古村治彦です。

 アメリカ民主党が「中道路線」「第三の道」路線になったために勢力が減退し、中道路線の大統領選挙候補者たちは敗れているという内容の記事を以下にご紹介する。「第三の道」路線と言えば、イギリスの学者アンソニー・ギデンズ『第三の道――効率と公正の新たな同盟』を思い出す。また、アメリカのビル・クリントン、イギリスのトニー・ブレアと言った顔ぶれを思い出す。1990年代からアメリカで言えば民主党、イギリスで言えば労働党というリベラル政党が左派を切り捨て、中道派寄りになっていった。ソ連の崩壊から社会主義への失望が生まれ、新自由主義こそが勝利の経済思想だという考えが拡大し、リベラル勢力に危機感が生まれた。

 しかし、新自由主義に対する懐疑が、1990年代以降の先進諸国の国内における経済格差の拡大によって、この30年間に大きくなっていった。その間にはリーマンショックやITバブル崩壊などがあった。アメリカでは若い世代ほど社会主義に対する関心が高く、ミレニアル世代と呼ばれる現在の20代、30代の人々の多くが社会主義を主張する現象が起きている。これは「ミレニアル社会主義」と呼ばれる。アメリカ民主党内でバーニー・サンダースやアレクサンドリア・オカシオ=コルテスが台頭し、イギリス労働党では冷や飯食いだったジェレミー・コービンが党首となったが、これは若者たちの支持によるものだ。

 リベラル勢力が中道寄りとなっていった結果、新自由主義に対する批判も弱く、ストッパーとしての役割を果たせなかった。アメリカ民主党に対する国民の失望の原因はそこにある。そして、民主党の「第三の道」路線を代表するヒラリー・クリントンが大統領選挙において予想外の敗北を喫したのはまさに「第三の道」路線に対する民主党支持者たち、特に若い人々の拒否の結果であった。

 日本では若い世代ほど自民党、公明党、日本維新の会といった新自由主義勢力の支持が高い。日本は世界の流れから半周程遅れていると考えてよいだろう。自分たちの生活がどんどん厳しくなっていくのに自民党を支持し続けるというのは、我慢大会、チキンレースのようなものだが、これは日本のリベラル政党の政権担当能力に対する不信感が大きいということも原因だろう。また、結局は財務省の手先である点はどの政党も同じであって、「国民の生活が第一」を唱えて政権を取った当時の民主党も結局、財務省の洗脳に負けて、増税路線に舵を切り、大敗を喫し、最終的には党名を維持することすらできなかった。現在の立憲民主党内にも増税路線の残滓が色濃く残っている。リベラルでもそれならば、経験が豊富な自公で良いし、ケンカと悪口、罵倒路線の維新の方が面白いしということになるのだろう。
 今年秋の中間選挙で民主党の敗北が予想されている。今回の論稿は、「だからと言って、ヒラリーの口車に乗ってリベラル路線を捨ててしまえば、もっと大きな敗北を招くことになる」という警告になっている。自身の立場や考えをどのように堅持し、またどのように変化させるかということについて、読み手にも考えさせる内容だ。

(貼り付けはじめ)

ヒラリーは駄目-「第三の道」は間違った道(No Hillary — the 'Third Way' is the wrong way

デイヴィッド・E・レパス筆

20221月21日

『ザ・ヒル』

https://thehill.com/opinion/campaign/590743-no-hillary-the-third-way-is-the-wrong-way

「第三の道(Third Way)」を長年にわたり主張し続けてきたヒラリー・クリントンは、最近、民主党に対して「左に行き過ぎないように」「次の選挙で負けるかもしれない」と呼びかけている。私の最新の著作『アメリカ有権者の声を聴く:1960年から2016年にかけてのアメリカ大統領選挙で有権者が考えていたこと(Listening to the American Voter: What Was on Voters' Minds in Presidential Elections, 1960 to 2016)』)の調査結果に基づくと、ヒラリー・クリントンの助言は間違っている。「第三の道」は間違った道である。

