古村治彦の政治情報紹介・分析ブログ

SNSI研究員・愛知大学国際問題研究所客員研究員の古村治彦のブログです。翻訳と評論の分野で活動しています。日常、考えたことを文章にして発表していきたいと思います。古村治彦の経歴などについては、以下のアドレスをご覧ください。http://soejimaronbun.sakura.ne.jp/goaisatsu.html 連絡先は、harryfurumura@gmail.com です。よろしくお願いします。

タグ:安倍晋三

 古村治彦です。

 

 先日、安倍晋三首相がバラク・オバマ米大統領と共にハワイのパールハーバーを訪問しました。「謝罪」ではなく、「慰霊」のための訪問ということでした。そして、2人は演説を行いました。

 

安倍首相の演説では、和解、友情といった言葉が並べ立てられていましたが、全く心に響きませんでした。日本の演説の中に、わざわざ英語の「power of reconciliation」「the Brave respect the brave」を入れたのは、この点をアメリカ人にも分かって欲しかったからだと思われますが、「和解の力」「勇者は勇者に敬意を表する」というのは、いかにもアメリカ人に媚びた言葉であると思います。

 

 安倍首相はここから始まった戦いとも述べましたが、1941年12月8日は、15年間も続いた、アジア・太平洋戦争の終幕の最後の約4年間ということになります。それ以前の11年間に日本は既に多くの犠牲をだし、かつ多くの犠牲を強いていました。この11年間の戦いに関する和解は進んでいるかと言えばそれは残念ながら続いていません。ハワイのパールハーバーという軍港を宣戦布告なしに攻撃したことは卑怯なことですが、それ以上に、謀略や恫喝を駆使して満州から華北地域を侵略し、占領したということははるかに多くの犠牲と傷を中国に強いました。日本軍は立派だった、日本が支配した方が良かったなどと言うのは欺瞞であって、それは戦後日本に進駐してきたアメリカ軍が立派だった、アメリカの支配が良かったという心性の裏返しに他なりません。

 

 安倍首相が仕えた小泉純一郎元首相でさえ(と敢えて書きますが)、謝罪はしませんでしたが、盧溝橋事件の現場を訪れました。安倍首相が戦後を終わらせると大見得を切るのなら、ある意味では「楽な道」であるアメリカとの和解演出などではなく、北方領土問題やアジア諸国との和解を行うべきですが、そちらはうまくいっていないというのが現状です。

 

安倍首相のパールハーバー訪問が終了するのを待っていたかのように、今村雅弘復興相が靖国神社を参拝しました。そして、「時期が重なった安倍晋三首相の米ハワイ・真珠湾での慰霊に関し『(み霊に)報告しておいた』と語った」ということです。また、ハワイから帰国したばかりの稲田朋美防衛相が靖国神社を参拝しました。

 

 国内リヴィジョニストにしてみれば、してやったりでしょうし、既に退任まで1カ月を切っているオバマ政権は怖くないのですから、こういうことができたのでしょう。安倍首相をはじめとする人々は、「次のトランプ大統領は日本の防衛負担の増加や核武装の可能性まで言及した。これを利用して日本の防衛予算の増大と核武装の準備も行えばよい」と単純な頭で考えているようです。米中露韓北朝鮮台湾に囲まれた中で、日本が貧乏くじを引かされないために、最悪の事態に追い込まれないために、アメリカの政権交代を利用して何ができるかという思考が、日本の軍事力強化ではあまりにも単純すぎる話です。

 

2017年、超大国アメリカの指導者がドナルド・トランプに代わります。トランプは、オバマ政権とは違う新機軸を打ち出そうとしています。外交面で言えば、オバマ民主党政権を結局のところ引きずっていってしまった、人道的介入主義派の政策とは違う、リアリズム(現実主義)的、アイソレーショニズム(アメリカ国内問題解決優先主義)的政策を実施することになるでしょう。世界各国に介入・干渉することを手控えるようになるでしょう。そして、アメリカとは体制が違う国々、具体的には中国とロシアとの関係を改善していくことになります。もちろん、何でも仲良しという関係にはなりませんし、貿易問題や資源問題などではバチバチやり合うことになるでしょう。そのためには大変複雑で難しい駆け引きが行われるでしょう。その一環として、トランプは台湾に肩入れする姿勢を見せ、中国を慌てさせながら、中国のアメリカにおける代言者とも言うべき、ヘンリー・キッシンジャーを重用し、汗をかいてもらうことをしています。「相手とは最終的な手切れにならないようにし、基本的に仲良くしながら、しかし、安心させない」ということをやっているように思います。

 

そうした中で、トランプに最初に会談相手に「選ばれ(御しやすい、ちょっと強く言えばアメリカの軍需産業から戦闘機やらを買うだろうと値踏みされて)」、オバマ大統領には広島に行ってやったのだからお前はハワイに来いと言われればホイホイと行って、和解だ、友情だの薄っぺらい三文芝居をやりながら、「これでお許しが出たし、国内向けのこともある」と閣僚が2人早速靖国神社に訪問する、中国との関係は改善の兆しも見えない。ロシアのプーティン大統領を日本に招きながら懸案の北方領土問題で、大見得を切った割には何も進展させることができなった。アメリカ、中国、ロシア、台湾、韓国といった国々に囲まれて、丁々発止の複雑な外交交渉や政策を実施して、国益を守らねばならないというのに、この程度の指導者をいただきながら、抱えながら、私たちは2017年を迎えなければならない、というのは何とも悲しいことです。

 

(終わり)





アメリカの真の支配者 コーク一族
ダニエル・シュルマン
講談社
2016-01-22


 

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 古村治彦です。

 

 いよいよ2016年も最後の週に入ります。今年はイギリスで国民投票が行われ、イギリスのEUからの離脱が過半数の支持を得ました。また、アメリカではドナルド・トランプが大統領選挙で勝利を収めました。

