古村治彦(ふるむらはるひこ)の政治情報紹介・分析ブログ

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タグ:フランシス・フクヤマ

 古村治彦です。

 

 今回はフランシス・フクヤマの最新刊『政治の衰退(上)(下)』をご紹介します。本書は私も翻訳協力という形でお手伝いをいたしました。以下に書評をご紹介します。参考にしていただき、是非お読みください。よろしくお願いいたします。

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フランシス・フクヤマ

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政治の衰退 上 フランス革命から民主主義の未来へ


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政治の衰退 下 フランス革命から民主主義の未来へ


(貼り付けはじめ)

 

『政治の衰退(Political Order and Political Decay』書評:フランシス・フクヤマによる圧巻の政治史の第2巻目

―私たちはこれからも自由主義的民主政治体制の存在を信じていくのか、それとも西洋の最後の危機に瀕した欲望を捨て去る時が来たのか、『歴史の終わり』の著者が問いかけている

 

ニック・フレイザー筆

2014年9月28日

『ザ・ガーディアン』紙

http://www.theguardian.com/books/2014/sep/28/francis-fukuyama-political-order-political-decay-review-magisterial-overview

 

冷戦終結直後、日系アメリカ人の若き政治学者が「歴史の終わり(The End of History?)」というタイトルの人々の耳目を引く論稿を発表した。1992年には『歴史の終わり(The End of History and the Last Man)』というタイトルの本として出版された。多くの評者がフクヤマの浩瀚な警句に富んだ主張を、自由主義的資本主義の大勝利から導き出された傲慢で、誤った結論だと解釈した。しかし、フクヤマにはより緻密な考えがある。フクヤマは、民主政治体制が世界規模で導入されている中で私たち自身が何をすべきかを考えることを求めている。私たちは人類として幸福となるのであろうか?私たちは深刻な不満を抱えないだろうと言えるだろうか?自由主義的民主政治体制は何かに取って代わられるだろうか?

 

フクヤマはネオコンの帝国主義的なプロジェクトを支持するという間違いを犯した。その後、米軍によるイラク侵攻が行われた後、フクヤマは彼が一度は支持した人々を非難する内容の短い書籍を発表した。フクヤマはオバマを支持した。そして、民主政治制度の名においてオバマの敵によって構成された連邦議会の失敗について雄弁に批判した。そして、フクヤマは最終的に彼の人生を賭けた仕事を素晴らしい形で終えることが出来た。彼は世界の政治機構の発展を2冊の本にまとめた。それらの中には叡智と事実が凝縮され、掲載されている。

 

第二巻は19世紀から現在までを取り上げている。しかし、フクヤマの野心的な計画を理解するためには第一巻『政治秩序の起源:人類以前からフランス革命まで』(2011年)を読むべきだ。第一巻は、動物と家族を基盤とした狩猟集団から始まる。それから点在する部族へと続く。そして秩序だった国家が世界で初めて中国に出現した。それからアテネとローマに飛ぶ。機能する官僚制を備えた本物の国家が出現する。カトリック教会は法典の面で予期せぬ革新者となった。デンマーク、イギリス、その後にアメリカ、日本、ドイツといった国々で人々の生活は困難さが減り、寿命も延びていった。現在でも戦争、飢饉、崩壊などが起きているが、人類のおかれている状況の改善は続いている。

 

フクヤマは人々を惹き付け、人口に膾炙する言葉を生み出す才能を持つ。彼は民主政治体制の発展を「デンマークになる」という言葉で表現している。デンマークの特徴として、17世紀に議会が創設される前に存在した財産法、他人には干渉しない複数的な倫理に基づいて運営される議会といったものが挙げられる。フクヤマは、「デンマーク」という言葉を穏健な性質、良好な司法システム、信頼できる議会制民主政治体制、「歴史の終わり」の健全な結末の比喩として使っている。現実の場所として、そして比喩として、デンマークは完璧な成功例ということになる。

 

『政治の衰退』は、一巻目(『政治の起源』)に比べて、良い読み物とは言えない。これは題材のせいだ。この題材は物語にするには、より複雑で、人々の共感を得にくいものだ。19世紀にトクヴィルが行ったように、フクヤマは民主政治体制の特徴を考察している。フクヤマは私たちに対して、私たちの住む世界は改善可能かどうかではなく、存続可能なのかどうかを自問自答するように求めている。

 

現代に近づけば近づくほど、存続可能な世界という単純なことが難しくなっていく。秩序だった方法で前進する代わりに、人類は意識もうろうとした疲れ切ったマラソン走者のように進んできた。人類はフラフラとあちらこちらへ進み、それは時に矛盾を含むものであった。民主政治体制、法律、社会流動性といったレッテルが貼られるものであったが、それらはつまずき、失敗するものであった。そして、どこにも人類のためのゴールラインは設定されていない。

 

本書にはいくつか手抜かりといえる部分がある。近代インドの描写がそうだし、中東に関する記述はおざなりだ。しかし、全体としては素晴らしい出来である。アルゼンチンと日本の近代性についての素晴らしい描写がある。また、イギリス、フランス、ドイツの公務の比較を取り扱った章を読んで私は、こんなつまらないテーマを面白く読ませることが出来るのはどうしてだろうかと不思議に思うほどであった。

 

アメリカ人のほとんどはアメリカ例外主義(American exceptionalism)に敬意を払っている。しかし、フクヤマはそうではない。連邦政府などなくてもアメリカ人は繁栄を作れる、もしくは連邦政府がない方が幸せだ考える人は、本書の中で50ページにわたってち密に描かれているアメリカの鉄道と森林保護の部分を読むべきだ。アメリカの民主政治体制の「拒否権政治システム」(フクヤマが生み出したもう一つの素晴らしい言葉)は、紛れもない事実だ。

 

フクヤマが「世襲主義の復活」は、大富豪や有力な人々が自分たちだけの利益を追求するために民主的な正規機構に適用されている。大富豪と大企業による独占はアメリカ史上、現代が最も大きくなっている。政治における変化なしに、アメリカが衰退に直面していることは明確だ。しかし、フクヤマは、そのような変化がどのようにして起きるかについては何も分からないと率直に述べている。

 

機能する司法システムがなければ民主政治体制は存在しえない。市民が最低限関与していると感じられる国家の創設は重要である。そうした国家の創設には時間がかかり、困難な事業である。効率性のような近代性の一側面を選択する場合、その他の側面を捨てることになる。日本とドイツの近代的な官僚制国家は専制国家に転換したがこれは困難な事業ではなかった。野党や反対勢力が動員できない状態では市民社会は存在できない。フクヤマはこのことを認めている。しかし同時にフクヤマは私たちに対して、ここ数十年の間にいかに自由が過大評価されてきたかを考えるように仕向けている。

 

自由主義的民主政治体制の大義の存在を信じるべきだろうか?それとも西洋諸国が世界を作り替えようとして、これまで行ってきた、多くの無駄になった努力を見て、こうした考えを放擲する時期なのだろうか?フクヤマの著作は、弱い立場の人々を守る良い政府と法律は望ましいことではあり、良い政府と法律を求める熱意は政治的な活動がある場所であればどこでも見られるものであり、その熱意は驚くほどに長期にわたり存続するということを私たちに考えさせる。

 

人類全体がデンマークに到達できるかどうかは明確ではない。私たちは到達しようと努力するだろうが、成功の保証はない。衰退は拡散しやすく、その結末は恐ろしいものである。フクヤマの素晴らしい著作二巻を読むことで、私たちは政治が衰退するなどという警告を受けたことなどないとは言えなくなってしまう。フクヤマの著作を読むことで、政治の向かう先は不確実なのだという思いにとらわれるが、そのように考えることこそが許容されるべきであり、かつ、世界を見る上で健全な方法ということになる。

