古村治彦です。

 

 私はインターネット通販のアマゾンで購入することがほとんどです。アマゾンでは本の売り上げの順位が出たり、この本を買った人が他にどんな本を買っているかを本の表紙の写真を並べて表示したりしてくれたりとなかなかサーヴィスが充実しています。ある出版社の方が日本の本の売り上げにおけるアマゾンの占める割合は10%くらいと教えてくれたことがあります。私はそんなものか、もっと大きいんじゃないかなと思いました。

 

それでも私は定期的に本屋さんに行き、書店の棚を見るようにしています。それは立ち読みで面白い本に出会えるし、新刊本の棚で、出版社や書店がどんな本に力を入れて宣伝しているかを見るためです。

 

 中国崩壊論、中国脅威論の本が書店の棚を埋めています。これらの本は異口同音にかつ様々な論点から「中国は大嫌いだ。あんな国は潰れてしまえ」とか「なんで日本の隣にあんな変な国があるんだろう(人間関係では自分が嫌いな相手は自分の姿を映す鏡だなどと言いますが)」と主張しています。

 

しかし、世界は中国について「崩壊するのか、しないのか」という視点では見ていません。「中国はもう大きくなってしまって、崩壊しては困る」、これにつきます。だから、「崩壊しないようにする」ということになります。人口が1100万人のギリシアの債務不履行のためにヨーロッパ各国の指導者たちが集まって、どうする、どうすると額を寄せ合って会議をする時代です。ギリシアの100倍以上の人口を持ち、世界第2位の経済規模を持つ中国がもし崩壊したら、首脳たちが鳩首会議をする暇もなく、各国に致命的な影響が波及していくでしょう。日本で言えば、旅行に来てたくさんの買い物(「爆買い」)をしに来てくれた中国人が来なくなります。

 

日本のテレビが、中国人たちが日本の品物を大量に買って帰る様子を「爆買い」といって報道し、日本の視聴者は「下品だね」と眉をひそめて見ていますが、食べ物を食べたり、バスに乗ったり、品物を買うことでお金を落としてくれるお客さんが一切来なくなるなんてことになったら、どうしようもありません。日本人が中国人の代わりにお金を使うことはありません。

 

 そもそも中国が崩壊するというのはどういうことなのか、というとあまり具体的ではありません。確かにイメージを持つことはできます。人々が中国政府や中国共産党の支配に対して怒り、暴動を起こしてそれが反乱へと発展し、商店や家々を打ち壊したり、略奪したりすること、もしくは株式や不動産の価格が暴落、いわゆるバブル崩壊が起きて、人々が自殺したり、失業者が町に溢れたりということを思い描いているのかもしれません。しかし、中国国内がそうなってしまったら、相互依存関係にある日本もまた無傷ではいられません。その想像したイメージと同じことが日本でも繰り広げられることになる可能性だってあるのです。

 

 世界が求めているのは、「安定」であり、「経済発展」です。その成長センター・エンジンがアジア、特に中国である以上、「中国は汚い」「中国人は野蛮」などといくら言い立ててみても、既に私たちの生活と密接に関わっている(これを相互依存関係interdependenceと英語で言います)以上、もうそんなことも言っていられないのです。

 

 しかし、ここ最近の動きを見ていると、戦後世界において覇権国として、ある程度の安定をもたらしてきたアメリカの力の衰退が起きているようです。そのために世界は不安定になっています。また、アメリカがその衰退を受け入れられずに、じたばたすることで、かえって世界各地に紛争をもたらしていると私は考えます。アメリカの衰退に対して、中国が国力を増進させています。これからの時代は、アメリカから中国へ覇権が移り変わっていく、移行(transition)の時期になっていくと私は考えています。

 

ここで使う覇権国と覇権(hegemony、ヘゲモニー)という言葉は、政治学(Political Science、ポリティカル・サイエンス)、特に国際関係論(International Relations、インターナショナル・リレイションズ)で使われる概念です。政治や国際関係の世界では、どんな人がもしくはどんな勢力が、そしてどんな国が力を持っているのか、そして、それ以外の存在とどのような関係を持っているのかということが重要であり、学問になるとそれを研究します。

 

