古村治彦です。
2015年9月13日に中国の北京で抗日戦争勝利70周年行事が開催されました。アナクロニズム丸出しの軍事パレードも行われました。軍事パレードではオープンカーになったバスに乗った中国人民解放軍の八路軍に所属した年老いた男女の将兵たちから世界各国の軍隊の代表までが行進しました。アフリカや中央アジアの国々からの参加が多く、ロシア軍も参加していました。アフリカ各国の軍隊は中国人民解放軍による指導が行われているのでしょう。そして中央アジア諸国は旧ソ連に属していたので、ロシアとスタイルが似ていました。また大きく言えば、中国人民解放軍もソ連軍の指導を受けていた時期もあったので、全体として行進のスタイルはよく似ているものでした。あれは何故かオリンピックの開会式の選手団の行進を思わせるものでした。
この行事に国連の藩基文事務総長が出席したことについて、日本国内で異論が出ているようです。「国連は中立な立場でいなくてはならない」というのがその理由です。しかし、この議論は国連の成り立ちを知らないゆえに出てくる主張です。国際連合・国連などと言いますが、これは英語ではUnited Nations、UNというので、正確には「連合諸国(連合国)」と訳すべきです。中国語では「聯合国」となっているはずです。国連(UN)は第二次世界大戦の戦勝国クラブとして始まった国際機関です。
その存立が戦争に勝利した国々の集まりにあることは、国連条項に敵国条項(Enemy
Clauses)があることでも明らかです。「第53条第1項後段(安保理の許可の例外規定)には、第二次世界大戦中に「「連合国の敵国」だった国が、戦争により確定した事項に反したり、侵略政策を再現する行動等を起こしたりした場合、国際連合加盟国や地域安全保障機構は安保理の許可がなくとも、当該国に対して軍事的制裁を課すこと(制裁戦争)が容認され、この行為は制止できないとしている(Wikipediaから)」という条項があります。
敵国条項は死文化しているとは言え、削除されている訳でありません。ですから、国連には様々な特徴がありますが、国連はあくまで戦勝国クラブであって、国連安全保障理事会の常任委員である五カ国、米英露仏中(台湾の中華民国から中国本土の中華人民共和国へ正統性が移動した)が中心の組織であるという基本は変わりません。
ですから、国連事務総長が中国での抗日戦争勝利記念行事に出席したことくらいで目くじらを立てても仕方がない訳です。また、国際社会における日本の力も影響力も落ちている昨今、更には歴史修正主義者たちが政権を担っているなどと思われている現在において、対応を間違うと国際的に嫌われてしまうという危険もありますから、静かに「まぁどうぞ」というくらいがちょうど良いのではないかと思います。
私は最近『靖国戦後秘史 A級戦犯を合祀した男』(毎日新聞「靖国」取材班、角川ソフィア文庫、2015年)を読みました。この本は1978年に靖国神社に、東京裁判でA級戦犯とされ処刑されたり、収監中に亡くなったりした人々14名が合祀されましたが、それを進めた当時の宮司・松平永芳氏(松平春嶽の孫)について書かれています。松平宮司の合祀の論理は、「日本の戦争は1952年にサンフランシスコ講和条約で独立するまでは戦争状態にあって、連合国に処刑された人々は軍事裁判で殺された人々であり、戦争状態によって亡くなった“戦死者”だ」というものです。重光葵氏と梅津美治郎が全権として出席し、署名した降伏文書を全く無視した話です。
靖国神社は松平宮司が就任してから急激に「右傾化(靖国神社の元々の性格からすれば“正常化”)」していきました。松平氏の考えに根本には戦後の世界体制に対する反感と祖父・春嶽公にはなかった狭量の攘夷思想があったのだと思います。子爵家の生まれで海軍士官でしたが(本科の海軍兵学校には不合格となって海軍機関学校卒)、海軍士官が持つ広い世界観に欠けていた、「遅れてきた尊王家」「考えが足りない青年将校そのもの」といった人物です。
