古村治彦(ふるむらはるひこ)の政治情報紹介・分析ブログ

SNSI研究員・愛知大学国際問題研究所客員研究員の古村治彦(ふるむらはるひこ)のブログです。翻訳と評論の分野で活動しています。日常、考えたことを文章にして発表していきたいと思います。古村治彦の経歴などについては、お手数ですが、twitter accountかamazonの著者ページをご覧ください 連絡先は、harryfurumura@gmail.com です。twitter accountは、@Harryfurumura です。よろしくお願いします。

タグ:リベラリズム

 古村治彦です。

 昨日は、国際関係論の一学派リアリズムの泰斗であるスティーヴン・M・ウォルトのリアリズムによる新型コロナウイルス感染拡大に関する分析論稿を紹介した。今回ご紹介する論稿はウォルトの論稿に対する反論という内容になっている。

 新型コロナウイルス拡大が国際的な問題となって3年が経過した。各国は医療体制の拡充や補助金の新設や増額などで対応してきた。日本も例外ではない。そうした中で、国家の役割が増大し、人と物、資本が国境を越えて激しく動き回る、グローバライゼーションの深化はとん挫した形になった。国際機関に対する信頼も小さくなっていった。

 しかし、今回ご紹介する論稿の著者ジョンストンは、初期段階の対応はリアリズムで分析できるが、これからはそうではないと述べている。もう1つの学派であるリベラリズム(Liberalism)によって分析・説明が可能になると主張している。

 リベラリズムとは、各国家は国益を追求するために、進んで協力を行う、国際機関やNGOなどの非国家主体が国際関係において、重要役割を果たすと主張する学派だ。新型コロナウイルス感染拡大の初期段階では各国は国境を閉じ、人の往来を制限して、国内での対応に終始した。しかし、これから新型コロナウイルス感染拡大前の世界に戻るということになれば、国際的な取り決めや協力が必要になり、国際機関の役割も重要になっていく。グローバライゼーションの動きがどれくらい復活をしてくるかは分からないが、おそらくこれまでのような無制限ということはないにしても、人、物、資本の往来はどんどん復活していくだろう。

 社会科学の諸理論は、社会的な出来事を分析し、説明し、更には予測することを目的にして作られている。理論(theory)が完璧であればそれは法則(law)ということになるが、それはなかなか実現できないことだ。諸理論は長所と短所をそれぞれ抱えており、また、現実の出来事のどの部分を強調するかという点でも違っている。理論を構成していくというのは、言葉遊びのようであり、まどろっこしくて、めんどくさいのように感じる。

 しかし、そうやって遅々としてか進まない営為というものもまた社会にとって必要であり、いつか大いに役立つものが生み出されるのではないかという希望を持って進められるべき営為でもある。日本においては官民で、学問研究に対する理解も支援も少なくなりつつあるように感じている。それは何とも悲しいことだし、日本の国力が落ちている、衰退国家になっているということを実感させられる動きだ。

(貼り付けはじめ)

感染拡大とリアリズムの限界(The Pandemic and the Limits of Realism

-国際関係論の基本的な理論であるリアリズムはそれが主張するよりも現実的ということではない。

セス・A・ジョンストン筆

2020年6月24日

『フォーリン・ポリシー』誌

https://foreignpolicy.com/2020/06/24/coronavirus-pandemic-realism-limited-international-relations-theory/

スティーブン・ウォルトの「コロナウイルス感染に対するリアリズム的ガイド」は、彼の他の論文とともに、国際関係の現実主義者がコロナウイルスをこの学派の思想の正当性を証明するのに役立つと見ている説得力のある例である。現実主義者が自信を持つには十分な理由がある。新型コロナウイルス感染拡大への対応は、主権国家の優位性(primacy of sovereign states)、大国間競争の根拠(rationale for great-power competition)、国際協力への様々な障害(obstacles to international cooperation)など、リアリズムの伝統の主要な信条を実証するものとなった。

しかし、新型コロナウイルス感染拡大は、政策を成功に導く源泉としてのリアリズムの欠点も露呈している。リアリズムが得意とするのは、リスクや危険を説明することであり、解決策を提示することではない。リアリズムの長所は治療や予防よりも診断にある。新型コロナウイルスに最も効果的に対処するためには、政策立案者たちは、過去4分の3世紀の他の大きな危機への対応に、不本意ながら情報を与えてくれたもう1つの理論的伝統に目を向ける必要がある。

リアリズムは多くのことを正しく理解しており、それが、少なくともアメリカにおいて、リアリズムが国際関係論の基礎となる学派であり続ける理由の1つである。新型コロナウイルス感染拡大は、世界政治の主役は国家であるというリアリズムの見識を浮き彫りにしている。新型コロナウイルスが発生すると、各国は国境を閉鎖または強化し、国境内の移動を制限し、安全保障と公衆衛生の資源を結集して迅速に行動した。世界保健機関(World Health OrganizationWHO)は当初、こうした国境管理に反対するよう勧告し、企業は経済活動の低下を懸念し、個人は移動の自由の制限に苦しんだが、これは秩序を維持し出来事を形成する国家の権威を強調するものだ。

しかし、国の独自行動がいかにリアリズムから理解できるものであっても、また予測できるものであっても、その不十分さは同じである。国境管理と渡航制限によって、各国が新型コロナウイルス感染拡大から免れることはなかった。たとえ完璧な管理が可能であったとしても、それが望ましいかどうかは疑問である。島国であるニュージーランドは、物理的な地理的優位性と国家の決定的な行動により、新型コロナウイルスに対して国境を維持し、比較的成功を収めていることについて考える。ニュージーランドが国家的勝利を収めたとしても、感染拡大が国境を越えて猛威を振るう限り、それは不完全なものに過ぎない。再感染し、国際的な開放性に依存する産業が経済的なダメージを受け続ける危険性がある。つまり、自国内での感染を防ぐことは国益にかなうが、他の国が同じことをしない限り、その国益は実現しないのだ。経済や安全保障の競争は、「相対的利益(relative gains)」やゼロサムの競争論理といったリアリズム的な考察に合致しやすいが、疾病のような国境を越えた大災害は、「無政府状態(anarchy)」の国際システムにおける個々の国家の限界を露わにする。

