古村治彦(ふるむらはるひこ)の政治情報紹介・分析ブログ

SNSI研究員・愛知大学国際問題研究所客員研究員の古村治彦(ふるむらはるひこ)のブログです。翻訳と評論の分野で活動しています。日常、考えたことを文章にして発表していきたいと思います。古村治彦の経歴などについては、お手数ですが、twitter accountかamazonの著者ページをご覧ください 連絡先は、harryfurumura@gmail.com です。twitter accountは、@Harryfurumura です。よろしくお願いします。

タグ:中国

 古村治彦です。
 キッシンジャー論の3回目です。
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ワシントンと北京の間の問題を解決するための賭けは、アメリカ人にとって理解するのが大変であるが、本質的にはかなり単純な話である。キッシンジャーは、「米中双方は、ある基本的な信念について同意しないことに同意する必要がある(The two sides need to agree to disagree about certain fundamental beliefs)」と述べている。アメリカ人は人権と個人の自由への関与を決して放棄しないだろうし、中国人は広大な人口の安定を維持することに主眼を置き、人権や自由を軽視することを決して止めないだろう。道徳的、文化的な面では、これは両立しがたい膠着状態(stalemate)である。経済的な理由でも、外交的な妥協の見込みがあるに過ぎない。中国は、アメリカの知的財産(intellectual property)を徹底的に盗み、開かれたアメリカ市場を濫用し、国家からの補助金による安価な製品で溢れかえっている。ジョージ・W・ブッシュ政権のもう1つの大きな失敗は、これを阻止するためのWTO「反サージ(anti-surge、圧力緩和)」規則の発動を怠り、トランプの貿易戦争は、こうした慣行に何の進展ももたらさなかった。その行き先はどうなるか? 泥沼にはまる。キッシンジャーが言うように、冷戦時代の緊張緩和、デタント(ヴェトナム戦争で疲弊し、スタグフレーションに見舞われたアメリカは、イデオロギー的な十字軍を遂行できる状態ではなく、モスクワと武器抑制を交渉しながら北京と合意した)に似た「共存の現実的な概念(pragmatic concept of coexistence)」を見つけることである。外交的には圧力をかけ続けるが、賢明な外交官が常に行ってきたように、根本的な問題はごまかす。なぜなら、南シナ海での絶え間ない紛争と戦争、そしてその結果としての核戦争という選択肢はありえないからだ。キッシンジャーは、「曖昧さは時に外交の生命線となる(Ambiguity is sometimes the lifeblood of diplomacy)」と述べている。

キッシンジャーとモーゲンソーが予見していたもう1つの問題は、民主政治体制がポピュリスト化すればするほど、信頼できる外交政策ができなくなるということだ。モーゲンソーは、後にヴェトナム戦争への反対を理由にキッシンジャーと決別したが、特にポピュリスト的民主政治がプロの外交に与える影響を見抜いていた。この影響は、トランプ政権において顕著であるが、慎重な姿勢を貫いたオバマ政権やジョージ・HW・ブッシュ(父)政権にも影響を与えた。キッシンジャーは2001年の著書『アメリカには外交政策が必要か?(Does America Need a Foreign Policy?)』や、2018年の『アトランティック』誌の記事でこのテーマを取り上げ、ギューエンはその内容について「アメリカ国民の教育者を自任する者としての最後の授業(final lesson as a self-appointed educator of the American public)」と表現している。サイバースペースが成長することで、「世界秩序の見通しについて、ますます後退するホッブズ的自然状態と同一視される無政府状態(anarchy)が拡大する。そして、世界のコンピュータ化は、よくても合理的判断に有害で、最悪でも悲惨な、ある種の無責任な思考を促すことになるだろう」とキッシンジャーは認識していた、とギューエンは述べている。

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2人がワシントンでの連邦上院軍事委員会で証言を行う前、ジョージ・シュルツ元米国務長官がキッシンジャーの見守る中、「戦争犯罪でヘンリー・キッシンジャーを逮捕せよ」と叫ぶ抗議者たちを押しのけている。

このように評価することで、キッシンジャーは、彼を非難する多くの人々が信じがたいような一面を見せたと、ギューエンは書いている。ヒューマニストとしてのキッシンジャー サイバースペースにおけるアルゴリズムとデータの蓄積は、それが健全なものであれ、そうでないものであれ、良識(good common sense)の基盤を崩し、破壊する可能性が高い。「外交政策を成功させるには、何よりも未来を感知し、それによって未来を支配する直感的な能力が必要である」とキッシンジャーは主張した。将来の落とし穴を予測し、神の摂理(providence)よりも現実的な常識に頼ることは、アメリカ人が学び続けなければならないことだ。理神論的な建国の父たち(deistic Founders)でさえも神の摂理を味方につけたし、レーガンのような後世のアメリカの指導者たちも、自分たちは神の意思(the will of God)を実現するのだと信じていた。キッシンジャーは、レーガンのソビエトに対する原則重視の姿勢(principled stand)を賞賛したが、皮肉にも、彼が尊敬する初期のリアリスト、オットー・フォン・ビスマルクの言葉を引用して次のように述べた。「政治家にできる最善のことは、神の足音を聞き、その外套の裾を持って、数歩後を神とともに歩むことだ」。キッシンジャーが主張したのは神ではなく、「形而上学的な謙虚さ(metaphysical humility)」であり、「単なる人間が国際問題という危険なゲームに参加する際に、知るべきことを全て知ることはできないという理解(an understanding that mere humans would never know all they needed to know as they engaged in the dangerous game of international affairs)」だったとギューエンは書いている。

確実性の欠如(lack of certainty)という言葉は柔らかすぎるように聞こえるが、更に悪いのは、強硬で妥協ができないことだ。換言すれば傲慢であること(arrogant)になる。傲慢さ(hubris)、謙虚さの欠如(lack of humility)、過剰な道徳偏重(excess of moralizing)が、ヴェトナムとイラクへの侵攻というアメリカ近代外交史上最悪の惨事を招いた。ギューエンが詳しく分析しているヴェトナム戦争とイラク戦争に至るまでの議論を詳細に検討すると、アメリカの政策立案者たちが神から与えられたアメリカの大義の正しさ(God-given righteousness of America’s cause)を過信していることがわかる。(ブッシュがイラク侵攻の最終的な説得に使った悪名高い言葉は「私たちが称賛する自由はアメリカからの世界への贈り物ではなく、神から人類への贈り物だ(The liberty we prize is not America’s gift to the world, it is God’s gift to humanity)」だ)。保守派の多くが確信しているように、ロナルド・レーガンは冷戦に勝利したのだろうか? 緊張緩和(détente、デタント)とは対照的なレーガンの対決的アプローチには、「推奨すべき点が多くあった」とキッシンジャーさえも認めている。しかし、レーガンは幸運だった。40年にわたる戦略的忍耐(strategic patience)、すなわち封じ込め政策が実を結んだ時にたまたまその場にいたのがレーガンだった。レーガン自身、自分がいかに幸運かを分かっていたに違いない。ソ連の体制が内部崩壊しつつあるにもかかわらず、大統領2期目においては、強硬派を困惑させながらも、モスクワと軍縮交渉を必死に行っていたのだから。キッシンジャー自身、冷戦はゆっくり着実に進めば最終的に勝利することを誰よりもよく予見しており、封じ込めの父ケナンも、キッシンジャーは「国務省内部の誰よりも私の考えを理解しているのがキッシンジャーだ」と発言したことがあるほどだ。

