古村治彦(ふるむらはるひこ)の政治情報紹介・分析ブログ

SNSI研究員・愛知大学国際問題研究所客員研究員の古村治彦(ふるむらはるひこ)のブログです。翻訳と評論の分野で活動しています。日常、考えたことを文章にして発表していきたいと思います。古村治彦の経歴などについては、お手数ですが、twitter accountかamazonの著者ページをご覧ください 連絡先は、harryfurumura@gmail.com です。twitter accountは、@Harryfurumura です。よろしくお願いします。

タグ:CIA

 古村治彦です。

 2024年のアメリカ大統領選挙の民主党予備選挙(民主党の候補者を決めるための選挙)に出馬表明したロバート・F・ケネディ・ジュニアについては、前回取り上げた。これからも少しずつ追いかけていきたいと思う。
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 ロバート・F・ケネディ・ジュニアはロバート・F・ケネディ元米司法長官・連邦所運議員の次男である。父のロバート・F・ケネディは兄であるジョン・F・ケネディを支え、ケネディ政権では司法長官(Attorney General)を務めた。兄ジョン・F・ケネディは1963年にテキサス州ダラスで暗殺された。その後は1965年からニューヨーク州選出の連邦上院議員となったが、1968年、大統領選挙運動中にロサンゼルスで暗殺された。兄弟そろっての暗殺、アメリカ政治の指導者層の暗殺ということで、今でも原因や実行の形態について、諸説が発表されている。
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ジョン・F・ケネディ(左)とロバート・F・ケネディ
 今回、アメリカ大統領選挙に出馬したロバート・F・ケネディ・ジュニアは、父と伯父の暗殺について、父ロバート・F・ケネディの暗殺については状況証拠の域を出ないとしながらも、伯父ジョン・F・ケネディについては証拠が山ほどにあり、それがCIAによる暗殺実行を示していると述べている。そして、伯父ジョンの暗殺の際の父ロバートが取った行動を明らかにしている。それによれば、ロバート・F・ケネディは兄ジョンの暗殺の一報を聞き、すぐにキューバ侵攻の際のリーダーとCIA長官に連絡を取り、「あなた方がやったのではないか」と質問したということだ。アメリカ政府が暗殺に関与もしくは実行したという直感をロバートは持ったということだ。そして、息子のロバート・F・ケネディ・ジュニアは、父の直感が正しかった、CIAが実行したのだということを主張している。
 ジョン・F・ケネディ、ロバート・F・ケネディの2人が暗殺された理由として、ロバート・F・ケネディ・ジュニアは、「ヴェトナム戦争に反対したから」ということを挙げている。「軍産複合体に反対したので暗殺されたのだ」と述べている。ジョン・F・ケネディに関しては拙著『アメリカ政治の秘密』で、私はアメリカ介入主義を始めた人物だと分析している。ヴェトナム戦争に関しては、アメリカ軍の派遣を決定している(最初は軍事顧問団から)。しかし、その後の米軍の大量覇権と戦争の本格化、泥沼化を進めたのは、ケネディ暗殺後に副大統領から昇格したリンドン・B・ジョンソンだった。ジョンソンは軍産複合体の言うなりであったということは推察できる。こうして考えると、ケネディ・ジュニアの主張も一定の説得力を持つ。

 「(私の伯父ジョン・F・ケネディは)アメリカの大統領の仕事は、国民を戦争に巻き込まないようにすることだと言ったのだ」というケネディ・ジュニアの発言は明確に明快にアメリカ大統領の責任について述べている。この責任を果たしていない大統領が続いている。ケネディ・ジュニアがアメリカ軍の世界各地800の基地からの撤退を主張して大統領選挙に出馬した意義は大きい。

(貼り付けはじめ)

ロバート・ケネディ・ジュニアが彼の父親の「最初の直感」はCIAがジョン・F・ケネディ大統領を殺害したというものだったと発言(Robert Kennedy Jr. says father’s ‘first instinct’ was CIA killed JFK

ジュリア・シャペロ筆

2023年5月9日

『ザ・ヒル』誌

https://thehill.com/blogs/blog-briefing-room/3995897-robert-kennedy-jr-says-fathers-first-instinct-was-cia-killed-jfk/

ロバート・ケネディ・ジュニアが、彼の父親(訳者註:ケネディ元大統領の弟のロバート・ケネディ)の「最初の直感」は、ジョン・F・ケネディ元大統領を殺害したのがCIAだというものだったと発言した。ロバート・ケネディ・ジュニアは大統領選挙民主党予備選挙に立候補したが当選の望みは薄い。

ケネディ・ジュニアは、彼の父親であるロバート・ケネディ元司法長官が、JFKが銃撃を受けたという情報を入手して最初に電話をしたのはCIAのある本部付の上級職員だったと述べた。

ケネディ・ジュニアは月曜日にフォックス・ニューズの番組「ハニティ」に主演した際に、「私の父(ロバート・ケネディ)はこの職員に向かって、『君たちがこれをやったのか?』と言った」と語った。

ケネディ・ジュニアは「父が次に電話したのは、エンリケ・ルイズ=ウィリアムズだった。彼はピッグズ湾事件の際のキューバン・ボーイズの一人だった。彼はうちの家族とそして父と非常に近しい関係にあった」と述べ、続けて「私の父は彼にも同じ質問した」と語った。

ケネディ・ジュニアは、彼の父親はそれから、当時のCIA長官ジョン・マコーンに電話をかけ、私邸に来るように依頼した。

ケネディ・ジュニアは「私がシドウェル・フレンズスクールから帰宅すると、父はジョン・マコーンと庭を歩いていて、父はジョンに同じ質問を投げかけていた。“私の兄をこんな目に合わせたのは、政府の人間たちなのか?”と。CIAが兄を殺したというのが、父の最初の直感だった」と語った。

