古村治彦(ふるむらはるひこ)の政治情報紹介・分析ブログ

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タグ:歴史修正主義

 古村治彦です。

 安倍晋三元首相とは日本政治にとってどんな存在であったか。憲政史上最長の在任期間を記録した安倍元首相は対米従属の深化と日本の海外での戦争を行う条件づくりに狂奔したと私は考える。国民が安倍政権下での国政選挙で自民党を勝たせ続けたことで、彼に正当性を与える結果になった。アベノミクスによって経済格差は拡大し、国民の平均年収も下がり続けた。日本は貧しくなり続けた。とても「国葬」にふさわしい人物ではないと考える。

 安倍元首相は根本的に大きな矛盾を抱える存在だった。それは、「極めて親米的でありながら、アメリカが嫌がる歴史修正主義に邁進した」ということである。アメリカからすれば、日本の防衛予算の増額やアメリカの軍需産業からの武器購入を進める、在日米軍への思いやり予算を増額する、自衛隊がアメリカ軍の下請けとして海外で戦争ができるように進める、ということは大変に「御意にかなう」ことであった。この点では「愛い奴」ということになる。

しかし、一方で、太平洋戦争に関して、アメリカが正しいとする史観に異議を唱える。アメリカから見れば、「フランクリン・D・ルーズヴェルト大統領は真珠湾攻撃が実施されることを知っていて放置して日本から先に手を出させる形にした」ということは受け入れられない。安倍元首相が参拝してきた靖国人社の歴史資料館遊就館にはそのように展示されている。「日本はアジア諸国に良いことをした、中国や韓国にいつまでもごちゃごちゃ言われる筋合いはない」ということもアメリカからすれば目障りだ。こうした日本の右翼による主張を受け入れてしまえば、アメリカの正当性は揺らいでしまう。そして、日本の右翼(ネトウヨを含む)にとっての最大は皮肉にも当代きっての親米派安倍元首相ということになった。

 核武装、核シェアリングを言い出したことでアメリカは安倍元首相を見限ったのだろうと私は考える。「こいつはなかなか役に立ったけども、一枚めくればいつアメリカの正当性に挑戦してくるかもしれない、もしくはそうした勢力に担ぎ上げられてしまうかもしれない」「中国との対決ばかりを言う奴らを甘やかし過ぎたな」ということになったのだろう。

 安倍元首相の抱えた矛盾とは戦後日本が抱えた矛盾である。この矛盾を自分の中に抱えながらうまくバランスを取ることが現実的な保守政治家ということになる。安部元首相はそのバランスをうまく取れなくなっていたように思う。彼は親米派として葬られるのか、それとも歴史修正主義者として葬られるのか、後の世の歴史家たちがどう判断するのかが今から楽しみだ。

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安倍晋三をめぐる数多くの矛盾(The Many Contradictions of Shinzo Abe

-日本の元首相はアメリカとの関係を緊密にしようとしながらも、日本による征服の正当性への信念に固執していた。

ハワード・W・フレンチ筆

2022年7月18日

『フォーリン・ポリシー』誌

https://foreignpolicy.com/2022/07/18/shinzo-abe-history-japan-diplomacy-contradictions/

最近暗殺された日本の元指導者安倍晋三との最初の緊密な出会いから彼が特別な政治家であることは私にとって明らかだった。批評家による「金属疲労」の患者の診断だけでなく、私のキャリアにおいて私が精通していた世界の舞台の基準でも特別な政治家だった。安倍元首相は、古ぼけた見た目の指導者たちが次々と交代し、批評家たちが「金属疲労(metal fatigue)」に苦しんでいると評価する国の基準からだけではなく、私がキャリアを通じて親しんできた国際舞台の基準からも、特別な政治家であった。

2000年代初頭、官房副長官として初めて見た安倍元首相には、既にダイナミズムと自信、そして野心のオーラが漂っていた。戦後間もない時期に強力な総理大臣を務めた岸信介の孫という、日本の保守政治の世界では最も高貴な血(blue blood)を引く人物だった。しかし、安倍首相を取り巻く権威の力は、継承されたものというより、むしろ彼個人の属性に近いように感じられた。

記者会見で、即興的かつ激しい言葉遣いで、自信たっぷりに話す姿にそれを感じた。また、2002年に北朝鮮の平壌で行われた小泉純一郎首相と金正日総書記の首脳会談では、より身近なところからそれを感じ取ることができた。

