古村治彦(ふるむらはるひこ)の政治情報紹介・分析ブログ

SNSI研究員・愛知大学国際問題研究所客員研究員の古村治彦(ふるむらはるひこ)のブログです。翻訳と評論の分野で活動しています。日常、考えたことを文章にして発表していきたいと思います。古村治彦の経歴などについては、お手数ですが、twitter accountかamazonの著者ページをご覧ください 連絡先は、harryfurumura@gmail.com です。twitter accountは、@Harryfurumura です。よろしくお願いします。

タグ:安保法制





アメリカ政治の秘密
古村 治彦
PHP研究所
2012-05-12





 古村治彦です。

 

 今回は、ヘリテージ財団のウェブサイトに掲載された文章をご紹介します。この文章によると、2015年10月にヘリテージ財団の研究員たちが訪日し、早稲田大学でのパネルディスカッションに参加し、防衛省を訪問したそうです。

 

 こうした機会にどういう話があったのかは分かりませんが、「東アジアにおける安全保障環境は悪化している。従って、日本はより大きな負担と責任を負うようにすべきだ」というこの文章の内容から、何となくどういう話があったのかは推測できます。

 

 より厳しい2016年になっていきそうです。

 

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日本におけるエネルギーと安全保障(Energy and Security in Japan

 

ライリー・ウォルターズ(Riley Walters)筆

2015年11月23日

ヘリテージ財団ウェブサイト

http://dailysignal.com/2015/11/23/energy-and-security-in-japan/

 

 今年の10月、ヘリテージ財団所属の研究者たちの代表団は日本を1週間にわたって訪問する機会を得た。同時期、日本はエネルギーの多様性を高めることとアジア地域における安全保障環境の変化と挑戦について専門家たちが知識を得ることが国益の増進につながることが明白な状況であった。

 

日本国際協力センターを通じて、研究者たちは「カケハシ・プロジェクト:ザ・ブリッジ・フォ・トモロー」に参加した。このプロジェクトに参加することで、ヘリテージ財団の研究員たちは多くの官僚や学者たちと会う機会を得た。

 

 東京にある早稲田大学で一連のパネルセッションが開催された。学者と官僚は、日本の安保法制に関する反対の考え、批判を発表した。日本政府は地域と国際的な安全保障におけるより積極的な役割を果たすことが出来るようになり、集団的自衛権を認める法律を成立させた。日本国民の中には、日本を国際的な紛争に巻き込ませてしまう立法における変化について懸念を持っている人々がいる。早稲田でのセッションでも多く表明された考えがこうした懸念を反映していた。

 

 代表団は日本の防衛省を訪問する機会を得た。この時、代表団はアジア地域における安全保障に関して日本が直面する真の懸念を知ることが出来た。中国、ロシア、北朝鮮それぞれによる軍備増強、軍事予算の拡大、戦略的な軍備配置がそうした懸念を引き起こしている。南シナ海における安全保障環境を一例として挙げたい。日本が輸入する石油と天然ガスの3分の2は南シナ海を通っている。この地域は日本の国益にとって重要である。特に2011年以降、エネルギー輸入量が増加している状況でその重要性は増している。

 

2014年、日本の航空自衛隊は東シナ海と北方領域における中国とロシアの航空機の侵犯に対応するために900回以上のスクランブル発進を行った。

 

 アメリカの政府関係者たちは、日本の安全保障政策の変化を長年待ち望み、その変化を歓迎している。そして、この変化のおかげで日米二国関係が強化されるだろうと述べている。「2016年版インデックス・オブ・USミリタリー・ストレングス」に書かれているように、アジア地域の環境は「好ましい」状況にコントロールされてはいるが、アジア地域に駐留するアメリカ軍の装備は時代遅れになりつつあり、厳しい状況になっている。中国とロシアはアメリカの国益にとってのリスクであり続ける。一方で、北朝鮮の脅威は深刻な状況だ。北朝鮮政府は核開発プログラムを継続している。こうした事態に対応して、東アジア地域のアメリカの同盟諸国は、地域の安全保障に対してより大きな責任を共有することが重要になっている。

 

 アメリカと日本は60年以上にわたり同盟関係を堅持している。そして、これからも同盟関係が堅持され続けることは疑いないところだ。アジア・太平洋地域において古くからの、そして新しい脅威が存続している状況で、脅威に対応するためにアメリカと日本がアジア地域にある他の同盟諸国と緊密に協調することが何よりも重要だ。

