャイマーの脚本を参考に、アメリカ軍を残らず撤退させた。そして2014年夏、ISIS(イスラム国)がモスルに押し寄せ、アメリカ国民の意識の中心に躍り出た。オバマ大統領の国家安全保障ティームにいた私たちは、アメリカ軍の武力で対応すべきかどうか、どのように対応すべきかについて活発な議論を交わした。2人のアメリカ人ジャーナリストが斬首された後、国民はISISを封じ込めるためではなく、ISISを打ち負かすための迅速かつ決定的な行動を求めた。ISISを封じ込めるためではなく、ISISを打ち負かすための、迅速かつ決定的な行動を求めた。しかし、テロ問題の政治的側面と、扇動者に影響されやすいという性質は、政策立案者がテロを他の国家安全保障上の課題とは異なるカテゴリーに位置づけなければならないことを意味し、脅威の客観的尺度には限界があるということである。今後数年間の戦略や資源に関する議論では、このダイナミズムをいかに管理するかが重要になる。ウォルトにとってもミアシャイマーにとっても、これは盲点(blind spot)である。

もう1つの盲点は、政策立案者たちが現在取り組んでいる4つ目の問題だ。それは、国家間の地政学的な競争が激化し、各国から力が拡散していく中で、政策立案者たちは、全ての国家が共有する主要な脅威に対処するための効果的なメカニズムをどのように設計すればよいのだろうか? 気候変動、疫病の流行、大量破壊兵器の拡散、そして再び世界的な経済危機が起こるリスクに対処するためには、協力が必要である。少なくとも、このような集団行動を動員するという文脈においては、ミアシャイマーは、外交政策コミュニティの多くの人々の動機となる理論が、古典的自由主義よりも、制度(institutions)、相互依存(interdependence)、法の支配(rule of law)を重視する古典的共和主義(classical liberalism)に近いかもしれないことを見逃している。また、ウォルトもミアシャイマーも、アメリカのリーダーシップなしには、あるいは健全な制度に根ざした健全なルールなしには、あるいは非国家主体や準国家主体の役割を考慮することなしには、このような協力がどのように実現するかについて説得力のある説明をしていない。

ウォルトとミアシャイマーは共に、効果的な外交に敬意を表しているが、どちらもアメリカの大幅な縮小がアメリカの外交遂行能力を損なうことはなく、どのように強化するのかについて、信頼できる説明を与えていない。例えば、ウォルトはイラン核開発に関する合意を気に入っているようだが、壊滅的な制裁と軍事力による確かな脅威が合意の実現に果たした役割についてはほとんど評価していない。外交における安心感と決意を示すことは、アメリカ軍を世界規模に展開することの重要な利点であり、それがウォルトにとって、リビアのような間違いを犯しにくくすることと、成功した外交に従事しやすくすることのどちらをより重視するのかという疑問を生む。イランとの交渉のような外交の成功とは何を意味するのか?

ウォルトとミアシャイマーが指針を示さなかった最後の分野は、人道的介入(humanitarian intervention)の将来についてである。これは驚くべきことだ。過去25年間を経て、ワシントンは、人道的な理由によるアメリカの軍事介入に必要な条件があるとすれば、それは何なのかという問いに取り組んでいる。過去の介入を批判することは、リベラルな国際主義に反対する両学者にとって中心的な柱となっている。しかし、両者ともそのような介入は決して試みるべきではないと言い切ってはいない。ミアシャイマーのリビア作戦に対する批判は、大虐殺を止めるためにアメリカが介入すべきではなかったというものではない。それどころか、虐殺の脅威は「偽りの口実(false pretext)」、つまり全てでっち上げだったと断じている。これは彼にとって、本当の問題を避けるための都合のいい方法である。

ウォルトに関しては、「戦争を防止し、大量虐殺を食い止め、他国を説得して人権パフォーマンスを向上させる」ためにアメリカの力を行使することには、驚くほど肯定的である。実際、彼は「(1)危険が差し迫っており、(2)アメリカに予想されるコストが控えめで、(3)アメリカの人命に対する外国の人命の重要度が高く、(4)介入が事態を悪化させたり、無制限の関与につながったりしないことが明らかな場合には、大量殺戮を阻止するために武力を行使することを容認する」という。これらは、過去四半世紀にわたってアメリカが追求してきた人道的介入のそれぞれに、政策立案者たちが適用してきたのと同じ基準である。(イラクは人道的理由による戦争ではなかったので別のカテゴリーに属する)。冷戦後の様々な介入は、主として最初の3つの基準を満たすものであった。ウォルトは4つ目の基準について、これ以上の指針を示していない。この基準は、行動すべきか(リビア)、行動すべきでないか(シリア)をめぐる議論の大半を占め、困難なトレイドオフの大半はここにある。人道的介入にも戦略的動機がありうることを、どちらの学者も考慮していないという問題もある。シリアを焼け野原にすることは、大量の人命を失う危険性があるだけでなく、ウォルトとミアシャイマーが重要と考えている1つだけでなく2つの地域(ヨーロッパとペルシャ湾)を不安定化させる危険性もある。

●新たな収束(THE NEW CONVERGENCE

これら難問のリストは、全てを網羅しているとは言い難い。トランプ時代は、より広範な国際環境の変化とともに、多くの仮定を再び議論の対象としている。特にウォルトは、進歩主義者、自由主義者、そしてアカデミックな現実主義者が、リベラルな国際主義者を打ち負かすために力を合わせる絶好の機会だと考えている。実際の潮流は別の方向に進んでいるようだ。ヴァーモント州選出のバーニー・サンダース連邦上院議員やマサチューセッツ州選出のエリザベス・ウォーレン連邦上院議員による外交政策論評をはじめ、最近の多くの論考は、左派と中道の一種の収束への道を指し示している。この収束は完全なものとは言い難いが、いくつかの共通の優先事項が明らかになりつつある。国際経済政策の分配効果に対する関心の高まり、汚職や泥棒政治(クレプトクラシー、kleptocracy)、ネオファシズムとの闘いへの集中、軍事力行使よりも外交の重視、民主的同盟国への永続的な関与などである。おそらく最も重要なことは、左派と中道が、リベラル・プロジェクトの多くの成功が、世界的な貧困と疾病に対する進歩や、フランスとドイツの間の永続的な平和のように、競争する運命にあるのではなく、ヨーロッパ連合(EU)を形成するという、深遠なものであったという事実に対する認識と、この認識を共有しつつあることである。

このことは、ウォルトとミアシャイマーが今後の議論において果たすべき役割を否定するものではない。第一原則を重視する彼らの姿勢は、多くのことが争点となっている現在、特に重要である。異なる考え方をするようにという彼らの忠告は、変化の激しい時代には有益である。政策立案者たちはこれらの本を読み、彼らの主張を慎重に検討すべきである。そして、ウォルトとミアシャイマーは、誠意と好意を持って、この先数十年にどのように取り組むべきかについて、政策立案者たちと難問に取り組む機会を歓迎すべきだ。

※ジェイク・サリヴァン:カーネギー国際平和財団上級研究員。2011年から2013年まで国務省政策企画本部長、2013年から2014年まで国家安全保障問題担当米副大統領補佐官を務めた。

(貼り付け終わり)

(終わり)

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ビッグテック5社を解体せよ

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 悪魔のサイバー戦争をバイデン政権が始める
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 古村治彦です。