第一に、民主党の歴史の中で、党員(自分自身を民主党支持と認識している人々)募集に成功した事例を見てみよう。近代的な民主党は、1930年代のニューディールから始まった。フランクリン・D・ルーズヴェルト大統領は、世界恐慌が原因となって起きた多くの問題に対処するために、多種多様なプログラムを生み出した。それらは、社会保障制度(Social Security)、週40時間労働制(40-hour workweek)、最低賃金(minimum wage)など、非常にリベラルなプログラムだった。労働組合には団体交渉を行う権限が法律で与えられた。このような努力は人々から多くの支持を集めた。1940年代から1950年代にかけて、アメリカの有権者の半数は民主党員もしくは民主党支持者だった。

1960年代、民主党(リンドン・B・ジョンソン大統領が指導者だった)は、1964年の公民権法案(Civil Rights bill)、1965年の投票権法(Voting Rights Act)などの黒人の権利を向上させる法案など、複数の法案を通過させた。その後20年間、白人の南部民主党員(White Southern Democrats)は大量に離党し、1980年代には南部は堅固な共和党優勢州(solid Red、訳者註:共和党のイメージカラーである赤から共和党優勢州を示す)となった。南部民主党員の民主党の離脱により、全米の有権者における民主党員や支持者の割合は35%にまで低下した。

民主党は黒人の公民権を前進させるために大きな犠牲を払ったが、それでもそれを実行したのは、それが民主党の存在意義の全てだからだ。民主党の目的は、普通の労働者や女性、貧しい人々、社会的弱者、権利のない人々を代表することなのである。

1980年以降、全国規模で民主党員と支持者の割合は減り続け、2016年の段階では30%となった。この時点で共和党員と支持者の割合も30%であり、同数ということになった。民主党支持者の割合が過去20年から30年年で5%減少したことは壊滅的な結果を招いている。連邦上院は民主、共和両党が同数で、ジョー・マンチン(ウエストヴァージニア州選出、民主党)やカーステン・シネマ(アリゾナ州選出、民主党)のような1人か2人の破天荒な民主党議員が、仕事を台無しにすることになる。この5%の損失は、1990年代から民主党の指導者たちが「第三の道」戦略(問題に対して中道の、曖昧な立場をとり、左に行き過ぎない)をとることにしたために生じたものだ。この戦略の問題点は、党のアイデンティティが失われ、明確なイメージが持てなくなることだ。アイデンティティのないものに、人々が共感することは難しい。

社会化についてよく知られているのは、新しい世代は前の世代よりもリベラルであるということだ。1990年代以降、こうしたリベラル派の有権者の新しい世代がそれぞれ所属するもしくは支持する政党を探した結果、リベラルな政党が見つからず、そのため無党派層になった。この世代間効果の証拠については、私の最新の著作で詳しく取り上げている。

また、「第三の道」戦略は、選挙戦に勝つためにどの程度有効であったかということについても疑問を持つ人々がいるかもしれない。2000年以降、民主党の候補者の中で、全くもって無難な中道派だったのは、アル・ゴア、ジョン・ケリー、ヒラリー・クリントンの3人だけだった。これらは全員、選挙戦で敗れた。ゴアははっきりとしたことを言わずに、逃げ腰だった。ケリーはイラクからの撤退で手のひらを返し、スウィフトボートの広告で攻撃されても反撃しなかった。クリントンは、ベンガジや電子メールサーバーといった問題について率直に対応しなかった。

バラク・オバマは「第三の道」派ではなく、群衆を奮い立たせ(「そうだ、私たちはできる!(Yes, we can!)」という言葉で)、問題に対して具体的な立場をとることができる人物だった。彼は大統領選挙で2度勝利した。

(貼り付け終わり)

(終わり)

bigtech5shawokaitaiseyo501
ビッグテック5社を解体せよ

akumanocybersensouwobidenseikengahajimeru001

 悪魔のサイバー戦争をバイデン政権が始める
20211129sankeiad505