古村治彦(ふるむらはるひこ)の政治情報紹介・分析ブログ

SNSI研究員・愛知大学国際問題研究所客員研究員の古村治彦(ふるむらはるひこ)のブログです。翻訳と評論の分野で活動しています。日常、考えたことを文章にして発表していきたいと思います。古村治彦の経歴などについては、お手数ですが、twitter accountかamazonの著者ページをご覧ください 連絡先は、harryfurumura@gmail.com です。twitter accountは、@Harryfurumura です。よろしくお願いします。

タグ:デモクラシー

 古村治彦です。

 今回は、福祉国家(welfare state)に関する、少し古くて短い論稿をご紹介する。福祉国家とは、人々の生活の安定を図るために、福祉の拡充を行う国家ということで、それまでは、国防や治安維持に重きを置かれていた国家の役割を拡大するということである。1970年代以降、先進諸国を中心に取り入れられてきた考えであるが、現在は、財政赤字や非効率のために評判が悪い。

 下の論稿では、市場万能論では駄目で、国民生活安定のために福祉国家論も必要であり、それが資本主義の生き残りの方策だというものだが、現在、多くの先進諸国で共通の課題となっている高齢化(aging)と移民(immigration)については変革をしなければならないと主張している。高齢者と移民に対する寛大な福祉政策は温めるべきだという主張である。

 現在、世界の中で最も高齢化が進んでいるのが日本だ。日本は「高齢化社会」という段階から更に進んで「高齢社会」となっている。更に言えば、平成の30年間に経済成長もなく、若い世代では、子どもを複数持つことは贅沢、結婚することも躊躇してしまうようになり、少子化も進んでいる。日本の総人口が約1億2600万人、65歳以上の人口は約3600万人で、人口比は約28.4%、75歳以上の人口は1849万人で、人口比は14.7%だ。15歳未満の人口は約1520万人で、人口比は12.1%だ。
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15歳以下の子供たちは同世代の平均の数は108万人となる。65歳から74歳までの人口は1740万人、人口比は13.8%、同世代の平均の数は174万人となる。65歳まで至らずに亡くなった人たちを考えると、現在15歳以下の子供たちと比べると、同世代の人数は2倍ほどあったものと考えられる。日本は急速な少子高齢化が進み、国全体が老衰しているということになる。

 そうした中で、これまでのような高齢者に対する福祉はできない(財源と人手がない)ということになる。日本は現在、団塊の世代(欧米で言えばベイビーブーマーズ[baby boomers])が高齢者となっている。この人たちがどんどん数が少なくなっていっても、今度は団塊ジュニア(アメリカで言えばX世代[X Generations])と呼ばれる人々が高齢者となっていく。高齢者福祉の負担はこれからも半世紀近く続いていくことになる。その間に人口は減り、生産人口も減少していく。日本は人口の面で言えば小国へと変化していく。その調整過程にある。そこで高齢者福祉の漸進的な削減、「自分で老後の資金を準備しましょう、目安は2000万円です」ということになるが、団塊ジュニア世代で果たしてどれほどの人たちが2000万円のお金を用意できるだろうか。

 日本における外国人労働者数は年々増加している。これは生産年齢人口の減少に伴って起きている現象だ。非熟練労働においては、日本人がやりたがらない仕事を外国人、特に発展途上国からの人々が担っているという現実がある。アメリカでも不法移民が安い給料で働くことで、農産物や食料品の価格が安く抑えられているという現実がある。日本ではこれからも外国人労働者の数が増えていく。そうなれば、日本に住み、家族を作るという人たちも増えていく。日本の少子高齢化問題と移民数の増加はリンクしている。
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 こうした中で、外国人労働者や移民に対する日本人の見方は厳しい。受け入れ賛成と反対は拮抗している。また、移民よりも自国民優先をと考える人たちの割合も高い。しかし、これはどこの国においてもそうだ。
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下の論稿にあるように、移民に対する福祉を行うべきではないという極端な考えを持つ人は少ないにしても、過剰な福祉は行うべきではないと考える人は多いだろう。問題は「過剰」の線引きだ。どこまでが適正で、どこからが過剰なのか、日本国民と全く同じ福祉を、国籍や永住権を持たない外国人に与えるべきなのかどうか、ということになる。

 経済格差があまりにも拡大すると、社会に分断と亀裂が起きる。豊かな人たちはより豊かになり、貧しい人たちはより貧しくなるということでは、社会は維持できない。そうなれば、政治において極端な主張を行う勢力が台頭することになる。社会の分断と格差の拡大によって、政治や民主政治体制への失望も拡大していく。ナチスドイツを思い起こす人も多いだろう。資本主義を守り、民主政治体制を守るためには、行き過ぎた格差の是正や強欲資本主義に対する制限が必要となる。下の論稿の主張には首肯できる点が多い。

(貼り付けはじめ)

基本に戻る(Back to basics

資本主義は生き残るために福祉国家を必要としている。しかし、高齢化と移民に対処するために福祉は改革しなければならない。

2018年7月12日

『エコノミスト』誌

https://www.economist.com/leaders/2018/07/12/capitalism-needs-a-welfare-state-to-survive?fsrc=scn/tw/te/bl/ed/capitalismneedsawelfarestatetosurvivebacktobasics

左派と右派両方の神話では、福祉国家(welfare state)は社会主義(socialism)の作品である。しかし、福祉国家の知的伝統は自由主義に最も依存している。イギリス版の福祉国家の設計者であるウィリアム・ベヴァリッジは、国家権力を福祉国家のために使うことを望んでいなかった。重要なことは、あらゆる人たちが自分の好きな人生を歩むことができるように、安心感を与えるということだ。そして、リベラル派の改革者たちは、「創造的破壊(creative destruction)のリスクの一部から人々を守ることで、福祉国家は、自由市場に対する民主的な支持を強化する」と考えていた。

1942年にベヴァリッジが重要な報告書を発表して以来、数十年の間に福祉国家は拡散し、拡大し、複雑になり、そしてしばしば人気を失ってきた。この変化にはさまざまな原因がある。その1つは、福祉国家がその基盤となる自由主義的な原則からしばしば逸脱してきたことだ。この原則を再確認する必要がある。

