古村治彦です。

 アメリカ大統領選挙について、今でも法廷闘争や抗議活動が続いている。今回の選挙で今のところ、民主党のジョー・バイデン前副大統領が勝利したということになっている。ここで思い出してもらいたいのは、「バイデン氏が圧倒的に有利」と言い続けたメディアの報道だ。メディアにはそれだけの調査能力はなく、大学や世論調査会社の行った各種世論調査の結果を引用してそのような報道を行った。私の記憶では、10月の段階で、その当時の世論調査の結果を当てはめると、「バイデンが360近く、トランプが180程度」となるということだった。

 しかし、そんな大差の付く戦いではなかった。総得票数で見ても、激戦州での票差を見ても大接戦だった。7000万以上のアメリカの有権者たちがトランプを支持したということは間違いない。トランプ大統領とトランプ大統領への支持者への悪罵を考えると、その支持の堅固さは特筆すべきだ。

 2015年から2016年にかけて、全くの泡まつ候補扱いだったトランプが共和党の有力候補に駆け上がり、党の指名を獲得し、最後には圧倒的に有利と言われたヒラリー・クリントンに勝利を収めた。トランプ現象、トランプ主義という言葉と「なぜあんな野蛮なトランプが支持されるのか?誰が支持しているのか?」という疑問がメディアに溢れた。

 トランプ現象について、2016年2月、共和党の予備選挙が始まって間もない(トランプがまだ共和党の候補者として確定しない)時期に、チャールズ・マレーが分析した論稿を紹介する。これはトランプ現象分析においては今でも色あせない内容である。

 アメリカは変質した。アメリカは健全な平等主義、自由、個人主義の国であった。人々は経済的に成功してもそれをひけらかすことを嫌った。貧しくても堂々と生きることができた。アメリカに日本のような戦後という時代区分はないが(いつも戦争をしているようなものだから)、第二次世界大戦後にそれが大きく変容した。そして、取り残されたのが、白人の労働者階級の男性たちだ。「アホでマヌケなアメリカ白人」「ニューヨークの場所も知らない」「頑迷にキリスト教原理主義を信じている」と西海岸や東海岸で優雅に暮らすエリートたちに馬鹿にされ、見下され続けてきた。このエリートたちは、自分たちが素晴らしい人間だと思って欲しくリベラルな考えを振り回す。「弱者の味方」であるはずの民主党支持であることがかっこいいと思っている。しかし、実際には低学歴、低所得の白人労働者階級を徹底的に見下し、馬鹿にする。昔のエリートや成功者たちはできるだけ自分は皆と一緒です、元々は貧しいところから這い上がって来たので一緒ですという態度を取った。

 こうしたことがアメリカに分断をもたらした。日本でタレント活動をしているお笑いコンビ「パックンマックン」のパトリック・ハーランはハーヴァード大学卒業と巧みな日本語でテレビによく出ている(相方さんはどうしているのだろうか)。ハーランは「7000万人以上もトランプに投票したなんて信じられない」とテレビで発言し、それに対して橋下徹元大阪市長が「そういう考えだからアメリカに分断が生まれるのだ」とツイッター上で批判した。私は橋下元市長の言説をほぼ全く支持しないが、この発言に関しては同感である。

 下の論稿を読むと、アメリカの分断は根深く、トランプ現象、トランプ主義はそこから出てきたことであって、トランプが分断をもたらしたのではないということが分かる。そして、この分断が国家分裂にまで進むのではないかということも合わせて考えさせられる。

(貼り付けはじめ)

トランプのアメリカ(Trump’s America

-トランプの白人の労働者階級へのアピールは何も非合理的なものではない、とチャールズ・マレーは書いている。白人の労働者階級が怒っているのには理由がある。

チャールズ・マレー筆

2016年2月13日

『ウォールストリート・ジャーナル』紙

http://www.wsj.com/article_email/donald-trumps-america-1455290458-lMyQjAxMTE2MDE5MzYxMzMwWj

