古村治彦(ふるむらはるひこ)の政治情報紹介・分析ブログ

SNSI研究員・愛知大学国際問題研究所客員研究員の古村治彦(ふるむらはるひこ)のブログです。翻訳と評論の分野で活動しています。日常、考えたことを文章にして発表していきたいと思います。古村治彦の経歴などについては、お手数ですが、twitter accountかamazonの著者ページをご覧ください 連絡先は、harryfurumura@gmail.com です。twitter accountは、@Harryfurumura です。よろしくお願いします。

タグ:岸田文雄

 古村治彦です。

 昨年10月の第20回中国共産党大会で、習近平が、江沢民、胡錦涛と続いた「2期10年」ルールを超えて、3期目の政権担当を確実にし、新しい執行部(中央政治局常務委員、中央政治局員)が発表された。このブログで何度も述べているが、習近平独裁は戦争準備態勢ということになる。

 西洋諸国、特にアメリカでは中国脅威論が幅を利かせている。このブログでも紹介したが、「中国をこんなにしたのは、中国のような妖怪を生み出したのは、ヘンリー・キッシンジャーだ」という非難が出ている。そして、中国を抑え込まねばアメリカが追い落とされるという恐怖心から、中国脅威論が出てくる。更には「米中もし戦えば」という考えも出てくる。米中戦争の可能性は今のところ低い。しかし、中国脅威論からすれば「中国が台湾に軍事侵攻することで米中戦争が勃発する」ということになる。台湾の一部からは「アメリカはあまり危機を煽らないようにして欲しい」という声が出ている。

 中国脅威論の多くは、中国に対しては「習近平の独裁政権はもたない」という主張しており、アメリカに対しては「対中強硬姿勢を取らねばならないがその準備ができていない」というものだ。アメリカは世界最大の経済大国にして、世界最強の軍事大国だ。世界唯一の覇権超大国であるが、中国を脅威に感じているというのは、アメリカ自体の衰退をアメリカ社会全体が深刻に認識しているからだ。製造業一つをとってもアメリカの衰退は著しい。戦争は物量の勝負という面があるが、アメリカはウクライナへの支援やオーストラリアへの原潜提供に関して、能力不足を指摘されている。簡単に言えば、思い通りに物を作ることができないのだ。そのような中で、中国と本気でぶつかって勝つことは難しい。

 「対中強硬姿勢を西側諸国が一致結束して取るべきだ」という主張もある。欧米諸国は中国との経済依存関係を深めている。そうした中でどうして強硬姿勢を取って無傷でいられることができるだろうか。

 西側諸国はまず自国の衰退にどう向き合うかということを考えるべきだ。人口減少は先進国としての宿命として仕方がないが、経済停滞や国内の格差の拡大など国内に多く抱える諸問題に対処すべきだ。国内の問題から目を背けさせたい政府の常套手段が国外の脅威を煽動することだというのは歴史が証明している。私たちはまず自国のことを「第一に」考えるべきだ。アメリカの属国として国民が虐げられている現状を少しずつでも変える、「国民の生活が第一」路線が必要なことだ。

(貼り付けはじめ)

習近平の3期目は見せかけの贈り物だ(Xi’s Third Term Is a Gift in Disguise

-中国の指導者は見た通りのものを得ることができる。これは欧米諸国の政策立案者たちにとって朗報だ。

クレイグ・シングルトン筆

2022年10月21

『フォーリン・ポリシー』誌

https://foreignpolicy.com/2022/10/21/xi-china-ccp-congress-third-term-biden-west-geopolitics/

今週開催されている中国共産党第20回党大会で、習近平が中国共産党のトップとして3期目を迎えることは誰もが予想した通りである。習近平の政治的勝利は、数年ではなく数カ月かけて実現したものであり、中国の指導者は連続2期(1期5年)までとされてきた数十年にわたる党の前例を覆すものだ。しかし、習近平はそのルールを破ることで、アメリカとその同盟諸国にとって、中国の進むべき道から推測(guesswork)を外すという好材料をもたらした。

習近平の任期が正式に延長されたことで、中国の現在の政策方針、すなわち政治的多元主義(political pluralism)や自由市場原理(free market forces)を臆面もなく敵視する方針が固定化された。実際、ここ数年、習近平は、中国経済と14億の国民に対する一党支配国家(party-state)の影響力を深めるだけでなく、その影響力を中国の国境をはるかに越えて拡大したいという願望を、しばしば耐え難いほど詳細に説明してきた。地政学的なライヴァルが、これほど明確に自分の計画を電報で伝えたことは珍しい。しかし、西側諸国は、ジョー・バイデン米大統領が先週述べたように、中国との競争における来るべき「決定的な10年(decisive decade)」に対する備えをまったくしていないままだ。

政策立案者たちはまだ気づいていないかもしれないが、習近平が権力を維持することで得られる比較的な確実さは実は偽装された贈り物(gift in disguise)なのである。習近平が政権を奪取したことで、習近平は自分の主張を繰り返し、中国の将来についてのおなじみのヴィジョンを蒸し返す傾向があるなど見た通りのことが起こる。実際、今日の大国の皮肉は、習近平が地政学的な変化に対応するための新しいアイディアを持たず、新型コロナウイルス感染拡大以前の時代に策定された政策における処方箋に固執しているように見える一方で、西側諸国は中国に効果的に対抗するためのあらゆる競合するアイディアに溢れているように見えることだ。

だからこそ、西側諸国では中国政策が惰性で終わりが見えない中で続いているように見え、明確な最終目標を定めた統一的な枠組みが存在しないこの時期を早く終わらせる必要がある。

冷戦の終焉とともに、クレムリン研究学(Kremlinology)、すなわちモスクワの政治的内幕(Moscow’s inner political workings)を研究する学問は、ほとんど流行らなくなった。しかし、2月のロシアのウクライナ侵攻を機に再び流行り始めた。しかし、チャイナウォッチャーたちにとって、このような隠された意味を読み解く作業は、特に指導者の交代劇の後では、常に主要な課題であった。ソ連では指導者の死後にトップが交代することが多かったが、中国では四半世紀以上にわたり、時計仕掛けのように交代が繰り返されてきた。そのため、欧米諸国の学者たちは、新世代の政治哲学を明らかにするために演説や機関誌の論評に何年も費やし、その結果、中国がどのような道を歩むのかが見えてきた。

習近平の戴冠式(coronation)は、台湾「再統一(reunification)」のスケジュールという唯一のエースカードを残して、ほぼ全てのカードをテーブルの上に置いたという意味で贈り物と言える。

西側諸国政府は、新指導層の意図を研究するために時間を費やし、その結果、それぞれの中国政策の立案、修正、実行が犠牲になることがしばしばあった。一方、中国の指導者たちは、西側諸国が中国を神秘的に扱うことを最大限に利用し、その時間を使って、最初は党のエリートたちの間で、その後は外部の人間に対してのみ、選択的に政策課題を成文化した。しかし、より重要なのは、中国の指導者たちがこうした漠然とした間隙を利用して、中国の立場や修正主義的な目的を損なう可能性のある欧米諸国や他の競争相手の行動を形成し、場合によっては無力化することを目的とした措置を講じたことである。

新指導者たちに対する欧米の不確実さがいかに北京に利益をもたらしたかは、前回の中国指導者交代劇を見れば一目瞭然であろう。2011年、中国の胡錦濤前国家主席の最後の数カ月間、中国は日本を抜いて世界第2位の経済大国となった。中国の急速な台頭は、中国に参入しようとする外国企業に対して不利な条件を科しながらも、北京が世界市場との接続性からいかに利益を得ているかという深刻な疑問を西側諸国に抱かせた。西側諸国の懸念を払拭し、必要な時間を稼ぐ責任は、1期目の習近平にあった。そのため、習近平は2013年の3中全会(the party’s Third Plenum)の演説で、資源と資本の配分を決定する上で国家ではなく市場の役割を強化するなど、相当数の「決定的な」経済改革をほのめかした。習近平の自由化路線は少なくとも対外的には西側諸国を意識したものであった。

この習近平の言葉に対する国際的な反応、特に世界経済危機に揺れる金融市場からの反応は、圧倒的に肯定的なものだった。習近平を「大胆(bold)」と称賛し、「中国の改革者だった鄧小平の再来(the second coming of Chinese reformer Deng Xiaoping)」と評する人もいた。バラク・オバマ政権は、「経済成長(economic growth)」など「地域と世界が共有する課題(shared regional and global challenges)」での北京との協力を主張したが、中国の市場悪用(market abuse)を抑制するための本格的な措置は避けた。欧米諸国の企業や資本は中国に殺到し、様々なステークホルダーが自国政府に北京との対立を避けるよう圧力をかけた。しかし、習近平はその後の10年間で、自由主義的な経済統治の痕跡を徹底的に、組織的に解体してしまった。その代わりに、習近平は商業部門における党の組織統合を進め、業界規制と政治支配を剣と盾のように使い分けた。

習近平は党の統制を強化し、潜在的な競争相手を排除する一方で、他の様々な問題についても同様のアプローチをと取ってきたが、それは常に北京にとって有益な方法であった。例えば、習近平がグローバル・ガバナンスや基準設定に関心を持ち始めたのは、当初、「より公正で公平な(more just and fair)」世界秩序に貢献したいという表向きの願いが前提となっていた。同様に、習近平が最近発表した「グローバル・セキュリティ・イニシアティブ」は、中国の安全保障モデルが戦争を回避し、国際平和を確保するための世界の最良の希望であるとしていた。このようなメッセージは、中国のやり方は人類に「新しい選択(new choice)」を提供するという党大会での習近平のレトリックと一致している。

しかし、中国の野心が少なくとも外見的には曖昧に見えた過去とは異なり、世界の物語、価値、規範を設定し形成することへの中国の関心が人類の改善のためでないことは今や極めて明白となっている。むしろ、北京の言論戦略は、中国の総合的な国力を強化し、更に重要なことに、国内外での一党支配国家の権力を正当化することを露骨に求めている。

