古村治彦です。
キッシンジャー論の3回目です。
(貼り付けはじめ)
ワシントンと北京の間の問題を解決するための賭けは、アメリカ人にとって理解するのが大変であるが、本質的にはかなり単純な話である。キッシンジャーは、「米中双方は、ある基本的な信念について同意しないことに同意する必要がある(The two sides need to agree to disagree about certain fundamental
beliefs)」と述べている。アメリカ人は人権と個人の自由への関与を決して放棄しないだろうし、中国人は広大な人口の安定を維持することに主眼を置き、人権や自由を軽視することを決して止めないだろう。道徳的、文化的な面では、これは両立しがたい膠着状態(stalemate)である。経済的な理由でも、外交的な妥協の見込みがあるに過ぎない。中国は、アメリカの知的財産(intellectual property)を徹底的に盗み、開かれたアメリカ市場を濫用し、国家からの補助金による安価な製品で溢れかえっている。ジョージ・W・ブッシュ政権のもう1つの大きな失敗は、これを阻止するためのWTO「反サージ(anti-surge、圧力緩和)」規則の発動を怠り、トランプの貿易戦争は、こうした慣行に何の進展ももたらさなかった。その行き先はどうなるか?
泥沼にはまる。キッシンジャーが言うように、冷戦時代の緊張緩和、デタント(ヴェトナム戦争で疲弊し、スタグフレーションに見舞われたアメリカは、イデオロギー的な十字軍を遂行できる状態ではなく、モスクワと武器抑制を交渉しながら北京と合意した)に似た「共存の現実的な概念(pragmatic concept of coexistence)」を見つけることである。外交的には圧力をかけ続けるが、賢明な外交官が常に行ってきたように、根本的な問題はごまかす。なぜなら、南シナ海での絶え間ない紛争と戦争、そしてその結果としての核戦争という選択肢はありえないからだ。キッシンジャーは、「曖昧さは時に外交の生命線となる(Ambiguity is sometimes the lifeblood of diplomacy)」と述べている。
キッシンジャーとモーゲンソーが予見していたもう1つの問題は、民主政治体制がポピュリスト化すればするほど、信頼できる外交政策ができなくなるということだ。モーゲンソーは、後にヴェトナム戦争への反対を理由にキッシンジャーと決別したが、特にポピュリスト的民主政治がプロの外交に与える影響を見抜いていた。この影響は、トランプ政権において顕著であるが、慎重な姿勢を貫いたオバマ政権やジョージ・H・W・ブッシュ(父)政権にも影響を与えた。キッシンジャーは2001年の著書『アメリカには外交政策が必要か?(Does America Need a Foreign Policy?)』や、2018年の『アトランティック』誌の記事でこのテーマを取り上げ、ギューエンはその内容について「アメリカ国民の教育者を自任する者としての最後の授業(final lesson as a self-appointed educator of the American public)」と表現している。サイバースペースが成長することで、「世界秩序の見通しについて、ますます後退するホッブズ的自然状態と同一視される無政府状態(anarchy)が拡大する。そして、世界のコンピュータ化は、よくても合理的判断に有害で、最悪でも悲惨な、ある種の無責任な思考を促すことになるだろう」とキッシンジャーは認識していた、とギューエンは述べている。
2人がワシントンでの連邦上院軍事委員会で証言を行う前、ジョージ・シュルツ元米国務長官がキッシンジャーの見守る中、「戦争犯罪でヘンリー・キッシンジャーを逮捕せよ」と叫ぶ抗議者たちを押しのけている。
このように評価することで、キッシンジャーは、彼を非難する多くの人々が信じがたいような一面を見せたと、ギューエンは書いている。ヒューマニストとしてのキッシンジャー
サイバースペースにおけるアルゴリズムとデータの蓄積は、それが健全なものであれ、そうでないものであれ、良識(good
common sense)の基盤を崩し、破壊する可能性が高い。「外交政策を成功させるには、何よりも未来を感知し、それによって未来を支配する直感的な能力が必要である」とキッシンジャーは主張した。将来の落とし穴を予測し、神の摂理(providence)よりも現実的な常識に頼ることは、アメリカ人が学び続けなければならないことだ。理神論的な建国の父たち(deistic Founders)でさえも神の摂理を味方につけたし、レーガンのような後世のアメリカの指導者たちも、自分たちは神の意思(the will of God)を実現するのだと信じていた。キッシンジャーは、レーガンのソビエトに対する原則重視の姿勢(principled stand)を賞賛したが、皮肉にも、彼が尊敬する初期のリアリスト、オットー・フォン・ビスマルクの言葉を引用して次のように述べた。「政治家にできる最善のことは、神の足音を聞き、その外套の裾を持って、数歩後を神とともに歩むことだ」。キッシンジャーが主張したのは神ではなく、「形而上学的な謙虚さ(metaphysical humility)」であり、「単なる人間が国際問題という危険なゲームに参加する際に、知るべきことを全て知ることはできないという理解(an understanding that mere humans would never know all they needed
