古村治彦です。

 2013年12月10日、南アフリカのネルソン・マンデラ(Nelson Mandela)元大統領の追悼式が行われ、世界各国から現職の指導者たちが参加しました。アメリカからはオバマ大統領をはじめ3人の元大統領、日本からは、皇太子殿下、福田康夫元首相が出席しました。アフリカでは現在、欧米と中国による経済面での勢力争いが行われており、また南アフリカの鉱物資源を巡っても綱引きが行われており、各国の現職指導者が続々と訪問する中、日本の安倍晋三首相は、国会審議における当て振りでお疲れになったようで、南アフリカまでおいでになることはありませんでした。そんなことをしても日本の国益に資することはないとお考えになったのでしょう。

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 この追悼式の最中、オバマ大統領、イギリスのデイヴィッド・キャメロン首相、そして、デンマークのヘレ・トーニング=シュミット首相がスマートフォンで自分たちを自分撮り(英語ではselfieと言います)する姿が見られ、世界中で話題になっています。三人は笑顔でスマートフォンに向かい、写真を撮っていました。オバマ大統領の隣にはミシェル・オバマ大統領夫人(ファーストレディ)が座っていましたが、憮然とした表情をしているのとは好対照でした。以下の新聞記事に詳しい状況が描写されていますのでお読みください。



(新聞記事転載貼り付けはじめ)



●「オバマ氏ら3首脳、マンデラ氏追悼式で「自分撮り」 不適切との声も」



2013年12月11日 MSN産経ニュース

http://topics.jp.msn.com/world/general/article.aspx?articleid=2555050



AFP=時事】米国のバラク・オバマ(Barack Obama)大統領は10日、南アフリカのソウェト(Soweto)で執り行われたネルソン・マンデラ(Nelson Mandela)元大統領の追悼式に出席し、多数の参列者の心を揺り動かす弔辞を述べたが、同日ソーシャルネットワークをにぎわせたのは、オバマ氏がデンマーク、英国の首相と笑顔で撮った「セルフィー(自分撮り写真)」だった――。



 オバマ氏と共にこのセルフィーに収まったのは、デンマークのヘレ・トーニングシュミット(Helle Thorning-Schmidt)、英国のデービッド・キャメロン(David Cameron)の両首相。3首脳は追悼式の会場となった2010年サッカーW杯南アフリカ大会(2010 World Cup)の決勝戦が開催されたスタジアムで並んで腰を下ろし、シュミット首相が中央で自分のスマートフォンを掲げ、オバマ氏がそれを横から支えるようなしぐさで3人そろってにっこりと笑顔を見せている。



 これとは対照的に、オバマ氏の左横に座るミシェル・オバマ(Michelle Obama)米大統領夫人は打ち解けた様子の3首脳には加わらず、5日に95歳で死去した南アフリカの反アパルトヘイトの英雄であるマンデラ元大統領に対し世界の指導者らが追悼の言葉を捧げる演壇の方をじっと見つめていた。



 3首脳がセルフィーを撮る写真を大手国際メディアが紹介すると、すぐさまソーシャルメディア上に広がり、多くの利用者からはこの楽しそうな様子は追悼式の場には不適切ではないかと疑問視する声が上がった。これについて3か国の政府からはコメントは出されていない。



 このセルフィー撮影の瞬間を捉えたAFPのロベルト・シュミット(Roberto Schmidt)カメラマンは、普段非常に管理された環境下でしか目にすることのない政治家の人間らしい姿を見ることは興味深かったとしながらも、この写真が世界にインパクトを与えたために類まれな偉人の功績をたたえる式典の印象がかすんでしまうことを危惧した。



AFP取材班は、父と慕う人物を失った南アフリカ国民の様子を報じようと尽力した。国民の心からの感情を伝えようと約500枚の写真を配信したが、取るに足らないと思われた写真が他のあらゆる写真よりも目立ってしまった」として、「これは、われわれが時に社会全体として、日々の何でもない出来事の方に目を奪われてしまうという残念な事実の反映という気がする」と同カメラマンは語った。



【翻訳編集】AFPBB News



(新聞記事転載貼り付け終わり)



私は、この写真を見て、記事を読んでいくつかのことを考えました。まず、私は、ミシェル・オバマという人物は、夫のバラク・オバマよりも数段立派な人間であるということが分かりました。そして、彼女は黒人女性として、アメリカ社会の偏見と差別に真摯に向き合ってきたのだろうと思いました。