民主党の大統領選挙予備選挙候補であるケネディ・ジュニアは最近、CIAがジョン・F・ケネディを殺したという権力者共同謀議説(conspiracy theory)への支持を表明したが、CIAはこの疑惑を繰り返し否定してきた。

日曜日、ケネディはラジオのトークショーのホストであるジョン・キャッテシマティディスとのインタヴューの中で、「JFK殺害にCIAが関与したことを示す証拠は多すぎるほどにある。現時点では、これは合理的な疑い(rational doubt有罪であることの判断が十分に確かかどうかを判断するときの考え方)を超えるものである」と述べた。

特に1979年の連邦下院委員会が、暗殺計画に関与した少なくとも2人の銃撃者と共謀者がいた可能性が高いと示唆した後、ケネディ暗殺はこの60年間、果てしない「陰謀論」を煽り続けてきた。

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ロバート・ケネディ・ジュニアがJFK暗殺にCIAが関与した「圧倒的な証拠」を見たと発言(Robert Kennedy Jr. sees ‘overwhelming evidence’ CIA involved in JFK assassination

スティーヴン・ニューカム筆

2023年5月8日

『ザ・ヒル』誌

https://thehill.com/blogs/blog-briefing-room/3993563-robert-kennedy-jr-sees-overwhelming-evidence-cia-involved-in-jfk-assassination/

民主党の大統領選挙予備選挙の希望が薄い候補であるロバート・ケネディ・ジュニアは、叔父であるジョン・F・ケネディ元大統領の殺害にCIAが関与したという権力者共同謀議説(conspiracy theory)を支持し、その証拠は「圧倒的に(overwhelming)」あると主張した。

CIAが彼(JFK)の殺害に関与したという圧倒的な証拠がある」と、ケネディはニューヨークのラジオ局WABC770のジョン・カツィマティディスとの日曜日のインタヴューで語った。「現時点では合理的な疑い(reasonable doubt)を超えていると思う」と語った。

CIAは、1963年にダラスで行われたパレードでオープンカーに乗っている時に撃たれたケネディ元大統領の死に関与したという疑惑を繰り返し否定してきた。

この暗殺事件は、歴史上最も有名な「陰謀論」の根拠となった。

リー・ハーヴェイ・オズワルドがこの攻撃の狙撃手として公式に特定されたものの、暗殺の周辺では長年にわたって「陰謀論」が流布し、この攻撃に関連する追加の狙撃手や共謀者が存在したかどうかに疑念を投げかけている。

1979年、暗殺事件を調査するために開かれた連邦下院委員会は、科学的証拠を考慮すると、少なくとも2人の狙撃手が大統領を撃った可能性が高いと報告した。また、陰謀の結果として暗殺された可能性が高いと結論づけたが、2人目の狙撃手を特定することはできず、陰謀の範囲も特定できなかった。

ケネディ暗殺時のCIA長官ジョン・マコーンは連邦下院委員会で、オズワルドはCIAのエージェントではなく、CIAはオズワルドと連絡を取ったり、関係を持ったりしたことはないと証言している。委員会は、彼の証言はCIAのオズワルドに関するファイルによって裏付けられているとした。

ケネディ・ジュニアは日曜日のインタヴューで、1963年11月に伯父が殺されたのは、米軍をヴェトナムに投入するのを拒否したことと関係があることを示唆した。

「私の伯父が大統領だったとき、彼は軍産複合体(military-industrial complex)と情報機関(intelligence apparatus)に囲まれていて、彼らは常にラオスやヴェトナムなどで戦争するように仕向けていた。彼はそれを拒否した。アメリカの大統領の仕事は、国民を戦争に巻き込まないようにすることだと言ったのだ(the job of the American presidency is to keep the nation out of war)」。

インタヴューの中で、ケネディ・ジュニアは、1968年に大統領選のキャンペーン中にロサンゼルスで射殺された、彼の父親である元米司法長官ロバート・F・ケネディの殺害にCIAが関与しているのではないかという権力者共同謀議説も流した。

ロバート・ケネディ・ジュニアは、父の死にCIAが関与しているという証拠は「非常に説得力があるが、状況証拠から出ていない」と述べた。

「父の事件に関しては、私たちは、叔父の時のような本当に強力な文書証言の証拠を持っていない」とケネディは述べた。

ケネディは著名な反ワクチン運動活動家であり、先月、2024年の米大統領選挙で現職のバイデン大統領に対抗して民主党予備選挙に立候補すると表明した。

(貼り付け終わり)

(終わり)

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 悪魔のサイバー戦争をバイデン政権が始める
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 古村治彦です。

 アメリカ政府はロシアによるウクライナ侵攻の可能性を掴んでいた。これまでアメリカが絡む大きな事件の場合、アメリカの情報・諜報機関は「事前にそうした大事件(テロ事件や戦争など)が起きるであろうことを事前に把握していたが、止められなかった」ということを繰り返している。2001年の同時多発テロ事件がまさにそうだった。今回の記事は、「アメリカの情報・諜報機関がロシアのウクライナ侵攻の意思を過小評価する一方で、軍事能力を過大に評価していた。一方で、ウクライナの抗戦意思については過小評価していた」という内容になっている。

 考えてみると、軍事能力についての評価は難しい。多くの場合、将兵の数、軍事予算、保有武器の種類と能力といった数字が軍事能力の判断基準となっている。そして、それは多くの場合、軍事能力を判断するのに妥当な基準である。しかし、やはり実践になってみないと分からないところがある。今回、ロシア軍がウクライナに侵攻し、キエフ近くまで侵攻しながら撤退を余儀なくされたが、それは欧米諸国からのウクライナに対する武器や物資の供与があったこともあるが、ウクライナ軍と国民の抗戦の凄まじさということもある。意思の部分については数字で判断することはできない。

