古村治彦(ふるむらはるひこ)の政治情報紹介・分析ブログ

SNSI研究員・愛知大学国際問題研究所客員研究員の古村治彦(ふるむらはるひこ)のブログです。翻訳と評論の分野で活動しています。日常、考えたことを文章にして発表していきたいと思います。古村治彦の経歴などについては、お手数ですが、twitter accountかamazonの著者ページをご覧ください 連絡先は、harryfurumura@gmail.com です。twitter accountは、@Harryfurumura です。よろしくお願いします。

タグ:保守傍流

 古村治彦です。

 岸田文雄首相は第一次補正予算案を発表した。予算規模は36兆円となり、新たに22兆円の国債を発行する。新型コロナウイルス感染拡大対策として、子どもがいる世帯への給付金とレストランなどへの支援が主な柱だ。新型コロナウイルス感染拡大が日本では他国に比べて抑えられており、その理由はまだ定かではないが、イヴェントの制限緩和や飲食店での飲食の制限緩和などが行われている。

 海外で感染者数が増えている国が多い中で、日本は感染者数を抑えて少しずつではあるが、以前に近い生活を行えるようになりつつある。そうした中で、「大規模な財政支出を行う必要があるのか、日本はそんなことをしなくても普通に戻っていくのだからしなくても良いのではないか」という主張があるようだ。しかし、日本経済も大きく傷ついており、財政出動は必要な施策だ。

 岸田首相は10月31日の総選挙で議席を多少減らしたものの、自公で300議席近くを確保して一応の勝利ということになり、党内基盤は固まった。甘利明幹事長は小選挙区で落選したために、幹事長を辞任した。3A(麻生太郎、安倍晋三、甘利明)の一角が崩れた。安倍晋三元首相は細田博之代議士が衆議院議長になったことで派閥を継承して安倍派となった。自民党内最大派閥の領袖となり、すっかり「元老」気取りで、岸田首相にあれやこれやと「指南」しているようだ。岸田首相とは当選同期という気安さもあると思われる。岸田首相は慇懃に対応しているようだ。慇懃さや丁寧さは宏池会の真骨頂だろうが、保守傍流はそれを「バカにされている」と毛嫌いしてきたが、安倍首相にはそれを感得する力はないようだ。

 安倍元首相が自民党総裁選挙で支援した高市早苗代議士は自民党政調会長に起用されたが、早速「蚊帳の外」に置かれているようだ。親分の安倍元首相がしゃしゃり出てきては動きづらいだろう。しかし、どうも自民党内の「安部派包囲網・大宏池会再結成」の動きも影響しているようだ。麻生太郎副総裁が勇退で、麻生派が河野太郎に禅譲となり、河野派ということになる。河野太郎も父河野洋平も元々は宏池会に属していた。河野洋平の父河野一郎は鳩山一郎派を受け継ぎ、河野一郎派を作っていた。それが中曽根康弘派となった。河野洋平は中曽根派を飛び出し、更には自民党を離党して新自由クラブを結成した。その後は自民党に戻ったが、中曽根派には戻らずに宏池会に参加した。河野派は宏池会と協力関係になれば、大宏池会実現に向けた第一段階ということになる。

 安倍派は安倍晋三元首相がまだ年齢が若いので、しばらくは派閥の領袖の座を譲ることはない。しかし、若手では福田達夫総務会長が控えている。安部派は、元は福田赳夫派だったこともあり、「福田派に戻せ」という動きも出てくるだろう。

 保守傍流に対して、「寛容と忍耐」「隠忍自重」で耐えしのいできた保守本流の動きがこれから重要になるが、それはまたアメリカがそのように動いてよいと許可を出しているからということでもある。アメリカを見ていないと日本政治を理解することは難しい。

(貼り付けはじめ)

●「自民・高市氏、存在感乏しく 意思決定、蚊帳の外?」

12/2() 7:10配信

時事通信

https://news.yahoo.co.jp/articles/711bdf0ff829a8c0bfe18f2a0d5483b1f6316531

 自民党の高市早苗政調会長の存在感が乏しくなっている。

 9月の党総裁選で保守派の論客として注目を集めたが、衆院選直後の給付金に関する与党調整をめぐり、岸田文雄首相(党総裁)は茂木敏充幹事長に全面委任。定例化しつつある党最高幹部の会合にも高市氏は加わっていない。背景には首相の警戒感もあるようだ。

 高市氏は総裁選の1回目の議員票で2位に食い込んだ。政調会長に就くと、古屋圭司元国家公安委員長ら保守系を政調幹部に起用。衆院選公約には敵基地攻撃能力の保有や憲法改正など「高市カラー」を随所にちりばめた。

 一方、衆院選後は埋没気味だ。定例の記者会見を設定していないため発信の機会がそもそも少ないが、総裁選で争い、政策面で差のある首相との距離感も影響している可能性がある。

 岸田政権発足後、高市氏が首相と個別に協議したのは、確認された範囲で107日が最後。先週、党本部で開かれた「新しい資本主義実行本部」の初会合に首相と茂木氏が出席する中、高市氏の姿はなく、「首相肝煎りの会議に顔を見せないとは」(岸田派ベテラン)との声が上がった。

