古村治彦(ふるむらはるひこ)の政治情報紹介・分析ブログ

SNSI研究員・愛知大学国際問題研究所客員研究員の古村治彦(ふるむらはるひこ)のブログです。翻訳と評論の分野で活動しています。日常、考えたことを文章にして発表していきたいと思います。古村治彦の経歴などについては、お手数ですが、twitter accountかamazonの著者ページをご覧ください 連絡先は、harryfurumura@gmail.com です。twitter accountは、@Harryfurumura です。よろしくお願いします。

タグ:ナショナリズム

 古村治彦です。

 安倍晋三元首相とは日本政治にとってどんな存在であったか。憲政史上最長の在任期間を記録した安倍元首相は対米従属の深化と日本の海外での戦争を行う条件づくりに狂奔したと私は考える。国民が安倍政権下での国政選挙で自民党を勝たせ続けたことで、彼に正当性を与える結果になった。アベノミクスによって経済格差は拡大し、国民の平均年収も下がり続けた。日本は貧しくなり続けた。とても「国葬」にふさわしい人物ではないと考える。

 安倍元首相は根本的に大きな矛盾を抱える存在だった。それは、「極めて親米的でありながら、アメリカが嫌がる歴史修正主義に邁進した」ということである。アメリカからすれば、日本の防衛予算の増額やアメリカの軍需産業からの武器購入を進める、在日米軍への思いやり予算を増額する、自衛隊がアメリカ軍の下請けとして海外で戦争ができるように進める、ということは大変に「御意にかなう」ことであった。この点では「愛い奴」ということになる。

しかし、一方で、太平洋戦争に関して、アメリカが正しいとする史観に異議を唱える。アメリカから見れば、「フランクリン・D・ルーズヴェルト大統領は真珠湾攻撃が実施されることを知っていて放置して日本から先に手を出させる形にした」ということは受け入れられない。安倍元首相が参拝してきた靖国人社の歴史資料館遊就館にはそのように展示されている。「日本はアジア諸国に良いことをした、中国や韓国にいつまでもごちゃごちゃ言われる筋合いはない」ということもアメリカからすれば目障りだ。こうした日本の右翼による主張を受け入れてしまえば、アメリカの正当性は揺らいでしまう。そして、日本の右翼(ネトウヨを含む)にとっての最大は皮肉にも当代きっての親米派安倍元首相ということになった。

 核武装、核シェアリングを言い出したことでアメリカは安倍元首相を見限ったのだろうと私は考える。「こいつはなかなか役に立ったけども、一枚めくればいつアメリカの正当性に挑戦してくるかもしれない、もしくはそうした勢力に担ぎ上げられてしまうかもしれない」「中国との対決ばかりを言う奴らを甘やかし過ぎたな」ということになったのだろう。

 安倍元首相の抱えた矛盾とは戦後日本が抱えた矛盾である。この矛盾を自分の中に抱えながらうまくバランスを取ることが現実的な保守政治家ということになる。安部元首相はそのバランスをうまく取れなくなっていたように思う。彼は親米派として葬られるのか、それとも歴史修正主義者として葬られるのか、後の世の歴史家たちがどう判断するのかが今から楽しみだ。

(貼り付けはじめ)

安倍晋三をめぐる数多くの矛盾(The Many Contradictions of Shinzo Abe

-日本の元首相はアメリカとの関係を緊密にしようとしながらも、日本による征服の正当性への信念に固執していた。

ハワード・W・フレンチ筆

2022年7月18日

『フォーリン・ポリシー』誌

https://foreignpolicy.com/2022/07/18/shinzo-abe-history-japan-diplomacy-contradictions/

最近暗殺された日本の元指導者安倍晋三との最初の緊密な出会いから彼が特別な政治家であることは私にとって明らかだった。批評家による「金属疲労」の患者の診断だけでなく、私のキャリアにおいて私が精通していた世界の舞台の基準でも特別な政治家だった。安倍元首相は、古ぼけた見た目の指導者たちが次々と交代し、批評家たちが「金属疲労(metal fatigue)」に苦しんでいると評価する国の基準からだけではなく、私がキャリアを通じて親しんできた国際舞台の基準からも、特別な政治家であった。

2000年代初頭、官房副長官として初めて見た安倍元首相には、既にダイナミズムと自信、そして野心のオーラが漂っていた。戦後間もない時期に強力な総理大臣を務めた岸信介の孫という、日本の保守政治の世界では最も高貴な血(blue blood)を引く人物だった。しかし、安倍首相を取り巻く権威の力は、継承されたものというより、むしろ彼個人の属性に近いように感じられた。

記者会見で、即興的かつ激しい言葉遣いで、自信たっぷりに話す姿にそれを感じた。また、2002年に北朝鮮の平壌で行われた小泉純一郎首相と金正日総書記の首脳会談では、より身近なところからそれを感じ取ることができた。

1970年代後半から1980年代初頭にかけて北朝鮮に拉致されたとされる日本人たちの運命や、北朝鮮で死亡した拉致被害者の遺骨の回収など、外交分野における最も困難な問題のいくつかを安倍元首相は自ら担当した。官房副長官という立場を考えれば、他の多くの政治家はスポットライトを浴びないように配慮しただろう。しかし、安倍元首相はカメラに映ることを楽しんでいるようで、注目を浴びすぎないようにすることが課題となった。

安倍元首相は、私が初めて取材した、私とほぼ同世代の世界のリーダーの1人である。2006年、戦後最年少の52歳で総理大臣に就任し、その野望を実現する。しかし、その最初の任期は、他の多くの先輩たちと同様、健康上の問題からわずか1年後に終了するという短いものとなってしまった。しかし、5年後の2012年に再び首相に返り咲き、2020年には歴代最長の首相としてその任を終えることができたのは、彼の並々ならぬ意欲の表れであったと言える。

このように、単独の銃撃犯の凶弾に倒れた稀代の政治家が体現することになる多くの深い矛盾を、私たちは既に見ることができる。安倍首相の夢は日本を近代的にすることであり、それは政治の近代化によって実現される。しかし、安倍首相が常に考えていたのは、より根本的かつ避けらないことだった。それは自分が率いる、長年にわたって日本を支配する自民党の立場を強化することだった。自民党(Liberal Democratic PartyLDP)は「リベラルでも民主主義でもない(neither liberal nor democratic)」という古くからの定説ほど、正確なものはない。

安倍首相は自民党の政権をほぼ維持し、更に強化することに成功したが、自民党は決して大胆な改革に熱心ではなかったし、それは安倍首相自身にも当てはまる面がある。例えば、安倍首相は「女性が輝く日本(a place where women shine)」を実現するために「ウーマノミクス(womenomics)」と名付けた公約を掲げた。経済的そして人口的に女性の社会進出は急務であり、賃金や地位の平等、更には国防軍への登用も必要だが、その進展は鈍く、自民党の有力政治家の中にはは公の場でしばしば下品な性差別を口にする人々も出ている。

安倍首相は「~ノミクス(-nomics)」という言葉を好み、「アベノミクス(Abenomics)」として広く知られる自国の競争力強化を目指した一連の政策とさらに深い関わりを持っていた。確かに、長い間低迷していた株式市場は、安倍首相在任中に飛躍的に上昇したが、経済格差は彼の在任中に大幅に拡大した。また、韓国や中国など、産業が活発な近隣諸国に対抗するために、日本がどのような位置づけにあるのか、その判断ははっきりしないものとなっている。

純粋に政治的な観点からすれば、安倍首相の2期目の長期在任によって、首相に就任してはすぐに退陣する刹那的な自民党指導者たちが後を絶たないサイクルと決別できるかもしれないと思われた。しかし、安倍首相が選んだ後継者の菅義偉は、表現力に乏しく、目立たない人物で、2020年9月から翌年9月までしか在職しなかった。安倍元首相は、小泉政権時代の官房長官時代のように、ゴッドファーザーとして、また、常に政治の中心にいる黒幕(éminence grise、エミネンス・グライズ)として、最大限の影響力を培うことによって、日本政治における慢性的な短期交代がもたらす影響を緩和することを明らかに望んでいた。しかし、彼の死によって、その夢も消えた。

1980年代に5年間首相を務め、世界の指導者の中でも特にロナルド・レーガン元米大統領と親密な関係を築いた中曽根康弘以来、外交関係において安倍首相は少なくとも最も活発でダイナミックな日本の政治家であった。安倍元首相は、すぐに飛行機に乗り、精力的に個人として外交を行った。当時、当選したばかりのドナルド・トランプ米大統領とニューヨークのトランプタワーで面会した最初の外国首脳となり、ロシアのウラジミール・プーティン大統領とは他のどの国の首脳よりも多く面会した。

そして、その執念によって、中国の習近平国家主席の仰々しい安倍元首相への蔑視を克服した。2014年、北京で開かれたアジア太平洋経済協力会議首脳会議で、ついに2人は初対面を果たした。この初対面の写真は名作で、いろいろな読み方ができる。私には、安倍首相が疲労困憊の表情とは裏腹に、「隣の巨人の強力な指導者とついに一騎打ちの機会を得た」という満足感に満ちているように見えるのに対し、習近平の顔は、まるで「この人と握手をさせられるなんて」と思っているような、羊のような顔をしているように見える。

しかし、結局のところ、安倍元首相の執念と人柄の強さは、日本に何をもたらしたのだろうか?