 2023年12月27日に単著の4冊目となる『バイデンを操る者たちがアメリカ帝国を崩壊させる』(徳間書店)を発刊しました。203年を回顧し、2024年を予測するための一助となれば幸いです。よろしくお願いいたします。

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バイデンを操る者たちがアメリカ帝国を崩壊させる

 今回は、このブログでもよくご紹介しているハーヴァード大学教授のスティーヴン・M・ウォルト教授の2024年の予測に関する論稿をご紹介する。2024年において、人々の関心が高いのは、ウクライナ戦争の行方、パレスティナ紛争の行方、米中関係である。アメリカ政治においてはやはりアメリカ大統領選挙の行方である。

ウォルト教授は、2022年2月24日から続くウクライナ戦争について、バイデンは選挙までは、負けを認めず、交渉に積極的であろうが、再選が決まれば、負けを認めて交渉を行うと予測している。トランプが大統領に当選すれば、ウクライナにどんな形でもロシアと停戦を行わせるとしている。物理的に、アメリカがウクライナを支援できなくなればウクライナ戦争は終わる。アメリカ連邦議会がウクライナ支援に予算が付けないとなれば、戦争は継続できない。

 パレスティナ紛争は、イスラエルとハマス以外のプレイヤーが消極的であるために、地域的な紛争に拡大することはないとウォルト教授は見ている。ただ、イランとイスラエルが事を構えるということになれば、アメリカはイスラエルに引きずり込まれる形で、地域の紛争に巻き込まれることになる。このようなことは誰もが避けたいところだ。ガザ地区が破壊され尽くせば、紛争は終わるだろうが、そこからの復興には10年単位の時間と大規模な支援が必要になる。

 米中関係は、両国がともにエスカレートさせないということでは一致しているとウォルト教授は見ている。アメリカはウクライナとパレスティナへの対応で精一杯であり、アジアで問題が起きれば能力を超えてしまうことになる。従って、台湾で2024年1月に選挙が実施されるが、台湾が中国を刺激しないように求めることになる。アジアは平穏を保つべきである。

 日本では元旦に北陸地方を中心とする震災が発生し、2日には東京の羽田空港で日本航空機と海上保安庁の航空機が衝突し、火災が発生するという衝撃的な事故が起きた。先行きが不透明で、不安な状況であるが、せめて日本を取り巻く環境は波風が立たないことを願うばかりだ。

(貼り付けはじめ)

2024年について予想についてスティーヴン・ウォルトに聞く(Stephen Walt on What to Expect From 2024

-これからの12カ月の最初にあたってFP Live の年1回のシリーズ。

ラヴィ・アグロウアル筆

2024年1月1日

『フォーリン・ポリシー』誌

https://foreignpolicy.com/2024/01/01/fp-live-stephen-walt-look-ahead-global-elections-india-china-ukraine-israel-gaza-2024/

先週のFP Liveで、本誌コラムニストのスティーヴン・ウォルトは、2023年の最も重要な流れと展開を振り返った。彼の次の任務は、2024年に世界的な出来事がどのように展開するかを予測するという、非常に難しい課題だ。

本誌購読者は、このページの上部にあるボックスでビデオインタビューの全編を視聴できる。以下は、要約および編集された文字起こし原稿となっている。

ラヴィ・アグロウアル:2024年のリスクの中で、最も過小評価されているものは何か? 言い換えれば、まだ心配していないことで、私たちが心配すべきことは何か?

スティーヴン・ウォルト:1つは、中東紛争が大きくエスカレートする可能性だ。良いニューズは、今のところ、この地域の傍観者や第三者は誰もが関与することに熱心ではないように見えるということだ。ヒズボラとイスラエルが少し対立し、フーシ派はロケット弾を発射した。しかし全般的には、誰もがこの事態を限定的かつ限定的なものにとどめたいと考えているようだ。

紛争が継続し、これが何か月も続く場合、地域の大国のほとんどが傍観者でいる能力や意欲が低下する可能性がある。イスラエルとヒズボラの間で深刻な戦争が勃発し、それによってイランがより積極的に関与せざるを得なくなる可能性がる。もちろんそうなってしまうと、結果として、アメリカがイスラエル側に引きずり込まれることになる。突然、私たちが経験したことのない種類の地域紛争が勃発することになる。数十年の間、本当に見られなかった種類の紛争になるだろう。

ラヴィ・アグロウアル:今後数カ月、イスラエルとパレスティナの間でどのような展開が予想されるか? 1年後の状況はどうなっていると考えるか?

スティーヴン・ウォルト:残念なことに、1年後の状況はそれほど変わっていないと私は考える。その頃には、暴力行為は終わっているだろう。イスラエルによるガザでの作戦は、何らかの停戦や終結を迎えているだろう。ガザ地区のほとんど破壊されているだろう。つまり、これは最大規模の人道的危機(humanitarian crisis)であり、1年、それ以上の機関で終わることはない。

根本的な問題、つまりイスラエル人とパレスティナ人がこの地理的空間でどのように共存していくかという政治的問題は、1年経過しても解決するということはない。ある意味で、私たちは解決を先送りしてしまったことになる(have kicked the can down the road)。イスラエル政府が突然、「今、私たちは二国家間解決(two-state solution)を純粋に追求することに賛成する」と言い出すような変化は見られないと私は考える。改革され、新たに力を得たパレスティナ自治政府が現れるとは思えない。ハマスが排除されるとは考えられない。ハマスがパレスティナの抵抗の象徴として、ガザでもヨルダン川西岸でも以前より人気が出るかもしれない。憂鬱なニューズは、1年後、私たちがこの会話をするとき、この問題は現在と同じように難解で未解決のままだろう。

ラヴィ・アグロウアル:イスラエルがサウジアラビアとの関係を正常化させる可能性についてはどうか?

スティーヴン・ウォルト:今回の戦闘によって、その可能性はひとまず保留となったが、長期的には可能性がなくなったと私は考えない。アメリカの場合、主なインセンティヴは実はイスラエルとアラブの紛争とは関係なかった。サウジアラビアが少なくとも中国にある程度は媚びを売っていた時期に、リヤドを味方につけておくために、何らかの安全保障上の取り決めを仲介しようとしていた。アメリカの政治体制を通すと、イスラエルとの国交正常化と結びつける必要があった。サウジアラビアをアメリカの安全保障の軌道内にとどめ、中国と再編成させないというインセンティヴは、今も消えていない。

サウジアラビアは可能な限り最良の取引を望んでおり、アメリカから安全保障を得たいと考えている。イスラエルは、サウジアラビアとの国交正常化協定という象徴的な成果を得たいと考える。その可能性が戻ってくるであろうことは想像に難くない。問題は、その可能性がどれほど早く戻ってくるかということであり、それは紛争の行方とアラブの人々との関係によって大きく左右されるかもしれない。

ラヴィ・アグロウアル:ガザをめぐる怒りが中東、そしてアメリカの力学にどのような影響を与えるか、あなたはどのように感じているか?

