古村治彦(ふるむらはるひこ)の政治情報紹介・分析ブログ

SNSI研究員・愛知大学国際問題研究所客員研究員の古村治彦(ふるむらはるひこ)のブログです。翻訳と評論の分野で活動しています。日常、考えたことを文章にして発表していきたいと思います。古村治彦の経歴などについては、お手数ですが、twitter accountかamazonの著者ページをご覧ください 連絡先は、harryfurumura@gmail.com です。twitter accountは、@Harryfurumura です。よろしくお願いします。

タグ:ブラジル

 古村治彦です。

 最近の中国をめぐる動きとして重要なのは、フランスのエマニュエル・マクロン大統領の訪中とブラジルのルイス・イグナシオ・ルラ・ダ・シルヴァ大統領の訪中が続けて実施されたことだ。日本のメディアではフランスのマクロン大統領訪中が大きく取り上げられたが、より重要なのはブラジルのルラ大統領の訪中だ。フランスの世界経済に占める割合もそして外交における存在感も衰退し続けている。

マクロン大統領は訪中して中国の習近平国家主席と会談を持ち、何かしらの発言を行ったが、何の影響力もない。フランス国内の年金制度改悪問題でダメージを受けている。ウクライナ戦争に関して、フランスが独自の立場で動いているということはない。NATOの東方拡大(eastward expansion)の一環で、のこのこと間抜け面を晒して、アジア太平洋地域におっとり刀で出てこようとしているが、全てアメリカの「属国」としての動きでしかない。フランスは戦後、シャルル・ドゴール時代には独自路線を展開し、NATO(1948年結成)から脱退(1966年)したほどだったが、2009年のニコラ・サルコジ政権下で復帰している。

 ブラジルはBRICs、G20の一員として、経済、外交の面で存在感を増している。南米、南半球の主要国、リーダー国として、ブラジルは、独自の外交路線を展開している。欧米中心主義の国際体制の中で独自の動きを行おうと模索している。具体的には中国(そしてロシア)との関係強化とアフリカ諸国との連携である。アフリカ諸国との関係強化は南半球のネットワークの強化ということでもあり、かつ、旧宗主国としての西側諸国から自立した地域を目指すということだ。

このような動きが既に始まっている。それを象徴する言葉が「グローバル・サウス」である。また、学問においては、欧米中心の「世界史(world history)」に対抗する「グローバル・ヒストリー(global history)」が勃興している。欧米中心の政治学や経済学、社会学ではこの大きな転換(欧米近代体制500年からの転換)を分析し、理解することはどんどん難しくなっている。

 ウクライナ戦争は世界が既に第三次世界大戦状態に入っていることを示している。第二次世界大戦の際には、世界は連合諸国(Allied Powers、後にUnited Nations)と枢軸国(the Axis)に分かれた。この第三次世界大戦では、世界は大きく、西側諸国(the West)とそれ以外の国々(the Rest)に分かれている。グローバル・サウスはそれ以外の国々の側だ。この戦いでは、それ以外の国々が優勢となっている。これは日本のテレビや新聞といった主流メディアを見ていても分からないことだ。

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ルラ大統領の北京訪問は何故マクロン大統領の訪問よりも重要なのか(Why Lula’s Visit to Beijing Matters More Than Macron’s

-世界の経済の大きな動き、ダイナミズムはグローバル・サウス(global south)に移りつつある。

ハワード・W・フレンチ筆

2023年4月24日

『フォーリン・ポリシー』誌

https://foreignpolicy.com/2023/04/24/lula-brazil-china-xi-jinping-meeting-ukraine-france-macron-vassal/

今月初め、フランスのエマニュエル・マクロン大統領が中国を訪問し、中国の習近平国家主席の世界観に同調し、アメリカに対して故意に控えめな姿勢をとり、台湾をめぐる大国の衝突の可能性について、フランスひいては欧州にとって限られた関心事であると発言した。マクロンに対して、ヨーロッパ大陸とアメリカにおいて、批判の声が一斉に上がった。また軽蔑するという声も上がった。

その数日後、ブラジルのルイス・イグナシオ・ルラ・ダ・シルヴァ大統領が北京を訪れ、マクロンと同様に中国の長年の立場を支持し、ブラジリアがワシントンから政治的に距離を置くことを公にするような発言をした。世界のマスコミは注目したが、それほど大きく取り上げなかった。