「トランピズム(Trumpism)は、アメリカがこれまで辿って来たコースに対するアメリカ人の多くが感じている正当な怒りを表現したものだ」

今これを読んでいるあなたがトランピズムに失望しているのなら、ドナルド・トランプが共和党の候補者指名を勝ち取ることができなければトランピズムなど消え去ってしまうだろうと自分自身を偽ってしまってはいけない。トランピズムは、アメリカがこれまで辿って来たコースに対するアメリカ人の多くが感じている正当な怒りを表現したものだ。そして、トランピズムの出現は予想されたものだった。トランピズムは半世紀にわたって続いているプロセスの帰結である。その帰結とは、アメリカの歴史の中で作られてきた国家的なアイデンティティを売り渡してしまうことだ。

 著名な政治学者サミュエル・ハンティントンは彼の人生最後の著書『分断されるアメリカ(Who Are We?)』を2004年に発表した。ハンティントンはこの著作の中で、アメリカの国家的なアイデンティティの2つの要素が消え去ってしまったと主張している。1つは、アングロ・プロテスタントの遺風であり、これは多くの文化的、宗教的な伝統が息づくアメリカの中で不可避的に消え去りつつある。もう一つは、アメリカ独自の考えと理想である。歴史家リチャード・ホフスタッターがかつて述べたように、「一つの国家、国民としての私たちの運命は、いくつものイデオロギーを持つのではなく、一つのイデオロギーを持つことだ」ということだ。

このイデオロギーをハンティントンは「アメリカの信条(American Creed)」と呼んだ。このイデオロギーはどのような要素によって構成されているか?その3つの中核をなす価値観は、要約すると、平等主義(egalitarianism)、自由(liberty)、そして個人主義・利己主義(individualism)である。これらの価値観から出て、長期にわたってアメリカ国内で見られてきた信条の別の側面もある。それらは、法律を前にすれば何人も平等であること(equality before the law)、機会の平等(equality of opportunity)、言論の自由と結社の自由(freedom of speech and association)、独立を尊ぶ態度(self-reliance)、制限された政府(limited government)、自由市場を基盤とした経済(free-market economics)、集権化されていない、人々の選挙で選ばれる政治権力(decentralized and devolved political authority)である。

今日、アメリカの信条はその権威と実態を失いつつある。何が起きているのか?アメリカ社会全体を通じてこうした変化の多くの現象が目撃できるようになっている。そうした変化は、「新しい上流階級と下層階級の出現」と「労働者階級の苦境」という2つの現象の間で起きているのだ。

2012年に出版した著作『分裂に向かう:白人たちのアメリカの状況、1960―2010年(Coming Apart: The State of White America, 1960-2010)』の中で、私はこれらの新しい階級について詳しく議論した。新しい上流階級は、アメリカの経済、政治、文化を作っている人々によって構成されている。新しい下層階級は、アメリカの市民文化の最も基本的な機能、特に労働と婚姻から外れた人々によって構成されている。これら2つの新しい階級は、アメリカの信条(American Creed)を拒絶している。アメリカの信条が今でもリップサーヴィス的に述べていることはある程度は実現しているのだが、それでもこの新しい階級の人々はアメリカの信条を拒絶している。トランピズムは、「アメリカの信条などすでになくなっている」と訴えている悩み多き労働者階級の人々の声そのものなのである。

歴史的に、アメリカの例外主義(American exceptionalism)の広く認識されてきた側面は、階級意識の欠如であった。マルクスとエンゲルスさえもそのことを認識していた。それは、平等主義的なアメリカの様式であった。そうだ、確かにアメリカには豊かな人々も、貧しい人々もいた、しかし、それは豊かな人々は他の誰よりもより良い存在だということを意味するものではなかった。

成功を収めたアメリカ人たちは頑なまでに上流階級の外見を受け入れることを拒絶した。多くの場合、自分たちは普通の人々なのだと、他の国民と同様に振舞った。そして、成功者となったアメリカ人たちは大抵の場合、自分たちは中流的な環境、もしくは貧困の中で育ったという自負を持ち続けた。自分たちの若い時の習慣や判断基準を、成功を収めて以降の人生でも維持した。

アメリカは共同体内において高いレヴェルの社会的、文化的な違いを保持していた。トクヴィルは1830年代のアメリカについて、「最も富裕な市民たちが人々から乖離しないように細心の注意を払う」場所だと形容した。この状況は20世紀になっても、アメリカのエリートたちが多く住む地域の中でも続いた。1960年の国際調査の結果で、フィラデルフィア市のメインライン地区に住む人々の年収の中央値は、現在のドルの価値に換算して、9万ドルに過ぎなかった。ボストン市のブルックラインでは7万5000ドル、ニューヨーク市のアッパーイーストサイドでは6万ドルだった。これらの地域での典型的な夕食会では、招待客の多くは高校卒業以上の学歴を持っていなかった。