習近平の戴冠式が贈り物であり、この瞬間が他の政権交代と異なるのは、習近平がほぼ全てのカードを事実上テーブルの上に置いたこと、そして台湾「再統一」スケジュールという唯一のエースをまだ隠し持っていることであろう。毛沢東以来の党主席(party chairman)の座につくかどうかはともかく、今年の党大会は、習近平が既に名実ともにその権力を手中に収めていることを明確に示している。政治的自由化と市場改革を受け入れ、中国の一般的なアメリカに対する敵意(hostility toward the United States)を和らげることによって、過去10年間かけて築いたものを焼き払うリスクは、ますます強固になった習近平にはないだろう。その代わりに、多くの独裁者と同様に、習近平は、中国経済と人々が彼の自滅的な政策から最も苦しむことになることを覚悟の上で、増加させるつもりである。

しかし、習近平やその前任者たちは、政権交代後のハネムーン期間中に、静かに野心的な計画を練ることができたが、今回はそのような猶予期間を持つ必要はないだろう、欧米諸国が中国問題で空回りを続けない限りは。

率直に言って、アメリカとその同盟諸国は、特に第二次世界大戦直後には、ソ連の脅威と折り合いをつけるのに苦労した。バイデン政権が最近発表した「国家安全保障戦略(National Security Strategy)」に象徴されるように、中国をめぐる現在の議論は、不必要に繰り返される危険性がある。欧米諸国の指導者や政策立案者たちは、北京との競争を手段ではなく目的と勘違いしており、中国に対して欧米諸国が望む最終状態を定義するという困難な作業を避けている。更に言えば、ワシントンの現在のアプローチは、来るべき多極化(multipolar moment)の可能性や、そのような秩序がもたらすあらゆる負担分散の機会ではなく、急速に衰退する単極化の時代(unipolar period)に固執している。より悪いことに、民主的か独裁的かの違いで各国を対立させる微妙なホワイトハウスの戦略は、非の打ち所のない民主政治体制国家ではないにしても、中国の好戦性(belligerence)に対するワシントンの懸念を共有し、きしみやすいルールを基にした秩序を崩壊させるのではなく、近代化すること(modernizing)に既得権(vested interest)を持つ、同じ考えを持つパートナーたちを遠ざける危険性をはらんでいる。

また、あらゆる政治的立場の政策立案者たちが、西洋諸国の核心的利益にとって最も重要な問題に優先的に取り組むよりも、中国の挑発行為(provocation)の一つひとつに対応することにあまりにも多くの時間を費やしてきた。このままでは、西側諸国は限られた資源を様々な中国の脅威という幻想に浪費し続けることになる。そして最後に、貿易のような問題についても、西側諸国は中国の地政学的影響力に匹敵するような繁栄を促進する機関があるのに、アメリカを含むあまりにも多くの国が保護主義に傾倒しているのである。

習近平が3期目を迎え、中国の政策姿勢が確実なものになることで、もう1つの贈り物が出現する。それは、習近平の大胆な行動力によって、欧米諸国はようやく中国問題を延々と研究する習慣から抜け出し、より難しい問題に取り組まなければならない、ということである。

※クレイグ・シングルトン:ファウンデイション・フォ・ディフェンス・オブ・デモクラシーズ中国担当上級部長、元米外交官。ツイッターアカウント:@CraigMSingleton

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(終わり)

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 悪魔のサイバー戦争をバイデン政権が始める
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 古村治彦です。

 「日本はアメリカ様が中国、ロシア、北朝鮮に対抗する際の礎石(cornerstone)でございますので、いかようにもお使いくださいませ」と岸田文雄首相がホワイトハウスにまで伺候して、ジョー・バイデン米大統領に尻尾を振りに行った。属国日本の奴隷頭、アメリカ様にお取次ぎをする現地人の代表が日本国首相である。バイデンにとって日本の岸田文雄首相とウクライナのヴォロディミール・ゼレンスキー大統領は共に、対中、対ロシアのための「礎石」と表向きには言うだろうが、本音を言えば「捨石(sacrificed stone)」である。バイデン大統領に「肩を抱かれて」何かを囁かれるのは、属国の奴隷頭にとっては「厚遇」ということになるようだ。

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 「中国の脅威に対抗する」というお題目を唱えながら、日本は軍拡の途を走らされることになった。世界を見てみれば、西側世界(the West)と呼ばれる、西側先進諸国が異口同音に「ロシア・中国・北朝鮮の脅威」を声高に叫ぶようになり、軍拡、軍事費増大の大義名分にしている。日本の動きもその一環でしかない。西側諸国だ、先進諸国だと威張ってみても、その実態はアメリカの属国の集まりで、奴隷たち(各国の国民)の待遇が多少違う程度のことだ。日本が最低ランクの扱われ方をしている。岸田内閣を取り仕切っている木原誠二内閣官房副長官が不良を気取る中学生のように、やさぐれてしまうのは無理のないところだ(あれで咥えタバコでもしていたらもっと良かったが)。

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 私たちは日本の現状をまずは正しく理解することだ。「日本は立派な国だ」という考えを捨てて、情勢を見てみることだ(生活レヴェルでそういう考えを持つのはまだ良いけれど)。そして、西側諸国だ、立派だ立派だという掛け声に騙されないこと、惑わされないことだ。「日本がアメリカの手先、先兵となって、中国やロシアとぶつかるように仕向けられて、人命が損なわれ、生活にも大きな悪影響が出るのではないか」という視点を持つことが重要だ。

 同盟関係は相手を利用するためのものだ。最近やけに日本を持ち上げるような言説が見られ、ヨーロッパの国々と軍事関連で関係を深めているなぁと少し勘の鋭い人々なら気づいているだろう。これは危険な兆候である。日本の国益のためには戦争を起こさないこと、戦争に巻き込まれないことが何よりも重要だ。

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日本は東京を中国、ロシアに対する安全保障の米国の基軸として売り込む(Japan sells Tokyo as US linchpin of security against China, Russia

ラウラ・ケリー筆

2023年1月13日

『ザ・ヒル』誌

https://thehill.com/policy/international/3812858-japan-sells-tokyo-as-us-linchpin-of-security-against-china-russia/

日本の岸田文雄首相がジョー・バイデン大統領を訪問したのは、東京が東半球の安全保障の基軸(linchpin)であり、中国や北朝鮮の侵略に対する防波堤(bulwark)であることを売り込むためであった。

これは、島国である日本にとって歴史的な大きな変化の一部であり、第二次世界大戦後に自らに定めた平和主義政策(pacifist policy)を後退させ、軍備を拡大することに関与するようになった。

日本はまた、ウクライナ戦争でロシアに対する制裁に加わったが、キエフに決定的な援助は行っていない。

米外交問題評議会アジア太平洋研究部門上級研究員シーラ・スミスは、「日本は、戦後の自国の軍事に関してためらいを持つ(hesitancy about its military)という型から本当に抜け出した」と述べている。

スミスは更に「ある意味で、国家運営の矢の一つとして軍事力の必要性をためらわない新しい日本が世界の舞台に出ているのだ」と語った。

金曜日にホワイトハウスの大統領執務室において、バイデン大統領は、岸田首相のワシントン訪問を日米同盟にとって「非常に重要な瞬間(remarkable moment)」であると述べた。 

バイデン大統領は「これほどまでに日米両国が緊密な関係にあった時期はなかったと思う」と述べた。

バイデンは続けて「はっきりさせておきたい。アメリカは日米同盟に、そしてより重要なことは、日本の防衛に、完全に、徹底的に、完全に関与する」と語った。

岸田首相は金曜日、日米両国は「最近の歴史の中で最も困難で複雑な安全保障環境に直面している」と述べた。

今後5年間で防衛費を倍増させるという日本の言質(commitment)は、ワシントンで広く歓迎され、東京はバイデン政権から具体的な利益を得て歩んでいる。

バイデン政権の複数の高官は、高度な情報収集や監視などの能力向上で日本駐留のアメリカ軍を強化すると述べた。日米両国はまた、宇宙やサイバーセキュリティをカヴァーするために相互防衛(mutual defense)の約束を拡大している。

また、バイデン政権は、東京が飛来するミサイルによる攻撃から自国を守り、北朝鮮や中国などの侵略者に対して攻撃を仕掛けることができるよう、反撃能力(counterstrike capabilities)を開発するという日本の決断を支持している。

日本は、中国の軍拡を東京への脅威と認識し、ロシアのウクライナ侵攻がインド太平洋地域に波及する可能性があると見ている。

日本政府は2022年12月に発表した国家防衛戦略で、「ロシアのウクライナへの侵攻が証明するように、日本もメンバーである国際社会は深刻な課題に直面しており、新たな危機に陥っている」と書いている。

この国家防衛戦略では続けて、「将来、インド太平洋地域、特に東アジア地域で、戦後の安定した国際秩序の基盤を揺るがすような重大な出来事が起こる可能性を排除することはできない」とも付け加えられている。

日本はアメリカとヨーロッパの対ロシア制裁に加わり、キエフに人道的・防衛的支援を送ってきた。

2022年6月にマドリッドで開催されたNATO首脳会議では、日本を招待するという前例のない異例の措置が取られた。

新アメリカ安全保障センターのインド太平洋安全保障プログラム上級研究員のジェイコブ・ストークスは、日本の防衛政策と日米同盟において「極めて重要な時期(an incredibly important time)」であると語っている。

ストークスは「北東アジアにおける安全保障環境が非常に厳しくなっていることを反映し、日本のアプローチに根本的な変化が起きている。もちろん、中国からの挑戦もあるが、北朝鮮やロシアからの脅威も存在する」と述べた。

ストークスは「アメリカの戦略的観点からすると、日本はこの地域との関わりにおいて、まさに礎石(cornerstone)の国である。また、インド太平洋地域におけるアメリカの最も重要な国家関係を持つ国が日本であることは間違いない」と述べた。

