ダニエル・シュルマン
講談社
2015-09-09



アメリカ政治の秘密
古村 治彦
PHP研究所
2012-05-12



 

 古村治彦です。

 

 今回は、日本の「満洲国化」について書きます。私は「1945年以降の日本は1930年代に中国東北部に存在した、傀儡国家・満洲国(Manchukuo)と同じだ」と主張したいと思います。1945年以降の日本がアメリカの属国であることは既に多くの方々が気付いておられることでしょう。そして、それは戦争に負けたのだししょうがないことだと思っておられることでしょう。ですから、日本が作り上げた傀儡国家・満洲国が現在アメリカの属国になっている日本と同じだというのは当然のことです。

 

 私は今年に入って満洲国、南満州鉄道(満鉄、South Manchuria Railway)についての本を読んできました。自分でも理由ははっきりしなかったのですが、満州と満鉄の本を読みたい、読まなければいけないと思ってきました。草柳大臓『実録満鉄調査部』(朝日新聞社、1979年)、小林英夫『満鉄調査部―「元祖シンクタンク」の誕生と崩壊』(平凡社新書、2005年)、『満洲と自民党』(新潮新書、2005年)、『〈満洲〉の歴史』(講談社現代新書、2008年)、山室信一『増補版 キメラ 満洲国の肖像』(中公新書、2004年)、中田整一『満州国皇帝の秘録 ラストエンペラーと「厳秘会見録」の謎』(文春文庫、2005年)などを読んできました。

 

 私はこうした本を読みながら、現在の日本と満洲国(後に満洲帝国)にはいくつかの共通点があることに気付きました。それは3点あって、①在日米軍と関東軍の存在、②実権は官僚、しかも次官級が握っていたこと、そして③憲法が軽視(ないがしろに)されていたこと、です。それぞれについて書いていきます。

 

 満洲国は1932年に成立しました。1931年に関東軍の石原莞爾や板垣征四郎らが柳条湖事件を起こし、満州事変が勃発し、満州全土は瞬く間に関東軍によって占領されました。石原莞爾は満洲の日本領有を考えていたようですが、関東軍は東北行政委員会を作らせ、満州地方の各省を中華民国から独立させ、満洲国を成立させました。この時は帝国ではなく、清朝最後の皇帝である愛新覚羅溥儀は執政の地位に就き、1934年には帝政となり、大満洲帝国となりました。そして、1945年の日本の敗戦まで存続することになりました。

 

 成立の経緯から分かるように、満洲国を作り上げたのは、元々南満州鉄道とその付属地の警備のために置かれていた関東軍(Kandong Army)です。ですから、満洲国になってもその実権は関東軍に握られていました。関東軍司令官が駐満州国(満洲帝国)日本大使となり、皇帝(執政)に月に数回拝謁していたそうです。この時、関東軍は溥儀をうまくコントロールしようとしたようです。中田整一の本を読むと、溥儀が卑屈なまでに関東軍に迎合していたことがよく分かります。関東軍のこうした優越した力と満洲国に対する介入は「内面指導」と呼ばれました。

 

 満洲の地について、日本政府と日本の軍部は「日本の生命線」であり、日露戦争で「十万の英霊 二十億の国帑」を使って手に入れた土地であり、日本の特殊権益が最優先されるべき土地なのだ、という意識を持っていました。この意識は、実は在日米軍にもあって、特に沖縄は激しい地上戦で勝ち取った土地であるという意識があるそうです。日本全土に対しても恐らくそうでしょう。その結果が差別的な地位協定です。関東軍も同じで、日満議定書で関東軍の優越的な地位が認められていました。更には、関東軍は満洲の国防にあたり、その経費は満洲国が出すということも秘密協定で取り決められていました。これは、現在の日本の在日米軍に対する思いやり予算とよく似ています。

 

