古村治彦(ふるむらはるひこ)の政治情報紹介・分析ブログ

SNSI研究員・愛知大学国際問題研究所客員研究員の古村治彦(ふるむらはるひこ)のブログです。翻訳と評論の分野で活動しています。日常、考えたことを文章にして発表していきたいと思います。古村治彦の経歴などについては、お手数ですが、twitter accountかamazonの著者ページをご覧ください 連絡先は、harryfurumura@gmail.com です。twitter accountは、@Harryfurumura です。よろしくお願いします。

タグ:映画

 古村治彦です。

 今回は映画『独立愚連隊』『独立愚連隊西へ』の感想を書きたい。両作品ともに岡本喜八監督の代表作だ。60年も前の映画だが、色褪せない傑作だ。『独立愚連隊』は謎解き、『独立愚連隊西へ』は冒険活劇という要素が大きいが、随所に戦争は虚しい、戦争という異常な状態では人間の生命や尊厳は簡単に失われる、そして、人間の生き死にはほんの些細なことが分かれ目となる、ということが描かれている。
dokuritsugurentai001
独立愚連隊

 『独立愚連隊』は戦争末期の中国戦線が舞台だ。従軍記者・荒木が取材で将軍廟という町を訪問する。この町に駐屯している大隊が更に敵との最前線に孤立気味に設置している警戒拠点・独立第90小哨を守る分隊、通称「独立愚連隊」を取材するためだ。この独立愚連隊ははみ出し者を集めて作った分隊で、いわば捨て石的な存在として全滅しても仕方がないとされている。この分隊に派遣されていた見習士官・大久保の不審死について荒木は取材を始める。

 この従軍記者・荒木は実は、大久保見習士官の兄で、以前は優秀な軍曹だったのだが、北京の軍病院に入院中に弟の死を知り、脱走して真相究明と敵討ちのために、将軍廟、そして独立第90小哨にやってきた。殺害された大久保士官は大隊で行われていた不正を上層部に訴えようとして殺害された。殺害したのは、大隊を牛耳っていた副官の橋本中尉と彼の配下の下士官だった。彼らは大隊を牛耳るために大隊長も町を取り囲む城壁から突き落として精神に変調をきたさせるということまでやっていた。

 中国軍(中国共産党人民解放軍)の圧力が強まる中で、将軍廟から大隊が撤退となり、独立愚連隊がしんがりを務めることになった。撤退する軍の最後方を守るしんがり(殿軍)はいつの時代も全滅の危険に晒される。そうした中で、大隊が敵と戦闘中に行方不明になっていた軍旗が旗手と共に戻ってきたので、これを守りながら、撤退します。そして、大隊が撤退後に将軍廟を守る。

独立愚連隊は隠れて敵をやり過ごそうとしましたが、ちょっとしたミスで見つかってしまい、戦闘となり、独立愚連隊は数で大幅に勝る敵に圧倒され全滅。しかし、従軍記者・荒木は負傷しつつも生き残り、途中で知り合った馬賊に誘われ、彼らと共に去っていく。この話には従軍記者・荒木と元従軍看護婦の慰安婦・トミとの悲恋も絡む。

dokuritsugurentainishihe001
独立愚連隊西へ 
 『独立愚連隊西へ』は『独立愚連隊』の続編です。設定などは大きく変わっている。ここで出てくるのはやっぱりはみ出し者部隊である独立愚連隊。今回の独立愚連隊は、各部隊で戦死と認定された後に帰ってきた兵士たちで構成されている。一度戦死と認定されて、宙ぶらりん状態になった兵士たち。各部隊をたらいまわしにされ、捨て石のような扱いになっているのに、戦死者を出さずにいる不思議な部隊だ。

 この独立愚連隊が新たに配属されることになった大隊では、ある小隊が敵の襲撃を受け、軍旗が行方不明となった。そこで捜索隊を出したのだが、この捜索隊も全滅となった。敵である中国軍も日本軍の意気と権威を下げるために、軍旗を入手しようと動き出す。そうした中で、派遣早々の独立愚連隊が軍旗捜索隊として出動することになった。