国境を越えるようなリスクと国益との間の断絶は、資源をめぐる国家の奔走という別の問題にも関連している。ここでもリアリズムがこの問題の診断に役立っている。なぜ各国が医療用マスク、人工呼吸器、治療やワクチンのための知的財産といった希少な品目をめぐって争うのかを説明している。このような争いは、ゼロサムの論理の性質を持つ。しかし、協調性のない行動は非効率的な配分(inefficient allocation)をもたらし、時間と労力を浪費し、コストを増大させる。これら全ては、感染症の発生を阻止するという包括的なそして共通の利益を損なうものである。同じ資源をめぐるアメリカの州や自治体の無秩序な争いは、国内でもよく見られる光景である。リアリズムが提示する建設的な選択肢はほとんどない。

リアリストたちは国際機関を信用しないよう注意を促す。例えば、国連もWHOも新型コロナウイルスを倒すことはできない。国際機関が自律的な国際的なアクターであるとすれば、それは弱いものであることは事実である。しかし、この批判は的外れである。国際機関は、国家の行動に代わるものでも、国際関係における国家の主要な地位に対する挑戦者でもない。むしろ、外交政策や国家運営(statecraft)の道具である。国家が国際機関を設立し、参加するのは、予測可能性(predictability)、情報、コスト削減、その他機関が提供できるサーヴィスから利益を得るためである。リアリズムの著名な学者であるジョン・ミアシャイマーでさえ、国際機関は「事実上、大国が考案し、従うことに同意したルールであり、そのルールを守ることが自分たちの利益になると信じているからである」と認めている。制度学派のロバート・コヘインとリサ・マーティンが数十年前にミアシャイマーとの大激論で述べたように、国家は確かに自己利益追求的であるが、協力はしばしば彼らの利益になり、制度はその協力を促進するのに役立つのである。ミアシャイマーは、最近、他の分野でもアメリカの利益に資するために、より多くの国際機関を創設するよう主張したので、最終的には同意することになったのかもしれない。また、制度学派も、安易な協力を期待することの甘さに対するリアリズムの警告を認めている。日常生活において、隣人との協力は簡単でも確実でもない。しかし、アメリカ人の多くが感染拡大にもかかわらず、街頭に出て要求したように、代替案よりも望ましいことであるから、それを得るために努力する価値があるのだ。

主要な違いは、制度主義(institutionalism)の方が、自己利益追求的な協力の現実的な可能性をより強調することである。この強調の仕方の違いによって、リアリズムと制度主義の間にある実質的な共通点が曖昧になりかねない。両方とも、国際協力(international cooperation)が望ましいことは認識しているが、より困難な問題は、それをどのように達成するかということである。この点では、現実主義的な洞察(insight)が大いに貢献する。覇権的なパワー(hegemony power)が国際的な制度を押し付けると、その制度は覇権を失った後も存続しうるという古典的な考え方がある。また、ジョセフ・ナイのリーダーシップに関する議論でも、パワーは中心的な役割を果たし、コストを下げ、成果を向上させるために、パワーのハードとソフト両面の「賢い(smart)」応用が必要であるとしている。さらに他の研究者たちは、制度設計(institutional design)が強制、情報共有、その他の設計上の特徴を通じて、不正行為(cheating)、恐怖(fear)、不確実性(uncertainty)のリスクを縮小することができると指摘している。これらの資源は完璧ではないが、パワー、リーダーシップ、制度設計に対する影響力など、その全てがアメリカで利用可能であることは朗報である。

日常生活において、隣国との協力は簡単でも確実でもない。しかし、感染拡大にもかかわらず、アメリカ人の多くが街頭に立って要求しているように、代替案よりも望ましいことであるから、それを得るために努力する価値はある。国益は、利用可能な資源やヴィジョンと相まって、アメリカや他の国々が過去の危機の際に国際機関を設立し、行動してきた理由を説明する。国際連合(United Nations)は、第二次世界大戦中にアメリカが連合国(the Allies)に対して作った造語であり、終戦時に制度化されたものである。イスラム国(Islamic State)討伐のための国際的な連合は、国際テロ対策という共通の利益を更に高めるために数十カ国が結集し、それ自体は2014年のNATO会議の傍らで考案されたものである。2008年の金融危機の際、各国は経済政策を調整し、コストを分担し、経済を救うために、G20を再発明した。

アメリカはこうした制度の創設を主導し、莫大な利益を得た。第一次世界大戦後の国際連盟(League of Nations)への加盟を拒絶し、911後のテロ対策では、当初はやや単独行動的(unilateral)であったように、国際協力は必ずしもアメリカの最初の衝動では無かった。しかし、アメリカは最終的に、国際的な協調行動とリーダーシップによって、自国の利益をよりよく実現することができると判断したのである。

新型コロナウイルスの大流行に対する国家の初期反応については、リアリズムで説明することができるが、より良い方法を見出すためには、他の諸理論に建設的な政策アイデアを求める必要がある。これまでの世界的危機と同様、アメリカは国際機関に国益を見出す努力をすることができるし、そうすべきである。

※セス・A・ジョンストン:ハーヴァード大学ベルファー科学・国際問題センター研究員。

(貼り付け終わり)

(終わり)

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 古村治彦です。

 政治学(Political SciencePoliSci)の一分野として国際関係論(International RelationsIR)がある。国際関係論は1つの大きな学問分野として捉えられることもある。国際関係論には、3つの大きな学派(Schools)が存在する。(1)リアリズム(Realism)、(2)リベラリズム(Liberalism)、(3)コンストラクティヴィズム(Constructivism)である。これらの中でもまた細分化されていくのであるが、大きく3つあるということが分かればそれで十分だ。これらの学派の諸理論を使ってウクライナ戦争とそれを含む世界の現状を分析するとどのようなことになるかということを以下の論稿で紹介している。

