古村治彦(ふるむらはるひこ)の政治情報紹介・分析ブログ

SNSI研究員・愛知大学国際問題研究所客員研究員の古村治彦(ふるむらはるひこ)のブログです。翻訳と評論の分野で活動しています。日常、考えたことを文章にして発表していきたいと思います。古村治彦の経歴などについては、お手数ですが、twitter accountかamazonの著者ページをご覧ください 連絡先は、harryfurumura@gmail.com です。twitter accountは、@Harryfurumura です。よろしくお願いします。

タグ:スティーヴン・M・ウォルト

 古村治彦です。

 2月に入り、事務作業や2023年4月9日に東京・御茶ノ水の全電通労働会館において、副島隆彦の学問道場が主催する定例会の準備も少しずつありでブログの更新頻度がだいぶ落ちまして申し訳ありません。もっと多くの方々にお読みいただくためには更新頻度を上げるのが最善だと思いますが、なかなか難しい状況です。ご理解をいただきまして、ご指導、ご鞭撻を賜りますよう、今後もどうぞよろしくお願いいたします。

 アメリカ外交について皆さんはどのような考えを持っておられるだろうか。ここでは第二次世界大戦後の1946年から現在までについて考えていきたいが、ソ連との二極構造の下、自由主義陣営の旗頭として、ソ連と直接戦争をすることはなかったが、ヨーロッパ、東アジア、中南米といった地域で、ソ連と戦った。影響圏をめぐる戦いだった。社会主義の人気が落ち、社会主義国の生活の苦しさが明らかになるにつれ、共産圏、社会主義圏の敗北ということになり、最終的にはソ連崩壊に至り、冷戦はアメリカの勝利となった。その間には中国とソ連の仲違いを利用して、中国との国交正常化を達成した。アメリカは世界で唯一の超大国となった。日本は先の大戦でアメリカに無残な敗北を喫したが、「反共の防波堤」という役割を与えられ、経済成長に邁進することができた。

 21世紀に入り、2001年の911同時多発テロ事件が起きた。アメリカに対する反撃、ブローバック(blowback)ということになった。アメリカが世界を支配し、管理するまでならまだしも、非民主的な国々、独裁的な国々に対する恣意的な介入(王政や独裁性が良くないというならばどうしてもサウジアラビアや旧ソ連の独裁者が支配する国々の体制転換を行わないのか)を行って、体制転換する(民主政体、法の支配、資本主義、人権擁護などを急進的に実現する)という「理想主義」がアメリカ外交で幅を利かせて、世界の多くの国々が不幸になった。私の考えの根幹はこれだ。共和党のネオコン派(ジョージ・W・ブッシュ政権を牛耳った)、民主党の人道的介入主義派(バラク・オバマ政権第一期やジョー・バイデン政権を主導する、ヒラリー・クリントンを頭目とする人々)は、「理想主義」である。彼らの源流は世界革命を志向したトロツキー主義者である。彼らは世代を超えて、世界を理想的な「民主的な国々の集まり」にしようとしている。こうしたことは拙著『アメリカ政治の秘密』で詳しく分析している。

 イラク、アフガニスタン、アラブの春などでアメリカの外交は失敗した。こうした失敗をアメリカ外交の別の潮流であるリアリズムから見れば当然のことということになる。アメリカが普通の国であればそもそも介入主義など発生しないだろう。世界帝国、超大国であるために、介入できるだけの力(パワー)を持ってしまうのである。経済力も考えれば、世界を牛耳りたいと思うのもまた当然だし、それでうまくいっていたことも事実だ。しかし、アメリカの力が強かったことがアメリカの不幸の始まりであったとも言えるだろう。「外国のことなんてどうでもよいじゃないか、自分たちの国の中で穏やかに暮らせればよいではないか」という考えを持つ人々も多くいるが、彼らの考えはワシントン政治には反映されなかった。一般国民の意思が政治に反映される機会になりそうだったのはドナルド・トランプ政権時代だったがそれもまた逆転された。アメリカはまた不幸な時代を続けていくだろう。そして、世界中が不幸を共有することになる。

(貼り付けはじめ)

アメリカはたとえアメリカ自体が止めたいと望んでも愚かであることは止められないだろう(The United States Couldn’t Stop Being Stupid if It Wanted To

-ワシントンにとって自己抑制は常に矛盾をはらんでいる。

スティーヴン・M・ウォルト筆

2022年12月13日

『フォーリン・ポリシー』誌

https://foreignpolicy.com/2022/12/13/the-united-states-couldnt-stop-being-stupid-if-it-wanted-to/

アメリカの「グローバル・リーダーシップ(global leadership)」を擁護する人々は、アメリカが自らを拡大しすぎ、愚かな政策を追求し、外交政策上の目標を達成できず、公然と掲げる政治原則に反したことを認めることがある。しかし、彼らはそのような行為を残念な異常事態(regrettable aberrations)と考え、米国はこうした、数少ない失敗から学び、将来においてより賢明な行動を取ることができると確信している。例えば、10年前、政治学者のスティーヴン・ブルックス、ジョン・アイケンベリー、ウィリアム・ウォールフォースは、イラク戦争が誤りであったことを認めながらも、「深い関与(deep engagement)」という彼らの好む政策がアメリカの大戦略(grand strategy)として正しい選択であることを主張した。彼らの考えでは、アメリカが良性の世界秩序を維持するために必要なことは、既存の関与を維持し、イラクを再び侵略しないことであった。バラク・オバマ前大統領が好んで言ったように、「愚かな行為(stupid shit)」を止めればいいのだ。

ジョージ・パッカーが最近『アトランティック』誌で発表したアメリカのパワーの擁護は、この使い古された論法の最新版となっている。パッカーは論稿の冒頭で、アメリカ人は「海外での聖戦(foreign crusades)をやりすぎ、そして縮小(retrenchments)をやりすぎ、普通の国なら絶妙なバランスを取ろうとするような間合いを決して取らない」と主張し、明らかに誤った比較をしている。しかし、世界中に700以上の軍事施設を持ち、世界のほとんどの海域に空母戦闘群を配備し、数十カ国と正式な同盟関係を結び、現在ロシアに対する代理戦争、中国に対する経済戦争、アフリカでの対テロ作戦、さらにイラン、キューバ、北朝鮮などの各国政府の弱体化と将来の打倒に向けた果てしない努力をしている国(アメリカ)が、過度の「縮小(retrenchment)」を非難されることはないだろう。パッカーの考える「良いバランス(fine balance)」、つまり、暑すぎず、寒すぎず、ちょうど良い外交政策とは、アメリカが世界のほぼ全域で野心的な目標に取り組むことである。

残念ながら、パッカーをはじめとするアメリカの優位性(U.S. primacy)を擁護する人々は、アメリカのような強力な自由主義国家が外交政策の野心を制限することがいかに困難であるかを過小評価している。私はアメリカのリベラルな価値観を好むが、リベラルな価値観と巨大なパワーの組み合わせは、アメリカがやり過ぎること、むしろやり過ぎないことをほぼ必然としている。もしパッカーが絶妙なバランスを好むのであれば、介入主義的な衝動(interventionist impulse)の方向性についてもっと心配する必要があり、それを抑制しようとする人々についてはあまり心配する必要はないだろう。

なぜアメリカは自制を伴う(with restraint)行動を取ることが難しいのだろうか? 第一の問題は、リベラリズム(1liberalism)そのものだ。リベラリズムは、全ての人間は確固とした自然権[natural rights](例えば「生命、自由、幸福の追求」)を持っているという主張から始まる。リベラリズムを信奉する人々にとって、政治的課題の核心は、我々を互いから守るのに十分なほど強力でありながら、同時に人々の権利を奪うほどには強力ではなく、チェックされる政治制度(political institutions)を作り出すことである。リベラルな国家は、政治権力の分割、選挙を通しての指導者の責任追求、法の支配、思想・言論・結社の自由の保護、寛容の規範の重視によって、不完全ながらもこのバランス感覚を獲得している。従って、真のリベラル派にとって、唯一の合法的な政府とは、これらの特徴を持ち、それを用いて各市民の自然権を保護する政府なのだ。

しかし、これらの原則は、全ての人間が同一の権利を有するという主張から始まっているため、リベラリズムは、単一の国家や人類の一部分にさえも限定することができず、その前提に一貫性を保つことができない。アメリカ人、デンマーク人、オーストラリア人、スペイン人、韓国人には権利があるが、ベラルーシ、ロシア、イラン、中国、サウジアラビア、ヨルダン川西岸地区、その他多くの場所に住んでいる人々には権利がない、と宣言できる真のリベラル派は存在しない。このため、自由主義国家はジョン・ミアシャイマーが言うところの「十字軍の衝動(crusader impulse)」、つまり、パワーの許す限り自由主義原則を広めたいという願望に強く傾く。ところで、マルクス・レーニン主義であれ、全人類を特定の信仰の支配下に置くことを使命とする様々な宗教運動であれ、他の様々な普遍主義的イデオロギー(universalist ideologies)にも同じ問題を持っている。ある国とその指導者が、自分たちの理想が社会を組織し、統治するための唯一の適切な方法であると心から信じている場合、その理想を受け入れるように他者を説得し、強制しようとする。少なくとも、そうすれば、異なる考えを持つ人々との摩擦(friction)は避けられない。