 

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フランシス・フクヤマが教えるアジアの発展に関する3つのレッスン(3 Lessons for Asian Development from Francis Fukuyama

―フランシス・フクヤマの最新作は、アジアの政治発展に関するいくつかの重要なレッスンを教える

 

『ザ・ディプロマット』誌

2014年10月3日

http://thediplomat.com/2014/10/3-lessons-for-asian-development-from-francis-fukuyama/

 

 政治学者フランシス・フクヤマの新著『政治秩序と政治腐敗:産業革命から民主政治体制のグローバル化』は、いかなる書評でもその微妙な部分を捉えることができない傑作である。今回の著作はフランス革命までの政治上の発展を取り上げた前作に引き続き、近現代の政治上の発展を取り上げている。言い換えるならば、フクヤマの今回の著作は、近代国家の成功にとっての必要条件と成功する近代国家の特徴を取り上げている。今回の著作は、政治理論、人類学、歴史、政治機構の特徴についての広範な知識を含んでいる。フクヤマの主張の要旨に関心を持っている人たちは主要な新聞が掲載している書評を読めばよい。しかしながら、現代の政治上の諸問題を巨視的な視点から理解したいと真剣に考えている人たちにとっては、今回の著作は一読する価値がある。本誌の読者のために、私は、フクヤマのアジアに関する考察から3つの興味深い点をご紹介したいと思う。

 

第一に、表面上は無秩序で汚職にまみれた民主政治体制が実は、社会流動に関しては、ある程度人々に利益を与えているということだ。フクヤマは、19世紀のアメリカは、現在の発展途上諸国と同様に、様々な親分子分関係のネットワークによって構成されていたと指摘している。貧困層や移民グループは投票と引き換えに有望な政治家を当選させ、力をつけさせて、支持者たちに地位や利益を与える政治マシーンを構築した。政治マシーンは、貧困層や移民グループを政治システムに取り込み、孤立しがちなこうした人々が公共財やサーヴィスを利用できるようにした。こうしたシステムはインドが採用していることを思い出す。過去20年のインドの政治システムは、民族、地域、カーストを基盤とした諸政党の乱立が特徴である。インドではそうした諸政党の影響力が大きく、汚職や「投票銀行」のような現象が起きている。しかし同時に、諸政党の力は、インド政治において無視されている少数民族やカーストの低い人々が政府の地位に就いたり、公共財やサーヴィスを利用したりすることに貢献している。インドの国家や官僚は機能していないということを考えると、少数民族や低いカーストの人々は国家サーヴィスによって救済されるということはない。フクヤマは、インドにおける汚職ということを考える際に興味深い、新しい視点を私たちに提供している。

 

第二に、国家の効率性の方が、汚職よりも大きな問題なのだという事実を私たちが認めつつあるということを挙げたい。民主政治体制であろうと独裁体制であろうと、効率性の高い、強力な国家は、政府の型にかかわらず、法とサーヴィスを実行している。これが効率性の低い国家にはできないのだ。汚職指数によれば、インドは中国よりも少しだけ汚職の度合いが高く、ロシアよりも汚職の度合いがかなり低いということになる。しかし、こうした国々の間に存在する相違点は、汚職の酷さや政治システムにではなく、国家の強さに存在する。中国の官僚たちは定数を削減されても、それでも彼らは政府の政策を効率よく実行するだろう。これはインドではできないことだ。フクヤマが本書の中で引用しているところによれば、インドの地方で教える教師のうちの48パーセントは学校に出てこないのだそうだ。そんなことが中国で起きることなど想像できない。中国が民主政治体制になってもそんなことは起きないだろう。中国系の人々が大多数を占める台湾やシンガポールのような国々でも質の高いサーヴィスが提供されている。これが国家の強さの証拠となる。

 

最後に、良い知らせとして、効率的な、能力に基づいた公務員制度を確立することで非効率な国家から脱することが出来るということが挙げられる。しかし、悪い知らせはそれを実行するのは東アジア以外では難しいことであるということだ。フクヤマは韓国や日本のような東アジア諸国は、儒教の影響がありながらも、質の高い統治を人々に提供してきたという。日本のような国は政府の権威が社会全体までいきわたるという強力な伝統を持ちながら(この伝統はオスマン帝国よりも強かった)、急速な近代化に成功した。近代化のためには、独裁的な政府を確立するだけでは不十分だ。非効率な政府を持つ独裁政治の下では、そのようなシステムや派閥を通じて、汚職がはびこり、親分子分関係が生み出されるだけで終わってしまう。同様の理由で、強力な官僚制度を持つ民主政治体制を確立することもまた不十分ということになる。インドは巨大な官僚機構を持つ。しかし、あまりにも多くのルールや法令が存在し、その一部しか実際には運用されない。これによって、官僚たちが自分の友人や家族を優遇するために、ルールや法令の恣意的な運用という事態が引き起こされてしまうのだ。

 

イギリスやプロシアのような非アジア諸国は有効に機能する官僚制度を確立することが出来た。その成功の理由は、似たような背景を持つ教育を受けた少数の人々から構成されるグループが存在したことが挙げられる。イギリスやロシアが有効に機能する官僚制を確立したのは民主政治体制に移行する前のことで、国家機構が親分子分関係に依存し、人々に配分することを至上命題する政治家たちに掌握される前に、官僚たちが国家機構を掌握したのである。しかしながら、既に民主政治体制を採用しているインドのような国々にとって参考にすべき最高のモデルは、アメリカを真似るということである。アメリカは20世紀を通じて効率のよい統治制度を確立したがその方法を真似るべきだ。アメリカは、新しい機構を運営するために、やる気のあるテクノクラートたちを動員することが出来た。更に言えば、セオドア・ルーズヴェルトやフランクリン・デラノ・ルーズヴェルトのような強力な大統領の下では、政府は親分子分関係ネットワークの影響を脱し、新しい気候を構築することが出来た。インドのように既に民主体制を採用している国々は、儒教の影響を受けている中国よりもアメリカの成功例を参考にした方が良いのである。

 

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政治秩序の利益はいかにして減少していくのか(How the benefits of political order are slowly eroding

 

2014年9月27日

『エコノミスト』誌

http://www.economist.com/news/books-and-arts/21620053-how-benefits-political-order-are-slowly-eroding-end-harmony

 

知識人の世界で良く起こりがちなことは、有名になった知識人が著作などを通じて、知識の質を下げてしまうということだ。言い換えると、作者がより有名であればあるほど、この作者は大ぶろしきを広げたがるというものだ。スーパースターとなった学者たちは、著書を宣伝するツアーで図書館のような地味な場所には見向きもしない。著名なジャーナリストたちは、地道で丹念な取材からではなく、上流階級や著名人たちとの夕食会を通じて情報を得るようになる。スピーチばかりがうんざりするほど繰り返され、本が出過ぎるために真剣に思考をするための時間はほぼ残されないということになる。

 

フランシス・フクヤマはこのようなありがちな出来事の例外である。これは素晴らしいことだ。フクヤマは、1992年の『歴史の終わり』の発表で、世界的な名声を得た。 また、2000年代初頭には、自身が大きな影響を受けたネオコンサヴァティヴ運動に反対する動きを見せ、それによって更なる称賛を得た。しかし、ここ10年で彼の名声を高めたのは、彼が「政治秩序」と呼ぶものの歴史研究をまとめた記念碑的な著作である。このシリーズの第一巻「政治秩序の起源」の中で、フクヤマは人類出現以前から18世紀末までを取り上げている。シリーズ最終巻となる第二巻では現代までを取り上げている。シリーズ二巻の著作には学ぶべき多くのことが含まれている。

 