最後に、私たちの前にある選択肢は私たちが考えるほど難しいものではない。キッシンジャーはウィルソニアン的な行き過ぎを嘆いた。しかし、ウィルソニアン的な考えが現在でもアメリカの外交政策の基盤となっていることを認めた。ウィルソン主義派が、アメリカの主権とハードパワーは常に神聖なものであるという考えを受け入れ、アメリカ第一主義派が、アメリカが作り上げた自由主義的国際秩序は欠陥があるものの、アメリカが敵対者ではなく保護者であり続けるだろうという考えを受け入れれば、両派の間での合意は可能だろう.その理由は、アメリカの覇権(U.S. hegemony)が国際社会の多数派のコンセンサスを得ていること、また、アメリカの軍事力が依然として優位にあるため、北京やモスクワなどのライヴァルが自分たちで独自の勢力圏を形成するのを阻止するのに役立っていることだ。キッシンジャーは、「アメリカの覇権を公然と追求することはうまくいかない。なぜなら、国際秩序は、それが公正であると見なされなければ存続できないからだ」と書いている。彼は更に次のように書いている。「アメリカの外交政策における支配的な傾向は、権力を合意(consensus)に変え、国際秩序が消極的な黙認(reluctant acquiescence)ではなく、賛成(agreement)に基づくようにすることである」。その支配力はぼろぼろだが、この国際秩序の主唱者であるアメリカは、この点ではまだ優位な立場にある。また、キッシンジャーは「私たちの目標は、多元的な世界を、破壊的ではなく、創造的にすることができる道徳的合意を構築することである」と書いている。この課題は今日、より大きなものとなっている。

※マイケル・ハーシュ:『フォーリン・ポリシー』誌コラムニスト。著作に『資本の攻勢:ワシントンの賢人たちは如何にしてアメリカの未来をウォール街に託したか(Capital Offense: How Washington’s Wise Men Turned America’s Future Over to Wall Street)』『私たち自身との戦争において:アメリカはどうしてより良い世界を築くチャンスを無駄にしているのか(At War With Ourselves: Why America Is Squandering Its Chance to Build a Better World)』の2冊がある。ツイッターアカウント:@michaelphirsh

(貼り付け終わり)

(終わり)

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 古村治彦です。

キッシンジャー論の2回目です。
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1969年のキッシンジャー(左)、1963年のキッシンジャー(右)、1973年1月24日のパリにおけるヴェトナム戦争に関する和平交渉で北ヴェトナムのレ・ドゥク・トと共に

「米中関係の将来と、その正否に大きく依存する世界の平和と安定に対する答えは、過去にあるのかもしれない」とギューエンは指摘する。ヴェトナム戦争、市民的不服従(civil unrest)、ウォーターゲート事件、1970年代のスタグフレーションなど、外交官が大国間の共通認識と均衡を見出さなければならなかったアメリカの弱体化の時期に、キッシンジャーと彼の哲学が陽の目を見たのは、決して小さな偶然ではないだろう。このように弱体化し、混乱したワシントンは、キッシンジャーのお気に入りの対象であり、彼の最大の外交的大勝利の焦点であった中国に対して、今日、類似の場所にいる可能性があるからである。

特に、大国間のライヴァル争いを安定的で平和的な生存様式(modus vivendi)に変えるために、ワシントンには、試行錯誤を経た現実政治(realpolitik)に立ち戻ることが必要であろう。中国研究者であり、北京の台頭を間近に見てきたオーストラリアのケヴィン・ラッド元首相は、最近『フォーリン・アフェアーズ』誌に寄稿した新型コロナウイルスの流行に関する論稿で次のように書いている。「不快な真実は、中国とアメリカがともにこの危機から著しく衰退してしまう可能性が高いということだ。新しい中国の平和(パックス・シニカ、Pax Sinica)も新しいアメリカの平和(パックス・アメリカーナ、Pax Americana)も、廃墟から立ち上がることはないだろう。むしろ、 米中両国の力は、国内外において弱体化するだろう。その結果、国際的な無政府状態へと緩慢と、しかし着実に向かい続けるだろう」。

しかし、このように2つの大国が互いに弱体化する可能性があるからこそ、解決の糸口が見つかるかもしれない。その答えは、私たちが今日直面していること、すなわち永久に灰色の世界(permanently gray world)であることを認識し、受け入れることから始まる。第二次世界大戦以来、数世代にわたって、そして冷戦勝利の余波の中で、疑う余地のない世界支配に慣れてしまったアメリカ人にとって、これは受け入れがたいことである。しかし、モーゲンソーが70年以上前に近代リアリズムの原典『国際政治学(Politics Among Nations)』で先見的に描き、キッシンジャーがその外交キャリアで展開したのは、学界を除いて今ではほとんど忘れられているが、大部分がこの21世紀の混沌とした世界そのものなのである(ギューエンがその著書で見事に立証している)。モーゲンソーは、人間の統治と社会の完璧さ(perfection in human governance and society)を求める合理主義者たち(rationalists)が、ギューエンの言葉を借りて言えば、「悲劇の必然性(inevitability of tragedy)」を否定したと言って、人間社会の進歩(progress of human society)に関する信念の現在の崩壊を予期していた。『ニューヨーク・タイムズ』紙の書評欄を長年にわたり担当してきた編集者であるギューエンは、「モーゲンソーが直面した選択は、善と悪の間ではなく、悪とそれ以下の間での選択だった」と書いている(正直なことを述べると、ギューエンはたまに私に書評を書くように依頼してくる)。中国との国交回復、1973年の中東での停戦、更にはヴェトナム戦争の混乱と血なまぐさい終結、失われた何千もの命など、キッシンジャーのキャリアの多くが、この本の中で書かれている。

キッシンジャーは人々から好意的な評価を受けるような人物ではない。ギューエンは著書中でこのことを詳細に述べている。キッシンジャーとリチャード・ニクソンは、第二次世界大戦で連合国が落とした爆弾よりも多くの爆弾をカンボジアに投下し、最終的に何十万人もの無辜の人々を死なせた。この政策と、1971年にバングラデシュで起きた大虐殺への無関心、チリで起きたクーデターに対する明白な支持は、シーモア・ハーシュからクリストファー・キッティンズまで、著名なリベラルの世代の人々を刺激し、キッシンジャーは偏執狂的で戦争犯罪者であるとレッテルを貼られたのだった。キッシンジャーの信念と動機には常に二重性(duplicity)があり、彼の言葉を借りれば、アメリカ人は「力の均衡を保つ(preserve the balance of power)」ため、戦うつもりはないことを知っていた。(キッシンジャーは1965年の時点で、ヴェトナムを訪問した後、ヴェトナムには勝てないという結論を出していたが、それでも戦争を支持していたとギューエンは指摘している)。ギューエンは、キッシンジャーをレオ・シュトラウスやハンナ・アーレントら、ホロコーストを逃れ、ワイマール民主政治体制の失敗に悩まされたドイツのユダヤ人思想家たちの系譜に位置づけようとしているが、シュトラウスのしばしば不明瞭な思想が後にネオコンを刺激し、ヒトラー時代のドイツからの難民であるマデレーン・オルブライト(旧姓コーベル)が熱心な強権派ウィルソン派として立場を確立していることから、ギューエンの主張の説得力は完全ではないだろう。

しかし、キッシンジャーの考え方は、今、明らかに70年代のアメリカの弱体化に似た状況にあるからこそ、より大きな反響を呼んでいる。外交政策のエリートたちは、勝利を目指すのではなく、ただただ生き残ること(survival)を考え、特にアメリカの国内問題が当時と同様に間違いなく疲弊している現在、そうあるべきなのだ。ギューエンの本で最も残念なのは、キッシンジャーのニュアンスに富んだヒトラー的リアリズムの伝記と歴史的源泉を何百ページもかけて掘り下げた後、それを現在にあまり適用せず、中国にもほんの少ししか適用していないことであろう。なぜなら、21世紀の最初の数十年間に中国で起こったことほど、キッシンジャー的リアリズムの正当性を証明するものはないからである。冷戦後の世界市場と新興民主政治体制に中国を取り込むことで、中国を徐々に啓蒙主義的な規範(Enlightenment norms)へと導くことができると考えることがワシントンで流行した四半世紀後、このような幻想(illusion)は消え去った。かつてキッシンジャーは、こうした幻想を「敵の改心によって平和を達成するという古くからのアメリカの夢(the age-old American dream of a peace achieved by the conversion of the adversary)」と呼んだ。キッシンジャーは毛沢東と会談して以降、100回以上も中国を訪問してきた。彼の厳しい見方と適合するのは、新興の超大国中国だけである。そして、もしキッシンジャーの分析が正しいとすれば(おそらくそうであろう)、米中両国は、説教(preaching)を最小限にとどめ、努力すれば、歩み寄りを見いだすことができるだろう。

