古村治彦です。

 ドナルド・トランプ大統領のウクライナ疑惑について、今回はバイデン家とウクライナとの関係についての記事をご紹介する。今回のウクライナ疑惑のうち、トランプ大統領の個人弁護士ルディ・ジュリアーニ元ニューヨーク市長が国務省を通さずにウクライナ政府、検察当局と会談を持ち、バイデン家(ジョー・バイデン前副大統領と次男のハンター・バイデン)についての疑惑を調査しようとしたというものがある。

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次男ハンター(左)とジョー・バイデン

 ジョー・バイデン(Joe Biden、1942年―、76歳)はオバマ政権(2009年1月―2017年1月)の副大統領時代に、ウクライナ国内の汚職根絶のために様々な働きかけを行っていた。ウクライナ国内のことにアメリカの副大統領が働きかけを行うということは内政干渉であるが、今回は置いておく。「バイデンは副大統領時代にウクライナ国内の汚職根絶のために働きかけを行った」という事実がある。
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ウクライナ訪問中のバイデン
 ジョー・バイデンの次男ハンター・バイデン(Hunter Biden、1970年―、49歳)は投資会社の共同経営者やワシントンでロビイストをしていた。父ジョー・バイデンが副大統領を務めていた時期、具体的には2014年にウクライナの天然ガス会社ブリスマ・ホールディングス社の取締役に就任し、2018年に退任した。ここでの事実は「アメリカ副大統領の次男ハンター・バイデンが2014年から2019年までウクライナの天然ガス会社ブリスマ社の取締役を務めた」ということだ。

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マイコラ・ズロチェフスキー

 ブリスマ社の創設者でありオーナーのマイコラ・ズロチェフスキー(Mykola Vladislavovich Zlochevsky、1966年―、53歳)は、ウクライナ政府でエネルギー担当の大臣(環境保護・天然資源担当大臣と称する)を2度務めた実力者だ。この大臣時代を含め、権力濫用や荒っぽい手段でブリスマ社を巨大企業に育て上げたために、すろちぇふスキーには常に捜査の手が伸びていた。2014年のウクライナの政変で、新露派のヴィクトール・ヤヌコヴィッチ(Viktor Fedorovych Yanukovych、1950年ー、69歳)大統領が失脚し、側近たちとロシアに逃亡した。ヤヌコヴィッチ政権で環境保護・天然資源担当大臣を務めていたズロチェフスキーはヤヌコヴィッチの側近ではなく、行動を共にしなかった。政変直後は、前政権に関わった高官たちへの激しい追及が起き、ズロチェフスキーも捜査対象となった。また、イギリス国内で資金洗浄の疑いが持ち上がり、ブリスマ社の口座が凍結処分となった(後に解除)。
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ヤヌコヴィッチ(左)とプーティン
 こうした中、捜査を回避し、欧米からの印象を良くするために、ズロチェフスキーとブリスマ社は、欧米の著名人や受けの良い人々を取締役に招聘し、「欧米基準の素晴らしい会社ですよ」というアピールをする作戦を取った。また、「ウクライナでの天然ガス増産に寄与するブリスマ社は、ウクライナのロシアからの経済的独立に大きく寄与する」というキャンペーンも行った。そうした中で、アメリカ副大統領ジョー・バイデン(当時)の次男ハンター・バイデンの名前は光り輝いていた。ブリスマ社はハンターの投資会社の共同経営者をまず取締役に迎え、それからバイデンを招聘した。また、元ポーランド大統領も取締役に迎え、対ロシア独立派を印象付けた。この元ポーランド大統領はハンターの招聘に一役買った。ハンターは2014年から2019年の間に、年に2回の取締役会に出席し、月に5万ドルの報酬を受け取った。

2014年の政変後に大統領になったペトロ・ポロシェンコ(Petro Poroshenko、1965年―、54歳)も親露派で、ウクライナ国内の改革は進まなかった。また、汚職に関する捜査も停止状態になった。せっかく政変で親露派政権を打倒したのにまた同じような政権が出来て、国内改革が進まない状況となったことに、欧米諸国は多額の援助を行う約束していたこともあり、不満を募らせた。
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ペトロ・ポロシェンコ

