古村治彦(ふるむらはるひこ)の政治情報紹介・分析ブログ

SNSI研究員・愛知大学国際問題研究所客員研究員の古村治彦(ふるむらはるひこ)のブログです。翻訳と評論の分野で活動しています。日常、考えたことを文章にして発表していきたいと思います。古村治彦の経歴などについては、お手数ですが、twitter accountかamazonの著者ページをご覧ください 連絡先は、harryfurumura@gmail.com です。twitter accountは、@Harryfurumura です。よろしくお願いします。

タグ:岸信介

 古村治彦です。

 2022年9月27日の安倍元晋三元首相の国葬については反対論が国民の多数を占めている。私は正直に言って、国葬が決定された直後、「世論調査を刷れば国民の半分くらいは賛成ということになるんだろう」と考えていた。安倍晋三元首相は選挙に強く6回の国政選挙で勝利を収めていたのだから、国民の半分くらいは国葬に賛成するだろうと思っていた。しかし、私の考えは間違っていた。国民の過半数が安倍元首相の国葬に反対という世論調査の結果が多く出た。安倍元首相の人気や人々からの支持はそれほど高くなかったということになる。そして、安倍元首相率いる自民党が選挙で勝ち続けたのは選挙制度のおかげも大きいということが私の中で明らかになった。

 私は国葬という話が出てきた時から反対だ。国葬を行うための根拠となる法律はない。国会での審議もおざなりで、閣議決定で国葬実施が決まった。国家が行う行事はすべからく税金の支出が伴う。税金の使われ方を行政府が勝手に決めるというのは危険な暴走行為である。更に言えば、国家の行う全てにおいて重要なのは手続きだ。そこに毛ほどの瑕疵があれば、その行事や行為には正当性はない。今回の国葬に関しては、手続き面で多くの瑕疵がある以上、国葬に正当性はなく、それを強行することは、日本という国家の正統性もなくなるという重大な暴走ということになる。だから、私は国葬に反対だ。

 そして、安倍元首相暗殺事件によって日本政界と統一教会の深い関係が白日の下に晒された。安倍晋三元首相やその周辺の「保守」と呼ばれる政治家たちは、韓国や中国に対する嫌悪感を煽る、ナショナリスティックな言動を繰り返してきた。しかし、安倍元首相は韓国を拠点とし、「日本は韓国に奉仕する存在」と主張してきた統一教会と深い関係を築いていた。この矛盾に戸惑う人が多い。「反共」という補助線を引けばある程度理解できる。

文鮮明は「反共」を旗印にして、アメリカの共和党や世界各地の独裁者たちと深い関係を築いてきた。冷戦下、反共産主義であれば、「自由と人権の総本家」を自称するアメリカも独裁国家を支援してきた。文鮮明は膨大な資金(日本の信者や弱っている人々から搾り取った)を使ってそうした人々に取り入ってきた。日本の窓口が岸信介から発する自民党清和会であり、笹川良一であった。文鮮明が築いた反共ネットワークは、独裁国家や独裁者たちをつなぐネットワークであり、岸信介や安倍晋三はそのラインに連なる。

更に言えば、こうした反共ネットワークの基底にあるのはアメリカのCIAだった。CIAの謀略や世界各国の指導者たちをエージェントにしていった様子は『』(ティム・ワイナー著)に詳しい。岸信介は戦前には満州国建国から国家総動員計画を作り上げ、戦後はアメリカのエージェント、具体的にはCIAのエージェントとなった。日本を「反共の防波堤(bulwark against Communism)」とすることに成功した。「反共」の旗印さえ掲げれば、後は何でも良かった。岸信介の権力志向と戦前回帰志向も日米安保条約改定までは利用価値があり不問に付された。岸の日米安保改定については評価する主張もあるが、現在の「対米従属」を固定化する枠組みを強化したという点では、「反米で独立志向の立派な岸信介」という評価は過大評価だと私は考える。

 今回の安倍晋三元首相の暗殺と国葬は日本の戦後政治が抱えてきた負の部分を一部ではあるが国民に示すことになった。日本政治の汚れた部分を急に全部きれいにすることはできないし、そもそも政治に汚い部分が存在するのは当然のことだ。しかし、あまりにも汚れ過ぎている場合にはその掃除が必要だ。自民党内部の良識ある人々も含めて国民的な動きとして掃除を行うことが重要だ。

(貼り付けはじめ)

安倍晋三元首相の殺傷事件をきっかけにして統一教会について詳細に調べられる(Shinzo Abe’s Killing Puts Unification Church Under Microscope

-日本の与党と韓国の統一教会との関係が国民の怒りを買っている。

ウィリアム・スポサト筆

2022年8月29日

『フォーリン・ポリシー』誌

https://foreignpolicy.com/2022/08/29/shinzo-abe-killing-unification-church-japan/

東京発。安倍晋三元首相が暗殺された事件をきっかにして、予想もしなかった公の場での議論が起きている。当初は悲しみの声が覆っていたが、犯人が人々に注目させたかった問題について、政府に対する人々の怒りに変化している。

合法的であれ何であれ日本では銃を入手することはほぼ不可能なので、先月起きた安倍元首相襲撃は、粗末な手製の武器で行われたが、いくつかの計画変更により首相が標的になった。犯人の長期的な目標は、統一教会の宗教指導者を狙うことだったようだ。統一教会(Unification Church)は、韓国を拠点とする宗教団体で、信者に対する強引な資金集め(heavy-handed fundraising among members)や集団結婚式(mass wedding ceremonies)で知られ、論争の的になっている。統一教会の最高指導者の代わりに安倍元首相を攻撃しようと決めたのは、安倍元首相が世界平和統一家庭連合(Family Federation for World Peace and Unification)として知られる統一教会とつながりがあると考えたからである。

安倍元首相暗殺で逮捕された41歳の元自衛隊員の男性、山上徹也容疑者は、1984年に父親が亡くなった後、母親が統一教会に入り、家族が経済的に破綻したことに怒りを持っていたと捜査当局に供述している。家族の1人によると、母親は長年にわたって合計70万ドル以上の献金をしていたという。1954年にカリスマ性のある文鮮明によって設立されたこの教会は、高圧的な資金調達の手法に詐欺の疑いがあるとして、日本の警察と何度も揉めている。日本人の会員数の推定は調査によって大きく異なるが、日本の信者は主要な収入源であると考えられている。世界的には200万人から300万人の信者がいると言われている。

山上は当初、教団の再興指導者、特に2012年に文鮮明が亡くなった際に教団を引き継いだ文鮮明の未亡人、韓鶴子(Hak Ja Han、ハンハクジャ)を標的にしようと考えていたという。しかし、新型コロナウイルス感染拡大の影響で韓鶴子は予定していた日本への渡航をキャンセルし、更に山上は韓国への渡航が不可能になった。2021年の同時期、ある教団大会で安倍元首相が行った賛辞のビデオを見て予定を切り替えたという。安倍の祖父で戦後の首相だった岸信介の1950年代までさかのぼる、教会と日本の与党・自民党の関係も山上は知っていたのだろう。

政治に精通した文鮮明は、その厳格な反共主義的見解において、日米の保守派と共通の基盤を見出した。統一教会は常に論争にさらされ、カルトと揶揄されたが、それでも文鮮明は世界の有力者たちと親しくなり、彼らはしばしばその好意に応えた。また、ウォーターゲート事件で苦境に立たされたニクソン大統領を支援したことで、ニクソン大統領から感謝されたこともある。

文鮮明は、1990年にはソヴィエト連邦を訪問し、ミハイル・ゴルバチョフ大統領と会談し、政治・経済改革への支持を表明した。1995年、ジョージ・HW・ブッシュ(父)元米大統領とバーバラ・ブッシュ夫人は、文鮮明の妻が運営する教会系の団体である世界平和女性連合(Women’s Federation for World Peace)の大規模な会合で演説を行った。安倍元首相が登場した2021年のネットイベントには、ドナルド・トランプ前米大統領も登場し、文氏が1982年に設立した、共和党支持の『ワシントン・タイムズ』紙を絶賛した。