1970年代後半から1980年代初頭にかけて北朝鮮に拉致されたとされる日本人たちの運命や、北朝鮮で死亡した拉致被害者の遺骨の回収など、外交分野における最も困難な問題のいくつかを安倍元首相は自ら担当した。官房副長官という立場を考えれば、他の多くの政治家はスポットライトを浴びないように配慮しただろう。しかし、安倍元首相はカメラに映ることを楽しんでいるようで、注目を浴びすぎないようにすることが課題となった。

安倍元首相は、私が初めて取材した、私とほぼ同世代の世界のリーダーの1人である。2006年、戦後最年少の52歳で総理大臣に就任し、その野望を実現する。しかし、その最初の任期は、他の多くの先輩たちと同様、健康上の問題からわずか1年後に終了するという短いものとなってしまった。しかし、5年後の2012年に再び首相に返り咲き、2020年には歴代最長の首相としてその任を終えることができたのは、彼の並々ならぬ意欲の表れであったと言える。

このように、単独の銃撃犯の凶弾に倒れた稀代の政治家が体現することになる多くの深い矛盾を、私たちは既に見ることができる。安倍首相の夢は日本を近代的にすることであり、それは政治の近代化によって実現される。しかし、安倍首相が常に考えていたのは、より根本的かつ避けらないことだった。それは自分が率いる、長年にわたって日本を支配する自民党の立場を強化することだった。自民党(Liberal Democratic PartyLDP)は「リベラルでも民主主義でもない(neither liberal nor democratic)」という古くからの定説ほど、正確なものはない。

安倍首相は自民党の政権をほぼ維持し、更に強化することに成功したが、自民党は決して大胆な改革に熱心ではなかったし、それは安倍首相自身にも当てはまる面がある。例えば、安倍首相は「女性が輝く日本(a place where women shine)」を実現するために「ウーマノミクス(womenomics)」と名付けた公約を掲げた。経済的そして人口的に女性の社会進出は急務であり、賃金や地位の平等、更には国防軍への登用も必要だが、その進展は鈍く、自民党の有力政治家の中にはは公の場でしばしば下品な性差別を口にする人々も出ている。

安倍首相は「~ノミクス(-nomics)」という言葉を好み、「アベノミクス(Abenomics)」として広く知られる自国の競争力強化を目指した一連の政策とさらに深い関わりを持っていた。確かに、長い間低迷していた株式市場は、安倍首相在任中に飛躍的に上昇したが、経済格差は彼の在任中に大幅に拡大した。また、韓国や中国など、産業が活発な近隣諸国に対抗するために、日本がどのような位置づけにあるのか、その判断ははっきりしないものとなっている。

純粋に政治的な観点からすれば、安倍首相の2期目の長期在任によって、首相に就任してはすぐに退陣する刹那的な自民党指導者たちが後を絶たないサイクルと決別できるかもしれないと思われた。しかし、安倍首相が選んだ後継者の菅義偉は、表現力に乏しく、目立たない人物で、2020年9月から翌年9月までしか在職しなかった。安倍元首相は、小泉政権時代の官房長官時代のように、ゴッドファーザーとして、また、常に政治の中心にいる黒幕(éminence grise、エミネンス・グライズ)として、最大限の影響力を培うことによって、日本政治における慢性的な短期交代がもたらす影響を緩和することを明らかに望んでいた。しかし、彼の死によって、その夢も消えた。

1980年代に5年間首相を務め、世界の指導者の中でも特にロナルド・レーガン元米大統領と親密な関係を築いた中曽根康弘以来、外交関係において安倍首相は少なくとも最も活発でダイナミックな日本の政治家であった。安倍元首相は、すぐに飛行機に乗り、精力的に個人として外交を行った。当時、当選したばかりのドナルド・トランプ米大統領とニューヨークのトランプタワーで面会した最初の外国首脳となり、ロシアのウラジミール・プーティン大統領とは他のどの国の首脳よりも多く面会した。

そして、その執念によって、中国の習近平国家主席の仰々しい安倍元首相への蔑視を克服した。2014年、北京で開かれたアジア太平洋経済協力会議首脳会議で、ついに2人は初対面を果たした。この初対面の写真は名作で、いろいろな読み方ができる。私には、安倍首相が疲労困憊の表情とは裏腹に、「隣の巨人の強力な指導者とついに一騎打ちの機会を得た」という満足感に満ちているように見えるのに対し、習近平の顔は、まるで「この人と握手をさせられるなんて」と思っているような、羊のような顔をしているように見える。

しかし、結局のところ、安倍元首相の執念と人柄の強さは、日本に何をもたらしたのだろうか?