岸田首相は、フランス、イタリア、イギリス、カナダのG7諸国を訪問して、5カ国訪問の最終目的地としてワシントンに到着した。

日本は2023年にG7の議長国を務め、2024年5月に広島で首脳会談を主催する予定だ。広島は、アメリカによる最初の原爆投下の場所だ。日本はまた、2024年1月の国連安保理の議長国でもある。国連安全保障理事会の非常任理事国であり、議長国として2年間の任期を務めている。

東京はこれら2つの場所を利用して、核兵器の軍縮(disarmament)と不拡散(nonproliferation)を求める声を高めたい意向だ。こうした動きは、ロシアのウラジミール・プーティン大統領がウクライナで核兵器を使用すると脅し、中国が核兵器の備蓄を増やし、北朝鮮が核兵器実験の可能性の下地を作っている状況の中でそれに対処するためだ。

外交問題評議会のスミスは「日本は、核軍縮と核兵器使用のリスクを軽減する必要性を強く感じている」と述べている。

東京はこの主張と軍拡(military expansion)の追求のバランスを取っている。水曜日にイギリスと防衛協定に調印し、アメリカとヨーロッパの同盟諸国が定義する「ルールに基づく(rule-based)」国際・経済秩序の防衛と完全に連携している。

スミスは続けて「インド太平洋地域の同盟国、とりわけ日本が、ヨーロッパの同盟諸国とこれまでとは全く異なる形で連携していることは、興味深い認識だと思う。そしてそれは、やはりプーティンのせいだ」と語った。

スミスは「日本が先頭になって、ヨーロッパの同盟諸国とインド太平洋の同盟諸国から、戦後秩序に対する挑戦の瞬間であるという、非常に似たような言葉が出てくるようになった」と述べた。

バイデン政権と日本が完全に一致していない分野の一つは、日本が地域貿易協定(正式名称は環太平洋パートナーシップに関する包括的および進歩的協定[Comprehensive and Progressive Agreement for Trans-Pacific Partnership]CPTPP)に参加することを求めたのに、アメリカが応じないことである。

ホワイトハウスのカリーヌ・ジャン=ピエール報道官は金曜日に、「CPTPPに関しては、私たちが検討しているオプションではない」と語った。ジャン=ピエール報道官は、アメリカは2022年5月に開始されたイニシアチヴであるインド太平洋経済枠組(Indo-Pacific Economic Framework)に焦点を当てていると述べた。

CPTPPは、オバマ政権時代の環太平洋パートナーシップ(Trans Pacific PartnershipTPP)の加盟11カ国によって形成された自由貿易協定である。ドナルド・トランプ前米大統領は2017年の就任初日にTPPからアメリカを離脱させた。

イギリスはCPTPPへの参加を目前にしており、中国と台湾はともに加盟を申請している。スミスは、「日本はCPTPPへの加盟を追求する中国に対する防波堤として、アメリカの加盟を強く望んでいる」と述べた。

スミスは次のように述べている。「中国は、その経済力を使って、CPTPPの他の加盟諸国に対して、中国を参加させるのも悪くないと説得し始めるのではないかという懸念が存在する。そして、この地域が求めているのは、カウンターバランス(counterbalance)だと私は考えている。人々は口に出しては言わないかもしれないが、アメリカの中国に対するカウンターバランスは、まさにこのことなのである」。

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 古村治彦です。

 2022年の日本における最大の事件は安倍晋三元首相暗殺事件だった。これによって、日本の政界では現在、自民党と統一教会の関係清算の動きが進んでいる。統一教会への批判も依然として強いままだ。安倍晋三元首相暗殺事件の山上進容疑者の背景に、家庭関係の不幸と母親の統一教会への入信と多額の寄付による不幸があり、山上容疑者が統一教会に怨恨の感情を抱き、現在の教団最高指導者韓鶴子総裁を狙うも果たせず、統一教会と関係が深いと彼自身が考えた安倍晋三元首相を狙ったが報道され、統一教会に対して注目が一気に集まった。そして、統一教会が政界、特に自民党に深く食い込んでいる実態が明らかにされるようになり、自民党は統一教会との関係を清算せざるを得ない状況に追い込まれた。

 祖父信介元首相以来、父安倍晋太郎元外相がともに統一教会と深い関係にあり、安倍晋三元首相もまた関係を継続させた。その結末が悲劇的なことであったことは何とも皮肉なものだ。

 安倍晋三元首相は「改革の熱狂」を引き起こした小泉純一郎・竹中平蔵時代の申し子のような形で、若きスターとして自民党や政府の重職をほぼ担うことなしに、これまでのキャリアパスとは異なる形で首相に就任した。第一次政権は1年弱と短気であったが、第二次政権は長期政権となり、政権担当機関は憲政史上最長を記録した。この間に安倍晋三元首相が行ったことは、戦後日本の構造の改悪であった。格差の拡大、解釈改憲の強行による憲法九条の骨抜き、対米従属体制の強化であった。アベノミクスと呼ばれる経済政策は効果を生まなかった。戦後体制の変革を目指した安倍晋三元首相の残した日本は、衰退国家の道をたどる日本となった。少子高齢社会の流れを止められなかったが、これは安倍氏以外の政治家でも同じことだっただろう。

 安倍元首相の暗殺によって、政界における安倍晋三元首相の影響力が消え、彼に守られていた人々は後ろ盾を失った。「チェンジ・オブ・ペース」で就任した岸田文雄首相は、国防費GDP比2%達成というアメリカからの指令(トランプ政権時代から言われていた)を実現するために、大幅な増税を画策している。また、先制攻撃の容認という重要な転換も行おうとしている。国防予算の増額と先制攻撃の容認ということが合わされば、近隣諸国にとっては脅威ということになる。安全保障の不安定な環境があるので国防を強化するということがさらに不安定化を増長するということになる。

 私は安保条約改定で退陣した岸政権から経済重視の池田政権への移行と、安倍政権から岸田政権への移行をアナロジーとして比べて考えていた。簡単に言えば、宏池会系になれば、好戦的な姿勢は弱まるだろうと考えた。しかし、21世紀にはこのようなアナロジーは適さなかったようだ。宏池会は平和路線で経済重視という常識は既に通用しないようだ。ある意味で、戦後体制が終焉したということが言えるだろう。そして、非常に残念なことであるが、安倍晋三元首相が目指した戦後体制の終焉は成功したということになるのだろうと思う。

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安倍晋三元首相の国葬は、安倍元首相の存命中と同様に議論を巻き起こすものだ(Shinzo Abe’s State Funeral Is as Controversial as He Was

-暗殺された元首相のための儀式は一つの時代の終焉を際立たせた。

スペンサー・コーエン筆

2022年9月26日

『フォーリン・ポリシー』誌

https://foreignpolicy.com/2022/09/26/japan-shinzo-abe-state-funeral/

戦後初のそして最後の首相公葬が秋の暖かい火曜日に行われた。1967年10月31日、吉田茂はその2週間前に89歳で亡くなった。不確実で激動のアメリカ占領時代とその後の独立時代に日本を率いたこの人物を国家は讃えた。1951年、サンフランシスコで戦争終結のための講和条約に調印し、瓦礫と火の海から生まれた新しい民主政治体制国家「新生日本」を体現した人物ことが吉田茂だった。

神奈川県大磯の吉田茂邸の芝生の上に、小銃を手にした自衛隊の儀仗隊の列が立ち、式典は始まった。長男で作家・評論家の吉田健一が遺骨を入れた箱を持ち、ゆっくりとした足取りで重厚な黒塗りの車に乗り込んだ。車は東京に向かい、頭を下げて祈る弔問客で埋め尽くされた通りを走り、やがて皇居近くの日本武道館に到着した。外は大勢の人、中は関係者や外交官たちなどが集まり、厳粛な雰囲気に包まれていた。吉田健一は父の遺骨を持って中央通路を歩き、佐藤栄作首相に遺骨を渡すと、佐藤首相は自衛隊の儀仗隊3人に遺骨を手渡した。その遺骨は、数千本の菊の花で覆われた祭壇と、高さ3メートルの遺影の下に運ばれた。

吉田茂の肖像画は、1964年の東京オリンピックのために建設された会場である日本武道館に集まった政治家や外国の外交官たちを見下ろし、建設と成長に沸く首都で、安定と経済力の象徴である新しい新幹線が横切る国土を眺めていた。この平和と繁栄は、数十年前に吉田茂が行った政策によって形作られたものである。吉田は、軍事力とアメリカからの完全な独立を、自由民主党(Liberal Democratic PartyLDP)政権を強固にした産業と経済力に引き換え、「吉田ドクトリン(Yoshida Doctrine)」「サンフランシスコ・システム(San Francisco System,)」「吉田案件(Yoshida Deal)」と呼ばれるものによって、国家の指導者になった。吉田の死は、1945年の第二次世界大戦の終結から始まった壮大な歴史の幕を閉じたかのようであった。歴史家のジョン・ダワーは、「彼の死は、吉田が他のどの日本人よりも体現した『戦後』という章に、最後の文章を書いたのだ(the death wrote the final sentence to the chapter called ‘postwar,’ which Yoshida more than any other single Japanese personified)」と書いている。

2時10分、日本中にサイレンが鳴り響き、武道館は静まり返り、多くの人が一つの時代の終わりを感じた。しかし、多くの人がそれを受け止めた。銀座で黙祷する人たちに10代の少女が、「あれ、皆さん何をしているんですか?」と声をかけた。佐藤内閣は1947年に廃止された戦前の国葬令(state funeral ordinance)を回避し、公示や国会審議によらず閣議決定(cabinet decision)で葬儀を行ったのだ。このような経緯に戸惑う人もいれば、真っ向から反対する人もいた。国葬の正当性を疑問視し、恣意的な法的根拠を糾弾し、国葬は過去の帝国の遺物であり、残すべきものではないとする評論家もいた。保守的な読売新聞の記者でさえも「無感動な国葬(an emotionless state funeral)」と評した。

