古村治彦(ふるむらはるひこ)の政治情報紹介・分析ブログ

SNSI研究員・愛知大学国際問題研究所客員研究員の古村治彦(ふるむらはるひこ)のブログです。翻訳と評論の分野で活動しています。日常、考えたことを文章にして発表していきたいと思います。古村治彦の経歴などについては、お手数ですが、twitter accountかamazonの著者ページをご覧ください 連絡先は、harryfurumura@gmail.com です。twitter accountは、@Harryfurumura です。よろしくお願いします。

タグ:国際関係論

 古村治彦です。

 昨日は、国際関係論の一学派リアリズムの泰斗であるスティーヴン・M・ウォルトのリアリズムによる新型コロナウイルス感染拡大に関する分析論稿を紹介した。今回ご紹介する論稿はウォルトの論稿に対する反論という内容になっている。

 新型コロナウイルス拡大が国際的な問題となって3年が経過した。各国は医療体制の拡充や補助金の新設や増額などで対応してきた。日本も例外ではない。そうした中で、国家の役割が増大し、人と物、資本が国境を越えて激しく動き回る、グローバライゼーションの深化はとん挫した形になった。国際機関に対する信頼も小さくなっていった。

 しかし、今回ご紹介する論稿の著者ジョンストンは、初期段階の対応はリアリズムで分析できるが、これからはそうではないと述べている。もう1つの学派であるリベラリズム(Liberalism)によって分析・説明が可能になると主張している。

 リベラリズムとは、各国家は国益を追求するために、進んで協力を行う、国際機関やNGOなどの非国家主体が国際関係において、重要役割を果たすと主張する学派だ。新型コロナウイルス感染拡大の初期段階では各国は国境を閉じ、人の往来を制限して、国内での対応に終始した。しかし、これから新型コロナウイルス感染拡大前の世界に戻るということになれば、国際的な取り決めや協力が必要になり、国際機関の役割も重要になっていく。グローバライゼーションの動きがどれくらい復活をしてくるかは分からないが、おそらくこれまでのような無制限ということはないにしても、人、物、資本の往来はどんどん復活していくだろう。

 社会科学の諸理論は、社会的な出来事を分析し、説明し、更には予測することを目的にして作られている。理論(theory)が完璧であればそれは法則(law)ということになるが、それはなかなか実現できないことだ。諸理論は長所と短所をそれぞれ抱えており、また、現実の出来事のどの部分を強調するかという点でも違っている。理論を構成していくというのは、言葉遊びのようであり、まどろっこしくて、めんどくさいのように感じる。

 しかし、そうやって遅々としてか進まない営為というものもまた社会にとって必要であり、いつか大いに役立つものが生み出されるのではないかという希望を持って進められるべき営為でもある。日本においては官民で、学問研究に対する理解も支援も少なくなりつつあるように感じている。それは何とも悲しいことだし、日本の国力が落ちている、衰退国家になっているということを実感させられる動きだ。

(貼り付けはじめ)

感染拡大とリアリズムの限界(The Pandemic and the Limits of Realism

-国際関係論の基本的な理論であるリアリズムはそれが主張するよりも現実的ということではない。

セス・A・ジョンストン筆

2020年6月24日

『フォーリン・ポリシー』誌

https://foreignpolicy.com/2020/06/24/coronavirus-pandemic-realism-limited-international-relations-theory/

スティーブン・ウォルトの「コロナウイルス感染に対するリアリズム的ガイド」は、彼の他の論文とともに、国際関係の現実主義者がコロナウイルスをこの学派の思想の正当性を証明するのに役立つと見ている説得力のある例である。現実主義者が自信を持つには十分な理由がある。新型コロナウイルス感染拡大への対応は、主権国家の優位性(primacy of sovereign states)、大国間競争の根拠(rationale for great-power competition)、国際協力への様々な障害(obstacles to international cooperation)など、リアリズムの伝統の主要な信条を実証するものとなった。

しかし、新型コロナウイルス感染拡大は、政策を成功に導く源泉としてのリアリズムの欠点も露呈している。リアリズムが得意とするのは、リスクや危険を説明することであり、解決策を提示することではない。リアリズムの長所は治療や予防よりも診断にある。新型コロナウイルスに最も効果的に対処するためには、政策立案者たちは、過去4分の3世紀の他の大きな危機への対応に、不本意ながら情報を与えてくれたもう1つの理論的伝統に目を向ける必要がある。

リアリズムは多くのことを正しく理解しており、それが、少なくともアメリカにおいて、リアリズムが国際関係論の基礎となる学派であり続ける理由の1つである。新型コロナウイルス感染拡大は、世界政治の主役は国家であるというリアリズムの見識を浮き彫りにしている。新型コロナウイルスが発生すると、各国は国境を閉鎖または強化し、国境内の移動を制限し、安全保障と公衆衛生の資源を結集して迅速に行動した。世界保健機関(World Health OrganizationWHO)は当初、こうした国境管理に反対するよう勧告し、企業は経済活動の低下を懸念し、個人は移動の自由の制限に苦しんだが、これは秩序を維持し出来事を形成する国家の権威を強調するものだ。

しかし、国の独自行動がいかにリアリズムから理解できるものであっても、また予測できるものであっても、その不十分さは同じである。国境管理と渡航制限によって、各国が新型コロナウイルス感染拡大から免れることはなかった。たとえ完璧な管理が可能であったとしても、それが望ましいかどうかは疑問である。島国であるニュージーランドは、物理的な地理的優位性と国家の決定的な行動により、新型コロナウイルスに対して国境を維持し、比較的成功を収めていることについて考える。ニュージーランドが国家的勝利を収めたとしても、感染拡大が国境を越えて猛威を振るう限り、それは不完全なものに過ぎない。再感染し、国際的な開放性に依存する産業が経済的なダメージを受け続ける危険性がある。つまり、自国内での感染を防ぐことは国益にかなうが、他の国が同じことをしない限り、その国益は実現しないのだ。経済や安全保障の競争は、「相対的利益(relative gains)」やゼロサムの競争論理といったリアリズム的な考察に合致しやすいが、疾病のような国境を越えた大災害は、「無政府状態(anarchy)」の国際システムにおける個々の国家の限界を露わにする。

国境を越えるようなリスクと国益との間の断絶は、資源をめぐる国家の奔走という別の問題にも関連している。ここでもリアリズムがこの問題の診断に役立っている。なぜ各国が医療用マスク、人工呼吸器、治療やワクチンのための知的財産といった希少な品目をめぐって争うのかを説明している。このような争いは、ゼロサムの論理の性質を持つ。しかし、協調性のない行動は非効率的な配分(inefficient allocation)をもたらし、時間と労力を浪費し、コストを増大させる。これら全ては、感染症の発生を阻止するという包括的なそして共通の利益を損なうものである。同じ資源をめぐるアメリカの州や自治体の無秩序な争いは、国内でもよく見られる光景である。リアリズムが提示する建設的な選択肢はほとんどない。

リアリストたちは国際機関を信用しないよう注意を促す。例えば、国連もWHOも新型コロナウイルスを倒すことはできない。国際機関が自律的な国際的なアクターであるとすれば、それは弱いものであることは事実である。しかし、この批判は的外れである。国際機関は、国家の行動に代わるものでも、国際関係における国家の主要な地位に対する挑戦者でもない。むしろ、外交政策や国家運営(statecraft)の道具である。国家が国際機関を設立し、参加するのは、予測可能性(predictability)、情報、コスト削減、その他機関が提供できるサーヴィスから利益を得るためである。リアリズムの著名な学者であるジョン・ミアシャイマーでさえ、国際機関は「事実上、大国が考案し、従うことに同意したルールであり、そのルールを守ることが自分たちの利益になると信じているからである」と認めている。制度学派のロバート・コヘインとリサ・マーティンが数十年前にミアシャイマーとの大激論で述べたように、国家は確かに自己利益追求的であるが、協力はしばしば彼らの利益になり、制度はその協力を促進するのに役立つのである。ミアシャイマーは、最近、他の分野でもアメリカの利益に資するために、より多くの国際機関を創設するよう主張したので、最終的には同意することになったのかもしれない。また、制度学派も、安易な協力を期待することの甘さに対するリアリズムの警告を認めている。日常生活において、隣人との協力は簡単でも確実でもない。しかし、アメリカ人の多くが感染拡大にもかかわらず、街頭に出て要求したように、代替案よりも望ましいことであるから、それを得るために努力する価値があるのだ。