安倍元首相の死後、アメリカの外交・安全保障関係者の多くは、安倍元首相を讃えようと躍起になった。アメリカとの防衛同盟を強化し、アジア太平洋地域でより積極的で力強い存在となり、日本国憲法を改正し(戦後の日本占領中にアメリカ人たちによって書かれた)、そして何よりも、これらの各項目に関連するが、中国の台頭に対する防波堤としてより直接的にアメリカを支援しようとする彼の粘り強い努力を称えている。

しかし、外交分野ほど安部元首相が矛盾を残した分野は他にない。日本が安全保障を向上させるためにできる最善のことは、粘り強さと規律をもって韓国との深い和解を実現することであることは間違いない。しかし、安倍首相の家系は、特に戦犯としてかろうじて裁かれることを免れた岸信介の孫であることから、それが不可能であるように思われた。

安部元首相の夢は彼が韓国との「前向きな(forward-looking)」関係と彼の国の過去に対する謝罪のない態度を作り出すことだった。これは、彼と将来の日本の指導者が、日本の戦争での戦死者たちの霊が祀られている東京の靖国神社に参拝することができるという希望を決して捨てることを意味しなかった。靖国神社に祀られている死者の中には、20世紀の日本の帝国主義戦争で重要な役割を果たした戦争犯罪者たちが含まれている。

安倍元首相は、アメリカとの関係を緊密化する一方で、日本の征服の背後にある崇高な意図と正当性についての信念に固執した。したがって、戦後の東京裁判の違法性、ひいてはアメリカによる占領と、日本が攻撃的戦争目的を追求するための軍隊を保有することを永遠に禁止する、アメリカによって書かれた日本国憲法の非合法性についても確信を持っていた。しかし、安倍元首相を長く政権に留まらせた同じ日本国民が、そのような道を歩むことは決してなかった。安倍元首相は、いわゆる平和憲法の改正を推し進めたまま亡くなり、この点では不満の残る死を遂げた。

どの程度までアメリカとの同盟にこだわるかは、後世の日本人が決めることだろう。いずれにせよ、中国は日本にとってより大きな、そして当分の間は経済的にも軍事的にも強力な隣国であることに変わりはない。日本はアメリカよりも中国との貿易が多く、紛争になれば、ウクライナに侵攻したロシアを罰するためにアメリカやヨーロッパ諸国が主導しているような欧米諸国による対中制裁体制によって壊滅的な打撃を受けるだろう。アメリカが中国と撃ち合いになれば、日本は更に恐ろしい選択を迫られることになるだろう。ワシントンとの同盟を結んでいることで、中国のミサイルが日本の領土に降り注ぎ、海上で日本の船舶を沈めるような事態が起きるならば、その同盟には価値があるだろうか?

私たちはこのような事態にならないことを願わなければならないが、希望は戦略ではない。私が2017年に出版した『天の下の全て:過去が中国の世界的権力の推進を形作るのにどのように役立つか(Everything Under the Heavens: How the Past Helps Shape China's Push for Global Power)』で主張したように、東アジアで戦争のリスクが最大になる時期は、今後数十年に及ぶというケースがある。その後、中国の人口動態が大きく変化し、北京はますます多くの富を国内の退職金や社会福祉に充て、近くて遠い海外での野望を後退させるだろう。

このようなシナリオの下では、安倍首相が掲げる日本のヴィジョンは、いくつかの論理のうちの1つに過ぎない。過去と折り合いをつけ、近隣諸国に接近する(アメリカに背を向けるという意味ではない)ことも、同様に明白な代替案であるように思われる。

※ハワード・W・フレンチ:『フォーリン・ポリシー』誌コラムニスト、コロンビア大学ジャーナリズム大学院教授。長年にわたり海外特派員を務める。最新刊は『;アフリカ、アフリカ人、そして近代世界の構築、1471年から第二次世界大戦まで』。ツイッターアカウント:@hofrench
(貼り付け終わり)

(終わり)※6月28日には、副島先生のウクライナ戦争に関する最新分析『プーチンを罠に嵌め、策略に陥れた英米ディープ・ステイトはウクライナ戦争を第3次世界大戦にする』が発売になります。


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 古村治彦です。

 

 今回は『エコノミスト』誌に掲載された日本の右傾化に関する記事をご紹介します。今年2月の森友学園・瑞穂の國記念小學院を巡るスキャンダルから、教育勅語の学校現場への導入の擁護までを今回の記事では網羅しています。