第二に、アメリカは強大なパワーを有しているため、自制して行動することが困難である。1960年代、連邦上院軍事委員会の委員長を務めたリチャード・B・ラッセル元連邦上院議員は、「もし私たちがどこに行っても、何をするのも簡単ならば、私たちは常にどこかに行き、何かをすることになるだろう」と述べている。世界のほぼ全域で問題が発生した場合、アメリカは常にそれに対して何かしようとすることができる。弱い国家は同じ自由度を持たず、したがって同じ誘惑に直面することもない。ニュージーランドは健全な自由民主国家であり、多くの立派な資質を備えているが、ロシアのウクライナ侵攻、イランの核開発、中国の南シナ海での侵略に対してニュージーランドが率先して対処するとは誰も考えない。

対照的に、米大統領執務室に座る人は、問題が発生した時、あるいは好機が訪れた時に、多くの選択肢を手にすることができる。米大統領は、制裁(sanctions)を科す、封鎖(blockade)を命じ、武力行使の脅し(あるいは直接の武力行使)を発し、その他多くの行動を取ることができ、しかもほとんどの場合、アメリカを、少なくとも短期的には、深刻な危険に晒すことはない。このような状況下で、行動の誘惑に抗することは極めて困難である。特に、いかなる自制的行動も意志の欠如、宥和的行動(act of appeasement)、アメリカの信頼性への致命的打撃として非難する批判者の大群が控えている場合、なおさらである。

第三に、米国は70年以上にわたって世界のパワーの頂点に君臨してきたため、現在、その卓越した世界的役割を維持することに既得権(vested interests)を持つ官僚や企業の強力な勢力が存在している。ドワイト・アイゼンハワー元米大統領が1961年の大統領退任演説で警告したように、第二次世界大戦と冷戦初期の強力な「軍産複合体(military-industrial complex)」の出現は、アメリカの外交政策をより軍事的で介入的な方向に永久に歪曲させる重大な進展があった。その影響は、特に外交政策シンクタンクの世界において顕著であり、その大部分はアメリカの関与を促進し、アメリカ中心の世界秩序(U.S.-centered world order)を擁護することに専念している。その結果、数年前にザック・ボーチャンプが指摘したように、「ワシントンの外交政策の議論は、ほとんどが中道と右派の間で行われる傾向にある。問題は、アメリカがまったく武力を行使しないかどうかよりも、どの程度武力を行使すべきなのかということである」ということである。

第四に、以前にも述べたように、リベラルなアメリカは、他の多くの国にはない方法で外国の影響にオープンである。外国政府は、ワシントン内部、特に連邦議会で自分たちの主張を通すためにロビー活動会社を雇うことができるし、場合によっては自分たちのために行動を起こすよう圧力をかけてくれる国内団体に頼ることもできる。また、アメリカの大義(cause)を推進するシンクタンクに多額の寄付をしたり、外国の指導者がアメリカの有力な出版物に論説や記事を掲載し、エリートや大衆の意見に揺さぶりをかけたりすることも可能である。もちろん、このような努力は常に成功するわけではないが、正味の効果は、アメリカの行動を減らすのではなく、むしろ増やすように促す傾向がある。

更に言えば、アメリカが新しい同盟諸国、「パートナー」、「特別な関係(special relationship)」を加えるたびに、アメリカの耳元でささやく外国の声の数は増えている。かつて、アメリカの対ヨーロッパ政策を形成しようとするNATOの同盟国は11カ国だったが、現在は29カ国である。これらの国の中には集団防衛(collective defense)に多大な資源を提供している国もあるが、その他の国の中には弱く脆弱で、対等なパートナーというよりは保護国(protectorates)と見るのが適切であろう国も存在する。当然のことながら、これらの国々は、アメリカが公約を守り、自国を保護するよう声高に主張し、グローバルパワーとしてのアメリカの信頼性が危険に晒され、より穏やかな世界秩序への希望は、彼らの助言を受けることにかかっていると警告している。多くのクライアント国によれば、アメリカは深く関与すればするほど、更により深く関与し続けなければならない。

誤解しないでいただきたい。私は同盟諸国の懸念を無視したり、彼らの助言を頭ごなしに否定したりすることを主張しているのではない。同盟諸国の指導者たちは、現代の世界規模の諸問題についてしばしば賢明なことを言うし、アメリカが自国内からの助言だけに頼らず、フランスやドイツの警告に耳を傾けていれば、より良い結果になったであろう例を考えるのは簡単だ(イラクについてはどうだろうか?)。しかし、外交政策分野の「エリートたち(Blob)」の多くが持つ介入主義的衝動(interventionist impulse)と、アメリカの保護と援助を望む国々が外交政策に関する議論に熱心に挿入する利己的な助言の間には、依然として不健康な共生が存在し得る。驚くべきことではないのだが、アメリカの海外パートナーは通常、アメリカに自分たちのためにもっとやってもらうことを望み、アメリカが少し手を引くことを勧めることはほとんどない。

このような様々な要素を組み合わせると、なぜアメリカが愚かなことを止めるのが難しいのかが分かるだろう。イデオロギー、パワー、官僚的な勢い、そしてアメリカのパワーを自国の目的のために利用しようとする他国の欲望が相まって、何かをしたいという強力な原因を生み出し、誘惑が生じた時に明確な優先順位を決めてそれを守ることができない。パッカーや他の人々が望んでいると思われる絶妙なバランスを達成するためには、このような傾向を擁護したり強化したりするのではなく、それに対抗するためにもっと多くのことがなされる必要がある。

※スティーヴン・M・ウォルト:『フォーリン・ポリシー』誌コラムニスト。ハーヴァード大学ロバート・アンド・レニー・ベルファー記念国際関係論教授。ツイッターアカウント:@stephenwalt

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(終わり)

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 悪魔のサイバー戦争をバイデン政権が始める
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 古村治彦です。

 以下の論考は、リアリズムの立場から、アメリカの外交政策に関与することになった人たち、具体的には連邦議会議員やそのスタッフたちに対する「アドヴァイス」である。著者ハーヴァード大学スティーヴン・M・ウォルト教授だ。彼のアドヴァイスの要諦は「現実を認識すること」である。それこそがリアリズムの要諦でもある。アメリカ国内の状況、国際社会の状況とアメリカの国際社会における地位について、自分の先入観やこれまでの歴史にこだわるのではなく、現実の世界を直視するということだ。

 アメリカは第二次世界大戦後には世界の超大国となった。ソ連との冷戦で勝利を収め(ソ連が崩壊したがアメリカは繁栄した)、世界で唯一の超大国となった。西洋社会の普遍的な価値観である民主政治体制、人権、資本主義、法の支配の擁護者にして伝道者を自任して、世界中にそれらを拡散することをアメリカの使命・アメリカの運命と心得ていた。「世界の警察官」という異名を奉られ、世界最強のアメリカ軍を各地に派遣して、敵対勢力を駆逐してきた。これが「素晴らしいアメリカ」の「イメージ」である。

 しかし、アメリカの国力は衰退し、中国が追い上げている。アメリカの軍事力の優越は変わっていないが、最近の介入は失敗続きである。アフガニスタンやイラクと言った国々を見れば分かる。ジョー・バイデン政権は対中、対ロシア強硬姿勢を続けている。対ロシアで言えば、ウクライナという対ロシア最前線でアメリカと西洋諸国、NATO加盟諸国が「火遊び」をした結果として、ウクライナ戦争が勃発した。バイデンは、バラク・オバマ政権の副大統領時代からウクライナに関わってきた。

今回ウクライナ戦争が勃発したことで、明らかになったことは、国際社会の分裂線である。西洋諸国(the West)対それ以外の国々(the Rest)の分裂である。沈みゆく先進諸国と勃興する新興諸国という構図である。GDPを見てみても、先進諸国であるアメリカ(第1位)と日本(第3位)は力を落とし、新興諸国である中国(第2位)とインド(第5位)が伸びている。興味深いのはドイツ(第4位)だ。ドイツは西洋諸国に所属しているが、新興諸国との関係も深めている。どちらの側とはっきりと色分けしにくい。そうした中で、ドイツが日本を再逆転して3位に浮上するのではないかという報道が出た(1968年に日本が当時の西ドイツを抜いて世界2位になった)。アメリカが中国に抜かれ、日本がドイツとインドに抜かれるのは時間の問題ということになっている。

 アメリカは「自分たちは特別なのだ、神に選ばれた国なのだ」という「例外主義(exceptionalism)」という「選民思想」を捨てて、より現実を見なければならない。中露と敵対関係を継続することが果たして国益に適うことなのかを考えねばならない。そして、アメリカの下駄の雪である属国日本もまた同様に良く考えておかねばならない。

(貼り付けはじめ)

おめでとう、皆さんは連邦議会のメンバーになりました。それでは聞いて下さい(Congrats, You’re a Member of Congress. Now Listen Up.

