アメリカ政治の秘密
古村 治彦
PHP研究所
2012-05-12




野望の中国近現代史
オーヴィル・シェル
ビジネス社
2014-05-23


 

 古村治彦です。

 

 昨日(2014年12月14日)、投開票が行われました。結果はご存じのように、自民党と公明党の与党が勝利を収めました。民主党をはじめとする野党は伸び悩みでした。

 

 私は、野党再編から再編へと進んでもらいたいと望んでいましたので、今回の選挙結果は残念でした。しかし、2015年には統一地方選挙、2016年には参議院議員選挙がありますので、そこまで結果を悲観しません。

 

 それよりも気になったことは、今回の選挙の投票率です。マスコミ各社で数字に微妙な違いがありますが、52%から54%となって、戦後最低、もっと言うと、これまで行われた衆議院議員選挙で最低の数字となっています。選挙の前から投票率は55%くらいだと言われていましたが、気候の悪化もありましたので、だいたいその辺の数字になりました。期日前投票の人の数は前回よりも増えたという報道がありましたから、選挙や政治に関心を持つ有権者は早めに投票に行ったということだと思います。

 

 有権者の政治に対する関心の低下は非常に重要なそして深刻な問題であると私は思います。それはデモクラシー(民主政治体制)の根幹に関わることだからです。有権者が政治に関心を持たなくなれば、最悪の場合に訪れるのは、「非民主政治体制」です。

 

 私は、政治学、その中でも比較政治学を専攻していました。比較政治学では世界各国の政治体制を比較することもやるのですが、世界各国は大きく分けると民主政治体制と非民主政治体制と分けられます。民主政治体制の中には大統領制や議院内閣制といった違いがあります。非民主政治体制は、共産主義体制や全体主義体制と言ったものがあります。

 

 今回ご紹介したいのは、そして、皆様に考えていただきたいのは、権威主義的体制(authoritarian regimeauthoritarianism)と呼ばれるものです。この体制の代表例は、フランコ将軍が統治したスペインです。1930年代から1970年代まで、スペインは、民主政治体制でもないが、全体主義や共産主義でもない体制でした。そのことを研究し、理論化したのがファン・リンツという学者です。彼はスペインの政治体制を研究し、4つの分析のための概念を生み出しました。そして、このカテゴリーを生み出したことで、非民主政治体制の研究が一気に進みました。

 

 

 それではファン・リンツが研究した権威主義体制について見ていきたいと思います。彼は、権威主義体制について次のように定義しています。

 

(引用はじめ)

 

 彼(引用者註:ファン・リンツ)は、この体制を次のように定義している。「権威主義体制とは、限定されておりしかも代表責任をもたない政治的多元主義を有し、(ある明白に識別しうるメンタリティをもつが)」精緻で指標となるイデオロギーは有せず、(その発展のある時期を除いては)広範な広がりをもちしかも高い集約性をもつ政治的動員も有せず、しかしそれでいて、指導者(ある場合には少数者の集団)は、形式的には漠然としているが現実には予測が可能となる一定の限界内で権力を行使している、政治体系である」と。

 

 この限定句に満ちた定義は、要約すれば、①限定的な多元主義、②時間の上でも限定され、大衆への広がりの面でも限定されている動員、③指導理念およびエリートカルチャーの特色としてのメンタリティ、そして、④一定の予測を可能とする統治の様式、である。(『国際政治の理論』、4-5ページ)

 

(引用終わり)

 

 難しい文言になっていますが、簡単に言うと、「全体主義や共産主義みたいにイデオロギーのために人々を徹底的に動員することはなくて、むしろ、人々が政治に関心を持たないようにして、非民主的に支配する体制」ということです。共産主義や全体主義は映像などで見ても分かるように、人々に公式のイデオロギーであるファシズムや共産主義どんどん教育し、集会などにどんどん動員します。ある意味で「政治に人々を奉仕させ、関心を持たせる」体制です。

 

しかし、権威主義体制にはそうした公式のイデオロギーはなくて、あるのは「国を大事にしましょう」「家族を大事にしましょう」といった考えです。これをメンタリティと呼んでいる訳です。そして、人々には政治的に無関心でいてもらおうという体制です。そして、労働組合とか農民組合とかそういう社会的なグループを政府内に取り込んでいきます。そして、政府に批判的なグループには弾圧を加える訳です。

 

こうなると、政府に反対しようにもそれができなくなってしまいます。こうして、非民主的な政治体制が続いていくことになります。

 

こうした権威主義体制についての研究を更に進めたのは、ギレルモ・オドンネルという学者で、南米諸国の研究、とくに軍部独裁時代の研究から、「官僚的権威主義(bureaucratic authoritarianismB-A)」という概念を生み出しました。これはアルゼンチンをはじめとする南米諸国の軍部独裁体制の研究から生み出されたものです。これは、工業化と近代化を推し進めたい官僚と軍部が結びついて独裁体制を敷くことで、独裁者の個人の独裁ではなく、複数の集団指導体制になります。経済発展を推し進めるために、民主政治体制や人々の反対の声を無視し、弾圧し、犠牲にすることになります。

 

 私がここまでこのようなことを書いたのは、日本が昔の南米やスペインのように露骨な非民主政治体制にならなくても、それに近くなるのではないかと思っているからです。民主政治体制はとても脆弱なもので、有権者の意識次第では簡単に壊れてしまいます。日本はただでさえ、官僚主導であり、国家が社会に優越している国です。そのような国で、人々が政治に無関心になれば、民主政治体制など簡単に壊れてしまうでしょう。そして、非民主政治体制に後退してしまうことでしょう。

 

 非民主政治体制は、人々の無関心を基礎にしています。政治に無関心になってくれれば自分たちがやりやすいのだと支配する側は考えます。今の日本はまさにそうではないかと、そこの意リグに既に入ってしまったのではないかと思います。

 

(終わり)