世界各国はより豊かになれば、公共サーヴィスとベネフィットに国家収入のより高い割合を支出する傾向にある。富裕な国々における年金、失業保険、生活困窮者たちに対する支援のような「社会的保護(social protection)」への支出は、1960年の段階では5%だったが、現在では20%になった。医療や教育への支出を含めると、その割合は約2倍になる。これらの福祉国家の規模の大きさが、改革の十分な理由になるという人々も存在する。

しかし、福祉国家が何をしているかの方が、その規模よりも重要だ。福祉国家は各個人が自身で選択ができるようにすべきだ。スカンジナヴィア諸国で行われている親たちの復職支援やイギリスで行われている障碍者たちが自身のサーヴィスを選択できるパーソナル・べネフィッツ、シンガポールで行われている失業者たちが新しいスキルを身につけるための学習支援を通じて、選択が実行されるべきだ。

誰もが生きていくためには十分な量を手にすることを必要とする。雇用市場で落ちこぼれた人々やギグ・エコノミー(gig economy 訳者註:インターネットを通じて行われる単発の仕事)で働く人々の多くは、生活を営むのに苦労している。貧困層への支援は、残酷で非効率的、父性的で複雑な方法で行われることがあまりにも多い。富裕な国々の一部では、失業者が仕事を始めると、給付金がなくなるために限界税率が80%以上になる。

福祉改革には、制度のコストと、貧困対策への効率化、就労への動機付けとの間にプラスマイナスが生じる。どの制度も完璧ということはない。しかし、基本となるのは負の所得税(negative income tax)であり、これは所得基準以下の労働者には補助金を出し、それ以上の労働者には課税するというものだ。負の所得税は全ての人を対象とする最低収入と結合することができる。これは、税率が高すぎない限り、働くインセンティブを維持しながら貧困をターゲットにする、比較的シンプルで効率的な方法となる。

しかしながら、改革のためには、ベヴァリッジがあまり気にしていなかった2つの課題にも取り組まなければならない。一つ目の問題は高齢化(aging)だ。富裕な国々の現役世代と退職者の比率は、2015年には約41だったのが、2050年には21になると予測されている。また、国が高齢化すると、福祉支出が高齢者に偏るようになる。世代間格差の拡大を緩和するためには、高齢者への最も寛大な給付を削減し、退職年齢を着実に引き上げることが有効な手段となる。

二つ目の問題は移民(immigration)だ。ヨーロッパ全体で、「福祉愛国主義(welfare chauvinism)」が台頭している。福祉愛国主義は、より貧しい国民と自国で生まれた国民に対して手厚い福祉を行うことを支持しているが、移民には及んでいない。ポピュリストたちは、貧しい国から豊かな国へ人々が自由に移民できると、福祉国家が破綻すると主張している。自由主義的な移民政策は、福祉へのアクセスを制限することにかかっていると主張する人々もいる。つまり、物理的な国家ではなく、福祉国家の周りに壁を作るということだ。各種世論調査によると、新たに入国してきた人々から医療や子供のための学校へのアクセスをすぐに奪いたいと思っている、自国生まれのヨーロッパ各国の国民はほとんどいないということだ。しかし、アメリカやデンマークですでに実施されているような、現金給付に対する何らかの制限が必要かもしれない。

ベヴァリッジのようなリベラル派が認識したように、自由市場への支援を確実にする最良の方法は、より多くの人々に自由市場にかかわる利害関係を与えることだ。福祉国家とは、貧しい人々に靴やスープを与えたり、老後の生活を保障したりするだけのものではないと見なければならない。民主主義社会では、福祉国家は資本主義を擁護するためにも重要だ。

(貼り付け終わり)

(終わり)
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ビッグテック5社を解体せよ

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 悪魔のサイバー戦争をバイデン政権が始める
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 古村治彦です。

 

2018年3月19日、ユヴァル・ノア・ハラリは『ニューヨーク・タイムズ』紙の著名なコラムニストであるトーマス・L・フリードマンとロンドンでシンポジウムを行ったそうです。その時の記事が出ていましたのでご紹介します。

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サピエンス全史(上)文明の構造と人類の幸福

 

ハラリが書いた『サピエンス全史』は日本でも大ヒットしましたが、上下2巻もあってなかなか読み通すことはできません。今回のシンポジウムでハラリは人類の未来が決して明るくないということを述べています。

 
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サピエンス全史(下)文明の構造と人類の幸福


人類(ホモ・サピエンス)はその知恵(サピエンス)のために滅んでいくことになるでしょう、ということがハラリの言いたいことなのでしょう。人類は地球上の王者でござい、という顔をして威張っていますが、地球という惑星にとってみれば、突然頭でっかちになって他の種を殺しまくって、支配しまくって、地球を汚しまくってきた迷惑な存在ということになるでしょう。

 

私は人類自体が滅んでしまうのならばそれはそれで仕方がない(生きている間に滅ぶのかどうかは分からない)、地球の「意志」がそこにあるのなら仕方がない、と考えます。滅びの時に生を受けている人類の子孫、後輩の皆さんは恐怖を味わうでしょうから申し訳ないことですが、多くの場合に死とは恐怖を覚えるものでしょうから、そこは申し訳ないが甘受していただくしかありません。

 

暗い話になりましたが、このように考えると、失敗や後悔をしていることでも、自分が背負う以上に背負い込まなくても良いと考えられるようになります。これがハラリの本が受け入れられた時代背景なのではないかと思います。

 アルゴリズム、AI、ビッグデータで民主政治体制が乗っ取られるということは、既に起きています。ケンブリッジ・アナリティカという企業が様々な国の選挙に影響を与えようとしてSNS、特にフェイスブックを使っていたことは既に報道されています。個人の好み、好きな食べ物から政党まで私たちは知らず知らずのうちに個人情報を表に出し、フェイスブックはただで使わせる代わりにそうした情報を企業に提供するということをしています。また、アマゾンでは、「あなたはあの商品をお買いになったのでこれがお好きではないですか」という「提案」的な宣伝がなされます。これも同じことです。私たちを私たち自身よりもより詳しく正確に分析し、影響を与えることが出来る存在が出てきたということで、人類の進む方向はこれまた暗いものとならざるを得ません。