-アメリカ立法部の新しいメンバーたちに対してのいくつかの簡潔な外交政策面でのアドヴァイス

スティーヴン・M・ウォルト筆

2023年1月11日

『フォーリン・ポリシー』誌

https://foreignpolicy.com/2023/01/11/congrats-youre-a-member-of-congress-now-listen-up/

アメリカでは新しい連邦議会が開会されている。少し手間取ったが、連邦下院の新議長が選出され、連邦上下両院の新連邦議員86人(共和党48人、民主党38人)も誕生した。このコラムは、彼ら(より正確には実際の仕事をするスタッフたち)のために書いたものだ。

まず、皆さんの多くは国際情勢にそれほど関心がないだろうし、有権者の多くもそうだろう。アメリカの外交政策分野のエスタブリッシュメントたちは、世界を管理するために(そして機会があればリベラルな価値観を広めるために)長時間労働をしているかもしれないが、ほとんどのアメリカ人は、911同時多発テロ事件のような悲劇的な事件の後を除いて、外交政策の問題について無知であり、ほとんど関心を持っていない。世界情勢における「積極的な役割(active role)」を広く浅く支持しているが、ほとんどのアメリカ人は国内の問題の方が重要だと考えている。アメリカは世界で大きな役割を果たし、連邦予算の大部分を外交政策と国家安全保障に割いているにもかかわらず、国民の関心は通常、自国内部や自国に近いところに釘付けになっている。このようなパラドックスが存在する。

私は皆さんに再選の方法を教えるようというのではない。皆さんの方が私よりも票を獲得する方法については詳しいということは既に証明されている。その代わり、私は自分の専門にこだわり、より広い世界とその中でのアメリカの位置づけについて、皆さんが知りたいと考えるだろう、いくつかのことに焦点を当てる。もしあなたが資金調達に参加しなければならず、時間がないのであれば「国際関係学の学位を5分で取得する方法」という私の以前のコラムを読んで欲しい。

ここで、最初によく理解して(wrap your brain around)欲しいことがある。世界におけるアメリカの地位は、かつての地位とは違うということがそれだ。誤解しないで欲しいのは、アメリカは依然として世界で最も強力な国であり、国内外で多くの過ちを犯さない限り、その見通しは明るいということだ。アメリカの軍事力は依然として強大であり(1990年代に見られたような全能感[omnipotent]はないにしても)、アメリカ経済は他の多くの国よりも優越な地位を保ち、世界の金融秩序に不釣り合いな影響力を保持している。アメリカの支援と保護は、かつてほどではないにしても、多くの場所で歓迎されている。

それでは相違点はどこかということになる。1990年代初頭にソヴィエト連邦が崩壊した時、アメリカは前例のないほどの優位な立場(unprecedented position of primacy)にあることを認識した。おそらく、皆さんの多くが職業人生を歩み始めた頃、あるいは政治に関心を持ち始めた頃だと思う。この時代、アメリカは他のどの国よりもはるかに強く、ロシアや中国を含む世界の主要諸国全てと比較的良好な関係を持っていた。ロシアが復活し、中国が急成長を続け、アメリカが愚かな戦争で何兆ドルも浪費するなど、「一極集中の時代(unipolar moment)」がなぜ短かったのか、後世の歴史家が正確に論じることになるだろう。しかし、私たちは再び競争的な大国間関係(competing great towers)と利害関係が高まり(rising stakes)、間違いを犯してしまったら本当に深刻な結果になる世界に戻ってきたことを理解しなければならない。このような世界で効果的に競争するためには、自国の利益を明確に理解し、優先順位を決めてそれを守る能力、そしてアメリカのパワーで何ができ、何ができないかを冷静に認識することが必要である。また、国内の分裂を抑制する(within bounds)ことも重要である。党派的争いは決して良いことではないが、そのレヴェルは私たちが受け入れられないほどに深刻化している。

第二に、他国には他国の利益と目標があり、友好諸国の利益と私たちの利益が常に一致するとは限らないことを認識する必要がある。たとえばインドはインド太平洋地域における有用なパートナーだが、ウクライナ紛争については断固として中立を保ち、今でもロシアの石油とガスを大量に購入している。イスラエルとサウジアラビアはアメリカの長年の同盟国だが、どちらもウクライナを助けるために指一本動かそうとしない。サウジアラビアは最近、中国の習近平国家主席を招いて一連の首脳会談を行った。アメリカは、ロシアの戦力低下とインフレ抑制のために石油生産の削減を避けるようにサウジアラビアに求めたが、サウジアラビアはアメリカの要求を拒絶した。ヨーロッパとアジア地域のアメリカの同盟諸国は、世界第2位の経済大国である中国との経済関係を悪化させる恐れがあるため、中国との「チップ戦争」が賢明なことなのかどうかについて疑問を抱いている。

私のアドヴァイスは次のようなものだ。それは「慣れること」だ。出現しつつある多極化する世界(emerging multipolar world)では、私たちが自国の利益を追求するのと同じように、他の国も自国の利益を追求する。もし、私たちが他国からの支持を望むなら、実際望んでいるのだが、私たちは彼らの利益が何であるかを理解する必要があり、彼らが単に一線に並ぶことを期待しないようにしなければならない。

ここでもう1つ知っておいて欲しいことがある。アメリカは関与しないとか、「自制(restraint)」の大戦略(grand strategy)を採用するとか、アイソレイショニズム(isolationism)に退くとかそんなことはまったくない。その逆なのである。アメリカは今、2つの大国に対して同時に決定的な敗北をもたらそうとしている。ウクライナがロシアに軍事的敗北をもたらすのを助けようとしている。戦争が始まった直後にロイド・オースティン米国防長官が言ったように、「ロシアがウクライナに侵攻したようなことができない程度に弱体化することを望んでいる」のである。同時に、中国に経済的、技術的敗北を与え、中国の台頭を遅らせ、今後数十年にわたりアメリカの支配を維持しようと考えている。世界経済を混乱させたり、台湾への攻撃を誘発したり、中国との経済的な関係を維持したい同盟諸国を混乱させたりすることなく、中国を弱体化させようとしているのである。この戦略が何であれ、それは「縮小(retrenchment)」ではない。

ウクライナ戦争は、軍事力を含むハードパワーが引き続き重要であること、そして国家がそれを不用意に使用すると厄介なことになることも明確に示している。軍事力は、国家を守る最高機関が存在しない現実の世界では残念なことではあるが必要なものである。しかし、その効果を予測しにくい粗雑な手段でもある。ロシアのウラジミール・プーティン大統領の不適切な侵攻は、指導者がいかに誤算(miscalculate)を犯しやすいかを示している。しかし、成功した軍事作戦でさえ、意図しない結果を生み出し、それが解決しようとした本来の問題と同様に、新た田事態に対しての処理が困難になる可能性も出てくる。

この問題に言及したのは、連邦議員、行政府の幹部職員、利益団体のロビイスト、外国の大使、あるいはシンクタンクの権威ある専門家などが、一刻も早く対処しなければならない危機が迫っていると言ってくる可能性があるためだ。彼らは、何もしない無策の危険は重大であり、武力行使のリスクは最小であり、今行動することのメリットは非常に大きいと説得しようとしてくる。そして、彼らが正しいということもかろうじてあり得る。

しかし、私からのアドヴァイスは 「懐疑的(skeptical)になること」である。たくさん質問すべきだ。バックアップの計画はあるのか、計画した作戦が完了した後にどうするつもりなのか、といった質問をしてみて欲しい。反対派や第三者がどのように反応すると考えているのか? その予測の裏にはどのような証拠があるのか? 他の選択肢が検討されたかどうかを厳しく追及して欲しい。彼らの評価の根拠となる情報について質問してみる。予防戦争(preemptive war)は国連憲章(U. N. Charter)の下で違法であり、かつてオットー・フォン・ビスマルクが予防戦争を「死を恐れて自殺すること(committing suicide for fear of death)」に例えたことを思い出して欲しい。最近のアメリカの軍事介入は、最初はうまくいったが、結局は金のかかる泥沼状態(quagmires)に陥ったことを指摘することもできるだろう。彼らがオフィスを去った後、スタッフに頼んで異なる見解を持つ人物たちと連絡を取り、そうした人々の言うことに耳を傾けてほしい。アメリカは実際、非常に安全な国であり、武力行使は最後の手段(last resort)であって、第一に起きるべき衝動(impulse)ではないことを忘れてはならない。アメリカは、好戦的・攻撃的(trigger-happy)に見える時よりも、自制と忍耐(restraint and forbearance)をもって行動する時にこそ、他国からより多くの支持を集めることができるという傾向がある。

もう1つ、心に留めておいて欲しいことがある。それは、私たちは相互依存の世界(interdependent world)に生きている、ということだ。確かにアメリカは依然として世界最大の経済大国であり、他の国々に比べれば対外貿易への依存度ははるかに低い。しかし、「依存度が低い(less dependent)」ということは、他国との経済交流から大きな利益を得られないということではない。保護主義(protectionism)が拡大すれば、アメリカ人はより貧しく、そしてより弱くなる。

同様に重要なことは、自国での愚かな政策(boneheaded policies)が、外国や企業に、そして何百万人ものアメリカ人にとって事態を悪化させるような対応を取らせる可能性があるということだ。連邦議会が国家債務上限(debt ceiling)を引き上げられず、アメリカが債務不履行(default)に陥ったとしても問題ないと同僚が言った時、このことを心に留めておいて欲しい。もし、あなたや同僚議員たちが劇的な景気後退を引き起こす手助けをすれば、一見、安全な議席を持つ現職議員でさえ、職を探す羽目に陥ることになるかもしれないのだ。

新しいオフィスや配属された委員会に慣れたら、緊急性の高いものと本当に重要なものを区別するようにして欲しい。24時間365日のニューズサイクルは残酷な愛人(cruel mistress 訳者註:良い面と悪い面の両方があるという意味)である。また、皆さんは既に再選のことを気にしていることだろう。このような状況下では、その時々の危機に対応する誘惑に抗うことは困難だろう。しかし、危険なのは、私たちの長期的な未来に最も大きな影響を与えるトレンドや関係性を見失ってしまうことだ。