安倍元首相の死後、アメリカの外交・安全保障関係者の多くは、安倍元首相を讃えようと躍起になった。アメリカとの防衛同盟を強化し、アジア太平洋地域でより積極的で力強い存在となり、日本国憲法を改正し(戦後の日本占領中にアメリカ人たちによって書かれた)、そして何よりも、これらの各項目に関連するが、中国の台頭に対する防波堤としてより直接的にアメリカを支援しようとする彼の粘り強い努力を称えている。

しかし、外交分野ほど安部元首相が矛盾を残した分野は他にない。日本が安全保障を向上させるためにできる最善のことは、粘り強さと規律をもって韓国との深い和解を実現することであることは間違いない。しかし、安倍首相の家系は、特に戦犯としてかろうじて裁かれることを免れた岸信介の孫であることから、それが不可能であるように思われた。

安部元首相の夢は彼が韓国との「前向きな(forward-looking)」関係と彼の国の過去に対する謝罪のない態度を作り出すことだった。これは、彼と将来の日本の指導者が、日本の戦争での戦死者たちの霊が祀られている東京の靖国神社に参拝することができるという希望を決して捨てることを意味しなかった。靖国神社に祀られている死者の中には、20世紀の日本の帝国主義戦争で重要な役割を果たした戦争犯罪者たちが含まれている。

安倍元首相は、アメリカとの関係を緊密化する一方で、日本の征服の背後にある崇高な意図と正当性についての信念に固執した。したがって、戦後の東京裁判の違法性、ひいてはアメリカによる占領と、日本が攻撃的戦争目的を追求するための軍隊を保有することを永遠に禁止する、アメリカによって書かれた日本国憲法の非合法性についても確信を持っていた。しかし、安倍元首相を長く政権に留まらせた同じ日本国民が、そのような道を歩むことは決してなかった。安倍元首相は、いわゆる平和憲法の改正を推し進めたまま亡くなり、この点では不満の残る死を遂げた。

どの程度までアメリカとの同盟にこだわるかは、後世の日本人が決めることだろう。いずれにせよ、中国は日本にとってより大きな、そして当分の間は経済的にも軍事的にも強力な隣国であることに変わりはない。日本はアメリカよりも中国との貿易が多く、紛争になれば、ウクライナに侵攻したロシアを罰するためにアメリカやヨーロッパ諸国が主導しているような欧米諸国による対中制裁体制によって壊滅的な打撃を受けるだろう。アメリカが中国と撃ち合いになれば、日本は更に恐ろしい選択を迫られることになるだろう。ワシントンとの同盟を結んでいることで、中国のミサイルが日本の領土に降り注ぎ、海上で日本の船舶を沈めるような事態が起きるならば、その同盟には価値があるだろうか?

私たちはこのような事態にならないことを願わなければならないが、希望は戦略ではない。私が2017年に出版した『天の下の全て:過去が中国の世界的権力の推進を形作るのにどのように役立つか(Everything Under the Heavens: How the Past Helps Shape China's Push for Global Power)』で主張したように、東アジアで戦争のリスクが最大になる時期は、今後数十年に及ぶというケースがある。その後、中国の人口動態が大きく変化し、北京はますます多くの富を国内の退職金や社会福祉に充て、近くて遠い海外での野望を後退させるだろう。

このようなシナリオの下では、安倍首相が掲げる日本のヴィジョンは、いくつかの論理のうちの1つに過ぎない。過去と折り合いをつけ、近隣諸国に接近する(アメリカに背を向けるという意味ではない)ことも、同様に明白な代替案であるように思われる。

※ハワード・W・フレンチ:『フォーリン・ポリシー』誌コラムニスト、コロンビア大学ジャーナリズム大学院教授。長年にわたり海外特派員を務める。最新刊は『;アフリカ、アフリカ人、そして近代世界の構築、1471年から第二次世界大戦まで』。ツイッターアカウント:@hofrench
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(終わり)※6月28日には、副島先生のウクライナ戦争に関する最新分析『プーチンを罠に嵌め、策略に陥れた英米ディープ・ステイトはウクライナ戦争を第3次世界大戦にする』が発売になります。


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 古村治彦です。

 今回はナショナリズムについての論稿をご紹介する。まず、ナショナリズム(nationalism)という言葉の定義については2つある。論稿の著者スティーヴン・M・ウォルトは次のように定義している。

「まず、世界は重要な文化的特徴(共通の言語、歴史、祖先、地理的起源など)を共有する社会集団で構成されており、時間の経過とともに、これらの集団の一部は、自分たちが国家という独自の実体を構成していると考えるようになったという認識から出発する。国家がその本質的な性格について主張することは、生物学的あるいは歴史的な観点から見て厳密に正確である必要はない。重要なのは、国家の構成員たちが、自分たちは1つの国家であると純粋に信じていることだ」。

第二に、ナショナリズムの教義は、全ての国家は自らを統治する権利があり、部外者によって支配されるべきではないと主張する。この考え方によって、既存の国家が、自分たちの集団に属さない人々、例えば、異文化から自国の領土に入り込んで住もうとする移民や難民に対して警戒心を抱かせる傾向が生まれる。確かに、移民は何千年も前から行われてきたし、多くの国家には複数の民族が存在し、同化も時間の経過とともに起こりうるし、実際に起こっている。それでも、国家の一員と見なされない人々の存在は、しばしば話題となり、紛争の強力な推進力となり得る」。

 大雑把にまとめれば「自分たちは共通の文化を持ち、同じ国民だという感覚を持ち、地理的な枠組みの中において自分たち自身で統治を行う」ということがナショナリズムということになる。ナショナリズムについては、ベネディクト・アンダーソンの名著『想像の共同体』があるが、「自分たちが同じ国民である」というのは確固としたものではなく想像上のものでしかなく、しかも近代の教育と出版によって生み出されたものだということが解明されている。

 人々の幻想であるナショナリズムであるがその力は大きい。ヴェトナム戦争しかり、現在のウクライナ戦争しかり、大国に対する粘り強い戦いの原動力がナショナリズムである。ナショナリズムは世界政治を動かす大きな力である。また、グローバル化している世界とは言え、いざという時には自国と自国民の利益を第一に行動する。グローバル化した世界と言ってもその実態は各国家の競争ということになる。自国の利益を第一に行動するのが自然なことだ。

 日本のナショナリズムについて考えると、歴史修正主義(revisionism)と米国への従属(dependency on the United States)という要素で、歪んだものになっていると私は考えている。「アメリカと一緒に中国をやっつけてやる」という主張がどんなにおかしくて、歪んだものかを反中右派の人々は考えてもらいたい。健全なナショナリズムの醸成ことがこれから重要である。

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エリートたちはナショナリズムを誤解している(Elites Are Getting Nationalism All Wrong

-ロシア、アメリカ、ヨーロッパ連合はそれぞれが結果的に災害に見舞われている。

スティーヴン・M・ウォルト筆

2022年4月27日

『フォーリン・ポリシー』誌

https://foreignpolicy.com/2022/04/27/elites-nationalism-wrong-russia-ukraine-europe-trump/

