古村治彦(ふるむらはるひこ)の政治情報紹介・分析ブログ

SNSI研究員・愛知大学国際問題研究所客員研究員の古村治彦(ふるむらはるひこ)のブログです。翻訳と評論の分野で活動しています。日常、考えたことを文章にして発表していきたいと思います。古村治彦の経歴などについては、以下のアドレスをご覧ください。http://soejimaronbun.sakura.ne.jp/goaisatsu.html 連絡先は、harryfurumura@gmail.com です。twitter accountは、@Harryfurumura です。よろしくお願いします。

タグ:ナショナリズム

 古村治彦です。

 

 今回は、Unionという言葉の意味について考えてみたいと思います。Unionを辞書で調べてみれば、結合、団結、連合といった意味が書かれています。

 

 私たちが知っている使い方では、労働組合はlabor unionがあります。これは労働者が団結して、労働に関する権利を守り、団体交渉を行うためのものです。最近、イギリスで国民投票が行われ、イギリスが脱退することが決まったのが、ヨーロッパ連合ですが、これはEuropean UnionEU)です。

 

Unionの動詞がUniteです。団結する、連合するという意味になります。50ある州(state)が連合している国です。イギリスは、United KingdomUK)です。イギリスの正式名称は「グレートブリテンおよび北アイルランド連合王国」です。ブリテン島にあるイングランド、ウェールズ、スコットランド、そして、アイルランド島の北部が連合して王国を形成しています。私はラグビーが好きですが、古くはファイヴ・ネイションズ、今はシックス・ネイションズという、ラグビーの6カ国対抗戦があります。これに「イギリス」ティームは参加していません。イングランド、スコットランド、ウェールズ、アイルランド、フランス、イタリアが参加して、ホームアンドアウェイ方式で戦います。

 

イギリスの国民投票で興味深かったのは、投票の結果に地域差があって、スコットランド、北アイルランド、大都市ロンドンではEU残留が大勢を占め、ロンドンを除くイングランドとウェールズはEU脱退が大勢を占めたことです。そして、スコットランドでは、スコットランドだけはEUに残留できるようにしたいという動きになっています。「イギリスって昔連合王国って習ったけど、実際にそうなんだなぁ」と改めて思いました。

 

 国際連合はUnited Nationsです。これは中国では「聯合國」となります。第二次世界大戦時に、枢軸国(Axis)と戦った連合国(Allied Powers)が戦後の枠組みとして、自分たちを常任理事国として作った組織ですから、「連合国」と訳すべきですが、今は世界のほとんどの国々が参加していますから、諸国連合ということになります。

 

 アメリカ合衆国はUnited States of AmericaUSA)です。これは全米50州(state)が連合した国ということです。独立した時は13州でしたが、それがどんどん拡大していきました。Stateという言葉は、国家を意味することもあります。全米各州には外交権と通貨発行権はありませんが、州兵(national guard)はいますし、ほぼ国のような機能があります。カリフォルニア州の州旗には、「Republic of California」と書かれています。

 

 アメリカ合衆国のUnionが崩れそうになったことがあります。それが1861年から1865年にかけて起きた南北戦争です。南北戦争といいますが、英語では、The Civil Warで、「内戦」という意味になります。Theがつきますので、特別な、これからもないであろうというくらいのことになります。アメリカが、北部各州のアメリカ合衆国と南部各州のアメリカ連邦(Confederate States of America)に分かれて戦いました。

 

 アメリカ史上最高の大統領は誰か、という質問があると、いつも一番になるのが、エイブラハム・リンカーンです。日本でも奴隷解放を行い、「人民の、人民による、人民のための政府」という言葉を残した人物として有名です。しかし、彼がアメリカ史上最高の大統領と言われているのは、アメリカの分裂を阻止することが出来たからです。これは、故小室直樹博士の著作に繰り返し書かれていたことです。

 

