古村治彦(ふるむらはるひこ)の政治情報紹介・分析ブログ

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タグ:宏池会

 古村治彦です。

 2022年の日本における最大の事件は安倍晋三元首相暗殺事件だった。これによって、日本の政界では現在、自民党と統一教会の関係清算の動きが進んでいる。統一教会への批判も依然として強いままだ。安倍晋三元首相暗殺事件の山上進容疑者の背景に、家庭関係の不幸と母親の統一教会への入信と多額の寄付による不幸があり、山上容疑者が統一教会に怨恨の感情を抱き、現在の教団最高指導者韓鶴子総裁を狙うも果たせず、統一教会と関係が深いと彼自身が考えた安倍晋三元首相を狙ったが報道され、統一教会に対して注目が一気に集まった。そして、統一教会が政界、特に自民党に深く食い込んでいる実態が明らかにされるようになり、自民党は統一教会との関係を清算せざるを得ない状況に追い込まれた。

 祖父信介元首相以来、父安倍晋太郎元外相がともに統一教会と深い関係にあり、安倍晋三元首相もまた関係を継続させた。その結末が悲劇的なことであったことは何とも皮肉なものだ。

 安倍晋三元首相は「改革の熱狂」を引き起こした小泉純一郎・竹中平蔵時代の申し子のような形で、若きスターとして自民党や政府の重職をほぼ担うことなしに、これまでのキャリアパスとは異なる形で首相に就任した。第一次政権は1年弱と短気であったが、第二次政権は長期政権となり、政権担当機関は憲政史上最長を記録した。この間に安倍晋三元首相が行ったことは、戦後日本の構造の改悪であった。格差の拡大、解釈改憲の強行による憲法九条の骨抜き、対米従属体制の強化であった。アベノミクスと呼ばれる経済政策は効果を生まなかった。戦後体制の変革を目指した安倍晋三元首相の残した日本は、衰退国家の道をたどる日本となった。少子高齢社会の流れを止められなかったが、これは安倍氏以外の政治家でも同じことだっただろう。

 安倍元首相の暗殺によって、政界における安倍晋三元首相の影響力が消え、彼に守られていた人々は後ろ盾を失った。「チェンジ・オブ・ペース」で就任した岸田文雄首相は、国防費GDP比2%達成というアメリカからの指令(トランプ政権時代から言われていた)を実現するために、大幅な増税を画策している。また、先制攻撃の容認という重要な転換も行おうとしている。国防予算の増額と先制攻撃の容認ということが合わされば、近隣諸国にとっては脅威ということになる。安全保障の不安定な環境があるので国防を強化するということがさらに不安定化を増長するということになる。

 私は安保条約改定で退陣した岸政権から経済重視の池田政権への移行と、安倍政権から岸田政権への移行をアナロジーとして比べて考えていた。簡単に言えば、宏池会系になれば、好戦的な姿勢は弱まるだろうと考えた。しかし、21世紀にはこのようなアナロジーは適さなかったようだ。宏池会は平和路線で経済重視という常識は既に通用しないようだ。ある意味で、戦後体制が終焉したということが言えるだろう。そして、非常に残念なことであるが、安倍晋三元首相が目指した戦後体制の終焉は成功したということになるのだろうと思う。

(貼り付けはじめ)

安倍晋三元首相の国葬は、安倍元首相の存命中と同様に議論を巻き起こすものだ(Shinzo Abe’s State Funeral Is as Controversial as He Was

-暗殺された元首相のための儀式は一つの時代の終焉を際立たせた。

スペンサー・コーエン筆

2022年9月26日

『フォーリン・ポリシー』誌

https://foreignpolicy.com/2022/09/26/japan-shinzo-abe-state-funeral/

戦後初のそして最後の首相公葬が秋の暖かい火曜日に行われた。1967年10月31日、吉田茂はその2週間前に89歳で亡くなった。不確実で激動のアメリカ占領時代とその後の独立時代に日本を率いたこの人物を国家は讃えた。1951年、サンフランシスコで戦争終結のための講和条約に調印し、瓦礫と火の海から生まれた新しい民主政治体制国家「新生日本」を体現した人物ことが吉田茂だった。

神奈川県大磯の吉田茂邸の芝生の上に、小銃を手にした自衛隊の儀仗隊の列が立ち、式典は始まった。長男で作家・評論家の吉田健一が遺骨を入れた箱を持ち、ゆっくりとした足取りで重厚な黒塗りの車に乗り込んだ。車は東京に向かい、頭を下げて祈る弔問客で埋め尽くされた通りを走り、やがて皇居近くの日本武道館に到着した。外は大勢の人、中は関係者や外交官たちなどが集まり、厳粛な雰囲気に包まれていた。吉田健一は父の遺骨を持って中央通路を歩き、佐藤栄作首相に遺骨を渡すと、佐藤首相は自衛隊の儀仗隊3人に遺骨を手渡した。その遺骨は、数千本の菊の花で覆われた祭壇と、高さ3メートルの遺影の下に運ばれた。

吉田茂の肖像画は、1964年の東京オリンピックのために建設された会場である日本武道館に集まった政治家や外国の外交官たちを見下ろし、建設と成長に沸く首都で、安定と経済力の象徴である新しい新幹線が横切る国土を眺めていた。この平和と繁栄は、数十年前に吉田茂が行った政策によって形作られたものである。吉田は、軍事力とアメリカからの完全な独立を、自由民主党(Liberal Democratic PartyLDP)政権を強固にした産業と経済力に引き換え、「吉田ドクトリン(Yoshida Doctrine)」「サンフランシスコ・システム(San Francisco System,)」「吉田案件(Yoshida Deal)」と呼ばれるものによって、国家の指導者になった。吉田の死は、1945年の第二次世界大戦の終結から始まった壮大な歴史の幕を閉じたかのようであった。歴史家のジョン・ダワーは、「彼の死は、吉田が他のどの日本人よりも体現した『戦後』という章に、最後の文章を書いたのだ(the death wrote the final sentence to the chapter called ‘postwar,’ which Yoshida more than any other single Japanese personified)」と書いている。

2時10分、日本中にサイレンが鳴り響き、武道館は静まり返り、多くの人が一つの時代の終わりを感じた。しかし、多くの人がそれを受け止めた。銀座で黙祷する人たちに10代の少女が、「あれ、皆さん何をしているんですか?」と声をかけた。佐藤内閣は1947年に廃止された戦前の国葬令(state funeral ordinance)を回避し、公示や国会審議によらず閣議決定(cabinet decision)で葬儀を行ったのだ。このような経緯に戸惑う人もいれば、真っ向から反対する人もいた。国葬の正当性を疑問視し、恣意的な法的根拠を糾弾し、国葬は過去の帝国の遺物であり、残すべきものではないとする評論家もいた。保守的な読売新聞の記者でさえも「無感動な国葬(an emotionless state funeral)」と評した。

さて、今週火曜日に行われる安倍晋三元首相の国葬では、華やかさ、ページェント、喪服、弔辞、批判、そしてスペクタクルが再び繰り返されることになる。政治家の国葬は、約80年前に終わった戦争の後で2回目、50年以上ぶりのことである。「吉田茂以来、国葬が行われなかったと言うよりは、吉田以降、国葬が永久に廃止されたと考えた方が真実に近いと思う」と朝日新聞はで論評した。1975年、佐藤栄作は死去し、彼の支持者たちは国葬で彼を讃えようとした。しかし、明確な法的根拠がなかったため、国、国民、自民党の出資による形での国民葬(national funeral)が行われた。

それ以来、戦後はこの方式が定着した。内閣総理大臣の葬儀は、内閣と自民党の共同出資で行われることになった。1989年、昭和天皇(海外では裕仁天皇と呼ばれる)は、宮内庁が「国家儀礼(State Ceremony)」と呼ぶ「大喪の礼」を行い、吉田首相の儀式とは異なる形で国民が敬意を表した。しかし、現在の岸田文雄首相は儀礼にとらわれない。しかし、岸田文雄首相は、佐藤首相に倣い、閣議決定で安倍首相の国葬を行った。

安倍首相を例外とすることは、当然といえば当然だが、賛否両論があった。7月、街頭演説中に手製の銃で撃たれて亡くなった安倍元首相は、ある時代の政治を象徴する人物だった。岸信介元首相の孫であり、自民党の有力政治家だった故安倍晋太郎元外相の子息である安倍晋三は、戦後最も長く首相を務めた政治家となった。亡くなった当時は、自民党の最大派閥を率いていた。

しかし、国葬1週間前の時点でも日本人の約6割が葬儀に反対している。その理由は、安倍首相の右翼的な政策に対する軽蔑から、あるいは葬儀そのものが独裁的な行事であるという考えからである。ここ数カ月、市民団体が葬儀に国費を使うことの差し止めを求め、何千人もの人々が東京の街頭に出て、国民が何も言えないで決まった儀式だと抗議している。「国葬が民主政治体制のための葬儀であってはならない(A state funeral must not be a funeral for democracy)」と、8月31日に約4000人の群衆が国会の前に集まって叫んだ。批評家たちは、国葬は大衆に、しばしば不人気な人物を集団で悼み、記憶することを強要し、時に物議をかもす彼の政策への批判を押しとどめようとする試みであると見ている。国葬は「民主政治体制の破壊」を意味すると経済学教授の金子勝は書き、およそ1200万ドルにのぼる納税者の資金を追悼のために使うことは非民主的で、特に法的根拠があいまいな式典の場合はそうであると主張した。しかし、岸田首相と自民党は葬儀を続行し、首相は葬儀は「民主政治体制を守るものだ」と宣言した。

先週、イギリス女王エリザベス二世の国葬のために参加者たちがロンドンに集まった。その儀式と人物との比較は避けられないものであった。エリザベス女王は、多くの人々から慕われる君主であり、今日イギリスに住むほとんどの人々が生きている間、国の象徴的な舵取りをする中立的な存在として見られていた。もちろん全ての人々がそうであった訳ではない。これに対し、安倍首相は君主ではなく政治家として、国際的なリベラリズムと右翼的なナショナリズムの間に境界線を引いた。そして、2000年代初頭に政権を握った。S・ネイサン・パークは次のように主張している。安倍首相は、歴史修正主義(historical revisionism)を標榜したことで物議をかもし、分裂している人物ではあった。しかし、彼の周囲にいた人々と外国の外交官の双方を惹きつける魅力があった。しかし、おそらく最も適切な比較は、エリザベス女王の死と、戦前、戦中、戦後とその地位にあった昭和天皇の死である。1989年の昭和天皇の葬儀は、何日も喪に服し、結束して、明確で顕著な歴史の区切りを示すように見えた。

安倍元首相の死は、女王や天皇といった君主の死ほどには、国家の安定を破壊していないように見える。しかし、東京大学の五百旗頭薫教授(日本政治・外交史)は、銃撃事件直後の『フォーサイト』誌に、日本政治では有力な保守政治家が暗殺されると「政治が漂流する(politics goes adrift)」のが通例だと書いている。安倍首相のような「保守主義と進歩主義」のバランスを取る政治家が国政の舵取りをし、その暗殺によって全てが混迷と混乱(confusion and disorder)に陥るという。

そして、1967年と同じように、終わりを宣言する日々が続いている。安倍元首相のスピーチライターだった慶応大学教授の谷口智彦は、「国葬によって、安倍首相の『チャーチル的(Churchillian)』な、国家への貢献が歴史に刻まれる」と書いている。また、この式典にあまり賛成でない人たちもその歴史的意義を認めている。朝日新聞のある論説委員は、銃撃事件の数日後、そして東京の寺院で行われたより小規模で内輪の安倍首相の葬儀の翌日に、「1つの時代が終わったのに、人々や車は何も変わっていないかのように動き続けていた」と書いている。

