古村治彦(ふるむらはるひこ)の政治情報紹介・分析ブログ

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タグ:藤森かよこ


 古村治彦です。

 今日は、藤森かよこ著『
 いい子ぶりっ子の超偽善社会に備える』(秀和システム)をご紹介します。

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ニーチェのふんどし いい子ぶりっ子の超偽善社会に備える

 藤森氏は『馬鹿ブス貧乏で生きるしかないあなたに愛をこめて書いたので読んでください』『馬鹿ブス貧乏な私たちを待つ ろくでもない近未来を迎え撃つために書いたので読んでください。』と言ったベストセラーを出しています。今回の本はニーチェの考えを下敷きにしながら、これから訪れる無菌志向の超偽善社会に備えていくという内容になっています。

 以下にまえがきの一部、目次、あとがきを貼り付けます。是非手に取ってお読みください。

(貼り付けはじめ)

0・1 私がニーチェの褌(ふんどし)を借りて書くことにした理由

ニーチェといっても、原作が松まつこま駒で、作画がハシモトによる漫画『ニーチェ先生』に登場するコンビニで深夜バイトをする大学生仁井智慧(にいともはる)のことではない。「お客様は神様だろ!」と理不尽なクレームをつける客を、「神は死んだ」と言って撃退したので、あだ名が「ニーチェ先生」になった仁井君のことではない。

「神は死んだ」というのは、ニーチェがいくつかの著書で何回も書いた文章だ。そのために、ニーチェは蛇蝎視(だかつし)されてきた。いるかいないかわからない神という存在について「死んだ」と書いたのだから、ニーチェほど神のことを考えていた人間はいないという逆説をわからない頭の悪い人々によって。かわいそうなニーチェ。

本書の目的は、現代と、来きたるべきろくでもないけど面白くないわけでもない超偽善社会を生き抜いて行くために知っておくべきだと私が思うことを、ニーチェの褌(ふんどし)を借りて書いたものだ。ここで「喰い込むばかり」と下品なツッコミを入れないように。「高く登ろうとするなら、自分の足を用いよ。引き上げてもらおうとするな。他人の背や頭に乗ってはならない」(『ツァラトゥストラかく語りき』佐々木中(ささきあたる)訳、河出文庫、2015、495頁)と言ったニーチェは、「他人の褌で相撲(すもう)を取るな」と、言うかもしれないが。

ところで、ニーチェなんて、そんな難しい本なんて読んでもわかりません!と思っているあなた! 読まずに、そういうこと言ってませんか!? ニーチェは難しくない。長いだけです。読めば、わかります。面白いです。

そもそも、今の日本で読書(漫画を含めて)習慣がある人は、人口の1割ほどだ(と思う)。1200万人ぐらいだ。この数字に「エビデンス」はない。私がそう思うだけだ。その中でも、書籍はもっぱら公立図書館で借りて読むだけではなく、またはアマゾンのKindle Unlimited に登録して無料の電子ブックで読むだけではなく、自腹で書籍なり電子ブックを購入して読む人は500万人もいない(と思う)。

これでは、日本の出版社の経営が難しいはずだ。書店もどんどん閉店するはずだ。現在の日本の出版社は、「人口1200万人で、500万人の消費者しかいない国」の中で競争しているのだから。

 今は、そこそこの偏差値の大学の学生でさえ、「こんな難しい本は読めません」とゼミの担当教授に向かって堂々と言う。いまどきの大学教員なら、いまどきの普通の日本の若者の読解(どっかい)力と、彼らや彼女たちが育った(1990年代以降の日本の経済状況下の)家庭の文化資本の蓄積の乏しさは良く知っている。橘玲(たちばなあきら)のベストセラー『バカと無知 人間、この不都合な生きもの』(新潮新書、2022)に書いてある「日本人のおよそ3分の1は「日本語」が読めない」(81頁)という調査結果に驚くこともない。

だから、無駄に難解な書籍など教科書として選ばない。それでも、大学生なら、これぐらいの程度のものは読んで欲しいと思うテキストをゼミで輪読(りんどく)する。なのに、数行も読まないうちに「こんな難しい本は読めません」である。じゃあ音読(おんどく)から始めるかと思って音読させたら、漢字が読めない。もう出版社の方々、書籍の漢字には全部ルビを振(ふ)ってください。

でも、あなたは違う。貴重な「日本の読書人1200万人」のひとりだ。「日本の読書人1200万人」のひとりに入るくらいに、あなたは運が強い。親ガチャに外はずれた人間こそ読書の習慣がないと無知不用心のままに生きるはめになり不幸不運必至なのに、そういう人間に限って読書の習慣がない。だから、遭遇(そうぐう)してもしかたがない類(たぐい)の人間に関わるはめになるし、重要な情報も入手できず、先人の知恵に触れることもなく、自己省察(せいさつ)もできず、さらに運が悪くなる。

しかし、こうして本書を開いているあなたは運がいい。だから、ニーチェも読めます。

=====

『ニーチェのふんどし いい子ぶりっ子の超偽善社会に備える』◆ 目次

第0章、あるいは「まえがき」 7

0・1 私がニーチェの褌ふんどしを借りて書くことにした理由 8

0・2 本書はごく少数者向き 11

0・3 仏教徒もイスラム教徒もみんなキリスト教徒 14

0・4 今や共通善は「弱者救済」だけ 19

0・5 大義を疑うためにニーチェを 24

0・6 本書の構成 28

第1章 ニーチェの思想をあなたが必要になる契機は「ホワイト革命」 35

1・1 岡田斗司夫の「ホワイト革命」論の衝撃 36

1・2「ホワイト革命」は、とりあえずは高度情報化社会の産物 40

1・3 道徳的であるという評価が個人だけではなく国や企業にも求められる 44

1・4 21世紀の「優しい良い子たち」は進化した人類か? 54

1・5 ホワイト革命の先駆としてのポリコレとキャンセルカルチャー 63

1・6 道徳化された社会形成のための段階としてのポリコレ・ヒステリー 69

1・7 岡田が予測するホワイト革命は起きると私が思う理由(その1) 72

1・8 岡田が予測するホワイト革命は起きると私が思う理由(その2)

 ―― SDGsだのESGだのニュー資本主義だの 83

第2章 ホワイト革命がもたらす7つの様相 107

2・1 歴史始まって以来の人間革命? 108

2・2 魔女狩り社会になる? 111

2・3 現実逃避社会になる? 114

2・4 バックラッシュ? 117

2・5 人間はより画一的になりルッキズムに至りアバターに身を隠す? 121

2・6 優しく良い人たちの人畜牧場完成? 129

2・7 現実逃避も魔女狩りもバックラッシュも身体性からの逃避もあるし権力者共同謀議もあるが、人間革命は起きない 131

第3章 ニーチェかく語りき 135

3・1「人とは恐ろしいモノだ」と覚悟しておく 136

3・2 ディオニュソスなくしてアポロは立ち上がらず、アポロなくしてディオニュソスは目覚めない 147

3・3 悲劇上等! 160

3・4 歴史は強くて利己的な野蛮人が作る 171

3・5 天国や彼岸の設定は生の否定であり敵視 177

3・6 善悪も道徳も正義も変わるもの 185

3・7 ルサンチマンから生まれる道徳もある 191

3・8 キリスト教は世界史初の奴隷道徳 196

3・9 末人(まつじん)なんて退屈だから超人をめざせ 200

3・10 ニーチェの独ひとり言 209

結語 ―― 来るべき超偽善社会の欺瞞と抑圧に汚染されないために 218

あとがき 225

紹介文献、引用文献リスト(本文で言及順) 229

私が読んだ範囲で面白いと思ったニーチェ入門書リスト(出版年順) 234

=====

あとがき

ニーチェに関することは書いてみたいと身の程知らずにも思いつつ、哲学科を出たわ

けでもない私がニーチェに関する書籍を出すことは無理だなあと思っていました。一時

期はアメリカ文学の研究者でしたので、アメリカの作家に関連した論文でニーチェに言

及したことはあったのですが。

ところが、2021年3月に秀和システムの編集者の小笠原豊樹さんから一冊書いて

みないかという嬉しいお申し出をいただきました。2022年に再度お話をいただきま

した。それならばと、そのお申し出に厚かましく乗っからせていただくことにしました。

この機会を逃すと、私のような人間がニーチェについて書いて本を出版するなどということは不可能だと思いました。また、今この時に書かないで、いつ書くのかとも思いました。ちょうど、その頃は、本書に書いた岡田斗司夫さんがオンラインセミナーで発表なさった「ホワイト革命」論について、「これはニーチェ的には嫌な展開になるかもしれないなあ」と思っていた時でしたから。

小笠原さんには、ニーチェについて書く機会を提供していただき感謝いたします。今どきの、この書籍の売れない時代に、ニーチェについて書かせてくださるなんて、この方は相当に「一本の綱」の上を歩いておられる方だと思いました。

いろいろいろいろお世話をおかけいたしました。ありがとうございました。

本書の表紙デザインについて、アイン・ランドの小説やエッセイ集の拙訳や、私が編著者を務めた文学関係の論文集や、単著4冊の装幀で、2004年以来お世話になっている大谷昌稔(おおたにまさとし)さんに、またお願いいたしました。ありがとうございました。

表紙のイラストは、私の「馬鹿ブス貧乏本」シリーズの表紙イラストを担当してくださった伊藤ハムスターさんにお願いいたしました。またもチャーミングなイラストをありがとうございました。

 同時に、今まで出版された拙著に関して率直なご感想を下さった読者の方々にお礼を申し上げます。その方々は、「フジモリさんがご自分のブログに書くよう書いてください。いっぱいの文献を紹介してくださるのは勉強になりますが、私が読みたいのはフジモリ

さんの言葉ですから」と、それぞれにおっしゃるのです。

中には、「本を読むことしかしていない人間の書いたもので、読むところがない」と匿名でSNSに書いていた読者もいました。この読者は拙著3冊を図書館で借りて読んだそうで、「読むところないなら3冊も読むな、批判するなら自腹で購入するぐらいはしろよ」と私は思いました。しかし、ニーチェもツァラトゥストラに「わたしは読んでばかりいる怠惰な者を憎む」(佐々木訳、64頁)と語らせています。だから少しは私も反省しました。

 というわけで、本書では、なるたけ自由に書いてみました。私は、長年、職業柄、自

分以外は誰も読まない類の大学の紀要(きよう)(大学に所属している教員の論文集)に載せる論文を書いてきました。論文というのは先行研究をちゃんと読んでいるかを示すことが要請されるので、ついつい資料を漁る癖が抜けず、かつその文献に言及するのが習慣となっていました。ですから、商業出版物に要求される読みやすさについて工夫(くふう)が足りなかったようです。そのことを読者の方々に指摘されて、あらためて気がつきました。

ここでその読者の方々のお名前を挙げることはいたしませんが、みなさん、貴重なご意見をありがとうございました。

ああ、それにしても本当は、本書のタイトルは「ニーチェの褌」にしたかったです。褌だと、漢字だと、しっかり締められている感じがしますが、ひらがなだと、ゆるい感じです。すぐに、ほどけそうです。

2023年2月

藤森かよこ

(貼り付け終わり)

(終わり)

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ビッグテック5社を解体せよ

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 悪魔のサイバー戦争をバイデン政権が始める
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 古村治彦です。

 「副島隆彦の学問道場」の仲間で、福山市立大学名誉教授の藤森かよこさんの新刊『馬鹿ブス貧乏な私たちが生きる新世界無秩序の愛と性』(ベストセラーズ)が2022年10月24日に刊行されました。

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馬鹿ブス貧乏な私たちが生きる新世界無秩序の愛と性

 以下に、まえがき、目次、あとがきを貼り付けます。是非手に取ってお読みください。

(貼り付けはじめ)

『馬鹿ブス貧乏な私たちが生きる新世界無秩序の愛と性』

まえがき

 本書の目的は、大きく時代が変わる前の過渡期であり、今までの生き方が通用しないことが予測できる危機の時代において、馬鹿ブス貧乏な普通の女性たちが、無駄に恐怖や不安や焦燥を感じて萎縮(いしゅく)することなく自分なりの人生を創るためのヒントを、愛や性の観点から提示することだ。

「方法」ではなく、「ヒント」を提示すると書いたのは、生き方はいろいろで自分で選ぶしかないからだ。価値観が多様化して混乱している今の時代に、これこそが適切な方法だとは誰も言えない。自分で選ぶしかない。カリスマYouTuber とかオンラインセミナーとかカウンセラーとか占い師とか霊能者とかの意見は参考にしておくだけにしてください。

 本書は、2019年にKKベストセラーズから出版された『馬鹿ブス貧乏で生きるしかないあなたに愛をこめて書いたので読んでください。』(以後、「馬鹿ブス貧乏黄色本」と書く)と、2020年に出版された『馬鹿ブス貧乏な私たちを待つろくでもない近未来を迎え撃つために書いたので読んでください。』(以後、「馬鹿ブス貧乏水色本」と書く)の続編である。

「馬鹿ブス貧乏黄色本」は、馬鹿でブスで貧乏な女性のための自己啓発本だ。私の定義では、馬鹿とは一(いち)を聞いて一を知るのが精一杯で、特に学校の成績が良かったわけでもなく、地頭(じあたま)がいいわけでもなく、平々凡々であり、努力しなければどうしようもない程度の能力の持ち主のことだ。