 独立愚連隊は途中で中国軍の襲撃を受ける。中国軍には日本軍の元中尉と従軍看護婦がいたのだが、独立愚連隊が2人を連れて捜索を続けることになった。そして小隊の全滅地点の近くで、旗手を発見した。旗手は中国人女性の世話を受けながら捜索隊を待っていた。2人の未来を祝福しつつ、正式には自決ということにして、独立愚連隊は無事に軍旗を入手した。途中で敵からの襲撃を受けながら、何とか無事に帰還を果たしたのだが、独立愚連隊にはまた転属命令が出た。彼らはまたどこかへと去っていく。

 この2つの映画で重要なポイントは「軍旗」だ。軍旗は連隊創設時に天皇から直接与えられた連隊を象徴する旗だ。連隊旗手に選ばれるのはその連隊に所属する少尉だが、士官学校を優秀な成績で卒業した将来有望な人物が選ばれた。実際、大将・中将クラスまで昇進した人物たちには連隊旗手を務めたという経歴が多い。そこから数年勤務して陸軍大学を受験し、合格し、卒業後には陸軍省(軍政)か参謀本部(軍令)の中枢を担うことになった。

 天皇から直接下賜された軍旗は天皇の分身とも言うべき存在であり、何よりも、何を議席にしても守らねばならないものだった。そのために何人将兵が死のうと関係ないという存在だった。連隊が全滅に瀕した際には、軍旗を焼いて(奉焼)、敵の手に渡らないようにした。「独立愚連隊西へ」の冒頭シーンで軍旗を持った小隊が敵に襲われるシーンがあるが、軍旗を掲げている兵士を監督である岡本喜八が演じている。岡本喜八は軍隊経験があり、陸軍における軍旗の存在の重さとたかが旗を天皇の分身として滑稽なまでに守ろうとするフェティシズムのくだらなさ、前近代性をよく分かっていた。

 「独立愚連隊」では現役兵の下士官が補充兵を鍛えるシーンが出てくる。現役兵は感嘆に言えば徴兵されてトレーニングを受けてそのまま戦地に派遣された若い兵隊たちで、補充兵とは徴兵期間を終えて社会に戻り、予備役となっていたところに召集されたおじさんの兵隊のことだ。体力や戦闘力で言えば若い現役兵が圧倒しているのは当然のことだが、補充兵は既に家族と職業を確立しており、昔の言葉で言えば弱兵であった。また、徴兵検査の結果は健康状態や知能の面から甲乙と分けられていたが、戦争が激化していく中でどんどん兵士に不適格な人々も戦地に送られることになった。

 軍隊生活は「階級」がものをいう世界ではあったが、「星の数よりもメンコの数」という言葉もあった。「独立愚連隊」でもこの言葉が出てくる。「メンコ」とは「飯盒」の隠語だ。「階級よりも年数の方が重要だ」という意味になる。徴兵期間で兵隊たちの昇進のスピードは異なる。2年間の徴兵期間に上等兵まで昇進できれば鼻高々で故郷に戻れた。しかし、何か問題を起こした場合には二等兵のまま、もしくは一等兵ということになる。そこで、先輩後輩の間で階級的に逆転が起きる。この「星の数よりもメンコの数」は階級社会である軍隊において年功序列の要素が非公式には存在したことを示す。

 上等兵まで昇進するような人物はそのまま志願して下士官となって軍隊に奉職するケースもあった。軍曹や曹長となれば軍隊に生き字引であり、下級将校よりも実権を握るほどであった。現在の日本の官僚組織ではキャリア組とノンキャリア組という区別があるが、下士官はノンキャリア組ということになる。