 アメリカのバラク・オバマ政権は副大統領であるジョー・バイデンをウクライナに派遣し、その不満を伝達させることにした。バイデンはウクライナを訪問し、ポロシェンコ大統領に対して国内改革、特にヴィクトール・ショーキン検事総長の更迭を求め、それが実現しない場合には支援を停止すると圧力をかけた。その後、ショーキンは解任された。

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ショーキン

 これでウクライナ国内の汚職事件に関する捜査が進むと見られていたが、ズロチェフスキーとブリスマ社に対する捜査はあまり進展しなかった。ウクライナ国内の改革派は、「ズロチェフスキーとブリスマ社には欧米諸国との強いコネがある、アメリカ副大統領の次男が取締役を務めているくらいだから」という「忖度」がウクライナ検察当局に働いている可能性があると指摘している。

また、「ショーキンの解任は、ショーキンがズロチェフスキーとブリスマ社の捜査を進める中で、ハンターにも追及の手が伸びることを恐れたジョー・バイデンが副大統領の地位を使ってウクライナ政府に圧力を使ってショーキンを解任させた」という話も出ている。当のショーキンがそのように話しているが、この話は馬鹿げているとウクライナ国内の改革派は切って捨てている。

 ハンター・バイデンのブリスマ社の取締役就任については、周囲の人物で懸念を持っていた人物も多く、ウクライナ国内の政局に巻き込まれる、名前を利用される、といったことを心配して止めるように忠告する人もいた。ここからは推測だが、年に2度の取締役会出席で月5万ドルの報酬は、ハンター・バイデンにとって魅力的だったのだろう。彼はそれまでにも薬物乱用問題や借金問題を抱えていた。逆に言えば、ハンターの苦境をブリスマ社は分かった上で利用したのだろう。

 ジョー・バイデンが副大統領としてウクライナ国内の改革を求める立場にあり、一方、次男ハンター・バイデンは、改革の影響を受けないようにしたいズロチェフスキーとブリスマ社に取締役として利利用されることに関しては、利益相反になるという主張は当時からあった。この点は、父ジョーと次男ハンターはウクライナについて具体的に話をしていない、と両者ともに述べている。トランプ政権側としてはここを弱点として突くということになる。

 ウクライナは親露派政権と親欧米派政権が政変で入れ替わる形で政情は不安定だ。また、政治家たちが大企業家としての顔を持ち、権力を濫用して自分がオーナーの会社に利益をもたらすということをやっている。欧米の基準から見れば大変に送れている。ハンター・バイデンはブリスマ社の取締役就任の理由を「会社のそれまでのやり方を変革するため」と語っている。しかし、年に2度の取締役会出席だけで変革することなどできない。それで毎月5万ドルの報酬を受け取っていたということは、彼自身が「お飾り」であることを認識し、それを受け入れていたということだ。

 父親は改革を進めようとし、次男はその改革の影響を避けようとする勢力に利用された、ということになる。「アメリカ副大統領」「バイデン」という言葉の輝きと効力の前に、ウクライナ政府はひれ伏すと、ズロチェフスキーは考えたし、実際にそのような側面もあった。そうなると、これはまさに日本でもあった「忖度」ということである。

 大国の狭間で生きる小国というのは、常に神経を尖らせ、大国の意向を「先回りして理解し、それに沿う形でご機嫌を取る」ということをやり尽くしてきている。それが国内でも国外でも行動原理になっている。日本も全く同じだ。

(貼り付けはじめ) 

天然ガス産業の巨頭と副大統領の息子:ハンター・バイデンのウクライナへの(The gas tycoon and the vice president’s son: The story of Hunter Biden’s foray into Ukraine

ポール・ソンネ、マイケル・クラニシュ、マット・ヴァイサー筆

2019年9月28日

『ワシントン・ポスト』紙

https://www.washingtonpost.com/world/national-security/the-gas-tycoon-and-the-vice-presidents-son-the-story-of-hunter-bidens-foray-in-ukraine/2019/09/28/1aadff70-dfd9-11e9-8fd3-d943b4ed57e0_story.html

5年前、当時のジョー・バイデン副大統領の息子がウクライナの無名の天然ガス会社の取締役に就任した。バイデン副大統領の息子が取締役になることは、この天然ガス会社のオーナーである元ウクライナの大臣にとっては大成功と言えるものだった。この当時、オーナーはマネーロンダリング(資金洗浄)の疑いが捜査を受けており、会社のイメージを一新しようと苦労していた。

