古村治彦(ふるむらはるひこ)の政治情報紹介・分析ブログ

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タグ:鄧小平

 古村治彦です。

 2023年12月27日に最新刊『バイデンを操る者たちがアメリカ帝国を崩壊させる』(徳間書店)が発売になりました。

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バイデンを操る者たちがアメリカ帝国を崩壊させる

 世界は、「西側諸国(ザ・ウエスト、the West)」と「西側以外の国々(ザ・レスト、the Rest)」の分立構造になっている。中国は西側以外の国々の旗頭(はたがしら)になっている。中国は、自国の政治モデルや経済モデルを他国に宣伝し広めるということも視野に入れている。「魅力攻勢(charm offensive)」という言葉になるが、外交には厳しく対応する面と、相手を取り込もうとする面が存在する。

 中国の外交では「戦狼外交(せんろうがいこう、Wolf warrior diplomacy)」という言葉が有名である。これは中国版「ランボー」と呼ばれる映画のタイトルから引っ張ってこられた言葉だ。外交部長(外相)にまで昇進したがその後失脚した秦剛や最近まで外交部報道局副局長を務めた趙立堅がこの戦狼外交の代表的な外交官だった。

 中国の外交姿勢は鄧小平以来の「韜光養晦(とうこうようかい)」、爪を隠して低姿勢で時期が来るのを待つというのが基本だった。しかし、21世紀に入り、日本を抜いて世界第2位の経済大国となり、アメリカにも迫ろうという状況で、攻撃的、積極的な外交姿勢を取るということになり、これが戦狼外交である。アフリカへの積極的な進出や経済面での圧力など、これまでの中国にはなかった外交姿勢である。

 そうした中で、重要なのは、「魅力攻勢」である。厳しいだけ、経済面だけの外交進出だけでは、他国を中国になびかせることは難しい。より包括的な、より多方面の外交姿勢が重要である。そのためには、中国の芸術文化やスポーツなどの進出も必要である。これは、アメリカの学者ジョセフ・ナイが提唱した「ソフト・パワー」にも通じる考え方である。更に言えば、中国の成功、発展をアピールし、政治モデルや経済モデル、社会モデルを積極的に外国に売り込む、そのために海外からの留学生を積極的に受け入れ、手厚く遇するということも重要になっている。中国は実際に留学生の受け入れを拡大している。ここで重要なのは、アメリカがやる「押し付ける」方法は駄目だということだ。

 中国はその点で、自国の価値観を押し付けるということは少ない。それは西側以外の国々、様々な政治体制を保持する国々にとって魅力的である。日本はアメリカの一部となって、価値観外交を行おうとしているが、それは時代遅れのものとなりつつある。

(貼り付けはじめ)

中国は「魅力攻勢」を成功させられるか?(Can China Pull Off Its Charm Offensive?

-北京の外交リセットはなぜうまくいくのか、あるいはなぜうまくいかないのか。

スティーヴン・M・ウォルト筆
2023年1月23日

『フォーリン・ポリシー』誌

https://foreignpolicy.com/2023/01/23/can-china-pull-off-its-charm-offensive/

独裁国家の利点の1つは、状況の変化に応じて急対応できることだと言われている。1人の人間が最高の権力を持ち、官僚の硬直性(bureaucratic rigidity)、厄介な報道機関、国内の反対勢力、影響力のある利益団体、独立した司法機関、その他民主政治体制に付随する厄介なもの全てを心配する必要がないのであれば、理論的には、ただ新しい勅令を発し、国家という船を新たな航路に進ませることができる。

俊敏で順応性のある独裁者というこのイメージは、おそらく間違いか、少なくとも不完全なものだろう。一見無敵に見える独裁者でも、潜在的なライヴァルや権力中枢の競合、遠く離れた役人たちが指示を実際に効果的に実行するかどうかなどを心配するのが普通だ。専制君主は、部下が本当のことを教えてくれないために、時には失敗した政策に行き詰まることもあるし、弱いと思われたくないために軌道修正を拒むこともある。さらに、ナマケモノのように機能不全に陥っているはずの民主政治体制国家が、特に緊急時には驚くほどの活力と迅速さで行動することもある。

これらの注意点はともかく、習近平国家主席が最近行なった変革の範囲とスピードには目を見張るものがある。2022年10月に開催された中国共産党第20回全国代表大会で権力を固めた習近平は、予期せぬ国民の抗議デモの発生に対応するため、それまで支持してきた硬直的でコストのかかる新型コロナウイルス・ゼロ政策を突然放棄した。習近平は中国経済に対する国家主義的、レーニン主義的アプローチを部分的に緩和し、貧弱な経済成長とアリババ社のような飛ぶ鳥を落とす勢いのある中国企業の翼を切り取ろうとした過去の努力に直面して、中国の民間部門を安心させ、再活性化させようとしている。(これらの措置の詳細については、アジア・ソサエティの有益な論文を参照されたい)。

私たちの目的にとって最も重要なことは、中国は現在、世界的なイメージを向上させ、経済成長を再燃させ、いくつかの主要国を緩やかな反中連合にまとめようとするアメリカの努力を妨害するための広範な努力の一環として、外の世界と仲直りしようとしていることである。この最新の「魅力攻勢(charm offensive)」はうまくいくだろうか?

習近平がなぜこのような行動をとるのか、天才でなくとも理解できるだろう。習近平の外交政策に対する基本的なアプローチがうまくいかなかっただけなのだ。今世紀半ばまでに(世界一ではないにせよ)世界をリードする大国になるという目標を公然と宣言したのは間違いだった。それは立派な目標かもしれないが、そのような大胆な自慢は確実にアメリカを警戒させ、他の多くの国も警戒させた。大規模な軍備増強と南シナ海での軍事化された「島建設(island-building)」を組み合わせたのは間違いだった。この重要な水路における中国の領有権主張を退けた国際法廷の判決を拒否したのは近視眼的であり、紛争地域に飛行機や船を送り込んで台湾や日本を脅したのは逆効果だった。中国軍が人里離れたヒマラヤ山脈でインド軍と衝突するのは、ほとんど意味がない。ロシアがウクライナに侵攻する前夜に、中国をロシアと密接に連携させたのは間違いだった。習近平が騙されたのか(ロシアのプーティン大統領が習近平に計画を伝えていなかったとすれば)、それとも習近平が考えていたよりも能力も実力もないことが判明した残忍なパートナーを黙認する道を選んだのか。いずれにせよ、良い印象ではない。最悪なのは、こうした懸念すべき政策が、攻撃的で超戦闘的な「戦狼(wolf-warrior)」外交によって追求し、擁護されてきたことだ。外国の外交官や政府高官を繰り返しいじめ、侮蔑することで、友好国を獲得し、中国の影響力を高めることができるという奇妙な考えに基づいている。

