古村治彦の政治情報紹介・分析ブログ

SNSI研究員・愛知大学国際問題研究所客員研究員の古村治彦のブログです。翻訳と評論の分野で活動しています。日常、考えたことを文章にして発表していきたいと思います。古村治彦の経歴などについては、以下のアドレスをご覧ください。http://soejimaronbun.sakura.ne.jp/goaisatsu.html 連絡先は、harryfurumura@gmail.com です。よろしくお願いします。

タグ:人質事件

 古村治彦です。

 

 アメリカのCIAが冷戦期、世界各国でスパイ活動をしていたことはよく知られています。小説や映画に題材として数多く取り上げられてきました。また、反米的(と目されるばあいも含めて)、もしくは共産主義的な国家指導者や国家体制を転覆させるために、その国の軍部やゲリラなどに資金や武器を渡して、暗殺やクーデターを起こさせていたということはよく知られていました。しかし、アメリカ政府は、公式には、そうした暗殺事件やクーデターへの関与を否定していました。

 

 1953年、イランでは民主的に選ばれたムハマンド・モサデグ首相に対するクーデターが発生しました。そして、親米的なシャーによる王政が1979年のイラン革命まで続きました。1979年、有名なホメイニ師が主導するイラン革命によって、イランの王政は倒され、イスラム共和国が誕生しました。イラン革命の際、テヘランのアメリカ大使館に大学生たちが乱入し、大使館員などを人質にして占拠する、イラン人質事件が起こりました。人質事件はカーター政権内部に解決方法を巡って亀裂を生み(ヴァンス国務長官とブレジンスキー大統領国家安全保障問題担当補佐官の対立とヴァンスの辞任)、大きなダメージを与え、カーターは次の大統領選挙でロナルド・レーガンに敗れました。イラン革命以降、アメリカとイランは国交を断絶し、アメリカはイランの隣国イラクの独裁者サダム・フセインをけしかけてイラン・イラク戦争を起こさせました。

 

 イランの歴史に置いて大きな出来事であるモサデク首相に対するクーデター事件ですが、CIAの関与はほぼ間違いないと言われながら、アメリカ政府は公式に否定してきました。しかし、バラク・オバマ大統領がCIAの関与を認め謝罪し、また、最近、機密解除文書の公開によって、残された電報などから、CIAが関与していたということが明らかになりました。

 

 CIA本部はクーデターの試みが失敗したこともあって、クーデターに参加するなとイラン支局に電報を送っていましたが、現地では命令を無視し、結局、クーデターが成功してしまいました。現地の命令無視・独断専行があったということで、このことまでは推定されていましたが、それを示す証拠が出てきたということが重要です。

 

 また、1950年代に聖職者であり、政治家でもあったカシャニ師がモサデク追い落としに関与し、また、アメリカからの資金援助を要請していたということが明らかにされました。カシャニは現在でもイラン国内で尊敬を集めている人物ですが、そのような人物がアメリカからの援助を求めていたということはイランにとっては隠しておきたい事実だろうと思います。

 

 このように何十年経っても公文書が残されていれば、いつかは事実は明らかにされます。最近の日本の政治状況を見ていると、公文書を残しておくということの重要性を軽視しているように思います。この点はアメリカを見習うべきであろうと思います。

 

(貼り付けはじめ)

 

64年経過して、CIAはついにイランでのクーデターに関する詳細を公開(64 Years Later, CIA Finally Releases Details of Iranian Coup

―新たに公開された文書によって、CIAが如何にして失敗に終わりかけていたクーデターへの参加を取り消そうとしていたか、そして、最後の最後である従順ではない一人のスパイによってクーデターが成功に導かれたが明らかにされた。

 

ベンサニー・アレン=エイブラヒミアン筆

2017年6月20日

『フォーリン・ポリシー』誌

http://foreignpolicy.com/2017/06/20/64-years-later-cia-finally-releases-details-of-iranian-coup-iran-tehran-oil/

 

機密解除された文書が先週公開された。これによって、1953年に発生したイラン首相ムハンマド・モサデクを追い落としたクーデターにおいて、中央情報局(CIA)が中心的な役割を果たしたことが明らかになった。このクーデターは、イランのナショナリズムの火に油を注ぎ、1979年のイラン革命を生み出し、21世紀になってもアメリカ・イラン関係を損ない続けている。

 

約1000ページの文書によって初めて、CIAが如何にして失敗に終わりそうであったクーデターへの参加を取り消そうとし、イラン国内にいる従順ではない一人のスパイによって最後の最後で成功に導かれたということが明らかにされた。