日本の軍隊における有名な隠語には「員数をつける」というものがある。これは窃盗のことだ。武器から日用品まで軍から支給されるので、紛失や数が合わないというのは大変な失態となる。そうした場合に、内務班(分隊、10名程度のグループ)では、他の内務班からかっぱらってきて数を合わせるということが横行した。内務班では新兵1人に古参兵1人がペアとなる。新兵は古参兵を「戦友殿」と呼ぶ。軍隊では連隊長は父、小隊長は母、戦友殿は兄という形で、家族的な集団作りが目指されていた。もちろん厳しい私的制裁が横行してとても家族的な雰囲気という訳にはいかなかったが、戦友殿が新兵に時に親切を行うことで絆が生まれることも多かった。ある新兵がへまをした場合には、戦友殿が何とか「員数を合わせる」ということが多かった。

 岡本喜八監督がアメリカ映画から影響を受けたのではないかという描写について私なりに述べたい。それはまず、中国人民解放軍の人海戦術イメージだ。映画の中では、中国軍はとにかく大量の兵士で人海戦術を用いて攻めてくる。こういうことが日中戦争の間にあったのかどうかははなはだ疑問だ。アメリカ映画でのアジアにおける戦争の描き方は無個性なアジア人の兵士たちが命を顧みずに大量に攻めてくる、というものだ。朝鮮戦争ものやヴェトナム戦争ものはそのように見える。岡本監督もその影響を受けているのではないかと私は思う。

次に銃を墓標代わりに地面に刺しているシーン。日本軍が用いた三八銃には菊の御紋がついている。銃を破損したり、紛失したりしたら大変な罰が与えられた。それが怖くて自殺したものがいたほどだった。そのような銃を地面に刺して墓標代わりにするということはあり得ない。銃を墓標代わりに地面に刺すというのはアメリカ映画の影響だと私は思う。しかし、これによって戦争の虚しさ、ニヒルな感じは良く表現されてはいるのだが。

この2つの作品「独立愚連隊」「独立愚連隊西へ」は共にエンターテインメントとして見ることもできるが、多少なりとも旧日本軍に関する知識を持ってみるとまた違ったことが見えてくる。戦争賛美ではありえないし、戦争を楽しいものとのしても描いてはいない。登場人物たちが笑うシーンは出てくるが、それは諦めと絶望的な状況を笑うくらいでなければやりきれないということでのことだ。

是非これら2つの作品を見てもらいたい。

(終わり)

アメリカ政治の秘密日本人が知らない世界支配の構造【電子書籍】[ 古村治彦 ]

価格:1,400円
(2018/3/9 10:43時点)
感想(0件)

ハーヴァード大学の秘密 日本人が知らない世界一の名門の裏側[本/雑誌] (単行本・ムック) / 古村治彦/著

価格:1,836円
(2018/4/13 10:12時点)
感想(0件)


このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

 古村治彦です。

theyoungkarlmarx008
 

 今回は映画『マルクス・エンゲルス』の映画評を掲載します。この映画は副島隆彦先生もご覧になって私に「見に行った方がいいよ」と勧めて下さっていますので、上映されている期間内に映画館で観たいと思います。上映されているのは、東京の神田神保町にある岩波ホールです。

 

※岩波ホールの映画『マルクス・エンゲルス』関連ページへはこちらからどうぞ。




 監督のラウル・ペック(Raoul Peck、1953年生まれ)はハイチ生まれで、ドイツやフランス、アメリカでも生活した経験を持つ人物で、『ルムンバの叫び』、『私はあなたのニグロではない』といった映画で評判になった人物だそうです。

 

 この映画は欧米でも注目された映画らしく、アメリカの政治・外交専門誌『フォーリン・ポリシー』誌にも映画評が出ていました。以下に映画評を掲載します。


theyoungkarlmarx002
 

 この映画評を予習がてら読んでみました。映画はマルクスがドイツから逃れてロンドンに腰を落ち着けるまでの若い時代(30代)を描いているようです。若い時代のマルクスのやや自堕落な生活が描かれているようです。マルクスといえばいかめしい写真と難しい著作というイメージですが、若い時代の無鉄砲さや情熱がこの映画では描かれているようです。

theyoungkarlmarx004

 