習主席の外交政策の対応の結果はあまりにも明白だ。アメリカでは「中国の脅威(China threat)」に対抗することを支持する超党派の合意が得られた。中国のハイテク産業を阻害することを目的とした輸出規制を含む、ますます激化するハイテク貿易戦争が起きている。アメリカ、日本、インド、オーストラリアのいわゆるクアッド連合(Quad coalition)の強化も進んでいる。日本は、2027年までに防衛費を倍増させ、アメリカと更に緊密に協力するという決定をした。韓国は核兵器を取得する可能性をほのめかしているが、これは部分的には北朝鮮の行動への反応であるが、中国に対する懸念の反映でもある。そして欧州連合、オーストラリア、その他いくつかの場所における中国の公的イメージの劇的な悪化が起きている。

リセットの必要性は明らかであったため、中国はこのところ仲良くしている。習近平とジョー・バイデン米大統領はバリG20サミットでそれなりに友好的な会談を行った。習近平はドイツのオラフ・ショルツ首相を国賓として北京に迎え、習近平自身も東南アジアの国家元首と会談し、サウジアラビアの指導者ムハンマド・ビン・サルマンが企画した一連の首脳会談のためにサウジアラビアを訪れた。中国の劉鶴副首相はダボス会議の聴衆に「中国は復活した」「ビジネスのために開かれている」と語り、党の中央経済工作会議は経済成長を促進することを目的としたビジネスに優しい指針を発表している。劉はまた、ジャネット・イエレン米財務長官と面会し、彼女を北京に招待した。

短期的には、狼戦外交を放棄し、中国が他国との緊密な経済関係を望んでいることを改めて表明すれば、多くの地域で受け入れられよう。今日の中国の世界における地位と影響力は、その経済規模と高度化する技術力によるものである。対照的に、その軍事力の増大は他国を神経質にさせている。アメリカの親密な同盟国でさえ、中国の人権慣行や地域の現状に挑戦しようとする努力には異論があるにもかかわらず、中国との経済的関係を断ち切ろうとはしていない(はっきり言って、多くのアメリカ企業も同様である)。オランダのマーク・ルッテ首相が先週のダボス会議の聴衆に語ったように、「『正当な安全保障上の懸念』が存在するとしても、中国は『巨大な可能性を秘めた巨大な経済であり、巨大なイノベーションの基盤』である」。フランスのブリュノ・ルメール財務相もこの意見に賛同し、「アメリカは中国に対抗したがっているが、私たちは中国に関与したい。私は、世界のゲームにおいて、中国は参加しなければならず、中国は参加できないことはないと強く信じている」と述べている。

この言葉から分かるのは、中国は無理に変化のペースを上げようとするのを止め、戦略的忍耐の政策を採用すべきだということだ。特に先端技術という重要な分野での国内経済発展に重点を置くべきで、そうすることで他国は中国との緊密な関係を維持したいと思うようになり、ワシントンが中国の成長を減速させるために展開しているアメリカの輸出規制やその他の措置に全面的に参加することを思いとどまるだろう。中国はまた、既存の国際機関の中で影響力を構築する努力を続けるべきである。この努力は、他の国家が北京の影響力強化を将来どのように利用するかを心配しなければ、成功する可能性が高くなる。

このアプローチは、ウェストファリア式の国民主権に対する中国の強いコミットメント(完全に一貫しているわけではないにせよ)を利用するものでもある。中国独自の政治モデルは普遍的な魅力に乏しいが、他国に内政のあり方を指図することはほとんどなく、自国がどのように統治されたいかは各国が自ら決めるべきだという考え方を明確に受け入れている。対照的にアメリカは、他国がどのように統治すべきかについて説教するのが大好きで、他国にリベラルな価値観を受け入れさせようとし続けている。他の条件が同じであれば、二国間関係に対する北京のあまり押しつけがましくないアプローチは、他の非民主政体国家にとって特に魅力的であろう。ここで、今日の世界では非民主政体国家が真の民主政体国家をかなりの差で上回っていることを覚えておく価値がある。

しかし、中国が以前の「平和的台頭(peaceful rise)」戦略に近いものに戻ることができなければ、中国が現在試みているリセットは失敗に終わるだろう。習近平が存命中に特定の目標(台湾との統一など)を達成することに全力を注いでいるため、台湾への軍事攻撃は危険な提案であり、中国に対する恐怖心を新たな高みへと押し上げることになるにもかかわらず、リセットは失敗するかもしれない。あるいは、中国の指導者たちが、中国の力はピークに達しており、人口動態、経済の停滞、地域の均衡が重なって手が届かなくなる前に、必要な現状変更(necessary changes in the status quo)を達成し、それを強固なものにする必要があると考えているために、失敗するかもしれない。

ここには、すべての大国(および一部の小国も)の指導者が熟考すべき、より広範な教訓がある。外国経済が急速に成長している場合、国際システム内の国家が強く否定的な反応を示すことはほとんどない。それどころか、経済的機会の拡大から恩恵を受けることができるため、歓迎することが多いものだ。この政策により、挑戦者が他の政策よりも早く立ち上がることができるのであれば、近視眼的かもしれないが、依然として広く普及している傾向であるようだ。台頭する大国が新たに獲得した勢力を振りかざし始めたとき、特に、ロシアが現在ウクライナで試みているように、力による現状変更を試みることによって初めて、他の国々が完全に警戒し、問題に対して直接行動をとり始めるのである。問題を含んでいる。

アメリカは非常に幸運だった。19世紀のアメリカの台頭は、他の大国から遠く離れていたため、敵対的な反応を引き起こすことはなく、諸大国はお互いをより心配しており、アメリカは諸大国と戦う必要がなく、北米全域に拡大することができた。現在の中国の立場はそれほど好ましいものではなく、台湾の国民は依然として北京による統治に強く反対しており、軍事行動を通じてのみ統一を強いられる可能性がある。中国政府の最新の魅力攻勢が成功するかどうかは主に、習主席とその仲間たちがこの問題を認識し、国家主義的な野心を抑制し、国内の経済力の構築を継続することに努力を集中するかどうかにかかっている。