文鮮明にとって、日本は勧誘と資金調達のための肥沃な土地だった。宗教が人生において非常に重要であると答えた日本人はわずか10%であり(多くの人は神道の結婚式と仏教の葬儀を抵抗感なく行き来する)、統一教会を含む多くのニューエイジ宗教に引き寄せられる人々もいる。外部の人間から見れば、こうした宗教は世間知らずの人々からお金を搾取する洗脳カルトだが、人気が衰えないのは、何らかのニーズを満たしていることを示唆している。自民党にとって統一教会は、熱心でよく組織された支持者集団であり、信者の票集めという選挙戦の最前線での仕事を引き受けてくれた。

こうした政党と宗教のつながりは異常なことではなく、必ずしも裏があるわけでもない。アメリカの福音派(U.S. evangelicals)と共和党の密接な関係は周知の通りである。同時に、アメリア南部の黒人教会は、会員の投票率を上げるのに十分な効果があることが証明されており、ジョージア州とテキサス州の共和党は日曜日の投票を禁止しようとしたが、これは悪い方向に作用した。

日本では、過去10年間連立政権の一翼を担ってきた公明党は、1930年に設立され、過去には政府からしばしば疑いの目で見られてきた仏教運動である創価学会という宗教団体に支えられている。公明党の山口那津男代表は、宗教と政治が結びついている問題について、8月初旬の記者会見で、統一教会は別問題であると示唆し、慎重な姿勢を示している。山口代表は「社会的な問題を抱えたり、大きな迷惑をかけたりする団体については、政治家は選挙で支援を求めたり、国民を誤解させるような行動を慎むべきだ」と述べた。

安倍元首相暗殺がなければ、今さらスキャンダルに爆発することもなかっただろう。統一教会の資金調達方法は、何年も前から批判されてきた。2009年には訴訟を受けて、資金調達方法を改め、信者が返還を要求したお金を返すと約束したが、最近になって、少なくともいくつかの問題が続いていることを認めている。統一教会関係者は、元信者からの苦情を聞く仕組みがあることを指摘し、該当件数は着実に減少していると主張している。

しかし、7月8日に安倍首相が殺害されてからの数週間で、国民は統一教会の政治的なつながりに目覚め、どんなに無害に見えても心配だと感じるようになったようである。違法なものは見つかっていないが、着実な報道は、この国の最も確立された政党と、倫理的に問題があり、弱い立場の日本人を食い物にしているように見える韓国の宗教団体とのつながりに焦点をあてている。その中でも、萩生田光一元経済産業大臣は、ブッシュ元大統領が演説したのと同じ教会関連の女性団体の会合に出席し、数年にわたり毎年650ドル程度の寄付をしていたことが判明した。萩生田は、この会のメンバーは一般の有権者であり、自分はこの会の慈善活動を支援していると説明した。

このような報道の中で、共同通信社は日本の国会議員712人全員を対象に、教会との関係を問うアンケートを実施した。その結果、100人が「何らかのつながりがある」と答えた。そのほとんどは、イヴェントに参加したり、募金活動のチケットを教会員に売ったりすることであった。また、30人の議員は、教会の会員が票集めを手伝ってくれたと言っている。

国民の反応は強く、多くの政治家たちがその関係を否定したり、ごまかしたりしたが、新たな報道で事実が発覚し、不信感が募った。また、出席した会合や寄付が統一教会と関係しているとは知らなかったと説得力のない主張をする政治家もいた。自民党と統一教会とのつながりが次々と明らかになるにつれ、岸田文雄首相はますます圧力を受けるようになった。岸田首相は、政権に新しい活力を注入するために、日本ではおなじみの内閣改造にいち早く踏み切った。首相はまた、閣僚や高官は教会との関係を絶つべきだと述べたが、その作業は個々の議員に任されているようだった。岸田は最近の記者会見で、「統一教会をめぐって国民から様々な意見が寄せられている。政治の信頼を確保するために、政治家はどう行動すべきかを考えるべきだ」と述べた。

しかし、性急な措置も功を奏さず、統一教会とつながりのある議員3人がまだ閣内に残っているとの報道がなされた。このため、7月上旬の参議院議員選挙で好成績を収め、わずか1カ月前に勢いに乗っていた政権が危うくなっている。7月中旬には63%あった支持率は、毎日新聞の最新の調査では36%にとどまっている。岸田の任期が危ういと言うのは早計だが、これほどの急落があれば、普通なら不運な指導者は退陣に追い込まれる。このように国家指導者が損切りをする傾向があるため、安倍首相を除いて、日本は過去16年間、回転ドア首相が続出している。

9月下旬に予定されている安倍首相の国葬(state funeral)は、戦後日本の政治家の国葬としては、第二次世界大戦を終結させたサンフランシスコ条約の交渉にあたった吉田茂に次いで2例目であることも、こうした事態が暗礁に乗り上げた一因となっている。今回の国葬は、日本を再び世界に知らしめた安倍首相の幅広い影響力を示す、有力者の集まりとなることが約束されている。出席予定者は、バラク・オバマ前米国大統領、カマラ・ハリス米副大統領、ナレンドラ・モディ・インド首相などだ。フランスのエマニュエル・マクロン大統領やドイツのアンゲラ・メルケル元首相も出席する可能性があると報じられている。このように世界的な支持を得ているにもかかわらず、毎日新聞の世論調査では53%の人が国葬に反対していると答えている。

岸田内閣に向けられた国民の怒りは、統一教会と自民党のつながりと偽善に対する一般的な不安以上に、明確な焦点がないように思われる。安倍元首相は韓国との関係で強硬な姿勢を示したが、これは日本の多くの地域に長年存在する反韓感情の底流を反映したものだ。

しかし、安倍元首相が殺害された後に明らかになったことは、親日的なナショナリストの感情と、弱者から金を引き出すことに熱心な韓国の宗教団体を結びつけた、皮肉な関係を指摘するものだった。多くの世界的人物がそうであるように、安倍首相も常に国際的な議論より国内での議論の方が多かった。死後もそうである。

※ウィリアム・スポサト:東京を拠点とするジャーナリスト。2015年から『フォーリン・ポリシー』誌に寄稿している。20年以上にわたり、日本の政治と経済を取材しており、ロイター通信とウォールストリート・ジャーナル紙で勤務していた。2021年にはカルロス・ゴーン事件と日本への影響について共著を出版した。
(貼り付け終わり)

(終わり)

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 安倍晋三元首相の銃撃暗殺事件から約2週間が経過した。岸田文雄首相は安倍元首相の「国葬」を9月に執り行うと発表した。自民党の茂木敏充幹事長は国葬反対の国民の声を「承知していない」と切り捨てた。根拠となる法律もなく、国会で審議を行うこともなく、閣議決定のみで国葬を強行している。そのような強行突破での実施が死者を悼む行事となるのかどうか甚だ疑問だ。

 安倍元首相を銃撃したとして殺人容疑で逮捕された山上徹也容疑者の供述から、自民党と統一教会の関係に人々の関心が集まった。強引な勧誘や実質的な献金強制、それに合同結婚式などが日本で報道されたのは1980年代から90年代にかけてであった。その当時、一家離散の悲劇に苦しむ人々や全財産を失って悲嘆にくれる人々の姿が報道された。現在、「信教の自由で不幸になるのは自己責任だ(自由権)」という一般論を並べ立てながら、統一教会を遠回しに擁護する論調がマスコミ(五大新聞社と五大テレビ局)でも流されていたが、その実態に再び焦点があてられることで少しずつ消えているようだ。