 アメリカで毎年1月に大統領がアメリカ連邦議会で演説を行いますが、これを一般教書演説と言いますが、英語では、State of the Union Addressと言います。State of the Unionというのは、「連邦国家(United States)であるアメリカの現状(state)」を述べるものであり、The Unionとはアメリカを示す言葉です。元々は大統領が演説をするということはありませんでした。アメリカ大統領は連邦議会への出席は認められていません。ですから、教書(message)を議会に送付して、アメリカの現状を報告するということになっていました。それが20世紀になって連邦上院と下院の議員たちと行政府、立法府の最高幹部たちが集まって、その前で演説するという一大イヴェントになっています。この時は、全米のテレビやラジオはほぼ全て生中継します。

 

 私がなぜこんなにUnionという言葉にこだわって文章を始めたかというと、United KingdomEuropean UnionUnited Statesで、Unionが崩れていく状況になっているからです。簡単に言うと、分離や反目、亀裂に敵対が蔓延する状況になっています。EUは、「20世紀前半に2度もヨーロッパを破壊し尽くした戦争を再び起こさないためにも、ヨーロッパが1つになるべき」という理念のもとに20世紀後半をかけて作られたものです。

 理念と裏腹にある現実は、「何かあれば対外膨張主義に陥りやすいドイツを抑える」というものでしたが、今や
EUはドイツを中心に回っています。イギリスはEUの主要なメンバーですが、ドイツやフランスほどの存在感がありません。そうした中で、「EUなんかにいてもいいことないし、かえっておカネを取られて、嫌なこと(移民の流入)はやらされる」という感情がイギリス国内にあり、大接戦ではありましたが、イギリスはEuropean Unionから脱退することになりました。


 もっと言えば、ナチス時代に既にドイツは「ひとつのヨーロッパ」という構想を立てていました。EUはその現代版ですが、ナチスの考えたヨーロッパ連合は、ヨーロッパ諸国がドイツに奉仕するための構造(日本の大東亜共栄圏とよく似ています)ですが、今は、名目上はそうではありませんが、現実はドイツを盟主にしている構造になっています。
 

 先ほども書きましたが、興味深いことに、イギリスの国民投票では、地域差がはっきり出ました。スコットランド、北アイルランド、ロンドン大都市部ではEU残留が多く、ウェールズとロンドンを除くイングランドはEU脱退が多くなりました。そして、スコットランドはEU残留を求めて独自に動こうという動きが出ています。ここでUnionが崩れそうな動きになっています。スコットランドでは以前に、連合王国から脱退するかどうかで住民投票があって僅差で否決されていますが、こうした動きも再び活発化するでしょう。連合王国の一部が脱落するということになります。Unionが壊れるかもしれないということです。

 

 アメリカではこのように州で分離独立の動きはありませんが、以前、このブログでもご紹介しましたが、カリフォルニア州南部、ロサンゼルスからさらに50キロほど南にあり、ディズニーワールドがあるアナハイムを中心とした地域で、「カリフォルニア州から離れて、アリゾナ州に入りたい」という動きが起きて、住民投票がありました。カリフォルニア州から離れたいと主張した人々の理由は、「カリフォルニア州はリベラルな政策ばかりだ。そのために税金が高い。自分たちは保守的な考えを持っている。年収も高い分、税金をたくさん取られて嫌だ。だから、保守的なアリゾナ州に入りたい」というものでした。

 

 アメリカでは、共和党と民主党が強い、レッド・ステイトとブルー・ステイトと呼ばれる州に分かれています。レッド・ステイトは共和党(イメージカラーが赤)、ブルー・ステイトは民主党(イメージカラーが青)が強いです。これが顕著に出るのが大統領選挙です。アメリカ南部から中西部にかけてはレッド・ステイト、西海岸、東海岸の大都市がある州はブルー・ステイトとなっています。もちろんそれぞれには反対の考えを持つ人々も多く住んでいますが、大勢ではこのようになっており、「アメリカの(イデオロギー上の)分裂」が語られます。ですから、2000年以降のアメリカの大統領選挙では、勝者も敗者も「分裂ではなく、団結を」という演説を行っています。また、オバマ大統領が無名の存在から飛び出してきたのは、「アメリカは、アフリカ系、アジア系、などに分裂しているのではなく、United States of Americaなのだ」という演説をして注目されるようになってからです。

 