さて、今週火曜日に行われる安倍晋三元首相の国葬では、華やかさ、ページェント、喪服、弔辞、批判、そしてスペクタクルが再び繰り返されることになる。政治家の国葬は、約80年前に終わった戦争の後で2回目、50年以上ぶりのことである。「吉田茂以来、国葬が行われなかったと言うよりは、吉田以降、国葬が永久に廃止されたと考えた方が真実に近いと思う」と朝日新聞はで論評した。1975年、佐藤栄作は死去し、彼の支持者たちは国葬で彼を讃えようとした。しかし、明確な法的根拠がなかったため、国、国民、自民党の出資による形での国民葬(national funeral)が行われた。

それ以来、戦後はこの方式が定着した。内閣総理大臣の葬儀は、内閣と自民党の共同出資で行われることになった。1989年、昭和天皇(海外では裕仁天皇と呼ばれる)は、宮内庁が「国家儀礼(State Ceremony)」と呼ぶ「大喪の礼」を行い、吉田首相の儀式とは異なる形で国民が敬意を表した。しかし、現在の岸田文雄首相は儀礼にとらわれない。しかし、岸田文雄首相は、佐藤首相に倣い、閣議決定で安倍首相の国葬を行った。

安倍首相を例外とすることは、当然といえば当然だが、賛否両論があった。7月、街頭演説中に手製の銃で撃たれて亡くなった安倍元首相は、ある時代の政治を象徴する人物だった。岸信介元首相の孫であり、自民党の有力政治家だった故安倍晋太郎元外相の子息である安倍晋三は、戦後最も長く首相を務めた政治家となった。亡くなった当時は、自民党の最大派閥を率いていた。

しかし、国葬1週間前の時点でも日本人の約6割が葬儀に反対している。その理由は、安倍首相の右翼的な政策に対する軽蔑から、あるいは葬儀そのものが独裁的な行事であるという考えからである。ここ数カ月、市民団体が葬儀に国費を使うことの差し止めを求め、何千人もの人々が東京の街頭に出て、国民が何も言えないで決まった儀式だと抗議している。「国葬が民主政治体制のための葬儀であってはならない(A state funeral must not be a funeral for democracy)」と、8月31日に約4000人の群衆が国会の前に集まって叫んだ。批評家たちは、国葬は大衆に、しばしば不人気な人物を集団で悼み、記憶することを強要し、時に物議をかもす彼の政策への批判を押しとどめようとする試みであると見ている。国葬は「民主政治体制の破壊」を意味すると経済学教授の金子勝は書き、およそ1200万ドルにのぼる納税者の資金を追悼のために使うことは非民主的で、特に法的根拠があいまいな式典の場合はそうであると主張した。しかし、岸田首相と自民党は葬儀を続行し、首相は葬儀は「民主政治体制を守るものだ」と宣言した。

先週、イギリス女王エリザベス二世の国葬のために参加者たちがロンドンに集まった。その儀式と人物との比較は避けられないものであった。エリザベス女王は、多くの人々から慕われる君主であり、今日イギリスに住むほとんどの人々が生きている間、国の象徴的な舵取りをする中立的な存在として見られていた。もちろん全ての人々がそうであった訳ではない。これに対し、安倍首相は君主ではなく政治家として、国際的なリベラリズムと右翼的なナショナリズムの間に境界線を引いた。そして、2000年代初頭に政権を握った。S・ネイサン・パークは次のように主張している。安倍首相は、歴史修正主義(historical revisionism)を標榜したことで物議をかもし、分裂している人物ではあった。しかし、彼の周囲にいた人々と外国の外交官の双方を惹きつける魅力があった。しかし、おそらく最も適切な比較は、エリザベス女王の死と、戦前、戦中、戦後とその地位にあった昭和天皇の死である。1989年の昭和天皇の葬儀は、何日も喪に服し、結束して、明確で顕著な歴史の区切りを示すように見えた。

安倍元首相の死は、女王や天皇といった君主の死ほどには、国家の安定を破壊していないように見える。しかし、東京大学の五百旗頭薫教授(日本政治・外交史)は、銃撃事件直後の『フォーサイト』誌に、日本政治では有力な保守政治家が暗殺されると「政治が漂流する(politics goes adrift)」のが通例だと書いている。安倍首相のような「保守主義と進歩主義」のバランスを取る政治家が国政の舵取りをし、その暗殺によって全てが混迷と混乱(confusion and disorder)に陥るという。

そして、1967年と同じように、終わりを宣言する日々が続いている。安倍元首相のスピーチライターだった慶応大学教授の谷口智彦は、「国葬によって、安倍首相の『チャーチル的(Churchillian)』な、国家への貢献が歴史に刻まれる」と書いている。また、この式典にあまり賛成でない人たちもその歴史的意義を認めている。朝日新聞のある論説委員は、銃撃事件の数日後、そして東京の寺院で行われたより小規模で内輪の安倍首相の葬儀の翌日に、「1つの時代が終わったのに、人々や車は何も変わっていないかのように動き続けていた」と書いている。

また、グローバルな視点からの意見もあった。産経新聞の磨井慎吾は、「私たちが生きてきた平成という時代は、急速に歴史になりつつあるという思いが強くなっている」と書いている。平成は厳密には2019年に天皇陛下の退位で既に終わっているが、暦が変わり、祝日が規定されたものの、その推移は穏やかで地味なものだった。そして、3年後の今、世界的な新型コロナウイルス感染拡大、ウクライナ戦争、安倍首相の暗殺を経て、変化が起きているのではないかと磨井は主張している。安倍元首相の葬儀は、吉田元首相の葬儀と同じように、一つの時代の終わりを意味するのかもしれない。

安倍首相暗殺の意味は、週ごと、日ごと、最初は時間ごとに変化していった。しかし、多くの人が口にしたのは、「民主政治体制(democracy)」という言葉だった。7月8日、銃撃事件から数時間後、岸信夫防衛相は記者団にこう語った。参院選の2日前だった。安倍首相の弟である岸首相はやつれた様子で、声は小さく、テンポはゆっくりで落ち着いていた。彼は「民主政治体制への冒涜(an affront to democracy)」と述べ、次に銃撃は暴力的で、言論の自由(free speech)と公正な選挙(fair elections)を抑圧しようとするものだと言い、厳しく非難した。岸田首相も同じように「日本は民主政治体制を守らなければならない」と演説を続けた。読売新聞が7月12日に発表した世論調査では、73%の人が暗殺事件を民主政治体制(a threat to democracy)への脅威と見ている。

また、当初は犯人の動機があいまいであったこと、標的があまりに重要で影響力があったこと、そして近年との比較があまりに平板であったことからか、コメンテーターたちは政治的暗殺の多い日本の歴史に他の場所との類似性を探した。国内外のジャーナリストや学者たちが「日本における政治的暴力の歴史」や「日本の過去の暗殺に関する入門書」を執筆した。保守的とはいえ国民感情のバロメーターであるNHKは、過去の暗殺の写真や映像をふんだんに使って安倍首相狙撃の特集を組んだ。

戦前の複数の暗殺は実質的時代を転換させるものであり、行為や時代は違うが、安倍首相狙撃後の類似を危惧する論者が出ているのは当然だ。昭和時代の研究者である保阪正康は、暗殺事件後に『文芸春秋』誌に書いたように、当初、犯人は安倍を批判する極左か極右の人物だと考えていた。そして、銃撃の2日後、朝日新聞のインタヴューで、その推測に基づいて、戦前の暗殺のように「暴力の連鎖(chain of violence)」が続くと警告していた。保坂は、1930年に東京駅で撃たれた浜口雄幸首相や、1932年に超国家主義者の青年軍人たちがクーデターを起こし、犬養毅首相を殺害したいわゆる5・15事件のことを読者に思い起こさせた。このような政治家の刺殺事件や射殺事件は、戦前の民主主義に対する攻撃であり、戦争への足がかりであり、ファシズムの初期の侵攻の兆候であると、1947年に碩学丸山真男が指摘した。

保坂は戦後にも目を向けていた。彼は朝日新聞の取材に対し、1945年以降、「暴力の連鎖」は終わったと述べている。歴史学者でジョージワシントン大学国際関係学部准教授のアレックス・フィン・マッカートニーは、「暗殺は特に、日本の極右勢力によって使われた政治的暴力の戦術だ」と述べた。戦後でも、日本社会党の浅沼稲次郎委員長が他の党首たちと討論しているときに刀で刺されて殺された陰惨な事件や、安倍首相の祖父である岸信介の暗殺未遂事件などが起きた。保坂は取材に対して「戦後の長い期間、政治家に対する暴力は連鎖的に起こることはなく戦争に発展することもなかった。私にとって、これは民主政治体制が確立されていた証拠だ。今回の事件を受けて、もう一度、これを証明しなければならない」と述べた。

しかし、今回の安部元首相暗殺事件は特異な出来事なのだろうか? 衰退(decline)、崩壊(collapse)の兆しという見方もある。それは、41歳の山上徹也容疑者は、一見するとバラバラで単発に見える最近の暴力事件の複数の犯人の一人であったからだ。2008年に東京・秋葉原の群衆に車で突っ込み、道行く人を刺して7人を殺害、10人を負傷させた残虐な殺人事件で、犯人の加藤智大に対して、日本政府によって39歳にして2021年12月以来の死刑執行が行われた。2019年には、家族と暮らす51歳の無職、岩崎隆一がナイフで武装してバス停で待つ子供たちに近づき、2人を殺害し、十数人に怪我を負わせ、自分自身は自殺した。同年、青葉真司(41歳)が京都のアニメスタジオに火を放ち、36人が死亡した。

山上、加藤、青葉、岩崎の4人は、政治的、思想的に一致している訳でもない。しかし、彼らはほぼ同時代の1960年代後半から1980年代前半に生まれ、バブル崩壊後の崩壊の真っ只中で育った世代である。「就職氷河期世代(Employment ice age generation)」である。戦後の終身雇用(lifetime employment)の約束が株価とともにしぼんでしまった、意気消沈し忘れ去られた世代である。後に、英語では「Lost Generation」と呼ばれるようになった。どんな意味で失われたのか? 仕事が失われ、社会的流動性が失われ、希望が失われた。

