古村治彦(ふるむらはるひこ)の政治情報紹介・分析ブログ

SNSI研究員・愛知大学国際問題研究所客員研究員の古村治彦(ふるむらはるひこ)のブログです。翻訳と評論の分野で活動しています。日常、考えたことを文章にして発表していきたいと思います。古村治彦の経歴などについては、お手数ですが、twitter accountかamazonの著者ページをご覧ください 連絡先は、harryfurumura@gmail.com です。twitter accountは、@Harryfurumura です。よろしくお願いします。

タグ:力の均衡

 古村治彦です。

 ウクライナ戦争勃発後、中立政策を採用してきたスウェーデンとロシアの隣国でソ連時代からロシアとは微妙な(絶妙な)関係を築き、こちらも西側と東側の間で中立のような状態にあったフィンランドがNATO加盟の意図を表明した。これはロシアからの安全保障上の脅威に対抗するためと見られている。
europemap516
ヨーロッパの地図

 ここで、下記の論稿のウォルト教授は、これまで成功してきた中立政策をここにきて放棄する理由、特にスウェーデンはNATOに正式加盟していないがこれまでNATOと緊密な協力関係を持ち、加盟国の責務を果たさずに利益を得てきたが、加盟することで義務が生じるのにどうして加盟するのか、ということを設問として提示している。その前提として、ロシア軍は旧ソ連軍時代よりも弱体化しており、ウクライナ一国を短期間で占領する力はなく、西側の援助があればそれは猶更である。それならば、わざわざNATOに加盟しなくてもよいではないかということになる。

 これについて、ウォルト教授は「脅威(threat)」という言葉で説明している。スウェーデンとフィンランドにとっては、「ロシアがウクライナに侵攻した」という事実が重要ということになる。NATOの加盟国であれば、ロシアが侵攻してくれば、NATO加盟諸国は義務として、侵攻された国を支援して、ロシアと戦うということになる。そうなればロシアは国家体制を変更させられるほどの痛手を被るか、核兵器を使用するかということになるが、そのような状況で核兵器を使用すれば国家体制は崩壊させられることになるだろう。

 スウェーデンとフィンランドはロシアからの「脅威」を感じてNATO加盟の考えを表明した。これによって、ヨーロッパ、特にバルト湾岸地域の状況は大きく変化する。ウクライナ戦争におけるプーティンの誤算はここにあると考えられる。NATOの北方拡大もまたロシアにとっては脅威となる。北極海、バルト海から黒海までの地域はヨーロッパの火薬庫になる可能性がある。

(貼り付けはじめ)

スウェーデンとフィンランドは何を考えているか?(What Are Sweden and Finland Thinking?

-ヨーロッパ諸国の指導者たちはロシアの意図を再評価し、プーティンが領土の現状維持に与えている脅威に対してバランスをとっている。

スティーヴン・M・ウォルト筆

2022年5月18日

『フォーリン・ポリシー』誌

https://foreignpolicy.com/2022/05/18/nato-sweden-finland-russia-balance-threat/

優れた理論の長所の一つは、他の方法では意外に思えたり、少なくとも多少不可解に思えたりするような事象を理解できるようにすることである。例えば、スウェーデンとフィンランドが長年にわたる中立の伝統を捨て、NATOへの加盟を申請する決定を下したことがその例となる。

一見したところ、この決断の説明内容は明白である。ロシアは第二次世界大戦以降、ヨーロッパで最も破壊的な戦争を始め、かなりの残虐性をもってその戦争を遂行してきた。ウクライナ戦争が長引き、破壊的な膠着状態に陥る恐れがあるため、スウェーデンとフィンランドは安全保障環境が悪化していると判断し、NATO加盟によってもたらされると思われる、より大きな保護を選択したのである。大学で国際関係論を学んだ人なら、これは力の均衡理論(balance-of-power theory)の典型的な例と見るかもしれない。

それでも、この説明にはいくつかの疑問が残る。長い間成功してきた中立政策を放棄することは大きな一歩であり、将来的に大きなコストとリスクを伴う可能性がある。特にスウェーデンの場合、長年NATOと緊密に協力し、既に加盟国としての責務をほとんど果たすことなしに、多くの利益を受けることができた。この点は特に重要だ。それなのに、何故今になって方針を転換するのか?