 統一教会の問題点はそのカルト性と政治への接近の2つが挙げられる。カルト性については1980年代からずっと報じられてきた。しかし、実生活では、統一教会と名乗らずに別の名前の団体として人々を勧誘し、最終的には信者にしてしまうということが起きている。私の学生時代には過激派(革マル派)が学生自治会を牛耳っており、立て看板、ビラを通じて、「統一教会、原理研には気をつけろ」という警告を盛んに出していた。私は「革マル派に入るのだって危ないではないか」と思いながら、ビラを流し読んでいた。ただ、当時の報道(1990年代)もあって気を付けるようにはしていた。

 統一教会の政治との関わり、特に自民党との関わりは、「政治の玄人」「政治のプロ」のような人々からの話からの知識として知っていた。「自民党の議員事務所には統一教会系の統一日報が置いてある」「無給のスタッフを各議員事務所に派遣している」「選挙の動員などにも協力している」といったことは聞いていた。また、アメリカの日本研究分野の大物であるリチャード・J・サミュエルズの『マキァヴェッリの子どもたち』という日本とイタリアの19世紀以降の歴代指導者の比較研究では、岸信介、文鮮明、笹川良一の関係について言及されている。

 韓国発祥の統一教会が現在のような巨大な宗教帝国となったのは、日本の資金のおかげである。日本からの資金が全体の7割を占めるということは、日本以外の国々では強引な献金や霊感商法は行っていないということになる。日本の統一教会は集金マシーンとなっている。そこには日本による植民地支配の歴史を絡めての「贖罪意識」を刺激しての集金ということもあるようだ。そして、自民党との大物政治家たちのつながりを誇示することで、統一教会はその「正当性」を人々にアピールしてきた。その代表格が安倍晋三元首相だ。

 山上徹也容疑者のものと思われるツイッターアカウントが発見され(現在は凍結中)、その中で、山上容疑者が安倍晋三元首相を支持する「ネトウヨ」的な書き込みが多くなされていることが明らかにされた。それなのにどうして安倍元首相を銃撃するに至ったのかということであるが、自分の家族を崩壊させた統一教会と安倍元首相との間に緊密な関係があることを知った、最初は教団の最高幹部を狙ったが攻撃が不可能なので安倍元首相に標的を変えたということになっている。ここのところはより緻密な分析が必要であろう。

 統一教会にとって日本と自民党という存在は宗教帝国として拡大していく上で欠くことができない存在となった。結果として、統一教会が自民党に対する影響力を持つまでに至ったということも言われている。しかし、より直接的に言えば、日本人の膏血を絞ることで肥え太った統一教会との関係を清算せずにずっと持ち続けた日本人が日本の国民政党たる資格があるのか、ということだ。彼らが述べる「家族・家庭の重要さ」「国民の生命財産を守る」という言葉は何の意味もなく、空虚なものでしかないということになる。

(貼り付けはじめ)

安倍元首相と日本が文鮮明の統一教会にとっていかに重要な存在になったか(How Abe and Japan became vital to Moon’s Unification Church
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安倍晋三元首相を暗殺した容疑者は、安倍元首相が母親の金銭トラブルの原因とされる宗教団体と関係があったため、恨んでいると警察に語ったとメディアは報じている。(キヨシ・オオタ/ブルームバーグ・ニューズ)

マーク・フィッシャー筆

2022年7月12日

『ワシントン・ポスト』紙

https://www.washingtonpost.com/world/2022/07/12/unification-church-japan-shinzo-abe/

悲嘆にくれる高齢者たちをターゲットにした訪問販売戦術を用いて、そして著名な政治家の育成などで、統一教会は何十年もかけて、日本を最も信頼できる利益の中心地として確立してきたと、故文鮮明牧師の多くの部門を持つ精神的・経済的世界帝国を調査分析する捜査官たちは口々に語る。

今、安倍晋三元首相を暗殺した容疑者は、自身の母親の破産を宗教団体のせいだと考えていると警察に話し、統一教会が犯人の母親が日本支部の会員だったことを確認した後、日本において長い間論争の的になっていた統一教会の役割について再び精査される状況になっている。

日本国内での報道によれば、銃撃の容疑者である山上徹也は、母親が宗教団体に大金を寄付するよう圧力をかけられ、経済的に破綻したと警察に供述しているということだ。

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7月8日の奈良での暗殺現場で、警備員にタックルされる安倍元首相狙撃容疑者の男。(読売新聞社/ロイター経由)。

統一教会の日本支部を運営する田中富広会長は月曜日の記者会見で、山上容疑者の母親は1998年に入信し、その後一時的に退会し、今年になって復帰したと述べた。教会幹部は、母親が団体に献金していたという情報はなく、山上容疑者自身が教会に所属していたという記録もないと述べた。警察はまだその宗教団体名を明らかにしていない。

火曜日、日本のメディアは、奈良の統一教会の建物のファサードから弾痕が発見されたと報じた。日本のテレビ局であるフジニューズネットワークによると、山上容疑者は安倍元首相を撃つ前にそこで銃のテストをしたと捜査当局に語ったという。

統一教会は日本で数十の教会を管理しており、奈良の教会もその一つで、安倍元首相が金曜日に銃撃された場所から数百メートルしか離れていない。

安倍元首相は他の多くの世界的指導者と同様に、統一教会関連のイヴェントに有料スピーカーとして出演していたが、最近では9月にドナルド・トランプ元大統領も出演した番組に出演し、ヴィデオリンクを通じて講演を行った。

トランプ前大統領は文鮮明の未亡人であり、統一教会で「真の母(True Mother)」として知られる韓鶴子が主催した「希望の集会」で、彼女を「偉大な人物」と呼び、「世界中の平和のための彼女の驚くべき仕事」を賞賛した。彼は文鮮明夫妻に感謝の言葉を述べた。「彼らが地球全体に引き起こしたインスピレーションは信じられないほどだ」。 文鮮明は2012年に死去し、それ以来、彼の妻と子供たちは彼のビジネスや他の組織の支配権をめぐって争ってきた。

安倍首相はトランプ大統領が出演した同じ番組で、韓鶴子に「世界の紛争解決、特に朝鮮半島の平和的統一に向けたあなたのたゆまぬ努力に深く感謝する」と表明した。

自らを救世主(messiah、メシア、メサイア)と称する文鮮明は、イエスから地上での活動を継続するよう指示されたと説いた。

その歴史を通して、文鮮明の教会とその関連団体は、世界の政治指導者、有名人、他の宗教の著名な聖職者たちを講演に招くために高額の謝金を支払ってきた。これは、統一協会を有名で尊敬される人物と関連づけることによって信用を勝ち取るための長年のキャンペーンの一部である。

アメリカ国内と世界各地で文鮮明のビジネスと政治的な行動について長年研究してきたラリー・ジリオックスは土曜日に次のように述べた。「彼らは自分たちに正当性を与えてくれる人になら誰にでも金を出す。大きな名前(有名性)は小さな名前を次々と引きつけ、地元のベンチャー企業を助けることができる」。

具体例を挙げる。1990年代半ば、ジョージ・HW・ブッシュ元大統領やジェラルド・フォード元大統領、コメディアンのビル・コスビー、ソ連のゴルバチョフ元書記長などが、日本とワシントンで開かれた文明性主催の会議で講演を行った。ブッシュは、あの世での愛する人の幸せを保証するために何百万ドルも寄付するよう圧力をかけられたとして、統一教会と文氏が経営するハッピーワールド社を訴えた何千人もの日本人に対して、日本の裁判所が1億5000万ドル以上の賠償金を認めた数ヶ月後に講演を行った。

(ワシントン・ポスト紙が彼の出演について報じた後、ブッシュは当時一般的に8万ドル程度だった講演料を慈善団体に寄付することにした)

学者や政府の調査員たちによる統一教会に関するいくつかの研究によれば、60年代以上にわたり、統一教会とその様々な分派は、アメリカを含む世界各地の事業を助成する収益センターとして日本に依存してきたという。

『ワシントン・タイムズ』紙や他の多くの国でのメディア事業など、文鮮明の最も有名な構想のいくつかが損失を出しても、統一教会は主に「霊的販売(spiritual sales)」と呼ばれるものに基づく強力な収益源を日本部門に期待することができた。