これは、山上容疑者が高校の卒業アルバムに書いた、未来の自分を表現するための言葉である。バブル崩壊から7年後の1999年、高校卒業者の就職率は88.2%と、日本史上最低の数字となった。父親が自殺し、兄が癌に侵され、山上容疑者と母親は悲しみと喪失感に苛まれていた。母は統一教会に入会し、多額の寄付をしたため、山上容疑者は大学に通うことができなかった。彼の将来は不安定であり、経済的な停滞によって更に悪化した。

慶應義塾大学経済学部の嘉治佐保子教授は2015年、「失われた数十年は、日本が大切にしてきた一体感と調和という概念を侵食した(The lost decades have eroded Japan’s cherished notion of oneness and harmony)」と書いている。戦後、吉田が築いた取り決めで鍛えられた思想の崩壊ということになる。解雇されたサラリーマンがスーツを着て公園のベンチで新聞を読み、親族や近所の人に解雇されたことは言えなかったこと、1990年代後半の自殺率の上昇、ネトウヨや2ちゃんねる文化、ひきこもり、これらは全て崩壊の兆候だろう。アメリカ在住の作家イアン・ブルーマは2009年に「悲惨な世界大戦の残骸から構築された日本社会の構造全体が崩れてきている」と書いている。

そして山上容疑者は、統一教会への恨みを募らせている中で、戦後社会の崩壊に巻き込まれた。統一教会に人生を狂わされ、経済的な停滞で更に悪くなったと彼は考えた。そこで彼は、統一教会の現在の指導者であり、故・創始者である文鮮明の妻である韓鶴子を殺害しようと計画したが、新型コロナウイルス感染拡大時代の渡航制限のために不可能だったと捜査当局に語った。しかし、統一教会と緩いつながりがあるとされる安倍元首相が統一教会のイヴェントで演説している映像を見て、標的を安倍首相に移し、7月8日に奈良で殺害した。

山上徹也は戦後の崩壊と衰退の産物だ。しかし、安倍元首相の死は、それ自体が変化の触媒(catalyst)となり、敗戦後の数年間に最初に刻まれたシステムの解体を更に進めることになるかもしれない。安倍の死は、数十年にわたる保守支配の終焉を意味するかもしれない。歴史家のアンドリュー・レヴィディスは、「安倍首相の殺害によってもたらされた問題は、岸信介によって定義された保守政治の時代の終焉に到達したかどうかである」と述べている。安倍元首相が継承してきた保守の覇権(conservative hegemony)と一党支配(one-party rule)は、彼の暗殺によって混乱と不確実性に投げ込まれるかもしれないが、今のところその可能性は低いと思われる。

銃撃事件はまた、自民党幹部と統一教会との関係に明るい光を当てた。これは、今や崩壊するかもしれない戦後の秩序のもう一つの遺物である。また、多くの人が、暗殺について、どうやって個人が銃を作ることができたのか、と疑問を持っている。そして政治学者の彦谷貴子が『フォーリン・アフェアーズ』誌に書いているように、ウクライナ戦争後に起きた暗殺に続いて、安全保障についての関心が高まって、国防と安全保障に関する会話が起きている。知るのは時期尚早だが、安倍元首相の銃撃は、戦後の平和主義の秩序さえも解体させる可能性がある.

それでは、安倍首相の葬儀は、戦後の最後の息の根を止めることになるのだろうか? 東京大学の五百籏頭薫教授は、銃撃事件後の数日間のメール交換で、「様子を見なければならないが、吉田の葬儀が本当に終わらせることができなかった戦後の時代の終わりになるかもしれない」と慎重に語った。この葬儀は、戦後の、冷戦の、ある種の終わりであるかもしれない。2006年に初めて政権を取った安倍首相は、その政策と目的、思想と信条、意欲、意思を集約した言葉を口にした。それが「戦後レジームからの脱却(overcoming the postwar regime)」だった。安倍晋三元首相は、生前にはこの目的を果たせなかったが、死後はそれに成功するかもしれない。

※スペンサー・コーエン:ニューヨークを拠点とするジャーナリスト。以前は東京を拠点としていた。朝日新聞のスタッフとしてニューヨーク支局から記事を送っている。今回の記事は彼個人の仕事であり、朝日新聞とは関係ない。

(貼り付け終わり)

(終わり)

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ビッグテック5社を解体せよ

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 悪魔のサイバー戦争をバイデン政権が始める
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 古村治彦です。

 日本は軍拡の姿勢を鮮明にしている。ミサイルによる敵基地攻撃能力を保持し、軍事予算も大幅に増額することを自民党政権は決定した。国力が減退し、衰退国家となっており、少子高齢化が猛烈なスピードで進んでいる日本が軍拡を行うのは合理的ではない。この軍拡は、対中国に向けたものであるが、日本の経済力は中国の3分の1弱程度しかない。また、中国との軍拡競争ということになれば最終的には核兵器保有まで進まねばならない。そのような状況に行くまでに経済が破綻する可能性もある。

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 日本はアメリカの強請によって、国防予算(軍事予算)を現在のGDP比1%から2%に引き上げる動きに出ている。これが実現されると10兆円以上規模となり、世界第三位の防衛予算(軍事予算)となる。先制攻撃用のミサイルなど兵器調達はアメリカから行うことになるだろう。世界第1位のアメリカと世界第3位の日本で、世界第2位の中国を抑え込むということを企図しているのだろうが、アメリカが中国と対峙する場合に、日本を先手として使おうとするのは当然だ。日本が貧乏くじを引いて大きなマイナスになってもアメリカは「それが属国の務めだ」ということにするだろう。私たちは、そのような馬鹿げた状況に陥ってはいけない。アメリカに利用されて中国とぶつかるのは日本で漁夫の利をアメリカが得るという状況は避けねばならない。
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 アメリカが日本をはじめとする同盟諸国に軍事予算の増額を求めているのは、ヨーロッパであればロシア、東アジアであれば中国と対峙させるためだ。しかし、ヨーロッパ諸国にしても日本にしても、そのロシアや中国とは経済的に深いつながりを持っており(ロシアとドイツ、中国と日本)、直接ぶつかって大きな損失を得ることは得策ではない。それでもアメリカは軍事予算増額を求め続けている。それは軍拡競争、国防予算増額競争の負担が大きくなっているからだ。

 防衛予算や軍全体の構成や規模を見ればアメリカが最強であることは変わりない。しかし、中国の軍事的な伸び、ロシアの軍事的な精強さはアメリカにとって脅威である。アメリカにとってはこの2つの軍事的な脅威に独力で対抗することは難しくなっている。そのために同盟の引き締めを行おうとしている。西側世界の優位を守る戦いだという大義名分を掲げることになるだろう。実際にはアメリカの世界支配を守るための戦いである。その大きな嵐の中で、私たちは如何に損害を少なくして嵐をやり過ごすかということを考えるべきだ。調子に乗って「アメリカさまと中国征伐だ」「世界で最も重要な同盟関係が日米関係だ」などと馬鹿丸出しの言動や態度を取るべきではない。その点で、現在の日本の政治家たちの浮ついた、軽薄な、いささか酔っぱらいのような、国防への姿勢には失望せざるを得ない。

(貼り付けはじめ)

軍備拡張競争の技芸(The Art of the Arms Race

-災厄を避けるために、アメリカは冷戦からの重要な教訓をいくつも学びなおさねばならない。

2022年71

ハル・ブランズ筆

『フォーリン・ポリシー』

https://foreignpolicy.com/2022/07/01/arms-control-race-cold-war-geopolitical-rivalry/

軍備管理(arms control)は死につつあり、軍拡競争(arms races)は復活しつつある。この20年間で、冷戦時代に築かれた超大国の軍備管理体制(superpower arms control regime)のいくつかの主要な柱、対弾道ミサイル条約(Anti-Ballistic Missile Treaty)、ヨーロッパ通常戦力条約(Conventional Armed Forces in Europe Treaty)、中距離核戦力条約(Intermediate-Range Nuclear Forces Treaty)、オープンスカイ条約(Open Skies Treaty)と、次々と崩壊してきた。最も重要な米露協定である新START(戦略兵器削減条約)も、ウラジミール・プーティン大統領のウクライナ戦争の犠牲となるかもしれない。一方、中国は、太平洋地域とそれ以外の地域での支配を目指し、通常兵器と核兵器の戦力を急速に増強している。世界各地では、新技術が軍事力の劇的な向上を約束している。

緊張が高まり、軍事バランスについて激しく競われ、大国が振り回す武器の種類と量に対する制約がますます少なくなる世界は軍拡競争の好機である。この新しい世界は、実際、かつての対立の時代を彷彿とさせるような課題を多く含んでいる。災厄を避けるために、アメリカは冷戦時代に学んだこと、すなわち軍拡競争をいかにうまく行うかを学び直さなければならない。

確かに、軍拡競争は、2つ以上のライヴァル国が有利な軍事バランスを確保するために競い合うものでありその評判は高くはない。軍拡競争は、よく言えば、思慮のない兵器の集積、もしくは邪悪な軍産複合体(military-industrial complex)の産物として、悪く言えば、緊張の高まりや破滅的な戦争の主な原因として見られている。ドワイト・アイゼンハウアー大統領は1956年、国家安全保障会議において、「アメリカは、その究極の安全を決して提供できないことをよく承知している軍備を積み上げている。他にどうしたらいいかわからないから軍備を増強しているのだ」と発言した。

しかし、軍拡競争は不当に悪い評価がなされている。地政学的環境が厳しくなる中、状況をより客観的に見ることができるようになっている。

アメリカの冷戦時代についての最も鋭い思想家たちが理解していたように、軍拡競争は決して無謀なことではない。攻撃的な敵に対して有利な力の均衡(balance of power)を保つことは、戦争を抑止する最良の手段であり、戦争を誘発するものではない。更に、軍拡競争は戦略的な相互作用であり、賢明な投資によって形成され、時間の経過とともに自国に有利になるように導くことが可能である。軍備管理は、軍拡競争に代わるものではなく、競争優位を獲得するための戦略の重要な構成要素であると考えるのが適切である。しかし、そのためには、軍拡競争の技術(art of the arms races)を再認識することが必要である。

