古村治彦の政治情報紹介・分析ブログ

SNSI研究員・愛知大学国際問題研究所客員研究員の古村治彦のブログです。翻訳と評論の分野で活動しています。日常、考えたことを文章にして発表していきたいと思います。古村治彦の経歴などについては、以下のアドレスをご覧ください。http://soejimaronbun.sakura.ne.jp/goaisatsu.html 連絡先は、harryfurumura@gmail.com です。よろしくお願いします。

タグ:日本国憲法

 古村治彦です。

 

 今回は、ネオコンの牙城であるシンクタンクCSISの上級副所長にして、先日共和党の外交政策専門家50名による反トランプ書簡にも名前を連ねた、マイケル・グリーン先生による「天皇のお言葉」についての解説です。

 

 天皇は直接的に退位に関することは述べることが出来なかったが、これは政治に関与することが出来ない天皇の立場から当然のことだが、年齢や健康、義務の負担について言及することで、間接的に「退位をしたい」ということが分かるようになっていたという解説は、なかなか良く分かっているなという印象です。

 

 今回の天皇退位の間接的な意思表明について、「これは安倍内閣に対する失望の表明だ」という解釈についても言及しており、これは日本の主要なマスコミでは流されていない話なので、細かくインターネットでも情報を取っていることを示唆しています。この解釈について言及しておいて、これは主要な解釈ではないと書いてあるところは、これは妄説だと切り捨てたいという意思の現れでしょう。

 

 最後の「明確になっているのは、明仁天皇は日本の皇室の伝統を改革するための時期が来たという間接的なシグナルを送ったということである」という部分は、今上天皇が最も言いたかったことを捉えているのだろうと思います。

 

=====

 

日本の天皇による珍しいテレビを通した声明(A Rare Television Address by Japan’s Emperor

2016年8月8日

August 8, 2016

https://www.csis.org/analysis/rare-television-address-japan-emperor

 

2016年8月8日、日本の明仁天皇はテレビに出て声明を発表した。これはきわめて珍しい機会であった。天皇は衰えていく健康と日本の高齢化社会に言及し、「天皇もまた恒例となった場合に望ましい天皇の役割」についての個人的な考えを伝えたいと述べた。明仁天皇は現在82歳だ。日本の皇室典範によると亡くなるまで終身天皇の地位にとどまらねばならない。しかし、天皇の声明は、天皇が天皇の位から退きたいと考えているかもしれないという推測を人々に起こさせた。安倍晋三首相は、天皇の発言には真剣に対応すべきだが、天皇退位の可能性についての詳細なコメントはしなかった。

 

問1:天皇が退位問題について直接声明を発表しなかったのはどうしてか?

 

答1:日本の戦後憲法は、天皇を国家の象徴とし、統治に関わる権力を持っていないと規定している。天皇は政治的だと思われる可能性を持ついかなるコメントも行うことは禁止されている。従って、天皇は直接退位について言及しなかった。現在の法律では天皇退位に関する条項は存在しない。しかしながら、天皇は、たとえ高齢になっても国の象徴としての天皇の義務を減らすことはできないこと、そしてもし天皇が義務を果たせなくなったら摂政(恐らく彼の息子)が摂政に任命されるにしても天皇は終身在位し続けるという事実に変更はないことに言及することで、間接的に、退位問題について示唆を与えた。安倍首相は、天皇が直接人々に向かって直接、年齢と天皇の義務に伴う負担について語ったという事実を真剣に受け止め、何ができるのかを考える必要があると述べた。

 

問2:声明はどのように解釈されるか?

 

答2:天皇の衰えいく健康(天皇は前立腺と心臓の手術を受けた)が主要な要素であり、10分間の声明の中で、一度ならず肉体的な状態について言及した。日本国内、国外のマスコミの中には、天皇が安倍内閣の安全保障政策に対して失望を表明しているという憶測が流れている。昨年、安倍内閣は一連の国防政策改革を国会で通過させた。その内容は、集団的自衛権の行使や攻撃されている同盟国の防衛にかけることといったことであった。この改革の意図は、安全保障問題における日本の役割を増やすことであった。しかし、この解釈は、明仁天皇の先の大戦に関する不明帳な発言を基にしている。そして、マスコミ、政治家、官僚の大部分はそのような解釈を行っていない。

 

問3:日本政府はこの問題をどのように対処するだろうか?

 

答3:国会は天皇退位を許可するために皇室典範を見直す必要があるだろう。そしてこの可能性の調査をこの9月から始まる国会の会期で始めるだろう。マスコミの中には、安倍内閣が天皇退位問題研究のために専門家による委員会を創設するだろうという報道をしている社もある。世論は変更について賛成している。週末に行われた朝日新聞の世論調査では、84%が天皇退位を支持している。しかし、この議論が展開されるペースがどれくらいのものになるか、はっきりしていない。明確になっているのは、明仁天皇は日本の皇室の伝統を改革するための時期が来たという間接的なシグナルを送ったということである。

 

※マイケル・J・グリーン:ワシントンにある戦略国際研究センター(CSIS)のアジア担当上級副所長兼日本チェア、ニコラス・セーチェーニ:上級研究員兼日本チェア副部長。

 

(終わり)





 
このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック Share on Tumblr Clip to Evernote

 古村治彦です。

 

 2016年8月8日午後3時に、今上天皇による「お言葉」の発表がありました。内容はこれまで報道されてきたことの内容から大きく外れるものではありませんでした。「●●したい」ということは個人的に持つことは自由ですが、天皇の地位に関することは国政上の問題になるために、具体的には述べられることはありませんでしたが、今上天皇が「個人」として、「天皇の位から退位したい」という気持ちを持っていることが明らかになりました。これを受けて、安倍晋三首相は、「何ができるかを検討したい」を述べました。