また、グローバルな視点からの意見もあった。産経新聞の磨井慎吾は、「私たちが生きてきた平成という時代は、急速に歴史になりつつあるという思いが強くなっている」と書いている。平成は厳密には2019年に天皇陛下の退位で既に終わっているが、暦が変わり、祝日が規定されたものの、その推移は穏やかで地味なものだった。そして、3年後の今、世界的な新型コロナウイルス感染拡大、ウクライナ戦争、安倍首相の暗殺を経て、変化が起きているのではないかと磨井は主張している。安倍元首相の葬儀は、吉田元首相の葬儀と同じように、一つの時代の終わりを意味するのかもしれない。

安倍首相暗殺の意味は、週ごと、日ごと、最初は時間ごとに変化していった。しかし、多くの人が口にしたのは、「民主政治体制(democracy)」という言葉だった。7月8日、銃撃事件から数時間後、岸信夫防衛相は記者団にこう語った。参院選の2日前だった。安倍首相の弟である岸首相はやつれた様子で、声は小さく、テンポはゆっくりで落ち着いていた。彼は「民主政治体制への冒涜(an affront to democracy)」と述べ、次に銃撃は暴力的で、言論の自由(free speech)と公正な選挙(fair elections)を抑圧しようとするものだと言い、厳しく非難した。岸田首相も同じように「日本は民主政治体制を守らなければならない」と演説を続けた。読売新聞が7月12日に発表した世論調査では、73%の人が暗殺事件を民主政治体制(a threat to democracy)への脅威と見ている。

また、当初は犯人の動機があいまいであったこと、標的があまりに重要で影響力があったこと、そして近年との比較があまりに平板であったことからか、コメンテーターたちは政治的暗殺の多い日本の歴史に他の場所との類似性を探した。国内外のジャーナリストや学者たちが「日本における政治的暴力の歴史」や「日本の過去の暗殺に関する入門書」を執筆した。保守的とはいえ国民感情のバロメーターであるNHKは、過去の暗殺の写真や映像をふんだんに使って安倍首相狙撃の特集を組んだ。

戦前の複数の暗殺は実質的時代を転換させるものであり、行為や時代は違うが、安倍首相狙撃後の類似を危惧する論者が出ているのは当然だ。昭和時代の研究者である保阪正康は、暗殺事件後に『文芸春秋』誌に書いたように、当初、犯人は安倍を批判する極左か極右の人物だと考えていた。そして、銃撃の2日後、朝日新聞のインタヴューで、その推測に基づいて、戦前の暗殺のように「暴力の連鎖(chain of violence)」が続くと警告していた。保坂は、1930年に東京駅で撃たれた浜口雄幸首相や、1932年に超国家主義者の青年軍人たちがクーデターを起こし、犬養毅首相を殺害したいわゆる5・15事件のことを読者に思い起こさせた。このような政治家の刺殺事件や射殺事件は、戦前の民主主義に対する攻撃であり、戦争への足がかりであり、ファシズムの初期の侵攻の兆候であると、1947年に碩学丸山真男が指摘した。

保坂は戦後にも目を向けていた。彼は朝日新聞の取材に対し、1945年以降、「暴力の連鎖」は終わったと述べている。歴史学者でジョージワシントン大学国際関係学部准教授のアレックス・フィン・マッカートニーは、「暗殺は特に、日本の極右勢力によって使われた政治的暴力の戦術だ」と述べた。戦後でも、日本社会党の浅沼稲次郎委員長が他の党首たちと討論しているときに刀で刺されて殺された陰惨な事件や、安倍首相の祖父である岸信介の暗殺未遂事件などが起きた。保坂は取材に対して「戦後の長い期間、政治家に対する暴力は連鎖的に起こることはなく戦争に発展することもなかった。私にとって、これは民主政治体制が確立されていた証拠だ。今回の事件を受けて、もう一度、これを証明しなければならない」と述べた。

しかし、今回の安部元首相暗殺事件は特異な出来事なのだろうか? 衰退(decline)、崩壊(collapse)の兆しという見方もある。それは、41歳の山上徹也容疑者は、一見するとバラバラで単発に見える最近の暴力事件の複数の犯人の一人であったからだ。2008年に東京・秋葉原の群衆に車で突っ込み、道行く人を刺して7人を殺害、10人を負傷させた残虐な殺人事件で、犯人の加藤智大に対して、日本政府によって39歳にして2021年12月以来の死刑執行が行われた。2019年には、家族と暮らす51歳の無職、岩崎隆一がナイフで武装してバス停で待つ子供たちに近づき、2人を殺害し、十数人に怪我を負わせ、自分自身は自殺した。同年、青葉真司(41歳)が京都のアニメスタジオに火を放ち、36人が死亡した。

山上、加藤、青葉、岩崎の4人は、政治的、思想的に一致している訳でもない。しかし、彼らはほぼ同時代の1960年代後半から1980年代前半に生まれ、バブル崩壊後の崩壊の真っ只中で育った世代である。「就職氷河期世代(Employment ice age generation)」である。戦後の終身雇用(lifetime employment)の約束が株価とともにしぼんでしまった、意気消沈し忘れ去られた世代である。後に、英語では「Lost Generation」と呼ばれるようになった。どんな意味で失われたのか? 仕事が失われ、社会的流動性が失われ、希望が失われた。

これは、山上容疑者が高校の卒業アルバムに書いた、未来の自分を表現するための言葉である。バブル崩壊から7年後の1999年、高校卒業者の就職率は88.2%と、日本史上最低の数字となった。父親が自殺し、兄が癌に侵され、山上容疑者と母親は悲しみと喪失感に苛まれていた。母は統一教会に入会し、多額の寄付をしたため、山上容疑者は大学に通うことができなかった。彼の将来は不安定であり、経済的な停滞によって更に悪化した。

慶應義塾大学経済学部の嘉治佐保子教授は2015年、「失われた数十年は、日本が大切にしてきた一体感と調和という概念を侵食した(The lost decades have eroded Japan’s cherished notion of oneness and harmony)」と書いている。戦後、吉田が築いた取り決めで鍛えられた思想の崩壊ということになる。解雇されたサラリーマンがスーツを着て公園のベンチで新聞を読み、親族や近所の人に解雇されたことは言えなかったこと、1990年代後半の自殺率の上昇、ネトウヨや2ちゃんねる文化、ひきこもり、これらは全て崩壊の兆候だろう。アメリカ在住の作家イアン・ブルーマは2009年に「悲惨な世界大戦の残骸から構築された日本社会の構造全体が崩れてきている」と書いている。

そして山上容疑者は、統一教会への恨みを募らせている中で、戦後社会の崩壊に巻き込まれた。統一教会に人生を狂わされ、経済的な停滞で更に悪くなったと彼は考えた。そこで彼は、統一教会の現在の指導者であり、故・創始者である文鮮明の妻である韓鶴子を殺害しようと計画したが、新型コロナウイルス感染拡大時代の渡航制限のために不可能だったと捜査当局に語った。しかし、統一教会と緩いつながりがあるとされる安倍元首相が統一教会のイヴェントで演説している映像を見て、標的を安倍首相に移し、7月8日に奈良で殺害した。

山上徹也は戦後の崩壊と衰退の産物だ。しかし、安倍元首相の死は、それ自体が変化の触媒(catalyst)となり、敗戦後の数年間に最初に刻まれたシステムの解体を更に進めることになるかもしれない。安倍の死は、数十年にわたる保守支配の終焉を意味するかもしれない。歴史家のアンドリュー・レヴィディスは、「安倍首相の殺害によってもたらされた問題は、岸信介によって定義された保守政治の時代の終焉に到達したかどうかである」と述べている。安倍元首相が継承してきた保守の覇権(conservative hegemony)と一党支配(one-party rule)は、彼の暗殺によって混乱と不確実性に投げ込まれるかもしれないが、今のところその可能性は低いと思われる。

銃撃事件はまた、自民党幹部と統一教会との関係に明るい光を当てた。これは、今や崩壊するかもしれない戦後の秩序のもう一つの遺物である。また、多くの人が、暗殺について、どうやって個人が銃を作ることができたのか、と疑問を持っている。そして政治学者の彦谷貴子が『フォーリン・アフェアーズ』誌に書いているように、ウクライナ戦争後に起きた暗殺に続いて、安全保障についての関心が高まって、国防と安全保障に関する会話が起きている。知るのは時期尚早だが、安倍元首相の銃撃は、戦後の平和主義の秩序さえも解体させる可能性がある.

それでは、安倍首相の葬儀は、戦後の最後の息の根を止めることになるのだろうか? 東京大学の五百籏頭薫教授は、銃撃事件後の数日間のメール交換で、「様子を見なければならないが、吉田の葬儀が本当に終わらせることができなかった戦後の時代の終わりになるかもしれない」と慎重に語った。この葬儀は、戦後の、冷戦の、ある種の終わりであるかもしれない。2006年に初めて政権を取った安倍首相は、その政策と目的、思想と信条、意欲、意思を集約した言葉を口にした。それが「戦後レジームからの脱却(overcoming the postwar regime)」だった。安倍晋三元首相は、生前にはこの目的を果たせなかったが、死後はそれに成功するかもしれない。

※スペンサー・コーエン:ニューヨークを拠点とするジャーナリスト。以前は東京を拠点としていた。朝日新聞のスタッフとしてニューヨーク支局から記事を送っている。今回の記事は彼個人の仕事であり、朝日新聞とは関係ない。

(貼り付け終わり)

(終わり)

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ビッグテック5社を解体せよ

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 悪魔のサイバー戦争をバイデン政権が始める
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 古村治彦です。

 安倍晋三元首相が銃撃によって暗殺され1か月ほどが経過した。日本憲政史上において最長の首相在任期間を記録し、国政選挙にも勝ち続けた安倍元首相と安倍元首相がリーダーだった日本の右派だったが、一気に退潮に瀕している。安倍元首相が率いた安倍派は後継者が育っておらず、集団指導体制となった。自民党の派閥の歴史を見てもらうと分かるが、安倍派はこれまで代替わりの度に分裂ということが頻繁に起きた。最近は起きていなかったが、一時的には集団指導体制で収まると思うが、やがて誰かリーダーを選ぶとなった場合には内紛が起きる可能性がある。また、安倍派は岸(信介)系と福田(赳夫)系の流れがあり、それらが争うということもある。現在の安部派のプリンスは福田達夫自民党総務会長であるが、福田を早く総裁候補に育てたい勢力とそれを阻止したい勢力で争うことになるだろう。

 現在の岸田政権のキーパーソンとなるのが松野博一官房長官と木原誠二官房副長官だ。この2人についての紹介記事を下に掲載する。松野官房長官は安倍派所属であるが、系統としては福田系と言える人物である。首相を狙うタイプではなく、キングメイカーを目指す寝業師のタイプのようだ。岸田文雄首相率いる宏池会とも関係が良いようだ。

 木原誠二官房副長官は財務官僚出身でイギリスでの経験がある。2009年の選挙で落選してしまったがその後は順調に当選を重ねている。木原は岸田の側近であり、首相を目指す姿勢を隠そうとしない。官僚系でおとなしい人物が多く、お公家様集団というのが特徴されてきた宏池会系では珍しい感じである。

 今回の安部元首相暗殺で日本の右派がこんなにもろくも崩れてしまうのかということが私にとっては驚きだった。それは安倍元首相が統一教会に恨みを持つ人間に殺されたという「舞台設定」が大きく影響している。暗殺事件後、暗殺事件自体への興味関心と言うよりも、統一教会自体そして、政界と統一教会との腐れ縁的な関係へと関心が集まり、自民党に対しては批判的な目が向けられている。統一教会との関係が突破口になって、日本の政界の浄化と右派の暴走への歯止めが効くようになるということを多くの国民が期待している。

 2022年は世界規模、日本国内両方で政治史における大きな転換点となった年だったということが後々言われるようになるかもしれない。それほど大きな変化が起きつつある。

(貼り付けはじめ)

安倍元首相後の日本:脅威の下での政治的安定性?(Japan after Abe: Political stability under threat?