スティーヴン・ウォルト:アラブ世界の世論は常に対立的で、多くの政府の態度や政策よりもイスラエルに同情的ではなかった。特にエジプトは、最終的にイスラエルと和平協定を結んだ。イスラエル政府とエジプト政府は基本的に、ここ何年もの間、共同でガザに蓋をしてきた。それは、多くのエジプト市民の意見と大きく対立している。それはサウジアラビアだけでなく、湾岸諸国の多くでも同様で、そうした差が、最も顕著なのはヨルダンだろう。

これはアメリカにとっての深刻な緊張を浮き彫りにする。アメリカは民主政治体制を支持し、国民が統治すべきだと言う一方で、中東に関して言えば、もし国民が実際に主導権を握っているとしたら、政策を形成するか、あるいはそれらの政策がどのようなものになるかについてより大きな声を上げるとしても、それらの政府の多くの立場は全く異なるものとなるだろう。

ラヴィ・アグロウアル:2024年に注目すべき出来事としてカレンダーに書き込んでいることはあるか?

スティーヴン・ウォルト:ある。それはNATOの創設75周年だ。しかし、NATOには2つの影が落とされている。1つはウクライナでの戦争がうまくいっていないことで、これは同盟の失敗と見なされるだろう。2つ目の影は、NATOの将来に疑念を投げかけ、NATOやヨーロッパ連合(EU)を愛していないドナルド・トランプの再選の可能性だ。

ラヴィ・アグロウアル:2024年を見る枠組みの1つは、歴史上最も多くの人々が投票に行く年だということだ。そして2024年は1月の台湾の選挙で始まる。もし現在与党の独立派政党が再選されれば、台湾海峡で様々な緊張が引き起こされ、最近の米中間の建設的な対話の一部を覆すことになるかもしれない。

スティーヴン・ウォルト:台湾の選挙の結果は非常に重要だ。与党・民進党の現職候補は、これまで独立について率直な発言をしてきた。最近は発言を控えめにしている。つまり、独立の見通しを推し進めることから身を引こうとしている。彼がアメリカやその他の国から一貫して受け取っているメッセージは、たとえ選挙で成功したとしても、野党が大きく分裂していることを考えれば、就任後に彼がすべき最後のこと(もっともやるべきではないこと)は、中国にこの地域でとてつもなく不安定になるような行動をとらせるようなことをすることだ、というものだ。

1年後も現状維持のままであろう。しかし、私たちが注目したい選挙であり、その余波に細心の注意を払いたい選挙であることは確かだ。

ラヴィ・アグロウアル:今年前半に行われるもう1つの大きな選挙はインドの選挙だ。ここ数年、インドの外交政策はかなり強硬になっています。2024年に向けてどのように発展していくと考えるか?

スティーヴン・ウォルト:ナレンドラ・モディ首相は圧倒的な強さで再選されると思う。それによって彼が国内外で取ってきた政策上の立場が強化されるだろう。それは、インドがより強力になるにつれて、さまざまな方法でより独立した立場を採用する。これは、ますます多極化する世界の新たな特徴を示している。そうだ、中国とのバランスを取るためにアメリカに近づきたいと考えているが、安価なエネルギーを入手してインド経済を助けるため、ロシアとも緊密な関係を持っている。これら2つの目標の間に緊張があるという事実は、多数の異なる勢力が競合する場合に政治がどのように機能するかを示しているに過ぎない。これはアメリカが慣れなければならないことだ。

ラヴィ・アグロウアル:インドネシアでは2024年にも大きな選挙がある。2億以上の人口を擁しながら、世界的な報道ではほとんど注目されることのない東南アジアのイスラム教徒が多数を占めるこの大国について、世界がどのように考えるべきか、より広い意味での影響について何か考えがあれば聞かせて欲しい。

スティーヴン・ウォルト:私たちは、その規模と経済成長ゆえに、インドネシアの軌道がどうなるかをより慎重に考えるべきだ。時間の経過とともに、より重要なプレイヤーになっていくだろう。アメリカや他の諸大国がアジアのパワーバランス(勢力均衡)を重視するようになれば、インドネシアがどのような方向性を打ち出すかは、非常に重要な意味を持つことになるだろう。

ラヴィ・アグロウアル:2024年に予定されている全ての選挙について考えるとき、何を一番懸念しているか?

スティーヴン・ウォルト:アメリカ人として、私が最も心配しているのは、2024年11月の選挙の結果だ。テクノロジーが次の選挙サイクルに大きな影響を与えるとは思えない。ソーシャルメディアやAIがそれらに影響を与える能力は、まだかなり限られていると思う。しかし、私はアメリカの分極化(polarization)の程度を懸念している。それによってアメリカ国民が、同じ事実について合意することが不可能になっている。

私たち全員が喜ぶべき 2023 年の傾向は、アメリカでインフレが実際に抑制されているようであり、アメリカ経済がほぼ全ての指数で著しく好調であることだ。しかし、ほとんどのアメリカ人はそうではないと考えている。人々は現在、既に同意している情報源からのみ情報を入手している。このような状況のほとんど全てにおいて、私が懸念しているのは、意見が集中し、自分たちが何を信じているかを誰もが知っているという点まで個別化されている傾向であると私は考えている。私たちが忘れているのは、おそらくそれが全てではないと考えることだ。なぜなら、私たちは別の視点を聞いたことがないからだ。

ラヴィ・アグロウアル:2024年のアメリカ選挙についてもう少し話をしたい。バイデン2.0やトランプ2.0が誕生した場合、世界にとってどのような影響があるだろうか?

スティーヴン・ウォルト:バイデン2.0はそのほとんどが継続されるだろう。劇的な変化は見られないだろう。もしバイデンが再選されれば、アメリカはウクライナ戦争の解決に向けた交渉に、より直接的に動き始めるだろう。大統領選挙前はウクライナが勝てないことを認めたがらないだろうが、選挙が終われば取引に関心を持つようになるだろう。トランプが当選すれば、ウクライナから距離を置き、基本的にどんな取引でも結ばせようとする動きが当選直後からすぐに起きるだろう。

アジアでは、この2つは同じになるだろう。トランプは中国に対して非常に懸念を持っていたが、バイデン政権はトランプの対中政策の一部を継続し、どちらかといえば倍増させている。バイデンはアジアで同盟を組織しようとすることに非常に効果的だった。トランプはそうした同盟関係を解体することはないだろう。アジアではより厳しい状況になるだろうが、アメリカの主要な関与は維持されるだろう。

ヨーロッパは本当に懸念すべき地域である。トランプはEUを愛していない。彼はNATOも時代遅れかもしれないと考えている。私がヨーロッパの指導者なら、トランプ大統領が誕生する可能性に対して多くのリスクヘッジを始めるだろう。

ラヴィ・アグロウアル:トランプが当選した場合、他国が頼れるガードレールはあるか?

スティーヴン・ウォルト:1つのガードレールは、他国が力を合わせてアメリカの行動に反対したり、制限しようとしたりすることだ。アメリカは非常に強力だが、最高権力者ではない(The United States is very powerful, but it is not supreme)。経済やその他の様々な分野では、世界の他の国々からの協力が必要だ。

別のガードレールはアメリカの統治システム内に存在するもので、それらは実際にトランプ大統領が第一期にできることに実質的な制限を課していた。エスタブリッシュメントはトランプが達成したことに対して実質的な制約を課した。彼らは、彼の集中力の持続時間が短いことを認識した。私の懸念は、彼らはトランプ政権第一期の経験から学び、官僚機構をさらに強力にコントロールしようとするが、トランプが再選された後にそうした試みが不可能になることということだ。

ラヴィ・アグロウアル:最後の質問。2024年の米中関係はどうなるだろうか?

