古村治彦(ふるむらはるひこ)の政治情報紹介・分析ブログ

SNSI研究員・愛知大学国際問題研究所客員研究員の古村治彦(ふるむらはるひこ)のブログです。翻訳と評論の分野で活動しています。日常、考えたことを文章にして発表していきたいと思います。古村治彦の経歴などについては、お手数ですが、twitter accountかamazonの著者ページをご覧ください 連絡先は、harryfurumura@gmail.com です。twitter accountは、@Harryfurumura です。よろしくお願いします。

タグ:日本

 古村治彦です。

 以下になかなか興味深い記事をご紹介する。目的が達成された、もしくはこれ以上進めないということになれば、多くの場合、人は呆然として、次は何をすればよいのか分からなくなる。国家も同じことである。以下の記事では、「中国が、日本、そしてアレキサンダー大王のように、ピークに達する、これ以上は進めないという状況になった時にどうすべきか」ということが論じられている。

 日本は太平洋戦争の無残な敗戦により、都市部を中心に焦土と化した。朝鮮戦争を契機に製造業が復活し、高度経済成長木へと進んでいく。1968年には当時の西ドイツを抜いてGNP(国民総生産、現在はGDPが指標として使用される)で世界第2位となった。しかし、アメリカを追い抜くということはできなかった。アメリカはそれだけ強大な存在だった。

 日本は年率10パーセント以上の高度経済成長を続けながら同時に自民党の地方への分配政策もあり、経済格差は大きく広がらなかった。高度経済成長には格差の拡大がつきものであり、日本でももちろん格差はあったが、他国のような大きな格差はなかった。日本政治研究では「補償型政治(compensation politics)」と呼ばれている。
 日本のバブル経済崩壊後、戦後の体制は時代遅れとされ、新自由主義的な政策が進められた。その当然の帰結として格差は拡大し、国内消費も落ち込み、GDPでは中国に抜かれ、やがてインドにも抜かれ、ドイツにも抜かれる可能性が高まっている。
 高度経済成長の時期はイケイケどんどんで進むことができる。それはどの国も同じだ。日本の場合には、保守本流(田中派と大平派)を中心として、土建屋政治と揶揄されながらも、分配にも配慮した政治が行われていた。経済成長がない現在において、分配に対する配慮がなくなれば、日本社会はジャングルの中の弱肉強食の原理しか残らなくなり、社会は保てなくなる。
 中国は日本政治と経済を詳細に研究している。日本政治の「補償型政治」の面も当然に研究している。中国は格差社会を分配政治も取り入れて、行き過ぎた格差を是正し、中間階級を多く生み出す方向にかじを切っている。

 日本はアジアの中で様々な事象を最初に経験する国である。渡り鳥の集団で言えば、戦闘を飛ぶ鳥だ。我が国日本は先進国となり、高度経済成長が望めない中で、どのように経済成長し、格差を拡大させないかという課題に取り組まねばならない。これは非常に難しい課題だ。格差拡大なき経済成長(economic growth without expansion of inequality)に成功した時、日本は世界から驚嘆の目を向けられ、尊敬されるだろう。

しかし、現状は自公連立政権や補完勢力である維新や国民民主にその処方箋はない。何があるかと言えば、国内の惨状に目を向けさせないための、「外側に敵を作る」「軍事的な脅威を高らかにアピールする」という古典的な方法しかない。アメリカがそれをせよと望む以上、従わざるを得ないのであるが、日本は米中のはざまにいるという条件を利用して、アメリカの属国から抜け出すことを考えねばならなおい。

(貼り付けはじめ)

中国が日本、そしてアレキサンダー大王から学べる事(What China Can Learn From Japan—and Alexander the Great

-中国は長年の目的意識を再検討する時に来ている。

ハワード・W・フレンチ筆

2023年1月26日

『フォーリン・ポリシー』誌

https://foreignpolicy.com/2023/01/26/china-population-decline-birth-rate-economic-growth-gdp-competition/

中国政府は今月、中国の総人口が1950年代後半以降初めて減少したと発表した。毛沢東が大躍進運動(Great Leap Forward)と呼ばれる工業化を加速させるために行った悲惨な作戦で数百万人が餓死した時代から人口は増えていったが、今回の事実は、地政学上の主要ライヴァルであり西洋に代わる極となるであろう中国にとって悲惨な影響を与えるという報道熱を巻き起こした。

一時期、『ニューヨーク・タイムズ』紙だけで、トップページに4本もの大躍進を告げる記事が掲載され、ある意見コラムの小見出しには、中国の「否定できない」逆転劇がこう書かれていた。「中国の台頭は忘れろ。危険なのは中国の衰退である」。

他の報道では、インドがまもなく中国を抜いて世界一の人口国家になること、中国の人口が減少すると経済規模でアメリカを超えることが難しくなり、目標を達成できない可能性があることなどが、この衰退を裏付けるシグナルとその結果を予測する内容として挙げられている。欧米諸国の出版物ではほとんど取り上げられず、自己中心的な偏狭さを露呈しているのが、国連がサハラ以南のアフリカの人口は2030年代初頭までに中国(その後すぐにインド)を追い抜くと予測していることである。

大げさな、場合によっては勝利至上主義的な見出しはともかく、こうした動きや予測は、世界の人口動向をよく見ている専門家たちにとっては、昔からよく知られたものであった。しかし、それ以外の人々にとっては、世界人口の順位とそれが日常生活に及ぼす影響について、多くの人々が慣れ親しんだ長年の感覚に与えた衝撃を乗り越えるのは、それほど早すぎることではないだろう。

中国の発表に照らして現在の状況を理解する最良の方法の1つは、一見果てしなく続く一連の征服の後、最終的にガンジス川に到達したときに泣いたと言われているアレキサンダー大王についての非常に高い有名な物語を知ることだ。既知の世界を全て征服したと思われるアレキサンダー大王は、完全に目標を達成したということなのである。

中国は、世界で最も豊かな国、つまり暗黙のうちに最も強力な国になるという、明らかには言わないが、明確な目標に到達していない。しかし、今こそ北京は、アレキサンダー大王と同様、長年の目的意識を見直し、次に何を追求すべきか、これまで以上に創造的に考えるべき時である。そうすれば、多くの人が突然悪い知らせと認めたものから、幸運を呼び起こすことができるだろう。

歴史は時に韻を踏むと言われているが、中国の現状を最もよく表している韻は、私が1990年代後半から数年間、ニューヨーク・タイムズで日本を担当することになる直前まで遡る。日本について調べていくうちに、長年にわたり、政治的・経済的なイヴェントといえば、現職の首相が新年に日本の最新のGDP成長率の数字を発表して祝うことだと知り、驚かされたことがあった。1950年代後半から1960年代にかけて、成長のための成長が一種の国民的熱病となり、当時の日本の目標は、近年の中国のように、国富(national wealth)でアメリカを超えることであった。

日本の一人当たりの富は1970年代後半に一時的にアメリカに接近し、その後数年間はアメリカを上回ったが、1990年代前半に相対的にピークに達した後、1990年代後半にはアメリカと比較して急落し、再びリードを取り戻すどころか、同程度に近づくことさえなかった。日本は国土が狭く、特に人口が少ないので、GDPの合計でアメリカを上回ることはなかったと思われる。

1980年代に中国が目覚しい経済成長を開始して以来、専門家以外の多くの人々は、中国が一人当たりのGDPで日本と同様にアメリカの富を超える可能性がないことを知らなかったようである。それは、中国が20世紀を通じて一人当たりGDPの平均値でアメリカよりはるかに貧しかったという事実だけでなく、中国の人口動態のピーク時には世界のアメリカの4倍以上という膨大な人口規模があったからである。これだけの人口をアメリカ人と同等の平均的な豊かさにするには、中国経済をアメリカの数倍の規模にする必要がある。

日本は、アメリカとの競争をピークに衰退し、アレキサンダー大王の涙のような危機的状況に陥った。日本は長い間、世界の中で卓越した存在になること以外に、成長の目的を自らに問いかけることはほとんどなかった。長い間、西洋が支配する世界の中で、国のアイデンティティと文化を証明することは、それだけで十分な報酬になると思われていた。

それは、GDPのような粗雑なステータスや幸福の尺度への固執をやめ、他の、間違いなくもっと健康的な追求を徐々に広めていくことを中心としたものであった。その中には、環境保護、健康と長寿、文化の保護、持続可能な経済プロセス、余暇を通じた充足感の重視、そして、まだ非常に遅れており、せいぜい進行中ではあるが、女性の地位向上と職場文化の改革という密接に関連した課題が含まれている。

中国は人口動態の現実から、近い将来、同様の国家目標と前提の抜本的な見直しを始める必要がある。しかし、アメリカや西ヨーロッパ諸国では、中国が今世紀中に急速に人口を減少させることによって、中国との競争を回避できると考えているようだが、それは誤りだ。アメリカの経済規模に匹敵する経済規模を持つ国は、極めて強力な競争相手となり得る。ロシアはよくイタリアと比較されるが、経済規模はカリフォルニア、テキサス、あるいはニューヨークの各州よりも小さい。