-指導者不在の保守派、経済的課題、岸田首相の先行きの不安など、様々な問題が立ちはだかる。

ナオヤ・ヨシノ筆

2022年7月13日

『アジア日経』紙

https://asia.nikkei.com/Spotlight/The-Big-Story/Japan-after-Abe-Political-stability-under-threat

東京発。7月8日、安倍晋三元首相は奈良市内で、参議院選挙を翌日に控えた選挙活動を行っていた。安倍首相らしい名演技だった。安倍首相は見物人に手を振りながら、自民党候補の応援演説をした。

演説の途中で2発の爆音がして、安倍は倒れ、暗殺者の手製の銃で致命傷を負った。

生前の安倍首相は、おそらく21世紀の日本がこれまでに見た中で最も手ごわい政治家であった。在任日数が3188日と日本史上最長の首相であり、リフレ政策「アベノミクス」から不運な2020年東京五輪の開催準備まで数々の業績を残した。

しかし、銃犯罪の少ない日本では、安倍元首相の暗殺による死は彼の遺志を汚すほど大きな出来事であった。この事件は平和主義の日本だけでなく、新型コロナウイルスの大流行やロシアのウクライナ侵攻など世界的に不安定な時期に世界中に波紋を広げた。

安倍元首相は祖父が首相、父が外相という名門一家出身の政治家であり、階級社会の頂点に立つ人物であった。

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安倍晋三(左)と1982年から1986年まで外相を務めた父安倍晋太郎。1987年撮影。

安倍元首相殺害の容疑者である山上徹也(41歳)は元工場労働者で、恨みのために安倍を銃撃したと主張している。統一教会(Unification Church)として知られる、世界平和統一家庭連合(Family Federation for World Peace and Unification)という宗教組織と安倍元首相が関係を持っている確信していた。山上容疑者の母親は巨額の資金を教団に寄付し、結果として破産してしまった。統一教会は月曜日、山上の母親は現在も信者であると認めたが、安倍元首相との関係を否定した。

山上容疑者が単独で行動し、政治的な意図で襲撃をしたのではなかったということは、暗殺事件の捜査によって示唆されている。国家的指導者が血を流して倒れている姿は、日本の政治史における困難な時代を思い起こさせる。1930年代、日本では犬養毅首相や他の政治家たちに対する一連の襲撃事件が起きた。この暴力は民主政治体制を溶解させ、最終的には戦争につながる軍国主義を生み出した。
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78日、奈良の集会で演説する安倍晋三の写真。安倍を射殺した山上徹也容疑者はポロシャツにカーゴパンツ姿で右から2番目。 

安倍首相の死後時間を置かずに行われた参議院選挙は、岸田文雄首相が率いる与党自民党の勝利に終わった。ポスト安倍の時代、岸田には、日本の言論の自由と民主政治体制が暴力によって抑圧されないようにする責任がこれまで以上に重くのしかかることになる。

●変革的な人物(A transformative figure

安倍元首相の遺体は、土曜日に東京都の富ヶ谷にある自宅に帰った。火曜日には、岸田首相を含む安倍元首相の家族と親しい友人のみが参列する、ほぼ非公開の葬儀が執り行われた。

それでも、葬儀会場の東京の増上寺の前には、大勢の弔問客が詰めかけた。安倍元首相の遺体は黒い霊柩車で運ばれ、その中で未亡人の昭恵氏が頭を下げているのが見えた。寺院内に設けられた慰霊塔には一般市民が花を供えながら祈りを捧げた。

安倍元首相と食事をした人なら誰でも、安倍元首相の会話への情熱と人脈の広さを感じることができただろう。安倍元首相は、大勢が集まる席では、テーブルからテーブルへ移動し、参加者一人ひとりに声をかけていた。
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安倍元首相の葬儀を終え、増上寺から遺体を乗せた霊柩車が出発するのを見守る大勢の弔問客。

安倍首相の暗殺は世界的なニューズとなり、死去当日に発表されたジョー・バイデン米大統領、アンソニー・アルバネーゼ豪首相、ナランドラ・モディ印首相による共同声明では、安倍首相を「日本における変革的な指導者(a transformative leader for Japan)」と呼んだ。ロシアのウラジミール・プーティン大統領から安倍元首相の家族へのメッセージでは「壮大な人物(a magnificent person)」「卓越した政治家(outstanding statesman)」と表現されていた。

元駐日米国大使のジョン・ルースは「自分の国を越えていくリーダーはほんの一握りだと思う。そして、安倍元首相は自分の国を超え世界の指導者になった一人だった」と本紙に語った。

安倍元首相の世界的な影響力は政権の長さによってもたらされた。日本政治では、長期政権を維持するリーダーは稀である。過去30年間、多くの首相は2年未満しか政権を維持できなかった。安倍元首相が海外で注目されたのは、ウラジミール・プーティンやドナルド・トランプ前米大統領など、気難しい人物とも、その気配りを重視する人柄によって信頼関係を築くことができたからでもある。

しかし、2013年に日本の第二次世界大戦の戦死者を祀っている東京の靖国神社を参拝したことで、海外での評価は少し低下した。この参拝は中国や韓国からの反発を招き、東京のアメリカ大使館からも批判された。

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2013年12月、安倍首相は二度目の首相に就任して早々、第二次世界大戦の戦犯を祀る靖国神社を参拝し物議を醸した。

日本を戦後の平和主義から脱却させるという安倍元首相の意図も物議を醸した。彼は防衛費を引き上げ、2015年に日本の軍隊が「集団的自衛権(collective defense)」の責任を負うことを可能にする画期的な安全保障関連法案を可決することによって、この国をアメリカとより対等な立場に置くことを目指した。

前東アジア・太平洋担当国務次官補で現在はアジア・ソサエティ政策研究所の国際安全保障・外交担当副所長を務めるダニエル・ラッセルは「安倍首相の下で、日本は純粋な内向き志向から、安全保障の提供と地域における強制や軍事行動の防止を目的としたアメリカとのパートナーシップに移行した」と述べた。

●アベノミクス:素晴らしいバランス(Abenomics: A fine balance

2006年に始まった安倍首相の1回目の首相在任期間は約1年という短い期間だった。52歳という日本の戦後最年少の首相として選出されたが、2007年の参議院選挙での大敗と健康不安を理由に、1年も経たないうちに辞任した。

しかし、2012年12月に2度目に就任した安倍首相は、自民党を率いて衆議院と参議院の選挙で6連勝を達成した。慢性的なデフレ脱却を目指したアベノミクス政策により、日経平均株価は3年で2倍の上昇し、失業率もほぼ半減した。

しかし、国会で対立する国会議員たちに罵声を浴びせるなど、従来の日本政治における合意形成のスタイルとは一線を画す不寛容な風潮が批判された。

安倍元首相自身の政治的特徴は保守主義とプラグマティズムの絶妙なバランスであった。アベノミクスはそのプラグマティズムを支えるものであり、その効果は選挙での成功に表れている。

アベノミクスが日本経済に最も貢献したのは雇用の創出だ。2012年から2020年までの2度目の首相在任中に、日本の雇用者数は430万人、つまり7%増加し、失業率は4.3%から2.2%へと低下した。
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1995年以降、日本の生産年齢人口は減少し、移民も厳しく制限されているため、安倍首相が慢性的な労働力不足と製造業の雇用喪失に対処するために利用できるのは、女性と高齢者だけであった。

より多くの女性を労働力にするために、安倍首相は2013年に「ウーマノミクス(womenomics)」を打ち出した。その目的は、女性の育児サーヴィスへのアクセスを向上させ、女性社員により多くの責任あるポジションを与えることで、女性の就労を奨励することであった。

女性の雇用は安倍政権下で飛躍的に改善された。430万人の新規雇用のうち300万人が女性であった。経済協力開発機構(Organization for Economic Cooperation and Development OECD)によると、2012年から2021年の間に、日本の女性の労働参加率は63%から73%に上昇した。これは世界平均の65%を上回った。

しかし、アベノミクスの下で創出された雇用の半分以上は、比較的低賃金で不安定な非正規雇用(relatively low-paying, insecure, nonregular ones)であった。賃金は上昇したが、わずかであり、生活費の上昇と増税が賃金を大きく上回った。

アベノミクスはまた、日本の所得格差が着実に拡大していることを覆すことにもほとんど失敗した。アベノミクスの焦点は常に、まず企業の財布を潤し、それを労働者たちに分配してもらうことであった。しかし、企業は利益を確保し、巨額の資金を蓄えることを選択した。

その結果、日本の貧困率はほとんど動かず、2007年の16.0%に対し、2018年は15.7%となり、2018年のOECD平均の11.2%よりも悪くなっている。
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テンプル大学日本校のマイケル・クーセック准教授(アジア研究)は「安倍政権下では、賃金が上昇するという希望があった。それは、通貨を切り下げることで、企業の利益が上がり、人々の給料が上がり、消費意欲に火がつくという良いサイクルの一部となるはずだった」と語った。しかし、それは実現しなかった。

日本の男女間賃金格差も先進国の中で最も高い水準にとどまっており、政府のデータによると、2020年の女性の平均賃金は男性より約26%低い水準にある。世界経済フォーラムによると、日本はまだ男女平等の面で146カ国中116位にとどまっている

現在の世界的な物価の高騰は、多くの人々にアベノミクスの再評価を促している。アベノミクスは非伝統的金融緩和を前提にしており、日米の金利差、円安を加速させた。現在では、アベノミクスは負担の大きいレガシーであるという見方もある。また、構造改革など保守派が好む政策も、安倍首相退陣後は目立たなくなったように見える。

安倍元首相が執拗な赤字財政、中央銀行による大量の国債購入、民間投資を喚起するための構造改革を行ったにもかかわらず、消費を期待したほどには増加させることができなかった。現在、日本はデフレに陥ってはいないが、新型コロナウイルス感染拡大やロシア・ウクライナ戦争で世界中が高インフレに陥る中、消費者物価の上昇は2%をやっと超える程度である。

今度は岸田が「新しい資本主義(new capitalism)」を掲げて経済を動かす番だ。7月11日の選挙勝利演説で、彼はアベノミクスのレガシーを基に、科学と技術革新への民間と公共の投資を増加させ、「持続可能で包括的な経済を創造する(create a sustainable and inclusive economy)」と宣言した。

●自民党をまとめる(Unifying the LDP

アベノミクスのレガシーもさることながら、安倍元首相が日本の政治に与えた最大の影響は自民党内で果たした重要な役割である。父である安倍晋太郎元外相の秘書として働きながら、自民党の派閥力学の重要性を学び、日本の首相であれば当然、党内最大派閥の意見に左右されることを常に心得ていたのだ。

2020年9月に持病のため首相を辞任してから1年足らずで、安倍元首相は自民党の党内最大派閥「清和政策研究会」の代表に就任し、政治のあり方と政策の両面から発言し続けることになった。

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安倍晋三元首相に黙祷をささげる岸田文雄首相(中央)。710日、東京・永田町の自民党本部。

2021年10月、不人気だった菅義偉首相の辞任に伴い、自民党が党首選に臨んだ際、安倍元首相は自分の好みを明らかにした。

長年、安倍元首相を支え、多くの信条を共有してきたタカ派の女性議員である高市早苗を安倍元首相が推薦した。高市はどの派閥にも属さないが、安倍元首相の狙いは、自身がそれまで率いてきた党内外の保守派を彼女の下にまとめることだった。

安倍元首相の後押しを受けた高市早苗は、国民に広く支持されていたもう一人の党首候補だった河野太郎を追い抜き、自民党現職議員の中で2位の得票率となったが、自民党第4派閥を率いる岸田現首相に敗北を喫した。

しかし、党政調会長に就任した高市が、安倍の後釜として保守のリーダーの座に就くことは困難となった。結局、安倍元首相は自民党の第一線に自分が必要であることを自覚し、特に防衛費問題で発言力を強めた。安倍元首相が前面に出るようになると、保守派における高市の影響力は弱まった。