 

 現在の日本国憲法、皇室典範では、天皇の退位についての規定はありません。ですから、昭和天皇は、崩御するまで天皇の位にありました。今上天皇は、日本国憲法下で初めて即位した、最初から「国民統合の象徴としての天皇」としての天皇です。そして、即位式で日本国憲法の遵守と述べた天皇であり、今回の意見表明は、日本国憲法との兼ね合いについて考えた末でのギリギリの行為であったということが言えます。

 

 普通に考えてみれば、80歳という年齢を超えて激務をこなすということは大変なことです。人間の肉体と精神の面から見て過酷なことです。ですから、仕事を退く定年が定められていたり、年金支給年齢は65歳からであったりする訳です。

 

 即位した最初から日本国憲法下の「国民統合の象徴としての天皇」である今上天皇は、言ってみれば、象徴天皇初代と言ってよい天皇です。昭和天皇は戦後しばらく政治、特に外交に影響を及ぼしていました。また、内閣閣員による「内奏」を残すように働きかけました。明治憲法下の天皇大権を持つ天皇としての面を残していたと言えます。

 

 この日本国憲法下、個人としての幸福追求権は何人にも保障されたものです。皇族には参政権などは認められていませんが、幸福追求権は認められているはずです。ですが、問題は天皇の位と個人の幸福追求権との関係です。自分の健康に不安を持つ、年齢を考えることなどから、地位を退くことや仕事から退くことは誰にでも許されていることです。公務員であっても、民間の会社員であっても、また総理大臣だろうが国会議員だろうがそうです。しかし、天皇の場合にはその規定がないために今のところ、それが許されていません。ですから、自分の「意思」で天皇退位について決められるという、ある意味では、近現代に入って最大の「改革」を行おうという意図があるのだろうと思います。こうした意向がリベラルに映り、今上天皇と皇后に対して批判的な右翼や保守派の人々がいますが、彼らが今上天皇と皇后の発言や行為にピリピリと来ていることは分かります。

 

 問題は、天皇自らが退位を決められるとなると、天皇の存命中の退位が頻発する、しかも若年での退位が頻発するのではないかということです。国事行為や宮中祭祀、公務はスケジュールがぎっしりで大変な緊張を強いられると言います。それを毎年毎年やるのですから、嫌になる人が出てくることもあるでしょう。そうなった場合に、「存命中の退位」ということになるでしょう。だから官庁や企業などでは定年が設けられているのですが、天皇に定年がふさわしいのかどうかは微妙です。そうなると、存命中の退位については、「摂政を置くほどではないが肉体的、精神的に天皇の公務に耐えられなくなった」という理由づけとそれに関連する条件付けが必要となりますが、その条件決定も大変なことです。ですから、自民党からは今回限りの立法という形で、今上天皇の存命中の退位ができるようにするという話も出てきています。しかし、そうなると、この問題は根本的に解決しないことになります。

 

 ですから、定年という厳格なものでなくても、例えば75歳を過ぎたら、自らの意思で退位を行うことが出来るというような条件が適当ではないかと思います。75歳というのは私の勝手な考えですので、日本人の平均寿命などを参考にして、よりふさわしい数字が出てくるものと思います。そして、退位後の前天皇の処遇についても決めなくてはなりません。

 

 日本国憲法の三本柱は国民主権、戦争放棄、基本的人権の尊重ですから、皇族にはある程度の制限はありつつ、やはり人権は尊重されるべきですし、そうなると、「心身ともに疲れ果てた」と訴える天皇が退位をすることは制度的に保証する(しかし、かなり制限つきで)ということが必要だと思います。

 

 近現代において、天皇の退位が問題になったのは終戦前後のことでした。終戦直前、近衛文麿は、昭和天皇の退位について、京都の仁和寺で出家するということを考えていました。また、皇族や政治家たちの中にも天皇退位を考えている人たちがいました。例えば、日本国憲法起草に関わった芦田均は、昭和天皇の退位を支持する考えを持っていました。昭和天皇自身も一度ならず退位を考えたことがあったようですが、結局退位をすることはありませんでした。

 

 退位となると、こうしたネガティヴなイメージが付きまとってしまう、もしくは、退位を政治的な意思の表明(たとえば内閣の間接的な不信任など)に使ってしまうということが考えられます。ですから、天皇の存命中の退位は歴史上何回も行われてきましたが、明治維新以降は行われていません。

 

 しかし、日本国憲法下の象徴天皇という歴史的には極めて新しい役割を持つ天皇においては、日本国憲法の精神と合致させるためにも、存命中の退位を制度化しておくことは必要だろうと考えます。

 

 

(貼り付けはじめ)

 

象徴としてのお務めについての天皇陛下のおことば(平成2888日)

http://www.kunaicho.go.jp/page/okotoba/detail/12

 

戦後70年という大きな節目を過ぎ,2年後には,平成30年を迎えます。

 

私も80を越え,体力の面などから様々な制約を覚えることもあり,ここ数年,天皇としての自らの歩みを振り返るとともに,この先の自分の在り方や務めにつき,思いを致すようになりました。

 

本日は,社会の高齢化が進む中,天皇もまた高齢となった場合,どのような在り方が望ましいか,天皇という立場上,現行の皇室制度に具体的に触れることは控えながら,私が個人として,これまでに考えて来たことを話したいと思います。

 