主要な違いは、制度主義(institutionalism)の方が、自己利益追求的な協力の現実的な可能性をより強調することである。この強調の仕方の違いによって、リアリズムと制度主義の間にある実質的な共通点が曖昧になりかねない。両方とも、国際協力(international cooperation)が望ましいことは認識しているが、より困難な問題は、それをどのように達成するかということである。この点では、現実主義的な洞察(insight)が大いに貢献する。覇権的なパワー(hegemony power)が国際的な制度を押し付けると、その制度は覇権を失った後も存続しうるという古典的な考え方がある。また、ジョセフ・ナイのリーダーシップに関する議論でも、パワーは中心的な役割を果たし、コストを下げ、成果を向上させるために、パワーのハードとソフト両面の「賢い(smart)」応用が必要であるとしている。さらに他の研究者たちは、制度設計(institutional design)が強制、情報共有、その他の設計上の特徴を通じて、不正行為(cheating)、恐怖(fear)、不確実性(uncertainty)のリスクを縮小することができると指摘している。これらの資源は完璧ではないが、パワー、リーダーシップ、制度設計に対する影響力など、その全てがアメリカで利用可能であることは朗報である。

日常生活において、隣国との協力は簡単でも確実でもない。しかし、感染拡大にもかかわらず、アメリカ人の多くが街頭に立って要求しているように、代替案よりも望ましいことであるから、それを得るために努力する価値はある。国益は、利用可能な資源やヴィジョンと相まって、アメリカや他の国々が過去の危機の際に国際機関を設立し、行動してきた理由を説明する。国際連合(United Nations)は、第二次世界大戦中にアメリカが連合国(the Allies)に対して作った造語であり、終戦時に制度化されたものである。イスラム国(Islamic State)討伐のための国際的な連合は、国際テロ対策という共通の利益を更に高めるために数十カ国が結集し、それ自体は2014年のNATO会議の傍らで考案されたものである。2008年の金融危機の際、各国は経済政策を調整し、コストを分担し、経済を救うために、G20を再発明した。

アメリカはこうした制度の創設を主導し、莫大な利益を得た。第一次世界大戦後の国際連盟(League of Nations)への加盟を拒絶し、911後のテロ対策では、当初はやや単独行動的(unilateral)であったように、国際協力は必ずしもアメリカの最初の衝動では無かった。しかし、アメリカは最終的に、国際的な協調行動とリーダーシップによって、自国の利益をよりよく実現することができると判断したのである。

新型コロナウイルスの大流行に対する国家の初期反応については、リアリズムで説明することができるが、より良い方法を見出すためには、他の諸理論に建設的な政策アイデアを求める必要がある。これまでの世界的危機と同様、アメリカは国際機関に国益を見出す努力をすることができるし、そうすべきである。

※セス・A・ジョンストン:ハーヴァード大学ベルファー科学・国際問題センター研究員。

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(終わり)

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 古村治彦です。

 世界は問題にあふれている。個人生活から、それぞれの国家、国際社会、国際関係まで、それぞれのレヴェルで様々な問題が存在する。複数の問題が複雑に絡まって、こんがらがって、にっちもさっちもいかない状態に起きることもある。

 以下の論稿の著者スティーヴン・M・ウォルトはまず現代の諸問題(大きな衝撃)を10個挙げている。それらは、(1)ソヴィエト帝国の崩壊、(2)中国の台頭、(3)911テロ攻撃と対テロリズム国際戦争、(4)2008年の金融溶解、(5)アラブの春、(6)世界規模の難民危機、(7)ポピュリズム、(8)新型コロナウイルス、(9)ウクライナでの戦争、(10)気候変動である。これらはメディアの主要なテーマであったし、現在でも主要なテーマになっている。昔の表現を使えば、「新聞の一面記事を飾る」ということになる。

 これらの問題に対処する際に、「一気にできるだけ早く(問題があることは良くないことで許せない)」という理想主義で対処すると大抵失敗する。共産主義革命がよい例だ。革命によって、旧体制が抱える諸問題を一気に解決しようとすると思いもよらなかった新たな問題が起きたり、無理をすることで人々や社会に大きな負担を与えたりすることになる。諸問題に対処するためには、「ゆっくりと堅実に(問題が起きるのは人間や社会が存在する限り仕方がないのだから慎重に対応しよう)」という態度が必要だ。

 何か追われているという感覚がみなぎっている時代に「ゆっくりと堅実に」という態度は非常に難しくなっている。

(貼り付けはじめ)

世界はどれだけの衝撃に耐えられるか?(How Many Shocks Can the World Take?

-私たちはあらゆることがあらゆる場所で一度に起こった時に何が起こるかを目の当たりにしている。

スティーヴン・M・ウォルト筆

2022年10月24日

『フォーリン・ポリシー』誌

https://foreignpolicy.com/2022/10/24/how-many-shocks-can-the-world-take/

このコラムの常連読者の皆さんは、私が警鐘を鳴らすのが好きではないことをご存じだろう。ある外交政策決定がもたらすコストやリスクを心配することはあっても、外交政策の専門家たちが脅威を誇張し、最悪の事態を想定する傾向に対して、私は反発する傾向があるが、いつもそうだという訳ではない。しかし、いつもそうとは限らない。時に、オオカミが本当にドアの前にいて、心配し始める時がある。

今日、私を悩ませているのは、私たちの集団的な対応能力を圧倒するような一連の混乱の中で私たちが生きているのではないかという、歯がゆい不安である。もちろん、世界の政治が完全に静止していることはないが、これほど深刻な衝撃の連続は、長い間、見たことがあない。私たちは人間の知恵が最終的に解決してくれると考えることに慣れている。しかし、政治学者のトーマス・ホーマーディクソンが何年も前に警告したように、解決すべき問題の数があまりにも多く複雑になると、その心強い仮定は当てはまらないかもしれない。

(1)ソヴィエト帝国の崩壊The breakup of the Soviet empire

ソヴィエト連邦の崩壊と東欧のビロード革命(velvet revolutions)は、多くの点で前向きな展開であったが、同時にかなりの不確実性(uncertainty)と不安定性(instability)をもたらし、今日でも反響を呼ぶ政治展開(NATO拡大など)への扉を開いてしまったのだ。アゼルバイジャンとアルメニアの戦争、ユーゴスラビアの崩壊とその後のバルカン戦争、アメリカの不健康な傲慢さの助長、中央アジアの政治の再構築などに直接つながったのである。ソ連の庇護を失ったことで、アフリカ、中東、アメリカ大陸の政府も不安定になり、予測不可能な、そして時には不幸な結果を招いた。歴史は終わったのではなく、別の道を歩んだ。

(2)中国の台頭(China’s rise

アメリカ人は当初、一極(unipolar)の時期は長く続くと考えていたが、ほとんどすぐに新たな大国のライヴァルが出現した。中国の台頭は、おそらく突然の、あるいは予期せぬ衝撃ではないだろうが、それでも極めて急速であり、西側の専門家の多くは、それが何を予兆しているかを見誤っていた。中国はまだアメリカよりかなり弱く、国内外で深刻な逆風(headwinds)に晒されているが、目覚しい経済成長、高まる野心、拡大する軍事力は否定しようがない。また、中国の経済発展は、気候変動を加速させ、世界の労働市場に影響を与え、現在の超グローバリズムに対する反発の引き金にもなっている。その富と力(wealth and power)の増大は中国国民の生活を向上させ、他の人々にも恩恵を与えたが、既存の世界秩序に衝撃を与えていることに変わりはない。

(3)911テロ攻撃と対テロリズム国際戦争(The 9/11 attacks and the global war on terrorism

2001年9月、世界貿易センターを破壊し、米国防総省に被害を与えた同時多発テロは、アメリカの外交政策を一変させ、アメリカは10年以上にわたってテロとの戦いに巻き込まれることになった。この出来事は、アフガニスタンのタリバン打倒と2003年のイラク侵攻に直結し、いわゆる「永遠の戦争(forever wars)」は、結局、あの日失ったものをはるかに上回る血と財をアメリカに浪費させたのである。また、テロとの戦いは中東諸国を不安定にし、意図せずして「イスラム国」のような集団を生み出し、その行動はヨーロッパにおける右翼過激派の台頭を助長した。更に言えば、アメリカ国内政治の軍事化(militarization)と分極化(polarization)、アメリカ国内における右翼過激派の主流化(mainstreaming)を加速させたことは、どう考えても大きな衝撃だった。