スティーヴン・ウォルト:アメリカも中国も、来年にかけて関係が劇的に悪化しないようにすることに関心があると思う。アメリカは現在、ウクライナとガザ紛争への対応で精一杯だ。このような事態が起きている間、アジアのどこかで危機が発生するのは避けたいところだ。

同様に、中国経済も好調ではない。中国国家主席の習近平は明らかに中国政府内の混乱に大きな関心を持っている。中国が他国との間で抱えている緊張により、米中両国の関係は複雑化している。彼らはアジアの他の国々、そしてもちろんヨーロッパ諸国と関係修復をしようとしてきた。米中両国ともに、今後1年ほどはこの競争を多少なりとも抑えておきたいというインセンティヴを持っている。

※ラヴィ・アグロウアル:『フォーリン・ポリシー』誌編集長。ツイッターアカウント:@RaviReports

(貼り付け終わり)

(終わり)

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 古村治彦です。
stephenmwalt501
スティーヴン・ウォルト

 今回は国際関係論(International Relations)の泰斗スティーヴン・ウォルト(Stephen M. Walt、1955年-、66歳)による米中関係悪化の分析の記事をご紹介する。少し古い記事であるが、国際関係論の学術的成果をどのように応用することができるかについて学ぶこともできる。ウォルトが言及しているのは、国際関係論のリアリズムの大家ケネス・ウォルツ(Kenneth N. Waltz、1924-2013年、88歳で没)だ。ウォルツの著作Man, the State and War: A Theoretical Analysis1959[邦訳『人間・国家・戦争: 国際政治の3つのイメージ]は、国際関係論の必読文献トップ3に入るものだが、非常に難解であり、日本語訳もようやく最近出た(2013年)ほどだ。この著作はウォルツの博士論文が基になっている。大学院在学中に朝鮮戦争に従軍し、その期間に着想を得て、博士論文計画書として提出したが、指導教授たちから「内容は全く理解できないが、何か重要なことのようなので執筆を許可する」ということになって、それが博士論文になり、著作に結びついたものだ。

また、Theory of International Politics1979[邦訳『国際政治の理論 (ポリティカル・サイエンス・クラシックス 3)』(2010年)]も必読書だ。
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ケネス・ウォルツ

 ウォルツは国際関係の分析について、ファーストイメージ、セカンドイメージ、サードイメージと3つのレヴェルに分けている。著作のタイトルにある通り、「人間」「国家」「戦争」の観点から分析できるというものだ。具体的にはファーストイメージの場合には、為政者や指導者たちの心理が国際関係における出来事や事件の理由となるというもので、心理学的な分析を行うことが多い。現在であれば、北朝鮮の金正恩、ロシアのウラジミール・プーチン、中国の習近平、アメリカのバイデンを対象にする分析ということになる。セカンドイメージは、国内の政治機構や圧力団体や政党などの分析を行うことになる。日本で言えば、自民党や連合、農協などの分析となる。サードイメージは国家間の関係や国際システムの観点からの分析ということになる。

 長くなったが、以下のウォルトの論稿では、米中関係の悪化について、サードイメージである国家間の関係と国際システムの観点から分析すべきであって、ファーストイメージとセカンドイメージの分析ではうまくいかないということを述べている。相手国の指導者の性格や国内の政治機構や経済機構の特殊性を関係悪化の理由にすることは簡単だ。しかし、それではその解決策は「相手国の指導者を排除し、国内システムを変更する」というものになる。米中関係でそれが起きてしまうことは大変に危険なことだ。アメリカも中国も共存が、現在の国際システムの中での、両国にとっての根本的な利益となる。枝葉末節の変更は求めるだろうが、そこを根本にして考えていくということがリアリズムということになる。

(貼り付けはじめ)

米中間の冷戦の唯一の理由を全員が誤解している(Everyone Misunderstands the Reason for the U.S.-China Cold War

―左派はその理由はアメリカの傲慢さであると主張している。右派はその理由は中国の悪意であると主張している。2つとも間違っている。

スティーヴン・M・ウォルト筆

2020年6月30日

『フォーリン・ポリシー』誌

https://foreignpolicy.com/2020/06/30/china-united-states-new-cold-war-foreign-policy/

アメリカはここ最近大きく分裂している。しかし、中国が大きな問題だという主張にはほぼ全員が同意しているように見える。トランプ政権は発足一日目から貿易問題について中国と争っている。また、2017年に発表した「国家安全保障戦略」で、中国を「修正主義の大国(revisionist power)」とし、戦略上の主要なライヴァルと規定した。(ドナルド・トランプ大統領は、自分の再選を支援するならば、中国政府にフリーパスを与えようとしているように見える。しかし、それは彼自身の毒舌の表れであり、政権の他の政策と矛盾している。)

民主党の大統領選挙候補者に内定しているジョー・バイデンは、2019年の選挙戦では中国が「我々の昼食を食べる(eat our lunch 訳者註:自分たちの利益を奪う)」ことになるのではないかという懸念を軽視してスタートしたかもしれないが、彼の選挙運動は時間の経過とともにますますタカ派的になっている。

驚くべきことではないが、ジョシュ・ホウリーとマット・ゲイツのような共和党所属の強硬派の連邦議員たちは警告を発している。一方、進歩主義派と穏健派は「新しい冷戦(new cold war)」に警告を発し、米中関係を管理するために新たな対話が必要だと主張している。強硬派、進歩主義派と穏健派がそれぞれ異なった処方箋を主張しているが、全てのグループは、米中関係は極めて重要だと考えている。

残念ながら、米中対立の議論も、支配的イデオロギー、国内制度、特定の指導者の人格など、相手の内的特徴に起因するという、よくある傾向に陥っている。このような傾向は、アメリカでも長い歴史を持っている。第一次世界大戦ではドイツの軍国主義をアメリカが倒し、世界を民主主義のために安全にするために参戦し、その後第二次世界大戦においてファシズムを倒すためにアメリカは戦った。冷戦初期、ジョージ・ケナンの悪名高い「X論文」(「ソ連の行動の源泉」)は、モスクワには執拗かつ内発的な拡大衝動があり、共産党の権威主義的支配を正当化するために外敵を必要とすることによって駆動されていると論じた。宥和政策は通用せず、ソ連の内部体制が「穏健になるまで」封じ込めるしかない、とケナンは主張した。最近では、アメリカの指導者たちは、イラクの問題をサダム・フセインの無謀な悪の野望のせいだとし、イランの指導者たちをイデオロギー的信念だけで外交政策を行う不合理な宗教的狂信者だと定義した。

これらの紛争は、いずれも敵対者の基本的な性質から生じたものであり、彼らが置かれた状況や国際政治そのものの本質的な競争原理から生じたものではない。

そして、現在の中国についても同様だ。HR・マクマスター前国家安全保障問題担当大統領補佐官は、中国が脅威だと主張している。その理由について、「中国の指導者たちは、民主的統治と自由市場経済に代わるものとして、閉鎖的で権威主義的なモデルを推進しているからだ」と述べている。マイク・ポンペオ国務長官はマクマスターの意見に同意している。ポンぺオの見解では、関係が悪化したのは「10年前とは違う中国共産党になってしまったから」だということだ。現在の中国共産党は、西側の思想、民主政治体制、価値観を破壊することに熱心な共産党だ」と述べている。マルコ・ルビオ連邦上院議員は次のように述べている。「中国共産党の権力は、党の支配を強化し、その影響力を世界に広げること以外には何の役にも立たない。中国は、それが国民国家のプロジェクトであれ、産業分野における能力であれ、金融統合であれ、いかなる努力においても信頼できないパートナーである」。マイク・ペンス副大統領は、米中間の衝突を回避する唯一の方法は、中国の支配者たちが「軌道修正し、“改革と開放(reform and opening)”とより大きな自由を求める精神に立ち返ることだ」と述べた。