即位以来,私は国事行為を行うと共に,日本国憲法下で象徴と位置づけられた天皇の望ましい在り方を,日々模索しつつ過ごして来ました。伝統の継承者として,これを守り続ける責任に深く思いを致し,更に日々新たになる日本と世界の中にあって,日本の皇室が,いかに伝統を現代に生かし,いきいきとして社会に内在し,人々の期待に応えていくかを考えつつ,今日に至っています。

 

そのような中,何年か前のことになりますが,2度の外科手術を受け,加えて高齢による体力の低下を覚えるようになった頃から,これから先,従来のように重い務めを果たすことが困難になった場合,どのように身を処していくことが,国にとり,国民にとり,また,私のあとを歩む皇族にとり良いことであるかにつき,考えるようになりました。既に80を越え,幸いに健康であるとは申せ,次第に進む身体の衰えを考慮する時,これまでのように,全身全霊をもって象徴の務めを果たしていくことが,難しくなるのではないかと案じています。

 

私が天皇の位についてから,ほぼ28年,この間かん私は,我が国における多くの喜びの時,また悲しみの時を,人々と共に過ごして来ました。私はこれまで天皇の務めとして,何よりもまず国民の安寧と幸せを祈ることを大切に考えて来ましたが,同時に事にあたっては,時として人々の傍らに立ち,その声に耳を傾け,思いに寄り添うことも大切なことと考えて来ました。天皇が象徴であると共に,国民統合の象徴としての役割を果たすためには,天皇が国民に,天皇という象徴の立場への理解を求めると共に,天皇もまた,自らのありように深く心し,国民に対する理解を深め,常に国民と共にある自覚を自らの内に育てる必要を感じて来ました。こうした意味において,日本の各地,とりわけ遠隔の地や島々への旅も,私は天皇の象徴的行為として,大切なものと感じて来ました。皇太子の時代も含め,これまで私が皇后と共に行おこなって来たほぼ全国に及ぶ旅は,国内のどこにおいても,その地域を愛し,その共同体を地道に支える市井しせいの人々のあることを私に認識させ,私がこの認識をもって,天皇として大切な,国民を思い,国民のために祈るという務めを,人々への深い信頼と敬愛をもってなし得たことは,幸せなことでした。

 

天皇の高齢化に伴う対処の仕方が,国事行為や,その象徴としての行為を限りなく縮小していくことには,無理があろうと思われます。また,天皇が未成年であったり,重病などによりその機能を果たし得なくなった場合には,天皇の行為を代行する摂政を置くことも考えられます。しかし,この場合も,天皇が十分にその立場に求められる務めを果たせぬまま,生涯の終わりに至るまで天皇であり続けることに変わりはありません。

 

天皇が健康を損ない,深刻な状態に立ち至った場合,これまでにも見られたように,社会が停滞し,国民の暮らしにも様々な影響が及ぶことが懸念されます。更にこれまでの皇室のしきたりとして,天皇の終焉に当たっては,重い殯(もがり)の行事が連日ほぼ2ヶ月にわたって続き,その後喪儀(そうぎ)に関連する行事が,1年間続きます。その様々な行事と,新時代に関わる諸行事が同時に進行することから,行事に関わる人々,とりわけ残される家族は,非常に厳しい状況下に置かれざるを得ません。こうした事態を避けることは出来ないものだろうかとの思いが,胸に去来することもあります。

 

始めにも述べましたように,憲法の下もと,天皇は国政に関する権能を有しません。そうした中で,このたび我が国の長い天皇の歴史を改めて振り返りつつ,これからも皇室がどのような時にも国民と共にあり,相たずさえてこの国の未来を築いていけるよう,そして象徴天皇の務めが常に途切れることなく,安定的に続いていくことをひとえに念じ,ここに私の気持ちをお話しいたしました。

 

国民の理解を得られることを,切に願っています。

 

(貼り付け終わり)

 

(終わり)





 
このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック Share on Tumblr Clip to Evernote

 古村治彦です。

 

 今回は、『内奏―天皇と政治の近現代』を皆様にご紹介したいと思います。新書にしては、こなれていなくて少し読みにくい本ですが、内容は大変充実しており、日本の近現代史に興味がある人にとっては、「そう、そこを知りたかったんだよ」という、かゆいところに手が届く本です。この本の中身を中心にお話を進めたいと思います。

 


 昭和10年代から敗戦までの歴史に関する本を読むと、重大な事件や決定の際に、政府の責任者(総理大臣や各国務大臣)、軍の責任者(陸軍の参謀総長や海軍の軍令部総長
[長く軍令部長])が天皇に報告するシーンが出てきます。この時に、天皇から厳しく追及され、脂汗を流す、頭を上げられないということがありました。一方、近衛文麿は、天皇から椅子を勧められ、それに足を組みながら座り、政治について語ったという話もあります。

 

 明治憲法(大日本帝国憲法)においては、天皇は主権者として、天皇大権と呼ばれる、国を統治し、軍を統帥する権限を持っていました。そして、この権限の行使の際には、国を統治する場合には、各国務大臣の輔弼(ほひつ)、軍の統帥の場合には、参謀総長と軍令部総長の輔翼(ほよく)を必要としました。

 

 天皇に何かを申し上げることを「奏」と言い、これに関する言葉は、上奏、奏上、密奏、内奏やそのほか様々な言葉があります。明治憲法下、国務大臣や参謀総長、軍令部総長がそれぞれの職務に関して決定を行い、それを天皇に報告し、天皇がそれを認める(裁可する)という流れの中で、天皇に報告することを「上奏」ということで統一され、制度化されたのは、1907年の「公式令」が制定されてからだということです。