(4)2008年の金融溶解(The 2008 financial meltdown

アメリカのサブプライムローン市場の崩壊は、金融パニックを引き起こし、瞬く間に世界中に広がった。ウォール街の「宇宙の支配者(Masters of the Universe)」とされた人々は、他の誰よりも誤りやすい(あるいは腐敗しやすい)ことが判明し、この問題を起こした人々は責任を問われることはなかったが、危機発生前のような威信と権威を伴って発言することはできなかった。ヨーロッパは急激な景気後退(sharp recession)、長引く通貨危機(protracted currency crisis)、10年にわたる苦しい緊縮財政(painful austerity)に見舞われ、ポピュリズム政党に再び政治的な追い風を与えた。中国当局もまた、この危機を欧米の衰退を示す兆候であり、自国の外交政策上の野心を拡大する機会であると考えていた。

(5)アラブの春The Arab Spring

忘れられようとしているが、「アラブの春」は、いくつかの国で政権を倒し、一時は広く民主制度移行(democratic transitions)を期待させ、リビア、イエメン、シリアで現在も続く内戦(civil wars)を引き起こした騒々しい出来事であった。この革命は権威主義的な弾圧(authoritarian crackdowns)(「アラブの冬[Arab Winter]」として知られる)で終わり、改革者たちが獲得した成果のほとんど全てを覆した。ヨーロッパで起きた1848年の革命のように、「近代史が転換できなかった転換点(turning point at which modern history failed to turn)」であった。しかし、それは意思決定者の多くが時間と関心を消費し、多くの高官の評判を落とし、多大な人的被害をもたらした。

(6)世界規模の難民危機The global refugee crisis

国連難民高等弁務官事務所によると、「強制移住者(forcibly displaced)」の数は2001年の約4200万人から、2021年には約9000万人に増加すると言われている。難民の流入は、それ自体、私たちが経験した他の衝撃の結果であるが、それ自体が深刻な影響を及ぼし、この問題は簡単には解決できない。そのため、近年、各国政府や国際機関が対応に苦慮しているもう1つの衝撃となっている。

(7)ポピュリズムが人気になる(Populism becomes popular

2016年は、少なくとも2つの衝撃的な出来事があった。ドナルド・トランプがアメリカの大統領に選ばれ、イギリスがヨーロッパ連合からの離脱に票を投じた。どちらも予想を裏切り、反対派が懸念していた通りの悪い結果となった。トランプは、選挙期間中に現れた通り、腐敗し、気まぐれで、ナルシストで、無能であることが証明されたが、彼の最も厳しい批判者たちでさえ、アメリカの民主政治体制の基盤(foundations of American democracy)を攻撃する彼の意欲を過小評価していた。実際、選挙での敗北から2年以上が経過し、複数の法的問題に直面しているトランプは、アメリカの政治生活に毒を及ぼし続けている。ブレグジットは、イギリスでも同様の影響を及ぼした。EU離脱はイギリス経済に大きなダメージを与えただけでなく(まさに反対派の警告通り)、保守党の現実逃避を加速させ、ボリス・ジョンソン前首相の風刺的で連続的に不正直な行動や、リズ・トラス首相のダウニング街10番地での短い在任期間を完全に破綻させるに至った。世界第6位の経済大国が、このような愚か者の連続によって統治されるのは、誰にとっても良いことではない。

(8)新型コロナウイルス(COVID-19

次はどうなる? 世界的な大流行(パンデミック)はどうだろうか? 専門家は以前から、このような事態は避けられない、世界はそれに対する備えをしていないと警告していたが、そう舌警告はあまりにも的確なものであったことが判明した。少なくとも6億3千万人が感染し(実際の数はもっと多いだろう)、公式の世界死者数は650万人を超え、パンデミックは多くの国々(特に発展途上諸国)の貿易、経済成長、教育成果、雇用に大きな影響を及ぼしている。ワーク・ライフ・パターンは崩壊し、各国政府は自国の経済を救うために緊急対策を講じなければならず、将来の生産性の伸びはほぼ確実に低下し、金融緩和政策とサプライチェインの混乱が相まって、政府や中央銀行が現在その抑制に苦慮している持続的インフレの引き金となった。

(9)ウクライナでの戦争(The war in Ukraine

ロシアのウクライナ侵攻がもたらす影響の全容はまだ分からないが、それは決して些細なことではないだろう。この戦争はウクライナに甚大な損害を与え、武力による領土獲得を禁じた既存の規範を脅かし、ロシア自身の軍事的欠陥を露呈し、ヨーロッパの本格的な再軍備に火をつけ、世界のインフレを悪化させ、核兵器使用の可能性を含むエスカレーションのリスクをここ数十年で見られなかったレヴェルまで高めた。ロシアと欧米諸国の関係は以前から悪化していたが、これが2022年に大規模な戦争につながり、ワシントンやヨーロッパの外交政策課題を支配することになるとはほとんど予想されていなかった。

(10)気候変動(Climate change

これらの出来事の背後には、気候変動という動きの緩慢な衝撃が隠されている。気候変動の影響は、自然災害の悪化、内戦の激化、深刻な被害を受けた地域からの移住の増加として現れている。移住や気温上昇への適応には多大な費用がかかり、温室効果ガス排出削減のための国際協力も進んでいない。つまり、気候変動の規模は、各国政府があまりにも長い間無視してきた衝撃のひとつであり、今後数十年にわたって対処していかなければならないものだ。

この他にも様々な出来事があり、そのうちの1つや2つでもうまく対処するのは容易ではない。このような急激な連続に対処するなど、ほぼ不可能であることははっきりしている。

第一の問題は処理能力(bandwidth)である。あまりにも多くの混乱があまりにも早く発生すると、政治指導者には創造的な解決策を考慮したり、代替案を慎重に検討したりする時間や注意力がなくなってしまう。政治指導者たちは、創造的な解決策を考えたり、代替案を慎重に検討したりする時間や注意力を持てず、ひどい対応をとる可能性が高くなる。また、選択した解決策がどの程度うまく機能しているかを評価する時間も十分になく、誤りを適時に修正することも困難になる。

第二に、資源は有限なので、過去の危機で今必要な資産を使い果たした場合、最新の衝撃に適切に対処することが不可能になる可能性がある。指導者たちが直面する問題が多ければ多いほど、それぞれの問題に注意を払い、必要な資源を提供することは難しくなる。

第三に、連続する衝撃がつながっている場合、ある問題を解決しようとすると、他の問題を悪化させる可能性がある。 例えば、ウクライナ侵攻後、ヨーロッパがロシアから天然ガスを買わなくなったのは良いことだったが、この措置によりエネルギーコストが上昇し(インフレを悪化させ)、天然ガスの代わりに石炭を燃やすと温室効果ガスの排出が増え、気候変動を悪化させることにつながった。ウクライナ支援に注力することは正しいことかもしれないが、中国の台頭がもたらす問題から時間と労力を奪うことになる。中国が軍事力を強化するために西洋の技術を利用することを制限することには、それなりの理由がある。しかし、チップなどの先端技術に輸出規制を課すことは、アメリカの経済成長を損ない、少なくとも短期的には、アメリカ企業の一部に大きな打撃を与えることになる。一度に解決しようとする問題が多ければ多いほど、ある問題への対応で他の問題への取り組みが損なわれる危険性が高くなる。

最後に、指導者たちが極めて幸運であるか、異常に熟練していない限り、複数の衝撃に対処しようとすると、政治システム全体に対する国民の信頼が損なわれる傾向がある。ロシアの攻撃に対するウクライナの人々のように、明確な危機がひとつでも発生すれば、市民は政府のもとに集い、政策の成功によって、担当者は自分たちのしていることを本当に理解しているのだと確信することができるかもしれない。しかし、公務員が誰もが対処できないほどの衝撃に直面し、繰り返し良い結果を出せなかった場合、市民は彼ら(そして彼らが助言を求めている専門家たち)に対する信頼を失うことになる。関連する知識、経験、責任を持つ人々を信頼する代わりに、市民は専門知識を軽視するようになり、権力者共同謀議論(conspiracy theories)やその他の現実逃避(flights from reality)に弱くなる。もちろん、この問題は、責任者が目に見えて不正直で、腐敗し、利己的で、国民から軽蔑されても仕方がないような人物であれば更に悪化してしまう。