もし、国家元首や外務大臣が私に助言を求めたら(心配しないで欲しい、そんなことはまずない)、私はまず「ナショナリズムの力を尊重せよ」と述べるだろう。それは何故か? なぜなら、過去100年の大半を振り返りながら、現在起きていることを考えると、この現象を理解しなかったために、多くの指導者たち(そしてその国家)が大きな災難に見舞われてきたように思えるからだ。私は以前、2019年、2011年、2021年にもこの点を指摘したが、最近の出来事からは、ナショナリズムに関する教育を再び施すことが必要であると考える。

ナショナリズムとは何か? その答えは2つ存在する。まず、世界は重要な文化的特徴(共通の言語、歴史、祖先、地理的起源など)を共有する社会集団で構成されており、時間の経過とともに、これらの集団の一部は、自分たちが国家という独自の実体を構成していると考えるようになったという認識から出発する。国家がその本質的な性格について主張することは、生物学的あるいは歴史的な観点から見て厳密に正確である必要はない。重要なのは、国家の構成員たちが、自分たちは1つの国家であると純粋に信じていることだ。

第二に、ナショナリズムの教義は、全ての国家は自らを統治する権利があり、部外者によって支配されるべきではないと主張する。この考え方によって、既存の国家が、自分たちの集団に属さない人々、例えば、異文化から自国の領土に入り込んで住もうとする移民や難民に対して警戒心を抱かせる傾向が生まれる。確かに、移民は何千年も前から行われてきたし、多くの国家には複数の民族が存在し、同化も時間の経過とともに起こりうるし、実際に起こっている。それでも、国家の一員と見なされない人々の存在は、しばしば話題となり、紛争の強力な推進力となり得る。

ここで、ナショナリズムの力を理解できなかった指導者たちが、どのように挫折してきたかを考えてみよう。

証拠Aを示す。ロシアのウラジミール・プーティン大統領は、ウクライナのナショナリズムが、迅速かつ成功した軍事作戦によって、ウクライナにおけるロシアの影響力を回復しようとする試みをいかに阻害するかを理解していない。ロシアの戦争努力は当初から誤りが多かったが、ウクライナ人たちの予想外の激しい抵抗がロシアの行く手を阻む最も重要な障害となった。プーティンと側近たちは、外国からの侵略に対抗するために、国家はしばしば巨額の損失を吸収し、虎のように戦うことを忘れており、ウクライナ人が行ったのはまさにこれである。

しかし、このような失態を犯した指導者はプーティンだけではない。20世紀の大半、広大な植民地帝国のヨーロッパの支配者たちは、長く、費用のかかる、そして最終的には失敗するようなキャンペーンを行い、抵抗する国々を帝国の支配下に置いていた。アイルランド、インド、インドシナ、中東の大部分、アフリカの大部分など、ほぼ全域でヨーロッパは失敗し、恐ろしい数の人的犠牲を払っている。1931年以降、日本が中国を征服し、勢力圏を確立しようとした努力も同様に失敗した。

ナショナリズムの意味を理解することに関して、アメリカはあまり上手ではない。外交官ジョージ・ケナンをはじめとする一部のアメリカ政府関係者たちは、ナショナリズムが共産主義よりも強力であり、「共産主義の一枚岩」に対する懸念は誇張されていると認識していたが、ほとんどのアメリカ政府関係者たちは、左翼運動が思想的理由から自国の国益を犠牲にしてもモスクワの言いなりになること選択するのかどうかという点について疑問を持ち続けてきた。ヴェトナム戦争においても、ナショナリズムの力を見抜けなかったアメリカの指導者たちは、北ヴェトナムが祖国統一のために支払う代償を過小評価していた。1979年、ソ連はアフガニスタンに侵攻したが、アフガニスタン人が外国の占領者を撃退するためにどれほど激しく戦うかを理解していなかった。

残念なことに、アメリカの指導者たちは、これらの経験から多くを学ばなかった。2001年9月11日以降、ジョージ・W・ブッシュ政権は、イラクやアフガニスタンの人々が自由になることを熱望し、アメリカ兵を解放者として迎えるだろうと考えたため、既存の政権を倒し、光り輝く新しい民主政体に置き換えることは簡単だと思い込んでいた。代わりにブッシュ政権が手にしたのは、占領軍から命令を受けたくない、西洋の価値観や制度を受け入れたくないという地元住民の頑強な抵抗であり、そうした頑強な抵抗は最終的には成功した。

ナショナリズムの力を理解できないのは、戦争や占領に限ったことではない。EUは、国家的な愛着を超越し、ヨーロッパとしてのアイデンティティを共有し、ヨーロッパで繰り返される破滅的な戦争につながる競争圧力を緩和するために設立された。EUが平和的な効果をもたらしたと言うことも可能だ(他の要因の方がより重要であると私は主張するが)。しかし、国家のアイデンティティは依然としてヨーロッパの政治的構造の不変の部分であり、エリートが持つ期待通りにはいかないものとなっている。

まず、EUの構造自体が、ブリュッセルにあまり権限を渡したくない各国政府を優遇していることがあげられる。そのため、EUは「共通外交・安全保障政策(common foreign and security policy)」の策定を何度も試みているが、ほとんど実現できていない。更に重要なことは、危機が発生した時の各国の最初の対応が、ブリュッセルではなく、自国の選出議員に委ねられることである。2008年のユーロ圏危機の時も、新型コロナウイルス感染拡大の時も、結束は行われず、それどころか、各国は自国の利益のために行動していた。

更に、ナショナリズムの永続的な魅力を理解していないことは、なぜ多くの専門家がイギリスのEU離脱(Brexit)のリスクや強硬なナショナリスト政党の予想外の出現を過小評価したかを理解するのに役立つ。ポーランドの与党「法と正義」やハンガリーのオルバン首相の政党「フィデス」は、何よりもまず、EUの自由主義的価値観とは正反対の方法で、それぞれの国のナショナリズムに訴えかけることによって勝利を収めたのである。

最後に、ドナルド・トランプ前米大統領の政治的キャリアは、熱烈なアメリカのナショナリストとして自らを売り込み、アメリカを売り渡したと非難する、退廃したはずのグローバリスト・エリートたちと自らを対比させる能力に負うところが多い。彼の政治綱領と公的人格は、「アメリカを再び偉大にする」というスローガン、「アメリカ第一主義」のマントラ、あるいは(非白人の)移民に対する公然の敵意など、懐古的なナショナリズムを前面に押し出している。トランプ氏の政治的魅力に戸惑う人は、まず、彼が現代のアメリカ政治において誰よりも効果的にナショナリズムの力を利用したことを認識することから始めなければならない。

ナショナリズムの永続的な重要性を示す多くの証拠があるにもかかわらず、なぜ多くの賢い指導者たちがそれを過小評価するのだろうか? その答えは明確ではないが、ナショナリズムの中心的な特徴の1つが、ソフトウェアのバグに似て、問題の一端を担っているということかもしれない。国家は自らをユニークで特別な存在とみなすだけでなく、他国よりも優れていると考える傾向があり、それゆえ紛争が発生した場合には勝利する運命にあると考える。この盲点が、他国が自分たちと同等(あるいは、神に誓って優位)であるかもしれないことを認識するのを難しくしているのだ。アメリカ人の中には、ヴェトコンやタリバンが自分たちを倒す可能性があることを理解できない人もいた。プーティンにとっても、自分が劣っていると考えているウクライナ人がロシアの侵攻に立ち向かえる、あるいは立ち向かえるということを認識するのは難しいようである。

エリートはまた、自分がトランスナショナルなコスモポリタンバブル(訳者註:隔離された区域)の中で生活していることもあり、ナショナリズムの力を否定するかもしれない。毎年、スイスのダヴォスで開催される世界経済フォーラムに参加し、世界中でビジネスを行い、様々な国の同じ考えを持つ人々と付き合い、母国にいるのと同じように海外でも快適に暮らしていると、自分の交友関係以外の人々がいかに場所や地域の制度、国家への帰属意識に強い愛着を持っているかを見失いがちである。自由主義が個人と個人の権利を強調するのも、多くの集団が個人の自由よりも重要視する社会的絆や集団生存へのコミットメントから目を逸らすという点で、盲点になっている。