 ブスというのは、顔やスタイルで食っていけず、繁華街を歩いていてスカウトされたことなど一度もない程度の容貌の持ち主のことだ。

 貧乏とは、賃金労働をして生活費を稼ぐしかなく、大恐慌やハイパーインフレや預金封鎖が起こり、預金保険機構でさえ潰れてペイオフ不可能などの経済的大変動があれば、すぐに困窮する程度の資産しか持っていない状態のことだ。要するに、普通の平凡な女性の状態のことだ。

 世に多く出版されてきた自己啓発本は、スペックが高い人にしか実践できそうもないことばかり書いてあると私には思えた。だから、普通の馬鹿ブス貧乏ではあるが、向上心があり、素直に幸せになりたくて、かつ少しは読書をする女性なら実践できることを、私自身の体験から選んで書いた。

 ところが、2020年にコロナ危機が始まり、私が書いた内容が通用しない状況が、私の予想より30年早く到来した。近未来はほとんどの人間が無用者階級になると、イスラエルの歴史学者のユヴァル・ノア・ハラリは予測している。AI化で普通の人間の仕事が消えたら、馬鹿ブス貧乏な普通の女性たちは、どう生きていけばいいのだろうか。そんなディストピア的近未来への対処法を書いたつもりだったのが、2020年暮れに出版された「馬鹿ブス貧乏水色本」だった。

 それから数か月が経過した2021年の春ぐらいのことだった。前著2冊の出版に際してお世話になったKKベストセラーズの編集者の鈴木康成さんから、「馬鹿ブス貧乏本」の第3弾として「性」について書いてみませんかと誘惑された。表紙はピンク色にしたいそうである。

 私はそのときにこう思った。「共同体のパーツとして埋もれるのではなく、個人が個人として生きて行けるような世界、個人の自由を拡大する世界をつくるというのが18世紀からの世界史の方向だった。この動きは、一時期は後退するとしても元には戻らない。人間関係の解体と希薄化は、個人の自由とセットのものであり、全体としては止めることができない。それでも、人間を癒(いや)すのは他人との絆であり愛でしかない時代は、しばらくは続くだろう。他人との絆を形成する入り口が性体験であることが多いのも事実だと思う」と。

 とはいえ、私は、愛だの性だのについて書くような見識もないし、豊富な経験もない。恋愛とか男女問題に興味があるような年齢はとっくに過ぎた。

 ときどき、動画配信サービスでボーイズ・ラブ(BL)系恋愛ドラマなどを見て胸をキュンキュンさせていれば、それでいいのだ。完璧な美男美女が登場する韓国の恋愛ドラマを視聴して、「こんな美男美女でも排泄(はいせつ)するし、下痢にもなるし、便秘にもなるんだなあ」と思っていればいいのだ。Twitter に氾濫する夫や恋人への愚痴を読んでも、「こんなところに愚痴を書いているうちはダメだな。ほんとうに相手を見切ったら、行動に移すもんな。21世紀に、何でいつまでたっても昭和やっているんだろうか?」と思うだけだ。

 ちなみに、私にとっての愛の定義はシンプルだ。副島隆彦(そえじまたかひこ)は、『副島隆彦の人生道場』(成甲書房、2008年)において、「愛というのは『男女が、一緒にいて、気持ちがいいこと、楽しいこと、嬉しいこと』のことなのだと、気がついた」(128頁)と書いている。要するに、男女だろうが、同性どうしだろうが、人間とペットだろうが、一緒にいて楽しいのなら愛なのだ。納得だ。一緒にいて楽しくないなら、離れているしかない。

 愛の定義はさておいて私は、巨大な水槽のガラスに顔をくっつけて魚を眺めているように、世の中を眺めているのが好きなだけの人間だ。だから、今まで生きてきた日々を振り返っても、「平和な時代に生きて食べてこられたことのありがたさ」を感じると同時に、「あ~~しょうもないことばかりしてきた。というか何もしてこなかったな」という思いがある。何ひとつマトモにできなかった人生ではあるが、それで精一杯だったのだから、しかたがない。後悔しようもない。

 しかし、充実していた時間はいっぱいあった。それは、誰かに何かを届けたくて懸命に作業しているときだった。たとえば、どうやったら興味を持ってもらえるだろうかと、教師時代に自分の担当科目の講義の準備をしていたとき。日本では無名の作家を知ってもらいたくて、その作家に関する紹介のような論文やブログ記事を書いていたとき。その作家アイン・ランド(1905-1982)が1943年に発表した『水源』(ビジネス社、2004年)を読んでもらいたくて、翻訳をしていたとき。誰かが読んでくれるといいなあと思いつつ、原稿を書いているとき。

 やはり、人間は他者に愛情を向けて行動しているときがもっとも充実しているのだろう。たとえ、それが無意味な独り善がりの行為だとしても。そういう時間は、幸福だの不幸だの意識もしないほどに夢中になっている。損だの得だのも考えていない。過去も未来もどうでもいい。他人からどう見えようが、どうでもいい。自分の意識が外部に漏電(ろうでん)していない。何も感じないほどに集中している。

 やはり、そういう時間を、誰かを、何かをひたすら愛しているという時間をなるたけ多く持つことが、人生の幸福で生き甲斐なのだろう。

 私たちは、時代の大きな変わり目にいる。馬鹿ブス貧乏な女性にとっては恐怖と不安がいっぱいの危機の時代だ。どんな未来予測が示されようと、人間は死ぬまでは生きて行くしかない。また生きていける。人間には可塑性(かそせい)がある。適応できる。どんどん変わることができる。

 私やあなたが望むようには世界は変化しないかもしれない。今のような無規範な時代は、人間も従来の生き方の規範から逸脱した生き方をするようになるので、みんなが狂っているように思える。嘆かわしく腹立たしいことばかりが起きているように思える。

 大手メディアは言うまでもなく、毎日毎日おびただしくネット世界で発信されるブログ記事やYouTube 動画や、いろいろな書籍は、現代という危機の時代の不快な様相を見せつけてくる。未来予測も暗いことばかりだ。

大地震や津波や火山噴火や異常気象で人類は選別淘汰される?

 国連のSDGs(Sustainable Development Goals)やら、「世界経済フォーラム」(ダボス会議)が提唱するグレート・リセットによるESG推進によって、大企業から中小企業にいたるまでビジネスのありようが変わる?

 ESGは、環境(Environment)、社会(Society)、ガバナンス(Governance)のことで、現在の地球環境が、人類が居住できなくなるほどに荒廃しないように環境問題に対処することを、各国政府や企業に守らせるよう推進監視するグローバル・プロジェクトだ。「地球を管理しているつもりの人類ピラミッドの最上層の人々」が英知(?)を結集して熟慮して作成した世界大改革シナリオの一環だ。

 たとえば、カーボンニュートラル志向に応じない企業へは投資されないように金融システムをつくり変える? ハイブリッド自動車ではなく、EVをつくるように自動車会社に圧力をかける? クリーンエネルギーはコストがかかるから、二酸化炭素排出量が少ない原発の再稼働を始める? 欧州でも日本でも実際に始めると決まった。

 さんざん社会的不公正を垂れ流してきた「地球を管理しているつもりの人類ピラミッドの最上層の人々」(人類ではなく爬虫類人という説もある)が急にいい子ぶりっこを始めた。誰も反対できない正論の大義名分をぶち上げて、自分たちに都合よくルールを変えるのは、あの人々の常套(じょうとう)だ。

 企業の社会的責任(Corporate Social Responsibility, CSR)というものを、利益の何%かを寄付している程度のことで実行したつもりでいてはダメだ? 企業は、自社の海外の生産拠点にしろ、自社内にせよ、そこで人権問題が起きていないかチェックしろ? 性差別や人権侵害を許してはならない? 取締役の40%は女性にしろ?

 口だけじゃダメで、ちゃんと環境維持と社会的不公正の是正にどれだけ努力して成果を出しているか数値化して報告せよ? そうしないとグローバル市場では投資を受けることができない? 巨額を投資する機関投資家から相手にされない?

 地球の海洋環境の保全のために海底資源の開発はしないことを国連で決める? 日本

はエネルギーさえ自給自足できれば独立国家になれるから、排他的経済水域の海底資源の開発に未来を賭けていたのに? それでは、永遠に日本は外国からたかられ続ける属

国のまま?

 「地球を管理しているつもりの人類ピラミッドの最上層の人々」が長年熟慮して作成した世界大改革シナリオの一部である戦争が始まる? いや、すでに始まっている?

 ナノチップを身体に埋められ、位置情報から電子マネーカードやクレジットカードの使用履歴からネット検索履歴まで監視管理される人畜になる未来が待っている? いや、すでにそうなっている?

 異常気象のために食糧生産ができず、食糧の輸入が途絶え、しばらくの間は食糧危機になる? しばらくの間っていつからいつまで? すでに食品の価格は上がっている。値段は同じでも内容量が減っているステルス値上げも多い。

 世界中央銀行デジタル通貨(Central Bank Digital Currency, CBDC)が発行され現金使用が禁じられ、個人の金融資産と収入支出が全部当局に把握され、新しい資本主義社会になる? これは、グローバル全体主義ですか? 新しい共産主義の別表現ですか?

 不妊剤入りワクチン接種を条件として、ベイシック・インカムが支給されるから、職がない「無用者階級」でも食べて行くことはできるから大丈夫?

 デジタル化やAI化により、ほとんどの人間ができる仕事が消えてすることがなくなっても、暇つぶしのお遊びと創造活動を合体させたようなインターネット上に構築された三次元の仮想現実(Virtual Reality)であるメタバースや拡張現実(Augmented Reality, Extended Reality)のミラーワールドの中で遊んで生きることができる? つまり、引きこもりのオタクが未来の庶民の生存様式になる?

 パンデミックは何度でも起きる? 人間が集まって接する機会を少なくすることしか感染拡大は防げないのだから、学校の授業のオンライン化や企業のリモートワーク化はさらに進む? 企業によっては社員の在宅勤務を常態化するところも出現している。

 飲食店はテイクアウト・サービスが増えた。料理配達サービスもいろいろ出てきた。すべてスマートフォンひとつで予約も支払いもできる。学会もコンサートもオンラインだ。

 私の若い友人の鍼灸(しんきゅう)師兼整体師は、オンラインでセルフ整体のクラスを運営している。料理もオンラインで教えるようになっている。私もそういうサイバー料理教室を受講したことがあるが、なかなか楽しかった。出かけなくてもいいのがラクでいい。人はどんどん人と会わなくなる。

 こういう変化に良いも悪いもない。そういう方向に世界が進むように、「世界経済フォーラム」のような国際機関から指令が各国政府に来ているから、日本もその方向に進む。これは権力者共同謀議論でも何でもない。内閣府だの首相官邸だの総務省だのの官公庁のウエブサイトを調べれば、書いてあることだ(このことについては、「馬鹿ブス貧乏水色本」に詳しく書いた)。

 私自身は短期的には悲観的だが、長期的には楽観的だ。AI化、VR化、さらにAR化は世界を変えていく。システムを変えていく。価値観を変えていく。人間の生活を変え、人間の意識を変え、人間そのものを変えていく。意識(脳や心)が変わると身体が変わる。ホモサピエンスの次の人類が生まれるかもしれないから、今の段階の人類の意識であれこれ心配するのは無意味だ。

 大きく見れば、ジョージ・オーウェル(1903-1950)が1949年に発表した小説『一九八四年』(高橋和久訳、ハヤカワep i文庫、2009年)に描かれたようなBig BrotherGoogle & Apple & Facebook(Meta) & Amazon & Microsoft の合体?)が個人情報と言動をすべて監視管理する世界になっていく。それはディストピアに見えるかもしれないが、脱税を含む犯罪はすぐに摘発されるユートピアでもある。

 個人情報と言動がすべて監視管理される世界になるのはあたりまえではないだろうか? 多くの人々が、「ひ弱で愚かで不用心な人間でも保護され快適に生きて行ける社会」の実現を望んできたのだから。誰もがそういう社会で生きることができるのが人権だと思っているのだから。自助社会は望んでいないのだから。未来社会は人類サファリパークになるしかない。地球は人類愛護精神に満ちた保護領になるしかない。

 保護される動物に自由はない。人間に生殺与奪権(せいさつよだつけん)を握られている類のペットが行使できる気ままを自由とは呼べない。でも、現代の多くの人々はそのようなペットになりたがる。だから、人類ピラミッドの最上層の方々は、人々を安全地帯に囲い込み監視管理するシステムを、その仕組みが見えなくなるほどに複雑に精緻(せいち)にする。

 2050年には実現されているであろう『一九八四年』的世界は、オーウェルが描いた世界よりはるかに洗練されているに違いない。そこに住む人々をして自分たちが管理監視対象の人畜であることを感じさせないほどに快適なものであるに違いない。Big Brother の目などという野暮なあからさまな支配装置はどこからも見えない。

 とはいえ、人間社会は複雑だ。人類ピラミッドの最上層の方々の思いどおりには物事は進まない。パンデミックもウクライナ紛争も、彼らや彼女たちが計画実行したらしいが、予定したほどの「成果」は上げていないらしい。未来はこうなると予定していると、想定外が起きる。地震予測が当たらないのと同じことだ。多くの人々が地震について意識していると地震は起きない。素粒子が誰も観測していないと波動のように振る舞い、誰かが観測していると粒子のように振る舞うように。量子力学の「二重スリット」の実験だ。