 情報・諜報機関の情報収集・分析・判断は政策決定の大前提となる。今、アメリカの情報・諜報機関の最高責任者はアヴリル・ヘインズである。アメリカに複数ある情報機関や諜報機関を取りまとめる国家情報長官を務めている。ジョー・バイデン政権の政策の大前提となる分析と判断の最高責任者だ。バイデン政権はアフガニスタンからの撤退と今回のウクライナ戦争という2つの大きな外交政策において失敗している。アフガニスタンに大きな混乱を引き起こすということを過小評価していたし、今回のウクライナ戦争も早く片が付くとこちらも過小評価していた。それほどに政策策定と遂行は難しい。

 こうした失敗を基にして、組織や機構、教育などを見直し改善するということを、各国政府は繰り返している。「失敗から学ぶ」ということができるかどうか、これである。日本はどうであろうか。ノモンハン事件や日中戦争の泥沼化から何も学ぶことなく、失敗を隠蔽し、最高責任者を処分せず(中級クラスに苛烈な制裁を科す)、なあなあで済ます。これは日本の組織における宿痾ということになる。

 日本の組織における宿痾としては、情報・諜報を軽視するというものがある。これについては、この分野の名著である堀栄三著『情報なき国家の悲劇 大本営参謀の情報戦記』を是非読んでもらいたい。堀元少佐は太平洋戦争中、大本営参謀部の情報将校として、アメリカ軍の情報収集と分析を行い、アメリカ軍の侵攻経路を割り出し、それがあまりにも的中するので「マッカーサー参謀」と呼ばれた人物である。彼の情報収集・分析の手法は興味深く、多くの方に参考になると思う。

 話はそれたが、情報・諜報の収集、分析、判断というのは非常に難しい作業であり、その多くは間違う。それについて改善の努力を不断に行っていくことが重要ということになる。

(貼り付けはじめ)

アメリカの複数のスパイ機関がウクライナとロシアについて何を間違ったについて見直し(U.S. spy agencies review what they got wrong on Ukraine and Russia

-アヴリル・ヘインズ国家情報長官が公聴会で証言

ノマーン・マーチャント、マシュー・リー筆

『ロサンゼルス・タイムズ』紙(AP通信)

2022年6月4日

https://www.latimes.com/world-nation/story/2022-06-04/american-spy-agencies-review-their-misses-on-ukraine-russia

ワシントン発。ロシアが2月末にウクライナ侵攻を開始する数週間前、アメリカの情報・諜報機関関係者に向けて行われた非公開のブリーフィングで、この質問が投げかけられた。「ウクライナの指導者ヴォロディミール・ゼレンスキーは、イギリスのウィンストン・チャーチルやアフガニスタンのアシュラフ・ガーニのような人物だろうか?」

言い換えるならば、「ゼレンスキーは歴史的なレジスタンスを率いるのか、それとも政権が崩壊して逃げるのか?」ということだ

究極的に言えば、アメリカの情報・諜報機関は、ウラジミール・プーティン大統領の侵攻を正確に予測しながらも、ゼレンスキーとウクライナを過小評価し、ロシアとプーティン大統領を過大評価したのである。

しかし、ウクライナの首都キエフは、アメリカが予想したように数日では陥落しなかった。そして、アメリカのスパイ機関はウクライナのレジスタンスを支援したと評価されているが、現在彼らは、特に昨年のアフガニスタンでの判断ミスの後、事前に何が間違っていたかを見直すよう党派を超えた圧力に晒されている。

情報当局関係者たちは、外国政府の戦意と能力をどのように判断しているかについての見直しを始めた。この見直しは、アメリカの情報・諜報機関がウクライナで重要な役割を果たし続け、ホワイトハウスがウクライナへの武器供給と支援を強化し、プーティンがエスカレートしていると見なし、ロシアとの直接戦争を回避しようとする中で行われている。

バイデン大統領が率いる政権は、ウクライナが長年望んでいた兵器であるハイテク中距離ロケットシステムを少量供与すると発表した。2月24日の開戦以来、ホワイトハウスはドローン、対戦車・対空システム、数百万発の弾薬の輸送を承認してきた。アメリカは情報共有に関する初期の制限を解除し、ウクライナがロシア海軍の旗艦を含む重要な標的を攻撃するために使用する情報を提供している。

民主、共和両党の連邦議員たちは、プーティンが侵攻する前にアメリカがもっと手を打てたのではないか、ホワイトハウスはウクライナの抵抗力を悲観的に評価し、支援を控えたのではないか、と疑問を呈している。メイン州選出無所属連邦上院議員アンガス・キングは、先月の連邦上院軍事委員会の公聴会で、「予測についてもっとよく把握し対応していれば、もっと早くウクライナ人を支援することができたはずだ」と発言している。

連邦下院情報委員会の共和党側トップであるオハイオ州選出のマイク・ターナー連邦下院議員は、ホワイトハウスと政権幹部たちが「不作為を助長するような形で、状況に独自の偏見を投じた」と考えているとあるインタヴューに答えた。

連邦上院情報委員会は先月、国家情報長官室に非公開書簡を送り、情報・諜報機関がウクライナとアフガニスタンの両方をどのように評価したかについて質問している。CNNがこの書簡について最初に報じた。

アヴリル・ヘインズ国家情報長官は5月、連邦議員らに対し、国家情報会議が情報機関の「戦う意志」と「戦う能力」の両方をどう評価するかを見直すと述べた。この2つの問題は「効果的な分析を行うにはかなり困難であり、そのための様々な方法論を検討している」とヘインズは述べた。