 しかし、こうしたことを頭に入れながら、最悪のことに備える、という姿勢を取ることは、人類普遍(不変)の知恵なのかもしれません。

 

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●ハラリが言いたいこと

・ハラリは「人類は複雑な世界を創造してしまい、もはや起きている現象について理解できないようになっている」と警告を発した。

 

●ハラリが述べていること(記事からの抜粋)

・アルゴリズムと技術によって人類は神のような力を持つ「超人」のような存在にみえるようになっている。

・人工知能と自動化によって「世界規模の役に立たない階級(global useless class)」が生み出される(19世紀の産業革命によって労働者階級が生み出された)。

・破壊的な技術は、大きな進歩をもたらしてくれたが、コントロールができなくなったら破滅的な結果をもたらすことになる。

 

・新しい技術は民主政治体制と自己意識を乗っ取ることになる。

・バイオ技術、IT、アルゴリズムといったものが私たち自身よりも私たちをよりよく理解するようになる。

・私たち自身よりも私たちを理解する外部の存在が出てくれば、20世紀からの自由主義的民主政治体制の形は崩壊する。

・自由主義的民主政治体制は人間の感情を基礎にしている。そして、あなた自身もしくは母親以上にあなたのことを理解している人はいないということを前提にして機能している。アルゴリズムがあなた以上にあなたのことを理解し、こうしたことが起きるということを理解しなければ、自由主義的民主政治体制は操り人形ショーにすぎなくなる。感情を操られてしまう。

 

・技術はグループではなく、個人に対する差別のための新しい道具となるだろう。

・20世紀において差別はあるグループ全体に対して様々な偏見や先入観を基礎にして行われた。差別に対してなくすための行動をとり、なくすことが可能であった。

・私たちは個人に対する差別に直面するだろう。私たちがどのような人間かを判定されて差別される。

・フェイスブックやDNAのような企業を理想とするある企業はアルゴリズムを使って、人々の記録からその人がどんな人間かを判定できるようになる。こうした差別は、その人が少数派に属しているからではなく、その人自身に基づいて差別を行う。これは実際に起きるであろうし、恐ろしいことだ。

 

・人類が何かを決断し、その結果が出るまでに数世紀、数千年かかっていた。

・時間は加速している。長期間という言葉は今や20年ほどの期間のことを指す。

・20年から30年で世界がどのようになっているかが誰にも分からないというのは歴史上初めての経験だ。様々なことがほんの20、30年でどうなっているか分からないということになると、学校で何を教えるべきかが分からない、そんな状況になる。

 

・指導者たちは過去にばかりこだわっている。それは彼らは未来に関する意味のあるヴィジョンを持っていないからだ。

・指導者たちは2050年の人類がどのようになっているかというヴィジョンを持っていないが、過去についてノスタルジックな虚構を生み出している。どれほど昔に戻りたいと考えているかの競争のようだ。

・あらかじめ方向性が決められた歴史がなくなった。

・不可避性をめぐる物語が崩壊した中で私たちは生きている。

・極端な幻滅と困惑の中に私たちは生きている、それは物事がどのように進むか分からないからだ。

・下落傾向と新しい技術に関わる危険なシナリオについて認識することは重要だ。

 

・複雑化し、相互につながる世界において、道徳の再定義が必要となってくる。

・素晴らしい価値観を持つだけでは十分ではなく、因果関係の連鎖を理解しなければ素晴らしい行動を取ることはできない。

 

(貼り付けはじめ)

 

What’s Next for Humanity: Automation, New Morality and a ‘Global Useless Class’

 

By KIMIKO de FREYTAS-TAMURAMARCH 19, 2018

https://www.nytimes.com/2018/03/19/world/europe/yuval-noah-harari-future-tech.html?smid=fb-share

 

Humans, Mr. Harari warned, “have created such a complicated world that we’re no longer able to make sense of what is happening.”

 

LONDON — What will our future look like — not in a century but in a mere two decades?

 

Terrifying, if you’re to believe Yuval Noah Harari, the Israeli historian and author of “Sapiens” and “Homo Deus,” a pair of audacious books that offer a sweeping history of humankind and a forecast of what lies ahead: an age of algorithms and technology that could see us transformed into “super-humans” with godlike qualities.

 

In an event organized by The New York Times and How To Academy, Mr. Harari gave his predictions to the Times columnist Thomas L. Friedman. Humans, he warned, “have created such a complicated world that we’re no longer able to make sense of what is happening.” Here are highlights of the interview.

 

Artificial intelligence and automation will create a ‘global useless class.’

 

Just as the Industrial Revolution created the working class, automation could create a “global useless class,” Mr. Harari said, and the political and social history of the coming decades will revolve around the hopes and fears of this new class. Disruptive technologies, which have helped bring enormous progress, could be disastrous if they get out of hand.

 

Every technology has a good potential and a bad potential,” he said. “Nuclear war is obviously terrible. Nobody wants it. The question is how to prevent it. With disruptive technology the danger is far greater, because it has some wonderful potential. There are a lot of forces pushing us faster and faster to develop these disruptive technologies and it’s very difficult to know in advance what the consequences will be, in terms of community, in terms of relations with people, in terms of politics.”

 

New technologies could hijack democracy, and even our sense of self.

 

The combination of biotech and I.T. might reach a point where it creates systems and algorithms that understand us better than we understand ourselves.

 

Once you have an external outlier that understands you better than you understand yourself, liberal democracy as we have known it for the last century or so is doomed,” Mr. Harari predicted.

 

Liberal democracy trusts in the feelings of human beings, and that worked as long as nobody could understand your feelings better than yourself — or your mother,” he said. “But if there is an algorithm that understands you better than your mother and you don’t even understand that this is happening, then liberal democracy will become an emotional puppet show,” he added. “What happens if your heart is a foreign agent, a double agent serving somebody else, who knows how to press your emotional buttons, who knows how to make you angry, how to make you bold, how to make you joyful? This is the kind of threat we’re beginning to see emerging today, for example in elections and referendum.”

