古村治彦です。

 国際関係論において重要な概念に「安全保障のディレンマ(security dilemma)」がある。安全保障のディレンマとは、ある国が自国の安全保障環境を改善しようとして、同盟強化や国防費増額、軍備拡張といった行動を取った結果、周辺国などの他国も同様の行動を取ることで、より安全になるのではなく、緊張が高まって、最終的に戦争に至るという状況のことである。軍拡を行うことがかえって安全を脅かす負のスパイラルに陥るということだ。

 安全保障のディレンマが大きな理由に「コミュニケイションができない」ということが挙げられる。世界各国は首脳会談をはじめとして様々なレヴェルで会談や会議を行っている。それは、お互いの意図を理解するためである。冷戦中であれば、米ソ両超大国間には首脳同士の「ホットライン」が準備されていた。これはジョン・F・ケネディ米政権とニキータ・フルシチョフ書記長率いるソ連が核戦争手前まで緊張を高めた、キューバ危機の反省から、両国間でホットラインが設置された。

 ある国は周辺国の意図を行動や事象から判断する。防衛予算(軍事予算)や防衛装備の変化、外交政策の変化から意図を読み取ろうとする。そうした中で、「不安感」「恐怖感」を募らせると、防衛力強化に走る。一方、その国を見ている周辺国は、「防衛力強化を行っているが、何か軍事的な意図があるのではないか」ということで、こちらも「不安感」「恐怖感」を募らせる。そうして軍拡競争が始まる。「軍拡競争に負ければ、相手の下風に立たねばならない」ということで無理をするが、その最高点で、「これ以上は無理だが、今なら乾坤一擲で勝負ができるかもしれない」ということで、冒険的、賭博的な行動に出ることがある。

 日本は岸田政権になっても軍拡の姿勢を強めている。アメリカによる軍事予算のGDP2%までの引き上げを進めようとしている。また、先制攻撃可能な体制を整えようとしている。日本政府は「周辺の安全保障環境が不安定なので防衛力を強化しなければならない」という大義名分を掲げている。それを周辺諸国から見れば「軍事力強化」ということになる。そうなれば、周辺諸国もまた軍事力を強化することになる。そうなれば「周辺の安全保障環境が不安定」ということになる。日本は安全保障のディレンマに陥っていることになる。

 このブログで私は何度も書いているのでもう繰り返さないが、日本は日本国憲法第9条を堅持し、軍拡を進めてはいけない。安全保障のディレンマから脱出しなければならない。

(貼り付けはじめ)

「安全保障のディレンマ」を理解している人はまだいるのか?(Does Anyone Still Understand the ‘Security Dilemma’?

-古典的な国際関係理論が厄介な国際的な諸問題を説明するのに役立っている。

スティーヴン・M・ウォルト筆

2022年7月26日

『フォーリン・ポリシー』誌

https://foreignpolicy.com/2022/07/26/misperception-security-dilemma-ir-theory-russia-ukraine/

「安全保障のディレンマ(security dilemma)」は、国際政治や外交政策を研究する上で、中心的な概念である。安全保障のディレンマとは、ある国家が自国の安全性を高めるために取った行動(軍備の増強、警戒態勢の強化、新たな同盟関係の構築など)が、他国の安全性を低下させ、他国も同様の対応を取るようになるというものだ。1950年にジョン・ヘルツによって初めて提唱され、その後、ロバート・ジャーヴィス、チャールズ・グレイザーなどの研究者によって詳細に分析されている。その結果、敵対関係のスパイラルが拡大し、どちらの国も以前より良い状態にはならないということになる。

もし、あなたが大学で国際関係の基礎的な授業を受けたにもかかわらず、この概念について学ばなかったのであれば、その大学に連絡して返金を求めるのが良いだろう。しかし、その単純さと重要性を考えると、外交・安全保障政策を担当する人々が、しばしばこの概念に気づいていないように見えることに、私はしばしば驚かされる。

NATO本部からツイートされた、同盟に関するロシアの様々な「神話(myths)」に答える最近のプロパガンダ・ビデオを見てみよう。このヴィデオは、NATOが純粋に防衛的な同盟であることを指摘し、ロシアに対する攻撃的な意図は持っていないと述べている。これらの保証は事実として正しいかもしれないが、安全保障のディレンマは、何故ロシアがNATOの主張を額面通りに受け取らず、NATOの東方拡大を脅威と見なす正当な理由があるのかを説明している。

NATOに新しい加盟国を加えることで、これらの国々の一部はより安全になったかもしれない(だからこそ加盟を希望したのだから)。しかし、何故ロシアがそのように考えないか、またそれに対して様々な好ましくないこと(クリミア奪取やウクライナ侵攻など)をするかもしれないことは明らかであるはずである。NATO高官たちはロシアの恐怖を空想や「神話」と見なすかもしれないが、だからといってそれが全く馬鹿げているとか、ロシア人が純粋に信じていないということにはならない。驚くべきことに、著名な元外交官を含む多くの賢くて教養のある西洋人たちは、自分たちの善意が他人には明白でない(their benevolent