 

ライリー・ウォルターズ:ヘリテージ財団付属デイヴィス記念国家安全保障・外交政策研究所研究アシスタント

 

(終わり)







 
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ダニエル・シュルマン
講談社
2015-10-28



アメリカ政治の秘密
古村 治彦
PHP研究所
2012-05-12



 

古村治彦です。

 

 安保法制について、米外交誌『フォーリン・ポリシー』誌は詳しく報じています。本日2回目ですが、別の記事をご紹介します。

 

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議会における激しい争いの後、政治家たちは日本の軍隊にフリーハンドを与えることを可決した(After Brawls in Parliament, Lawmakers Vote to Give Japan’s Military Freer Hand

 

シオバーン・オグレイディ筆

2015年9月18日

『フォーリン・ポリシー』誌

http://foreignpolicy.com/2015/09/18/after-brawls-in-parliament-lawmakers-vote-to-give-japans-military-freer-hand/

 

 200時間以上の議論の後、木曜日、怒りに震える議員たちが口論や掴み合いをする中で、日本の議会は、日本の軍隊が海外で作戦行動を行う能力を大幅に拡大する歴史的な法案を可決した。

 

 法案は、第二次世界大戦後以降初めて日本の軍隊に対して日本の領土外で戦うことを許すものだ。日本かもしくは密接な関係を持つ同盟国が攻撃される場合、日本に対する攻撃を撃退する手段がない場合に、領土外で戦うことを許すというものだ。

 

 数カ月にわたり数多くの日本国民が東京の街路に出て、法案に対する反対を表明してきた。彼らは「法案が日本の数十年に渡る平和主義的な伝統に矛盾する内容だ」として反対している。議会内では、野党の議員たちが、「法案は、日本の軍隊が将来アメリカが起こす軍事行動に一緒に参加するために海外に出ていくことを許すことになる」と主張した。アメリカが主導する紛争に巻き込まれる恐怖感は、オバマ政権が法案に支持を表明したために増幅された。この法案は日本の平和主義憲法を再解釈するものである。野党・民主党の参議院議員である郡司彰は次のように述べている。「私たちはこのような危険な政府がこのような暴挙を続けることを許すことはできない。安倍首相の安保法制は我が国の法的枠組に対する脅威である」。

 

 日本のナショナリストである安倍首相が強力に推進してきた法案を阻止するための方法はなかった。法案の可決は安倍政権にとって大きな政治的勝利であった。安倍政権は東シナ海の領土争いが起きている島嶼を中国が奪い取ろうとしているという懸念を深めている。今年初め、安倍首相は『ウォールストリート・ジャーナル』紙のインタヴューに答えて、「アメリカ海軍と日本の海上自衛隊の力を合わせれば、1足す1は最終的に2になる」と語っている。

 

 勝利は容易にはもたらされなかった。木曜日、ビジネススーツに身を包んだ議員たちはお互いの上によじ登り、委員長が投票を求めることを妨害しようとした。議員たちは委員長のマイクを確保しようとするために委員長に近づくために押し合いへし合いをし、その中でキックをしたり、突き飛ばしたりした。下にある全く予期されなかった争いの映像を見て欲しい。

 

 

 これだけではなかった。法案は金曜日、148対90で可決された。

 

(終わり)





野望の中国近現代史
オーヴィル・シェル
ビジネス社
2014-05-23



 
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ダニエル・シュルマン
講談社
2015-10-28



アメリカ政治の秘密
古村 治彦
PHP研究所
2012-05-12



 

 古村治彦です。

 

 山本太郎参議院議員が国会でも取り上げた、米外交誌『フォーリン・ポリシー』誌に掲載された安保法制に関する記事をご紹介します。筆者はシーラ・A・スミス博士で、米外交評議会の研究員で、ヒラリー・クリントン前国務長官の側近の一人とされています。ヒラリーが大統領に当選した場合に、何らかの形で政権入りし、アジア政策に関わると見られています。複雑なのは、ヒラリーを中心とする人道的介入派(humanitarian interventionists)は一見リベラルで、物分かりが良いですが、結局はネオコン派と目的は同じであることです。このことを私は拙著『アメリカ政治の秘密』(PHP研究所、2012年)で書きました。そうしたことを考えながら、以下の文章を読んでいただきたいと思います。素直に感心できないということを申し上げたいと思います。

 

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彼が言っていることは戦争にチャンスを与えるということだ(All He Is Saying Is Give War a Chance

―日本の首相安倍晋三は日本の軍事力増強に成功することだろう。しかし、その代償とは?