 

Technology will be a new tool for discrimination — not against groups but individuals.

 

In the 20th century, discrimination was used against entire groups based on various biases. It was fixable, however, because those biases were not true and victims could join together and take political action. But in the coming years and decades, Mr. Harari said, “we will face individual discrimination, and it might actually be based on a good assessment on who you are.”

 

If algorithms employed by a company look up your Facebook profile or DNA, trawl through school and professional records, they could figure out pretty accurately who you are. “You will not be able to do anything about this discrimination first of all because it’s just you,” Mr. Harari said. “They don’t discriminate against your being because you’re Jewish or gay, but because you’re you. And the worst thing is that it will be true. It sounds funny, but it’s terrible.”

 

Time is ‘accelerating.’

 

It took centuries, even thousands of years, for us to reap the rewards of decisions made by our forebears, for example, growing wheat that led to the agricultural revolution. Not anymore.

 

 Time is accelerating,” Mr. Harari said. The long term may no longer be defined in centuries or millenniums — but in terms of 20 years. “It’s the first time in history when we’ll have no idea how human society will be like in a couple of decades,” he said.

 

 We’re in an unprecedented situation in history in the sense that nobody knows what the basics about how the world will look like in 20 or 30 years. Not just the basics of geopolitics but what the job market would look like, what kind of skills people will need, what family structures will look like, what gender relations will look like. This means that for the first time in history we have no idea what to teach in schools.”

 

Leaders focus on the past because they lack a meaningful vision of the future.

 

Leaders and political parties are still stuck in the 20th century, in the ideological battles pitting the right against the left, capitalism versus socialism. They don’t even have realistic ideas of what the job market looks like in a mere two decades, Mr. Harari said, “because they can’t see.”

 

Instead of formulating meaningful visions for where humankind will be in 2050, they repackage nostalgic fantasies about the past,” he said. “And there’s a kind of competition: who can look back further. Trump wants to go back to the 1950s; Putin basically wants to go back to the Czarist Empire, and you have the Islamic State that wants to go back to seventh-century Arabia. Israel — they beat everybody. They want to go back 2,500 years to the age of the Bible, so we win. We have the longest-term vision backwards.”

 

●‘There is no predetermined history.’

 

We’re now living with the collapse of the last story of inevitability,” he said. The 1990s weres flush with ideas that history was over, that the great ideological battle of the 20th century was won by liberal democracy and free-market capitalism.

 

This now seems extremely naïve, he said. “The moment we are in now is a moment of extreme disillusionment and bewilderment because we have no idea where things will go from here. It’s very important to be aware of the downside, of the dangerous scenarios of new technologies. The corporations, the engineers, the people in labs naturally focus on the enormous benefits that these technologies might bring us, and it falls to historians, to philosophers and social scientists who think about all of the ways that things could go wrong.”

 

In a complex, interconnected world, morality needs to be redefined.

 

To act well, it’s not enough to have good values,” Mr. Harari said. “You have to understand the chains of causes and effects.”

 

Stealing, for example, has become so complicated in today’s world. Back in biblical times, Mr. Harari said, if you were stealing, you were aware of your actions and their consequences on your victim. But theft today could entail investing — even unwittingly — in a very profitable but unethical corporation that damages the environment and employs an army of lawyers and lobbyists to protect itself from lawsuits and regulations.

 

Am I guilty of stealing a river?” asked Mr. Harari, continuing his example. “Even if I’m aware, I don’t know how the corporation makes its money. It will take me months and even years to find out what my money is doing. And during that time I’ll be guilty of so many crimes, which I would know nothing about.”

 

The problem, he said, is understanding the “extremely complicated chains of cause and effect” in the world. “My fear is that homo sapiens are not just up to it. We have created such a complicated world that we’re no longer able to make sense of what is happening.”

 

(貼り付け終わり)


※私の仲間である石井利明さんのデビュー作『福澤諭吉フリーメイソン論』が2018年4月16日に刊行されます。大変充実した内容になっています。よろしくお願いいたします。

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(仮)福澤諭吉 フリーメイソン論

 

(終わり)


アメリカ政治の秘密日本人が知らない世界支配の構造【電子書籍】[ 古村治彦 ]

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 古村治彦です。

 

 今回は、アメリカの政府機関である米国国際開発庁(USAID)についての記事をご紹介します。USAIDについては、拙著『アメリカ政治の秘密』(PHP研究所、2012年)で詳しく書きましたが、アメリカの外国介入の尖兵です。


 今回の記事の主張は、
USAIDの目的をはっきりさせろ、それは、外国に行って、政府機関を作ったり、改善したりすることだ、というものです。USAIDは現在、衛生や教育、人権などの改善のために、世界100カ国近くで活動しています。しかし、そうしたものは、他の省庁や機関に任せて、USAIDは、世界各国の政府機関の創設や改善に特化しろと言うのです。

 この主張は、ヒラリー・クリントンが大統領になったら、実際に行われることになるでしょう。現在でも国務省やUSAID内部には、人道的介入主義派がたくさんいるのですから。

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USAIDの本部 

 
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 これは恐ろしいことです。1930年代の日本と満洲国の関係を考えてみてください。満洲国は、清帝国最後の皇帝であった溥儀を執政(後に皇帝)にして誕生しました。独立国ですが、政府機関は日本が作り、日本の官僚たちが実権を握りました。また、関東軍司令官が駐満日本大使を兼務し、定期的に溥儀と面会し、日本の意向を伝え、強制しました。これは「内面指導」と呼ばれます。満洲国の事例を考えると、論稿の著者たちがUSAIDにやれ、と言っているのは、この内面指導のような形の「外国支配」の基礎を作れ、というものです。これは、実際に政府機関をアメリカに作られる方からしてみれば、大変なことで、アメリカは憎悪の対象になることも起きるでしょう。

 