※スティーヴン・M・ウォルト:『フォーリン・ポリシー』誌コラムニスト。ハーヴァード大学ロバート・アンド・レニー・ベルファー記念国際関係論教授。ツイッターアカウント:@stephenwalt
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ビッグテック5社を解体せよ

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 悪魔のサイバー戦争をバイデン政権が始める
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 古村治彦です。

 2022年11月30日、江沢民元中国国家主席が96歳で死去した。一強体制を構築しつつある習近平国家主席にとっては、煙たい「長老」の1人だったということになるだろう。10月の第20回中国共産党大会に出席しなかったことで、色々と憶測が流れていたが、結局体調面で出席が叶わなかったということになるだろう。江沢民は天安門事件(1989年6月4日)前後の政治的な混乱状況の中から、鄧小平によって次期指導者に抜擢された。ヒールのイメージがあり、汚職の話が付きまとうということもあり、日本での評価は芳しくないが、江沢民は、政治的動乱状況を抑え、中国の改革開放と経済成長の道筋をつけた人物ということになる。

 以下で、江沢民についての記事を紹介する。江沢民は叔父が江上青という、国共合作時代の中国南部で創設された抗日軍である新四軍(国民革命軍新編第四軍)の指揮官という英雄だったことで、共産中国時代に徴用されることになった。叔父の戦友たちが共産中国で重職を担うことになり、江沢民は彼らの引き上げを受けて、ソ連に留学し、自動車製造の上級テクノクラートとして出世していた。

 1966年からの文化大革命では、紅衛兵側に参加せず、中国革命を成し遂げた先輩革命家たちと共に強制収容所で苦労するという道を選び、これが結果として、文革後に「信頼できる人物」という評価を得ることになった。「禍福は糾(あざな)える縄の如し」という言葉通りの人生だ。

 1985年に上海市長になり、その後、上海市党委書記に昇格し、中央政治局入りを果たした。そして、1980年代後半の政治的動乱状況の中で、最高指導者の座を射止めた。江沢民の指導の下で、中国は世界貿易機関(WTO)に参加し、輸出指導型経済を開始した。その後の急激な経済成長は誰もが知るところだ。その道筋をつけたのが江沢民ということになる。江沢民の基盤となったのが新四軍派閥だったということは、それが主体になって上海閥が形成されたということになる。

 江沢民の治政下で、汚職が激増し経済格差が拡大したという負の面はあった。しかし、中国を現在のような世界第2位の経済大国に導いたというのは、鄧小平という設計者がいたことは確かだが、江沢民が鄧小平の設計図を実行者として実現したという、その手腕はやはり評価されるべきだろう。

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江沢民氏の追悼大会を北京で開催 習近平氏が追悼演説、功績たたえる

12/6() 12:10配信 朝日新聞デジタル

https://news.yahoo.co.jp/articles/c6a6255b16e32169298cda2c9715c2f38fdf4842

 1130日に死去した中国の江沢民・元国家主席(元中国共産党総書記)の追悼大会が6日午前10時(日本時間同午前11時)から北京の人民大会堂で開かれた。葬儀委員会の主任委員を務める習近平(シーチンピン)国家主席が追悼演説を行い、江氏の功績をたたえるとともに「社会主義現代化国家」の建設へ、団結を誓った。

 追悼大会は中国のテレビやラジオで中継され、政府や党の主要機関に半旗が掲げられる中、3分間の黙禱(もくとう)が行われた。哀悼を表するため全国一斉に汽笛や防空警報が鳴らされたほか、銀行間の債券市場や外国為替市場なども3分間取引が停止された。「ユニバーサル・スタジオ・北京」などの娯楽施設は6日の営業を休んだ。

 江氏は毛沢東、鄧小平両氏に続く国家指導者に位置づけられ、追悼大会は1997年に死去した鄧氏と同格の扱いで行われた。党・政府の幹部や各界の代表らが出席したが、前例に従い外国要人の参列はなく、市民の弔問も受け付けなかった。江氏の遺体は5日に火葬され、追悼大会には遺骨が置かれたとみられる。(冨名腰隆)

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江沢民は中国が世界の大国になるのを助けた(Jiang Zemin Helped China Become a Global Powerhouse

-揺るぎない手腕と批判に直面することへのいくらかの意欲によって、彼は中国を世界経済へと導いた。

ヴィクター・シン筆

2022年11月30日

『フォーリン・ポリシー』誌

https://foreignpolicy.com/2022/11/30/jiang-zemin-dead-obituary-china-ccp/

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江沢民中国国家主席がワシントンのホワイトハウス訪問(1997年10月29日)。

2002年に中国共産党総書記の座を退いた江沢民(1926-2022年、96歳で没)が、2000年に香港の記者を「単純過ぎ、かつ世間知らずだ」と叱責したエピソードを思い出すと、中国人は時々苦笑いを浮かべることがある。香港の次期指導者についての無邪気な質問に対する江沢民の大げさな返答は、困惑したようなつぶやきと多くの皮肉を引き起こした。香港の次期指導者について、何気ない質問に対しての江沢民の大げさな返答に困惑の声と皮肉が漏れた。

実際のところ、11月30日、上海で96歳の生涯を閉じた江沢民は、中国国民の生活を大きく変え、向上させた2つの重要な変遷を監督し、主導した。第一に、何十年もかけて互いに粛清し合い、時に大きな痛みと悲しみを与えた中国建国の革命家たちの影から国を平和的に導き出したことである。第二に、当初は躊躇しながらも、江沢民は市場経済を受け入れるようになった。中国がゼロ新型コロナウイルス政策の圧力に苦闘し、先週末には全国的な抗議運動が起こった後、江沢民の統治は多くの人にとって相対的な希望の期間となったように思われる。

江沢民は、その直前の鄧小平(Deng Xiaoping、1904-1997年、92歳で没)を含むどの指導者よりも、まず外国からの直接投資を歓迎し、最終的には世界貿易機関(World Trade OrganizationWTO)への加盟によって中国を世界経済に溶け込ませた。そして、世界貿易機関への加盟を実現し、中国を世界的な経済大国に押し上げた。

しかし、江沢民の生い立ちには、このようなダイナミックな役割を果たすことを示唆するようなものはほとんどなかった。

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習近平中国国家主席(左)と話す江沢民。2017年10月24日、北京の人民大会堂で開催された第19回中国共産党大会の終盤にて。