 しかし、アメリカの政治家たちがアメリカ国民のUnionを強調するのは、現実では様々な亀裂が入っていることを示しています。著名な政治学者であった故サミュエル・ハンティントンは、最後の著書『分断されるアメリカ』の中で、「アメリカはホワイト・アングロサクソン・プロテスタント(White Anglo-Saxon Protestant)の国なのだ」ということを書きました。そして、文化相対主義(移民してきた人々の元々の文化や伝統を尊重する)を批判しました。それは、「アメリカがアメリカではなくなる」という危機感でした。アメリカで人口が増えているのは、ヒスパニック系やアジア系です。白人(白人の中でも区別があって、イタリア系やアイルランド系、ポーランド系はカトリック教徒が多いということあって非WASPということで差別されました)の人口に占める割合はどんどん小さくなっています。恐らく過半数を割っているでしょう。

 

 私が小さい頃は、アメリカは「人種のるつぼ(melting pot)だ」と習いました。これは、どんな人種の人でも、アメリカ人になるのだということでしたが、今は、アメリカは「サラダボウル(salad bowl)だ」ということになっています。レタス、トマト、きゅうりとそれぞれ違う野菜が一つのサラダを形成するので、それらが溶け合って姿を消してスープになるのではなく、個性を主張するのだということになっています。

 

非白人の人たちが身体的に肌の色を変えることはできませんし、そんなことは全くもって何も要求しないが、アングロサクソン・プロテスタントの文化やそれを基礎にした制度(今のアメリカの政治や経済、社会制度)を受け入れることを、アメリカ白人は求めています。ですが、良く考えてみると、非白人の人たちは何もアメリカの政治、経済、社会制度を乱そうとしている人などほとんどいません。それどころか、デモクラシーや三権分立は素晴らしいし、世界に誇れることだと思っています。

 

 だから、「制度や文化を身に着けてほしいだけ」という綺麗ごとをはぎ取ると、「自分たちの分からない言葉で書かれた看板が街中にあることや、自分たちの分からない言葉で、大声で会話することを止めて欲しい、それはとても恐いことだから」ということになります。フランス語やドイツ語、スペイン語であればまだアルファベットですし、同じ単語を使っていたり、類推できる言葉があったりで、まだ許容できるが、アラビア語や漢字、ハングルで書かれたものが街中にあるのは怖いことです。自分たちが理解できないものが身近にあることで誰でも違和感を持ちます。それは当然のことです。

 

 そして、そういう自分たちの分からない言葉を使い、身近ではない文化を持っていて、それを手放そうとしない人たち、に対する反感が出てきます。それがアメリカとイギリスで起きていることの原因です。「分かり合いましょう」といくら口で言っても、あまり意味はありません。怖いと思っている方がわざわざ近づこうとはしませんし、思われている方は、思われている方同士で固まってしまいます。そして、敵対してしまう、分裂してしまうということになります。

 

 国家という枠組みが近代から現代にかけて出来ました。国家は国民がいて、国境線があって(国土があって)、政府があって成立します。そうした国家同士が戦争をしないようということで、20世紀には国際連盟(League of Nations)が作られ、戦後は国際連合が作られました。また、地域的な結合で言えば、ヨーロッパ連合ということになります。

 

 近代は、ナショナリズム(Nationalism)を基盤とした国民国家を生み出しました。そして、国家を超えるためのグローバリズム(Globalism)を基礎にして国際機関を生み出し、かつ人間や資本の移動の自由を追求しました。EUはその中間にあるリージョナリズム(Regionalism)の産物と言えるでしょう。

 

 ナショナリズムは加熱すすると他国との摩擦を生み出し、それが戦争にまで結びつくという考えから、国家を超える機関の存在が考えられるようになりました。

 

 現在、アメリカとイギリスで起きていることは、国民国家に大きな亀裂を生み出しています。保守とリベラルというイデオロギー上の亀裂はこれまでもありましたが、ナショナリズムと排外主義・差別主義が結びつくことで、ナショナリズムが変質してしまい、攻撃的・後ろ向きの面が強調されることで、それを支持する人とそうではない人で国が分裂しかねない状況になっています。アメリカで言えば、レッド・ステイトとブルー・ステイトの存在、イギリスで言えば、連合王国からの脱退を考えるスコットランドといった存在です。