 リアリズムは国家のパワー(力)と力の均衡を重視する。力の均衡が保たれていることで平和が維持される。冷戦期は米ソ二大超大国が世界秩序を形成する二極化世界だったがソ連崩壊後はアメリカ一国による世界秩序維持の一極化された世界であった。その中で、中国が経済的、軍事的に力を伸ばし、アメリカに挑戦する形になっている。世界覇権国の交代が平和裏に行われたことはなく、また、一極化から多極化へと進むと世界は不安定になり(考慮しなければならない相手国の数が増え、意図を誤解・曲解する危険性が高まる)、大国間の戦争の可能性が高まるということになる。

 リアリズムは「各国家は国益のために協力し合う」という楽観的な見方をする。そして、国際機関の役割や経済的な相互依存を重視する。「争うよりも協力し合うことで国益追求ができる」という考え方だ。しかし、国際機関は国益がぶつかり合う場所となり、経済的相互依存が平和的な関係をもたらすということもない(米中関係を考えてみれば分かる)。現在の世界は西側諸国(民主的な国々)の集まり対それ以外の国々の集まり(非民主的な国々)の断絶が深刻になっている世界であり、協力は大変に難しい状況だ。

 構成主義(Constructivism、コンストラクティヴィズム)の学者たちは、新しい考え(new ideas)、規範(norms)、アイデンティティー(identities)などの価値観を重視する学派だ。価値観の面でも世界では断絶が起きている。ソ連崩壊によって冷戦は終了し、西側が勝利した、西側の価値観である自由主義、人権、民主政治体制が勝利した、これこそが「歴史の終わり」だということになった。しかし、中国の台頭もあり、西側的な価値観に対する懐疑と批判が出てきている。それによって両者の対立は深まるばかりということになっている。

 西側諸国とそれ以外の世界の対立が激化すればそれは戦争につながるという悲観的な予測が成り立つほどに、現在の世界は不安定化し、対立は深まっている。短期的に見れば、アメリカがウクライナ戦争に大規模な支援を行っている現状で、中国と事を構えるということは考えにくい。また、中国も現在の経済力、軍事力でアメリカを圧倒することはできないので、これから10年単位で整備していかねばならない。しかし、中期的、長期的に見れば、直接対決、大国間戦争という可能性も捨てきれない。世界の大きな転換の期間がスタートしたと言いうことが言えるだろう。

(貼り付けはじめ)

国際関係論の理論は大国間の争いが起きる可能性を示している(International Relations Theory Suggests Great-Power War Is Coming

-国際関係論の教科書を紐解くと、アメリカ、ロシア、そして中国は衝突するコースに乗っていることになる。

マシュー・コーニグ筆

2022年8月27日

『フォーリン・ポリシー』誌

https://foreignpolicy.com/2022/08/27/international-relations-theory-suggests-great-power-war-is-coming/?tpcc=recirc_latest062921

今週、世界中の何千人もの大学生が、初めて国際関係論の講義の入門編を受け始めることになる。教授たちが近年の世界の変化に敏感であれば、国際関係論の主要な諸理論が大国間の争いの到来を警告していることを教えることになるだろう。

何十年もの間、国際関係論の理論は、大国は協力的な関係を保ち、武力衝突を起こさずにその相違を解決することができるという、楽観的な根拠を与えてきた。

国際関係論の現実主義(Realism)の諸理論はパワーに焦点(power)を当て、何十年もの間、冷戦(Cold War)時代の二極世界(bipolar world)と冷戦後のアメリカが支配する一極世界(unipolar world)は、誤算(miscalculation)による戦争が起こりにくい比較的単純なシステムであると主張してきた。また、核兵器は紛争のコスト(cost of conflict)を引き上げるので、大国間の戦争は考えられないと主張した。

一方、国際関係論のリベラリズム(Liberalism)の理論家たちは、制度(institutions)、相互依存(interdependence)、民主政治体制(democracy)という3つの原因変数(causal variables)が協力(cooperation)を促進し、紛争を緩和すると主張した。第二次世界大戦後に設立され、冷戦終結後も拡張され依存している国際機関や協定(国連、世界貿易機関、核不拡散条約など)は、大国が平和的に対立を解決するための場を提供している。

更に言えば、経済のグローバライゼイションによって、武力紛争はあまりにもコストがかかりすぎるようになった。ビジネスがうまくいき、皆が豊かになっているのに、なぜ喧嘩をするのか? 最後に、この理論によれば、民主政治体制国同士が争う可能性が低く、協力する可能性が高い。過去70年間に世界中で起きた民主化(democratization)の大きな波が、地球をより平和な場所にしたのである。

同時に、構成主義(Constructivism、コンストラクティヴィズム)の学者たちは、新しい考え(new ideas)、規範(norms)、アイデンティティー(identities)が、国際政治をよりポジティブな方向に変えてきたと説明した。かつて、海賊、奴隷、拷問、侵略戦争は当たり前のように行われていた。しかし、この間、人権規範の強化や大量破壊兵器(weapons of mass destruction)の使用に対するタブーにより、国際紛争に対するガードレールが設置された。

しかし、残念なことに、これら平和をもたらす力はほとんど全て、私たちの目の前で崩壊しつつあるように見える。国際関係論の諸理論によれば、国際政治の主要な駆動力(major driving forces)は、米中露の新冷戦が平和的である可能性が低いことを示唆している。

まず、パワーポリティクスから始めよう。私たちは、より多極化した世界(more multipolar world)に入りつつある。確かに、ほとんど全ての客観的な尺度によれば、アメリカは依然として世界を主導する超大国であるが、中国は軍事力と経済力において第2位の地位を占めるまでに強力に台頭してきた。ヨーロッパは経済的、規制的な存在である。より攻撃的なロシアは、地球上で最大の核兵器備蓄を維持している。インド、インドネシア、南アフリカ、ブラジルなどの発展途上の主要諸国は、非同盟路線(nonaligned path)を選択している。