もっと重要なことは、ウクライナにおけるロシアの惨めな軍事的パフォーマンスによって、スウェーデンやフィンランドは安全が損なわれるどころか、むしろ向上していると感じたかもしれない点だ。この戦争で、ロシア軍の能力では他国を征服することが難しいということが明らかになった。西側の制裁、戦争自体のコスト、そして人口が減少し高齢化する中で優秀な若いロシア人たちが海外に流出し続けることが重なり、ロシアの持つ潜在能力は今後何年にもわたって低下し続けるだろう。冷戦時代、ソ連の力が絶頂にあった時にスウェーデンは中立を保っていたことを考えると、少なくともスウェーデン(とフィンランド)がこのタイミングでNATOの保護を必要としたことは不可解ということになる。

私が長年主張してきたように、従来の力の均衡理論が不完全であることを認識すれば、このような不可解はなくなる。各国家は力の均衡(パワーバランス)に細心の注意を払っているが、各国家が本当に気にかけているのは脅威についてである。ある国家が他国に与える脅威のレヴェルは、その国家の総合的なパワーだけでなく、特定の軍事能力(特に他国を征服または害する能力)、地理的な近接性、および認識された意図の関数ということになる。

一般に、自国の近くにある国家は、遠くにある国家よりも危険である。同様に、征服に最適化された軍隊を持つ国家は、自国の領土を守ることを主目的とする軍隊を持つ国家よりも危険であるように見える。また、現状に満足しているように見える国家は、現状を修正しようとしているように見える国家よりも警戒心を抱かせない傾向がある。

脅威の均衡理論(balance-of-threat theory)は、1990年にイラクがクウェートを占領した際、崩れた経済基盤と三流の軍事力を持つイラクを凌駕する連合軍が誕生した理由を説明する。また、ヨーロッパがロシアのウクライナ侵攻にあれほど強力に対応しながら、遠く離れた中国の台頭にささやかな対応しかしていない理由もこの理論で説明できる。中国はロシアよりはるかに強く、長期的にはより大きな課題となりそうだが、ユーラシア大陸の反対側にあり、ヨーロッパ自体を脅かすに足る軍事力は持っていない。

スウェーデンとフィンランドの場合、転機となったのは明らかにロシアの意図に対する見方が変わったことだ。スウェーデンのマグダレナ・アンダーソン首相が週末に記者団に語ったように、スウェーデンがNATOへの加盟を決めたのは、ロシアの「暴力を行使する」「多大なリスクを負う」意思に対する見方が変わったからだ。ロシアがウクライナに侵攻した動機は、スウェーデン人にとって中心的な問題ではないことに注意したい。ロシアのプーティン大統領が根っからの拡張主義者であるか、深い不安感に大きく動かされているかは問題ではない。重要なのは、プーティン大統領が戦争に踏み切ったことである。

スウェーデンとフィンランドの反応(そして一般的な西側諸国の反応)は、国家が脅威をどのように認識し、どのように対応するかについて多くのことを教えてくれる。一般に、国家は、自国内の努力によって力を増すが、その力を現状変更のために使ったり、他の国から領土を奪ってより強くなろうとしたりしていない国に対して、どのように対応したらよいかを考えるのに苦労するものである。

この傾向には例外がある。19世紀にアメリカが北米大陸に力を拡大し、メキシコを解体することができたのは、他の大国と巨大な海によって隔てられていたことと、ヨーロッパ諸国が新興のアメリカにではなく、互いに照準を合わせていたことが理由である。しかし、台頭してきた国家が威張り散らさない限り、他の国家は増大する富から利益を得ようとする可能性が高く、それを封じ込めることは比較的少ない。

各国家は台頭する国家に対して疑いの目を向けるだろうが、その国が力を直接的に行使する意思を明確に示さない限り、反応は薄いものとなるだろう。中国が「平和的台頭(peaceful rise)」という戦略で成功を収めたのはそのためであり、結果として習近平がより積極的な行動を取るようになり、各国のより大きな懸念を引き起こしたのである。

プーティンの動機についてどう考えようが、彼がいくつかのレヴェルで大きな誤算を犯したことは、今や極めて明白である。プーティンはウクライナのナショナリズムを過小評価し、ロシアの軍事力を過大評価した。他の失敗した侵略者たちと同様に、彼は外交政策のリアリズムの重要な教訓を理解することができなかった。国家は脅威に対してバランスをとる。現状を打破するために武力を行使することは、一国がなし得る最も脅威を与える行為にほかならない。