 

シーラ・A・スミス筆

2015年9月18日

『フォーリン・ポリシー』誌

http://foreignpolicy.com/2015/09/18/all-he-is-saying-is-give-war-a-chance-shinzo-abe-japan/

 

 日本の議会は安倍晋三首相の反対論も多かった安全保障法制を巡る最終対決の準備をしている。安倍首相は、自衛隊と呼ばれる日本の軍隊が「平和に積極的に貢献」するために他国のために軍事力を使用することを禁止してきた制限を撤廃する時が来たと確信している。

 

 日本の議会は国会と呼ばれるが、今回の会期は9月27日に終了することになっている。そのため、これからの反対運動によって安保法制の採決までの過程が延びたり、空転したりしないように、安倍内閣は安保法制をこの時期に進めた。しかしながら、こうしたことはやらなくても良いことではあった。安倍首相は彼の改革案を法律にするだけの支持を国会で持っている。安保法制に反対の決意を固めた参議院での反対議員は少数だ。そして、とにもかくにも、日本国憲法では、衆議院に差し戻しての再議決で法律にできることになっている。衆議院では与党は3分の2の議席を保持している。

 

 しかし、安倍首相はこの改革案を法律化するにあたり、日本国民を無視して進めているのだろうか?法律に反対するために集まっている人々と多くの疑問を持っている人々の数は増えている。彼らは、日本が誇ってきた日本国憲法、とりわけ国際紛争を解決する手段としての戦争を非合法化する憲法9条に対する安倍首相の再解釈を問題視している。今年7月、衆議院ではこの政策変更を是認する決定が行われたが、この時、数多くの人々が集まり、反対の意思を表明した。彼らは自身を「日本の立憲民主政治体制を護る(Save Constitutional Democracy Japan)」と呼び、政権が進める自衛隊の海外での任務拡大に公の場で反対を表明している。彼らは、日本の70年間の平和の秘密は憲法9条にあると主張している。 いつもは政権を支持する読売新聞でさえ、安倍首相は人々の怒りや不安に対して答えていないために、彼らの懸念を増大させていると批判したほどである。

 

 安倍首相は日本の軍事力の強化を巡る議論に関して経験や知識を豊富に持っている。

 

 2012年12月に政権の座に就いて以来、安倍内閣は日本の安全保障政策に関する包括的な諸改革を進めてきた。2013年末、安倍内閣は新たに国家安全保障会議を設置し、秘密保護法を成立させ、国家安全保障戦略を発表した。また、海外への防衛技術移転への制限を緩和した。2014年7月、安倍内閣は、日本国憲法の再解釈を行い、急速に状況が変化しているアジア・太平洋地域における日本の軍事的な備えを確かなものとするための努力の一環として、他国との共同の軍事作戦において自衛隊が武力を使用できると発表した。冷戦が終結してからの20年、日本政府は北朝鮮の核兵器とミサイルの開発と中国の海洋進出に対して頭を悩ませてきた。

 

 しかし、安倍首相はこれらの危機の深刻さについて日本国民を説得しているとは言い難い。今年8月、安倍首相の補佐官である礒崎陽輔は、日本は法的安定性について懸念するよりも、その国防にこそより懸念を持つべきだと主張した。しかし、日本国民で彼の考えを支持した人はほぼいなかった。日本のリベラル、保守両方のメディアの世論調査の結果では、大多数の人々は、海外で他国の軍隊と自衛隊がどういった理由で、いつ戦うのかに関しての説明に満足していないということであった。今年7月、衆議院が安保法制を可決した時、安倍政権の不支持率は50%に達した。支持率は38%に留まった。これ以降、支持率は少しずつ上昇してきている。

 

 安倍首相は国会の議場において、日本は古くなってきた戦後憲法の修理について考えるべきだと繰り返し述べた。彼は自分の考える軍事政策改革は既存の考えに当てはまるものだとさえ主張している。8月に参議院の開会にあたり、安倍首相の安保法制を審議するために設置された特別委員会の委員長鴻池祥肇は、反対者たちが「戦争法案(war bills)」と呼んでいる法案の拙速な通過を目指す動きに対して怒りを持ちながら批判した。参議院は1930年代の数々の誤りを避けるために設置された、と鴻池は述べ、参議院の前身である貴族院(House of Lords)は、日本帝国の軍部が戦争に向かうことを止めることが出来なかったと主張した。そして、鴻池は同僚議員たちに対して、優越的な存在である衆議院の無謀で気の早い衝動を抑える責任が自分たちにはあると呼びかけた。