私が言いたいのはこういうことだ。現在、ロシアのウクライナ戦争はより直接的な問題であるが、より長期的な課題としては中国が挙げられる。アメリカの経済的将来と安全保障全体は、クリミアやドンバスを誰が最終的に支配することになるかで決まるものではない。個人的にはキエフであって欲しいが、モスクワになったとしても、アメリカにとってはそれほど重要ではないだろう。重要なのは、アメリカが最も重要な先端技術の分野でリードしているかどうか、アメリカ国内の大学や研究機関が依然として世界の羨望の的であるかどうか、そして平均気温が1.5上昇するか2上昇するか、あるいはそれ以上上昇するかということであろう。もしあなたやあなたの同僚たちが、アメリカがこれらの大きな問題で正しい側に立つのを助けることができれば、あなたは将来の世代に大きな恩恵を与えることになるだろう。

最後に、アメリカが政治的に深く対立していることは、今さら皆さんに言わなくても分かっていることだろう。しかし、連邦議員に就任した以上、世界が皆さん方を見ているということを忘れないで欲しい。自分の住む州や地区では良いが、海外では国のイメージに大きなダメージを与えるようなふざけた態度を取ってはいけない。分極化(polarization)と行き詰まり(gridlock)は、アメリカに残された優位性を維持し、アメリカ人がより安全で豊かな生活を送るための政策を実現することを難しくしてしまう。連邦下院の議場でのささいなしかもふざけたじゃれ合い(あるいはそれ以上のもの!)は、アメリカのブランドを汚すことになる。アメリカの指導者たちは、自国の政治システムがこれほどみすぼらしくそして機能不全(tawdry and dysfunctional)に陥っているというのに、どうして他国にその改善策を指示できるだろうか? アメリカの外交官たちが他国に政府を説得し、アメリカの公約と引き換えに行動を修正させることは、次の選挙後もその公約が守られるかどうか分からない状況では、ほぼ不可能である。民主政治体制国家はこの問題を完全に回避することはできないが、最近この国で見られたような極端な気分の変動(extreme mood swings)は、同盟諸国と協力したり、ライヴァル諸国に対して効果的に対処したりする能力を損なうものだ。

私の主張の内容がナイーヴに聞こえることは承知している。政策の違いを真剣に議論し、党派的な大言壮語(grandstanding)、陰謀論(conspiracy theorizing)、裸の自己顕示欲(naked self-promotion)を否定することを期待するのは、絶望的なまでに理想主義的だ。しかし、皆さんの中から、狭い私利私欲を乗り越え、自分のエゴや役得(perquisites)よりも国家を優先してくれる人が出てくることを期待して、とりあえず言っておきたいことがある。マーク・トウェインがかつて忠告したように、「正しいことをしなさい。正しいことをすれば、一部の人は満足し、残りの人は驚くだろう(Do the right thing. It will gratify some and astonish the rest)」。

※スティーヴン・M・ウォルト:『フォーリン・ポリシー』誌コラムニスト。ハーヴァード大学ロバート・アンド・レニー・ベルファー記念国際関係論教授。

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 古村治彦です。

 世界は問題にあふれている。個人生活から、それぞれの国家、国際社会、国際関係まで、それぞれのレヴェルで様々な問題が存在する。複数の問題が複雑に絡まって、こんがらがって、にっちもさっちもいかない状態に起きることもある。

 以下の論稿の著者スティーヴン・M・ウォルトはまず現代の諸問題(大きな衝撃)を10個挙げている。それらは、(1)ソヴィエト帝国の崩壊、(2)中国の台頭、(3)911テロ攻撃と対テロリズム国際戦争、(4)2008年の金融溶解、(5)アラブの春、(6)世界規模の難民危機、(7)ポピュリズム、(8)新型コロナウイルス、(9)ウクライナでの戦争、(10)気候変動である。これらはメディアの主要なテーマであったし、現在でも主要なテーマになっている。昔の表現を使えば、「新聞の一面記事を飾る」ということになる。

 これらの問題に対処する際に、「一気にできるだけ早く(問題があることは良くないことで許せない)」という理想主義で対処すると大抵失敗する。共産主義革命がよい例だ。革命によって、旧体制が抱える諸問題を一気に解決しようとすると思いもよらなかった新たな問題が起きたり、無理をすることで人々や社会に大きな負担を与えたりすることになる。諸問題に対処するためには、「ゆっくりと堅実に(問題が起きるのは人間や社会が存在する限り仕方がないのだから慎重に対応しよう)」という態度が必要だ。

 何か追われているという感覚がみなぎっている時代に「ゆっくりと堅実に」という態度は非常に難しくなっている。

(貼り付けはじめ)

世界はどれだけの衝撃に耐えられるか?(How Many Shocks Can the World Take?

-私たちはあらゆることがあらゆる場所で一度に起こった時に何が起こるかを目の当たりにしている。

スティーヴン・M・ウォルト筆

2022年10月24日

『フォーリン・ポリシー』誌

https://foreignpolicy.com/2022/10/24/how-many-shocks-can-the-world-take/

このコラムの常連読者の皆さんは、私が警鐘を鳴らすのが好きではないことをご存じだろう。ある外交政策決定がもたらすコストやリスクを心配することはあっても、外交政策の専門家たちが脅威を誇張し、最悪の事態を想定する傾向に対して、私は反発する傾向があるが、いつもそうだという訳ではない。しかし、いつもそうとは限らない。時に、オオカミが本当にドアの前にいて、心配し始める時がある。

今日、私を悩ませているのは、私たちの集団的な対応能力を圧倒するような一連の混乱の中で私たちが生きているのではないかという、歯がゆい不安である。もちろん、世界の政治が完全に静止していることはないが、これほど深刻な衝撃の連続は、長い間、見たことがあない。私たちは人間の知恵が最終的に解決してくれると考えることに慣れている。しかし、政治学者のトーマス・ホーマーディクソンが何年も前に警告したように、解決すべき問題の数があまりにも多く複雑になると、その心強い仮定は当てはまらないかもしれない。

(1)ソヴィエト帝国の崩壊The breakup of the Soviet empire

ソヴィエト連邦の崩壊と東欧のビロード革命(velvet revolutions)は、多くの点で前向きな展開であったが、同時にかなりの不確実性(uncertainty)と不安定性(instability)をもたらし、今日でも反響を呼ぶ政治展開(NATO拡大など)への扉を開いてしまったのだ。アゼルバイジャンとアルメニアの戦争、ユーゴスラビアの崩壊とその後のバルカン戦争、アメリカの不健康な傲慢さの助長、中央アジアの政治の再構築などに直接つながったのである。ソ連の庇護を失ったことで、アフリカ、中東、アメリカ大陸の政府も不安定になり、予測不可能な、そして時には不幸な結果を招いた。歴史は終わったのではなく、別の道を歩んだ。

(2)中国の台頭(China’s rise

アメリカ人は当初、一極(unipolar)の時期は長く続くと考えていたが、ほとんどすぐに新たな大国のライヴァルが出現した。中国の台頭は、おそらく突然の、あるいは予期せぬ衝撃ではないだろうが、それでも極めて急速であり、西側の専門家の多くは、それが何を予兆しているかを見誤っていた。中国はまだアメリカよりかなり弱く、国内外で深刻な逆風(headwinds)に晒されているが、目覚しい経済成長、高まる野心、拡大する軍事力は否定しようがない。また、中国の経済発展は、気候変動を加速させ、世界の労働市場に影響を与え、現在の超グローバリズムに対する反発の引き金にもなっている。その富と力(wealth and power)の増大は中国国民の生活を向上させ、他の人々にも恩恵を与えたが、既存の世界秩序に衝撃を与えていることに変わりはない。

(3)911テロ攻撃と対テロリズム国際戦争(The 9/11 attacks and the global war on terrorism

2001年9月、世界貿易センターを破壊し、米国防総省に被害を与えた同時多発テロは、アメリカの外交政策を一変させ、アメリカは10年以上にわたってテロとの戦いに巻き込まれることになった。この出来事は、アフガニスタンのタリバン打倒と2003年のイラク侵攻に直結し、いわゆる「永遠の戦争(forever wars)」は、結局、あの日失ったものをはるかに上回る血と財をアメリカに浪費させたのである。また、テロとの戦いは中東諸国を不安定にし、意図せずして「イスラム国」のような集団を生み出し、その行動はヨーロッパにおける右翼過激派の台頭を助長した。更に言えば、アメリカ国内政治の軍事化(militarization)と分極化(polarization)、アメリカ国内における右翼過激派の主流化(mainstreaming)を加速させたことは、どう考えても大きな衝撃だった。

(4)2008年の金融溶解(The 2008 financial meltdown

アメリカのサブプライムローン市場の崩壊は、金融パニックを引き起こし、瞬く間に世界中に広がった。ウォール街の「宇宙の支配者(Masters of the Universe)」とされた人々は、他の誰よりも誤りやすい(あるいは腐敗しやすい)ことが判明し、この問題を起こした人々は責任を問われることはなかったが、危機発生前のような威信と権威を伴って発言することはできなかった。ヨーロッパは急激な景気後退(sharp recession)、長引く通貨危機(protracted currency crisis)、10年にわたる苦しい緊縮財政(painful austerity)に見舞われ、ポピュリズム政党に再び政治的な追い風を与えた。中国当局もまた、この危機を欧米の衰退を示す兆候であり、自国の外交政策上の野心を拡大する機会であると考えていた。