戦争は時に必要であり、時には、戦争を始めた国にとって大きな利益をもたらす。しかし、戦争を始めると、必ず他の国々に警戒心を抱かせ、危険を封じ込めるために協力するようになるのが自然である。プーティンは、ヨーロッパが分裂しており、ロシアの石油とガスに依存しているため、自分の行動に反対することはできないと考えたのだろう。そこで彼は、目的を迅速に達成し、最終的には通常通りのビジネスに戻ることができることに賭けた。しかし、プーティンの得た結果は、ヨーロッパ諸国がロシアの意図に対する評価を改め、古典的なリアリスト的バランス(均衡)をとる行動をとったことだ。ウクライナ国内のネオナチの存在の可能性を過度に非難したこととロシア兵士の残忍な行動は結果として、スウェーデンとフィンランドの決断を容易にしただけのことだった。

ストックホルムとヘルシンキで起こっていることはこれで全てだろうか? おそらくそうではないだろう。NATOがウクライナに最新鋭の軍備を迅速に供給したことは、紛れもなく物流機能の優秀さを示すものであり、加盟することの価値を高めたかもしれない。西側諸国によるウクライナへの支援の高まりに対してロシアがエスカレートしなかったことも、ロシアの反撃についてのスウェーデンやフィンランドの懸念を和らげたと思われる。ロシアが弱体化すると同時に好戦的になっているのを見て、厳格な中立を放棄することがより安全な選択肢に見えたのかもしれない。

理由はどうであれ、世界の指導者の多くにとって、心に刻むべきより大きな教訓がある。国家は権力に敏感であるが、その権力の行使方法には更に敏感である。大きな棒を持つならば、穏やかに話すことが賢明である。ある国がその力を賢く使うことはあまりないのである。

※スティーヴン・M・ウォルト:『フォーリン・ポリシー』誌コラムニスト、ハーヴァード大学ロバート・アンド・レニー・ベルファー記念国際関係論教授。

(貼り付け終わり)

(終わり)

※6月28日には、副島先生のウクライナ戦争に関する最新分析『プーチンを罠に嵌め、策略に陥れた英米ディープ・ステイトはウクライナ戦争を第3次世界大戦にする』が発売になります。


bigtech5shawokaitaiseyo501
ビッグテック5社を解体せよ

akumanocybersensouwobidenseikengahajimeru001

 悪魔のサイバー戦争をバイデン政権が始める
20211129sankeiad505

このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

 古村治彦です。

 今回は外交政策において「力の均衡(バランス・オブ・パワー、balance of power)」を前提にすることが重要だという内容の論稿を紹介する。著者は以前にもご紹介したスティーヴン・M・ウォルトだ。「力の均衡」について、ウォルトは論稿の中で、以下のように定義している。

(引用貼り付けはじめ)

力の均衡(バランス・オブ・パワー、balance of power)理論(あるいは脅威の均衡[バランス・オブ・スレット、balance of threat]理論)の基本的な論理は単純明快だ。各国が互いの脅威から各国を保護してくれる「世界政府」が存在しないため、各国は征服、強制、またはその他の危機に陥らないよう、独自の資源と戦略に頼らざるを得ないということになる。強力な国家や脅威を与える国家に直面した時、懸念を持つ国は自国の資源をより多く動員するか、同じ危険に直面している他の国家との同盟を模索し、より有利にバランス(均衡)に変えることができる。

(引用貼り付け終わり)

 簡単に言えば、世界各国は自身で脅威に対応せねばならず、そのためには脅威に直面している他国と同盟を組むこともあるということだ。その際に、その他コクトは国家体制などが全く異なってもそれは度外視される。自国の生き残りのため、そんなことは枝葉末節ということになる。その具体例が、第二次世界大戦で、アメリカとイギリスがソ連と組んだことであり、ソ連に対抗するための米中国交回復だ。アメリカは共産主義のソ連や中国とだって手を組むということだ。また、現在で言えば、アメリカは世界に民主政治体制を拡散しようと言いながら、自国に役立つ非民主国家についてはその体制転換を求めない。中東諸国や中央アジア諸国がそうだ。しかし、これらの国々が用済みということになれば、一気に体制転換を迫るということになる。