委員会の書簡より前に始まったこの見直しのスケジュール表については発表されていないが、関係者たちは既にいくつかの誤りを確認している。戦前の評価に詳しい複数の関係者が、機密情報を話すために匿名を条件にAP通信の取材に応じた。

ロシアはその大きな優位性にもかかわらず、ウクライナに対する制空権を確立できず、戦場での通信手段の確保といった基本的な任務でも失敗した。アメリカの推計によると、ロシアは数千人の兵士と少なくとも8から10名の将官を失ったということだ。ロシア軍とウクライナ軍は現在、ウクライナ東部で激戦(fighting in fierce)を展開しており、アメリカや西側諸国が予想したロシアの迅速な勝利とは程遠い状況である。

ロシアは最近、いくつもの代理戦争に参加することはあったが、1980年代以降、大規模な陸上戦争を直接戦ったことはなかった。そのため、ロシアについて見積もられたそして、一般に発表された能力の多くが試されておらず、大規模な侵攻でロシア軍がどのように機能するかを評価するのは難しいと一部の関係者は述べている。ロシアの武器輸出産業は活発であるため、モスクワはもっと多くのミサイルシステムや飛行機を配備する準備ができているだろうと考える人もいた。

アメリカは公に警告したが、ロシアは今のところ化学兵器や生物兵器を使用していない。ある政府高官は、アメリカは化学兵器による攻撃について「非常に強い懸念」を持っているが、ロシアはそのような攻撃をすれば世界的な反発が大きくなりすぎると判断したのだろうと指摘した。ロシアがウクライナやアメリカの同盟諸国に対してサイバー攻撃の波紋を広げるのではないかという懸念は、今のところ現実にはなっていない。

その他にも、部隊将兵の士気の低さ、薬物やアルコールの乱用、部隊を監督し司令官からの指示を伝える下士官の不足など、ロシアの問題はよく知られていた。

国防総省に属するアメリカ国防情報局長官を務めたロバート・アシュレイ元陸軍中将は、「これらのことは全て分かっていた。しかし、最も単純な作戦を実行しようとした時、その全てが圧倒されるということが、連鎖的に起こってしまった」。

国家情報主席副長官を務めたスー・ゴードンは、アメリカのアナリストたちはロシアの軍事・サイバーに関する武器やツールの在庫を数えることに依存しすぎていた可能性があると指摘した。

ゴードンは、情報関係の出版社サイファー・ブリーフ社が主催した最近のイヴェントで、「結果を評価する際に、能力とその使用は同じではない、という考え方について少し学ぶことになるだろう」と述べた。

ゼレンスキーは、ロシアが彼を逮捕または殺害しようとするティームを送り込んできても逃げなかったことで、世界中から称賛を浴びている。しかし、戦争が始まる前、ワシントンとキエフの間には、侵略の可能性やウクライナの準備が整っているかどうかについて緊張関係があった。この論争に詳しい人物によれば、アメリカはウクライナがキエフ周辺の防衛を強化するために西側から軍を移動させることを望んでいたことが論争の火種となっていたということだ。

戦争勃発直前まで、ゼレンスキーとウクライナ政府高官たちは、パニックを鎮め、経済を守るためもあって、侵略の警告を公然と否定していた。あるアメリカ政府高官は、経験の浅いゼレンスキーが自国の直面しているレヴェルの危機に対処できるかどうか疑問だったと述べた。

アメリカ国防情報局長官のスコット・ベリエ陸軍中将は3月、「私の考えでは様々な要因から、ウクライナ人は私が考えるほど準備ができていなかった。だから、彼らの戦う意志を疑っていた。彼らは勇敢に、立派に戦い、正しいことを行っているのだから、私の評価は間違っていたということになる」と述べた。

ベリエは5月、自身の見解と情報・諜報機関全体の見解とに距離を置き、「ウクライナ人に戦意がないとする評価はなかった」と述べた。

ウクライナ戦争の前にウクライナの決意を示す十分な証拠があった。ロシアによる2014年のクリミア併合と、東部ドンバス地方での8年にわたる紛争は、モスクワに対するウクライナ国民の意識を硬化させた。ウクライナ軍は、アメリカから何年にもわたって訓練と武器の輸送を受けており、サイバー防衛の強化も支援されていた。

アメリカの情報・諜報機関は、ウクライナのレジスタンスに対する強い支持を示唆する民間の世論調査を見直した。国境近くのロシア語圏の都市ハリコフでは、市民が銃の撃ち方を学び、ゲリラ戦の訓練をしていた。

連邦下院情報委員会のメンバーであるブラッド・ウェンストラップ下院議員(オハイオ州選出、共和党)は、2021年12月のウクライナ訪問中にウクライナ人の決意を目の当たりにした。ドンバスの前線では、モスクワに支援された分離主義勢力が2014年からウクライナ政府軍と戦っており、参加者は前日に死亡したウクライナ人兵士の名前を読み上げた。

ウェンストラップは「それは、彼らが戦う意志を持っていることを私に示した。これは長い間、醸成されてきたものだ」と述べた。

(貼り付け終わり)

(終わり)※6月28日には、副島先生のウクライナ戦争に関する最新分析『プーチンを罠に嵌め、策略に陥れた英米ディープ・ステイトはウクライナ戦争を第3次世界大戦にする』が発売になります。


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 悪魔のサイバー戦争をバイデン政権が始める
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 古村治彦です。

 バイデン政権の国家情報長官(Director of National IntelligenceDNI)にアヴリル・ヘインズが就任した。ヘインズについては、このブログでも再三取り上げている。
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アヴリル・ヘインズ