かつて統一教会員で、その後精神衛生カウンセラーになり、破壊的カルトについての本の著者でもあるスティーヴ・ハサンは土曜日次のように述べた。「日本の統一教会員たちは、死亡記事を詳しく調べ上げ、亡くなった人の家族の家のドアをノックして、『亡くなったあなたの愛する人が私たちと通信している。その人は銀行に行って、あなたの愛する人が霊界で昇天できるように統一教会にお金を送ってほしい』と述べた。このような行動をしてきたの

統一教会のルーツは韓国だが、統一教会を研究してきた複数の歴史家の研究によれば、伝統的に教会の富の70%を提供してきたのは日本であったという。日本の元教会幹部はかつてワシントン・ポスト紙に、文鮮明の組織が1970年代半ばから80年代半ばにかけて、日本からアメリカに8億ドルを送金したと語った。

統一協会の元幹部ロン・パケットは1997年にワシントン・ポスト紙に次のように語っている。「文鮮明は韓国と日本からマンハッタン・センター(ニューヨーク市にある教会の主要施設の一つ)に現金の入った袋を何百と送ってきた。そのお金がどこから来るのかと尋ねるといつも答えはただ『お父様から』というものだった。統一教会員たちが使う「お父様」とは文鮮明を意味する。

日本では長年、統一教会信者たち(Unificationists)が高麗人参や、文鮮明が韓国で経営する会社で作られた石塔のミニチュアなどの宗教用品を売る光景をよく目にした。統一教会信者たちは、その商品に霊的な力が宿っていると主張し、日本では集団訴訟に発展し、数百人が示談を勝ち取った。

日本の小政党であるNHK党の黒川敦彦代表は、先月のテレビ放送で、統一教会は「反日カルト」であり、1958年に統一教会が日本に最初に進出したのは安倍首相の祖父である岸信介元首相のせいであると述べた。文鮮明は1975年に日本で最初の新聞を創刊し、その後すぐに彼の特徴である信者の集団結婚を日本に持ち込んだ。

前述のハッサンによると、文鮮明の神学では、彼の母国である韓国は世界を支配する運命にある支配者民族の故郷である「アダム」の国であり、日本は韓国に従属する「イヴ」の国であるという。統一教会では、イヴがサタンと性的関係を持ち、人類を堕落させ、文鮮明が人類を救済するようになったと教えられている。

文鮮明の未亡人である韓鶴子は現在、統一教会の正式な後継団体である「世界平和統一家庭連合(Family Federation for World Peace and Unification)」を統括している。文氏の息子亨進(ヒョンジン、通称:ショーン)が立ち上げた対抗組織も、日本に進出している。ペンシルヴァニア州ニューファンドランドに拠点を置く世界平和統一神殿(World Peace and Unification Sanctuary)は、「鉄の棒の牧師たち(Rod of Iron Ministries)」として知られ、AR-15アサルト銃は「攻撃的な悪魔の世界から身を守るため」の宗教儀式に重要な役割を果たすと説いている。

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2018年2月、ペンシルヴァニア州ニューファンドランドにある世界平和統一聖堂で、装填されていない武器を手にする礼拝者たち。

ヒョンジンの兄クックジン(國進、通称ジャスティン)は教会界で「真の息子(True Son)」と呼ばれ、ペンシルヴァニア州グリーリーに武器製造会社カー・アームズ社(Kahr Arms)を所有し、2010年に父親から日本に派遣され、教会の法的地位を剥奪しようとする動きに反発した。

國進はその年の演説で次のように述べた。「警察が私たちの教会に対してかなり大規模な捜査を行っていたので非常に困難な時期だった。警察は私たちの教会を徹底的に調査した。彼らは私たちの教会のメンバーを逮捕し、私たちの教会を捜索していた。それも1つや2つの場所だけでなく、多くの場所で捜索が行われた」。

演説の中で、國進は、教会が日本人に、亡くなった、愛する人の霊を救うために多額の寄付をするよう圧力をかけていたことを否定した。彼は、日本における教会の大口献金者の多くにインタヴューしたことがあると述べた。國進は「私は彼らに、“何があなたをそんなに寄付する気にさせるのですか”と尋ねた。そして、非常に多くのケースで、兄弟姉妹は、先祖がやってきて、そうするようにと言ったと私に言ってくれたのだ」と述べた。

※東京を拠点とするジュリア・ミオ・イヌマは本記事の作成に貢献した。

※マーク・フィッシャー:上級編集員。様々なテーマを網羅。ワシントン・ポスト紙のエンタープライズエディター、ローカルコラムニスト、ベルリン支局長を経て、メトロ、スタイル、ナショナル、海外デスクで30年にわたり、政治、教育、ポップカルチャーなど、さまざまな分野を取材してきた。 ツイッターアカウント:@mffisher

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(終わり)※6月28日には、副島先生のウクライナ戦争に関する最新分析『プーチンを罠に嵌め、策略に陥れた英米ディープ・ステイトはウクライナ戦争を第3次世界大戦にする』が発売になります。


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 古村治彦です。

 今回は、岸田文雄に関する優れた分析記事をご紹介する。筆者はトバイアス・ハリスで、ハリスはマサチューセッツ工科大学出身で、日本政治研究の泰斗リチャード・サミュエルズの下で勉強した人物だ。ジャパン・ハンドラーズの新世代ということにもなる。

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トバイアス・ハリス
 以下の論稿は、岸田文雄首相就任時に発表されたものだが、非常に優れた分析内容になっている。自民党内のタカ派とハト派、保守傍流と保守本流、安倍晋三と岸田文雄を対照的に描いている。自民党内に派閥(factions)があることは大人であれば誰でも知っているほどの常識であるが、その歴史や総意についてまでは知らないという人が多いだろう。
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 自民党内には保守本流と保守傍流と呼ばれる流れがあり、簡単に言えば、自民党結党時に、吉田茂の流れを汲む自由党系の池田勇人と佐藤栄作が率いる派閥が保守本流、鳩山一郎(のちに河野一郎)と岸信介など日本民主党系の政治家たちが率いた派閥が保守傍流ということになる。池田勇人の派閥が宏池会ということになる。保守本流がハト派、保守傍流がタカ派ということになる。現在の日本政治で言えば、安倍晋三元首相は保守傍流、岸田文雄首相は保守本流ということになる。
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 宏池会は加藤紘一が仕掛けた「加藤の乱」の失敗もあって分裂し、結果として、保守傍流の清和会の天下という状況になった。宏池会は厳しい時代を20年近く過ごすことになった。岸田文雄という次世代のプリンスを守り育てるために、ヴェテランたちが奮闘したということになる。

 簡単に言えば、これから宏池会の復活ということになっていくだろう。宏池会は分裂状態であるが、これを統一して保守傍流である清和会(安倍派)と対校していかねばならない。その際に重要なのは、同じ保守本流である旧田中派・旧竹下派である茂木派(将来は小渕派になる可能性が高い)との協力関係である。そのために、茂木敏充を自民党幹事長に据え、後任の外務大臣に林芳正(宏池会次世代のプリンスに浮上)を起用した意味は大きい。麻生派は河野洋平が作った派閥が源流であり、河野太郎が継承することが既定路線である。これから5年の間の自民党のエースとなるであろう人々は安倍派からは出てこない。福田達夫政調会長が安倍派のプリンスという位置づけになるだろう。しかし、安倍から福田への派閥の禅譲がスムーズに行われるかどうかは不透明だ。

 麻生派も源流をたどれば宏池会である。河野太郎へと派閥が禅譲され、河野派となった後は、安倍派との協力体制が継続するかどうか定かではない。河野太郎が2021年の総裁選挙に出馬した際には安倍晋三は高市早苗を支援した。その点を考えると、河野にとっては岸田の方が総裁選挙で戦った相手とは言いながら、近い関係を築きやすいだろう。