 だから、私たちが生きている間は、今のような混乱状態は、しばらくはダラダラと続き、別方向に進む可能性もある。「人類ピラミッドの最上層の方々が実現させようとしている素晴らしき新世界秩序(New World Order)」を私たちが見ることはないのかもしれない。

 とはいっても、どう進もうが、従来のシステムが壊れていくことは確実なので、私たちにとっては、いろいろとハードに違いない。危機に満ちたハードな時代だからこそ、しっかりと生き切りたい。ディストピアの中で幸福を、ユートピアに闇を見つけることができるのが人間なのだから、大丈夫だ。そもそもが、価値基準を手放せば、すべてがユートピアだし、すべてがディストピアなのだ。まさに新世界無秩序だ。

 どんな未来が出来(しゅったい)しても、人間の生命力というものは、どんなにひ弱に無気力に見える人のそれでさえ、強く激しい。だからこそ人類の歴史はいかに過酷であっても、今日(こんにち)にいたるまで続いてきた。だから、私たちは自分の生命力を、欲望を、甘く見ないほうがいい。中途半端な姿勢で生きていては、死ぬに死に切れなくなる。

 死ぬことは怖いことではない。死の世界は未知なので怖がりようもない。私が何よりも怖いのは、身体や脳や心を自分で機能させることができる間に、めいっぱい自分の身体と脳と心を使い倒して夢中に生きないことだ。それは自分にしかできないことだ。自分にしかできないことを自分に課して生きることこそが自由の行使だ。

 本書は、現在の日本社会における愛と性をめぐる現象や問題を紹介、確認し、私が感じていることを書いただけの雑駁(ざっぱく)な構成でできている。7章で成立しているが、各章の間に特にきちんとした論理的な繋がりがあるわけではないし、各章を構成している文と文との間には緩い連関しかない。そのほうが、自由に書けるような気がしたので、そうした。

 本書を書くにあたって、いろいろリサーチして、私は驚いた。私がボケっとしている間に、日本における性的退却や人間関係の解体がかなり進行していることに。と同時に、少なくない人々が、自分の愛と性を充実させることを決して諦めていないことに。そして、現代の愛と性のあり方から、ある未来がぼんやりと見えてくることに。

 愛と性は「生」に直結している。愛と性から逃げることは、生きていることから逃げることだ。人間であることから逃げることだ。

 本書が、未曾有の危機の時代に生きていても、馬鹿ブス貧乏な女性が自分の人生から逃げず、幸福を作り、他者との絆をつくることを諦めないことに、いささかでも寄与(きよ)できるものでありますように。

=====

馬鹿ブス貧乏な私たちが生きる新世界無秩序の愛と性  目次

まえがき …………11

1 章性交と恋愛は自己と他者との遭遇 ………… 27

11 「働く中年女性のための社交クラブ」を設立したかった私 ………… 28

12 性交売買に関する私の見解 ………… 30

13 男娼サービスは江戸時代からあった ………… 33

14 石田衣良の『娼年』『逝年(せいねん)』『爽年(そうねん)』三部作は真摯な性愛小説 ………… 37

15 直接的に他者の身体に触れてこそ他者をリアルに感じる ………… 41

16 恋愛は自分を知るための孤独な修業であり

誰でもできるものではない ………… 44

第2章 男性の女性嫌悪と女性の男性嫌悪が錯綜する日本 ………… 49

21 ハイパー情報化社会が暴露した愛と性のリスク ………… 50

22 AVの質向上が必要 ………… 53

23 女性差別社会では男性も不幸必至 ………… 58

24 二村ヒトシの『すべてはモテるためである』について ………… 61

25 男として生まれても旨味がなくなった時代に生きる男性の苛立ち ………… 67

26 女性の男性嫌悪を増大させる性犯罪に甘い日本 ………… 71

27 女性が貧乏だからこそ女性に相手にしてもらえる男性 ………… 73

第3章 性的退却 ………… 79

31 似非帳簿文化に侵食された性と愛 ………… 80

32 似非帳簿文化が徹底されると男性のほうが孤立しやすい ………… 82

33 性的退却に関する宮台真司の見解 ………… 86

34 エーリッヒ・フロムが提案すること ………… 92

35 日本の性的退却の原因は劣化した食生活という説 ………… 99

36 若者の性的退却の元凶は貧乏という説 ………… 106

37 女性には「乳幼児育児期間収入保障保険」が必要 ………… 110

38 若い女性向けファッション雑誌の凋落が示す女性の変化 ………… 115

第4章 性欲があることをタブーにしない ………… 119

41 性欲の強さは恥じるようなことじゃない ………… 120

42 教師による性犯罪に関する報道の増加について ………… 126

43 男性も男性の性犯罪者の犠牲者になる ………… 130

44 男性の性欲はどうしようもないという説は迷信かもしれない ………… 132

45 障がい者の性 ………… 136

46 障がい者専用性的サービスの必要性 ………… 140

47 高齢者の性欲について語るというタブーを破ったのは女性保健師だった ………… 144

48 晩節を汚し空っぽになるまで生き切る ………… 149

49 高齢だからこそ性交にこだわらず性を追求する ………… 153

第5章 性的退却しない女性たち ………… 157

51 性的退却を憂えるのは男性ばかり ………… 158

52 女性専門風俗産業の盛況 ………… 162

53 女性専用風俗が受容されるようになった理由 ………… 168

54 女性専用風俗利用者は普通の女性たち ………… 170

55 主体的に自分の性欲を管理する女性たち ………… 173

56 女性は繋がる女性専用風俗愛好者オフ会とか不倫互助会とか ………… 175

第6章 妊娠と出産―女性にとって性交だけが性ではない ………… 179

61 女性性の本質は生命を孕は らみ生み出すこと ………… 180

62 上質な遺伝子を求めてSNSで精子提供者を募集する女性 ………… 183

63 妊娠・出産に特別な聖性を付与する必要性 ………… 185

64 子宮スピリチュアル ………… 187

65 自分は子どもによって母として選ばれたと信じること ………… 189

66 主体的に妊娠と出産に関わる女性たち ………… 194

67 アメリカでも日本でも処女懐胎が起きている ………… 196

68 妊娠中絶という女性の性的自己決定権と中絶ビジネスの闇 ………… 202

69 膣ケアや脱毛など女性たちの性的身体の積極的受容は進む ………… 212

第7章 まとめ ………… 219

71 リビドー噴火活動の試行錯誤が生きること ………… 220

72 愛と性の未来 ………… 225

73 エーリッヒ・フロムの『愛するということ』は読んでおく ………… 234

74 「人間は探しているものしか見つけない」 ………… 239

あとがき ………… 243

紹介文献リスト(紹介順) ………… 246

=====

あとがき

 実は、本書は2022年の初夏に出版される予定でした。参考文献リストも入れたら「馬鹿ブス貧乏黄色本」や「馬鹿ブス貧乏水色本」と同じ版の書籍240頁ほどの分量になる原稿を書き、私は、そのデータを2022年3月半ばに編集者の鈴木康成さんに送信しました。

 その初校ゲラが届いたのが4月でした。校正しながら、私は自分の書いたもののゲラを読むのが猛烈に苦痛になりました。自分で書いておきながら、「何だ、これは?」と思ったのです。私は、現代という危機の時代に生きる普通の女性たちをめぐる愛と性に関する諸問題について何も見えてこないような駄文ばかりを書き連ねてしまっていました。

 私は、編集者の鈴木さんに、厚かましくも強引にも、考え直しをさせてくださいと頼み込みました。原稿を全部書き直しさせてくださいと頼み込みました。

 幸いなことに、私のこの迷惑極まりない身勝手な依頼に対して、編集者の鈴木さんは寛大にも、「藤森さんの納得がいくように書き直してください」と言ってくださいました。その書き直し版が本書です。

 というわけで、今回も、鈴木さんには大変に大変にお世話になりました。本書を書くにあたって参考になる記事などもいっぱい教えていただきました。ありがとうございました!

 本書の装幀は、「馬鹿ブス貧乏黄色本」と「馬鹿ブス貧乏水色本」に引き続き、大谷昌稔(おおたにまさとし)さんに担当していただきました。今回も素敵な装幀を、ありがとうございました!

 愉しく明るいカバーイラストも、前著と同じく伊藤ハムスターさんに担当していただきました。ありがとうございました!

 作家の石田衣良さんには、推薦文をいただきました。駄目でもともとで図々しく御願いしてよかった! ありがとうございました!

 そして、最後に、いつも私がSNSで意見交換する方々にお礼を申し上げます。私は、退職後はほぼ引きこもり状態であり、子どもも孫もいませんので、書籍やメディアから以外は、現在の世の中の実情がわかりません。その私の世間知らず状態は、SNSをとおして、いろいろ教えてくださる若い人々から、随分と是正していただきました。みなさまに、この場を借りてお礼を申し上げます。ありがとうございました!

 本書で、私の「馬鹿ブス貧乏本」は最後となります。これから、しばらく不寛容な息

苦しい世の中となるでしょう。新世界無秩序を生き抜くことよりも、瑣末(さまつ)で矮小(わいしょう)な正義感を振り回すことで、鬱屈(うっくつ)を解消しようとする人々が、しばらくは跋扈(ばっこ)することでしょう。「馬鹿」とか「ブス」とか「貧乏」とか、そのような言葉に目くじらを立てる人々は増えていくでしょう。「差別的な言葉だ!」と言って、それらの言葉を禁じても、馬鹿が聡明になるわけでもなく、ブスが美しくなるわけでも、貧乏が消えるわけでもないのですが。

 私の「馬鹿ブス貧乏本」を読んでくださったみなさん、ありがとうございました!

2022年夏のおわり

藤森かよこ

(貼り付け終わり)

(終わり)

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ビッグテック5社を解体せよ

akumanocybersensouwobidenseikengahajimeru001

 悪魔のサイバー戦争をバイデン政権が始める
20211129sankeiad505

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 古村治彦です。

bakabusubingounawatashitachiwomatsufujimori001
馬鹿ブス貧乏な私たちを待つ ろくでもない近未来を迎え撃つために書いたので読んでください。

 藤森かよこ氏の最新刊『馬鹿ブス貧乏な私たちを待つ ろくでもない近未来を迎え撃つために書いたので読んでください。』が発売になりました。前作『馬鹿ブス貧乏で生きるしかないあなたに愛をこめて書いたので読んでください。』は重版を重ねるベストセラーです。最新刊は新型コロナウイルスバカ騒ぎの中で書かれたものです。以下にまえがき、目次、あとがきを掲載します。是非手に取ってお読みください。

(貼り付けはじめ)

やはり長いまえがき

●本書はコロナ危機に対する著者の不安と恐怖解消活動の副産物

 こんなことを書くのは実に不謹慎なのだが、二〇二〇年二月から三月にかけて、私は生まれて初めて経験するパンデミックにわくわくしてしまった。三月の初めの頃に東京に行ったら、名古屋駅も東京駅も新幹線のホームに人がいなかった。なんという新鮮な清々(すがすが)しい風景。

 と同時に、私の心理状態は不安定になった。生まれて初めてのパンデミックは面白いと同時に、やはり不安だった。

 不安なときや、恐怖に駆られたときは、自分が怖いと思っている対象について徹底的にリサーチするに限る。

 私が生まれて初めて痴漢に遭遇(そうぐう)したのは、高校三年生のときだった。国立大学を受験する朝の電車の中であった。ショックだった。

 しかし、私は、その痴漢の気持ちの悪い顔の残像(ざんぞう)から逃げなかった。敢えて何度も何度もその痴漢の気持ちの悪い顔を思い出して記憶に刻み込んだ。折りたたみナイフをポケットに入れ、今度会ったら刺してやると決めた。私に痴漢をした男の顔というものを心の中で何度も凝視(ぎょうし)しているうちに、私の痴漢に対する恐怖はじょじょに薄れていった。なんだ、ただのクズじゃん。

 怖いなら、逃げずにリサーチだ。コロナが怖いなら新聞を読み、関連図書を読み、ネットで調べる。

 新型コロナウイルス感染症拡大危機(以後、コロナ危機と書く)が、その到来を加速させるろくでもない類の近未来が怖いならば、その近未来に起きるであろうこと(大恐慌や監視管理社会の到来や戦争や、ほとんどの人間が無用となるデジタルワールドなど)について調べる。その近未来を迎え撃つための方法を考える。

 本書は、私のコロナとコロナ危機に対する不安と恐怖解消のためにしたリサーチの副産物だ。

●コロナ危機は世界を強引に「ある方向」に進ませる

 リサーチ、リサーチ。まずは、私は購読している新聞(「日本経済新聞」)のコロナ関連記事を切り抜いてクリアファイルに入れるようになった。四〇枚ポケットのクリアファイルはあっという間に増えて、三月から九月の間に二二冊になった。

 こんなことを言うのは、年甲斐もなくナイーヴに過ぎるが、紙媒体の新聞というものは電子新聞より面白い。あらためて丹念に読むと貴重な情報満載だ。

 と同時に、新聞というものは、わりとあからさまに読者を誘導しているということにも今更ながら気がついた。「新聞は日付け以外はみな疑え」と、どこかに書いてあった言葉を思い出した。

 また、コロナ危機に関連して、新聞記事やインターネットに氾濫する記事や動画を漁(あさ)っているうちに、事態は単なる感染症騒ぎではなさそうだと思うようになった。「ある方向」へ世界を引っ張っていく力が働いていると感じるようになった。「シナリオ」があるような気がした。

 シナリオといっても、生身の人間が考えたシナリオだから、そのシナリオどおりに事態は進行しない。想定外のことは起きる。明日、宇宙から超巨大な隕石が海に墜落し、恐竜が滅びたようなプロセスで、世界を支配している人々もろとも人類全体が滅びるかもしれない。またシナリオは事情に応じて何回も書き換えられる。しかし大筋は変わらないだろう。進行方向は同じはずだ。

 その進行方向が見えるような気がした。そうか、世界はそちらに向かうのか。

 ここで私を「陰謀論者」と呼ばないでくださいね。副島隆彦(そえじまたかひこ)が『陰謀論とは何か―権力者共同謀議のすべて』(幻冬舎新書、二〇一二)で提案したように、ちゃんと正確に「権力者共同謀議論者」と呼んでください。

 そういえば、前著『馬鹿ブス貧乏で生きるしかないあなたに愛をこめて書いたので読んでください。』に関するアマゾンのレヴューに「陰謀論的考えがよくない」というコメントがいくつかあった(レヴューを書いてくださったみなさま、ありがとうございました!)。

 今どき、「権力者共同謀議」の存在を否定する人間がいることに驚いた。共同謀議は存在するに決まっている。国策でも企業の方針でも、ほんとうのところは五人ぐらいの話し合いで決まる。小学校の学級会じゃあるまいし、多数決の民主主義で決まると思ってんの?