 また、興味深いのは、国家機関創設の専門家がいないので、最近のイラクやアフガニスタンでその分野の経験がある陸軍の将校たちを雇用しろと言っている点です。アメリカ軍は、膨大な予算を食いつぶす機関であり、その縮小がオバマ政権下で進められました。縮小となると、人員も整理されます。つまり、解雇になったり、これ以上いても昇進はないと言われたりすることになります。そうなると、不満が溜まる訳ですが、「経験を活かして、引き続き、公務員として働ける(しかも表向きは世界に貢献できる仕事ということで)」となれば、不満もある程度は解消されます。

 論稿の著者たちは、USAIDが衛生や教育の分野は別の組織や団体に任せるべきだと書いています。「トイレを作るような事業は平和部隊に任せろ」と。私はここで、自衛隊のアメリカ軍による下請け化が進んでいる中で、日本の海外援助組織のUSAIDによる下請け化が進むのではないかと思います。7月1日、バングラデシュのダッカで痛ましい事件が起きました。JICAがUSAIDと連動して動くというようなことになると、残念ながらこうした事件がこれからも起きてしまうかもしれません。

 

 こうやって読むと、なかなか危険な論稿であることが分かっていただけると思います。それではお読みください。

 

=====

 

米国国際開発庁は「海外の国家機関創設省」となるべきだ(USAID Should Become the Department of Nation-Building

―ワシントンにある海外の発展途上国の発展に関わる政府機関は、無秩序状態に陥った外国に民主政治体制ではなく、まずは政府を樹立することに集中する必要がある

 

マックス・ブート、マイケル・ミクラウシック筆

2016年6月22日

『フォーリン・ポリシー』誌

http://foreignpolicy.com/2016/06/22/usaid-should-become-the-department-of-nation-building/#_ftn1

 

 外国の国家機関創設(nation-building)は、アメリカ政治においては痛みを思い出させる言葉となっている。この言葉を聞くと、アフガニスタンとイラクにおける長きにわたる、人的、物理的に消耗の激しかった戦争を思い出す人々が多い。バラク・オバマ大統領とドナルド・トランプとの間に一致する点はほとんどないが、外国の国家機関建設への反対では両者は一致している。歴代の大統領も「国家機関の創設(問題の解決)はまず国内から」と言っていたが、オバマ大統領とトランプもまたこの考えを持っている。

 

 しかしながら、アメリカの指導者たちは国家機関創設に対する反対を唱えながらも、破綻国家(failed states)がアメリカの国益にとって深刻な脅威となっていることを認めている。オバマ大統領は2016年の一般教書演説の中で、「たとえ、イスラム国が存在しない場合でも、不安定はこれから世界の多くの場所で増大していくだろう。中東で、アフガニスタンで、パキスタンの一部で、中央アメリカの一部で、アフリカで、そしてアジアで。これらの場所の中には、テロリスト・ネットワークの避難場所となるところも出てくるだろう。その他の場所では、民族紛争、飢餓、新たな難民を生み出すことだろう。世界は、私たちにこうした問題の解決のための手助けをしてくれるように求めているのだ」と述べている。

 

 しかし、アメリカは、軍事力の使用のみで世界の不安定さに対処することはできないのだ。アメリカ国民は、大義がないイラクやアフガニスタンで行った大規模な介入を支持しないだろう。一方、ドローンによる空襲や特殊部隊による急襲のような小規模な軍事的手段は、アメリカの安全保障を守る上で適切な手段とはなっていない。「活発な」攻撃でタリバンのムラー・マンスールやアルカイーダのオサマ・ビン・ラディンのようなテロ組織の指導者を殺害することは可能だが、確立されたテロ組織自体を壊滅することはほぼ不可能だ。そして、法と秩序の維持を実行できる自生的な政府機関を構築することは不可能だ。

 

 アメリカには、無秩序に陥った国々で、より良く機能する政府機関を作り上げる、いわゆる政府機関創設能力を持つ文民側の行政機関が必要だ。国務省や農務省といった様々な連邦政府の省庁はそれぞれが政府機関創設プロジェクトを行っているが、それを主要な目的にしている訳ではない。政府機関創設準備の失敗が明らかになったのは、2003年のイラク侵攻の時だ。当時のブッシュ政権は、サダム・フセイン政府から引き継ぐために、機能不全に陥った連合国暫定当局を創設したが、悲劇的な結果になった。この結果は予測されていた。現在、国家機関創設事業は、アメリカ軍に押し付けられている。アメリカ軍は他にも多くの任務をこなさねばならない。アメリカ軍は急ごしらえで国家機関創設を行える能力を持ってはいるが、しっかりと計画を立て確実に実行するまでの能力は備えていない。

 

 アメリカは、国家機関創設を目的とする政府機関を必要としている。軍事占領をせずに、つまり、アメリカ軍の駐屯を必要とせずに自国の領土を守れるようにするために、アメリカの同盟諸国の助けを借りながら、国家機関を作ることにまい進する連邦政府の機関が必要なのだ。幸運なことに、アメリカ政府には既にこの目的にうってつけの機関が既に存在している。それがアメリカ国際開発庁(U.S. Agency for International DevelopmentUSAID)だ。しかし、外国の国家機関創設という目的を達成するためには、USAID自体を変革する必要がある。USAIDは少ない労力で最大の成果を上げるような組織にならねばならない。USAIDは、戦略的に重要な国々での中核的な機能を強化するような事業を行うべきだ。世界各地の全ての貧困国で活動することで組織自体を拡大すべきではない。

 

 USAIDの2016年度予算は、223億ドル(約2兆4000億円)である。その中で、107億ドル(約1兆500億円)は、USAIDが直接管理し、運用できる中核的予算である。その中で、外国の国家機関創設に使われる予算は、24億ドル(約2700億円)のみだと考えられている。その他の予算は、貧困解消、世界各国の健康状態の改善、女性の地位向上、教育、衛生、経済発展、農業改良に使われている。これらの事業は素晴らしいものだ。しかし、USAIDは、これらの事業に関して、これらの分野で活動する国連や世界銀行のような国際機関とオックスファムとアフリケアのような非政府組織と比較して、優れた成果を上げているとまでは言えない。従って、USAIDは、これらの分野を国際機関や民間組織に任せるべきだ。そのために、これらの分野で活動するNGOへの支援を削減すべきだ。