ハンター・バイデンにとって、取締役就任という決断にはリスクが伴った。ウクライナはその当時政治的な動乱が頻発し、莫大な利益をもたらす天然ガス産業から元政府高官たちが大きな利益を得ていることに対して調査が行われていた。バイデンの父親はオバマ政権によるウクライナ政府による汚職の処罰を求める努力の中心人物であった。

ウクライナがある地域はこの当時不安定を極めていた。そのため、ハンター・バイデンが経営する投資会社のパートナーはハンターが「ブリスマ・ホールディングス」社の取締役に就任することは間違っていると考え、バイデンともう一人のパートナーとのビジネス関係を解消した、とこの人物の報道担当は本紙の取材に答えた。この人物はジョン・ケリー元国務長官の義理の息子である。

それから5年が過ぎ、父ジョー・バイデンは大統領選挙に出馬している。ハンター・バイデンのウクライナの会社の取締役に就任するという決断は、重大なトランプ大統領に対する内部告発者の告発の背景となっている。この内部告発は2020年の米大統領選挙をめぐる状況を変えつつある。

トランプ大統領が個人弁護士であるルディ・W・ジュリアーニ元ニューヨーク市長と一緒になってウクライナ政府に圧力をかけて「ブリスマ」社を捜査させようとし、バイデン家の役割について調査させようとしたということが暴露された。これに対して、連邦下院では弾劾に向けた調査が開始されることになった。嫌疑はトランプ大統領がウクライナ向けの援助を停止して、来年の大統領選挙での強力なライヴァルとなるであろうバイデンについてウクライナ政府に捜査をさせようとした、というものだ。

バイデン家によって刑法上の罪を犯したことを示す証拠は出ていない。ジュリアーニが主に疑っている嫌疑は、ジョー・バイデンが副大統領として、元大臣でブリスマ社のオーナーであるマイコラ・ズロチェフスキーに対する捜査を止めせせるためにウクライナの検事総長を更迭させるために圧力をかけたというものだ。この嫌疑については証拠がでていない。この嫌疑については元アメリカ政府高官たちとウクライナの反汚職グループによっても提起されている。

ハンター・バイデンの取締役就任という決断によって、バイデン陣営は不愉快な質問に対して説明を迫られるということが起きている。ジョー・バイデンは副大統領としてウクライナ国内の汚職の根絶のために努力した。一方、息子ハンター・バイデンは政府高官としての地位を濫用したとして捜査を受けていた天然ガス産業の巨頭の会社の取締役となった。ジョー・バイデンは利益相反と見られることを避けるために何らかの行動を取らなかったのはどうしてか?

イギリス人ジャーナリストでウクライナの反汚職非営利団体「反汚職行動センター」の理事を務めるオリバー・ブローは次のように語っている。「ジョー・バイデンはどうしてハンターに向かって“取締役から退きなさい、自分が何をやっているか分かっているのか?”と言わなかったのだろう?」

ウクライナ国民の中には、ハンター・バイデンがブリスマ社の取締役になったことで、父バイデンのウクライナにおける汚職の根絶の訴えが台無しになったと見ている人たちがいる。

また、ウクライナの検察当局は、ズロチェフスキーがアメリカの最高レヴェルとのつながりを持っていることを恐れて犯罪行為に対する捜査を避けたのではないかという疑惑もある。アメリカはこの当時のウクライナの政権と政府にとって最重要の支援者であった。

バイデン前副大統領の補佐官とスタッフだった人物たちは匿名を条件に証言したが、副大統領執務室の中で、ハンターが取締役であることが利益に相反にあたるかどうか議論が私的な会話という形ではあったが起きたと述べた。

ある元補佐官は利益相反である可能性が高いと副大統領に述べた、と語っている。しかし、この会話自体が短いもので、他の補佐官やスタッフたちはこれを問題視したくない、もしくはする必要はないと語っていたと述懐している。

バイデンと一緒に働いたアメリカ政府高官だった人物たちは口をそろえて、息子ハンターの行動がバイデンの副大統領としてのウクライナに対する行動に影響を与えたことは無かったと語っている。

元補佐官は次のように述べている。「何か明確な問題になっているだろうか?確かに問題にはなっている。しかし、実際に何か悪いことが起きただろうか?その答えはノーだ」。

この当時、ホワイトハウスは、ハンター・バイデンは民間人であり、副大統領はウクライナのどの会社にも支持を与えない、と発表していた。副大統領在任中、ジョー・バイデンはブリスマ社での息子の役割についてコメントしなかった。

