今回は、古い記事であるが、安倍晋三前首相が退任を発表した直後に、アメリカ人識者によって発表された安倍政権の分析と評価を行った論稿を紹介する。マイケル・オースリンは、アメリカの首都ワシントンにある右派のシンクタンクであるアメリカン・エンタープライズ公共政策研究所(AEI)の上級研究員兼日本部長を務めている。
この論稿の中で、オースリンは、安倍首相の経済政策はうまくいかなかったが、外交政策と安全保障政策においては成功を収めたと分析している。この「成功」とはずばり、対中国強硬路線だ。中国と対峙するために、インド、オーストラリア、東南アジア諸国との関係を深化させ、防衛協力も進めたとしている。安倍首相の「成功」とは、アメリカにとっての成功であって、日本の国益にかなっていたかどうか、ということは別の視点から見なくてはならない。
この論稿の中で、オースリンは、この時点でははっきり決まっていなかった自民党の次期総裁(日本の首相)については数人の候補者を挙げるにとどまっていた。そして、オースリンは一つの懸念を表明している。それは、「安倍首相のようにうまく日本を統治しながら、アメリカとの同盟関係に深く献身できる(属国化を推進する)人物が出てくるのかどうか」ということだ。安倍首相時代、アメリカは日本について懸念を持つ必要はなかったが、これからはそうはいかない、これからは「安倍時代は良かったな(中国にとっては良くなかったな)」と思う日々がやってくると書いている。
これを裏返して考えて見ると、「安倍首相のように、何でもアメリカの言いなりで、自ら進んで属国化を進める、そんな政治家はいない、いくら何でもそこまでする奴は常識外れのバカだ」ということになる。普通に考えれば、安倍首相がやったようなことはしないし、できないということだ。
この論稿は安倍前首相の外交政策と安全保障政策を評価しているが、視点を考えれば「ほめ殺し」そのものだ。
結局、日本の新しい首相には菅義偉前官房長官が選ばれた。官房長官時代に単独でアメリカ訪問をし(内閣の番頭格、首相の女房役という点からかなり異例)、マイク・ペンス副大統領との面談を行った。アメリカ側としては、こいつでいいや、安倍程期待できるか分からないが、安定しそうだし、安倍路線の継承と言っているのだから、ということになる。国会で施政方針演説を行う前に、ドナルド・トランプ大統領に早速お電話を差し上げて、ご挨拶もした。「菅はなかなか愛(う)い奴」ということになる。
安倍路線とは日本の属国化論戦そのもので、アメリカを喜ばせるだけのことだ。
(貼り付けはじめ)
安倍時代は終焉し、中国は元気づけられ、アメリカ政府は懸念を持つ(The Abe Era
Ends, Cheering China, Concerning Washington)
アメリカはほぼ10年間、日本について懸念を持つ必要はなかった。これからは懸念が始まってしまうことだろう。
マイケル・オースリン筆
2020年8月28日
『フォーリン・ポリシー』誌
https://foreignpolicy.com/2020/08/28/abe-japan-resignation-united-states-ally/
タイミングは偶然だっただろうが、安倍晋三首相が日本の首相の中で最長の在任記録を打ち立てた週に辞任を発表した。辞任の理由は2007年、最初の首相を短期間で辞任することになった原因と同じだ。それは慢性の潰瘍性大腸炎だ。支持率の低下、一向に改善しない経済状態、2016年に大阪の学校への土地売却をめぐるスキャンダルなどはあったが、安倍首相は2012年に権力の座に返り咲いてから、日本政治を支配した。そして、10年近くにわたり、安倍首相は日本をアメリカにとっての忠実な同盟国としての立場を堅持した。米中間の地政学的な競争がヒートアップしている中で、日本との同盟関係を失うことは、アメリカ政府にとっての懸念の種である。誰が安倍首相の後任になるか、日本が政治的な麻痺状態もしくは不安定状態に入るかどうか、後任が安倍首相と同等の外交政策と安全保障政策に対する熱意を持っているのか、これらの疑問は日本においてだけではなく、同盟諸国と競争相手にとって重要な疑問である。
首相として3期連続で人気を務め、約8年間にわたり日本政治のトップであったが、安倍氏が2012年に再び首相の座を手にしてした時、以下に日本が酷い状態であったかを思い出すのは難しい。安倍氏が2007年に一度目の首相を辞任してから、5名以上の首相が就任したが誰もが1年ほどで退任した。この時代には安倍氏が属する自由民主党が1955年の結党以来、初めて権力の座から滑り落ちた(1990年代初めに短期間野党に転落したことはあった)。首相として1期も持たずに退任するという失敗から、安倍氏は、1970年代と1980年代の日本でパワーブローカーであった田中角栄と中曽根康弘に匹敵する、日本における実力政治家となった。