 今年はマルクス生誕200年ということでもあり、是非この映画を見てみたいと思います。

 

(貼り付けはじめ)

 

カール・マルクスをセクシーな人物として描くには(How to Make Karl Marx Sexy

―経済哲学は素晴らしい映画にふさわしいテーマとはならない。哲学と経済学を差し引いたら素晴らしい映画にしやすくなる。

 

ティモシー・シェンク筆

2018年3月5日

『フォーリン・ポリシー』誌

http://foreignpolicy.com/2018/03/05/how-to-make-karl-marx-sexy/

 

ある知識人の伝記は映画のテーマとしてふさわしくない。思想家という存在は仕事をきっちりやれば、私生活に関心を持たれることは少ない。彼らの業績の方が興味深いのだ。思想家たちの業績は映画で取り上げ説明するには複雑すぎる。映画監督は、主人公として取り上げた思想家が机の前に座り紙を丸めたり、インスピレーションを受けた時に突然立ち上がり、そして、ノートに一心不乱に何かを書き付けたりするシーンを描くことになるだろう。しかし、こうしたノートは本になって私たちは読むことが出来る。本の主張がよく考えられたものであればあるほど、その内容を映画で表現するのは難しい。

 

新しい映画『ザ・ヤング・カール・マルクス(The Young Karl Marx)』(邦題『マルクス・エンゲルス』)は、マルクス最大の著書『資本論(Capital)』に没頭した年月を描かないことで、この問題を避けることが出来た。映画「マルクス・エンゲルス」は、マルクスが「マルクス主義」を生み出す前の日々をテーマにしている。この期間、マルクスの天才性は彼の仲間たちにとっては自明のことだった。そして、彼は既に重要な著作をいくつか書いていた。しかし、マルクスは学究の道を踏み外し、ジャーナリストとなったが失敗しないように苦闘していた。

 

この苦しい時期、マルクスは大きすぎる自尊心を抱えながら、必ず革命が実現することを確信し続けていた。マルクスの持っていた確信は映画の中で活き活きとした形で描かれており、マルクスと彼の考えは難しいので映画向きではないという懸念も杞憂に終わり、十分に伝わる。当時の服装と過激主義者の生活が良く描かれている。

 

この映画の監督で脚本の共同執筆者ラウル・ペックは、白黒写真に写る顔よりも大きなひげ、革命を主張するサンタクロースというマルクスの一般的なイメージではなく、ギネスバーで議論をしているような無精ひげを生やした明るい20代の若者としてマルクスを描いている。映画の中のマルクスは若くて夜遅くまで酒を飲むことを好み、泥酔した路地裏で吐いてしまい、翌朝早くようやく妻と幼い娘の待つ家にふらふらと帰ってくるような人物だ。

 

マルクスと一緒に酒を飲みながら議論をしていた友人こそがマルクスよりももっと若いフリードリッヒ・エンゲルスだ。映画のタイトルからは除かれているが(訳者註:邦題には入っている)、マルクスの共著者として以上にスクリーンに多くの時間映っている。三番目に重要な登場人物はマルクスの妻イェニーだ。彼女は配偶者の政治的な支持者であり、貴重な対話者として描かれている。そして、愛し合うパートナーとしても描かれている。これについて、「カール・マルクスが出てくるセックスシーンはいつ出てくるんだ?」という疑問を持つ人には朗報だ。

 

マルクスの性生活の結果は素晴らしいものであった。映画の冒頭で長女が生まれ、映画の終わりで次女が生まれた。ブルジョアの生活をする革命志向の家族という複雑な状況が映画の中で素晴らしい場面を作り出している。マルクスは自分の政治信条と優れた才能に確信を持っている。しかし、マルクスは自分が人生において下した決断によって家族に不安定な生活を強いていることも知っていた。マルクスはいくつもの都市を転々としたが、それぞれの市政府はどこもマルクスに対して敵対的で、マルクスを追放した。31歳になってすぐにロンドンに定住するまで、定まった家を見つけることが出来なかった。