 

 ドナルド・トランプが大統領になることで、世界はどうなるかということがやかましく言われています。「どうなるか」というのは受け身です。「どうするか」ということが重要だと思いますが、日本はどうしても主体的に動けるアクターではなく、どうしてもアメリカの意向や状況から影響を受けてしまいますから、「どうなるか」という思考になります。

 

 以下の記事は、日本の防衛予算が5年連続で増加していること、そして、日本版国家安全保障会議(NSC)が自衛隊の活動範囲を増大させることを決めたということを紹介しています。そして、日本のこうした動きは、トランプ政権誕生に合わせたものだと分析しています。もっとも防衛予算の今年の増加はトランプ政権誕生と関連があるかもしれませんが、5年連続増加というのは、トランプ政権誕生とは関係ありません。

 

 今回のトランプ政権誕生をどのように「利用」するか(「どうするか」)では、2つの考えがあるようです。トランプは同盟諸国がアメリカに対して十分なことをしていないとし、日米同盟見直し、在日米軍撤退論までぶち上げています。これに対して、「それならば彼の主張を利用して、これまでの日米同盟を見直して、在日米軍を縮小してもらいましょう」というものと、「日米同盟見直しは大変だ、日本はもっとお金と実際の行動でアメリカにもっと貢献しないといけない」というものの2つの考えが出ています。

 

 日本の予算決定の過程を考えると、トランプが大統領選挙に当選したから、あわてて防衛予算を増額したということは考えられません。今回の国防予算の増加はヒラリーが当選しようが、トランプが当選しようが、決まっていたことです。そして、日本政府はヒラリー当選を予想していたようですから、この場合には、「アメリカが人道的介入をする場合にその手助けができるように、また、中国に対する牽制」ということが理由としてアメリカ側に説明されて、「愛い奴じゃ」ということになったでしょう。

 

 トランプ政権が誕生しても、安倍政権は続けて国防予算の増額を続けるでしょう。「日本はきちんとお金と人員を出して、アメリカに貢献しますし、アメリカから武器を購入することでアメリカ国内の軍需産業にも貢献します」ということをお題目にするでしょう。トランプ大統領が日米同盟見直しということを言っているのなら、更に貢いで満足してもらわねばならない、ということを理由にするでしょう。そこには、「日米同盟見直しということなら、日本の負担を減らすための動きができるはずだ」という思考は全くありません。

 

 このような単純極まりない、危険なリーダーを抱えて、私たちは年を越して新しい年を迎えねばなりません。

 

(貼り付けはじめ)

 

国防費の歴史的な上昇によって、日本は更に平和主義から遠のく(With Historic Defense Spending Boost, Japan Turns Further Away from Pacifism

 

ロビー・グラマー筆

2016年12月22日

『フォーリン・ポリシー』誌

http://foreignpolicy.com/2016/12/22/with-historic-defense-spending-boost-japan-turns-further-away-from-pacifism-tensions-south-china-sea-senkaku-islands-dispute/

 

木曜日、日本の内閣は5年連続で国防予算の増額を認めた。日本は中国との緊張関係を高め、また、近隣には好戦的な北朝鮮が存在する。こうした状況の中で国防予算を増加させ続けている。同時に、日本の国家安全保障会議(NSC)は平和時に同盟諸国を防衛するために自衛隊(SDF)の能力の範囲を拡大させるという決定を下した。現状を考えると、これらの動きは、第二次世界大戦以降の70年間の軍事上の平和主義から日本が遠のくことを強く打ち出す動きということになる。

 

国防予算の総計は5兆円超、約440億ドルとなり、国防費の増大分は、新しい潜水艦の導入、アメリカからF-35の6機購入、ミサイル防衛システムの改良などに割り当てられることになった。この国防予算が決定されたのは、安倍晋三首相が尖閣諸島における日本の沿岸警備隊(海上保安庁)の存在を強化すると発言した次の日のことであった。尖閣諸島は中国もまた領有を主張している地域である。

 

2012年の就任以来、安倍首相は自衛隊の能力と活動範囲の拡大に努力してきた。彼の努力は文化的に平和井主義を堅持してきた日本国内での政治的な戦いを激化させている。

 

日本は第二次世界大戦終結以降、正式な軍隊を保持していない。1947年にアメリカの占領下で作られた日本国憲法は、日本は「国の主権としての戦争を永久に放棄」し、「陸海空の軍隊や戦力を保持」しないと宣言した。

 

軍隊に代わり、日本は自衛隊を保持している。これは他国における軍隊と同じ存在だ。しかし、いつ、どこで、どのように実力を行使するかについては厳格な規則が定められている。しかし、第二次世界大戦が歴史上の記録となるほど遠ざかり、近隣諸国との地政学的な緊張が高まる中で、安倍首相率いる日本政府は、2015年に半軍隊的存在である自衛隊の地位を再解釈するための法律を国会で通過させた。この法律では、アメリカやその他の軍事同盟を結んでいる同盟諸国が攻撃を受けた場合に自衛隊がそれを援助することが可能となった。

 

そして、木曜日、自衛隊は活動範囲を広げることになった。日本の国家安全保障会議は、平和が保たれている時であっても、自衛隊がアメリカの海軍部隊を防衛することを可能とする新たなガイドラインを認めた、と朝日新聞は報じている。

 

この発表の後に行われた記者会見で稲田朋美防衛大臣は「日米同盟の抑止力は更に強化されるだろうし、日本の平和と安全は更に確実なものとなるだろう」と語った。

 

日本は、最大の同盟国であるアメリカと中国との間の外交的な十字砲火の真っただ中に置かれる可能性がある。特にドナルド・トランプ次期大統領が正式に大統領に就任した後はそうなる可能性が高い。トランプは台湾と貿易問題について早速中国と外交的な鞘当てを開始した。これは結果的にアジア太平洋地域における緊張を高めることになる。