 

CIAの計画はエイジャックス作戦として知られている。CIAの計画は究極的に石油確保を目的とするものであった。西側の企業は長年にわたり、中東地域の石油生産と底からの富をコントロールしていた。サウジアラビアのアラビアン・アメリカン石油会社、イランのアングロ・イラニアン石油会社(イギリス)といった石油企業がコントロールしていた。1950年末、サウジアラビアのアラビアン・アメリカ石油会社は圧力に屈し、石油からの富をサウジアラビア政府と折半することになった。この時、イラン国内のイギリスの持つ石油利権もサウジアラビアでの先例にならうようにという厳しい圧力に晒されていた。しかし、イギリス政府は断固として拒否した。

 

1951年初め、人々の熱狂的な支持の中、モサデクはイランの石油産業を国有化した。激怒したイギリス政府は、モサデクの排除とシャーによる王政の復活のために、アメリカの情報機関と共謀し、計画を練り始めた。しかし、新たに公開された電報が示すところでは、アメリカ国務省の一部には、対立に対するイギリスの非妥協的な態度を非難し、モサデクとの協力を模索する人々がいた。

 

クーデターの試みは4月15日に開始されたが、迅速に鎮圧された。モサデクは関係者を逮捕した。共謀の首謀者であるファズラウ・ザヒィーディー将軍は身を隠し、シャーは国外に逃亡した。

 

CIAはクーデターの試みは失敗すると確信しており、クーデターへの参加を取り消すことに決定した。

 

新たに公開された文書によると、1953年8月18日にCIA本部はイラン支局長に次のような内容の電報を送った。「作戦は試され、そして失敗した。私たちはモサデクに敵対するいかなる作戦にも参加すべきではない。モサデクに敵対する作戦は継続されるべきではない」。

 

ジョージ・ワシントン大学のアメリカ安全保障アーカイヴでアメリカ・イラン関係プロジェクトの責任者を務めるマルコム・バーンは、「CIAのイラン支局長カーミット・ルーズヴェルトは、この電報を無視した」と述べている。

 

バーンは本誌に次のように語った。「カーミット・ルーズヴェルトが電報を受け取った時、部屋にはもう一人の人物がいた。この時、ルーズヴェルトは、“ダメだ、俺たちはここで何もやっていない”と述べた」。ルーズヴェルトはCIA本部からのクーデターの試みを中止するようにという命令を実行しなかったことは既に知られていた。しかし、電報自体とその内容については知られていなかった。

 

ルーズヴェルトの決断の結果は重大であった。電報を受け取った翌日の1953年8月19日、クーデターは成功した。CIAの援助によって準備されたと考えられてきた、「金を支払われていた」群衆の助けがあった。イランの民族主義の英雄モサデクは投獄され、西側に友好的なシャーの下での王政が復活した。アングロ・イラニアン石油(後にブリティッシュ・ペトロレアムに改名)は油田を回復しようと努めた。しかし、この努力は実を結ばなかった。クーデターは成功したが、外国の石油のコントロールの回復に対するナショナリストからの反撃は過激となった。ブリティッシュ・ペトロレアムやその他の石油メジャーはイラン政府と石油からの利益を分け合うことになった。

 

エイジャックス作戦はイランの保守派にとっては亡霊であった。しかし、これはリベラル派にとっても同様であった。クーデターは反西洋感情の炎に風を送った。ナショナリズムの最高潮が1979年に発生したアメリカ大使館人質事件、シャーの廃位、「大悪魔」に対するイスラム共和国の創設となった。

 

クーデターによってイラン国内のリベラル派も排除された。モサデクはイラン史上、民主的な指導者というものに最も近付いた人物であった。モサデクは民主的な諸価値を明確に称揚し、イラン国内に民主政治体制を確立したいという希望を持っていた。選挙を経て構成された議会がモサデクを首相に選出した。首相という職を利用して、モサデクはシャーの力を削いだ。その結果、この時期のイランは、ヨーロッパで発展した政治的伝統に最も近付いた。しかし、更なる民主的な発展は8月19日に窮地に陥った。

 

アメリカ政府は長年にわたり、クーデターへの関与を否定してきた。国務省は1989年にクーデターに関連した文書を初めて公開した。しかし、CIAの関与を示す部分は編集していた。人々の怒りを受けて、政府はより完全な文書を公開することを約束した。そして、2013年に文書が公開された。2年後、機密解除された文書の最終的な公開の予定が発表された。バーンズは、「しかし、イランとの核開発を巡る交渉のために準備が中断され、公開予定は遅れることになった」と述べている。文書は先週、最終的に公開された。CIAの電報の原本は紛失、もしくは廃棄されたものと考えられていた。