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北京の人民大会堂での国賓を迎える晩餐会(state banquet)で中国の周恩来総理からの料理を取り分けてもらうキッシンジャー

冷戦後にアメリカの勝利を唱導した人々が理解していなかったのは、ソ連崩壊後、私たちが直面した「イデオロギーのない世界、それは、民主政体という超越的な処方箋が目の前の問題に対する答えにならない」ということだったとギューエンは書いている。

実際には、それよりもはるかに悪い状況になっている。私たちは、社会と統治の完全性を求める全ての希望が裏切られ、革命を起こすべき大義名分がもはや存在しないというポストモダンの現実を率直に受け止めるべきだ。トマス・ジェファーソンの「自由の玉(ball of liberty)」は、かつてアメリカ人が世界中を動かすことを期待する言葉であったが、結局は溝に落ちてしまった。フリーダムハウスが最近発表した『移行中の諸国家(Nations in Transit)』という文書には、「民主政治体制の驚くべき崩壊(stunning democratic breakdown)」について記されている。特に、中央ヨーロッパと東ヨーロッパ、そして中央アジアの失敗を指摘し、「1995年にこの年次報告書が始まって以来、こうした地域の民主国家は現在、どの時点よりも少なくなっている」と述べている。歴史は脈々と続き、アフガニスタンのような弱小国は失敗し続け、アメリカや中国のような民主主義国家と独裁国家は互いに争うことになるであろう。しかし、この意志のぶつかり合いが、ある社会的・政治的組織形態が他の形態よりも有利になるような「偉大な目的論的成果(Great Teleological Outcome)」をもたらすとは、もはや誰も妄想してはいけない。

その結果、キッシンジャーがかつて説明したように、「ほぼ全ての状況が特殊なケースである(Almost every situation is a special case)」ということになる。ナショナリズムの新たな台頭は、「アメリカと対峙することで国家や地域のアイデンティティが追求される(national or regional identity by confronting the United States)」ことになるかもしれないと彼は書いている。これは習近平の中国が行っていることだ。実際、今日のナショナリストの多くは、かつてソ連が行ったようにワシントンに反応し、外敵からの脅威を誇示することで国家統制を強化している。こうした、世界中のネオ・ナショナリズムは、ジョージ・ケナンがソ連に対して推奨したのと同じ柔術的な方法で対処されるべきだろう。アメリカからの彼らに対する脅威を軽減すれば、中国のような権威主義体制は自ずと衰退する可能性が高くなる。ラッドはフォーリン・アフェアーズに掲載した論稿で、習近平のコロナウイルスへの対応は「中国共産党内に重大な政治的不和をもたらし、その『高度な中央集権的指導スタイル(highly centralized leadership style)』に対する薄っぺらな批判さえ促している」と書いている(現在も習近平は深刻な内部課題に直面しているかもしれない)。ギューエンが指摘するように、キッシンジャーは2011年に出版した『中国論(On China)』で、何百万人もの中国人を死に至らしめたマルクス主義革命家の毛沢東でさえ、レーニンのような思想家ではなく「中国第一(China-first)」のナショナリストであり、アメリカと同様の例外主義の偏狭さ(exceptionalist insularity)を持つ国を代表していた。しかしアメリカとは異なり、中国の政権は海外への布教や熱意をほとんど必要としていなかった。今日の中国は、あらゆる場所で影響力を増している。しかし、世界各地にいわゆる債務植民地(debt colonies)を作ることは、完全な征服(outright conquest)よりもはるかに脅威が少ない。

重要なのは、過剰に反応しないことだ。そして、冷静に対応するという選択は、米中両国にとって受け入れがたいものである、とギューエンは書いている。彼は次のように述べている。「限界と外交的妥協(limits and diplomatic compromise)を受け入れられるだけの知的進化(intellectual evolution)を遂げるか、あるいは血を大量に流すか、いずれにせよ、彼らは大切な例外主義(exceptionalism)を捨てて、ウェストファリア的な国際多様性(international diversity)のシステムと、不快ではあっても、より控えめな均衡(more modest, if uncomfortable, equilibrium)を実現しなければならないだろう。」 更に言えば、ワシントンと北京は、この新しい力の均衡(balance of power、バランス・オブ・パウア)を受け入れるために、他の主要な世界の諸大国を自陣営に引き入れる必要があるだろう。

キッシンジャーは、このような事態の多くを予期していたとギューエンは書いている。数十年前、キッシンジャーはレーガンの時代と冷戦の終結が、ネオコンや自由主義的国際主義者(iberal internationalists)が期待したようなアメリカ型の自由主義的で民主的な資本主義(American-style liberal democratic capitalism)の新しい始まりではなく、むしろ「本質的には輝かしい日没(in the nature of a brilliant sunset)」であることを予見していた。キッシンジャーは、ウィルソン的な理想主義(idealism)がアメリカの外交政策の中心であり続けることをいつものように認めながらも、冷戦の勝利の中にあっても、それは議論における人権の優位性(特にソ連圏内での役割)によって勝ち取った部分もあると認めており、アメリカの指導者たちは新しい形の力の均衡を明確にしなければならないと書いた。キッシンジャー「世界のいくつかの地域で均衡を保つために、これらの地域におけるパートナー国は常に道徳的配慮だけに基づいて選ぶことはできない」と書いている。

中国もまた、世界支配をどこまで進められるかという自問自答の議論を今日も行っている。この国の地政学的な用心深さ(global caution)の長い歴史は(常に言葉通りではないにせよ)心強いものである。このような自己懐疑と、キッシンジャーが好んだ言葉の1つである「限界(limits)」の相互探求の中に、たとえ米中2つの経済がサプライチェーンや金融の共依存(codependence)という点で切り離されても、共通基盤(common grounds)を持てる可能性がある。新しい形の力の均衡を見出すための賢明で積極的な外交がなければ、破滅的な、あるいは世界を終わらせるような過失(missteps)が生じる可能性があるからだ。特にキッシンジャーは、ウィーン会議に始まり1914年8月に終了した、100年にわたる平和を最も深く研究してきた人物である。今日のワシントンや北京の多くの人々と同様に、当時のヨーロッパの指導者たちは「リスクを取ることが効果的な外交手段である(risk taking was an effective diplomatic tool)」と軽率に考えていたとキッシンジャーは書いている。

現在、北京はアメリカの民主政体に対してボットの軍隊と数十億ドルを用意している。ワシントンの多くの人々は、共和党の新星であるミズーリ州選出のジョシュ・ホーリー連邦上院議員の言葉を借りれば、「全ての自由主義国の国民にとって脅威である(a menace to all free peoples)」北京の帝国主義者に立ち向かうための新たな冷戦を無謀にも呼びかけている。この危険な新しい主張の最初の課題は、WTOからの脱退である。WTOのもとで、中国は「国際経済システムのルールを自らの利益のために曲げ、濫用し、破って」、300万人のアメリカ人の雇用を奪ってきた、とホーリーは5月20日の演説で述べている。

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左:2018年11月8日に北京の人民大会堂で習近平中国国家主席と会談するキッシンジャー、右:2017年10月10日にホワイトハウスの大統領執務室(オーヴァル・オフィス)でドナルド・トランプ米大統領と会談するキッシンジャー
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(つづく)

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 古村治彦です。

 今回は、少し古くなったヘンリー・キッシンジャーの外交政策に関する長めの論稿を3回に分けてご紹介する。非常に読みごたえがある論稿であり、ウクライナ戦争開戦から1年以上経過し、世界が転換しつつある中で、国際関係や外交政策について考える際の指標となる言葉がふんだんに収められている。