知的エネルギーの爆発をもたらしたのは、フクヤマがひとたびは祝福した自由主義革命の

中途半端な成功(失敗)である。『歴史の終わり』でフクヤマは、 市場と民主政治体制が唯一の成功の方程式において重要な構成要素であると主張した。しかし、過去20年、私たちが目にしたのは、より抑圧された状況である。中国は国家資本主義と権威主義を混合したシステムを採用している。ロシアと中東諸国のほとんどで民主化は失敗に終わった。フクヤマは、彼が想像したよりも歴史がより複雑に進んでいる理由を、政治機構の質に求めている。機能する国家がなければ、民主政治体制も市場も繁栄することはできない。しかし、そのような国家は、民主政治体制や自由市場に頼らずとも、近代性の価値の多くを生み出すことが出来る。

 

国家建設は難事だ。フクヤマは、ヨーロッパとアメリカはこの難事業の実施において世界を長い間牽引してきたと主張している。欧米諸国は中世以来の強力な法典を受け継いできた。欧米諸国は19世紀に実力に基づく公務員制度を導入した。欧米諸国の多くは、機能的な国家システムを構築した後に、大衆の参政権を導入した。「歴史の終わり」について語っていた人物フクヤマが今では「デンマークになること」について語っているのである。

 

フクヤマは、機能する国家を構築したデンマークの成功と2つのタイプの失敗を比較している。一つ目の失敗は、南米諸国で起きたように、社会変化についていけない政治機能の失敗である。1980年代の短期間で続いた一連の改革の後、ブラジル政府は一流の官庁と情実の習慣の入り混じったものとなった。第二の失敗は、機構全体の失敗である。アラブの春の失敗は、本質的に政府の能力の失敗である。エジプトでは、イスラム同胞団が、選挙で勝利することと全権力を掌握することの違いを理解しておらず、結果として、エジプトの中間層は権威主義的政治に躊躇しながらも、権威主義的政治に再び支持を与えることになった。

 

しかし、これは単純な西洋対それ以外、先進諸国対発展途上諸国という物語ではない。フクヤマは、南ヨーロッパは北ヨーロッパよりも大分遅れていると主張している。ギリシアとイタリアは現在でも情実に基づいて雇用が行われている。しかし、フクヤマがもっと関心を持っているのは東アジアについてである。中国は能力の高い国家機構を備えている。筆記試験によって選抜された優秀な公僕たちが国家機構を担い、国家機関は巨大な帝国で起きる様々な出来事を監視する力を備えている。フクヤマは、私たちが現在目撃している、中国で起きていることは、1世紀に及ぶ崩壊の後に起きた伝統の復活である、と主張している。中国共産党は、西洋の持つ民主政治体制と法の支配の伝統がもたらす利益なしに、能力の高い国家機構を作り出すことが出来るという中国の歴史に立ち戻っているのだ。

 

本書にはいささか不満に思うところもある。フクヤマは読者に対して自身の知識を見せつけ過ぎており、国家と外国の諸機構について書かれた本書の最初の2つの部は長すぎる。その次の2つの部は民主政治体制と政治的後退について書かれているが、これらは反対に短すぎる。しかし、そんなことよりも2つの点がフクヤマのより大きな失敗を構成している。

 

第一点は、彼の知性の質である。フクヤマは、読者が読み進めるのを止め考えるような洞察を数多く本の中に散りばめている。アメリカは、本家イギリスが打ち捨てた、ヘンリー八世治下のイギリスの特徴を長年にわたり保持した。フクヤマは、アメリカが慣習法の権威を重視し、地方自治の伝統を保持し、主権が国家機関で分割され、民兵組織が利用されてきたと述べている。アフリカ諸国では国家建設が不首尾に終わったが、これは、アフリカ大陸が世界で最も人口密集度が低いことが理由の一つとして挙げられる。アフリカ大陸では、ヨーロッパが1500年に到達していた人口密集度に1975年になって到達した。

 

第二点は、現在のアメリカ政治の状況に対する彼の絶望である。フクヤマは、アメリカを近代的な民主国家と存在させている政治機構は、衰え始めていると主張している。権力分立は常に停滞を生み出す可能性を秘めている。しかし、2つの大きな変化によって、この可能性が現実化する方向に進んでいる。政党はイデオロギー上の違いに沿って、分極化し、党派性を強め、利益団体は大きな力を持ち、気に入らない政策に対しては拒否権を行使するような状況だ。アメリカは「拒否権政治体制」へと退化しつつある。こうなると、不法移民や生活水準の低下といったアメリカが抱える深刻な諸問題を解決することはほぼ不可能ということになる。更に言えば、アメリカでは、フクヤマが「ネオ家父長制」社会と呼ぶものが出現しつつある。それはいくつかの名家が有権者の一部をコントロールし、政治の世界のインサイダーが人々に利益を提供する代わりに権力を得るというものだ。

 

フクヤマがこの浩瀚な著書の中で訴えた中心的なメッセージは、人々を沸き立たせた『歴史の終わり』の中で書いた中心的なメッセージと同様に憂鬱なものである。最初はゆっくりと、しかし、だんだん政治の衰退は政治秩序がもたらした大いなる財産を減少させていくことになる。その大いなる財産とは、安定し、繁栄し、人々が協調して生活する社会である。

 

(貼り付け終わり)

 

(終わり)

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 古村治彦です。

 今回もまた、フランシス・フクヤマ著『政治の起源(上・下)』の書評を皆様にご紹介したいと思います。これは、ウェブサイト「副島隆彦の論文教室」に2013年10月28日に発表したものです。

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(1)ニューヨーク・タイムズ紙 2011年4月15日


http://www.nytimes.com/2011/04/17/books/review/book-review-the-origins-of-political-order-by-francis-fukuyama.html?pagewanted=all&_r=0


「書評:フランシス・フクヤマの国家に関する国家―『政治の起源』」

マイケル・リンド(Michael Lind)筆


 「この本には2つの起源がある」。フランシス・フクヤマは著書『政治の起源』の前書きでこのように書いている。「私の師であるハーヴァード大学教授サミュエル・ハンチントンが、彼が1968年に出した古典的名作『変革期社会の政治秩序』の改訂版に前書きを書くように依頼されたとき、私はまず本作の着想を得た」と書いている。そして、彼がこの10年間、「現実世界における弱体国家と破綻国家」について研究し、その成果を2004年に『国家建設:21世紀における統治と世界秩序』として発表した時に、2回目の着想を得たということである。


 『政治の起源』の起源について語る時、フクヤマは謙虚である。彼は不誠実でも、陰険ではない。フクヤマは1989年に外交政策専門誌『ナショナル・インタレスト』誌に発表した論文「歴史の終わり?」とそれを基にした著書『歴史の終わり』を発表した。それが国際的に評判となり、有名になった。彼の主張は世界中で論争を引き起こした。その内容な次のようなものだった。「私たちが目撃したものは、冷戦の終わりや戦後の歴史のある特別な時期の終わりというだけでなく、歴史自体の終わりなのである。それはつまり、人類のイデオロギーの進化の最終地点に到達したということであり、西洋流の自由民主政治体制が人類の統治の最終形態として普遍化されたということなのである」


 それから20年、フクヤマは彼の主張を修正してきてはいるが、放棄してはいない。2巻の出版が予定されているうちの1巻目であるこの『政治の起源』の中で、フクヤマは次のように書いている。「ロシア出身で、フランスで活躍した偉大なヘーゲル解釈学者アレクサンドル・コジューブは、歴史というもの自体は1806年のイエナ・アウエルシュタットの戦いの時点で終わったと主張した。この時ナポレオンがプロイセン王を破り、ヘーゲルのヨーロッパに自由と平等の原理をもたらした。私はコジューブの主張は現在においても真剣に考慮するに値すると確信している。近代的な政治秩序の3つの要素、強力なそして実務上有能な国家、国家の法の支配に対する従属、全ての国民に対する説明責任は、18世紀末までに構築された」