江沢民は江蘇省の揚州市で育った。当時、伝統的な農業中心主義と近代的な工業化経済の間で移行期にあった社会であり、政治的混乱が絶えない場所だった。揚州での子供時代、江沢民は中国医学の有名な開業医としての祖父の地位と富の恩恵を受け継いだ。彼の父親は訓練を受けた技術者で、西洋様式の企業で働き、家族に比較的快適な環境を提供していた。

しかし、江沢民に最も大きな影響を与えたのは、叔父の江上青(Jiang Shangqing、1911-1939年、28歳で死)であった。日本軍、国民党政府、軍閥と戦う共産主義者のリーダーとして、江上青は幼い頃からその浮き沈みの激しいキャリアを目の当たりにしてきた。江沢民が9歳になる前、日本が中国中央部を侵略する前、国民党当局は江上青が教えていた学校で共産主義のプロパガンダを広めたとして2度投獄している。

1930年代後半、日本軍が中国東部の主要都市を征服した後、共産主義ゲリラ軍は、安徽省、江蘇省、浙江省で日本の占領者に対して複雑な闘争を繰り広げた。共産軍は中国国民党軍と地主たちが組織する民兵と協力して戦った。共産党新路軍の地方司令官である張勁夫(Zhang Jingfu、1914-2015年、101歳で没)は、江上青を安徽省北部の共産党軍の副司令官という重要な地位に任命した。しかし、それからわずか数カ月後、江上青に対して個人的な恨みを抱いていた地元の地主が共謀して彼を殺害した。 1939年の彼の死の状況は不明のままだが、江上青は死後、故人の近親者に公式および非公式の利益を与える「革命的殉教者(revolutionary martyr)」という名誉を与えられた。江上青の場合、彼の甥であり、死後に養子となった江沢民は、彼の殉教者の地位の最大の受益者になった。

江沢民は叔父の活躍ぶりを聞かされていたはずだ。そして、革命は毛沢東の言うように「晩餐会ではない(not a dinner party)」ことも幼い頃から知っていた。江沢民は高校、大学の前半までほとんど政治から遠ざかっていた。しかし、1940年代半ば、国民党と毛沢東率いる中国共産党との間で内戦が激化すると、江沢民は密かに共産党に入党する。

1949年、中国共産党が国民党との内戦に勝利すると、江沢民と彼の世代の共産主義知識人たちは活躍の場を得ることができた。中国共産党の大軍は、文盲の農民兵が主力であり、国民党の官僚が去った後の中央・地方の複雑な官僚機構を動かすには力不足であった。中国共産党は、1949年以降、数千の工業会社を国有化し、統治上の問題をさらに深刻化させた。

中国共産党は、絶望的なまでの人材不足を補うために、1949年以前に入党した大学や高校の卒業生を直ちに権威ある地位に押し上げた。江沢民は、有名な上海交通大学の工学部を卒業し、1949年以前に働いていた上海のアイスキャンデー工場のチーフエンジニアになった。

殉職した叔父とのつながりが、江沢民のキャリアにさらなる追い風となった。新四軍で叔父の戦友だった汪道涵(Wang Daohan、1915-2005年、90歳で没)は、中国東部の工業会社を全て任された。そして、当時20代半ばだった江沢民をアイスキャンデー工場の最高経営責任者に抜擢した。この昇進は、江沢民の運命を汪道涵と新四軍閥が結びついたものだった。

1952年に汪道涵は、拡大していた第一機械省の副大臣に任命された。第一機械省は、中国におけるエンジンと通信機器の全ての民間生産を監督していた。江沢民は汪道涵の幕下に加わり、すぐに自動車製造の訓練のためにモスクワに派遣された。中国に戻ると、江沢民は第一自動車工場の上級職に任命された。このプロジェクトは、寒冷な気候の中国北東部の長春にあるソ連が支援した産業プロジェクトで、第一機械省が管理していた。次の10年間、第一自動車工場の上級職に就いた江沢民は、後に江の主要な支援者となった、周建南(Zhou Jiannan、1917-1995年、77歳で没)をはじめとする第一機械省の他の幹部たちと親しくなった。周建南は中国人民銀行総裁を務めた周小川(Zhou Xiaochuan、1948年-、74歳)の父親だ。
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当時、上海市長を務めた江沢民の写真(1985年10月)

毛沢東が1966年に文化大革命(Cultural Revolution)を開始し、中国政府と社会から「不純な(impure)」要素を排除した時、江沢民の有望なキャリアは運命づけられたように見えた。毛沢東は共産党高官の大多数を粛清し、第一機械省を含むほとんどの省庁を空洞化させた。江沢民が所属する第一機械省や他の​​省庁の若い幹部の一部は、上司と「闘う(struggle)」ために紅衛兵(Red Guards)を結成したが、江沢民は参加しなかった。その代わりに、江沢民は紅衛兵の批判の侮辱を受け、「5月7日幹部学校(May 7 cadre school)」(強制労働収容所に党がつけた婉曲的な名前)で厳しい 4年間を過ごした。

中国共産革命を成し遂げた上級のヴェテランと苦楽を共にするという江沢民の確固たる意志は、最終的に信頼できる若い同志としての彼の評判を強化することにつながった。激動の文化大革命の終盤、新四軍の派閥が鄧小平の新たな連合に加わり、権力を握って中国を統治するようになった。

汪道涵は、新4軍派閥の上級メンバーとして、重要な国務院の役職を次々と与えられた。そして、その後に上海市長に任命された。あらゆる段階で、汪道涵は彼の主要な弟子である江沢民を自分と一緒のペースで昇進させた。一方、江沢民の叔父である江上青の元新第四軍の上級司令官だった張勁夫は、中国で2番目に強力な経済機関である国家経済委員会(State Economic Commission)の局長になった。

汪道涵が対外貿易と対外直接投資を統括する新しい機関の責任者になると、江沢民もその機関の幹部になった。この経験を通じて、江沢民は、中国共産党内で数少ない対外貿易の専門家となることができた。1985年、汪道涵は上海市長を退任する際、後任に江沢民を据えるよう中央幹部に積極的に働きかけ、それを実現した。

江沢民にとって、上海市長就任は重要な出来事となった。上海市長は、上海市党委書記の1つ下の職位であるが、上海市党委書記になれば、自動的に政治局(Politburo)の局員の座に就くことができる。1987年、現職の上海市党委書記だった芮杏文(Rui Xingwen、1927-2005年、78歳で没)が北京の中央書記局に昇進すると、江沢民は芮杏文の後任として政治局入りを果たした。

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深圳経済特区創設10周年で北京において演説を行う江沢民(1990年11月26日)