河野太郎は自民党広報本部長に起用されたことで、「降格人事」と評されたが、2021年の総選挙では積極的に日本各地で応援演説を行った。自民党の勝利への貢献は幹事長だった甘利明よりも大きかった。これによって河野太郎は多くの自民党政治家へ「恩を売った」形になり、かつ、足りないと言われていた自民党政治家たちとのコミュニケイションも行われたであろう。河野の広報本部長起用は降格人事ではなく、時宜を得た人事だった。

岸田文雄首相はなかなかの策士である。表面は柔らかく、「頼りない」という印象を述べる人も多い。しかし、保守本流復活と「寛容と忍耐」、日本型資本主義(再分配志向)をこれから行っていくだろう。

(貼り付けはじめ)

岸田文雄の様々な原理原則が試される局面に面している(Fumio Kishida’s Principles Are About to Be Put to the Test

-日本の新しい首相は右派によって支配されている政党の穏健な顔である。

トバイアス・ハリス筆

2021年10月4日

『フォーリン・ポリシー』誌

https://foreignpolicy.com/2021/10/04/fumio-kishida-new-japanese-prime-minister-ldp/

2017年8月、安倍晋三は首相としての二度目の任期の5年目を迎え、下落していた支持率を安定させるために、内閣改造(cabinet reshuffle)を行った。閣僚の交代が複数行われた中で、安倍首相は2012年12月から外相を務めていた岸田文雄を与党自由民主党の政策責任者(訳者註:総務会長)に起用した。

政府と与党との間で政策を調整する総務会長という新しい地位に就いた直後、岸田は、安倍内閣から離れてすぐに、安倍首相と距離を取ろうとするようになった。岸田は次のように発言した。「安倍首相と私は衆議院議員初当選が同じ同期であり、個人的には極めて近い関係にあります。しかしながら、私たちの政治家としての哲学や信念について簡単に申し上げると、安倍首相は保守派(conservative)、敢えて言えばタカ派(hawkish)となります。私はリベラル派(liberal)であり、ハト派(dovish)です」。

岸田は安倍とはこれからも緊密に協力していくことになるだろうと述べたが、それからの1年は2018年の自民党総裁選挙に出馬するかどうかを熟考する期間に充てた。これにより、自民党内で最もリベラルな派閥である宏池会のリーダー岸田と保守派の安倍が対決することになった。最終的には、岸田は総裁選挙には出馬せず、宏池会は安倍の再選を支持すると述べたことで、支援者たちを失望させた。

しかしながら、先週、岸田の順番が最終的にやって来た。岸田は、菅義偉首相に再選を諦めるように働きかけることに成功し、9月29日の総裁選挙では人気の高かった河野太郎を破り、圧倒的な強さで首相に就任した。10月4日には正式に首相に指名され、宏池会出身の首相は1993年以来のこととなった。

岸田はひとたび安倍に対抗して総裁選挙に出馬することを考えたが、彼の指導者としての成功は主要な問題について保守的な立場を取ることでもたらされた。日本の軍事力の増強、中国に対する強硬姿勢、憲法改正についてそうであった。これらが彼の勝利に貢献した。この変化は、岸田首相が元首相安倍晋三、麻生太郎の保守的な同盟者たちを自民党執行部と内閣の重要な地位に就けることで強化されるだろう。

このような妥協を、単なるご都合主義だと片付けてしまいたくなる。しかし、岸田の成功は、冷戦終結後からの自民党の右傾化に対して、自民党の穏健派がどのように折り合いをつけてきたかを物語っているのである。

冷戦期間中、自民党は、反共産主義(anti-communism)を中心とした党であり、分裂していた。自民党は2つのグループの事実上の停戦状態の産物であった。1つ目のグループは、いわゆる平和憲法を発布し、米国との不平等な安全保障同盟を受け入れ、ささやかな再軍備を支持した戦後の支配的な吉田茂首相の追随者たちであった。2つ目のグループは、吉田派に対する右派の批判者たちであった。その中には安倍晋三の祖父岸信介も含まれていた。岸は日本の再軍備を望み、より自律的な外交政策を追求した。

これら2つのグループに、後に田中角栄首相が糾合した3つ目のグループが加わった。このグループは、日本の経済的奇跡の果実を開発が進んでいない地方に再分配することに注力した。これらのグループは、時折は休戦をしながら激しく争った。

1990年代初頭で、こうした不安定な平和は崩れた。反共産主義はこれらのグループを結び付けるのりの役割を果たせなくなってしまった。政府高官や大物議員たちの汚職スキャンダルや「失われた10年」と呼ばれる経済停滞の始まりにより、党の信用は失墜し、自民党内からも改革を求める声が出てきた。その結果、自民党は分裂し、1993年には自民党の分派と伝統的な左翼野党を含む連立政権に一時的に敗北してしまった。

この混乱をきっかけとして、自民党右派が自民党の主導権の掌握を目指した。冷戦時代に「反主流派(anti-mainstream)」と呼ばれていた右派は、1990年代に登場した新進気鋭の政治家を中心に、日本を強くするための施策や国威発揚などを訴えて力を蓄えていった。

自民党右派は世紀を変わり目で優位を得た。それ以降、自民党右派は自民党を支配してきた。その締めくくりとして、安倍晋三は2012年から2020年まで首相を務め、「史上最長記録を残した。ひとたびは主流派から疎外された右派は主流派となった。そして、穏健派とリベラル派のライヴァルたちが反主流派となった。自民党内で何とか生き残っている状態になった。

岸田のキャリアは、彼が生まれ育った自民党内のリベラル派の長期的な衰退と完全に一致している。岸田は1957年に東京に生まれた。岸田家は広島で長い歴史を誇る一族だ。岸田文雄は岸田文武の長男として生まれた。岸田文武は強力な通商産業省の官僚だった。広島という土地は岸田の政治的アイデンティティにとって極めて重要だ。広島は日本の反軍国主義のシンボル的な拠点であるだけではなく、自民党のリベラル志向の中心地でもある。自民党リベラル派の派閥宏池会の創設者池田勇人は広島県の出身だった。

池田は1960年に首相に就任した。岸信介がアメリカとの新しい安全保障条約締結に邁進し、結果として激しい抗議活動が起き、彼の政権は崩壊した。その後を受けたのが池田だ。池田は、「寛容と忍耐(tolerance and patience)」 の政治を追求し、広範な経済成長に集中することで反応した。これらが池田率いる派閥宏池会の基盤の諸原理となった。

岸田家が自民党リベラル派の伝統に引き寄せられたのは、岸田文雄の父文武が官僚を辞めて政界に転じた1978年のことだった。文武は国会議員になるために広島から立候補した。彼は宏池会のメンバーだった。その他の経験も岸田の、公正さ、公平、平和を強調するリベラリズムへの傾倒を促すことになった。岸田文雄は、父文武が1960年代半ばにアメリカに派遣されたので、彼もアメリカに渡り、ニューヨーク市の公立小学校に入学して人種差別を経験した。父文武が1992年に死去し、岸田文雄は、父の出身地と所属派閥から、選挙に出馬し、宏池会に所属することは当然の成り行きであった。

1993年に岸田は衆議院議員に初当選したが、これは宮澤喜一政権の終焉と共に起きた。宮澤喜一は岸田にとって父方の親戚にあたる。そして、宮沢は岸田が首相になるまで、宏池会出身の最後の首相となった。

その間の数十年間、派閥は何度も衰退し、分裂した。その中には、2000年に、宏池会の指導者が不人気な右派の首相である森喜朗を追い落とそうとしたが、失敗に終わったことも含まれている。岸田は若手代議士としてこの反乱を支持した。派閥が崩壊し、指導者が影響力を失うのを目の当たりにして、右翼の台頭に直接立ち向かうことが不幸な結果を招くことを学んだ。