1960年代以降、新しい上流階級は全く別の文化を創り出した。半世紀にわたり、アメリカのエリート大学はアメリカ全土から最も才能に恵まれた若者たちを惹きつけてきた。こうした若者たちは自分たちだけで親しくなり、時には結婚に至ることも多くなった。頭脳というものが市場においてより急激に価値を高めていくことになった。2016年、エリートが多く住む地域で夕食会が開かれる場合、出席者のほぼ全員が大学卒業の学位を取得しているし、中には更に修士号や博士号などを持っている人も多くいる。こうした人々は例外なく豊かである。フィラデルフィア市のメインライン、ボストン市のブルックライン、ニューヨーク市のアッパーイーストサイドにおける家族の年収の中央値はそれぞれ、15万ドル、15万1000ドル、20万3000ドルだ。

この夕食会で交わされる会話の内容は、アメリカの大衆が集まる場所で話される内容とは全く異なるものだ。新しい上流階級の人々は、アメリカの大衆が好む映画、TV番組、音楽といったもの自体に魅力を感じることは少ない。食べ物、健康維持、子育ての方法、休暇の過ごし方、読んだ本、ウェブサイト、ビールの味について、大衆とは全く異なる文化を持っている。いいですか、新しい上流階級は自分たち独自の方法を作り出している。

新しい上流階級のもう一つの特性、これはそれまでのアメリカには存在しなかった新しいものであるが、上流階級のメンバーであることを簡単に受け入れ、一般のアメリカ国民に対する慇懃無礼なへりくだり(condescension)である。「レッドネック(redneck、貧しい白人労働者)」という言葉を高い教育を受けた友人たちとの会話の中で使ってみると良い。この言葉は、他の人種に関わるいくつかの言葉と同様に、その場の雰囲気を緊張させる。「フライオーヴァー・カウンティ(訳者註:大都市間を飛び交う飛行機を見上げるしかない田舎の郡)」という言葉が出た時、誰も「それはどんな意味なの?」と質問することはない。また、私は皆さんにワシントンDCで働く友人を紹介して会話をしてもらうこともできる。その友人は週末をゆっくり過ごすためにウエストヴァージニア州に別荘を購入した。彼はウエストヴァージニア州の別荘周辺に住む田舎者の隣人たちへの軽蔑感を語るだろう。この私の友人はアメリカの首都でもエリートしかいない地区で暮らしており、それとは全く異なる人間たちと出会ったのだ。

一般大衆のアメリカはこうした慇懃無礼なへりくだりと軽蔑について完全に気付いている。そして、このことに苛ついている。アメリカの平等主義は死に瀕している。

新しい上流階級が主流から外れていく中で、新しい下層階級は白人労働者階級の中から生まれつつある。そして、こうした人々はトランプ主義が伸長する環境を作るうえで重要な役割を果たしている。

労働と婚姻はアメリカ建国以来のアメリカの市民文化の中心的な柱である。そして、1960年代まで、このことは白人労働者階級にとっては真実であった。成人男性のほぼ全員が仕事をしているかもしくは仕事を探していたし、結婚していた。

しかし、物事は変化し始めている。30代から40代の白人の労働者階級の男性が労働に参加している割合(仕事に就いている割合)は、1968年には96%だったが、2015年には78%になっている。30代から40代というのは、働き盛りであり、家族を形成し、子供たちを育てていくための重要な20年だ。同時期、結婚している男性の割合は86%から52%に低下している。非白人の労働者階級の男性でもその数は減少している。しかし、白人たちに比べてその速度は遅く、継続的ではない。

大きな変化がいくつも起きている。そしてそうした変化がアメリカ全土で見られるようになっている。現在、平均的な白人労働者階級の人々が住む地域では、働き盛りの男性の5人に1人は仕事探しを放棄している。そうした人々の生活はガールフレンド、兄弟姉妹や親によって支えられている。もしくは、障碍者年金、施し、もしくは犯罪によって生活費が賄われている。そうした人々の半分は結婚しておらず、社会から孤立している男性たちの多くに起きている社会的問題が並行して起きている。