安倍氏の父は外相を務め、祖父は岸信介であった。岸信介はアメリカによってA級戦犯として投獄されたが、1957年から1960年にかけて日本の首相となった。岸はそれから数十年間続くことになる自民党の選挙での優位性を作り上げた設計者の一人である。安倍氏は2012年以降、経済成長と外交・安全保障政策分野での積極性を通じて、彼の地位を固めた。安倍氏は日本の政治家特有の控えめなイメージを覆し、彼の経済政策についてアメリカ式のスローガンを打ち出した。安倍首相が首相の座に返り咲いた際、彼は「アベノミクス」をぶち上げた。有名な「三本の矢」という言葉も使われた。これは通貨発行の拡大、財政刺激、構造改革を指している。
アベノミクスは多くの目標を達成できなかった。2%のインフレーション・ターゲット、デフレーションの終息といったことは達成できなかった。それでも、安倍首相は環太平洋連携協定交渉に参加し、けん引すること、法人税の引き下げ、電力などの重要分野の規制緩和、日本における外国人労働者の増加、女性の勤労者数の増加(「ウイメノミクス」として知られる)で新しい地平を開いた。
日本の指導者としては大胆な施策であった、安倍首相の経済政策は、考慮が足りなかった、安倍首相の在任期間における二度にわたる消費税税率の引き上げと世界的な新型コロナウイルス感染拡大によって打撃を受けた。消費税引き上げは経済回復の航海から必要な推進力となる風を奪い取った。東芝やルノー・日産などで起きた企業統治に関する数々のスキャンダルは、ひとたびは「ジャパン・インク(日本株式会社)」と呼ばれたシステムの改革がいかに難しいかを改めて示すものとなった。ルノー・日産のスキャンダルでは、実業家カルロス・ゴーンの批判を巻き起こした逮捕とそれに続く日本からの脱出行で世界に知られることになった。しかし、多くの失敗はあったが、安倍首相は唯一、総合的な日本の経済改革計画を持つ人物であった。そして、彼は信頼性の高い他の選択肢がない中で、基本に立ち戻ることができた。
安倍首相の経済政策が世界的な基準によって比較的過激さを失わされることになったが、安倍首相は戦後の日本の指導者たちの中で、外交政策と安全保障政策をこれまでになく進めた。彼は平和主義の第9条を日本国憲法から取り除く形で憲法を変更しようと望むこと、また日本の戦争犯罪についての解釈について疑問を呈することで悪名を高めた。憲法9条では、日本は伝統的な軍事力の構築を禁止されている。それでも安倍首相は第二次世界大戦における日本の役割に関してこれまでになく明確な謝罪を表明し、パールハーバーを公式訪問し、広島にバラク・オバマ大統領を迎えている。
より具体的に言えば、安倍首相は日本の戦後の手かせを脱ぎ捨てた。彼は日本と同盟諸国との間の協力、日本企業が防衛生産と協調することを妨げてきた様々な法律を改定、もしくは廃棄した。そして、国家安全保障会議を創設し、毎年防衛予算を増額し続けた。安倍首相の在任期間中、日本は第二次世界大戦井以来の空母建設計画を立て、アメリカに次いで、世界第二位のF-35保有数を達成した。また、中国軍から遠隔の島嶼部を防衛するために陸海共同の部隊を新たに創設した。
アジア地域において、安倍首相は日本の外交関係を深化させた。特にインドとの関係を強化した。安倍首相とインドのナレンドラ・モディ首相は協力関係を構築した。安倍首相は、オーストラリア、更に東南アジア諸国との関係も強化した。安倍首相の前政策の基盤にあるのは、中国の台頭である。中国は日本にとって最大の経済的パートナーであるが、同時に日本の国益にとっての明白な脅威でもある。多くの場面を通じて、安倍首相がアジア諸国に送ったメッセージはシンプルなものだ、それは、日本は「非中国」であり、皆さんと貿易を行うことができ、地域における規範とルールを維持するために協力でき、皆さんを虐めたりしません、というものだった。
安倍首相が権力の座に返り咲いた時期に、中国で習近平国家主席が権力を掌握したということもまた偶然の産物ということになる。両者は8年間にわたりつば競り合いを続けた。中国は日本が海外開発支援を通じて、経済関係と外交関係を拡大していることを注意深く観察してきた。これは習近平の進めている一対一路計画に対抗するものである。最近になって、安倍首相は、新型コロナウイルス感染拡大終息後のための基金をスタートさせた。これは、日本企業に対して中国を拠点にしている活動を移転させるためのものだ。世界規模の貿易における中国の役割を変更させるために制限された中国の分離を加速させる。