 アメリカの外交政策立案にはこのような流れがあるが、一方で、他国の体制転換を求める、もしくはイデオロギーの面で潔癖に過ぎるということもある。その具体例は、共和党であればネオコンと呼ばれる一派であり、民主党であれば人道主義的介入主義ということになる。民主政治体制の拡散に重きを置くために、かえって地域の不安定やアメリカ外交の失敗を招くということになったのは、記憶に新しいところだ。アフガニスタン侵攻やイラク戦争の失敗、アラブの春の失敗などが具体例だ。

 日本に引き付けて考えてみれば、何よりも過度な中国脅威論や台湾有事論の跋扈がそうなる。アメリカの一部の強硬派に煽動されて、そのお先棒を担いで、短慮にわっしょいわっしょいと対中強硬論を吐き、「台湾を助けるぞ」と意気込んで、アメリカにはしごを外されて、にっちもさっちもいかなくなるということが目に見える。思慮深く、かつ両方に着くという形でバランスを取ることが重要だ。それが大人の態度でもある。

(貼り付けはじめ)

誰が力の均衡(バランス・オブ・パワー)を恐れているのか?(Who’s Afraid of a Balance of Power?

-アメリカは国際関係の最も基本的な原則を無視し、自国に不利益を与えている。

スティーヴン・M・ウォルト筆

2017年12月8日

『フォーリン・ポリシー』誌

http://foreignpolicy.com/2017/12/08/whos-afraid-of-a-balance-of-power/

もし、あなたが大学で国際関係論の入門レヴェルの講義を受け、教師が「力の均衡(balance of power)」について全く触れなかったとしたら、母校に連絡して返金を求めて欲しい。力の均衡という考えは、トゥキディデス(Thucydides)の『ペロポネソス戦争(Peloponnesian War)』、トマス・ホッブズ(Thomas Hobbs)の『リヴァイアサン(Leviathan)』、古代インドの思想家カウティリヤ(Kautilya)の『アルタシャストラ(Arthashastra)』(「政治の科学」)に見ることができ、EH・カー(E.H. Carr)、ハンス・J・モーゲンソー(Hans J. Morgenthau)、ロバート・ギルピン(Robert Gilpin)、ケネス・ウォルツ(Kenneth Waltz)といった現代のリアリストたちの仕事の柱になっている。

しかし、このシンプルな考えは、その長い歴史にもかかわらず、アメリカの外交エリートたちから忘れられがちである。ロシアと中国がなぜ協力するのか、イランと中東のさまざまなパートナーとの間に何があったのかを考えるのではなく、権威主義(authoritarianism)の共有、反射的な反米主義、あるいはその他のイデオロギー的連帯の結果だとエリートたちは考えがちだ。この集団的健忘症(collective amnesia)によって、アメリカの指導者たちが知らず知らずのうちに敵同士を接近させるような行動をとり、敵を引き離す有望な機会を逃すことを助長する。

力の均衡(バランス・オブ・パワー、balance of power)理論(あるいは脅威の均衡[バランス・オブ・スレット、balance of threat]理論)の基本的な論理は単純明快だ。各国が互いの脅威から各国を保護してくれる「世界政府」が存在しないため、各国は征服、強制、またはその他の危機に陥らないよう、独自の資源と戦略に頼らざるを得ないということになる。強力な国家や脅威を与える国家に直面した時、懸念を持つ国は自国の資源をより多く動員するか、同じ危険に直面している他の国家との同盟を模索し、より有利にバランス(均衡)に変えることができる。

極端な例を言えば、均衡を保つための同盟を組むには、以前は敵とみなしていた国や、将来ライバルになると理解していた国とも一緒になって戦う必要が出てくることもある。第二次世界大戦中、アメリカとイギリスはソ連と同盟を結んだが、それは共産主義に対する長期的な懸念よりも、ナチス・ドイツを倒すことが優先されたからである。ウィンストン・チャーチルは、「もしヒトラーが地獄に侵入したら、私は少なくとも悪魔については下院で好意的に言及するだろう」と言い、この論理を完璧に表現した。フランクリン・デラノ・ルーズヴェルトも、第三帝国(Third Reich)を打ち負かすためなら「悪魔と手を握ってもいい(hold hands with the devil)」と、同じような心境を語っている。