こうした地域では、子供たちの半分は正式な結婚をしていない女性から生まれている。父親がいない状態で成長することで、特に少年たちにとって全ての問題が起きる。麻薬もまた都市部だけではなく小さな町のレヴェルでも深刻な問題になっている。

こうした流れが労働者階級の居住地域に住む人々全員の生活にどのように影響するかを考えてみよう。こうした地域にはまだ昔ながらの生活をきちんと営んでいる人たちもいる。こうした人々は、古い市民文化など消え去ってしまった地域で働き、家族を養っているのだということに気づく。こうした地域では隣人たちの友愛や楽しい交流は消え去り、安全ですらないのだ。

アメリカの階級構造におけるこれらの大きな変化は、別の大きな変化に伴って起きている。その別の大きな変化とは、自由と個人主義に関する諸原理からイデオロギー的に大きな逸脱が起きたということだ。自由と個人主義はアメリカの信条の2本の柱である。この逸脱は大規模に起きた。それは公民権運動とフェミニスト運動が理由である。2つの運動は、アメリカの信条に対する古典的な反対として始まった。そして、アフリカ系アメリカ人と女性にとっての理想的なアメリカを作ることを求めた。

しかし、公民権運動とフェミニスト運動の成功は、アメリカの信条とは矛盾する政策をすぐに生み出すようになった。アファーマティヴ・アクションは人々をいくつかの集団として扱うことを要求した。結果の平等は法の下の平等を棄損した。グループを基礎とした諸政策は増大を続けた。更に多くの政策は更に多くのグループを生み出した。

1980年代初めまでに、民主党員エリート、そして民主党支持のエリートたちは、伝統的な理解としての自由と個人主義に対する公開のイデオロギーに関する戦いに参加した。これによって、人種的マイノリティ、独身女性、低所得の女性たちからの継続的な民主党への支持を固める効果をもたらした。しかし、これによって、民主党支持の有権者の中で重要な要素を占める人々を排除することになった。それが白人労働者階級である。

白人労働者階級の男性たちは、1980年代初めの「レーガン・デモクラッツ」の典型的な人々だった。そして、トランプ支持者の中核と形容されている。しかし、このグループの持つ不満はたいていの場合誤解されてきた。白人の労働者階級の男性たちは自分たちと見た目が違う人々に対して理由もなく攻撃を加えているのだという主張は全くの間違いだ。確かに、人種差別と外国人嫌悪の要素がトランプ主義の中には存在する。私はトランプについて批判的な文章を書いた後、そうした要素をツイッターやフェイスブックで数多く目撃した。

現象としてのトランプ主義の中心的な真実とは、アメリカの労働者階級全体が支配階級に対して怒る正当な理由が存在する。過去半世紀の間、経済成長は続いた。しかし、その褒賞は全く労働者階級にもたらされなかった。経済学者たちはこうした主張に対して、反論と否定を述べているが、その要点は明確だ。収入の面でアメリカの下半分の家族収入は1960年代末から増加していない。

同じ半世紀、アメリカ企業は数百万の製造業の雇用を海外に輸出した。製造業は労働者階級の仕事としては最も給料の高い仕事であった。製造業の仕事は過去もそして現在も圧倒的に男性向けの仕事である。1968年と2015年、製造業の仕事の70%が男性に占められていた。

同時期の半世紀、連邦政府は、合法、違法を問わず、移民を許可してきた。その多くは、国内の労働者階級向けの仕事を争う競争相手となってきた。農業以外の、労働者階級の雇用の多くは建設業や製造業が提供してきた。過去そして現在も、これらの業種の雇用の多くは男性がし得てきた。1968年にはその割合は77%、2015年には84%だった。

経済学者たちは現在でもこうした出来事がアメリカの労働市場に与える好ましい影響について主張している。しかし、巨大企業が工場を閉鎖し、雇用を中国に移してしまった町に住む人々にとって、また、賃金が安いという理由で不法移民ばかりを雇う建設業者を見ている屋根職人たちにとって、彼らの怒りと不満はきちんとした理由があることなのである。

白人の労働者階級の男性たちはエリートたちから見下されているという事実に加え、自分たちが住む共同体の中で、家族を養う人間、父親、配偶者として認識されていないということもある。その結果として、共同体の成員としての人生は崩壊している。その結果として、ここ数十年にわたり投票し続けた政党である共和党は彼らを助けるために何もしなかった。これで誰が怒らないであろうか?