だから、ある政治指導者が私のところに助言を求めに来た時、あるいはこの指導者が考えている外交政策について私がどう考えているかを知りたがった時、私はこの指導者にナショナリズムを考慮しているかどうかを尋ね、大国がそれを無視するとどうなるかを思い起こさせるようにする。そして、マルクス主義の革命家、レオン・トロツキーの言葉を借りれば、こう言うだろう。「あなたはナショナリズムに興味がないかもしれないが、ナショナリズムはあなたに興味をもっているのだ」。

※スティーヴン・M・ウォルト:『フォーリン・ポリシー』誌コラムニスト、ハーヴァード大学ロバート・アンド・レニー・ベルファー記念国際関係論教授。

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(終わり)※6月28日には、副島先生のウクライナ戦争に関する最新分析『プーチンを罠に嵌め、策略に陥れた英米ディープ・ステイトはウクライナ戦争を第3次世界大戦にする』が発売になります。


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 悪魔のサイバー戦争をバイデン政権が始める
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 古村治彦です。

 最新刊『悪魔のサイバー戦争をバイデン政権が始める』は絶賛発売中です。バイデン政権に就いての日本語でのこれほど詳しい分析は他にないと自負しています。是非お読みください。

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 悪魔のサイバー戦争をバイデン政権が始める

 今回は中国についての論稿をご紹介する。今回の記事は、私が翻訳した、オーヴィル・シェル、ジョン・デルリー著『野望の中国近現代史(原題:Wealth and Power: China's Long March to the Twenty‑first Century)』(ビジネス社、2014年)を底本にして書かれている。「恥辱の世紀」「復興」「富と力」という重要な言葉遣いは全て『野望の中国近現代史(原題:Wealth and Power: China's Long March to the Twenty‑first Century)』から採用されている。この本が中国の近現代史理解にとって教科書的な存在になっていることが分かる。

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 野望の中国近現代史

 今回の論稿の内容は「中国共産党はナショナリスト政党である」というものだ。中国、当時は清王朝時代であったが、1840年の第一次アヘン戦争に敗れ、西洋列強による植民地化が始まった。そして、1894年の日清戦争で敗北し、近代化で格下と見下していた日本にも後れを取っていたことが明確となった。第一次アヘン戦争からの約百年(1世紀)は「恥辱の世紀」ということになる。その間の主要な出来事は以下の通りだ。

第一次アヘン戦争(1840-1842年)

南京条約(1842年)

第二次アヘン戦争(1856-1860年)

天津条約(1858年)・北京条約(1860年)

太平天国の乱(1851-1864年)

日清戦争(1894-1895年)

下関条約(1895年)

五四運動(1919年)

満州事変(1931年)

満州国建国(1932年)

日中戦争(1937-1945年)

1800年当時の中国(清王朝)は世界のGDPの25%を占める超大国だった。それから僅か40年の間に西洋列強から攻撃を受け、沿岸部が植民地化されていった。更には隣国で格下の日本にも近代化で後れを取ったことも中国の政治指導者たちや知識人たちにとっては衝撃であり、屈辱だった。

そうした中から、中国の「復興」を目指す若者たちが出てきた。それが孫文であり、康有為や梁啓超といった人々だった。彼らのナショナリズムに共鳴したのが後に中国共産党を創建し率いていった周恩来や毛沢東であり、鄧小平、江沢民、胡錦涛、習近平とその流れは連綿と続いている。中国の復興のために必要なことは、「富と力」であり、この言葉は魏源が中国古典の中から復活させたものだ。

この歴史的な大きな流れを理解することで、中国の行動原理を理解することができ、様々な行動や出来事を分析することができる。今回ご紹介する論考はそのために大いに役立つものである。

(貼り付けはじめ)

中国共産党はこれまで常にナショナリスト政党であった(The Chinese Communist Party Has Always Been Nationalist

-中国の復興の探求(China’s quest for rejuvenation)は1世紀以上前まで遡る。

ラッシュ・ドシ筆

2021年7月1日

『フォーリン・ポリシー』誌

https://foreignpolicy.com/2021/07/01/chinese-communist-party-nationalist-centennial/

一世紀に渡り、中国共産党はナショナリスト政党であり続けてきた。現在、この点については様々な議論がある。特に、中国共産党が共産主義のイデオロギーを変貌させた後に、ナショナリズムに関連したテーマに集中しているのを、権力を維持する道具立てとして利用していると考える人々はそのように主張している。しかし、現実はより複雑なのだ。中国共産党のナショナリズム志向は長期的、歴史的な流れに埋め込まれたものであり、現在の中国共産党と新王朝末期の衰退(decline)による愛国主義的(patriotic)な考えの醸成とをつなぐものなのである。

1790年代、ジョージ・ワシントン米大統領がアメリカ合衆国大統領の一期目を務めていた時期、清王朝は最盛期を迎えていた。しかし、それから数十年、地方における反乱の頻発、外国勢力による攻撃と略奪、柔軟性に賭けた政府の存在によって、宮廷の高官たちの中には、「中国は衰退の時期に入っている」という感覚を持つようになった人物たちが出るようになった。魏源(Wei Yuan、1794-1857年)のような宮廷の高官たちは、清王朝の凋落を懸念し、「徳による統治(rule of the virtuous、德治)」というより典型的な儒教の伝統ではなく、“国家は「富と力(wealth and power、富强)」を追求する”という考えに基づいた中国の学問の歴史の一潮流を早急に復活させ始めた。中国国内の衰退はヨーロッパ列強の帝国主義的な野心と重なり、それは第一次アヘン戦争(First Opium War)という無残な結果となって現れた。その時から中国の「恥辱の世紀(century of humiliation)」は始まったのだ。その時から、多くの人々が過去の栄光を復活させるための方法を探し始めた。オーヴィル・シェルとジョン・デルリーは、彼らが編んだ浩瀚な中国知識人の歴史を取り扱った著作の中で、魏源が復活させた2000年前の「富と力」はまさに時宜を得た言葉となった、「そして、これ以降、中国の知識人と政治指導者たちにとっての“北極星(North Star)”であり続けた」と書いている。

恥辱の世紀において、中国は衝撃的かつ痛手が残る(traumatic)敗北を繰り返し、その結果に苦しんできた。これらの繰り返された敗北によって、清王朝の屋台骨は崩された。しかし、恥辱の世紀はまた、義源の「富と力」を基盤とする学者と活動家たちを生み出した。義源の学問上の後継者となった馮桂芬(Feng Guifen、1809-1874年)は恥辱の世紀で起きた主要な事件のいくつかを目撃した。第二次アヘン戦争(Second Opium War)と太平天国の乱(Taiping Rebellion)によって清王朝はほぼ瓦解した。馮桂芬は、中国の衰退を転換させるためにいわゆる洋務運動(self-strengthening movement、自修自強運動)を始めた。馮桂芬は次の世代の学者たちに影響を与えた。その中には将軍であり政治家でもあった李鴻章(Li Hongzhang、1823-1901年)も含まれていた。しかし、状況はほぼ改善しなかった。馮桂芬の死から僅か20年後、日本は日清戦争(first Sino-Japanese War)は中国を破ったことで、中国に衝撃を与えた。馮桂芬の始めた洋務運動の弟子であった李鴻章は中国の敗北を認めるために東京に派遣された(訳者註:実際には下関)。

日清戦争における敗北は、康有為(Kang Youwei、1858-1923年)と梁啓超(Liang Qichao、1873-1929年)のような中国の学者たちに対して大きな衝撃を与えることとなった。同様に孫文(Sun Yat-sen、1866-1925年)のようなナショナリスト的な革命家たち(nationalist revolutionaries)にも衝撃を与える結果となった。これらの人々がそれぞれ、中国にとって進むべき途であると考える方法を追求するために駆り立てられるようになったのは、日清戦争における敗北がきっかけであった。彼ら全員の究極の目的は「自分たちを強化する(self-strengthening、自修自強)」であった。これらの人々やこうした人々がその一部となったより広範なナショナリズム的な主張は、中国の復興と西洋に追いつくことに献身することになった。そして、彼らの言葉と行動は、中国共産党が芽生え育った土壌を形成した。若くて情熱的な孫文は1894年に李鴻章に宛てて8000字に及ぶ書簡を送った。それに対する返信はなかった。この書簡の中で、孫文は「中国の人口と物質の豊かさを考えると、我々が西洋を模倣し諸改革を実行すれば、20年以内にヨーロッパ列強に追いつき、追い越すこと(catch up and surpass)が可能となる」と書いている。