ヘインズはオバマ政権第二期目の2013年から2015年まで、中央情報局(Central Intelligence AgencyCIA)の副長官(Deputy Director、長官はジョン・ブレナン)を務め、2015年から2017年までは国家安全保障問題担当次席大統領補佐官(Deputy National Security Advisor、補佐官はスーザン・ライス)を務めた。私の最新刊『悪魔のサイバー戦争をバイデン政権が始める』でも取り上げている。

 ヘインズについては批判も多く出ている。オバマ政権のCIA副長官時代の2015年、連邦上院情報・諜報委員会のコンピューターにCIA職員がハッキングを行ったという事件が起きた。委員会ではCIAが行った拷問についての報告書を作成中だった。その内容を知ろうとしての犯行だった。この行為に対して、ヘインズは処分を行わなかった。また、ドローンを使ったテロ容疑者の殺害にもゴーサインを出したが、その法的根拠をめぐって批判を浴びた。ヘインズは違法行為をいとわない、肝の据わった人物だ。

 ヘインズが対中・対露諜報活動を牽引する役割を果たすことになるだろう。バイデン政権の強硬姿勢の前提となる、情報・諜報を提供する。

(貼り付けはじめ)

連邦議事堂襲撃事件がバイデン政権の「スパイの親玉」の公聴会の質疑の大部分を占めた(Capitol Assault Dominates Hearing for Biden’s Spy Chief

-アヴリル・ヘインズは情報・諜報の分野から政治を遠ざけると公約した。

エイミー・マキノン筆

2021年1月19日

『フォーリン・ポリシー』誌

https://foreignpolicy.com/2021/01/19/avril-haines-spy-chief-cia-hearing-capitol-assault/

アメリカ大統領選挙当選者ジョー・バイデンの大統領就任式の前に、ワシントンでは暴動や襲撃に備えて警備が厳重になっている。そうした中、バイデン政権の国家安全保障ティームの主要メンバーの人事承認のための公聴会が連邦議事堂で火曜日、開催された。

連邦上院情報・諜報特別委員会による公聴会の中で、連邦上院議員たちがアヴリル・ヘインズと質疑応答を行った。ヘインズはバイデンから国家情報長官(director of national intelligence)に指名された。ヘインズに対しては、中国からイランとの核開発をめぐる合意、ソーラーウインズ社が提供したソフトを利用した連邦政府の諸機関に対するハッキング事件などが質問された。ヘインズはまた水責めについて拷問だと主張した。

ヘインズはオバマ政権でCIA副長官を務めた。ヘインズは、「大統領に真実を告げる(speak truth to power)」こと、トランプ政権下で情報・諜報部門が政治の道具にされたがこれを終わらせることを約束した。ヘインズは「我が国の情報・諜報部門の誠実さを守るため、情報・諜報に関する限り、政治が介入する余地はどこにもない、全くないということを強く主張しなければなりません」と述べた。ヘインズの冒頭での発言ではまた、説明責任を果たすために、内部告発者と監察官の存在の重要性を強調した。

国家情報長官はこれまで外国の情報や諜報に集中してきた。しかし、1月6日の連邦議事堂での事件について、今回の公聴会では長い時間が割かれた。ヘインズは、国内で拡大した過激派諸グループの外国とのつながりを調査すること、海外での急進諸グループとの戦いで情報・諜報部門が得た教訓を共有することを約束した。ヘインズはまた、Qアノンの陰謀論による脅威について公的な評価を行うにあたり、FBIと国土安全保障省と協力することも約束した。

民主、共和両党の議員たちは、徐々に対決姿勢を示している中国による脅威、テロリズム、特に中東におけるテロリズムとの数十年の苦闘という脅威に対しての懸念を表明した。

情報・諜報に関しての質疑の中で、ヘインズは「中国は敵(adversary)だ」が、気候変動といった問題については協力する余地があるという発言がなされた。「私の人事が承認されたら、私はこの問題について人材や資源が適正に配分されるようにすることを第一にしていきたいと思います」とヘインズは述べた。

連邦上院議員たちは、ヘインズの「ウエストエグゼクト・アドヴァイザーズ」社の在職時の仕事について質問した。この会社は2017年にアントニー・ブリンケンとミッシェル・フロノイによって創設されたコンサルタント会社だ。ブリンケンはバイデンが国務長官に指名した人物だ。フロノイは国防長官の候補者として名前が挙がった人物だ。ヘインズや同社の役員を務めたが、議員たちの中には、同社が顧客リストの提出を拒絶したために、ヘインズの仕事についての関心が高まった。ヘインズはウエスト社在職中に、外国の企業や組織、政府に対してコンサルタント業務を行ったことはないと確言した。しかし、ウエスト社在職中ではない時期に、あるフランスの民間企業の顧問を務めたことは認めた。

ヘインズはまた、『ワシントン・ポスト』紙のコラムニストだったジャマル・カショギの殺害事件に関する機密指定を受けていない報告書を公開すると約束した。トランプ政権は、2019年に連邦議会が可決した、殺害事件に関する報告書には国家情報長官の決定が必要とする法律を無視した。

ヘインズは公聴会で元国家情報長官ダン・コーツから紹介を受けた。コーツはドナルド・トランプ大統領と、ロシアと北朝鮮に関する情報・諜報に対する評価をめぐり衝突し、2019年に辞任した。コーツは共和党所属の連邦上院議員だった経歴を持つ。コーツはヘインズについて、「次期国家情報長官に必要な能力、適性、経験、リーダーシップの全てを持っている」と述べた。続いて、彼女が政府に入るまでのユニークな経歴について詳しく述べた。柔道を学ぶために日本で1年間過ごしたこと、シカゴ大学で理論物理学を学んだこと、配偶者とはニュージャージー州での飛行機操縦学校で出会ったとことなどが紹介された。その後、ヘインズは書店を開き、弁護士となり、国務省と連邦上院外交委員会の法務担当アドヴァイザーを務めた。その当時の外交委員長がジョー・バイデンだった。