1980年代末の政治的混乱状況での複数の出来事によって、江沢民は自分の野心以上にキャリア昇進加速させた。胡耀邦(Hu Yaobang、1915-1989年、73歳で没)、趙紫陽(Zhao Ziyang、1919-2005年、85歳で没)という2人の党最高幹部が、学生による抗議活動の奨励とイデオロギーの逸脱という「政治的誤り(political errors)」によって粛清され、新任の政治局員である江沢民の出番となった。1989年5月、江沢民は新四軍派閥とその盟友の支持を受け、外国貿易の専門家であることを武器に、失脚した趙紫陽の後継者として中国共産党の指導者に選ばれた。鄧小平は他の候補者を新総書記に推すこともできたが、新四軍派閥とその盟友の強い働きかけにより、江沢民を推すことになった。

江沢民の最初の数年間、不安と心配の連続であった。1989年6月4日、天安門事件で流血の弾圧を受け、中国共産党中央委員会(Central Committee)は、6月23日に急遽招集され、江沢民を総書記に「選出(vote)」した。鄧小平は数カ月で中央軍事委員会主席(chairmanship of the Central Military Commission)から退き、軍隊を指揮したことのない江沢民に軍の統制権を渡すと発表した。1989年11月末には、江沢民は中国共産党の最も重要な役職を全て名目上、兼任することになった。

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中国共産党総書記江沢民(左)は最高指導者を引退した鄧小平と握手している。1992年10月の北京での第14回中国共産党大会にて

鄧小平と親交のあった楊尚昆(Yang Shangkun、1907―1998年、91歳で没)と弟の楊白氷(Yang Baibing、1920-2013年、93で没)を中心とする人民解放軍幹部は、早くも軍部の権力強化に乗り出し、江沢民はますます人民解放軍の表看板(figurehead)に過ぎない存在になった。しかし、江沢民は革命家の子息である曾慶紅(Zeng Qinghong、1939年-、83歳)の協力を得て、1992年の第14回中国共産党大会で楊兄弟を権力の座から引きずりおろした。

この時、もう1つの危機が訪れた。1991年、鄧小平は国営経済の急速な規制緩和(deregulation)を提唱し、江沢民は窮地に立たされた。鄧小平は、国営企業で働いた経験から、鄧小平の主張を受け入れることに躊躇し、ライヴァルたちから厳しい批判を浴びることになった。しかし、江沢民はすぐに軌道修正し、鄧小平の自由化路線(liberalization drive)を支持することになる。

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1992年10月12日、第14回中国共産党大会の開幕で演説を行う江沢民

政治面で完璧な接近戦を得意とする戦士である江沢民の最大の功績は、振り返ってみると、彼が中国を革命時代から遠ざける一方で、その初期の時期を特徴付ける暴力を回避したことにあるかもしれない。

1989年から2002年まで江沢民が統治した中国では、高官の大規模な粛清は行われなかった。1997年に鄧小平が死去した際も、中国共産党の幹部はほとんど動揺することなく統治を続けた。遠華密輸事件(数十億ドル規模の文官・軍幹部が関与した事件)の反腐敗運動でさえ、数人の中国共産党幹部とその子女、そして福建省の数多くの下級幹部が罷免されたに過ぎない。

このような政治的安定が腐敗を生むことになったが、新興の民間企業や外資が国家レヴェルの激変にほとんど影響されずに成長することを可能にした。江沢民は、政治的謀略(political scheming)もさることながら、直感的な権力共有の意思によって、統治期間中、団結と前例のない政治的な平穏(tranquility)を維持した。

これに加ええて、江沢民は国家官僚としての経験を、中国の指導者としての経済政策に反映させることはなかった。鄧小平の規制緩和(deregulation)を支持し、上海の歴史的なウォーターフロントから対岸に経済特区を建設し、金融の分権化(decentralization)を支持した(その後、インフレにより金融統制が強化された)。1990年代から2000年代にかけての中国の成長にとってより重要なことは、江沢民が一貫して海外直接投資を支持し、台湾や香港を含む海外投資家への優遇策を支持したことである。

1990年代後半、WTO加盟交渉が過熱する中、江沢民は国営企業の中核層に対して、輸出量を大幅に増やす代わりに関税率の大幅な引き下げを受け入れるよう説得した。しかし、これは容易なことではなかった。新しい輸出の利益は、競争力のない国営企業ではなく、主に外国人投資家と民間企業にもたらされるからだ。しかし、江沢民の圧力と補助金増額の約束が功を奏し、中国はWTOに加盟した。

江沢民は、中国のエレクトロニクス産業で上級テクノクラートを務めた経験から、外国や国内の民間投資家たちが立ち上げた企業を含む中国のハードウェアおよびソフトウェア産業にも大きな支援を行っていた。例えば、国営小売業の多くを駆逐したアリババは、江沢民時代に創業し、後継者の胡錦濤(Hu Jintao、1942年-、79歳)の統治下でも繁栄を続けた。

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1993年11月20日、シアトルで開催されたアジア太平洋経済協力会議(Asia-Pacific Economic Cooperation conference)江沢民(左から3人目)とビル・クリントン米大統領(左から4人目)が他の各国首脳たちと共に

中国のWTO加盟は、中国の国営企業にストレスを与えたが、中国全体としては紛れもなく利益をもたらした。2000年から2019年末の間に、中国の輸出は2500億ドルから2兆5000億ドルへ、10倍も増加した。1人当たりの可処分所得も同様に同期間に8倍以上に増え、数億人の中国人、特に都市部に居住する人々の生活を大幅に向上させた。

振り返ってみれば、2000年に江沢民が香港の記者を罵倒したのも、あれほどの嘲笑を浴びるには値しなかった。ある意味で、このエピソードは江沢民支配の典型である開放性と自信を明らかにした。香港が既に中国の統治下にあったにもかかわらず、香港の自由な報道を容認し、記者と会って台本にない質問にも答えた。この記者の質問は気に入らなかったようだが、それ以上の処分は受けず、彼女は中国の指導者と対立したことを伝え続けた。

江沢民は、党の抑圧力で組織的な異論を封じ込める一方、知識人による政策批判には寛容だった。また、古典と現代、両方の外国文化を好み、外国からの訪問客にお気に入りの西洋のメロディーを聞かせるのが常だった。エイブラハム・リンカーンのゲティスバーグの演説を暗唱することもあった。このような特異性は、当時は鼻で笑われ、嘲笑されたが、現在の指導部層が、西洋文化や広い世界への江の純粋な関心を共有していないことは残念なことだ。