 

日本政府が自衛隊に更なる能力を与える決定をしたことはトランプ次期政権の要求を満たすことを意味している可能性がある。トランプは選挙期間中に、アメリカの同盟諸国は自国の防衛について十分なことをやっておらず、アメリカによる防衛に対して更にお金を支払うべきだと主張した。専門家の中には、トランプのこうした発言を受けて、日本がトランプ大統領の下でのアメリカとの関係について懸念を持っていると指摘している人々もいる。

 

テンプル大学教授ジェフ・キングストンは、11月に安倍首相とトランプの初会談が行われた後にCNBCに出演して次のように語った。「アジア地域に住む人々の多くは、アメリカが頼りにならない同盟国だと考えている。トランプはこのような認識をさらに強めることになるだろう。トランプは更にアジア地域における外交に多くの不確実要素を導入してしまうだろう。アジア地域は多くの緊張を抱えている。だから、安倍首相はニューヨークに行き、トランプとの連帯を示したのだと思う」。

 

(貼り付け終わり)

(終わり)



アメリカの真の支配者 コーク一族
ダニエル・シュルマン
講談社
2016-01-22





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 古村治彦です。

 

 今回は1956年の日ソ共同宣言調印までの動きをまとめた本『日ソ国交回復秘録 北方領土交渉の真実』(松本俊一著、佐藤優解説、朝日選書、2012年)を読んで学んだことや感じたこと、更に昨日から考えたことを書きたいと思います

 

 本書は、1966年に朝日新聞社から出版された『モスクワにかける虹 日ソ国交回復秘録』を新たなタイトルにし、更に元外交官の佐藤優(さとうまさる、1960年~)氏の解説を付けて出版されたものです。

 


 本書の主題は、日ソ国交回復に向けた交渉と1956年の日ソ共同宣言調印までの動きです。1955年1月に動き出した日ソ国交回復の動きは、ロンドンとモスクワでの交渉を経て、1956年10月の日ソ共同宣言の調印で終わります。この2年間の動きを、当事者である松本俊一が克明に描き出しています。

 

 私が今回この本を読もうと思った理由は、今年の12月15日に安倍晋三首相がロシアのウラジミール・プーティン大統領を地元の山口県に招待し、下関にある有名な料亭旅館である春帆楼(しゅんぱんろう、日清戦争後に、日本側代表・伊藤博文、清国側代表・李鴻章が下関条約について話し合った場所)で、日露間にとって、なかなか取れない棘のようになっている領土問題を解決する意向であるということを受けて、60年前にはどのような交渉が行われたのかを知りたいと思ったことです。

 

 今回の日ロ交渉では、安倍首相の参謀役となっている鈴木宗男元議員は、歯舞、色丹の返還と+アルファで日ロ平和条約締結まで行きたいと考えているようです。この鈴木氏の懐刀となっているのが今回ご紹介する本の解説をしている佐藤優氏です。

 

(貼り付けはじめ)

 

2島+アルファ」で解決を=北方領土交渉で鈴木宗男氏

 

時事通信 10/29() 14:57配信

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20161029-00000051-jij-pol

 

 ロシア外交に詳しい鈴木宗男元北海道・沖縄開発庁長官は時事通信のインタビューに応じ、北方領土交渉について、歯舞群島と色丹島の返還に加え、国後島の共同統治などで合意する「2島プラスアルファ」の解決策が現実的だとの考えを明らかにした。

 

 

 鈴木氏はプーチン政権要人らとパイプがあり、安倍晋三首相と北方領土問題をめぐり意見交換を重ねている。

 

 平和条約締結後の歯舞、色丹2島の引き渡しを明記した1956年の日ソ共同宣言について、鈴木氏は「プーチン大統領も認めている。ここがスタートラインだ」と指摘。その上で「何がプラスアルファで出てくるかで判断すべきだ」と述べ、国後島の共同統治のほか、同島への経済特区導入や元島民の自由往来、周辺海域の漁業権獲得などをロシア側が受け入れれば、平和条約締結に踏み切るべきだと主張した。

 

 鈴木氏は、国後、択捉両島について「その2島を返せ、と声高に唱えることは現実的ではない」との認識を表明。「ロシアの世論調査で8割が(北方領土を)返す必要がないと言っている。全部返すなら、プーチン氏は大変なリスクを負う」と語った。 

 

(貼り付け終わり)

 

 2つ目は、2016年11月20日に私が所属する「副島隆彦を囲む会」が主催いたしました第36回定例会で、鳩山由紀夫元首相をお迎えしての講演会を開催したことです。鳩山元首相の祖父にあたる鳩山一郎元首相が熱意を持って進めた日ソ交渉について知りたい、そして、鳩山由紀夫元首相は、普天間基地の移設問題で最終的に辞任に追い込まれましたが、「祖父・鳩山一郎元首相の日ソ国交回復の時にはどんな好条件と悪条件があったのか、そして、普天間基地移設問題で孫の鳩山由紀夫元首相が退陣することになったのが、それはどんな条件が足りなかったせいなのか」について考えたいと思ったことです。

 

 本書の著者、松本俊一(まつもとしゅんいち、1897~1987年)は、生粋の外交官です。1921年に東京帝国大学法学部卒業後に外務省に入省しました(24歳)。本書の解説をしている佐藤優氏によると、松本俊一は、当時の主流派である「ABC外交官(アメリカ[America]、イギリス[Britain]、中国[China]を主な勤務地とする外交官)」ではなく、フランス語圏を勤務地とする外交官でした。在ベルギー外交官補、アントワープ領次官補、在フランス大使館などフランス語圏を勤務地としています。現在の言い方で言うと、フレンチ・スクールに属していたということになります。