この物語にハッピーエンドはない。それで、ただ最後に思うことがある。私たちは、「速く動いて、壊す(move fast and break things)」ことが呪文になっている時代に生きてきた。それは、動きの速いデジタル技術の世界だけに限ったことではない。近年、私たちが経験した衝撃を考えると、今は「ゆっくりとそして堅実に(slow down and fix stuff)」をモットーにした方がいいのだろう。この機会を逃さないようにしたいものだ。

※スティーヴン・M・ウォルト:『フォーリン・ポリシー』誌コラムニスト。ハーヴァード大学ロバート・アンド・レニー・ベルファー記念国際関係論教授。ツイッターアカウント:@stephenwalt

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 古村治彦です。

 2022年は戦争の年となった。ウクライナ戦争によって、ウクライナとロシアの両国民の多くは直接的に生命の危機に瀕している。戦争と経済制裁の影響を受けて、世界規模で資源や食料の価格が高騰し、他国の人々の生活にも大きな影響が出ている。一般庶民にとっては「生活防衛」のために「戦いの年」でもあった。

 戦争はいつの時代も起きる。人間が種として存続し、国家が存続し、欲望が存続するならば、戦争はなくならないだろう。国際関係論のリアリズムの原理は、「国家をコントロールする上部の世界政府のような存在がない以上、戦争はなくなることはない」というものだ。これは悲しいが真実ということになるだろう。

 それでも、戦争の危険を減らすことはできる。ある国の指導者が「戦争を起こす」という考えを持って実際に戦争を起こすまでの間に、何とか止めることはできないかということだが、万能薬はないが、少しは効果のある方法はある。それは、「戦争は利益をもたらさないし、解決ももたらさない」ということを歴史から学ぶことだ。

 アメリカは世界の警察官を自任し、アフガニスタンやイラクで戦争を起こしたが、その結果はアメリカにとって利益にならず、問題解決にもつながらなかった。儲かったのは、政治家たちと武器商人たちだけだった。アメリカが傲慢にも「民主的な政治体制や人権や自由主義的なイデオロギーや価値観は世界中に移植可能だ。世界の全ての国が民主国家になって西洋的な価値観を報じるようになれば世界は平和になる」と考えて、戦争を仕掛けたことで仕掛けられた国は不幸になった。独裁者を外科手術のようにして排除することはできても別の不幸が起きる。このことを私たちは21世紀になって学んだ。

 「戦えばうまくいく、事態を打開できる」などという言葉で指導者層が自分たち自身を騙して戦争に突入し、悲惨な結果となった国がある。それが日本だ。防衛費を増額し、先制攻撃を可能にすることで、またぞろこのようなお勇ましい掛け声が飛び交うようになっている。私たちはこのことをよくよく考えねばならない。私たちは、アメリカのようにいつでも「戦時中」であってはいけない。子や孫の代まで「戦後」を生きていけるようにしなければならない。そのためには戦争を起こしてはいけないということになる。

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世界平和に向けたリアリストのガイド(The Realist Guide to World Peace

-戦争を終わらせたいと望むにあたりリアリストになる必要はない。

スティーヴン・M・ウォルト筆

2022年12月23日

『フォーリン・ポリシー』誌

https://foreignpolicy.com/2022/12/23/a-realist-guide-to-world-peace/

休暇の季節だ。毎年、平和について考えることが奨励される短い期間だ。この時期には戦争中の軍隊が停戦を宣言することもあるし、世界中の様々な信仰の共同体では、平和を追求し維持することが神聖な義務であると語られる。幸運にも、私たちの多くはこれから数日間、友人や家族と楽しく過ごし、人間の残酷な本能を少なくともひとまず脇に置いておこうとすることだろう。

正直なところ、2022年は平和にとって良い年ではなかった。ウクライナでの残忍で無意味な戦争(終結の兆しはなく、更に悪化する可能性もある)に加え、イエメン、ミャンマー、ナイジェリア、エチオピア、シリアなど多くの場所で暴力的な紛争がまだまだ進行中だ。11月にバリ島で開催されたG20サミットでは、ジョー・バイデン米大統領と習近平中国国家主席がかなり友好的な会談を行ったが、世界で最も強力な2カ国は、多くの重要な問題で依然として分裂したままだ。このような世界情勢と、世界を主導する大国であり続けたいアメリカの意向を考えれば、連邦上院が国防予算の8%増を可決したことに誰も驚かないはずだ。ドイツや日本など、以前は平和主義に傾いていた国々でさえ、2022年には劇的な再軍備に踏み切った。

私のようなリアリストにとっては、これらの動きは驚くべきことではない。リアリズムの中心的な教訓は、中央政府の存在しない、独立した国々の世界では、戦争の可能性が常に存在し、国家が行うことの多くに影を落としているということだ。戦争は本質的に破壊的であり、しばしば不確実であるため、リアリストたちは理想主義的な十字軍(idealistic crusades)を警戒し、他者が正当であろうとなかろうと、重要な利益とみなすものを脅かす危険性に注意を払う傾向がある。むしろ、全ての学派や潮流のリアリストたちが強調するのは、指導者たちが乏しい情報や自らの妄想に容易に惑わされ、崇高な目的でさえも残念な結果を生み出しかねない世界の悲劇的特徴だ。

しかし、リアリストたちもリアリズムに対する批判者たちも、深刻な紛争の可能性に対して手を上げて、何もすることができないと宣言することはできない。国家間および国家内の戦争は常に危険であるが、真の課題は、新たな戦争のリスクを最小限に抑え、既存の戦争を終結させるのに役立つ政策を考え、実行することだ。平和の利益と戦争のコストやリスクがかつてないほど高まっている今日、この課題は人類史上最も緊急性の高いものとなっている。

第一に、利益について考えてみよう。経済的相互依存(economic interdependence)が国家間および国家内の平和を促進すると考える人は多いが、ロシアのウクライナ侵攻によって、この考えに疑問を呈することになる。しかし、今回のロシアのウクライナ侵攻はその考えを覆すものだ。その反対が真実である。平和は相互依存をより現実的なものにし、経済交流の恩恵をより低いリスクで享受することを可能にする。戦争の危険が減れば、投資家は安心して資本を他国に送ることができ、政府は貿易相手国が交換から少しでも多くの利益を得ているかどうかを心配する必要がなくなり、国家はライヴァル国が自国に害をなすような知識を得ることを心配せずに外国人訪問者や留学生を迎えることができ、精巧なサプライチェーンにとってのリスクが少なく、誰もが常に相対優位性(relative interdependence)を追求するのではなく、共同の利益を追求することができる。大国間の深刻な対立がないことが、近年のグローバライゼイションの時代を促進し、その欠陥にもかかわらず、人類に莫大な利益をもたらした。また、戦争がなければ、社会は自分たちとは異なる文化からのアイデアや教訓を交換することに、よりオープンになることができる。

次に、コストとリスクについてだ。もちろん、その最たるものは人的・経済的な代償である。戦争が始まって以来、20万人近いウクライナ人とロシア人が死傷し、数百万人の難民が流出した可能性がある。ウクライナにかかる経済的コストは恐ろしいほど大きく、ロシア自身の経済も衰退しており、戦争は他の多くの国々の経済問題や食糧不足を悪化させた。同様に、イエメンの内戦とサウジアラビアの介入で40万人近くが死亡し、既に貧しい国土を荒廃させ、アフリカとラテンアメリカの内戦はこれらの地域を浸食し、国外への移住を促し続けている。

しかし、紛争の直接的なコストは、その代償の一部に過ぎない。国家間の競争が激化し、戦争のリスクが高まれば、相互の利害に関する事柄であっても、協力する能力は低下する。気候変動、疫病の蔓延、難民の増加など、人類は今日、多くの困難な問題に直面している。そのどれもが、クリミアや台湾、ナゴルノ・カラバフを誰が統治するかということ以上に重要な問題であり、簡単に解決できるものではない。各国が争えば争うほど、あるいは戦争の準備に時間と労力と資金を割けば割くほど、こうした他の問題への対処は難しくなる。