 キッシンジャーの外交政策の基盤にあるのはリアリズムという考えだ。国際関係論におけるリアリズムについてはこのブログでの何度もご紹介しているが、道徳とか規範といったものではなく、利益と生き残りを最重視する考え方である。敵対勢力に関しては、改宗や崩壊を求めるのではなく、封じ込めや共存を行うことを重視する。

 リアリズムを米中関係に応用してみると、米中双方がまず多くの相違点があることを認め、それらについてどちらかが考える、改宗するということはできないということを認めるというところから始めることになる。相違点がある中で、それをどうしようもない、無理に何とかしようとしてより悪い結果をもたらすことになるという考えを基に、外交政策、対中政策を考えることが基本となる。これがキッシンジャーの外交政策の基本だ。「相手が変わらない(変われない)ことを前提にして外交政策を作っていく」という姿勢は、私たちの人間関係の構築にも応用できる考え方だ。「相手を変えよう」とするのは無理だ、と思えば、それを前提にして対処、対応の仕方が変わってくるということになる。

 ウクライナ戦争について、キッシンジャーは昨年夏の段階で(戦争が始まって半年ほど経過した段階で)、停戦を主張していた。ウクライナ東部とクリミア半島に対するロシアの支配権を認め、ウクライナのNATO入りに反対というキッシンジャーの主張に対して、ヴォロディミール・ゼレンスキー大統領をはじめとするウクライナ側は猛反発した。

しかし、実態は、今年に入って、ゼレンスキーは中国の習近平国家主席に対して、「頼みごとがある」という呼びかけを行い、ウクライナ訪問を要請している。「お願いがあるんだが、来てくれないか」というのは何とも傲慢で無礼な態度である。お願いがある方が出向くのが筋だ。このお願いこそは、ロシアとの停戦交渉の仲介だ。中国は中東における2つの敵対国であった、サウジアラビアとイランの緊張緩和(中東における核戦争の可能性が減少した)、国交正常化の仲立ちをしたという実績を世界に見せつけた。今度はロシアとウクライナの間の仲立ちだ。

そもそも、ロシアに対して制裁を科しているアメリカとイギリスを中心とするG7諸国、西側諸国のいうことをロシアは聞かない。ロシアと話ができなければ仲介はできない。ロシアとウクライナの間をつなげるのは、中国しかいない。その中国が見事にサウジアラビアとイランの緊張緩和を成し遂げた。中国の株が急上昇したのは当然のことだ。

 こうしたシナリオの裏にはキッシンジャーあり、というのが私の考えだ。中国にロシアとウクライナの間を仲介をさせる、そのための箔をつけるためにサウジアラビアとイランの緊張緩和を仲介させた、この筋書きを作ったのがキッシンジャーだろう。ウクライナ戦争に伴う、核戦争の可能性を減らすための動きであると私は見ている。

 アメリカのネオコン、人道的介入主義派はおそらく、ウクライナ戦争開戦から早い段階で、欧米諸国の制裁によってロシアがギヴアップし、ロシアの国家政治体制を崩壊させることができると目論んでいただろう。その目論見が外れた今となっては、戦争を激化させて、核戦争まで進めて、ロシアを攻撃する大義名分を手にしようとしていただろう。そうした彼らの目論見をことごとくシャットアウトしてきたのがロシアだ。そして、こうした将棋や囲碁のような頭脳戦において、重要な一手を考え、実行させてきたのがキッシンジャーということになると私は考えている。以下の論稿を読めば、私がそのように考えるのもあながち飛び過ぎた空想ではないということが分かってもらえるだろう。

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キッシンジャーの世界によくぞ戻ってきてくれました(Welcome Back to Kissinger’s World

―ネオコンサヴァティヴィズム(Neoconservatism)は死んだ。自由主義的国際主義(liberal internationalism)は信頼を失っている。前世紀における偉大なるリアリストの考えに戻る時は恐らく今だ。

マイケル・ハーシュ筆

2020年6月7日

『フォーリン・ポリシー』誌

https://foreignpolicy.com/2020/06/07/kissinger-review-gewen-realism-liberal-internationalism/

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ヘンリー・キッシンジャー米国務長官は1975年4月15日にワシントンDCにて連邦上院歳出委員会に出席。ジェラルド・フォード大統領による、南ヴェトナムに対する軍事援助と人道援助への予算請求について証言するために出席した

読者の皆さんはヘンリー・キッシンジャーのことが嫌い、もしくは彼のことを悪魔だと考えているかもしれない。それでも皆さんはキッシンジャーを無視することはできない。特に現在はそうである。新刊『悲劇の不可避性:ヘンリー・キッシンジャーと彼の世界(The Inevitability of Tragedy: Henry Kissinger and His World)』で、ヘンリー・キッシンジャーと彼の活躍した時代を包括的にまとめ、知性の歴史について新たに論じたバリー・ギューエンが述べている通りだ。実際、私たちは今年5月で97歳になった年老いた政治家を無視することができないだけでなく、今まで以上に必要としている。より正確に言えば、私たちにはキッシンジャーのアイディアと直感(instincts)が極めて必要なのだ。キッシンジャーのアイディアと直感は、私たちが現在認識している通り、機能不全の世界をどのように生き抜くか、そして世界を何とか機能させていくかについてのものだ。

アメリカ政府の観点からすれば、現在の世界は、キッシンジャー的な世界観の様相を呈している。アメリカの十字軍的な世界改革運動は終わり、失敗に終わった。破棄された土台の上で崩れてしまっている。ウィルソン流の十字軍主義(crusaderism 訳者註:世界改革主義)は冷戦期の賢明な封じ込め(containment)から一枚岩の共産主義という神話に対する、無益で妄想に満ちた戦いへと変化させた。この十字軍主義はヴェトナムで恐ろしい終焉を迎えた。そして、冷戦後の時代に、「悪(evil)」の政権を終わらせるという新レーガン主義の要請として再興し、イラクで悲劇的な結末を迎えたが、もうすっかり出尽くしてしまった感がある。そのため、アメリカ国民は率直な、新たな国内問題解決優先主義者(neo-isolationist)であるドナルド・トランプをホワイトハウスに送り込み、アメリカを世界から切り離すことができるようにした。

コロナウイルス危機はトランプ政権の掲げた政策の実行を促した。そして、「アメリカ・ファースト・アイソレイショニズム(国内問題解決優先主義、”America First” isolationism)」の新しい波を鼓舞している。トランプ政権の米通商代表ロバート・ライトハイザーは最近の論稿の中で、中国の「略奪的な貿易・経済政策(predatory trade and economic policies)」と新型コロナウイルス感染拡大の起源を巡る欺瞞に対して、アメリカ経済の海外依存(offshoring、オフショアリング)を逆転させるよう主張している。トランプ政権は、前時代の世界のブロック化を呼び起こし、中国から切り離した、志を同じくする国々による「経済繁栄ネットワーク(Economic Prosperity Network)」の創設をもくろんでいる。2020年の大統領選が本格化する中、習近平国家主席を時折賞賛するトランプを、民主党の大統領選挙候補者であるジョー・バイデンが叩くなど、対中冷戦の様相を強め、民主党の中国攻撃が激化している。この大きな理由は、中国がWTOのルールを悪用して違反し、アメリカの中産階級から職を奪ってきたという不満が高まっているためである。