 

戦時下の1942年には、東條英機内閣で外務大臣となった重光葵の下で、外務次官を務めます(45歳)。また、終戦を決めた鈴木貫太郎内閣では外相の東郷茂徳の下で再び外務次官となります(48歳)。

 

 その後、公職追放となりますが、1952年に解除となり、外務省顧問に就任し、続いて、戦後初の駐英国日本大使に就任します。1955年の総選挙では、鳩山一郎(1883~1959年)率いる日本民主党から立候補して当選、代議士となります(58歳)。代議士になった直後、鳩山首相(鳩山内閣は1954年12月10日に成立)から、日ソ国交回復交渉の全権に起用されました。その後、1956年の日ソ共同宣言まで、日ソ交渉に関わり続けました。

 

 松本俊一は、1958年に岸信介内閣で内閣官房副長官に就任しますが、1963年の総選挙で落選してしまいます(66歳、3期連続当選でストップ)。その後、再び、外務省顧問となり、1965年にはヴェトナム戦争の調査団として、ヴェトナムを訪問し、報告書を提出、その中に、「アメリカの敗北は避けられない」と書き、物議をかもしました。また、この年から1969年まで日本アラブ協会会長も務めました。対米従属を第一とする戦後の主流外交官とは一線を画す存在であったと言えます。それは、彼が今でいうところのフレンチ・スクールに属していたからであろうと思います。ヴェトナム戦争の調査団に抜擢され、アメリカの敗北を予想できたのも、フランス語が堪能であったので、アメリカ側からの情報だけではなく、地元ヴェトナム人の声を理解できたからだと思います。

 

 日ソ共同宣言調印に至る過程にはいくつかの段階があります。

 

1.はじまり(ソ連側からの接触と日本側の交渉開始決定):1954年12月―1955年5月

2.ロンドン交渉(松本俊一全権とヤコフ・マリク全権との間の交渉):1955年6月―1956年3月

3.漁業交渉(河野一郎全権[農水相]とニコライ・ブルガーニン首相との間の話し合い):1956年3月―1956年5月

4.モスクワ交渉(重光葵全権とドミトリー・シェピーロフ全権との間の交渉):1956年7月―9月

5.モスクワ交渉(鳩山一郎首相とブルガーニン首相、ニキータ・フルシチョフソ連共産党第一書記との間の交渉):1956年9月―10月

 

 日ソ国交回復は1954年12月に鳩山一郎内閣が発足してから動き出すことになります。日ソ国交回復はソ連側からの打診で始まりますが、日本側としても、シベリアに抑留されている日本人の帰還を実現させるためにソ連への接触が必要でした。しかし、鳩山政権成立まで、日ソがコンタクトを取るという雰囲気にはありませんでした。太平洋戦争の最終盤にソ連がまだ効力を持っていた日ソ不可侵条約を無視して満州と樺太、千島列島に侵攻し、日本人を多数連行してシベリアに抑留して強制労働させていたことに反感がありましたし(これについては今でも日本側には残っていると言えます)、冷戦が始まり、アメリカ率いる西側自由主義陣営に属することになった日本が軽々にソ連と交渉することは難しいという事情がありました。また、上記のような理由から、吉田茂や重光葵といった外務省出身の政治指導者たちにはソ連に対しての不信感もありました。

 

 鳩山一郎は日ソの国交回復(日ソ平和条約[戦争状態を止める条約]締結)と抑留された日本人の帰還、国連加盟を主張していました。ソ連側は鳩山政権成立が日ソ交渉を始めるタイミングだということで、鳩山一郎に話を持ちかけました。そして、鳩山一郎は代議士に当選したばかりの、外交官出身(米英系ではないフレンチスクール)の松本俊一を交渉全権に抜擢しました。

 

 1955年から松本俊一全権とヤコブ・マリク全権による交渉がロンドンで開始されました。焦点は日本人抑留者の早期帰還、国連加盟と北方領土問題でした。抑留者の期間に関しては、双方ともに異論はなかったわけですが、北方領土(国後島、択捉島、歯舞群島、色丹島)の返還問題では日ソ双方の意見は平行線をたどりました。歴史的経緯から見れば、これらの島々は日本に帰属すべきものですが、実質的にはソ連が占領している状態です。

 

 ソ連側としては、歯舞群島と色丹島の返還(国後島、択捉島はソ連に)で手を打って、それで日ソ平和友好条約を締結するつもりでした。松本全権も、「この条件での交渉妥結、平和条約締結が妥当」という判断を下しました。しかし、国内の反鳩山である吉田茂をはじめとする人々はこのような条件には絶対反対でした。

 

 その後、1956年7月に重光葵外相(松本俊一の外務省・代議士を通じての先輩)が全権としてモスクワに乗り込んでのドミトリー・シェピーロフ(外相)全権との交渉が開始されました。重光葵は四島返還を強硬に主張し、松本と対立していました。しかし、モスクワ交渉を通じて態度を豹変させ、「二島返還を可とする」という内容の電報を日本に送ることになります。この時、重光は首相の座を狙っており、日ソ交渉妥結、日ソ平和条約締結を自分の手柄にしようとし、強い態度で交渉に臨み、しかし、最後まで頑張ったが最後は妥協せざるを得なかったが成果は得たという演出をしようとしたのではないか、と松本は推測しています。しかし、日本に残っていた鳩山首相や側近の河野一郎農相は、重光の態度豹変を受け入れられない(二島返還に反対ではないが)、もっと頑張るようにと返事を送りました。

 