 ◇首相「トロイカ」重視

 これに対し、首相は麻生太郎副総裁、茂木氏と11月だけで3回会談。松野博一官房長官を加えた4者会合も1回開いた。党関係者は首相の意図について「高市氏の独走を懸念している」と明かした上で、それぞれ派閥を率いる麻生、茂木両氏との「トロイカ体制」には「高市氏を押さえ込む狙いがある」との見方を示した。

 「さまざまな意見を聞いてベストな財政政策を発信したい」。高市氏は121日、積極財政派が中心となる党財政政策検討本部の役員会でこう訴えた。

 役員会には高市氏の後ろ盾の安倍晋三元首相も出席。日本の失業率は低水準だと指摘し、「積極的な財政出動の成果だ。しっかり議論し、政府の政策に資するものにしたい」と強調した。今後、安倍、高市両氏の要求が強まれば、首相が苦慮する場面も出てきそうだ。

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●「安倍元首相、辞任後初めて官邸へ 岸田首相、エントランスで出迎え」

小手川太朗20211130 1533

朝日新聞

https://www.asahi.com/articles/ASPCZ53DPPCZUTFK00Z.html

 安倍晋三元首相は30日、首相官邸で岸田文雄首相と面会した。自民党の最大派閥・安倍派(清和政策研究会、95人)の会長に就任したことの報告で訪れた。安倍氏が官邸を訪問するのは、昨年9月に首相を辞任して以降初めてという。

 面会は約20分間。面会後、安倍氏は記者団に「党内の最大の政策グループとして、これからも岸田政権をしっかりと支えていくということについて、派の総意としてお伝えした」と述べた。

 関係者によると、安倍氏が就任あいさつとして面会を申し入れた。面会では、新型コロナウイルスの変異株「オミクロン株」をめぐって政府が強化した水際対策について、安倍氏が首相に「(対応が)早くて良かった」と伝えたという。

 首相はエントランスホールまで出向き、安倍氏を出迎えた。今月11日に菅義偉前首相が官邸を訪問した際も同様に出迎えていた。(小手川太朗)

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補正予算案、国債22兆円発行へ…経済対策強化で昨年度に次ぐ規模

2021/11/25 09:03

読売新聞

https://www.yomiuri.co.jp/economy/20211125-OYT1T50055/

 政府は26日にも決定する2021年度補正予算案で、国の借金となる国債を22・1兆円程度、新たに発行する方針を固めた。21年度の国債発行額は43・6兆円の予定だった。経済対策を強化する狙いがあり、リーマン・ショック時の09年度(52・0兆円)を上回り、20年度(108・6兆円)に次ぐ規模になりそうだ。

 補正予算案の追加歳出は一般会計で36・0兆円程度となる見通しだ。19日に決定した新たな経済対策の分が31・6兆円を占めるほか、地方に配る地方交付税交付金を3・5兆円程度、追加する。財源となる歳入は、21年度の税収の見通しを6・4兆円程度、上方修正する。当初予算で57・4兆円と見積もっていたものの、企業業績の回復などで20年度の60・8兆円を上回り過去最高となる公算が大きい。20年度の歳入から歳出を差し引いた「剰余金」も6兆円程度、活用する。

 歳入増でも追加歳出を賄いきれないため、赤字国債と公共事業などに使い道が限られる建設国債を発行することにした。

 岸田内閣として初めての経済対策は、国の財政投融資や地方の支出を加えた財政支出が55・7兆円となり、閣議決定した経済対策としては過去最大となった。

 補正予算案では、特別会計にも0・4兆円を計上する。「16か月予算」として補正予算案と一体的に編成する22年度予算案に、新型コロナウイルスの感染再拡大に備えて5兆円の予備費を確保する。

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安倍元首相「補正予算で30兆円程度確保を」岸田首相との会談で

20211117 1911

NHK

https://www3.nhk.or.jp/news/html/20211117/k10013351771000.html

岸田総理大臣と安倍元総理大臣が会談し、安倍氏は、岸田総理大臣に対し、今年度の補正予算案の編成にあたって、財政支出が必要ないわゆる「真水」で30兆円程度を確保するよう求めました。

岸田総理大臣は17日夕方、議員会館にある安倍元総理大臣の事務所を訪れ、およそ30分間、会談しました。

会談で岸田総理大臣は、安倍氏に対し、特使としてマレーシアを訪問するよう要請したほか、対ロシア外交や北朝鮮による拉致問題をめぐって意見を交わしました。

一方、安倍氏は、岸田総理大臣に対し、今年度の補正予算案の編成にあたって財政支出が必要な、いわゆる「真水」で30兆円程度を確保するよう求めました。

このあと岸田総理大臣は、総理大臣官邸で記者団に対し、「先日の衆議院選挙を振り返っていろいろと報告をした。安倍元総理大臣は、派閥の会長になられたので祝意を申し上げた」と述べました。

そのうえで「経済、外交、昨今の動きについて意見交換をさせていただいた。具体的には控えるが、これからの政治の動きの中で話題になるさまざまな課題について、有意義な意見交換ができた」と述べました。

(貼り付け終わり)

(貼り付けはじめ)

日本の新しい首相は3160億ドル規模の支出パッケージで経済拡幅を促進(Japan's new PM looks to spur recovery with $316 billion spending package

モニク・ビールズ筆

2021年11月26日

『ザ・ヒル』誌

https://thehill.com/policy/international/asia-pacific/583220-japans-new-pm-looks-to-spur-recovery-with-316-billion

