古村治彦です。

 今回は第二次世界大戦と冷戦を比較し、戦後処理の成功と失敗の対照が現在の状況を生み出したという興味深い分析記事をご紹介する。第二次世界大戦は連合国(アメリカ、イギリス、ソ連、中国など)と枢軸国(日本、ドイツ、イタリアなど)の間で戦われ、枢軸国側が敗れた。ドイツと日本はアメリカ軍によって物理的な占領を受けたが、その後、ドイツと日本はアメリカにとっての重要な同盟国となった。第二次世界大戦戦後処理は、第一次世界大戦の戦後処理の失敗が第二次世界大戦を導いたという反省の下、抑制的だったと著者のハーシュは分析している。

 冷戦は第二次世界大戦終結後、世界が東側(ソヴィエト連邦が主導)と西側(アメリカが主導)に分かれて争ったものだ。大規模な戦争としては朝鮮戦争、ヴェトナム戦争、アフガニスタン戦争などがあり、最終的にはソヴィエト連邦が崩壊し、西側の勝利となった。西側の勝利の「高揚感」はすさまじく、東側に一気に自由化、民営化、法の支配、民主政治体制を押し付けた。「資本主義と民主政治体制が最終的に勝利し、歴史の終わりとなった」ということで、東側諸国に対して侮蔑的な扱いで、改革を押し付けることになったとハーシュは分析している。それがロシア、そしてプーティンの屈辱感を醸成し、大ロシアの復活を目指し、今回のウクライナ侵攻を導き出したというハーシュの分析である。

 第二次世界大戦と冷戦を比較対象とするというのは粗雑の印象は免れないが、「戦後処理」という点で、「買った方の負けた方に対する態度」で次の結果が導き出されるというのは興味深い分析である。「歴史の終わり」の高揚感と共に、アメリカは世界中に資本主義とデモクラシーに過剰な自信をもって押し付けて回るようになった。その理論的勢力がネオコン(共和党)であり、人道的介入主義派(民主党)だ。詳しくは拙著『アメリカ政治の秘密』『悪魔のサイバー戦争をバイデン政権が始める』をお読みいただきたい。
 ネオコンや人道的介入主義派がアメリカの外交政策を主導する時代が2000年代から続いた。その間に起こったことは中露との対立構造だった。これらの国々と共存し、もしくは共同して世界管理を行うということができず、対立を激化させる方向で進んでいったことが現在の状況を生み出したとも言えるだろう。アメリカの危険な理想主義(「世界すべての国々を民主政治体制で資本主義体制にする、そうすれば戦争は起きない」)が世界を壊したということも言えるだろう。

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先の大戦争が今回の大戦を引き起こしたかもしれない理由(Why the Last War May Have Triggered This One

-第二次世界大戦後、日本とドイツはアメリカの堅固な同盟国となった。冷戦が同様の方法で終わらなかったのは何故か?

マイケル・ハーシュ筆

2022年2月25日

『フォーリン・ポリシー』誌

https://foreignpolicy.com/2022/02/25/russia-ukraine-invasion-nato-allies-cold-war/

第二次世界大戦後、アメリカはドイツと日本という2つの強力な侵略国家を永続的かつ平和的な同盟国に変えることに成功した。しかし、冷戦後、アメリカは、ウラジミール・プーティン大統領のウクライナ侵攻に代表されるように、ロシアを永続的かつ苛烈な敵対国に変貌させる一連の政策を採用した。

プーティンの侵略にどう対処するか、西側諸国が頭を悩ます中、なぜこの2つの戦争(第二次世界大戦と冷戦)が正反対の結末を迎えたかを検証することは価値があるかもしれない。

確かに、2つの大戦争の間には大きな違いがあった。第二次世界大戦末期、フランクリン・ルーズヴェルトとハリー・トルーマン両大統領は、無条件降伏と占領政策を採用し、ドイツと日本の軍国主義者を完全に駆逐し、両国を根底から変革させた。その過程で多くの失敗があったが、ワシントンのアプローチは、ほとんどの場合、寛容で、政治的、文化的な相違に敏感であった。