(5)アラブの春The Arab Spring

忘れられようとしているが、「アラブの春」は、いくつかの国で政権を倒し、一時は広く民主制度移行(democratic transitions)を期待させ、リビア、イエメン、シリアで現在も続く内戦(civil wars)を引き起こした騒々しい出来事であった。この革命は権威主義的な弾圧(authoritarian crackdowns)(「アラブの冬[Arab Winter]」として知られる)で終わり、改革者たちが獲得した成果のほとんど全てを覆した。ヨーロッパで起きた1848年の革命のように、「近代史が転換できなかった転換点(turning point at which modern history failed to turn)」であった。しかし、それは意思決定者の多くが時間と関心を消費し、多くの高官の評判を落とし、多大な人的被害をもたらした。

(6)世界規模の難民危機The global refugee crisis

国連難民高等弁務官事務所によると、「強制移住者(forcibly displaced)」の数は2001年の約4200万人から、2021年には約9000万人に増加すると言われている。難民の流入は、それ自体、私たちが経験した他の衝撃の結果であるが、それ自体が深刻な影響を及ぼし、この問題は簡単には解決できない。そのため、近年、各国政府や国際機関が対応に苦慮しているもう1つの衝撃となっている。

(7)ポピュリズムが人気になる(Populism becomes popular

2016年は、少なくとも2つの衝撃的な出来事があった。ドナルド・トランプがアメリカの大統領に選ばれ、イギリスがヨーロッパ連合からの離脱に票を投じた。どちらも予想を裏切り、反対派が懸念していた通りの悪い結果となった。トランプは、選挙期間中に現れた通り、腐敗し、気まぐれで、ナルシストで、無能であることが証明されたが、彼の最も厳しい批判者たちでさえ、アメリカの民主政治体制の基盤(foundations of American democracy)を攻撃する彼の意欲を過小評価していた。実際、選挙での敗北から2年以上が経過し、複数の法的問題に直面しているトランプは、アメリカの政治生活に毒を及ぼし続けている。ブレグジットは、イギリスでも同様の影響を及ぼした。EU離脱はイギリス経済に大きなダメージを与えただけでなく(まさに反対派の警告通り)、保守党の現実逃避を加速させ、ボリス・ジョンソン前首相の風刺的で連続的に不正直な行動や、リズ・トラス首相のダウニング街10番地での短い在任期間を完全に破綻させるに至った。世界第6位の経済大国が、このような愚か者の連続によって統治されるのは、誰にとっても良いことではない。

(8)新型コロナウイルス(COVID-19

次はどうなる? 世界的な大流行(パンデミック)はどうだろうか? 専門家は以前から、このような事態は避けられない、世界はそれに対する備えをしていないと警告していたが、そう舌警告はあまりにも的確なものであったことが判明した。少なくとも6億3千万人が感染し(実際の数はもっと多いだろう)、公式の世界死者数は650万人を超え、パンデミックは多くの国々(特に発展途上諸国)の貿易、経済成長、教育成果、雇用に大きな影響を及ぼしている。ワーク・ライフ・パターンは崩壊し、各国政府は自国の経済を救うために緊急対策を講じなければならず、将来の生産性の伸びはほぼ確実に低下し、金融緩和政策とサプライチェインの混乱が相まって、政府や中央銀行が現在その抑制に苦慮している持続的インフレの引き金となった。

(9)ウクライナでの戦争(The war in Ukraine

ロシアのウクライナ侵攻がもたらす影響の全容はまだ分からないが、それは決して些細なことではないだろう。この戦争はウクライナに甚大な損害を与え、武力による領土獲得を禁じた既存の規範を脅かし、ロシア自身の軍事的欠陥を露呈し、ヨーロッパの本格的な再軍備に火をつけ、世界のインフレを悪化させ、核兵器使用の可能性を含むエスカレーションのリスクをここ数十年で見られなかったレヴェルまで高めた。ロシアと欧米諸国の関係は以前から悪化していたが、これが2022年に大規模な戦争につながり、ワシントンやヨーロッパの外交政策課題を支配することになるとはほとんど予想されていなかった。

(10)気候変動(Climate change

これらの出来事の背後には、気候変動という動きの緩慢な衝撃が隠されている。気候変動の影響は、自然災害の悪化、内戦の激化、深刻な被害を受けた地域からの移住の増加として現れている。移住や気温上昇への適応には多大な費用がかかり、温室効果ガス排出削減のための国際協力も進んでいない。つまり、気候変動の規模は、各国政府があまりにも長い間無視してきた衝撃のひとつであり、今後数十年にわたって対処していかなければならないものだ。

この他にも様々な出来事があり、そのうちの1つや2つでもうまく対処するのは容易ではない。このような急激な連続に対処するなど、ほぼ不可能であることははっきりしている。

第一の問題は処理能力(bandwidth)である。あまりにも多くの混乱があまりにも早く発生すると、政治指導者には創造的な解決策を考慮したり、代替案を慎重に検討したりする時間や注意力がなくなってしまう。政治指導者たちは、創造的な解決策を考えたり、代替案を慎重に検討したりする時間や注意力を持てず、ひどい対応をとる可能性が高くなる。また、選択した解決策がどの程度うまく機能しているかを評価する時間も十分になく、誤りを適時に修正することも困難になる。

第二に、資源は有限なので、過去の危機で今必要な資産を使い果たした場合、最新の衝撃に適切に対処することが不可能になる可能性がある。指導者たちが直面する問題が多ければ多いほど、それぞれの問題に注意を払い、必要な資源を提供することは難しくなる。

第三に、連続する衝撃がつながっている場合、ある問題を解決しようとすると、他の問題を悪化させる可能性がある。 例えば、ウクライナ侵攻後、ヨーロッパがロシアから天然ガスを買わなくなったのは良いことだったが、この措置によりエネルギーコストが上昇し(インフレを悪化させ)、天然ガスの代わりに石炭を燃やすと温室効果ガスの排出が増え、気候変動を悪化させることにつながった。ウクライナ支援に注力することは正しいことかもしれないが、中国の台頭がもたらす問題から時間と労力を奪うことになる。中国が軍事力を強化するために西洋の技術を利用することを制限することには、それなりの理由がある。しかし、チップなどの先端技術に輸出規制を課すことは、アメリカの経済成長を損ない、少なくとも短期的には、アメリカ企業の一部に大きな打撃を与えることになる。一度に解決しようとする問題が多ければ多いほど、ある問題への対応で他の問題への取り組みが損なわれる危険性が高くなる。

最後に、指導者たちが極めて幸運であるか、異常に熟練していない限り、複数の衝撃に対処しようとすると、政治システム全体に対する国民の信頼が損なわれる傾向がある。ロシアの攻撃に対するウクライナの人々のように、明確な危機がひとつでも発生すれば、市民は政府のもとに集い、政策の成功によって、担当者は自分たちのしていることを本当に理解しているのだと確信することができるかもしれない。しかし、公務員が誰もが対処できないほどの衝撃に直面し、繰り返し良い結果を出せなかった場合、市民は彼ら(そして彼らが助言を求めている専門家たち)に対する信頼を失うことになる。関連する知識、経験、責任を持つ人々を信頼する代わりに、市民は専門知識を軽視するようになり、権力者共同謀議論(conspiracy theories)やその他の現実逃避(flights from reality)に弱くなる。もちろん、この問題は、責任者が目に見えて不正直で、腐敗し、利己的で、国民から軽蔑されても仕方がないような人物であれば更に悪化してしまう。

この物語にハッピーエンドはない。それで、ただ最後に思うことがある。私たちは、「速く動いて、壊す(move fast and break things)」ことが呪文になっている時代に生きてきた。それは、動きの速いデジタル技術の世界だけに限ったことではない。近年、私たちが経験した衝撃を考えると、今は「ゆっくりとそして堅実に(slow down and fix stuff)」をモットーにした方がいいのだろう。この機会を逃さないようにしたいものだ。

※スティーヴン・M・ウォルト:『フォーリン・ポリシー』誌コラムニスト。ハーヴァード大学ロバート・アンド・レニー・ベルファー記念国際関係論教授。ツイッターアカウント:@stephenwalt

(貼り付け終わり)

(終わり)

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 古村治彦です。

 アメリカの外交を大きく色分けすれば、「介入」と「抑制」となる。介入とは、諸外国が問題を抱えていると判断し、その解決のためにアメリカ政府が干渉をすることである。共和党のネオコン派、民主党の人道的介入主義派が「介入」を推進する勢力である、抑制とは、外国の問題に干渉することを控えることであり、民主、共和両党のリアリズムを信奉する勢力(リアリスト)がその代表的勢力である。バラク・オバマ政権第一期目に関しては少し複雑で、オバマ大統領自身は「ジョージ・HW・ブッシュ(父)大統領の外交姿勢が理想だ」と述べていた。ブッシュ(父)政権の外交政策の舵取りをしたのは、ジェイムズ・ベイカー国務長官であり、彼はリアリストであった。しかし、オバマ政権一期目の国務長官になったのはヒラリー・クリントンだった。「アラブの春」の発生と失敗については拙著『』で書いている。