軍拡競争はいつの時代にも起きているが、この言葉が一般的になったのは20世紀初頭のことである。ドレッドノート戦艦(dreadnought battleship)や飛行機などの新技術が、軍事バランスを急速に変化させる可能性を生み出した。大国間の緊張が高まるにつれ、軍事的優位の追求はより緊急性を帯びてきた。例えば、第一次世界大戦前の数十年間は、イギリスと台頭するドイツとの間で、最も多く、最も優れた戦艦を建造するための熱き戦いが繰り広げられた。

しかしながら、軍拡競争に対する私たちの理解が本格的に深まったのは、核兵器の出現と戦略研究(strategic studies)が学問(academic discipline)として確立した冷戦時代のことである。サミュエル・P・ハンティントンやコリン・S・グレイなどの学者たちが軍拡競争の定義を明確にした。政府や学界では、米ソの軍備の発展や、一方の動きが他方の動きにどの程度影響を与えるかを研究していた。優越性(supremacy)をめぐる長い二極対立の中で、超大国の軍拡競争は知識人や政策立案者にとってまさに強迫観念(veritable obsession)のようなものとなった。

米ソの軍事競争はやがて恐るべき規模にまで至った。モスクワとワシントンがそれぞれ核兵器で人類文明を破壊する能力を獲得すると、「軍拡競争(arms race)」は非難のための言葉となった。核軍拡競争(nuclear arms race)は、安全保障の追求がかえって現実的な不安を引き起こすという不条理を思い起こさせるものと見なされがちであった。

1970年代以降の軍備管理協定は、超大国の核兵器に上限を設け、ミサイル防衛システムのような安全保障状況を不安定化させると考えられる能力を制限することで、この不安を軽減しようとするものであった。(一方が相手の報復ミサイルを撃ち落とす能力があれば、もう一方は核による先制攻撃をより慎重に検討するという理論である)。相互確証破壊(mutual assured destruction)という言葉、つまり、核兵器競争には誰も勝てないし、勝とうとするのは危険だという考え方が浸透していったのである。ロバート・マクナマラ米国防長官は1967年の演説で、「私たちはソ連との核軍拡競争を望んでいない。作用と反作用(action-reaction)の現象が、それを愚かで無益なものにしている」と明言した。

しかし、現実はそう単純ではなかった。アイゼンハウアーは1957年、ジョン・フォスター・ダレス米国務長官に対して、「軍拡競争は原因ではなく結果であった」と認めている。大国が武装したのは敵同士だったからであり、その逆ではない。軍拡競争に勝つこと、少なくとも負けないことが必要不可欠となった。戦争や西側の地政学的な崩壊の脅威は、拡張主義的なライヴァルが決定的な軍事的優位を獲得すれば確実に増大する。更に、賢明な観察者たちは、軍拡競争は愚かで思慮のない機械的な努力ではないことに気づいていた。軍拡競争は、創造的思考(creative thinking)と戦略的洞察力(strategic insight)に報われる学問だ。

このようなアメリカの軍拡競争に対するより洗練されたアプローチを象徴するのが、長年の防衛 知識人で、軍事バランスを厳密に評価する米国防総省の省内シンクタンクであるオフィス・オブ・ネットアセスメントの初代所長となったアンドリュー・マーシャルであった。マーシャルは、ロバート・マクナマラの「作用・反作用」モデルは単純すぎると主張した。ソ連とアメリカの軍備計画は、一触即発のプロセスと同様に、歴史的遺産と官僚的バイアスを反映していたからである。より重要なことは、ワシントンはモスクワとの軍事的競争は、責任を持って避けることができないため、その相互作用を自国に有利になるように形成する必要があるということである。1972 年、マーシャルは「アメリカはソヴィエト連邦を出し抜かなければならない」と書いている。その鍵は、「アメリカの比較優位の分野(“areas of U.S. comparative advantage)を特定し、戦略的軍拡競争(strategic arms competition)をこれらの分野に誘導することによって、ソ連のコストを上昇させ、困難を倍加させること」と指摘した。

その実例がアメリカの戦略爆撃機計画(U.S. strategic bomber program)である。モスクワは、1941年にアドルフ・ヒトラーのドイツ空軍が地上のソ連空軍の多くを破壊したため、空からの 攻撃を過剰に恐れていたとマーシャルは指摘している。ささやかな爆撃機の部隊を作ることで、アメリカはクレムリンに防空システムに多額の投資をさせ、西側諸国にとってより脅威となる攻撃能力から資源を振り向けさせることができたし、実際にそうしたのである。そして、冷戦の決定的な最後の10年間、マーシャルの論理は浸透していた。それは、モスクワが莫大なコストをかけて構築した計画と能力を否定することで、ソ連に大きな負担をかけるというものであった。

精密誘導弾(precision-guided munitions)、低空飛行巡航ミサイル(low-flying cruise missiles)、ステルス戦闘機(stealth aircraft)の開発により、米国防総省は敵の後方奥深くで大惨事を引き起こす能力を得て、ソ連のヨーロッパでの作戦概念をくつがえした。高精度の大陸間弾道ミサイル(intercontinental ballistic missilesICBM)の配備と照準能力の向上は、モスクワが核戦争中に指導者たちを高額の資金をかけて建設したバンカーに避難させて生存させるという計画を脅かした。ロナルド・レーガン大統領の戦略防衛構想は、宇宙を拠点とするミサイル・シールド計画であり、モスクワが何十年もかけて開発した陸上ミサイル部隊の有効性を、遠からず脅かす可能性があった。1982年の米国防省の計画文書には、アメリカの防衛計画は「不釣り合いなコストを課し、主要な軍事競争の新たな分野を開拓し、ソ連のこれまでの投資を陳腐化させる」はずだと記されている。

多くの予想に反して、積極的な軍拡競争は、実際には歴史的な軍備管理を可能にした。ロナルド・レーガン大統領の戦略的増強は、モスクワに中距離弾道ミサイルと大型ICBMの兵器を大幅に削減させるインセンティヴを与えた。また、経済的にも技術的にも衰退していたソ連は、競争力が著しく低下し、指導者は最終的に和平を求めることを選択した。ソ連のミハイル・ゴルバチョフ書記長は1986年、「長い間守ってきた立場を崩さないなら、結局は負けることになる。私たちは管理できない軍拡競争に巻き込まれるだろう」と断言した。アメリカにとって、超大国の軍事競争に勝つことは、より大きな冷戦に勝つための前提条件(prerequisite)であった。

しかし、冷戦終結後、アメリカの軍拡競争への適性は低下した。アメリカは軍事的に優位に立ったので、創造的で非情な戦略をとる必要がなくなったように見える。しかし、そのような余裕のある安全保障が失われた今、アメリカは新たに古い規律を習得しなければならない。

ロシアのウクライナ侵攻は、20年にわたる通常兵器と核兵器の増強の集大成であり、これによりモスクワは近隣諸国を打ちのめす一方で、核兵器によるエスカレーションの脅威を利用してワシントンを抑え込むことができるようになった。ロシアの軍隊はウクライナで酷い目に遭ったかもしれないが、通常兵器と核戦力の増強は、ウラジミール・プーティンの攻撃的な行動と相まって、今後何年にもわたってNATOを脅かすことになるだろう。中国は、近隣諸国を威圧するための戦力投射能力(power-projection capabilities 訳者註:軍事力の準備、輸送、展開能力)、アメリカ軍を遠ざけるための接近阻止・領域拒否能力(anti-access and area denial capabilities)、アメリカの政策立案者たちの介入をそもそも阻止するための核兵器の増強など、同様の作戦書(playbook)に従って開発を進めている。ロシアと中国は、地政学的修正主義(geopolitical revisionism)からの決意に基づいた計画を支えるために武装しており、アメリカが忘れてしまった軍拡競争に関する多くの教訓を吸収している。

長年にわたり、北京は、アメリカの軍事的なプラットフォーム対プラットフォームの形で対抗しようとはしなかった。対艦ミサイル(anti-ship missiles)、防空防衛(air defenses)、対衛星兵器(anti-satellite weapons)など、アメリカが世界中に力を及ぼすために使用している空母(aircraft carriers)、通信衛星(communications satellites)、地域基地(regional bases)を脅かす特定の能力に投資した。つまり、北京はマーシャルの忠告を真摯に受け止めている。1980年代にワシントンがモスクワの戦争方式を陳腐化させたように、中国の戦争方式はアメリカの戦争方式を陳腐化させる可能性がある。

激化する軍事的対立の中でアメリカが繁栄するチャンスはあるが、そうするためには、ワシントンが軍拡競争の技芸(art of the arms race)を再認識しなければならないということになる。

しかし、そのためには軍拡競争というものを再認識する必要がある。現在の傾向が続けば、米国は10年後までに1つではなく、2つの核兵器保有国との競争に直面することになる。ウクライナでのロシアの敗北にかかわらず、アメリカの同盟システムのユーラシア周辺地域における通常戦力のバランスは、不利とまではいかないまでも、不安定なものになるだろう。冷戦時代と同様、危険な軍事的不均衡はアメリカのライヴァルを誘惑して現状を強引に打破する可能性もあるし、アメリカの同盟ネットワークが依拠する信頼の基盤を単に蝕む可能性もある。アメリカの利益を守るためには、再び軍拡競争を展開し、それに勝利することが必要となる。