ブリスマ社でのハンター・バイデンの責務については完全に分かっていない。ハンター・バイデンの顧問弁護士ジョージ・R・メシレスは、ブリスマ社がハンターに報酬をいくら支払っていたのか、ハンターが取締役になった時に会社のオーナーがウクライナ政界の実力者であり、疑惑の中心にいたことを知っていたのかという質問に対して回答を拒否した。

メシレスは声明の中で次のように述べている。「ハンター・バイデンのウクライナにおける行動についての疑問は、トランプ大統領とジュリアーニの犯罪行為から関心をそらすためのものだ。ハンターの行動について精査した人々全てが既に回答を得て満足している疑問を蒸し返している」。

メシレスは続けて次のように述べている。「簡潔に述べれば、ハンターによる犯罪行為はこれまでもなかったし、これから発見される可能性もない」。

バイデン選対は、「ジョー・バイデンはどうして、息子ハンターに対して、利益相反と見られるので、ブリスマ社の取締役から退くように言わなかったのはどうしてか?」という質問に回答することを拒絶している。

バイデン選対の報道担当アンドリュー・ベイツは声明の中で次のように語っている。「ジョー・バイデンはウクライナ国内の革命のために誇り高く戦った。アメリカ、EU、IMF、ウクライナの反汚職グループ全てが支持したゴールを彼は達成した。その結果、ウクライナ政府が素晴らしいものとなった」。

ベイツは続けて次のように語っている。「オバマ・バイデン政権はアメリカ史上、最も強力な倫理政策を作り、実行した政権である。ドナルド・トランプがウクライナ問題を選挙戦に入れ込もうとし、酷い言葉での中傷を行っているが、彼の発言と行動は全く信用されない」。

●変転し続ける政治潮流(Changing political tide

ハンター・バイデンがウクライナに関わるようになった当時、元ソ連を構成したウクライナの政治状況は混乱していた。2014年初め、キエフの独立広場で暴動が起きた。これはマイダンとして知られている。暴動によって、政変が起き、最終的に親露派の大統領ヴィクトール・ヤヌコヴィッチ率いる政権は崩壊し、ヨーロッパとアメリカとの緊密な関係を志向するウクライナの政治家たちが権力を握った。

追い落とされたヤヌコヴィッチと「ファミリー」と呼ばれた側近グループは、キエフの新政権によって訴追されることを恐れてロシアに逃亡した。新政権は諸外国に対してヤヌコヴィッチの同盟者たちの財産を凍結するように通知を出した。ヤヌコヴィッチ政権の徴税担当の大臣と検事総長は熱狂の中の追及に恐れをなし、ロシアに逃亡する際に空港の金属探知機を押し倒して飛行機に殺到するほどであった。

この政変によってズロチェフスキーは問題に直面することになった。ズロチェフスキーは、親露派の政治家に長年属していたが、彼はヤヌコヴィッチの同盟者ではなかったが、同時にキエフで権力を掌握したばかりの親欧米の政治家という訳でもなかった。

ズロチェフスキーは2度にわたり、ウクライナ政府のエネルギー部門のトップを務めた。一度目はレオニード・クシュマ大統領時代、そして、二度目はヤヌコヴィッチ時代で環境保護担当大臣を務めた。ブリスマ社の子会社エスコ・2度の大臣を務めた時期、後にブリスマ社の一部門となる複数の石油会社と天然ガス会社に対して事業にとって重要な許可や免許が多く出されていた。ウクライナ政府の許認可担当部局の記録によると、ブリスマ社の子会社であるエスコ・ピヴニッチ社とパリ社には多くの許認可が出された。

その後、ズロチェフスキーはウクライナ最大の天然ガス生産会社のオーナーになり、ウクライナ屈指の大富豪となった。

ブリスマ社は、同社が獲得した許可は全て合法的に発せられたものだと主張している。ブリスマ社は2015年に『ウォールストリート・ジャーナル』紙の取材に対して、「ズロチェフスキーは公僕として法律の文字と精神に従っている。彼はいつでも公正さと政策決定において最高度の道徳と倫理の基準を守ってきた」と答えた。