 このモスクワ交渉が行われている1956年8月19日、重光外相はロンドンの米国大使館を訪問し、ジョン・フォスター・ダレス国務長官と会談しました。この時、ダレス長官は、「日本が国後島と択捉島を放棄するのなら、サンフランシスコ講和条約第26条に基づいて、沖縄をアメリカに併合する」と述べました。これは「ダレスの恫喝」と呼ばれるものです。サンフランシスコ講和条約第26条では、日本がある外国と戦後処理で講和条約締結内容以上の利益を与える場合には、講和条約締結国にもそれと同程度の利益を与えられねばならない、というもので、貿易協定における最恵国待遇と同じような内容であると言えます。

 

 沖縄をアメリカに併合されてはたまりません。また、これはアメリカが二島返還で妥協しての日ソ平和条約締結を望んでいないことのシグナルであるということになり、日ソ平和条約締結を諦め、共同宣言方式で、領土問題は残っていることを確認しながら、国交回復ということになりました。

 

 日本の日ソ平和条約締結を阻止する形になった、ジョン・フォスター・ダレスは、日弁安保体制の「設計者」とも言える人物です。ダレスは、日米安保体制の根幹を「アメリカが、日本国内の好きな場所に、必要な規模で、いつでも、そして必要な期間に基地を置くことが出来る」ことに設定しました。そして、この状況は残念ながら全く変わっていません。この戦後の日本の「対米従属」「植民地化」の枠組みを決めたダレスが、日本の独自外交である日ソ交渉を阻害したのは、「日ソ間で大きな懸案を残すことで、日本がアメリカから離れないようにする」という目的もあったと思われます。

 

 昨日、沖縄に配備されていたオスプレイが墜落大破するという事件が起きました。翌日から安倍晋三首相とウラジミール・プーティン大統領との間で北方領土問題に関して「新しいアプローチ」づくりによる問題解決を目指す交渉が行われるというタイミングで事件は起きてしまいました。

 

また、日露首脳会談の前に、既に北方領土返還はほぼ不可能であるという内容の報道もなされています。それは、ロシア側が北方領土を返還した場合に、そこに米軍基地を置くのかという問いをし、それに対して、日本側は「その可能性を排除できない」と答えたことで、ロシア側が態度を硬化させたというものであり、「ロシア側は日本が独自に決定できない」ことに懸念を持っているというものでした。

 

 ロシアにしてみれば、自分が持っている限りは絶対に米軍基地など作らせない需要な地域を日本に引き渡して、そこに米軍基地が作られてしまえば、歴史に残るほどの大失態になります。ですから、返還をする場合には慎重の上にも慎重を期して、米軍基地を作らせないという確約が欲しいですし、それがないなら、わざわざ返還する必要はないということになります。現実的には米軍基地が作られる可能性はかなり低い、ほぼないと言っても、そこをうやむやにしたままにはできません。

 

 日本側にしてみれば、北方領土返還と日露平和友好条約締結は、戦後処理の大きなパートということになります。しかし、「米軍基地を作らせない」ということを日本が独自に決めることはできません。それは、日米安保体制の根幹は、その設計者であり、日ソ交渉の妥協を阻害したダレスが設定したように、「日本国内の好きな場所に米軍基地を作ることが出来る」ということだからです。北方領土をその例外にしてしまうと、つまり、日本国内に米軍基地を作ることが出来ない場所が出現すると、その「例外」が「前例」となってしまい、日米安保体制の根幹を崩すアリの一穴になってしまう可能性が出てきます。

 

 日米両国内の日米安保体制維持によって利益を得ている人々、既得権を持っている人々にしてみれば、これは大変危険なことです。

 

 このように考えていくと、二島返還+アルファか、四島返還かということ以前に、「日本の領土となることは、米軍基地建設がされる場所になること」ということになり、これは、領土交渉や国境画定交渉において大きな障害となります。

 

 近代国家を構成する三要素は、国民、国土、国境であり、その中で主権が存在します。主権とは、国家を構成する枠組みや形を決める権利ですが、日本にはそれを独自に決められないということであり、この点では残念ながら、近代国家の要件を実質的に一部書いている半主権国家と言うことができ、これは属国、従属国と言い換えることができると思います。

 

 日本は、経済規模は世界有数の大きさであるが、半主権国家である、という前提から物事を見ていくということの重要性を改めて認識しています。

 

(終わり)














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 古村治彦です。

 

 先月、安倍晋三首相は世界の首脳の中でいち早くドナルド・トランプ次期大統領と会談を行いました。この実質的な首脳会談がどうして実現できたのか、が明らかになりました。私は、外務省はヒラリー・クリントン勝利を予測しておりトランプ陣営とは全く連絡がなかったと思っていましたが、これは半分当たって、半分間違っていました。

 

 佐々江賢一郎駐米大使は、ある人物を通じて、トランプ周辺、娘イヴァンカとその夫ジャレッド・クシュナーとの関係を構築し、首脳会談を実現させたそうです。

 

 その人物は村瀬悟弁護士という日系三世の人だそうです。村瀬弁護士はニューヨークの著名な弁護士事務所の幹部であり、大企業の顧問弁護士や代理人を務めているそうです。また、笹川良一が創設したUS-Japan Foundation(日米財団)の理事も務めているそうです。

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村瀬悟弁護士

 

 2つ目の記事は、村瀬悟弁護士の父・村瀬二郎弁護士が亡くなった際の追悼記事です。村瀬次郎氏は日系二世の弁護士で、日本とアメリカの政界で幅広い人脈を持っていたそうです。そして、興戦時中、村瀬二郎氏は日本の旧制中学校に通っており、その後帰国して、アメリカの名門ジョージタウン大学ロースクールで学びながら、ヴォイス・オブ・アメリカの編集と翻訳の仕事をし、その時に、テープ・レコーダーの売り込みに来ていたソニーの創業者盛田昭雄氏と知り合い、その後、多くの日本企業のアメリカ進出の手助けを行った(「日本株式会社の顧問弁護士」という異名)という日米関係の結節点のような存在です。