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2021年12月、東京都内で開かれたパーティーに出席した安倍晋三と高市早苗(右端)。安倍元首相は昨年の自民党党首選で高市を支援したが岸田文雄に敗れた。

安倍元首相が高市を後継者として推すには常に限界があった。安倍元首相の派閥には萩生田光一経済産業相など有力な議員がおり、派閥に属さない高市早苗を持ち上げることは簡単にはできなかった。結果として安倍元首相は事実上の保守のリーダーであり続けた。

しかし、安倍元首相がいなくなった現在、保守派を束ねるリーダーは存在しない。高市早苗は失速した。安倍派内にも安倍元首相の後継者が見当たらない中、同じようなカリスマ的リーダーが現れるかどうかは不透明だ。

テンプル大学のクーセック准教授は「自民党の最重要派閥において、後継者不在の状態になっている。岸田氏の上に立ちはだかる派閥は今やリーダー不在だ」と指摘する。そして、「それは自民党の政治体制を変えることになる」と述べた。

●岸田首相にとってのポスト安倍時代の諸課題(Post-Abe challenges for Kishida

安倍首相の影響力は大きく、首相の座から退いた後も、国会においてなくてはならない存在であり続けた。

岸田首相の人事は安倍元首相とその一派を引き留めるためのものと考える人々が多かった。岸田は安倍の盟友である高市や安倍の弟である岸信夫に党内や閣僚のポストを提供した。安倍元首相を無視できない岸田首相はこのような手当をするしかなかったと見られている。

安倍元首相がいなければ、岸田首相はより自由に政権運営を行うことができる。クーセックは日本経済新聞の取材に対し、安倍元首相がいなくなったことで、「岸田の肩から大きな重しが取れた。安倍元首相と問題を起こすような統一された派閥がいない。だから、岸田が動けるスペースが増えることになった」と述べた。

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7月9日、前日の参院選の選挙運動中に安倍首相が射殺された現場で祈りを捧げる弔問客。

しかし、安倍元首相を失ったことで、岸田には注目すべき政治的負債が生じる。自民党内だけでなく、社会を二分するような政策を進めるための「口実(excuse)」として、党内に大きな影響力を持った安倍首相を利用できなくなるのである。その最たるものが憲法改正である。

新型コロナウイルスやロシアのウクライナ侵攻など世界は大きく変化している。サイバー空間など非通常的な分野での攻撃に対し、日本国憲法や既存の法体系では対応しきれないと懸念する声も少なくない。憲法9条は武力行使を放棄し、軍事力は「決して保持しない」としている。

安倍元首相は憲法9条を改正し、日本の安全保障を強化したいという思想的欲求を明らかにした。2015年、安倍は新しい総合安全保障法を国会に押し通し、日本に「集団的自衛権(the right to collective self-defense)」を認めることになった。

シドニー大学アメリカ研究センターCEOで、アメリカ国家安全保障会議でアジア上級部長を務めたマイケル・グリーンは本紙の取材に対して、「総合安保法制は日本の防衛庁(現在の防衛省)と自衛隊が誕生した1954年以降、最も野心的な法律となった」と述べている。

グリーンは、安保法制の主な動機は、憲法に関するイデオロギーというよりも、安倍元首相の強い戦略的論理にあると主張している。グリーンは「中国勢力の台頭と中国の強権と侵略の拡大を見て、安倍元首相は日本が日米同盟を強化し、抑止力を強化する必要があると結論づけた」と語った。

岸田は政権に就いてからの9カ月間、日本の安全保障を強化する必要性について安倍元首相と同じ考えであることを明らかにし、現実主義外交を推し進め、日本の防衛費を倍増させると公約した。

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岸田文雄首相は7月10日、東京の自民党本部で自民党候補者の名前の上にバラの紙を置き、参議院選挙での勝利を示す。同党を含む連立与党は改選議席の半数以上を確保した。

しかし、戦後の平和主義を掲げる日本では、憲法改正は争点になる。もし安倍元首相が生きていれば、岸田首相は9条改正を強く主張した安倍元首相を利用し、寄り添うことができたことだろう。安倍元首相が生きていれば、憲法改正に反対する人たちからの批判に直面した際に、岸田首相は安倍元首相を盾にして身を隠すことができたはずだ。

その選択肢がなくなったことで岸田内閣への批判はあらゆるところからやってくる。野党からの不満に加え、安倍元首相が鈍化させたはずの保守派からの不満にも、岸田首相はこれまで以上に直面する可能性がある。

安倍元首相を失ったことで、「右翼はチャンピオンを失った」とクーセックは言う。これが岸田氏に有利に働くかどうかはまだ分からない。

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安倍晋三の砂上の楼閣:死去により最大派閥が宙に浮く(Abe's house of cards: Death leaves largest party faction in limbo

-日本で最も強力な政治集団が集団指導に移行する可能性

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安倍晋三前首相の死去により支配的な派閥は後継者探しに奔走している。

ガク・シマダ筆

2022年7月14日

『アジア日経』紙

https://asia.nikkei.com/Politics/Shinzo-Abe/Abe-s-house-of-cards-Death-leaves-largest-party-faction-in-limbo

東京発。安倍晋三元首相が暗殺されて1週間近く経つが、彼が率いた支配的な派閥はまだ後継者候補を決められないでいる。

自民党の最大派閥である清和会は結束を維持するために奔走している。しかし、安倍元首相が殺害されたことで後継者を選び育てる時間がほとんどなく不安定な状態に陥っている。

清和会は自民党の衆参議員93名を擁し、軍事費の拡大や日本国憲法の平和条項の改定を求める声も多い。最長の総理大臣を輩出したこのグループは党内で大きな影響力を持つ。

清和会幹部たちは月曜日、東京のホテルで次のステップを議論したが、連帯を維持するという曖昧な誓約を行うことができただけだった。

安倍元首相は2017年、父の安倍晋太郎が数十年前に派閥を率いていた時のような仕組みを模して、派閥の中核的リーダーを4名にする案を浮上させた。明確なリーダーがいないことを考えると、派閥はこの選択肢を選ぶ可能性がある。

現在、下村博文、塩谷立の両元文科相が会長代理を務めている。下村博文、塩谷立の2人は、安倍元首相の私邸で弔問客と会うなど、試練の中で安倍首相一家を支えてきた。

萩生田光一経済産業相や松野博一官房長官も後継者争いの候補と目されている。安倍派幹事長を務める西村康稔も自民党参議院幹事長の世耕弘成氏と並んで候補に挙がっている。

そして、政界の名家出身の新星である福田達夫(55歳)もある。昨年の自民党総裁選では、福田は、派閥推薦の候補者を自動的に応援するのではなく、当選回数の少ない若手議員たちを集めて首相候補の公開投票を呼びかけた。

総裁選挙期間中、安倍元首相は保守派の火付け役である高市早苗(現自民党政調会長)に肩入れしていた。高市は現在、自民党の派閥に属していないが、かつては安倍元首相の派閥に属していた。

元防衛相で現在は安倍派の幹事長を務める稲田朋美氏も後継者候補として名前が挙がっている。

安倍派のある幹部は「座長代理を2人にする案や7人体制にする案も出ている」と述べている。

岸田文雄首相は8月から9月にかけて内閣と自民党幹部の改造を行う予定だ。このスケジュールであれば岸田は安倍派の新体制がどうなるかを見極める時間ができる。

安倍派のメンバーが誰も重要ポストに就かなければ、派閥の影響力が低下する可能性がある。

下村博文は月曜日のテレビ番組で「岸田内閣が自民党の保守派を軽視すれば、自民党は弱体化する」と警告を発した。

自民党の最大派閥であることにはそれなりの注意点がある。内紛は簡単に分裂につながり、後継者争いが起爆剤になることもある。

「最も危険な時期は派閥規模が100人に近づいた時だ」と元首相で清和会の会長を務めたこともある森喜朗は5月の政治資金集めイヴェントで警告を発した。森は「半分の人数を味方につければ、他の派閥より大きくなれるという幻想を抱き始める人もいる」と述べている。

首相を務めた田中角栄や竹下登など過去の名だたる派閥は、解散時には100人以上の会員を抱えていた。清和会は1991年の安倍晋太郎の死去に伴う内部抗争で分裂した。

複数のリーダーを置くことは前例がないこともない。2007年から2009年にかけて、清和会は3人の議員による集団指導体制を維持した。

しかし、自民党が政権から転落した2009年の政治状況と、現在の派閥の影響力には天と地ほどの差がある。集団指導体制が円滑に機能する保証はない。

派閥の役割は低下したが、派閥は依然として政治任用を獲得し、議員の資金調達に貢献している。安倍元首相は岸田に対して、内閣における安倍派のメンバーを4人から5人に増やすよう要請していたようだ。

安倍元首相は亡くなるまで、他の追随を許さないリーダーであった。批評家たちは、安倍元首相が若手に仕事を任せることに消極的なため、派閥が次世代のリーダーを育てることが難しくなっていると指摘する。その結果、派閥を統率するリーダー不在の状態に陥っている。

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日本政治の内幕

無名の松野博一が岸田総理の右腕になるまで(How unknown Hirokazu Matsuno became PM Kishida's right-hand man

-映画監督志望だった議員が今や日本の官僚を率いている。

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松野博一官房長官は、文部科学大臣としての唯一の政府トップの経験があり、自らを「右派でも左派でもない中立主義者(neither a rightist nor leftist, but a neutralist)」と表現している。

ミキ・オクヤマ筆

2021年12月29日

『アジア日経』紙

https://asia.nikkei.com/Politics/Inside-Japanese-politics/How-unknown-Hirokazu-Matsuno-became-PM-Kishida-s-right-hand-man

東京発。日本の岸田文雄首相が松野一博 (59歳) を官房長官に指名した時、そのニューズは政治評論家たちを驚かせ、「松野とは何者か」という疑問が急に起きた。

官僚統制の責任者である官房長官に指名されたのは、安倍晋三元首相が推す萩生田光一でも与党自民党の岸田派に属する小野寺五典元防衛相でもなかった。いずれも有力候補と目されていた。

松野は10月4日の岸田内閣発足後の記者会見で、政府広報のトップに任命された理由について問われ、「自分の能力で選ばれたとは思っていない」と答えた。

松野は自民党議員の中で最も教育政策に詳しい一人であり、安倍内閣での文部科学大臣のポストが唯一の大臣経験であった。「首相に迷惑をかけないようにしたい」と、安倍首相の後任首相となり、安倍政権の官房長官として並々ならぬ辣腕を振るった菅義偉とは明らかに異なる姿勢を見せた。

彼は自らを陣笠政治家(jingasa politician)と呼んでいる。陣笠とは、リーダーのために勢力を拡大しようと努力する派閥のメンバー政治家である。陣笠とは、戦国時代(1467-1568年)に、上級武士の「手足(hands and feet)」となって戦った兵士がかぶっていた兜(helmets)に由来する言葉である。

松野は千葉県木更津市に生まれた。カンヌ国際映画祭で最高賞のパルムドール(Palme d'Or)を2度受賞した今村昌平監督をはじめ、多くの映画人を輩出した東京の早稲田大学に入学し、映画監督になることを目指した。

しかし、早稲田大学を卒業した当時、映画界は大不況で、松野は就職が決まらず、日本の大手日用品メーカーであるライオンの広告宣伝部に就職した。「2時間の映画と30秒のCMの違いはありますが、同じ映像の仕事なので、とりあえず大丈夫だろうと思っていました」と当時を振り返っている。

松野はライオンでCMの企画、キャッチコピーの作成、CM撮影の準備などを行った。本社の商品企画課やテレビ局との交渉を通じて実社会について知ることができた。

松野がサラリーマン時代に身につけた原理こそは合理性だ。「私は、右翼でも左翼でもなく、中立主義者です。イデオロギーで人を判断しない」と語っている。

テレビCMで成功した松野はライオンから大学院への進学を勧められた。松下政経塾は、パナソニックの創業者である松下幸之助が、日本の将来を担うリーダーを育てようと設立した私立の教育機関で、多くの政治家たちを輩出することで知られている。