 ただ、コロナ危機までの私は、その「権力者共同謀議」というものを、あくまでも他人事(ひとごと)にしか感じていなかった。庶民の私とは直接には関係のない「社会の裏事情(うらじじょう)」だと思っていた。勝手にやってろ、と思っていた。

 ところが、それまではどうでもいいと思っていた「権力者共同謀議」によって引き起こされ増幅(ぞうふく)されたらしきコロナ危機のせいで、私が『馬鹿ブス貧乏で生きるしかないあなたに愛をこめて書いたので読んでください。』において書いたことが通用しない状況になってしまったことに気がついた。

 これが問題。なんという迷惑な。前著を書き直すわけにはいかないので、私は前著の補足版を書くことにした。それが本書です。

●コロナ危機によって「遠い未来」が「近未来」になった

『馬鹿ブス貧乏で生きるしかないあなたに愛をこめて書いたので読んでください。』を書いていた二〇一九年においても、今の時代が大きな大きな変化を前にした階段の踊り場ような時期であることは、わかっていた。

 大きな大きな変化とは、どのような変化だろうか。

 内閣府や省庁のウエッブサイトには、数年前から「Society 5.0」だの「スーパーシティ構想」だの「ムーンショット目標」だの、政府が一〇年後二〇年後に実現させるつもりのヴィジョンが開示されていた。それらを読むと、まるでSFだった。「アバター」なんて言葉が普通に出てくるのだ。

 官公庁のウエッブサイトは面白い。あれを丹念に読めば、卒業論文程度ならば、ネタ探しに事欠かない。資料も無料でいくらでも手に入る。

 日本政府が、主体的に「Society 5.0」だの「スーパーシティ構想」だの「ムーンショット目標」だの考えるはずがない。どこからか指令が来ているに決まっている。日本は属国としての歴史が長すぎる。

 指令しているのは(世界を動かす超特権的支配層の走狗(そうく)的機関である)「世界経済フォーラム」(WEF/ The World Economy Forum /ダボス会議)らしい。パソナグループ取締役会長の竹中平蔵がこの組織の評議員を長く務めている。このWEFは「第四次産業革命」をめざしている。AI化ロボット化が普通になる世界が二〇五〇年頃までに実現すると断言している。

 この世界を動かす人々は、人類が抱える諸問題は、SFのように見える手段によって解決すると思っているらしい。

 それも一理ある。人類の精神の進化に期待しても、その歩みは遅々(ちち)としている。遅すぎる。キリスト教諸国も仏教諸国も、キリストや釈迦の教えをいまだに実現できていない。遺伝子の突然変異による人類の精神の進化にも期待できない。突然変異なんて滅多に起きないのだから。したがって、科学技術の発展で人類の限界を広げるしかないというのは、わかる。

 加えて、人類にとっての人跡未踏(じんせきみとう)の希望の地はサイバー空間しかないようだ。それ以外は、もう地球上には残っていない。どこかの惑星に移住して人類社会のやり直しを試みることもできそうにない。巨大な宇宙ステーションを構築して、そこに選ばれた人類のみが住むというプランを持っている人々もいるが、それも、今の人類の身体条件のままでは無理だろう。ほんとうは、人類は月面着陸さえしていないらしいではないか。

 もはや、科学技術の発展を加速化させ、オンライン化AI化ロボット化を進め、人類の限界を突破し、エネルギー問題や少子高齢化問題や階級格差や教育格差を解消するしかないのだ。

 科学技術の発展(正確にいえば軍事技術の民間への放出なのだが)によって、現代世界が抱える問題を解消させる未来を実現させることは、ある種の政治エリートや科学者にとっては最重要課題であった。二一世紀に入ってからは、そのような科学的啓蒙書(けいもうしょ)もいっぱい出版されるようになった。

 しかし、そのようなAI化ロボット化によって、普通の女性どころか普通の男性の仕事も消える。少なくとも、「今ある仕事」のかなりが不要になる。雇用が消えたら収入も消える。

 いくらAI化ロボット化によって商品やサービスの生産性が高まっても、商品やサービスを買うことができる人間がいなくては意味がない。だから、国民が消費力、購買力を持てるようにユニバーサル・ベイシック・インカムが導入されるべきだと論じる本の出版も、二〇一〇年代になってから目立つようになってきた。

 しかし、AI化ロボット化によって雇用が消え、ベイシック・インカムの導入が本格的に論議されるのは、まだまだ先のことだと私は思っていた。

 大企業はいざ知らず、日本の企業の九割以上を占める零細中小企業は、コスト面でAI化ロボット化する余裕がない。AIもロボットもメインテナンスには費用がかかる。ならば機械ができることでも人間にさせておくほうが低コストだから、あと三〇年は現状維持に近いだろうと私は甘く見積もっていた。

 特に、日本の役所や企業や学校は、変化に対してシレっと抵抗し、素知らぬ顔して旧態依然(きゅうたいいぜん)を反復する傾向が大きい。だから普通の女性の雇用についても、何とかなるだろうと私は思っていた。

 ところが、コロナ危機のために、「普通のそのへんの女性(と男性)の雇用が消える未来」が近くなってしまった。

 普通のそのへんの女性が多く雇用されている職場は、正規雇用にせよ非正規雇用にせよ、対面型接触型サービス業が多い。観光業や宿泊業の従業員に、小売店の店員や飲食店のホールスタッフに、航空会社のフライトアテンダントに、セックスワーカーを含む歓楽系接待業が多い。

 コロナ感染拡大を防ぐには、人間と人間が接する機会を減らすしかないのだから、緊

急事態宣言発出(はっしゅつ)以後の外出自粛期間には、これらの職に従事する女性たちは休業や自宅待機を強いられた。

 二ケ月近い休業要請による経済活動の強制停止により、多くの零細中小企業は苦しい経営を強いられ倒産も増えた。エリートではない普通の女性を雇用している職場は、日本の企業の九割以上を占める零細中小企業が多いので、女性の雇用がさらに収縮する。

 コロナの襲来は第二波も第三波もあるらしい。今回のウイルス騒ぎが収束するのは二〇二二年になるという予測もある。つまり、コロナ危機による休業要請などは今後も繰り返される可能性が高い。となると倒産閉店はこれからも増え、失業者は増加する。

 大企業勤務の女性も安穏(あんのん)とはしていられない。リストラも多くなる。在宅勤務のリモートワークやオンライン化が、ウイルス感染拡大を招く三密状態を回避するために急いで導入されたので、そのために雇用形態の変化も起きる。

 経営者は、「職務定義書(しょくむていぎしょ)」(job description)を明確にすれば、社員が在宅勤務でも同じような成果が出せるとわかった。週五日出勤体制は無用だとわかった。高い賃料を払って都心のオフィスを確保しなくてもいいとわかった。社員食堂も用意しなくていいとわかった。

 ついでに、「職務定義書」が明確であれば外注できるから、正社員を雇用しなくてもいいということもわかってしまった。

 ひいては、企業に必要なのは、株主と経営者と具体的な実働(じつどう)要員(タスク・フォース)に明確な課題や指示を出すことができるだけの管理職がいればいいとわかった。鳥のような俯瞰(ふかん)的視野と虫のように細部を見る目を持った優秀な管理職さえいれば、他の社員は全員派遣でもいいとわかってしまった。この管理職でさえ、「ビッグデータを随時更新して自己学習する人工知能」ができれば無用になるかもしれない。

 この動きは止まらない。世の中というのは変わるときにはサッと変わる。

 人間が余る。人間の在庫が多くなる。

 人間の在庫が多くなる近未来を、馬鹿ブス貧乏な女性は生き抜けるのか? ただでさえ、私を含む馬鹿ブス貧乏な女性にとっては、生き難い世界なのに。

●ほとんどの人間が「無用者階級」になる近未来

 私たちが生きている資本主義社会というのは、資本家がコスト削減し、利潤拡大し、蓄積された利潤を増大(ぞうだい)させるために投資を繰り返す運動だ。一番のコストは人件費だ。労働者に支払う賃金だ。資本家にとって賃金を支払わずに済む労働力が理想だ。だから、可能ならばAI化ロボット化に移行するのは当たり前だ。資本主義は不可避にその方向に行く。

 コロナ危機は、その動きを加速させた。コロナ危機は、今までの世界のビジネスのあり方や仕事のあり方を激変させたというよりも、前々から予測されていたことの実現を速めることになった。そういう時代は、それに応じて人間の生き方も変わることになる。

 だから、イスラエルの歴史学者ユヴァル・ノア・ハラリ(Yuval Noah Harari,1976-)は、『ホモ・デウス―テクノロジーとサピエンスの未来』(柴田裕之訳、河出書房新社、二〇一八)の下巻一四七頁の「無用者階級」というセクションにおいて問題提起したのだ。

「二一世紀の経済にとって最も重要な疑問はおそらく、厖大な数の余剰人員をいったいどうするか、だろう。ほとんど何でも人間よりも上手にこなす、知能が高くて意識を持たないアルゴリズムが登場したら、意識のある人間たちはどうすればいいのか?」(『ホモ・デウス』下巻一四七頁)と。

「アルゴリズム」というのは、問題を解くための数学的計算手順のことだ。プログラミング言語を使って、問題の解決手順を記述したものをコンピューターのプログラムと呼び、それを実行すると、有限時間内に解が得られるものが正しいアルゴリズムである(二〇〇七年版『知恵蔵』筑波大学名誉教授星野力の解説より)。

 ほとんどの人間は、今まではプロレタリアート(Proletariat)、「無産階級」であることで苦しんできた。とはいえ、「無産」でも労働すれば賃金を得ることができた。しかし「無用者階級」になったら、どうすればいいのか。無用者階級でも死ぬまでは生きている。死ぬまでの時間を合理的に(=自己に真に利益があるように)使わねばならない。

 賃金労働は最も合理的な暇潰(ひまつぶ)しであった。賃金労働は最も効果的な学習機会であった。賃金労働が消えたら、人類は、どうやって暇潰しをするのだろう。

 これは人類史始まって以来の大衝撃で大変化だ。人類に突き付けられた大挑戦である。うまくいけば、全人類が賃金労働から解放され、真に自分のしたいことができる時代が来るのかもしれない。そのときには労働すら余暇活動になるのかもしれない。

 ただし、そういうチャンスに満ちた未来の到来の前に「過渡期(かとき)」というものがある。

この過渡期は二〇年間くらいだろう。長くて三〇年。つまり、二〇四〇年までか五〇年までは過渡期だろう。あなたが生きる時代は、もろこの過渡期にはまる。

 この過渡期は、ほぼ混乱状態でろくでもないだろう。おそらく、未来の「全人類が労働から解放され、真に自分のしたいことができる時代」の到来の前には、人口削減(さくげん)時代があるに違いない。

 人口削減は戦争によるのか、より平和的に非暴力的にパンデミック襲来の反復によるのか、あるいは死という副作用のある類のワクチンによって実現させるのか、福祉政策を捨てるのか、人工気象装置で大地震でも起こすのか、それはわからない。

 なぜ人口削減されることになるのか。よりマシな時代にするには人類が多すぎるから。人間の在庫が多すぎるから。ここらあたりの事情は、副島隆彦の『余剰の時代』(KKベストセラーズ、二〇一五)を読んでください。

 ほんとうは、人間は余っているのです。その証拠に、少子化対策など日本政府は本気でしていないでしょう? 反対に、結婚も出産も育児もしにくい社会を放置しているでしょう? ほんとは、少子化でいいのです。

 ともかく、普通の庶民は、この過渡期にさんざん翻弄(ほんろう)され、「無用者階級」確定だ。難儀(なんぎ)なことだ。

 二〇四〇年に生きていれば、私は八七歳。その頃には、日本でも生と死に関する哲学

も進化して、「安楽死」が合法(ごうほう)になっていればいいのだが。しかし、まだまだ日本人はその段階には達していないかもしれない。

 二〇四〇年では、庶民が身体を機械化して老いの不快さや不便さを解消できるサイボーグになれる状態を享受(きょうじゅ)できるほどには、科学技術が安価に利用できる段階にも至っていないだろう。そうなると、八七歳の私は三〇〇%「無用者階級」だ。