 

 USAIDと擁護者たちは、USAIDが行うことは全て、外国の国家機関創設に貢献するためのものだと主張するだろう。USAIDは外国で衛生、電気、環境保護のような公共財の支援を行っている。成功している国々というのは、こうした公共財の国民への提供を行っている国々のことだと考えられている。USAIDのウェブサイトには次のように書かれている。「国民への衛生、安全、福祉の提供を確保できる政府や機関が存在する時のみ、進歩は継続される」。これは正しい。しかし、これらの国々が公共財を国民に供給するから、これらの国々は成功していると言われているのではない。これらの国々は国家機関創設に成功しているから、公共財を供給しているのだ。USAIDは、公衆衛生や教育、その他の分野で一時的に成果を上げるよりも、支援している国々がそれぞれの抱える問題に対処できるように国家機関を創設し、その能力を引き上げることに力を注ぐべきだ。そうした事業がたとえ、USAIDの理想からかけ離れたものであったとしても、そうすべきだ。

 

 発展途上諸国では、民主政治体制がぜいたく品となっている場合が多い。しかし、USAIDの外国の国家機関創設に関するプログラムは、「民主政治体制・人権・統治」プログラムと名付けられている。最も重要な問題である「統治」が最後にきている。これは、USAIDが、政府機関を一から作り上げ、育て上げるという仕事よりも、選挙、政党、市民社会の組織の育成に力を入れていることを示している。しかし、非民主的な国々が責任ある行動を取る限りにおいて、アメリカはそれらと共存できる。ヨルダンとシンガポールはアメリカにとって緊密な関係にある同盟国だ。韓国、チリ、インドネシアのような現在の同盟諸国の多くは元々非民主的であったが、今は民主国家になっている。アメリカは、エジプトやヴェトナムのような戦略的に重要な国々の人権侵害を見て見ぬふりをする傾向にある。これには批判的な人も多い。

 

 無政府状態の場所が世界各地にある状態で、アメリカは生きていくことが出来ない。なぜなら、それらの土地は、テロ組織、犯罪組織、伝染病、難民、その他の諸問題を生み出し、世界中に送り出すからだ。代議制の機関を育て上げることは、全米民主政治体制のための基金(National Endowment for DemocracyNED)にとってはふさわしい仕事である。しかし、USAIDは、民主的な統治よりも実際に成果が上がる統治の方に主眼を置くべきだ。

 

 電気から自由な選挙まで、誰からも歓迎されるが緊急的に必要とは言えないサーヴィスばかりをやるのではなくて、USAIDは安定した国家にとっと必要不可欠な事業に集中すべきなのだ。そうした事業として、暴力の正当な使用を独占できる軍隊や警察などの訓練、正義を実行することが出来る裁判所の支援、根深い腐敗に負けない職業意識の高い公務員の育成と支援、透明性を確保しながら税収を確保することが出来る財政システムの構築が挙げられる。現在のUSAIDはこうした事業を行うだけの能力を持っていない。これらの事業を適切に行うための政府機関はアメリカ国内に存在していない。たとえば、アメリカ軍は外国の軍隊を支援している。しかし、肝心の外国の警察と裁判所を支援するという仕事は、国務省と司法省に任せる。国務省と司法省は、価値観が疑わしい契約業者にこれらの事業を丸投げしてしまう。USAIDは、あまり重要ではない事業から手を引き、機能を起用化する方向に進むべきだ。言い換えるなら、USAIDは、モザンビークでトイレを作る仕事は、平和部隊(Peace Corps)に任せるべきなのだ。

 

 USAIDは現在100を超える国々で活動している。そのうちの約半数の国々で、「民主政治体制・人権・統治」に関するプログラムを実行している。このように手広く事業を展開すると、一つ一つの事業の内容が薄くなってしまう。現在の職員の数と予算から考えて、30から40までに事業対象国を絞らないと成果を上げることはできない。アメリカにとって重要な外国における国家機関創設という目的を達成するために何も今以上の予算を付ける必要もない。

 

 USAIDは、アメリカの戦略にとって極めて重要な、効果をあげられる国々に努力を傾注すべきだ。アメリカにとってイスラム教徒によるテロ攻撃は脅威となっている。この状況下では、イスラム教徒の人口が多い国々を優先すべきだ。こうした国々は、西アフリカから東南アジアまでの「不安定の弧」に位置している。リビア、ソマリア、シリア、イエメンのような国々では、中央政府は存在しないか、とても弱体化している。

 

 トルコやペルシア湾岸の君主国のように比較的富裕な国々、そしてスーダンやイランのようにアメリカに敵対的な国々は除外する。パキスタンやパレスティナ政府のような名目上の同盟国に対して支援を行うかどうかを判断することは大変難しい。それは、これらの国々の政府はテロを支援しているからだ。USAIDが成果を上げられないなら(政府機関がその基本的な機能を果たす能力を上げることができないなら)、USAIDは関わるべきではない。

 

 USAIDは、イスラム過激主義の拡散を止めるために、各国の地方政府の統治能力を確立する仕事をしている。しかし、それよりも、他国に従属させられる危険に直面している戦略的重要な国々の国家機関創設事業に集中すべきだ。ロシアからの進攻の危険があるウクライナとグルジア、中国からの進攻の危険があるモンゴルとミャンマー、巨大な麻薬密売組織の卿に晒さられている南米諸国、特にコロンビア、エルサルヴァドル、グアテマラ、ホンデュラス、メキシコといった国々に集中すべきだ。USAIDはこれらの国々には既に進出している。しかし、曖昧な目標と手を広げ過ぎた事業のために、基本的な政府機能の確立を重要としている、破綻国家になりかねない国々に予算と人材を重要な事業に集中させることが出来ていないのだ。

 