 

 この上奏に関しては、天皇は「ご下問」という、質問で内容を確認したり、婉曲的、間接的にですが、「内容を再検討してみたら」「反対だ」という意思を伝えたり出来ました。戦争直前、このご下問対策に陸軍、海軍は頭を悩ませたということです。

 

有名な話では、日米開戦直前、参謀総長の杉山元が「日米開戦になった場合に、どれくらいで作戦を完遂するのか」という昭和天皇のご下問に対して、「太平洋は3か月で作戦を終了する見込みです」と答えました。そうすると昭和天皇は、「お前は陸軍大臣だったとき、支那は、2ヶ月程度で片付くと言ったが、支那事変は現在も終わっていないでないか」と厳しく問い詰められました。杉山が「支那は奥地が開けており、予定通り作戦がいかなかったのであります」と苦し紛れに答え、昭和天皇は「支那の奥地が広いというなら太平洋はもっと広い。いかなる成算があって3ヵ月と申すのか」と厳しく叱責し、杉山は汗をかきながら、頭を下げているしかなかったというものがあります。昭和天皇は厳しいご下問で、矛盾や過度の楽観を厳しく突く人物であったそうです。

 

 この上奏については、戦前から戦中にかけてさまざまなドラマが展開されました。内閣が倒れたこともありました。張作霖爆殺について、当時の田中儀一首相が天皇に「奏聞(報告)」することになっていました。これは「上奏(報告し、裁可を受ける)」とは異なる点に注意が必要です。この時、宮中では、最初に田中首相が示した陸軍の厳罰方針と異なる場合(軽い処分)には、認めない内容の「お言葉」を出して良いのかを研究し、その内容のお言葉を田中首相に与えることになりました。

 

 田中首相が「奏聞」のために参内し、昭和天皇に拝謁し、張作霖爆殺事件処理について行政処分で済ませることを報告すると、昭和天皇は以前の報告と内容が違うとして、報告を打ち切らせました。田中首相には「事件処理があまりに杜撰だ」という昭和天皇の意思が伝えられ、田中首相は内閣総辞職を決意しました。この時、昭和天皇は、これが田中首相の「上奏」だと考えており、「合理的な理由もなく、正式な(裁可を必要とする)上奏で前回と違うことを言うとは何事か」として、会見を打ち切ったとのことです。一方、田中首相にしてみれば、非公式の(裁可を必要としない)奏聞のつもりであったのですが、天皇に叱責されたことで内閣不信任だと考えて総辞職となりました。

 

 どうもこの上奏やら奏聞、内奏、奏上と言った言葉がはっきりした定義が共有されて使用されていなかったために、戦前から戦中にかけて、誤解や混乱を招くこともあったようです。

 

 1945年8月15日に昭和天皇の玉音放送が流れ、9月2日に東京湾の戦艦ミズーリの甲板上で降伏文書に調印が行われました。ここから1947年に日本国憲法が制定されるまで、昭和天皇は積極的に政治に関与します。この時はまだ明治憲法下ですから、憲法違反ということではありません。著者の後藤致人氏は、この時期は「天皇親政的色彩」が強い時期であったと述べています。

 

 19475月3日年に、大日本帝国憲法が日本国憲法に改正された形で施行となり、上奏という制度はなくなりました。しかし、昭和天皇は、内奏という形で、国務大臣などが報告に来ることは残すように要望しました。この内奏と同時に行われるご下問やお言葉については法的な根拠が曖昧で、天皇の政治関与(天皇執政)と考えられますが、「天皇の国情への理解を深める」ためのもので国事行為には当たらないということになっています。

 

 しかし、1947年7月には当時の外相・芦田均(首相は社会党の片山哲)が宮中からの要請を受けて外交問題についての内奏を行いました(芦田は日本国憲法制定に深くかかわったので、この内奏が天皇政治関与にあたるのではないかという疑念を持っていました)。この時、米ソ関係の悪化を受けて、「日本の外交は日米関係を基調とすべき」とする「お言葉」があったと芦田は日記で書いています。また、1947年9月には、沖縄メッセージ(米軍による沖縄の長期占領と日本の主権確認を求めるメッセージ)をアメリカ側に送りました。こうした天皇の姿は、日本国憲法下の象徴天皇の姿からは外れたものと言えます。

 

 片山内閣の後に成立した芦田内閣では、「①天皇不執政の徹底のために閣僚による内奏の廃止、②戦前・戦後の宮中の違いをはっきりさせるため、宮内府長官・侍従長という宮中首脳の同時交代による人事刷新、③道義的責任として天皇大意を求める」と言う方針を打ち出しました。これに対して、昭和天皇は抵抗しました。芦田内閣が短命であったために、これらの方針が徹底されることはありませんでした。

 

 次の吉田茂内閣(第二次)では芦田内閣の方針は破棄されました。吉田内閣の次の鳩山一郎内閣では、閣僚による内奏が復活しました。岸信介内閣では、都道府県知事の内奏が行われるようになりました。一方で、岸信介は天皇軽視の態度もみられ、宮中側には不満が残りました。たとえば、都道府県の知事の内奏では、天皇の日程を変更させると言ったことが起こりました。また、鳩山一郎の大勲位授与に関して、岸が内奏を行わないで、単なる伝奏で済ませようとしたことに関しては、昭和天皇が不満を漏らしたとそうです。

 