しかし、それと同様に、中国が近年取り組んでいるような、兵器やハードパワーへの支出を大きく増やし続けるような、昔ながらの真っ向勝負の大国間競争は、国民の大部分を先進国の生活水準から大きく引き離すことになるという事実を早く理解したほうが、国民にとって良いことだろう。もちろん、アメリカを含む世界の他の国々にとってもそうだ。アメリカは、全体的に豊かであるにもかかわらず、多くの人々が貧困に苦しんでいる。

中国も、早く日本のような方向に舵を切るべきである。世界一の経済大国という過去数十年の目標に代わる新たな国家目標を打ち出すことができなければ、中国は党と国家の存立のために、より平和的でない別の方向に目を向けることになる。

しかし、新しい国家的使命はどのようなものであり、それを達成するにはどうすればよいか? 最近の新型コロナウイルス・ゼロ政策の突然の転換にもかかわらず、そのような移行が中国の習近平国家主席からもたらされると期待する理由はほとんど存在しない。そのため、長い間その力を発揮することを期待されてきた中国の中産階級が、地平線上の唯一の変化の担い手となっている。

中国政府の新型コロナウイルス大量検査体制、広範な監禁、移動制限に対する最近の民衆の抗議は、何千人もの中産階級の都市生活者が街に降り立ったことで、他の多くの面で中産階級からの反発を想像することがこれまで以上に可能になった。中国共産党が国家への義務を果たすために子供を産むように要求しても、女性はますます公然とそれを拒否するようになるかもしれない。

また、中産階級の怨嗟の声も想像できる。彼らの富の大半が蓄えられている不動産市場の危機に直面し、彼らの貯蓄と所得を国家が管理することを諦めざるを得なくなっている。また、間接的にではあるが、民間企業も国家の支配や干渉を減らすよう働きかけることが想像できる。すでに一部の企業家は、アイデアと資本を携えて中国からの脱出を選択し、そうしている。

習近平はまだ気づいていないかもしれないが、彼が率いる中国共産党と国家は、これらの勢力やその他のより強力な勢力との競争にさらされており、中国はその前提を変え、おそらく経済モデルを作り直すことさえ要求されることになるだろう。これらのことは全て「平和的発展(peaceful evolution)」という言葉の下に置くことができる。この言葉は、北京が自らの正しい歴史的目標から逸脱させようとする西洋の巧妙な陰謀の要素であると考える(あるいは信じるふりをする)ものを表現するために、中国共産党が長年にわたって暗に使ってきたものだ。実際、中国が今後も豊かになっていくためには、内部から変革の要請が起こり続けるだろう。

日本のGDPがとりわけ頭を悩ませていた時代の後半に、日本政府は、これまで以上に大量のセメントを投入するなど、ほとんど人為的な方法で経済成長を維持しようとした。生産性を改善したり、将来の成長を保証したりすることには何の役にも立たない財政刺激策を行い、産業を腐敗させながら国家に依存するようになる、補助金を受け入れる産業のポケットを並べることになった。日本は最終的に、その海岸の大部分が浸食を防ぐと言われる巨大なコンクリートのテトラポッドで覆われる地点に達した。この国は既に複数の最先端の鉄道網と大都市間の高速道路、そして田園地帯を蛇行する世界クラスの道路とどこにも通じない壮観ないわゆる橋を建設していたので、他にほとんど何もないように見えた。

最近の中国の経済活動は、あまりにもこのようなものが多い。それは、GDPの成長が抽象的な固定観念(abstract fixation)であり、党と国家の正統性(legitimation)の源泉であるため、成長の落ち込みが迫ると、新しい高速道路や高速鉄道、空港、橋などの無頓着な刺激策で対応する必要があるからである。習近平が理解できるかどうかは別として、今迫っている革命的なアイデアは、インフラに代わって人への支出を始めることである。

※ハワード・W・フレンチ:『フォーリン・ポリシー』誌コラムニスト、コロンビア大学ジャーナリズム大学院教授。長年にわたり海外特派員を務めた経験を持つ。最新刊に『黒人性に生まれて:アフリカ、アフリカの人々、そして近代世界の形成、1417年から第二次世界大戦まで(Born in Blackness: Africa, Africans and the Making of the Modern World, 1471 to the Second World War)』がある。ツイッターアカウント:@hofrench

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(終わり)

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 古村治彦です。

 アメリカの中央情報局(CIA)の対外活動(スパイ活動)はただの監視や情報収集には留まらない。非民主国家や民主国家でもアメリカに敵対的な態度を取る国家の政権を転覆させ、体制自体を変更するということもCIAにとっての重要な仕事である。政治学では「非民主的な体制の崩壊(breakdown of non-democracies)」「民主政体への移行(transition to democracy)」「民主政体の確立(consolidation of democracy)」という段階を経る体制転換を「民主化(democratization)」と呼ぶ。世界各地の「民主化」にCIAが深くかかわっているということは良く知られている。付け加えれば、日本の場合には、自民党に長年にわたりCIAから資金が流入していたということも明らかになっている。詳しく知りたい方はティム・ワイナーの『』を是非読んでいただきたい。 

CIAが民主化運動やクーデターに絡んで体制転換を行っている(行わさせている)。最近で言えば2011年に起きた「アラブの春(Arab Spring)」があるが、これにいかに国務省とCIAUSAID(米国国際開発庁、United States Agency of International Development)が関わっていたか、その源流はジョン・F・ケネディ政権にあったことについては拙著『』を読んでいただきたい。その枠組みは現在も大きく変わっていない。

 昨年あたりから、反米陣営の主要な国々である、イラン、中国、ロシア各国の国内で政権批判、反体制的なデモや騒乱が起きている。これが偶然なのか、CIAが関わっているのかということであるが、おそらくCIAが関わっている部分もあるだろうが、中国、イラン、ロシアの各国でスパイ活動を行うことはかなり難しいのではないかと思われる。

 問題は、これらの国々で反体制運動やデモが行われる場合に、「あれはCIAがやらせているんだ」「ああいう動きは外国(アメリカ)に煽動されているんだ」ということを国内外に印象付けられてしまうということだ。自発的な運動が起きたとしても、それが自発的な動きだと見られないということになる。それが、アメリカが公然もしくは非公然の形で外国に介入してきた副産物である。そして、これらの国々がこうした反対運動を抑え込む際に、「外国(アメリカ)からの介入を防ぐ」という大義名分ができることになる。

 2001年の911事件後に、「ブローバック」という言葉が知られるようになった。これは2000年に『通産省と日本の奇跡』の著者として知られる日本研究の泰斗チャルマーズ・ジョンソンが使った言葉である。ブローバックを日本語に訳すと「吹き戻し」という意味になる。そして、アメリカの外国介入が結果として反撃を食らうということである。アメリカの外国介入は20世紀にはうまくいったが21世紀に入って反撃を受け続けている。それはアメリカの国力の減退を示す兆候である。

(貼り付けはじめ)

アメリカのライヴァル諸国が騒乱に直面している。その原因は幸運(偶然)なのか、それとも作為か?(U.S. Rivals Are Facing Unrest. Is It Due to Luck or Skill?

-大規模な抗議行動は諜報機関にとって好都合な環境を作り出すが、中国、イラン、ロシアではCIAは慎重に行動すべきだろう。

ダグラス・ロンドン筆

2022年12月7日

『フォーリン・ポリシー』誌

https://foreignpolicy.com/2022/12/07/china-iran-protests-mass-unrest-cia-luck-or-skill/

ここ数週間、アメリカの主要な敵対国である中国とイランで大規模な街頭デモが発生し、ロシアでは経済と軍事の崩壊の中で戦闘年齢にある男性たちが大量に国外脱出している。これは幸運(偶然)なのか? 偶然の一致か? CIA長官ウィリアム・バーンズは完璧な天才なのか? それとも、アメリカの政策志向を強化するために、このような事態を招来するための周到な準備の結果なのだろうか? 答えは複雑であり、この状況を利用する際のアメリカ政府当局者たちの選択肢もまた複雑となる。

ロシアのウラジミール・プーティン大統領は、ウクライナ戦争が欧米諸国の干渉によるものだとするのと同様に、ロシア国内の抗議行動を扇動する欧米ウ諸国を非難することを何年も前から常々行っている。中国政府は、コストのかかる新型コロナウイルスゼロ政策への怒りに端を発した中国共産党への抗議が続いていることについて、「何かしらの魂胆を持つ勢力(forces with ulterior motives)」のせいだと非難した。全国で抗議活動を行う群衆が増えるにつれ、民主政治体制と自由の拡大を求める声が上がり、中には中国の指導者である習近平の解任を求める声も出るようになった。