 「覇権(hegemony)」とは、簡単に言うと、「他からの挑戦を退けるほどの、もしくは挑戦しようという気を起こさせないほどの圧倒的な力を持つこと」が覇権です。そして、国際関係論で言えば、圧倒的な外交力と軍事力と経済力を持ち、他国を自分の言うことに従わせることのできる国のことを覇権国と呼びます。現在の覇権国は言うまでもなくアメリカです。この覇権国が自分の利益になるように、世界のシステムを作り、維持管理する、その恩恵として他の国々は安定とその中で発展することが出来るということになります。覇権国(hegemonic state、ヘゲモニック・ステイト)という言葉は、副島隆彦先生の本を読まれている皆さんには既になじみ深い言葉です。

 

現在の覇権国は、アメリカです。歴史的に見ればスペイン(17世紀)、オランダ(18世紀)、イギリス(19世紀)、アメリカ(20世紀)の各国がそれぞれ歴史の一時期に覇権国として君臨してきました。日本は第二次世界大戦でドイツと共に新旧の覇権国であるアメリカとイギリスに挑戦して敗れ、戦後、アメリカの従属国(tributary state、トリビュータリーステイト)になったというのが世界的な認識です。

 

 この覇権国の歴史を見てみると、全てがヨーロッパの国々です。現在のような国民国家(nation states)による世界の支配・被支配システムができたのは16世紀くらいからです。このシステムを作ったのがヨーロッパであり、大航海時代(Great Navigation)によって世界はこのシステムの中に組み込まれていきました。しかし、このシステムの埒外にあってヨーロッパに匹敵する力を持っていたのが中国です。これまでの西洋中心主義的な世界史に対して、「グローバル・ヒストリー」という研究分野が出現しています。このグローバル・ヒストリーの研究成果から、中国は1800年の段階で世界のGDPの25%を占めていたということが分かっています。しかし、それ以降は海外列強(powers)の食い物にされてしまいます。中国は、「恥辱(humiliation)の時代(1840年第一次アヘン戦争から始まります)」から150年以上を経て、ようやく、元々いた地位に戻っていく過程にあるということが出来ます。

 

 現在のアメリカは、巨大な軍事力を持つ負担に耐えられなくなっている。アメリカは巨額の国債を発行し、中国や日本、サウジアラビアが買い支えている。他国のお金で巨大な軍事力を維持しているのはおかしな話だ。「アメリカの軍事力があるから世界の平和は保たれているのだ。だからその分のお金を払っていると思えば良いのだ」という主張もある。しかし、他国のお金頼みというのは不安定なものだ。国債を買ってもらえなくなればお金が入ってこなくなる。そんなことになれば世界経済は一気に崩壊するから、あり得ないことだという意見もあるが、不安定な状況であることは間違いない。そして、国債を買ってもらっている相手である中国を敵だと考えるのはおかしな話です。敵が国債を買ってくれて手に入れたお金で敵をやっつけてやると息巻いているという図式は間抜けです。

 

 さて、このように外国からのお金で何とか凌いでいるアメリカですが、これで果たして「覇権国」だと大きな顔をしていられるのでしょうか。他国からお金を貢いでもらえるのだから、立派に覇権国だと言えるかもしれませんが、「将来的に覇権国のままでいられないんじゃないの」と考えてしまう人もいると思います。

 

さて、ここからは、国際関係論の分野に存在する覇権に関する理論のいくつかを紹介します。これまで国際関係論という学問の世界で覇権についてどういうことが語られてきたのかを簡単に紹介します。私の考えでは、国際関係論で扱われる覇権に関する理論は現実追認の、「アメリカはやってきていることは正しい」と言うためのものです。それでもどういうことを言っているかを知って、それに対して突っ込みを入れることは現実の世界を考える際に一つの手助けになるでしょう。

 

まず、覇権安定論(Hegemonic Stability Theory)という有名な理論があります。これは、覇権国が存在すると、国際システムが安定するという理論です。覇権国は外交、強制力、説得などを通じてリーダーシップを行使するというものです。このとき覇権国は他国に対して「パワーの優位性」を行使しているということになります。そして、自分に都合の良い国際システムを構築し、ルールを制定します。このようにして覇権国が構築した国際システムやルールに他国は従わないといけなくなります。従わない国々は覇権国によって矯正を加えられるか、国際関係から疎外されて生存自体が困難になります。その結果、国際システムは安定することになります。

