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 古村治彦です。

 

 今回は、難波利三の小説2冊をご紹介します。難波利三はその名前が示すように、大阪、関西を舞台にした小説を数多く発表し、『てんのじ村』で直木賞を受賞しています。今回は最近、読み返した代表作とも言うべき2冊の小説、『小説吉本興業』と『てんのじ村』を皆様にご紹介したいと思います。

 

 私は、関西に親戚もおらず、大阪には縁がない生活をしてきました。しかし、今、とても興味を持っています。大阪とはどういうところなのかということを知りたいと思っています。今回ご紹介する2冊は大阪の一つの部分を知るための良い手引書であると思います。
 

 古本であればまだ手に入るようですので、読書の秋に是非手に取っていただければと思います。

 

 

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『小説吉本興業』(難波利三著、文春文庫、1991年)

 


 『小説吉本興業』は、戦前から1980年代末のなんばグランド花月開場までの吉本興業の歴史を小説仕立てで網羅した作品です。主人公は林正之助です。林正之助は、吉本興業の創業者である吉本吉兵衛と結婚したせいの弟です。吉兵衛が早く亡くなったために、姉弟で、「演芸の吉本」の基礎を築きました。林正之助は初代桂春団治から明石家さんま、ダウンタウンまで扱った「プロモーター」「プロデューサー」でした。その迫力から「ライオン」と呼ばれ、芸人たちから畏怖され、尊敬されました。
 
 

 吉本は、「萬歳」を「漫才」とし、横山エンタツ・花菱アチャコの「しゃべくり漫才」を確立し、戦後しばらくは映画館経営やボーリング場経営に集中しながら、演芸部門にも再進出し、「吉本新喜劇」を創設し、笑福亭仁鶴や横山やすし・西川きよしが人気を牽引しました。

 

 吉本興業は今では多くの人々が知っている会社ですが、戦後すぐに園芸部門を解散し、所属芸人が花菱アチャコだけという状態になりました。その当時は松竹芸能の方が演芸部門ではかなりリードしており(中田ダイマル・ラケットや松竹新喜劇の藤山寛美)、吉本興業の名前はほぼ知られていない、そんな状態が続きました。しかし、演芸部門への再進出、テレビへの進出で今の栄光を築きました。

 

 吉本興業の首尾一貫した姿勢は、「赤字を出さずに新しいことに挑戦する」というもので、それを確立したのは、林正之助であったと思います。この小説を読み、様々なエピソードに触れると、吉本興業の面白さが分かると思います。

 

『てんのじ村』(難波利三著、文春文庫、1987年)

 


 てんのじ村というのは、大阪市西成区の一角にあった、様々な種類の芸人たちが肩を寄せ合って暮らしていた地域です。戦前から交通の便の良さと家賃の安さ、更に寄席や演芸場(一流の寄席や演芸場に出られるような人たちはてんのじ村には住みません)へのアクセスの良さなどから芸人たちが居住するようになりました。

 

 戦前から1980年代までのてんのじ村でのエピソードの数々が小説仕立てで収められています。このてんのじ村についてはそれまでも題材にして小説にしたいという作家はいたのですが、資料の少なさや住人達への聞き取りの難しさもあって、小説になっていませんでした。それを様々な聞き取りを通じて、エピソードを集め、小説として形にしたのが著者の難波利三です。

 

 戦後のラジオ、テレビブームに取り残された、昔ながらの芸人たちが助け合いながら、そして芸を磨きながら生活している様子は胸に迫るものがあります。「芸人になっていなければどんな人生があったのだろうか」という思いを抱えながら、それでも、「芸一筋に生き抜く」覚悟を決めた80歳を超えた芸人・シゲル師匠の姿に力を貰えます。

 

 「忘れ去られた日本人」の姿に、私たちの原型を見ることができると思います。

 

 

(終わり)