オーストラリアのケビン・ラッド元首相など、より洗練されたチャイナ・ウォッチャーたちでさえ、中国の主張の攻撃手無し性の強化について、その理由のほとんどを習近平主席の権力集中に起因するとしている。ラッドは中国の行動を「中国が持つシステム特有の漸進的官僚主義に焦り、国際社会がリラックスして快適に、徹底的に慣れてしまった習近平の個人的指導気質の表現」であると見ている。つまり、中国の指導者が違えば、もっと深刻な問題にはならないという意味である。同様に、ティモシー・ガートン・アッシュは、「この新しい冷戦の主な原因は、2012年以降、習近平の下で中国共産党指導部が採用してきた方向性、すなわち、国内ではより抑圧的に、国外ではより攻撃的になったことだ」と考えている。また、ナショナリズムの高まりも、自然発生的なものであれ、政府主導のものであれ、中国の外交政策が強まる重要な要因であると指摘する人々も存在する。

国際関係論を専門とする学者たちは、故ケネス・ウォルツが考え出したカテゴリーに基づき、こうした説明を「ユニットレヴェル(unit-level)」、「還元主義(reductionist)」、「セカンドイメージ(second-image)」など様々な言葉で呼んでいる。この理論には多くのヴァリエーションがあるが、いずれもある国の外交行動を主としてその国が持つ内部の特性の結果として捉えている。それに従うと、アメリカの外交政策は、その民主政治体制、自由主義的価値観、資本主義的経済秩序に起因するとされるが、これは、他の国家の行動は、その国内体制、支配イデオロギー、「戦略文化(strategic culture)」、指導者の性格に由来するとされるのと同様である。

国内の性質に基づく説明は、非常にシンプルで分かりやすいので魅力的でもある。平和を愛する民主国家群が平和裏に行動するのは、寛容の規範に基づいている(と思われる)からだ。対照的に、侵略者が攻撃的に行動するのは、支配や強制に基づいているか、指導者ができることに制約が少ないからである。

また、他の国家の内部的な特徴に注目することは、紛争の責任を逃れ、他人に責任を負わせることができるため、魅力的である。もし私たちが天使の側にいて、自分たちの政治システムが健全で公正な原則に基づいているならば、問題が起きたとき、それは悪い国や悪い指導者が悪いことをしているからに違いないということになる。この視点は、解決策も提供してくれる。それは、「悪い国や悪い指導者を追い出せてしまえ!」ということだ。また、国際的な問題に直面したとき、国民の支持を得るために相手を非難することは、古くから採用されてきた手法だ。この方法を成功させるには、相手の行動を引き起こしているとされる良くない、ネガティヴな性質を強調することが必要となる。

残念なことだが、紛争の責任の大半を相手国の国内事情に押し付けることもまた危険だ。まず、紛争の主な原因が相手国の体制にある場合、長期的な解決策はその体制を転覆させることである。和解(accommodation)、共存(coexistence)、相互の利益のための広範な協力はほとんどの場合排除される。破滅的な結果を招く可能性がある。競争している国々が相手国の性質それ自体を脅威とみなす場合、闘いが唯一の選択肢となる。

ユニットレヴェルの説明を使ってしまうと、米中間の対立を不可避にしているより大きな構造的要因が見落とされるか、軽視されることになる。第一に、国際システムにおいて最も強力な二国は、対立する可能性が圧倒的に高くなる。それぞれが相手にとって最大の潜在的脅威となるため、必然的にお互いを警戒する。自国の核心的利益を脅かす相手国の能力を相当程度まで低下させるためにあらゆる努力を傾ける。相手国が自国より優位に立つことがないことが確実な状況であっても、自国が優位に立つ方法を常に模索する。

仮に可能であったとしても(あるいはリスクを負う価値があったとしても)、アメリカにしても中国にしても、両国の国内の変化によってこうしたインセンティヴがなくなることはないだろう(少なくともすぐにはない)。米中両国は、相手国が自国の安全、繁栄、あるいは国内の生活様式を脅かすような立場になることを避けようと、その技術や成功の程度に差はあるにせよ、努力している。そして、どちらも相手国が将来何をしでかすか分からないからこそ、近年のアメリカの不安定な外交政策方針がよく示しているように、様々な領域で力と影響力を求めて積極的に競争しているのである。

米中関係は、地理的条件と前世紀の遺物に由来する、それぞれの戦略目標の両立しがたい不一致(incompatibility)によって、更に悪化している。アメリカが西半球においてモンロー・ドクトリンを策定し、最終的に実施したのと同じ理由から、中国の指導者たちはできるだけ安全な地域に住みたいと考えていることは十分に理解できることだ。中国政府は、その周辺諸国に対して、一党独裁の国家資本主義体制を押し付ける必要はない。中国政府はただ、近隣諸国全てが自国の利益に配慮することを望み、どの国も自国にとって大きな脅威となることを望まないだけのことだ。その目的のために、アメリカを東アジア地域から追い出して、アジアの軍事力を心配する必要がなくなり、近隣諸国がアメリカの助けを当てにできなくなるようにしたいのだ。この目標は、神秘的でも非合理的でもない。もし、世界で最も強力な国が自国の近くに大規模な軍隊を配置し、多くの近隣諸国と密接な軍事同盟を結んでいたら、どの大国もそれを喜ぶだろうか?

しかしながら、アメリカがアジアに留まる理由は十分にある。ジョン・ミアシャイマーと私が別のところで説明したように、中国がアジアで支配的な地位を確立するのを防ぐことは、中国にもっと自国に近い地域に注意を向けさせ、世界の他の地域(アメリカ自身に近い地域を含む)で中国が力を誇示することを難しくする(もちろん不可能ではないが)ことによって、アメリカの安全を強化することになる。中国が自由化しても、アメリカが中国型の国家資本主義を導入しても、この戦略的論理は変わらない。その結果、残念ながら、ゼロサム型の対立が生まれる。どちらの側も、他方から奪うことなく、自分の欲しいものを手に入れることはできないのだ。

従って、現在の米中対立の根源は、特定の指導者たちや政権のタイプに関係するというよりも、両国が追求する力の配分と特定の戦略に関係するものである。指導者たちの中には、よりリスクを受け入れることができる人、もしくはしにくい人もいる。アメリカ国民は現在、無能なリーダーシップがもたらす害悪をまた痛感させられている。しかし、より重要なことは、新しい指導者の登場や国内の大きな変化があっても、米中関係の本質的な競争力を変えることはできないということである。

この観点からすると、米国の進歩主義派も強硬派も、どちらも間違っていることになる。進歩主義派は、中国はアメリカの利益にとってせいぜい小さな脅威であり、融和と巧みな外交を組み合わせれば、全てではないにしても、ほとんどの摩擦をなくし、新たな冷戦を回避することができると考えている。私は、巧みな外交には賛成だが、それだけでは、主として力の分配に根差した激しい競争を防ぐことはできないと考えている。

トランプ大統領が貿易戦争について語ったように、強硬派は中国との競争は 「いいとこ取りで簡単に勝てる」と考えている。彼らの考えでは、制裁の強化、米中経済のデカップリング、アメリカの国防費の大幅増、志を同じくする民主主義国のアメリカ側への結集が必要であり、最終目標は中国共産党による支配を終わらせることであるとする。このような行動のコストとリスクは別として、この見解は中国の脆弱性を過大評価し、米国のコストを過小評価し、反中国のために結集する十字軍に参加する他の国々の意欲を大幅に誇張している。中国の近隣諸国は、中国に支配されることを望まず、アメリカとの関係を維持することを望んでいる。しかし、米中間の激しい紛争に引きずり込まれることは望んでいない。そして、中国がよりリベラルになったとしても、自国の利益を守ることに関心を持たず、アメリカに対して永続的な劣等感を受け入れるようになると考えることができる理由はほとんど存在しない。

では、この状況をより構造的に捉えた場合、どのようなことが言えるだろうか?