 これら3つの要素がイギリスで最初に結合したことは偶然の産物であった。しかし、オランダ、デンマーク、スウェーデンといった宗教改革に強い影響を受けたヨーロッパ北西部の国々もまた「19世紀までに国家、法の支配、説明責任を結合させることに成功した」とフクヤマは書いている。産業革命と民主革命によってイギリスとその近隣諸国で3つの要素の結合が起きる前、これら近代的な政治秩序に必要な3つの要素はそれぞれ別々に、異なった前近代的文明で進化していた。フクヤマは次のように書いている。「中国は早い時期から強力な国家を発達させていた。インド、中東、ヨーロッパには法の支配が存在した。イギリスで説明責任を果たす政府が初めて出現した」


 『政治の起源』の大部分のページは、18世紀にイギリスで3つの要素が結合する以前に、国家、法の支配、説明責任がそれぞれ異なる社会でどのように進化していったかの物語を語ることに費やされている。フクヤマのこれまでの著作は決定論に過ぎないという批判をする批評家たちがいる。確かにフクヤマは偶然が果たす役割を強調する。近代的な政治機関は「複雑で、文脈固有のもの」である。例えば、近代初期のヨーロッパでは、中世のキリスト教教会の力によって拡大家族の意義が失われていった。これは、「16世紀のイタリア、イギリス、オランダで資本主義経済は出現したが、インドと中国とは異なり、これは既得権益を守ろうとする組織化された氏族グループの抵抗を排除しなくても良かった」ということを意味するのである。


 フクヤマは、政治的、そして社会的機関が経済的、もしくは技術的構造にただ付帯しているだけのものであるとする還元主義的な説明を拒絶している。フクヤマは次のように主張している。「様々な社会が異なった発展経路をたどる基本的な理由として多くの要素を考慮に入れなければ、政治発展に関する有意義な理論を構築することは不可能である。特に、物質的な条件の前に宗教というものを考慮しなければならない」


 こうした理由から、フクヤマのこれまでの著作と同様『政治の起源』では、急進的な社会科学である新古典派経済学の発達とは相いれないものとなっている。フクヤマは19世紀の社会学の伝統に連なる偉大な思想家である、ウェーバー、デュルケーム、マルクス、ヘーゲルとの類似点を多く持つ。フクヤマは特に、ヘーゲルについては論文「歴史の終わり?」の中で社会科学者として扱っている。この社会学的な伝統に連なっているので、フクヤマは、「政治は歴史と進化の産物であり、ロック流の自然権理論と市場至上主義、「マンチェスター自由主義」の否定から生まれたと考えている。「経済人」という言葉で社会を説明しようとするフリードリッヒ・ハイエクのようなリバータリアンたちとは異なり、フクヤマは、強力で機能する国家は資本主義経済が繁栄するための前提条件となると主張している。


 社会学の最新の研究成果と抽象的な自然権を主張するリベラリズムに依拠して、フクヤマは次のように書いている。「前社会的な状態で人類は存在することはなかった。人類はかつてここに孤立した個人として存在し、無秩序な暴力(ホッブス)やお互いを平和的に無視する(ルソー)ことで相互に関わっていたのは正しくない」


 しかし、読者の中にはフクヤマは自然権の伝統をあまりにも軽視しているのではないか、自然権の伝統がルネサンスと啓蒙的リベラリズムを生み出しだのに、と考える人たちもいるだろう。フクヤマの歴史重視主義と思想が政治秩序を形成するという主張は異論を巻き起こす。フクヤマはインド社会の形成について古代のバラモンたちが構築した神学を重要な説明要素としているが、17世紀のイギリスの水平派とロックを信奉した人々についてはそのように考えていない。彼らはイギリス革命、アメリカ独立革命、フランス革命に影響を与えたにもかかわらず、だ。近代性を受け入れて、ゲルマン部族の習慣と中世社会の企業体に西洋近代の機構の起源を求めた19世紀の歴史主義者たちと同様、フクヤマは民主的な政治秩序を支持する立場にある。一方で、普遍的な諸権利と道徳的、認識論的な個人主義のような民主的政治秩序を正当化する諸理論は間違っていると主張している。刊行が予定されている第2巻目で、フクヤマはアメリカ独立革命とフランス革命を導いた思想について取り扱うと言っている。これは今から楽しみである。


 『政治の起源』は、多くの学問分野の研究成果を統合して人類史の概観を作り出そうとする意欲的な試みとなっている。この試みが成功するかどうか疑いを持っている人も彼の主張の詳細な部分や結論に異論がある人もフクヤマの大胆さには感心するし、彼の主張には刺激を受ける。本書は野心的で、知識に溢れ、雄弁である。そして、私たちが生きているこの時代をリードする知識人が到達した知の最高地点を示している。


(終わり)


(2)フィナンシャル・タイムズ紙 2011年4月30日

http://www.ft.com/intl/cms/s/2/bc6e983c-7125-11e0-acf5-00144feabdc0.html#axzz2hZLWxUHo


「書評:『政治の起源(The Origins of Political Order)』」

クリストファー・コールドウェル( Christopher Caldwell)筆


 政府というものの起源は何で、何のために存在し、誰が組織するものなのだろうか?これらの疑問は長年にわたり、哲学者たちを突き動かしてきた。ホッブスは、政府を「万人の万人に対する闘争における一時的な休戦状態」と表現し、ローゼナウは「社会契約」と表現した。スタンフォード大学所属の政治学者フランシス・フクヤマは、自分こそが彼らよりもより良い答えを導き出せると考えているようだ。ダーウィンと19世紀の偉大な人類学者たちが行った、比喩と推測を使った政府に関する理論の構築を越えることができるとフクヤマは考えているようだ。そして、フクヤマは、生物学と歴史学の成果から、政府の起源に関する理論を打ち立てることができると確信しているようである。


 フクヤマの最新刊は学術的ではあるが、才気が縦横に溢れた刺激的な著作である。第一巻目となる本作は、前史からフランス革命、アメリカ独立革命までの様々な政治システムについて詳述している。フクヤマがこの著作を書くに当たって念頭に置いていたのは、彼の亡くなった師、サミュエル・ハンチントンが1968年に発表した『変革期社会の政治秩序(Political Order in Changing Societies)』の内容を時代に合わせて新しくするという試みであった。しかし、この『変革期社会の政治秩序』という本が書かれたのは、世界の進歩が信じられていた時代である。21世紀初頭に生きる西洋人の性向として、フクヤマは、政治的衰退、もしくは「腐食」と呼ぶものに啓発されて本書を書いている。


 衰退という考えは、フクヤマの名前を一躍有名にしたものだ。1989年、米国務省の若き政策分析官であったフクヤマは、論文「歴史の終わり」を発表した。この論文は、東欧諸国の共産主義の崩壊について説明しようとした初の試みであった。その当時はまだ、ベルリンの壁は崩壊していない中で、フクヤマの分析は大変に印象的であった。ナポレオンは1806年にプロシアを破った。ヘーゲルはこれをフランス革命の諸原理の王制の諸原理に対する勝利であると考えた。フクヤマは、ヘーゲルのように考え、「冷戦の終結は、自由主義的資本主義以外の選択肢を消滅させつつある」と宣言した。簡単に言ってしまえば、フクヤマは、ソ連の経済学者たちが突然 ミルトン・フリードマンと比較されてしまう状況になるのだと述べたのである。フクヤマは、ヘーゲル流の歴史の終わりという考え方は、「国際的な紛争の消滅を意味するものではない」と強調した。しかし、バルカン半島の旧ユーゴスラヴィアで起きた大量虐殺やアフリカでの騒乱はフクヤマの主張に打撃を与えるものであった。そして、フクヤマの「歴史の終わり」論文は、論文を読んでいない人たちによって誤用されている。