 ハラリのような高名な学者が、私のような余った人間を「無用者階級」と呼ぶことについては、どうでもいい。問題は、私にとっては、私自身は無用じゃないということだ。どんな時代になろうと、人間は自分自身の尊厳を否定できない。

「こんな人生なんて、こんな私なんて」と思っても、人間は自分自身のことを唯一の宝物(たからもの)だと思っている。その宝物が傷つくし苦しむから辛い。人間は、他人から「無用者階級」に分類されても、「無用者階級」ではいられない。無用者階級になってたまるか! 世界が私を必要としなくても、私自身は世界に居座る。

 本書の目的は、来(きた)るべきろくでもない近未来と、もうちょっと先の面白い(かもしれない)未来において、「無用者階級」と処理される「馬鹿ブス貧乏な普通のそのへんの女性」が、自分で自分を無用者階級にしないための対策を考えることにある。

 ここで、あらためて私が意味するところの「馬鹿ブス貧乏」の定義を、もっと露骨に明確にする。

「全人口のうち上位三%の知力の持ち主でなければ馬鹿」です。「知力」の定義が難しいですが、まあここは適当に考えて下さい。一九四六年にイギリスで創設されたメンサ(MENSA)の条件は、全人口のうち上位二%の知能指数の持ち主が会員の条件だそうだから、メンサよりは条件が緩いかもしれません。

「美貌やプロポーションの良さだけで高収入を得ることができないならブス」です。

「どんな政治的社会的変動があっても、生活が安泰な超富裕層以外は貧乏」です。

 つまり、普通のそのへんの人間は、全人口の九七%くらいの人間は、みな「馬鹿ブス

貧乏」です。不愉快でも受け容れてください。

●本書の構成

 本書は、一五の章に分かれている。本書に収録された文章のほとんどは、KKベストセラーズ社のウエッブマガジンBEST T!MESに、二〇二〇年三月から一〇月の間に発表したコロナ危機関連の文章に加筆したものだ。

 インターネットでは長い文章は、あまり読まれない。タブレットやスマホの画面で読める文章の字数には限りがある。だから、BEST T!MESに掲載された記事の文字数は長くても六〇〇〇字が限度だった。ほんとうは二〇〇〇字くらいが妥当らしい。

 だから、書いても割愛(かつあい)せざるを得なかった部分が多かった。私が考えていることは、世間(せけん)一般からすると不快で危ないことが多いので、そのあたり最少にするためにも割愛した部分が多かった。本書に収録するにあたって、それら割愛した文章を思いっきり復元させた。まったくの書(か)き下(お)ろしは、最終章の第一五章だけである。

 各章の記述には繰り返しがちょっと散見される。その点は、反復されることによって理解が深まると前向きに解釈していただければ、ありがたいです。

 また、各章の最初に、その日付の累積コロナ感染者数と累積死亡者数が記されている。その数字は、厚生労働省が毎日正午に発表したものだ。

 日本におけるコロナ危機の最初の段階では、外国人観光客の感染者が多かったので、累積コロナ感染者数のうちの日本国籍者数を厚生労働省は発表していた。四月に入ったあたりから、累積コロナ感染者数のうちの日本国籍者数は発表されなくなった。だから、本書でも、途中から累積コロナ感染者数のうちの日本国籍者数を記入していない。

 さて、どこからでも、ご興味のおありになるところから、読んでやってください。てっとり早く結論を知りたいと思う方は、最終章からお読み下さい。できれば順番に読んでいただきたいです。今回のコロナ危機が、自然発生的なものではなく、世界をある方向に引っ張っていくための操作だと私が思うことに、あなたも共感してくださると思うからです。そして未来がどういう世界になるのか、イメージが明確になると思うからです。

 これから、大変な時代が来ます。しかし、あなたの生き方によっては、退屈しない面白い時代が来ます。その時代を迎え撃つための準備として、本書が少しでもあなたのお役に立つのならば嬉しいです。

=====

やはり長いまえがき …………18

本書はコロナ危機に対する著者の不安と恐怖解消活動の副産物 …………18

コロナ危機は世界を強引に「ある方向」に進ませる …………20

コロナ危機によって「遠い未来」が「近未来」になった …………22

ほとんどの人間が「無用者階級」になる未来 …………28

本書の構成 …………33

 

1 コロナ危機があらわにした日本の家族の問題 …………37

11 前代未聞(ぜんだいみもん)! 学校が一斉休校になった! …………38

12 現代日本の学校は学校以上「デイケアセンター」 …………39

13 ほんとうは日本人は子どもが嫌い? …………41

14 育児に要求されることが多い現代 …………45

15 中産階級が生まれた近代から子育ての苦労は生まれた …………46

16 古代から親の三〇%(?)は毒親 …………49

17 一九九〇年代から可視化された毒親問題 …………51

18 悪魔のような親は存在する …………53

19 残虐(ざんぎゃく)な事件の実態は報道されない ………… 54

110 古代からあった家族内性的虐待 …………57

111 毒親もいれば「毒子」もいる …………61

112 あらためて認識された学校給食の決死的重要性 …………66

113 日本の家族の機能不全を受容するしかない …………68

2 コロナをめぐる権力者共同謀議論を漁(あ)さる …………71

21 ウイルス発生源をめぐるネット界の噂 …………72

22 ウイルスが中国製だろうがアメリカ製だろうが …………74

23 ウイルスワクチン販売促進のための都市封鎖? …………77

24 グローバリズムはパンデミックを不可避に生む …………80

25 経済危機の犯人をコロナのせいにするための都市封鎖? …………83

26 混沌とした世界を理解する一助としての権力者共同謀議論 …………84

3 アフターコロナには監視管理社会になるらしい …………87

31 国際的知識人の見解にご用心 …………88

32 ユヴァル・ノア・ハラリは監視管理国家を予測する …………90

33 コロナ危機で強化される国民監視体制を暗に支持? …………91

34 自由より安全を選べば監視管理社会になる …………94

35 未来予測なのかシナリオなのか? …………96

4 剰余価値も生み出せない生産性のない労働者だった自分に気がつく …………97

41 コロナ危機での各国政府の巨額財政負担は大丈夫なのか? …………98

42 前例(ぜんれい)のない大盤振舞(おおばんぶるま)いをする各国政府 …………100

43 日本の財政出動もすごい …………102

44 各国の大型財政支援はMMTの正しさの証明か? …………103

45 MMTが官僚支配の社会主義に見えてしまう私 …………106

46 副島隆彦の『経済学という人類を不幸にした学問』の衝撃 …………109

47 どんな経済政策でも失敗すると想定しておく …………115

48 経済学的には「無用者階級」である自分にあらためて気がつく …………118

5 高等教育のオンライン化は教育格差解消に貢献できる …………121

51 コロナ危機前から大学はすでにオンライン化が進行していた …………122

52 アメリカには完全オンラインで学位取得できる大学は四〇〇以上 …………123

53 日本の完全オンライン大学は二〇二〇年現在二大学のみ …………126

54 オンライン大学講座ならば日本でも盛んである …………128

55 高等教育のオンライン化が進むべき理由 …………129

56 現代大学生のお金事情―奨学金という借金 …………132

57 オンライン化の問題もある …………137

6 章官公庁のサイトには公開されているけれど国民の多くが知らない国策 …………141

61 小中高のオンライン化はコロナ危機前からの国策 …………142

62 補正予算二三一八億円規模の「GIGAスクール構想」 …………144

63 Society 5.0時代に適応できる国民を育成すること …………146

64 Society 5.0時代の暮らしを想像する …………148

65 Society 5.0は国民のデータを集める監視管理社会でもある …………150

66 あまりにタイムリーなコロナ危機 …………152

7 コロナ危機は「第四次産業革命」実現のための布石(ふせき)…………155

71 田中宇(たなかさかい)の「新型コロナウイルスの脅威を誇張する戦略」説 …………156

72 WEFの第四次産業革命 …………157

73 日本政府の未来目標は第四次産業革命の焼き直し …………160

74 「ムーンショット目標」の驚愕(きょうがく)する中身 …………161

75 石黒浩の『アンドロイドは人間になれるか』を読むべし! …………164

76 人類に残されたフロンティアはサイバー空間だけ …………168

77 二〇二一年のWEFのテーマは「グレート・リセット」! …………170

8 世界支配層御用達(ごようたし)機関と御用学者が奇妙に道徳的になっている …………173

81世界支配層の代理人たちが道徳を唱え始めたほど世界は危機に瀕している …………174

82 「資本主義ではなく才能主義へ」と言うWEF会長 …………175

83 クラウス・シュワブとジャック・アタリの奇妙さ …………176

84 『2030年ジャック・アタリの未来予測』は利他主義を説く …………179

85 国連は一七の持続開発目標SDGsを掲げる …………183

86 未来世界の企業はCSRの実践があたりまえ? …………186

9 アフターコロナの雇用収縮は女性にとってこそ大問題 …………191

91 コロナ危機は「女性の最後の職業」をも脅かす …………192

92 対面型接触型サービス業で食べていくのは無理かもしれない …………194

93 コロナ危機により促進される在宅勤務と雇用形態の変化 …………196

94 メンバーシップ型雇用からジョブ型雇用へ …………198

95 限りなく派遣に近いタスク型雇用 …………202

96 Society 5.0における働き方 …………205

97 有史以来の女性の危機はチャンスでもある …………207

10 不穏な盛夏にアフターコロナ対策本出版ラッシュ …………213

101 不穏さを秘めた盛夏 …………214

102 アフターコロナ対策本出版ラッシュ …………216

103 タフなフリーランスが期待される被雇用者 …………217

104 幅広く深い教養を持つことが期待される被雇用者 …………218

105 リベラルアーツとAIリテラシーを身に付けるのが期待される被雇用者 …………220

106 雇用消滅後の人生にこそリベラルアーツ …………222

11 章近未来は最悪を予想しておくぐらいが丁度よい …………225

111 近未来予測動画が伝えるのは大恐慌と預金封鎖と監視管理国家の完成 …………226

112 某有料会員制セミナーの未来予測は人口削減で「新世界秩序」完成 …………229

113 来るべき食糧危機に備えよ …………230

114 地球の支配者は宇宙人だという説もある …………231

115 「ディープ・ステイト」の現在 …………235

116 米中戦争は二〇三〇年? …………237

117 未来は独居高齢者見守りロボットで孤独死問題は消える …………238

118 近未来の庶民の暮らしはどん底 …………241

12 消える仕事ではなく「今ない仕事」を考える …………243

121 「今ない仕事」を想像する楽しさ…………244

122 二〇三〇年には、あなたはアバターを駆使できる…………246

123 職種は永遠ではない…………247

124 人間至上主義(西洋近代啓蒙思想)は失敗したのか?…………249

125 人間の社会性と創造性を全開させるのはこれから…………251

126 私が欲しい「今ない仕事」…………254

127 私が欲しい今ない仕事「サイコパス出生防止技師」を弁明する―中絶合法化がアメリカの犯罪者を減らした …………256

13 デジタル化の必要性を真に日本人が認識していないのが問題だ …………261

131 菅政権「デジタル庁」創設…………262

132 デジタル化が必要な真の理由はコロナ危機でも資本主義のコスト削減でもない…………265

133 デジタル化してこそ人類に未来がある …………268

134 機械が人類を滅ぼすより、人類が人類を滅ぼす可能性のほうが高い …………271

135 身体の機械化への抵抗が小さくなりつつある現代 …………272

136 肉体にうんざりしつつある人類 …………275

137 テレワークに向いた回避型人類 …………276

138 霊肉分離の兆候 …………279

139 女性こそICTスキルを学ぼう …………282

14 コロナ危機のために女性の自殺者が増えている! …………285

141 七月からずっと女性自殺者数が増加している …………286

142カネも気晴らしもない鬱屈と未来への不安と孤独感は特に女性を蝕(むしば)む …………287

143 反出生主義者で「地球は地獄だ」と思う私 …………290

144 私が自殺しなかった理由 …………292

145 ダメもとで他人に助けを求める …………298

15 無用者階級になってたまるか! …………301

151 ICTスキル学習 …………302

152 困窮したら公的支援について調べ利用する …………302

153 平々凡々な日常生活を楽しむ達人になる…………306

154 食糧難に備えて小食を習慣にし、自分で食料生産してみる …………309

155 信頼できる人を気長に見定め確保する …………312

156 学び続けていれば怖くない …………315

157 「ほんとうに好きなこと」を見つける …………316

158 魂の不滅を信じる蛮勇を持つ …………319

159 無用者階級に甘んじたくないなら読むべき二冊 …………323

あとがき …………326

文献リスト(紹介順) …………328

=====

あとがき

 本書は、私のコロナとコロナ危機に対する不安と恐怖を敢えて追いかけた記録でもあるし、コロナ危機によって状況が変わり、前著『馬鹿ブス貧乏で生きるしかないあなたに愛をこめて書いたので読んでください。』で書いたことが通用しなくなったので、前著の補足版でもあることは、すでに書いた。

 しかし、この出版不況の時代に、そんなものを書籍にする意味はあるのだろうか? 売れるとも思えない。コロナの襲来が反復されれば、書店はまた休業してしまうのに。

 しかし、KKベストセラーズの編集者である鈴木康成氏は蛮勇を振るって、「出しましょう!」と言ってくださった。ありがとうございました! またも大変にお世話になりました。

 KKベストセラーズのWEBマガジンBEST T!MESの担当編集者の山﨑実氏にも、お世話になりました。ありがとうございました! ネットコラム記事にしては長い原稿ばかりを送りつけて申し訳ありませんでした。

 前著と同じく、本書の素敵な装丁を担当してくださった大谷昌稔(おおたにまさとし)氏に感謝いたします。ありがとうございました!