 アメリカは世界に自分たちのモデルを押し付けるだけの立派なことを国内でしているのか、というのが下記論稿のスティーヴン・M・ウォルトの疑問である。新型コロナウイルス感染拡大に対して、アメリカはうまく対処できなかった。「それはドナルド・トランプ大統領だったからだ」という主張もあるようだが、誰が大統領でも結果はそう変わらなかっただろうというのがウォルトの見解である。

 「自国民にマスクをつけてもらうこともできない政府の言うことを、外国の人々が聞く訳がない」というのがウォルトの主張だ。だから、アメリカが「社会工学的(社会的外科手術的)」に体制転換や国家建設を押し付けてもうまくいくものではないということになる。

 理想主義で物事を推し進める場合、急進的に物事を行い、無理をしてしまって、結局、現実世界を壊してしまうということが起きる。非西洋諸国に、「西洋的価値観が普遍的だ」と言って、何でも押し付けて伝統社会を壊してしまうと、その国が変調をきたしたということはよくあることだ。変化を促すにしても少しずつ、進み具合を見ながら慎重にやっていくという漸進主義こそが成功への近道だ。

 アメリカが体制転換を押し付ける前に、自分たちの体制自体を顧みて、変更すべきは変更するということが出来るようならばまだ希望がある。しかし、それは難しいことだろう。アメリカこそが地上で最高の国という傲慢こそがアメリカの特徴であるから、それが亡くなってしまったらアメリカは存在しえない。しかし、生き残るために変化することが出来なければ結局滅んでいくだけのことだ。We must change to remain the sameという言葉もある。

(貼り付けはじめ)

新型コロナウイルス感染拡大によって体制転換は永久に不可能になるはずだ(The Pandemic Should Kill Regime Change Forever

-もしアメリカが自国のウイルスを止められないなら、他国を支配しよう試み理由はないだろう。

スティーヴン・M・ウォルト筆

2022年7月8日

『フォーリン・ポリシー』誌

https://foreignpolicy.com/2020/07/08/the-pandemic-should-kill-regime-change-forever-coronavirus-iraq-afghanistan-libya/

数週間前に、私は次のようにツイートした。「ウイルス感染拡大を止めるために自国の市民にマスクをつけてもらえるように説得することができない国が外国の政府を転覆させ、内情をよく理解していない社会全体を作り直そうとするなんてできないことだ」。このツイートに対して、私の通常のツイートに比べて、より多くのリツイートがされ、「ライク」がつけられた。通常の修正、支持、皮肉な返信もあった。私のツイートの論理はかなり明確だ。

しかし、外交政策上の厄介な問題に対して、体制転換(regime change)がすぐに解決策になると考えている著名な人々や組織がまだ存在するため、この議論をもう少し詳しく解いてみる価値がある。

まず、国づくり(nation-building)の側面から見てみよう。「永遠の戦争(forever wars)」が長引くにつれ、皆さん方も何か考えたかもしれないが、過去25年間で、外国から押し付けられた体制転換はなぜうまくいかないのか、かなりのことが明らかになった。まず、外国政府を倒すと、それまで存在していた政治制度(これが介入の目標である)が必然的に損なわれるか破壊される。つまり、旧体制(old regime)がなくなった後に秩序を維持するための有効な現地の能力が存在しない。専制君主とその直属の部下を排除し、下級官僚はそのまま残すという限定的な作戦でさえ、権威と後援の系統を解きほぐし、その国を不確実な領域へと突き落とすことになる。

また、体制転換はその定義として、勝者と敗者を生み出すものであり、後者(通常は旧体制下で特権的地位にあった人々)は、その地位の低下に不満を持つ可能性が高い。彼らは権力と富を失うことに抵抗し、かつての地位を取り戻そうと武器を手にする可能性が高い。民族的、宗教的、宗派的、あるいはその他の重大な分裂が存在する社会では、名声、欲望、野心の組み合わせによって、別々のグループが地位と権力を求めて争うようになる。外国勢力や国際テロ組織は、既存の制度の崩壊とその結果もたらされるであろう混乱に乗じて、様々な形で素早く干渉してくる。

これに対し、最初に介入した国はその国を占領し、新政府が樹立されるまでの間、自国の軍隊を使って秩序を保たなければならなくなる可能性が高い。しかし残念なことに、外国軍の大規模な駐留は、現地の反感を買い、より暴力的な抵抗を助長する。また、このような事態は介入国からある程度離れた国で起こることが多く、高度な輸送システムがない場合もあるため、占領軍に食料や物資を供給し続けるには莫大な費用がかかる。

現地の習慣や価値観を知らない(ましてや、現地語を話せる職員が一定数存在しない)国家建設者は、重要なポストにふさわしい指導者を選ぶことも、現地住民の目にかなうような新しい制度を設計することもできないだろう。経済発展のために現地の制度やインフラを整備しようとすれば、必然的に汚職(corruption)を助長し、予期せぬ大きな結果を生むことになる。

まとめると次のようになる。体制転換と国家建設は、たとえ最良の状況にあっても、非常に複雑な社会工学的行為(act of social engineering)である。要するに、介入する権力者は、背景が異なる何百万人もの人々に、政治や社会に関する核となる信念や規範を変えさせ、根本的な行動を変えさせようとすることになる。外国による体制転換を成功させるためには、大規模でありながら繊細で、知識を蓄え訓練を積んだ人々によって行われる取り組みが必要である。また、費用と時間がかかるため、自国での継続的な政治的支援も必要であろう。そして、運も必要だ。

言うまでもなく、これらの特徴は、アメリカの最近の不運な出来事には全て欠けていた。対反乱作戦理論(counterinsurgency theory)や「心をつかむ(winning hearts and minds)」ことに注目が集まっていたにもかかわらず、アメリカの取り組みは依然として圧倒的に物理作戦(kinetic operations)と「ハードパワー(hard power)」に依存していた。アメリカ国内では、右派の支持者たちやシンクタンクが、アメリカはこのまま行けば成功すると主張し続けた。しかし、政府関係者たちにすれば、決して成功の確信があった訳ではなく、国民に疑念を抱かせないようにし、問題を先送りしてきた(kicked the can down the road)ことを、私たちは現在知っている。

体制転換や国家建設に関するアメリカの不幸な記録は決して特別なものではない。ナショナリズムが世界中に広がって以来、どの大国も帝国(公式、非公式を問わず)を運営したり、遠い外国の地方政治の行方に口を出したりするのが上手にできなくなった。繰り返すが、問題はこのようなことは、裕福な大国にとってさえ、本当に、本当に困難なことである。

ここで、新型コロナウイルスの課題について考えてみよう。特に、人前でマスクを着用させるという一見平凡な課題を考えてみよう。マスクは重量が15キロもある訳ではなく、装着しても痛くなく、位置情報やその他の個人情報を政府やジョージ・ソロス、グーグルに送信することもなく、お金もかからないということを念頭において欲しい。

この場合、アメリカ政府は外国の人々の行動を変えようとしているのではなく、自国の領土で、アメリカが最もよく知っている人々、つまり国民とともに行動している。感染拡大対策には困難な要素も存在するが、基本的な目標は非常に単純で、よく理解されている。感染拡大を食い止めるには、住民の感染率を下げる必要がある。そのためには、人々が社会的距離(social distancing)を取り、マスクを着用し、その他の危険な行動を避けるようにしなければならない。また、ホットスポットを特定し、健康な人から感染者を隔離するための検査と追跡プロセスを確立し、老人ホームなどでは特別な予防措置をとることが有効だ。また、これまで見てきたように、距離を置くことができず、感染の危険性が高い経済や社会の一部を遮断することも必要だ。

これらの対策の中には、広範囲に及び、短・中期的に重大な影響を及ぼすものもあるが、いずれもアメリカ憲法を書き換え、州間の国境を引き直し、政府のあらゆる部門から何千人もの政府関係者を排除し、社会における宗教の役割や女性の地位を再構築し、アメリカ社会の基本的政治価値や社会価値を放棄する必要は全く無いのである。実際、対応が成功すればするほど、感染拡大による長期的な政治的、社会的影響は少なくなる可能性が高い。

私たちは何故そのように知ることができるのか? 外国の介入による体制転換や国家建設とは異なり(誰がやっても成功することはほとんどないが)、多くの国々が新型コロナウイルスへの対応で素晴らしい成果を上げているからだ。ニュージーランドのような比較的小さな国だけでなく、韓国、日本、ベトナム、ドイツ、ギリシャ、その他多くの国々について私は今考えている。

これらの国々に比べれば、ドナルド・トランプ米大統領の責任は重い。「奇跡のように(like a miracle)」ウイルスが消滅すると思い込んでいたために、アメリカの対応は少なくとも1カ月遅れ、ウイルスの拡散を許してしまった。それ以来、政権の混乱した一貫性のない対応、特にトランプ大統領自身がマスクを着用することを拒否し、国をまとめるために叱咤激励することを拒否したことが、事態を限りなく悪化させている。

しかしながら、大統領が違っても、アメリカの対応は必要なものにはほど遠かったかもしれない。右派の評論家や政治家たちは、当初からこの危険を軽視していたが、『ニューヨーク・タイムズ』紙のブレット・スティーヴンス記者のように、トランプ大統領への忠誠心からそうしていた訳ではない。共和党の科学や政治的に不都合な専門家集団に対する敵意は、トランプや新型コロナウイルスに始まったことではなく、むしろそれは共和党のブランドの決定的な部分になっている。彼らは大気物理学者やその他の科学者が気候変動について語るのを聞こうとはしないし、アメリカのイメージ通りにイラクやアフガニスタンを作り変えようとする前に、それを理解する必要があるとは考えなかった。また、新型コロナウイルス感染拡大に対応できる強固な公衆衛生機関を創設して資金を提供しようともせず、外交を国の第一衝動とし、武力行使を最後の手段とする外交政策へのアプローチを採用しようともしない。

