古村治彦です。
昨年10月の第20回中国共産党大会で、習近平が、江沢民、胡錦涛と続いた「2期10年」ルールを超えて、3期目の政権担当を確実にし、新しい執行部(中央政治局常務委員、中央政治局員)が発表された。このブログで何度も述べているが、習近平独裁は戦争準備態勢ということになる。
西洋諸国、特にアメリカでは中国脅威論が幅を利かせている。このブログでも紹介したが、「中国をこんなにしたのは、中国のような妖怪を生み出したのは、ヘンリー・キッシンジャーだ」という非難が出ている。そして、中国を抑え込まねばアメリカが追い落とされるという恐怖心から、中国脅威論が出てくる。更には「米中もし戦えば」という考えも出てくる。米中戦争の可能性は今のところ低い。しかし、中国脅威論からすれば「中国が台湾に軍事侵攻することで米中戦争が勃発する」ということになる。台湾の一部からは「アメリカはあまり危機を煽らないようにして欲しい」という声が出ている。
中国脅威論の多くは、中国に対しては「習近平の独裁政権はもたない」という主張しており、アメリカに対しては「対中強硬姿勢を取らねばならないがその準備ができていない」というものだ。アメリカは世界最大の経済大国にして、世界最強の軍事大国だ。世界唯一の覇権超大国であるが、中国を脅威に感じているというのは、アメリカ自体の衰退をアメリカ社会全体が深刻に認識しているからだ。製造業一つをとってもアメリカの衰退は著しい。戦争は物量の勝負という面があるが、アメリカはウクライナへの支援やオーストラリアへの原潜提供に関して、能力不足を指摘されている。簡単に言えば、思い通りに物を作ることができないのだ。そのような中で、中国と本気でぶつかって勝つことは難しい。
「対中強硬姿勢を西側諸国が一致結束して取るべきだ」という主張もある。欧米諸国は中国との経済依存関係を深めている。そうした中でどうして強硬姿勢を取って無傷でいられることができるだろうか。
西側諸国はまず自国の衰退にどう向き合うかということを考えるべきだ。人口減少は先進国としての宿命として仕方がないが、経済停滞や国内の格差の拡大など国内に多く抱える諸問題に対処すべきだ。国内の問題から目を背けさせたい政府の常套手段が国外の脅威を煽動することだというのは歴史が証明している。私たちはまず自国のことを「第一に」考えるべきだ。アメリカの属国として国民が虐げられている現状を少しずつでも変える、「国民の生活が第一」路線が必要なことだ。
(貼り付けはじめ)
習近平の3期目は見せかけの贈り物だ(Xi’s Third Term Is a Gift
in Disguise)
-中国の指導者は見た通りのものを得ることができる。これは欧米諸国の政策立案者たちにとって朗報だ。
クレイグ・シングルトン筆
2022年10月21日
『フォーリン・ポリシー』誌
https://foreignpolicy.com/2022/10/21/xi-china-ccp-congress-third-term-biden-west-geopolitics/
今週開催されている中国共産党第20回党大会で、習近平が中国共産党のトップとして3期目を迎えることは誰もが予想した通りである。習近平の政治的勝利は、数年ではなく数カ月かけて実現したものであり、中国の指導者は連続2期(1期5年)までとされてきた数十年にわたる党の前例を覆すものだ。しかし、習近平はそのルールを破ることで、アメリカとその同盟諸国にとって、中国の進むべき道から推測(guesswork)を外すという好材料をもたらした。
習近平の任期が正式に延長されたことで、中国の現在の政策方針、すなわち政治的多元主義(political
pluralism)や自由市場原理(free market forces)を臆面もなく敵視する方針が固定化された。実際、ここ数年、習近平は、中国経済と14億の国民に対する一党支配国家(party-state)の影響力を深めるだけでなく、その影響力を中国の国境をはるかに越えて拡大したいという願望を、しばしば耐え難いほど詳細に説明してきた。地政学的なライヴァルが、これほど明確に自分の計画を電報で伝えたことは珍しい。しかし、西側諸国は、ジョー・バイデン米大統領が先週述べたように、中国との競争における来るべき「決定的な10年(decisive decade)」に対する備えをまったくしていないままだ。
