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 古村治彦です。

 

 FRBのイエレン議長が、大リーグ、ニューヨーク・ヤンキースの本拠地ヤンキースタジアムで開催されたニューヨーク大学の卒業式で祝辞を述べた際に、ベーブ・ルースに言及したことについてなかなかしゃれた記事がウォールストリート・ジャーナル紙に掲載されていたのでご紹介します。野球好きには楽しい記事です。
 

 

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ベーブから連邦準備制度理事会議長への書簡(A Letter to the Fed Chief From the Babe

 

ジャネット・イエレンがベーブ・ルースの打席での成功について語ったことについて、伝説のヤンキーが返事を出した

 

http://online.wsj.com/news/articles/SB10001424052702303749904579576343585522458?mg=reno64-wsj&mod=e2tw

 

2014年5月21日

ウォールストリート・ジャーナル紙

 

 

親愛なるジャネット・イエレン

 

 水曜日の朝にヤンキースタジアムで開催されたニューヨーク大学の卒業式で述べた祝辞の中で私に言及してくださったそうで、どうもありがとう。率直に言って、私は貴方の祝辞の半分も聞いていなかった。卒業式が始まった時、私はモニュメント・パークにいてうつらうつらしていた。半裸の女の子たちに囲まれながら素っ裸で意識が朦朧とした中で、オールドクロウのビンを抱えていた。そうしている時に、貴方が私の名前を出したのを聞いたのだ。

 

 貴方は卒業生たちに向かって、「ヤンキースタジアムは私たちに別のことを教えてくれます。それは常に成功ばかりではないということです。ベーブ・ルース、ルー・ゲーリック、ジョー・ディマジオといった大選手たちでも打席に立った時、ほとんどの場合、失敗しているのですから」

 

 私は他の選手たちのことは知らないし、1920年代、30年代、40年代のことは曖昧な記憶しかないが、貴方には次のように申し上げたい。貴方は数字を扱う仕事をしているようだが、私の数字については何も知らないことが分かった。

 

 1920年から1926年にかけて、私の出塁率(on-base percentage)は5割であった。つまり、私の最盛期(投手を止めてイニングの合間にホットドッグを食べるようになる前)、私は打席に立って半分は成功したということになる。私の通算の出塁率は、4割7分4厘であった。「ルースはほとんどの場合失敗した」と言われるのは不快である。

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 もちろん、私は貴方が混乱したということも分かる。私は現役時代、出塁率を重視しなかった。大リーグが出塁率を公式にデータとして導入したのは1984年のことだった。私が幽霊になって36年後のことだった。私は現役時代に2062個の四球を選んだが、四球を選んだことで私が楽しかったのは、走らなくてよかったことだけだ。

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 しかし、貴方は連邦準備制度理事会議長である。二日酔いに苦しんでいる幽霊ではない。次の機会に私の名前を喩えに使う時には、正しく使っていただきたい。「ベーブ・ルースは半分よりほんの少し多く失敗した」と。

 

敬具

 

ベーブ・ルースの幽霊

 

ブライアン・コスタ(Brian Costa)筆

 

(終わり)