アメリカの右派は知識の代わりに、自由をその決定的なテーマとして祭り上げ(もちろん、あなたが女性で中絶を望んでいる場合を除く)、政府の権限のほとんどの要素を本質的に疑わしいものと見なすよう信奉者に奨励している。ニュート・ギングリッチ元連邦下院議長、フォックス・ニューズのロジャー・アイルズ元CEO、ミッチ・マコーネル連邦上院議員をはじめとする多くの人々は、個人の行動が時に他の人々に影響を与えることを国民に思い出させ、例えばアメリカにはスピード違反の禁止法があることを強調する代わりに、主に文化戦争(culture wars)を起こし、彼らの意見と異なる人を悪魔化すること(demonizing)によって、できるだけ多くの不信と分裂を生み出すことを政治の基盤にしてきた。

驚きだ。このような感情は、マスクを着用したり社会的に距離を置いたりすることを要求するルールを、他の人々を危険にさらす憲法上の権利の侵害とみなす、怒れる人々全てを鼓舞しているのである。トランプ大統領がそうであったように(はっきり言えば、彼のこの緊急事態への対処は大失敗だった)、フランクリン・D・ルーズヴェルトやロナルド・レーガンのような優れたコミュニケーターでさえ、この国の分極化(polarization)とそれが育み反映する汚れた情報環境の度合いを考えれば、問題を抱えることになったことだろう。

新型コロナウイルス感染拡大対策は最善の状況においても簡単なことではないが、イラク、アフガニスタン、リビアなど、アメリカ主導の政権交代が行われた国々で安定した民主政治体制を実現することに比べれば、この中心的な仕事ははるかに容易である。だから、自国民にマスクをつけさせることができない国が、外国の人々に自分の命令に従って社会全体を作り直させることができると考え始めてはいけないのである。

もう一つ、このコラムを読んで、もしアメリカがアメリカ人にマスクを付けさせ、新型コロナウイルスを打ち負かす方法を見つけ出すことができれば、自信を持って体制転換ビジネスに戻ることができると結論付けるとしたらそれは的外れだ。体制転換と新型コロナウイルス対策の2つの課題は実際には同じではない。自国の公衆衛生を向上させるという完全に実現可能な目標を達成することができるとしても、アメリカが海外での国家建設というほとんど不可能な課題に取り組むことが可能になる訳ではない。それでも、亜米利加の新型コロナウイルス感染拡大対策の失敗には、時宜を得た警告が含まれている。もしアメリカ政府が、国内では大規模だが比較的簡単な公共政策、たとえば、マスクを着用すべき時に十分な数の人々が着用するように仕向けることができないなら、自国とはまったく異なる社会ではるかに野心的なことを行おうとするのは愚かなことであろう。

※スティーヴン・M・ウォルト:ハーヴァード大学ロバート・アンド・レニー・ベルファー記念国際関係論教授

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 古村治彦です。

 ウクライナ戦争は越年した。最近の動きではロシア側が36時間の一時停戦を発表し、ウクライナは欺瞞だと反発している。ウクライナ軍は停戦中のロシア軍に攻撃を仕掛けて攻勢を強めるという行動に出るのかどうかだが、そうなればロシア軍も反撃ということになるので、停戦は実行不可能となる。しかし、戦わされる両国の兵士たちの本音としては自分が無傷で元気なうちに停戦が実現し、家に帰れるようになれば良いということだろう。

 ウクライナ戦争に関しては戦争当初から停戦を主張する、ウクライナ側に対して疑義を持つといった人々に対して、正義感丸出しで「ロシアの手先」「正義に反する間違った行動を取っている」などと非難されてきた。アメリカでも同様のようだ。

 下のスティーヴン・M・ウォルトの論稿では、「自由主義的介入主義派、悔い改めないネオコンサヴァティヴ派、そしてウクライナに全面協力する進歩主義派の一部」が、「ウクライナが絶対的な善、ロシアが絶対的な悪」という大義名分の下、「抑制外交政策派(restrainers)」を激しく非難してきた。「抑制外交政策派」は「リアリスト」「リアリズム」と言い換えることができる。

 ロシア侵攻の理由、ウクライナとNATOとの関係、ウクライナ国内問題の検討など、冷静になって戦争に結びついた様々な要素について冷静に検討して、そこから何とか停戦の糸口を探すということは、「正義」や「道徳」の視点からすれば、間違って見えるかもしれない。しかし、現実は抽象論ではない。実際に人々が傷つき苦しむ中で、実践的な方法で苦しみを取り除くことが重要なのである。

 勇ましい掛け声で「ロシアをやっつけろ」「プーティンを絞首刑に」などと言って、戦争を煽ることは苦しみを継続させるだけのことである。しかも、武器はふんだんに渡すが、戦うのはウクライナの人々、というのが正義だろうか。自分たちは安全な場所にいて、金儲けができて、戦争映画さながらの「リアル」を目にする。自分たちに危険は及ばないというのは間違っている。

ウォルトは「もし世界が一連の悪の中からより小さな悪を選ぶこと(to choose the lesser evil from a sed of bad choices)を余儀なくされる場合、より市民的で非難が少ない言説がなされるのであれば、政策立案者たちはより幅広い選択肢を検討しやすくなり、ウクライナとそれを現在支えている連合体が正しい判断を下す可能性も高くなるであろう」と書いている。たとえ気に入らなくても、冷静に異なる意見にも耳を傾け、視野と意見の幅を広げることが重要だ。しかし、残念なことではあるが、そのようなことがなかなか困難であることは歴史が証明している。

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いつまでも続く不合理なウクライナ論争(The Perpetually Irrational Ukraine Debate

-戦争に関して自己満足と自虐的な方法で議論が続いている。

スティーヴン・M・ウォルト筆

2022年11月29日

『フォーリン・ポリシー』誌

https://foreignpolicy.com/2022/11/29/the-perpetually-irrational-ukraine-debate/

戦争は不確実なものであり、信頼できる情報も少ないので、ウクライナの戦争がどのように展開されるかは誰にも分からない。また、最適な行動方針が何であるかについても、誰も完全に確信を持つことはできない。理論や予感、信念、希望はそれぞれだが、戦争の最中に水誰が持っている晶玉であってもそれを100%信頼できるはずがない。

このような状況であれば、この問題に対してある種の謙虚さをもって臨み、たとえ自分の考えと異なるものであっても、別の視点からの意見を公平に聞くことができるようになると読者である皆さんは考えるかもしれない。しかし、戦争責任や取るべき行動についての議論は、現代のソーシャルメディアにおける罵り合いの基準からしても、異常に意地悪く、不寛容なものとなっている。私は、どうしてこのようなことが起こるのか、原因を探ってみた。

特に顕著なのは、自由主義的介入主義派、悔い改めないネオコンサヴァティヴ派、そしてウクライナに全面協力する進歩主義派の一部が、紛争の成り立ちや今日取るべき適切な行動に対して何の疑問も抱いていないように見えることである。彼らにとっては、この戦争の責任はロシアのウラジミール・プーティン大統領にあり、過去に犯した唯一の過ちは、ロシアに寛容過ぎる接し方をしたこと、ロシアから石油やガスを過剰に購入したことになる。そして、モスクワの政治体制転換(regime change)、ウクライナ復興のための賠償金、プーティンとその関係者の戦争犯罪裁判を伴うことを理想としている。このような幸福な結果でなければ、侵略に利益をもたらし、抑止力を弱め、現在の世界秩序を危うくすると確信している彼らの唱える経文のような主張は次のようなものだ。「戦争の期間が続く限り必要なことは何でも与える(Whatever it takes for as long as it takes)」。

このグループは、戦争の責任はロシアの大統領に限定されないと考える人々や、これらの(上記の)戦争目的は抽象的には望ましいかもしれないが、許容できるコストとリスクでは達成できそうにないと考える人々に対して、激しい批判を浴びせている。NATOの拡大とそれに関連する諸政策が戦争への道を開くことにつながったと大胆にも示唆する場合、最も可能性の高い結果が交渉による解決であり、遅かれ早かれそこに到達することが望ましいと考える場合、ウクライナ支援に賛成するがその目的は他の利益と比較検討されるべきと考える場合、そうした人々はほぼ間違いなくプーティンの手先(pro-Putin stooge)、弱腰の融和主義者(appeaser)、国内問題優先主義者(isolationist)などと非難されることになる。数週間前、少数の進歩的な米連邦議会議員たちが、外交にもっと力を入れるよう求める、かなり控えめな声明を発表したところ、批判の嵐に晒され、支援者たちからもすぐに拒絶されることになった。これが具体例の一つだ。

戦時中こそまさに、自国の利益と戦略について最も冷静かつ慎重に考えねばならない時だ。残念なことだが、弾丸が飛び交い、罪のない人々が苦しみ、国民の支持を集めることが優先される状況では、冷静さを保つこと(keeping a cool head)は特に困難になる。政府は愛国的な集団思考(groupthink)を奨励し、様々な反体制的な意見(dissident views)を排除するため、少なくとも長い間、ほとんどの戦争で議論の幅が狭まるのがお定まりだ。ウクライナの戦争もその例外ではない。