 

ロバート・コヘイン(Robert Keohane)という学者がいます。コヘインはネオリベラリズム(Neoliberalism)という国際関係論の学派の大物の一人です。ネオリベラリズムとは、国際関係においては国家以上の上位機関が存在しないので、無秩序に陥り、各国家は国益追求を図るという前提で、各国家は協調(cooperation)が国益追求に最適であることを認識し、国際機関などを通じて国際協調に進む、という考え方をする学派です。

 

コヘインが活躍した1970年代、経済不況はヴェトナム戦争の失敗などが怒り、アメリカの衰退(U.S. Decline)が真剣に議論されていました。そして、コヘインは、覇権国アメリカ自体が衰退しても、アメリカが作り上げた国際システムは、その有用性のために、つまり他の国々にとって便利であるために存続すると主張しました。コヘインは、一種の多頭指導制が出現し、そこでは、二極間の抑止や一極による覇権ではなく、先進多極間の機能的な協調(cooperation)が決定的な役割を果たすだろうと考えました。

 

 覇権国が交替する時には戦争が起きるんだ、ということを主張した学者がいます。ロバート・ギルピン(Robert Gilpin)という人です。ギルピンは、1981年にWar and Change in World Politics(『世界政治における戦争と変化』、未邦訳)という著作を発表しました。ギルピンは、リアリズム(国家は国益の最大化を目的に行動し、勢力均衡状態を志向するとする考え方)の立場から、国際政治におけるシステムの変化と軍事及び経済との関係を理論化した名著、ということになります。アメリカの大学の国際関係論の授業では、この本を教科書として読ませます。国際関係論の分野の古典とも呼ばれています。

 

ギルピンは、覇権安定論(hegemonic stability theory)を主張しました。覇権安定論は、ある国家が覇権国として存在するとき、国際システムは安定するという考え方です。しかし、ギルピンは『世界政治における戦争と変化』のなかで、覇権国の交代について考察しています。

 

『世界政治における戦争と変化』の要旨は次のようになります。歴史上国際システムが次から次へと変わってきたのは、各大国間で経済力、政治力、社会の持つ力の発展のペースが異なり(uneven growth)、その結果、一つの国際システムの中で保たれていた均衡(equilibrium)が崩れることが原因となるとギルピンは主張します。台頭しつつある国が自分に都合がいい国際システムを築き上げるために、現在の国際システムを築き上げた覇権国と覇権をめぐる戦争(hegemonic war)を戦ってきました。台頭しつつある国が勝利した場合、その国が新たに覇権国となり、自分に都合の良い国際システムを構築し、逆に現在の覇権国が勝利した場合、そのままの国際システムが継続することになります。第二次世界大戦について考えてみると、英米が築いた国際システムに勃興していた日独が挑戦したという形になります。

 

現在、BRICS(ブラジル、ロシア、インド、中国、南アフリカ)という各新興大国の経済発展は進んでいる一方で、先進国である欧米、日本の経済成長はほとんどありません。日本のGDPは中国に既に抜かれてすでに久しい状況です。現在世界最大のGDPを誇るアメリカも10年から20年以内に中国に抜かれてしまうという予測もあります。

 

ギルピンの理論は、世界各国の不均衡な発展は覇権戦争を導くとしているので、理論通りになると、アメリカが既存の覇権国で挑戦を受ける側、中国が新興大国で覇権国に挑戦する側になって戦争が起きるということが予測されます。このギルピンの理論は歴史研究から生み出された理論である。スペインが打ち立てた覇権をオランダが奪い、オランダに移った覇権をイギリスが奪取するが、やがてアメリカに奪われるという歴史を踏まえての理論です。

 

それでは、未来のある時点でアメリカと中国が覇権をめぐって戦争するかと問われると、「ここ数年以内という直近の間では戦争はない」と私は考えます。こう考えるにはいくつかの理由がある。第二次世界大戦での日本とドイツ、冷戦でのソ連とアメリカの覇権に挑戦して失敗した国々を見ていれば、「戦争をして覇権を奪取する」と言うのは危険を伴うということは分かります。だから中国の立場からすると戦争をするのは慎重にならざるを得ません。米中それぞれの軍人たちはスポーツ選手が試合をしたくてうずうずしているように「戦争をしてみたい、手合わせをしてみたい」と思っているでしょうが、しかし、政治指導者たちはそんな危険な賭けをすることは考えにくいです。

