古村治彦です。

 

 安倍晋三内閣は改造を経て、新たなスタートを切りました。今回は、安定した仕事のできる人物を集めたということで、「仕事人内閣」だと安倍首相も自画自賛しました(じゃあ、これまでは仕事人内閣じゃなかったのですか、と言いたくなりますが)。しかし、早速、とても仕事人とは思えない人物が入閣していることが明らかになりました。それは、江崎鉄磨(えざきてつま、1943年~、当選6回、自民党二階派)です。江崎代議士は、父である江崎真澄元通産大臣の地盤を引き継いだ二世委議員です。江崎代議士は今回、内閣府特命担当大臣(沖縄及び北方対策担当・消費者及び食品安全・海洋政策)及び領土問題担当大臣として初入閣となりました。

 

江崎氏は二階派に所属していますが、初当選以来、二階俊博代議士とずっと行動を共にしてきた人物です。二階代議士は、江崎代議士の父・真澄氏に近い人物で、竹下派結成時、竹下派結成に反対していた真澄氏に遠慮してすぐには竹下派結成に駆けつけることができないほどでした。

 

鉄磨氏は父真澄氏の秘書を1971年から20年以上務めており、1983年に初当選の二階氏とは古くからの付き合いということになります。二階氏は真澄氏に深い恩義があり、その息子である鉄磨氏を何とかしてあげよう、引き立ててあげねばという気持ちが強いのだろうと思われます。ですから、二階派から是非、江崎氏を入閣させて欲しいと働きかけてそれが実現したようです。

 

 江崎氏はとても正直な人物のようです。彼は入閣の打診に対して、「自分には荷が重い」「年齢が高い」などを理由にして、辞退しようとし、二階氏から叱責されたという報道がなされました。また、国会答弁について、官僚が書いた文書を朗読する、間違いがあってはいけないから、とも述べました。「自分には大臣をやるだけの能力がない」ということを自分自身でよく分かっていて、辞退するというのは、自分自身を冷静に見つめて分析ができているという点で、人間として素晴らしいことだと思います。

 

 しかし、当選6回となると、「入閣適齢期」などと呼ばれ、それだけの期間、国会議員をやっていれば大臣を務める力がついているはずだ、という判断が自民党内のキャリアパスのモデルによってなされるということもまた事実です。しかし、当選回数の多い少ないにかかわらず、大臣に不適格な人物がいるということは、ここまでの安倍内閣の大臣を見てきても明らかです。

 

 私は江崎鉄磨氏は、自民党の二世議員のひとつの典型ではないかと思います。父・真澄氏は閣僚を複数回務めた経験を持っています。1971年から父の秘書を務めた訳ですから、父が、自治大臣、通産大臣、総務庁長官を務めた時には近くで仕事を見てきたはずです。1971年から50年近く政界におり、代議士としても6回も当選してきた人物である真澄氏が、自分が初めて大臣をやるにあたり、「自信がない」と言うのは、そもそも政治家として研鑽を積むとか、大臣を目指して勉強をしてきたということが全くない人物であるということが言えます。議席を守って、親分の言うことを聞いて、平々凡々、穏やかに暮らせたらいい、地盤はしっかりとあるし(少し弱いけど)、何かあったら親分(二階俊博代議士)が何とかしてくれるよという極めて安定志向な政治人生であったと言えます。そして、二世議員の中にはこういうお坊ちゃんがいるのだろうと推察されます。江戸時代のお殿様みたいです。

 

 自民党にとってはこういう人物は、採決の時くらいにしか役に立たない人物です。こうした人物ばかりでは活力がなくなってしまいます。そこで重要なのは、ここ最近の選挙で通って来た安倍チルドレンの面々です。安倍チルドレンは別名「魔の二回生」とも呼ばれています。問題行動を起こす議員たちが複数出ていることが理由です。その一人が豊田真由子議員(とよたまゆこ、1974年~、当選2回、自民党に離党届提出中)です。豊田氏は、秘書へのパワーハラスメント(暴言が録音され、暴力行為もあったと言われている)が明らかにされ、