中国政府にとっての特別な脅威となったのは、安倍首相が進めた軍事力の近代化であった。安倍首相は領有権をめぐる争いがある尖閣諸島(釣魚島)周辺海域に対する中国の日常的な侵入を防衛した。それだけではなく、安倍首相はオーストラリア、インドとの安全保障協力関係を深化させた。そして、台湾との関係も表立ってではないが、緊密さを維持した。安倍首相の退任に中国政府はほっと一息つくであろうことは疑いようがない。そして、彼の後任が彼ほどのエネルギーを持っていないこと、インド太平洋地域、もしくは世界における日本の役割の拡大という彼の考えを共有していないことを願っていることだろう。
安倍首相の外交政策の中核はアメリカとの同盟関係であった。彼はオバマ政権と協力して日米同盟に関するガイドラインの見直しの成功を主導した。更にはその深化にも成功した。しかし、安倍首相はアメリカのドナルド・トランプ大統領と緊密に協力した点で人々の記憶に残ることになる。彼はトランプ大統領と独自の緊密な関係を構築した。安倍首相は日本のナショナリストというレッテル貼りをされたが、安倍首相は日本の安定と繁栄のためにはアメリカ政府との協力が致命的に重要であることを理解していた。安倍首相のトランプ大統領へのアプローチは、中国への対抗、アメリカがこれからも日本を北朝鮮から守り続けること、トランプ大統領が環太平洋連携協定からのアメリカの撤退を決めてからの血の二国間の関税引き下げを行うための二国間交渉といった点から行われた。
安倍首相は辞任を発表した記者会見の中で、領有に関して争いがある北方領土をロシアに返還させること、北朝鮮から拉致された人々の期間を確実なものにすることができなかったことについて後悔の念を表明した。北方領土は第二次世界大戦中にロシアに占領された島々である。安倍首相は憲法の変更ができなかったことについても言及した。彼はまた常に不完全な経済改革についても残念に思っているだろうし、デジタル金融、5G、サイバーセキュリティの面で日本が遅れていることにも懸念を持っているだろう。しかし、全体的に見て、この8年間、安倍首相はアジア地域で最も有能で成功を収めた指導者であった。安倍首相の最後の1年において、日本は新型コロナウイルス感染拡大危機に見舞われたが、安倍氏が首相に返り咲いた2012年に比べて、日本は国際社会において存在感を増し、アジア地域とその他の各地域でより重要な役割を果たすようになっている。
日本にとって最も重要な疑問は、誰が安倍氏の後継者となるか、彼の政策のうちの何を引き継ぐのかというものだ。自民党は国会で絶対多数を確保しており、石破茂元防衛大臣、岸田文雄元外務大臣、現職の河野太郎防衛大臣と菅義偉官房長官といった有力候補者たちから次の指導者を選ぶことになる。これからの数週間で、選挙で人々を惹きつけることができるか、そして安倍首相の政策を引き継げるかということがテストされることになる。
最近になっていくつかのトラブルがあったが、安倍氏は日本で最も人気のある政治家だった。そして、彼ができたレヴェルで権威を行使することができる人物もいなかった。中国政府、北朝鮮政府は共に安倍首相の後任は有名ではなく、地味で、アメリカ大統領とはそこまで緊密な関係を築くことがない人物になって欲しいと願っている。市場は次期首相がすでに実現している改革から後退し、日本の産業面での競争力を増加させるための方策を実施しないのではないかという懸念を持っている。
アメリカ人にとっても、日本における統治の安定に慣れ過ぎてしまっている。この安定はサプライズである。アメリカ政府が、日本の指導者が日米同盟に献身するのかどうか、国会において安定的に過半数を維持できるのか、世界第3位の経済大国という地位に見合った世界における役割を果たすための計画を持っているのか、について懸念することになるのはほぼ10年ぶりのことだ。日本国内で、そして海外の同盟諸国の中で、安倍時代は良かったと懐かしがられるようになるのはすぐであろう。
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(終わり)



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