 

彼がこんなことになってしまったのは、マルクスが国際規模の過激主義者の共同体に参加したことが一因として挙げられる。19世紀の左翼の萌芽とも言うべき各グループの間の内輪もめはこれまで出たマルクスの伝記の多くで最もつまらない部分となる。マルクスの最悪の著作の原因となっている。しかし、ペックは人間ドラマを持ち込むことでそれらのシーンを面白くした。『ワンダーウーマン』や『ブラック・パンサー』といった映画がヒットする時代、マルクス主義者たちにとっても、彼らが信奉しているイデオロギーを生み出した人物の生活を今見ているのだと感じられる、彼らのための映画が出てきた。

 

過激な人物の人生を映画を魅力的なものにするためにはどのような形式の映画にすべきかということが問題になる。インタヴューの中で、ペックはマルクスをテーマにした映画を作ること自体が挑戦だと述べている。「観客の皆さんは私に芸術家であることを求め、商業的にリスクの高い映画を私のやりたい方法で撮影することを求めているのでしょうか?そうではありませんね。この映画はそこのせめぎあいだけで十分に複雑なものとなりました」。ペックの懸念は理解できる。「バウアー、君にはうんざりだよ、そして、青年ヘーゲル派も!」という言葉を登場人物が語るような映画はヒットしにくい。

 

しかし、映画を少しでも見やすいものとするため、歴史上の人物たちである登場人物たちはセリフの中で自分の名前をフルネームで言って自己紹介をし、観客の記憶を呼び起こすためにそれぞれが簡単な自叙伝を語るという形式になっている。ピエール=ジョセフ・プルードンが出てきた時、彼が「所有は窃盗だ」という有名な言葉を言うまでわずか数秒だ。映画の中でミハイル・バクーニンが「無政府万歳!」と叫ぶまで時間がかからない。登場人物たちの特徴もまた観客たちに物語を理解しやすくしている。富裕な繊維製造業者の息子であるエンゲルスがアイルランド出身の労働者たちが歌を歌っている騒がしいパブに向かっているシーンが出てくる。このシーンは映画『タイタニック』でタイタニックの船底近くにケイト・ウィンスレットが下りていくシーンを思い出させる。

 

ある個人の人生に焦点を当てた芸術作品は、歴史的な唯物主義を生み出した傑出した人々への賛辞として適切な形なのかどうかという疑問も出てくる。マルクスは演劇、特にシェークスピアに深く傾倒していたが、「様々な映画様式の興亡は、人間に活動を描くことに適しているのかどうか」ということは、マルクスの信奉者たちの間の終わりのない議論のテーマとなっている。マルクスの読者の中で最も思慮深い読者として社会批評家テオドール・アドルノの名前が挙げられる。アドルノは主流の映画について「写真と小説の不適切な結合」だと批判した。

 

マルクスはチャールズ・ティケンズの作品を高く評価していた。『マルクス・エンゲルス』のような映画が直面しがちな障害はあるが、『マルクス・エンゲルス』はそうした中で成功を収めたという点で小さいながらも勝利を収めたと言える。ペックは人間の深い部分を描くために、層になって重なっているマルクスの神話を次々と剥ぎ取っている。映画の中のマルクスは自分の発見したことに忠実だ。マルクスは平等を熱心に主張したが、生まれながらの懐疑主義者でもあった。思慮深い社会理論家であり、頑固な政治活動家だった。マルクスは「無知が栄えたためし(Ignorance never helped anyone)」と唱えた。これはマルクス全集の題辞に書かれている。

 

映画『マルクス・エンゲルス』は、マルクスの反対者たちが活躍する場面も描いている。プルードンは、若く優秀な友人マルクスに対して、マルティン・ルターのようになるなと忠告した。ルターのように、ある偏狭な教義を取り除くために別の偏狭な教義を持ってくるようなことをするなと述べた。プルードンの忠告は、マルクスの持つ重要性への擁護を示している。マルクスは社会主義の詳細な点について誤解をしているにしても、国際資本主義に関して予言者的な分析ができる人物であった。