 前著と同じく、本書の不思議な気の明るさのあるカバーイラストを担当してくださった伊藤ハムスター氏に感謝いたします。ありがとうございました!

 そして、私の第二作である本書を読んでくださったみなさまに、この場を借りてお礼を申し上げます。ありがとうございました!

 正直言って、二〇二〇年はくたびれた。

 さてさて近未来は、さらにくたびれるのだろう。それでも、迎え撃つしかない。退屈しなくていい。

二〇二〇年秋
(貼り付け終わり)
(終わり)

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 古村治彦です。
bakabusubinboudeikirushikanaianata001
馬鹿ブス貧乏で生きるしかないあなたに愛をこめて書いたので読んでください


 今回は、藤森かよこ氏の初の単著『馬鹿ブス貧乏で生きるしかないあなたに愛をこめて書いたので読んでください。』をご紹介する。藤森氏は桃山学院大学や福山市立大学出教鞭を執った英文学専攻の元大学教授だ。アメリカの作家アイン・ランドの古典的ベストセラーで、アメリカの大学生の必読書と呼ばれる『水源―The Fountainhead』や『利己主義という気概ーエゴイズムを積極的に肯定するー』の翻訳でも知られている。

 今回初の単著は人生論、特に女性向けの人生論になっている。しかし、私のような冴えない中年男性にとってもなるほどと思わせてくれる内容になっている。

 是非お読みください。よろしくお願いいたします。

(貼り付けはじめ)

 

『馬鹿ブス貧乏で生きるしかないあなたに愛をこめて書いたので読んでください。』

 

■長いまえがき

 

●本書の著者は低スペック女子の成れの果てである

 

 本書の著者はブスで馬鹿で貧乏である。ただし、鈴木大介の『最貧困女子』(幻冬舎新書、二〇一四年)に描かれているような貧困は知らない。賃金労働をしなければ食べていけないし、大不況や預金封鎖などの社会的経済的大変動があれば、すぐに食い詰めるという意味での貧乏だ。

 本書の著者はブスだ。顔やスタイルで食っていけないならばブスだ。「繁華街を歩いていてスカウトされたことがない」なら、立派なブスだ。

 本書の著者は馬鹿である。一を聞いて一を知るのが精一杯である。学校の勉強もできなかったし、地頭(じあたま)がいいわけでもない。平々凡々であり、ちょっと努力しなければ、すぐにゴミになる。

 本書の著者には、輝かしき幼年期も青春期も中年期もなかった。すべてが悪戦苦闘だった。本書の著者には、輝かしい老年期もないだろう。死ぬまで悪戦苦闘は続く。

 現代という時代は、ほとんどの人間に敗北感を感じさせる。現代という時代が人間に要求するスペックは高過ぎる。

 無理しないで自然に「ありのままに」生きていけばいい? 「ありのままに」生きていたら、本書の著者はただの廃人だ。

 

●低スペック女子向け自己啓発本がない

 

 本書の著者は、ブスで馬鹿で貧乏であり、何をするにも中途半端ではあったけれども、向上心だけは人並みにあった。だから、若い頃から自分の低スペックを何とかしたくて、手当たり次第に自己啓発本を読み漁(あさ)ってきた。

 書物というものは、ただ読むだけでは単なる時間つぶしでしかない。書物に素晴らしい助言や洞察が書かれていたら、それを実践して成果を得なければ意味がない。貧乏なんだから、消費するだけの読書なんかやっていられない。

 しかし、本書の著者は、特に成果はない無意味な読書を長年続けたあげく、とうとう気がついた。

 本を書く人間というのは、もともとスペックが高い。そーいう人の書く本は、自分のスペックの低さに苦しんでいる人間にとっては役に立たない! やっと気がついた。だから本書の著者は馬鹿だ。

 

 しかし、本書の著者は、特に成果はない無意味な読書を長年続けたあげく、とうとう気がついた。

 本を書く人間というのは、もともとスペックが高い。そーいう人の書く本は、自分のスペックの低さに苦しんでいる人間にとっては役に立たない! やっと気がついた。だから本書の著者は馬鹿だ。

 

●たとえば本多静六著『私の財産告白』

 

 貧乏な人が読むべき古典的自己啓発本に、本多静六[ほんだせいろく](一八六六―一九五二)の『私の財産告白』(実業之日本社文庫、二〇一三年)がある。一九五一年(昭和二六年)出版以来、二一世紀の今にいたるまで版を重ねてきた知る人ぞ知る名著だ。

 ちょっと話が長くなる。しばし我慢して読んでください。

『私の財産告白』の著者の本多氏は、苦学のすえに東京農林学校(東京帝国大学農学部の前身)で学んだ。ドイツに留学して林学を学んだ。帰国後は、日比谷公園を始めとして日本中のほとんどの大公園を設計し、「日本の公園の父」と呼ばれた。

 そもそも明治時代になるまで、日本には「公園」というものはなかった。領主の領地と私有地があるだけで、誰でも無料でウロチョロしていい公園は存在しなかった。だから現在にまで残る大きな公園を設計した本多氏の業績はすごい。福岡の大濠(おおほり)公園も名古屋の鶴舞(つるま)公園も本多氏の設計による。

 そのほかに、本多氏は、東京駅丸の内駅前広場の設計をした。関東大震災からの復興

原案も作成した。

 本多氏は、ドイツ留学時代に指導を仰いだドイツ人教授の生きかたに感銘を受けた。

ドイツの一流大学の教授は、ただの専門馬鹿の浮世離れしている学者ではなかった。自

身の自由な学問研究のための金銭管理や資産形成にも怠(おこた)りなかった。

 確かに、いまどきの日本の大学の研究者のように、研究費や科研費(文部科学省と日

本学術振興会が担当する学術研究助成基金助成金や科学研究費補助金のこと)だの民間

の補助金だの寄付だの他人のカネをあてにしていては、真に自由な学問研究はできない。

科研費や補助金の審査に通過しやすい申請書を作成しなくては、科研費も補助金も獲得

できない。

 いくら意義ある研究でも、「大麻の安全性とその有効利用」とか、「疾病(しっぺい)製造装置としての定期集団健康診断」とか「政府崩壊後の社会構築の方法」とか「日本属国脱却法研究」とか「日本支配層とイルミナティの連携」とか「横隔膜(おうかくまく)活用による男性妊娠法研究」というテーマは、おそらく日本学術振興会によって採択(さいたく)されないだろう。

 また審査する研究者の専門分野の存在理由を脅(おびや)かす類の研究テーマも採択されないだろう。「文学は価値があるが文学研究は趣味でしかないので、文学研究に科研費投入は公費横領であることを証明する研究」なんて研究は採択されない。審査するのが文学研究者ならば。

 ところが、さすがに本多氏は慧眼(けいがん)で独立独歩の気概(きがい)ある方だった。ほんとうの研究者になるには、自分の自由になる自分自身の資産を形成することが必要だと考えたのだから。

 で、帰国後は、夫人の協力を得て、「月給四分の一天引き貯金」を実践した。四〇代からは株式投資も始め資産を増やした。山林も購入した。売れる書籍の原稿を毎日一ページ書くことを日課とした。著書は三七〇冊を超えるまでにいたった。

 おかげで、本多氏は海外調査も自費で何度もできた。それも一流ホテルに宿泊した。日本人として堂々と臆することなく威(い)を張るために。公金である科研費を使って海外の学会に出席と言いつつ物見遊山(ものみゆさん)しているような類(たぐい)の現代の日本の大学教授とは、本多氏は志(こころざし)が違った。

 なのに、そこまでして築いた資産を、本多静六氏は東京帝国大学停年時には全額寄付した。本多氏は、かくも非凡な研究者だった。

 本書の著者は本多氏の生き方に感動した。しかし、本多氏の名著は、本書の著者にとっては猫に小判だった。デブ女にピンヒールだった。

 本書の著者は、この名著を何度も読み返した。しかし、月給の二五%預金などできたためしがなかった。こんなに単純なことでさえ実践できなかった。

 いかに名著でも、いかに確実な方法が提案されていても、本書の著者のようなスペックの低い人間には実現不可能なのだ。

 この世に出版物は多い。しかし、ほんとうにスペックの低い人間にとって実践可能な方法は書いてくれていない。

 

●たとえば上野千鶴子著『女たちのサバイバル作戦』

 

 まてよ、本書の著者は女性なのだから、女性の問題を論じた本を読むべきであって、男性が書いたものでは参考にならないのではないか?

 そう思った本書の著者は、女性のための自己啓発書も随分と読んだ。中でも、上野千鶴子氏の著作は一九八〇年代から随分と読んだ。

 厳密に言えば、社会学者である上野氏の著作は女性用自己啓発本ではない。あくまでも社会科学の面から見た女性問題を啓蒙(けいもう)的に分析するものだ。

 しかし、本書の著者にとっては上野氏の著作は自己啓発本だった。女性がこの世界で

遭遇(そうぐう)するであろうさまざまな困難が、より大きな政治や社会や経済の文脈の中で鮮やかに分析されていた。個人の努力では超えることができない問題にぶつかり、自責することしかできなかった女性たちに、上野氏の著述は、より大きな視野を与えてくれた。

 本書の著者は上野氏の御著書を読むと、グジャグジャな脳の中がクリアに整理され頭が良くなったような錯覚を起こしたものだった。

 あなたが何歳であれ、女性としてのあなたが二一世紀の今現在置かれている政治的経済的社会的状況を把握(はあく)したいのならば、上野氏の『女たちのサバイバル作戦』(文春新書、二〇一三年)は必読だ。

『女たちのサバイバル作戦』には、一九八六年の雇用機会均等法の施行(しこう)から現在にいたる女性を取り巻く労働環境の変化と女性間格差拡大の問題が論じられている。決して楽観的にはなれない日本と世界の現在と未来において、女性がどうあるべきかという提言もなされている。

 上野氏は、もちろん政府や企業のすべきことも提言している。女性個人に対しては、経済的には「マルチプル・インカム」をめざすように提言している。要するに、いろんな方法で稼ぎなさいね、ということだ。

 上野氏は、自分自身の中に多様性を取り込むことも提言している。組織に終身雇用されて生きる従来の勝ち組の生き方は誰にとっても不可能になりうるという予測のもとに、さまざまなことをして稼ぎつつサバイバルしていくことを推奨(すいしょう)している。

 同時に、女性間格差を越えて社会構造的に弱者にならざるをえない女性同士の「共助(ともだすけ)」を提唱している。

 とはいえ、本書の著者は、上野氏の著作にいろいろ教えられながらも、「やっぱり私の求めるものとは違うなあ」と思わざるをえなかった。

 たとえば、いろいろなことができるようになってマルチプル・インカムを達成して稼ぐにしろ、「共助け」できる友人ネットワークを構築するにせよ、本書の著者には無理だ。不可能です。

 本書の著者はブスで馬鹿で貧乏だから、いろいろなことができない。何をさせてもうまくできたためしがない。

 それから、ブスで馬鹿で貧乏なので、傷つきやすいことが多く、他人とネットワークなど作れそうもない。面倒くさい。そもそも他人があまり信用できない。

 ブスで馬鹿で貧乏だからこそ、本書の著者は、人間というものが、いかに悪意に満ちたものであり、くだらない位(くらい)取り(自分のほうがここは上だとか、優れているとか、比較品定めすること)ばかりしがちなことを知っている。本書の著者には、そういう人々の悪意や邪気を包み込めるような大きな人間愛はない。

 また上野氏の言う「共助け」とは、相互扶助とか互恵関係だと思われるが、本書の著者は他人に有益な何かを自分が与えることができるとは思えない。

 ともかく、ブスで馬鹿で貧乏だと、ついつい自分自身にも他人にも過大な期待はしなくなる。ましてや政府や行政になど。

 

●たとえば田村麻美著『ブスのマーケティング戦略』

 ならば、もう少し敷居(しきい)の低い田村麻美の『ブスのマーケティング戦略』(文響社、二〇一八年)ならばどうだろうか。

『ブスのマーケティング戦略』は、自分はブスであると早々と小学校時代に自覚した田村氏の青春の記録だ。『ブスのマーケティング戦略』には、自分を商品として査定し、自分が売れるマーケットを模索(もさく)し、豊かな性体験もキャリアも男も子どもも獲得し、ブログが認められ本まで出版する過程が赤裸々に楽しく描かれている。

 この本は実に面白い。無茶苦茶に面白い。これほどに正直で率直な女性用自己啓発本はない! すべての日本の高校は、女子高校生用課題図書として『ブスのマーケティング戦略』を選ぶべきだ。

 が、本書の著者は、この素晴らしい現代日本女性の自己啓発本に対してでさえも引いてしまう。

著者の田村氏は、単なるブス (写真で見る限りそれほどのブスではない)ではない。

非常に頭のいい観察力のある女性だ。実行力も行動力も度胸もある。税理士という立派な国家資格も持っている。高校は埼玉県一番の進学校だ。立教大学経済学部出身で、立教大学大学院の博士課程前期(修士課程のこと)も修了している。二〇一八年現在で早稲田大学のビジネススクールに在籍中だ。MBA(経営学修士号)取得後は、税理士としてばかりでなく経営コンサルタントとしても活躍する予定の方である。

 ブルータス、お前もか。やっぱり、自己啓発本を書くことができる人は高スペックな

のだ。

「自分にうそをつくな! かっこつけるな! 好かれたいんだろう! セックスしたいんだろう! その愛欲・性欲を認め、エネルギーにするんだ!」と堂々と書ける女性は非凡に決まっている。

 本書の著者には、自分を商品として売り出すマーケティング戦略なんて無理だ。そんな分析力も思考力も実行力もない。だって馬鹿だもん。

 

●自分で書くしかないし老後対策も必要

 

 というわけで、この世に出版物は多いが、ほんとうに低スペック女子にとって共感できるし、実践可能な方法は書いてくれていない……と、本書の著者は、あらためて思った。

 本書の著者は、そろそろ自分の人生の果てが先に見えてきた年齢だ。だから、分不相応(ぶんふそうおう)にもこう思うようになった。じゃあ、何につけても中途半端な低スペック女子向き自己啓発本を誰も書いてくれないならば、私が書こうと。遺書のつもりで書いちゃおうと。

 現代日本には、おびただしい数の本が毎日出版されている。そこに本書の著者のような中途半端な馬鹿が書くものを加える意味はない。全くない!