第一に、構造的に捉えた場合、長期的な視点でとらえることを教えてくれる。米中対立は、賢明な戦略や大胆で天才的な一撃をもってしても、一挙に解決できるものではない。

第二に、米中関係は重要なライヴァル同士であり、アメリカは中国に対して真剣な考慮に基づいた方法で行動すべきということだ。野心的な競争相手に対して、素人集団がその担当となったり、国家的な諸課題より個人の課題を優先させる大統領を相手にしたりすることは通常はありえない。そのためには、軍事面に対する賢明な投資が必要なのは確かだが、知識が豊富でよく訓練された官僚群による大規模な外交努力も、同等かそれ以上に重要となる。アメリカがアジア地域で影響力のある国であり続けるためには、地域内の多くの国々からの支持を得なければならない。そのためにはアジア諸国との健全な同盟関係を維持することが重要である。肝心なのは次のようなことだ。アメリカは、そのような関係の維持・管理を、選挙資金の大口提供者や資金集めパーティーの参加者、お調子者などに任せてはならないのである。

第三の、そしておそらく最も重要な点は、米中両国は不必要な衝突を避け、両国の利益が重なる問題(気候変動、新型コロナウイルス感染拡大防止など)での協力を促進するために、ライヴァル関係を衝突にまで至らないように一定の境界内に留めるようにすることに本当のかつ共通の関心を持っているということだ。全てのリスクを排除し、将来の危機を防ぐことはできないが、ワシントンは自国の超えさせない一線(レッドライン)を明確にし、中国のレッドラインについても理解するようにしなければならない。ここで、ユニットレヴェルの要素が重要になってくる。米中ライヴァル関係は今日の国際システムに組み込まれているかもしれないが、それぞれの国がその競争にどう対処するかは、誰が責任者であるか、そして国内制度の質によって決まる。私は、アメリカの指導者と国内制度の質が落ちると決めつけることはしないが、満足することもないであろう。

※スティーヴン・ウォルト:ハーヴァード大学ロバート・アンド・レニー記念国際関係論教授

(貼り付け終わり)

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 古村治彦です。

 

 今回は、アメリカの外交政策雑誌『フォーリン・ポリシー』誌に掲載された、ハーヴァード大学教授スティーヴン・ウォルトの論稿を皆様にご紹介したいと思います。

 

 ウォルトは、アメリカの外交政策の潮流、国際関係論の学派で言えば、リアリズムという流れに属します。リアリズムと対極にあるのがリベラリズム(アイディアリズム)というものです。リアリズムは、自国の国益(国家の生存)を最優先にするが、決して無理なことをしないという考えです。

 

 ウォルトは、アメリカが行ってきた、理想主義的(アイディアリスティック)な外交政策、民主政治体制の拡散、特に軍事介入を行っての政権転覆と民主化に反対しています。今回の論稿では、その理由などについて詳しく分析しています。

 

 ウォルトはオバマ大統領の外交政策に批判的ですが、オバマ自身はリアリストであり、そのような外交政策を展開しました。そして、ウォルトやオバマの考えを読むと、ドナルド・トランプの考えに通じるものがあります。彼らがアメリカ国民から支持されるのは、「アメリカが世界の警察官やら仲裁者、ブローカーをやるのは疲れた。アメリカが外ばかり向いているうちに、国内が疲弊してきた。もうそういう仕事は止めて家に帰ろう」と人々が考えているからだと私は考えています。

 

==========

 

アメリカが外国で民主政治体制確立の促進することがうまくいかないのはどうしてなのだろうか?(Why Is America So Bad at Promoting Democracy in Other Countries?

 

アフガニスタン、イエメン、イランのような国々において、短時間で、お金のかからない、もしくは軍事力を使った方法で、平和をもたらす方法など存在しない。今こそ、私たちはこれまでのやり方を変える時だ。それにはまず国内から始めることだ。

 

スティーヴン・M・ウォルト(Stephen M. Walt)筆

『フォーリン・ポリシー』誌

2016年4月25日

http://foreignpolicy.com/2016/04/25/why-is-america-so-bad-at-promoting-democracy-in-other-countries/?utm_content=buffer8e7d6&utm_medium=social&utm_source=facebook.com&utm_campaign=buffer

 

 あなたが熱心なウィルソン主義者であるなら、これまでの25年間は失望の連続だったはずだ。自由主義的民主政治体制こそがグローバル化する(均一化する)世界における唯一の政治体制として生き残ると考えられてきた。そして、これまでの三つのアメリカの政権はウィルソン主義に基づいた理想を掲げ、民主政治体制の拡散をアメリカの外交政策の根幹に据えてきた。ビル・クリントンは、それを「関与と拡大の国家安全保障戦略(National Security Strategy of Engagement and Enlargement)」と呼んだ。ジョージ・W・ブッシュは第二期目の大統領就任演説の中で、「自由に関するアジェンダ(Freedom Agenda)」と呼び、コンドリーザ・ライスのような政権幹部たちもこの言葉を繰り返し使った。バラク・オバマは、前任者たちに比べてウィルソン主義に対する情熱に欠けるところがある。しかし、オバマは、多くの熱心な自由主義的国際主義者(liberal internationalists)を政権に迎え入れた。そして、「自分たちの指導者を選ぶ権利以上に根本的に重要な権利は存在しない」と高らかに宣言した。オバマは、エジプト、リビア、イエメンなどの国々の民主体制への移行(democratic transition)を公的に支持してきた。

 

 もうすぐ出版となる、ラリー・ダイアモンドとマーク・プラットナーが編集を行った編著書で書かれているように、残念なことであるが、民主政治体制の拡散と促進に向けた努力は実を結んでいない。最近、ミャンマーでは軍事政権による支配が終了した。このようなサクセスストーリーもあるが、それと同じくらい、失敗もあった。その具体例がリビア、イエメン、イラクである。また、民主政治体制の後退がトルコ、ハンガリー、ロシア、ポーランドなどで起きている。また、民主政治体制の機能不全がヨーロッパ連合(EU)とアメリカで起きている。ダイアモンドが編著書の中の自身の記事の中で指摘しているように、過去30年で、世界の民主国家の4分の1近くが崩壊、もしくは後退している。

 