 

 興味深いことは、村瀬二郎氏は息子の村瀬悟氏を中学校から高校まで東京の成蹊学園で学ばせていたということ、そして村瀬悟氏は安倍氏の中高の1年後輩になるということです。私は一度成蹊大学での勉強会に出席したことがあります。成蹊学園は、小学校から大学・大学院まで同じ敷地内にあり、家族的な雰囲気のある学校だなと感じました。このような家族的な雰囲気で先輩・後輩の間も親密であったと思われます。

 

 また、安倍晋三首相は、大学卒業後に渡米し、南カリフォルニア大学に遊学しましたが、その後、神戸製鋼に入社し、ニューヨーク事務所に勤務しました。この時、村井悟弁護士(成蹊中高の後輩)と邂逅したのだろうと思われます。

 

 この村井悟氏が今回、安倍晋三首相がトランプとの会談を行う際にその仲介役を務めたということです。これで、「外務省は失敗したのに(この表現は半分正しくて半分間違っていました)、どうして安倍晋三首相はトランプと会談が出来たのか」という疑問の答えが出ました。

 

 村瀬家には、幕末の悲運の幕臣・小栗上野介忠順の一族の女性が嫁いでいるということです。小栗は先見性があり、大隈重信は、「明治新政府の近代化政策は、小栗の模倣を下に過ぎない」と発言したことでもその偉大さは証明されています。小栗は徳川幕府の遣米使節団に参加し、ニューヨークも訪問しました。その際に、小栗の優秀さをアメリカ人も称賛したということです。

 

 こうしてみると、村瀬家は150年の日米関係を象徴する存在ということになります。そして、日本がこのような存在をアメリカ国内に持っていることは素晴らしいことです。しかし、私が憂慮するのは、アメリカ以外の外国に対して、このような存在まででなくても、国交の結節点のような存在、もしくは日本と外国を両方理解できる人材を持っているかということです。

 

 このような存在を作り上げるには一夕一朝ではできません。ですから、まずはスタートすることだと思います。

 

(記事貼り付けはじめ)

 

国際・外交アメリカ

【スクープ!】安倍・トランプ会談を仲介したスゴ腕弁護士の正体とは

1955年生まれNY在住の日系3

歳川 隆雄ジャーナリスト

「インサイドライン」編集長プロフィール

http://gendai.ismedia.jp/articles/-/50422

 

 

村瀬悟とは何者なのか

 

ニューヨーク在住の日系3世弁護士、村瀬悟氏の名前を知る人はそれほど多くない。全世界に2000名近くの弁護士を擁する米国有数のモルガン・ルイス&バッキアス国際法律事務所に所属、現在はパートナーの地位にいる。

 

その村瀬悟弁護士が、実は1117日(現地時間)にニューヨークのトランプタワーで安倍晋三首相がドナルド・トランプ次期米大統領と会談した仲介者である。

 

118日の大統領選本選直前、佐々江賢一郎駐米大使がトランプ陣営に接触、トランプ氏が大統領選に勝利したら安倍首相からの祝意を伝える電話を入れたいと申し入れたのがそもそもの「トランプ・アプローチ」の始まりだった。

 

佐々江大使は村瀬弁護士を通じて、先ず長女のイバンカ・トランプさん、次に主人のジャレッド・クシュナー氏を交えて会い、ファミリーとの関係を確立した。

 

そして安倍官邸はそのホットラインを通じて、1110日の電話会談と17日のトランプタワー訪問を実現したのである。

 

安倍首相が世界の首脳に先駆けてトランプ次期大統領との「良好な関係」を築くことができたのは、村瀬弁護士の存在なくしてはあり得なかった。

 

では、村瀬悟氏(1955年生まれ)とはいかなる人物なのか。

 

20148月、86歳で亡くなった父・村瀬二郎氏が超大物日系2世の弁護士であった。カーター民主党政権下で大統領通商諮問委員に就任、その後も国務省多国籍企業諮問委員に就くなど政府の各諮問委員会メンバーを歴任した。

 

民間組織では、デイビッド・ロックフェラーが創設したトライラテラル・コミッション(日米欧委員会。現三極委員会)委員を務めた。

 

日本との関わりで言えば、ソニー創業者の盛田昭夫元会長との長い交誼は有名であり、1980年代になって同氏の政財界人脈を頼って米国進出の商社、自動車、電機など大手企業が村瀬事務所に日参したほどだ。

 

安倍首相の1年後輩

 

政界では福田赳夫元首相との関係が際立っており、当然にも自民党清和会(現細田派)を福田氏から引き継いだ安倍晋太郎元外相とも大変親しかった。

 

ということは、その関係は安倍首相にも継承されている。

 

ところが、それだけではない。村瀬悟氏は、父・二郎氏の命によって青春期は日本で教育を受けるべしということから、中学1年から高校3年まで東京の成蹊学園で学んだ。そして安倍首相が1学年上に在籍していたのだ。

 

外見的には全くの日本人であるが、発想からライフスタイルは典型的な米国人である。成蹊高校卒業後、ボストンのハーバード大学に進み、1979年に卒業。その後はワシントンのジョージタウン大学ロースクールに入学、1983年終了の法学博士号取得者だ。

 

日本で同氏の名前が取り沙汰されたのは、皮肉にも経営危機に陥ったソニーが、ダニエル・ローブ氏率いる投資ファンド「サード・ポイント」の株主提案に翻弄された時のことである。村瀬氏が同ファンドの顧問弁護士として登場したからだ。

 

「ハゲタカ・ファンド」と同一視されるのを嫌った同氏は旧知の政府系金融機関トップの紹介を得て首相官邸を始め、経済官庁のトップ、大手銀行経営者を回って「物言う株主」の重要性を説いて回った。

 

