ダニエル・シュルマン
講談社
2015-10-28



アメリカ政治の秘密
古村 治彦
PHP研究所
2012-05-12



 

 古村治彦です。

 

 山本太郎参議院議員が国会でも取り上げた、米外交誌『フォーリン・ポリシー』誌に掲載された安保法制に関する記事をご紹介します。筆者はシーラ・A・スミス博士で、米外交評議会の研究員で、ヒラリー・クリントン前国務長官の側近の一人とされています。ヒラリーが大統領に当選した場合に、何らかの形で政権入りし、アジア政策に関わると見られています。複雑なのは、ヒラリーを中心とする人道的介入派(humanitarian interventionists)は一見リベラルで、物分かりが良いですが、結局はネオコン派と目的は同じであることです。このことを私は拙著『アメリカ政治の秘密』(PHP研究所、2012年)で書きました。そうしたことを考えながら、以下の文章を読んでいただきたいと思います。素直に感心できないということを申し上げたいと思います。

 

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彼が言っていることは戦争にチャンスを与えるということだ(All He Is Saying Is Give War a Chance

―日本の首相安倍晋三は日本の軍事力増強に成功することだろう。しかし、その代償とは?

 

シーラ・A・スミス筆

2015年9月18日

『フォーリン・ポリシー』誌

http://foreignpolicy.com/2015/09/18/all-he-is-saying-is-give-war-a-chance-shinzo-abe-japan/

 

 日本の議会は安倍晋三首相の反対論も多かった安全保障法制を巡る最終対決の準備をしている。安倍首相は、自衛隊と呼ばれる日本の軍隊が「平和に積極的に貢献」するために他国のために軍事力を使用することを禁止してきた制限を撤廃する時が来たと確信している。

 

 日本の議会は国会と呼ばれるが、今回の会期は9月27日に終了することになっている。そのため、これからの反対運動によって安保法制の採決までの過程が延びたり、空転したりしないように、安倍内閣は安保法制をこの時期に進めた。しかしながら、こうしたことはやらなくても良いことではあった。安倍首相は彼の改革案を法律にするだけの支持を国会で持っている。安保法制に反対の決意を固めた参議院での反対議員は少数だ。そして、とにもかくにも、日本国憲法では、衆議院に差し戻しての再議決で法律にできることになっている。衆議院では与党は3分の2の議席を保持している。

 

 しかし、安倍首相はこの改革案を法律化するにあたり、日本国民を無視して進めているのだろうか?法律に反対するために集まっている人々と多くの疑問を持っている人々の数は増えている。彼らは、日本が誇ってきた日本国憲法、とりわけ国際紛争を解決する手段としての戦争を非合法化する憲法9条に対する安倍首相の再解釈を問題視している。今年7月、衆議院ではこの政策変更を是認する決定が行われたが、この時、数多くの人々が集まり、反対の意思を表明した。彼らは自身を「日本の立憲民主政治体制を護る(Save Constitutional Democracy Japan)」と呼び、政権が進める自衛隊の海外での任務拡大に公の場で反対を表明している。彼らは、日本の70年間の平和の秘密は憲法9条にあると主張している。 いつもは政権を支持する読売新聞でさえ、安倍首相は人々の怒りや不安に対して答えていないために、彼らの懸念を増大させていると批判したほどである。

 

 安倍首相は日本の軍事力の強化を巡る議論に関して経験や知識を豊富に持っている。

 

 2012年12月に政権の座に就いて以来、安倍内閣は日本の安全保障政策に関する包括的な諸改革を進めてきた。2013年末、安倍内閣は新たに国家安全保障会議を設置し、秘密保護法を成立させ、国家安全保障戦略を発表した。また、海外への防衛技術移転への制限を緩和した。2014年7月、安倍内閣は、日本国憲法の再解釈を行い、急速に状況が変化しているアジア・太平洋地域における日本の軍事的な備えを確かなものとするための努力の一環として、他国との共同の軍事作戦において自衛隊が武力を使用できると発表した。冷戦が終結してからの20年、日本政府は北朝鮮の核兵器とミサイルの開発と中国の海洋進出に対して頭を悩ませてきた。

 

 しかし、安倍首相はこれらの危機の深刻さについて日本国民を説得しているとは言い難い。今年8月、安倍首相の補佐官である礒崎陽輔は、日本は法的安定性について懸念するよりも、その国防にこそより懸念を持つべきだと主張した。しかし、日本国民で彼の考えを支持した人はほぼいなかった。日本のリベラル、保守両方のメディアの世論調査の結果では、大多数の人々は、海外で他国の軍隊と自衛隊がどういった理由で、いつ戦うのかに関しての説明に満足していないということであった。今年7月、衆議院が安保法制を可決した時、安倍政権の不支持率は50%に達した。支持率は38%に留まった。これ以降、支持率は少しずつ上昇してきている。

 

 安倍首相は国会の議場において、日本は古くなってきた戦後憲法の修理について考えるべきだと繰り返し述べた。彼は自分の考える軍事政策改革は既存の考えに当てはまるものだとさえ主張している。8月に参議院の開会にあたり、安倍首相の安保法制を審議するために設置された特別委員会の委員長鴻池祥肇は、反対者たちが「戦争法案(war bills)」と呼んでいる法案の拙速な通過を目指す動きに対して怒りを持ちながら批判した。参議院は1930年代の数々の誤りを避けるために設置された、と鴻池は述べ、参議院の前身である貴族院(House of Lords)は、日本帝国の軍部が戦争に向かうことを止めることが出来なかったと主張した。そして、鴻池は同僚議員たちに対して、優越的な存在である衆議院の無謀で気の早い衝動を抑える責任が自分たちにはあると呼びかけた。