 読者の中には、私のようなリアリストは、ある国の国家体制のタイプや国内の政治機構については関心を持たず、民主政治体制の拡散という目標について冷淡だと考えている人たちもいらっしゃるだろう。しかし、それは誤解だ。リアリストは国家体制のタイプや国内の政治機構について関心を持っている。リアリストの大物ケネス・ウォルツは民主的な体制の違いを比較した本を書いているほどだ。リアリストたちは、非民主的な政権を民主的な政権と同じような方向に動かすには、組織化された圧力などよりも、相対的な国力と安全保障の必要性の方がより重要だと考えているのだ。

 

 従って、リアリストやその他の学派の人々は民主政治体制が良いものだと考えてはいるが、同時に、民主体制への意向に伴う様々な危険について危惧するのだ。安定した民主国家は一般的に見て、より長期にわたる経済成長を記録しているし、基本的な人権を守るという点でもより良い実績を残している。民主政治体制にも欠点はある。しかし、民主政体は、飢饉や準備不足の社会工学(social engineering)的な試みで、人を死なせたことは他の体制に比べて少ない。その理由は、民主政治体制の下では、修正するための情報にアクセスすることが出来るし、政治家や官僚たちも説明責任を果たさねばならないようになっているからだ。民主国家はその他の政治体制国家と戦争を始める傾向にあるが、民主国家同士は戦わない傾向にある。これにはかなり信憑性の高い証拠が揃っている。従って、勢力均衡という点から考えても、世界における民主国家の数が増加することは人類のほとんどにとってより良いことだと私も考えている。

 

 しかし、ここでどうしても1つの疑問が生じる。それは「民主化という目標をどのように達成したらよいのか?」というものだ。

 

 乱暴な言い方になるかもしれないが、私たちは何が全く機能しないか、そしてそれがどうしてなのかについての知識を持っている。民主化にとって役に立たないのは、軍事介入だ。これは別名で「外国による押しつけの体制変更」と呼ばれる。アメリカが軍隊を送り、独裁者と周辺人物たちを追い払い、新しい憲法を作り、選挙を2、3回やれば安定した民主国家が出来上がる、一丁上がり!という考えは、その実現性が疑わしい。この考えがうまくいかないことを示す証拠が山ほどあるのに、多くの賢い人々はこの考えに固執する。

 

 民主政治体制を拡散するために軍事力を使うと失敗するということにはいくつかの理由が存在する。第一に、自由な秩序が定着するには憲法や選挙だけではなく、もっと多くの要素が必要となる。効果的な法体系、多元主義、まともな収入と教育、ある選挙で負けた政党も将来はより良い仕事をするチャンスは持っているという人々の確信、現在の民主的な政治システム内で活動をし続けるという誘因が必要なのだ。自由な秩序が機能し、維持されるためには多くの社会的な要因を適切に配置する必要がある。西洋世界において、機能的な民主政治体制が構築されるまでに数世紀の時間を要した。そして、そのプロセスは論争的で、時に暴力にまで発展することもあった。アメリカの軍事力によって手早くそして安価に海外に民主政治体制を輸出できると考えることは、思い上がりも甚だしいことなのである。私たちは失敗した事例をきちんと思い出さねばならない。

 

 第二に、民主政体を拡散するために軍事力を使うと常に暴力的な抵抗を引き起こしてしまう。ナショナリズムなど個々の国々独自のアイデンティティが現在、世界中で力を保っている。そして、軍備を固めた外国の占領者たちからの命令に従うことを嫌う人々は数多くいる。更に言えば、サダム・フセイン失脚後のスンニ派のように、民主政体への移行によって権力、富、地位を失った人々は、民主化に反対するために武器を取って立ちあがるようになってしまう。これは避けがたいことだ。また、ある国の民主化によって自国の国益が影響を受ける近隣諸国は、民主化を阻止、もしくは退行させようとする。こうした動きは民主政体の確立の戦いにおいてどうしても起きる最後の抵抗である。それは、暴力というものは、機能する政治機構を作り上げ、党派の違いを乗り越えて合意を形成し、寛容の精神を促進し、より活発なそして生産的な経済を生み出す能力を持つ人たちよりも、暴力事態をうまく使える人たちによって効果的に行使されてしまうものだからだ。

 

 もっと悪いことに、外国からの占領者たちは地元の人々に中から適材を選び出すための知識を十分に持っていることはほぼないと言ってよい。また、新たに樹立された政府に対して気前のよい、善意の援助をしても、多くの場合、腐敗を生み出し、その国の政治を予測不可能なものとしてしまう。外国に民主政治体制を樹立することは、巨大な社会工学的プロジェクトなのであり、大国がそれを効果的に行うように期待することは、言ってみれば、地震が頻発する地域に、設計図がない状況で、原子力発電所を作ってくれと依頼するようなものである。民主政治体制の場合も、原子力発電所の場合も、どちらも予想されるのはメルトダウンである。

 

 重要なことは、外国勢力がある国の民主政治体制への移行を行うに当たって、手早くできて、安くあがって、確実に結果を出せる、損な方法は存在しないのだ。特に問題のある国が民主政体の経験をほんの少ししか持ってない、もしくは全く持っていない、そして社会各層の分裂が酷い時には、民主化を簡単に行うための方法は存在しない。

 

 民主政治体制の拡散が望ましいものであるのなら、軍事力はそのための正しい道具とはならない。それでは、正しい道具となるのは何であろうか?私は、2つの大きなアプローチを提案したい。

 

 私たちができることの第一は外交だ。民主政治体制を求める、純粋な、重要な、そして真面目な運動が存在する時、外部の有力なアクターは、前身的な民主政体への移行を促進するためにほんの少しの影響力を行使するだけで良い。「ヴェルヴェット革命」が起きた時の東欧や現在のミャンマーがこの事例に当てはまる。アメリカは、韓国やフィリピンにおいて、首尾一貫した、そして粘り強い、非軍事的な方法(経済制裁など)を用いて、これらの国々の民主化を成功させた。これらの事例においては、民主化運動は長い年月をかけて形成され、力を付けていくのに合わせて、広範な社会層からの支持を得るようになっていった。外交を主とすることでは、軍事侵攻が持つ「ショックと恐怖」のような派手さと興奮は起きないであろう。しかし、かかるお金はより少なく、しかも成功の確率はだいぶ上がるのは間違いないのだ。

 

 私たちにできる第二のことは、より良いお手本となることだ。アメリカの民主政治体制の理想は、アメリカがより公正で、繁栄し、活力のある、寛容な社会であると世界中で考えられるならば、真似しようとする国が次々に現れる。しかし、アメリカ社会は格差が酷く、政治指導者たちは外国に対する敵愾心剥き出しの言葉遣いをするし、刑務所に貼っている人の数が世界最大で、空港をはじめとする社会資本の質がどんどん低下している、となると、アメリカの理想など誰も真似しようとはしない。数百万の有権者たちが投票ができないようにされている一方で、少数の大富豪や金融会社がその数に見合わないほどに大きなそして悪い影響をアメリカ政治に与えているのが現状だ。このような状況では、アメリカの理想は、他国に対してかつてほどのアピール力を持たないようになってしまっている。これは当然の帰結だ。グアンタナモ収容所、少数のテロリスト標的にした殺害方法、アブグレイブ刑務所、国家安全保障庁による行き過ぎた諜報活動、政治家たちに対して間違いを犯した時に責任を取らせないようになっている状況などが加味されると、アメリカというブランドは大いに汚されてしまっているということになる。

 

 まとめると、アメリカは、まずは国内に於ける人々の生活を理想に近づけることが出来れば、海外で民主政治体制を拡散することはできる、ということになる。必要な改革の実行は容易なことではない。私はその実行を容易にするための魔法を知らない。しかし、アメリカ国内を改革することは、アフガニスタン、イエメン、その他10年以上にわたって民主政治体制の確立に失敗してきた国々にしっかりとした民主政治体制を作り上げることよりもかなり容易なことのはずだ。

 

より良いアメリカを作り上げることは、より多くのアメリカ人が豊かな、誇りある、安全な、そして希望に満ちた生活ができるようにすることである。私は夢を見ているだけなのかもしれない。しかし、アメリカ国民の生活を改善することが、外国における民主政治体制拡散にとって最善の途ではないだろうか?