従って、日本を筆頭にアジア、そして欧州の主要企業をクライアントに持つ村瀬氏が、リバタリアンとしても知られる、「アメリカン・ドリーム」の体現者ドナルド・トランプ氏と親しくなるのは必定であった。

 

安倍首相とトランプ次期大統領との会談があった1117日夜、首相の宿舎「インターコンチネンタル・ニューヨーク・バークレー」のスイートルームで村瀬氏が目撃されたのは当然である。

 

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「日本株式会社」の顧問弁護士

追悼 村瀬 二郎氏(日系二世の米国人弁護士)

 

201410月号 LIFE [ひとつの人生]

https://facta.co.jp/article/201410019.html

 

 

85日、ニューヨーク市内の病院で、86歳の日系人弁護士がひっそりと息をひきとった。222日に妻由枝(享年88歳)の最期を看取ってからおよそ5カ月、妻の後を追った。村瀬二郎。知る人ぞ知る日本の戦後史の生き証人である。

 

「昭和元禄」――皮肉を交えた造語にかけては右に出る者がなかった元首相、福田赳夫(故人)が、戦後奇跡の復興を成し遂げつつあった日本経済と社会の奢侈と安逸を諌めたのは、日本が初の東京五輪に沸いた1964年のことだった。 

 

その後、日本経済は80年代末のバブル絶頂期まで、拡大の一途をたどった。それに伴い、日本企業は海外進出を加速させ、ジャパンマネーの洪水に日米経済摩擦が深刻な政治問題となっていった。

 

当時、米国進出を考える企業も、米国で問題を抱えてしまった企業も、さらに日米経済交渉に携わる官僚や政治家たちが、こぞって頼りにしたのが移民二世の日系米国人、村瀬だった。

 

彼は、高度成長時代の「日本株式会社」の顧問弁護士のような存在だった。

 

7781年のカーター民主党政権下で大統領通商諮問委員に就いたのを皮切りに、国務省多国籍企業諮問委員、日米欧委員会(現三極委員会)委員などを歴任。米国の政財界に強い影響力を持った最も成功した弁護士の一人だった。

 

その影響力を頼って、日本の総合商社はもとより、米国に進出している電機、自動車などの大手企業や政治家たちがひっきりなしに村瀬の事務所を訪ねた。この中には、安倍晋三首相の父、晋太郎やソニー創業者、盛田昭夫もいた。

 

村瀬が盛田と邂逅したのは、まだワシントンの名門ジョージタウン大学に在学していた50年代に遡る。ロースクールに通いながら、村瀬は国務省のラジオ放送「ヴォイス・オブ・アメリカ」(VOA)で編集兼翻訳を務めていた。そこに大きなリール式のテープ・レコーダーを抱えて売り込みに来たのが盛田だった。

 

「これを使ってみてくれ、すべて日本製の録音機だ」

 

名刺にはソニーの前身、東京通信工業と印刷されていた。盛田が持ち込んだ録音機を見て、放送局のエンジニアたちは「日本にこんなものは作れない。ドイツ製の部品を組み立てただけだ」と鼻で笑ったが、分解した結果、日本製ということが分かり、村瀬は我がことのように盛田の手を取って喜び合った。

 

村瀬は盛田の語るソニーの未来像、そして日本の将来像に共鳴し、それから2人の親交は40年以上に及んだ。89年、ソニーは大手映画制作会社コロンビア・ピクチャーズの買収に乗り出す。凄まじいジャパン・バッシングの嵐の中、日米関係を憂慮した村瀬は、ワシントンなどに何度も足を運んでは日本の真意を説き、火消しに走り回った。

 

それからおよそ四半世紀。出井―ストリンガーと続いた経営失敗の後遺症で苦境に喘ぐソニーは、ダニエル・ローブを総帥とする米国投資ファンド「サード・ポイント」の株主提案に翻弄される。このファンドの代理人弁護士を務めたのが村瀬の長男悟(55年生まれ)なのだ。

 

昨年、来日したローブの傍らに悟の姿があった。悪名高い「ハゲタカファンド」と同一視されるのを嫌ったローブは、官邸、日銀、財務、経産、大手銀行などを回っては「物言う株主」が日本の企業体質を改善し、経済に貢献することになる

 

などと説いて回った。その際、父二郎から受け継いだ人脈が悟を助けたのである。

 

村瀬の父九郎がニューヨークの土を踏んだのは1911年(明治44年)。日露戦争に軍医として従軍したが、麻酔もなく手足を押さえて手術し、阿鼻叫喚となる日本の医学の後進性を痛感し、ニューヨークのメディカル・スクールで最新の医療技術を学ぼうと渡米したのである。

 

実は村瀬の義母は、幕末に幕府の勘定奉行や江戸町奉行、外国奉行として辣腕を振るった幕臣、小栗上野介(忠順)の一族から嫁いだ女だった。慶応4年に処刑された小栗を司馬遼太郎は「明治の父」と讃えたが、薩長政権のもとで小栗は逆臣の代表だった。小栗一族を嫁にした九郎に栄達の道は閉ざされていた。それが渡米を決意したもう一つの理由である。

 

夫婦2人で新天地をめざしたが、妻は世界的に流行したスペイン風邪に感染し、出発を目前に急逝してしまう。

 

大恐慌を目前にした28年、後妻みよの二男として村瀬は生まれる。4歳で目撃した大恐慌のニューヨークは、ボロをまとった子供たちが物乞いする光景だった。

 

それを村瀬は終生忘れない。

 

日本で教育を受けさせたいという父の強い願いから、村瀬は兄とともに、サンフランシスコから船で日本に渡航する。いったん帰国したが、36年から再び日本に戻り、終戦を母方の実家のある兵庫県芦屋で迎えた。当時は旧制芦屋中学の生徒だった。

 