松野は自分のコンセプトによってCMを通じて人々の生活を少しでも変えることができたら面白いのだから、もっと大きなコンセプトで、政治を通して社会を良くする提案をしたらもっと面白いのではないかと考えるようになった。そこで、1995年に自民党千葉県支部の選挙候補者公募に応募した。

松野が日本の政界、国会議事堂や首相官邸がある東京都千代田区から永田町と呼ばれる、で注目を集め始めたのは、衆議院初当選から17年後の2017年、細田博之が率いた自民党派閥のトップをいつか務めると予想される4名の議員の1名として安倍元首相が指名してからだ。

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松野博一官房長官(左)は「総理に迷惑をかけないようにしたい」と述べ、安倍首相の後任として官房長官として並々ならぬ辣腕を振るった菅義偉とは明らかに異なる姿勢を示した。

安倍首相は下村博文(67歳)や稲田朋美(62歳)など、首相側近とされる派閥のメンバーと松野博一を同列に扱ったのである。安倍元首相が主宰する派閥の会合での発言に、永田町では「どうして松野なのか」という声がよく聞かれた。岸田氏が松野氏を官房長官に選んだことも同じ反応だった。

人気や出世に嫉妬する政治家たちが多い永田町では同僚から疑われないことが出世のポイントとなる。衆議院議員465名全員が総理大臣を目指すのが原則の中、松野は人知れずリーダーに向かう出世の階段を上っていた。

岸田もまた既に松野に注目していた。岸田派で20年以上にわたって岸田を首相にするために幹事長を務めた故望月義夫が松野との橋渡し役だった。

岸田が2017年に自民党政調会長に就任する時、松野を副会長に抜擢した。岸田は松野たち細田派、現在の安倍派のメンバーたちと親しくなり、時折、会食するようになった。

松野の出世の背景には派閥内での位置づけもある。派閥のルーツは安倍首相の祖父である岸信介元首相だが、結成したのは福田赳夫元首相である。そのため、安倍首相に近いメンバーと、細田のような自民党のベテラン議員を中心とした福田関係のメンバーに分かれている。この2つのグループはそれぞれ異なる政策ラインに属している。

松野は福田グループに属しながら、バランス感覚に優れ、派閥をまとめる幹事長に抜擢され、事実上、派閥をまとめる役割を担った。これは首相時代に派閥から離れた安倍首相が派閥復帰を進める上で無視できない、派閥内での一定の影響力を松野が持つことになった。

2021年9月の自民党総裁選では松野は岸田を支持した。安倍元首相は高市早苗(60歳)に派閥全体の支持を求めたが、細田ら多くのベテラン派閥議員は岸田側についた。安倍元首相は岸田に萩生田の官房長官就任を要請したが新総理の岸田は松野を選んだ。

松野は自民党内で急速に出世し岸田内閣の運営を任されることになった。

官房長官の松野博一は1日に2回記者会見を行う。その準備のために事務局のアシスタントが作成した概要書について地名の読み方など、記者からの質問に答える際に参考になることを質問するだけということも多い。

政界でと同じように官僚とも距離を置いている。「私の仕事は各省庁が働きやすい環境を作ること」と言い切っている。官房長官時代、菅元首相が個人的な権力を振りかざして官僚を恐れさせていたのとは対照的だ。

しかしながら、松野は2021年12月1日に開かれた政府のコロナウイルス対策本部で、新型コロナウイルスのオミクロン変異株の対応をめぐって国土交通省の職員に珍しく怒りをあらわにした。

11月末、国土交通省は国際航空各社に対し、日本に到着する全便の新規予約受付を一時的に停止するよう要請していた。この規制は日本人の帰国にも影響するもので、松野の認識より先に導入された。

松野は「正確に報告せよ! 多くの帰国者たちが影響を受けるんだぞ!」と関係者に怒鳴った。

安倍元首相は首相時代、菅官房長官(当時)を「武蔵坊弁慶」(主君の源義経を守るために自らを犠牲にしたことで知られる12世紀の武僧)と表現した。菅は官房長官として、安倍が不正な学校用地取引に関与したとされる森友学園のような個人的なスキャンダルでさえ、記者団の質問から安倍をかばった。

松野は岸田と安倍の両方に人脈があるという永田町では珍しい存在だ。その立場を生かし、官房長官としてどう動くのか、注目される。

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日本政治の内幕

木原誠二:日本の岸田文雄首相の裏にいる政策のグル(Seiji Kihara: The policy guru behind Japan Prime Minister Kishida

-マーガレット・サッチャーに触発されたが、岸田首相の子飼いは菅義偉からも手掛かりを得ている。

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木原誠二官房副長官は、元エリート官僚で政策に詳しいだけでは総理大臣になれないことをこれまでの自民党総裁選で学んだという。

リョー・ネモト(日経スタッフライター)

2022年1月15日

『アジア・ニッケイ』紙

https://asia.nikkei.com/Politics/Inside-Japanese-politics/Seiji-Kihara-The-policy-guru-behind-Japan-Prime-Minister-Kishida

東京発。衆議院議員選挙の5日前の2021年10月26日、岸田文雄首相は東京郊外の東村山にいた。岸田首相は最も子飼いの人物である木原誠二の応援に来ていた。「木原さんが選挙に当選できるようにお助けてください。私は誰よりも木原さんを信頼しています」。岸田は傍らにいる官房副長官を褒めながら、有権者に支持を呼びかけた。

岸田首相は、51歳のエリート官僚から弁護士に転身した木原を、自分の政治的成功に「不可欠な存在(indispensable)」と考えている。岸田の外相時代、木原は外務政務次官として岸田を支えた。岸田が自民党政調会長の時は、木原氏が政務調査会副会長兼事務局長としてついていた。

木原は銀行マンの家系出身である。父親は当時の東京銀行に勤務し、祖父と曾祖父も銀行員であった。弟の正博は、旧日本興業銀行に入り、最近みずほフィナンシャルグループの次期社長に就任した。「レールから外れたのは自分だけだった」と木原は語っている。

東京の名門私立である武蔵高等学校・中学校で、木原はテニスに打ち込んでいた。その後、東京大学でもテニスクラブのキャプテンを務めた。日本で最も名門大学である東大で指導者を経験したことによって、厳しく生き馬の目を抜く世界である日本政治の中枢である永田町で生き残るための基本的な法則を学んだ。それは、「一番苦労して、一番努力すること(being the hardest worker and making the most effort)」である。

彼は大学卒業後に大蔵省に勤務し始めた。これは1990年代前半に学生時代を過ごした木原たちのような名門大学出身者の間で人気の高いキャリアであった。しかし、1979年から1990年までイギリス首相を務めたマーガレット・サッチャーに触発され、そして実際に促されたことで、木原は政治のキャリアを追い求めることを決心した。

1999年、財務省は木原を2年間の期限でイギリス財務省に派遣した。英国滞在中、木原は日本とイギリスの官僚制度の違いについて研究しようとした。彼の研究の一環として、サッチャーにインタヴューする機会を得た。

インタヴューで、「鉄の女(Iron Lady)」サッチャーは木原に政治の世界に入るように促した。サッチャーは自身が女性でありながらも、熾烈な政治の世界に飛び込んでいったことを回想して木原に話した。彼女の言葉によって木原は奮い立った。

帰国後、木原は「政治家と官僚の関係が日本とイギリスでどのように違うか」という本を書いた。それが、大蔵官僚出身の宮沢喜一元首相の目に留まった。木原は、現在は岸田が率いている、宮沢が会長をしていた自民党の派閥「宏池会」に招かれた。同派閥の古賀誠元会長の呼びかけに応じ、木原は2005年の衆院選に出馬し、当選を果たした。

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木原誠二(右)9月に岸田文雄の政策設計者となった。岸田を首相にするための選挙戦の指揮を執った。

しかし、2009年、木原は再選に失敗し、政治家としてのキャリアは大きく後退した。「猿は木から落ちても猿だが、政治家は選挙に落ちると無名になるとよく言われる(It is often said that while a monkey is still a monkey even if it falls from a tree, a politician becomes a nobody if he fails to be elected)」と木原は言い、選挙の重要性を強調する意味で日本の政治家の間でよく言われる格言を繰り返した。

「猿も木から落ちる」ということわざは、「ホメロスは時々うなずく」と同じような意味である。ギリシャの大作家ホメロスは叙事詩で知られるが、その詩は連続性に欠けることで知られる。

この時、木原に問われていたのは、いかにして足踏みを続けるかであった。「議員にならなくても、誰かにならなきゃいけないと思ったんです」と、選挙での敗北を振り返る。そして、ビジネスの世界に身を投じ、企業のヘッドハンティングを行うようになった。

2012年に衆議院議員に返り咲くまで、木原は企業のトップと、商品開発や海外進出の課題を話し合う日々を送った。そして、朝晩と土日は政治活動に専念していた。古賀の助言もあって、会議や集まりには必ず最後まで出席することにしていた。こうして、縁もゆかりもなかった選挙区に、確かな足場を築き上げたのである。

誠二における弱点を克服した木原は、議員に返り咲いた後に自民党の派閥に復帰し、岸田を将来総理大臣にするために奔走することになる。

昨年9月の自民党総裁選では、岸田が掲げた綱領の中心人物となり、介護職員の賃上げを検討する新組織などの重要な政策提言の指揮を執った。また、成長と分配の好循環を目指す「新しい資本主義」政策を打ち出した。木原は、岸田の与党内調整役でもあり、岸田氏の首相就任の行方を占う重要な役割を担っている。

先月、岸田外相を説得して、主要な景気刺激策である18歳以下の子供一人につき10万円(880ドル)の支給を見直させたのは木原だった。その半分が商品券の形で支給されることになっていた。しかし、多くの地方自治体が100%現金支給を要求し始めると、木原は首相にその要求に従うよう進言した。数日後の国会で、岸田は「自治体が決めるなら、全額現金支給でもいい」と言い出した。

木原は、オミクロンの世界展開が始まると同時に、「岸田は自民党総裁選の公約である『最悪の事態に備える』を実行する時が来た」と首相にショートメッセージを送った。その直後、岸田は外国人の新規入国を原則禁止することを決定した。

木原は「私の責任は、自民党総裁選中の岸田の政策提言が政府によって実現されるように見届けることだ」と述べた。

宮沢以前、自民党の公明党は池田勇人、大平正芳という大蔵省官僚出身の総理大臣を2人輩出している。しかし、岸田誕生の前に行われた2回の自民党総裁選で、木原は「政策通の元エリート官僚では総裁にはなれない」ことを思い知らされた。

2020年9月、自民党総裁選で岸田が菅義偉に惨敗した直後、木原は安倍晋三元首相の側近で現在は経済産業相の萩生田光一に激励された。萩生田は、「岸田先生は何度も電話をかけてきてくれたが、あなたは一度も電話をかけてこなかった」と言った。萩生田は、木原が岸田を首相にするための根回しを十分にしなかったことを暗に示していたのである。

2021年8月25日、当時の菅首相が自民党総裁選に再出馬するとの観測が広まった時、木原は岸田に出馬を止めた。「勝てる見込みがない時は、たとえ周囲から迫られても出てはいけない」と木原は言った。しかし、岸田はこの選挙を自分の政治家人生の勝負どころだと考え、忠告に従わなかった。

翌日、岸田が出馬を表明した時、木原は自分には将来総理になるために必要な執念が足りないのではないかと考えざるを得なかった。

そして、2020年9月、菅義偉が71歳で総理大臣になった時、木原は自分の政治的野望はどうだろうかと考えた。菅総理は、「21年かけて頑張れば、自分にもチャンスがある」ことを教えてくれたと木原は語っている。