アメリカは世界から離れる全く準備ができていない。確かに、アメリカの外交官たちは国際秩序から抜け出す方法を見つけ出してはいない。確かに、4分の3世紀(75年前)前の第二次世界大戦から生まれた自由主義的な国際秩序と同盟のシステムは、ありがたいことにまだ存在しており、私たちはそれらを活用し続けるだろう。しかし、同盟諸国間の不信感は深刻であり、協力は皆無に等しく、各国は自国のナショナリズムに傾倒しているように見える。国連やWTOのような国際的な機関は、ワシントン、北京、モスクワがトップの座を争う一方で、政策の遂行を懇願する、貧乏くじを引いた人物のような、腰の引けた状態になっている。国家間の大きなイデオロギー闘争は終わった、あるいは少なくとも深い冬眠の中にある。過去1世紀あまりの間に、王政(monarchy)、権威主義(authoritarianism)、ファシズム(fascism)、共産主義(communism)、全体主義(totalitarianism)が、それぞれ試行錯誤の末に破滅に向かうのを目撃してきた。そして今、私たちはある程度、民主政治体制(democracy)の失敗も経験している。ワシントンのように、多くの場所で両極化して(polarization)、麻痺しているように見え、誤報の流れに溺れ、ロシアのような悪意のある外部勢力にハッキングされているのである。また、資本主義が、生産手段の所有という点では冷戦時代の共産主義に勝るものの、社会的公正を生み出すという点では著しく劣ることが証明されている。世界で選ばれたこのシステムは、常に崩壊しやすい。

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リチャード・ニクソン米大統領とキッシンジャーはブリュッセルでのNATO会議に出席するためにエアフォース・ワンに搭乗(1974年6月26日)

特に、ミネアポリスで警察に拘束されていた黒人が殺害された事件で発生した抗議行動に対するトランプ大統領の残忍なやり方が国際的に非難され、その結果、トランプ大統領の分裂的で偏向的な1期目が頂点に達した。それ以上に、大統領の愚かな排外的愛国主義(ジンゴイズム、jingoism)と手探りの新型コロナウイルス対策は、ジョージ・W・ブッシュ大統領時代に始まった評判の失墜への道を完成させたに過ぎない。イェール大学の歴史学者ポール・ケネディが、この唯一の超大国は経済的・軍事的支配において古代ローマをも凌駕したと述べた、あの冷戦後の一極集中の瞬間(post-Cold War unipolar moment)が、20年も前、つまり2001年9月10日の時点でアメリカの威信がどれほど高かったかを今思い出すのは困難である。おそらくアメリカ史上最悪の戦略的誤誘導(strategic misdirection)であったが、ブッシュと彼のネオコンの教唆者たち(概念的に言えば、彼らは全員隠れている最中だ)は、国際社会に残る犯罪者、イスラム教徒のテロリストに対する世界的に統一された闘争であるべき戦いを、侵略と、もぐらたたきのような、疲労感だけが残る帝国主義的ゲームに変え、その過程で地上と空中におけるアメリカの脆弱性をさらけ出してしまった。そして、ブッシュはアメリカ経済に相応のダメージを与え、ウォール街の大暴落と大不況という結末を迎えた。一方、中国は台頭し、世界中に金融の影響力を広げ、ウラジミール・プーティンは威張りくさりながら陰謀を企て、ヴィクトル・オルバン、ナレンドラ・モディ、ジャイル・ボルソナーロはそれぞれの道を歩き出した。そして、アメリカ人は、自分たちがいかにひどい欺瞞に陥っていたかに嫌気がさし、まず、イラクを「馬鹿げた戦争(dumb war)」と呼んで有名になり、その後8年間もアメリカの海外関与について迷走した新人連邦上院議員(バラク・オバマ)を選出し、最後にアメリカ第一主義のポピュリズムを受け入れる、という反応を示したのである。

こうした状況によって、私たちは、キッシンジャー、偉大なリアリストであるハンス・モーゲンソー(彼はキッシンジャーの先生であった)、そして現在の激しい地政学的緊急事態に直接的に立ち戻ることになる。世界的な無政府状態の中で、大国間の対立が激化し、モーゲンソーが理論的に構想し、キッシンジャーが実践的に習得したような、よく練られた、強硬な戦略外交が求められている。これはギューエンの著書の主要なメッセージであり、特に中国恐怖症(Sinophobia)が急増し、北京が全力で反撃している今、研究する必要があると考えられる。今日の中国は、「部屋の中のアパトサウルス」だとギューエンは書いている。
(貼り付け終わり)
(つづく)

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 悪魔のサイバー戦争をバイデン政権が始める
20211129sankeiad505

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 古村治彦です。

 サウジアラビアとイランの国交正常化、その仲介役が中国だった、というニューズは私にとっては衝撃であった。サウジアラビアとイランはお互いが不倶戴天の敵、サウジアラビアはアメリカの同盟国、イランはアメリカの敵国という水と油の関係にあった。それを中国がうまくまとめて、緊張緩和に持っていったということは驚きだった。まず、中東地域においてはこれまで欧米諸国が旧宗主国、利害関係国ということで、大きな役割を果たしてきた。それが、中国が欧米諸国に代わって、「仲介役」の役割を果たすことができるようになったということが愕きだった。

 更に言えば、中東において核兵器を使用しての戦争が可能な国としては、サウジアラビア、イスラエル、イランが存在している。サウジアラビアとイスラエルはアメリカの重要な同盟国同士であり、イランはアメリカの敵国ということを考えると、核兵器を使った戦争が起きるとすれば、「サウジアラビア対イラン」「イスラエル対イラン」という構図になるだろうと考えていた。それが「サウジアラビア対イラン」の構図が消えたということになった。これは中東地域の状況に関して大きなことである。

 サウジアラビアが西側(the West)・アメリカ陣営から離れつつあり、中露が柱となっている西側以外の国々(the Rest)に参加する姿勢を明確にしていることが今回の出来事で分かる。サウジアラビアがアメリカの陣営を離れて、イランとの関係改善を進めるということは、イスラエルが中東地域で孤立するということになる。「サウジアラビア・イスラエル対イラン」という構図が「イスラエル対イラン・サウジアラビア」ということになる。これは中東のパワーバランスにおける重大な変化だ。イスラエルのパレスティナ政策にも大きな影響を与えることになるだろう。

 付け加えて言えば、中国が世界の大舞台において「仲介者」という大きな役割を果たせることを示した。私はこの絵図面を描いたのは、「三代帝師(江沢民・胡錦涛・習近平の三代にわたって軍師を務めている)」と呼ばれる王滬寧であり、更に言えば、そのバックにはヘンリー・キッシンジャーがいると見ている。このような、思い切った、誰もが難しいと思うようなことをやってのける構想力はキッシンジャー独自のものだと私は考える。キッシンジャーは中東において戦争が起きる危険性を大きく減らした。ここが重要だ。そして、中国がロシアとウクライナの停戦交渉の仲介者としての実力を有しているということを示し、ウクライナ戦争をキッシンジャー自身が考える線で停戦させようとしている。

キッシンジャーの母国アメリカにはサウジアラビア・イランの緊張緩和、ウクライナ戦争の停戦をまとめ上げる力はない。そもそもイランとロシアとは敵対関係にあり、このような重要な交渉をすることもできない。キッシンジャーの構想力を実現することはできない。中国はこれらの国々とはどことも関係を悪化させていない。そうなれば、話ができるのは中国だけという単純な話になる。

30年前のパレスティナ和平、オスロ合意のことを思い出す。パレスティナ側の代表であるパレスティナ解放機構(PLO)のヤセル・アラファト議長とイスラエル側のイツハク・ラビン首相を握手させる真ん中には、アメリカのビル・クリントン大統領が立っていて、両首脳の方を抱くようにして、両者を握手させていた。実際にはノルウェーが仲介役を務めていたが、最後のおいしいところはアメリカに持っていかれ、オスロ合意という名前に地名を残すだけのこととなった。アメリカは世界の重要な問題での調停者・仲介者であり、世界の人々もそれを認めていた。しかし、一世代経過して、アメリカにはそのようなことができなくなっている。時代は変化している。

(貼り付けはじめ)

サウジアラビアとイランとの間の緊張緩和はアメリカにとっての目覚ましの衝撃音である(Saudi-Iranian Détente Is a Wake-Up Call for America