2014年、ズロチェフスキーはヤヌコヴィッチの側近グループから脱落し、大臣から副大臣に降格された。

2014年3月、ヤヌコヴィッチがロシアに逃亡してから数週間後、キエフでは前政権の政府高官たちの汚職への追及が過熱していた。イギリスの裁判所の記録によると、この時期イギリスでは、イギリス当局がズロチェフスキーに対する資金洗浄疑惑で捜査を開始し、ブリスマ社のイギリス国内の銀行口座が凍結された。口座には数百万ドルが入っていた。イギリス当局による捜査は、BNPパリバ銀行から疑わしい行動の報告を受けてのことだった。

裁判所の記録によると、口座に入っていた資金のうち、2000万ドルがセルゲイ・クルチェンコに提供された。クルチェンコはヤヌコヴィッチに近い同盟者でウクライナ財界の大物であった。この取引の数週間前にヨーロッパ連合によって取引禁止処分を受けていた。ズロチェフスキーの代理人は、この資金は合法的な売買の代金として送金されたものだと主張した。

ズロチェフスキーにとって、資産凍結はそれから司法上のトラブルが続く年月の始まりを告げる出来事となった。これが後々にはウクライナの検事総長と反汚職部局による刑法上の犯罪捜査にまで拡大していった。イギリスでは、結局ズロチェフスキーの犯罪行為で訴追されることはなく、資産凍結は最終的に解除となった。

ズロチェフスキーとブリスマ社は本紙からの繰り返しのコメント依頼を拒絶した。

2017年、ブリスマ社は、同社とズロチェフスキーに対する全ての訴訟手続きは取り下げられたと発表した。2017年2月、同社のアメリカ人弁護士ジョン・ブレッタは、ズロチェフスキーは全ての捜査に真摯に協力し、ウクライナの検察当局は、ズロチェフスキーが自身の立場を濫用したことを示す「証拠はなかった」と発表したと述べた。

しかしながら、ウクライナ政府国家反汚職局は金曜日、ズロチェフスキーが環境保護担当大臣時代にブリスマ社に出された免許に関し捜査を行っていると発表した。ズロチェフスキーが大臣だった期間、ハンター・バイデンはブリスマ社と関係を持っていなかった。

●欧米の人物や組織を使った改造(A Western makeover

イギリス当局が資金洗浄についての捜査を開始してから2か月もしないうちに、ハンター・バイデンはブリスマ社の取締役になった。この当時ハンターが、イギリス当局がイギリスで捜査を進めていたことを知っていたかどうかは明確になっていない。当時、ズロチェフスキーがブリスマ社を所有していることはあまり知られていなかった。

2014年の政変が起きる前、アメリカ副大統領の息子を取締役に迎え入れることは、ブリスマ社にとって信頼性を高めるための努力であった。ブリスマ社はアメリカとヨーロッパで投資銀行家をしているアラン・アプターを取締役会長に迎え入れた。また、元ポーランド大統領が取締役に就任した。ブリスマ社は経営陣を刷新し、国際的に業務を行っている会計事務所を起用し、財政状態を監査させることにした。

キエフでの政変によって政権が変わって数週間も立たないうちに、著名なアメリカ人とヨーロッパ人を会社の取締役会に迎え入れることは、ウクライナ国内に対して「ズロチェフスキーには欧米の有力者との強力なコネがある」というメッセージを送ることになった、とイギリス人ジャーナリストのブローは述べている。ブローはタックスヘイヴンとペーパーカンパニーについて『マネーランド』という本を出版し、その中でズロチェフスキーについて書いている。

反汚職行動センターの事務長ダリア・カレニクは次のように述べている。「有名な家族に連なる人々を取締役会に迎えることで、ブリスマ社は西洋の、正当な企業のように見せることが出来るようになった。ブリスマ社はウクライナ国内での天然ガス採掘の許認可を大変に疑いの多い手段で得た」。カレニクは更にこのような「表面上の飾りつけ」は、疑いの多い方法で集めた原資を合法なものに見せようとする実力者たちや政府高官たちにとって、一般的な手段となっている。

現在でも取締役会長を務めているアプターにコメントを求めたが回答がなかった。ブリスマ社は、許認可は合法的に取得したものだと主張している。

ブリスマ社はまた同社の天然ガス生産はエネルギー面でのウクライナのロシア依存の度合いを低下させるものだと強調し始めた。この主張はワシントンにアピールした。ブリスマ社はワシントンにあるシンクタンクであるアトランティック・カウンシルに寄付をし始めた。