それぞれの訪問を個別に考えると、どちらの大統領の中国訪問も、過去との劇的な決別を示すものとは見なされることはないだろう。しかし、5年後、もしくは10年後に、どちらが記憶に残るかということになれば、それは南米の指導者の外交であり、はるかに若いフランスの指導者の外交ではないだろう。

今月、マクロン大統領の訪中がより注目を集めたのは、世界がどのように変化しているかという新鮮で冷静な考えよりも、国際メディアの根強い北大西洋バイアスを反映している。一見したところ、それぞれの国の外交には、他国よりも注目されるだけの根拠がある。GDPが約3兆ドルのフランスは、EUの中ではドイツに次ぐ第2位の経済大国であり、ブラジルGDPの約2倍である。

一方、ブラジルの人口は2億1400万人で、フランスの3倍以上、それだけで南米の人口の3分の1を占めている。人口が全てということはないが、将来を左右する可能性があるという点で、ブラジルに有利な議論はここから始まる。しかし、その前に、マクロンとフランスが、世界の中での重みを増し、アメリカとの距離を縮めようとする、一見、恒常的な試みに対して、懐疑的な理由を更に探る価値があると言えるだろう。

「永続的な(perennial)」という言葉の使用が示すように、世界の主要国に対するマクロンの外交には、本当に独創的なものはほとんど存在しない。歴史家の故トニー・ジャットが書いたように、フランスは1940年春、マース川を越えて押し寄せるドイツの戦車師団の前に軍隊が崩壊し、世界の主要国のクラブから追い出され、それ以来、その地位を回復することはなかった。しかし、そのために、この地位を失ったことに対するノスタルジーと悔しさに基づく外交政策が採用されてきたということもない。

第二次世界大戦がフランスに与えた精神的ショックは計り知れないものだ。伝統的に東ヨーロッパ地域に大きな影響力を持っていたフランスはその力を失った。フランス語は、もはや外交における固定の共通言語ではなくなった。戦勝国である連合諸国に対して、ドイツを解体するほどの懲罰を与えるよう説得することはできなかった。そして、経済的な生存と防衛から、国連安全保障理事会(the United Nations Security Council)という世界外交のトップテーブルへの座を含む、多くの事柄において、フランスが反射的に不信感を抱く「人種(race)」、すなわちアメリカとイギリスのアングロサクソン(the Anglo Saxons of the United States and Britain)の支持と寛容に依存してきた。

左右問わず、フランスの指導者たちはかつての高貴な地位を取り戻そうとして、世界に対して2つの時代遅れのアプローチに固執してきた。第一は、帝国の名残をできるだけ長くとどめることだった。その結果、パリはアルジェリアやインドシナで相次いで植民地支配が生み出す苦難に見舞われ、西洋諸国が帝国を支配することはもはや許されないという新しい時代の到来を受け入れる結果となった。それ以来、アフリカにおいて、フランスは、数年ごとに、軍事的関与と深い経済浸透による支配と干渉の古いパターンは過去のものであると宣言しているにもかかわらず、一連の新植民地関係を放棄することに苦労している。中国を訪問したマクロンは、フランスはアメリカの「属国」にはならないと強く宣言した。結果として、マクロンにとっては何とも厳しい皮肉が出現することになった。

もう一つのフランスの伝統的な戦術は、かつて「旧大陸(Old Continent)」を支配した現実政治(realpolitik)への関与である。これは、その時々の支配的な国に対して、完全に対抗しないまでも、常に緊張関係を保ちながらバランスをとること(balancing in tension with, if not completely against, the dominant power of the day)を意味する。この点で、フランスのアプローチが最も特徴的なのは、戦後、フランスがこのゲームを行った主役は、名目上の同盟国であるアメリカであるということだ。シャルル・ドゴールからフランソワ・ミッテラン、そして現在のマクロンに至るまで、そしてその間にフランスを率いたほとんどの人物を含めて、パリはまるで固定観念に従うかのように、ワシントンの最大のライヴァルと個別の理解や和解を得ようとしてきた。時が経つにつれ、これらにはソヴィエト連邦、毛沢東主席が率いた中国、そして今では経済とますます軍事的超大国である習主席の非常に異なる中国が含まれるようになった。