菅義偉と木原誠二には共通点がある。どちらも自民党の重要政治家とは見なされておらず、政治的な血統もなく、代表を務める衆議院の選挙区とのつながりも希薄だ。

岸田は木原に、自民党内の権力闘争が起きたら、自分を支えてくれるように頼んでいる。木原は最近、自分がもっと強い政治家になるためにはどうしたらいいかをよく考えている。「菅さんは安倍政権に忠誠を誓い支え続けたことで、トップに登り詰めた。当分は岸田首相の補佐として良い仕事をすることに専念したほうがいいのかもしれない」と語っている。

(貼り付け終わり)

(終わり)

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 古村治彦です。

 岸田文雄首相は第一次補正予算案を発表した。予算規模は36兆円となり、新たに22兆円の国債を発行する。新型コロナウイルス感染拡大対策として、子どもがいる世帯への給付金とレストランなどへの支援が主な柱だ。新型コロナウイルス感染拡大が日本では他国に比べて抑えられており、その理由はまだ定かではないが、イヴェントの制限緩和や飲食店での飲食の制限緩和などが行われている。

 海外で感染者数が増えている国が多い中で、日本は感染者数を抑えて少しずつではあるが、以前に近い生活を行えるようになりつつある。そうした中で、「大規模な財政支出を行う必要があるのか、日本はそんなことをしなくても普通に戻っていくのだからしなくても良いのではないか」という主張があるようだ。しかし、日本経済も大きく傷ついており、財政出動は必要な施策だ。

 岸田首相は10月31日の総選挙で議席を多少減らしたものの、自公で300議席近くを確保して一応の勝利ということになり、党内基盤は固まった。甘利明幹事長は小選挙区で落選したために、幹事長を辞任した。3A(麻生太郎、安倍晋三、甘利明)の一角が崩れた。安倍晋三元首相は細田博之代議士が衆議院議長になったことで派閥を継承して安倍派となった。自民党内最大派閥の領袖となり、すっかり「元老」気取りで、岸田首相にあれやこれやと「指南」しているようだ。岸田首相とは当選同期という気安さもあると思われる。岸田首相は慇懃に対応しているようだ。慇懃さや丁寧さは宏池会の真骨頂だろうが、保守傍流はそれを「バカにされている」と毛嫌いしてきたが、安倍首相にはそれを感得する力はないようだ。

 安倍元首相が自民党総裁選挙で支援した高市早苗代議士は自民党政調会長に起用されたが、早速「蚊帳の外」に置かれているようだ。親分の安倍元首相がしゃしゃり出てきては動きづらいだろう。しかし、どうも自民党内の「安部派包囲網・大宏池会再結成」の動きも影響しているようだ。麻生太郎副総裁が勇退で、麻生派が河野太郎に禅譲となり、河野派ということになる。河野太郎も父河野洋平も元々は宏池会に属していた。河野洋平の父河野一郎は鳩山一郎派を受け継ぎ、河野一郎派を作っていた。それが中曽根康弘派となった。河野洋平は中曽根派を飛び出し、更には自民党を離党して新自由クラブを結成した。その後は自民党に戻ったが、中曽根派には戻らずに宏池会に参加した。河野派は宏池会と協力関係になれば、大宏池会実現に向けた第一段階ということになる。

 安倍派は安倍晋三元首相がまだ年齢が若いので、しばらくは派閥の領袖の座を譲ることはない。しかし、若手では福田達夫総務会長が控えている。安部派は、元は福田赳夫派だったこともあり、「福田派に戻せ」という動きも出てくるだろう。

 保守傍流に対して、「寛容と忍耐」「隠忍自重」で耐えしのいできた保守本流の動きがこれから重要になるが、それはまたアメリカがそのように動いてよいと許可を出しているからということでもある。アメリカを見ていないと日本政治を理解することは難しい。

(貼り付けはじめ)

●「自民・高市氏、存在感乏しく 意思決定、蚊帳の外?」

12/2() 7:10配信

時事通信

https://news.yahoo.co.jp/articles/711bdf0ff829a8c0bfe18f2a0d5483b1f6316531

 自民党の高市早苗政調会長の存在感が乏しくなっている。

 9月の党総裁選で保守派の論客として注目を集めたが、衆院選直後の給付金に関する与党調整をめぐり、岸田文雄首相(党総裁)は茂木敏充幹事長に全面委任。定例化しつつある党最高幹部の会合にも高市氏は加わっていない。背景には首相の警戒感もあるようだ。

 高市氏は総裁選の1回目の議員票で2位に食い込んだ。政調会長に就くと、古屋圭司元国家公安委員長ら保守系を政調幹部に起用。衆院選公約には敵基地攻撃能力の保有や憲法改正など「高市カラー」を随所にちりばめた。

 一方、衆院選後は埋没気味だ。定例の記者会見を設定していないため発信の機会がそもそも少ないが、総裁選で争い、政策面で差のある首相との距離感も影響している可能性がある。

 岸田政権発足後、高市氏が首相と個別に協議したのは、確認された範囲で107日が最後。先週、党本部で開かれた「新しい資本主義実行本部」の初会合に首相と茂木氏が出席する中、高市氏の姿はなく、「首相肝煎りの会議に顔を見せないとは」(岸田派ベテラン)との声が上がった。

 ◇首相「トロイカ」重視

 これに対し、首相は麻生太郎副総裁、茂木氏と11月だけで3回会談。松野博一官房長官を加えた4者会合も1回開いた。党関係者は首相の意図について「高市氏の独走を懸念している」と明かした上で、それぞれ派閥を率いる麻生、茂木両氏との「トロイカ体制」には「高市氏を押さえ込む狙いがある」との見方を示した。

 「さまざまな意見を聞いてベストな財政政策を発信したい」。高市氏は121日、積極財政派が中心となる党財政政策検討本部の役員会でこう訴えた。

 役員会には高市氏の後ろ盾の安倍晋三元首相も出席。日本の失業率は低水準だと指摘し、「積極的な財政出動の成果だ。しっかり議論し、政府の政策に資するものにしたい」と強調した。今後、安倍、高市両氏の要求が強まれば、首相が苦慮する場面も出てきそうだ。

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●「安倍元首相、辞任後初めて官邸へ 岸田首相、エントランスで出迎え」

小手川太朗20211130 1533

朝日新聞

https://www.asahi.com/articles/ASPCZ53DPPCZUTFK00Z.html

 安倍晋三元首相は30日、首相官邸で岸田文雄首相と面会した。自民党の最大派閥・安倍派(清和政策研究会、95人)の会長に就任したことの報告で訪れた。安倍氏が官邸を訪問するのは、昨年9月に首相を辞任して以降初めてという。

 面会は約20分間。面会後、安倍氏は記者団に「党内の最大の政策グループとして、これからも岸田政権をしっかりと支えていくということについて、派の総意としてお伝えした」と述べた。

 関係者によると、安倍氏が就任あいさつとして面会を申し入れた。面会では、新型コロナウイルスの変異株「オミクロン株」をめぐって政府が強化した水際対策について、安倍氏が首相に「(対応が)早くて良かった」と伝えたという。

 首相はエントランスホールまで出向き、安倍氏を出迎えた。今月11日に菅義偉前首相が官邸を訪問した際も同様に出迎えていた。(小手川太朗)

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補正予算案、国債22兆円発行へ…経済対策強化で昨年度に次ぐ規模

2021/11/25 09:03

読売新聞

https://www.yomiuri.co.jp/economy/20211125-OYT1T50055/

 政府は26日にも決定する2021年度補正予算案で、国の借金となる国債を22・1兆円程度、新たに発行する方針を固めた。21年度の国債発行額は43・6兆円の予定だった。経済対策を強化する狙いがあり、リーマン・ショック時の09年度(52・0兆円)を上回り、20年度(108・6兆円)に次ぐ規模になりそうだ。

 補正予算案の追加歳出は一般会計で36・0兆円程度となる見通しだ。19日に決定した新たな経済対策の分が31・6兆円を占めるほか、地方に配る地方交付税交付金を3・5兆円程度、追加する。財源となる歳入は、21年度の税収の見通しを6・4兆円程度、上方修正する。当初予算で57・4兆円と見積もっていたものの、企業業績の回復などで20年度の60・8兆円を上回り過去最高となる公算が大きい。20年度の歳入から歳出を差し引いた「剰余金」も6兆円程度、活用する。

 歳入増でも追加歳出を賄いきれないため、赤字国債と公共事業などに使い道が限られる建設国債を発行することにした。

 岸田内閣として初めての経済対策は、国の財政投融資や地方の支出を加えた財政支出が55・7兆円となり、閣議決定した経済対策としては過去最大となった。

 補正予算案では、特別会計にも0・4兆円を計上する。「16か月予算」として補正予算案と一体的に編成する22年度予算案に、新型コロナウイルスの感染再拡大に備えて5兆円の予備費を確保する。

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安倍元首相「補正予算で30兆円程度確保を」岸田首相との会談で

20211117 1911

NHK

https://www3.nhk.or.jp/news/html/20211117/k10013351771000.html

岸田総理大臣と安倍元総理大臣が会談し、安倍氏は、岸田総理大臣に対し、今年度の補正予算案の編成にあたって、財政支出が必要ないわゆる「真水」で30兆円程度を確保するよう求めました。

岸田総理大臣は17日夕方、議員会館にある安倍元総理大臣の事務所を訪れ、およそ30分間、会談しました。

会談で岸田総理大臣は、安倍氏に対し、特使としてマレーシアを訪問するよう要請したほか、対ロシア外交や北朝鮮による拉致問題をめぐって意見を交わしました。

一方、安倍氏は、岸田総理大臣に対し、今年度の補正予算案の編成にあたって財政支出が必要な、いわゆる「真水」で30兆円程度を確保するよう求めました。

このあと岸田総理大臣は、総理大臣官邸で記者団に対し、「先日の衆議院選挙を振り返っていろいろと報告をした。安倍元総理大臣は、派閥の会長になられたので祝意を申し上げた」と述べました。

そのうえで「経済、外交、昨今の動きについて意見交換をさせていただいた。具体的には控えるが、これからの政治の動きの中で話題になるさまざまな課題について、有意義な意見交換ができた」と述べました。

(貼り付け終わり)

(貼り付けはじめ)

日本の新しい首相は3160億ドル規模の支出パッケージで経済拡幅を促進(Japan's new PM looks to spur recovery with $316 billion spending package

モニク・ビールズ筆

2021年11月26日

『ザ・ヒル』誌

https://thehill.com/policy/international/asia-pacific/583220-japans-new-pm-looks-to-spur-recovery-with-316-billion

岸田文雄首相の第一次補正予算案には、過去最大の財政出動となる3160億ドルの新規支出が含まれている。

ブルームバーグ通信によると、岸田首相の内閣は36兆円規模の支出パッケージを承認した。これは22兆円の政府債券を発行してパッケージの支出に充てる、ということだ。

ブルームバーグ通信は更に、1兆円以上は子供がいる世帯への現金給付として使われ、数兆円は新型コロナウイルス感染拡大で打撃を受けたレストランや各種ビジネスに補助金として支払われると報じている。

日本では新型コロナウイルス感染拡大対策が進み、状況はコントロールされているが、なぜこのような膨大な予算が必要なのかという疑問が出ている。ブルームバーグ通信は、「新型コロナウイルス感染拡大に関連する規制の多くは解除され、ワクチン接種率は75%を超え、日本経済は自力で回復できると見込まれている」と指摘している。

鈴木俊一財務大臣は、ブルームバーグ通信の取材に対し次のように答えた。新たな借り入れによって国の借金は増大するが「私たちは必要な行動を行った」。彼は続けて「しかし、それは日本の財務状況をより厳しいものにする」とも述べた。

先週、岸田首相は記録的な56兆円(4900億ドル)規模の財政パッケージを発表した。

岸田首相は10月に菅義偉の後任として選ばれた。菅は9月に首相辞任を表明した。

岸田首相と自民党は来年のいくつかの選挙で自分たちの権力を更に固めようとしている。

(貼り付けおっわり)