岸田文雄首相の第一次補正予算案には、過去最大の財政出動となる3160億ドルの新規支出が含まれている。

ブルームバーグ通信によると、岸田首相の内閣は36兆円規模の支出パッケージを承認した。これは22兆円の政府債券を発行してパッケージの支出に充てる、ということだ。

ブルームバーグ通信は更に、1兆円以上は子供がいる世帯への現金給付として使われ、数兆円は新型コロナウイルス感染拡大で打撃を受けたレストランや各種ビジネスに補助金として支払われると報じている。

日本では新型コロナウイルス感染拡大対策が進み、状況はコントロールされているが、なぜこのような膨大な予算が必要なのかという疑問が出ている。ブルームバーグ通信は、「新型コロナウイルス感染拡大に関連する規制の多くは解除され、ワクチン接種率は75%を超え、日本経済は自力で回復できると見込まれている」と指摘している。

鈴木俊一財務大臣は、ブルームバーグ通信の取材に対し次のように答えた。新たな借り入れによって国の借金は増大するが「私たちは必要な行動を行った」。彼は続けて「しかし、それは日本の財務状況をより厳しいものにする」とも述べた。

先週、岸田首相は記録的な56兆円(4900億ドル)規模の財政パッケージを発表した。

岸田首相は10月に菅義偉の後任として選ばれた。菅は9月に首相辞任を表明した。

岸田首相と自民党は来年のいくつかの選挙で自分たちの権力を更に固めようとしている。

(貼り付けおっわり)

(終わり)
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 悪魔のサイバー戦争をバイデン政権が始める
20211129sankeiad505

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 古村治彦です。

 以下の論稿は、10月31日の総選挙の前に、アメリカの外交専門誌『フォーリン・ポリシー』誌に掲載された日本政治分析の記事を紹介する。この記事では、安倍政権の功績を称え、岸田政権の行き先を不安視する内容だったが、結局、岸田文雄首相は政権基盤を固め、邪魔者だった甘利明には選挙で負けた責任を取らせて幹事長を辞任させることに成功した。また、これまでの人事では巧妙に麻生太郎と安倍晋三を外す動きを少しずつ進めている。

 下に紹介する記事は、日本政治の実態を捉えているとは言い難い。しかし、「アメリカ側から見た日本政治の姿」という側面からは良く書けているということになる。安倍政権下での対米従属の深化は、アメリカ側からすれば、日本の手駒としての能力が上がったということである。将棋で言えば、「歩」程度だったが、「飛車」「角行」とまではいかないが、「香車」程度にはなったということである。これで「日本の使い勝手」が良くなったということになる。

 岸田文雄に首相が交代したことでアメリカは警戒感を持っていることだろうが、そこに、ともにハーヴァード大学ケネディ行政大学院で修士号を取得した、茂木敏光を自民党幹事長に配し、林芳正を外相に起用したことで、「アメリカには逆らいません」という姿勢を示すことで、アメリカの警戒感を和らげようとしている。また、ジョージタウン大学卒業の河野太郎も首相候補であることから、これからしばらくは、アメリカで教育を受けた人物たちが首相を務めることになるだろうということをアメリカにシグナルとして送っている。

 この論稿の筆者はアメリカで日本政治を研究する立派な学者であろうが、やはり日本にいないことで、日本分析は隔靴掻痒の感を否めない。安倍首相は偉かった、岸田首相は心配という単純な話では済まないのである。

(貼り付けはじめ)

日本の総選挙は岸田の運命を決めることになるだろう(Japan’s Lower House Elections Will Decide Kishida’s Fate

-「回転ドア」首相は国内と国外に影響を与えることだろう

ナオコ・アオキ筆

『フォーリン・ポリシー』誌

2021年10月29日

https://foreignpolicy.com/2021/10/29/japan-kishida-ldp-prime-minister-revolving-door-lower-house-elections/

日本の下院に当たる衆議院議員選挙が10月31日に実施される。これは新たに首相に就任した岸田文雄首相にとっては最初の大きなテストとなるだろう。彼は前任者である菅義偉が就任後1年で辞職したことを受けて今月初めに首相に就任したばかりだ。今回の首相交代によって首相交代のサイクルがとても早いように見えるかもしれないが、2012年12月から2020年9月までの約8年間、日本を率いた安倍晋三元首相の時代までは、ほぼ毎年、新しい首相が誕生するのが当たり前だった。

菅首相の辞任が、日本の首相の「回転ドア」の連鎖の始まりとなるのか、はたまた、岸田首相も同じ運命をたどるのか、判断するのは時期尚早だ。過去には、政治的な戦いやスキャンダルで辞任する首相もいたし、個人の健康上の理由で辞任する首相もいた。しかし、選挙の敗北の結果として辞任ということが多かった。日曜日の選挙は、岸田首相が権力の座に座り続けられるかどうかを測るリトマス試験紙ということになるだろう。

岸田首相がどれだけ続けられるかが問題ではないという人たちもいるだろう。血胸のところ、日本は法の支配(rule of law)を尊重し、自由で公正な選挙(free and fair elections)が実施され、人々の諸権利(civil rights)が守られている安定した民主政治体制(stable democracy)である。近年、欧米で大きな広がりを見せているポピュリズム(populism)の陥穽も、この国では回避されている。また、政策の策定や効果的な実施に大きな役割を果たす強力な官僚組織があることでも知られている。