物事をどのように改善して欲しいかという点で、白人労働者階級の男性たちは保守主義を望んでいない。彼らは今現在自分たちに対して無関心な政府が自分たちのために活動して欲しいと望んでいる。バーニー・サンダースが移民について熱意を持っているとしても、彼のイデオロギーの残りの部分について見れば、保守主義よりもトランプ主義の方がより多くの共通点を数多く持っていることが分かるだろう。

政治に関わる問題として見ると、サンダースが自由と個人主義について、伝統的にアメリカで使われてきた意味合いで使っていないことについては全く問題にならない。トランプも、また白人の労働者階級もサンダースと同様である。こうした人々もまたアメリカの信条から共同して逸脱しているのである。

この信条全体を握り続けているのは誰か?中流階級と中流の中の上流階級(特に小規模のビジネスを自身で行っている人々)の大部分、企業社会や金融社会にいる多くの人々、そして共和党の幹部クラスの人々の大部分がそうである。こうした人々は、平等主義、自由、個人主義の理想の節度ある支持者であり続けている。

穏健的な民主党員や支持者たちのことを忘れてはいけない。彼らはニューディールの精神的な遺産相続人である。彼らは社会民主政治体制(social democracy)を主張することだろう。しかし、こうした人々もアメリカ国民をいくつかのグループのメンバーとだけでしか扱わない諸政策については不満であり、トクヴィルが述べた、言論の自由、個人の道徳的な責任、平等主義を固く支持している。こうした人々は数多く存在しているが、そのほとんどが政治的な姿勢を表に出さないようにしている。

しかし、こうした人々はアメリカの人口の一部分であって、アメリカが175年にわたって存在し続けるにあたり、アメリカを一つにまとめてきた国家規模の同意というものもなくなってしまった。アメリカの信条に対する支持が減少していく中で、その影響が日常生活にも出てきている。私たちが自慢している自由は数千もの小さな制限によって束縛されている。小さな制限は私たちが望むものにつながっていない。個人主義はグループの権利を優先するために無視されている。そして、アメリカには傲慢な上流階級が生まれている。イデオロギー的にも、そして現実面においても、アメリカの信条は損なわれている。

アメリカの国民的な特性は全てが失われている訳ではない。アメリカ人は今でも世界から見て、活き活きとした、独自性の強い国民的な特性を持っている。歴史的に見て、アメリカは、多くの人種や民族をアメリカの国民的特性にまとめ上げることに他の国々に比べてうまくやることができている。私たちはこれから時代が過ぎても、アメリカ人であるということを感じ続けることだろう。

そうした中には皮肉なこともある。トランプ主義の熱意のほとんどは、移民の流れを受けての、アメリカの国民的な特質に対する脅威に反対する方向に向けられている。しかし、私が実際に接ししたあらゆる人種の移民の人々は、ほとんどの場合、古くからのアメリカ国民のような特質をも人々だ。こうした人々は気さくで明るく、仕事熱心で、楽観的で、かつ野心的だ。アメリカの国民的特性を維持し続けることは、私たちが抱える諸問題において最も小さいものであるように思われる。

それでも、このような特性も究極的にはアメリカの信条にその根を持っている。そうした世俗的宗教にある信条をアメリカ国民の一部しか持っていない現状である。それでも、この国は素晴らしく強力で、大変に豊かな、アメリカ合衆国と呼ばれる国のままであり続けるだろう。しかし、そうなれば、私たちは、世界の歴史において、アメリカを独自なものとしてきた基盤から離れていくことにもなる。

※マレー氏はアメリカン・エンタープライズ研究所WH・ブレイディ記念研究員を務めている。著書は数多くあるが、代表作として『人々による:許可を必要としない自由の再構築』と『分裂に向かう:白人たちのアメリカの状況、1960―2010年』がある。

(貼り付け終わり)

(終わり)

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ハーヴァード大学の秘密 日本人が知らない世界一の名門の裏側