フランスが自国の問題に関して自律性と独立(autonomy and independence)を望むことを非難するのは間違いだ。しかし、パリはこれまで、その姿勢を持続的に評価させるのに必要な手段をほとんど持たず、ほとんど無能な妨害者として、時には単なる驕りや皮肉屋としてしか映らなかった。

中国に媚びることで、マクロンはエアバスのジェット機の大量発注に関する北京の承認を得るなど、予想通り多くの商業取引を実現したが、他に本当に達成したことはあるのだろうか? ロシアのウクライナ侵攻がヨーロッパの平和と安全への願望に対してどのように脅威を与えているのかを考えるよう習近平主席に求めたマクロン大統領は、北京が台湾への領有権を行使するために武器を使用する可能性に対する緊張が強く高まっている時に、台湾をバスに乗せようとしているように思われた。ヨーロッパでは、台湾をめぐる戦争のリスクが高まることへの懸念だけでなく、民主政体世界に対するシステム的な脅威としての中国への懸念も高まっている。恥ずかしいことに、先週、中国の駐仏大使が、かつてソ連に併合されていたEU加盟国であるバルト三国の主権を疑うような発言をしたのは、マクロンの訪中から1カ月も経っていない中で行われた。

更に言えば、アメリカからのヨーロッパの安全保障の独立を求めるマクロン大統領の新たな主張についてどう考えるべきだろうか? これも立派な考えではある。しかし、ワシントンがキエフに軍事的、外交的支援を提供する際に果たした指導的役割がなければ、ウクライナがロシアのウラジミール・プーティン大統領の侵略をなんとか持ちこたえられたことに疑いの余地はない。

ヨーロッパが自分たちの地域を守れるようになることは望ましいことかもしれない。だが、そのために必要な投資をする現実的な見込みは、当分の間、ほとんどないだろう。西ヨーロッパは、より高度な兵器はともかく、ウクライナが必要とする通常の砲弾を維持することさえできない。マクロンは、防衛と自決(defense and self-determination)に関するヨーロッパの良心(conscience of Europe)として真剣に受け止めるべきなのか、それとも彼の発言は、フランス人の貧しさと失われた関連性への郷愁の最新の表現に過ぎないのか、疑問が出てくる。

こうした背景の中で、ブラジルの最近の外交はもっと注目されるべきものである。確かに、南米のブラジルは、アメリカの外交政策から独立した実質的な行動できる余地を確保しようとする姿勢も以前から持っていた。国際基軸通貨(international reserve currency)としてのドルの存続を批判し、アルゼンチンとの通貨統合を模索し、さらにはウクライナ戦争をめぐって欧米諸国を批判するルラの取り組みは、単に象徴的な進歩主義者(iconoclastic progressive)の気まぐれと見るのではなく、最も重要な国家の1つから台頭しつつあるグローバル・サウスの1国として、その欲求を反映したものとして捉える必要がある。

何よりも、ブラジルの重要性が存在するのがこのグローバル・サウスという舞台だ。散らばっているように見えることもあるが、グローバル サウスは、世界の経済ダイナミズムの大部分が変化している場所だ。これは、世界の豊かな国のほとんど、および中国の悲惨な人口統計と、インド、インドネシア、ブラジル、メキシコなどの国々が世界のGDPランキングで力強く上昇するように設定されている世界経済生産のパターンの変化の中にみられる。そして、アメリカとイギリスを含む伝統的な西側の先進諸国は、現在から2050年の間に緩やかに衰退していくことになる。

ルラの発言は、欧米諸国にとって懸念を掻き立てるもの、更には脅威となると考えるのは間違いだ。マクロン大統領の言葉を借りれば、ブラジルは中国の属国になろうとは思っていない。ブラジルの可能性の多くは、自国の道を切り開くことにある。ドゴールはかつて、ブラジルを評して「未来の国(country of future)だ、これからもそうだ」と言ったという。しかし、多様な経済と豊富なソフトパワーを持つ多民族国家でありながら、対外侵略(extraterritorial conquest)の歴史もなく、他国を支配する野心もないブラジルに関しては、ようやくその時代が到来したということかもしれない。

