古村治彦(ふるむらはるひこ)の政治情報紹介・分析ブログ

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タグ:黒澤明

 古村治彦です。
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生きものの記録[東宝DVD名作セレクション]

 今回は、黒澤明監督の『生きものの記録』について書く。一言で言って、気が重くなる映画だ。考えさせられる、という言葉のその先の、私たちが見ないようにしていることに無理に頭を押さえつけられて見せられている、そのような感じだ。

昭和30年、1955年公開の映画で、舞台は昭和20年代後半ということになる。昭和28年、1953年にサンフランシスコ講和条約が締結され、アメリカによる日本の占領は終了し、独立を回復した。昭和29年、1954年には映画『ゴジラ』が公開された。ゴジラは水爆実験によって眠りから目覚めたという設定になっている。そうした中で作られた映画であるということを分かっていると味わいが違ってくる。

 物語は以下の通りだ。歯科を開業している原田(志村喬)はヴォランティアで家庭裁判所の調停委員を務めている。家裁には様々な揉め事が持ち込まれる。原田は、父親・夫である中島喜一(三船敏郎)に対して家族が起こした準禁治産者申し立ての裁判に関わることになった。

 家族は喜一が合理的な理由もなく、財産を処分して家族(複数の愛人や愛人との子供たちも含む)を連れてブラジルに移住しようとしているとして、財産を勝手に処分できないように準禁治産者にしてもらいたいという申し立てを行った。喜一は原水爆の恐怖から逃れるには日本を離れるしかないと強く訴える。家族は「何を馬鹿な」「妄想には付き合えない」と反発する。喜一は工場(鋳造所)を経営し、家族も一緒に働き、きちんとした収入もあり、社会的にはしっかりした存在である。この時代には社会的に成功した人物が正式な婚姻関係を結ばない別の家庭を持つことも許容されている。喜一の妻(三好栄子)は夫に従順である。息子の一郎(佐田豊)と二郎(千秋実)、娘のよし(東郷晴子)とすえ(青山京子)のうち、次女で末っ子のすえは皮肉屋であるが、父を慕っている。それ以外は父喜一を厄介者として扱っている。喜一は米ソ対立の激化から核兵器を使った戦争が起きる、そして、日本もその影響を受けるとし、「死ぬのはやむを得ん、だが殺されるのは嫌だ」と訴えている。

 喜一はブラジル移民の話を勝手に進める。仲介者を立てて、実際に日本人移民(東野英次郎)が開拓した農場を買う話を進める。その農場の様子を収めたスライドの上映会を自宅で開き、家族は喜一の本気度に唖然とし、恐慌をきたす。家庭裁判所は結局、家族の申し立てを認め、喜一を準禁治産者とした。調停委員の原田はこの決定で良かったのかと考え込んでしまう。

 そうした中で、原田は都電の中で喜一と会う。憔悴している喜一。彼は原爆の恐怖と家族への愛情から焦燥している。原田に不満を訴えるが、どうしようもない。喜一は最後、家族に対してブラジル行きを懇願して土下座までするが、拒絶される。妻と次女は父喜一の味方をするが、どうしようもない。その晩、喜一は自分の工場に放火をする。

 最後のシーンは陰鬱だ。昭和20年代の精神病院が出てくる。そこにはたくさんの患者たちが鉄格子のはめられた部屋で雑魚寝のような状態になっている。監獄や強制収容所のようだ。

 喜一は精神鑑定を受け、精神疾患ということで個室に入院している。原田は喜一の見舞いに出向く。そして、廊下で喜一の家族とすれ違う。病室で面会した喜一は明るい表情になっている。自分は地球を脱出して、安全な別の星に来たのだと考えている。そして、最後に太陽を見ながら、「地球が燃えている」と叫ぶ。最後のシーンはお妾さんが赤ん坊を抱いて廊下を進むというものだ。