冷戦終結後、アメリカ軍もしくは欧米の同盟諸国軍による旧ソ連への物理的な占領は行われなかった。その代わり、一種の心理的な占領が行われた。「歴史の終わり」が目前に迫っており、民主政治体制資本主義が唯一の道であるという考えに熱狂した西側諸国は、勝利の感覚を持ちながらロシアにアプローチした。経済と政治の2つの側面から、西側諸国は一連の傲慢な政策を追求し、ロシアの支配層の間に深い不信感を抱かせ、プーティンの権力獲得と大ロシアの復活を目指す彼の基盤を作ったのである。

経済面で見ると、アメリカ政府当局は、法の支配と新しい制度を欠いた旧共産主義帝国ロシアが、民主政治体制資本主義への迅速な転換の準備ができていない可能性があることを認識し損ねた。ハーヴァード国際開発研究所や国際通貨基金の自由市場担当コンサルタントたちは、旧共産圏の生産システムの急速な民営化、いわゆるショック療法(shock therapy)を推し進めた。しかし、民営化は、ロシア人が苦いユーモアとともにプリフバティザツィヤ(prikhvatizatsiya)、すなわち「グラブ化(grabification)」と呼ぶ、党の幹部からオリガルヒに転じた者による旧国有企業の不公平な接収に急速に堕落していったのである。

その結果、ロシアから大量の資本逃避(capital flight)が起こった。そして、超富裕層のオリガルヒが、現在もロシアの後進国経済(underdeveloped economy)を支配している。世界銀行(World Bank)の元チーフエコノミスト、ジョセフ・スティグリッツは、「市場経済が発展するための制度的社会資本(インフラ)に十分な注意を払わず、ロシアの内外への資本の流れを緩和することによって、国際通貨基金(IMF)とアメリカ財務省はオリガルヒによる略奪の基礎を作ってしまった」と書いている。プーティンが最初に権力を握ったのは、当然ながら、オリガルヒの支配を糾弾するためだった。

政治の世界で見ると、傲慢さと強引さが支配的であった。ソ連の崩壊が始まると、当時のジョージ・HW・ブッシュ米大統領らは当初、核拡散(nuclear proliferation)を懸念して旧ソ連の解体に慎重な姿勢を示していた。1991年8月、ウクライナで行った演説では、ソ連からの脱退を問う国民投票を目前に控え、「自殺的ナショナリズム(suicidal nationalism)」の出現を戒めた。『ニューヨーク・タイムズ』紙のコラムニスト、ウィリアム・サファイアは、ブッシュの発言を「チキン・キエフ(Chicken Kiev)」演説と揶揄した。ブッシュの後継者であるビル・クリントン、そしてジョージ・W・ブッシュ、バラク・オバマの歴代の米国大統領の下でアメリカは方針を転換し、旧ソ連圏の全ての国を受け入れるためにNATOを積極的に拡大することを推し進めるようになった。ポーランド、ハンガリー、チェコ共和国から始まり、エストニア、ラトヴィア、リトアニアのバルト三国、ブルガリア、ルーマニア、スロヴァキア、スロヴェニアと続いた。

NATOは2008年のブカレスト首脳会議で、ウクライナとグルジアをいずれ同盟に招き入れると約束し、さらに前進した。ジョージ・W・ブッシュは両国にNATO加盟への第一歩である加盟行動計画を直ちに提示しようとしたが、ドイツとフランスはロシアとの対立を懸念して慎重姿勢を取った。

同時にワシントンは、2014年に録音された恥ずべき会話から、当時のヴィクトリア・ヌーランド国務次官補(その後、ジョー・バイデン米大統領の国務次官に昇進)がウクライナ国内での欧米式の政府樹立に従事していることが明らかになったように、ウクライナの政治操作に露骨に取り組み始めた。アメリカ政府関係者は、核武装したロシアを三流の大国(third-rate power)、あるいは2014年にプーティンのクリミア併合への軽率な対応を問われたオバマが言ったように、単なる「地域大国(regional power)」と見下すようになった。