 

 そして、こうしたナショナリズムの変質をもたらしたのは、グローバリズムとリージョナリズムの深化です。グローバリズムとリージョナリズムによって、人の資本の移動は自由になり、活発になることで利益を得られる人とそうではない人が出てきます。パナマ文書事件が起き、「大金持ちは支払うべき税金を逃れる手段を色々と持っており、それを利用してずるい、不公平だ」ということになりました。また、移民がやってきて、安い賃金できつい労働をやることで、自分たちに仕事が回ってこないという不満も高まりました。

 

 このような社会・経済・政治不安から、既存の枠組みに対する不信が出てくる、そういう時に、歯切れの良い言葉で自分たちの「敵」を教えてくれる人を指導者に仰ぎたくなる、その人に任せて自分たちの不安を解消したいという思いが出てきます。それを掴んだのがヒトラー(彼はユダヤ人が元凶だと言いました)であり、イギリスのEU脱退派のリーダーたち(彼らはEUと移民が悪いと言いました)であり、トランプ(不法移民とイスラム過激派とヒラリーこそが彼の言う敵です)です。

 自由主義の考えからすると、国家とは構成する個人の利益を追求するためのものですが、同時に、相互扶助ということも重要な要素となります。人間社会においては、どうしても能力の差(いわゆる頭がいいとか悪いとか、体の機能の差)が出ます。それを全て埋めて平等にすることはできません。しかし、最低限の生存(日本国憲法にある「健康で文化的な最低限度の生活」)は保障することが近代の成果です。そして、そのための機能として国家がリヴァイアサンではあるが、その必要悪として受け入れて、出来るだけ悪いことをさせずに構成する個人の利益に資するようにすることが政治家の役目です。その枠組みが崩れそうになっているのが世界各地で見られる現象から分かる現状であると思います。

 強いリーダーたちに任せてみたい、そして大きな変革をして欲しいというのはこれまでも起きたことですし、これからも起きるでしょう。しかし、実際には、何も大きな変革、革命などは起きません。革命が起きれば新たな抑圧と不満が出てくるだけです。ですから、今ある枠組みを、まるで古ぼけた、故障がちのエンジンを修理しながら車をのろのろと走らせながら、道を進んでいくことしかありません。毎日、ぶつぶつと愚痴を言いながら進んでいくしかありません。その最低限の枠組みが、現在は国家であり、民主的な政治制度ということになります。そして、これらを担保するunionを何とか保っていけるようにするしかありません。 

 

(終わり)





 
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アメリカ政治の秘密
古村 治彦
PHP研究所
2012-05-12




●皆の海から中国の海へ

 

 中国人のプライド、ナショナリズムは彼らの奥底から湧き出るものだ。そして、彼らは、2世紀にわたる弱体国家の悲哀と屈辱から中国を復興させたいと熱望してきた。そして、この熱望が、最近の四半世紀における中国の進歩の原動力となった。ナショナリズムの存在は、経済格差が増大し続けている状況において国民の統一を維持するために重要である。また、ナショナリズムの存在によって中国は、マルクス・レーニン主義を公式の支配イデオロギーでして扱わなくても済むようになっている。中国を支配している中国共産党が国民としてのアイデンティティを強調するようになっているのは驚くべきことではない。

 

 しかし、ナショナリズムは多くの馬鹿げた、そして自国を傷つけることになる数多くの行為を中国に取らせる力となってしまっている。特に、南シナ海における攻撃的な領土に関する主張、一方的な「防空識別圏」の宣言、尖閣諸島に関する問題に対する強硬な姿勢は、中国政府が主張している「平和な台頭(peaceful rise)」を疑わしいものとしている。そして、アジア諸国は中国に対して警戒感を持っている。中国の主張の是非はともかく、彼らの行為は愚かしい。それは、中国の馬鹿げた行為によって、近隣諸国が中国に対峙し、アメリカの保護を求めるようになっているからだ。中国は長期的な構えをし、現在よりも強大になるまでそうした馬鹿げた行為を慎むのがより賢いやり方であると言えるだろう。しかし、中国全体の感情を考えると、中国の指導者たちがこのような賢く、忍耐力が必要なやり方を維持できるかどうかははっきりしない。