その代わりに、岸田はスポットライトから外れて経験と専門性を静かに獲得した。一方、岸田と同期当選の安倍は自民党の最高権力レヴェルを争った。岸田は自民党内の下級の職務を経て、2007年の第一次安倍政権の末期に初入閣を果たした。その間に、リベラル派の議員たちと一緒に分裂した宏池会の再結集に取り組んだ。

この期間中、岸田は、保守右派が支配する自民党の中で、リベラル派が果たすべき役割を明確にしようとしていた。岸田にとって、自民党内のリベラリズムは根本的に政治スタイルについてのもので、政策についてではなかった。岸田は彼自身の派閥宏池会の歴史を踏まえた上で、どのような役割を果たすことができるかというビジョンを示している。

第一に、岸田は、自分の政治上の先輩たちが何よりもリアリストであったと主張した。岸田は2015年の国会討論の中で、次のように述べた。「このグループの人々の特性の一つは、戦後政治の中で、特定のイデオロギーや主義主張にとらわれず、極めて現実的に物事を考え、リアリズムに基づいて政策を立案したことだ」。宏池会が主張してきた軽武装の日本が米国と同盟を結び、軍事力よりも経済成長への投資を優先させるという政策は、特定の状況への対応であり、永遠の真実ではないということだ。適切な政策は時間の経過とともに変化し、変化すべきだということになる。

第二に、岸田は、自民党のリベラル派はバランスを取る勢力となるべきだと主張した。例えば、2005年に彼の支持者に宛てた新年の書簡の中で、岸田は「強力な指導力、アメリカ中心の外交、そしてタカ派を新たに協調していること」といった自民党右派の政策だと言及している。しかし、「それぞれの意義を否定するものではないが、バランスが大切だと考えている」と注意を促している。岸田は、自民党保守派が政治的な現実を見失わないようにするためには、自民党リベラル派が必要だと考えていた。

最後に、岸田によると、日本の指導者たちは謙虚に行動しなければならないということだ。自分たちの権力を濫用しないように気を付け、考えが違う人々の考えを受け入れるべきで、一般の人々の同意を取り付けるようにしなければならない。自民党総裁選挙の選挙運動の期間中、彼は、全ては「聞くこと」に尽きると主張した。「人の話に耳を傾けることが、信頼の原点だと思う。私は他の誰よりも菊能力が持っていると考える」と語った。岸田の信念は安倍とは対照的だ。例えば、安倍首相は政策に反対されると、「なぜ自分のやり方が最も良いのか、もう一度説明しなければならない」と強調するが、それとは対照的だ。

最終的に、岸田はこれらの原則なくして日本が直面する深刻な課題を克服することはできないと考えている。岸田は2020年に次のように書いている。「私たちの未来には、想像を絶するような混乱と国家的危機が待ち受けている。そういう時代だからこそ、徹底したリアリズムとバランス感覚が強く求められる。それには、国民の協力が不可欠だ。そして、政治への信頼を回復することなしに、国民に協力を求めることはできない」。

岸田にとって、これらの信念は、自民党右派と争うのではなく、右派と協力する方法を見つけることを正当化するものだった。しかし、安倍政権の外務大臣として政権内に穏健さをもたらしたことと、岸田自身が首相になることには、まったく別の課題がある。強固な保守派が率いる政権内における釣り合いを取るリベラル派という立場ではなくなり、岸田は今でも右派が支配している自民党の穏健派の顔となっている。

これによって、岸田の持つ諸原理が試されることになる。彼は、謙虚な政治スタイルへの志向と、保守派の同盟者たちからの要求との間で板挟みになる可能性がある。国防費、憲法改正、中台関係のバランスなど、いずれにしても、国民や自民党右派を政権から遠ざける可能性のある重大な決断を迫られることになるだろう。その時、自民党リベラル派が冷戦時代の名残なのか、それとも激動の未来に向けて日本を導く重要な役割を担っているのかを、岸田は示すことになるだろう。

※トバイアス・ハリスはセンター・フォ・アメリカン・プログレス上級研究員。『因襲破壊者-安倍晋三と新しい日本(The Iconoclast: Shinzo Abe and the New Japan)』の著者。

(貼り付け終わり)

(終わり)
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ビッグテック5社を解体せよ

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 悪魔のサイバー戦争をバイデン政権が始める

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ダニエル・シュルマン
講談社
2015-11-25



アメリカ政治の秘密
古村 治彦
PHP研究所
2012-05-12



 

 古村治彦です。

 

 今回は最近、インターネット上で見つけた2つの新聞記事を皆様にご紹介したいと思います。1つ目の西日本新聞の記事は秀逸な内容です。評価の高い学術的な研究の結果を用いて、落ち着いた筆致で、岸信介元首相(安倍晋三首相の祖父)がいかにして、ファシスト・A級戦犯からデモクラシーと資本主義の擁護者としてアメリカに「飼いならされ(tamed)」て、「傘下に収められ(cultivated)」ていったかを書いています。このような記事は全国紙で掲載されることはないでしょう。東京新聞(中日新聞)や西日本新聞など、いわゆる地方ブロック紙や地方紙が現在のこうした状況に抵抗して頑張っています。戦前、戦中で言えば信濃毎日新聞の桐生悠々や毎日新聞の新名丈夫を思い出します。

 

 記事の中に出てくる東京国際大名誉教授の原彬久の「独立のために従属」という発言が、属国である日本の悲哀を端的に表現しています。

 

 さて、岸信介の孫である安倍晋三が現在の日本の首相ですが、現状は「独立のための従属」なのか「従属のための更なる従属」なのか、分からないことになっています。岸信介が行った日米安全保障条約の改定後、日本は「独立」を勝ち取ったと言えるでしょうか。確かに日本は独立国です、形の上では。しかし、その実態はどうでしょう。もはや「従属のための更なる従属」という状況だと私は考えます。

 

 在日米軍のリラックスのための「遊興費」を含む「思いやり予算(Host Nation’s Support)」は年間1900億円になります。日本側はこれを少しでも減らしたいとして交渉していますが、アメリカ側がこんなおいしい話を「分かりました」と言って受け入れてくれる訳がありません。そもそもが米軍が地上戦で「奪い取った」沖縄は彼ら、特に米海兵隊にしてみれば「戦利品」です。そして、日本全体がアメリカの「戦利品」なのです。

 

 先月、安保法制が成立しました。これによってお金だけでなく、自衛隊もアメリカに「貢がれる」ことになりました。「従属のための更なる従属」という状況はこれからも続いていきます。

 

(新聞記事転載貼り付けはじめ)

 

●「「岸信介を傘下に納めた」日米双方の思惑が築いた蜜月関係」

 

西日本新聞 1012()830分配信

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20151012-00010001-nishinp-pol&p=1

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20151012-00010001-nishinp-pol&p=2

 

 憲法改正を目指し、対米自立を望んだ岸信介元首相は、首相に就任する前から米国の冷戦戦略に取り込まれていた―。そんな認識を示す文書を、日米外交に深く携わった元米国務次官補が残していた。孫の安倍晋三首相の政治姿勢にも強い影響を与えた岸氏だが、背景を探ると、もう一つの顔が浮かび上がった。

 

 文書はワシントン近郊のジョージタウン大図書館にあった。戦前戦後に在日米大使館で勤務し、1960年の日米安保条約改定時には極東担当の国務次官補を務めたグラハム・パーソンズ氏の文書コレクション。パーソンズ氏は、退官後の80年代前半に書いたとみられる未刊行の自伝で、岸氏に関してこう語っていた。

 

 「戦犯(容疑者)だった岸氏は50年代半ば、大使館のわれわれによって傘下に納まった。その後、(自民)党総裁になり、信頼に足る忠実な協力者となった」(「傘下に納まった」の原文は「cultivate」。和訳は文書を見つけたオーストラリア国立大のテッサ・モーリス・スズキ教授と吉見俊哉東大大学院教授の共著「天皇とアメリカ」=2010年刊から)

 