しかし、日本の首相の在任期間が日本にとっても世界にとっても重要である複数の理由がある。

1994年以降、日本の政治改革によって、首相の権力は拡大している。同年の選挙改革によって、議会の選挙システムは中選挙区制(multi-seat constituencies)から小選挙区制(single-seat districts)と比例代表制(proportional representation)に代わった。これによって、一つの選挙区の中で、一つの政党が複数の候補者を出して勝利を収めることができなくなった。

これにより、過去70年間、日本の政治を支配してきた自民党内の力学が変化し、かつては選挙区で候補者を出し合っていた自民党の派閥(factions)の間の競争が緩和された。その結果、自民党内の派閥の領袖たちの影響力は低下し、首相が派閥の領袖たちの意向に左右されなくなり、少なくとも理論的には、総理総裁がより個人的な力を発揮できるようになった。

また、1990年代後半から始まった一連の行政改革により、官僚に頼らずに政策を始め、展開できる首相の法的権限が強化された。2001年には政策設計機能と内閣府の創設によって官房長官(Cabinet Secretariat)の力が強化された。内閣府は政策形成の点で首相を直接支援する機能を持っている。安倍政権は2013年に国家安全保障会議(National Security Council)を創設し、外交政策に関する首相の力を強化した。これは、政治の最高指導者の手に安全保障政策形成の力を集中させるものだ。

つまり、現在の日本の首相は、20年前の首相に比べて、国の方向性を決め、政策の優先順位を決定し、改革を実行できるより強い立場にある。

権限は強化されているが、短期でどんどん交代していく首相では、中期的もしくは長期的なヴィジョンを実現するのに十分な時間を持つことはできない。短い在任期間では、首相が国内政治システムの重要な利害関係者から支持を得て、法案を起草して可決し、優先順位の高い政策を実行することはできない。この現象は、遠くない過去に多くの例が存在する。

最近の日本の首相は就任後に自分自身の経済成長戦略をスタートさせてきた。2007年9月から2008年9月まで首相を務めた福田康夫はテクノロジー部門の技術革新を通じて成長を促進する計画を立てた。福田の後任麻生太郎の在任期間は1年弱だった。麻生派自身の「成長イニシアティヴ」を策定した。アジア全体の経済規模を2倍にするために、輸出主導型モデル(export-oriented model)から需要主導型モデル(demand-driven one)に転換することを目指した。しかし、世界的な金融危機に見舞われ、福田も麻生もともに大きな成果は得られなかった。

2009年から2012年にかけて、自民党は野党だった。この時期に出た民主党の首相3人もまた自身の経済プログラムを推進した。たとえば、2011年9月から2012年12月まで482日間在任した野田佳彦は、8カ年経済成長戦略をスタートさせた。この戦略の目的は、「日本再生(rebirth of Japan)」を達成することだった。この計画は、2011年3月に発生した福島第一原発事故の後に導入され、その目的は、医療や再生可能エネルギーのような分野で新しい産業と雇用を生み出すことであった。多くの目標の一つは、2020年までに、ガソリンと電気のハイブリッド、電気、天然ガスなど高燃費効率車が日本の全自動車の50%を占めるようにすることだった。しかし、その計画は頓挫してしまった。2020年の日本の新車販売台数のうち、これらの車の販売台数は36.2%にとどまった。この36.2%の内訳は、環境に優しい完全な電気自動車ではなく、ガソリンと電気のハイブリッド車が大半を占めている。

同じパターンが外交政策でも繰り返されている。福田はこれから30年間のヴィジョンとして、太平洋に面した、環太平洋(Pacific Rim)の諸国のネットワーク化を進め、「太平洋を内海(inland sea)にする」ことを提唱した。このヴィジョンにおいて日本にとって重要政策とされたのは、インド洋において対テロ作戦に従事しているアメリカと外国の艦船に対する燃料補給業務を海上自衛隊に行わせることで、アメリカ主導のテロリズムの戦いに貢献することだった。皮肉なことに、皮肉なことに、福田は自民党が過半数を失った参議院で海上自衛隊の燃料補給業務の再可決法案を可決させることができずに辞任した。一方、麻生は「自由と繁栄の弧(arc of freedom and prosperity)」を議論した。これは、日本が同様の価値観を持つ国々と協力するというものだった。その基本概念は、現在の日本の外交政策にも生きているが、麻生の構想の名前で覚えている人はほぼいない。

安倍首相は約8年首相に在任し、強化された立場を完全に活用することで、これらの常識を覆した。最も注目すべきは、大規模な金融緩和、財政出動、構造改革を組み合わせた「アベノミクス」と呼ばれる経済成長プログラムである。アベノミクスは、日本経済の将来の軌道を根本的に変えるには至らなかったものの、デフレ脱却、失業率の低下、企業収益の向上を実現した。また、マーケティング的にも成功した。日本の首相の名前が、日本の専門家たちの少数グループだけに知られているだけでなく、世界中に知られている政策プログラムに付いているのは珍しいことだ。

経済に加えて、安倍派安全保障分野で成果を残した。日本の自衛隊の使命を拡大することで成果を残した。これらのステップをめぐっては論争が起きた。日本国憲法第9条は戦争を放棄している。これまでの数十年間、自衛隊の役割は増大しているが、安倍の改革は、特定の条件下での集団的自衛権の行使を日本に与えることで、重要な成果を上げた。