 

●正直ではない安倍

 

 皮肉なことに、現在の日本は、現代のナショナリズムが非生産的な、全く逆の効果を生み出すことの具体例を提供している。日本政府は尖閣諸島に関する問題で同じく一歩も引かない姿勢を見せている。更に悪いことに、日本は韓国とも竹島を巡り争っている。竹島は取るに足らない小さな島々でそこまで重要ではない。安倍晋三首相を含む日本の指導者たちは、第二次世界大戦中の朝鮮半島において日本が行った誤った行為について発言をしている。その中には、韓国人の女性たちを日本軍の「慰安婦」として使ったことはないという発言も含まれる。日本については次のように考える。中国は台頭しつつある大国である。中国は多くの点で日本を凌駕しつつある。日本は巨大な中国に対して行動の自由を最大限確保したいと望むならば、アジア地域において出来るだけ多くの友人を持つ必要に迫られる。これから得られる結論は明らかだ。韓国との不毛な争いは非生産的であり、馬鹿げている。そして、政治家たちが靖国神社に参拝して、日本の右翼のナショナリスティックな感情を和らげることもまた非生産的であり、馬鹿げている。

 

●こぼれた牛乳とはちみつ

 

 シオニズムは、根本的に19世紀にヨーロッパを席巻したナショナリズムのユダヤ版と言える。国家の統一、愛国的な犠牲、ユダヤ人の離散者たちからの支援を促すことで、シオニズムはイスラエルが過去に達成した業績にとって重要な基盤となった。

 

 しかしなら、現在、シオニズムはより過激な方向に発展しており、イスラエルの将来に危険を及ぼすかもしれないということになっている。イスラエルは国土の安全を求める代わりに、「より巨大なイスラエル」の永遠の確立に拘泥する一方で、イスラエルによる厳しいコントロール下にあるいくつかの飛び地にパレスチナ人たちを閉じ込めている。こうした政策はイスラエル内外のアラブ人たちに対する人種差別的な態度を引き起こしている。これはマックス・ブルメンソールが最近になって著書で発表したとおりである。こうした動きのために、イスラエルは、国際社会から厳しい批判に晒され、アメリカ国内、特にユダヤ系アメリカ人たちの間での支持と同情を失っているのである。他国でも言えることであるが、ナショナリズムの負の側面はイスラエルの長期的な利益を損なう政策の実施ばかりを促してしまうのだ。

 

●山の上にある一つの都市

 

 アメリカのナショナリズムは他国のナショナリズムといくつかの点で異なるものだ。アメリカのナショナリズムは、「市民(公民)的」ナショナリズムである。アメリカのナショナリズムは、民族や祖先といったものではなく、共有された政治原理と自由主義的な文化的価値観を基礎にしている。アメリカのナショナリズムが持つこうした特徴によって、アメリカは、波のように押し寄せてくる移民たちをアメリカ社会に争いや緊張を生じさせることなく、溶け込ませることができた。そして、アメリカは独自のナショナリズムを持つことで大国としての地位を確立することができた。

 

しかし、時間の経過と共に、特にアメリカが大国の一つとなって以降、アメリカのナショナリズムは、危険な「自分たちは例外」という考えを膨らませていった。特に、アメリカ人(特に外交政策に関与するエリートたち)は、アメリカは、「世界の指導者」としての役割を果たす権利と責任を有していると確信するようになった。それは、アメリカが大変に強力な国であるからというばかりではなく、アメリカは最良の統治形態を持ち、アメリカ国民は最も道徳的で、アメリカは常により善い目的のために正しい行動をするのだという確信を持つようになったからでもある。アメリカから遠く離れた土地で武力を行使し、アメリカに非友好的な政府を瓦解させても、それはより善い目的のために行われるのだとアメリカの指導者たちは信じ込むようになったのだ。

 