 もちろん、フクヤマはいくつかの点を見落としている。資本主義は、リベラリズムや民主政治体制よりも戦後世界の重要な構成要素であるということをフクヤマは見逃している。フクヤマは、イラク戦争に突入した時点ではまだ楽観的であった。アメリカの力は、より良い流れを生み出し、加速していると彼は書いていた。読者の中には、彼の書いている文章の中にアメリカの衰退の兆候を見てとる人もいる。


 フクヤマは人間の本性について2つのことを私たちに知って欲しいと望んでいる。一つ目は、人間とは社会的生物であり、人間同士が相互に影響を与え合うように行動する際に、社会契約を結ぶことは必要としないということである。二つ目は、人間は親族と友人たちに好意を示すということを通じて相互に活動しているということだ。フクヤマは、いかなる政治秩序も、人間の持つ身内贔屓と仲間を優先するという性向が生み出したものだと主張している。政治秩序の形成過程はきれいなものではない。人類で初めて身内贔屓ではない政治秩序が形成されたのは秦である。秦の「法家たち(Legalists)」は中国を短期間ではあるが統一し、西洋に先んじること2000年、実力主義による官僚登用の基礎を築いたのである。独裁的な商鞅は、儒教的な農業システムを廃止した。このシステムでは、農民たちは家族に縛り付けられ、家族はお互いに縛り付けあっていた。そして、儒教的なシステムの廃止によって、全てを決定し命令する国家に対して人々は防御する手段を失った。


 他方、フクヤマは、中国は説明責任に関しては後進的であると見ている。儒教は、道徳的な説明責任の基盤となった。儒教では「権力は被支配者たちの利益になるように行使されるべきだ」と教えている。しかし、法家思想ではこうした考えを否定した。そして、中国では、インドとは異なり、形式化された説明責任は存在しなかった。インドでは、王たちを越える存在であるほうの守護者としてバラモンが存在した。そして、王たちはその野心をチェックされることになった。こうしてインドは常により自由ではあるが、統治がしにくい状態になった。しかし、評価は人それぞれであろうが。


 ギリシアとローマではなく、中国とインドから話を始めたのは西洋の歴史家の目には異例の試みに映るだろう。しかし、フクヤマは政治学者である。彼の仕事は、実現可能な国家諸形態の分類学であり、民主政体の系統研究学ではない。東洋においても、西洋においても政府が直面する課題というものは基本的に同じものである。それは、国家の権威を縁故主義者と部族優先主義者たちから守り、転覆させないということであった。もっとも独創的な解決法は、13世紀のマムルーク朝エジプトと16世紀のオスマントルコで採用された「軍事奴隷」であった。オスマントルコ帝国では、役人たちが領土内の非イスラム教地域を巡回し、見た目が良く、能力がある少年たちを探し出して奴隷化し、イスタンブールに連れ帰り、去勢を施した後、軍人か役人として国家を防衛、もしくは運営させるために教育と訓練を施した。同様の制度が女性に対してもあり、少女たちを妻や妾にするためにバルカン半島とロシアの奴隷市場が開かれていた。


 フクヤマは空想的なロマンチストではない。本書を通読すれば分かるが、政府は「進化すれば」、官僚的になり、ヒエラルキー構造になるという印象を受けるだろう。しかし、フクヤマにとっては、統治能力の発達が他の分野の発達を意味するものではない。これは彼が西洋の説明責任を負った統治や民主政体がどのように発達してきたかを描写しているものを読めば明らかだ。


 フクヤマは、民主政治体制の土台は、中央集権化が進む権威に対する「少数の人々による抵抗」にあると考えている。国家とその敵対者たちとの間の争いの種類はさまざまである。ロシアでは、国家と結んだ上流階級が農奴たちを支配した。その結果、絶対主義が発生した。イギリスでは、プロテスタントたちがカトリック教を信奉するスチュアート王朝に対して反旗を翻した。この動きは慣習法の発達によって促進された。そして、イギリスの王たちは、その当時の世界各国の動きとは異なり、議会を無視することはできなくなった。その結果、イギリスでは自由が尊重されることになった。「代表なくして課税なし」は道徳的な原理ではなく、力に基づいた計算から導き出された要求である。フクヤマの考え方はこれまでの陳腐な決まり文句に対して反対するものである。彼の考える民主政体は後衛を守るイデオロギーなのであり、前衛ではない。古い階層、王制、迷信といったものも民主政体性を生み出すための材料なのである。


 本の中ではっきりとは述べられていないが、フクヤマの冷酷なメッセージは、道徳的、そして文化的な発展は、政治的、そして文明的な退廃を意味する、というものだ。いかなるシステムも堅固に守られなければ、再び部族優先主義や家族優先主義に陥ってしまう。16世紀、オスマントルコの高官たちはこうした悪弊にすぐに陥ってしまった。まず、マムルークの婚姻禁止制度を廃止し、彼らの息子たちが一定数政府に入る枠を作り、少年たちを集めてくるシステムも廃止された。究極的に言えば、全ての支配者にとって最も手ごわい敵は人間の本性ということになる。


(終わり)


(3)フォーリン・アフェアーズ誌 2011年5・6月号

http://www.foreignaffairs.com/articles/67753/francis-fukuyama/the-origins-of-political-order-from-prehuman-times-to-the-french


「書評:フランシス・フクヤマ著『政治の起源(The Origins of Political Order: From Prehuman Times to the French Revolution)』」

G・ジョン・アイケンベリー(G. John Ikenberry)筆


 フクヤマは、「歴史の終わり」という考えを提唱したことで良く知られているが、この『政治の起源』という記念碑的な著作で、フクヤマは、前史時代からフランス革命に至るまでの政治秩序の起源と軌跡を追いながら、歴史そのものを概観している。続編はフランス革命から現在に至るまでを網羅することになるということだ。サミュエル・ハンチントンの古典的名作『変動期社会の政治秩序』にフクヤマは触発され、この『政治の起源』を書いた。フクヤマは、人類が部族社会を形成し、組織的な政治共同体を徐々に出現させ、領土を伴った国家へと発展させていく過程を丹念に描いている。フクヤマは、それぞれの段階について、特に政治機構の起源と発展に興味を持って、詳しく調査、研究を行っている。彼の研究範囲はアラブ、アフリカ、中国、ヨーロッパ、そしてインドへと広がっている。フクヤマは、「政治的発展は、社会が漸進的に発展し、異なるシステムを持つ社会間で争い、時には後退もしながら、近代国家出現まで進んでいく中で、明確な姿を持つようになっていった。近代国家では、権威は中央集権化され、法の支配が確立され、人々から選ばれた指導者たちは説明責任を負う。『政治の起源』の中で、フクヤマは、国家の出現についての、戦争と経済的な侵略を強調した伝統的な説明と変化しやすい法、正義、宗教に特化した説明を融合させている。


(終わり)

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 古村治彦です。

 今回は、2013年11月、12月に刊行されましたフランシス・フクヤマ著『政治の起源(上・下)』(会田弘継訳、講談社)の欧米の一流メディアに紹介された書評の翻訳(2013年10月29日に旧版ブログに掲載したもの)を再掲いたします。年末年始の読書計画に是非お加えいただければ幸いです。

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①エコノミスト誌 2011年5月31日

http://www.economist.com/node/18483257

「歴史に関する諸理論」

11世紀にカトリックは聖職者に対して禁欲を強制したが、これが他の地域に先駆けてヨーロッパに法の支配を生み出した。その理由は何か?この疑問に対する答えは、フランシス・フクヤマの刺激的な新刊の中にある。禁欲主義はローマ法王グレゴリー七世によって制度化された重要な改革の一つであった。禁欲主義によって、教会法は発達し、王と言えど協会法には従わねばならないという考えが生み出されたのだ。グレゴリー七世は、神聖ローマ皇帝ヘンリー四世を屈服させたことで名前が残っている。カノッサにおいてヨーロッパで最強の人物ヘンリー四世を自分の前で跪かせて懺悔させたのだ。