リアリズムの学者たちは、多極化体制は不安定であり、大きな誤算による戦争が起こりやすいと主張する。第一次世界大戦はその典型的な例である。

多極化体制が不安定なのは、各国が複数の潜在的敵対勢力(multiple potential adversaries)に気を配らなければならないからだ。実際、現在、米国防総省は、ヨーロッパにおいてはロシア、インド太平洋においては中国との同時衝突の可能性に頭を悩ませている。更に言えば、ジョー・バイデン米大統領は、イランの核開発問題に対処するための最後の手段として、軍事力行使の可能性を残していると述べている。アメリカによる3正面戦争もあり得ない話ではない。

誤算による戦争は、ある国家が敵国を過小評価した時に起こることが多い。国家は敵国のパワーや戦う決意を疑い、敵国を試す。敵国がハッタリで、そうした挑戦が報われることもある。しかし、敵国が自国の利益を守ろうとするのであれば、大きな戦争に発展する可能性がある。ロシアのウラジミール・プーティン大統領は、ウクライナに侵攻する際、戦争は簡単だと誤った判断をしたのだろう。リアリズムの学者の中には、以前からロシアのウクライナ侵攻を警告していた人もいるし、ウクライナ戦争がNATOの国境を越えて波及し、米露の直接対決に発展する可能性もまだ残っている。

加えて、中国の習近平国家主席が台湾をめぐって誤算を犯す危険もある。台湾を防衛するかどうかで混乱するワシントンの「戦略的曖昧さ(strategic ambiguity)」政策は、不安定さに拍車をかけるだけだ。バイデンは台湾を守ると言ったが、彼が率いるホワイトハウス自体がそれに反論した。多くの指導者たちが混乱しており、その中にはおそらく習近平も含まれている。習近平は、台湾への攻撃から逃れられると勘違いし、それを阻止するためにアメリカが暴力的に介入してくるかもしれない。

更に、イランの核開発問題で何人もの米大統領が何の根拠も裏付けもなく、「あらゆる選択肢がある(all options on the table)」と脅したことで、テヘランはアメリカの反応なしに核開発に踏み切れると思い込んでしまうかもしれない。もしイランがバイデンの決意を疑い、そして誤解すれば、戦争に発展する可能性がある。

また、リアリストの学者たちは力の均衡(balance of power、バランス・オブ・パワー)の変化にも注目し、中国の台頭とアメリカの相対的な衰退について懸念を持っている。権力移行理論(power transition theory)によると、支配的な大国(dominant great power)が没落し、新興の挑戦者(ascendant challenger)が台頭するとしばしば戦争に発展する。専門家の中には、米国と中国がこの「トゥキディデスの罠 (Thucydides Trap)」に陥っているのではないかと心配する人もいる。

彼らの機能不全の独裁体制により、北京やモスクワがすぐに米国から世界のリーダーシップを奪う可能性は低いが、歴史的な記録を詳しく見てみると、挑戦者は拡大する野心が妨げられた時に侵略戦争(wars of aggression)を開始することがある。第一次世界大戦中のドイツや第二次世界大戦中の日本のように、ロシアはその衰退を逆転させようとしている可能性があり、中国も弱く、そして危険である可能性がある。

核抑止力(nuclear deterrence)はまだ機能しているという意見もあるだろうが、軍事技術は変化している。人工知能(artificial intelligence)、量子コンピュータと通信(quantum computing and communications)、積層造形技術(additive manufacturing)、ロボット工学(robotics)、極超音速ミサイル(hypersonic missiles)、指向性エネルギー(directed energy)などの新技術が、世界経済、社会、戦場を一変させると予想され、世界は「第4次産業革命(Fourth Industrial Revolution)」を体験している。

多くの防衛専門家は、私たちは軍事における新たな革命の前夜にいると考えている。これらの新技術は、第二次世界大戦前夜の戦車や航空機のように、攻勢に転じた軍隊に有利に働き、戦争の可能性を高める可能性がある。少なくとも、これらの新兵器システムは力の均衡の評価を混乱させ、上記のような誤算のリスクを高める可能性がある。

例えば、中国は、極超音速ミサイル、人工知能の特定の応用、量子コンピューティングなど、こうした技術のいくつかでリードしている。こうした優位性、あるいは北京ではこうした優位性が存在するかもしれないという誤った認識が、中国を台湾に侵攻させる可能性がある。

一般に楽観的な理論(optimistic theory)であるリベラリズムでさえも、悲観主義(pessimism)になる理由がある。確かに、国際関係論のリベラル派の人々は制度、経済的相互依存(economic interdependence)、民主政治体制がリベラルな世界秩序の中での協力を促進したことは事実である。アメリカと北米、ヨーロッパ、東アジアの各地域の民主的同盟諸国は、かつてないほど結束を強めている。しかし、これらの同じ要因が、自由主義的世界秩序(liberal world order)と非自由主義的世界秩序(illiberal world order)の間の断層において、ますます対立を引き起こしている。

新たな冷戦の中で、複数の国際機関は新たな競争の場となっただけのことだ。ロシアと中国がこれらの機関に入り込み、本来の目的から反している。2月にロシア軍がウクライナに侵攻した際、ロシアが国連安全保障理事会(United Nations Security Council)の議長を務めたことを誰が忘れることができるだろうか? 同様に、中国は世界保健機関(World Health OrganizationWHO)での影響力を利用して、新型コロナウイルスの出所に関する効果的な調査を妨害した。独裁者たちは、自分たちの深刻な人権侵害が精査されないように、国連人権理事会(U.N. Human Rights Council)の議席を争っている。国際機関は協力を促進する代わりに、ますます紛争を悪化させている。

また、リベラル派の学者たちは、経済的な相互依存が紛争を緩和すると主張する。しかし、この理論には常に「鶏と卵の問題(chicken-and-egg problem)」がある。貿易が良好な関係を促進するのか、それとも良好な関係が貿易を促進するのか?私たちは、その答えをリアルタイムで見ている。