 

日本の主要な野党である民主党と維新の党は、安倍首相を止めることはできないだろう。しかし、彼らができることは安倍政権が軍事的な目的に対して守勢に回るようにし続けることだ。海外において日本が自国の軍隊に対して遂行を許可する任務を正確に定義し、その許可の前提となる状況を明確にすることはその助けになるだろう。安倍内閣は日本の同盟国との協力において自衛隊の使用が許されるのは、アメリカとその他の国々を護るためのミサイル防衛、同盟国との海上パトロール、ホルムズ海峡における機雷除去、長年にわたり日本防衛の中心と考えられてきたアメリカ軍に対する支援と補給活動であると主張している。これらの任務は日本の自衛隊にとっては何も目新しいものではない。しかし、自衛隊が他国の軍隊と一緒になって武力を行使するということは、自衛隊にとって全く新しい任務となる。

 

 もちろん、日本の軍事力が防衛任務の範囲を拡大されたのはこれが最初ではない。1950年代以降、自衛隊は人々の信頼と世界各国からの尊敬を少しずつ勝ち取って来た。しかし、安倍首相の改革は多くのアメリカ側の計画者たちが考えるような形での日本の軍事力の正常化の形を全面的に実現したものではない。議会における軍事力に対する制限、「歯止め(hadome)」を巡る議論の応酬は、日本の軍事力を今まで通りにシヴィリアン・コントロールの下にきちんと置き続けることを担保することであり、日本政府が安全保障政策を作る際に中心となってきた。

 

 「歯止め」の機能は2つある。第一に、1954年に自衛隊が発足して以来、日本の野党は、与党自民党がアメリカとの同盟協力の範囲を拡大するスピードを遅くしようとして来た。こうした動きは今も続いている。民主党の岡田克也代表は、自衛隊の作戦活動をアメリカ軍と統合しようとする自民党案に反対し、これは日本政府による主権の一部移譲だと主張した。

 

 第二に、防衛的な軍事力とは何かの定義は形而上的な制限のようになってきた。日本の軍事力に関する議会での議論は制限を導入するための新たな方法を巡るものであった。自衛隊という名称でさえも、「専守防衛(exclusive self-defense)」という教義という制限された目的を端的に示すものである。1960年代から1970年にかけて、政治家たちは、日本が製造する武器の種類に集中した新しい「歯止め」を作ろうとした。 現在、日本の航空自衛隊は新しいF-35を導入することで近代化を計画している。そして、洗練されたミサイル防衛システムを運用している。海上自衛隊は最新鋭のミサイル防衛能力を持つイージス駆逐艦を運用し、アジアで最高の通常潜水艦と掃海艇を配備している。しかしながら、攻撃的な能力を持つことは禁止されている。

 

防衛支出はもう一つの「歯止め」となった。日本が景気後退に直面し、米ソ間の緊張緩和によって冷戦の緊張状態が緩んだ時期の1976年に日本の防衛費はGDPの1%以内とする制限を政治家たちは導入した。防衛支出に対する上限設定は中曽根康弘が首相になるまで続いた。中曽根首相は1987年に230億ドルの防衛予算を認めた。これは当時のGDP比で1.004%になった。中曽根首相は公式の1%上限を撤廃することに成功したが、防衛庁(防衛省)ではそれ以降もこの上限を堅持してきた。2014年の日本の防衛予算は約440億ドルであり、2013年に比べて2.2%の増額となったが、GDP比では約1%となった。

 

 現在、日本は中国との緊張関係を憂慮している。特に、東シナ海での領海問題で緊張が高まっている。加えて、北朝鮮の金正恩政権の予測不可能な動きと彼の韓国を打ち倒すための武力行使の意図にも懸念を持っている。しかし、安倍首相が語る軍事上の備えの必要性は、日本国民の納得を得ているとは言い難い。日本政府が軍事力に対してどのようにコントロールを行うのかや武力行使の必要を政府が判断する際の基準に関して曖昧であるために、人々は疑念を持ち続けている。

 