こうした態度は、クレムリンの傷ついたプライドを更に傷つけ、モスクワの長期にわたる反発を促しただけだった。プーティンは旧ソ連圏の領土を少しずつ取り戻し始め、ウクライナの国家独立と領土の一体性に疑問を呈した。グルジアの部分占領と、その離脱地域であるアブハジアと南オセチアのモスクワによる承認は、2014年のクリミア併合、ドンバスの乗っ取り、そして先週プーティンが承認したウクライナのロシア支配の分離主義地域、ルハンスクとドネツクへの前兆に過ぎなかったのである。

冷戦の終結の仕方は、第二次世界大戦よりも第一次世界大戦の失敗に似ているところがある。1918年にベルリンが降伏した後、傲慢で復讐心に満ちたヴェルサイユ条約について、経済学者のジョン・メイナード・ケインズがドイツを貧困と隷属に陥れると正確に予言し、ヨーロッパ最大の国家の国内に怒りの渦を起こし、独裁者アドルフ・ヒトラーを誕生させるに至ったのだ。ケインズは著書『平和の経済的帰結』の中で、「人間はいつも静かに死んでいくわけではない」と不吉なことを書いている。プーティンの出現を完全に西洋のせいにすることはできないが、彼は民族主義的な憤りの産物であることも確かである。プーティンは、事実上、冷戦の終結を蒸し返そうとしているのであり、彼とロシアのエリートたちは、冷戦終結後のロシアに対する扱いは不当であったと考えている。それは、ヒトラーがヴェルサイユ宮殿を再訪する際に、最も暴力的で欺瞞的な方法でドイツを再武装させ、史上最悪の戦争を引き起こしたことと似ている。

インド外務省のソ連デスクでキャリアをスタートさせた元インド上級外交官ゴータム・マコパダヤは次のように語った。「プーティンは、世界がロシアを“過去の人(has-been)”と見下した30年余りの間、この不満と恨みを抱き続け、その間にロシアの復活を目論んできたと私は考える。プーティンに関する限り、西側諸国はロシアを戦略的敵対国(strategic adversary)と見なすという最低限の敬意さえ払ってこなかったのだ」。

繰り返しになるが、第二次世界大戦は対照的だ。連合国軍最高司令官(Supreme Commander for the Allied Powers)ダグラス・マッカーサー大将が、戦時中の日本の天皇である裕仁天皇(昭和天皇)を皇位に留まらせることを決定したことが、最も顕著な例であろう。もちろん、ナチスと日本の軍国主義者の指導者たちが戦争犯罪裁判を通じて粛清されたことも手伝って、ほとんどの不満は驚くべき程度に処理された。最大の違いは、ドイツも日本も戦争で壊滅的な打撃を受けたため、社会の大きな変化を受け入れることができたことだろう。しかし、ヨーロッパの復興を支援したマーシャル・プランのような一連の賢明な政策が、数十年にわたる友好関係を生み出した。占領下での慢心や傲慢さを徹底的に回避した結果、戦後初のドイツ首相であるコンラート・アデナウアーや、日本国憲法に「戦争放棄(total renunciation of war)」を盛り込むことを提案した日本の幣原喜重郎首相など、アメリカと親和性の高い指導者が誕生した。

当時、アメリカの指導者たちは、第一次世界大戦後の過ちを避けようと懸命に努力していた。何故なら、第一次世界大戦の戦後処理の過ちから第二次世界大戦が直接的に生まれたことを、その時点で理解していたからである。1941年、ルーズヴェルトは「1920年代の戦後の世界のように、ヒトラー主義(Hitlerism)の種を再び植え付け、成長させるような世界を受け入れることはできない」と述べた。

今後の問題は、バイデン大統領をはじめとする西側諸国の指導者たちが、最後の大戦争から派生した最新の戦争を終わらせるための公平な方法を見出すことができるかどうかである。

(貼り付けはじめ)

(終わり)

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