また、戦争がエスカレートしたり拡大したりするリスクも避けられない。国家は勝利を得るため、もしくは敗北を避けるため、必ずより多くのことをしたくなり、第三者は意図的に、あるいは不注意によって、より深く関与するようになることが多い。言うまでもなく、このような危険は、核兵器を保有する国家が関与している場合には、特に懸念される。核兵器がエスカレートする可能性は極めて低いかもしれないが、その可能性を完全に否定するのは無謀であろう。それは平和主義を主張するものではないが、戦争よりも平和を好む強力な理由となる。

平和の困難さは、個々の独裁者の傲慢さと愚かさのせいだと言いたいところだが、今年はそのどちらにも欠けることがないのはご存じの通りだ。ロシアのウラジミール・プーティン大統領には、NATOの拡大とロシアの安全保障への影響を懸念する正当な理由があったかもしれない。しかし、その懸念に対する彼の「解決策(solution)」は、何千人もの罪なき死者と膨大な人的被害をもたらし、ロシアをより強くも安全にもすることはないだろう。サウジアラビアのムハンマド・ビン・サルマン王太子によるイエメンへの介入や、イランの政権やミャンマーの軍事政権が進める残忍な弾圧についても、同じことが言えるかもしれない。しかし、独裁政治が問題だと結論づける前に、強力な民主国家が偏執症(パラノイア)と傲慢の危険な組み合わせに屈することがあることを思い出して欲しい。ジョージ・W・ブッシュ元米大統領、ディック・チェイニー元副大統領とその部下たちが2003年に示した具体例を思い出して欲しい。

残念ながら、私は恒久平和の方程式を持ち合わせてはいない。しかし、私はよく観察している。最近の戦争で顕著なのは、戦争を始めた国に大きなマイナスになることがいかに多いかということだ。1905年に日本がロシアに対して行ったように、あるいはドイツ統一戦争でビスマルクのプロイセンが行ったように、大国が大きな戦争を始めて劇的な戦略的利益を得ることができた時代は、もう過去のものとなったようだ。イラクのサダム・フセイン元大統領はイランを攻撃し、クウェートに侵攻し、いずれも大敗を喫した。アメリカはイラクとアフガニスタンに侵攻し、コストのかかる泥沼に陥った。2011年のリビアへの介入は破綻国家(failed state)を生み出した。イスラエルによるレバノンへの介入は18年間の占領を招き、その結末はアメリカがアフガニスタンで行った長い努力と何ら変わらないものとなった。セルビアのコソボへの攻撃は、最終的にセルビアの指導者スロボダン・ミロシェヴィッチの戦争犯罪者としての起訴と権力の排除につながった。実際、戦争を始めるという決断が、その責任者に大きな利益をもたらしたという例は、最近あまりないように思われる。例えば、エチオピアのティグライ人民解放戦線に対する作戦は、政府に有利な和平合意で終わったかもしれないが、この戦争はアビイ・アーメド首相のかつての名声を大きく傷つけた。

他にも色々あるが、大体がこんなところだろう。ナショナリズム、迅速な外交コミュニケイション、抵抗運動を煽る国際武器市場の繁栄、不完全ながらも広く受け入れられている征服に反対する規範、核兵器の冷静な影響、顕在的脅威に対してバランスを取ろうとする国家の強い傾向などが相まって、ほとんどの攻撃的戦争は仕掛け手にとって怪しげな提案になっているだろう。しかし、強力な国家であっても、戦争を仕掛けることによって達成できることには限界があるように思われる。

従って、世界の指導者たちに向けた私の休暇シーズンのメッセージは次のようになる。万が一、自国が攻撃された場合、あるいは重要な同盟諸国が同じような状況に陥った場合、それを支援できるような防衛力をぜひとも維持することだ。同時に、自国の外交・安全保障政策が、知らず知らずのうちに他国の死活的利益を侵害していないかどうかを自問してほしい。もし侵害していれば、自国を無防備にしたまま問題を軽減するために何かできることはないかを考えてみる。その可能性を誠実に、そして率直に相手と探ってみるべきだ。

最も重要なことは、もしあなたの助言者の一人が、戦争を始めることで政治的問題を解決できると説得し始めたら、そしてその助言者が、「条件はぴったりで、星は並び、時は適切で、コストは低く、リスクは小さく、行動すべき時は今だ」と言ったら、その助言に丁寧に感謝し、すぐにセカンドオピニオンを求めることだ。その間に、勝利を確信して戦争に突入し、代わりに平和を選択した方が良かったと考えられる元指導者たちについて考える時間を持つことになるだろう。

追記:このコラムは、今年3月に97歳で逝去した、亡き友人シド・トポルのことを考えながら書いた。シド・トポルは驚くべき人物で、私(そして他の多くの人々)に対して、仕事において平和をより優先させるよう繰り返し訴えてきた。私は数年前、シドに触発され、毎年少なくとも1回は平和をテーマにしたコラムを書くことにした。今年は、彼の思い出を称賛しながら、このコラムを執筆する。

※スティーヴン・M・ウォルト:『フォーリン・ポリシー』誌コラムニスト。ハーヴァード大学ロバート・アンド・レニー・ベルファー記念国際関係論教授。ツイッターアカウント:@stephenwalt
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 古村治彦です。

 政治学(Political SciencePoliSci)の一分野として国際関係論(International RelationsIR)がある。国際関係論は1つの大きな学問分野として捉えられることもある。国際関係論には、3つの大きな学派(Schools)が存在する。(1)リアリズム(Realism)、(2)リベラリズム(Liberalism)、(3)コンストラクティヴィズム(Constructivism)である。これらの中でもまた細分化されていくのであるが、大きく3つあるということが分かればそれで十分だ。これらの学派の諸理論を使ってウクライナ戦争とそれを含む世界の現状を分析するとどのようなことになるかということを以下の論稿で紹介している。

 リアリズムは国家のパワー(力)と力の均衡を重視する。力の均衡が保たれていることで平和が維持される。冷戦期は米ソ二大超大国が世界秩序を形成する二極化世界だったがソ連崩壊後はアメリカ一国による世界秩序維持の一極化された世界であった。その中で、中国が経済的、軍事的に力を伸ばし、アメリカに挑戦する形になっている。世界覇権国の交代が平和裏に行われたことはなく、また、一極化から多極化へと進むと世界は不安定になり(考慮しなければならない相手国の数が増え、意図を誤解・曲解する危険性が高まる)、大国間の戦争の可能性が高まるということになる。

 リアリズムは「各国家は国益のために協力し合う」という楽観的な見方をする。そして、国際機関の役割や経済的な相互依存を重視する。「争うよりも協力し合うことで国益追求ができる」という考え方だ。しかし、国際機関は国益がぶつかり合う場所となり、経済的相互依存が平和的な関係をもたらすということもない(米中関係を考えてみれば分かる)。現在の世界は西側諸国(民主的な国々)の集まり対それ以外の国々の集まり(非民主的な国々)の断絶が深刻になっている世界であり、協力は大変に難しい状況だ。

 構成主義(Constructivism、コンストラクティヴィズム)の学者たちは、新しい考え(new ideas)、規範(norms)、アイデンティティー(identities)などの価値観を重視する学派だ。価値観の面でも世界では断絶が起きている。ソ連崩壊によって冷戦は終了し、西側が勝利した、西側の価値観である自由主義、人権、民主政治体制が勝利した、これこそが「歴史の終わり」だということになった。しかし、中国の台頭もあり、西側的な価値観に対する懐疑と批判が出てきている。それによって両者の対立は深まるばかりということになっている。

 西側諸国とそれ以外の世界の対立が激化すればそれは戦争につながるという悲観的な予測が成り立つほどに、現在の世界は不安定化し、対立は深まっている。短期的に見れば、アメリカがウクライナ戦争に大規模な支援を行っている現状で、中国と事を構えるということは考えにくい。また、中国も現在の経済力、軍事力でアメリカを圧倒することはできないので、これから10年単位で整備していかねばならない。しかし、中期的、長期的に見れば、直接対決、大国間戦争という可能性も捨てきれない。世界の大きな転換の期間がスタートしたと言いうことが言えるだろう。

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国際関係論の理論は大国間の争いが起きる可能性を示している(International Relations Theory Suggests Great-Power War Is Coming