 武力行使に対するシヴィリアン・コントロールは日本の防衛政策立案者たちにとって第三の道となってきた。安倍首相はシヴィリアンがどのようにして決定を行うのか、自衛隊が海外で武力行使をすることを認める決定の根拠は何になるのかという疑問に対してきちんと答える必要がある。国会による監視と助言はシヴィリアン・コントロールの実施にとって重要であることはこれからも変わらない。しかし、安倍内閣は、彼らの進める新しい改革の中で国会がどのような役割を果たすのかについてほぼ何も強調して語ってはこなかった。

 

 憲法9条は、戦後日本の防衛に関して、政治家たちに対して武力行使を考慮する際に独自の制限をかける役割を果たしてきた。しかし、政府へ説明責任を課すことと武力の行使に際してシヴィリアン・コントロールを確保することは、民主的な統治の中核的な前提となるものでもある。日本の政治家であってもそれは同じだ。日本国民が疑問に思っているものに対して、判断をし、説明責任を果たすべきは日本の政治家であって、軍事的な指導者ではない。

 

(終わり)





野望の中国近現代史
オーヴィル・シェル
ビジネス社
2014-05-23



 

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ダニエル・シュルマン
講談社
2015-10-28



アメリカ政治の秘密
古村 治彦
PHP研究所
2012-05-12



 

 古村治彦です。

 

 本日、2015年9月17日、参議院平和安全法制特別委員会で安保法制の採決が行われ、自民、公明、次世代などの賛成多数で可決されました。現在、参議院本会議が開催されています。

 

 私は70年という数字と翼賛会政治体制ということについて考えてみたいと思います。私は昨日、吉田茂の言葉を借りながら、昭和10年代と平成20年代は、日本政治における「変調」の時期だと書きました。それは国の基礎となる憲法が死文化させられるという現象(天皇機関説排撃と安保法制)によって出現していると主張しました。

 

 私は本日その考えを更に進めてみたいと思います。私はこの2つの変調の時期はそれぞれ大きな革命的変化が起きてそれぞれ約70年経って起きていること、そして、それぞれ憲法の死文化(前回は天皇機関説排撃を取り上げましたが、今回は統帥権干犯を取り上げます)が進んだことで、翼賛政治体制が確立することをそれぞれ指摘したいと思います。

 

 戦前について考えてみたいと思います。戦前、軍は統帥部と軍政部に分かれていました。統帥部(参謀本部・軍令部)を率いるのが参謀総長・軍令部長、軍政部(陸軍省・海軍省)を率いるのが陸軍大臣・海軍大臣でした。統帥とは簡単に言えば作戦、軍政とは軍の予算や編成を司る者でした。この2つを総べるのが統帥権で、統帥権は天皇に属するもので、天皇は参謀総長・軍令部長、陸軍大臣・海軍大臣の輔弼を受けて統帥権を遂行することになっていました。

 

 ここで難しいのは、軍の予算は国家予算の一部として内閣が議会に提案して、議会の協賛を得る必要があったということです。統帥部が何がどれだけ欲しいと思っていても、陸軍省と一緒になって交渉した訳ですが、大蔵省の反対や議会の反対があれば実現することはありませんでした。しかし、海軍軍縮のためのロンドン会議あたりから、当時野党の政友会の鳩山一郎議員などによる「統帥権干犯」という言葉が生み出されてしまいました。この魔法の言葉によって、たとえば内閣の外務大臣や大蔵大臣、総理大臣が軍事上のことを尋ねても「統帥権干犯!」の一言で、統帥部が答えを拒否できるようになってしまいました。

 

中国大陸での軍事侵略の時でも、出先の日本の領事館などが平和解決のために日本軍に出向いて話をしようとしても、「統帥権干犯!」として話し合いを拒否されるということもありました。開戦直前でも、軍部はいつ作戦実行するつもりなのか、と東郷茂徳外務大臣が尋ねても、統帥権干犯を楯にして教えることを拒否しながら、それではあまりにかわいそうだと思ったのか、「それじゃぁ教えてやろう、12月8日だ」と軍部は答えました。

 

 統帥権干犯の一言で軍部は政治への介入を強めました。また、近衛文麿がドイツに影響されて一国一党運動を唱えたのに乗っ取り、大政翼賛会を作り、帝国議会を軍部による政治の協賛機関とすることに成功しました。大政翼賛会とは軍部政治翼賛会でした。そして、日本の政党政治と議会は死んでしまったのです。それは明治維新から約70年後のことでした。