 アメリカのナショナリズムのこうした行き詰まりの結果が現在噴出している。アメリカの指導者たちがアメリカは常に善い行いしかしないと信じるようになってしまい、アメリカの力が他国をどれほど心配させているのかを過小評価するようになった。そして、他国がアメリカ政府に影響を与えて、アメリカの動きを何とか緩やかにしようとして様々なことを仕掛けるということにも鈍感になってしまっている。アメリカの指導者たちはアメリカの統治形態が最高のものであると確信しているので、他国へこれを輸出でき、他国もそれを喜んで受け入れるというアメリカの統治形態への過大評価という愚を犯している。アメリカは多文化に関する実験で成功を収めた希有な国であるために、アメリカ人は、世界の他の場所で、アイデンティティや宗教の共存が困難であることを認識できないのである。アメリカ人は自分たちがより賢く、より団結し、より英雄的で、分かりやすい人々である考えるために、ヴェトナム人、イラク人、アフガニスタン人が自分たちを打ち倒せるなどと考えることが難しい。たとえアメリカがそうした国々に行って戦っても、アメリカ人の士気は高く、最後には勝利を得られると考えていた。しかし、それは間違いであった。

 

 私はナショナリズムそれ自体に反対しているのではない。ナショナリズム自体がすぐになくなるということはないだろう。思考を停止した、無批判の、「我が国は全面的に正しいか、それとも間違っているか」というようなナショナリズムを私は批判している。それは時にこの種のナショナリズムが社会全体に影響を与えることがあるからだ。そのようなナショナリズムが横行する時、ある国の一部の人々が持っていた正当な誇りは、暗く、より粗雑な、そしてより危険な何かに変化する。そうなると、より危険な何かのせいで、国家は馬鹿げたことをやるようになる。国際政治の分野では、個人の生活と同様、馬鹿げたプライドは命取りになるのである。

 

(終わり)



 

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アメリカ政治の秘密
古村 治彦
PHP研究所
2012-05-12


 

 古村治彦です。

 

 今回から2回に分けて、国際関係論の分野の泰斗であるスティーヴン・ウォルト教授のナショナリズムに関する論稿をご紹介したいと思います。

 

 ナショナリズムは日本語にしにくい言葉で、そのままカタカナにしました。本稿は、ナショナリズムの長所と短所、更に現在までの日本を含む東アジアの状況が良くまとめられているものです。

 

 現在のウクライナ、ロシア情勢も含めて、国際情勢や各国の対外政策を考える上で示唆に富んだ内容となっていると思います。

 

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国家的愚かしさ(National Stupidity

 

国際政治の分野では、個人の生活と同様、馬鹿げたプライドは命取りになるのである(In international politics, pride goeth before a fall.

 

スティーヴン・M・ウォルト筆

2014年1月14日

フォーリン・ポリシー誌

http://www.foreignpolicy.com/articles/2014/01/14/national_stupidity_nationalism_china_american_exceptionalism

 

国際的な出来事を動かす最も強力な力は何であろうか?多くの要素があることが考えられる。しかし、それらの中でもナショナリズムは強力な候補ということになる。人類は、様々な「国民(nations)」(いくつかの共通点を有する人々が同じ“想像の共同体(imagined community)”の一部であると考える)として分かれているという考えがある。そして、これらさまざまに分かれた国民は自分たちの「国家(state)」を持つ権利があるという考えも存在する。この各国民が自分たちの国家を持つという考えがヨーロッパ型のシステムを形成した。そして、イギリス、フランス、オーストリア=ハンガリー、オスマン、ソ連の各帝国の崩壊につながる反植民地革命を鼓舞した。更には、こうした2つの考えは、国家の数がここ数十年間、着実に増加し、この動きが止まらないことの説明にもなっている。

 

 ナショナリズムは必ずしも悪いことではない。国民としての強い感情を持つことは、多くの美点を有する。ナショナリズムの存在によって、社会は集合行為(collective action)が抱えるジレンマを乗り越えることができる。ナショナリズムの存在によって、ある国の国内で競争関係にある諸グループが共通の善のために犠牲を払うことに同意し、様々な違い(宗教など)に対して寛容になることができる。ナショナリズムの存在によって、国民を共通する目的のために努力させることができる。その結果、国家的な希望の実現と経済成長の達成が促進される。フランス革命以降に世界が発見したように、ナショナリズムは軍事力の源泉となる。愛国心によって軍隊に参加する兵士たちは、傭兵や忠誠心がバラバラの兵士たちよりも激しく奮戦する。