また、イランとアメリカ、そしてアメリカにとって最重要な中東の従属諸国(clients)との間にある、疑いの深い、非常に対立的な関係について考えてみよう。アメリカ政府当局は、イランに厳しい制裁を加え、体制転換(regime change)をちらつかせ、核インフラに対するサイバー攻撃を行い、イランに対する地域連合を組織することでアメリカと中東地域のパートナー諸国がより安全になると考えていると思われる。一方、イスラエルはイランの科学者を暗殺することで自国の安全が高まると考え、サウジアラビアはイエメンに介入することでリヤドをより安全にできると考えている。

驚くべきことではないが、国際関係論の基本理論によれば、イランはこうした様々な行動を脅威(threatening)と見なし、ヒズボラの支援、イエメンのフーシ派の支援、石油施設や船舶への攻撃、そして何よりも自前の核抑止力構築の潜在能力を開発するなど、独自の対応を行っている。しかし、こうした予測可能な対応は、近隣諸国の恐怖心を煽り、再び安全性を低下させ、スパイラルを更に拡大させ、戦争の危険性を高めるだけのことだ。

同じ大きな動きがアジアでも起こっている。こちらも驚くべきことではないが、中国はアメリカの長年にわたる地域的影響力、特に軍事基地ネットワークと海・空のプレゼンスを潜在的脅威(potential threat)と見なしている。中国が豊かになるにつれて、その富の一部をアメリカの地位に対抗できる軍事力の構築に充てるようになったのは当然である。皮肉なことに、ジョージ・W・ブッシュ政権はかつて中国に対し、軍事力の強化を追求することは「時代遅れの道」であり、「自国の偉大さの追求を妨げる」ことになると伝えようとしたが、その一方でワシントン事態の軍事費は急増していた。

近年、中国はいくつかの領域で既存の現状を変えようとしている。このような行動により、中国の一部の近隣諸国は安全性を低下させ、政治的に接近し、アメリカとの関係を強化し、自国の軍事力を増強することによって、北京は、アメリカが中国を「封じ込め(contain)」ようと組織的に努力しており、中国を永久に脆弱なままにしておこうとしていると非難するに至っている。

これら全てのケースにおいて、安全保障上の諸問題と見なされるものへの対処は、相手側の安全保障上の懸念を高めるだけであり、その結果、相手側の懸念がより強まるという反応を引き起こした。このような場合、お互いに相手の行動に対する防衛的な反応としか考えられず、「誰が始めたか」を特定することは事実上不可能になる。

重要な洞察は、武力行使などの攻撃的行動は、必ずしも悪(evil)や攻撃的な動機(aggressive motivations)、言い換えれば、それ自体のための富、栄光、力への純粋な欲求から生じる訳ではない、ということだ。しかし、リーダーたちが自分の動機は純粋に防衛的なものであり、この事実は他人には明らかであるべきだと考えている場合(上記のNATOのヴィデオが示唆しているように)、相手の敵対的な反応を、強欲(greed)、生来の好戦性(innate belligerence)、または悪意のある外国の指導者の悪意と譲れない野心(evil foreign leader’s malicious and unappeasable ambitions)の証拠として見る傾向がある。そして、外交はやがて罵り合い(name-calling)の場へと変化する。

確かに、この問題を理解し、安全保障のディレンマがもたらす悪弊を緩和しようとする政策を選択した世界の指導者たちもいる。例えば、キューバ危機の後、ジョン・F・ケネディ米大統領とニキータ・フルシチョフ・ソ連首相は、有名なホットラインを設置し、核軍備管理のための本格的な取り組みを開始することによって、将来の対立(confrontations)のリスクを減らす努力をし、成功させた。

オバマ政権は、イランとの核合意を交渉した際にも同様のことを行った。それが、イランが爆弾に手を出すことを阻止し、時間をかけて関係を改善する可能性を開く第一歩になると考えたからだ。この取引の最初の部分はうまくいったが、その後、ドナルド・トランプ政権がこれを放棄する決定を下したことは、全ての当事者に不利益をもたらす大失策だった。モサドの元長官タミール・パルドが分析しているように、イスラエルがドナルド・トランプ米大統領(当時)に協定からの離脱を説得するために行った大規模な努力は、「国家樹立以来最も深刻な戦略的失敗の1つ」であった。

作家のロバート・ライトが最近指摘したように、2014年のロシアのクリミア占領後、バラク・オバマ米大統領(当時)がウクライナに武器を送らないという決定を下したのも、同様に安全保障のディレンマの論理を理解してのことであった。オバマは、ウクライナに攻撃的な武器を送ると、ロシアの恐怖を悪化させ、ウクライナ人がロシアのそれまでの利益を覆すことができるとロシア人が考えるようになり、それによって更に大規模な戦争が引き起こされることを理解していたとライトは主張している。