禁欲主義は、カトリック教会名部の腐敗とタダ乗りに対する戦いにおいて重要であった。この2つは世襲では必ず起こるものであった。禁欲主義改革はカトリック教会が「近代的で、階層的、官僚的で法に支配された機関」と呼ぶものへと進化するための道徳的進歩をもたらした。この「近代的で、階層的、官僚的で法に支配された機関」は、精神面での権威を確立した。これが世俗国家の確立のための土台となるルールを生み出すことになった。

サミュエル・ハンチントンは40年以上前に政治秩序に関する古典的名作を書いた。フクヤマはハンチントンの生徒だった。フクヤマは、政治秩序起源の研究を小規模の狩猟グループから部族への変化の研究から始めた。それがやがて「リバイアサンの登場」、つまり強制力を持つ国家へと変化していった。農業を基礎とする社会の複雑さが増す中で国家は登場した。更には、規模が拡大し続けていった戦争を遂行するために組織の面の必要性からも国家は生まれたのだ。

フクヤマの知識の豊富さには目を見張るものがある。加えて、彼は中国、インド、イスラム世界、ヨーロッパ各国を旅し、良い政治秩序の主要な構成要素を探し求め、それぞれの地域でどのようにして、そしてどうして政治秩序が生まれ、消えていったかを調査した。
フクヤマは、政治秩序の重要な3つの要素として、強力な国家、社会全体に対する法の支配、支配者の行動を制限する説明責任を挙げている。

フクヤマは史上初の近代国家は、紀元前221年に成立した中国の秦であると確信している。秦が生み出した多くの管理メカニズムはそれから500年間を通じて発達した。中国全土が小国に分立し、それぞれが相争いながらも合従連衡をするという東周時代まで続いた。このような管理メカニズムには、徴兵された軍隊とそれを率いる実力主義で昇進した(貴族中心ではない)指揮官、洗練された徴税システム、そして家族のつながりではなく才能を重視して採用される官僚たちが行政を司るといったことが含まれていた。秦は更に改革を勧め、全体主義に近い、その前身とも言うべき独裁政治制度を確立しようとして、社会の全ての部門に非情な変革を強制した。

秦の急進主義は結局のところ、秦の滅亡を誘発し、その後、漢王朝が取って代わった。韓王朝は秦よりも長く続いた。漢は貴族エリートたちと妥協し、復活した儒教の正当性を認めた。漢は400年以上続いた。しかし、フクヤマが「悪帝問題」と呼ぶ問題と人間の思考傾向そのものによって滅んだ。富、力、地位を与える基準に親族関係を据えたことで漢は滅んだのである。フクヤマは次のよう書いている。「中央集権的な国家の強さと家族主義のグループの強さとの間には負の相関関係がある。部族主義は、近代国家が生み出された後でも、政治組織の決まった形として存続した」

本書の大部分のページで描かれているのは、強力な統一国家を目指す世界各地の支配者たちの間の争い(軍事的な支配がこの当時の支配者たちの目的であった。それは技術の発達よりも征服ことが豊かになる方法であったからだ)と、支配者たちと親族集団との間の争いのことである。親族集団は支配者たちが目指す統一国家を崩壊させる力を持っていた。中国の歴代皇帝たちは、宦官を高い地位に就けることを好んだ。8世紀のアッバース朝からエジプトのマムルーク朝とオスマントルコまで、イスラムの歴代支配者たちは身内優先の贔屓と部族間の争いを減らすために軍事奴隷制度を確立した。

マムルークは一代限りの貴族で、スルタンにだけ忠誠を誓った。ジャニサリーはオスマントルコ帝国の軍事奴隷の中のエリート部隊であったが、結婚は認められなかった。しかし、2つの制度とも空洞化していった。それはマムルークもジャニサリーも利益団体に変質し、彼らがそれを守ることを目的にして創設されたはずの中央集権化した国家を滅亡させるだけの力を蓄える結果となった。縁故主義が再び姿を現したのである。

フクヤマは、そこまでの絶対王制ではなかった一七世紀のフランスと内戦と1688年に名誉革命が起きたイギリスとの間で興味深い比較研究を行った。イギリスは世界で最初の望ましい政治秩序の構成要素が結合した場所である。デンマークがそれに続いた。政治秩序の構成要素とは、強力な国家、法の支配、そして説明責任の三つである。フランスが抱えていた問題は、王が貴族たちの法的特権に挑戦する自信を十分に持っていなかったことであった。しかし、王も貴族も農民たちと勃興しつつあった商人たちに対する法の支配の適用は拒絶する点で一致していた。農民も商人も徴税を通じて国王が戦争に必要としていた資金を提供していた。その当時のイギリスは民主政治体制と言えるものではなかったが、慣習法の発達、立憲君主制のための政治的条件の確立、経済発展によって社会全体で説明責任が確立されていた。

この第一巻目はフランス革命までを取り上げたものだ。第二巻目はそれから現在までを取り上げるもので執筆中だそうだ。この一巻目の内容は、私たちの近代国家と近代国家の成り立ちの理解にとって重要なものを提供してくれる。例えば、中国には中央集権化した賢明な官僚たちが存在するが、法の支配はまだ弱く、説明責任という考え方もない。フクヤマは、毛沢東という存在が、中国は未だに「悪帝」問題から免れられないでいることを示していると主張している。一方、インドの国家は弱体であるが、中国に比べて説明責任は確立され、法律も整備されている。

フクヤマはまたわたしたちにこの春に起きたアラブの春が政治秩序に関する、彼の3つの試験に合格しているかどうかの尺度を与えてくれる。テストの成績は良くはなかったが、落第というものではなかった。フクヤマは今でも私たちに俯瞰図を与えてくれる人物である。彼は私たちに「歴史の終わり」という大きな考えを提示した。しかし、彼は同時に細かい点にも目配りをしている。政治理論の本というととかく難しくて読み進めるのも大変だが、この本はそうではない。

(終わり)

②ガーディアン紙 2011年5月12日

http://www.theguardian.com/books/2011/may/12/origins-political-order-francis-fukuyama-review

「書評:フランシス・フクヤマ著『政治の起源』」

デイヴィッド・ランシマン(David Runciman)筆

秩序だった、活発な活動を行う社会を形作るのは要素とは何か?フクヤマはこの問いに答えを持っているのか?

フランシス・フクヤマはこれからも常に『歴史の終わり』の著者として知られていくだろう。『歴史の終わり』という本を書いたことで、フクヤマには政治的な楽観主義者という評判が付いて回る。「フクヤマは、歴史がその辿るべきコースを辿っていけば全てが民主政体にたどり着くと確信しているのだ」というのである。実際のところ、フクヤマは皆さんが考えているよりもずっと悲観的な思想家である。常に何か悪い方向に行くのではないかと考えている。『歴史の終わり』は1992年に出版された。綺麗な装丁の本ではあったが、1989年に出された「歴史の終わり?」論文よりもだいぶ中身が暗いものになっていた。『歴史の終わり』は、フクヤマの師の一人で、シカゴ大学の哲学教授で保守派のアラン・ブルームの影響を色濃く反映していた。ブルームは、アメリカ社会が知的な相対主義とポップカルチャーの海に沈みつつあるとかなえた。そして、フクヤマは、1989年以降の民主政体の勝利もまたそれらによって脅かされると考えた。イデオロギー上の激しい戦いがなくなったことで、人々にとって政治は関心事ではなくなるだろうというのであった

フクヤマの新刊は彼のもう一人の師である、ハーヴァード大学の保守的な政治学者であったサミュエル・ハンチントンの影響を強く受けている。ハンチントンは『文明の衝突』によって世界的に知られている。しかし、彼の主要な関心は政治秩序にあった。政治秩序はどのように構築され、どのように崩壊するのかということに彼は関心を持った。ハンチントンは、より良い秩序を持つ社会に至る道筋には2つの危険なものが存在すると考えていた。より良い秩序に到達できない理由は、社会が血なまぐさい闘争と内戦が起きる条件を超越できないことと、ある型に固執して、新たな脅威や挑戦に対処できないことである。フクヤマはこの枠組みを民主的な秩序に関する問題に適用している。いくつかの社会では民主的で安定した秩序に到達できるのに、貴族政に留まる社会があるのはどうしてだろうか?そして、民主政治体制は直面する新たな脅威や挑戦に対処できるのであろうか?