中国共産党初期の指導者たちの多くは、中国を復活させようというナショナリズムに基づいた動きに惹きつけられた、愛国的な若者たちであった。陳独秀(Chen Duxiu、1879-942年)、周恩来(Zhou Enlai、1898-1976年)、毛沢東(Mao Zedong、1893-1976年)といった後に名前を上げた人々は、康有為や梁啓超といった人々の著作を通じてナショナリズムに至る、自分たちの道筋を築き上げていった。毛沢東は後に、「私は康有為と梁啓超を崇拝していた。彼らの著作を暗記するまで何度も何度も読みこんだ」「孫文を中国の大統領に、康有為を首相に、梁啓超を外相に、と訴える内容のポスターを貼っていた」と回想している。鄧小平(Deng Xiaoping、1904-1997年)の父親は梁啓超の創設した政党のメンバーだったと報じられたことがある。このことは鄧小平の初期のナショナリスト的な観点を作り出したことは疑いようがない。その結果、鄧小平は五四運動(May Fourth movement)のような愛国主義的な出来事に参加し、中国を強化するという使命に惹きつけられていった。多くの未来の共産主義者たちと同様、鄧小平は外国で勉強した。鄧小平は魏源の訴えた「富と力」の追求という論理から導き出される答えを自身の最重要課題であると述べた。鄧小平は次のように回想している。「中国は弱く、私たちは中国を強化したいと望んだ。中国は貧しく、豊かにしたいと望んだ。私たちは中国を救うために学び、その方法を見つけるために西洋に向かったのだ」。

未来の共産主義者たちの多くは孫文に惹きつけられた。孫文は今でも中国共産党から崇められている。実際のところ、孫文率いるナショナリストたちは広州に政府と軍学校を創設した。これらは才能にあふれる、愛国的な若者たちを惹きつけ、彼らは広州にやって来た。その中には、周恩来、葉剣英(Ye Jianying、1897-1986年)、林彪(Lin Biao、1907-1971年)、毛沢東など後に重要人物となる人々も含まれていた。

これら若き共産主義者たちが権力を掌握した際、彼らは自分たちの共産主義イデオロギーに沿った政策を実行したが、それでも、中国共産党はナショナリズムに基づいた使命感を保持していた。西洋諸国との間の富と力における差を埋めることが中心テーマであった。毛沢東時代の産業近代化、失敗に終わった大躍進運動(Great Leap Forward)、「両弾一星(two bombs, one satellite)」への熱望(訳者註:中国の核開発・宇宙開発プログラムを指す。両弾とは原子爆弾と水素爆弾、一星は人工衛星を意味する)、そしてソ連が形成していた東側世界の秩序からの離脱という極めて危険な動き、イデオロギー上の指導的地位がソ連から移動したという主張、これらは全てナショナリズムに基づいた熱情によって行われたものである。鄧小平による改革開放と彼の経済とテクノロジーの発展への熱意は、洋務運動に参加した人々の言葉をほぼ真似たものである。江沢民(Jiang Zemin、1926年-)、胡錦涛(Hu Jintao、1942年-)、そして習近平国家主席などの鄧小平の後継者たちはナショナリズムに基づいたプロジェクトを実行し、中国の復興と地域と世界における秩序内での正しい場所を回復することに集中した。

今日、「復興(rejuvenation)」は習近平の政治上のプロジェクトの中心テーマである。しかし、中国共産党のナショナリズム志向と同様、復興は1世紀以上にわたるテーマであり続けた。中国史の研究者である王震(Wang Zhen)は、「復興というコンセプトは少なくとも孫文にまで遡ることができる。そして、蒋介石(Chiang Kai-Shek、1887-1975年)から江沢民と胡錦涛までの原題の中国の指導者たち全員によって重要視されてきたものだ」と述べている。1894年に、中国と日本が戦争にまで至る過程で、孫文は、ナショナリスト団体を創設し、興中会(Xingzhonghui、兴中会)と名付けた。これを粗く翻訳すると「Revive China Society」となる。孫文はこの会の使命を中国の復興だと宣言した。この使命は現在の中国共産党に直接つながっている。中国の指導者であった江沢民(Jiang Zemin、1926年ー)はかつて「孫文は“中国の復興(rejuvenate China)”スローガンを進めた最初の人物である」と述べた。そして、実際に、中国共産党が復興(rejuvenation、振兴中、复兴)という言葉を採用したのは、孫文からなのである。

中国共産党の中国の復興を目指すナショナリズム的なプロジェクトに集中してきた。このことは中国共産党の公式文書で追いかけることができる。日中戦争(Second Sino-Japanese War)の期間中、鄧小平とその他の党幹部たちは同志たちに「復興への道(road to rejuvenation)」に注力するように訴えた。そして、中国共産党が最終的に勝利を収めた時、毛沢東は「中国共産党のみが中国を救うことができる」と宣言した。1978年に中国が改革開放を開始した時、鄧小平と彼の側近だった胡耀邦(Hu Yaobang、1915-1989年)と趙紫陽(Zhao Ziyang、1919-2005年)は、改革開放の目的は「中国の復興(rejuvenate China、征信中)」であると繰り返し、明確に述べた。改革開放は「富と力」を達成するためのものだ。1988年、天安門事件後の中国共産党による「愛国教育(patriotic education)」が始まる前に、江沢民は中国共産党の使命は「中華国家の偉大な復興を実現する」ことだと述べた。

このような考えや主張はこれまでの40年間の全ての中国共産党大会で明らかにされてきた。中国共産党の中でも最も権威ある文書の中で明らかにされてきた。1982年の第12次中国共産党大会での演説の中で、胡耀邦は「第一次アヘン戦争から1949年の解放までの1世紀以上の期間」について非難し、「中国は二度と再び恥辱を味わわされることは許容しない」と宣言した。趙紫陽は1987年の第13次中国共産党大会において演説を行った。その中で、「富と力」という言葉を使い、「改革は中国が復興を遂げるための唯一の道である」と主張した。第14次、第15次、第16次中国共産党大会で、江沢民は二度のアヘン戦争と恥辱の世紀に言及し、中国共産党が「中国国家の悲劇の歴史に終止符を打った」ことを称賛した。そして、聴衆に対して、「中国共産党は中国国家に深く根差しており、創設第一日目から、中国の復興という偉大なそして厳粛な使命を担ってきた」と述べた。第17次、第18次中国共産党大会において、胡錦涛はこれらのテーマを繰り返し、そして、中国共産党は「これまで無数の愛国者たちと革命に命を捧げた人々(patriots and revolutionary martyrs)が目指した中国国家の偉大な復興に邁進している」と付け加えた。最近のことで言えば、2017年の第19次中国共産党大会において、習近平は彼の「中国夢(China Dream)」構想、中国の「新時代」構想の中核に復興を置いている。習近平は二度のアヘン戦争の悲劇について言及し、復興は「中国の共産主義者たちにとっての原動力であり使命」であり、中国共産党だけがそれを達成できると宣言した。

創建当初から、中国共産党は中国共産党創建よりも前に出現していたナショナリストたちの業績を取り入れてきた。ほぼ1世紀にわたり、中国共産党の最高指導者たちは、「中国共産党は五四運動の精神を受け継ぎ、発展させてきた」「孫文の遺産から学びその実現に努力してきた」と明言し続けてきた。胡錦涛が毛沢東の生誕100周年記念式典の席上で述べたように、中国共産党は中国の復興に向けたリレーに参加しているということになる。胡錦涛は次の世に述べた。「歴史は長い河のようなものだ。今日という日は昨日から発展したものだ。明日は今日の継続である。中国国家の偉大な復興は、毛沢東、鄧小平、彼らの同志たち、数百万の革命に命を捧げた人々にとっての偉大な理想なのである。今日、歴史のバトン(baton of history)は私たちの手に委ねられている」。