 岸とは対照的に、昭和天皇(そして当時の皇太子・現在の今上天皇)と良好な関係を築いたのは、岸の弟の佐藤栄作でした。昭和天皇と佐藤栄作の関係は「君臣情義」と呼ぶべきものでした。佐藤栄作は様々なことを天皇に内奏し、天皇もそれを熱心に聞き、お言葉もあったということです。佐藤栄作は沖縄の施政権の返還を実現しますが、これがなった時に思い浮かんだのは、自分が昭和天皇にこれを内奏する姿でした。やはり親しみを持ってよく顔を出す人に親近感を持つのは人間の情として自然なことなのでしょう。

 

 田中角栄内閣の時に、閣僚(増原恵吉防衛庁長官)が内奏の中身と天皇のお言葉をマスコミに話してしまう、内奏漏洩事件が起きました。第二次吉田内閣以降、内奏の中身を他に漏らしてはいけないということが不文律になっていました。内奏を終えた増原長官は、つい内容を漏洩してしまいました。その結果、内奏は政治的なものではないことが改めて確認されました。

 

 1980年代以降になると、政治家たちの昭和天皇に対する畏怖の念が低下していきました。日本国憲法化の象徴天皇ということが政治家たちの意識の中に浸透していった時代と言えます。1989年に昭和天皇が崩御し、今上天皇が即位しました。今上店で特徴的なことは、日本国憲法を強く意識していることです。折に触れて、日本国憲法や第二次世界大戦・太平洋戦争についての発言を行っています。これは昭和天皇には見られなかったことです。


 今上天皇になっても内装は続けられています。今上天皇は日本国憲法下で即位した初めての天皇で、昭和天皇のように、天皇大権があった明治憲法下の天皇の職務を体験していません。そういう意味では、新しい形の象徴天皇としての姿を模索し、それを実行していると言えます。

 

 この本『内奏』では、天皇の政治関与ということがテーマとなっています。明治憲法下では、天皇の政治関与が制度として組み込まれていたのですから当然行われていました。日本国憲法下では、象徴天皇と天皇不執政の原則から、政治関与は公的にはなくなりました。しかし、昭和天皇は、内装を残すことで、政治とのかかわりは保ち続けました。占領下では天皇不執政の原則を越えての発言もあったようです。

 

 その後、日本国憲法が定着していく中で、政治家側の温度や態度で、天皇との距離感の違いが出てきました。そして、現在では、とても「ドライな」関係になっているようです。この天皇と政治の距離感はある意味で絶妙なものであると言えるでしょう。天皇と皇室の存在を国民の多くが認めている現在、この距離感が大きく変わることはないでしょう。

 

この文章は2016年7月11日に書いたものです。書評ですし、内容から考えて、そんなに急がなくてもよいかなと思っていました。

 

 しかし、2016年7月13日夜に、NHKが今上天皇の生前退位の移行について報道し、共同通信や他のメディアも後追いの形で報道しました。

 

『内奏』のテーマは天皇の政治関与ですから、一気にこの本のテーマがホットな話題になりました。

 

 今回のケースでは、「天皇の地位から退きたい」という今上天皇の意向があるということが報道されました。

 

 現在の日本国憲法では天皇の地位と国事行為については規定がありますが、皇位の継承については、皇室典範によると書かれています。

 

 皇室典範には、天皇の生前退位に関する規定がありません。皇室典範は明治時代に制定され、昭和24年に改正された法律ですが、最後に天皇の生前退位があったのは1817年ですから、明治時代に皇室典範を作った時も、生前退位を想定されていなかったということになります。

 

 また、皇族の規定としては、皇太后(崩御した前天皇の皇后)はありますが、退位した天皇(おそらく大上天皇、上皇)については書かれていません。

 

 ですから、今のままでは天皇は即位すれば、崩御するまで天皇でいなければならないということになります。病気などで公務が出来ない場合には、摂政をおくことが出来ます。昭和天皇も父大正天皇の健康状態が悪くなって、摂政宮となりました。

 

 今上天皇が健康や年齢を理由に「退位したい」と考えて、ごく親しい人たちに話をするのは、人間として当然のことですが、それが表向きになると、途端に政治とからんでしまいます。

 

 私は今回、この報道を聞いて、「国事行為に天皇が自身の地位について話をするということがないが、これは逸脱行為、政治関与になる可能性はないのだろうか?」と、『内奏』を読んだばかりでしたので、考えてしまいました。

 

 もちろん、内奏で国務大臣や三権の長などに会う際に、政治的な意見を言い、それが影響するということになると、明らかな政治関与ですが、この場合にはそれに当たりません。しかし、国民的な議論というか、関心を集めるという点では、どの政治家も無視することはできないものです。

 

 その点では、政治関与とは言えないが、政治に大きな影響を与えるものとなったと言うことはできます。

 更に言うと、天皇には政治利用という側面もあります。つまり、天皇の意向だということで自分の主張や意見を押し通すということです。現在ではそのようなことは制度上はできませんし、政治利用を防ぐためにも内奏の中身を外に漏らすことはできません。しかし、今回の天皇退位の意向が、単に周囲に対して、「体もきついし、公務で間違うこともあるから、公務を皇太子に引き継いでもらうためにも、引退したい」と私的に述べたことが、外に漏れることで、大きな影響を与えることは明らかですから、問題は、誰が主体となってこのリークが行われたのかということを知ることが重要です。

 今上天皇が改憲の動きを阻止するために自ら意見のリークを認めた、ということも考えられますし、改憲派が日本国憲法擁護派の今上天皇を退位させようとした、もしくは皇室典範改正(現在のままでは皇太子が存在しなくなりますし、女性天皇の是非も問題になります)から改憲(天皇に関する条項の変更)へとつなげて、国民を国民投票や改憲に慣れさせるということも考えられます。