 

 現在について考えてみたいと思います。私は安倍政権発足時からこの自公、そして橋本氏率いる維新の党大阪ウイングは米政翼賛会だと主張してきました。アメリカの利益最優先の政治を行う体制になっていると私は指摘しました。

 

 今回の安保法制は無理に無理を重ねた憲法解釈で集団的自衛権を合憲として、安保法制の根幹に据えました。それは何の為でしょう。それは日本がアメリカのお先棒を担ぐためです。このブログでは2015年7月17日に掲載しましたし、山本太郎参議院議員が何度も取り上げた『フォーリン・ポリシー』誌の記事でも書かれていましたが、この安保法制はアメリカにとって「グッドニュース」なのです。何がグッドニュースなのか、それは財政が苦しいアメリカ軍の一部を日本の自衛隊がしてくれること(もちろん日本人の払った税金で)、日本が自衛隊の海外派兵のための装備を揃える際にアメリカの軍需産業の製品を大量に購入すること(もちろん日本人の払った税金で)ということです。

 

 このアメリカ(の一部)の意向を受けての安保法制なのです。だから、日本国憲法を無理やりに解釈し、いわば死文化させ、この法律を通さねばならないのです。このアメリカの意向はアンタッチャブルで誰も抵抗のできないものです。アメリカの意向は現代版の「統帥権干犯」なのです。アメリカの意向に疑義を唱えることや反対を唱えることは「統帥権干犯!」ということになります。そして、本日、日本の国家は大政翼賛会体制ならぬ米政翼賛会に堕し、アメリカの協賛機関に転落してしまったのです。そして、今年は敗戦という革命的な大事件から70年目なのです。

 山本太郎参議院議員は「自民党が死んだ日」としても服を着用してるということですが、私はそんなちいさなものではなく、「戦後日本が死んだ日」と言いたいと思います。 

 

 更に言うならば、戦前の軍部も現在のアメリカ(の一部)も元々はそんなに無理なことは求めてこなかったのです。驕慢さが募りに募って、変質してしまったというところも類似していると思います。これは余談になりますが。

 

 今回の文章は昨日の続きで、更に考えてみた結果です。日本近代史上における2度目の変調の時期を現在は迎えている訳ですが、その先に待っているのが1度目のような悲惨な結果にならないことをただただ祈るのみです。

 

(終わり)





野望の中国近現代史
オーヴィル・シェル
ビジネス社
2014-05-23



 
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ダニエル・シュルマン
講談社
2015-10-28



アメリカ政治の秘密
古村 治彦
PHP研究所
2012-05-12



 

 古村治彦です。

 

 私は一昨日、国会議事堂前で開かれた安保法制反対デモに参加してきました。私がSNSでそのことを書くと、いつもは何か反応をしてくれる人たちもしてくれませんでした。「デモに行くなんてあいつは反体制だったのか」「古村はちょっと“アカ”がかっていたがやっぱりそうか(親が日教組だからしょうがないか)」という無言の反応のようでした。

 

 国会前のデモについて私が見て感じたことは、ウェブサイト「副島隆彦の学問道場」の「今日のぼやき」コーナー(http://www.snsi.jp/tops/kouhou)に、「「1555」 昨日、2015年9月14日に国会議事堂前で行われた安保法制反対抗議デモに行ってきました 古村治彦(ふるむらはるひこ)筆2015年9月15日」というタイトルで書きましたので、お読みいただければ幸いです。

 

※記事へは、こちらからもどうぞ

 

 以下にデモについて報じた新聞記事を貼り付けます。

 

(新聞記事転載貼り付けはじめ)

 

●「<安保法案>国会周辺で抗議集会 大江健三郎さんも訴え」

 

毎日新聞 914()2041分配信

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150914-00000077-mai-soci

 

 参院で審議中の安全保障関連法案に反対する市民らの大規模な抗議集会が14日夜、東京・永田町の国会議事堂周辺であった。審議が山場を迎えていることもあり、実行委員会のメンバーが「私たちの光で国会を包囲しましょう」と呼びかけると、参加者は色とりどりのペンライトを振りながら、「安倍政権退陣」「戦争法案廃案」と声を張り上げた。

 