自由世界は、モスクワと北京にいる敵対的な存在に経済的に依存しすぎていることを認識し、できる限り早くその関係を断ち切ろうとしている。欧米諸国の各企業は一夜にしてロシアから撤退した。アメリカ、ヨーロッパ、日本の新しい法律や規制は、中国への貿易と投資を制限している。ウォール街が、中国人民解放軍と協力してアメリカ人殺害を目的とした兵器を開発している中国のテクノロジー企業に投資するのは、単に非合理的なことでしかない。

しかし、中国は自由な世界からも切り離されつつある。習近平は、中国のハイテク企業がウォール街に上場することを禁止しているが、これは西側の諸大国と独自情報を共有したくないからだ。自由主義国と非自由主義国の間の経済的相互依存は、紛争に対するバラスト(ballast 訳者註:船のバランスを取る装置)として機能してきたが、今や侵食されつつある。

民主平和理論(democratic peace theory)は、民主政治体制国家は他の民主国家と協力するとしている。しかし、バイデンが説明するように、今日の国際システムの中心的な断層は、「民主政治体制と独裁政治体制の戦い(the battle between democracy and autocracy)」である。

確かに、アメリカはサウジアラビアのような非民主的国家と友好的な関係を保っている。しかし、世界秩序は、アメリカとNATO、日本、韓国、オーストラリアなどの現状維持志向(status quo-oriented)の民主的同盟諸国と、中国、ロシア、イランなどの修正主義的独裁国家(revisionist autocracies)との間でますます分裂しているのである。ナチス・ドイツ、ファシスト・イタリア、大日本帝国に対する自由世界の対立の響きを探知するために聴診器(stethoscope)を必要とすることはない。

最後に、グローバルな規範の平和的効果に関するコンストラクティヴィズムの主張には、これらの規範が本当に普遍的なものかどうかという疑問が常につきまとう。中国が新疆ウイグル自治区で大量虐殺を行い、ロシアが血も凍るような核の脅威を示し、ウクライナで捕虜を去勢する中で、私たちは今、ぞっとするような答えを手に入れたのである。

更に言えば、コンストラクティヴィズムの学者たちは、国際政治における民主政治体制対独裁政治体制の対立が、単に統治(governance)の問題ではなく、生き方(way of life)の問題であることに注目するかもしれない。習近平やプーティンの演説や著作は、独裁体制の優位性や民主政治体制の欠点について、しばしばイデオロギー的な主張を展開している。好むと好まざるとにかかわらず、私たちは、民主的な政府と独裁的な政府のどちらが国民のためにより良い成果を上げられるかという20世紀型の争いに戻っており、この争いにより危険なイデオロギー的要素が加わっている。

幸いなことに、良いニューズもある。国際政治を最もよく理解するには、いくつかの理論の組み合わせの中に見出すことができるかもしれない。人類の多くは自由主義的な国際秩序を好み、この秩序はアメリカとその民主的同盟諸国の現実主義的な軍事力によってのみ可能である。更に、2500年にわたる理論と歴史が示唆するのは、こうしたハードパワーによる競争では民主政治体制国家が勝利し、独裁国家は最終的に悲惨な結末を迎える傾向があるということだ。

残念ながら、歴史を正義の方向に向ける明確な瞬間は、しばしば大国間の戦争(major-power wars)の後にしか訪れない。

今日の新入生たちが卒業式で、「第三次世界大戦が始まった時、自分はどこにいたか」などと回想していないことを願おう。しかし、国際関係論の理論には、そのような未来の出現を懸念する理由を多く示している。

※マシュー・コーニグ:大西洋協議会スコウクロフト記念戦略・安全保障研究センター副部長、ジョージタウン大学政治学部、エドマンド・A・ウォルシュ記念外交関係学部教授。最新刊に『大国間競争の復活:古代世界から中国とアメリカまでの民主政治体制対独裁性体制』がある。ツイッターアカウント:@matthewkroenig

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 古村治彦です。

 今回はハーヴァード大学のスティーヴン・M・ウォルト教授による現在のウクライナ危機の原因を分析した論稿をご紹介する。この論稿を読むと、国際関係論の2つの潮流(リアリズムとリベラリズム)の違いと、リアリズムの大家であるウォルト教授がウクライナ危機をどのように分析しているかがよく分かる。

  リアリズムは国家を守ってくれる上位機関が存在しないこと(アナーキー[anarchy]と呼ぶ)、国家の目的は生存すること(国家体制の違いは考慮しない)、などの前提から施行を組み立てる。リベラリズムについて、ウォルトは「国家の行動は、主にその内部の特性と国家間のつながりの性質によって推進されると主張する。世界を「良い国家」(リベラルな価値観を体現する国家)と「悪い国家」(それ以外の多くの国家)に分け、紛争は主に独裁者や独裁者などの非自由主義的な指導者の攻撃的衝動から生じると主張する。リベラル派の解決策は、専制君主を倒し、民主政治体制、市場、制度を世界規模で拡大すること」と述べている。そして、リベラリズムを信奉する人々が欧米諸国の外交政策を担ったために、今回のウクライナの危機的な状況が生み出されたと主張している。

 EUNATOの東漸によって、ロシアは圧迫を感じていた。冷戦終結とはロシアから見れば、自分たちの敗北であった。国力も衰え、ソ連邦時代にロシアを取り囲んでソ連邦を形成していた各国が独立を果たした。東ヨーロッパでソ連の衛星国(satellite states)だった国々は次々とEUNATOに加盟していった。ロシアの行動原理は「不安感」と「被害者意識」だ。NATOの設立の経緯を考えれば、「NATOは自分たちを敵として見なしている国々の集まりだ、将来攻めてくるかもしれない」ということになる。それがどんどん自分たちの国境に近づいてくる。自分たちを包囲するかのように拡大してくる。冷戦が終わって、ソ連の脅威がなくなってもNATOが残り続けたのも良くなかったかもしれない。