 

マルクスに興味を持つ映画の観客たちにとって考えるべき問題がある。ペックは次のように語る。「私が考えたのは、現在の若い人たちに向けた映画を作るということだった」。エンドロールが流れる背景には、マルクスの時代から現代までの1世紀半の歴史が描かれている。その中には、株式が暴落している時のウォール街のトレイダーたちの厳しい表情の写真がふんだんに使われている。

 

マルクスの生きた時代と現代をつなぐために、ペックもまた神話づくりを行っている。映画『マルクス・エンゲルス』は1848年の時点で終わっている。マルクス、エンゲルス、イェニーが出版間際の『共産党宣言』を朗読している場面がラストシーンだ。ラストシーンに出てくる説明文では、『共産党宣言』によってヨーロッパ各地で革命が起きた、また、マルクスは死の直前まで『資本論』の執筆に取り組んでいたと書かれている。しかし、ヨーロッパを席巻した革命を志向するうねりは『共産党宣言』が出版されたからではなかった。『共産党宣言』が恐るべき影響力を発揮したのはそれから数十年後のことだ。マルクスについて言えば、彼は市の5年前に『資本論』執筆を止めた。第二巻と第三巻は遺作として出版された。エンゲルスが彼の友人マルクスが遺した膨大なノートから要点を選び出して何とかまとめることが出来た。マルクスは革命を諦めてはいなかったが、若い時に持っていた自信はそれから数十年して消え去ってしまった。

 
communistmanifesto001
マルクス・エンゲルス 共産党宣言 (岩波文庫)


マルクスの青年時代に関心を限定することで、ペックは悩ましい事実を無視することが出来た。また、ペックはマルクスの生涯において最も痛みを伴う時期を無視することも出来た。最も悩ましい事件は、家族のお手伝いであったヘレーネ・デムートとの関係であった。デムートは10代の頃からイェニーに仕えていた。映画の中にも少しだけ登場するが、1851年に男の子を出産した。エンゲルスがこの男子の親権を取得し、フリードリッヒと名付けられた。これは彼の実父の名前だ。


映画で描かれるマルクスは、「偽善、愚かさ、暴力的な権威」に対する敵だから魅力があるのではない。しかし、20代という時代が輝いていない人間など存在しないのではないだろうか?この映画でのマルクスは魅力的な反逆者として描かれ、銅像となっているマルクスよりも私たちには身近に感じられる存在になっている。マルクスは歴史と自分自身に失望できるまで生きることができた。マルクスはこの時に若さを失ったのだ。

 

(貼り付け終わり)

 

(終わり)

imanokyodaichuugokuwanihonjingatsukutta001

今の巨大中国は日本が作った


shinjitsunosaigoutakamori001
真実の西郷隆盛

 
semarikurudaibourakutosensoushigekikeizai001

迫りくる大暴落と戦争〝刺激〟経済
このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

 古村治彦です。

 


 舞台は1980年の東北地方の寂れた廃村。この村は満洲引揚者が戦後に入植してできただ。無償提供された土地は農耕に適していなかったために、入植後約30年が経ち、村に残ったのは、主人公のユミエ(大竹しのぶ)と娘のエミコ(伊藤歩)だけだった。夫は東京に出稼ぎに行き、そのまま蒸発してしまった。他の家族は、村を捨てて出て行ったり、一家心中をしたりした。

 

 2人は誰からも見捨てられ、生活は困窮し、餓死寸前にまで追い込まれる。そこで、二人は身なりを整え、「客」を取ることにした。それから次々と男たちがやってくる。最初は山の向こうのダム建設現場で働く、東京からの出稼ぎ者(木場勝己)であった。彼は2万円払い、ユミエと寝る。そのアフターサービスに出されたのが、猛毒入りの焼酎。一気飲みした彼はそのまま泡を吹いて死亡する。母娘は死体を一輪車に乗せて外に運び出す。喜納昌吉&チャンプルーズが1980年に発表した『花〜すべての人の心に花を〜』を歌いながら。