 

 特徴的なことは、日本会議など歴史修正主義者や超国家主義者たちは今上天皇を尊崇しているが、彼らの尊崇に対して、今上天皇は期待に反した行動をしているという点を指摘しています。今上天皇は太平洋戦争の激戦地を訪問し、慰霊を行ってきました。また、歴史修正主義に反対している作家の半藤一利氏を招いて話をしているということも注目されます。記事では、「今上天皇の行動は、彼らへの叱責となっている」と書かれています。

 

 もっと言うと、歴史修正主義者や超国家主義者、右翼の中には、今上天皇はリベラルすぎると考えている人が多くいると聞きます。今上天皇の行動への批判を隠さない人々もいます。しかし、彼らが考えるような天皇中心制国家へ日本が回帰するということはないでしょう。

 

 今上天皇は国際協調主義を昭和天皇から引き継ぎ、それに加えて、池田隼人内閣みたいですが、寛容と忍耐、低姿勢を受け入れていると思います。それは、外国との摩擦は日本の国益にはならない、政治から超然としている立場の天皇として、政治の動きとは一種のバランスを取らねばならないと考えているのだろうと思われます。その点で、今上天皇はリアリストなのだろうと私は考えます。

 

(貼りつけはじめ)

 

菩提樹:日本の超国家主義者たちの天皇に対する献身は報いられない(Banyan  Japanese ultranationalists’ devotion to the emperor is unrequited

 

旗を振りまわす過激主義者たちにとっての小さくない問題

 

2017年4月12日

『エコノミスト』誌

東京発

http://www.economist.com/news/asia/21720613-bit-problem-flag-waving-extremists-japanese-ultranationalists-devotion-emperor?frsc=dg%7Ce

 

教育勅語(Imperial Rescript on Education)は明治天皇の名において1890年10月に出された。教育勅語は315字の華麗な文字で書かれている。教育勅語では臣民たちに対して、忠誠心と孝行心を涵養し、最終的には皇室の存続のために生命を捧げる準備をするように求めている。教育勅語の認証を受けた謄本は全ての学校に設置された皇室を祀る小さな神社に納められた。子供たちは教育勅語を暗唱しなければならなかった。教育勅語は「国体」の概念の基本となる文書であった。国体とは、神聖不可侵の天皇と臣民との間の国家を形成するための神秘的な紐帯を示す概念だ。従って、教育勅語は日本人が天皇の名で出された命令を実行することを教え込まれる教化の道筋の起点となった。また、この道筋は軍国主義、総力戦、そして最終的に完膚なきまでの敗戦へとつながった。国体という言葉は、現在のドイツにおける「レーベンスラウム(生存圏)」と同じくらい、不協和音を生み出す言葉になっているのは間違いないところだ。教育勅語は、敗戦から3年後の1948年に国会によって失効させられた。

 

安倍晋三内閣は4月初めに教育勅語の学校での利用を容認したことで何をしようとしたのだろうか?菅義偉官房長官は、控えめに、日本政府は教育勅語を児童教育の「唯一の基盤」とすべきだと提案しないと述べ、教育勅語容認を批判する人々は厳格すぎるという印象を与えた。また、菅官房長官は政府が教室で教育勅語を使うように促すことはないとなだめるように述べた。教育勅語の取り扱いは教師たちの判断次第であるが、日本国憲法に反する取扱いはしてはならないと菅官房長官は述べた。

 

超国家主義の学校法人で幼稚園を経営する森友学園を巡る騒動が起きた後に、教育勅語の容認という動きが出た。いくつかの映像には、幼稚園児たちが今上天皇と皇后の写真に最敬礼をしている姿、軍歌を歌っている姿、中国、韓国、ロシアと争いがある領土を守って欲しいと大人たち訴える姿、反中国、反韓国のスローガンを叫ぶ姿が残っている。日本では、森友学園のこうした教育がスキャンダルとなった。それは、安倍昭恵首相夫人が森友学園に関与していたからだ。昭恵夫人は森友学園が建設中だった小学校の名誉校長になることに同意していた。昭恵夫人は2月末に名誉校長を辞任した。2月になって、森友学園が地方政府からかなり値引きされた値段で土地を取得したということが発覚した後に彼女は辞任した。このスキャンダルは継続して調査されている。

 