江沢民統治下の中国は自由でも民主的な場所でもなかったが、この地域の多くの人々は今では郷愁を覚えているかもしれない。江沢民の堅実性、彼の開放性、そして政権をマスコミや社会全体からの批判に晒す彼の意欲を人々は懐かしがっているのだろう。

※ヴィクター・シン:カリフォルニア大学サンディエゴ校国際政策・戦略大学院ホウ・ミウ・ラム記念中国・太平洋関係プログラム主任、准教授。著書に『弱者たちの連合:毛沢東の軍略から習近平の台頭まで(Coalitions of the Weak: Elite Politics in China From Mao’s Stratagem to the Rise of Xi Jinping)』がある。

(貼り付け終わり)

(終わり)

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ビッグテック5社を解体せよ

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 悪魔のサイバー戦争をバイデン政権が始める
20211129sankeiad505

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 古村治彦です。

 私の勝手なイメージであるが、中国の最高指導部を引退した人物たちは長命な人が多いようだ。80代後半、90代、100歳でも元気に何か式典があれば出てくるように思われる。私が物心ついての中国の指導者と言えば、鄧小平だが、鄧小平も92歳まで生きた。今回は105歳になる宋平が出席しており話題となっている。
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宋平
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胡錦涛(真ん中)

 第20回中国共産党大会にも中央政治局常務委員を務めた「長老たち」が数多く出席した。「特別招待代表」という枠での出席ということだ。以下に新聞記事を貼り付ける。

(貼り付けはじめ)

党大会に江沢民氏らは不在 引退幹部の言動監視し、長老たちの影響力低下か

20221016 2031分 東京新聞

https://www.tokyo-np.co.jp/article/208515

 【北京=白山泉】16日開幕の中国共産党大会では胡錦濤(こきんとう)前総書記(79)ら元最高指導者らが「特別招待代表」として出席し、習近平(しゅうきんぺい)総書記(69)とともにひな壇席に並んだ。ただ、江沢民(こうたくみん)元総書記(96)や、改革派として庶民に人気がある朱鎔基(しゅようき)元首相(93)らの姿はなく、長老の影響力低下も印象づけた。

 江氏はたびたび重病説が流れているが、今年10月上旬には夫人と一緒に籐椅子とういすに座って誕生日を祝う写真がネット上に掲載された。15日に発表された、党大会の議事運営を取り仕切る計46人の「主席団常務委員会」には名を連ねている。

 長老とは、主に引退した最高指導部メンバーを指す。1976年に毛沢東(もうたくとう)が死去した後は、政策や指導部人事に影響を行使してきた。存命の長老は20人弱だが、大半は80歳以上と高齢だ。毛沢東への権力集中と個人崇拝が中国を大混乱に陥れた文化大革命(6676年)につながった反省から、習氏への権力集中には慎重な立場とされる。

 一方、習氏はこうした長老の介入を抑え込むため、反腐敗キャンペーンを推進。元政治局常務委員の周永康(しゅうえいこう)氏らが無期懲役の判決を受け服役中のほか、江氏率いる「上海閥」の有力者や胡氏側近の排除を繰り返し長老に圧力を加えてきた。

 最近は共産党の引退幹部らの言動に対する監視も強めている。共産党機関紙・人民日報は今年5月、引退幹部に党の規律を厳守するよう通知したと報じた。党の人事責任者は「党の方針について勝手な発言をしたり、政治的にマイナスな言論を広げてはならない」などと警告。海外への渡航手続きも厳格化している。

(貼り付け終わり)

 こうした長老たちに注目が集まるのは何か大きなことが起きている時だ。1989年の天安門事件で趙紫陽総書記が失脚することになったが、この時も8名の長老たちが集まって、事態収拾にあたった。習近平が3期目も続投するということについて、党長老たちは批判的だと言われているが、党大会に出席しているということはこの路線をある程度受け入れているということになるのだろう。96歳の江沢民元国家主席、93歳の朱鎔基元首相の第3世代の上海閥コンビは党大会を欠席したことで、「無言の抗議ではないか」という憶測が出ている。96歳と93歳であれば健康問題が本当のところだろうというのが私の考えだが、中国共産党は革命戦争を戦い抜き、情報戦に勝つための秘密主義を守っているので、最高指導部層の情報はほぼ出てこないし、ニューズになる場合には党中央の意向を反映した形になる。また、長老たちには影響力が残っているとは言っても、鄧小平のように実権はない。鄧小平は亡くなる数年前まで中国国家中央軍事委員会主席の座からは降りなかった。鄧小平の実権の裏付けは人民解放軍であった。しかし、現在の長老たちにはそのような実権はないし、後ろ盾となる力もない。そのように考えると、江沢民と朱鎔基の欠席は健康問題なのだろうと思われる。

 長老たちが会議の最前列に座ってボーとした姿を見せるのは、習近平体制の正統性を担保するということだ。党の分裂や内部闘争をしている時ではない、という時に長老たちへの注目が集まる。習近平3期目について、3期目に続投することが非常事態ということではなくて、習近平が3期目も続投しなければならない世界情勢、第三次世界大戦一歩前という状況が非常事態であり、「習近平しかこの状況を乗り切れない、だからまとまらねばならない」ということを長老たちの姿は語っているということになる。
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党長老たちが最前列に座る

(貼り付けはじめ)

習近平に挑戦するかもしれない中国共産党の長老たち(The Party Elders Who May Challenge Xi

-後継者問題が常に中国共産党のアキレス腱である。

メリンダ・リウ筆

2022年10月13日

『フォーリン・ポリシー』誌

https://foreignpolicy.com/2022/10/13/china-xi-jinping-succession-ccp-party-congress-elders/

かつて彼らは「八仙(八大長老、Eight Immortals)」と呼ばれた。彼らは中国共産党の長老たちで、裏で政治的影響力を行使していた人たちだ。1989年春、街頭デモと党内権力闘争に苦しむ鄧小平は、派閥化した指導部をまとめ、感情的になった国民を落ち着かせるため、7人の引退した高官を呼び寄せた。そして、デモ隊に同調した鄧小平の後継者である趙紫陽を粛清し、兵士には民間人への発砲を命じた。当時、中国のテレビを見ていた私は、外国メディアや外交官たちの中に混じって、表舞台から消えて久しい老革命家たちが、突然、全国放送で再び脚光を浴びることになったことを信じられない思いで一杯だった。一緒にいた西側諸国からの記者は「『ナイト・オブ・ザ・リビングデッド(Night of the Living Dead)』を見ているようだ」とつぶやいた。