 63年の同僚宛ての手紙にも「われわれは54年、岸を傘下に納めた」。そこには有望な政治家と見なす岸氏を取り込んだ、との視点が鮮明にうかがえる。

 

 55年の保守合同で自民党が誕生する直前の混乱期。保守派リーダーの一人だった岸氏は、米国とどうつながっていたのだろうか。

 

 保守合同前夜の195579日午後、東京の在日米大使館。当時の民主党幹事長だった岸信介元首相は、大使館のジョージ・モーガン参事官に招かれた。「キングサイズのスコッチ・アンド・ソーダ」を片手に約3時間半。モーガン氏の質問に冗舌に答える岸氏の姿があった。

 

 膨大な米公文書の調査などを基に戦後の日米関係を米国側の視点で描いた「『日米関係』とは何だったのか」の著者、米アリゾナ大のマイケル・シャラー教授(68)が90年代に見つけた大使館から本国への報告文書には、その時の様子が詳しく記録されている。

 民主、自由両党の合同はまだ時期が公になっていなかった。民主党を主導する岸氏は、合同が11月ごろになるとの見通し、新党首選びの状況、憲法改正や積極的な反共外交政策の採用、再軍備促進といった新党の政策などについて情報を「提供」(シャラー氏)。社会党の動向に関する推察も伝えた。いずれも米国側が欲していたとみられる。

 

岸氏こそ米国の政策に合致

 

 岸氏は戦前、在日米大使だったジョセフ・グルー元国務次官とじっこんだった。同氏が日本で立ち上げたロビー団体の米誌東京支局長は、民主党幹事長時代の岸氏の英会話の家庭教師。支局長らは米政府に日本の政治状況などを報告、岸氏を売り込んでいたという。

 

 50年代、反共のとりでとして日本に安定した保守政権の誕生を望む米国の思惑をよそに、5412月に退陣した吉田茂首相の後を継ぐ鳩山一郎、石橋湛山両氏はそれぞれソ連との国交回復、日中関係改善を志向。もともと反共・反ソで保守合同の強力な推進者、岸氏こそ米国の対日政策に合致する政治家だった。ロビー団体の人脈などを通じて、米国は岸氏をさらに「磨いた」とシャラー氏は語る。

 

 シャラー氏によると、50年代半ば、在日米大使館員が岸氏と会ったり、酒を飲みに行ったりしたとの記述も文書に散見された。岸氏がモーガン氏と会った当時の首席公使が、岸氏を「傘下に納めた」と記したグラハム・パーソンズ氏。大使館と岸氏とは深い結びつきができていたとみられる。

 

蜜月関係が権力へ導いた

 

 シャラー氏は「岸氏は米国に取り込まれたというより、むしろ積極的に取り入ろうとしていたと私は考える」。日米安保条約の不平等性の解消を目指した岸氏だが、「米国の信頼を得なければ、それは成し遂げられないし、信頼されれば国内での自身の政治力も増すという計算もあっただろう」とみる。

 

 55年、鳩山政権からの条約改定申し入れを一蹴した米国は、57年の岸政権からの交渉提起には応じ、60年に改定は実現した。

 

 一方でシャラー氏は、岸氏が首相就任後、米中央情報局(CIA)と秘密の資金提供の関係を結んだと著書で明記した。「権力の座に駆け上がる過程で米国と築いた濃密な関係が、資金提供の土壌になったのもまた事実だ」と指摘した。

 

岸氏の戦略「独立のために従属」

 

▼「岸信介証言録」などの著書がある原彬久・東京国際大名誉教授

 「cultivate」の意味について、私は「米国は自分たちの望む方向に動くように岸氏を取り込んだ」というニュアンスに受け取った。米国は岸氏を利用しようとしていた。彼らは岸氏を高く評価していたが、利害関係とは別のところで尊敬したり評価したりはしない。そんな生やさしい世界ではない。一方、岸氏も国内外の共産勢力と戦うため、米国を利用しようとしていた。だから米国の信頼を得るために情報を提供することもあろう。政治家として熟察し、いろんな計算の下で動いていたといえる。

 

 CIAから資金提供を受けることは道義的に問題ありだが、当時は革新勢力も旧ソ連から資金援助を受けていた。強力な保守政権を築き米国から何とかして自立したい、選挙で革新勢力に負けたくない、との思いから岸氏はきわどい政治判断をしたのではないか。

 

 逆説的な言い方だが、米国から独立するために従属する―というのが、皮肉にも岸氏の対米戦略だったと考える。

 

=====

 

●「「思いやり予算」の改定交渉、3回目も日米の溝埋まらず」

 

ロイター 2015/10/12 16:43 ロイター

http://newsbiz.yahoo.co.jp/detail?a=20151012-00000011-biz_reut-nb

 

[東京 12日 ロイター] - 在日米軍駐留経費の日本側負担、いわゆる「思いやり予算」の改定をめぐる日米交渉は、前週に開いた3回目の協議でも溝が埋まらなかった。不均衡とされてきた日米同盟間の軍事負担が、安全保障法制の成立で是正されるとの立場を取る日本は減額を求めているが、「リバランス(再均衡)」でアジアへの戦力集中を目指している米国との見解に距離があり、調整は難航している。 

 

5年に1度見直しが行われる同予算は、根拠となる特別協定が来年3月に改定期限を迎える。日米は今夏から見直し交渉を開始し、10月5日の週までに3回の協議を開いた。日本が来年度予算案を編成する12月末までに合意する必要があるが、日本の政府関係者は「全く折り合っていない」と話す。

 

日本が減額を求め、米国が反対する構図は5年前と同じだが、今回は今年4月の日米防衛協力の指針(ガイドライン)改定で自衛隊の役割が拡大。9月の安全保障法制成立でその実効性が担保された点が異なる。日本の領域外で米軍が攻撃を受けた場合も自衛隊が防護や反撃ができるようになるほか、米軍に対する自衛隊の後方支援が地理的範囲、内容ともに広がる。

 

1960年に改定された日米安全保障条約は、5条で米国による日本の防衛義務を、6条で日本による基地の提供を定め、米国では片務的な同盟とみなす声が根強い。「米国が持っていた日本に対する不満が解消するレベルに近づく」と、別の日本の政府関係者は言う。「(思いやり予算の)改定協議につなげたい」と、同関係者は減額に期待を示す。

 

思いやり予算は年間およそ1900億円にのぼる。本来は米側が支払うべき在日基地で働く日本人従業員の給与の一部を、円高進行や日本の物価上昇、米財政の悪化を受け、1978年から日本が負担するようになったのが始まり。

 

現在は特別協定に基づく従業員の基本給、米軍の訓練移転費、光熱費に加え、協定外の従業員の福利費、施設整備費も日本が払っている。前回の改定では協定内の負担は減額されたが、その分が協定外で積み増され、全体として現状維持となった。

 

日本は今回、レストランやバーなど基地内の娯楽施設で働く従業員約5000人の給与負担を中心に減らし、整備費も抑えたい考え。

 

一方、世界的に国防費を削減する中で、アジアへのリバランスを進める米国は、イージス艦など日本に配備する装備を増やそうとしている。装備が増加すれば駐留費は膨らみ、米国は日本側が労務費を負担する従業員の上限数を引き上げたり、施設整備費の上積みなどを求めているもようだ。「互いに高い球を投げ合っている」と、日本の政府関係者は言う。

 

米軍駐留経費を含む日本の防衛予算5兆円は、新型輸送機オスプレイや次期戦闘機F35、無人偵察機グローバルホークといった武器の高額化で年々ひっ迫している。沖縄県の米軍普天間飛行場の辺野古移設工事が本格的に進めば、米軍再編関係費が現在の約1500億円から倍増するとの声もある。「交渉は厳しいだろうが、日本から折れるわけにはいかない」と、別の政府関係者は話している。

 

(梅川崇、久保信博 編集:田巻一彦)

 

(新聞記事転載貼り付け終わり)

 

(終わり)