 時代を考えると、米ソ対立が起き、中国での国共内戦や朝鮮半島での朝鮮戦争といった戦争が起き、「第三次世界大戦が起きるのではないか」と人々は心配していた。そうなれば、核兵器を使った戦争となるということも考えられていた。そして、日本もその影響を受けるということも考えられていた。広島、長崎の惨状も人々にとっては実感を持って迫ってきていた。

 しかし、同時に人々は「これはどうしようもないことだ」と諦めて、そんなことは考えずに日常を過ごしていた。ところが、ここに「仕方がない」とは考えずに、「何とかしよう」と考え、実際に何とかする、つまり日本から脱出するだけの財力と行動力を持つ人物がいる場合、そうした諦めに基づいた日常が大きく揺さぶられる。

 諦めに基づいて日常生活を営む人々にとっては、この映画の主人公である喜一は迷惑この上ない人物である。現実から遠く離れた妄想を自分の中で勝手に膨らませて、周囲に迷惑をかけるということになる。しかし、喜一は「狂人」なのだろうか?米ソ対立が激化する中で核兵器を使った戦争の危険が高まっているということを冷静に考えれば、「核戦争の危険が高まっている、家族を守りたい、そのために日本を脱出する」という結論に至るということは非現実的ということは言えない。しかし、周囲が自分の落ち着いた、安穏な日常生活を変えたくないということで、現実から目を背けて、喜一を「狂人」に仕立て上げてしまう。そのために喜一の家族は不幸のどん底に落ちてしまう。喜一もまた精神病院に入れられてしまうが、彼自身は幸せを感じている。「狂ってしまう」方が彼にとって幸せなのである。

 核兵器が怖いから、財産を処分して家族みんなでブラジルに移住しようと考える喜一が狂っているのか、核兵器による戦争など馬鹿げた妄想であり、よしんばそんなことが起きれば黙って殺されよう、それよりも日常生活を守ることの方が重要だ、と考える周囲の人間たちが狂っているのか、分からなくなる。

 人間は恐怖に憑(と)りつかれるととんでもないことをする。この点では喜一は恐怖心を拗(こじ)らせた人物ということになる。

 どうでも良い話だが、この映画の最初の方の家裁でのシーンでしか出てこない田宮書記役の女優さんは綺麗だなぁと感心して見ていた。宮田芳子という人で、生年月日も分からない、無名の女優さん。10年以上映画界にいて多くの映画に出ていたようだ。眉にしわを寄せながら、メモを取っている姿は綺麗だなと感心した。是非注目してご覧いただきたいと思う。
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 また、三船敏郎の名演を支えているのに特殊メイクの効果もある。孤立感を深め、やがて放火までしてしまう喜一の焦燥感をくすむ肌と白髪で表現している。そこに三船の名演が重なることで鬼気迫る迫力が出てくる。「幽鬼のような」メイク、というのは黒澤映画の一つの特徴ではないかと私は考えている。シェイクスピアの影響だろう。
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 「狂人」は狂人にあらず、「狂人」は周囲が作る、周囲の方が実は狂っているということを考えさせられる映画。現在の閉塞的な状況下で「自警団」を作り、周囲を抑圧している人々にこそ見てもらいたい。「自分は正義だ、自分は正しい」と無条件に信じ込んでしまうことは怖い。自分は普通だ、自分は正しいということを揺さぶられる。時にそのような価値観の動揺は人間が自分を省みる際に必要な目覚めの一撃ではないかと思う。

(終わり)

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 古村治彦です。

 

 今回は映画『椿三十郎』を見た感想を書きたいと思います。


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椿三十郎 

 映画『椿三十郎』のストーリーは次の通りです。藩上層部の不正に怒りを募らせる若侍たち。若侍のリーダー(加山雄三)は城代家老の甥で、城代家老に処分を訴えるが、うまくいきません。監察である大目付に訴えたところ、彼らと同調するという返事をもらい、喜んでいました。