 こうした事業は重要である。そして、現在、USAIDが活動している国のうち、半分の国では必要ではない事業である。USAIDは、レソトやマダガスカルのような戦略的に重要ではない国々や中国のようなアメリカに友好的ではない国々、インドのような発展著しい国々に対して、基本的に不足している予算を投入すべきではない。予算と人材は、地政学的に見返りが大きい国々に投入すべきだ。

 

 外国の国家機関創設をより効果的に行うために、USAIDはその方法を変える必要がある。そのためには、USAIDはアメリカ軍から学ぶべきだ。最近の外国の国家機関創設の経験から教訓を学び取り、外部の専門家たちに事業の成果を精査し、評価してもらうのだ。USAIDが使っている契約業者や職員が事業の成果を評価するべきではない。取り敢えず予算が消化されたからその事業は成功したと言うのではなく、失敗したなら失敗したとはっきりさせるべきだ。

 

 USAIDは内部の官僚機構を合理化すべきだ。現在、USAID内部には、14の局と11の独立した事務局が存在するが、これほど多くの部局は必要ではない。USAIDには管理局が存在するが、それなのに他に、人的資本・才能管理事務局が存在する必要があるだろうか?中間管理者たちに、大きな出来事が起きた際には、部局の垣根を越えて、予算や人材の配分を変更するための責任と権限を与えるべきだ。ロビイスト、弁護士、補助金行政の専門家たちを使って、複雑な契約をして、補助金をがっぽりと稼ぐ、ワシントンに本社を置く決まった契約業者ばかりを使うべきではない。例えば、2010年に発生したハイチの大地震の後、USAIDは、アメリカ連邦議会に承認されて、36億ドル(約4000億円)を支出した。AP通信の報道によると、全支出のうち、ハイチの企業に流れたのは、1.6%しかなかった。USAIDの援助予算の最大の受け手は、ワシントンに本社を置く、USAIDからの補助金を特に受けているケモニクス・インターナショナルであった。

 

 USAIDが契約業者への依存を減らすためには、職員たちを変革する必要がある。USAIDの職員たちは、才能はあるのだが、国家機関創設にとって必要な知識を持つ専門家ではない。土木工学、都市管理、公務システム開発、治安維持、開発経済の専門家はほとんどいない。職員の多くは、国際関係論の修士課程を修了したばかりで、政府機関やビジネスの警官が乏しい。USIADは、巨大組織の運営や外国文化の中での勤務の経験豊富な中途採用の専門家をより多く採用すべきだ。そうした人材の供給源として、アメリカ陸軍が考えられる。アメリカ陸軍では現在、国家機関創設の経験を持つ将校たちが多く除隊させられている。

 

 これまでに提案してきたいくつもの変革案はどれを行うにしても、既得権益を持つ勢力によって激しい抵抗に遭うだろう。USAIDのプログラムが撤退する国々からは不平不満が出るだろう。USAIDの職員や契約業者で仕事や補助金を失う人々もまた不平不満を訴えるだろう。USAIDの変革を成功させるには、次期政権がUSAIDの変革を重要政策に位置付けるしかない。

 

 もちろん、USAIDを再編しても、全てのケース、もしくはほとんどのケースで国家機関創設に成功する保証はない。国家機関創設は大変な困難の伴う事業なのだ。しかし、アメリカには、コロンビア、東ティモール、エルサルヴァドル、ドイツ、イタリア、日本、コソヴォ、フィリピン、韓国と言った共通点のない様々な国々の国家機関創設に貢献してきた歴史がある。USAIDはこうしたケースで一定の役割を果たしてきた。USAIDがこれからどれくらい成功を収めることが出来るかを予測することはできないが、政府の基準から見て比較的適当な投資でいくつかの成功が収められたら投資に見合っていると言える。アメリカが際限のない軍事介入を避けて破綻国家の問題に対処したいと望むなら、国家機関創設以上の選択肢はない。アメリカ政府が外国の国家機関創設で成功しようという場合には、再編されたUSAIDが主導的な立場に立たねばならない。

 

(終わり)





 

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 古村治彦です。

 

 昨日、2016年4月24日に北海道第5区と京都第3区で衆議院議員補欠選挙が行われました。北海道では自民党の 京都では民進党の がそれぞれ当選しました。

 

 今年は夏に参議院議員の通常選挙が行われます。また、政界では、安倍晋三首相がそれに合わせて衆議院を解散して、いわゆる「ダブル選挙」を行うのではないかという話も出ています。ダブル選挙で勝利を収めた場合、政権基盤はますます強固になります。ですが、ダブル選挙となると与野党ともに準備が大変ですし、与党が敗北した場合には安倍首相の退陣にまで話が及ぶという危険もあり、大きな賭けとなります。

 

 1986年の衆参ダブル選挙では、公職選挙法改正もあって、「衆議院の解散はない」と当時の中曽根康弘内閣の後藤田正晴官房長官が「煙幕」を張っていたこともあり、「抜き打ち」解散によるダブル選挙が成功し、野党側は準備をしていなかった(民社党の春日一幸最高顧問は見抜いていたが執行部が油断していたという話もあります)ために、与党が圧勝し、派閥の規模が小さく、田中派の影響下にあった(田中曽根内閣と呼ばれた)、中曽根政権の基盤強化につながりました。

 

 話が飛んでしまいました。私は、選挙の結果と共に、両選挙区での投票率を見ていたのですが、北海道で約57%、京都で約30%いう結果になりました。北海道の結果を先に見て、「かなり注目された選挙だったけど、ちょっと低かったな」と思ったのですが、京都の結果を見て、大変驚きました。確かに補選が行われる理由が理由でしたし、自民党は候補者を出せないという状況ではありましたが、それでも30%そこそこ、あやうく30%を切ってしまうという数字でした。「プロ野球の打者だってもっと高い打率を残す選手がたくさんいるのに」と、野球好きなもので、思ったほどでした。

 

 この低投票率については、何も今回のことだけではなく、また、北海道や京都に限った話ではありません。これまでも多く目にしてきたことです。政治に参加することは、これまで人類の歴史において、多くの血が流された結果、獲得された権利ですから、それを行使すべきだということを声高に叫んでみても、それで投票率が上がるということは残念ながらありません。それは、私たちの中に「政治に参加する権利を人々が多大な犠牲を払いながら獲得したもの」という意識や、「自分が当事者である」という意識が欠如しているからだと思われます。