 西側諸国にしてみれば、冷戦が終わって、デモクラシー、人権、法の支配など西洋的な価値観が勝利を収めて、それが世界中に拡大するのは素晴らしいこと、アメリカはそのために活動している素晴らしい国という単純思考で動いていた。しかし、一点矛盾点を挙げるならば、自分たちにとって重要なエネルギー源である石油を算出する国々がデモクラシーでなくても、人権が認められていなくても何も言わない。こうした国々でデモクラシーになれば、石油精製施設の国有化やアメリカへの輸出制限などが起きてしまう可能性がある。アメリカにとって西洋近代の価値観の押しつけはあくまで自分たちの気に入らない国々をひなするための道具に堕している。

 何とか火の手が上がらないように、戦争にならないように、人死にが出ないようにするためには、実質的にウクライナを中立国にするということで交渉をまとめるべきだった。しかし、もう手遅れだ。ウクライナはロシアの属国ということになる。そうならないために交渉することも出来たがそれはもう手遅れだ。今はまず戦争が早く集結すること、戦後処理で犠牲者が多く出ないこと、ウクライナが国として立ちゆくことが優先されるべきことだ。

 今回、西側諸国は言葉だけは激しく、立派なことばかりだったが、ウクライナを実質的に助けるために、何もしていない。簡単に言えば、見捨て只の。「EUNATOに入れてなくて良かったなぁ、もしメンバー国だったら助けに行かなくてはいけないところだった」が、本音であろう。何と冷たくて嫌らしいということになるが、それが国際政治、大国間政治ということになる。人間とは愚かな生き物だ。

(貼り付けはじめ)

リベラル派の幻想がウクライナ危機を引き起こした(Illusions Caused the Ukraine Crisis

-ロシアによる侵略の最大の悲劇はそれを避けることがいかに容易であったかである。

スティーヴン・M・ウォルト筆

2022年1月19日

『フォーリン・ポリシー』誌

https://foreignpolicy.com/2022/01/19/ukraine-russia-nato-crisis-liberal-illusions/

ウクライナ国内の状況は悪い。更に悪化している。ロシアは侵略の構えを見せており、NATOが決して東方へ拡大しないという厳格な保証を要求している。交渉はうまくいっていないようで、アメリカとNATOの同盟諸国は、ロシアが侵攻に踏み切った場合、どのように代償を払わせるかを考え始めている。戦争になれば、ウクライナ市民をはじめ、関係者に多大な影響を与えることになる。

大きな悲劇は、この事件全体が回避可能であったことだ。アメリカとヨーロッパの同盟諸国が傲慢、希望的観測、リベラルな理想主義(idealism)に屈せず、リアリズム(realism)の核心的な洞察に依拠していれば、現在の危機は発生しなかったであろう。実際、ロシアがクリミアを占領することはなかっただろうし、ウクライナは今日、より安全な場所になっていたはずだ。世界は、欠陥のある世界政治に関する理論に依存したために高い代償を払っているのだ。

最も基本的なレベルでは、戦争が起こるのは、国家を保護し、国家がそうすることを選択した場合に戦いを止めることのできる機構や中央機関が存在しないからだという認識から始まる。戦争が常に起こりうるものである以上、国家は力を競い合い、時には武力を行使して自らをより安全に、あるいは他国に対して優位に立とうとする。国家は、他国が将来何をするか確実に知ることはできない。そのため、国家は互いに信用することに躊躇し、将来、他の強力な国家が自分たちに危害を加えようとする可能性を弱めることを促すのだ。

リベラリズム(liberalism)は世界政治を違った角度から見ている。リベラリズムは、全ての大国が多かれ少なかれ同じ問題、つまり、戦争が常に起こりうる世界で安全を確保する必要性に直面していると考える代わりに、国家の行動は、主にその内部の特性と国家間のつながりの性質によって推進されると主張する。世界を「良い国家」(リベラルな価値観を体現する国家)と「悪い国家」(それ以外の多くの国家)に分け、紛争は主に独裁者や独裁者などの非自由主義的な指導者の攻撃的衝動から生じると主張する。リベラル派の解決策は、専制君主を倒し、民主政治体制、市場、制度を世界規模で拡大することだ。民主体制国家は、特に貿易、投資、合意された一連のルールによって結びついている場合は、互いに争わないという信念に基づいている。

冷戦後、西側諸国のエリートたちは、リアリズムはもはや無意味であり、リベラリズムの理想が外交政策の指針となるべきであると結論づけた。ハーヴァード大学のスタンリー・ホフマン教授が1993年に『ニューヨーク・タイムズ』紙のトーマス・フリードマンに語ったように、リアリズムは「今日ではまったくナンセンス」なのだ。アメリカとヨーロッパの政府当局者たちは、自由民主政治体制、開放市場、法の支配、その他の自由主義的価値が急速に拡大し、世界的な自由主義的秩序が手の届くところにあると信じていた。1992年に当時の大統領選挙候補者であったビル・クリントンが語ったように、「純粋なパワー・ポリティクスのシニカルな計算」は現代世界には存在せず、出現しつつある自由主義秩序は何十年にもわたって民主的平和をもたらすとリベラル派は考えていた。世界の国々は、権力と安全保障を競い合う代わりに、ますます開かれた、調和のとれたルールに基づく自由主義秩序、すなわち米国の慈悲深い力によって形成され守られた秩序の中で、豊かになることに集中するだろうということであった。

もしこのバラ色のビジョンが正確であれば、ロシアの伝統的な影響圏(sphere of influence)に民主政治体制を拡散し、アメリカの安全保障を拡大することは、ほとんどリスクを伴わないものとなっただろう。しかし、優れたリアリストなら誰でも言うことだが、そのような結果などはありえないのだ。実際、拡大反対派は、ロシアがNATO拡大を脅威とみなすことは必至であり、拡大が進めばモスクワとの関係が悪化すると警告していた。だから、外交官のジョージ・ケナン、作家のマイケル・マンデルバウム、ウィリアム・ペリー元国防長官など、米国の著名な専門家たちは、最初から拡大に反対していた。ストローブ・タルボット国務副長官やキッシンジャー元国務長官も当初は同じ理由で反対していたが、後に立場を変えて拡大派に転じた。