野望の中国近現代史
オーヴィル・シェル
ビジネス社
2014-05-23




 

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ダニエル・シュルマン
講談社
2015-09-09



アメリカ政治の秘密
古村 治彦
PHP研究所
2012-05-12



 

 古村治彦です。

 

 今回は、日本の「満洲国化」について書きます。私は「1945年以降の日本は1930年代に中国東北部に存在した、傀儡国家・満洲国(Manchukuo)と同じだ」と主張したいと思います。1945年以降の日本がアメリカの属国であることは既に多くの方々が気付いておられることでしょう。そして、それは戦争に負けたのだししょうがないことだと思っておられることでしょう。ですから、日本が作り上げた傀儡国家・満洲国が現在アメリカの属国になっている日本と同じだというのは当然のことです。

 

 私は今年に入って満洲国、南満州鉄道(満鉄、South Manchuria Railway)についての本を読んできました。自分でも理由ははっきりしなかったのですが、満州と満鉄の本を読みたい、読まなければいけないと思ってきました。草柳大臓『実録満鉄調査部』(朝日新聞社、1979年)、小林英夫『満鉄調査部―「元祖シンクタンク」の誕生と崩壊』(平凡社新書、2005年)、『満洲と自民党』(新潮新書、2005年)、『〈満洲〉の歴史』(講談社現代新書、2008年)、山室信一『増補版 キメラ 満洲国の肖像』(中公新書、2004年)、中田整一『満州国皇帝の秘録 ラストエンペラーと「厳秘会見録」の謎』(文春文庫、2005年)などを読んできました。

 

 私はこうした本を読みながら、現在の日本と満洲国(後に満洲帝国)にはいくつかの共通点があることに気付きました。それは3点あって、①在日米軍と関東軍の存在、②実権は官僚、しかも次官級が握っていたこと、そして③憲法が軽視(ないがしろに)されていたこと、です。それぞれについて書いていきます。

 

 満洲国は1932年に成立しました。1931年に関東軍の石原莞爾や板垣征四郎らが柳条湖事件を起こし、満州事変が勃発し、満州全土は瞬く間に関東軍によって占領されました。石原莞爾は満洲の日本領有を考えていたようですが、関東軍は東北行政委員会を作らせ、満州地方の各省を中華民国から独立させ、満洲国を成立させました。この時は帝国ではなく、清朝最後の皇帝である愛新覚羅溥儀は執政の地位に就き、1934年には帝政となり、大満洲帝国となりました。そして、1945年の日本の敗戦まで存続することになりました。

 

 成立の経緯から分かるように、満洲国を作り上げたのは、元々南満州鉄道とその付属地の警備のために置かれていた関東軍(Kandong Army)です。ですから、満洲国になってもその実権は関東軍に握られていました。関東軍司令官が駐満州国(満洲帝国)日本大使となり、皇帝(執政)に月に数回拝謁していたそうです。この時、関東軍は溥儀をうまくコントロールしようとしたようです。中田整一の本を読むと、溥儀が卑屈なまでに関東軍に迎合していたことがよく分かります。関東軍のこうした優越した力と満洲国に対する介入は「内面指導」と呼ばれました。

 

 満洲の地について、日本政府と日本の軍部は「日本の生命線」であり、日露戦争で「十万の英霊 二十億の国帑」を使って手に入れた土地であり、日本の特殊権益が最優先されるべき土地なのだ、という意識を持っていました。この意識は、実は在日米軍にもあって、特に沖縄は激しい地上戦で勝ち取った土地であるという意識があるそうです。日本全土に対しても恐らくそうでしょう。その結果が差別的な地位協定です。関東軍も同じで、日満議定書で関東軍の優越的な地位が認められていました。更には、関東軍は満洲の国防にあたり、その経費は満洲国が出すということも秘密協定で取り決められていました。これは、現在の日本の在日米軍に対する思いやり予算とよく似ています。

 

 満洲国の政治機構は行政機関として国務院が置かれました。その責任者は国務院総理で、溥儀の側近が就任しました。しかし、実権は国務院の中にある総務庁が一手に握りました。また、各国務機関の長は日本人以外が就任しても実際に運営する次官級には日本の高級官僚たちが日本から呼ばれるようになりました。関東軍には行政経験などない訳ですし、産業政策などもない訳ですから、各省庁に頼ることになりました。そして、各省庁は若手の実力者たちを派遣しました。大蔵省からは星野直樹、商工省からは岸信介が招聘されました。星野直樹は総務長官、岸信介は総務庁次長としてコンビを組み、満州の産業化(満州重工業・満重の設立)を行いました。また、各機関の次官級である日本人官僚たちが実権を握り、彼らの会議で全てを決定していました。

 

 こうした状況は戦後日本で見られました。事務次官会議で全てを決定し、高級官僚が政策を決定し、実行するものです。これを英語ではStrong State Modelと言い、チャルマーズ・ジョンソン教授の『通産省と日本の奇跡』で主張されたものです。正式な地位が低いはずの官僚たちが全てを決定するモデルは満洲国で既に実験済みだったのです。

 

 最後に、憲法についてですが、満洲国には憲法がありませんでした。大日本帝国憲法に倣った組織法というものがありましたが、実権は関東軍と日本からの高級官僚たちが握っていました。ですから、やりたい放題でした。山室信一の本に少しだけ書かれていた満洲国の実態は、「五族協和」「王道楽土」のスローガン、イデオロギーの理想の下で、実際には現在の北朝鮮のような密告制度があり、保甲制度と呼ばれる住民たちの相互監視制度が作られていました。住民たちは土地を強制的に安値で買い叩かれ、路頭に迷う人々が続出しました。この買い叩かれた土地は日本からの移民団に与えられました。憲法は国家を縛るためのものでしたが、縛られるべき対象である満洲国は傀儡で、実権は関東軍と日本からの高級官僚たちに握られ、彼らを止めるものは何もありませんでした。

 

 現在の日本はと言えば、2015年7月16日に憲法上は禁止されている集団自衛権の行使を明確にするための安保法制が衆議院で自民党、公明党の賛成多数で可決しました。反対する野党側は採決を欠席しました。この調子で行けば参議院でも可決され、意見の可能性が高い法律が誕生することになります。最高裁判所は酷夏の候下立法措置に対して、違憲立法審査権を有して牽制することになっていますが、それも実態は骨抜きにされています。憲法を守るべき義務を負う「公務」員たる政治家が違憲の立法を行いました。それも宗主国アメリカの意向を受けて、です。この憲法よりも上位に来る、憲法の縛りを受けない存在が政治に介入しているという点で、満洲国と現在の日本は同じです。

 

 満洲国の実権を握った人々は、総称して「弐キ参スケ」と呼ばれました。星野直樹(大蔵官僚、満洲国国務院総務長官、東条内閣書記官長、企画院総裁)、東条英機(関東軍参謀長から後に陸軍大臣、総理大臣、参謀総長)、鮎川義介(日産創業者)、松岡洋右(満鉄総裁、近衛内閣外相)、岸信介(商工次官、東条内閣国務相、首相)といった人々です。松岡と岸は叔父と甥の関係ですし、鮎川とも遠戚です。彼らは満洲国を作り上げました。そして、岸信介は戦後日本では首相となりました。そして、アメリカ(ジョン・フォスター・ダレス国務長官と国務省)の意向を受けて、再軍備と自衛隊増強を進めました。しかし、その実態は日本の満洲国化でしかありませんでした。

 

 そして、本日、岸の影響をたっぷりと受けた、孫の安倍晋三が日本の満洲国化のレヴェルを一段引き上げました。満洲国は「日満一体」「一徳一心」を掲げました。そして、戦前の日本と共に滅亡しました。いまやアメリカについて行くしかできない指導者たちの下、今の日本が満洲国と同じ運命を辿るのではないかと私は考えています。

 

(終わり)





メルトダウン 金融溶解
トーマス・ウッズ
成甲書房
2009-07-31







 

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