世論がこれほどまでに熱を帯びている理由の一つには、道徳的な憤りがあり、私もこの立場にはある程度共感している。ロシアがウクライナにやっていることは恐ろしい。人々が怒り、キエフを少しでも支援したいと思い、ロシアの指導者の犯罪を喜んで非難し、加害者に何らかの罰を与えたいと思う気持ちは容易に理解できる。特に、相手が罪のない人々に大きな被害を与えている場合、弱い方(underdog)の味方をするのは感情的に受け入れやすい。このような状況下で、異なる意見を持つ人を「正義感が足りない」と見なし、「敵に共感を持っているに違いない」と結論づける人がいることも理解できる。今の政治状況では、ウクライナを全面支援しない人は、プーティンの味方ということにされてしまうのだ。

しかしながら、道徳的な怒りは政策ではないし、プーティンやロシアへの怒りは、ウクライナや世界にとってどのようなアプローチがベストなのかを教えてくれない。タカ派が正しく、ウクライナが勝利のために必要だと思うものは何でも与えることが最善の行動である可能性もある。しかし、この方法が成功する保証はほとんどない。無意味に戦争を長引かせ、ウクライナの苦しみを増大させ、最終的にはロシアがエスカレートさせ、核兵器を使用するようになるかもしれない。私たちの誰もが、自分たちが支持する政策が期待や希望通りになることを100%確信できる訳ではない。

また、ロシアの現在の行動に対する怒りは、西側諸国の政策が将来の紛争の可能性を高めていると警告した人々を、モスクワの味方とみなすことを正当化するものではない。なぜ悪いことが起きたのかを説明することは、それを正当化したり擁護したりすることではない。また、外交を求めることは(そのような努力が直面する障害を強調しながら)、ウクライナそのものへの関心を欠くことを意味するものでもない。ウクライナを助けたいという気持ちは同じでも、そのための方法は人によって大きく異なる。

ウクライナに関する議論もまた責任回避のために歪められてきた。アメリカの外交政策エスタブリッシュメントたちは間違いを認めたがらない。プーティンに戦争の全責任を負わせることは、NATO拡大推進派がこの悲劇的な出来事においていかなる役割も果たさなかったことを免責する「免罪符(“get out of jail free” card)」となっているである。この違法で破壊的な戦争について、プーティンは明らかに大きな個人的責任を負っている。しかし、もし欧米諸国の先行する行動が彼の決断をより確かなものにしたのなら、欧米諸国の政策立案者たちに罪がないということではない。そうでないと主張することは、歴史と常識(すなわち、強力な同盟が着実に国境に近づいていることに無関心な大国はない)、そしてロシアのエリート(プーティンだけではなく)がNATOとヨーロッパ連合(EU)が行っていることに深く悩み、それを阻止する方法を活発に探していたことを示す長年の証拠の両方を否定することである。

NATO拡大推進派は、プーティンとその仲間はNATOの拡大について懸念を持っておらず、この政策に対する彼らの多くの抗議は、長年の帝国主義的野心を隠す巨大な煙幕(giant smokescreen)にすぎなかったと主張している。プーティンとその仲間たちが本当に恐れていたのは民主政治体制と自由の拡散であり、旧ソ連帝国の復活こそが政権発足当初からの彼らの真の目的だったというのである。しかし、ジャーナリストのブランコ・マルセティッチが示すように、こうした防衛に関する主張は事実と合致しない。しかも、NATO拡大と自由主義的な価値観の普及は、別個の問題ではなかった。ロシアから見れば、NATO拡大、2014年のウクライナとのEU加盟協定、民主化カラー革命に対する欧米諸国の支援は、切れ目のない、ますます心配になるパッケージの一部だった。

西側諸国は、これらの行動がロシアにとって何の脅威にもならず、長期的にはロシアの利益になると考えていたかもしれないが、問題はロシアの指導者がそのように考えていなかったことである。しかし、西側諸国の政策立案者たちは、プーティンと彼のアドヴァイザーたちが憂慮している、現下の状況が変化し続けても、プーティンが反応することはないだろうと単純に考えていた。世界は、民主政体諸国がルールに基づく秩序を拡大し、広大な平和地帯を作り出していると考えていたが、結果は正反対であった。プーティンは誇大妄想的で自信過剰で冷酷だと非難されるべきだが、欧米諸国の政策立案者たちは傲慢で甘く、軽率だと非難されるべきだ。

第三に、戦争はウクライナ人にとって災難だったが、アメリカの自由主義的覇権(U.S. liberal hegemony)の支持者たち、とりわけ外交政策「役立たずのアホ(Blob)」のタカ派は、いくらか元気を取り戻したようだ。欧米諸国の支援によってウクライナがロシア侵略軍を破り、危険な独裁者に恥をかかせることができれば、イラク、アフガニスタン、リビア、シリア、バルカン半島の失敗を記憶の彼方に追いやり、アメリカ主導の自由主義秩序拡大キャンペーンが新たな息吹を得ることができる。役立たずのアホたちがウクライナを勝利の列に並べようと躍起になるのも無理はない。

過去の失敗をバックミラーに収めたいというこの同じ願望は、抑制的な外交政策を主張する人々を疎外しようとする現在進行中の努力と完全に一致する。抑制外交政策派(restrainers)はワシントンではまだ少数派だが、戦争が始まる前にはある程度の支持を集めていた。過去30年間の外交政策の失敗と、トランプ時代の支離滅裂な混乱を考えれば、この展開は驚くには値しない。著名な抑制外交政策派は開戦以来、ロシアの行動を繰り返し批判し、欧米諸国のウクライナ支援を支持してきたが、同時にエスカレーションのリスクを警告し、より柔軟な外交の必要性を強調し、自由主義的な理想を広めようとする不用意な努力がこの悲劇を引き起こしたということを人々に思い起こさせている。しかし、自由主義的な覇権主義の頑強な支持者たちにとっては、こうした考え方は忌むべきものであり、信用を失い、世界規模での米国の力の積極的な行使を回復し救済しなければならない。

ウクライナ人(そして世界中の何百万もの人々)の苦しみに比べれば、外交政策の専門家同士のいさかいなど大したことではない。アメリカの強硬派が、自分たちと意見の異なる相手に対して大げさな攻撃をしかけ、その怒りの対象が反撃してきたとしても、誰か気にする人がいるだろうか? このようなやりとりの参加者は皆、うらやましいほど快適な生活を送っており、ある程度の罵倒には自尊心が耐えられるはずである。このような楽屋話は、本当に重要なことだろうか?

なぜなら、ジョー・バイデン政権は今後数ヶ月あるいは数年の間に厄介な立場に立たされる可能性があるからだ。一方では、戦争に勝つことを公言し、アメリカ兵が戦闘に巻き込まれないことを望んでいるが、国家安全保障機構全体が様々な形でウクライナを助けている。一方、バイデン政権はエスカレーションのリスクを念頭に置いているようで、ロシアとの直接の交戦は望んでいない。また、アメリカ政府関係者の一部には、ウクライナの完全勝利はあり得ず、最終的には取引(deal)が必要になると考えている人たちもいるようだ。

もし、戦争がハリウッド映画のようなハッピーエンドではなく、混乱と失望に満ちた妥協(compromise)に終わったとしたらどうだろうか? ウクライナ戦争はここ数カ月で喜ぶべき進展を遂げたが、それでもこのような不満足な結果になる可能性が最も高いかもしれない。1年後もロシアがウクライナのかなりの領域を支配し、ウクライナはその間に更に被害を受け、プーティンは自らの戦争がロシアに与えた被害にもかかわらず依然としてモスクワを支配し、アメリカのヨーロッパにおける同盟諸国は再び難民の流入を受け入れ、ウクライナ関連の厳しい経済困難に耐えなければならないとしたら、バイデン政権がこの戦争を成功例として取り上げることはますます難しくなるだろう。そうなれば、バイデン政権がこの戦争を成功例として語ることはますます難しくなる。責任追及(finger-pointing)、責任転嫁(blame-casting)、責任回避(blame-avoidance)は、今日の激論に比べれば、穏やかなものに見えてしまうだろう。

残念ながら、このような政治的状況が、各国の指導者たちが遠い国の戦争を継続させることにつながるのだ。たとえ勝利へのもっともらしい道がなくても、十分なことをしていないと非難されるのを避けたいという欲求が、何らかの形でエスカレートさせるか、問題を先送りにする(kick the can down the road)ように仕向けるのだ。忘れているかもしれないが、こうしてアメリカはアフガニスタンに20年近くも駐留することになった。バイデン米大統領とそのチームは、自分たちに多くの余裕を与えていない。キエフへの全面的な支援ではないことが示されると、タカ派の非難の嵐が発生し、彼らの行動の自由度はさらに低下することになる。もし世界が一連の悪の中からより小さな悪を選ぶこと(to choose the lesser evil from a sed of bad choices)を余儀なくされる場合、より市民的で非難が少ない言説がなされるのであれば、政策立案者たちはより幅広い選択肢を検討しやすくなり、ウクライナとそれを現在支えている連合体が正しい判断を下す可能性も高くなるであろう。

※スティーヴン・M・ウォルト:『フォーリン・ポリシー』誌コラムニスト。ハーヴァード大学ロバート・アンド・レニー・ベルファー記念国際関係論教授。ツイッターアカウント:Twitter: @stephenwalt
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