拡大賛成派は、東ヨーロッパや中央ヨーロッパの新しい民主政治体制国家群の民主政体を確立する(consolidate)こと、そして全ヨーロッパに「広大な平和地帯」を作ることができると主張し、議論に勝利した。彼らの考えでは、NATOの新規加盟国が同盟にとってほとんど、あるいはまったく軍事的価値がなく、防衛が困難であろうとも問題ではなく、平和は非常に強固で永続的であり、それらの新規加盟国を守るという誓約は口先だけのことで、守る必要などないと考えられた。

モスクワはポーランド、ハンガリー、チェコのNATO加盟を容認せざるを得なかった。しかし、NTOの拡大が推進される間に、ロシアの懸念は高まっていった。1990年2月、当時のジェイムズ・ベイカー米国務長官がソ連のゴルバチョフ書記長に対して、もしドイツがNATO内で統一することを許されるなら、同盟は「1インチも東進しない」と口約束した。ゴルバチョフがこの口約束を文書化しなかったことは愚かなことだった。ベイカーと関係者たちはこうした主張に異議を唱え、ベイカーは正式に約束をしたことはないと否定している。2003年にアメリカが国際法を無視した形でイラクに侵攻し、2011年にオバマ政権が国連安保理決議1973号で与えられた権限を大きく逸脱して、リビアの指導者ムアンマル・カダフィを追放したことで、ロシアの疑念はさらに強まった。ロシアはこの決議の採決で棄権したため、ロバート・ゲイツ元米国防長官は後に「ロシアは自分たちがコケにされたと感じた(the Russians felt they had been played for suckers)」とコメントしている。このような経緯から、モスクワが文書による保証にこだわるようになったのである。

アメリカの政策立案者たちがアメリカの歴史と地理的な感覚を振り返ったならば、拡大がロシアのカウンターパートたちにどのように映ってきたかを理解できたはずである。ジャーナリストのピーター・ベイナートが最近指摘したように、アメリカは西半球を他の大国が立ち入れないようにすると繰り返し宣言し、その宣言を実現するために何度も武力で脅し、実際に武力を行使してきた。例えば、冷戦時代、レーガン政権はニカラグア(ニューヨーク市より人口の少ない国)の革命に危機感を抱き、反政府軍を組織して社会主義のサンディニスタ政権を打倒しようとした。アメリカ人がニカラグアのような小さな国をそこまで心配するのなら、なぜロシアが世界最強の同盟であるNATOのロシア国境への着実な進行に対して深刻な懸念を抱くのか、理解するのはそれほど難しいことだったのだろうか? 大国が自国周辺の安全保障環境に極めて敏感であることは、リアリズムによって説明されるが、リベラルな拡大政策の立案者たちは、このことを理解できなかったのである。これは、戦略的に重大な結果をもたらす、共感(empathy)を欠いたことによる重大な失敗であった。

NATOは、「拡大は自由で強制などされないプロセスであり、加盟基準を満たした国であればどの国でも加盟できる」と繰り返し主張していることがこの誤りをさらに大きくしている。ところで、この主張はNATO条約に書かれていることとは全く異なる。NATO条約第10条には次のように書かれているだけだ。「締約国は、全会一致の合意により、この条約の原則を推進し、北大西洋地域の安全保障に貢献する立場にある他のヨーロッパ諸国に対し、この条約に加盟するよう要請することができる」。ここで書かれているキーワードは「できる」である。NATOに加盟する権利を持つ国はなく、加盟することで他の加盟国の安全が損なわれる場合はなおさらである。詳細は置いておいて、この目標を屋上から叫ぶのは無謀であり、不必要なことであった。どんな軍事同盟も、既存の締約国が同意すれば、新しい加盟国を組み込むことは可能であり、NATOは何度かそうしてきた。しかし、東方拡大への積極的かつ無制限の関与を公然と宣言することは、ロシアの恐怖をさらに増幅させるに違いないのである。

次の誤りは、2008年のブカレスト首脳会議で、ブッシュ政権がグルジアとウクライナをNATO加盟国に推薦したことである。元国安全保障会議スタッフのフィオナ・ヒルは最近になって、アメリカの情報機関がこの措置に反対していたにもかかわらず、当時のジョージ・W・ブッシュ米大統領がその反対意見を無視した理由を明らかにした。ウクライナもグルジアも2008年の時点で加盟基準を満たすには程遠く、他のNATO加盟国も加盟に反対していたため、このタイミングは特におかしかった。その結果、NATOは両国の加盟を宣言したものの、その時期については明言しないという、イギリスが仲介した不明瞭な妥協案の通りとなった。政治学者のサミュエル・チャラップは次のように述べている。「この宣言は最悪のものだった。ウクライナとグルジアの安全保障を高めることはなかった上に、NATOが両国の加入を決めているというモスクワの見方が強まった。イヴォ・ダールダー元NATO担当米国大使が、2008年の決定をNATOの 「大罪(cardinal sin)」と評したのも当然のことだろう。

次に誤りが起きたのは2013年と2014年だった。ウクライナ経済が低迷する中、当時のヤヌコビッチ大統領は、経済支援を求めてEUとロシアの間で経済分野での綱引きを行うよう働きかけた。その後、ヤヌコビッチ大統領は、EUと交渉した加盟協定を拒否し、ロシアからのより有利な提案を受け入れたため、ユーロマイダン抗議運動が起こり、最終的に大統領は失脚することとなった。アメリカは、ヤヌコビッチの後継者選びに積極的に関与し、デモ隊を支持する姿勢を露骨に打ち出し、「西側が全面支援したカラー革命(Western-sponsored color revolution)」というロシアの懸念を一蹴した。しかし、欧米諸国の関係者は、ロシアがこの事態に異を唱えることはないのか、それを阻止するために何をするのか、全く考えなかったようだ。その結果、プーティン大統領はクリミアの占領を命じ、ウクライナ東部のロシア語圏の分離主義勢力を支援し、ロシアとウクライナ両国は凍結された紛争(frozen conflict)状態に陥り、現在に至っている。