靖国神社がこのように戦後の世界体制を否定する考えを露わにしたのがA級戦犯合祀であって、それ以降、昭和天皇も今上天皇も参拝していないというのは、「そういう考えの場所には行けない、行っては国民を危険に晒す」と考えたからだと思います。先ほどあげた国連条項には、「「連合国の敵国」だった国が、戦争により確定した事項に反したり、侵略政策を再現する行動等を起こしたりした場合、国際連合加盟国や地域安全保障機構は安保理の許可がなくとも、当該国に対して軍事的制裁を課すこと(制裁戦争)が容認され、この行為は制止できない」とあります。死文化しているとは言え、「靖国神社の見解を政府や国家を代表するような存在が支持している」と見なされることは大変危険なことです。
抗日戦争勝利記念70周年行事に対して噛みつくことは、こうした危険を冒すかもしれない、非難の口実を与えるかもしれないと考え、慎重に行動することが重厚な保守です。しかし、現在はお勇ましい、頭が空っぽの自分は安全な場所にいて人には死にに行けと言って全く恥じることのないような人間たちが政権を担っている状況です。彼らが火遊びをしてスリルを楽しんでいることで国民が迷惑しています。彼らは戦時中の大本営作戦参謀と同じで、自分の私利私欲や楽しみのために国民から奪い取った税金、さらには国民の生命さえも使い散らかして恬として恥じない最低の人間たちです。
(ネット記事転載貼り付けはじめ)
●「国連は「中立性」を放棄したのではないか 潘事務局長が「抗日戦争勝利70周年」行事参加」
J-CASTニュース 2015年9月1日
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150901-00000006-jct-soci&p=1
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150901-00000006-jct-soci&p=2
国連の潘基文(バン・ギムン)事務総長が中国・北京で2015年9月3日に開かれる「抗日戦争勝利70周年」の式典に参加することを発表し、日本側は「国連は中立であるべき」だと反発している。
潘氏は5月にもモスクワなど欧州各国で行われた第2次大戦終結記念行事に出席しており、北京の行事も同様の位置づけだというのが国連側の言い分だ。ただ、モスクワも北京も先進国首脳会議(G7)からの国家元首・首脳級の参加は皆無。世界的は「マイナー」だとも言える行事にあえて参加することへの疑問の声も出ている。今回の式典に西側の主要国で参加するのは韓国だけ。韓国の立場を支援した形にもなり、日本国内から国連の中立性をめぐる批判が高まるのは必至だ。
■菅官房長官「いたずらに特定の過去に焦点は当てるべきではない」
国連は8月27日、潘氏が9月2日から6日にかけて習近平国家主席の招待に応じる形で訪中すると発表した。発表の表現を借りると、潘氏は「第2次世界大戦の終結を記念する行事」に参加するほか、国連の設立70周年、気候変動、持続可能な開発に関するサミットといった相互の関心事について議論するという。
国連の発表内容は中立的だが、行事が対日批判色を帯びるのは明らかだ。潘氏が行事に参加することは、潘氏が中国側の主張を追認しているに等しいとも言え、日本政府は批判を強めている。
菅義偉官房長官は8月31日の会見で、
「国連には190か国以上が加盟しており、国連はあくまでも中立であるべきだと思う。(戦後)70年の今年、いたずらに特定の過去に焦点は当てるべきではないと考えている。あくまで自由、人権、法の支配、こうしたことを含めた国際社会の融和と発展、未来志向を強調するということこそ国連に求められているのではないか」
と述べた。大島理森衆院議長も同日、ニューヨークの国連本部で潘氏に会い、菅氏と同様の懸念を直接伝えた。潘氏は、こういった指摘について「留意する」と応じたという。
この会談後に行われたドゥジャリク事務総長報道官の会見では、潘氏の訪中を、
「すでにポーランド、ウクライナ、モスクワで行ってきたのと同様」
だと主張した。潘氏は5月7日にポーランドのグダニスク、5月8日にウクライナのキエフ、5月9日にロシアのモスクワで行われた記念行事に立て続けに出席している。北京もこれと同じ位置づけだという訳だ。訪中の意義については、
「事務総長はこの機会を、過去を振り返り教訓に目を向け、これらの教訓に基づいた明るい未来に前進する機会にすることが大事だと考えている」
とも説明した。
(ネット記事転載貼り付け終わり)
(終わり)