 天皇は日本では政治的な権威を失いましたが(君臨すれども統治せずの立憲君主制)、それでもやはり大きな存在なのだということを再認識した、という方は多いと思います。

(終わり)



 


(終わり)







このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック Share on Tumblr Clip to Evernote

 古村治彦です。

 

 昨日、今上天皇が生前退位の意向を持っている、とNHKが報じました。このニュースは驚きを持って迎えられました。

 

 今回の報道をアメリカとイギリスの新聞はどのように報じているかを皆様にご紹介します。まぁフィナンシャル・タイムズの親会社は日本の日本経済新聞ではあるのですが。

 

 ニューヨーク・タイムズはかなり踏み込んだ内容になっています。参院選3日後であること、皇太子も含めて安倍首相に批判的であるといった内容が書かれています。

 

 ワシントン・タイムズはAP通信の記事を掲載していますが、皇后と一緒に皇室の伝統を変えてきたということを書いています。

 

 フィナンシャル・タイムズは病気はあっても、歴史の傷を癒そうとしていると書いています。

 

 それではお読みください。

 

=====

 

●『ニューヨーク・タイムズ』紙

 

Emperor Akihito of Japan Plans to Abdicate Throne, Broadcaster Says

By MOTOKO RICH JULY 13, 2016

http://www.nytimes.com/2016/07/14/world/asia/emperor-akihito-abdicate.html?ref=asia&_r=0

 

「テレビ放送によると、日本の明仁天皇が譲位の計画を持っている」

 

・日本の公共放送NHKによると、82歳になる明仁天皇(1989年即位、父は太平洋戦争も天皇であった昭和天皇)が側近たちに対して、息子の皇太子徳仁(56歳)に天皇の地位を譲る意向であることが明らかになった。生前の譲位は1817年以来のことだ。

 

・天皇の役割は現在は全体として儀式に限られている。第二次世界大戦終了まで、日本の人々は天皇を半神だと考えていた。また日本軍の最高司令官でもあった。日本降伏後、日本を占領したアメリカは、昭和天皇から全ての政治的権威を取り去った。現在でも多くの日本人が天皇に敬意を抱いている。

 

NHKによると、明仁天皇は2003年に前立腺がんの治療を受け、2012年には心臓の手術を受けた。正式な退位の意向の発表は近いうちに行われる予定だ。

 

・明仁天皇は自身の天皇の地位の継承に関して、ドラマが起きないようにしようとしている可能性がある。父昭和天皇は亡くなるまでの数年間、健康を害していた。ワシントンにある外交評議会日本研究担当状況研究員のシーラ・A・スミスは「天皇は継承をより簡素に、より事務的にしたいと望んでいるように見える」と述べた。

 

NHKの報道の後、日本の左派傾向にある新聞の朝日新聞は宮内庁次長が、譲位の報道について、「天皇はそのような意図を持っていない」と否定した。

 

・安倍晋三首相率いる自由民主党とパートナーが議会選挙で勝利を収めた3日後に、今回の報道がなされた。選挙の結果、彼らは参議院で3分の2を占めた。これは憲法の見直しに必要な数である。安倍首相は長年にわたり、戦争を放棄するとする日本国憲法の条項を覆したいという野心を持っている。

 

・天皇は公式的には一切政治的権威を持っていない。しかし、皇太子は安倍首相の目標に対抗するかのような行動を取っている。皇太子は1947年にアメリカの占領軍が起草した平和憲法について繰り返し発言を行っている。2015年の55回目の誕生日を前に、皇太子は、日本国憲法を賞賛し、「平和の大切さを心に留めておきたい」と述べた。

 

天皇が譲位するについては、国会が皇室典範の改正をする必要が出てくるであろう。現在の皇室典範では、天皇の崩御の後に次の天皇の即位が行われると規定されている。

 

=====

 

●『ワシントン・ポスト』紙

 

Japan’s Emperor Akihito, 82, reportedly considering retiring

By Associated Press July 13 at 11:40 AM

https://www.washingtonpost.com/world/asia_pacific/report-japans-emperor-akihito-82-considering-retiring/2016/07/13/bd97d23e-48e6-11e6-8dac-0c6e4accc5b1_story.html

 

「日本の明仁天皇(82歳)が退位を考えているという報道」

 

・日本の明仁天皇が、年齢を重ねることで公務を減らすよりも、数年のうちに退位して、天皇の地位を譲る意向を示した、と日本の公共放送が伝えた。

 

・82歳になる明仁天皇はここ数年、自身の好例について言及し、儀式で些細な間違いをしてしまうことを認めている。宮内庁は公務の削減し、皇太子に任せるように提案してきていた。

 

NHKは匿名の宮内庁の取材源からの話として、明仁天皇は宮中の職員たちに対して、天皇としての責任を大きく減らしたり、摂政を置いたりしてまで地位に留まりたくないと述べたと報じている。共同通信も政府関係者の話として、同様の報道を行っている。

 

・水曜日の深夜、宮内庁次長は報道を否定し、日本国憲法では天皇の政治関与は禁止されているので、天皇はコメントしないと述べた。

 

NHKは、明仁天皇は退位の可能性についてここ数年考えており、彼の2人の息子も父の考えを受け入れていると報じた。

 

・明仁天皇は1989年1月に亡くなった父昭和天皇から天皇の地位を受け継いだ。2003年には前立腺がん手術、2012年には心臓手術を受け、いずれも回復した。

 