習近平が直面している課題は、1989年の天安門事件(1989 Tiananmen crisis)の流血とは全く異なる。しかし、古い習慣はなかなか消えない。1989年の事件は、後継者問題が中国共産党のアキレス腱であり、扱いを誤れば、最も尊敬されている指導者の評判さえも傷つけかねないことを改めて証明した。

中国の政治活動が混乱し、特に個人的な変化が起きる場合、これまで、党の長老たちが多くの場合に再登板してきた。習近平が2012年に中国共産党総書記に就任するや否や、電光石火のスピードで権力固めに動き、習近平は引退した老兵を視界から消し、闇に葬ろうと必死になっている。そのために、中国共産党はこの春、より厳格な新指針を発表した。この指針は、党の幹部たちに対して、トップレヴェルの政策議論について沈黙し、政治的に否定的な発言を避け、影響力の行使を控え、「違法な社会組織の活動(the activities of illegal social organizations)」を避け、何よりも「あらゆる誤った考え方に断固反対し抵抗する(resolutely oppose and resist all kinds of wrongful thinking)」ことを求めた。

中国の現在の政治的緊張は10月16日に開幕する第20回中国共産党大会の間に解消されるだろうと予測する人がいる。しかし、それは間違いだ。党大会は1つの問題を解決するかもしれないが、それ以上に多くの問題を引き起こすことになるだろう。習近平は中国共産党の指導者として3期目を務めると広く予想されており、1989年に鄧小平の遺産を曖昧にし、機能不全の意思決定を防ぐために採用された数十年の慣習を一部覆すことになる。習近平は3期目の任期を延長するため、あるいは終身在任の可能性もあるため、論争を呼び、政治的資本(人々からの信認や支持)をリスクに晒すという事実は、彼が政治的頭痛の種というパンドラの箱を開けていることを意味する。

ジュード・ブランシェットとエヴァン・S・メディロスは国際戦略研究所(International Institute for Strategic StudiesIISS)の機関誌『サヴァイヴァル:グローバル・ポリティクス・アンド・ストラテジー』の記事で、「第20回中国共産党大会は、これまでの政治的継承のパターンとは大きく異なるものになるだろう」と書いている。彼らは続けて次のように書いている。「習近平の次の任期は、エリート政治の新しい規範を確立する上で決定的なものになるかもしれない」。習近平は「中央の意思決定の主導権を政府官僚から奪い取った」のであり、政権存続への懸念が高まる中で、次の5年間は「国際的な非難を顧みない厳しい措置」に対するリスク許容度が高くなるだろう。その代表例は、習近平が独自に進める、評判の良くない「ゼロ新型コロナウイルス」への固執だ。

習近平が徹底して冷酷に批判者を弾圧するため、公に反対意見を述べることは極めて稀であるが、知られていない訳ではない。10月13日、北京では、大学のキャンパスが集中する海淀区に、驚くべき2つの抗議横断幕が現れた。高速道路の高架橋に掲げられた横断幕は次のように宣言していた。「新型コロナウイルステストにノーと言え、食べ物にイエスと言え。監禁はダメ、自由を。嘘にノー、尊厳にイエス。文化大革命はノー、改革はイエス。偉大な指導者にノー、投票にイエス。奴隷になるな、市民であれ」。もう1つの横断幕にはこう書かれていた。「独裁者で国賊の習近平を追い出せ」。当時記録された写真や映像では、陸橋の上で煙が上がり、音声が録音されているように見えた。横断幕に関するコメントは、警戒する検閲官によってソーシャルメディアからすぐに削除された。一部の人々は、『孤勇者(Lonely Warrior)』というタイトルの中国の歌を共有することで、抗議者(または複数の抗議者)への支持を間接的に示した。

習近平は少なくとも10年前から野心的な権力闘争の下地づくりを始めていた。同時に、習近平の父、習仲勲は有名な党の長老であったため、習近平は早くから党の先輩たち(old guards)に対する理解を深めていたようだ。2015年には早くも、習近平は古い世代からの干渉を望まないことを明らかにした。『人民日報』紙は、江沢民元国家主席を狙ったとみられるヴェイルに包まれた警告で、引退した指導者たちに「人が去るとお茶が冷める(once people leave, the tea cools down)」と助言し、引退した身分に「メンタリティを合わせる(adjust their mentality)」よう促したのである。

それ以来、習近平にはライヴァルを排除し、足を引っ張る仲間を排除する時間がたっぷりあった。習近平が権威を確立するための主な手段は、多くの高官を捕らえた執拗な反腐敗キャンペーン(anti-corruption campaign)だ。習近平の1期目には、全権を握る政治局常務委員会の元メンバー1人と、数十人の小役人や将軍が、リスクの高い反腐敗弾圧の一環として、接待係に取り押さえられた。ブランシェットとメディロスは、この取り締まりは「どう考えても壮大な規模だった」と書いている。

この捜査網(dragnet)は、軍事、治安、諜報部門の重要人物も陥れた。2017年、イスラム教徒が多い新疆ウイグル自治区での強引な政策を撤回するよう北京に提案した後、軍の高官だった劉亜洲は公の場から姿を消し、中国のソーシャルメディアや亡命した元党幹部の蔡霞によると、彼の自宅は家宅捜索された。劉の義父は元八仙の1人である故李先念元国家主席だ。

9月下旬にも、警察幹部の孫力軍が、「複数の重要部門を掌握するための陰謀(cabal to take control over several key departments)」を企て、「邪悪な政治的資質(“evil political qualities)」を持っていたとして、汚職の容疑で起訴され、執行猶予付きの死刑判決を受けた。複数の中国メディアの報道によると、彼の主な罪は江沢民(現在96歳)と結びついた徒党に参加したことだということだ。

江沢民は1989年から2002年まで中国共産党総書記を務め、2004年まで党の強力な機関である中央軍事委員会主席に留まり、権力にしがみついたと見られている。江沢民は中国政治におけるいわゆる「上海閥(Shanghai clique)」のボスとみなされ、中国の引退した最高指導部経験者の中で最も影響力があると考えられるが、体調不良に悩まされているという噂がある。同様に、ぶっきらぼうではあるが広く尊敬されている朱鎔基元首相(93歳)も体調不良と伝えられている。朱鎔基の健康問題は、一部の中国アナリストが、朱鎔基は、習近平の経済的に悲惨で孤立主義的な反新型コロナウイルス政策に愕然としていると主張するのを止めてはいない。匿名希望のある中国側関係者は、「朱鎔基は多くの人が彼に期待を寄せ、適切なタイミングで発言することを期待していることを承知している」と述べている。