 満洲国の政治機構は行政機関として国務院が置かれました。その責任者は国務院総理で、溥儀の側近が就任しました。しかし、実権は国務院の中にある総務庁が一手に握りました。また、各国務機関の長は日本人以外が就任しても実際に運営する次官級には日本の高級官僚たちが日本から呼ばれるようになりました。関東軍には行政経験などない訳ですし、産業政策などもない訳ですから、各省庁に頼ることになりました。そして、各省庁は若手の実力者たちを派遣しました。大蔵省からは星野直樹、商工省からは岸信介が招聘されました。星野直樹は総務長官、岸信介は総務庁次長としてコンビを組み、満州の産業化(満州重工業・満重の設立)を行いました。また、各機関の次官級である日本人官僚たちが実権を握り、彼らの会議で全てを決定していました。

 

 こうした状況は戦後日本で見られました。事務次官会議で全てを決定し、高級官僚が政策を決定し、実行するものです。これを英語ではStrong State Modelと言い、チャルマーズ・ジョンソン教授の『通産省と日本の奇跡』で主張されたものです。正式な地位が低いはずの官僚たちが全てを決定するモデルは満洲国で既に実験済みだったのです。

 

 最後に、憲法についてですが、満洲国には憲法がありませんでした。大日本帝国憲法に倣った組織法というものがありましたが、実権は関東軍と日本からの高級官僚たちが握っていました。ですから、やりたい放題でした。山室信一の本に少しだけ書かれていた満洲国の実態は、「五族協和」「王道楽土」のスローガン、イデオロギーの理想の下で、実際には現在の北朝鮮のような密告制度があり、保甲制度と呼ばれる住民たちの相互監視制度が作られていました。住民たちは土地を強制的に安値で買い叩かれ、路頭に迷う人々が続出しました。この買い叩かれた土地は日本からの移民団に与えられました。憲法は国家を縛るためのものでしたが、縛られるべき対象である満洲国は傀儡で、実権は関東軍と日本からの高級官僚たちに握られ、彼らを止めるものは何もありませんでした。

 

 現在の日本はと言えば、2015年7月16日に憲法上は禁止されている集団自衛権の行使を明確にするための安保法制が衆議院で自民党、公明党の賛成多数で可決しました。反対する野党側は採決を欠席しました。この調子で行けば参議院でも可決され、意見の可能性が高い法律が誕生することになります。最高裁判所は酷夏の候下立法措置に対して、違憲立法審査権を有して牽制することになっていますが、それも実態は骨抜きにされています。憲法を守るべき義務を負う「公務」員たる政治家が違憲の立法を行いました。それも宗主国アメリカの意向を受けて、です。この憲法よりも上位に来る、憲法の縛りを受けない存在が政治に介入しているという点で、満洲国と現在の日本は同じです。

 

 満洲国の実権を握った人々は、総称して「弐キ参スケ」と呼ばれました。星野直樹(大蔵官僚、満洲国国務院総務長官、東条内閣書記官長、企画院総裁)、東条英機(関東軍参謀長から後に陸軍大臣、総理大臣、参謀総長)、鮎川義介(日産創業者)、松岡洋右(満鉄総裁、近衛内閣外相)、岸信介(商工次官、東条内閣国務相、首相)といった人々です。松岡と岸は叔父と甥の関係ですし、鮎川とも遠戚です。彼らは満洲国を作り上げました。そして、岸信介は戦後日本では首相となりました。そして、アメリカ(ジョン・フォスター・ダレス国務長官と国務省)の意向を受けて、再軍備と自衛隊増強を進めました。しかし、その実態は日本の満洲国化でしかありませんでした。

 

 そして、本日、岸の影響をたっぷりと受けた、孫の安倍晋三が日本の満洲国化のレヴェルを一段引き上げました。満洲国は「日満一体」「一徳一心」を掲げました。そして、戦前の日本と共に滅亡しました。いまやアメリカについて行くしかできない指導者たちの下、今の日本が満洲国と同じ運命を辿るのではないかと私は考えています。

 

(終わり)





メルトダウン 金融溶解
トーマス・ウッズ
成甲書房
2009-07-31