イランのエブラヒム・ライシ大統領と最高指導者アリ・ハメネイ師は、イラン北西部出身の22歳のクルド人女性マフサ・アミニが警察に拘束されて死亡した後に始まった抗議行動が続いていることについて、アメリカとイスラエル政府を非難している。彼女は、女性にヒジャブ(スカーフ)の着用を義務づける同国の厳しい規則に違反したとの理由で、テヘランの道徳警察(morality police)に逮捕されていた。イランはまた、反体制派のクルド人グループが騒乱を扇動したと非難し、イスラム革命防衛隊(Islamic Revolutionary Guard)やクルド人居住区へのミサイル攻撃や無人機攻撃で対抗している。もちろん、アメリカはこの地域のクルド人グループと関係をもっている。

ロシア国内では、プーティンの戦争に対する抗議は限定的であったが、『ワシントン・ポスト』紙が最近取り上げた調査によれば、根底にある亀裂や進行中の地下の反対運動を十分に反映していないかもしれない。徴兵を避けるために何千人ものロシアの軍人たちが国外に逃亡している状況で、ロシア国内での破壊工作は、必ずしもウクライナ人だけがやっている訳ではないようだ。プーティンと彼の戦争を支持する強硬派でさえも批判を強めている。民間軍事会社ワグネル・グループの創設者エフゲニー・プリゴージンやチェチェンの指導者ラムザン・カディロフなどプーティンの取り巻きは、ロシアのセルゲイ・ショイグ防衛大臣やロシアの上級軍司令官に対する攻撃をあからさまに行っている。

アメリカの敵対諸国の中には、国内の敵対勢力に珍しく譲歩しているようにさえ見える国もある。中国では、習近平が3期目の政権を獲得し、香港を掌握し、台湾との統一を目指し、世界有数の軍事・経済大国であるアメリカに挑戦するという、言葉通りの勝利の階段を上るように見えた矢先、新型コロナウイルス規制などの不満から内乱が発生し、その混乱に対応するため、習近平が譲歩しているようにみえる。

習近平政権の国務院副総理の孫春蘭は最近、国家衛生当局に対し、上海を含むいくつかの地域で患者数が増え続けているにもかかわらず、ロックダウンを解除し始め、国は「新しい段階と使命(new stage and mission)」に入りつつあると述べた。孫副首相は、「オミクロン変異体の病原性が低下していること、ワクチン接種率が上昇していること、感染症対策と予防の経験が蓄積されていること」などを理由に変化を予測した。

同様に、イラン国内でも、政権は少なくともある程度は自制しているようだ。モハンマド・ジャファル・モンタゼリ司法長官が、「設置された場所から閉鎖された」と述べたため、その服装規定を執行する道徳警察の状況について、現在、不確実性が生じている。『ニューヨーク・タイムズ』紙は、この未確認の動きをデモ隊に譲歩した可能性があると報じたが、イランの地元メディアは、モンタゼリ長官の発言は「誤解されている(misinterpreted)」とすぐに指摘した。しかし、イランの高官たちは通常、自ら台本を破ることはなく、今回の発言は試運転のようなものだったのかもしれない。

こうした興奮するような状況にもかかわらず、アメリカ国家情報長官のアヴリル・ヘインズは最近、ジャーナリストたちの取材に応じて次のように述べた「イランの政権が国内の抗議活動を彼らの安定と影響に対する差し迫った脅威と認識しているとは見ていない。一方で、彼ら実際に課題を抱えており、全国的にも散発的な事業の閉鎖が見られる。私たちの観点からは、これは時間の経過とともに不安と不安定のリスクを高める可能性があることの1つだ。イランは高インフレと経済の不確実性により、更なる不安に直面する可能性がある」。

敵を内部から弱体化させることは、プーティンのハイブリッド戦争戦略の1つである。アメリカの主要な敵対諸国の間で明らかになった不安は、機会と同じくらい多くのリスクをもたらす。私は、アメリカの諜報活動が大きな成功の時期があったと私は考えるが、ウクライナにおけるプーティンの意図と紛争に対する中国の対応に関する機密解除された報告によって最も公に反映されているように、イランと中国の現在の不安にアメリカが直接手を差し伸べることを示唆する陰謀論者は失望するだろう. .

不安の種をまくことはアメリカが持つ手段の1つではあるが、結果を制御する手段を持たずにそうすることは一般的に勝利のアプローチとはならない。不安定性は、絶望的な独裁者たちがリスクの高い解決策を海外に求める可能性があるけれども、予測不可能性とエスカレートする可能性につながることになる。国内の影響は、アメリカの利益にとって以前よりも悪化する可能性がある。イラン政府またはロシア政府が打倒された場合、後継者がより民主的で暴力的でないという保証はない。彼らはさらに残忍になる可能性がある。

体制転換を促進することも厄介なビジネスだ。そのような行為には、複雑な政治的、経済的、軍事的なリスク計算があり、その仕組みは、徹底的なアメリカの秘密行動の法的権限と要件によって管理されている。イラン、キューバ、チリ、アフガニスタン、イラクでの長年にわたるアメリカの体制転換の取り組みについては、正確に考慮されておらず、誤った前提に基づいていたが、少なくとも計画は存在した。

体制転換の利益になるか、もしくは単に敵の負担を増やすためであるかにかかわらず、市民の不安を助長することは、予測可能なものもあればそうでないものもある、一連の二次的および三次的な状況につながる可能性があり、実際にそうである。少なくとも、アメリカの諜報機関に多数いる弁護士たちは、このような騒動を助長することは暴力につながることが予想されると警告を発するだろう。その結果には必然的に人の生命が失われることが含まれ、大統領の書面による指示とその後の当局、および連邦議会指導部とその情報監視委員会への通知の覚書が必要になる。

アメリカは、イラクとアフガニスタンで軍事介入(military intervention)を行い、体制転換(regime change)を追求し、それぞれの国の反対勢力に対して、公然の関与と秘密の関与を組み合わせることにより、シリアのバシャール・アル・アサドに対抗した。結果は好ましいものではなかった。1953年8月にイランのムハンマド モサデク首相を打倒したクーデターは、冷戦時代のアメリカの政策立案者たちの目には短期的な利益をもたらしたかもしれないが、イラン人がアメリカをどのように見ているかという永続的な代償は、アメリカの安全保障上の利益に打撃を与え続けている。

CIAが2013年に発表したその役割を認めた文書によると、イギリスの諜報機関MI6とCIAは、今日のロシア、中国、またはイランよりもはるかに寛容で有利な環境で作戦を遂行してきた。1953年のイランは、比較的開放的で民主的な社会だった。クーデターを支援するにあたり、アメリカとイギリスはイスラム教聖職者の間から同盟者たちを募り、賄賂を利用してイランのマジュリス(majlis 訳者註:アラビア語で議会、集会、社交界)と軍の上級将校の協力を確保し、群衆を分断することに成功した。そのようなアプローチは、今日ではより困難になっている。

ロシア、中国、イランなどのより制限的な環境に対して、アメリカは過去に亡命グループと協力して国内の変化を促進してきた。たとえば、アメリカは、サダム・フセインのイラクに対抗して、米国防総省が支援するイラク国民会議のリーダーであるアーメド・チャラビに何よりも依存していたが、彼やそのようなグループが国を代表していないことや、人々からの支持を得ていないことに気づいたのは遅すぎた。

ロシア、中国、またはイランの国外の反体制グループの間で利用できる選択肢は限られている。イランの場合、モジャーヘディーネ・ハルグ (MEK) が存在する。アメリカ諜報機関のイランの専門家たちは、この組織は暴力を放棄し、講演会には超党派の講演者を招聘しているにもかかわらず、かなりカルト的でマルクス主義に傾倒している組織であるので、適度な距離を保つよう、歴代のホワイトハウスに長い間警告してきた。

私のCIAでのキャリアで、自国の体制を変えるための支援を求めてアメリカ政府との関係を求めている政治的反体制派や反乱グループからアプローチされることは珍しくなかった。信頼できるものはほとんどなく、中には、置き換えようとしている政権よりもアメリカの利益にとって潜在的に大きなリスクを提供したものもあった。合法的で進歩的な国内の反対運動を支持することでさえも、アメリカからの協力が暴露されてしまうとそれらの運動の信頼性を損なってしまう。そうなればアメリカの協力は諸刃の剣になる可能性がある。

全ての優れたスパイは、混沌の中にチャンスがあることを知っている。私が3月に『ウォールストリート・ジャーナル』紙に書いたように、「スパイはプーティンを滅ぼすだろう(Spies Will Doom Putin)」。そして、諜報機関のためにそのような機会を利用する幸運(偶然)は、多くの準備と適切な人々との関係の長期的な育成がもたらす。アメリカが対抗している独裁的な権力全体の不安定さと不安は、作戦上偶然で標的が多数存在する環境を作り出している。

CIA は戦略的諜報機関であり貯法活動に長けてはいるが、人々の情熱や動きを把握したり、正統な政治的反対派に関与したりすることは上手にできない。そうしたことはそもそも活動内容としては想定されていない。 CIA は、秘密と権力にアクセスできる者と内密に関与することを得意としており、ロシア、中国、およびイランでの活動はうまくやれていると私は考えている。

CIAの作戦局副局長であるデイヴィッド・マーロウは、ウクライナ侵攻はプーティンにとって大失敗であると形容し、西側諸国の諜報機関が、プーティンに不満を抱いたロシア人たちを結集させる機会につながる可能性があると主張している。マーロウは、限界に追いやられ、外国の諜報機関と協力する傾向にあるロシア人たちについて話した。こうしたロシア人たちの多くが西側諸国と協力する動機は、愛国心(patriotism)、不満(disgruntlement)、今後起こりうる困難な時代に対する保障の追求(the pursuit of an insurance policy against harder times possibly to come)である。

しかし、体制への反対派を活気づけることに成功したことが、アメリカが弱めようとしている独裁政権による建設的な対応につながったとしたらどうだろうか? そのような干渉は、市民の要求に対応するライヴァル(である独裁者たち)を実際に強化し、それによってより強力で有能な敵になることが可能となるのではないか?