安倍首相が長期にわたり首相に在任したことで、日本の外交政策にも貢献した。安倍首相は、外交的そして概念的な構想を推進するために必要な諸外国の指導者との関係を構築する時間を得ることができた。この努力の成果の一つは、自由で開かれたインド太平洋というヴィジョンである。この考えは安倍首相が元々提唱したものだったが、トランプ政権によって採用され、2017年には完全なアメリカの戦略となった。

安倍政権下、2017年にアメリカが協議から脱退した後も、日本は地域の自由貿易協定である環太平洋パートナーシップに関する包括的及び先進的な協定(Comprehensive and Progressive Agreement for Trans-Pacific Partnership)を主導した。アメリカが関与しない多極的な枠組みで日本が指導力を示したレアケースだった。

もちろん、安倍元首相の長期にわたった在任期間は、彼の政策目標が全て達成されたということを意味しない。とりわけ、また、1970年代から1980年代にかけて北朝鮮に拉致された日本人に関する問題や、北朝鮮の核・ミサイルの脅威の抑制について、北朝鮮との間で進展させることはできなかった。安倍首相はまた千島列島日本では北方領土と知られる千島列島をめぐるロシアとの領土問題についても何の進展もなかった。

また、首相の政治力を決める要因は、在任期間だけではない。国民からの支持もまた重要だ。安倍元首相は在任期間のほとんどで国民からの支持を享受した。安倍首相の外交・安全保障政策に対しては、中国をはじめとする地域の新たな課題に対処する必要性についての国内のコンセンサスが高まっていたことも追い風となった。

ここで2021年10月31日の選挙の話が出てくる。自民党の選挙結果によって、自民党が岸田を総裁に選んだことと岸田が挙げた公約に対する国民の支持の程度を測定することになるだろう。

現時点では、自民党が議席を増やすかどうかではなく、どれくらい議席を減らすかが問題となっている。最近の世論調査では、自民党の支持率が低下している。岸田首相は自民党の連立相手である公明党との間で衆議院の過半数を維持するという控えめな目標を掲げている。2021年10月14日に国会を解散する(dissolution)前、日本の下院にあたる衆議院465議席のうち、自民党は276議席を占め、公明党は29議席を占めている。岸田の掲げた目標を達成するためには、自民党は72議席を減らすことができる。最近の世論調査では、自公連立政権が過半数を維持する可能性が高いと言われているが、自民党が単独で過半数を維持できるかどうかは不確実である。

日曜日に自民党が予想以上の結果を出せば、党内での岸田首相の影響力が高まり、岸田首相が希望する政策を実行するための時間と場所が確保される可能性が高まる。良くない結果になれば、その可能性は低くなり、公明党の影響力は大きくなる。良くない結果となれば、来年夏の参議院選挙に向けて、自民党はまた新たな総理総裁選出を検討するきっかけにもなるだろう。どちらの結果になるにしても、岸田の仕事はより複雑になっていくだろう。

※ナオコ・アオキ:メリーランド大学国際・安全保障研究センター研究員、アメリカン大学の準教授を務めている。

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日本の選挙:岸田文雄首相は与党自民党の勝利を宣言(Japan election: PM Fumio Kishida declares victory for ruling LDP

BBC

2021年11月1日

https://www.bbc.com/news/world-asia-59110828

日本の岸田文雄首相は彼が率いる与党自由民主党(Liberal Democratic PartyLDP)の勝利を宣言した。

1カ月前に首相に就任したばかりの岸田氏にとって大勝利となった。彼が率いる自民党は衆議院(lower house)で233議席以上の議席を確保した。これは連立のパートナーである公明党の存在がなくても議会の過半数を占める数字だ。

自民党はこれまで数十年にわたり日本政治を支配してきたが、新型コロナウイルス感染拡大対策では批判を浴びた。

岸田首相の前任者菅義偉は就任1年で辞職することになった。

新型コロナウイルス感染者数拡大についての人々の懸念がありながらも東京オリンピック開催を推進し続けたことで自民党の支持率は低下し続けていた。そうした中で、菅首相の辞職が発表された。

64歳の岸田氏は長年にわたり首相の座を狙い続け、2012年から2017年まで外相を務めた。

自民党は465議席中276議席を占める形で総選挙を迎えた。

選挙戦序盤の世論調査では、自民党は過半数を占めるためには連立パートナーの公明党に頼らねばならないという結果が示されていたが、その予測は覆された。

自民党は261議席を獲得し、過半数の233議席を大きく上回った。公明党は32議席を獲得し、連立与党の議席数は合計で293議席となった。

日本の議会は、国会(National Diet)として知られている。国会は下院(lower)に当たる衆議院(House of Representatives)と上院(upper)に当たる参議院(House of Councillors)で構成される。

日曜日の投票はより優位な衆議院に関するものであり、参議院議員選挙は来年実施される。

月曜日、日経225は2.6%の上昇で終えた。投資家たちは自民党が過半数を大きく超えて議席を獲得したことについて、岸田首相の経済刺激策が議会をスムーズに通過するだろうということに賭けた。株価上昇はこのことを意味している。

選挙前、岸田首相は新型コロナウイルス感染拡大をきっかけにして、世界第三位の経済を支援するために数十兆円規模の支出を行うことを約束した。

日曜日、岸田首相は公営放送であるNHKに出演し、その際、今年の終わりまでに更なる追加予算を策定する計画だと述べた。

●岸田文雄とはどんな人物?