歴史家の半藤一利氏は1930年代前半に生まれた。彼は今でも教育勅語を暗唱することができる。彼は、「教育勅語には良い部分もありますよ。誰が親孝行、兄弟仲良く、友人と親しくするといったことに反対しますか?」と語る。しかし、教育勅語には、「良き臣民は天皇のために死ぬ覚悟をしなければならない」とも書かれている。これは、アメリカによる占領下の1947年に制定された自由主義的な憲法と真っ向から対立する。日本国憲法は天皇の神聖を否定し、国家のシンボルであるとだけ述べている。主権は国民にあるとされた。半藤氏は教育勅語の復活に動きながら天皇が政治的権力を持つように戻すということを述べない人々を軽蔑している。

 

日本の右翼と超国家主義者たちは呉越同舟である。東京中心部の街頭で、ごろつきのような人々が旗をふりまわし、軍歌を大音量でかけながら走る「サウンドトラック」を、汗をかきながら運転している。東京の靖国神社は、日本の戦争での戦死者たちを祀っている。靖国神社では、空想に浸っている人々は特攻隊のパイロットたちの制服を着てふんぞり返って歩き回っている。色々な場所で、自分の考えに凝り固まった独学の「歴史家たち」は、日本に対する誤解と嘘を全てが真実ではないことを「証明している」紙がつまっているみすぼらしい穴の中に閉じこもっている。歴史修正主義者たちはぐらついたセットが置かれているケーブルテレビのスタジオの中で怒鳴り散らしている。

 

彼らに共通しているのは、天皇のこれまで途切れたことのない家系に対する尊崇である。しかし、天皇は太陽の女神の子孫であると信じるには柔軟な思考が必要である。超国家主義者たちが歴史修正主義に陥りやすい理由はここにあるのかもしれない。彼らは、第二次世界大戦中の日本が民間人の大量虐殺や女性に売春を強要したというような犯罪を起こしたことを否定している。

 

こうした動きの中には機会主義者もいるが、多くの人々はその通りだと確信している。半藤氏は次のように語る。「日本に住む私たちは、起きてはならないことは、実際にも起きなかったのだと考えてしまう習慣があります」。2人の過激な歴史修正主義者が安倍内閣に入る。防衛大臣の稲田朋美と総務大臣の高市早苗だ。歴史修正主義者の団体である日本会議は、平和憲法の書き換えと天皇がより中心的な役割を回復することに邁進している。日本会議は38000人の会費を払う会員を擁している。会員の中には安倍内閣の閣僚になっている人物たちもおり、安倍内閣の4分の3は日本会議の会員だ。

 

歴史修正主義者と超国家主義者に共通しているもう1つの特徴は、戦争に対する罪悪感と戦時中の近隣諸国に対する侵略への謝罪が現在の日本を去勢しているという信念を持っているという点だ。日本会議会長の田久保忠衛は、学校における「道徳教育」の推進と教科書における先の戦争に関する輝かしい解釈を掲載することの目標は、国家の強制的な斉唱にさえ反対する左翼教師たちによる70年に渡る「洗脳」の「振り子を矯正する」ことにあると述べている。

 

超国家主義者たちは目標をある程度達成している。菅官房長官自身は過激主義者ではない。菅官房長官による教育勅語の用語はご機嫌取りのようだものだ。しかし、超国家主義者たちは深刻な問題に直面している。彼らが尊崇している83歳になる今上天皇は、父親の昭和天皇が容認し、消極的だが促進した戦争の悲劇を反省してきた。今上天皇は天皇としての時間の多くを戦場となった場所の訪問と日本側だけでなく、全ての戦没者の慰霊に費やしてきた。

 

菊の花の紋章はうめき声をあげている。

 

今上天皇の行動はナショナリストたちへの叱責となっている。日本会議の指導者たちは、今上天皇が半藤氏を招いて会話をしていることを知り、慌てふためいている。彼らに今上天皇と親しく会話をする機会を与えられたことはない。現在、天皇は日本国民に対して退位を許してくれるように求めている。その理由として高齢のために責務を果たすことが困難になっていることを挙げている。この天皇の行為もまたナショナリストたちを刺激している。それは、退位が2000年にも及ぶ不可侵の伝統を壊してしまうことになると考えられるからだ。日本の著名なリベラル派の知識人船橋洋一は次のように語る。「今上天皇は大変に人気があり、尊敬を集めています。今上天皇に勝てる人はいないのです」。超国家主義者たちは自分たちが無敵ではないということを心の底では分かっている。

 

(貼りつけ終わり)

 

(終わり)





アメリカの真の支配者 コーク一族
ダニエル・シュルマン
講談社
2016-01-22




 
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