 

 このことについて、思い出されるのは、戦後日本政治学の泰斗であった丸山眞男(1914~1996年)です。丸山は、1944年に『国家学会雑誌』第58巻3・4号に「国民主義理論の形成」という論文を掲載しました。この時、東京帝国大学法学部助教授であった丸山は応召し、再び帰って来られないという気持ちを抱きながら、この論文を発表したといわれています。この論文は後に、「国民主義の『前期的』形成」と改題され、『日本政治思想史研究』(東京大学出版会、1952年/新装版:1983年)に収められました。また、法政大学教授・杉田敦編『丸山眞男コレクション』(平凡社ライブラリー、2010年)にも入っています。

 

 この論文で丸山は大略次のようなことを主張しています。かなり乱暴ですが、大まかにまとめます。

 

ある集団が国民となるには、国民意識が必要である。日本の場合は、西洋列強の来航によって、国民意識が醸成された。それまでは、日本国内に住む人々は、支配階級(侍)と被支配階級(侍以外)に分けられ、地域的にもそれぞれの藩が大きな権利を持っていたために、国内で統一的な意識が無かった。この分裂状態を江戸幕府は支配のために利用した。江戸時代、被支配階級は政治に参加することは許されず、その権利は与えられなかった。

 

 幕末には海外列強の来航により、危機感が醸成され、国防のための統一的な国家が必要だという主張がなされるようになったが、江戸幕府は自分たちの支配の前提が崩れることを恐れてこれを弾圧した。しかし、こうした集権的な国家論が拡大していく。そして、尊王攘夷論に結びついていくが、上層武士は体制変更を望まない形、下級武士は体制変更、つまり討幕まで主張するようになった。そして、倒幕が実現した。

 

 統一的な国家、つまり明治新政府が誕生したが、その過程で、政治の中央集権化と国民意識の拡大という2つの動きがあったが、政治の中央集権化は成功し、国民意識の拡大は中途半端に終わった。資本主義の発展段階になぞらえて、これを国民主義(ナショナリズム)の「前期的』形成と呼ぶ。

 

 私たちが政治をどこか他人事としてとらえるのは、丸山の唱えた「国民主義の『前期的』形成」段階から、進歩していないからではないかと思います。ここで言う「国民主義」とか「国民意識」について簡単に定義するならば、「自身も国民として政治に参加する権利と責任を持つ」ということだと思います。この点で、私たちは、まだまだ進歩、発展、展開する余地を多く残しているものと思われます。

 

 TwitterFacebookなどのSNSの発達に伴って、かなり詳細な情報や個人の率直な感想や行動を目にすることが出来るようになりました。今回の補選を見ていて思ったことは、政治に関係する場合に、当事者と傍観者に大きく分かれるが、その分かれ方やその程度のために、政治に参加することが億劫に感じられてしまうことが出てくるということです。

 

 話は大きく飛びますが、戦国時代、合戦や戦があると、近隣の住民たちは、山の上などに避難し、そしてお弁当を持って見物に出かけていたという話を聞いたことがあります。戦の展開によってはとばっちりで巻き込まれることもあったでしょうが、スポーツ観戦のような感覚だったんだろうと思います。しかし、当事者たちは現在のスポーツとは大きく違って、命のやり取りをするわけですから、目が血走っていったり、極度に興奮したりしていたことでしょう。私は現在の日本の政治も同じだなと思います。

 

 選挙となった場合、立候補者と選挙の手伝いをする人々や応援をする人々は必死です。戦国時代の戦のように物理的に生命を取られることはありませんが、色々な思いや背景があって、当選しようと必死です。そして、その周囲には、遠巻きに見ている人たちがいます。彼らは選挙の結果にも影響を与える有権者ですが、傍観者であり、だれが勝つか負けるか(生き残るか)を冷ややかにかつ面白そうに見ています。当事者と傍観者の間に大きな溝があり、分裂があります。

 

 当事者たちは傍観者たちに投票を訴えるわけですが、その表情はこわばり、その訴える声はとても大きくなります。そうなると、傍観者たちは、恐怖感を感じます。自分たちは、何も被害が無いところで、面白いゲームを見せてもらいたいだけのことなのに、時に叱咤されるようなことまで言われて、不愉快だということになります。当事者たちは、自分たちの訴えは正しいのにどうして届かないのかということになって、途中で脱落する人やもっと力みあがってしまう人まで出てくることになります。

 

 そうなると、当事者と傍観者の間に溝はもっと大きくなり、政治に参加すること、つまり当事者になることは、ちょっとおかしくなることだ、普通ではなくなることだという間違った意識が出てきて、政治は怖い、ということになり、傍観者たちは本当に傍観するだけ、最低限の投票にすらいかないということになります。

 

 良く考えてみれば、当事者も傍観者にも政治に参加する権利は保障されており、かつその責任もあります。しかし、政治はとても特別な行為ということになってしまいます。

 

 そして、私たちの中に「政治は自分たちは関係ない」「空中戦を見ているようなものだ」という意識がある、「国民主義の『前期的』形成」段階から抜け出していないという状況となると、ますます、政治から足が遠のく人たちが出てくるのは当然です。

 

 それならどうしたらよいのかということになると、即効性のある妙案は浮かびません。「投票に行かなければ罰則」ということがデモクラシーに合った方式とも言えません。何かに強制されて投票するという行為は人々の自発的な行為を制限するということになります。

 

 これに近道は無いように思われますが、まずは政治にかかわることは怖いことであるとか、政治は玄人のものという意識を弱めることが必要ではないかと思います。そのためには、当事者の人たちは忍耐強くかつ穏やかに行動すべきでしょうし、傍観者の方もまた、ちょっとした勇気を出してみることではないかと思います。こんなことは当たり前で、もうやっているという方も多いと思いますが、投票率の低さということを考えると、こうしたことがもっと広がっていくべきではないかと思います。

 

(終わり)





 

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