ハンター・バイデンがブリスマ社の取締役に就任する1か月前、父ジョー・バイデンは副大統領としてウクライナを訪問し、ウクライナがエネルギー生産を増加させるための支援パッケージの提供を発表した。

バイデンは次のように述べた。「もし今日ここでロシアに対して“あなた方の天然ガスなどいらない”と言えたらどうだろうと想像して見て欲しい。現在とは全く違う世界になるだろう」。

ブリスマ社を立て直した時、ズロチェフスキーはウクライナ当局の捜査を受けている途中だった。2015年、検察当局は2つの嫌疑で元環境保護担当大臣について捜査した。この当時に『ウォールストリート・ジャーナル』紙が閲覧した検事総長事務局の発表した書類によると、1つは違法な手段での蓄財、もう1つは権力濫用、文書偽造、横領についてであった。ズロチェフスキーはこれらの嫌疑について犯罪行為を行ったことを否定した。

●父親たちと息子たち(Fathers and sons

ジョー・バイデンと長年一緒に働いた人々は異口同音に、ハンター・バイデンのビジネスについては長年にわたり、ジョー・バイデンと議論することは難しかったと述べている。ジョー・バイデンが連邦上院を務めていた当時、ハンターはワシントンのKストリートでロビイストを務めていたこともあった。

バイデンの家族は数々の悲劇に見舞われた。ハンター・バイデンは1972年に自動車事故に遭い、彼は生き残ったが母親と妹は亡くなってしまった。長兄のボウはこの時の自動車事故では生き残ったが、2015年に脳腫瘍のために亡くなった。2017年に離婚の際の書類によれば、ここ数年、ハンター・バイデンはアルコール中毒と借金に苦しんだということだ。

2014年のウクライナでの政変が起きた時期、イェール法科大学院の卒業生であるハンターは、「ワールド・フード・プログラム・USA」は無給の会長、投資会社「ローズモント・セネカ」社のパートナー(共同経営者)、ニューヨークの法律事務所「ボイス・シラー・フレクスナー」の顧問を務めいていた。

ハンターの投資会社のパートナーだったデヴォン・アーチャーはブリスマ社の取締役に就任した。それからすぐにハンター・バイデンにもブリスマ社から取締役就任以来の書簡が届いた。

別のパートナーたちは取締役就任に対して深刻な懸念を持っていた。

ジョン・ケリー元国務長官の義理の息子クリス・ハインツはアーチャーに対して、ブリスマ社の取締役に就任することは良くないと伝えた、とハインツの報道担当は語っている。ハインツはウクライナ国内の汚職事件多発の記事、地政学上のリスク、情勢についての疑問について懸念を持っていた。

ハインツの報道担当クリス・バスタルディは本紙の取材に対して次のように述べた。「ハインツ氏はアーチャー氏に対してブリスマ社と仕事をすることは受け入れられないと強く警告を発した。アーチャー氏は、自分とハンター・バイデンは、会社のパートナーとしてではなく個人として機会を掴みたいのだと述べた」。

投資会社は結局分裂した。

バスタルディは「この問題についての判断力の欠如は、ハインツ氏がアーチャー氏とバイデン氏とのビジネス関係を解消するための主要な理由となった」と述べた。バスタルディは更にハインツとハインツの投資会社はブリスマ社と関係していないと付け加えた。

アーチャーにコメントを求めるための連絡はできなかった。アーチャーの弁護士はコメント依頼に回答しなかった。

ハンター・バイデンの弁護士メシレスは、ハンター・バイデンがハインツの警告について知っていたかという質問に回答しなかった。

ハンター・バイデンは今年初めに本紙の取材に対して、ブリスマ社の取締役に就任したのは既にブリスマ社の取締役を務めていたアレクサンデル・クファシニェフスキ元ポーランド大統領の積極的な働きかけがあったからだと答えた。ハンター・バイデンは声明の中で、ウクライナのエネルギー面での独立はロシア大統領ウラジミール・プーティンからの狡猾な援助の申し出を断るために重要だという考えをクファシニェフスキと共有していたと述べている。

アレクサンデル・クファシニェフスキはインタヴューの中で、「ハンター・バイデンは国際政治に関する知識を取締役会にもたらした、取締役会は年に2度開催されていた」と述べている。クファシニェフスキはハンターに「この会社はウクライナの独立にとって大変重要な存在であると思う」と語ったと述べている。