 

日本の主要な野党である民主党と維新の党は、安倍首相を止めることはできないだろう。しかし、彼らができることは安倍政権が軍事的な目的に対して守勢に回るようにし続けることだ。海外において日本が自国の軍隊に対して遂行を許可する任務を正確に定義し、その許可の前提となる状況を明確にすることはその助けになるだろう。安倍内閣は日本の同盟国との協力において自衛隊の使用が許されるのは、アメリカとその他の国々を護るためのミサイル防衛、同盟国との海上パトロール、ホルムズ海峡における機雷除去、長年にわたり日本防衛の中心と考えられてきたアメリカ軍に対する支援と補給活動であると主張している。これらの任務は日本の自衛隊にとっては何も目新しいものではない。しかし、自衛隊が他国の軍隊と一緒になって武力を行使するということは、自衛隊にとって全く新しい任務となる。

 

 もちろん、日本の軍事力が防衛任務の範囲を拡大されたのはこれが最初ではない。1950年代以降、自衛隊は人々の信頼と世界各国からの尊敬を少しずつ勝ち取って来た。しかし、安倍首相の改革は多くのアメリカ側の計画者たちが考えるような形での日本の軍事力の正常化の形を全面的に実現したものではない。議会における軍事力に対する制限、「歯止め(hadome)」を巡る議論の応酬は、日本の軍事力を今まで通りにシヴィリアン・コントロールの下にきちんと置き続けることを担保することであり、日本政府が安全保障政策を作る際に中心となってきた。

 

 「歯止め」の機能は2つある。第一に、1954年に自衛隊が発足して以来、日本の野党は、与党自民党がアメリカとの同盟協力の範囲を拡大するスピードを遅くしようとして来た。こうした動きは今も続いている。民主党の岡田克也代表は、自衛隊の作戦活動をアメリカ軍と統合しようとする自民党案に反対し、これは日本政府による主権の一部移譲だと主張した。

 

 第二に、防衛的な軍事力とは何かの定義は形而上的な制限のようになってきた。日本の軍事力に関する議会での議論は制限を導入するための新たな方法を巡るものであった。自衛隊という名称でさえも、「専守防衛(exclusive self-defense)」という教義という制限された目的を端的に示すものである。1960年代から1970年にかけて、政治家たちは、日本が製造する武器の種類に集中した新しい「歯止め」を作ろうとした。 現在、日本の航空自衛隊は新しいF-35を導入することで近代化を計画している。そして、洗練されたミサイル防衛システムを運用している。海上自衛隊は最新鋭のミサイル防衛能力を持つイージス駆逐艦を運用し、アジアで最高の通常潜水艦と掃海艇を配備している。しかしながら、攻撃的な能力を持つことは禁止されている。

 

防衛支出はもう一つの「歯止め」となった。日本が景気後退に直面し、米ソ間の緊張緩和によって冷戦の緊張状態が緩んだ時期の1976年に日本の防衛費はGDPの1%以内とする制限を政治家たちは導入した。防衛支出に対する上限設定は中曽根康弘が首相になるまで続いた。中曽根首相は1987年に230億ドルの防衛予算を認めた。これは当時のGDP比で1.004%になった。中曽根首相は公式の1%上限を撤廃することに成功したが、防衛庁(防衛省)ではそれ以降もこの上限を堅持してきた。2014年の日本の防衛予算は約440億ドルであり、2013年に比べて2.2%の増額となったが、GDP比では約1%となった。

 

 現在、日本は中国との緊張関係を憂慮している。特に、東シナ海での領海問題で緊張が高まっている。加えて、北朝鮮の金正恩政権の予測不可能な動きと彼の韓国を打ち倒すための武力行使の意図にも懸念を持っている。しかし、安倍首相が語る軍事上の備えの必要性は、日本国民の納得を得ているとは言い難い。日本政府が軍事力に対してどのようにコントロールを行うのかや武力行使の必要を政府が判断する際の基準に関して曖昧であるために、人々は疑念を持ち続けている。

 

 武力行使に対するシヴィリアン・コントロールは日本の防衛政策立案者たちにとって第三の道となってきた。安倍首相はシヴィリアンがどのようにして決定を行うのか、自衛隊が海外で武力行使をすることを認める決定の根拠は何になるのかという疑問に対してきちんと答える必要がある。国会による監視と助言はシヴィリアン・コントロールの実施にとって重要であることはこれからも変わらない。しかし、安倍内閣は、彼らの進める新しい改革の中で国会がどのような役割を果たすのかについてほぼ何も強調して語ってはこなかった。

 

 憲法9条は、戦後日本の防衛に関して、政治家たちに対して武力行使を考慮する際に独自の制限をかける役割を果たしてきた。しかし、政府へ説明責任を課すことと武力の行使に際してシヴィリアン・コントロールを確保することは、民主的な統治の中核的な前提となるものでもある。日本の政治家であってもそれは同じだ。日本国民が疑問に思っているものに対して、判断をし、説明責任を果たすべきは日本の政治家であって、軍事的な指導者ではない。

 

(終わり)





野望の中国近現代史
オーヴィル・シェル
ビジネス社
2014-05-23