-国際関係論の教科書を紐解くと、アメリカ、ロシア、そして中国は衝突するコースに乗っていることになる。

マシュー・コーニグ筆

2022年8月27日

『フォーリン・ポリシー』誌

https://foreignpolicy.com/2022/08/27/international-relations-theory-suggests-great-power-war-is-coming/?tpcc=recirc_latest062921

今週、世界中の何千人もの大学生が、初めて国際関係論の講義の入門編を受け始めることになる。教授たちが近年の世界の変化に敏感であれば、国際関係論の主要な諸理論が大国間の争いの到来を警告していることを教えることになるだろう。

何十年もの間、国際関係論の理論は、大国は協力的な関係を保ち、武力衝突を起こさずにその相違を解決することができるという、楽観的な根拠を与えてきた。

国際関係論の現実主義(Realism)の諸理論はパワーに焦点(power)を当て、何十年もの間、冷戦(Cold War)時代の二極世界(bipolar world)と冷戦後のアメリカが支配する一極世界(unipolar world)は、誤算(miscalculation)による戦争が起こりにくい比較的単純なシステムであると主張してきた。また、核兵器は紛争のコスト(cost of conflict)を引き上げるので、大国間の戦争は考えられないと主張した。

一方、国際関係論のリベラリズム(Liberalism)の理論家たちは、制度(institutions)、相互依存(interdependence)、民主政治体制(democracy)という3つの原因変数(causal variables)が協力(cooperation)を促進し、紛争を緩和すると主張した。第二次世界大戦後に設立され、冷戦終結後も拡張され依存している国際機関や協定(国連、世界貿易機関、核不拡散条約など)は、大国が平和的に対立を解決するための場を提供している。

更に言えば、経済のグローバライゼイションによって、武力紛争はあまりにもコストがかかりすぎるようになった。ビジネスがうまくいき、皆が豊かになっているのに、なぜ喧嘩をするのか? 最後に、この理論によれば、民主政治体制国同士が争う可能性が低く、協力する可能性が高い。過去70年間に世界中で起きた民主化(democratization)の大きな波が、地球をより平和な場所にしたのである。

同時に、構成主義(Constructivism、コンストラクティヴィズム)の学者たちは、新しい考え(new ideas)、規範(norms)、アイデンティティー(identities)が、国際政治をよりポジティブな方向に変えてきたと説明した。かつて、海賊、奴隷、拷問、侵略戦争は当たり前のように行われていた。しかし、この間、人権規範の強化や大量破壊兵器(weapons of mass destruction)の使用に対するタブーにより、国際紛争に対するガードレールが設置された。

しかし、残念なことに、これら平和をもたらす力はほとんど全て、私たちの目の前で崩壊しつつあるように見える。国際関係論の諸理論によれば、国際政治の主要な駆動力(major driving forces)は、米中露の新冷戦が平和的である可能性が低いことを示唆している。

まず、パワーポリティクスから始めよう。私たちは、より多極化した世界(more multipolar world)に入りつつある。確かに、ほとんど全ての客観的な尺度によれば、アメリカは依然として世界を主導する超大国であるが、中国は軍事力と経済力において第2位の地位を占めるまでに強力に台頭してきた。ヨーロッパは経済的、規制的な存在である。より攻撃的なロシアは、地球上で最大の核兵器備蓄を維持している。インド、インドネシア、南アフリカ、ブラジルなどの発展途上の主要諸国は、非同盟路線(nonaligned path)を選択している。

リアリズムの学者たちは、多極化体制は不安定であり、大きな誤算による戦争が起こりやすいと主張する。第一次世界大戦はその典型的な例である。

多極化体制が不安定なのは、各国が複数の潜在的敵対勢力(multiple potential adversaries)に気を配らなければならないからだ。実際、現在、米国防総省は、ヨーロッパにおいてはロシア、インド太平洋においては中国との同時衝突の可能性に頭を悩ませている。更に言えば、ジョー・バイデン米大統領は、イランの核開発問題に対処するための最後の手段として、軍事力行使の可能性を残していると述べている。アメリカによる3正面戦争もあり得ない話ではない。

誤算による戦争は、ある国家が敵国を過小評価した時に起こることが多い。国家は敵国のパワーや戦う決意を疑い、敵国を試す。敵国がハッタリで、そうした挑戦が報われることもある。しかし、敵国が自国の利益を守ろうとするのであれば、大きな戦争に発展する可能性がある。ロシアのウラジミール・プーティン大統領は、ウクライナに侵攻する際、戦争は簡単だと誤った判断をしたのだろう。リアリズムの学者の中には、以前からロシアのウクライナ侵攻を警告していた人もいるし、ウクライナ戦争がNATOの国境を越えて波及し、米露の直接対決に発展する可能性もまだ残っている。

加えて、中国の習近平国家主席が台湾をめぐって誤算を犯す危険もある。台湾を防衛するかどうかで混乱するワシントンの「戦略的曖昧さ(strategic ambiguity)」政策は、不安定さに拍車をかけるだけだ。バイデンは台湾を守ると言ったが、彼が率いるホワイトハウス自体がそれに反論した。多くの指導者たちが混乱しており、その中にはおそらく習近平も含まれている。習近平は、台湾への攻撃から逃れられると勘違いし、それを阻止するためにアメリカが暴力的に介入してくるかもしれない。

更に、イランの核開発問題で何人もの米大統領が何の根拠も裏付けもなく、「あらゆる選択肢がある(all options on the table)」と脅したことで、テヘランはアメリカの反応なしに核開発に踏み切れると思い込んでしまうかもしれない。もしイランがバイデンの決意を疑い、そして誤解すれば、戦争に発展する可能性がある。

また、リアリストの学者たちは力の均衡(balance of power、バランス・オブ・パワー)の変化にも注目し、中国の台頭とアメリカの相対的な衰退について懸念を持っている。権力移行理論(power transition theory)によると、支配的な大国(dominant great power)が没落し、新興の挑戦者(ascendant challenger)が台頭するとしばしば戦争に発展する。専門家の中には、米国と中国がこの「トゥキディデスの罠 (Thucydides Trap)」に陥っているのではないかと心配する人もいる。

彼らの機能不全の独裁体制により、北京やモスクワがすぐに米国から世界のリーダーシップを奪う可能性は低いが、歴史的な記録を詳しく見てみると、挑戦者は拡大する野心が妨げられた時に侵略戦争(wars of aggression)を開始することがある。第一次世界大戦中のドイツや第二次世界大戦中の日本のように、ロシアはその衰退を逆転させようとしている可能性があり、中国も弱く、そして危険である可能性がある。

核抑止力(nuclear deterrence)はまだ機能しているという意見もあるだろうが、軍事技術は変化している。人工知能(artificial intelligence)、量子コンピュータと通信(quantum computing and communications)、積層造形技術(additive manufacturing)、ロボット工学(robotics)、極超音速ミサイル(hypersonic missiles)、指向性エネルギー(directed energy)などの新技術が、世界経済、社会、戦場を一変させると予想され、世界は「第4次産業革命(Fourth Industrial Revolution)」を体験している。

多くの防衛専門家は、私たちは軍事における新たな革命の前夜にいると考えている。これらの新技術は、第二次世界大戦前夜の戦車や航空機のように、攻勢に転じた軍隊に有利に働き、戦争の可能性を高める可能性がある。少なくとも、これらの新兵器システムは力の均衡の評価を混乱させ、上記のような誤算のリスクを高める可能性がある。

例えば、中国は、極超音速ミサイル、人工知能の特定の応用、量子コンピューティングなど、こうした技術のいくつかでリードしている。こうした優位性、あるいは北京ではこうした優位性が存在するかもしれないという誤った認識が、中国を台湾に侵攻させる可能性がある。

一般に楽観的な理論(optimistic theory)であるリベラリズムでさえも、悲観主義(pessimism)になる理由がある。確かに、国際関係論のリベラル派の人々は制度、経済的相互依存(economic interdependence)、民主政治体制がリベラルな世界秩序の中での協力を促進したことは事実である。アメリカと北米、ヨーロッパ、東アジアの各地域の民主的同盟諸国は、かつてないほど結束を強めている。しかし、これらの同じ要因が、自由主義的世界秩序(liberal world order)と非自由主義的世界秩序(illiberal world order)の間の断層において、ますます対立を引き起こしている。