 

 

中国では、習近平国家主席による新型コロナウイルス対策制限の緩和は、中国経済を回復させるための救済策になり得るだろうか? イランの神学者たちは、社会的制限の一時的かつ表面的な緩和の可能性に対する反応を測定し、国家主義的なテーマを活用することができるだろうか? プーティン大統領は民主的な譲歩を操作して、幻想の人気を作り出し、それを現実のものにするつもりなのだろうか?

中国は除外できる可能性があるが、そうした可能性は低い。イランには操縦する余地が存在しない。現在の指導者は、権力を維持するために必要な抑圧と残虐行為を正当化するために、保守的な宗教的資格を必要としている。過去の蜂起におけるイラン政権の行動は、1979年の革命から学んだ教訓を反映している。その教訓とは、「国王が失脚する前に試したような部分的な妥協はより大胆な反対を助長するだけだ」というものだ。

プーティンも同様で、彼の無敵のイメージの必要性を確信しているはずだ。「プーティンは弱い」と人々に思わせてしまうような公の場での振る舞いによって損なわれる。このことは、人々がプーティンの外見や振る舞いに慣れてしまうことが引き起こす可能性があるとプーティン自身が認識している。そして、習近平でさえ、抗議者たちの期待とリスク許容度を高めることなしに進める地点はそこまで遠くないが、政治的制限を緩和する必要はほぼないと言える。習氏の最も差し迫った課題は、政治に関して中国共産党を尊重する代償として、14億人の中国国民に強固な経済を提供するという社会契約を維持することだ。経済の安定を回復するには、厳しいロックダウンの後、いくらかの開放が必要になるかもしれない。

ロシア、中国、イランにおいて西側の諜報機関が利益を得ることができる状況と環境は、後退するのではなく、西側に有利な形で構築される可能性が高い。

アメリカは、これらの専制独裁政権の不正行為と悪意のある行動を明らかにし、限定的かつ慎重に検討された例外的な場合を除いで、冷戦中に行ったのと同じように、専制独裁政権の国々の有機的な反対政府グループを組織化し、活性化する必要がある。その支援は、勇気ある国内の努力を損なうことのない方法で必要な範囲で展開されるべきだ。それはそうした国々を正当に反映するグループに拡大されるべきであり、アメリカ政府が解決を望んでいた問題よりも更に大きな問題をアメリカ政府に残すようなことがあってはならない。

※ダグラス・ロンドン:ジョージタウン大学外交学部諜報学教授。中東研究所非常勤研究員。ロンドンは34年以上にわたり主に中東地域、南アジア、中央アジア、アフリカにおいて、ロシア語担当工作オフィサー、CIAクランデスタイン・サーヴィスを務めた。元ソヴィエトの共和国を含む3か所で責任者を務めた。著書に『リクルーター:スパイ技術とアメリカ諜報機関の失われた技術(The Recruiter: Spying and the Lost Art of American Intelligence)』がある。ツイッターアカウント:@DouglasLondon5

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 古村治彦です。

 以下の論考は、リアリズムの立場から、アメリカの外交政策に関与することになった人たち、具体的には連邦議会議員やそのスタッフたちに対する「アドヴァイス」である。著者ハーヴァード大学スティーヴン・M・ウォルト教授だ。彼のアドヴァイスの要諦は「現実を認識すること」である。それこそがリアリズムの要諦でもある。アメリカ国内の状況、国際社会の状況とアメリカの国際社会における地位について、自分の先入観やこれまでの歴史にこだわるのではなく、現実の世界を直視するということだ。

 アメリカは第二次世界大戦後には世界の超大国となった。ソ連との冷戦で勝利を収め(ソ連が崩壊したがアメリカは繁栄した)、世界で唯一の超大国となった。西洋社会の普遍的な価値観である民主政治体制、人権、資本主義、法の支配の擁護者にして伝道者を自任して、世界中にそれらを拡散することをアメリカの使命・アメリカの運命と心得ていた。「世界の警察官」という異名を奉られ、世界最強のアメリカ軍を各地に派遣して、敵対勢力を駆逐してきた。これが「素晴らしいアメリカ」の「イメージ」である。

 しかし、アメリカの国力は衰退し、中国が追い上げている。アメリカの軍事力の優越は変わっていないが、最近の介入は失敗続きである。アフガニスタンやイラクと言った国々を見れば分かる。ジョー・バイデン政権は対中、対ロシア強硬姿勢を続けている。対ロシアで言えば、ウクライナという対ロシア最前線でアメリカと西洋諸国、NATO加盟諸国が「火遊び」をした結果として、ウクライナ戦争が勃発した。バイデンは、バラク・オバマ政権の副大統領時代からウクライナに関わってきた。

今回ウクライナ戦争が勃発したことで、明らかになったことは、国際社会の分裂線である。西洋諸国(the West)対それ以外の国々(the Rest)の分裂である。沈みゆく先進諸国と勃興する新興諸国という構図である。GDPを見てみても、先進諸国であるアメリカ(第1位)と日本(第3位)は力を落とし、新興諸国である中国(第2位)とインド(第5位)が伸びている。興味深いのはドイツ(第4位)だ。ドイツは西洋諸国に所属しているが、新興諸国との関係も深めている。どちらの側とはっきりと色分けしにくい。そうした中で、ドイツが日本を再逆転して3位に浮上するのではないかという報道が出た(1968年に日本が当時の西ドイツを抜いて世界2位になった)。アメリカが中国に抜かれ、日本がドイツとインドに抜かれるのは時間の問題ということになっている。

 アメリカは「自分たちは特別なのだ、神に選ばれた国なのだ」という「例外主義(exceptionalism)」という「選民思想」を捨てて、より現実を見なければならない。中露と敵対関係を継続することが果たして国益に適うことなのかを考えねばならない。そして、アメリカの下駄の雪である属国日本もまた同様に良く考えておかねばならない。

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おめでとう、皆さんは連邦議会のメンバーになりました。それでは聞いて下さい(Congrats, You’re a Member of Congress. Now Listen Up.

-アメリカ立法部の新しいメンバーたちに対してのいくつかの簡潔な外交政策面でのアドヴァイス

スティーヴン・M・ウォルト筆

2023年1月11日

『フォーリン・ポリシー』誌

https://foreignpolicy.com/2023/01/11/congrats-youre-a-member-of-congress-now-listen-up/

アメリカでは新しい連邦議会が開会されている。少し手間取ったが、連邦下院の新議長が選出され、連邦上下両院の新連邦議員86人(共和党48人、民主党38人)も誕生した。このコラムは、彼ら(より正確には実際の仕事をするスタッフたち)のために書いたものだ。

まず、皆さんの多くは国際情勢にそれほど関心がないだろうし、有権者の多くもそうだろう。アメリカの外交政策分野のエスタブリッシュメントたちは、世界を管理するために(そして機会があればリベラルな価値観を広めるために)長時間労働をしているかもしれないが、ほとんどのアメリカ人は、911同時多発テロ事件のような悲劇的な事件の後を除いて、外交政策の問題について無知であり、ほとんど関心を持っていない。世界情勢における「積極的な役割(active role)」を広く浅く支持しているが、ほとんどのアメリカ人は国内の問題の方が重要だと考えている。アメリカは世界で大きな役割を果たし、連邦予算の大部分を外交政策と国家安全保障に割いているにもかかわらず、国民の関心は通常、自国内部や自国に近いところに釘付けになっている。このようなパラドックスが存在する。