 

また中国は、アメリカの覇権下で急激な経済成長をしてきたのだから、今のままの環境が維持されるほうが良いのです。アメリカとの貿易がこれからもどんどん続けられ、輸出が出来る状況が望ましいのです。本当はアメリカが不況で輸入が鈍化すると中国も困ります。だから輸出先を多く確保しておくことは重要だが、アメリカがこのまま世界一の超大国であることは現在の中国にとっても利益となります。ギルピンの理論では自国にとって不利なルールが嫌になって新興大国は、戦争をすることの利益と損失を計算したうえで、戦争を仕掛けるということになっています。現在の中国にとっては、現状維持、アメリカが超大国であることが重要だから、自分から戦争を仕掛けるということはないでしょう。アメリカが短期的にそして急速に覇権国としての地位を失い、経済力を失うことを一番恐れているのは、チャレンジャーと目される中国だと私は考えます。

 

また、イギリスからアメリカに覇権が移った過程を考えると、「覇権国が勝手に没落するのをただ見ているだけ」「覇権国の没落をこちらが損をしないように手伝う」という戦略が中国にとって最も合理的な選択ではないかと思えます。イギリスは「沈まない帝国」として世界に君臨し、一時は世界の工業生産の過半を占め「世界の工場」と呼ばれるほどの経済大国となり、その工業力を背景に強大な海軍力を持ちました。イギリスはアメリカの前の覇権国でした。

 

しかし、ヨーロッパ全体が戦場となった第一次、第二次世界大戦によって覇権国の地位はイギリスからアメリカに移動しました。第二次世界大戦においてはアメリカの軍事的、経済的支援がなければ戦争を続けられないほどになりました。アメリカは農業生産から工業生産、やがて金融へと力を伸ばし、超大国となっていきました。そして、自国が大きく傷つくことなく、イギリスから覇権国の地位を奪取しました。イギリスとアメリカの間に覇権戦争は起きませんでした。外から見ていると、アメリカに覇権国の地位が転がり込んだように見えます。中国も気長に待っていれば、アメリカから覇権が移ってくるということでどっしり構えているように見えます。

 

現在の中国はアメリカにとって最大の債務国です。中国はアメリカの国債を買い続けています。中国にとってアメリカが少しずつ緩慢なスピードで没落することがいちばん望ましいのです。「急死」されることがいちばん困る訳です。覇権国が「急死」すると世界は無秩序になってしまい、不安定さが増すことで経済活動が鈍化します。中国としては自国が力を溜めながら、アメリカの延命に手を貸し、十分に逆転したところで覇権国となるのがいちばん労力を必要とせず、合理的な選択と言えます。

 

「覇権をめぐる米中の激突、その時日本はどうするか」というテーマの本や記事が多く発表されていますし、日本でも「日本はアメリカと協力して中国を叩くのだ」という勇ましいことを言う人たちも多いようです。しかし、その勇ましい話の中身も「日本一国ではできないがアメリカの子分格であれば、中国をやっつけられるのだ」というなんとも情けないものです。

 

もし米中が衝突すると、その悪影響は日本にも及びます。日本は中国や韓国といった現在の「世界の工場」に基幹部品を輸出してお金を稼いでいます。米中が戦争をすることは日本にとって利益になりません。だからと言って、日本が戦争を望まなくても何かの拍子で米中間の戦争が起きるという可能性が完全にゼロではありません。このとき、日本がアメリカにお先棒を担がされて中国との戦争や挑発に加担しないで済むようにする、これが日本の選ぶべき道であろうと私は考えます。そして、大事なことは。「日本は国際関係において最重要のアクターなどではない、ある程度の影響力は持つだろうが、それはかなり限定される。そして、アメリカに嵌められないように慎重に行動する」という考えを持つことだと思います。そう考えることで、より現実的な対処ができると思います。

 

(終わり)

野望の中国近現代史
オーヴィル・シェル
ビジネス社
2014-05-23




メルトダウン 金融溶解
トーマス・ウッズ
成甲書房
2009-07-31