 

 若侍たちが集まっている古い神社には先客がいました。それは一人の浪人者、椿三十郎(三船敏郎)でした。三十郎は若者たちの話を危険だ、大目付が実はワルなのだと忠告し、やがて参謀役兼助っ人として仲間に加わることになりました。大目付は、側近の室戸半兵衛(仲代達矢)を使い、城代家老を捕まえ、不正の罪を城代家老になすりつけようとします。

 

 若侍たちは三十郎たちに反発しながらも三十郎の慧眼に心服するようになります。最後には城代家老を救出し、大目付をはじめとする藩上層部の不正を暴くことに成功します。城代家老は祝宴を用意しますが、その席に三十郎が居並ぶことはありませんでした。

 

 『椿三十郎』と言えば、ラストシーンの椿三十郎と室戸半兵衛の居合抜きによる対決のシーンが有名です。人間を本当に斬ればあのように血が噴き出すというリアルさを描き切ったのは凄い、の一言です。白黒映画ですが、どす黒い血の感じがよく出ています。黒沢監督の色彩感覚と素晴らしさを改めて感じます。

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 この映画にはチェンジオブペースと言うか、デウスエクスマキナと言うか、そういう役割を果たす人物たちが出てきます。それが城代家老の妻と娘、そして、大目付の配下で若侍側に捕らわれた壮年の侍です。城代家老の妻はおっとりとした性格と行動で(今で言えば空気が読めない)、三十郎や若侍を困惑させますが、その一言は重いものがあります。

 

家老夫人は「良い刀とは鞘に入っているものですよ」という言葉を三十郎に発します。頭が切れて腕も立つ三十郎を一言で評した言葉です。そして、三十郎が最後に若侍に贈った言葉が「鞘に入っていろよ」というものでした。

 

 この映画は若者たちの正義感とその暴走がテーマになっていると思います。戦前の青年将校の暴走と1960年の安保闘争といった日本にとって重要な局面で、若者たちは正義感が強ければ強いほど、暴走して結果として悲惨な事件を起こしたり、状況を悪化させてしまうものです。

 

 城代家老は凡庸な人物として馬鹿にされているところもありますが、藩上層部の不正についてはきちんと把握しており、証拠を集め、この証拠を突き付けて当事者たちの隠居を迫る、という方針を持っていました。城代家老は穏便にかつ怪我人を出さないで事を収めるという大人の知恵を持っていました。しかし、若者たちからしてみれば、このような穏健なやり方は生ぬるく、かつ敵を利するとさえ思われるようなものです。

 

 この映画の主人公である椿三十郎は若い時に、若侍のような正義感でもって不正を正そうとして、大きな騒動を引き起こしてしまった、という苦い経験と傷を持っている、老革命家のように思われます。若者たちが道を踏み外して自分のようにならないように、という姿勢を貫いているかのようです。

 

 ラストシーンで、居合で室戸半兵衛を斬った三十郎に対して、若侍が「お見事」と声をかけたことに対して、「馬鹿野郎」と怒鳴ったところも印象深いです。三十郎はこれまでにも何十人も斬ってきたことでしょうし、映画の中でも何人も斬っています。しかし、人間を斬ってしまうというのは下策であって、褒められたものではない、ということもあって怒鳴ったのでしょう。

 

これはまた、若者にありがちな「頭でっかちな」言葉遣い、地に足がついていない実感のない空虚な言葉遣いに対するメタファーということも言えるでしょう。60年安保や学生運動に参加した若者たちが聞きかじりのマルクスの言葉を振り回していたことに対する皮肉ということになるのでしょう。1962年公開の映画ですから、60年安保が沈静化していく中で、黒澤監督が時代の雰囲気をとらえて撮影したのが『椿三十郎』ということになるでしょう。

 

 スピード感のある映像と展開で見ていて大変面白い映画です。

 

(終わり)

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