アルゼンチンとの経済関係の強化が示すように、ブラジルは近隣諸国から恐れられてはいない。しかし、南半球のリーダーとしてのブラジルの将来の鍵を握っているのは、アフリカかもしれない。アフリカ大陸は、世界で最も人口が増加している地域であり、近年は堅調な経済成長を遂げているが、急増する若者たちが必要とする雇用の創出やインフラ整備を支援する新しいパートナーシップを切望している。中国は、これまでアフリカとの貿易や投資を独占してきた欧米諸国を抜き、アフリカにおける欧米諸国の代替的存在として急成長している。

ブラジルは、ルラ大統領の就任後、南大西洋の経済・外交パートナーシップを強化するための投資を開始したことは、別の記事で紹介した通りだ。ブラジルとアフリカは、大西洋横断奴隷貿易の悲劇的な歴史によって深く結ばれている。新しい強力な南北関係を率先して構築することで、ブラジルとアフリカは共に、より良い未来への扉を開くことができるだろう。

※ハワード・W・フレンチ:『フォーリン・ポリシー』誌コラムニスト。コロンビア大学ジャーナリズム専門大学院教授。長年にわたり海外特派員を務めた。最新作には『黒人として生まれて:アフリカ、アフリカの人々、そして近代世界の形成、1471年から第二次世界大戦まで(Born in Blackness: Africa, Africans and the Making of the Modern World, 1471 to the Second World War.)』がある。ツイッターアカウント:@hofrench
(貼り付け終わり)

(終わり)

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ビッグテック5社を解体せよ

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 悪魔のサイバー戦争をバイデン政権が始める
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 古村治彦です。

 

 ブラジルでは、「ブラジル版トランプ」と呼ばれる、ジャイル・ボルソナーロが大統領選挙に勝利しました。ボルソナーロがどのような人物かについて、少し古い記事をご紹介します。以下の記事は、ジャイル・ボルソナーロがナチスのやり方を踏襲している、というものです。

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 ボルソナーロは「ブラジル版トランプ」と呼ばれていますが、トランプ大統領よりも表現がより過激で、かつ、民主政治体制については恐らく否定的な考えを持っているでしょう(トランプ大統領はさすがに否定しないでしょう)。

 

 今回ご紹介する記事で、著者のフィンチェルスタインは、ボルソナーロこそがナチス式のやり方を踏襲しているが、ボルソナーロはそれを否定している、それどころか反対している左派の方がナチス的だと非難しているが、こうしたやり方こそがナチス式のやり方だという少し複雑な主張を行っています。

 

 南米諸国の政治は、いろいろと変転をしてきました。ポピュリズムという大衆迎合主義の要素が入った政治、クーデターによって軍部が政権を掌握した軍部独裁、軍部が実権を官僚にゆだねた官僚的権威主義といった様々な形態を経験しています。民主的な機構が制度化され、それが定着して間もないという点で、民主政治体制がまだまだ脆弱ということが言えると思います。

 

 そうした中で、ボルソナーロが大統領に当選したということと、アメリカでトランプ大統領が当選したということを一緒くたにしてしまうことは実態を見えにくくしてしまうのではないかと思います。最も大きな違いは民主政治体制を肯定するか、否定するか、民主政治体制の定着の度合いということになります。

 

 現在のブラジルの状況はアメリカと似ている部分もあります。それは、近代的な政治思想の諸原理、自由、平等、寛容といったものに対する「疲れ」と言うべきものです。この疲労感から、人種差別や性的差別、宗教差別のような敵対的な言辞や行動が増えているのではないかと思います。

 

 しかし、民主政治体制が制度化され、定着しているかどうか(英語では、オンリー・ゲーム・イン・タウンと表現します)、という点ではアメリカとブラジルでは大きく異なります。ブラジルのような経済発展も著しい南米地域の大国で、いきなり民主政治体制が廃絶されることはないでしょうが、実態として毀損されるということはあり得ます。

 

 ボルソナーロの大統領当選はそうした点で、人々に心配を生じさせているということになります。

 

(貼り付けはじめ)

 

ジャイル・ボルソナーロのモデルはムッソリーニではない。それはゲッベルスだ(Jair Bolsonaro’s Model Isn’t Berlusconi. It’s Goebbels.

