古村治彦です。

 今回は『日本会議の正体』という本を皆さんにご紹介します。このブログでは、以前に『日本会議の研究』という本を皆様にご紹介しました。今回の本もまた、日本会議をテーマにしています。私の個人的な感想では、『日本会議の正体』の方が私の興味関心、問題意識を満足させてくれるものでした。私の興味関心は、日本会議を支える宗教界、特に神社本庁の関わりと財政的支援や日本会議の源流となった80年代くらいまでの生長の家の活動や主張などでしたが、これらについて、著者の青木氏は丹念に追っています。『研究』と『正体』を読むと、現在の日本社会と日本政治の状況が掴めると思います。そして、現状は無関心ではいられないと思わせてくれます。


 
 

 日本会議の事務局を支えているのは、生長の家の信者であった椛島有三事務総長をはじめとする人々です。『日本会議の研究』では、椛島有三、安東巖、伊藤哲夫といった生長の家の信者で若い時から草の根保守運動に関わってきた人々について丁寧に描かれていました。『日本会議の正体』では、日本会議を動員や財政面で支える神社本庁の動きについて詳しく描かれています。私が驚くのは、明治神宮の動きです。

 

明治神宮はお正月ともなれば初詣客が押し寄せその数は日本一です。また、神宮球場(東京六大学野球、東都大学野球、東京ヤクルトスワローズの本拠地で恐らく日本で一番忙しい球場でしょう)や明治記念館(結婚式場として有名)といった優良施設を都心に構え、その売り上げが110億円にも上るということです。そして、豊富な資金力や動員力を使って、日本会議や日本会議が行うイヴェントを支えているということです。明治神宮に初詣に行く人や明治記念館で結婚式を行う人の中には、神社本庁や日本会議が目指す改憲に反対の人もいるでしょうが、そうした人たちのお金もこうした運動に使われていることになるということは驚きでした。

 

 この『日本会議の研究』では、生長の家の開祖である谷口雅春の教えや主張についても紙幅が割かれています。「谷口雅春」「生長の家」という言葉は知っていましたが、私が物心つくころには、生長の家は政治から撤退し(1983年、優生保護法の改正で自民党が努力をしなかったことが原因だそうです)、それ以降は、政治とは距離を取り、現在はリベラル寄りで、安倍政権に批判的になっているとのことです。

 

 谷口雅春が書いた本が『生命の實相』で、これはこれまでに約1900万部も出た本だそうです。病気になった人たちがこの本を読んで治ったという体験を持つのだそうで、鳩山一郎元首相も脳出血で倒れ体が不自由になってから読んでいたそうです。生長の家は、出版宗教と呼ばれていたほどで、多くの本やパンフレットを出して布教をしていました。こうなると、ある程度本を読むことができる、慣れている、好きだという人たちが多くなり、インテリが多いとも言われていたそうです(開祖の谷口雅春は早稲田大学中退で、文章がうまかったということです)。

 

 谷口は戦後、GHQから執筆追放処分となりましたが、1969年に『占領憲法下の日本』という本を出しました。推薦文は三島由紀夫が書いています。三島は、自分の祖母も病身で、枕元には『生命の實相』があったとその中で書いています。この本の中で、谷口は次のように書いているそうです。「すなわち『主権は国民にありと宣言し』の原稿占領憲法の無効を暴露する時機来たれりと宣言し、『国家統治ノ大権ハ朕カ之ヲ祖宗に承ケテ之ヲ子孫ニ伝フル所ナリ』(帝国憲法発布勅語)と仰せられた本来の日本民族の国民性の伝統するところの国家形態に復古することなのである」。

 

 この言葉は、現在、自民党内部でも強硬派と呼ばれる西田昌司議員や稲田朋美議員が述べている、「国民主権が間違っている」「国民の生活が第一なんて政治は間違っている」という発言の源流であることが分かります。そして、彼らはこれまでの人類の発展と進歩の歴史に逆行しようとしています。自民党の片山さつき議員もこうした人々の仲間の1人です。こうした人々が作ったのが「自由民主党憲法改正草案」です。この立憲主義とは何かも理解していない人々が作った文書については、『憲法改正のオモテとウラ』(舛添要一著、講談社現代新書、2014年)と『自民党憲法改正草案にダメ出し食らわす!』(小林節、伊藤真編集、合同出版、2013年)で厳しく批判されていますので、これらをお読みください。




  

 稲田議員は『日本会議の正体』の後半部でインタヴューに応じています。日本会議関係者のほとんどがインタヴューを拒否した中で、自民党政調会長であった稲田氏がインタヴューを受けたことには敬意を表したいと思います。稲田氏は、インタヴューの中で、日本会議や生長の家の元信者(原理主義者たち)とは微妙な温度差を見せています。政教分離であるとか、南京事件に対する評価などでは穏健な考えを示しています。しかし、こうしたインタヴューに答え、原理主義者たちに比べて比較的穏健な考えを述べれば、印象が良くなるという計算もあるでしょうから、言葉を額面通りには受け取ることはできません。

 

 青木氏は『日本会議の正体』の最後で、日本会議の正体について「戦後日本の民主主義体制を死滅に追い込みかねない悪性ウィルスのようなものではないかと思っている。悪デイであっても少数のウィルスが身体の端っこで蠢いているだけなら、多少痛くても多様性の原則の下で許容することもできるが、その数が増えて身体全体に広がりはじめると重大な病を発症して死に至る」と書いています。

 

 体が弱っている時に、そうではない時には何ともないのに、大きな病気を発症することがあります。今、日本は国力を落としながら、先進国としてどう着地しようかと迷っている状況です。1960年代からの奇跡の経済成長時期とバブル崩壊までの時期で日本は相当な国富を貯めこんだはずです。それを少しずつ使いながら、システムを転換させる時期に来ています。しかし、私たちが不安に思っているのは、「貯めこんだ国富が残っているのか」「それを使えるのか」ということです。具体的には、アメリカ国債やカリフォルニア州債に化けている国富を取り戻すことができるのかということです。

 

今、私たちは「昔はよかった」という思いに駆られることが多くあります。日本は衰退しつつあるという現実を痛みを持って受け止めています。これは、人間の体で言えば、体力が落ちている状態と同じです。そうした時に、えてして、排外主義、外国との戦争に活路を見出すという動きが起きてきたことは世界の歴史が証明しています。

 

 今、日本は体力を落として弱っています。経済の低迷と少子高齢化による社会構造の変化といった「体調の変化(年相応の高齢化)」が体が弱っています。その弱った体で菌の均衡状態が崩れてしまっている状況です。それは国会の議席数を見ても明らかです。このような状況を脱し、早く均衡に戻れるようにしなくては、この状況を利用されてしまって、再び外国とぶつけられてしまって、亡国の道を進むということもあり得ます。

(終わり)