 

しかし、ナショナリズムは良いことばかりを持っているのではない。建国神話や主張は、ある国の肯定的な業績にスポットライトを当てるが、否定的な間違った行為を無視する傾向にある。つまり、全ての国々は、「砂糖がまぶされた」歴史を語っているのである。著名な政治学者の故カール・W・ドイチェは次のように述べている。「国民とは、過去に関する誤った考えと近隣諸国に対する憎悪でまとまった人々のことである」。この特徴によって全ての国々は他国のことが見えない状況に陥りがちになる。また、同じ出来事や事件を他国がどうして時刻と全く違う見方をするのか理解しがたい状況を生み出す。

 

一例を挙げれば、アメリカ人が「イランアメリカ大使館人質事件(Iranian Hostage Crisis)」と呼ぶ事件をイラン人は「アメリカのスパイの巣窟退治(Conquest of the American Spy Den)」と呼ぶ。これは何も驚くに値しない。この事実が私たちに教えているのは、ある特別な事件をアメリカとイランはそれぞれどのように捉えているかということだ。自国の過去を綺麗に抹消することで、ある国は、他国がどうして時刻に対して懐疑的なのかという理由も忘却してしまうのだ。集団的な記憶喪失によってある国は、他国の現在の態度を最悪の形で受け止めてしまうことになる。アメリカ人のほとんどはアメリカが南米に対して何度も侵攻を行ったことなど忘れてしまっているが、メキシコ人、グアテマラ人、ニカラグア人などはそのことを忘れてはいない。

 

 ナショナリズムの存在によって、既存の紛争の解決が難しくなる。特にある問題に対して争う国々の主張が真っ向から対立している場合に解決は困難になる。このような状況に陥れば、紛争当事国同士は、自国の主張はひたすらに正しく、相手国の主張は、全く正当な根拠のない攻撃的なものだと考えるようになる。イスラエルとパレスチナの関係を見ればよく分かると思う。更に言えば、このような態度に陥れば、妥協に到達するために必要となる柔軟性を外交官たちが発揮する機会を失うことになる。それは、完全なる勝利以外のあらゆる合意は、国家の神聖な価値に対する裏切りと見なされるからだ。

 

最後になるが、過激なナショナリズムは自信過剰の炎の燃料となる。国家的なイデオロギーは、ある国が他国とは違い、他国に対して優越しているという姿を描き出しがちである。実際、ナショナリズムを越えたプライドは、何よりも国民に対して「トルコ人で良かった」「フランス人で良かった」「日本人で良かった」「タイ人で良かった」「アイルランド人で良かった」「エジプト人で良かった」「ロシア人で良かった」という感情を植え付けるようになる。アメリカ人もそのように考えがちである。アメリカの「例外主義(exceptionalism)」という思想の存在がそれを示している。このような考えが主流となれば、あとは「他国など我が方に比べて大きく劣っており、戦場において容易く撃破できる」という結論まで一直線である。

 

 つまり、ナショナリズムには多くの長所があるにもかかわらず、ナショナリズムは国家的愚かしさの源泉となる場合がある。更に悪いことに、何の批判も加えられないナショナリズムは、ある国に利益とならない、間違った行為を行わせることになる。ナチス・ドイツや帝国主義下の日本といった極端な例を見てみれば、劇毒性のある超ナショナリズム的な信条は、国家的な厄災をもたらし、数百万の人々が苦しんだり、亡くなったりするということが分かる。

 

 グローバライゼーションとヨーロッパ連合のような国民国家の枠組みを超えた構造の出現によって、こうした危険は過去の遺物となったと主張する人々がいる。10億人がフェイスブックを利用するようになった時代に、国民や民族の違いなど問題にならないとも主張している。しかし、そうではないのだ。本論の後半で取り上げた国家的愚かしさについて考慮してみて欲しい。

(続く)



 

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