勝利は一部には金銭の問題である。最も優れた頭脳をもってしても、ドル不足を補うことはできない。米国防総省は、中国とロシアに対して同時に通常兵器の優位性を維持するために、より多くの防衛費を必要とする。また、1つの核兵器保有大国ではなく2つの核兵器保有大国を抑止するために、より大きな核兵器貯蔵が必要になる。人工知能(artificial intelligence)、量子コンピュータ(quantum computing)、合成生物学(synthetic biology)など、魅力的な技術を大規模に展開できる能力にするためには、大規模な投資が必要になるかもしれない。アメリカが現在軍事関連に投じている予算は、GDPの3.5%未満であるのに対し、少なくとも5%に相当する軍事費を投じることが、この10年間とそれ以降の平和のための最低条件となるだろう。

しかし、資金が流れても、ライヴァルに勝つためには、ライヴァルを上回ることも必要だ。

ライヴァルを上回るためには、まず自らを欺かないことだ。軍備管理論者は、1950年の熱核兵器(thermonuclear weapons)の開発であれ、今日のAIの軍事的応用であれ、敵が同じようにすることを期待し、アメリカが一方的に自国の能力を制限すべきであると主張することがある。しかし、これはほとんどうまくいかない。

1950年代初頭にアメリカが水爆(hydrogen bomb)の製造延期を決定していれば、ソ連が先に水爆を製造するのを許すだけだったことが、今では分かっている。1960年代にロバート・マクナマラがアメリカの戦略的蓄積を停止させると、モスクワは同等な立場を主張するために前進を始めた。「こちらが作れば、向こうも作る。1979年、ハロルド・ブラウン米国防長官は、「私たちが削減すれば、彼らは構築する」と主張した。特殊な技術は変わっても、厳然たる真実は変わらない。独裁的な敵国から自制を得るには、通常、軍拡競争に対抗できないことを示す必要がある。

第二に、効果的な軍拡競争のためには敵を熟知していることが必要である。マーシャルの洞察の1つは、ソヴィエトの動向を把握することは、ソヴィエトのバランスを崩すために不可欠であるということであった。同様に、ロシアと中国が何を望み、何を恐れ、どのように行動しようとしているのかを把握せずに、現在のアメリカの軍事計画を決定するのは良い方法ではない。残念ながら近道はない。冷戦時代、敵の頭の中を理解するためには、世代を超えて長期間にわたりソヴィエト学(Sovietology)への投資が必要だった。

この知識は非常に重要だ。それは、軍拡競争はあらゆる場所で平等に競争する必要も報酬もないからだ。アメリカは、極超音速兵器における中国の全ての発展を模倣する必要はない。これらの兵器は、妥当なコストでは、ワシントンが西太平洋で必要とする火力の量を提供することはできない。米国防総省はまた、クレムリンの膨大な短距離核兵器に匹敵する量を整えるべきではない。アメリカは、敵がアメリカの通常戦力と戦略的核兵器の間の空間を調査することに大胆さを感じさせないようにするために、十分な限られた核の選択肢を単に必要としている。

より良いアプローチは、非対称的に(asymmetrically)考えることである。つまり、アメリカの明確な優位性を利用して、敵が掲げる勝利のための理論を混乱させ、そのコストを上昇させることだ。例えば、台湾に対する中国の軍備増強の価値を下げるには、アメリカとその同盟諸国が重要な優位性を利用することである。荒波に囲まれた島を防衛することは、征服するよりもはるかに容易である。対艦ミサイル、機雷(sea mines)、無人航空機(unmanned aerial)、水中走行車(underwater vehicles)など、中国軍にとって侵略を血みどろの悪夢に変えることができる安価な兵器を大量に配備して、台湾防衛は実現可能となる。同様に、北京が中距離ミサイルの競争を望むなら、ワシントンは同盟諸国間のネットワークを利用して、現在の中国の優位を将来の負債に変えることができる。結局のところ、同盟諸国の領土にあるアメリカの中距離通常ミサイルは中国本土に容易に到達できるが、中国の中距離ミサイルはアメリカに到達できない。また、中国が空母やその他の大型艦艇に資金を投入する中、ワシントンは海中戦の優位性を維持することで、一世代分の海軍近代化を危うくすることができる。北京の計画に一貫して挑戦し、その能力を低下させることによって、ワシントンは最終的に中国の指導者に軍拡競争が何を達成するのか疑問を抱かせることができるのである。

ここでは、関連するルールが参考になる。軍拡競争の防御的側面も忘れてはならない。今日、かつてと同様、軍備管理論者はしばしば、弾道ミサイル防衛は不安定だ、あるいは単に無駄だと主張するが、それは安価な対抗手段で打ち負かすことができるからである。しかし、アメリカのミサイル防衛は急速に改善されており、レーザーなどの指向性エネルギー兵器(directed energy weapons)やその他の新技術の利用により、迎撃ミサイル(interceptors)の割高のコストや数量制限などの問題がまもなく緩和される可能性がある。北朝鮮のような、ならず者国家(rouge states)だけでなく、ロシアや中国に対して限定的な弾道ミサイル防衛を行うことは、モスクワや北京の核強制のドクトリンを複雑にする可能性があり、少数の核攻撃で地域紛争へのアメリカの介入(U.S. intervention)を妨害または抑止することを想定している。また、核兵器搭載の潜水艦やプーティンが開発した終末装置(doomsday-device)のような兵器など、ミサイル防衛を破るには非常に高価で斬新な核運搬手段への投資を増やすことで、ロシアと中国のコストを押し上げる可能性もある。

もちろん、軍拡競争には質的な側面と量的な側面がある。このことは、もう1つの原則、すなわち、数字だけが重要なのではないということを思い起こさせる。1980年代、アメリカが達成した重要な成果は、数的に同等な状況下でも先手を打った。米国のICBMの精度の革命的な向上は、ソ連当局に核戦力の存続を危ぶませた。今後、核兵器の増強が必要なのは明らかだが、均衡を保つには、ミサイルの精度やISR(比類のない国際的な認識を提供する情報・監視・偵察能力)などの質的優位を生かす必要がある。

しかし、抑止力(deterrence)とは心の持ちようだ。一方が相手に対して何ができるか、何をするかということにかかっている。従って、アメリカの政策立案者たちは、認識が現実と同じくらい重要であることを忘れてはならない。1980年代、米国防総省はステルス技術に関するニューズを垂れ流し、ソ連の核ミサイル潜水艦を沈める能力を喧伝し、精密誘導弾の効果を劇的に明らかにし、かつ時には誇張し、モスクワの軍事バランスに対する認識を操作する、巧妙な情報戦略を使っていた。今回、アメリカはロシアや中国に警戒心を抱かせるために、高度な新能力を誇示したり、実際には起こっていない技術的飛躍を恐れさせ、報われない領域に誘い込んだりする可能性がある。新技術は新たな可能性を生み出し、特にサイバー分野は能力の真のバランスを知ることが難しいため、欺瞞の対象となりやすい。

このことは、競争がより鋭く、より緊迫したものになることを意味している。しかし、過去から得た最後の教訓は、軍拡競争は軍備管理と一緒に行われ得るということである。軍備管理が軍拡競争を助長することもある。1970年代、アメリカはヴェトナム戦争から立ち直り、準備が整うまで、対弾道ミサイル条約を利用して防衛的な軍拡競争を遅らせた。1980年代におけるレーガン大統領の経験が示しているように、軍備管理は軍拡競争につながる可能性もある。

軍備管理はそれでもまだ良い考えだ。2021年の新START延長は軍拡競争の観点からは理にかなっている。なぜなら、経済的に優位に立つアメリカを上回るには時間がかかるとしても、モスクワは短期的に戦略核戦力を増強するのに有利な立場にあるからだ。そして、増強から削減へというのは今でも正しい方式である。中距離ミサイル(intermediate-range missiles)や戦略核戦力(strategic nuclear forces)、あるいはAIやその他の新技術の不安定な応用を制限する米中露3カ国間協定はいずれ可能になるかもしれないが、そのためにはまずアメリカが、無制限の軍拡競争は最終的にライヴァル諸国をより貧しく、より脆弱にすることを証明しなければならないだろう。

コリン・S・グレイは、『フォーリン・ポリシー』誌の1972-73年冬号で、「軍拡競争という言葉は、敵意、危険、高い税金を連想させる」と書いている。しかし、軍拡競争は、戦争での敗北や軍事的劣位から生じる影響力の漸進的喪失など、より醜い結果を回避するために必要な場合もある。また、知的な戦略によって、修正主義的な敵対勢力にアプローチを修正させ、おそらくは長期目標を再考させることができれば、軍拡競争から得られる報酬は大きなものになる。利害関係の強い軍拡競争は、今日既に繰り広げられており、アメリカはそれを形成することが強く求められている。軍拡競争は、負ければ無駄になるだけだ。

※ハル・ブランズ:ジョンズ・ホプキンズ大学高等国際問題研究大学院ヘンリー・A・キッシンジャー記念教授、アメリカン・エンタープライズ研究所上級研究員。ツイッターアカウント:@HalBrands

(貼り付け終わり)

(終わり)

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ビッグテック5社を解体せよ

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 悪魔のサイバー戦争をバイデン政権が始める
20211129sankeiad505

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 古村治彦です。

 2022年11月15日、16日にインドネシアのバリでG20サミットが開催された。G20サミット期間中に日中、日米、米中の二国間の首脳会談が実施された。現代は情報通信技術の発展によって、直接対面しなくても顔を見ながら話をすることができる。リモートワークやリモート飲み会ということが日本でも盛んになっている。しかし、多くの人々が異口同音に述べているのは、「やはり直接会った方が話は進みやすい、誤解が少ない」ということだ。不思議なもので、画面を通さないでお何場所で直接会って話をした方が良いということだ。これはどうも世界共通の感覚のようだ。

 中国が厳しい新型コロナウイルス対策(ゼロコロナ対策)を行っているのは日本でも報道されている。国内で厳しいロックダウンを実施しているし、外国からの渡航も制限している。そのために、外交官や専門家たちの相互交流が制限され、その結果として米中間の緊張関係が高まっているということが今回ご紹介する論稿の趣旨だ。相手が何を考えているか、自分が何を考えているか、胸襟を開いて話し合う、もしくは言葉ではない、たとえば表情や態度といったことからの推察や洞察が相互理解に深く寄与している。