私は皆さんに再選の方法を教えるようというのではない。皆さんの方が私よりも票を獲得する方法については詳しいということは既に証明されている。その代わり、私は自分の専門にこだわり、より広い世界とその中でのアメリカの位置づけについて、皆さんが知りたいと考えるだろう、いくつかのことに焦点を当てる。もしあなたが資金調達に参加しなければならず、時間がないのであれば「国際関係学の学位を5分で取得する方法」という私の以前のコラムを読んで欲しい。

ここで、最初によく理解して(wrap your brain around)欲しいことがある。世界におけるアメリカの地位は、かつての地位とは違うということがそれだ。誤解しないで欲しいのは、アメリカは依然として世界で最も強力な国であり、国内外で多くの過ちを犯さない限り、その見通しは明るいということだ。アメリカの軍事力は依然として強大であり(1990年代に見られたような全能感[omnipotent]はないにしても)、アメリカ経済は他の多くの国よりも優越な地位を保ち、世界の金融秩序に不釣り合いな影響力を保持している。アメリカの支援と保護は、かつてほどではないにしても、多くの場所で歓迎されている。

それでは相違点はどこかということになる。1990年代初頭にソヴィエト連邦が崩壊した時、アメリカは前例のないほどの優位な立場(unprecedented position of primacy)にあることを認識した。おそらく、皆さんの多くが職業人生を歩み始めた頃、あるいは政治に関心を持ち始めた頃だと思う。この時代、アメリカは他のどの国よりもはるかに強く、ロシアや中国を含む世界の主要諸国全てと比較的良好な関係を持っていた。ロシアが復活し、中国が急成長を続け、アメリカが愚かな戦争で何兆ドルも浪費するなど、「一極集中の時代(unipolar moment)」がなぜ短かったのか、後世の歴史家が正確に論じることになるだろう。しかし、私たちは再び競争的な大国間関係(competing great towers)と利害関係が高まり(rising stakes)、間違いを犯してしまったら本当に深刻な結果になる世界に戻ってきたことを理解しなければならない。このような世界で効果的に競争するためには、自国の利益を明確に理解し、優先順位を決めてそれを守る能力、そしてアメリカのパワーで何ができ、何ができないかを冷静に認識することが必要である。また、国内の分裂を抑制する(within bounds)ことも重要である。党派的争いは決して良いことではないが、そのレヴェルは私たちが受け入れられないほどに深刻化している。

第二に、他国には他国の利益と目標があり、友好諸国の利益と私たちの利益が常に一致するとは限らないことを認識する必要がある。たとえばインドはインド太平洋地域における有用なパートナーだが、ウクライナ紛争については断固として中立を保ち、今でもロシアの石油とガスを大量に購入している。イスラエルとサウジアラビアはアメリカの長年の同盟国だが、どちらもウクライナを助けるために指一本動かそうとしない。サウジアラビアは最近、中国の習近平国家主席を招いて一連の首脳会談を行った。アメリカは、ロシアの戦力低下とインフレ抑制のために石油生産の削減を避けるようにサウジアラビアに求めたが、サウジアラビアはアメリカの要求を拒絶した。ヨーロッパとアジア地域のアメリカの同盟諸国は、世界第2位の経済大国である中国との経済関係を悪化させる恐れがあるため、中国との「チップ戦争」が賢明なことなのかどうかについて疑問を抱いている。

私のアドヴァイスは次のようなものだ。それは「慣れること」だ。出現しつつある多極化する世界(emerging multipolar world)では、私たちが自国の利益を追求するのと同じように、他の国も自国の利益を追求する。もし、私たちが他国からの支持を望むなら、実際望んでいるのだが、私たちは彼らの利益が何であるかを理解する必要があり、彼らが単に一線に並ぶことを期待しないようにしなければならない。

ここでもう1つ知っておいて欲しいことがある。アメリカは関与しないとか、「自制(restraint)」の大戦略(grand strategy)を採用するとか、アイソレイショニズム(isolationism)に退くとかそんなことはまったくない。その逆なのである。アメリカは今、2つの大国に対して同時に決定的な敗北をもたらそうとしている。ウクライナがロシアに軍事的敗北をもたらすのを助けようとしている。戦争が始まった直後にロイド・オースティン米国防長官が言ったように、「ロシアがウクライナに侵攻したようなことができない程度に弱体化することを望んでいる」のである。同時に、中国に経済的、技術的敗北を与え、中国の台頭を遅らせ、今後数十年にわたりアメリカの支配を維持しようと考えている。世界経済を混乱させたり、台湾への攻撃を誘発したり、中国との経済的な関係を維持したい同盟諸国を混乱させたりすることなく、中国を弱体化させようとしているのである。この戦略が何であれ、それは「縮小(retrenchment)」ではない。

ウクライナ戦争は、軍事力を含むハードパワーが引き続き重要であること、そして国家がそれを不用意に使用すると厄介なことになることも明確に示している。軍事力は、国家を守る最高機関が存在しない現実の世界では残念なことではあるが必要なものである。しかし、その効果を予測しにくい粗雑な手段でもある。ロシアのウラジミール・プーティン大統領の不適切な侵攻は、指導者がいかに誤算(miscalculate)を犯しやすいかを示している。しかし、成功した軍事作戦でさえ、意図しない結果を生み出し、それが解決しようとした本来の問題と同様に、新た田事態に対しての処理が困難になる可能性も出てくる。

この問題に言及したのは、連邦議員、行政府の幹部職員、利益団体のロビイスト、外国の大使、あるいはシンクタンクの権威ある専門家などが、一刻も早く対処しなければならない危機が迫っていると言ってくる可能性があるためだ。彼らは、何もしない無策の危険は重大であり、武力行使のリスクは最小であり、今行動することのメリットは非常に大きいと説得しようとしてくる。そして、彼らが正しいということもかろうじてあり得る。

しかし、私からのアドヴァイスは 「懐疑的(skeptical)になること」である。たくさん質問すべきだ。バックアップの計画はあるのか、計画した作戦が完了した後にどうするつもりなのか、といった質問をしてみて欲しい。反対派や第三者がどのように反応すると考えているのか? その予測の裏にはどのような証拠があるのか? 他の選択肢が検討されたかどうかを厳しく追及して欲しい。彼らの評価の根拠となる情報について質問してみる。予防戦争(preemptive war)は国連憲章(U. N. Charter)の下で違法であり、かつてオットー・フォン・ビスマルクが予防戦争を「死を恐れて自殺すること(committing suicide for fear of death)」に例えたことを思い出して欲しい。最近のアメリカの軍事介入は、最初はうまくいったが、結局は金のかかる泥沼状態(quagmires)に陥ったことを指摘することもできるだろう。彼らがオフィスを去った後、スタッフに頼んで異なる見解を持つ人物たちと連絡を取り、そうした人々の言うことに耳を傾けてほしい。アメリカは実際、非常に安全な国であり、武力行使は最後の手段(last resort)であって、第一に起きるべき衝動(impulse)ではないことを忘れてはならない。アメリカは、好戦的・攻撃的(trigger-happy)に見える時よりも、自制と忍耐(restraint and forbearance)をもって行動する時にこそ、他国からより多くの支持を集めることができるという傾向がある。

もう1つ、心に留めておいて欲しいことがある。それは、私たちは相互依存の世界(interdependent world)に生きている、ということだ。確かにアメリカは依然として世界最大の経済大国であり、他の国々に比べれば対外貿易への依存度ははるかに低い。しかし、「依存度が低い(less dependent)」ということは、他国との経済交流から大きな利益を得られないということではない。保護主義(protectionism)が拡大すれば、アメリカ人はより貧しく、そしてより弱くなる。

同様に重要なことは、自国での愚かな政策(boneheaded policies)が、外国や企業に、そして何百万人ものアメリカ人にとって事態を悪化させるような対応を取らせる可能性があるということだ。連邦議会が国家債務上限(debt ceiling)を引き上げられず、アメリカが債務不履行(default)に陥ったとしても問題ないと同僚が言った時、このことを心に留めておいて欲しい。もし、あなたや同僚議員たちが劇的な景気後退を引き起こす手助けをすれば、一見、安全な議席を持つ現職議員でさえ、職を探す羽目に陥ることになるかもしれないのだ。

新しいオフィスや配属された委員会に慣れたら、緊急性の高いものと本当に重要なものを区別するようにして欲しい。24時間365日のニューズサイクルは残酷な愛人(cruel mistress 訳者註:良い面と悪い面の両方があるという意味)である。また、皆さんは既に再選のことを気にしていることだろう。このような状況下では、その時々の危機に対応する誘惑に抗うことは困難だろう。しかし、危険なのは、私たちの長期的な未来に最も大きな影響を与えるトレンドや関係性を見失ってしまうことだ。