最初の質問に答えるために、フクヤマは人間社会の起源にまで遡る。これを人類以前の歴史と呼ぶのはやり過ぎだと思われる。最初の数ページは猿のことが書かれ、それから初期人類の物語が書かれている。人類は常に緊密な関係を持つグループに組織化されている。ルソー流のパラダイスなど存在しなかった。精神的に自由な個人が原始的な森の中で自由に暮らしているなどと言うことはなかった。問題は最初の人類社会が人々の緊密過ぎる関係の上に成り立っていたということである。これらは基本的に親族関係を基にしたグループであり、フクヤマが「いとこたちの暴政」と呼ぶ状態を生み出した。人間は親族のためなら大体のことをやる。そして、親族でない人間に対してもたいていのことをやる(レイプ、強盗、殺人)。これが世界でいつも起きている争いから、大量の人間が死亡する規模な戦争までに共通する理由となる。

親族関係の陥る罠から抜け出す方法は国家(フクヤマは中央集権化した政治的権威と呼んだ)を作ることである。これには家族のしがらみを打ち破る必要があった。国家はフクヤマが考える政治秩序の基礎となる3つの柱の一つである。政治秩序にとって強力な国家だけでは十分ではない理由は、政治的な権力だけでは親族関係がもたらす問題を解決できないからだ。それどころか、政治権力が親族関係の利益のために使われてしまうことになる。
強力な支配者は自分の力を親族の利益のために使用する。このような現象は古代世界から現在のリビアまでを考えてみれば理解しやすい。従って、国家の統治には法の支配が必要となる。法の支配によって政治権力と腐敗には制限が加えられる。しかし、法の支配自体が政治秩序を不安定化させることもある。それは必要な時に国家が決定的な行動を取る能力を削いでしまうこともあるし、非国家組織に過度の自由裁量を与えてしまうこともあるからだ。よって、第三の原理である説明責任を負う政府が必要となるのだ。これは私たちが民主政治と呼んでいるものだ。民主政体では強力な国家は維持されるが、人々は支配者が間違いを犯した場合に彼らを交代させることができる。

フクヤマは私たちが政治秩序の3つの原理をそれぞれ別のものであり、別々に機能を果たすことができるものとして扱い過ぎていると考えている。もしくは、私たちは民主政体を賞賛するが法の支配がなければ社会の分裂を深めるだけだということを忘れている。また、私たちは法の支配を賞賛するが強力な国家がなければ政治的な不安定をもたらすことになることを忘れている。しかし、フクヤマは社会全体が同じ間違いを犯すとも考えている。フクヤマは良い政治秩序と「まあまあ良い」政治秩序との間を区別している。「まあまあ良い」政治秩序は政治秩序の3つの原理のうちの1つか2つが実現し、安全であるという幻想が存在する時に成立する。例えば、古代中国で強力な、中央集権的な国家が誕生したのは、西洋よりも早かった。国家が成立した理由は、長年にわたって続く内戦問題と戦うためであった。しかし、中国に誕生した国家は強力過ぎた。国家は領主を打ち倒したが、同時に初期市民社会や説明責任という考えを壊してしまった。従って中国は政治秩序確立に関しては西洋に先行していたが、それがまた遅れを生み出したのだ。それは、強力過ぎる権力はすぐに集権化した。そして、フクヤマはこれが現在の中国政治の独裁的な側面の理由であると確信している。


もう一つの国家はうまくいった部分とうまくいかなった部分があった。その国はハンガリーである。13世紀、イギリスでマグナカルタが成立して7年後、ハンガリーにも独自のマグナカルタ制定の時期が到来した(これは「黄金の雄牛」と呼ばれる)。貴族たちが王の示威的な権力に対して法的な制限を加えることができた。それでは、どうしてハンガリーは、イギリスのように自由と憲法に則った統治を確立できなかったのだろうか?それは、貴族たちが余りにも多くのものを手にしたからだ。彼らは王を弱体化させ過ぎ、自分たちが望むものは何でも手に入れることができ、何でもできるようになったからだ。これは、貴族たちが自分たちの親族を富ますために農民を搾取することができたということである。国家の力を無力化させてしまったために、ハンガリーの貴族たちは安定した政治秩序構築の機会を失い、自分たちの力を強大化させるだけにとどまったのだ。

フクヤマは、人類社会が政治秩序の構築に成功する方法よりも政治秩序の構築に失敗することの方に興味を持っている。彼が本当に答えたいと思っている疑問は、ハンガリーがどうしてイギリスのようにならなかったのかというものではなくて、イギリスがどうしてハンガリーのようにならなかったのかというものだ。彼の答えは基本的に幸運に恵まれるかどうかというものである。西ヨーロッパの端にあるイギリスで政治秩序の構築に成功したのは、いくつかの偶然が重なったためである。宗教、法律面での改革、才能に恵まれた行政官がうまくミックスされ、それに17世紀に起きた内戦と疫病によって人々は、そうした好条件をバラバラにしてしまうのは得策ではないと考えるようになった。

フクヤマは私たちに対して、良い政治社会というものは実現が難しく、多く尾条件が揃なければならないものであることを記憶して欲しいと思っている。しかし、彼はこのことからポジティヴなメッセージを導き出している。政治秩序を構築することは偶然の要素が多いということは、そこに行きつくまでには様々な経路が存在する。必ず政治秩序を構築できるという保証がある社会など存在しない。しかし、だからと言って、絶対に構築できないという社会も存在しない。中国であってもそうだ。このような積極的なメッセージには納得できないものも含まれているが、本書『政治の起源』全体の内容は興味深いものだ。フクヤマはどっちつかずの議論を行うことがよくある。政治秩序は基本的に、数世紀にもわたる政治闘争の結果生まれた偶然の産物である。しかし、そのことを知れば政治秩序を確立することはより容易になる。それはどのようにしたら可能か?それには、自分の運を良くすることしかない。更に言えば、政治秩序の話は、「ニワトリが先か、卵が先か」の話に集約される。イギリスは1688年に名誉革命を達成したが、それは、イギリスが比較的秩序が整った社会であったからだ。そして、私たちは、名誉革命によってイギリス社会が秩序だった社会になったと教えられる。