バラク・オバマ大統領はケニアからの留学生である父と、後に人類学者となった白人女性の母の間に生まれました。そして、アメリカ国内では比較的差別が少ないハワイや、外国のインドネシアで育ち、大学も2年生まではカリフォルニア州にあるオキシデンタルカレッジというお坊ちゃん学校でした。バラク・オバマ大統領は、コロンビア大学卒業後、シカゴのサウスサイドで黒人の地位向上のために働いていたということですが、この経歴に嘘はないにしても、その動機は不純なものだったのではないかと疑いたくなります。ハーヴァード大学ロースクールに進学するための手段として考えていたのではとさえ思ってしまいます。



 ミシェル・オバマは、シカゴのサウスサイドに生まれ、父親はシカゴ市の水道局の幹部という家に育ちました。プリンストン大学、ハーヴァード大学ロースクールを卒業し、弁護士となり、バラク・オバマとは彼が法律事務所にインターンとして来たときに、指導教官(メンター)として出会っています。これだけ書くと素っ気ないものですが、シカゴのサウスサイド(貧困と犯罪が占める地域です)に育ちながら、そこからアイヴィーリーグに進学する、しかも女性がということになると、大変なことなのです。そして、ハーヴァード大学のロースクールに進学するとなると、プリンストン大学は、ほぼ「全優」の成績で卒業しなくてはいけません。



 ミシェル・オバマは、自分の夫が、黒人解放の父とも言うべき人物の追悼式で、白人たちと楽しそうに写真を撮っている時、背筋を伸ばし、憮然とした態度で前を向いていました。この態度こそが真剣に黒人差別と向き合ってきた、立派なそして誇り高いアメリカの黒人の態度です。苦労を重ねて、自分の力で這い上がってきた人の姿です。ミシェルはそしてこう思ったでしょう。「なんでこんなバカと結婚してしまったんだろう」と。



 このミシェルの嘆きはおそらくヒラリー・クリントンにも共通するものでしょう。ヒラリーに関するジョークで秀逸なものはやはり、「ある日、クリントン大統領夫妻が車に乗っていた。あるガソリンスタンドを見ると、そこには昔ヒラリーが交際していた男性が働いていた。ビルが、“君がもしあの男と結婚していたら今頃はガソリンスタンドの店員の妻になっていただろうね”と言うと、ヒラリーは“あら、もし私があの人と結婚していたら、今頃、あの人が合衆国大統領になっているわ”と言った」というものです。バラク・オバマが大統領になったのもやはりミシェルの力が大きかったのだろうと思います。



 バラク・オバマ大統領は頭の中で自分のことを「白人」だと思っているのではないかと思います。彼の出自を見ても明らかなように、彼は黒人と白人のハーフであり、差別もそこまで受けなかったであろうし、家も裕福でありました。そこまで社会の矛盾や厳しい差別に直面しなかった人物でありましょう。そして、そうした環境下で育ったために、黒人としてのアイデンティティを育むこともなかったでしょう。そして、高等教育だけは受けているので、頭の中身は白人になったのだと思います。黒人解放の指導者の追悼式で、白人とあのような態度を取ることは、黒人のアイデンティティがあればとてもできないことです。人種のことを今とやかく言うのは時代遅れで、時代錯誤であると思われる方もいると思いますが、そのような意識が持てるところまで時代を進めた偉大な人物の追悼式で、あのような態度を取ることはできないはずです。



 今回の自分撮りで分かったのは、オバマもやはり頭の軽い人物であり、周囲のおぜん立てがなければダメな人物であり、その点ではジョージ・W・ブッシュ前大統領と変わらないと思います。しかし、問題は彼らだけでなく、世界中で(日本も例外ではなく)、人々によって選ばれる指導者たちの質の劣化が進んでいるのではないかということです。彼らは見た目が良く、経歴の立派で、演説も上手です。オバマ大統領のマンデラ氏に対する追悼演説は大きな感動を呼びました。しかし、ただそれだけの人物で、矜持も哲学も持ち合わせていない、操り人形に適した人々であるのだと思います。そして、周囲のおぜん立てでうまくやっているように見せているだけのことなのだと思います。この周囲には経済界、財界、そして官界が含まれます。



 そして、最後にオバマ大統領の自分撮りは、アメリカの劣化と終わりの始まりを端的に示していると考えます。追悼式であのような態度を取るというのは政治指導者や人種と言う以前に、人間としてやってはいけないことです。しかし、そのような判断ができないほどに劣化した人物が大統領になる、というのはアメリカの劣化を示していると私は考えます。そして、そのような人間の道に反したことが行われるのは既にその国が衰退の道に踏み込んだためであろうと私は考えています。



(終わり)

アメリカ政治の秘密
古村 治彦
PHP研究所
2012-05-12