しかし、中国共産党の長老たちは、習近平時代になっても糸を引いているのだろうか? 1989年の「八仙」はもういない。当時、鄧小平の後継者である趙紫陽が既に中国共産党総書記になっており、趙が粛清されるまでは、この8人に鄧小平が含まれていた。鄧小平は1997年に死去した。彼らのあだ名は、中国の伝説に登場する超能力を持つ8人の道教の人物を連想させしばらくは定着していた。しかし、習近平政権は、この「8仙」を、党を引退してまだ生きている8人の幹部と呼ぶようになった。現在、習近平が徹底的に政敵を無力化したおかげで、習近平と同世代の潜在的な挑戦者のほとんどは、協力するか、臆病になるか、黙り込むか、牢獄に入れられるかしている。

この事実は、今年105歳になる党の長老である宋平がニューズに出てから、最近飛び交い始めた荒唐無稽な噂の説明に役立つ。9月、宋は慈善基金で演説する姿をビデオに収め、「改革開放(reform and opening up)」について曖昧なことを述べたという。中国のソーシャルメディアは別次元の盛り上がりに突入した。クーデターの噂も流れた。インターネット検閲は、宋の発言に関する報道をサイバースペースから削除しようと躍起になった。宋が発した言葉は、まったく無害なもの、あるいは習近平自身が過去に使ったものであったのならば、気にすることはないはずだ。

宋平は、リスクを冒すような行動派とは見なされていない。彼は保守的と見られており、1989年の八仙には選ばれなかった。なぜなら、彼は当時、党の重要な中央組織部部長という重要な職に就いていたからだ。天安門事件に共鳴した中国共産党員を除名することを発表したのも彼だった。

しかし、宋平の突然の再登場に注目する理由は1つある。宋は三代にわたる政治家であり、健康状態も良好で、20人ほどの党の要である政治局常務委員会の元メンバーの中で最も影響力のある人物である。しかも、中国政治における「中国共産主義青年団派(tuanpaiYouth League faction)」に属する人物だ。中国共産主義青年団は14歳から28歳までの若者の育成を目的とする(10歳代は「少年先鋒(Young Pioneers)」と呼ばれ、赤いハンカチをつけているのがよく見られる)。青年団は、中国の貧しい内陸部の開発を促進し、所得格差に対処しようとすることが多い。上海閥の本拠地である豊かで華やかな東海岸と対照的である。宋は、辺鄙で荒れた甘粛省で出世し、青年団の有力者である胡錦涛元国家主席(宋が鄧に推薦したことでトップへの道筋に乗った可能性がある)と温家宝元首相を指導していた。

習近平時代に共青団派は繁栄していない。首相である李克強は共青団出身と見られているが、習近平が執拗に権力を蓄積し、習近平を頂点とする指導層を確立したため、李の地位と影響力は低下した。習は「万物の主席(chairman of everything)」と呼ばれるようになった。共産主義青年団は官僚的な影響力を失い、主要人物は降格や粛清されている。習近平は共青団幹部を「官僚的でステレオタイプな話ばかりしている」と批判したこともある。李の権限は切り捨てられただけでなく、党の長老と気軽に会うことさえ禁じられたという根拠のない報道もある。

「引退した指導部出身の長老は、習近平を除く最高幹部たちと交際してはいけないことになっている。これは何年も前からそうだった」と、多くの政府高官を知る中国のある情報源は言う。このような背景から、宋平の再登場は、彼の発言ではなく、彼が姿を見せたという事実が、党の共産主義青年団支持者たちが、来るべき人事異動の際に、彼らの候補者をもっと昇進させるよう水面下で働きかけているとの憶測を呼んだのだ。党大会期間中に人事異動が行われる予定だが、政権交代は来年3月の全国人民代表大会(National People’s Congress)で承認される予定だ。

多くのことが危うい。政治局常務委員7名のうち少なくとも2名(習近平を除く)が引退し、政治局委員25名の半数近くが引退すると予想される(現在の年齢基準がそのまま適用されると仮定した場合)。また、中国の最も高位の外交官2名も引退する予定である。そして、李克強は首相を退任する予定であり、その後任が誰になるかが注目される。

習近平は中国政治を未知の領域へと導いている。鄧小平以降の政治に一定の予測可能性をもたらしてきた、任期制限(term limits)やその他の規範を投げ捨てたことで、多くの敵を作ってしまった。逆説的ではあるが、後継者選びを難しくしているのも事実である。ブランシェットとメディロスは、習近平が「明確で信頼できる後継者(clear and credible successor)を指名し、明確で信頼できる権力移譲のスケジュール(clear and credible timeline for the transfer of power)を確立するまで、「後継者に関する不安(succession uncertainty)」の時期が終わらないと予測している。

それは簡単なことではないだろう。シドニーに拠点を置くローウィー研究所のアナリストで、中国共産党の内部構造を解説した『中国共産党:支配者たちの秘密の世界(The Party: The Secret World of China's Communist Rulers)』の著者であるリチャード・マクレガーは次のように述べている。「最も危険なものの1つは、習近平が指名した後継者だ。人々は習近平を攻撃することはできないが、習近平が後継者として推す人物に対しては列をなして攻撃することができる」。

昔なら、中国の最高指導者は党の長老たちに頼み込んで、このような政治的な駆け引きや派閥争いを乗り切った。しかし、現在では、習近平を支持するよりも、習近平を疎ましく思ったり、習近平に怒りを感じたりする人の方が多い。一方、新たに引退する幹部たちが出ることで、新たな党長老を生み出すことになる。古い「仙人」たちのような革命的な資格を欠いていたとしても、新しい長老たちは後輩たちよりも政治に精通し、反撃のエネルギーを持っている可能性がある。中国のことわざには「熟成した生姜はより辛い」というものがある。在任中、解雇や粛清を恐れて、現在の政策を批判するのを思いとどまった人たちもいただろう。引退によって、失うものは何もないと納得する人もいるかもしれない。

※メリンダ・リウ:北京を拠点とする外交政策コメンテイター。『ニューズウィーク』誌北京支局長、共著に『北京の春(Beijing Spring)』がある。

(貼り付け終わり)

(終わり)

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