 

バーンは、公開が大幅に遅れたのはいくつかの要素のためだと述べた。バーンは、 情報機関は常に「材料と方法」を防御することに懸念を持つものだ、と語る。「材料と方法」とは、最前線で作戦実行を可能にする秘密のスパイ技術を意味する。CIAはイギリスの情報機関との関係を守る必要にも迫られていた。イギリスの情報機関は諜報に必要な人材などを守りたいと考えていたはずだ。

 

 

スタンフォード大学のイラン学教授アッバス・ミラニは、新たに公開された文書によって、CIAの関与以上に興味深い事実が明らかにされた、と述べている。聖職者のアボル=ガセム・カシャニ師の政治における指導的役割の詳細が明らかにされた。カシャニは1950年代に聖職者であり、指導的な政治家として活動した。

 

イスラム共和国では、聖職者は常に善玉である。カシャニはこの時期におけるナショナリズムの英雄であった。今年1月、イランの最高指導者は石油の国有化におけるカシャニの役割を賞賛した。

 

カシャニが最終的にモサデクと分裂したことは広く知られている。イラン国内の宗教指導者たちは共産主義のドゥデー党の台頭に恐怖感を持っていた。そして、モサデクは社会主義勢力の脅威から国を守るには弱すぎると確信していた。

 

新たに公開された文書によると、カシャニはモサデクに反対していただけではなく、クーデターまでの時期、アメリカ側と緊密に連絡を取り合っていたことが明らかになった。カシャニはアメリカからの財政的な援助を求めていた。しかし、彼が実際に資金を得ていたことを示す記録は残っていない。カシャニの要求はこれまで知られてこなかった。

 

ミラニは次のように語っている。「クーデターの成功を左右する日となった8月19日、カシャニの存在は重要であった。カシャニの武装勢力は完全武装してモサデク打倒のために出動した」。

 

(貼り付け終わり)

 

(終わり)





野望の中国近現代史
オーヴィル・シェル
ビジネス社
2014-05-23




アメリカ政治の秘密
古村 治彦
PHP研究所
2012-05-12




野望の中国近現代史
オーヴィル・シェル
ビジネス社
2014-05-23

 

 古村治彦です。

 

 イスラム国によって日本人2人が拉致され、殺害された事件を受けて、安倍晋三内閣の菅義偉官房長官が会見で大変重要な発言しました。下に貼り付けたロイター通信の記事をまずお読みください。

 

 会見内容で衝撃だったのは、「身代金を用意していたかについて記者から問われ、「それは全くない。100%ない」と明確に否定した。さらに、イスラム国と交渉する気は「全くなかった」と述べた」という部分です。これはつまり、日本政府はイスラム国と交渉していなかったということです。

 

 これまで「政府が懸命に交渉しているのだから邪魔をしてはいけない」から「政府や安倍首相を批判することはテロ擁護でありテロ行為だ」という極端な主張までなされてきました。しかし、日本政府はイスラム国と交渉する訳でもなく、代理で交渉してもらう人には「交渉の結果、ある程度の金額で解決できるならお願いします」と言えるようにするために、ある程度のお金を用意しておくべきなのに、それすら用意していませんでした。

 

 それでは政府関係者が東奔西走している様子をマスコミに取材させていたことは一体なんだったのでしょうか?また、安倍首相と菅官房長官は、「テロに屈しない」ということを壊れたラジオのように繰り返すだけでしたが、「国民を助けるために何もしないこと」=「テロに屈しない(イスラム国にお金を渡さない=アメリカのネオコンや人道主義的介入派のご機嫌を取ること)」とでも考えていたのでしょうか。

 

 今回の事件については事後検証が重要です。「終わってしまったことをほじくり返しても仕方がないじゃないか」では済まない問題です。二度とこのような悲劇を繰り返さないために、徹底した事後検証が必要です。

 

 しかし、今回の菅官房長官の発言は大変重要です。それは、「結局、日本政府と安倍政権は、国民を救うために何もしなかった」と認めた内容だからです。私は、このような、国民を見殺しにするような安倍晋三政権を支持することはできません。内閣総辞職を要求したいと思います。

 

(新聞記事転載貼り付けはじめ)

 

●「菅官房長官「身代金用意せず」、イスラム国との交渉を否定」

 

ロイター通信電子版2015 02 2 17:08

http://jp.reuters.com/article/topNews/idJPKBN0L60JI20150202

 