私が言いたいのはこういうことだ。現在、ロシアのウクライナ戦争はより直接的な問題であるが、より長期的な課題としては中国が挙げられる。アメリカの経済的将来と安全保障全体は、クリミアやドンバスを誰が最終的に支配することになるかで決まるものではない。個人的にはキエフであって欲しいが、モスクワになったとしても、アメリカにとってはそれほど重要ではないだろう。重要なのは、アメリカが最も重要な先端技術の分野でリードしているかどうか、アメリカ国内の大学や研究機関が依然として世界の羨望の的であるかどうか、そして平均気温が1.5上昇するか2上昇するか、あるいはそれ以上上昇するかということであろう。もしあなたやあなたの同僚たちが、アメリカがこれらの大きな問題で正しい側に立つのを助けることができれば、あなたは将来の世代に大きな恩恵を与えることになるだろう。

最後に、アメリカが政治的に深く対立していることは、今さら皆さんに言わなくても分かっていることだろう。しかし、連邦議員に就任した以上、世界が皆さん方を見ているということを忘れないで欲しい。自分の住む州や地区では良いが、海外では国のイメージに大きなダメージを与えるようなふざけた態度を取ってはいけない。分極化(polarization)と行き詰まり(gridlock)は、アメリカに残された優位性を維持し、アメリカ人がより安全で豊かな生活を送るための政策を実現することを難しくしてしまう。連邦下院の議場でのささいなしかもふざけたじゃれ合い(あるいはそれ以上のもの!)は、アメリカのブランドを汚すことになる。アメリカの指導者たちは、自国の政治システムがこれほどみすぼらしくそして機能不全(tawdry and dysfunctional)に陥っているというのに、どうして他国にその改善策を指示できるだろうか? アメリカの外交官たちが他国に政府を説得し、アメリカの公約と引き換えに行動を修正させることは、次の選挙後もその公約が守られるかどうか分からない状況では、ほぼ不可能である。民主政治体制国家はこの問題を完全に回避することはできないが、最近この国で見られたような極端な気分の変動(extreme mood swings)は、同盟諸国と協力したり、ライヴァル諸国に対して効果的に対処したりする能力を損なうものだ。

私の主張の内容がナイーヴに聞こえることは承知している。政策の違いを真剣に議論し、党派的な大言壮語(grandstanding)、陰謀論(conspiracy theorizing)、裸の自己顕示欲(naked self-promotion)を否定することを期待するのは、絶望的なまでに理想主義的だ。しかし、皆さんの中から、狭い私利私欲を乗り越え、自分のエゴや役得(perquisites)よりも国家を優先してくれる人が出てくることを期待して、とりあえず言っておきたいことがある。マーク・トウェインがかつて忠告したように、「正しいことをしなさい。正しいことをすれば、一部の人は満足し、残りの人は驚くだろう(Do the right thing. It will gratify some and astonish the rest)」。

※スティーヴン・M・ウォルト:『フォーリン・ポリシー』誌コラムニスト。ハーヴァード大学ロバート・アンド・レニー・ベルファー記念国際関係論教授。

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(終わり)

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 古村治彦です。

 昨日は、国際関係論の一学派リアリズムの泰斗であるスティーヴン・M・ウォルトのリアリズムによる新型コロナウイルス感染拡大に関する分析論稿を紹介した。今回ご紹介する論稿はウォルトの論稿に対する反論という内容になっている。

 新型コロナウイルス拡大が国際的な問題となって3年が経過した。各国は医療体制の拡充や補助金の新設や増額などで対応してきた。日本も例外ではない。そうした中で、国家の役割が増大し、人と物、資本が国境を越えて激しく動き回る、グローバライゼーションの深化はとん挫した形になった。国際機関に対する信頼も小さくなっていった。

 しかし、今回ご紹介する論稿の著者ジョンストンは、初期段階の対応はリアリズムで分析できるが、これからはそうではないと述べている。もう1つの学派であるリベラリズム(Liberalism)によって分析・説明が可能になると主張している。

 リベラリズムとは、各国家は国益を追求するために、進んで協力を行う、国際機関やNGOなどの非国家主体が国際関係において、重要役割を果たすと主張する学派だ。新型コロナウイルス感染拡大の初期段階では各国は国境を閉じ、人の往来を制限して、国内での対応に終始した。しかし、これから新型コロナウイルス感染拡大前の世界に戻るということになれば、国際的な取り決めや協力が必要になり、国際機関の役割も重要になっていく。グローバライゼーションの動きがどれくらい復活をしてくるかは分からないが、おそらくこれまでのような無制限ということはないにしても、人、物、資本の往来はどんどん復活していくだろう。

 社会科学の諸理論は、社会的な出来事を分析し、説明し、更には予測することを目的にして作られている。理論(theory)が完璧であればそれは法則(law)ということになるが、それはなかなか実現できないことだ。諸理論は長所と短所をそれぞれ抱えており、また、現実の出来事のどの部分を強調するかという点でも違っている。理論を構成していくというのは、言葉遊びのようであり、まどろっこしくて、めんどくさいのように感じる。

 しかし、そうやって遅々としてか進まない営為というものもまた社会にとって必要であり、いつか大いに役立つものが生み出されるのではないかという希望を持って進められるべき営為でもある。日本においては官民で、学問研究に対する理解も支援も少なくなりつつあるように感じている。それは何とも悲しいことだし、日本の国力が落ちている、衰退国家になっているということを実感させられる動きだ。

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感染拡大とリアリズムの限界(The Pandemic and the Limits of Realism

-国際関係論の基本的な理論であるリアリズムはそれが主張するよりも現実的ということではない。

セス・A・ジョンストン筆

2020年6月24日

『フォーリン・ポリシー』誌

https://foreignpolicy.com/2020/06/24/coronavirus-pandemic-realism-limited-international-relations-theory/

スティーブン・ウォルトの「コロナウイルス感染に対するリアリズム的ガイド」は、彼の他の論文とともに、国際関係の現実主義者がコロナウイルスをこの学派の思想の正当性を証明するのに役立つと見ている説得力のある例である。現実主義者が自信を持つには十分な理由がある。新型コロナウイルス感染拡大への対応は、主権国家の優位性(primacy of sovereign states)、大国間競争の根拠(rationale for great-power competition)、国際協力への様々な障害(obstacles to international cooperation)など、リアリズムの伝統の主要な信条を実証するものとなった。

しかし、新型コロナウイルス感染拡大は、政策を成功に導く源泉としてのリアリズムの欠点も露呈している。リアリズムが得意とするのは、リスクや危険を説明することであり、解決策を提示することではない。リアリズムの長所は治療や予防よりも診断にある。新型コロナウイルスに最も効果的に対処するためには、政策立案者たちは、過去4分の3世紀の他の大きな危機への対応に、不本意ながら情報を与えてくれたもう1つの理論的伝統に目を向ける必要がある。

リアリズムは多くのことを正しく理解しており、それが、少なくともアメリカにおいて、リアリズムが国際関係論の基礎となる学派であり続ける理由の1つである。新型コロナウイルス感染拡大は、世界政治の主役は国家であるというリアリズムの見識を浮き彫りにしている。新型コロナウイルスが発生すると、各国は国境を閉鎖または強化し、国境内の移動を制限し、安全保障と公衆衛生の資源を結集して迅速に行動した。世界保健機関(World Health OrganizationWHO)は当初、こうした国境管理に反対するよう勧告し、企業は経済活動の低下を懸念し、個人は移動の自由の制限に苦しんだが、これは秩序を維持し出来事を形成する国家の権威を強調するものだ。

しかし、国の独自行動がいかにリアリズムから理解できるものであっても、また予測できるものであっても、その不十分さは同じである。国境管理と渡航制限によって、各国が新型コロナウイルス感染拡大から免れることはなかった。たとえ完璧な管理が可能であったとしても、それが望ましいかどうかは疑問である。島国であるニュージーランドは、物理的な地理的優位性と国家の決定的な行動により、新型コロナウイルスに対して国境を維持し、比較的成功を収めていることについて考える。ニュージーランドが国家的勝利を収めたとしても、感染拡大が国境を越えて猛威を振るう限り、それは不完全なものに過ぎない。再感染し、国際的な開放性に依存する産業が経済的なダメージを受け続ける危険性がある。つまり、自国内での感染を防ぐことは国益にかなうが、他の国が同じことをしない限り、その国益は実現しないのだ。経済や安全保障の競争は、「相対的利益(relative gains)」やゼロサムの競争論理といったリアリズム的な考察に合致しやすいが、疾病のような国境を越えた大災害は、「無政府状態(anarchy)」の国際システムにおける個々の国家の限界を露わにする。

国境を越えるようなリスクと国益との間の断絶は、資源をめぐる国家の奔走という別の問題にも関連している。ここでもリアリズムがこの問題の診断に役立っている。なぜ各国が医療用マスク、人工呼吸器、治療やワクチンのための知的財産といった希少な品目をめぐって争うのかを説明している。このような争いは、ゼロサムの論理の性質を持つ。しかし、協調性のない行動は非効率的な配分(inefficient allocation)をもたらし、時間と労力を浪費し、コストを増大させる。これら全ては、感染症の発生を阻止するという包括的なそして共通の利益を損なうものである。同じ資源をめぐるアメリカの州や自治体の無秩序な争いは、国内でもよく見られる光景である。リアリズムが提示する建設的な選択肢はほとんどない。