ヘインズの起用は、トランプ政権での国家情報長官起用と対照的なものである。国家情報長官は2001年の911事件の後に、アメリカの18の情報、諜報機関全体を監督する目的で創設されたポストである。トランプは政界における忠実な人物であるリチャード・グレネルとジョン・ラトクリフを情報・諜報専門のトップの大統領補佐官に起用した。連邦上院が承認すれば、ヘインズは初の女性国家情報長官となる。ヘインズの最初の仕事は情報・諜報の各機関の士気を高めることだ。これらの機関はトランプやトランプの支持者たちによって弱体化され、攻撃された。

しかし、政権移行が円滑に進まなかったために、いくつかの問題で情報が与えられていない。ヘインズは、「ソーラーウインズ」社のハッキング被害事件に関して機密情報が与えられていないと述べた。この事件では多くのアメリカ政府機関が被害を受け、捜査当局はロシアが関与していると発表した。

ヘインズは連邦上院国防委員会委員長に内定している、情報・諜報委員会のメンバーであるジャック・リード連邦上院議員に、「このことについて私はもっと多くのことを知らねばなりません」と述べた。

(貼り付け終わり)
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悪魔のサイバー戦争をバイデン政権が始める

(終わり)

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アメリカ政治の秘密
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ハーヴァード大学の秘密 日本人が知らない世界一の名門の裏側
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 古村治彦です。

 

 アメリカのCIAが冷戦期、世界各国でスパイ活動をしていたことはよく知られています。小説や映画に題材として数多く取り上げられてきました。また、反米的(と目されるばあいも含めて)、もしくは共産主義的な国家指導者や国家体制を転覆させるために、その国の軍部やゲリラなどに資金や武器を渡して、暗殺やクーデターを起こさせていたということはよく知られていました。しかし、アメリカ政府は、公式には、そうした暗殺事件やクーデターへの関与を否定していました。

 

 1953年、イランでは民主的に選ばれたムハマンド・モサデグ首相に対するクーデターが発生しました。そして、親米的なシャーによる王政が1979年のイラン革命まで続きました。1979年、有名なホメイニ師が主導するイラン革命によって、イランの王政は倒され、イスラム共和国が誕生しました。イラン革命の際、テヘランのアメリカ大使館に大学生たちが乱入し、大使館員などを人質にして占拠する、イラン人質事件が起こりました。人質事件はカーター政権内部に解決方法を巡って亀裂を生み(ヴァンス国務長官とブレジンスキー大統領国家安全保障問題担当補佐官の対立とヴァンスの辞任)、大きなダメージを与え、カーターは次の大統領選挙でロナルド・レーガンに敗れました。イラン革命以降、アメリカとイランは国交を断絶し、アメリカはイランの隣国イラクの独裁者サダム・フセインをけしかけてイラン・イラク戦争を起こさせました。

 

 イランの歴史に置いて大きな出来事であるモサデク首相に対するクーデター事件ですが、CIAの関与はほぼ間違いないと言われながら、アメリカ政府は公式に否定してきました。しかし、バラク・オバマ大統領がCIAの関与を認め謝罪し、また、最近、機密解除文書の公開によって、残された電報などから、CIAが関与していたということが明らかになりました。

 

 CIA本部はクーデターの試みが失敗したこともあって、クーデターに参加するなとイラン支局に電報を送っていましたが、現地では命令を無視し、結局、クーデターが成功してしまいました。現地の命令無視・独断専行があったということで、このことまでは推定されていましたが、それを示す証拠が出てきたということが重要です。

 

 また、1950年代に聖職者であり、政治家でもあったカシャニ師がモサデク追い落としに関与し、また、アメリカからの資金援助を要請していたということが明らかにされました。カシャニは現在でもイラン国内で尊敬を集めている人物ですが、そのような人物がアメリカからの援助を求めていたということはイランにとっては隠しておきたい事実だろうと思います。

 

 このように何十年経っても公文書が残されていれば、いつかは事実は明らかにされます。最近の日本の政治状況を見ていると、公文書を残しておくということの重要性を軽視しているように思います。この点はアメリカを見習うべきであろうと思います。

 

(貼り付けはじめ)

 

64年経過して、CIAはついにイランでのクーデターに関する詳細を公開(64 Years Later, CIA Finally Releases Details of Iranian Coup

―新たに公開された文書によって、CIAが如何にして失敗に終わりかけていたクーデターへの参加を取り消そうとしていたか、そして、最後の最後である従順ではない一人のスパイによってクーデターが成功に導かれたが明らかにされた。

 

ベンサニー・アレン=エイブラヒミアン筆

2017年6月20日

『フォーリン・ポリシー』誌

http://foreignpolicy.com/2017/06/20/64-years-later-cia-finally-releases-details-of-iranian-coup-iran-tehran-oil/

 

機密解除された文書が先週公開された。これによって、1953年に発生したイラン首相ムハンマド・モサデクを追い落としたクーデターにおいて、中央情報局(CIA)が中心的な役割を果たしたことが明らかになった。このクーデターは、イランのナショナリズムの火に油を注ぎ、1979年のイラン革命を生み出し、21世紀になってもアメリカ・イラン関係を損ない続けている。

 

約1000ページの文書によって初めて、CIAが如何にして失敗に終わりそうであったクーデターへの参加を取り消そうとし、イラン国内にいる従順ではない一人のスパイによって最後の最後で成功に導かれたということが明らかにされた。

 