言うまでもなく、「力の均衡」の論理は、アメリカの外交政策において重要な役割を果たし、特に安全保障上の懸念が明白な場合には、重要な役割を果たした。冷戦期のアメリカの同盟関係(NATOやアジアにおける二国間同盟のハブ&スポーク・システム)は、ソ連とのバランスを取り、封じ込めるために形成された。同じ動機で、アメリカはアフリカ、ラテンアメリカ、中東などの様々な権威主義政権を支援することになった。同様に、1972年にニクソンが行った対中開放も、ソ連の台頭を懸念し、中国との関係が深まればソ連にとっては不利になるとの認識から始まった。

しかし、その長い歴史と永続的な関連性にもかかわらず、政策立案者や専門家たちは、力の均衡の論理がいかに味方と敵の両方の行動を促すかをしばしば認識できないでいる。この問題の一つは、国家の外交政策は、その外部環境(直面する脅威の数々)よりもむしろその内部特性(指導者の性格、政治や経済のシステム、支配イデオロギーなど)によって形成されると考えるアメリカが持つ共通傾向に由来している。

この観点からすると、アメリカの「自然な」同盟国は、我々と価値観を共有する国である。アメリカが「自由世界のリーダー」であるとか、NATOが自由民主主義国家の「大西洋横断コミュニティ」であるとかいうのは、これらの国々が、世界の秩序がどうあるべきかという共通のビジョンを持っているからこそ、互いに支え合っているということを示唆しているのである。

もちろん、政治的価値の共有は重要ではないということではなく、民主政治体制国家間の同盟は、独裁国家間や民主国家と非民主国家間の同盟よりもいくぶん安定していることを示唆する実証的研究も存在する。しかし、国家の内部構成が敵味方の区別を決定すると仮定すると、いくつかの点で迷いが生じる。

第一に、価値観の共有が強力な求心力であると考えるならば、既存の同盟の中には結束力と耐久性を誇張してしまうものがある。NATOはその典型的な例である。ソ連の崩壊により、その主要な根拠が失われ、同盟に新たな使命を与えるための多大な努力も、繰り返される緊張の高まりを防ぐことはできなかった。NATOのアフガニスタンやリビアでの作戦がうまくいっていれば、事態は変わっていたかもしれない。しかし、そうはならなかった。

確かにウクライナ危機はNATOの緩やかな衰退を一時的に止めたが、このささやかな反転は、NATOをまとめる上で外的脅威(すなわちロシアへの恐怖)が果たす中心的役割を強調しているに過ぎない。「価値観の共有」だけでは、大西洋の両岸に位置する約30カ国の有意義な連合体を維持するには不十分であり、トルコ、ハンガリー、ポーランドがNATOの基盤であるはずの自由主義的価値観を放棄するような状況では、それが顕著となる。

第二に、力の均衡(バランス・オブ・パワー)の政治を忘れてしまうと、他の国家(場合によっては非国家アクターたち)が自分に対して手を組んだときに、驚くことになりがちだ。2003年、ブッシュ政権は、フランス、ドイツ、ロシアが協力して、安保理でイラク侵攻の承認を得ようとしたのを阻止した。この措置は、サダム・フセインを倒すことが、逆に自分たち(フランス、ドイツ、ロシア)を脅かすことになりかねないと考えたからだ(実際、そうなってしまった)。しかし、アメリカの指導者たちは、これらの国々がサダムを排除し、この地域を民主的な路線で変革する機会を握り、利用しようとしない理由を理解できなかった。ブッシュ大統領の国家安全保障問題大統領補佐官を務めたコンドリーザ・ライスが後に認めたように、「単刀直入に言えば次のようになる。我々は単に理解していなかった」ということだ。

アメリカのイラク侵攻後、イランとシリアが手を組んでイラクの反乱軍を支援したときも、アメリカ政府は同様に驚いた。ブッシュ政権の「地域変革(regional transformation)」の努力を失敗させることは、イランとシリアにとっては完全に理にかなっていたにもかかわらず、だ。アメリカのイラク占領が成功すれば、イランとシリアはブッシュの次の標的になっていただろう。彼らは、脅威を受けた国家がするように(力の均衡理論が予測するように)行動しただけだ。もちろん、アメリカ人にはそのような行動を歓迎する理由はないが、それに驚くべきではなかった。