日本を愛してやまない村瀬は、日本を敗戦に追い込んだ米国に畏敬の念を持ち、その自由な気風を尊んで、米国人としての祖国愛は誰にも負けなかった。

 

村瀬も長男悟を中学1年から高校3年まで東京の私立成蹊学園で学ばせた。誰もが顔見知りのような学園で1学年上に在籍していたのが安倍晋三だった。その父晋太郎が率いる福田派「清和会」の外交アドバイザーを村瀬は引き受けることになり、安倍家と村瀬家との交わりは以来30年余になる。

 

客をしゃれたラウンジに招待しては、村瀬自らマイクを握って「アメリカ・ザ・ビューティフル」を朗々と歌ったが、その一曲を終えると、軍歌「月月火水木金金」が続いた。最後にマイクを強く握りしめ、遠くを見つめて歌うのが童謡や唱歌だった。

 

村瀬が歌う「鯉のぼり」は、祖国日本を思う愛惜の情に溢れていたという。

 

(記事貼りつけ終わり)

 

(終わり)














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 古村治彦です。

 

 昨日、ニューヨーク・タイムズ紙が、以下のような報道を行いました。先月、安倍晋三首相が世界の首脳に先駆けてドナルド・トランプ次期米大統領と会談を行いました。この時、トランプの娘イヴァンカとイヴァンカの夫ジャレッド・クシュナーも同席していました。この会談の時、イヴァンカが経営する企業が日本企業と契約締結の最終段階にあった、これは、利益の衝突に関わる可能性がある、というものです。ここで出てくる日本企業とは、サンエー・インターナショナルという会社で、私は女性のファッションに疎いものですから知らなかったのですが、多くの人気ブランドを展開するファッション界の大企業だということです。ニューヨーク・タイムズが問題にしているのは、サンエー・インターナショナルの筆頭株主の筆頭株主が日本政府系の日本開発銀行であるという点です。

 

 ニューヨーク・タイムズの筋立てですと、「安倍晋三首相はトランプとの会談を希望していた→何かつてを探す→イヴァンカと契約締結寸前の日本企業がある→この会社の大株主は日本政府系の日本開発銀行だ→この会社に契約を結んでもらうことの代りにイヴァンカに口をきいてもらって首脳会談実現」となった可能性があり、これが利益の衝突問題に関わる可能性があるというものです。

 

 今回のニューヨーク・タイムズの記事の内容は、ちょっと回り道が過ぎる筋立てだと思いますし、安倍首相とトランプ次期大統領の会談実現は、ニューヨークのアジア・ソサエティやトランプ政権のウィルバー・ロス商務長官の線から実現したと言われていますから、イヴァンカの線ということはないでしょう。

 

 しかし、イヴァンカとドナルド・ジュニア、エリックの3人の子供たちがこれからトランプ・オーガナイゼ―ションの各企業の経営や統轄を行っていかねばならないということになれば、父ドナルドが大統領にいる間は、この利益の衝突問題は常につつかれることになるでしょう。ですから、慎重を期して、「そこまでやらなくても」と言われるほどに、区別をはっきりつけるか、ビジネスからきっぱり手を引いて、父のサポート役としてホワイトハウスに入るが政策形成にはかかわらない、という形にしないと(しかし、これでも日本的に言えば側用人政治と言われてしまうでしょう)、トランプ政権のためにならないでしょう。

 

 現在、3人の子供たちは政権移行ティームに参加していますが、まぁここまでは良いとして、1月の新政権発足時には、政権内のポストに就かないようにするということが、トランプ政権のためになることだと思います。

 

(貼り付けはじめ)

 

イヴァンカはトランプと安倍の会談時に日本企業とビジネス契約を結びつつあった(Ivanka was finalizing Japanese business deal at time of Trump, Abe meeting: report

 

ブルック・シーペル筆

2016年12月4日

『ザ・ヒル』誌

http://thehill.com/blogs/in-the-know/in-the-know/308712-ivanka-was-finalizing-deal-with-japanese-apparel-giant-when-she

 

次期大統領の娘イヴァンカ・トランプは、ドナルド・トランプが日本の安倍晋三首相と会談し、そこに同席していたが、この時、日本のある企業とビジネス契約を締結寸前であった、と報じられた。

 

『ニューヨーク・タイムズ』紙はイヴァンカが首脳会談に同席した同時期、東京で別の話し合いが続けられていたと報じた。イヴァンカが経営するファッション企業が日本のサンエー・インターナショナルとライセンス契約を結ぶための話し合いを行っていた。サンエー・インターナショナルの最大の株主は日本政府所有の企業(訳者註:日本開発銀行)だ。

 

ニューヨーク・タイムズ紙によると、契約締結に向けては2年間の交渉が続けられたということだ。トランプ・タワーでの議論の中で、イヴァンカのビジネスについても話されたのかどうかについては報告されていない。しかし、同紙は、状況から見て、父ドナルド・トランプが行わないと誓約した、利益の衝突に抵触する可能性があると主張している。

 

先週、トランプは「国家運営に全精力を注力するために私の築き上げたビジネスから全て手を引く」とし、その期日を12月15日とした。トランプは、「ビジネスから手を引くことは大変に重要だ。それは、私が展開している様々なビジネスと大統領力の間で利益の衝突を起こさないためだ」と書いている。

 

ニューヨーク・タイムズ紙は記事の中で利益の衝突について言及しており、「トランプの3人の子供たちは政権移行ティームに参加しているが、彼らのこれまでのビジネスの歴史を調べてみると、トランプ一族、トランプのビジネス、トランプの政治が如何に深く関連し合っているかが分かる。トランプ氏とトランプ企業グループの経営に参加している子供たちの間に壁を作るという主張にどれほどの意味があるかということに重大な疑問は残る」と主張している。

 

(貼り付け終わり)

 

(終わり)








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