CIAの計画はエイジャックス作戦として知られている。CIAの計画は究極的に石油確保を目的とするものであった。西側の企業は長年にわたり、中東地域の石油生産と底からの富をコントロールしていた。サウジアラビアのアラビアン・アメリカン石油会社、イランのアングロ・イラニアン石油会社(イギリス)といった石油企業がコントロールしていた。1950年末、サウジアラビアのアラビアン・アメリカ石油会社は圧力に屈し、石油からの富をサウジアラビア政府と折半することになった。この時、イラン国内のイギリスの持つ石油利権もサウジアラビアでの先例にならうようにという厳しい圧力に晒されていた。しかし、イギリス政府は断固として拒否した。

 

1951年初め、人々の熱狂的な支持の中、モサデクはイランの石油産業を国有化した。激怒したイギリス政府は、モサデクの排除とシャーによる王政の復活のために、アメリカの情報機関と共謀し、計画を練り始めた。しかし、新たに公開された電報が示すところでは、アメリカ国務省の一部には、対立に対するイギリスの非妥協的な態度を非難し、モサデクとの協力を模索する人々がいた。

 

クーデターの試みは4月15日に開始されたが、迅速に鎮圧された。モサデクは関係者を逮捕した。共謀の首謀者であるファズラウ・ザヒィーディー将軍は身を隠し、シャーは国外に逃亡した。

 

CIAはクーデターの試みは失敗すると確信しており、クーデターへの参加を取り消すことに決定した。

 

新たに公開された文書によると、1953年8月18日にCIA本部はイラン支局長に次のような内容の電報を送った。「作戦は試され、そして失敗した。私たちはモサデクに敵対するいかなる作戦にも参加すべきではない。モサデクに敵対する作戦は継続されるべきではない」。

 

ジョージ・ワシントン大学のアメリカ安全保障アーカイヴでアメリカ・イラン関係プロジェクトの責任者を務めるマルコム・バーンは、「CIAのイラン支局長カーミット・ルーズヴェルトは、この電報を無視した」と述べている。

 

バーンは本誌に次のように語った。「カーミット・ルーズヴェルトが電報を受け取った時、部屋にはもう一人の人物がいた。この時、ルーズヴェルトは、“ダメだ、俺たちはここで何もやっていない”と述べた」。ルーズヴェルトはCIA本部からのクーデターの試みを中止するようにという命令を実行しなかったことは既に知られていた。しかし、電報自体とその内容については知られていなかった。

 

ルーズヴェルトの決断の結果は重大であった。電報を受け取った翌日の1953年8月19日、クーデターは成功した。CIAの援助によって準備されたと考えられてきた、「金を支払われていた」群衆の助けがあった。イランの民族主義の英雄モサデクは投獄され、西側に友好的なシャーの下での王政が復活した。アングロ・イラニアン石油(後にブリティッシュ・ペトロレアムに改名)は油田を回復しようと努めた。しかし、この努力は実を結ばなかった。クーデターは成功したが、外国の石油のコントロールの回復に対するナショナリストからの反撃は過激となった。ブリティッシュ・ペトロレアムやその他の石油メジャーはイラン政府と石油からの利益を分け合うことになった。

 

エイジャックス作戦はイランの保守派にとっては亡霊であった。しかし、これはリベラル派にとっても同様であった。クーデターは反西洋感情の炎に風を送った。ナショナリズムの最高潮が1979年に発生したアメリカ大使館人質事件、シャーの廃位、「大悪魔」に対するイスラム共和国の創設となった。

 

クーデターによってイラン国内のリベラル派も排除された。モサデクはイラン史上、民主的な指導者というものに最も近付いた人物であった。モサデクは民主的な諸価値を明確に称揚し、イラン国内に民主政治体制を確立したいという希望を持っていた。選挙を経て構成された議会がモサデクを首相に選出した。首相という職を利用して、モサデクはシャーの力を削いだ。その結果、この時期のイランは、ヨーロッパで発展した政治的伝統に最も近付いた。しかし、更なる民主的な発展は8月19日に窮地に陥った。

 

アメリカ政府は長年にわたり、クーデターへの関与を否定してきた。国務省は1989年にクーデターに関連した文書を初めて公開した。しかし、CIAの関与を示す部分は編集していた。人々の怒りを受けて、政府はより完全な文書を公開することを約束した。そして、2013年に文書が公開された。2年後、機密解除された文書の最終的な公開の予定が発表された。バーンズは、「しかし、イランとの核開発を巡る交渉のために準備が中断され、公開予定は遅れることになった」と述べている。文書は先週、最終的に公開された。CIAの電報の原本は紛失、もしくは廃棄されたものと考えられていた。

 

バーンは、公開が大幅に遅れたのはいくつかの要素のためだと述べた。バーンは、 情報機関は常に「材料と方法」を防御することに懸念を持つものだ、と語る。「材料と方法」とは、最前線で作戦実行を可能にする秘密のスパイ技術を意味する。CIAはイギリスの情報機関との関係を守る必要にも迫られていた。イギリスの情報機関は諜報に必要な人材などを守りたいと考えていたはずだ。

 

 

スタンフォード大学のイラン学教授アッバス・ミラニは、新たに公開された文書によって、CIAの関与以上に興味深い事実が明らかにされた、と述べている。聖職者のアボル=ガセム・カシャニ師の政治における指導的役割の詳細が明らかにされた。カシャニは1950年代に聖職者であり、指導的な政治家として活動した。

 

イスラム共和国では、聖職者は常に善玉である。カシャニはこの時期におけるナショナリズムの英雄であった。今年1月、イランの最高指導者は石油の国有化におけるカシャニの役割を賞賛した。

 

カシャニが最終的にモサデクと分裂したことは広く知られている。イラン国内の宗教指導者たちは共産主義のドゥデー党の台頭に恐怖感を持っていた。そして、モサデクは社会主義勢力の脅威から国を守るには弱すぎると確信していた。