[東京 2日 ロイター] - 菅義偉官房長官は2日午後の会見で、過激派組織「イスラム国」とみられるグループに日本人2人が殺害された事件に関して、政府としては身代金を用意せず、犯人側と交渉するつもりはなかったことを明らかにした。

 

イスラム国は1月20日にインターネット上に投稿した映像の中で、拘束していた湯川遥菜さんと後藤健二さん解放の条件として、身代金2億ドルを要求していた。菅官房長官は会見で、身代金を用意していたかについて記者から問われ、「それは全くない。100%ない」と明確に否定した。さらに、イスラム国と交渉する気は「全くなかった」と述べた。

 

今回の事件を受けて、政府は3日、「国際組織犯罪等・国際テロ対策推進本部」の会合を開催し、国際テロへの対抗策などを検討する。菅官房長官は事件をめぐる政府の対応について、まず政府内で検証を行い、有識者の意見も聞く可能性にも触れた。

 

(梅川崇)

 

(新聞記事転載貼り付け終わり)

 

(終わり)









 

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アメリカ政治の秘密
古村 治彦
PHP研究所
2012-05-12




野望の中国近現代史
オーヴィル・シェル
ビジネス社
2014-05-23

 

 古村治彦です。

 

 今朝、イスラム国に捕らわれていたジャーナリストの後藤健二さんを殺害した様子を撮影したと見られる映像がインターネット上に公開されました。これによって、先日、殺害されたとみられる会社経営の湯川遥菜さんと合わせて、2名の日本人がイスラム国によって殺害されました。

 

 最悪の結果となってしまいました。湯川さん、後藤さんのご冥福をお祈りするとともに、ご家族、ご友人の皆様に心からお悔やみを申し上げます。イスラム国の蛮行については、憤りを感じます。無力な一国民でありますが、湯川さんと後藤さんを生還させられなかったことに悔悟の念を禁じ得ません。

 

 今回の人質事件の概略を時系列順に簡単に書きます。湯川さんは民間軍事会社の経営を目指して、危険なシリアに入国し、そこでイスラム国に拘束されてしまいました。この事件が起きたのが2014年8月16日のことでした。在日本シリア大使館(現在はヨルダンに設置)は現地対策本部を立ち上げました。その後、解放に向けた交渉が行われたようですが、うまくいかなかったようです。

 

 後藤さんが湯川さん救出も含めて情報を求めるために、シリアに入国したのが2014年10月25日頃のことで、そのすぐ後から連絡が取れない状況になっていました。2014年12月の段階で、後藤さんの留守家族の許に、身代金として約20億円の支払いを求める連絡があり、日本政府は非公開の形で対策本部を立ち上げました。しかし、湯川さん、後藤さんの解放に向けた動きに進展がありませんでした。

 

 事態が急変したのは、2015年1月20日です。安倍晋三首相が2015年1月16日から17日までエジプト、17日から18日までヨルダン、18日から20日までイスラエルを訪問しました。その際に、イスラエルで、中東諸国に対して2億ドル(約240億円)の援助を行うと表明しました。その中で「イスラム国と戦う周辺諸国」という発言をイスラエル国旗と日本国旗の前でしてしまったことがイスラム国を刺激したのではないかと指摘されています。

 

 2015年1月20日にイスラム国の関係者と見られる、イギリス訛りの流暢な英語を話す人物が、後藤さんと湯川さんを跪かせながら、「2億ドルを身代金として支払え」と要求する動画をインターネット上に公開され、大騒ぎとなりました。日本はヨルダンに対策本部設置しました。しかし、「テロには屈しない」という態度は崩さないことを決めていたために、解放交渉は困難を極めた(ほぼ何もできなかった)ようです。1月24日に後藤さんが殺害された湯川さんの写真を手にしている映像が公開されました。そして、後藤さんの解放条件が変更になり、自爆テロを起こし、イラクのアルカイーダの創設メンバーである、ヨルダンで死刑判決を受け拘留中のサジダ・アル・リシャウィの解放を条件としてきました。ヨルダン側はイスラム国への空爆に参加した際に撃墜された、ヨルダン軍パイロットのモアズ・カサスベ中尉の解放を求め、交渉が続けられてきました。しかし、本日未明に最悪の結果がもたらされました。

 

 今回の事件は奇妙な感じを受ける事件でした。イスラム国は無理無体な要求(2億ドル)と交渉をもっと複雑化させる条件(日本の主権が及ばないヨルダンに拘束されている死刑囚の解放)という、ある意味で荒唐無稽な条件を出してきました。また、日本側はイスラム国と何のパイプもなく、イスラム国とパイプがある人材を日本から動けないようにするなど、両方ともに解決に向けて動きが鈍い、まるで最初から殺害ありきのような動きばかりであったと私は感じています。