政策立案者たちはまだ気づいていないかもしれないが、習近平が権力を維持することで得られる比較的な確実さは実は偽装された贈り物(gift in disguise)なのである。習近平が政権を奪取したことで、習近平は自分の主張を繰り返し、中国の将来についてのおなじみのヴィジョンを蒸し返す傾向があるなど見た通りのことが起こる。実際、今日の大国の皮肉は、習近平が地政学的な変化に対応するための新しいアイディアを持たず、新型コロナウイルス感染拡大以前の時代に策定された政策における処方箋に固執しているように見える一方で、西側諸国は中国に効果的に対抗するためのあらゆる競合するアイディアに溢れているように見えることだ。
だからこそ、西側諸国では中国政策が惰性で終わりが見えない中で続いているように見え、明確な最終目標を定めた統一的な枠組みが存在しないこの時期を早く終わらせる必要がある。
冷戦の終焉とともに、クレムリン研究学(Kremlinology)、すなわちモスクワの政治的内幕(Moscow’s inner political workings)を研究する学問は、ほとんど流行らなくなった。しかし、2月のロシアのウクライナ侵攻を機に再び流行り始めた。しかし、チャイナウォッチャーたちにとって、このような隠された意味を読み解く作業は、特に指導者の交代劇の後では、常に主要な課題であった。ソ連では指導者の死後にトップが交代することが多かったが、中国では四半世紀以上にわたり、時計仕掛けのように交代が繰り返されてきた。そのため、欧米諸国の学者たちは、新世代の政治哲学を明らかにするために演説や機関誌の論評に何年も費やし、その結果、中国がどのような道を歩むのかが見えてきた。
習近平の戴冠式(coronation)は、台湾「再統一(reunification)」のスケジュールという唯一のエースカードを残して、ほぼ全てのカードをテーブルの上に置いたという意味で贈り物と言える。
西側諸国政府は、新指導層の意図を研究するために時間を費やし、その結果、それぞれの中国政策の立案、修正、実行が犠牲になることがしばしばあった。一方、中国の指導者たちは、西側諸国が中国を神秘的に扱うことを最大限に利用し、その時間を使って、最初は党のエリートたちの間で、その後は外部の人間に対してのみ、選択的に政策課題を成文化した。しかし、より重要なのは、中国の指導者たちがこうした漠然とした間隙を利用して、中国の立場や修正主義的な目的を損なう可能性のある欧米諸国や他の競争相手の行動を形成し、場合によっては無力化することを目的とした措置を講じたことである。
新指導者たちに対する欧米の不確実さがいかに北京に利益をもたらしたかは、前回の中国指導者交代劇を見れば一目瞭然であろう。2011年、中国の胡錦濤前国家主席の最後の数カ月間、中国は日本を抜いて世界第2位の経済大国となった。中国の急速な台頭は、中国に参入しようとする外国企業に対して不利な条件を科しながらも、北京が世界市場との接続性からいかに利益を得ているかという深刻な疑問を西側諸国に抱かせた。西側諸国の懸念を払拭し、必要な時間を稼ぐ責任は、1期目の習近平にあった。そのため、習近平は2013年の3中全会(the party’s Third Plenum)の演説で、資源と資本の配分を決定する上で国家ではなく市場の役割を強化するなど、相当数の「決定的な」経済改革をほのめかした。習近平の自由化路線は少なくとも対外的には西側諸国を意識したものであった。
この習近平の言葉に対する国際的な反応、特に世界経済危機に揺れる金融市場からの反応は、圧倒的に肯定的なものだった。習近平を「大胆(bold)」と称賛し、「中国の改革者だった鄧小平の再来(the second
coming of Chinese reformer Deng Xiaoping)」と評する人もいた。バラク・オバマ政権は、「経済成長(economic growth)」など「地域と世界が共有する課題(shared
regional and global challenges)」での北京との協力を主張したが、中国の市場悪用(market
abuse)を抑制するための本格的な措置は避けた。欧米諸国の企業や資本は中国に殺到し、様々なステークホルダーが自国政府に北京との対立を避けるよう圧力をかけた。しかし、習近平はその後の10年間で、自由主義的な経済統治の痕跡を徹底的に、組織的に解体してしまった。その代わりに、習近平は商業部門における党の組織統合を進め、業界規制と政治支配を剣と盾のように使い分けた。