もう一つの問題は、フクヤマガ最初に提示した2番目の疑問に対して答えを提示していないことだ。安定した民主社会が一つの様式に陥ることを止めるものは何か?政治秩序は安易な自己満足と安全を生み出す。フクヤマはこれもまた3つの原理の上に成り立っている社会にとっても問題であることは認識している。しかし、3番目の原理が希望を与えてくれると主張している。政治的な説明責任の意味するところは、政府が失敗すれば、私が政府を変えることができるということである。しかし、これは上辺だけのことで建前であり、誰も信用していない。これはまるで政府が交代するということは、根本的な変化(気候変動、債務、中国の台頭)が起きている時に、デッキチェアを動かすくらいのことのように見える。『政治の起源』は2巻出るシリーズの1巻目である。そして、フクヤマによると、2巻目は、フランス革命から現代までを網羅した内容になるということである。1巻目はフランス革命までで終わっている。 しかし、このような野心的な本にはありがちだが、解決したいと思っている基本的な問題に対して、十分な回答を出せていない。フクヤマは現代の社会科学の言葉を借りて彼が本当に興味を持っていることを説明している。彼が興味を持っているのは、どのようにすればデンマークのような国にまで到達できるのか。つまり、安定していて、反映していて、現在世界最高のレストランがある国になるにはどうしたら良いのかということである。しかし、フクヤマが本書で描写している歴史はこの疑問に対する答えとはならない。王子の出てこない『ハムレット』のようなものなのである。

(終わり)


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(貼り付けはじめ)


>本よみうり堂>ニュース
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2013年12月5日 読売新聞

http://www.yomiuri.co.jp/book/news/20131202-OYT8T00705.htm



フランシス・フクヤマ氏 ロングインタビュー



政治の起源が照らす劣化



 世界的な反響を巻き起こした『歴史の終わり』(1992年)で有名なアメリカの政治哲学者フランシス・フクヤマ氏。



 その2011年の大著『政治の起源』が邦訳された(会田弘継訳、上巻は既刊、下巻は12月下旬発売、講談社)。人類の始原からフランス革命に至るまで、中国、インド、イスラム圏を含む世界の政治の成り立ちや展開を掘り起こし、「政治制度の発展と衰退のメカニズム」を探る。壮大な試みから何が浮かび上がるのか、来日した氏に聞いた。



人間は社会的動物



 『政治の起源』は、刊行を準備する続編『政治の秩序と衰退』(仮題)と合わせ、政治制度を根本から問うという意味で『歴史の終わり』以来の重要著作になる。なぜ、「起源」に焦点を当てたのだろうか。



 実際的な関心からです。9・11テロの後、米政府はイラクやアフガニスタンに機能的な政府を作ろうとして苦労した。サダム・フセインのような独裁者を倒せば民主主義が実現すると考えるミスを犯しました。「強い政治制度はどうしたら生まれるか」ということへの理解不足だったのです。



 また9・11後に私が訪ねたパプアニューギニアなどメラネシアの島々は、まだ部族社会でした。国家制度を作ろうとしてもうまくいかない。どうしたら部族社会が国家に移行するかを考え始め、それが本を書くきっかけになりました。



 人類の始原からたどることで、氏は政治思想の見直しを迫る。人間の自然状態を「孤立した個人」と捉えたホッブズ、ロック、ルソーに対し、人間は始めから社会的存在だったとする。共同体的本性を持ち、制度を作る自然な傾向を持つ一方、暴力を振るう性向があると指摘。そして暴力の使用を集中させ、「国家」「法の支配」「民主的説明責任」の3要素を発展・均衡させることで政治制度は発展したと見る。



 近代の政治理論は、まず合理的な個人があって、自分の効用を最大化させるために行動するという前提で考えます。経済学もそうですが、これは偏った先入観です。生物学的にみて人間はもともと社会的動物です。ただ社会性はあるが、家族や友人を優遇する性質があり、政治もそこから見ていくべきだと考えます。



 「国家」以下の3要素は比較政治学者の多くが認めていることで、私のオリジナルではありません。私はこの学術的概念を一般に広げて書いたわけです。



中国法治の行方



 視野を広げることで、氏は新たな知見を提供する。例えば、「近代国家」は紀元前3世紀、中国に秦が成立して初めて出現したとする。西欧の「法の支配」確立には、11世紀にカトリック教会が皇帝に対し、聖職叙任権闘争で勝利したことが大きく影響したという。



 偏見を正してみれば分かることです。(世襲的・家産的ではない、能力主義の)官僚主義国家は中国で作られたのです。だが中国は「法の支配」「説明責任」に欠け、資本主義が2000年間発展しなかったため、国家のいち早い成立が正しく評価されなかったのです。



 「法の支配」確立には国家権力を抑制する対抗勢力の存在が重要ですが、カトリック教会はその役割を果たしました。同教会は部族が財産を世襲する慣習を破り、個人財産権を認めた点で、ヨーロッパの個人主義の始まりを作ったということもできます。



 最近は現代中国に「法の支配」が確立するかが問われていますが、法なしに経済成長できない状況や、薄煕来ボーシーライのような政治ライバルの動きを適切に管理する必要から、法治が採用される可能性はあると思います。



 政治制度の起源と展開を探ることで、逆に見えてくるのが政治の劣化だ。氏はその要因として制度の「硬直性」と「再世襲化」を指摘。制度が一度作られると変更困難になり新たな環境に対応できないことや、一族や利益集団が権益を世襲的に確保していくことで、制度が弱体化するという。



 政治の劣化は日米で見られます。金融危機が起きてもウォール街のロビー活動が強力で、適正な規制ができないといったことです。日本でも小さな業界の利益団体が政党と結びつき、規模に合わないほど大きな力を行使しています。



 ただ、民主主義にはこのゆがみを是正する仕組みがある。強力な利益集団に対し、国民が歯止めをかけることはできるのです。



共同体への責務



 ところで『歴史の終わり』では、人類の政治制度はリベラル民主主義に収斂しゅうれんしていくことで理念的に決着した、と氏は論じていた。今も近代民主主義社会こそが望ましいと考えるのか。



 実は二つの感情を抱いています。近代社会は、生活水準を上げ、健康を促進し、子供に多様な機会を与えるという意味で肯定できる一方、個人や共同体の存在価値や道徳的価値を失わせるため、いいことばかりではない。メラネシアの部族が伝統社会を捨てて近代社会に入った方がいいとは言い切れません。アメリカは個人主義が行き過ぎましたが、日本や欧州には共同体への責務の感覚が残っている。グローバル化にのみ込まれず、伝統的な生活を保持しながら近代社会をつくることはできると思います。(聞き手・文化部 植田滋)






アメリカ 衰退への憂慮



 【寸言】 原始人どころか類人猿の社会から説き起こし、政治制度の全人類的な展開をたどるフクヤマ氏の試みに、まずは圧倒される。各分野の専門家からすれば異論はあるだろうが、これほど広い視野からの叙述はなかなかあるまい。



 その展開は決して単線的・直線的ではなく、政治の劣化や、「国家」「法の支配」「説明責任」の不均衡の問題も描かれている。氏が近代社会の必然的な実現を信じる単純な進歩主義者ではないことは明らかだ。



 著作全体から感じ取れるのが、現代中国の台頭をどう見るかということと、アメリカ衰退への憂慮だ。来年、原著が出るという続編ではフランス革命から現代までをたどり、さらに政治の衰退を描くという。より精緻な衰退メカニズムの解明に期待したい。(植田)



フランシス・フクヤマ



 1952年、米シカゴ生まれ。論文「歴史の終わり?」(1989年)が世界的な大反響を呼び、著書となった『歴史の終わり』はベストセラーとなった。他の著書に『「大崩壊」の時代』『アメリカの終わり』など。





(貼り付け終わり)







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 古村治彦です。

 今回は、私も「翻訳協力」として翻訳作業に参加しました、『政治の起源(上)』の著者であるフランシス・フクヤマが日本外国人特派員協会で行った講演の様子がYouTubeにアップされておりましたので、皆様にご紹介いたします。

 ゆっくりとした英語で、通訳の方もついていますので、英語が苦手な方でも大丈夫です。また、英語の練習をされている方にも良い練習材料となります。

 また、『政治の起源(上)』の良い紹介(著者ですから当然ですが)となっております。

 1時間以上ありますが、お時間が許す限り、ご覧いただければと思います。




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