「歴史のバトン」は時代を継いでいく指導者たちによって、今世紀半ば、もしくは中国共産党の権力掌握100周年まで繋げられ続けねばならない。少なくともこれまでの40年間、中国の国家指導者たちは全員、復興を達成する目標はこの時期だと示唆してきた。目標には西洋諸国との差を縮めること、そしてできれば国際システムを新たに作り直すことが含まれている。21世紀中頃での復興の達成への言及は1980年代半ばに出現してきた。鄧小平と彼の側近たちは、この時期に「適度な発展段階に到達した国々」のレヴェルに到達し、かつ「社会主義的近代化」を完成させると主張した。鄧小平の後継者である江沢民は中国共産党創建80周年記念式典での重要演説の中で復興達成の時期について次のように述べた。「20世紀半ばから21世紀半ばまでの100年間で、中国人民の苦闘は祖国の富と力を実現することで実を結ぶことになる。それが国家の偉大な復興なのである。この歴史的な復興の大義において、我らが党はこれまでの50年間にわたり、中国人民を率いてきた。そして大いなる進歩を達成してきた。これからの50年間の努力と勤勉で、その目的は成功のうちに達成されることであろう」。

現実的な意味で完成とは何を意味するのだろうか?鄧小平は、それは中国と世界との関係を変化させることであり、後には中国の社会主義に対しての批判者たちが最終的に中国の社会主義の優越性に「説得される」ことでもあると示唆した。江沢民は鄧小平の考えに同意し、西洋諸国と比較して、ある種の回復(restoration)を行うことだと強調した。清王朝の下での衰退の前、「中国の経済水準は世界をリードしていた」「中国の経済力は世界第一位だった」と江沢民は強調した。復興とは「世界の最先端のレヴェルとの差を縮める」ことと中国を再び「豊かで強力」にすることが含まれている。

回復には国際舞台における更に重要な役割ということも含まれるだろう。江沢民は、今世紀半ばで復興を成し遂げた後には、「豊かで、強力な、民主的で文明的な社会主義を建設した現代中国は世界の東側に屹立することになるだろう。そして、中国人民は人類に対して新たなそしてより偉大な貢献を行うことになるだろう」と述べた。胡錦涛は、回復とは、国際舞台において、「国際的な政治と経済の秩序をより正しく、合理的な方向に発展する」ように促進することを意味すると示唆した。これによって、中国は「ほぼ新しい姿で国家群の中で屹立する」ことになるだろうとも述べた。第19次中国共産党大会において、習近平は今世紀半ばまでの復興の達成が持つ意義を強調した。習近平は「中国は国家の強さと国際的な影響力を合わせて、国際的な指導的立場に立つことになる」と述べた。そして「世界最高水準の軍隊の創設、国際的な統治への参加、新しい形の国際関係の促進、人類にとっての共通の未来を基盤とする共同体の建設」がその要素となるとした。

習近平の今世紀半ばまでの復興の達成という大胆な発言は彼自身の性格や郷党心(parochialism)が出ているということだけではなく、より強力なものである。中国共産党のナショナリスト的なコンセンサスは清王朝時代最終盤の改革者たちが洋務運動を始めた1世紀以上前にまで遡ることができる。中国共産党でも党内での不同意と議論、闘争、派閥主義(factionalism)、そしてイデオロギー上の過激主義の拡大が存在している。しかし、中国共産党の創建者たちと後継者たちは火砲こそが中国の復興の原動力であるということを一貫して理解していた。手段や方法についての不同意は時に表面に出てくることもある。しかし、最終目的は比較的明確である。そして中国のポスト冷戦期の戦略にコンセンサスを与えられている。そして、その目的は、中国政府の最高指導者たちの多くにとっては達成に手が届くところまできている。

(貼り付け終わり)

(終わり)

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アメリカ政治の秘密
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ハーヴァード大学の秘密 日本人が知らない世界一の名門の裏側
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 古村治彦です。

 

 今回は、Unionという言葉の意味について考えてみたいと思います。Unionを辞書で調べてみれば、結合、団結、連合といった意味が書かれています。

 

 私たちが知っている使い方では、労働組合はlabor unionがあります。これは労働者が団結して、労働に関する権利を守り、団体交渉を行うためのものです。最近、イギリスで国民投票が行われ、イギリスが脱退することが決まったのが、ヨーロッパ連合ですが、これはEuropean UnionEU)です。

 

Unionの動詞がUniteです。団結する、連合するという意味になります。50ある州(state)が連合している国です。イギリスは、United KingdomUK)です。イギリスの正式名称は「グレートブリテンおよび北アイルランド連合王国」です。ブリテン島にあるイングランド、ウェールズ、スコットランド、そして、アイルランド島の北部が連合して王国を形成しています。私はラグビーが好きですが、古くはファイヴ・ネイションズ、今はシックス・ネイションズという、ラグビーの6カ国対抗戦があります。これに「イギリス」ティームは参加していません。イングランド、スコットランド、ウェールズ、アイルランド、フランス、イタリアが参加して、ホームアンドアウェイ方式で戦います。

 

イギリスの国民投票で興味深かったのは、投票の結果に地域差があって、スコットランド、北アイルランド、大都市ロンドンではEU残留が大勢を占め、ロンドンを除くイングランドとウェールズはEU脱退が大勢を占めたことです。そして、スコットランドでは、スコットランドだけはEUに残留できるようにしたいという動きになっています。「イギリスって昔連合王国って習ったけど、実際にそうなんだなぁ」と改めて思いました。

 

 国際連合はUnited Nationsです。これは中国では「聯合國」となります。第二次世界大戦時に、枢軸国(Axis)と戦った連合国(Allied Powers)が戦後の枠組みとして、自分たちを常任理事国として作った組織ですから、「連合国」と訳すべきですが、今は世界のほとんどの国々が参加していますから、諸国連合ということになります。

 

 アメリカ合衆国はUnited States of AmericaUSA)です。これは全米50州(state)が連合した国ということです。独立した時は13州でしたが、それがどんどん拡大していきました。Stateという言葉は、国家を意味することもあります。全米各州には外交権と通貨発行権はありませんが、州兵(national guard)はいますし、ほぼ国のような機能があります。カリフォルニア州の州旗には、「Republic of California」と書かれています。

 

 アメリカ合衆国のUnionが崩れそうになったことがあります。それが1861年から1865年にかけて起きた南北戦争です。南北戦争といいますが、英語では、The Civil Warで、「内戦」という意味になります。Theがつきますので、特別な、これからもないであろうというくらいのことになります。アメリカが、北部各州のアメリカ合衆国と南部各州のアメリカ連邦(Confederate States of America)に分かれて戦いました。

 

 アメリカ史上最高の大統領は誰か、という質問があると、いつも一番になるのが、エイブラハム・リンカーンです。日本でも奴隷解放を行い、「人民の、人民による、人民のための政府」という言葉を残した人物として有名です。しかし、彼がアメリカ史上最高の大統領と言われているのは、アメリカの分裂を阻止することが出来たからです。これは、故小室直樹博士の著作に繰り返し書かれていたことです。

 

 アメリカで毎年1月に大統領がアメリカ連邦議会で演説を行いますが、これを一般教書演説と言いますが、英語では、State of the Union Addressと言います。State of the Unionというのは、「連邦国家(United States)であるアメリカの現状(state)」を述べるものであり、The Unionとはアメリカを示す言葉です。元々は大統領が演説をするということはありませんでした。アメリカ大統領は連邦議会への出席は認められていません。ですから、教書(message)を議会に送付して、アメリカの現状を報告するということになっていました。それが20世紀になって連邦上院と下院の議員たちと行政府、立法府の最高幹部たちが集まって、その前で演説するという一大イヴェントになっています。この時は、全米のテレビやラジオはほぼ全て生中継します。

 

 私がなぜこんなにUnionという言葉にこだわって文章を始めたかというと、United KingdomEuropean UnionUnited Statesで、Unionが崩れていく状況になっているからです。簡単に言うと、分離や反目、亀裂に敵対が蔓延する状況になっています。EUは、「20世紀前半に2度もヨーロッパを破壊し尽くした戦争を再び起こさないためにも、ヨーロッパが1つになるべき」という理念のもとに20世紀後半をかけて作られたものです。

 理念と裏腹にある現実は、「何かあれば対外膨張主義に陥りやすいドイツを抑える」というものでしたが、今や
EUはドイツを中心に回っています。イギリスはEUの主要なメンバーですが、ドイツやフランスほどの存在感がありません。そうした中で、「EUなんかにいてもいいことないし、かえっておカネを取られて、嫌なこと(移民の流入)はやらされる」という感情がイギリス国内にあり、大接戦ではありましたが、イギリスはEuropean Unionから脱退することになりました。