習近平は党の統制を強化し、潜在的な競争相手を排除する一方で、他の様々な問題についても同様のアプローチをと取ってきたが、それは常に北京にとって有益な方法であった。例えば、習近平がグローバル・ガバナンスや基準設定に関心を持ち始めたのは、当初、「より公正で公平な(more just and fair)」世界秩序に貢献したいという表向きの願いが前提となっていた。同様に、習近平が最近発表した「グローバル・セキュリティ・イニシアティブ」は、中国の安全保障モデルが戦争を回避し、国際平和を確保するための世界の最良の希望であるとしていた。このようなメッセージは、中国のやり方は人類に「新しい選択(new choice)」を提供するという党大会での習近平のレトリックと一致している。
しかし、中国の野心が少なくとも外見的には曖昧に見えた過去とは異なり、世界の物語、価値、規範を設定し形成することへの中国の関心が人類の改善のためでないことは今や極めて明白となっている。むしろ、北京の言論戦略は、中国の総合的な国力を強化し、更に重要なことに、国内外での一党支配国家の権力を正当化することを露骨に求めている。
習近平の戴冠式が贈り物であり、この瞬間が他の政権交代と異なるのは、習近平がほぼ全てのカードを事実上テーブルの上に置いたこと、そして台湾「再統一」スケジュールという唯一のエースをまだ隠し持っていることであろう。毛沢東以来の党主席(party chairman)の座につくかどうかはともかく、今年の党大会は、習近平が既に名実ともにその権力を手中に収めていることを明確に示している。政治的自由化と市場改革を受け入れ、中国の一般的なアメリカに対する敵意(hostility toward the United States)を和らげることによって、過去10年間かけて築いたものを焼き払うリスクは、ますます強固になった習近平にはないだろう。その代わりに、多くの独裁者と同様に、習近平は、中国経済と人々が彼の自滅的な政策から最も苦しむことになることを覚悟の上で、増加させるつもりである。
しかし、習近平やその前任者たちは、政権交代後のハネムーン期間中に、静かに野心的な計画を練ることができたが、今回はそのような猶予期間を持つ必要はないだろう、欧米諸国が中国問題で空回りを続けない限りは。
率直に言って、アメリカとその同盟諸国は、特に第二次世界大戦直後には、ソ連の脅威と折り合いをつけるのに苦労した。バイデン政権が最近発表した「国家安全保障戦略(National Security Strategy)」に象徴されるように、中国をめぐる現在の議論は、不必要に繰り返される危険性がある。欧米諸国の指導者や政策立案者たちは、北京との競争を手段ではなく目的と勘違いしており、中国に対して欧米諸国が望む最終状態を定義するという困難な作業を避けている。更に言えば、ワシントンの現在のアプローチは、来るべき多極化(multipolar moment)の可能性や、そのような秩序がもたらすあらゆる負担分散の機会ではなく、急速に衰退する単極化の時代(unipolar period)に固執している。より悪いことに、民主的か独裁的かの違いで各国を対立させる微妙なホワイトハウスの戦略は、非の打ち所のない民主政治体制国家ではないにしても、中国の好戦性(belligerence)に対するワシントンの懸念を共有し、きしみやすいルールを基にした秩序を崩壊させるのではなく、近代化すること(modernizing)に既得権(vested interest)を持つ、同じ考えを持つパートナーたちを遠ざける危険性をはらんでいる。
また、あらゆる政治的立場の政策立案者たちが、西洋諸国の核心的利益にとって最も重要な問題に優先的に取り組むよりも、中国の挑発行為(provocation)の一つひとつに対応することにあまりにも多くの時間を費やしてきた。このままでは、西側諸国は限られた資源を様々な中国の脅威という幻想に浪費し続けることになる。そして最後に、貿易のような問題についても、西側諸国は中国の地政学的影響力に匹敵するような繁栄を促進する機関があるのに、アメリカを含むあまりにも多くの国が保護主義に傾倒しているのである。
習近平が3期目を迎え、中国の政策姿勢が確実なものになることで、もう1つの贈り物が出現する。それは、習近平の大胆な行動力によって、欧米諸国はようやく中国問題を延々と研究する習慣から抜け出し、より難しい問題に取り組まなければならない、ということである。
※クレイグ・シングルトン:ファウンデイション・フォ・ディフェンス・オブ・デモクラシーズ中国担当上級部長、元米外交官。ツイッターアカウント:@CraigMSingleton
(貼り付け終わり)
(終わり)

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