to know as they engaged in the dangerous game of international affairs)」だったとギューエンは書いている。
確実性の欠如(lack of certainty)という言葉は柔らかすぎるように聞こえるが、更に悪いのは、強硬で妥協ができないことだ。換言すれば傲慢であること(arrogant)になる。傲慢さ(hubris)、謙虚さの欠如(lack of humility)、過剰な道徳偏重(excess of
moralizing)が、ヴェトナムとイラクへの侵攻というアメリカ近代外交史上最悪の惨事を招いた。ギューエンが詳しく分析しているヴェトナム戦争とイラク戦争に至るまでの議論を詳細に検討すると、アメリカの政策立案者たちが神から与えられたアメリカの大義の正しさ(God-given righteousness of America’s cause)を過信していることがわかる。(ブッシュがイラク侵攻の最終的な説得に使った悪名高い言葉は「私たちが称賛する自由はアメリカからの世界への贈り物ではなく、神から人類への贈り物だ(The liberty we prize is not America’s gift to the world, it is God’s
gift to humanity)」だ)。保守派の多くが確信しているように、ロナルド・レーガンは冷戦に勝利したのだろうか?
緊張緩和(détente、デタント)とは対照的なレーガンの対決的アプローチには、「推奨すべき点が多くあった」とキッシンジャーさえも認めている。しかし、レーガンは幸運だった。40年にわたる戦略的忍耐(strategic patience)、すなわち封じ込め政策が実を結んだ時にたまたまその場にいたのがレーガンだった。レーガン自身、自分がいかに幸運かを分かっていたに違いない。ソ連の体制が内部崩壊しつつあるにもかかわらず、大統領2期目においては、強硬派を困惑させながらも、モスクワと軍縮交渉を必死に行っていたのだから。キッシンジャー自身、冷戦はゆっくり着実に進めば最終的に勝利することを誰よりもよく予見しており、封じ込めの父ケナンも、キッシンジャーは「国務省内部の誰よりも私の考えを理解しているのがキッシンジャーだ」と発言したことがあるほどだ。
最後に、私たちの前にある選択肢は私たちが考えるほど難しいものではない。キッシンジャーはウィルソニアン的な行き過ぎを嘆いた。しかし、ウィルソニアン的な考えが現在でもアメリカの外交政策の基盤となっていることを認めた。ウィルソン主義派が、アメリカの主権とハードパワーは常に神聖なものであるという考えを受け入れ、アメリカ第一主義派が、アメリカが作り上げた自由主義的国際秩序は欠陥があるものの、アメリカが敵対者ではなく保護者であり続けるだろうという考えを受け入れれば、両派の間での合意は可能だろう.その理由は、アメリカの覇権(U.S. hegemony)が国際社会の多数派のコンセンサスを得ていること、また、アメリカの軍事力が依然として優位にあるため、北京やモスクワなどのライヴァルが自分たちで独自の勢力圏を形成するのを阻止するのに役立っていることだ。キッシンジャーは、「アメリカの覇権を公然と追求することはうまくいかない。なぜなら、国際秩序は、それが公正であると見なされなければ存続できないからだ」と書いている。彼は更に次のように書いている。「アメリカの外交政策における支配的な傾向は、権力を合意(consensus)に変え、国際秩序が消極的な黙認(reluctant
acquiescence)ではなく、賛成(agreement)に基づくようにすることである」。その支配力はぼろぼろだが、この国際秩序の主唱者であるアメリカは、この点ではまだ優位な立場にある。また、キッシンジャーは「私たちの目標は、多元的な世界を、破壊的ではなく、創造的にすることができる道徳的合意を構築することである」と書いている。この課題は今日、より大きなものとなっている。
※マイケル・ハーシュ:『フォーリン・ポリシー』誌コラムニスト。著作に『資本の攻勢:ワシントンの賢人たちは如何にしてアメリカの未来をウォール街に託したか(Capital Offense: How Washington’s Wise Men Turned America’s Future
Over to Wall Street)』『私たち自身との戦争において:アメリカはどうしてより良い世界を築くチャンスを無駄にしているのか(At War With Ourselves: Why America Is Squandering Its Chance to
Build a Better World)』の2冊がある。ツイッターアカウント:@michaelphirsh
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(終わり)

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