・近現代の日本の歴史において生前の譲位は行われなかったことであり、明仁天皇はまた皇室の伝統を破ることになった。

 

・明仁天皇は、天皇として初めて、一般人出身の皇后と結婚した。また、皇后は皇室の歴史で初めて、皇后は3人の子供を、乳母を使わずに育てた。

 

・明仁天皇は2013年には、死後は火葬にして遺骨を歴代の天皇よりも小さい霊廟に収めること、そして皇后の遺骨も傍らに安置することを選択し、国全体を驚かせた。この計画は過去400年間の皇室の埋葬の習慣を破るものとなる。

 

・明仁天皇は高齢にもかかわらず、忙しいスケジュールを付けている。儀式に出席し、外国からの訪問者に挨拶をし、海外や日本国内を訪問している。巨大な地震の後は住民たちを慰撫するために被災地を訪問する。

 

・明仁天皇はこれまで、第二次世界大戦の傷を癒そうとしてきた。即位からすぐに中国を訪問し、またその後も主要な戦地を訪問している。昨年には、西太平洋の国パラオを訪問し、今年初めには、日本の戦時中の侵略の被害国フィリピンを訪問した。

 

・56歳になる皇太子徳仁は皇位継承第一位に位置している。皇太子妃雅子は元外交官で、現在は、ストレスが原因となる精神の不調からの回復途上にある。

 

・皇室典範は存命中の皇位継承についてのルールを定めていない。退位後の天皇の地位についても書かれていない。共同通信は匿名の政府関係者の話として、生前の皇位継承には皇室典範の改正が必要になると伝えている。

 

・最後に存命中の天皇の譲位が行われたのは200年前のことだ。

 

・伝統的な数え方では、明仁天皇は125代目の天皇となる。紀元前660年に神武天皇が初代の天皇となってから125代目と言われている。歴史学的な記録では、天皇の始まりは少なくとも紀元後5世紀まで遡れる。最も古い継承されてきた王家ということになる。

 

=====

 

●「フィナンシャル・タイムズ」紙

 

July 13, 2016 2:00 pm

Japan’s public broadcaster says Emperor Akihito ready to abdicate

Robin Harding in Tokyo

http://www.ft.com/cms/s/0/0ac18e98-48e6-11e6-b387-64ab0a67014c.html#axzz4EKBs9swl

 

「日本の公共放送、明仁天皇が退位の準備と報道」

 

・水曜日、明仁天皇は天皇の地位から退きたいと考えている、と日本の公共放送NHKが報じた。生前譲位は近現代の日本で前例のないことだ。

 

・生前譲位は「ここ数年」のことであるが、実現すれば200年ぶりとなる。これは、天皇の長男である56歳の皇太子が菊の玉座を引き継ぐことを意味する。

 

・ここ数年、82歳になる明仁天皇は病気がちであった。彼の退位は日本にショックを与えることになるだろう。日本では、天皇は日本国家の安定と継続性のシンボルだ。

 

・宮内庁はコメントを出していない。しかし、NHKはよく宮中からの準公式の情報を報じ、このような国にとって重大な問題について一か八かの報道はしない。

 

NHKの報道によると、天皇は高齢を理由にして公務を減らすことや代理を立てることに消極的だということだ。天皇は国家の象徴のような憲法上の義務を完全に履行できる人間が天皇の役割を果たすべきだと考えているとのことだ。

 

・日本では天皇の退位に対しての準備はできていない。法律を改正する必要がある。

 

・平均寿命が延びていることは、元首たちも高齢になっていくことを意味する。これが退位の理由となる。2013年、オランダのベアトリクス女王は息子に王位を譲った。同じ年、法皇ベネディクト一六世も退位した。

 

・明仁天皇は一九八九年に皇位を継承した。宮内庁が発表している系譜によると、明仁天皇は125代目で、初代は紀元前660年まで遡る。

 

・歴史上、天皇は退位を迫られることも多かったが、最後に生前退位が行われたのは1817年だ。この当時、日本の実権を握っていたのは徳川将軍であった。

 

・明仁天皇は健康問題を抱えている。2002年には前立腺がんと診断された。昨年には心臓病も見つかった。今年2月にはインフルエンザに罹患した。

 

・しかし、今年になって天皇は皇后を伴って、フィリピンを公式訪問し、全ての戦争で亡くなった人々を慰霊した。

 

・憲法で厳しい制約下に置かれているが、明仁天皇は日本の歴史に存在する傷を癒そうとしてきた。昨年は第二次世界終結70周年にあたり、「深い悲しみ」を表明した。

 

・昨年の誕生日の記者会見で、天皇は公務が負担になっていることをほのめかした。「私は誕生日を迎えて82歳となります。年齢を感じるようになりました。儀式ではいくつか間違いをするようになりました」と述べた。昨年のいくつかの機会で、天皇は間違いをしたことを認め、スケジュールの調整をしなければならないとほのめかした。「私は全ての機会において最善を尽くしてそのようなことがないように努めるつもりです」と述べた。

 

・天皇は歴史を正しく記憶することの大切さを発言した。この話題に関しては、皇室と日本の右翼歴史修正主義者とでは考えが対立している。理論上では彼らは天皇を崇め奉るのだが、この点では意見が異なる。

 

・「年を経るごとに、戦争を経験したことがない日本人がどんどん増えていきますが、前の大戦の知識を持ち、戦争についての考えを深めることが日本の将来にとって大変重要であると考えます」と天皇は述べた。

 