 もっと言えば、ナチス時代に既にドイツは「ひとつのヨーロッパ」という構想を立てていました。EUはその現代版ですが、ナチスの考えたヨーロッパ連合は、ヨーロッパ諸国がドイツに奉仕するための構造(日本の大東亜共栄圏とよく似ています)ですが、今は、名目上はそうではありませんが、現実はドイツを盟主にしている構造になっています。
 

 先ほども書きましたが、興味深いことに、イギリスの国民投票では、地域差がはっきり出ました。スコットランド、北アイルランド、ロンドン大都市部ではEU残留が多く、ウェールズとロンドンを除くイングランドはEU脱退が多くなりました。そして、スコットランドはEU残留を求めて独自に動こうという動きが出ています。ここでUnionが崩れそうな動きになっています。スコットランドでは以前に、連合王国から脱退するかどうかで住民投票があって僅差で否決されていますが、こうした動きも再び活発化するでしょう。連合王国の一部が脱落するということになります。Unionが壊れるかもしれないということです。

 

 アメリカではこのように州で分離独立の動きはありませんが、以前、このブログでもご紹介しましたが、カリフォルニア州南部、ロサンゼルスからさらに50キロほど南にあり、ディズニーワールドがあるアナハイムを中心とした地域で、「カリフォルニア州から離れて、アリゾナ州に入りたい」という動きが起きて、住民投票がありました。カリフォルニア州から離れたいと主張した人々の理由は、「カリフォルニア州はリベラルな政策ばかりだ。そのために税金が高い。自分たちは保守的な考えを持っている。年収も高い分、税金をたくさん取られて嫌だ。だから、保守的なアリゾナ州に入りたい」というものでした。

 

 アメリカでは、共和党と民主党が強い、レッド・ステイトとブルー・ステイトと呼ばれる州に分かれています。レッド・ステイトは共和党(イメージカラーが赤)、ブルー・ステイトは民主党(イメージカラーが青)が強いです。これが顕著に出るのが大統領選挙です。アメリカ南部から中西部にかけてはレッド・ステイト、西海岸、東海岸の大都市がある州はブルー・ステイトとなっています。もちろんそれぞれには反対の考えを持つ人々も多く住んでいますが、大勢ではこのようになっており、「アメリカの(イデオロギー上の)分裂」が語られます。ですから、2000年以降のアメリカの大統領選挙では、勝者も敗者も「分裂ではなく、団結を」という演説を行っています。また、オバマ大統領が無名の存在から飛び出してきたのは、「アメリカは、アフリカ系、アジア系、などに分裂しているのではなく、United States of Americaなのだ」という演説をして注目されるようになってからです。

 

 しかし、アメリカの政治家たちがアメリカ国民のUnionを強調するのは、現実では様々な亀裂が入っていることを示しています。著名な政治学者であった故サミュエル・ハンティントンは、最後の著書『分断されるアメリカ』の中で、「アメリカはホワイト・アングロサクソン・プロテスタント(White Anglo-Saxon Protestant)の国なのだ」ということを書きました。そして、文化相対主義(移民してきた人々の元々の文化や伝統を尊重する)を批判しました。それは、「アメリカがアメリカではなくなる」という危機感でした。アメリカで人口が増えているのは、ヒスパニック系やアジア系です。白人(白人の中でも区別があって、イタリア系やアイルランド系、ポーランド系はカトリック教徒が多いということあって非WASPということで差別されました)の人口に占める割合はどんどん小さくなっています。恐らく過半数を割っているでしょう。

 

 私が小さい頃は、アメリカは「人種のるつぼ(melting pot)だ」と習いました。これは、どんな人種の人でも、アメリカ人になるのだということでしたが、今は、アメリカは「サラダボウル(salad bowl)だ」ということになっています。レタス、トマト、きゅうりとそれぞれ違う野菜が一つのサラダを形成するので、それらが溶け合って姿を消してスープになるのではなく、個性を主張するのだということになっています。

 

非白人の人たちが身体的に肌の色を変えることはできませんし、そんなことは全くもって何も要求しないが、アングロサクソン・プロテスタントの文化やそれを基礎にした制度(今のアメリカの政治や経済、社会制度)を受け入れることを、アメリカ白人は求めています。ですが、良く考えてみると、非白人の人たちは何もアメリカの政治、経済、社会制度を乱そうとしている人などほとんどいません。それどころか、デモクラシーや三権分立は素晴らしいし、世界に誇れることだと思っています。

 

 だから、「制度や文化を身に着けてほしいだけ」という綺麗ごとをはぎ取ると、「自分たちの分からない言葉で書かれた看板が街中にあることや、自分たちの分からない言葉で、大声で会話することを止めて欲しい、それはとても恐いことだから」ということになります。フランス語やドイツ語、スペイン語であればまだアルファベットですし、同じ単語を使っていたり、類推できる言葉があったりで、まだ許容できるが、アラビア語や漢字、ハングルで書かれたものが街中にあるのは怖いことです。自分たちが理解できないものが身近にあることで誰でも違和感を持ちます。それは当然のことです。

 

 そして、そういう自分たちの分からない言葉を使い、身近ではない文化を持っていて、それを手放そうとしない人たち、に対する反感が出てきます。それがアメリカとイギリスで起きていることの原因です。「分かり合いましょう」といくら口で言っても、あまり意味はありません。怖いと思っている方がわざわざ近づこうとはしませんし、思われている方は、思われている方同士で固まってしまいます。そして、敵対してしまう、分裂してしまうということになります。

 

 国家という枠組みが近代から現代にかけて出来ました。国家は国民がいて、国境線があって(国土があって)、政府があって成立します。そうした国家同士が戦争をしないようということで、20世紀には国際連盟(League of Nations)が作られ、戦後は国際連合が作られました。また、地域的な結合で言えば、ヨーロッパ連合ということになります。

 

 近代は、ナショナリズム(Nationalism)を基盤とした国民国家を生み出しました。そして、国家を超えるためのグローバリズム(Globalism)を基礎にして国際機関を生み出し、かつ人間や資本の移動の自由を追求しました。EUはその中間にあるリージョナリズム(Regionalism)の産物と言えるでしょう。

 

 ナショナリズムは加熱すすると他国との摩擦を生み出し、それが戦争にまで結びつくという考えから、国家を超える機関の存在が考えられるようになりました。

 

 現在、アメリカとイギリスで起きていることは、国民国家に大きな亀裂を生み出しています。保守とリベラルというイデオロギー上の亀裂はこれまでもありましたが、ナショナリズムと排外主義・差別主義が結びつくことで、ナショナリズムが変質してしまい、攻撃的・後ろ向きの面が強調されることで、それを支持する人とそうではない人で国が分裂しかねない状況になっています。アメリカで言えば、レッド・ステイトとブルー・ステイトの存在、イギリスで言えば、連合王国からの脱退を考えるスコットランドといった存在です。

 

 そして、こうしたナショナリズムの変質をもたらしたのは、グローバリズムとリージョナリズムの深化です。グローバリズムとリージョナリズムによって、人の資本の移動は自由になり、活発になることで利益を得られる人とそうではない人が出てきます。パナマ文書事件が起き、「大金持ちは支払うべき税金を逃れる手段を色々と持っており、それを利用してずるい、不公平だ」ということになりました。また、移民がやってきて、安い賃金できつい労働をやることで、自分たちに仕事が回ってこないという不満も高まりました。

 

 このような社会・経済・政治不安から、既存の枠組みに対する不信が出てくる、そういう時に、歯切れの良い言葉で自分たちの「敵」を教えてくれる人を指導者に仰ぎたくなる、その人に任せて自分たちの不安を解消したいという思いが出てきます。それを掴んだのがヒトラー(彼はユダヤ人が元凶だと言いました)であり、イギリスのEU脱退派のリーダーたち(彼らはEUと移民が悪いと言いました)であり、トランプ(不法移民とイスラム過激派とヒラリーこそが彼の言う敵です)です。

 自由主義の考えからすると、国家とは構成する個人の利益を追求するためのものですが、同時に、相互扶助ということも重要な要素となります。人間社会においては、どうしても能力の差(いわゆる頭がいいとか悪いとか、体の機能の差)が出ます。それを全て埋めて平等にすることはできません。しかし、最低限の生存(日本国憲法にある「健康で文化的な最低限度の生活」)は保障することが近代の成果です。そして、そのための機能として国家がリヴァイアサンではあるが、その必要悪として受け入れて、出来るだけ悪いことをさせずに構成する個人の利益に資するようにすることが政治家の役目です。その枠組みが崩れそうになっているのが世界各地で見られる現象から分かる現状であると思います。