(1)岸田氏は政治家一族の出身であり、彼の父親と祖父も政府に関与した。

(2)彼は1993年に議員に初当選した。2012年から2017年まで外相を務めたがこれは最長記録だ。

(3)2016年のバラク・オバマ大統領の広島(岸田氏の地元)訪問を調整した。広島は核爆弾による攻撃を受けた都市の一つだ。現職のアメリカ大統領による初訪問となった。

(4)名門の東京大学の入学試験に失敗した。これは多くが東京大学で学んだ彼の一族からは「恥(embarrassment)」と見られた。

(5)彼はお酒を飲むのを好む。外相時代にロシアのセルゲイ・ラブロフ外相に飲み比べを挑んだというエピソードは有名だ。

(貼り付け終わり)

(終わり)
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 悪魔のサイバー戦争をバイデン政権が始める

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 古村治彦です。

 今回は、岸田文雄に関する優れた分析記事をご紹介する。筆者はトバイアス・ハリスで、ハリスはマサチューセッツ工科大学出身で、日本政治研究の泰斗リチャード・サミュエルズの下で勉強した人物だ。ジャパン・ハンドラーズの新世代ということにもなる。

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トバイアス・ハリス
 以下の論稿は、岸田文雄首相就任時に発表されたものだが、非常に優れた分析内容になっている。自民党内のタカ派とハト派、保守傍流と保守本流、安倍晋三と岸田文雄を対照的に描いている。自民党内に派閥(factions)があることは大人であれば誰でも知っているほどの常識であるが、その歴史や総意についてまでは知らないという人が多いだろう。
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 自民党内には保守本流と保守傍流と呼ばれる流れがあり、簡単に言えば、自民党結党時に、吉田茂の流れを汲む自由党系の池田勇人と佐藤栄作が率いる派閥が保守本流、鳩山一郎(のちに河野一郎)と岸信介など日本民主党系の政治家たちが率いた派閥が保守傍流ということになる。池田勇人の派閥が宏池会ということになる。保守本流がハト派、保守傍流がタカ派ということになる。現在の日本政治で言えば、安倍晋三元首相は保守傍流、岸田文雄首相は保守本流ということになる。
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 宏池会は加藤紘一が仕掛けた「加藤の乱」の失敗もあって分裂し、結果として、保守傍流の清和会の天下という状況になった。宏池会は厳しい時代を20年近く過ごすことになった。岸田文雄という次世代のプリンスを守り育てるために、ヴェテランたちが奮闘したということになる。

 簡単に言えば、これから宏池会の復活ということになっていくだろう。宏池会は分裂状態であるが、これを統一して保守傍流である清和会(安倍派)と対校していかねばならない。その際に重要なのは、同じ保守本流である旧田中派・旧竹下派である茂木派(将来は小渕派になる可能性が高い)との協力関係である。そのために、茂木敏充を自民党幹事長に据え、後任の外務大臣に林芳正(宏池会次世代のプリンスに浮上)を起用した意味は大きい。麻生派は河野洋平が作った派閥が源流であり、河野太郎が継承することが既定路線である。これから5年の間の自民党のエースとなるであろう人々は安倍派からは出てこない。福田達夫政調会長が安倍派のプリンスという位置づけになるだろう。しかし、安倍から福田への派閥の禅譲がスムーズに行われるかどうかは不透明だ。

 麻生派も源流をたどれば宏池会である。河野太郎へと派閥が禅譲され、河野派となった後は、安倍派との協力体制が継続するかどうか定かではない。河野太郎が2021年の総裁選挙に出馬した際には安倍晋三は高市早苗を支援した。その点を考えると、河野にとっては岸田の方が総裁選挙で戦った相手とは言いながら、近い関係を築きやすいだろう。

河野太郎は自民党広報本部長に起用されたことで、「降格人事」と評されたが、2021年の総選挙では積極的に日本各地で応援演説を行った。自民党の勝利への貢献は幹事長だった甘利明よりも大きかった。これによって河野太郎は多くの自民党政治家へ「恩を売った」形になり、かつ、足りないと言われていた自民党政治家たちとのコミュニケイションも行われたであろう。河野の広報本部長起用は降格人事ではなく、時宜を得た人事だった。

岸田文雄首相はなかなかの策士である。表面は柔らかく、「頼りない」という印象を述べる人も多い。しかし、保守本流復活と「寛容と忍耐」、日本型資本主義(再分配志向)をこれから行っていくだろう。

(貼り付けはじめ)

岸田文雄の様々な原理原則が試される局面に面している(Fumio Kishida’s Principles Are About to Be Put to the Test

-日本の新しい首相は右派によって支配されている政党の穏健な顔である。

トバイアス・ハリス筆

2021年10月4日

『フォーリン・ポリシー』誌

https://foreignpolicy.com/2021/10/04/fumio-kishida-new-japanese-prime-minister-ldp/

2017年8月、安倍晋三は首相としての二度目の任期の5年目を迎え、下落していた支持率を安定させるために、内閣改造(cabinet reshuffle)を行った。閣僚の交代が複数行われた中で、安倍首相は2012年12月から外相を務めていた岸田文雄を与党自由民主党の政策責任者(訳者註:総務会長)に起用した。