-和平計画は大きな合意であり、それを中国が仲介したのは偶発的な出来事ではない。

スティーヴン・M・ウォルト筆

2023年3月14日

『フォーリン・ポリシー』誌

https://foreignpolicy.com/2023/03/14/saudi-iranian-detente-china-united-states/

中国が仲介役を務めたサウジアラビアとイランの緊張緩和(détente、デタント)は、1972年のニクソンによる中国訪問や1977年のアンワル・サダトによるエルサレム訪問、1939年のモロトフ・リベントロップ協定ほど重要なものではない。それでも、もしこの協定が実現すれば、かなりの大きな合意となる。最も重要なことは、バイデン政権とアメリカの外交政策世界に大きな目覚ましの音を鳴らすことになったことだ。なぜなら、この出来事によって、アメリカの中東政策を長い間不自由な状態にしてきた、自らに課したハンディキャップが露呈したからである。また、中国がいかにして自らを世界の平和のための力として売り出そうとしているのか、も明らかになった。アメリカは近年、こうした動きをほぼ放棄してきた。

中国はどのようにしてサウジ・イラン合意を実現したのだろうか? リヤドとテヘランの間の温度差を小さくしようとする努力は以前から行われていたが、中国はその劇的な経済成長によって中東での役割を増大させているため、両者の合意形成に介入することができた。更に重要なことは、中国がイランとサウジアラビアを仲介できるのは、この地域の大半の国と友好的でビジネスライクな関係を築いているからである。中国はあらゆる方面と国交があり、ビジネスも行っている: エジプト、サウジアラビア、イスラエル、湾岸諸国、さらにはシリアのバッシャール・アル・アサドまで関係を深めている。これこそが、大国が影響力を最大限に発揮する方法なのである。他国が協力してくれるなら、自分も協力するという姿勢を明確にし、他国との関係によって、自分には他の選択肢もあるのだと気づかせるのだ。

一方、アメリカは、中東の一部の国とは「特別な関係(special relationships)」を持ち、その他の国(特にイラン)とは全く関係を持たない。その結果、エジプト、イスラエル、サウジアラビアなどの従属国は、アメリカの支援を当然と考え、エジプトの人権問題、サウジアラビアのイエメン戦争、イスラエルのヨルダン川西岸の植民地化という長期にわたる残虐なキャンペーンなど、アメリカの懸念を不当に軽蔑して扱っている。同時に、イスラム共和国(イラン)を孤立させ、打倒しようとする私たちの努力はほとんど無駄であり、イランの認識、行動、外交的軌道を形成する能力は、ワシントンには実質的にゼロである。この政策は、アメリカ・イスラエル公共問題委員会(American Israel Public Affairs Committee)、民主主義防衛財団(Foundation for Defense of Democracies)などの熱心な努力と、資金力のあるアラブ政府のロビー活動の成果であり、現代のアメリカ外交における自殺点(失敗)の最も明確な例と言えるかもしれない。ワシントンがこの地域の平和や正義を推進するために大したことができないことを示すことで、北京に大きな門戸を開いているのである。

サウジとイランの合意は、米中対立の重要な一面を浮き彫りにしている。ワシントンと北京のどちらが、将来の世界秩序を導く最良の存在と見なされるのだろうか?

1945年以降、アメリカが世界的に大きな役割を果たしてきたことから、アメリカ人は、たとえアメリカが行っていることに疑問があったとしても、ほとんどの国がアメリカの指導に従うと考えることに慣れてしまっている。中国はこの方程式を変えたいと考えており、平和と安定をもたらす可能性の高い存在として自らをアピールすることが、その重要な行動となっている。

原則的に、世界のほとんどの政府は平和を望んでおり、部外者が自分たちのビジネスに介入し、何をすべきかを指示することを望んでいない。アメリカは過去30年以上にわたって、外国政府はリベラルな原則(選挙、法の支配、人権、市場経済など)を受け入れ、アメリカが主導する様々な機関に参加すべきであると繰り返し宣言してきた。つまり、アメリカの「世界秩序(world order)」の定義は、本質的に修正主義的(revisionist)なものだった。 つまり、ワシントンが全世界を豊かで平和なリベラルな未来へと徐々に導いていくということだ。民主党と共和党両方から出た、歴代の米大統領は、この目標を達成するために様々な手段を用い、時には軍事力を行使して独裁者たちを倒し、そのプロセスを加速させた。

その結果、膨大な予算を浪費する占領、破綻国家(failed states)、新たなテロ運動、独裁者間の協力関係の強化、人道的災害など、決して良い結果とはならなかった。ロシアの違法なウクライナ侵攻もその一環である。ロシアの侵攻は、ウクライナをNATOに加盟させようとするアメリカの善意に基づいているが、思慮の足りない努力に、少なくとも部分的に反応したものだ。抽象的には望ましい目標であっても、問題はその結果であり、そのほとんどは悲惨なものとなった。

中国は異なるアプローチを採用している。1979年以降、中国は実際の戦争はしておらず、国家主権(national sovereignty)と不干渉(non-interference)を繰り返し宣言している。この立場は、中国の酷い人権慣行に対する批判を逸らすという点で、明らかに利己的であり、主権への美辞麗句は、中国が不当な領土主張を進め、いくつかの場所で国境紛争を起こすことを止めなかった。北京はまた、批判されると不当に厳しく反応し、外交に好戦的なアプローチを採用したため、憤りと抵抗が高まっている。また、中国が現状を変えるために武力を行使しないとは誰も思わないはずである。

それでも、世界中の独裁者たちが、重武装で道徳を説くアメリカのやり方よりも、中国のやり方の方が心地よいことは容易に想像がつく。民主政治体制国家よりも独裁国家の方がまだ数が多く、その差は10年以上にわたって拡大し続けている。もしあなたが、権力を維持することを第一義とする腐敗した独裁者であったなら、世界の秩序に対してどちらのアプローチをとるのがより親和的だと思うだろうか?

更に言えば、世界のほとんどの国は、戦争がビジネスにとって不利であり、自国の利益に悪影響を及ぼすことが多いことを理解している。大国間の競争が手に負えなくなるのを見たくないのだ。アフリカの古い言い伝えを借りれば、「象が戦えば、草は苦しむ」という。従って、今後数十年の間に、多くの国家は、平和、安定、秩序を促進しそうな大国を支持することを好むようになるであろう。同じ論理で、平和を乱すと思われる大国とは距離を置く傾向がある。

このような傾向は以前にも見られた。20年以上前、アメリカがイラクへの侵攻を準備していた時、同盟国であるドイツとフランスは、武力行使を承認する国連安全保障理事会に反対していた。なぜなら、中東での大きな戦争は、いずれ自分たちを苦しめると考えていたからだ(そして、実際にそうなった)。中国が南シナ海に人工島を建設し、武力で台湾を威嚇しようとすると、近隣諸国はそれに気づき、中国から離れ、互いに、そしてワシントンとより密接に協力し始める。もし、他の国々があなたを解決策の一部ではなく、問題の一部と見なせば、あなたの外交的立場は損なわれる可能性が高い。

バイデン政権にとっての教訓は、外交政策の成功を、何回戦争に勝ったか、何人のテロリストを殺したか、何カ国を改宗(convert)させたかで決めるのではなく、緊張を和らげ、戦争を防ぎ、紛争を終わらせることにもっと注意を払うことである。これは明白なことだ。もしアメリカが、中国が信頼できるピースメーカー(peace maker)であるという評判を確立し、他国との関係において共存共栄する大国であることを認めれば、他国を説得することはますます難しくなるであろう。

サウジアラビアとイランの緊張が緩和されたことは、戦略的に重要な地域で深刻な衝突が起こるリスクを軽減する前向きな進展である。従って、この新たな緊張緩和(デタント)は、たとえ北京の功績があったとしても、歓迎されるべきだ。アメリカの適切な対応は、この結果を嘆くことではなく、より平和な世界を作るために同等かそれ以上のことができることを示すことだ。

※スティーヴン・M・ウォルト:ハーヴァード大学ロバート・アンド・レニー・ベルファー記念国際関係論教授。ツイッターアカウント@stephenwalt

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(終わり)