 

 また、「副島隆彦の学問道場」や同僚の中田安彦氏のブログなどを参照していただけると分かりますが、今回の件はイスラエル右派(ネタニヤフ首相)とアメリカのネオコン(ジョン・マケイン上院議員など)に日本が巻き込まれたという側面もあります。日本がアメリカ主導の「テロとの戦い(War on Terror)」に引きずり込まれたということです。

 

 今回の人質事件に関しては、安倍首相と自民党政権を擁護するための自己責任論(安倍首相には責任がない)とする主張もインターネット上で数多くなされてきました。自衛隊派遣(派兵)の条件を緩和せよという主張もありました。

 

 しかし、武力によって国際門は解決できません。特に非国家主体を相手にする場合には際限のない泥沼に陥ることになります。戦争は国際紛争を解決する一手段ですが(日本は日本国憲法によって戦争を放棄しています)、国家間同士の戦争であれば、始まりから終わりまで、ルールに則り行われます(実態はそういう例の方が少ないのですが、建前上はそうなっています)。しかし、国家と非国家主体との間の「戦争」となると、ルールはないのですから、始まりが何かも(宣戦布告[declaration of war]する相手がそもそもいません)分かりませんし、終わりが何かも(講和条約[peace treaty]を結ぶ相手がそもそもいません)分かりません。また、捕虜の取り扱いなどもルールがないのですから、残虐なものとなります。その象徴がグアンタナモ基地です。「相手はテロリストなのだから何をしても良い」ということになり、拷問が加えられています。そうなると憎悪の連鎖は留まるところを知らず、もっとエスカレートしていきます。にほんはそうした憎悪の負の連鎖に巻き込まれ、泥沼に引きずり込まれようとしています。

 

 安倍総理大臣は事件の一報を受け、「湯川さんに続いて、後藤さんを殺害したとみられる動画が公開された。ご家族のご心痛を思うとことばもない。政府として全力で対応してきたが、誠に痛恨の極みだ。非道、卑劣極まりないテロ行為に強い怒りを覚える。テロリストたちを決して許さない。その罪を償わさせるために国際社会と連携していく。日本がテロに屈することは決してない。食糧支援、医療支援などの人道支援をさらに拡充していく。テロと戦う国際社会において、日本としての責任をき然として果たしていく」と発言しました。

 

私は前半部は当然の発言であると思いますが、後半の「テロリストたちを決して許さない。その罪を償わさせるために国際社会と連携していく。日本がテロに屈することは決してない。食糧支援、医療支援などの人道支援をさらに拡充していく。テロと戦う国際社会において、日本としての責任をき然として果たしていく」と言う部分は大変危険であり、憎悪の連鎖に自ら飛び込んでいく発言であると思います。テロリストたちに「罪を償わせる」と言いますが、日本の主権が及ばない土地で(テロリストたちを逮捕することもできない)、具体的にはどのように行うのでしょうか。

 

 これは簡単に言えば、「イスラム国と戦っている軍隊に対して支援を行うことで、代わりに仇を討ってもらう」という発想であり、そのためにお金を出すということですし、必要なれば自衛隊も、中東地域でなくても派遣(派兵)するということだと思います。

 

 こうした憎悪を利用した対外問題に対する姿勢は、戦前とそっくりです。自ら泥沼にはまりに行った日中間の15年にも及ぶ戦争と同じです。安倍首相の発言は、「暴戻支那ヲ膺懲ス(ぼうれいしなをようちょうす)」「鬼畜米英、暴支膺懲(きちくべいえい、ぼうしようちょう)」と言った戦前のスローガンと同じです。沸点の低さとすぐに挑発に乗って相手よりも激烈な調子の挑発をしてしまうのは、安倍首相の「幼児性」も原因でありますが、日本全体の「程度」が下がっていると言えると思います。

 

 世界の紛争地域での取材を重ねた後藤さんはもちろんのこと、田母神俊雄氏を応援していた湯川さんもまた現地の悲惨な状況を見て、人道的支援をしたいとお父上に話をしていたそうです。戦場の悲惨さを知る人ほど、勇ましいことなど言わないものです。私たちは冷静になって、お二人のご冥福をお祈りしつつ、憎悪の連鎖を断ち切ることが出来るような武力行使以外の解決策を模索する方向に進むべきだと思います。

 

(終わり)








 
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