(終わり)
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 古村治彦です。

 今回は、岸田文雄首相の唱える「新しい資本主義」についての論稿をご紹介する。岸田首相は「新しい資本主義」という言葉を提唱しているが、その本質は「配分(分配、distribution)」にある。簡単に言えば、下がり続けている人々の給料を上げようということだ。安倍政権下で実施されたアベノミクスでの成果としてよく「雇用が増えた」ということが言われる。

雇用が増えたのは素晴らしい。しかし、問題はその質だ。雇用の質、つまり正規か、非正規かということだ。今や日本の雇用の約4割が非正規だ。時給は低く抑えられ、補助や保護はない。そして、悲しいことに低賃金で保護もない仕事を年金額が少ない老人、そして女性たちが担うという構造になっている。こうした状況で、正規雇用であるサラリーマンの給料は上がらない。国民全体で言えば、消費税増税や社会保障負担の増大、最近の円安による物価高など厳しい条件が次々と打ち出されている。

 岸田文雄率いる宏池会を創設したのは池田勇人元首相であり、その源流をたどれば、吉田茂にまで行きつく。「経済成長優先(人々の暮らしを豊かにする)、軽武装、アメリカに頼る」という考え方でやってきた。以前にご紹介した、トバイアス・ハリスの論稿でもここら辺のことが詳しく紹介されている。吉田茂の流れを汲む保守本流(池田勇人と佐藤栄作から始まる)の2つの派閥(現在で言えば宏池会と茂木派)が重視したのは配分である。それによって、日本の奇跡の経済成長の果実が国内に行きわたった。多くの場合、経済成長に伴って、格差も拡大する。しかし、日本の場合は、「格差なき経済的奇跡(economic miracle without inequality)」を実現したのだ。

 それが平成と令和の30年間で台無しにされた。「アメリカ型を導入すれば何でもかんでもうまくいく」という短慮が日本をダメにした。政治改革、構造改革といった、「改革」で日本の重要な部分まで破壊された。それを修復することは既に難しい。岸田首相が目指すのはそうした短慮や勇ましさからの軌道修正だろう。軌道修正が精一杯であろうが、安倍路線からの修正を行うだけでも大したものだ。

 私たちは日本の成功体験であるところの「格差なき経済的奇跡」路線に戻る必要がある。それは何も毎年二桁の経済成長を目指すとかそういうことではない。経済成長の果実を適正に人々に配分する、という当たり前のことを行うだけのことだ。そして、今や先進国となり、内需が主要な経済要素である日本にとっては、人々に適正に果実を配分し、それを使ってお金を回してもらって、「日本経済の血行促進」を行って、日本経済の健康を取り戻すということを行わねばならない。そのきっかけとして政治がある。

(貼り付けはじめ)

日本の新首相が公約としている「新しい資本主義」はどのようなものか(How Japan's new PM is promising a 'new capitalism'

マリコ・オオイ筆

BBC

2021年11月1日

https://www.bbc.com/news/business-58976987

日本の新首相岸田文雄は国内の富の再分配を「新しい資本主義(new capitalism)」として売り込んでいる。

しかし、SNS上には、この計画が社会主義に近いと指摘する声もあり、中国共産党の主要政策になぞらえて日本の「共同繁栄(common prosperity)」とも呼ばれている。

巨大小売企業アマゾンに対抗する日本の巨大オンライン小売企業である楽天の最高経営責任者である三木谷浩史氏「彼は資本主義の仕組みを理解しているのだろうか?」とツイートした。

三木谷氏は、岸田首相のキャピタルゲイン課税(CGT)の税率引き上げ提案について特に怒りを持っていた。投資で得た利益に対する政府の課税は、「二重課税」と呼ばれている。

議論を巻き起こしている新たな提案に対する不満を表明したのは楽天の経営者三木谷氏だけではなかった。最近の小口の個人投資家からの株式市場への新たな関心の波を一気に消してしまうのではないかと懸念している。

日本では、新首相が誕生すると株価が上昇するのが通例だが、衆議院選挙を控えた10月に岸田氏が登場すると、日経225指数は一気に下落した。

日経225指数が8日連続で下落し、現在では「岸田ショック(Kishida schock)」と呼ばれるほどの下落となった。

これを受けて岸田首相は、キャピタルゲインや配当金に対する課税の変更は当面行わないとし、キャピタルゲイン課税の税率引き上げ提案をすぐに撤回した。

このような恥ずかしい政策転換はさておき、岸田首相の経済政策のスタイルは、前任者である菅義偉氏や安倍晋三氏のアプローチとは明らかに対照的だ。

日本の大手オンライン証券会社は新規個人投資家の参入の波に乗っている。新規口座開設数は過去最高となった。

安倍晋三と菅義偉の2人はアベノミクスを推進した。アベノミクスとは、積極的な金融緩和(aggressive monetary easing)、財政再建(fiscal consolidation)、成長戦略(growth strategy)という、いわゆる「3本の矢(three arrows)」で有名な経済政策だ。この3つのレバーを使って、日本経済を何十年にもわたる低成長から脱却させることが彼らの目的だった。

安倍と菅の2人の指導者の在任期間(tenure)の間に、いくつかの成功がもたらされた。日本の株価は2倍になった。安倍が2012年12月に2度目の首相に就任した時、日経225指数は1万円を下回っていた。今年2月には1990年以降、初めて3万円を記録した。

日経225指数は、日本経済の低迷をもたらした1980年代後半の暴落から回復するのに30年かかっている。

●賃金上昇はペーを維持できず(Salaries not keeping pace

しかしながら、安倍の戦略に対しては、岸田自身を含む厳しい批判者たちが存在した。彼らは、「アベノミクスは日本国内の富裕層を更に富裕にしただけだ」と主張した。彼らは、富がより広く国民に分配されることを望んでいる。

アベノミクスは大々的に報道され、国際的にも注目されてきたが、一般市民はその恩恵をあまり感じてこなかった。アベノミクスによって貧富の差が拡大したと言う人々もいる。所得分配の不平等を測るジニ係数という指標は過去10年間でわずかに縮小しているにもかかわらず、である。

人々がお金を持っていることを実感できない理由の一つは、過去30年間で平均賃金がほとんど伸びていないことである。

●日本の平均賃金(Average Japanese wage

bbcnewcapitalism001

経済協力開発機構(OECD)のデータによると、日本の平均賃金は過去30年間、アメリカやドイツなどの国に比べて停滞している。

生産性メトリクスも上昇が限定されてきた。一人当たりの経済産出額である日本の一人当たり国内総生産(GDP)は変動しているが現在は1994年と同レヴェルとなっている。

●日本の一人当たりGDPJapan GDP per capita

bbcnewcapitalism002

国会における初めての所信表明演説の中で、岸田首相は「分配(distribution)」という言葉を12回繰り返した。対照的に、安倍首相は「成長(growth)」という言葉を11回、菅首相は「改革(reform)」という言葉を16回使った。

しかし、経済学者や投資家の中には、岸田首相のアベノミクスに対する厳しい批判は、総選挙に向けて有権者の支持を得るための策略であり、急激な変化はないと考える人もいる。

投資家のアヤ・ムラカミは次のように語った。「岸田首相が彼の経済政策全てを説明したのかどうか疑問に思っている。しかし、彼が高市さんを自民党政策調査会長に、甘利さんを自民党幹事長に起用したことを見て、岸田首相の下でも、アベノミクスは継続されるということを示唆しているということになる」。

高市早苗は安倍晋三元首相の支援を受け、与党自民党総裁選挙に出馬した。一方、甘利明は安倍政権で経済産業大臣を務め、アベノミクスの設計者の一人であった。甘利は、2016年に汚職スキャンダルに巻き込まれたことで、幹事長に起用されたことについて議論が起きた。今週末の選挙で小選挙区の議席を失った後、辞任を申し出たと報じられている。

2012年12月に安倍が首相に就任した時、日経225指数は1万円を下回っていた。今年2月には、1990年以来初めて3万円を記録した。

●勤労者たちへの配分(Delivering for workers

日本がアベノミクスに戻るかどうかはさておき、岸田氏が就任した今、最も差し迫った問題は、「日本の労働者の間で高まっている不満にどう対処するか?」ということである。

近年、日本の上場企業は過去最高の利益を上げていますが、その利益を勤勉な従業員の賃金に還元していないという批判を受けている。

投資家のムラカミは次のように述べた。「日本の経済成長は富を分配するほどには協力ではない。日本経済は海外で利益を上げており、国内ではそうではない。国内で利益を上げられていない現状で、各企業が利益を分配することは難しいということになる」。

ムラカミは自民党政調会長の高市早苗が最近提案した「現金をため込んでいる企業に課税する」という案を支持している。村上は次のように語っている。「現在、東京証券取引所に上場している企業は2500社ありますが、そのうち1割以上の企業が時価総額以上の現金・預金を持っていたり、株式の持ち合いをしていたりしている。これらの企業には、税制を通じて、国内の成長を促進するための投資を奨励すべきだと考える」。

岸田は総理総裁に選出されたとき、「国民の声に耳を傾ける(listen to the voices of the people)」と宣言したが、わずか数週間でキャピタルゲイン税を引き上げるという計画を撤回した。今後、岸田首相が投資家と労働者のどちらの声に耳を傾け、政策の方向性を決めていくのか注目される。

(貼り付け終わり)

(終わり)
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 悪魔のサイバー戦争をバイデン政権が始める

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 古村治彦です。

 今回は、岸田文雄に関する優れた分析記事をご紹介する。筆者はトバイアス・ハリスで、ハリスはマサチューセッツ工科大学出身で、日本政治研究の泰斗リチャード・サミュエルズの下で勉強した人物だ。ジャパン・ハンドラーズの新世代ということにもなる。

tobiasharris501

トバイアス・ハリス
 以下の論稿は、岸田文雄首相就任時に発表されたものだが、非常に優れた分析内容になっている。自民党内のタカ派とハト派、保守傍流と保守本流、安倍晋三と岸田文雄を対照的に描いている。自民党内に派閥(factions)があることは大人であれば誰でも知っているほどの常識であるが、その歴史や総意についてまでは知らないという人が多いだろう。
kishidafumio506

 自民党内には保守本流と保守傍流と呼ばれる流れがあり、簡単に言えば、自民党結党時に、吉田茂の流れを汲む自由党系の池田勇人と佐藤栄作が率いる派閥が保守本流、鳩山一郎(のちに河野一郎)と岸信介など日本民主党系の政治家たちが率いた派閥が保守傍流ということになる。池田勇人の派閥が宏池会ということになる。保守本流がハト派、保守傍流がタカ派ということになる。現在の日本政治で言えば、安倍晋三元首相は保守傍流、岸田文雄首相は保守本流ということになる。
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 宏池会は加藤紘一が仕掛けた「加藤の乱」の失敗もあって分裂し、結果として、保守傍流の清和会の天下という状況になった。宏池会は厳しい時代を20年近く過ごすことになった。岸田文雄という次世代のプリンスを守り育てるために、ヴェテランたちが奮闘したということになる。

 簡単に言えば、これから宏池会の復活ということになっていくだろう。宏池会は分裂状態であるが、これを統一して保守傍流である清和会(安倍派)と対校していかねばならない。その際に重要なのは、同じ保守本流である旧田中派・旧竹下派である茂木派(将来は小渕派になる可能性が高い)との協力関係である。そのために、茂木敏充を自民党幹事長に据え、後任の外務大臣に林芳正(宏池会次世代のプリンスに浮上)を起用した意味は大きい。麻生派は河野洋平が作った派閥が源流であり、河野太郎が継承することが既定路線である。これから5年の間の自民党のエースとなるであろう人々は安倍派からは出てこない。福田達夫政調会長が安倍派のプリンスという位置づけになるだろう。しかし、安倍から福田への派閥の禅譲がスムーズに行われるかどうかは不透明だ。

 麻生派も源流をたどれば宏池会である。河野太郎へと派閥が禅譲され、河野派となった後は、安倍派との協力体制が継続するかどうか定かではない。河野太郎が2021年の総裁選挙に出馬した際には安倍晋三は高市早苗を支援した。その点を考えると、河野にとっては岸田の方が総裁選挙で戦った相手とは言いながら、近い関係を築きやすいだろう。