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 古村治彦です。

 第二次世界大戦後の世界の基軸通貨となったのは、米ドルだ。米ドルが価値の基準であり、米ドルで貿易決済のほとんどが行われてきた。世界の多くの発展途上国(貧乏な国)では、自国の通貨の信用がなく、米ドルが流通するというところも多い。「自国の通貨はいつ紙切れになるか分からないほど信用はないが、米ドルは世界の超大国・派遣のアメリカの通貨だから安心だ」ということになる。日本も外貨準備高でドルを貯めこみ、また、米国債を多く買っている。米ドルは安心だ、だからこれらは安心の資産(運用)ということになる。

 アメリカではインフレ懸念から中央銀行である連邦準備制度(Federal Reserve System)が政策金利の利上げを進めている。これで市場に流れているドルを吸収しようということであるが、これは諸刃の剣だ。政策金利の上昇は住宅ローン金利に反映される。住宅ローンの返済額が大きくなれば、家を持ち切れないという人々が出てくる。そうなれば社会不安が発生する。また、住宅バブルが崩壊することで不景気に突入する可能性が高まる。しかし、金利を上げなければ、インフレ状態は続き、住宅バブルは続く。バブルはいつか弾ける。何より、米ドルの価値が下がる。これは米ドルの信用にもかかわってくる重大な問題だ。政策金利を上げても問題が起き、下げても問題が起きる。「前門の虎、後門の狼」という状態だ。アメリカはドルの信用だけは守らねばならない。そうでなければ、アメリカ国民の生活自体を維持することができなくなるからだ。そのために必死である。

 米ドルが基軸通貨の地位から転落した場合、それに代わる存在は何かということになるが、ユーロはドルと道連れであろうし、円は日本の経済力の低下もあってそのような力はない。中国の人民元が有力候補であるが、ここで出てくるのがBRICs共通通貨という候補だ。BRICs(ブラジル、ロシア、インド、中国、南アフリカ)が最初にこれらの国々の間だけで通用する通貨を作る。それが役割を拡大していき、最終的には基軸通貨となるというシナリオだ。金(きん)を後ろ盾にする通貨ということになれば、米ドルよりも信用が高まる可能性が高い。

 ドル覇権の崩壊が現実味を帯びてきたことを考えると、アメリカとノルウェー、NATOによるノルドストリーム攻撃・爆破はドル覇権を守るための動きだったという解釈もできる。ヨーロッパに安価なエネルギー源である天然ガスを供給してきたロシアはその取引決済をドルで行っていたが、西側諸国による制裁の後はルーブルで決済をするように求めた。エネルギー源を買えなければ生活は成り立たない。ヨーロッパ諸国はルーブルを手に入れるようになり、ルーブルの価値は安定することになった。英米が画策したルーブルの価値下落によるロシア経済の破綻というシナリオは崩れた。

これが進んで(これを敷衍して考えると)、BRICsの共通通貨で支払うことを求めるようになれば、共通通貨の使い勝手を考えると(ブラジル、インド。中国、南アフリカともこれで決済ができる)、ドルに頼らないということになる。ドイツにとっての最大の貿易相手国は中国だ(日本もそうだ)。ロシアとのノルドストリームを通じての天然ガス取引が実質的に続けば、ドル覇権が脅かされることになる。
 こうした動きに敏感なのがサウジアラビアだ。現在のサウジアラビアはサルマン王太子がバイデン政権との不仲を理由に、これまで強固な同盟関係にあったアメリカの意向に逆らうような動きを見せている。「西側以外の国々(the Rest)」の仲間に入る姿勢を鮮明にしている。サウジアラビアは米ドルで石油を売るということをやってきた。アメリカは極端な話をすれば、「(打ち出の小槌のように)米ドルを刷れば石油が手に入る」(アメリカ以外の国々は米ドルを手に入れるために苦労しなければならない)ということであった。しかし、米ドルの信用が落ち、ドル覇権の崩壊の足音が近づく中で、西側以外の国々(the Rest)のリーダー国である中国に近づいている。中国の仲介受け入れて、イランとの緊張緩和を決定したのは象徴的な出来事だった。サウジアラビアとしては、BRICs共通通貨の出現を待っている状況なのだろう。そのためには米ドルが紙くずになる前に、自国の資産を保全するという動きに出るだろう。その一つが金(きん)の保有量を増やすことである。

金(きん)価格が高騰しているというのは日本でも報道されている。「新型コロナウイルスの感染拡大やウクライナ戦争といった不安定要素があるから金が買われているんだろう」ということが理由として挙げられている。しかし、それだけではない。米ドルの基軸通貨からの転落に備えての資産保全のために金が買われている。

 私たちは世界の大きな転換点に生きているということを改めて認識すべきだ。アメリカと米ドルがいつまでも強いという確固とした信念を持っている人はまずその信念について点検して、考え直した方が良い。

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ブリックス通貨はドルの支配を揺るがすことになるだろう(A BRICS Currency Could Shake the Dollar’s Dominance

-脱ドル化(De-dollarization)はついに来たのかもしれない

ジョセフ・W・サリヴァン筆

2023年4月24日

『フォーリン・ポリシー』誌

https://foreignpolicy.com/2023/04/24/brics-currency-end-dollar-dominance-united-states-russia-china/?tpcc=recirc_trending062921

脱ドル化の話が取り沙汰されている。先月、ニューデリーで、ロシア国家議会のアレクサンドル・ババコフ副議長は、ロシアが現在、新しい通貨の開発を主導していると述べた。この通貨はBRICS諸国による国境を越えた貿易に使用される予定だということだ。BRICS諸国にはブラジル、ロシア、インド、中国、そして南アフリカが含まれる。その数週間後、北京でブラジルのルイス・イナシオ・ルラ・ダ・シルヴァ大統領がこう言った。「毎晩のように、『なぜ全ての国がドルを基軸に貿易を行わなければならないのか(why all countries have to base their trade on the dollar)』と自問自答している」。

ユーロ、円、人民元といった個々の競争相手が存在する中で、ドルが最強の貨幣であるためにドルの支配が安定しているという説を、こうした動きは弱めている。あるエコノミストは、「ヨーロッパは博物館、日本は老人ホーム、中国は刑務所」と表現した。彼は間違ってはいない。しかし、BRICSが発行する通貨は、それとは異なる。BRICSの通貨は、新進気鋭の不満分子の新しい連合体のようなもので、GDPの規模では、覇者であるアメリカだけでなく、G7の合計を上回るようになっている。

ドル依存から脱却しようとする諸外国の政府の動きは、今に始まったことではない。1960年代から、ドル離れ(dethrone the dollar)を望む声が海外から聞こえてくるようになった。しかし、その話はまだ結果には結びついていない。ある指標によれば、国境を越えた貿易の84.3%でドルが使われているのに対し、中国人民元は4.5%に過ぎない。また、クレムリンの常套手段である嘘は、ロシアの発言に懐疑的な根拠を与えている。ババコフの提案に他のBRICS諸国がどの程度賛同しているかなど、現実的な疑問は山ほどあるが、今のところ答えは不明だ。

しかし、少なくとも経済学的な観点からは、BRICS発行の通貨が成功する見込みは新しいと言える。どんなに計画が時期尚早で、どんなに多くの現実的な疑問が残っていても、このような通貨は本当にBRICS加盟国の基軸通貨として米ドルを追い落とすことができるだろう。過去に提案されたデジタル人民元のような競合とは異なり、この仮想通貨は実際にドルの座を奪う、あるいは少なくとも揺るがす可能性を持っている。

この仮想通貨(hypothetical currency)を「ブリック(bric)」と呼ぶことにしよう。

もしBRICSが国際貿易に通貨ブリックのみを使用すれば、ドルの覇権(dollar hegemony)から逃れようとする彼らの努力を妨げている障害を取り除くことができる。こうした努力は、現在、中国とロシアの間の貿易における主要通貨である人民元のような、ドル以外の通貨で貿易を表記するための二国間協定という形で行われることが多い。障害となっているのは何か? ロシアは、中国からの輸入に消極的である。そのため、二国間取引の後、ロシアはドル建て資産に資金を蓄え、貿易にドルを使用している他の国々から残りの輸入品を購入したいと考える傾向がある。