投資銀行家で現在もブリスマ社の取締役会長を務めているアプターは、当時のアメリカ副大統領の息子を取締役に選任したことについて、「彼の父親ではなく、完全に実力に基づいて」行われたと述べている。

バイデン選対は、ジョー・バイデンがハンターのブリスマ社の取締役就任を知ったのはマスコミの報道からであったと主張している。

今年初め、ハンター・バイデンは本紙に対して声明を出した。その中で次のように述べている。「私は父と会社のビジネスや取締役としての仕事について話したことはない」。ジョー・バイデンは最近、アイオワでの演説の中で同様のことを述べた。ジョー・バイデンは「私は息子の海外でのビジネス取引について話したことはない」と述べた。

ハンター・バイデンは『ニューヨーカー』誌の取材に対して、父ジョー・バイデンがハンターのブリスマ社での仕事について一度だけ言及したことがあることを示唆した。

ハンターは「父は、“お前が自分自身何をやっているか分かっていると思っているよ”と言ったので、“分かっているさ”と答えました」と述べている。

ハンターが取締役に就任した時、ブリスマ社幹部たちは、ハンターが法律問題を監督することになるだろうと述べた。しかし、ハンターの役割は法律関係にはとどまらなかった。本紙に対する声明の中で、ハンター・バイデンは「ブリスマ社の取締役に就任したのは、同社の透明性、コーポレイト・ガヴァナンス、責任に関するこれまでのやり方を改革することを助けるため」だったと述べている。同時に声明の中でハンター・バイデンは彼の仕事の具体的な中身については説明しなかった。 

「トランスペレンシー・インターナショナル」はウクライナを世界で最も汚職が蔓延している国の一つと認定している。ウクライナでは財界人たちが自分たちの経済的利益を増やすために、検察官を選任し、裁判所を利用する。ハンター・バイデンは結果的にそのような国に関わってしまい、いろいろなことに巻き込まれてしまうことになる決断をしてしまった。

●更迭された検察官(A fired prosecutor

2015年のキエフでは不満が高まっていた。親欧米の大統領ペトロ・ポロシェンコによる汚職根絶の試みは遅々として進んでいなかった。

ウクライナのジャーナリストたちはズロチェフスキーのような元政府高官たちが莫大な富を築いていることを次々と記事やテレビニュースとして発表していた。ある時には、ドローンを使って、キエフ郊外にある2つの並んでいる大豪邸を撮影することもあった。この2つの大豪邸はズロチェフスキーの家族と協力者の所有となっている。ズロチェフスキーの娘は、「ズロッチ」という名前の高級店を新たに開店させた。店名は苗字をもじったものだ。この高級店ではわに革やオーストリッチの靴が販売されていた。この当時、ウクライナは厳しい経済不況に苦しんでいた。

人々の汚職に対する怒りの矛先は検事総長ヴィクトール・ショーキンに向かった。アメリカ政府やEU諸国の政府の高官たちはショーキンが積極的に動いていないと見ていた。

2015年9月の演説で、この当時の駐ウクライナ米国大使ジョフリー・ピヤットは、政府高官関係の汚職事件を追及していないとして、ショーキンが率いる検察当局を表立って批判した。

ピヤットは「私たちは、検察当局が汚職に対する捜査を支持しないだけでなく、検察官たちが明確な汚職事件について捜査することも妨害していることをたびたび目にしてきた」と語っている。

ピヤットは特にウクライナの検察当局がイギリス当局に対して、ズロチェフスキーの資産凍結を正当化するための十分な情報を提供しなかったことを取り上げ批判した。十分な情報がなかったために、イギリスの裁判所はズロチェフスキーを自由にさせることになった。

ピヤットは次のように述べた。「ウクライナ検察当局はイギリス当局ではなく、ズロチェフスキーを弁護していた彼の弁護団に複数回にわたり書簡を通じて情報を提供した」。

ピヤットは、ズロチェフスキーの弁護団に書簡を通じて情報を提供した検察官や政府高官たちについて捜査し、ズロチェフスキーの嫌疑を「なかったことに」した責任がある者たちは更迭すべきだと訴えた。