 ではあるが、本書の著者には、老後対策として本なるものを書かねばならないという切羽(せっぱ)詰まった事情もある。本書の著者は、退職後に年金生活者になっても、書籍をやたらに注文する癖を矯正できない。せめて本代くらいは稼がなければ食べてゆけない。

 しかし、アルバイト的なものにせよ雇われての賃金労働はしたくない。本書の著者は、何につけても中途半端でブスで馬鹿で貧乏であるので、非正規雇用で四年間、正規雇用で三一年間の賃金労働をするのにさえも非常に難儀した。

 その楽しくない賃金労働のストレス解消のために収入はほとんど浪費したので、預金額も少ない。

 まだ現役で働いている夫がいるので、将来は夫の年金と夫の預金にたかる予定でいたが、その頼りの夫が二〇一八年秋に大腸がんのステージ3Cと診断された。

 夫の生存率を高めるべくやれるだけのことを本書の著者はするつもりだが、こればかりは神様の領域だ。

 それに加えて、国家財政破綻(はたん)に預金封鎖に新円切り替えで、庶民の預金は没収されるという噂もある。年金破綻もありえるそうだ。

 いや、日本の国家財政破綻説などは、国民から税金をさらに収奪したい人々が流すデマであるという見解もある。

 どちらが正しいのか、本書の著者にわかるわけがない。

 確実に言えることは、本書の著者の老年期も、青春期や中年期と同じく悪戦苦闘になるということだけだ。

 やっぱりね。

  ということで、収入の道を探るべく、本書の著者は本なるものを書くことにした。

 すみません。こんな志(こころざし)の低い理由で本を書くなんて。でも、これが掛け値のない真実です。

 

●本書の著者の紹介

 

 本書の著者の藤森かよこについて紹介する。

 私は一九五三年に愛知県名古屋市に生まれた。日本でテレビ放送が始まった年に生まれた。

 私は、高校生の頃から、「女だからという理由で損をする気はさらさらない」という意味でのフェミニストだった。自分で稼いで、自分で稼いだ金を好きなように自分のために消費して好きに暮らしたいだけだった。

 根が非常に怠惰なので、ほんとうは、好きなように消費できる優雅で気楽な類の家事をしなくていい高級専業主婦になりたかった。

 しかし、高収入の安全確実なエリート男を夫として絶対に獲得できるような家柄に生まれたわけではない。「玉の輿(こし)に乗る」ことができる美貌も持ち合わせていない。

 清貧で誠実な男の専業主婦となり清く正しく美しく慎ましく家事に励む生活をする気は全くなかった。私は清貧にも忍耐にも興味がない。家事はなるべくしたくない。そんな能力も体力もない。

 ならば、自分で働いて稼いで食っていかなきゃ。

 とはいえ、男女同一労働同一賃金の職は、私の若い当時は教員か医師か弁護士か官僚ぐらいしかなかった。当時の私は言語道断(ごんごどうだん)に無知であり、男女同一労働同一賃金の職種を、これら以外に知らなかった。

 これらの職種の中で、何とか私でも就けそうな可能性のある職は教員だった。義務教育の教員は無理だった。子どもには興味がない。保護者と関わるのも真っ平御免だった。残るは高校教員のみ。

 それで大学は地元の南山(なんざん)大学の文学部英文科に入学した。当時の南山大学文学部英文科(今はない)の偏差値は六〇ぐらいだったろうか。愛知県の県立高校の英語教員には南山大学出身者が多かった。私には、地元の国立大学の文学部や教育学部に合格する学力はなかった。

 有名国立大学か慶応大学か早稲田大学に行く以外は上京させないし、浪人も駄目と父に言われていた。大丈夫だよ、受かるはずないから。

 ところが高校の英語教師になるつもりだったのに愛知県立高校教員採用試験に落ちた。高校での教育実習の経験から、私は高校教員の職が勤まりそうもないと察知していた。だから落ちたショックはさほどなかった。

 しかし、ならば、さてどうしようか。

 すると、大学の英語教員になるという案が浮上(ふじょう)した。県立高校の英語教員の採用試験は狭き門だったけれども、大学の英語教員になろうとする人間の数は少ない。ならば狙(ねら)い目だ。

 大学の一般教養課程では英語は必修だ。大学の教員なら、授業があるときだけ出勤す

ればいいはず。毎日午前九時から午後五時まで働かなくていいはず。ラッシュアワーの

電車に乗る必要はないはず。夏休みもあるはず。大学の教員ならば、職場に自分の研究

室があり同僚と顔を付き合わせる必要はないはず。世間話しないですむはず。偏屈でい

いはず。

 ならば大学教員になろうと私は心に決めた。

  一九六〇年代や七〇年代は大学の新設も多かった。英語教員の採用が比較的多かった。

当時は、インターネットによる英語の自学自習システムもなかった。スカイプでの英会

話教育もなかった。英語専門学校へのアウトソーシングなどの外部に英語授業を委託し

て人件費を抑えることもなかった。どこの大学でも教養課程の英語教師を必要としてい

たので、雇用はあった。

 大学の英語教員になるには少なくとも修士号の取得が必要だと知った。だから母校の

大学の大学院文学研究科英米文学専攻(今はない)の修士課程に進学した。

 大学院では、英語教育にも文学研究にも興味はなかったので、研究の真似事をするの

に難儀した。論文なるものを書くのに非常に苦労した。

 論文を書くために買いまくり集めまくった書籍の山を眺めるたびに、「これだけ投資したのだから、絶対に元を取らねばならない!」と自分を励ましながら、どうでもいい論文を書き、どうでもいい研究発表を学会で重ねた。

 博士課程で必要単位を取得した後は非常勤講師を何年か続けながら、いくつかの大学に応募した。落選続き。地元の大学の英語教員は地元の名古屋大学出身者のひとり勝ち。もしくは東京や関西の有名大学出身者が有利。そんなあたりまえのことも知らなかった私であった。

 大学院の英文学の教授は「女の子は消費のための勉強をするべきであって、就職のことなど考えないように」と言った。失せろ、死ね、馬鹿。

 しかし、ソ連のチェルノブイリで原発事故があった一九八六年、私は岐阜市立女子短期大学にめでたく採用された。

 私は最終面接まで残ったふたりのうちのひとりではあったが、実のところ選考委員会は私ではない筑波大学出身の候補者を選ぶことを決めていた。当然だ。ところが、面接前日にその候補者が東京の大学に採用された。で、自動的に私が岐阜市立女子短期大学に採用された。奇跡が起きた!

 このときの喜びは忘れられない。これで健康保険も年金も大丈夫だ!

 私の大学院時代の後輩の女性のひとりは三七歳で自殺している。「年金のこと考えると心配で夜も眠れなくなるんです」と言っていた。私は三三歳で、やっと正規雇用の職に就けた。

 とはいえ公立の女子短大なので待遇は悪かった。名古屋から岐阜まで通うのも大変であった。長くいてもしかたないと私は思った。

 二年後に名古屋市内の金城学院大学短大部に応募して、一九八八年に採用された。ここでの採用は、選考委員にとって、地元で一番の「名古屋大学出身者より馬鹿だから扱い易くおとなしいだろう」と値踏みされてのものだった。どんな思惑(おもわく)からであろうと採用されれば、こちらの勝ちだ。これで年収は二倍になった。

 とはいえ安心はできなかった。当時から短期大学の消滅が予想されていたので、いつまでも短期大学の教員では職を失う恐れがあった。私は、あちこちの四年制大学に応募した。落選続き。やっと、八年後の一九九六年に大阪の桃山学院大学に採用された。四三歳だった。

 桃山学院大学は労働条件も非常によく、かつ学生とも楽しく過ごせた。上司や同僚にもややこしいのは少なかった。非常に非常に多忙だったけれども、充実した日々だった。

 しかし、年齢も五〇代半ばにさしかかると、ファイトが湧(わ)いてこなくなった。競争の激しい関西地域の中堅私立大学での教育サービス労働や、学内での教務関係や入試関係の仕事や、高校への出前授業などの営業活動をするのに疲れてきた。

 二〇〇八年には、すでに教師としてのやる気は消えていた。しかし、五〇代半ばで無職も困る。年金のこともある。

 そんな頃に、二〇一一年度より開設の広島県の福山市立大学に移らないかというお話をいただいた。場所を変えれば、やる気のなさに火がつくかもしれないと私は思った。

 奇しくも、あの三月一一日に大阪から広島県福山市に移動した。しかし、やはり無理だった。やる気もファイトも回復しなかった。健康問題も出てきた。定年退職を一年早め、二〇一七年三月に退職し、今日にいたる。

 これが私の履歴です。

 

●本書の構成

 

 この本は三部構成だ。青春期編、中年期編、老年期編と分かれている。老年期編がもっとも短い。私がまだ老人ビギナーだから、書けることに限りがある。ほんとうは老年期をしっかり経験した死後に書くべきだけれども、それは無理。

 少女時代編はない。子ども時代や幼い少女時代に留意すべきことは書かれていない。この本を読むあなたは、私と同じく、何をしても中途半端でブスで馬鹿で貧乏の低スペック女子だと思う。だから、子ども時代や少女時代に自己啓発本など読むはずない。

  ほんとうは、人生の競争は生まれたときから始まっている。乳幼児の時期の育てられ方は知能の発達に大きく影響を与える。一〇代の頑張りは充実した二〇代を作る。

 私の場合は、生まれてから三〇歳過ぎるあたりまで無知蒙昧(むちもうまい)であったので、その後にいろいろあがいても、遅れを取り戻すことは無理だった。まあ、しかたない。馬鹿で生まれ育ってしまったのにも何らかの意味はあるのだろう、と思うしかない。だからこそ、見える風景もあるのだろう。知らんけど。

 

●本書は「おすすめ本ガイド」でもある

 

 本書では、読めば有益な書籍もテーマに沿って紹介してある。すべて私が実際に読んで面白いし有益だと思った書籍ばかりだ。

 世に「おすすめ本ガイド」的書籍は多く出版されているけれども、私からすると、著

者の方々が取り上げる本は立派過ぎる。古今東西(ここんとうざい)の古典を並べられても困る。

 大手新聞が年末に知識人に発表させる類の「今年の三冊」なども敷居が高い。誰が読むんだ、あんなマニアックな本。新聞の書評欄も見栄を張っている感じ。読まずに書いている書評もある感じ。

 世評の定まった名著ではなく、気楽に読める類の一般書は「雑本(ざっぽん)」と呼ばれる。「雑本」だからといって内容が薄いとは限らない。有益でないとは限らない。人生を変えてくれる本が古典的名著ではなく、古書店の店先で一〇円や五〇円で売られている「雑本」と呼ばれる類のものであることは、実際に多いのだ(と思う)

 

●基本はひとり

 

 この本を手にしているあなたの立場はいろいろでしょう。独身かもしれない。既婚かもしれない。内縁関係かもしれない。同性愛者かもしれない。子どもがいるかもしれない。子どもがいないかもしれない。養子を育てているかもしれない。

 この本は、女性のさまざまな境遇の違いを敢えて無視している。どう生きるにせよ、あなたが自分で自分の人生に責任を負わねばならないことは同じだ。独身も既婚も子持ちも子なしも関係ない。

 どっちみち死ぬときは、ひとりだ。家族に囲まれてご臨終だろうが、孤独死だろうが、大地震で瓦礫(がれき)につぶされようが、核ミサイルによって蒸発しようが、大差はない。

 死ぬ瞬間に、あなたが自分の人生を肯定できるかどうかがポイントだ。何をするにしても中途半端でブスで馬鹿で貧乏だけれども、この人生ゲームを捨てずに逃げずによくやってきたね! 健気(けなげ)だったね! と自分の頭をナデナデできるかどうかがポイントだ。

 この本には、あなたにとって不快なことも書かれているかもしれない。ブスで馬鹿で貧乏なあなたは、たたでさえ不用心に無思慮に生きるはめになりやすい。そんなあなたが、それなりに世の中を渡っていくための大雑把な指針が、この本には書かれているのだから、耳障(みみざわ)りなはずだ。