 強いリーダーたちに任せてみたい、そして大きな変革をして欲しいというのはこれまでも起きたことですし、これからも起きるでしょう。しかし、実際には、何も大きな変革、革命などは起きません。革命が起きれば新たな抑圧と不満が出てくるだけです。ですから、今ある枠組みを、まるで古ぼけた、故障がちのエンジンを修理しながら車をのろのろと走らせながら、道を進んでいくことしかありません。毎日、ぶつぶつと愚痴を言いながら進んでいくしかありません。その最低限の枠組みが、現在は国家であり、民主的な政治制度ということになります。そして、これらを担保するunionを何とか保っていけるようにするしかありません。 

 

(終わり)





 
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アメリカ政治の秘密
古村 治彦
PHP研究所
2012-05-12




●皆の海から中国の海へ

 

 中国人のプライド、ナショナリズムは彼らの奥底から湧き出るものだ。そして、彼らは、2世紀にわたる弱体国家の悲哀と屈辱から中国を復興させたいと熱望してきた。そして、この熱望が、最近の四半世紀における中国の進歩の原動力となった。ナショナリズムの存在は、経済格差が増大し続けている状況において国民の統一を維持するために重要である。また、ナショナリズムの存在によって中国は、マルクス・レーニン主義を公式の支配イデオロギーでして扱わなくても済むようになっている。中国を支配している中国共産党が国民としてのアイデンティティを強調するようになっているのは驚くべきことではない。

 

 しかし、ナショナリズムは多くの馬鹿げた、そして自国を傷つけることになる数多くの行為を中国に取らせる力となってしまっている。特に、南シナ海における攻撃的な領土に関する主張、一方的な「防空識別圏」の宣言、尖閣諸島に関する問題に対する強硬な姿勢は、中国政府が主張している「平和な台頭(peaceful rise)」を疑わしいものとしている。そして、アジア諸国は中国に対して警戒感を持っている。中国の主張の是非はともかく、彼らの行為は愚かしい。それは、中国の馬鹿げた行為によって、近隣諸国が中国に対峙し、アメリカの保護を求めるようになっているからだ。中国は長期的な構えをし、現在よりも強大になるまでそうした馬鹿げた行為を慎むのがより賢いやり方であると言えるだろう。しかし、中国全体の感情を考えると、中国の指導者たちがこのような賢く、忍耐力が必要なやり方を維持できるかどうかははっきりしない。

 

●正直ではない安倍

 

 皮肉なことに、現在の日本は、現代のナショナリズムが非生産的な、全く逆の効果を生み出すことの具体例を提供している。日本政府は尖閣諸島に関する問題で同じく一歩も引かない姿勢を見せている。更に悪いことに、日本は韓国とも竹島を巡り争っている。竹島は取るに足らない小さな島々でそこまで重要ではない。安倍晋三首相を含む日本の指導者たちは、第二次世界大戦中の朝鮮半島において日本が行った誤った行為について発言をしている。その中には、韓国人の女性たちを日本軍の「慰安婦」として使ったことはないという発言も含まれる。日本については次のように考える。中国は台頭しつつある大国である。中国は多くの点で日本を凌駕しつつある。日本は巨大な中国に対して行動の自由を最大限確保したいと望むならば、アジア地域において出来るだけ多くの友人を持つ必要に迫られる。これから得られる結論は明らかだ。韓国との不毛な争いは非生産的であり、馬鹿げている。そして、政治家たちが靖国神社に参拝して、日本の右翼のナショナリスティックな感情を和らげることもまた非生産的であり、馬鹿げている。

 

●こぼれた牛乳とはちみつ

 

 シオニズムは、根本的に19世紀にヨーロッパを席巻したナショナリズムのユダヤ版と言える。国家の統一、愛国的な犠牲、ユダヤ人の離散者たちからの支援を促すことで、シオニズムはイスラエルが過去に達成した業績にとって重要な基盤となった。

 

 しかしなら、現在、シオニズムはより過激な方向に発展しており、イスラエルの将来に危険を及ぼすかもしれないということになっている。イスラエルは国土の安全を求める代わりに、「より巨大なイスラエル」の永遠の確立に拘泥する一方で、イスラエルによる厳しいコントロール下にあるいくつかの飛び地にパレスチナ人たちを閉じ込めている。こうした政策はイスラエル内外のアラブ人たちに対する人種差別的な態度を引き起こしている。これはマックス・ブルメンソールが最近になって著書で発表したとおりである。こうした動きのために、イスラエルは、国際社会から厳しい批判に晒され、アメリカ国内、特にユダヤ系アメリカ人たちの間での支持と同情を失っているのである。他国でも言えることであるが、ナショナリズムの負の側面はイスラエルの長期的な利益を損なう政策の実施ばかりを促してしまうのだ。

 

●山の上にある一つの都市

 

 アメリカのナショナリズムは他国のナショナリズムといくつかの点で異なるものだ。アメリカのナショナリズムは、「市民(公民)的」ナショナリズムである。アメリカのナショナリズムは、民族や祖先といったものではなく、共有された政治原理と自由主義的な文化的価値観を基礎にしている。アメリカのナショナリズムが持つこうした特徴によって、アメリカは、波のように押し寄せてくる移民たちをアメリカ社会に争いや緊張を生じさせることなく、溶け込ませることができた。そして、アメリカは独自のナショナリズムを持つことで大国としての地位を確立することができた。

 

しかし、時間の経過と共に、特にアメリカが大国の一つとなって以降、アメリカのナショナリズムは、危険な「自分たちは例外」という考えを膨らませていった。特に、アメリカ人(特に外交政策に関与するエリートたち)は、アメリカは、「世界の指導者」としての役割を果たす権利と責任を有していると確信するようになった。それは、アメリカが大変に強力な国であるからというばかりではなく、アメリカは最良の統治形態を持ち、アメリカ国民は最も道徳的で、アメリカは常により善い目的のために正しい行動をするのだという確信を持つようになったからでもある。アメリカから遠く離れた土地で武力を行使し、アメリカに非友好的な政府を瓦解させても、それはより善い目的のために行われるのだとアメリカの指導者たちは信じ込むようになったのだ。

 

 アメリカのナショナリズムのこうした行き詰まりの結果が現在噴出している。アメリカの指導者たちがアメリカは常に善い行いしかしないと信じるようになってしまい、アメリカの力が他国をどれほど心配させているのかを過小評価するようになった。そして、他国がアメリカ政府に影響を与えて、アメリカの動きを何とか緩やかにしようとして様々なことを仕掛けるということにも鈍感になってしまっている。アメリカの指導者たちはアメリカの統治形態が最高のものであると確信しているので、他国へこれを輸出でき、他国もそれを喜んで受け入れるというアメリカの統治形態への過大評価という愚を犯している。アメリカは多文化に関する実験で成功を収めた希有な国であるために、アメリカ人は、世界の他の場所で、アイデンティティや宗教の共存が困難であることを認識できないのである。アメリカ人は自分たちがより賢く、より団結し、より英雄的で、分かりやすい人々である考えるために、ヴェトナム人、イラク人、アフガニスタン人が自分たちを打ち倒せるなどと考えることが難しい。たとえアメリカがそうした国々に行って戦っても、アメリカ人の士気は高く、最後には勝利を得られると考えていた。しかし、それは間違いであった。

 

 私はナショナリズムそれ自体に反対しているのではない。ナショナリズム自体がすぐになくなるということはないだろう。思考を停止した、無批判の、「我が国は全面的に正しいか、それとも間違っているか」というようなナショナリズムを私は批判している。それは時にこの種のナショナリズムが社会全体に影響を与えることがあるからだ。そのようなナショナリズムが横行する時、ある国の一部の人々が持っていた正当な誇りは、暗く、より粗雑な、そしてより危険な何かに変化する。そうなると、より危険な何かのせいで、国家は馬鹿げたことをやるようになる。国際政治の分野では、個人の生活と同様、馬鹿げたプライドは命取りになるのである。

 

(終わり)



 

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