第三に、政治的・思想的な親和性に着目し、共有する脅威の役割を無視することは、敵対者を実際以上に一体化した存在として見ることを助長する。アメリカの政府高官や評論家たちは、敵対する国同士が主に道具的・戦術的な理由で協力していることを認識する代わりに、敵は一連の共通目標への深い関与によって結びつけられているとすぐに思い込んでしまう。以前であれば、アメリカ人は共産主義世界を強固な一枚岩とみなし、どの国の共産主義者も全てがクレムリンの信頼できるエージェントであると誤解していた。この間違いは、中ソ対立を見逃した(あるいは否定した)だけでなく、アメリカの指導者たちは、非共産主義の左翼がソ連に対してシンパシーを持っている可能性が高いと誤解していたのである。ソ連の指導者たちも逆の立場で、アメリカの指導者たちと同じ間違いを犯し、非共産圏の第三世界の社会主義者に取り入ろうとしたが、しばしば裏目に出て失望することになった。

この誤った直感は、残念ながら今日でも、「悪の枢軸(axis of evil)」(イラン、イラク、北朝鮮が同じ統一運動の一部であると示唆した)という言葉や、「イスラムファシズム(Islamofascism)」のような誤解を招く言葉の中に生き続けている。アメリカ政府高官や専門家たちは、過激派を多様な世界観や目的を持った、競争し合う組織として見るのではなく、敵が全て同一の行動指針に基づいて行動しているかのように日常的に発言し行動している。これらのグループは、共通の教義によって強力に結束しているとは言えないし、しばしば深いイデオロギー的分裂や個人的対立に苦しみ、共通する確信よりも必要性から力を合わせているに過ぎない。しかし、全てのテロリストが一つの世界的な運動における忠実な兵士であると仮定すると、彼らは実際よりも怖く見えてしまう。

更に悪いことに、アメリカは過激派の分裂を促す方法を探す代わりに、過激派同士を接近させるような行動や発言をしばしばしている。分かりやすい具体例を挙げれば、イラン、ヒズボラ、イエメンのフーシ、シリアのアサド政権、イラクのサドル運動の間には、ささやかなイデオロギー的共通点があるかもしれないが、これらのグループはそれぞれ独自の利益と課題を抱えており、彼らの協力は、まとまった、あるいは統一したイデオロギー戦線としてよりも、戦略同盟として理解するのが最も適切だろう。サウジアラビアやイスラエルがアメリカにそのようにするように望む、敵対勢力に対して全面的な圧力をかけることは、敵対する全ての国々に、互いに助け合う理由をさらに増やすだけのことだ。

最後に、力の均衡(パワー・バランス)の力学を無視することは、米国の地政学的な最大の利点の一つを無駄にすることだ。西半球で唯一の大国である米国は、同盟国を選択する際に大きな自由度を持ち、その結果、同盟国に対して大きな影響力を持つことができる。地理的な孤立がアメリカに提供する「自由な安全保障」を利用すれば、地域的な対立が発生したときにそれを利用し、遠い地域の国家や非国家主体がアメリカへの関心と支援を求めて競争することを促し、現在アメリカに敵対する諸国の間に楔を打ち込む機会を警戒し続けることができる。このアプローチには、柔軟性、地域情勢に対する高度な理解、他国との「特別な関係」を嫌うこと、そして、意見の異なる国を悪者にしないことが必要だ。

残念ながら、米国は過去数十年間、特に中東において、正反対のことをしてきた。柔軟性を発揮する代わりに、同じ同盟諸国に固執し、相手を安心させることよりも、自分たちが最善と考える行動を取らせることに腐心してきた。エジプト、イスラエル、サウジアラビアとの「特別な関係」を深めてきたが、そうした親密な支援の正当性は弱まってきている。そして、時折の例外を除き、イランや北朝鮮のような敵対国を、脅したり制裁したりすることはあっても、対話することはない存在として扱ってきた。その結果は、残念ながら明白だ。

読者の皆さんにお知らせ。私は本を書き上げるため、この『フォーリン・ポリシー』誌での職務を短期間休止します。2018年2月にコラムを再開する予定ですが、世界の出来事が私を再び戦いに引きずり込むことがない限り、このコラムを再開します。それまで静かにお待ちいただくよう、よろしくお願いします。皆さんにとって楽しい休暇と平和で豊かな2018年になりますようにお祈りします。

※スティーヴン・M・ウォルトはハーヴァード大学ロバート・レニー・ベルファー記念国際関係論教授。

(貼り付け終わり)

(終わり)

bigtech5shawokaitaiseyo501
ビッグテック5社を解体せよ

akumanocybersensouwobidenseikengahajimeru001

 悪魔のサイバー戦争をバイデン政権が始める
20211129sankeiad505

このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

このページのトップヘ