 

 豊田議員は、都内の超名門女子教育機関である桜蔭中・高を卒業し、ストレートで東京大学文科一類に合格し、東大法学部に進学し、キャリア官僚として厚生省(当時・現厚生労働省)に入りました。在職中にはハーヴァード大学にも留学し、修士号を取得しました。彼女はエリート中のエリートではない、という主張をする人々もいますが、それでもエリート官僚であることは間違いありません。そして、2012年に地縁などなかった埼玉四区から立候補し、初当選します。豊田議員は選挙区内には住まず、家族と一緒に都内に住みながら、通いで選挙区内での活動を行っていたということです。豊田議員はキャリアが示すように、官僚の世界に長くいたこともあって、政策通という評価を受けていたとも言われています。

 

 豊田議員の暴言や暴行(本当であれば)には驚くばかりですが、これは彼女が子供の頃から受けていた虐待が理由としてあるのではないかと私は推察しています。過度の完璧主義と暴言の酷さは彼女の成育歴の中に原因があるのではないかと思います。また、豊田議員が秘書に対して暴言をぶつけていたのは、手違いで別の人物に誕生日のお祝いカードを送ってしまったことに対するお詫び行脚の中で行われ、暴言の中に「これ以上、私の支持者を怒らせるな」という言葉があったことは報道されています。

 

 豊田議員が何よりも恐れていたのは、落選です。官僚はよほどのことがない限りは身分は保障されています(退職勧奨されても次のポジションはしっかりと確保されています)が、議員は選挙に落ちたら、何もできません。政策通として国会で活躍することはできません。豊田議員は落下傘候補として埼玉四区にやってきた人物ですから、古くからの友人、知人、親戚、支援者もいない中で、地盤を固めていかねばなりません。固めきれていない地盤=弱いとなれば他党からも狙われるということになります。自然の世界でまだ力の弱い動物が必死で生き抜こうとする姿が思い出されます。

 

 豊田議員の暴言は彼女の持つ焦りを示すものであり、その焦りとは地盤が強固ではないために、次は落選するかもしれない、そうなれば国会で活躍する、当選を重ねて党の重要なポストや大臣を狙う、ということができなくなるということです。もし豊田議員に何のスキャンダルもなくて、「大臣をやりませんか」となれば彼女は何があっても大臣を引き受けていたことでしょう。

 

 江崎代議士と豊田代議士。2人の代議士は自民党内部が格差社会であることを示しています。親の「遺産」で優雅に代議士生活(落選を経験しているのでそうとばかりも言えませんが)と、代議士の地位を守るために必死で駆けずり回る代議士生活。どちらも自民党の典型的な議員の姿と言うことができます。

 江崎大臣について言えば、「ぼんくら坊ちゃん」気質が、早速安倍内閣の弱点となっています。安倍政権の退陣を求めている私にとっては何とも心強い存在です。沖縄担当大臣として、日米地位協定の変更に言及しました。これは安倍政権ではタブーですが、江崎大臣は至極真っ当なことを述べています。また、皇居での認証式の前に出されたドンペリをグビグビと飲み、初閣議の後に出される日本酒を人よりも飲んで、「会見が控えているのだから」と安倍首相や周囲に制止されたそうです。それに関して、「不適格ならいつでも辞めます」と啖呵を切っています。


 江崎氏のこうしたお殿様気質というか、怖いもの知らずは、開き直りともとれますが、坊ちゃん気質という面もあるのだろうと思います。総理に向かって何でも唯々諾々という大臣が続いてきました。しかし、昔はこれくらいの謀反気がある大臣はいました。


 江崎議員のように総理を恐れない人物は得難い人物であり、坊ちゃん育ちのひ弱さがありながら、いざ開き直った時の怖いもの知らずの態度は、応援したくなります。


 正直さと開き直りが安倍内閣にとってプラスになるか、マイナスになるか、注目です。 

 

(終わり)





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