リアリストたちは国際機関を信用しないよう注意を促す。例えば、国連もWHOも新型コロナウイルスを倒すことはできない。国際機関が自律的な国際的なアクターであるとすれば、それは弱いものであることは事実である。しかし、この批判は的外れである。国際機関は、国家の行動に代わるものでも、国際関係における国家の主要な地位に対する挑戦者でもない。むしろ、外交政策や国家運営(statecraft)の道具である。国家が国際機関を設立し、参加するのは、予測可能性(predictability)、情報、コスト削減、その他機関が提供できるサーヴィスから利益を得るためである。リアリズムの著名な学者であるジョン・ミアシャイマーでさえ、国際機関は「事実上、大国が考案し、従うことに同意したルールであり、そのルールを守ることが自分たちの利益になると信じているからである」と認めている。制度学派のロバート・コヘインとリサ・マーティンが数十年前にミアシャイマーとの大激論で述べたように、国家は確かに自己利益追求的であるが、協力はしばしば彼らの利益になり、制度はその協力を促進するのに役立つのである。ミアシャイマーは、最近、他の分野でもアメリカの利益に資するために、より多くの国際機関を創設するよう主張したので、最終的には同意することになったのかもしれない。また、制度学派も、安易な協力を期待することの甘さに対するリアリズムの警告を認めている。日常生活において、隣人との協力は簡単でも確実でもない。しかし、アメリカ人の多くが感染拡大にもかかわらず、街頭に出て要求したように、代替案よりも望ましいことであるから、それを得るために努力する価値があるのだ。

主要な違いは、制度主義(institutionalism)の方が、自己利益追求的な協力の現実的な可能性をより強調することである。この強調の仕方の違いによって、リアリズムと制度主義の間にある実質的な共通点が曖昧になりかねない。両方とも、国際協力(international cooperation)が望ましいことは認識しているが、より困難な問題は、それをどのように達成するかということである。この点では、現実主義的な洞察(insight)が大いに貢献する。覇権的なパワー(hegemony power)が国際的な制度を押し付けると、その制度は覇権を失った後も存続しうるという古典的な考え方がある。また、ジョセフ・ナイのリーダーシップに関する議論でも、パワーは中心的な役割を果たし、コストを下げ、成果を向上させるために、パワーのハードとソフト両面の「賢い(smart)」応用が必要であるとしている。さらに他の研究者たちは、制度設計(institutional design)が強制、情報共有、その他の設計上の特徴を通じて、不正行為(cheating)、恐怖(fear)、不確実性(uncertainty)のリスクを縮小することができると指摘している。これらの資源は完璧ではないが、パワー、リーダーシップ、制度設計に対する影響力など、その全てがアメリカで利用可能であることは朗報である。

日常生活において、隣国との協力は簡単でも確実でもない。しかし、感染拡大にもかかわらず、アメリカ人の多くが街頭に立って要求しているように、代替案よりも望ましいことであるから、それを得るために努力する価値はある。国益は、利用可能な資源やヴィジョンと相まって、アメリカや他の国々が過去の危機の際に国際機関を設立し、行動してきた理由を説明する。国際連合(United Nations)は、第二次世界大戦中にアメリカが連合国(the Allies)に対して作った造語であり、終戦時に制度化されたものである。イスラム国(Islamic State)討伐のための国際的な連合は、国際テロ対策という共通の利益を更に高めるために数十カ国が結集し、それ自体は2014年のNATO会議の傍らで考案されたものである。2008年の金融危機の際、各国は経済政策を調整し、コストを分担し、経済を救うために、G20を再発明した。

アメリカはこうした制度の創設を主導し、莫大な利益を得た。第一次世界大戦後の国際連盟(League of Nations)への加盟を拒絶し、911後のテロ対策では、当初はやや単独行動的(unilateral)であったように、国際協力は必ずしもアメリカの最初の衝動では無かった。しかし、アメリカは最終的に、国際的な協調行動とリーダーシップによって、自国の利益をよりよく実現することができると判断したのである。

新型コロナウイルスの大流行に対する国家の初期反応については、リアリズムで説明することができるが、より良い方法を見出すためには、他の諸理論に建設的な政策アイデアを求める必要がある。これまでの世界的危機と同様、アメリカは国際機関に国益を見出す努力をすることができるし、そうすべきである。

※セス・A・ジョンストン:ハーヴァード大学ベルファー科学・国際問題センター研究員。

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 悪魔のサイバー戦争をバイデン政権が始める
20211129sankeiad505

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 古村治彦です。

 大変古い記事で申し訳ないが、国際関係論におけるリアリズムとリベラリズムという2つの学派の考え方を現実問題に当てはめてみたらどのような分析になるかという内容の論稿をご紹介したい。著者はリアリズムの代表的な学者でハーヴァード大学教授のスティーヴン・M・ウォルトだ。

 ここ最近の世界的な大事件と言えば、新型コロナウイルスの世界規模での感染拡大だ。各国はどのように新型コロナウイルスに対応するのかという分析記事である。国際関係論におけるリアリズムとは、国際政治においては国家が主役であり国益のために行動し、それぞれのパワー(力、国力)を前提として、国際関係を分析するが、国家間の協力よりは競争、更には均衡状態が実現しやすいという考え方である。リベラリズムとは、世界各国は国益を実現するために協力を行い、相互依存関係を深化させる。そして、国家以外の主体(国際機関やNGOなど)も重要なアクターであるとするものだ。

 今回の新型コロナウイルス感染拡大で各国政府は様々な分野で役割を果たした。国家の存在、役割が改めて認識されることになった。その点で言えば、リアリズムの分析が有効ということになる。リアリズムは国益を国家の生存と定義し、各国家の体制の違いにはあまり注目していない。どの形の国家であっても、国家の生存を第一とするということになる。各国家は滅亡しないように生存を最優先して行動する。これが前提となる。

 グローバライゼーションが深化して、国家以外の主体、国際機関やNGOなどが重要な主体となっているということが盛んに喧伝されたが、今回の新型コロナウイルス感染拡大ではそこまでの存在感を示すことはできなかった。やはり各国家が、他の国々の対応を横目で見ながら対応するということになった。

 2016年のドナルド・トランプの米大統領選挙当選、イギリスのEUからの離脱(ブレグジット、Brexit)はグローバライゼーションへの大きな反撃となったが、新型コロナウイルスもまたグローバライゼーションを止めるための要素となった。「アイソレイショニズム(Isolationism)」「アメリカ・ファースト(America First)」という言葉が改めて実感を持って認識されることになった。

 日本国内でもグローバライゼーションによる格差拡大、各レヴェルの政府の役割の縮小が進んでいた中で、新型コロナウイルス感染拡大対策が後手に回ったと言わざるを得ない。日本でもグローバライゼーションに対する揺り戻しがこれから進んでいくだろう。グローバライゼーションの推進勢力である自民党、公明党の連立政権と与党補完勢力(ゆ党)の日本維新の会に対する支持率の低下はそのことを示していると言えるだろう。

 新型コロナウイルスは世界の進む方向とそのスピードを変えるほどの大きな影響があったということになる。

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コロナウイルス感染に対するリアリズム的ガイド(The Realist’s Guide to the Coronavirus Outbreak

-グローバライゼーションはICU(集中治療室)に向かっている。そして、増大する国際的な危機の性質に関するその他の外交政策に関する洞察にも向かっている。

スティーヴン・M・ウォルト筆

2020年3月9日

『フォーリン・ポリシー』誌

https://foreignpolicy.com/2020/03/09/coronavirus-economy-globalization-virus-icu-realism/

国際政治と外交政策に対するリアリズムのアプローチは、新型コロナウイルスの発生のような潜在的な感染拡大の問題にあまり注意を向けない。もちろん、全てを説明する理論は存在しない。リアリズムは主に、無政府状態の制約効果(constraining effects of anarchy)、大国同士が優位性を競う理由(reasons why great powers compete for advantage)、国家間の効果的な協力に対する永続的な障害(enduring obstacles to effective cooperation among states)に焦点を当てている。種間ウイルス感染、疫学、または公衆衛生の最善の形態についてはほとんど語られていないため、リアリストたちに在宅勤務を開始する必要があるかどうかを尋ねるべきではない。

これらの明白な限界があるにもかかわらず、リアリズムは、新しいコロナウイルスの発生が提起しているいくつかの問題に対して、有益な洞察を提供することができる。たとえば、トゥキディデスのペロポネソス戦争に関する記述(リアリズムの伝統の基礎となった文書の1つ)の中心的な出来事が、紀元前430年にアテネを襲い、3年以上にわたって続いたペストであることは、記憶しておく価値がある。歴史家たちは、このペストはペリクレスのような著名な指導者を含むアテネの人口の約3分の1を殺害し、アテネの長期的な力の可能性に明らかにマイナスの影響を及ぼしたと考えている。リアリズムとは、私たちが現在置かれている状況について、何か示唆を与えてくれるものではないだろうか?