 

(終わり)





 

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アメリカ政治の秘密
古村 治彦
PHP研究所
2012-05-12

 

 リアリストであれば、オバマ大統領に対して、「アサドは権力の座から退かねばならない」とか化学兵器使用について「レッドライン」をひく、などと言わないように助言するだろう。それはバシャール・アル・アサドが擁護されるべき存在であるからでも化学兵器が戦時における正当な武器であるからでもなく、アメリカの重要な国益に関わらないし、何よりもアサドと彼の側近たちはとにかく権力を掌握し続けたいともがいているとことは明らかであったからだ。最重要なことは、人命をできるだけ損なうことなく内戦を速やかに終結させることであり、そのために必要とあれば、暴力的な独裁者とでも取引をするということであった。数年前にオバマ大統領がリアリストの意見に耳を傾けていたら、シリア内戦は多くの人命が失われ、国土が荒廃する前に集結していた可能性は高い。これはあくまで可能性が高いとしか言えないことではある。

 

 言い換えると、リアリストが過去20年のアメリカの外交政策の舵取りをしていれば、アメリカの国力を無駄に使うことになった失敗の数々を避け、成功を収めることが出来たはずだ。こうした主張に疑問を持つ人もいるだろう。しかし、「アメリカは世界の全ての重要な問題に対処する権利、責任、知恵を持っている」と主張した人々や、現在は馬鹿げたことであったとばれてしまっている、アメリカ政府の介入を執拗に主張した人々に比べて、リアリストは外交政策でより良い、まっとうなことを主張してきたことは記録が証明している。

 

 ここで疑問が出てくる。それは「リアリズムの助言は過去25年にわたり、ライヴァルの助言よりも好成績をあげているのに、リアリストの文章は主要なメディアには登場しない。それはどうしてか?」というものだ。

 

 『ニューヨーク・タイムズ』紙、『ワシントン・ポスト』紙、そして『ウォールストリート・ジャーナル』紙の論説ページに定期的に寄稿しているコラムニストについて考えてみる。この3紙はアメリカにおいて最も重要な紙媒体である。この3紙の記事と論説は他のメディアの論調を決定するくらいの力を持っている。それぞれの新聞のコラムニストは、講演を行ったり、他のメディアに出たりしている。そして、政策決定において影響力を行使している。この3紙はリアリストを登場させることはなく、『ワシントン・ポスト』紙と『ウォールストリート・ジャーナル』紙は、国際政治とアメリカの外交政策についてのリアリズム的な考えに対して敵意を持っている。

 

 『ニューヨーク・タイムズ』紙の場合、外交問題に関して定期的に寄稿しているコラムニストのリストを見てみると、ネオコン1名(デイヴィッド・ブルックス)と有名なリベラル介入派(トーマス・フリードマン、ニコラス・クリストフ、ロジャー・コーエン)が存在する。ロス・ドウサットは伝統的保守派に分類される。しかし、彼が国際問題について書くことはほとんどなく、世界各地へのアメリカの介入政策を様々な理由を挙げて声高に擁護している。『ワシントン・ポスト』紙は、4名の強硬なネオコン、論説ページの編集者フレッド・ハイアット、チャールズ・クラウトハマー、ロバート・ケーガン、ジャクソン・ディールを起用している。過去にはウィリアム・クリストルを起用していたこともある。定期的に寄稿しているコラムニストには、ジョージ・W・ブッシュ前政権のスピーチライターだったマーク・ティエッセンとマイケル・ガーソン、極右のブロガーであるジェニファー・ルービン、中道のデイヴィッド・イグナティウスと論争好きのリチャード・コーエンがいる。言うまでもないことだが、この中にリアリストはいないし、彼ら全員が積極的なアメリカの外交政策を支持している。昨年に『ザ・ナショナル・インタレスト』誌に掲載されたある記事の中でジェイムズ・カーデンとジェイコブ・ハイルブランが書いているように、ハイアットは「『ワシントン・ポスト』紙を頭の凝り固まった戦う知識人たちのマイク」に変えてしまい、「アメリカ国内で最もひどい内容の論説ページ」を作っている。

 

 ここで明確にしたいのは、こうしたコラムニストたちに執筆の機会を与えることは正しいことだし、私が名前を挙げた人々の多くの書く内容は一読に値するものである、ということだ。私が間違っていると考えているのは、現在の世界政治に関してより明確なリアリス的な考えを発表する人間が起用されていないということだ。ごくたまにではあるが、3紙も不定期にリアリストに論説ページに記事を書かせている。しかし、リアリスト的なアプローチを持っている人々で定期的に論説を書いて3紙から報酬を得ている人はいない。読者の皆さんは、ほんの数名のリアリストがフォックス、CNN,MSNBCのようなテレビの他に、この『フォーリン・ポリシー』誌や『ナショナル・インタレスト』誌のような特別なメディアに出ていることはご存じだと思う。それ以外の主流のメディアには出られないのだ。

 

 これら3つの主要な大新聞がリアリスト的な観点を恐れているのはどうしてなのだろう?リアリストはいくつかの極めて重要な問題に対してほぼ正しい見方を提供してきた。一方、これらのメディアで発表の機会を得てきたコラムニストたちの意見はほぼ間違っていた。私にはこんなことがどうして起きたのかその理由は分からない。しかし、現役の外交政策専門家は、アメリカをより豊かにそしてより安全にするにはどの政策がいちばんよいのかということを必死になって考えるよりも、空疎な希望や理想を語りたがっているのではないかと私は考えている。そして、アメリカは既に強力で安全なので、アメリカは繰り返し繰り返し非現実的な目的を追求し、素晴らしい意図のためにそのために何も悪くない人々を犠牲者になって苦しむことになってしまっているのだ。

 

私は、メディア大企業を経営しているルパート・マードック、ジェフ・ベソス、サルツバーガー一族に訴えたい。リアリストを雇ってみてはどうか?国際問題について評論や提案をする人々を探しているのなら、ポール・ピラー、チャス・フリーマン・ジュニア、ロバート・ブラックウェル、スティーヴ・クレモンス、マイケル・デシュ、スティーヴ・チャップマン、ジョン・ミアシャイマー、バリー・ポーゼン、アンドリュー・バセヴィッチ、ダニエル・ラリソンを検討してみてはどうか?こうした人々に週一回のコラムを書かせてみてはどうか。そうすることで、読者の人々に対して、国際的な問題について包括的なそしてバランスのとれた意見を提供することができる。私が言いたいことは、「あんたたちはいったい何を怖がっているんだい?」ということだ。

 

(終わり)

野望の中国近現代史
オーヴィル・シェル
ビジネス社
2014-05-23






メルトダウン 金融溶解
トーマス・ウッズ
成甲書房
2009-07-31


 
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