―ブラジルの極右指導者はただの保守的ポピュリストではない。彼のプロパガンダキャンペーンはナチスのやり方をそのまま真似ている。

 

フェデリコ・フィンチェルスタイン筆

2018年10月5日

『フォーリン・ポリシー』誌

https://foreignpolicy.com/2018/10/05/bolsonaros-model-its-goebbels-fascism-nazism-brazil-latin-america-populism-argentina-venezuela/

 

10月7日、ブラジル国民は大統領選挙の一次選挙に投票を行う。現在のところ、極右の候補者ジャイル・ボルソナーロが勝利すると予測されている。ボルソナーロはブラジル版のトランプとも言われている。最近は、スティーヴ・バノンが選挙運動で助言を行っている。数週間前に起きた暗殺未遂事件のために現在も入院中であるが、ブラジルのポピュリストは暴力と厳格な方策を混合し発信している。ボルソナーロの選挙運動は人種差別、女性差別、厳格な法と秩序優先主義が入り混じったものだ。

 

ボルソナーロは、犯罪者は裁判にかけるよりも射殺すべきと主張している。彼は先住民族を「寄生虫」と呼び、差別的で優生学的な産児制限を主張している。ボルソナーロはハイチ、アフリカ、中東からの避難民がもたらす危険について警告を発し、彼らを「人間の屑」と呼び、軍隊に対処させるべきだと主張した。

 

ボルソナーロは恒常的に人種差別的、女性差別的発言を行っている。例えば、アフリカ系ブラジル人は肥満になりやすく怠惰だと発言し、子供たちが同性愛者にならないように肉体的に刑罰を与えるべきだと述べた。ボルソナーロは同性愛者を児童性愛者と同じだと述べ、ブラジル国家のある議員に対して、「お前をレイプすることはないだろう、お前にはその価値すらない」と言い放った。

 

一連の発言において、ボルソナーロの言葉遣いは、ナチスが主導した迫害と虐待の政策の裏にある言葉を思い出させる。しかし、ナチスのように聞こえることが彼をナチスにするだろうか?彼が選挙に参加し、選挙を行うことに信念を持っている以上、彼はナチスではない。しかし、ボルソナーロが大統領に選ばれたら、物事は急速に変化する可能性が高い。最近、ボルソナーロは選挙で負けても敗北を受け入れないだろうと発言し、軍隊も彼の考えを同意するだろうと示唆している。これは民主政治体制に対する明確な脅威である。

 

ボルソナーロはクーデターの可能性を示唆している。彼は南米諸国の独裁政治と汚い戦争の伝統を支持し、チリのアウグスト・ピノチェトやそのほかの独裁者たちを称賛している。

 

1970年代のアルゼンチンの「汚い戦争」に関与した将軍たちやアドルフ・ヒトラーと同様、ボルソナーロは、反対勢力には正当性(正統性)はないと考える。これは暴政をもたらす権力を求めるものだ。先月、ボルソナーロは政治的反対者である労働党のメンバーたちを処刑すべきだと発言した。

 

ボルソナーロは、左派は民主政治体制のアンチテーゼを示すものだと主張している。左派の躍進について、ボルソナーロは政治の「ヴェネズエラ化」だと述べている。しかし、実際のところ、南米諸国の様々な左派ポピュリズムは、ヴェネズエラでもそうだが、独裁的な方向に進んでも、人種差別や外国人排斥には関与していない。

 

左派のポピュリストの多くは、より伝統的な右派ポピュリストと同様、民主政治体制を破壊しない。彼らは民主政治体制の制度を軽視し、腐敗に手を染め、民主政治体制を縮小させてしまうが、彼らは選挙に負けたら選挙の結果を受け入れる。

 

左派ポピュリストは民主政治体制を受け入れている。例えば、アルゼンチンのネストル・フェルナンデス・デ・キルチネル政権とクリスティーナ・フェルナンデス・デ・キルチネル政権、エクアドルのラファエル・コリア政権がそうであった。右派には伝統的なポピュリストが多くいる。その中にはアルゼンチンのカルロス・メネムとイタリアのシルヴィオ・ベルルスコーニが含まれる。彼らは民主政治に反対していない。

 

ボルソナーロは民主政治体制を支持していない。民主政治体制を支持し、暴力と人種差別を拒絶してきたこれまでの左派、右派ポピュリズムとは異なり、ボルソナーロのポピュリズムはヒトラーの時代にルーツを遡ることが出来る。