新たな冷戦の中で、複数の国際機関は新たな競争の場となっただけのことだ。ロシアと中国がこれらの機関に入り込み、本来の目的から反している。2月にロシア軍がウクライナに侵攻した際、ロシアが国連安全保障理事会(United Nations Security Council)の議長を務めたことを誰が忘れることができるだろうか? 同様に、中国は世界保健機関(World Health OrganizationWHO)での影響力を利用して、新型コロナウイルスの出所に関する効果的な調査を妨害した。独裁者たちは、自分たちの深刻な人権侵害が精査されないように、国連人権理事会(U.N. Human Rights Council)の議席を争っている。国際機関は協力を促進する代わりに、ますます紛争を悪化させている。

また、リベラル派の学者たちは、経済的な相互依存が紛争を緩和すると主張する。しかし、この理論には常に「鶏と卵の問題(chicken-and-egg problem)」がある。貿易が良好な関係を促進するのか、それとも良好な関係が貿易を促進するのか?私たちは、その答えをリアルタイムで見ている。

自由世界は、モスクワと北京にいる敵対的な存在に経済的に依存しすぎていることを認識し、できる限り早くその関係を断ち切ろうとしている。欧米諸国の各企業は一夜にしてロシアから撤退した。アメリカ、ヨーロッパ、日本の新しい法律や規制は、中国への貿易と投資を制限している。ウォール街が、中国人民解放軍と協力してアメリカ人殺害を目的とした兵器を開発している中国のテクノロジー企業に投資するのは、単に非合理的なことでしかない。

しかし、中国は自由な世界からも切り離されつつある。習近平は、中国のハイテク企業がウォール街に上場することを禁止しているが、これは西側の諸大国と独自情報を共有したくないからだ。自由主義国と非自由主義国の間の経済的相互依存は、紛争に対するバラスト(ballast 訳者註:船のバランスを取る装置)として機能してきたが、今や侵食されつつある。

民主平和理論(democratic peace theory)は、民主政治体制国家は他の民主国家と協力するとしている。しかし、バイデンが説明するように、今日の国際システムの中心的な断層は、「民主政治体制と独裁政治体制の戦い(the battle between democracy and autocracy)」である。

確かに、アメリカはサウジアラビアのような非民主的国家と友好的な関係を保っている。しかし、世界秩序は、アメリカとNATO、日本、韓国、オーストラリアなどの現状維持志向(status quo-oriented)の民主的同盟諸国と、中国、ロシア、イランなどの修正主義的独裁国家(revisionist autocracies)との間でますます分裂しているのである。ナチス・ドイツ、ファシスト・イタリア、大日本帝国に対する自由世界の対立の響きを探知するために聴診器(stethoscope)を必要とすることはない。

最後に、グローバルな規範の平和的効果に関するコンストラクティヴィズムの主張には、これらの規範が本当に普遍的なものかどうかという疑問が常につきまとう。中国が新疆ウイグル自治区で大量虐殺を行い、ロシアが血も凍るような核の脅威を示し、ウクライナで捕虜を去勢する中で、私たちは今、ぞっとするような答えを手に入れたのである。

更に言えば、コンストラクティヴィズムの学者たちは、国際政治における民主政治体制対独裁政治体制の対立が、単に統治(governance)の問題ではなく、生き方(way of life)の問題であることに注目するかもしれない。習近平やプーティンの演説や著作は、独裁体制の優位性や民主政治体制の欠点について、しばしばイデオロギー的な主張を展開している。好むと好まざるとにかかわらず、私たちは、民主的な政府と独裁的な政府のどちらが国民のためにより良い成果を上げられるかという20世紀型の争いに戻っており、この争いにより危険なイデオロギー的要素が加わっている。

幸いなことに、良いニューズもある。国際政治を最もよく理解するには、いくつかの理論の組み合わせの中に見出すことができるかもしれない。人類の多くは自由主義的な国際秩序を好み、この秩序はアメリカとその民主的同盟諸国の現実主義的な軍事力によってのみ可能である。更に、2500年にわたる理論と歴史が示唆するのは、こうしたハードパワーによる競争では民主政治体制国家が勝利し、独裁国家は最終的に悲惨な結末を迎える傾向があるということだ。

残念ながら、歴史を正義の方向に向ける明確な瞬間は、しばしば大国間の戦争(major-power wars)の後にしか訪れない。

今日の新入生たちが卒業式で、「第三次世界大戦が始まった時、自分はどこにいたか」などと回想していないことを願おう。しかし、国際関係論の理論には、そのような未来の出現を懸念する理由を多く示している。

※マシュー・コーニグ:大西洋協議会スコウクロフト記念戦略・安全保障研究センター副部長、ジョージタウン大学政治学部、エドマンド・A・ウォルシュ記念外交関係学部教授。最新刊に『大国間競争の復活:古代世界から中国とアメリカまでの民主政治体制対独裁性体制』がある。ツイッターアカウント:@matthewkroenig

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 古村治彦です。

 今回は少し難しい話になる。と言っても、「そんなことは当たり前ではないか」ということでもある。そして、「学者たちは物事をどんどん細かくしていって、かえって物事が見えなくなり、大きな理解ができなくなっているんだ」ということが分かってもらえる話になると思う。

 政治学という学問は大きなくくりであり、その中に様々な学問分野がある。方法論、比較政治、政治思想、日本政治やアメリカ政治など一国の国内政治、国際関係論といった分野が存在する。そして、それぞれの中でまた細分化がなされている。政治学の教授もしくは研究者というのは政治学全体の大隊の知識は持っているが、当然のことながら自分の専門を深く研究することになる。そうなると、たこつぼ的な状況が出てきてしまうのは仕方がない。医学を例にして考えてみても、内科から外科、泌尿器科、産婦人科、皮膚科、眼科、耳鼻咽喉科などなど多岐にわたる。それぞれを全て極めた医師は存在しなのではないかと思う。

 政治学に統合されたアプローチが必要という議論がある。これは理解できることであるが、これは非常に難しいことだ。政治学を含む社会科学の目的とは、社会で起きる様々な現象を分析し説明することから最終的には法則の発見であるが、これは大変に難しい。法則とは全ての環境で機能するもので、これが分かれば「予測」ができるということになるが、人間が絡む社会においてはそのような予測は難しい。統合されたアプローチは今のところ不可能である。

 ただ、政治という人間の営為ということになればそうも言ってはいられない。国家を運営する、政策を立案し、実行するということになれば、諸理論に経験や知識をプラスして、「大戦略」を作らねばならない。専門家のような狭く深い見方ではなく、深さは少なくても広さは気宇壮大なものであるべきだ。

 アメリカの外交政策や安全保障政策分野で考えてみると、弁護士や外交官として経験を積み、もしくは研究者として研究をしながら、抜擢されて国務次官補代理や国防次官補代理になって外交や安全保障の分野で経験と専門性を高め、評価を高めていくパターンが多い。そうした中で、専門性と知識と経験を高め、より多くの材料や要素を取り入れながら、また時には多くの材料を取捨選択しながら、政策を立案し、政策判断を下すということになる。

 日本に「大戦略」があるだろうか? 残念ながら見当たらない。場当たり的でかつアメリカの言いなりになっておけばよいということが大戦略の代わりになっている。しかし、それではアメリカの衰退が進む中で、羅針盤がない中で公開をする船と同じになってしまう。つまり、どこの港にも着けないということになる。

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大戦略は十分に壮大ではない(Grand Strategy Isn’t Grand Enough

―世界最高の国家安全保障の専門家たちは、外交政策のあらゆる側面を研究することを知っている。しかし、それだけでは十分ではない。

アラスディア・ロバーツ筆

2018年2月20日

『フォーリン・ポリシー』誌

http://foreignpolicy.com/2018/02/20/grand-strategy-isnt-grand-enough/?utm_content=bufferf8a38&utm_medium=social&utm_source=facebook.com&utm_campaign=buffer

大戦略(Grand Strategy)は、外交政策と国家安全保障の専門家たちにとってよく知られている概念だ。大戦略の意味は長年にわたり膨張してきた。専門家の中には、肥大化しすぎてもはや役に立たないと考える人もいる。しかし、それは間違いである。大戦略の本当の問題は、それが十分に壮大でない(not grand enough)ということだ。

19世紀、大戦略とは実際に戦争をすることであった。一つの作戦地域にいる司令官は、敵を倒すための戦略を持っており、最高司令官は、多くの作戦地域に軍隊を展開するための大規模な計画を持っていた。ある文筆家は、1904年に、大戦略とは「陸上と水上にある国家の全武力」のことだと説明した。