政府と与党との間で政策を調整する総務会長という新しい地位に就いた直後、岸田は、安倍内閣から離れてすぐに、安倍首相と距離を取ろうとするようになった。岸田は次のように発言した。「安倍首相と私は衆議院議員初当選が同じ同期であり、個人的には極めて近い関係にあります。しかしながら、私たちの政治家としての哲学や信念について簡単に申し上げると、安倍首相は保守派(conservative)、敢えて言えばタカ派(hawkish)となります。私はリベラル派(liberal)であり、ハト派(dovish)です」。

岸田は安倍とはこれからも緊密に協力していくことになるだろうと述べたが、それからの1年は2018年の自民党総裁選挙に出馬するかどうかを熟考する期間に充てた。これにより、自民党内で最もリベラルな派閥である宏池会のリーダー岸田と保守派の安倍が対決することになった。最終的には、岸田は総裁選挙には出馬せず、宏池会は安倍の再選を支持すると述べたことで、支援者たちを失望させた。

しかしながら、先週、岸田の順番が最終的にやって来た。岸田は、菅義偉首相に再選を諦めるように働きかけることに成功し、9月29日の総裁選挙では人気の高かった河野太郎を破り、圧倒的な強さで首相に就任した。10月4日には正式に首相に指名され、宏池会出身の首相は1993年以来のこととなった。

岸田はひとたび安倍に対抗して総裁選挙に出馬することを考えたが、彼の指導者としての成功は主要な問題について保守的な立場を取ることでもたらされた。日本の軍事力の増強、中国に対する強硬姿勢、憲法改正についてそうであった。これらが彼の勝利に貢献した。この変化は、岸田首相が元首相安倍晋三、麻生太郎の保守的な同盟者たちを自民党執行部と内閣の重要な地位に就けることで強化されるだろう。

このような妥協を、単なるご都合主義だと片付けてしまいたくなる。しかし、岸田の成功は、冷戦終結後からの自民党の右傾化に対して、自民党の穏健派がどのように折り合いをつけてきたかを物語っているのである。

冷戦期間中、自民党は、反共産主義(anti-communism)を中心とした党であり、分裂していた。自民党は2つのグループの事実上の停戦状態の産物であった。1つ目のグループは、いわゆる平和憲法を発布し、米国との不平等な安全保障同盟を受け入れ、ささやかな再軍備を支持した戦後の支配的な吉田茂首相の追随者たちであった。2つ目のグループは、吉田派に対する右派の批判者たちであった。その中には安倍晋三の祖父岸信介も含まれていた。岸は日本の再軍備を望み、より自律的な外交政策を追求した。

これら2つのグループに、後に田中角栄首相が糾合した3つ目のグループが加わった。このグループは、日本の経済的奇跡の果実を開発が進んでいない地方に再分配することに注力した。これらのグループは、時折は休戦をしながら激しく争った。

1990年代初頭で、こうした不安定な平和は崩れた。反共産主義はこれらのグループを結び付けるのりの役割を果たせなくなってしまった。政府高官や大物議員たちの汚職スキャンダルや「失われた10年」と呼ばれる経済停滞の始まりにより、党の信用は失墜し、自民党内からも改革を求める声が出てきた。その結果、自民党は分裂し、1993年には自民党の分派と伝統的な左翼野党を含む連立政権に一時的に敗北してしまった。

この混乱をきっかけとして、自民党右派が自民党の主導権の掌握を目指した。冷戦時代に「反主流派(anti-mainstream)」と呼ばれていた右派は、1990年代に登場した新進気鋭の政治家を中心に、日本を強くするための施策や国威発揚などを訴えて力を蓄えていった。

自民党右派は世紀を変わり目で優位を得た。それ以降、自民党右派は自民党を支配してきた。その締めくくりとして、安倍晋三は2012年から2020年まで首相を務め、「史上最長記録を残した。ひとたびは主流派から疎外された右派は主流派となった。そして、穏健派とリベラル派のライヴァルたちが反主流派となった。自民党内で何とか生き残っている状態になった。

岸田のキャリアは、彼が生まれ育った自民党内のリベラル派の長期的な衰退と完全に一致している。岸田は1957年に東京に生まれた。岸田家は広島で長い歴史を誇る一族だ。岸田文雄は岸田文武の長男として生まれた。岸田文武は強力な通商産業省の官僚だった。広島という土地は岸田の政治的アイデンティティにとって極めて重要だ。広島は日本の反軍国主義のシンボル的な拠点であるだけではなく、自民党のリベラル志向の中心地でもある。自民党リベラル派の派閥宏池会の創設者池田勇人は広島県の出身だった。

池田は1960年に首相に就任した。岸信介がアメリカとの新しい安全保障条約締結に邁進し、結果として激しい抗議活動が起き、彼の政権は崩壊した。その後を受けたのが池田だ。池田は、「寛容と忍耐(tolerance and patience)」 の政治を追求し、広範な経済成長に集中することで反応した。これらが池田率いる派閥宏池会の基盤の諸原理となった。