 新型コロナウイルス感染拡大で直接の首脳会談の機会も減っている。そうした中で、ウクライナ戦争が勃発したのは象徴的だ。お互いがお互いの考えを理解する機会を持たずに、敵意を高め続けていけばそのような悲劇的な結果になる可能性も高まる。首脳同士が直接会談を持つということは非常に重要である。

 更に言えば、そうしたトップ外交だけではなく、民間の交流も重要だ。観光旅行も物見遊山ではあるが、相互理解にとって重要だ。相互に学生たちが留学し合うということは将来にとって重要だ。

 新型コロナウイルス感染拡大によって世界規模で相互交流が中断された。その間に相互理解ではなく、相互不信が進んでしまったとしたらそれもまた新型コロナウイルス感染拡大がもたらしたマイナスの影響だ。新型コロナウイルスに打ち勝つために、相互理解を深めるために、交流を促進できるよう方策を整えることが重要だ。

(貼り付けはじめ)

習近平・ジョー・バイデン会談は中国の破壊的な孤立を解消するのに役立つかもしれない(Xi-Biden Meeting May Help End China’s Destructive Isolation

-北京は世界から危険なほど孤立している。

スコット・ケネディ

2022年11月14日

『フォーリン・ポリシー』誌

https://foreignpolicy.com/2022/11/14/xi-biden-meeting-china-isolation/

中国は、悪名高い「ゼロ新型コロナウイルス」管理策と海外渡航制限により、1970年代半ば以降で最も深刻に孤立した状態になっている。中国の都市生活者の多くは、自国が北朝鮮のような孤立化の方向に進んでいると見ており、数年前に作られた造語「西朝鮮(West Korea)」を自国を表現するために使うことが多くなっている。中国はまだ「隠者の王国(Hermit Kingdom)」にはなっていないが、新型コロナウイルス発生後、ワシントンのシンクタンクの専門家として初めて中国を訪れた私は、中国の孤立化が平壌と同様に世界にとって危険であることを確信した。

G20サミットに併せて、インドネシアのバリ島で会談したジョー・バイデン米大統領と習近平中国国家主席は、互いの孤立を解消することが最優先課題であり、そうすることが両国の自己利益になると同時に、世界の他の国々の利益にもなると理解していたようである。これは、悲惨な状況になっているだけに、緊急に必要なことである。

北京首都国際空港に隣接する検疫ホテルの窓からの風景が、中国が内向きになったことを知る最初の手がかりとなった。北京へのフライトは2019年の水準から3分の2以上減少し、私が滞在した10日間、海外の航空会社の飛行機が着陸してくるのを見なかった。市内では、外国人観光客の不在がさらに鮮明になった。私が宿泊したホテルはアメリカの大手チェインに属していたが、宿泊客が少ないため、レストランは週のうち何日かしか営業していなかった。

2020年初頭、中国は外国人観光客への門戸を閉じた。かつて中国の大都市で見慣れたバックパッカーも、高級バスに乗った裕福なツアー客も、1人も見かけなくなった。それ以来、多くの国々からの駐在員やその家族、そして彼らの子供たちを教えていた欧米諸国出身の教師たちが去っていった。多国籍企業のCEOたちはかつて中国に集まっていたが、今は離れている。各国の大使館は人手不足に陥っている。北京はもはや進取の気性に富む外交官にとって人気のある目的地ではなく、主にゼロ新型コロナウイルス政策のおかげで、以前よりも苦労の多い場所になっているからである。何度も追放され、ヴィザの取得に何年もかかった結果、ほんの一握りのアメリカ人ジャーナリストしか中国に残っていない。

私のような欧米の学者は、長い検疫のために主に中国を避けているが、カナダ人のマイケル・コブリグのような扱いを受けるかもしれないと懸念する専門家も存在する。コブリグは外交官から学者に転身し、カナダがアメリカの引渡し要求に応じてファーウェイ幹部の孟晩舟を拘束した報復として、同じカナダのマイケル・スパーバーとほぼ3年間不当に収監された人物だ。

次世代の中国専門家となり得たかもしれない若いアメリカ人の数は少なくなっている。米政府関係者によると、2018年のピーク時に1万1000人以上いたアメリカ人留学生は、現在、中国全土で300人未満に減っているということだ。

滞在する外国人は、常にその理由を自問する。配偶者が中国人であるとか、子供の教育を中断させたくないとか、儲かる仕事があるとか、答えは様々である。ある友人は「義務感から中国から離れないのだ」と打ち明けた。「もし、私が去ったら、誰がここで目撃するのだろう」と彼は述べた。

海外に出かける中国人の数も減っている。中国人経営者、観光客、学者などは、旅行に対する不安や帰国後の長い検疫を避けたいなどの理由で、ほとんど家にこもっている。外国人との広範な交流の政治的リスクは新型コロナウイルス感染拡大前に高まっていたようだが、学者の多くは、新型コロナウイルスを国内に持ち帰ることを恐れて、大学が海外旅行を承認してくれないと本誌に語っている。最新のデータによると、2021年時点で30万人を超えるアメリカへの留学生を含め、海外にはまだ多数の中国人留学生がいるが、そのほとんどは検疫の要求のために故郷から切り離された状態だ。

物理的な隔離と直接の接触の制限がもたらす結果は深刻だ。相互理解がまず犠牲になる。文書を読んだり、オンラインで会議を開いたりしても、顔を合わせての長時間の交流の代わりにはならない。北京と上海における中国側との会話から、アメリカ、ウクライナ、台湾、技術競争、新型コロナウイルス、その他の問題に対する公式および個人の意見の幅について、ネットで得るよりはるかに大きな洞察を得ることができた。また、現地に赴くことで、それらの意見や議論が中国国内の社会力学によってどのように形成されているかを知ることができた。

更に言えば、直接会っての交流が少ないため、中国の政策コミュニティでは、アメリカを悪者扱いし、中国のあらゆる行動を正当化し、北京がワシントンとの闘いに勝利していると結論づける、揺るぎないコンセンサスを特徴とする「共鳴室(echo chamber)」の形成が強化される。このような歪んだ見方を打破する唯一の効果的な方法は、長期的かつ反復的な対面での関与と外交だ。協力の拡大が目的であれ、抑止が目的であれ、効果的なコミュニケイション(聞くことと話すことの両方)が重要である。

中国の外交政策専門家で長年の友人である人物が「必要なものは全てオンラインで手に入るから、もうアメリカに行く必要はない」と本誌に語っていたが私は深く憂慮している。「もし私が国務省に行ったとしたら、米中間の諸課題のリストを渡されるだけだ」と彼は言った。しかし、他の国の人々はもちろん、色々なアメリカ人と旅行して話をしなければ、アメリカの政策の原点や、アメリカ人が中国の政策をどう評価しているかを理解することはほぼ不可能だ。同じことが、オフィスから中国を見るアメリカ人にも当てはまる。

また、限られたつながりによって、相手に対する非人間化(dehumanization)、共感の欠如(lack of empathy)、そして問題が解決され関係が修復されることへの希望を放棄する行為、すなわち離反(estrangement)を生み出す。ワシントン同様、北京でも関係の軌跡について運命論に(fatalism)遭遇した。その結果、最悪の事態を想定した計画が強化され、それが双方の行動と反撃の悪循環を生み、さらなる緊張の激化(escalation of tensions)を招いている。

米中両国は今、そのような状況に置かれているが、そこに留まっている必要はない。習近平・バイデン会談では、3時間半の間に幅広いテーマについて議論し、台湾に関するレッドラインを明確にし、ロシアと北朝鮮に向けた核兵器の使用に反対する共通の合意を打ち出すことに成功した。しかし、それ以上に注目すべきは、米中両国の高官たちによる定期的な交流を行う権限を与えることで合意したことだ。その場限りのコミュニケイションにとどまらず、いくつかのワーキンググループを通じて対話を進めると発表した。

アメリカ人の中には、北京との対話は中国の時間稼ぎであると懸念する人がいるのも当然のことだ。正しい姿勢は、対話の機会を与え、それがうまくいかなければ中断することである。また、バイデン政権が現在進めている、中国の軍事力を助ける可能性のある先端技術の制限、アメリカの技術革新に対する支援の拡大、中国の人権侵害に対する発言、台湾に関する公約の遵守などを、対話の拡大が妨げることはないと考えられる。

次のステップは、双方が双方向の海外渡航を促進することだ。最初は企業幹部、学者、学生、そして最終的には観光客の渡航を促進する。そのためには、航空便の増便を許可し、中国の場合はヴィザの発給を増やし、検疫期間を最近設定された8日間を下回るまで徐々に短縮することが必要であろう。公衆衛生上のリスクを最小限に抑えるため、中国は海外からの入国者に対する検査の頻度を増やし、国内の人々に対してはワクチン接種を拡大し、十分な治療薬を入手・配布し、新型コロナウイルス患者の増加に備えて病院を準備することができるだろう。

最終的には、相手国に赴任する双方の記者の数を制限することをめぐる対立の解決策を見出すことだ。中国はアメリカの記者の中国へ戻ることを歓迎すべきである。それは、海外から中国を報道しようとするよりも、現地にいた方がニュアンスやバランスの取れた報道ができる可能性が高いからだ。そしてアメリカは、中国の報道機関の全社員が、実際には生粋のジャーナリストであることを保証する方法を見出すことができるはずである。

米中両国の政府と社会の間で直接対面してのコミュニケイションを拡大することは、明白な紛争の可能性を減らし、アメリカの国家安全保障と経済を強化し、米中両国が気候変動やその他の地球規模の課題に協力して取り組む可能性を高める方法で、責任を持って戦略的競争(strategic competition)を追求するための中核となるものである。

※スコット・ケネディ:戦略国際問題研究所(Center for Strategic and International StudiesCSIS)上級顧問、中国ビジネス・経済学部門評議員会長。

(貼り付け終わり)

(終わり)

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