 

 2人目は、電気代を支払ったので、電気再開のためにやってきた技師(六平直政)。電気を復活させた後、ユミエの客となる。3人目はこちらも代金を払ったために確認にやってきた水道職員(田口トモロヲ)。4人目は1人目の客となったダム工事の現場監督の助手(柄本明)。彼は行方不明になった男を探しにやってきた。5人目は、電気技師の上司(魁三太郎)、6人目は、ダム工事の監督(原田大二郎)。前半部は「語り→セックス→死(殺害)」の繰り返しであった。それをずっと見ていたのは、森に棲むふくろうであった。

 

後半部になると、とたんにシリアスな話になっていく。前半部は「語り→セックス→死(殺害)」の繰り返しであったが、警察官、県の職員である引揚者援護課の男、エミコの幼馴染が出てきてからは、大変シリアスな話になる。彼らもまた死を迎える。ユミエとエミコは全てを片付けて、朗らかに村を出る。

 

 私がまず思ったのは、1980年の日本でこのような困窮者が存在するんだろうか、警察が月に1度巡回して、その生活の困窮ぶりを見ている訳だから、生活保護なり、他の手段なり、行政が何らかの手段を講じるのではないか、という点が疑問に残った。野暮なことは言いっこなし、あくまで芸術だからと言われてしまえばそうなのだが。電気を止められ、水道まで止められてしまって、木の根を食べるというのはどうかと思うが、この村が戦後の入植地であり、本村から七曲りの峠を登ってこなければならないということになると、親戚はいないだろうし、地元の人たちからすればヨソモノであって、心配をしてやる必要なんかあるものかということもあったかもしれない。

 

 映画の中で「リストラ」という言葉を使っていたが、この言葉が1980年に人口に膾炙し、寂れた寒村に住むような主婦や少女に理解できたとは思えない。1980年と言えば、私は6歳であったが、そのような言葉が「会社からの解雇」の意味で使われていたという記憶はない。「レイオフ」とか「解雇」という言葉ならあったように思う。

 

 前半部の登場人物たちは、ほとんどがセックスをして、その余韻の中で死んでいくのだが、それぞれのスケッチでは、登場人物たちの人生と日本の戦後史が語られていく。この点が重要なのではないかと思う。

 

 後半部は、停滞した物語を終わりに向かわせるために、急に動きが早くなる。それは物語を終わりまで運ぶために取ってつけたような感じになりかけるが、最後にユミエとエミコが朗らかに村を出る決心をするところで、それもまたよしだなぁと思わされた。主人公のユミエ役の大竹しのぶは怪演と言ってよいくらいに様々な表現をしていた。その他のキャストも十分に素晴らしい演技であった。監督の要求に応えているのだろうと思う。

 

 私は映画をほとんど見ない。詳しくない。だから、映像がどうとか、俳優がどうとかということは分からない。難しいことは分からない。しかし、この映画は面白かった。こんな話はあり得ないよ、だって連続殺人で出てくる主要な男性キャストはほとんど殺害されるんだよ、しかも、殺害した母娘が捕まらないんだし、と思った。しかし、そんな無粋なつっこみを跳ね飛ばすだけの力があった。

 

 この映画が公開されてヒットしなかっただろうし、興行収入も低かったんじゃないかと思う。舞台はほぼ家の中だけだし、俳優陣は豪華だったけど、そんなにお金がかかっていなかったことは素人でも分かるから、赤字になることはなかっただろう。

 

 このような不思議な映画が出てくるところに、日本映画全体が持っている力があるのではないかと思う。日本映画はつまらない、面白くないと言われていて、映画に疎いので、「そんなものなのかな」と思っていた。しかし、面白い作品があるではないかという気持ちにさせられた。こうした映画を生み出せるのだから、全体として日本映画は調子は悪いのかもしれないが、死んでいる訳ではないと思う。

 


(終わり)





 
このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

このページのトップヘ