総力戦の到来で、その概念は拡大した。エーリッヒ・ルーデンドルフ元帥が主張したように、戦争の勝利が国家の物理的、精神的な力の総動員に依存するならば、戦時計画も同様の大規模な範囲を持つべきであると考えたのである。BH・リデル・ハートは、大戦略を「社会・経済活動のあらゆる側面を戦争目的の達成に向けて指導する国家政策」と定義した。他の専門家も1942年に、「大戦略の基本は戦争と戦争が起こる社会との相互関係である」 ということに同意している。

冷戦が始まると、その概念は再び拡大した。大戦略は、依然として社会のあらゆる資源を動員することに関係していた。しかし、その目的はより曖昧になった。2度の世界大戦期間中、各国首脳は実際の戦争に関心を寄せていた。対照的に、第二次世界大戦後、各大国は数十年にわたる地位の優位をめぐる争いに巻き込まれた。このように、今日の大戦略は、トーマス・クリステンセンが定義するように、平時においても戦時においても「力と国家の安全を高めるために設計された国内および国際政策のフルパッケージ」である。

大戦略の理論化は、実際の意思決定のあり方とほとんど関係がない、と批判する人々もいる。現実の世界では、国内政策と国際政策の適切な調整はほぼ不可能であるという議論もある。指導者たちは先見性を備えていないし、明確に定義された目標に向かって安定したコースを維持することはない。むしろ、現状維持(status quo)を変化させ、実験をし、危機から危機へ移らせることが多い。

このような批判は、ほとんど見当違いである。漸進主義(incrementalism)や実験主義(experimentalism)は、不確実性(uncertainty)や政治的党派性(political polarization)がある状況では、多くは妥当な反応ということになる。更に重要なのは、実際の政策の方向性が不規則であったり、効果がなかったりするからといって、指導者たちが戦略を軽視していることにはならないことである。戦略的に振る舞おうとしても、それがあまり得意でない指導者もいる。しかし、下手な作家がやはり作家であるように、無能な戦略家もやはり戦略家である。また、どんなに綿密な計画を立てていても、出来事によって混乱に陥ることがある。

指導者たちは状況に応じて戦略を立てなければならない。世界は激動する危険な場所であり、指導者たちは重要な利益を損なわないようにするために、外交領域を無視することはできない。指導者たちは外交に携わらなければならない。それぞれの決断は、目的と手段、そして他の決断への影響について、何らかの計算(some calculation)によってなされなければならない。これらは、大戦略の基本である。専門家は戦略の質を高めようとするが、指導者たちが戦略的に行動しようとする衝動は既に存在している。

しかし、ここに難しさがある。国内政治の世界もまた同様に裏切りの世界だ。現実主義の大御所マキャベリは、君主は二つの恐怖を持たねばならないと警告した。「一つは臣下に由来する内なる恐怖、もう一つは外国の権力に由来する外なる恐怖」である。民主政治体制国家では、内政に不手際を起こした指導者たちは次の選挙で放り出される。独裁国家では、クーデター(coups)で倒される。また、不器用な指導者は、突然、国家が崩壊していることに気がつくこともある。外交の危機が指導者たちを戦略に向かわせるのなら、内政もまたその通りである。

これは容易に想像がつく。指導者たちは、秩序、繁栄、正義、そして自らの任期中の生存といった、国内の重要な利益に対する脅威を管理するための政治プログラムを常に洗練させている。彼らは、これらの利益を確保するために、社会的資源を動員し、政策手段を調整しようとする。言い換えれば、彼らは国内大戦略(domestic grand strategy)を策定する。指導者の中には、これをうまくこなす者もいるが、全ての指導者が大戦略策定を行うよう駆り立てられる。

これら2つの大戦略、外交分野の大戦略と国内分野の大戦略は、相互に密接に関係している。国内の平穏(tranquility at home)は経済成長に依存しており、国家の指導者たちは資源と市場を海外に求める。国内世論が揺れ動く中で、対外戦争は開始され、もしくは中止される。選挙権の拡大、福祉国家の建設、公民権の保護など、指導者たちは国内で譲歩を行い、海外でのキャンペーンへの支持を高める。主要な同盟諸国との貿易協定を強化するために、国内の規制権限が削減されるなどなどが行われる。この2つの大戦略の絡まり方のスタイルは無限大に存在する。

しかしながら、ここで私たちは概念的な問題に直面する。もし、外交と国内の二つの大戦略があるとすれば、どちらか一方が本当の大戦略ということになるのだろうか。また、指導者たちは本当にこのように考えているのだろうか。私たちはこれらの問いに対する答えを知っている。指導者たちはマキアヴェッリの言う2つの恐怖を別々の箱に入れてはいない。彼らは両方を同時に管理し、国内と海外の圧力を同時に調整する首尾一貫したアプローチ、すなわち統治のための単一の戦略(single strategy for governing)を探し求めている。

レーガン主義(Reaganism)は、国内と国外を切り離すことができない単一のドクトリンであった。クリントン主義(Clintonism)もそうだった。トランプ主義(Trumpism)、プーティン主義(Putinism)、「習近平思想(Xi Jinping thought)」も同様だ。

従来の大戦略は、決して大戦略ではない。より大きなものの一面であり、統治するための全体的な戦略である。このことを認識し、大戦略の概念をそれなりに拡張している専門家もいる。ピーター・トルボウィッツは、大戦略を「国家指導者たちが行政権力を維持・強化しようとする手段」であり、単に外交政策上の目標を追求するための手段ではないと定義している。また、アンドリュー・モナハンは最近の著書で、大戦略を「国家の利益を促進するために国家のあらゆる資源を用いることであり、認識されている敵や現実の敵から国家を守ることも含まれる」と定義している。これらの定義は、国家戦略をより広く、より統合的に見るために、分析を一段階上に進めようとするものである。しかし、結局のところ、大戦略の研究は、国家安全保障と外交政策の問題に留まっているのが通常の姿だ。

これはある程度、学問的な便宜の問題だ。学界には、国内政策と外交政策を二分する長い伝統がある。しかし、このような概念的な区分は、指導者が実際に考える方法とは関係がない。リアリズムでは、統治のための戦略についてより広い視野が求められる。

より広範な視点を持つことには3つの利点がある。1990年代に予測された市場民主主義(market democracy)が世界的に拡大し、それに収れんする(convergence)という予測は実現されていない。大国の統治戦略が再び大きく相違する時代に突入している。今後数十年間、競合する各国家戦略の利点をめぐる議論が展開されるであろう。20世紀初頭、1930年代、そして冷戦期、私たちはこれらの時代にそうした議論を経験している。どの国の改革者も、ライヴァル国のパフォーマンスに対する判断に影響を受けるだろう。その際、改革派は内政と外交を切り離して考えることはない。その際、改革派は内政と外交を分けて考えるのではなく、他国の実績を総合的に判断する。学者の役割は、このような世界的な議論を構成する手助けをすることである。私たちの理論的ツールキットが現実の会話を反映したものであれば、より効果的にこれを行うことができる。

国策に関する従来の常識が崩れた瞬間に、戦略を大きく把握することは有効だ。アメリカは今、このような瞬間に苦しんでいる。国内政策と外交政策についての古い共通理解(consensus)が崩れ、その断片を新しい構成に組み直すのに苦労している。国家政策の全体的なデザインについて話し合う必要がある。内政や外交の部分を切り離して考えるべきではない。そのためには、大戦略よりも大きな器が必要である。

広範な視野が持つ3つ目の利点は何だろうか?それは「真実性(Verisimilitude[ヴェリシミリチュード]、訳者註:英語ではtruthlikeliness)」だ。近代大戦略の父と呼ばれるマキャベリは、外交政策や内政の指針として『君主論』を書いたという訳ではない。この本は国家戦略全般の指南書(guide to statecraft in toto)だったのだ。しかし、現実主義者にとっては、この課題から逃れることはできない。指導者に区分けは許されないし、学者もそうであってはならない。

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※6月28日には、副島先生のウクライナ戦争に関する最新分析『プーチンを罠に嵌め、策略に陥れた英米ディープ・ステイトはウクライナ戦争を第3次世界大戦にする』が発売になります。


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