 

先月、ブラジルのドイツ大使館のウェブサイトには、ナチズムは社会主義だと主張する書き込みが殺到したのは偶然の出来事ではない。批判者たちは、極右のナショナリスト傾向のためにボルソナーロをナチスだと批判している。一方、ドイツ大使館のウェブサイトに殺到した怒れる人々は、元軍人ボルソナーロの支持だった。

 

右派ポピュリスト、ジャイル・ボルソナーロが負った肉体的傷は癒されるだろうが、ブラジルの政治はそのようにはいかない。

 

ルイス・イナシオ・ルーラ・ダ・シルヴァ元大統領は、2018年4月7日にサンパウロのサンベルナルド・ド・カンポ地区にある金属労働組合本部で、支持者の前に姿を現した。この時、裁判所はルーラに対する逮捕状を発行していた。元大統領は群衆に向かって、「私は逮捕状に従うつもりだ」と述べた。ルーラは敗れたが、ブラジルの民主政治体制は勝利した。刑務所に収監されるまで、前大統領は法の支配への敬意を発し続けた。

 

ブラジルをはじめ世界各地において、右派ポピュリストはナチスが行ったような行動を取っている。同時に、彼らは受け継いだナチスの伝統を否定し、左派こそがナチスの伝統を受け継いでいると非難している。オルトライト派のファシストのメンバーは、ナチスのように行動しながら、敵対者こそがナチスのようだ、と非難しているが、それは何の矛盾もないことだ。実際、左派ナチズムという考えは政治における神話に過ぎず、この神話こそがナチス式のプロパガンダの方法から生み出されたものだ。

 

ブラジル国内の右翼とホロコースト否定派は、ナチズムの復活に脅威を与えているのは左翼だと主張している。もちろん、このような主張は、ナチス式の思考方法から生み出された誤ったものだ。ファシストは常に彼ら自身がファシストであることを否定し、彼らの特徴と全体主義的政治的志向こそが彼らの反対者の特徴だと決めつける。

 

ヒトラーはユダヤ教がアメリカとロシアの裏にある力だと非難し、ユダヤ人は戦争を始め、ドイツを消滅させたいと考えていると述べた。しかし、実際に第二次世界大戦を開始したのはヒトラーであり、ヨーロッパのユダヤ人を消滅させようとし大量虐殺した。ファシストはいつも現実をイデオロギーから生まれたファンタジーに置き換えている。ボルソナーロが左派の指導者たちをヒトラーの現代版だと非難している理由はまさにここにある。実際のところ、ボルソナーロこそがスタイルと実質がヒトラー総統に近い候補者なのである。

 

現在、ドイツでもそうであるが、極右のデモ参加者たちはデモの中でナチス式の敬礼を行う。

ドイツで2番目に支持を集めている「ドイツのための選択肢」の指導者たちはナチズムを否定している。同時に、彼らは独立系メディアを利用するために、ヒトラーの悪名高き侮辱を使い、プロパガンダを行う戦略を採用している。ナチスの指導者ヒトラーが行ったように、彼らもまたメディアを「嘘つきマスコミ」と呼んでいる。

 

アメリカにおいては、2017年にドナルド・トランプ大統領がネオナチと白人優越主義者の中には「大変に素晴らしい人たち」がいると発言したことはよく知られている。トランプ大統領は大統領就任後に、CIAがナチスのように行動していると批判したことがあった。原題の極右の多く(その多くは白人優越主義者とネオナチ)は、ナチスのプロパガンダの諸原理に従い、イデオロギー上の先達との関係を否定し、自分たちに反対する人間たちこそが本物のナチスだと主張している。南米諸国の新たに出現している右派ポピュリストたちもその流れに沿っている。

 

ボルソナーロの対抗馬の候補者が彼を「熱帯のヒトラー」と非難した時、ボルソナーロは、ナチスの指導者の称賛したのは自分ではなく、対抗馬の方だと返した。2011年、ボルソナーロは、同性愛者になるくらいなら、批判者たちからヒトラーのようだと言われる方がましだと述べたことがあった。フェイクニュースとあからさまな虚偽という新しいポピュリストの時代に入り、ナチズムについてのこの種の虚偽は目立つようになっている。ナチズムとファシズムは左派に見られる現象だというねじ曲がった考えが目立つようになっている。