西側世界では、NATOの拡大を支持し、ウクライナ危機についてプーティンだけに責任を負わせることが当然となっている。ロシアの指導者プーティンは同情に値しない。彼の抑圧的な国内政策、明白な腐敗、これまでつかれてきた多くの嘘、政権に危険を及ぼさないロシア人亡命者たちに対する複数の殺人が明白であり、プーティンは同情に値しない。また、ロシアは、ウクライナがソ連から引き継いだ核兵器を放棄する代わりに安全保障を提供するという1994年のブダペスト・メモを踏みにじっている。クリミアの不法占拠によって、ウクライナやヨーロッパの世論はモスクワに対して大きな反感を持つようになった。ロシアがNATOの拡大を懸念するのは当然として、近隣諸国がロシアを懸念する理由も十分に存在するのである。

しかし、ウクライナ危機はプーティンだけの責任ではないし、プーティンの行動や性格に対する道徳的な怒りは戦略にはなり得ない。また、制裁を強化しても、プーティンが欧米諸国の要求に屈することはないだろう。しかし、プーティンが旧ソ連を懐かしむ冷酷な独裁者だからウクライナを確保したいと考えているのではなく、ウクライナの地政学的配置はロシアにとって重要な利益であり、それを守るために武力行使も辞さないということをアメリカと同盟諸国は認識しなければならない。大国は国境に接する地政学上の勢力に無関心ではいられないし、ロシアは仮に別の人物が政権を取ったとしてもウクライナをめぐる情勢に大きな関心を持つはずだ。この基本的な現実を欧米諸国が受け入れないことが、今日の世界を混乱に陥れた大きな原因なのだ。

言い換えるならば、プーティンは銃口を突きつけて大きな譲歩を引き出そうとして、この問題をより難しいものにしている。たとえプーティンの要求が完全に合理的であったとしても(合理的でないものもあるが)、アメリカと他のNATO諸国には、彼の脅迫的な試みに抵抗する正当な理由が存在する。繰り返しになるが、リアリズムがその理由を理解する助けになる。全ての国家が最終的に独立している世界では、脅迫される余地があることを示すと、脅迫者は新たな要求をするようになるかもしれないのだ。

この問題を回避するためには、この交渉を「恫喝(blackmail)」から「相互牽制(mutual backscratching)」に変えていかなければならない。論理は簡潔だ。あなたが私を脅すなら、私はあなたの望むものを与えたくない。なぜなら、それは不安な前例となり、あなたが同様の要求を繰り返したり、エスカレートさせたりするよう誘惑するかもしれないからだ。しかし、もしあなたが私に同じように欲しいものをくれるなら、私はあなたが欲しいものをあげるかもしれない。あなたが私の背中を掻くなら、私もあなたの背中を掻く。このような前例を作ることは何も悪いことではない。実際、これは全ての自発的な経済交換の基礎となっている。

バイデン政権は、ミサイル配備などの二次的な問題について互恵的な合意を提案し、将来のNATO拡大の問題をテーブルから取り除こうとしているように見える。私はウェンディ・シャーマン米国務副長官の粘り強さ、洞察力、交渉力には敬意を表するが、このアプローチはうまくいかないと私は考える。その理由は何か? なぜなら、最終的にはウクライナの地政学的な配置がクレムリンにとって重要な利益であり、ロシアは具体的な何かを得ることにこだわるだろうからだ。バイデン米大統領はすでに、アメリカはウクライナを守るために戦争はしないと明言している。ロシアのすぐ隣にあるこの地域で戦争ができる、あるいはすべきだと考えている人々は、私たちがまだ1990年代のアメリカ一極の世界にいて、魅力的な軍事オプションをたくさん持っていると考えているようだ。

しかし、選択肢の少ないアメリカの交渉団は、ウクライナが将来的にNATOに加盟するオプションを保持することに固執しているようで、これこそモスクワがアメリカに放棄させたがっているものだ。アメリカとNATOが外交で解決しようとするならば、ロシアに対して本格的に譲歩しなければならないだろうし、望むようなものがすべて手に入るとは限らない。私は読者であるあなた方以上にこの状況を好まない。しかし、それがNATOを合理的な範囲を超えて不用意に拡大したことの代償なのだ。

この不幸な混乱を平和的に解決するための最善の方法は、ロシアと西側が最終的にキエフの忠誠を得るために争うことは、ウクライナにとって厄災であることをウクライナ国民とその指導者たちが認識することである。ウクライナは率先して、いかなる軍事同盟にも参加しない中立国(neutral state)として活動する意向を表明すべきなのだ。NATOに加盟せず、ロシア主導の集団安全保障条約機構にも参加しないことを正式に誓うべきだ。その場合でも、どの国とも自由に貿易を行い、どの国からの投資も歓迎し、外部からの干渉を受けずに自国の指導者を選ぶ自由があるはずだ。キエフが自らそのような行動を取れば、アメリカやNATOの同盟諸国はロシアの恫喝に屈したと非難されることはないだろう。

ウクライナ人にとって、ロシアの隣で中立国として生きることは、理想的な状況とは言い難い。しかし、その地理的位置からして、ウクライナにとっては現実的に期待できる最良の結果である。現状よりもはるかに優れていることは間違いない。1992年からNATOがウクライナの加盟を発表した2008年まで、ウクライナは事実上中立国であった。この間、ウクライナが深刻な侵略の危機に直面したことは一度もなかった。しかし、現在、ウクライナの大部分では反ロシア感情が高まっており、このような出口が見つかる可能性は低くなっている。

この全体として不幸な物語におけるもっとも悲劇的な要素はそれが回避可能だったということだ。しかし、アメリカの政策立案者たちがリベラルな傲慢さを抑え、リアリズムの不快ではあるが重要な教訓を十分に理解するまでは、今後も同様の危機につまずく可能性が高いだろう。

(貼り付け終わり)

(終わり)

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ビッグテック5社を解体せよ

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 悪魔のサイバー戦争をバイデン政権が始める
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