河野太郎は自民党広報本部長に起用されたことで、「降格人事」と評されたが、2021年の総選挙では積極的に日本各地で応援演説を行った。自民党の勝利への貢献は幹事長だった甘利明よりも大きかった。これによって河野太郎は多くの自民党政治家へ「恩を売った」形になり、かつ、足りないと言われていた自民党政治家たちとのコミュニケイションも行われたであろう。河野の広報本部長起用は降格人事ではなく、時宜を得た人事だった。

岸田文雄首相はなかなかの策士である。表面は柔らかく、「頼りない」という印象を述べる人も多い。しかし、保守本流復活と「寛容と忍耐」、日本型資本主義(再分配志向)をこれから行っていくだろう。

(貼り付けはじめ)

岸田文雄の様々な原理原則が試される局面に面している(Fumio Kishida’s Principles Are About to Be Put to the Test

-日本の新しい首相は右派によって支配されている政党の穏健な顔である。

トバイアス・ハリス筆

2021年10月4日

『フォーリン・ポリシー』誌

https://foreignpolicy.com/2021/10/04/fumio-kishida-new-japanese-prime-minister-ldp/

2017年8月、安倍晋三は首相としての二度目の任期の5年目を迎え、下落していた支持率を安定させるために、内閣改造(cabinet reshuffle)を行った。閣僚の交代が複数行われた中で、安倍首相は2012年12月から外相を務めていた岸田文雄を与党自由民主党の政策責任者(訳者註:総務会長)に起用した。

政府と与党との間で政策を調整する総務会長という新しい地位に就いた直後、岸田は、安倍内閣から離れてすぐに、安倍首相と距離を取ろうとするようになった。岸田は次のように発言した。「安倍首相と私は衆議院議員初当選が同じ同期であり、個人的には極めて近い関係にあります。しかしながら、私たちの政治家としての哲学や信念について簡単に申し上げると、安倍首相は保守派(conservative)、敢えて言えばタカ派(hawkish)となります。私はリベラル派(liberal)であり、ハト派(dovish)です」。

岸田は安倍とはこれからも緊密に協力していくことになるだろうと述べたが、それからの1年は2018年の自民党総裁選挙に出馬するかどうかを熟考する期間に充てた。これにより、自民党内で最もリベラルな派閥である宏池会のリーダー岸田と保守派の安倍が対決することになった。最終的には、岸田は総裁選挙には出馬せず、宏池会は安倍の再選を支持すると述べたことで、支援者たちを失望させた。

しかしながら、先週、岸田の順番が最終的にやって来た。岸田は、菅義偉首相に再選を諦めるように働きかけることに成功し、9月29日の総裁選挙では人気の高かった河野太郎を破り、圧倒的な強さで首相に就任した。10月4日には正式に首相に指名され、宏池会出身の首相は1993年以来のこととなった。

岸田はひとたび安倍に対抗して総裁選挙に出馬することを考えたが、彼の指導者としての成功は主要な問題について保守的な立場を取ることでもたらされた。日本の軍事力の増強、中国に対する強硬姿勢、憲法改正についてそうであった。これらが彼の勝利に貢献した。この変化は、岸田首相が元首相安倍晋三、麻生太郎の保守的な同盟者たちを自民党執行部と内閣の重要な地位に就けることで強化されるだろう。

このような妥協を、単なるご都合主義だと片付けてしまいたくなる。しかし、岸田の成功は、冷戦終結後からの自民党の右傾化に対して、自民党の穏健派がどのように折り合いをつけてきたかを物語っているのである。

冷戦期間中、自民党は、反共産主義(anti-communism)を中心とした党であり、分裂していた。自民党は2つのグループの事実上の停戦状態の産物であった。1つ目のグループは、いわゆる平和憲法を発布し、米国との不平等な安全保障同盟を受け入れ、ささやかな再軍備を支持した戦後の支配的な吉田茂首相の追随者たちであった。2つ目のグループは、吉田派に対する右派の批判者たちであった。その中には安倍晋三の祖父岸信介も含まれていた。岸は日本の再軍備を望み、より自律的な外交政策を追求した。

これら2つのグループに、後に田中角栄首相が糾合した3つ目のグループが加わった。このグループは、日本の経済的奇跡の果実を開発が進んでいない地方に再分配することに注力した。これらのグループは、時折は休戦をしながら激しく争った。

1990年代初頭で、こうした不安定な平和は崩れた。反共産主義はこれらのグループを結び付けるのりの役割を果たせなくなってしまった。政府高官や大物議員たちの汚職スキャンダルや「失われた10年」と呼ばれる経済停滞の始まりにより、党の信用は失墜し、自民党内からも改革を求める声が出てきた。その結果、自民党は分裂し、1993年には自民党の分派と伝統的な左翼野党を含む連立政権に一時的に敗北してしまった。

この混乱をきっかけとして、自民党右派が自民党の主導権の掌握を目指した。冷戦時代に「反主流派(anti-mainstream)」と呼ばれていた右派は、1990年代に登場した新進気鋭の政治家を中心に、日本を強くするための施策や国威発揚などを訴えて力を蓄えていった。

自民党右派は世紀を変わり目で優位を得た。それ以降、自民党右派は自民党を支配してきた。その締めくくりとして、安倍晋三は2012年から2020年まで首相を務め、「史上最長記録を残した。ひとたびは主流派から疎外された右派は主流派となった。そして、穏健派とリベラル派のライヴァルたちが反主流派となった。自民党内で何とか生き残っている状態になった。

岸田のキャリアは、彼が生まれ育った自民党内のリベラル派の長期的な衰退と完全に一致している。岸田は1957年に東京に生まれた。岸田家は広島で長い歴史を誇る一族だ。岸田文雄は岸田文武の長男として生まれた。岸田文武は強力な通商産業省の官僚だった。広島という土地は岸田の政治的アイデンティティにとって極めて重要だ。広島は日本の反軍国主義のシンボル的な拠点であるだけではなく、自民党のリベラル志向の中心地でもある。自民党リベラル派の派閥宏池会の創設者池田勇人は広島県の出身だった。

池田は1960年に首相に就任した。岸信介がアメリカとの新しい安全保障条約締結に邁進し、結果として激しい抗議活動が起き、彼の政権は崩壊した。その後を受けたのが池田だ。池田は、「寛容と忍耐(tolerance and patience)」 の政治を追求し、広範な経済成長に集中することで反応した。これらが池田率いる派閥宏池会の基盤の諸原理となった。

岸田家が自民党リベラル派の伝統に引き寄せられたのは、岸田文雄の父文武が官僚を辞めて政界に転じた1978年のことだった。文武は国会議員になるために広島から立候補した。彼は宏池会のメンバーだった。その他の経験も岸田の、公正さ、公平、平和を強調するリベラリズムへの傾倒を促すことになった。岸田文雄は、父文武が1960年代半ばにアメリカに派遣されたので、彼もアメリカに渡り、ニューヨーク市の公立小学校に入学して人種差別を経験した。父文武が1992年に死去し、岸田文雄は、父の出身地と所属派閥から、選挙に出馬し、宏池会に所属することは当然の成り行きであった。

1993年に岸田は衆議院議員に初当選したが、これは宮澤喜一政権の終焉と共に起きた。宮澤喜一は岸田にとって父方の親戚にあたる。そして、宮沢は岸田が首相になるまで、宏池会出身の最後の首相となった。

その間の数十年間、派閥は何度も衰退し、分裂した。その中には、2000年に、宏池会の指導者が不人気な右派の首相である森喜朗を追い落とそうとしたが、失敗に終わったことも含まれている。岸田は若手代議士としてこの反乱を支持した。派閥が崩壊し、指導者が影響力を失うのを目の当たりにして、右翼の台頭に直接立ち向かうことが不幸な結果を招くことを学んだ。

その代わりに、岸田はスポットライトから外れて経験と専門性を静かに獲得した。一方、岸田と同期当選の安倍は自民党の最高権力レヴェルを争った。岸田は自民党内の下級の職務を経て、2007年の第一次安倍政権の末期に初入閣を果たした。その間に、リベラル派の議員たちと一緒に分裂した宏池会の再結集に取り組んだ。

この期間中、岸田は、保守右派が支配する自民党の中で、リベラル派が果たすべき役割を明確にしようとしていた。岸田にとって、自民党内のリベラリズムは根本的に政治スタイルについてのもので、政策についてではなかった。岸田は彼自身の派閥宏池会の歴史を踏まえた上で、どのような役割を果たすことができるかというビジョンを示している。

第一に、岸田は、自分の政治上の先輩たちが何よりもリアリストであったと主張した。岸田は2015年の国会討論の中で、次のように述べた。「このグループの人々の特性の一つは、戦後政治の中で、特定のイデオロギーや主義主張にとらわれず、極めて現実的に物事を考え、リアリズムに基づいて政策を立案したことだ」。宏池会が主張してきた軽武装の日本が米国と同盟を結び、軍事力よりも経済成長への投資を優先させるという政策は、特定の状況への対応であり、永遠の真実ではないということだ。適切な政策は時間の経過とともに変化し、変化すべきだということになる。

第二に、岸田は、自民党のリベラル派はバランスを取る勢力となるべきだと主張した。例えば、2005年に彼の支持者に宛てた新年の書簡の中で、岸田は「強力な指導力、アメリカ中心の外交、そしてタカ派を新たに協調していること」といった自民党右派の政策だと言及している。しかし、「それぞれの意義を否定するものではないが、バランスが大切だと考えている」と注意を促している。岸田は、自民党保守派が政治的な現実を見失わないようにするためには、自民党リベラル派が必要だと考えていた。

最後に、岸田によると、日本の指導者たちは謙虚に行動しなければならないということだ。自分たちの権力を濫用しないように気を付け、考えが違う人々の考えを受け入れるべきで、一般の人々の同意を取り付けるようにしなければならない。自民党総裁選挙の選挙運動の期間中、彼は、全ては「聞くこと」に尽きると主張した。「人の話に耳を傾けることが、信頼の原点だと思う。私は他の誰よりも菊能力が持っていると考える」と語った。岸田の信念は安倍とは対照的だ。例えば、安倍首相は政策に反対されると、「なぜ自分のやり方が最も良いのか、もう一度説明しなければならない」と強調するが、それとは対照的だ。

最終的に、岸田はこれらの原則なくして日本が直面する深刻な課題を克服することはできないと考えている。岸田は2020年に次のように書いている。「私たちの未来には、想像を絶するような混乱と国家的危機が待ち受けている。そういう時代だからこそ、徹底したリアリズムとバランス感覚が強く求められる。それには、国民の協力が不可欠だ。そして、政治への信頼を回復することなしに、国民に協力を求めることはできない」。

岸田にとって、これらの信念は、自民党右派と争うのではなく、右派と協力する方法を見つけることを正当化するものだった。しかし、安倍政権の外務大臣として政権内に穏健さをもたらしたことと、岸田自身が首相になることには、まったく別の課題がある。強固な保守派が率いる政権内における釣り合いを取るリベラル派という立場ではなくなり、岸田は今でも右派が支配している自民党の穏健派の顔となっている。

これによって、岸田の持つ諸原理が試されることになる。彼は、謙虚な政治スタイルへの志向と、保守派の同盟者たちからの要求との間で板挟みになる可能性がある。国防費、憲法改正、中台関係のバランスなど、いずれにしても、国民や自民党右派を政権から遠ざける可能性のある重大な決断を迫られることになるだろう。その時、自民党リベラル派が冷戦時代の名残なのか、それとも激動の未来に向けて日本を導く重要な役割を担っているのかを、岸田は示すことになるだろう。

※トバイアス・ハリスはセンター・フォ・アメリカン・プログレス上級研究員。『因襲破壊者-安倍晋三と新しい日本(The Iconoclast: Shinzo Abe and the New Japan)』の著者。

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