第一に、最も明白なことは、現在の緊急事態(present emergency)は、国家(states)が依然として世界政治の主役であることを思い起こさせるということだ。数年ごとに、学者や評論家たちは、世界情勢において国家の存在意義が薄れつつあり、他の主体や社会勢力(非政府組織、多国籍企業、国際テロリスト、グローバル市場など)が国家の主権を弱め、国家を歴史のごみ箱に押し込んでいると指摘している。しかし、新たな危険が生じた時、人間は何よりもまず国家に保護を求める。911同時多発テロの後、アメリカ人はアルカイダから自分たちを守るために、国連やマイクロソフト社やアムネスティ・インターナショナルに頼らず、ワシントンと連邦政府に頼った。そして、それは今日も同じである。世界中で、市民は公的機関に権威ある情報を提供し、効果的な対応策を講じるよう求めている。先週、ジャーナリストのデレク・トンプソンがツイッター上で書いていたように、「パンデミックにリバータリアンは存在しない(There are no libertarians in a pandemic)」。これは、より広範なグローバルな取り組みが必要でないということではなく、グローバル化にもかかわらず、国家は依然として現代世界の中心的な政治的アクターであることを思い出させるものである。現実主義者たちはこの点を何十年にもわたって強調してきたが、コロナウイルスはそれをまたもや鮮明に思い出させるものである。

第二に、より構造的なリアリズムでは、相対的なパワーを除いて、国家間の差異を軽視する傾向があるが、コロナウイルス感染への対応を通じて、異なるタイプの政権の強みと弱点が露呈していることだ。硬直した独裁国家は飢饉や伝染病などの災害に対して脆弱であると、学者たちは以前から指摘してきた。これはまさに中国やイランで起こったと思われることである。警鐘を鳴らそうとした人々は沈黙させられ、あるいは処罰され、トップはそれに対処するために迅速に動員する代わりに、何が起こっているのかを隠そうとした。権威主義的な政府は、資源を動員して野心的な対応をすることが得意である。北京が都市全体を隔離し、広範囲に及ぶ規制を行ったのはそのためだが、トップに立つ人々は何が起こっているのかを把握し、認識した後でなければならないのである。

民主政体国家では、独立したメディアや下級役人が処罰されることなく警鐘を鳴らすことができることもあり、情報がより自由に流れるため、問題の発生をより的確に把握することができるはずだ。しかし、民主政体国家においては、時宜を得たな対応策を策定し、実行に移す際に問題が生じる可能性がある。特にアメリカでは、緊急事態に対応する第一対応者(first responder)やその他の機関が、多くの州政府や地方政府の管理下に置かれているため、この欠陥が深刻になる可能性がある。事前に十分な計画を立て、ワシントンから効果的な調整が行われない限り(最善の状況でこれを行うのは容易ではない)、正確で時宜を得た警告であっても、効果的な緊急対策は生まれないかもしれない。ニューオーリンズのハリケーン・カトリーナやプエルトリコのハリケーン・マリアへの対応の失敗がその具体例だ。

残念なことに、ミシェル・ゴールドバーグが最近の『ニューヨーク・タイムズ』紙の論稿で指摘したように、「ドナルド・トランプのコロナウイルスへの対応は、独裁と民主政体の最悪の特徴を兼ね備えており、不透明さとプロパガンダと指導者不在の非効率性が混在している」のである。以前、連邦政府全体とホワイトハウス自体の災害対策を格下げしたトランプは、一貫してコロナウイルス発生の深刻さを軽視し、資格を持つ科学者の評価を覆し、あるいは挑戦し、効果的な連邦政府の対応を調整できず、前線にいる地方公務員と喧嘩をし、全てを退任して3年以上になる前任者バラク・オバマのせいにしてきた。分権的な民主政体システム(decentralized democratic system)の責任者に権威主義者を据え、更に深刻な緊急事態が重なれば、このような事態も予想される。

明るい兆しはあるのだろうか? リアリズムはわずかながらあるのかもしれないと提案している。競争の激しい世界では、国家は他国が何をしているかに警戒心を抱き、成功を真似ようとする大きな動機がある。例えば、軍事上の技術革新はすぐに他国に採用される傾向がある。適応に失敗すれば、遅れをとって脆弱になるからだ。このような観点から、いくつかの国がコロナウイルスに対してより効果的な対応をとれば、他の国もすぐにそれに追随することが予想される。このプロセスは、各国が正確な情報を共有し、情報を政治的に利用したり、利益を得るために利用したりすることを控えれば、より迅速に実現することができる。

残念なことに、リアリズムは、この問題に関して効果的な国際協力を実現することは、その必要性が明らかであるにもかかわらず、容易ではないことも指摘している。リアリストたちは、協力(cooperation)は常に起こるものであり、規範(norms)や制度(institutions)は、国家が協力することが自国の利益になる場合には、それを助けることができると認識している。しかし、リアリストたちは、国際協力は往々にして脆弱であると警告する。その理由は、他国が約束を守らないことを恐れたり、協力が自分たちの利益よりも他国の利益になることを心配したり、コストの不釣り合いな負担を避けようとしたりすることにある。このような懸念があるからといって、各国が互いに協力してこの地球規模の問題に取り組むことを妨げるとは思わないが、これらの懸念のいずれか、あるいは全てが、集団的対応(collective response)の効果を低下させる可能性がある。

最後に、外交政策上のリアリズムは、もしこの新型コロナウイルス感染拡大が(2003年のSARSの流行のように)迅速かつ多かれ少なかれ永久に沈静化しないならば、既に進行中の脱グローバリズムへの拡大傾向を強化することになるとも指摘している。1990年代、グローバライゼーションの使徒たち(apostles of globalization)は、貿易、旅行、グローバル金融統合、デジタル革命、そして資本主義的自由民主政治体制の明白な優位性によって、世界はますます緊密につながり、ますますフラットでボーダレスになっていく世界で、私たちはみな豊かになるために忙しくなるだろうと信じていた。過去10年以上、この楽観的なヴィジョンは着実に後退し、自律性(autonomy)と大切な生活様式の維持のために、効率、成長、開放性を交換しようとする人がどんどん増えている。イギリスのEU離脱賛成派(Brexiteers)が言うように、彼らは「コントロールを取り戻したい」ということなのだ。

リアリストにとっては、この反発は当然のことである。リアリストのケネス・ウォルツがその代表作『国際政治の理論(Theory of International Politics)』で書いているように、「国内の命令は『特殊化する(specialize)』」であり、国際的命令は『自分のことは自分でやれ!(Take care of yourself !)』」なのだ!」。キリスト教的リアリストのラインホールド・ニーバーも1930年代に同様の警告を発し、「国際商業の発展、国家間の経済的相互依存(economic interdependence)の増大、技術文明(technological civilisation)の全装置は、国家間の問題や課題を、それを解決する知性(intelligence)が生まれるよりもはるかに急速に増大させている」と書いている。

リベラル派の理論家たちは、国家間の相互依存の高まりが繁栄の源泉となり、国際的な対立を阻害すると主張してきた。これに対し、リアリストたちは、緊密な関係は脆弱性(vulnerability)の源でもあり、紛争の原因となり得ると警告している。ウォルツとニーバーは、国家間の結びつきが強くなればなるほど、解決できる問題と同じくらい多くの問題が発生し、時には解決策を考えるよりも早く問題が発生する、と言っているのだ。そのため、国際政治の重要な構成要素である国家は、互いの取引に制限を設けることでリスクと脆弱性を軽減しようとする。

従って、リアリズムの観点からすれば、新型コロナウイルスは国家にグローバライゼーションを制限する新たな理由を与える可能性がある。超グローバライゼーションは、世界の金融システムを危機に対してより脆弱にし、雇用の奪い合いによる深刻な国内政治問題を引き起こしたが、現在我々が目撃しているような国際規模の感染拡大に文字通りさらされる機会も増加した。

明確にしよう。リアリズムは、経済的自立への後退や、2つの世界大戦と世界恐慌の結果として起こったのと同じレヴェルの脱グローバリズムを予測するものではない。現代の国家は、新型コロナウイルスのようなものに直面しても、全ての関係を断ち切る訳にはいかない。しかし、現代のグローバライゼーションの高水準はもはや過去のものとなり、2つの種類の境界を越えたウイルスが、国家間の境界(borders)をもう少し高くする理由の1つになるのではないかと私は推測している。

※スティーヴン・M・ウォルト:『フォーリン・ポリシー』誌コラムニスト。ハーヴァード大学ロバート・アンド・レニー・ベルファー記念国際関係論教授。ツイッターアカウント:@stephenwalt

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