 

現代の極右とポピュリストの指導者たちは、人種差別を主張しているが、彼らの言動はこれまでになくナチズムに近いものとなっている。このような時代の中で、極右とポピュリストの指導者たちの多くは、社会主義的左派こそがナチズムなのだと非難するための単純な主張を行うことで、自分たちはヒトラーの伝統に連なるものではないと印象付けようとしている。これは、以前のファシストによる運動によく似た忌むべきプロパガンダ戦術である。

 

ヒトラーが台頭しつつあった時期、ナチスのプロパガンダ担当者たちは常に、ヒトラーは平和を愛し、反ユダヤ主義、人種差別、国家と国民の擬人化に対して、過激ではなく、穏健な考えを持っていると主張していた。簡潔に述べると、ヒトラーは寛大さに欠けた政治からかけ離れた指導者、ということになる。歴史家であればよく知っているように、こうした印象付けは、酷い虚偽であり、こうした虚偽によって長年にわたるナチズムの支持者が生み出されることになった。実際にはヒトラーは全く反対の人物だった。最も過激な戦争愛好者であり、歴史上屈指の人種差別主義者だった。ヒトラーの発言や行動と同じように見える現代の指導者たちは、ヒトラーと同じことをしているのだ。

 

ナチスの隆盛期、説明は言葉の繰り返しに取って代わられた。ナチズムの歴史的な遺産の無視(もしくは意図的な見落とし)によって、現代のプロパガンダに長けた人々は、右翼ナショナリストの特徴を左派の特徴にすり替えることが可能となる。ナチス党は、「国家社会主義」という混同しやすい名称を使い、意図的に労働者を混乱させ、ファシストに投票させるように誘導した。その後、ナチス党はすぐに社会主義的側面を放棄した。

 

「ファシズムと社会主義はイコールだ」と主張するために歴史を単純化する人たちは、意図的にファシズムが社会主義(と憲法体制上の自由主義)と戦っていたことを意図的に忘れる。ファシズムは人々の社会正義と階級闘争への関心をナショナリスト的、帝国主義的侵略にすり替えたのだ。歴史家ルース・ベン= ギアットは、ファシストの暴力の歴史を捻じ曲げられていることは、「右派の歴史を浄化する」ことを目的としていると述べている。

 

南米諸国ではファシズムにヒントを得た政治が行われたことがある。その典型例が1970年代のアルゼンチンに存在した汚い戦争と呼ばれたものだ。この時期、アルゼンチン政府は数千人の一般市民を虐殺した。よく知られているように、ボルソナーロは1999年に、ブラジルで独裁政治が確立されたら、国会議員からフェルナンド・ヘンリケ・カルドソ大統領を含む3万人を殺さねばならないと発言した。彼以前のファシストと同様、ボルソナーロはこの種の独裁政治こそが真の民主政治体制だと主張している。ただこの体制には選挙は存在しない。ボルソナーロの新しい点は、それまでの軍事独裁主義者と異なり、彼は市場ファシズムを民主政治体制だとしている点だ。

 

ボルソナーロは、自分が大統領に当選しても民主政治体制にとっては「ゼロリスク」だと主張しているが、多くのブラジル国民は彼の主張に同意していない。先週末に行われたボルソナーロに反対するデモの後、世論調査におけるボルソナーロの支持率は上昇している。ブラジル政治の専門家の中には、女性や少数民族からの激しい反対が彼の支持率を上昇させてしまっていると分析している人たちがいる。これと同じことが1930年代のドイツでも起きている。

 

ナチスの過激さがより既存の体制に反対し、暴力的になるにつれて、ヒトラーに対する人々の支持は大きくなっていった。権威主義に対する支持が上昇し、最近の世論調査で53%の国民が警察を「秩序を強制することを任務とする神の遣わした戦士」と見なすようになっているブラジルでは、ボルソナーロの主張は人気を博している。

 

ボルソナーロのような政治家はドイツのファシズム独裁者ヒトラーとの親和性を否定し、彼らの敵となる左派を本物のナチスだと非難する。しかし、歴史が私たちに教えているように、世界規模で新たに出現している右派ポピュリストを理解するための道筋にとって、彼らの政治手腕とプロパガンダのルーツがファシズムにあることを無視することはできない。

 

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