岸田家が自民党リベラル派の伝統に引き寄せられたのは、岸田文雄の父文武が官僚を辞めて政界に転じた1978年のことだった。文武は国会議員になるために広島から立候補した。彼は宏池会のメンバーだった。その他の経験も岸田の、公正さ、公平、平和を強調するリベラリズムへの傾倒を促すことになった。岸田文雄は、父文武が1960年代半ばにアメリカに派遣されたので、彼もアメリカに渡り、ニューヨーク市の公立小学校に入学して人種差別を経験した。父文武が1992年に死去し、岸田文雄は、父の出身地と所属派閥から、選挙に出馬し、宏池会に所属することは当然の成り行きであった。

1993年に岸田は衆議院議員に初当選したが、これは宮澤喜一政権の終焉と共に起きた。宮澤喜一は岸田にとって父方の親戚にあたる。そして、宮沢は岸田が首相になるまで、宏池会出身の最後の首相となった。

その間の数十年間、派閥は何度も衰退し、分裂した。その中には、2000年に、宏池会の指導者が不人気な右派の首相である森喜朗を追い落とそうとしたが、失敗に終わったことも含まれている。岸田は若手代議士としてこの反乱を支持した。派閥が崩壊し、指導者が影響力を失うのを目の当たりにして、右翼の台頭に直接立ち向かうことが不幸な結果を招くことを学んだ。

その代わりに、岸田はスポットライトから外れて経験と専門性を静かに獲得した。一方、岸田と同期当選の安倍は自民党の最高権力レヴェルを争った。岸田は自民党内の下級の職務を経て、2007年の第一次安倍政権の末期に初入閣を果たした。その間に、リベラル派の議員たちと一緒に分裂した宏池会の再結集に取り組んだ。

この期間中、岸田は、保守右派が支配する自民党の中で、リベラル派が果たすべき役割を明確にしようとしていた。岸田にとって、自民党内のリベラリズムは根本的に政治スタイルについてのもので、政策についてではなかった。岸田は彼自身の派閥宏池会の歴史を踏まえた上で、どのような役割を果たすことができるかというビジョンを示している。

第一に、岸田は、自分の政治上の先輩たちが何よりもリアリストであったと主張した。岸田は2015年の国会討論の中で、次のように述べた。「このグループの人々の特性の一つは、戦後政治の中で、特定のイデオロギーや主義主張にとらわれず、極めて現実的に物事を考え、リアリズムに基づいて政策を立案したことだ」。宏池会が主張してきた軽武装の日本が米国と同盟を結び、軍事力よりも経済成長への投資を優先させるという政策は、特定の状況への対応であり、永遠の真実ではないということだ。適切な政策は時間の経過とともに変化し、変化すべきだということになる。

第二に、岸田は、自民党のリベラル派はバランスを取る勢力となるべきだと主張した。例えば、2005年に彼の支持者に宛てた新年の書簡の中で、岸田は「強力な指導力、アメリカ中心の外交、そしてタカ派を新たに協調していること」といった自民党右派の政策だと言及している。しかし、「それぞれの意義を否定するものではないが、バランスが大切だと考えている」と注意を促している。岸田は、自民党保守派が政治的な現実を見失わないようにするためには、自民党リベラル派が必要だと考えていた。

最後に、岸田によると、日本の指導者たちは謙虚に行動しなければならないということだ。自分たちの権力を濫用しないように気を付け、考えが違う人々の考えを受け入れるべきで、一般の人々の同意を取り付けるようにしなければならない。自民党総裁選挙の選挙運動の期間中、彼は、全ては「聞くこと」に尽きると主張した。「人の話に耳を傾けることが、信頼の原点だと思う。私は他の誰よりも菊能力が持っていると考える」と語った。岸田の信念は安倍とは対照的だ。例えば、安倍首相は政策に反対されると、「なぜ自分のやり方が最も良いのか、もう一度説明しなければならない」と強調するが、それとは対照的だ。

最終的に、岸田はこれらの原則なくして日本が直面する深刻な課題を克服することはできないと考えている。岸田は2020年に次のように書いている。「私たちの未来には、想像を絶するような混乱と国家的危機が待ち受けている。そういう時代だからこそ、徹底したリアリズムとバランス感覚が強く求められる。それには、国民の協力が不可欠だ。そして、政治への信頼を回復することなしに、国民に協力を求めることはできない」。

岸田にとって、これらの信念は、自民党右派と争うのではなく、右派と協力する方法を見つけることを正当化するものだった。しかし、安倍政権の外務大臣として政権内に穏健さをもたらしたことと、岸田自身が首相になることには、まったく別の課題がある。強固な保守派が率いる政権内における釣り合いを取るリベラル派という立場ではなくなり、岸田は今でも右派が支配している自民党の穏健派の顔となっている。

これによって、岸田の持つ諸原理が試されることになる。彼は、謙虚な政治スタイルへの志向と、保守派の同盟者たちからの要求との間で板挟みになる可能性がある。国防費、憲法改正、中台関係のバランスなど、いずれにしても、国民や自民党右派を政権から遠ざける可能性のある重大な決断を迫られることになるだろう。その時、自民党リベラル派が冷戦時代の名残なのか、それとも激動の未来に向けて日本を導く重要な役割を担っているのかを、岸田は示すことになるだろう。

※トバイアス・ハリスはセンター・フォ・アメリカン・プログレス上級研究員。『因襲破壊者-安倍晋三と新しい日本(The Iconoclast: Shinzo Abe and the New Japan)』の著者。

(貼り付け終わり)

(終わり)
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