・皇太子には一人娘がいるが、現在の男性のみが皇位継承できるとする法律の下では、天皇の地位を継承できない。従って、現在では、皇位継承権第2位は、明仁天皇の次男の息子である悠仁皇子となる。

 

(終わり)





 
このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック Share on Tumblr Clip to Evernote




アメリカ政治の秘密
古村 治彦
PHP研究所
2012-05-12


⑦最後に

 

 自民党の憲法改正草案には、微妙なしかも目に見えにくい仕掛けがいくつもしてあって、素人には見抜けない落とし穴がいくつもあります。憲法草案作りに参加した自民党の政治家たちの多くが高級官僚出身者たちです。官僚たちのずるい言葉遣いを「霞が関文学」と揶揄しますが、自民党の憲法草案はまさに霞が関文学の傑作です。こうした落とし穴に嵌らないために、プロによる解説や批判を読むことは大変に重要なことです。

 

自民党の改憲草案に対しての批判は、つまるところ、立憲主義についての無理解と人権擁護の後退・義務の強化にあると思います。立憲主義と人権擁護は憲法にとって普遍的な要素です。少なくとも世界の先進諸国と呼ばれる国々の憲法はこれらを根本要素にしています。自民党の改憲草案はそれらが欠如している、もしくは稀薄であるという点で、世界の普遍性を無視した憲法草案と言うことができます。

 

 安倍晋三首相や麻生太郎財務相(元首相)は「自由の弧」「価値観外交」という言葉を使います。同じ価値観を持つ国々で連携しましょうということですが、本当のところは中国包囲網をやりましょうという意味です。しかし、国の形(Constitution)を決めるのに、こうした復古調、世界の普遍的な要素を否定する日本に対して、世界の先進諸国が「同じ価値観を持っている仲間だ」と考えてくれるものでしょうか。私はそうは思いません。国の根幹が違うのに、仲間だと思ってもらえる訳がありません。

 

 自民党が提出している改憲草案は包括的なものですが、一番の狙いは現在の日本国憲法第9条を変更して、自衛隊の海外派兵を容易にし、その派兵先で戦闘行為ができるようにするというものだと私は考えます。憲法9条が落とすべき本丸で、他の復古調の部分はできたらやる、出来ることを期待していないという程度のものではないかと思います。これは、アメリカによる日米軍事力共同運用(自衛隊の米軍下請化)だけはどうしても進めたいということだと思います(アメリカとしてはその副作用で安倍政権みたいなのができて少し困っていると思いますが)。

 

 アメリカは現在、財政は厳しいですし、一番の金食い虫であるアメリカ軍を削減従っています。しかし、世界の覇権を逃したくはないし、台頭している中国にはアメリカ国債を買っては貰っているが、できたら台頭を抑えたい、少なくとも邪魔したいと思っています。そこにあるのが日本です。日本が自衛隊を米軍と一緒に動かせるようになれば、中国に対しての立派な「かませ犬」になります。アメリカは自国の軍事力の一部を日本に肩代わりさせることができます。そうした流れの中の改憲というのは正しいことでしょうか。私はそう思いません。今の憲法を変える緊急の必要性はないと考えます。

 

 日本国憲法には足りない部分はあるでしょう。それら改正すべきところを改正するのではなく、9条に的を絞った改憲というのは国民の多くが望まないものです。いくら危機を叫んでみても、国民もそこまで馬鹿ではありません。しかし、完璧でもありませんから、やはり冷静になってしっかりと自分の頭で考えるようになることが重要だと思います。ポイントをつかみ知識を得れば、それだけで自分たちのことを最終的に守ることになります。そして、どれだけ面倒くさくてもやはり考え続けること、疑い続けること(師である副島隆彦先生は常に疑うことを基本にし、弟子たちにもそのことを教えています)だと思います。

 

 憲法は英語でconstitutionと言います。このconstitutionという言葉には、日本語で「構造、構成」の意味があります。憲法は法律の中でも最高の「私たちが生きる国の形」を定めたものです。それが現実に合わなくなっているので変えることはあるでしょう。日本国憲法には憲法改正に関する条文があります。ですが、あまりに安易に変えることはできないようになっています。自民党はそれを変更し、9条を変更しようとしています。今の憲法下でベストを尽くすことなく、あらゆる手段を用いて、「衆議院と参議院の総議員数の3分の2の賛成を得て発議し、国民投票を行う」ということを行おうとしません。これまでもしてきませんでした。そして、憲法を変える要件だけを変えようとしています。

 

 繰り返しになりますが、憲法を変えた方が良い、憲法を変えない方が良いと色々な意見があります。私の周りでも自分の意見を述べる人はいます。それぞれ自分なりに考えた意見だと思います。ですが不誠実なやり方で憲法を変えるということは、改憲を主張する人々も望んではいないでしょう。なぜなら、そのような不誠実なやり方で変えられた憲法には正当性など存在しないのですから。
 

  

(参考文献)

 

小林節著『「憲法」改正と改悪 憲法が機能していない日本は危ない』(時事通信社、2012年)

伊藤真著『憲法問題 なぜいま改憲なのか』(PHP新書、2013年)

伊藤真著『憲法は誰のもの? 自民党改憲案の憲章』(岩波ブックレット、2013年)

小林節著『白熱講義! 日本国憲法改正』(ベスト新書、2013年)

小林節、伊藤真著『自民党憲法改正草案にダメ出しを食らわす!』(合同出版、2013年)

舛添要一著『憲法改正のオモテとウラ』(講談社現代新書、2014年)

 

(終わり)




 

このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック Share on Tumblr Clip to Evernote

このページのトップヘ