 

新たに公開された文書によると、カシャニはモサデクに反対していただけではなく、クーデターまでの時期、アメリカ側と緊密に連絡を取り合っていたことが明らかになった。カシャニはアメリカからの財政的な援助を求めていた。しかし、彼が実際に資金を得ていたことを示す記録は残っていない。カシャニの要求はこれまで知られてこなかった。

 

ミラニは次のように語っている。「クーデターの成功を左右する日となった8月19日、カシャニの存在は重要であった。カシャニの武装勢力は完全武装してモサデク打倒のために出動した」。

 

(貼り付け終わり)

 

(終わり)





野望の中国近現代史
オーヴィル・シェル
ビジネス社
2014-05-23


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ダニエル・シュルマン
講談社
2015-07-29



アメリカ政治の秘密
古村 治彦
PHP研究所
2012-05-12



 

 古村治彦です。

 

 2001年9月11日にアメリカで起きた同時多発テロ事件について、「なぜ防げなかったのか」「諜報機関であるCIAは何をしていたのか」という疑問と批判はアメリカ国内でもずっと残り、議論されています。オサマ・ビン・ラディンやアルカイーダの存在を認識していたのに、それに対して真剣に対処していなかったということですが、それはやはり、官僚組織の抱える問題が絡んでいるようです。

 

 省庁間の連絡と総合的な対処計画を欠いた結果、このような事態を招いた、そしてその責任は1997年から2004年までCIA長官を務めたジョージ・テネットにあるという報告書が公表されたということで、その短い記事を皆様にご紹介します。

 

 テネットが民主党系の人材で、ビル・クリントン大統領時代にCIA長官に任命されたという点から、民主党に対する攻撃、ヒラリー・クリントンに対する攻撃という面もあるかと思いますが、この記事ではあまり触れられていない官僚組織の欠陥、硬直性にも問題があるということも理解しつつ、この記事をお読みいただければと思います。

 

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CIAが911以前の誤謬を明らかにした秘密報告書を公開(CIA releases secret report identifying errors before 9/11

 

ジュリアン・ハッテム筆

2015年6月12日

『ザ・ヒル』誌

http://thehill.com/policy/national-security/244886-cia-releases-secret-doc-identifying-systemic-problems-pre-9-11

 

 10年間にわたり秘密にされてきたが、CIAは金曜日、約500ページの首席調査官による調査報告書を公表した。この報告書は2001年9月11日のテロ攻撃が起きる前のアメリカのスパイ機関内部に存在した複数の「システム上の諸問題」を概括的にまとめたものだ。

 

 2005年に作成された調査報告書の中で分析官たちは、複数のシステム上の諸問題の結果、アメリカはテロ攻撃について全く考慮しないようになっていたと主張し、911以前の数年間でオサマ・ビン・ラディン(Osama bin Laden、1957―2011年)とアルカイーダの指導者たちに対するアメリカ政府の追及の甘さを糾弾した。

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オサマ・ビン・ラディン 

 

 CIAの幹部職員たちは、CIAの首席補佐官事務局の調査に対して、「アルカイーダの脅威に対する警告や予兆があったにもかかわらず、911以前の“いかなる時点”においても、ビン・ラディンの計画を阻止するための“包括的な戦略計画”など存在しなかった」と語った。金曜日の午後遅く、CIAは報告書を公表した。ここ数年、CIAはこの報告書の一部を機密指定解除にして公開してきた。しかし、今回、情報の自由法によって全面公開されることになった。

 

 CIAをよく知る人々は、ジョージ・テネット(George Tenet、1953年―)を批判してきた。テネットはCIA元長官であり、2001年のテロ攻撃の前後の数年間にわたり、CIAを監督した人物だ。

 
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ジョージ・テネット
 

 テネットは、アルカイーダと戦うための「各政府省庁間計画の必要性を認識」していたが、そのような戦略計画を立案しなかったことについて、責任を免れることはできない、と報告書には記載されている。

 

 CIAは首席調査官報告書と共に、テネットからの手紙2通と911についての2つの別の見方を同時に発表した。これは「911に関する公的な記録を更に確かなものとする」ことを目的とするとCIAは述べた。

 

 CIAは次のような談話を発表した。「911で起きた出来事は全てのアメリカ人たちの記憶に焼きつくものとしてこれからも残っていくであろう。その当時に生きていたアメリカ国民は全て、アメリカの現代史において我が国土が犯されるという最大の悲劇を目撃したのだ。本日公表された報告書は911以前のCIAの業務遂行について約10年前にCIA内部で形成された様々な異なる考え方を反映したものとなっている」。

 

 CIA首席調査官報告書の作成が促されたのは、連邦上下両院情報・諜報委員会合同の報告書が10年以上前に出されたことになる。この報告書が2005年に発表された際、当時のCIA長官ポーター・ゴス(Porter Goss、1938年―)は、報告書が勧告している、個々のCIA職員を評価するための説明責任委員会の創設を拒絶すると述べた。

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ポーター・ゴス

 

 新たに公表された文書で明らかになったのは、席調査官報告書が作成された当時、この報告書についてテネットが声高に非難していたことだ。

 

 2005年6月の書簡の中で、テネットは首席調査官報告書について、「無意味」「誤謬」と断じ、政治家たちからの情報を「敢えて忌避して」おり、重要な諸事実を無視していると批判している。

 

 テネットは書簡の中で次のように書いている。「この報告書は私の行動について公正さにも正確さにも欠けた描写を行っている。また、CIA職員の英雄的な働きについてもそうだ。諸事実を完全に理解することなく、私の働きについて判断を下すというのは公正さに欠ける」。

 

(終わり)





野望の中国近現代史
オーヴィル・シェル
ビジネス社
2014-05-23





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