 

●前もって書いておく大指針

 

 この「長いまえがき」の最後に、ブスで馬鹿で貧乏なあなたが常に常に留意しておくべきことを書いておく。

 ともかく、現実と幻想をゴッチャにしないこと。これは、現実なのか、自分の思い込みや願望に過ぎないのか、世間に流通している類のほんとうは根拠のないファンタジーでしかないのか、常に考えること。

 一般通念とかその時代の支配的考え方は、所詮はファンタジーであるかもしれないと常に疑うのは、馬鹿なあなたにとっては面倒くさいことだ。でも、あなたは馬鹿で貧乏だからこそ、この種の一般通念に騙されやすい。どうでもいいことに悩みやすい。

 現実とファンタジーを区別するということは、自分にできることとできないことを区別するということでもある。自分はひとかどの人間だとか有能だとか善意の塊(かたまり)とか錯覚しないことだ。

 カネがないとできないことを、カネがないのに、カネの合法的調達もできないのに、しないことだ。これは、個人でも組織でも同じことだ。私たちは政府ではないので、通貨発行権はない。

 こんなことあたりまえだと思いますか? ところが、あなたはブスで馬鹿で貧乏なので、こんなあたりまえのことがわからないし、できない。何とかわかり、できるようになっても、ちょっと油断すれば、元のように脳の中は現実とファンタジーがゴッチャになる。だって馬鹿だもん。

 ただし、時には、自己治癒(ちゆ)活動としてファンタジーの中に逃げ込むことも必要だ。健康にいかに悪くとも、甘い食べ物が必要なときがあるように。現実を直視するエネルギーを取り戻すために、逆説的に現実逃避もしなければならないときがある。

 私も疲れると、現実逃避でアニメの『キングダム』を視聴して、空(から)元気をつける。心が乾燥すると、韓国テレビドラマの傑作の『トッケビ』を視聴して、ロマンチックな優しい気分になる。

 また、現実の状況を超えるためのヴィジョンという積極的ファンタジーも必要だ。こ

の種の積極的ファンタジーは昔から「理想」と呼ばれてきた。

私は、この世に救済(きゅうさい)はないしユートピアも実現しないと思ってる。なのに、人類は匍匐前進(ほふくぜんしん)ながらも「理想」に向かっているとも信じている。矛盾している。矛盾していたっていい。私が矛盾していたって、誰にも迷惑はかからない。

 現実はいつも泥臭くダサくて哀しく矮小で貧乏くさくて意味不明だ。でも大丈夫。馬鹿でもブスでも貧乏でも、きちんと生きていれば、そんな現実を受け入れ愛することができるようになる。疲れたら、ちょっとの間だけファンタジーに逃げ、元気になったら、また現実とおつきあいすればいい。

 では、ゆっくりのんびりじっくり私のつっこみどころ満載(まんさい)の長話を読んでやってください。読んでいる最中にむかついても、最後まで読んでください。

 

二〇一九年夏

藤森かよこ

 

=====

 

■馬鹿ブス貧乏で生きるしかないあなたに愛をこめて書いたので読んでください。目次

 

長いまえがき …………16

本書の著者は低スペック女子の成れの果てである …………16

低スペック女子向け自己啓発本がない …………17

たとえば本多静六著『私の財産告白』 …………18

たとえば上野千鶴子著『女たちのサバイバル作戦』 …………22

たとえば田村麻美著『ブスのマーケティング戦略』 …………25

自分で書くしかないし老後対策も必要 …………27

本書の著者の紹介 …………29

本書の構成 …………35

本書は「おすすめ本ガイド」でもある …………36

基本はひとり …………37

前もって書いておく大指針 …………38

 

Part 1 苦闘青春期(三七歳まで) …………43

 

1・1 容貌は女の人生を決める …………44

低スペック女子の青春は寂しい…………44

ブスで馬鹿で貧乏だと、もっと貧乏になる …………47

本格的ブスは美容整形手術を受ける …………51

美容整形手術をしたくないか、できない場合 …………53

普通のブスは見にくくない自分を捏造(ねつぞう)する …………54

パッケージ美人でいい …………57

青春期こそ外観改良の費用対効果は高い …………60

 

1・2 仕事について …………62

食える職に就ける勉強をする …………62

苦にならない仕事はみな天職 …………65

意外とちょろい世間 …………68

対人免疫力をつける …………70

 

1・3 自分に正直でいることの効用 …………74

ドタキャン癖 …………74

自分に正直でいるためには練習が必要 …………76

自分に正直でいると自分を受容できる …………78

自分に正直でいるとこの世の欺瞞(ぎまん)に騙(だま)されにくい …………80

 

1・4 セックスについて …………85

ブスで馬鹿で貧乏だと性犯罪にあいやすい …………85

とりあえず男を見たら性犯罪者と思う …………87

世界はまだまだ無法なジャングル …………89

強姦され妊娠した場合の対処 …………91

若い女性は人間嫌いなくらいが妥当 …………97

性交は通過しておく …………98

結婚するなら国語能力のある男性 …………101

 

1・5運のいい人間でいるために …………107

損の貯金と大川小学校事件 …………107

運の良くなる方法あれこれ …………112

ポジティヴ・シンキングは危険 …………115

スピリッチュアル詐欺師に関わらない …………118

 

1・6 学び続けること …………120

国語能力をつける …………120

読むものは何でもいい …………122

心を守る読書 …………124

税金と社会保険について学ぶ …………127

マナー本と手紙サンプル本の効用 …………131

馬鹿に最適な語学学習 …………134

 

Part 2 過労消耗中年期(六五歳まで) …………139

 

2・1 中年の危機 …………140

中年期は苦しい …………140

人生に突然の飛躍や覚醒はない …………144

しのごの言わず賃金労働に勤(いそ)しむ …………148

生活費を十分に稼ぐ夫がいるなら家事と育児に専念すればいい …………149

中年期に見えてくる日本の仕組み …………151

中年期に見えてくる世界の仕組み …………155

ピラミッド社会における中年のあなたが実践すべきこと …………159

 

2・2 若さとの別離としての更年期 …………166

更年期(こうねんき)に関する確認 …………166

更年期障害とは …………168

更年期実例観察―家庭編 …………171

更年期実例観察―職場編 …………174

働く女性は更年期で本格的に男社会の壁を感じる …………175

 

2・3生き直しとしての更年期…………179

女は誰でもふたり分の人生を生きる …………179

更年期は自己の転換変換上昇を模索(もさく)する時期 …………181

私の更年期体験その1 …………182

私の更年期体験その2 …………187

おばさんよ、大志を抱け …………192

 

2・4 依存症について …………196

みんな依存症 …………196

安全弁としてのプチ依存症 …………199

依存症が文化を創ってきた …………202

 

2・5 性欲について …………205

女性が性欲を直視する困難さ―ボーヴォワールの場合 …………205

女性が性欲を直視する困難さ―ハンナ・アーレントの場合 …………207

女性が性欲を直視する困難さ―アイン・ランドの場合 …………209

女性には三人の男性が必要? …………212

『夫のちんぽが入らない』の衝撃 …………213

老年期に入るまでに自分の性欲を消費しておく …………215

四人の男性が必要という説もある …………219

 

2・6 年下の人間との関わり方を学ぶ …………221

現代はヒラメ人間受難時代 …………221

ヒラメになりようがないブスで馬鹿なあなたの強み…………225

他人はみな情報の束(たば)であなたの教師 …………226

 

2・7 お金について …………229

金儲けも貯金も蓄財も特殊な才能が要る …………229

その日暮らしが歴史的には普遍的 …………232

「自分のお金」について考えていれば現実から遊離しない …………234

『となりの億万長者』だけ読めばいい …………237

カネを失くすことは厄落としになる …………241

 

2・8 さらに学び続ける …………244

中年期こそ最後のチャンス …………244

読書対象を広げる …………246

地頭(じあたま)だけに頼っている人はいない …………248

フェミニズム運動の恩恵を受けている現代女性 …………250

 

Part 3 匍匐前進老年期(死ぬまで) …………257

 

3・1 日本の現代と近未来は老人受難時代 …………258

馬鹿は中年期の終わりまでには死ねない …………258

長期的に見れば老年期はより充実したものになる …………260

国民の三人にひとりが六五歳以上になる二〇二五年 …………263

長い長い長い老年期 …………266

年金財政破綻への不安 …………269

病院が高齢者のセイフティネットではなくなった …………271

高齢者をターゲットにした犯罪の跋扈(ばっこ)…………275

高齢者のモデルがいない …………280

高齢者差別社会 …………283

高齢者が高齢者を差別する …………285

 

3・2 馬鹿ブス貧乏女の強みが発揮される老年期 …………288

徒手空拳(としゅくうけん)に慣れている …………288

貧乏を怖がらない …………290

老いればみなブスになる …………294

ミステリーゾーンを進むのは慣れている …………296

ひとりでも寂しくない人間になる …………299

蛇足 私の「ひとりでも寂しくない人間でいる方法」 …………303

 

3・3 身体メンテナンス …………306

問題は口腔と歩行 …………306

からだは肛門から舌までの一本の管 …………307

歩行移動能力の保持 …………313

3・4 勉強は死ぬまで死んでもする …………317

学びなおし …………317

読みなおし …………321

次世代に無責任にならないために新しい情報にもアクセスする …………323

 

3・5 人生最後の課題としての死への準備 …………328

終活は断捨離から …………328

高齢者施設はまだまだ発展途上 …………330

高齢者ひとり暮らしへの公的支援を活用する …………333

ひとりで死ぬことはいい、問題は死体の処理だ …………335

死んだら終わりじゃないと思っていい …………338

 

あとがき …………342

紹介文献リスト(紹介順) …………346

 

=====

 

■あとがき

 

 この本は書くのに、五ヶ月かかった。もちろん毎日書いていたわけではない。体力も

能力もないので、数日書いたら、数週間は休むといった調子だ。しかし、まさか五ヶ月

もかかるとは思わなかった。

 

 二〇一九年の二月一二日に、出版コンサルタントの尾崎全紀(おざきまさのり)氏から本を書いてみませんかとお話をいただいた。

 尾崎氏は、私のブログ「アイン・ランドに関係ない藤森かよこのBlog」の記事を読んでくださっていた。尾崎さんとは面識はなくSNS上での知人だった。

 尾崎氏は、サッサとKKベストセラーズの編集者である鈴木康成氏を紹介してくださった。

「私のような低スペック女子の人生論みたいなものなら書けると思う。一ヶ月ぐらいで書けると思う」と、私は尾崎氏に答えた。そうしたら、五ヶ月かかってしまった。

 この五ヶ月の間に参議院議員選挙があった。尾崎氏は「NHKから国民を守る党」から大阪で立候補なさった。「NHKをぶっ壊す!」と言いながら忙しく選挙活動で走り回る尾崎氏の多忙さにつけこんで、私はいったんは提出した原稿を書きなおしさせていただいたりした。

 私は、翻訳はしたことがあるし、論文もそこそこ書いてきた。アメリカ文学関連の共著の本も出版してきた。しかし、書籍一冊分の分量の文章を書くのは初めてであった。六六歳にして初めてであった。

 本一冊分の分量の文章を書くというのは大変なことだった!

 プロの書き手の人が、あれだけいっぱい本を出版できるのは、やはり才能が違うのだ。力量が違うのだ。

 これからは、安易にひと様が書いた本について気軽に論評するのは、やめよう。

 私に声をかけてくださった尾崎氏に感謝します。ありがとうございます。

 KKベストセラーズの編集者の鈴木康成氏に感謝します。ありがとうございます。

 素敵な装幀をしてくださった大谷昌稔(おおたにまさとし)氏とカバーイラストを描いてくださった伊藤ハムスターさんに感謝します。ありがとうございます。

 素晴らしい「警告コメント」を書いてくださったジェーン・スーさんに感謝します。ありがとうございます。

 

 本書を書くことは、私にとっては、自分の人生をふりかえり、残り少なくなった人生をどう生きるかを考えさせる契機となってくれた。

 二〇一八年一〇月に夫が腸閉塞で緊急入院し、大腸がんが見つかって以来、私は不安や疲労のためにストレスが溜まり、体調もすぐれない。

 両親の死は経験し、それなりに愛別離苦(あいべつりく)については考えたことがあった。しかし、配偶者の大病や死の可能性に直面することは、親のそれらに直面することよりも、はるかに苦しく不安なことだ。

 賃金労働生活から解放されて無職の日々をのんびり送っているうちに、私は迂闊にも錯覚してしまっていた。「おじいさんとおばあさんは、いつまでも幸せに暮らしましたとさ」的日々がずっと続くような気分でいた。

 そんなはずはないのだ、やっぱり。

 

本書を書くという仕事をいただけなかったのならば、私は、その不安や恐怖から距離を置くことができなかったかもしれない。自分の死についても考えることを真剣にしなかったかもしれない。

 本書で書いたように、私は、幸福感と感謝に満ちて死ねると思う。しかし、その前に消耗し尽くさねば。空っぽになるまで自分を使い倒さなければ。ぶっ倒れるまで生き切らなくては。

 私の初めての単著を読んでくださった方々に、この場を借りてお礼を申し上げます。ありがとうございました!

 

二〇一九年秋

藤森かよこ

 

(貼り付け終わり)

 

(終わり)

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