悲劇的なことに、トランプ政権とバイデン政権がキエフへの西側諸国製兵器の提供を強化した後、ほぼ同様のことが起こった。ウクライナが急速に欧米諸国の軌道に乗るという恐怖がロシアの恐怖を高め、プーティンを違法かつ高価で長引く予防戦争(preemptive war)を引き起こすという結果に至ったのである。ウクライナの自衛能力向上を支援することは理にかなっていたとしても、モスクワを安心させることなくそうすることは、戦争の可能性をより高めることになった。

それでは、安全保障のディレンマの論理は、代わりに融和政策(policies of accommodation)を規定するのだろうか? 残念ながらそうではない。その名が示すように、安全保障のディレンマとは、ある国家だけが一方的に武装解除したり、相手に譲歩を繰り返したりしても、その安全が保証されないというディレンマのことである。敵対関係の核心が相互不安(mutual insecurity)であるとしても、一方に有利な譲歩(concessions)をすることで、克服しがたい優位を獲得し、永続的に自国の安全を確保しようと、攻撃的な行動に出るかもしれないのだ。残念なことに、無政府状態(anarchy)に内在する脆弱性(vulnerabilities)に対して、迅速で簡単、かつ100%確実な解決策は存在しない。

その代わり、政府は国家戦略(statecraft)、共感(empathy)、そして合理的な軍事政策(intelligent military policies)を通じてこれらの問題を管理するよう努めなければならない。ロバート・ジャーヴィスが1978年に発表した『ワールド・ポリティックス』誌掲載の記事の中で説明したように、状況によっては、特に核の領域で防衛的な軍事態勢を整備することによって、このディレンマを緩和することができる場合がある。この観点からすれば、第二次報復戦力抑止力(second-strike deterrent capability)によって国家を守るが、相手国の第二次報復戦力を脅かさないため、安定化させることができる。

例えば、弾道ミサイル潜水艦は、より信頼性の高い第二次攻撃力を提供するが、互いに脅威を与えないため、安定化するのである。これに対して、反撃兵器、戦略的対潜水艦戦能力、ミサイル防衛は、相手国の抑止力を脅かし、安全保障上の不安を増大させるため、不安定化させるものである。批評家たちが指摘するように、通常戦力を扱う場合、攻撃と防御の区別ははるかに困難だ。

また、安全保障のディレンマが存在する以上、国家は自らを脆弱にすることなく信頼を構築できる分野を探すべきであると考える。その1つが、互いの行動を監視し、敵対国が事前の合意に対して不正を行っていることを明らかにできる制度を設けることである。また、安定を望む国家は、通常、現状を尊重し、事前の合意を遵守することが賢明であることを示唆している。露骨な違反は信頼を失い、一度失った信頼はなかなか回復しない。

最後に,安全保障のディレンマとおよび誤認に関する多くの関連文献の論理は,国家は,自分たちの真の懸念と何故そのように行動しているのかを説明し,説明し,もう一度説明するために,通常よりも多く努力をしなければならないことを示唆している。ほとんどの人、そして政府は、自分の行動は実際よりも相手に理解されやすいと考える傾向があり、相手が理解しやすく、信じやすい言葉で自分の行動を説明することはあまり得意ではない。この問題は、現在、特にロシアと欧米諸国の関係で顕著で、互いに相手を言い負かし、相手の行動に何度も驚かされているような状況だ。

特に、自分のしていることにインチキな理由をつけることは有害だ。それは、インチキな理由付けをしてしまうと、他人が自分の言葉をまともに受け止めないと感覚的に判断してしまうからである。経験則から言うと、敵対者はあなたのやっていることとその理由に関して最悪の事態を想定しているので、彼らの疑念が誤りであることを説得するために多大な努力が必要となる。何より、このアプローチは政府に共感すること、つまり相手の視点から問題がどのように見えるかを考えることを促すものであり、相手の見解が的外れであっても常に望ましいことである。

残念ながら、これらの方策は、国際政治を苦しめる不確実性を完全に排除したり、安全保障のディレンマを無意味なものにしたりすることはできない。より多くの指導者たちが、良かれと思った政策が意図せず他人を不安にさせていないかどうかを考え、その不安をある程度は軽減するような形で問題の行動を修正できないかどうかを検討すれば、より安全で平和な世界が実現するはずである。この方法はいつもうまくいくとは限らないが、もっと頻繁に試されるべきだろう。

※スティーヴン・M・ウォルト:『フォーリン・ポリシー』誌コラムニスト。ハーヴァード大学ロバート・アンド・レニー・ベルファー記念国際関係論教授。

(貼り付け終わり)

(終わり)

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