しかし、中国とロシアそれぞれが貿易に通貨ブリックを使うだけなら、ロシアは二国間貿易の収益をドル建てで保管する必要はなくなるだろう。結局、ロシアは輸入品の残りをドルではなくブリックで購入することになる。つまり、脱ドル(de-dollarization)となるのである。

BRICSが貿易にブリックだけを使うというのは現実的な話なのか? その答えはイエスだ。

まず、BRICSは自分たちの輸入代金を全て自分たちで賄うことができる。2022年、BRICSは全体で3870億ドルの貿易黒字(国際収支の黒字としても知られる)を計上した。

BRICSはまた、世界の他の通貨同盟が達成することができなかった、国際貿易における自給自足のレヴェルを達成する態勢を整えている。BRICSの通貨統合は、これまでの通貨統合とは異なり、国境を接する国同士ではないため、既存のどの通貨統合よりも幅広い品目を生産できる可能性が高い。地理的な多様性がもたらすものであり、ユーロ圏のような地理的な集中によって定義される通貨同盟では、2022年には4760億ドルの貿易赤字が発生するという痛ましい事態が起きているが、自給自足の度合いを高めることができるのだ。

しかし、BRICSはその中だけで貿易を行う必要さえないだろう。それは、BRICSの各メンバーはそれぞれの地域で経済的な強者であるため、世界中の国々が通貨ブリックでの取引を希望する可能性が高いからだ。タイが中国と取引するためにブリックを利用せざるを得なくなったとしても、ブラジルの輸入業者はタイの輸出業者からエビを購入することができ、タイのエビをブラジルの食卓に並べ続けることができる。また、ある国で生産された商品を第三国へ輸出し、第三国から再輸出することで、二国間の貿易制限を回避することもできる。これは、関税のような新しい貿易制限を避けようとした結果である。アメリカが中国との二国間貿易をボイコットした場合、その子供たちは中国製の玩具で遊び続け、それがヴェトナムなどの国に輸出され、さらにアメリカに輸出されることになる可能性がある。

BRICS諸国の各政府が「ブリックを絶対に実現する(bric of bust)」ことを貿易条件として採用した場合、BRICS諸国の消費者に降りかかる絶対的に最悪なシナリオを、今日のロシアから予見することができる。アメリカやヨーロッパの政府は、ロシアの経済的孤立を優先してきた。しかし、一部の西側諸国の製品はロシアに流入し続けている。消費者にとってのコストは現実的だが、破滅的なものではない。BRICS諸国が脱ドル志向を強め、現在のロシアをその上限として、脱ドルのリスクとリターンのトレードオフがますます魅力的に見えるようになるであろう。

BRICS諸国の基軸通貨としてドルから変更するために、ブリックは貿易に使わない時に置いておける安全な資産も必要である。ブリックがそのようになるのは現実的なのだろうか? その答えはイエスだ。

まず、BRICSは貿易と国際収支が黒字であるため、ブリックは必ずしも海外からの資金を集める必要はないだろう。BRICSの各国政府は、自国の家計や企業が貯蓄でブリックの資産を購入するよう、飴と鞭を組み合わせて、事実上強制的に市場を出現させ、補助金を与えることができるようになる。

しかし、ブリック建ての資産は、実は海外投資家にとって非常に魅力的な特徴を持つことになる。世界的な投資家たちの資産としての金(きん)の大きな欠点は、分散投資としてのリスク低減効果があるにもかかわらず、金利が付かないことである。BRICSは金(きん)やレアアースのような本質的な価値を持つ金属を新通貨の裏付けとする予定だと言われているので、ブリック建ての利払い資産は、利払いのある金(きん)に似ていることになる。これは珍しい特徴だ。債券の利子と金の多様性の両方を求める投資家にとって、ブリック債は魅力的な資産となり得る。

確かに、ブリック債が単に金(きん)に利子がつくのと同じ効果があるものとして機能するためには、デフォルトのリスクが比較的低いと認識される必要がある。そして、BRICs諸国の政府債務でさえも、明らかになっていないデフォルトリスクがある。しかし、こうしたリスクは軽減することができる。ブリック建ての債務を発行する各国政府は、債務の満期を短くしてリスク性を下げることができる。投資家たちは、南アフリカ政府が「30年後」に返済してくれることを信用するかもしれないが、時間の単位が一年以内である場合、もしくは数年単位である場合はそうではない。また、価格に関しては、単純にそのリスクに対して投資家を補償することもできる。市場参加者がBRICsの資産を買うのに高い利回りを要求すれば、おそらくそれを得ることができるだろう。なぜなら、BRICS諸国政府はブリックの実行可能性に対価を支払うことをいとわないからだ。

公平を期すために、通貨ブリックは現実的に多くの問題を提起している。ブリックは主に国際貿易に利用され、国内での流通はない可能性が高いため、BRICS諸国の中央銀行の仕事は複雑になる。また、ヨーロッパ中央銀行のような超国家的な中央銀行を設立し、ブリックを管理することも必要である。これらは解決すべき課題だが、必ずしも乗り越えられないものではない。

BRICS加盟国間の地政学も茨の道である。しかし、BRICSの通貨は、利害が一致する明確な分野での協力を意味する。インドや中国のような国々は、安全保障上の利害が対立しているかもしれない。しかし、インドと中国は脱ドルという点で利害を共有している。そして、共有する利益については協力し、その他の利益については競争することができる。

通貨ブリックはドルの頭から王冠を奪うというより、その領土を縮小させることになるだろう。BRICSが脱ドルしても、世界の多くは依然としてドルを使用し、世界の通貨秩序は一極集中(unipolar)から多極化(multipolar)することになるだろう。

多くのアメリカ人は、ドルの世界的役割の低下を嘆く傾向にある。嘆く前に考えるべきだ。ドルの世界的な役割は、アメリカにとって常に両刃の剣(double-edged sword)である。ドルの価値を上げると、結果として、アメリカの商品とサーヴィスのコストが上がり、輸出が減少し、アメリカの雇用が奪われてしまう。しかし、アメリカ国内においては、アメリカに切り込む側の武器は研ぎ澄まされ、海外においてアメリカの敵に切り込む武器は鈍化するのであろう

ドルのグローバルな役割が、国内の雇用や輸出競争力を犠牲にしていることを、少なくとも2014年のコメントから理解しているのは、現在ホワイトハウス経済諮問委員会のトップであるジャレッド・バーンスタインだ。しかし、こうしたコストは、アメリカ経済が世界と比較して縮小するにつれて、時間の経過とともに増大する一方だ。一方、ドルの世界的な役割の伝統的な利点の中には、アメリカが金融制裁を利用して自国の安全保障上の利益を増進しようとする能力があることが指摘される。しかし、ワシントンは、21世紀におけるアメリカの安全保障上の利益は、中国やロシアのような国家主体との競争によってますます定義されると考えている。もしそれが正しいなら、そしてロシアに対する制裁の一定しない実績が示すように、制裁はアメリカの安全保障政策においてますます効果のない手段となっていくだろう。

BRICSの基軸通貨がドルに代わってブリックになった場合、その反応は多様で奇妙なものになるだろう。反帝国主義的な気質を持つBRICS諸国の高官、アメリカ連邦上院の共和党の一部、ジョー・バイデン米大統領のトップエコノミストからは、大きな拍手が送られそうだ。ドナルド・トランプ前米大統領と、彼がしばしば対立する米国の国家安全保障コミュニティからも、ブーイングが起こる可能性がある。いずれにせよ、ドルの支配が一夜にして終わることはないだろうが、ブリックが実現すれば、ドルの支配力が徐々に失われていくことになるのだ。

ジョセフ・W・サリヴァン:リンゼイ・グループの上級顧問。トランプ政権下のホワイトハウス経済諮問会議議長特別顧問・スタッフエコノミストを務めた。ツイッターアカウント:@TheMedianJoe
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