 市民団体「戦争させない・9条壊すな!総がかり行動実行委員会」の主催。マイクを握ったノーベル賞作家の大江健三郎さんは「(法案が可決されると)70年間の平和憲法の下の日本がなくなってしまう。しかし今、力強い集まりをみなさんが続けており、それがあすも続く。憲法の精神に立ち戻る、それしかない」、評論家の佐高信さんも「(安倍晋三首相らは)戦争にまっしぐらに向かおうとしており、断固としてやめさせなければ」などと訴えた。【樋岡徹也】

 

(新聞記事転載貼り付け終わり)

 

 私は最近、戦中に外務大臣を務め、ミズーリ号甲板上における降伏文書調印で全権を務め、戦後は改進党総裁となった重光葵(1887~1957年)が1952年に書いた『昭和の動乱』(上下・中公文庫、2001年)を読んでいます。

 

この『昭和の動乱<>』を読んでいて、重光が戦前の反省を次のように書いているところに目が留まりました。以下に引用します。

 

 「憲法のごとき国家の基本法が、フィクションの上に眠り、もしくは死文化された場合には国家は危うくなる。如何に理想を取り入れた立派な憲法でも、その国上下の構成員即ち国民が、これを日常に生活の上に活用して、身を以てこれを護るというのでなければ、憲法はいつの間にか眠ってしまう。昭和の動乱は、憲法の死文化にその原因があることは、日本の将来に対する大なる警告である。由来、国家の意思の存在する場所が不明瞭になったり、または国家意思が分裂することは、それが余り強く一ヶ所に集中せられる場合と同様、国家にとって頗る危険である。国運の傾くのは古来かような場合が多い」(『昭和の動乱<>』46-47ページ)

 

 重光は戦前のこうした動きを天皇機関説の排撃から始まったと書いています。天皇機関説排撃と天皇主権説の台頭、国体明徴(日本は天皇主権政治体制であることを改めて明らかにすること)運動は、現在の安保法制とよく似ています。

 

 これまで体制側が認めてきた憲法の解釈を大きく捻じ曲げるという点で、天皇機関説排撃と安保法制はよく似ています。天皇機関説排撃では、東京帝国大学の憲法学者で貴族院議員でもあった美濃部達吉が攻撃に晒されました。美濃部は貴族院議員を辞職し、彼の書いた本は発禁処分となりました。それまで、当時の国家公務員状況試験である高等文官試験では美濃部の本が必読の教科書となり、それまでの官僚たちは天皇機関説を勉強していたし、体制側もそれを当然としていた訳です。そして、美濃部は貴族院議員にもなったのに、急激に「反体制」ということにされてしまったのです。それには同じ貴族院議員であった退役陸軍中将の菊池武雄からの激しい攻撃や菊池と同郷・熊本の出身で天皇機関説排撃を進めた、学者の蓑田胸喜の存在がありました。

 

 安保法制で言うならば、それまでもそしてこれからも個別的自衛権や領土領海内での警察行動は認められてきましたが、集団的自衛権は否定されてきました。安倍晋三政権は、これを強引な根拠(砂川判決と国連憲章第51条)で認めるという暴挙に出た訳です。現在の美濃部達吉の立場に立つのが、慶応大学名誉教授の小林節氏です。小林氏は自民党もお気に入りの憲法学者で、改憲を主張するということでリベラル派からは批判されてきました。しかし、今回の安保法制を見て、「このような姑息な解釈改憲は許されない」という主張をするようになり、自民党側からは嫌われるようになりました。小林氏は考えを変えていないのに、体制側から「反体制」と呼ばれるようになったという点で、美濃部達吉と歴史における立ち位置は同じです。

 

 こうした体制側の「急激な変化」を吉田茂は、「昭和10年代の日本は“変調”の時期にあった」と書きましたが、この言を借りるならば、「平成20年代の日本は“変調”の時期にある」と言えるでしょう。この2つの変調は、それぞれ「憲法の安定した解釈」を体制側が強引に逸脱して暴走することが原因となるという点で共通しています。

 

 重光は、「憲法の死文化」と表現しています。今まさに日本国憲法が「死文化」されようとしています。「身を以て憲法を護る」ことがなければ、昭和の動乱の例からも明らかなように、また私たちの生活や生命を脅かすような事態が起きることになるでしょう。私は月曜日に人生で初めて自発的にデモに参加してきました。そして、その中の1人として、「身を以て憲法を護る」ことに少し参加できたことに誇りと喜びを感じています。

 

(終わり)









野望の中国近現代史
オーヴィル・シェル
ビジネス社
2014-05-23


 
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