このような批判はアメリカとEU諸国の政府高官たちは共通して持っているものだった。反汚職の動きが遅々として進まないのはショーキンが検事総長であるからだ、という考えが広く共有されていた。改革を進めることを条件にして欧米諸国から多額の援助がウクライナに提供されていた。

アメリカ政府は、オバマ政権のウクライナ政策の伝達者としてバイデン副大統領を選んだ。副大統領をウクライナに向かわせることで、アメリカがいかにウクライナに不満を持っているかを示すことになった。

ジョー・バイデンは2015年にウクライナ議会で演説を行った。その中でバイデンはウクライナに対して汚職の根絶を求めた。そして、「検事総長局には徹底的な改革が必要だ」と述べた。

バイデンは後に、ポロシェンコ大統領との会談の時にはより率直に、ショーキンに対する行動がなければアメリカは1億ドル規模の借款を停止すると述べたと述懐している。

バイデンは2018年に外交評議会で行った演説の中で次のように語った。「私はポロシェンコや高官たちを見ながら次のように言った。“私は6時間以内にこの国から出る。もし検事総長を更迭しないなら、あなたたちは金を手にすることはできない”と。“いいかな、ショーキンは更迭される、そしてしっかりした人物を後任に据えるんだ”とね」。

ショーキンはバイデンについての情報をジュリアーニに提供した。ショーキンは今年初めに本紙の取材に応じ、その中で、自分が2016年3月に検事総長を更迭されたのはこの当時ブリスマ社について捜査をしていたからだと語った。ショーキンは、検事総長を続けることが出来ていれば、ハンター・バイデンの取締役としての適格性について疑義を提示していただろうとも述べている。ショーキンは「ハンター・バイデンはウクライナでの仕事の経験もなく、またエネルギー部門での仕事もしたことがなかった」と指摘した。

しかし、元ウクライナ政府高官、元アメリカ政府高官たちは、この当時ズロチェフスキーへの捜査は停止状態だったと述べている。

反汚職行動センターの事務長ダリア・カレニクは、ウクライナ国内で反汚職活動をしている自分たちはショーキンが検事総長として汚職について捜査を進めていなかったことを批判し、汚職事件の捜査を進めるためにも彼の更迭がなされることを望んでいたと述懐している。

イギリス人ジャーナリストのブローは、ジュリアーニがバイデンに関して持ち出した嫌疑である「ズロチェフスキーとブリスマ社を守るためにショーキンを更迭させたというのは、意味不明で馬鹿げている」と述べた。ショーキンの検事総長時代、検察庁自体、幹部たちがダイアモンドや数千ドルの現金を賄賂として受け取っていたというスキャンダルに見舞われていたとブローは指摘している。 

ブローは「しかし、ショーキンの件とは別の事実については疑問が残る。それは、ジョー・バイデンは自分の息子がバイデンの名前を使ってお金を得ることを阻止すべきだったのでは、というものだ。その答えはそうすべきだっただろう、というものだ」と語っている。 

ショーキンの後任ユーリ・ルツェンコは本紙の取材に対して、ハンター・バイデンはウクライナの法律を破っていないと確信していると述べた。しかし、ある時点ではルツェンコの様々な発言によって、ジュリアーニはバイデンに対する捜査について疑義があると考えるようになったことも事実だ。

ルツェンコは「ウクライナの法律に照らして、ハンター・バイデンは法律を破るようなことはしていない」と語っている。

今年5月にジョー・バイデンは大統領選挙出馬を表明した。ハンター・バイデンはその前にブリスマ社の取締役として次の任期も務めないという決断を下した。

ハンター・バイデンは今年7月の『ニューヨーカー』誌の取材記事の中で、これまでの人生における苦難と薬物乱用について赤裸々に語った。その中で彼は次のように述べている。「ドナルド・トランプが、彼を大統領選挙で破ることが出来ると考えている人物に対する攻撃材料として私を選び出すことなど全く予想できないことでした」。
ハンターは記事の中で自分のために父ジョー・バイデンを騒動に巻き込んでしまったことについて父に謝罪したと語った。

ハンターは次のように語っている。「父は“私もまた残念に思っている人の一人だよ”と言い、それから2人でより悲しい思いをしている人について長い時間話しました。私たち2人はこのようなことを払しょくするための唯一の解決策は勝つことだという認識で一致しました。父は“いいかい、これからやらねばならないんだ”と言いました。より高い目的があり、そこに向かっていかねばなりません」。
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決定版 属国 日本論