古村治彦(ふるむらはるひこ)の政治情報紹介・分析ブログ

SNSI研究員・愛知大学国際問題研究所客員研究員の古村治彦(ふるむらはるひこ)のブログです。翻訳と評論の分野で活動しています。日常、考えたことを文章にして発表していきたいと思います。古村治彦の経歴などについては、お手数ですが、twitter accountかamazonの著者ページをご覧ください 連絡先は、harryfurumura@gmail.com です。twitter accountは、@Harryfurumura です。よろしくお願いします。

タグ:IS

 古村治彦です。

 11月下旬、クリストファー・ミラー国防長官代理はジブチ、バーレーン、カタール、ソマリアを訪問し、駐屯する米軍将官たちと会談を行った。ソマリア訪問については事前発表がなされず、突然の訪問となった。米国防長官のソマリア訪問は初めてのことだった。

 ドナルド・トランプ大統領はイラクとアフガニスタンに駐留する米軍将兵の削減を命令し、更にソマリアに派遣されている約700名の米軍将兵の再配置も命令した。ソマリアではアルカイーダやISISの関連組織が活動を行っており、米軍はソマリアの軍隊ウや警察の支援を10年以上行っている。その中には空爆も含まれている。

 トランプ大統領の「アメリカ・ファースト(America First)」と「アイソレーショニズム(Isolationism)」は、海外に展開する米軍の削減も含まれていた。これらのことを簡単に言うと、「海外の問題に構っている場合か、自分たちの国の中が大変なのに」ということだ。トランプや実はバーニー・サンダースを若い人たちが応援するのは、「自分たちには職がない、良い仕事に就ける学歴もない、結局軍隊に入って使い捨ての兵士をやるしかない」という中で、無駄に死にたくないという気持ちがあるからだ。

 死の危険が少ない、前線に出ることが少ない将官たちは出世のことしか考えないから、何か大規模作戦があったり、海外駐在が長かったりすれば、昇進スピードも上がるということで、兵士たちとは異なった考えをするだろう。もちろん、将官たちも下級将校で自分たちが兵士を率いて前線に出ている時は、兵士たちと同じ境遇であっただろうが、偉くなって、勲章の数が増えていくと官僚的になっていくものだ。

 ミラー国防長官代理は米軍の東アフリカからの撤退ということを進めようとしている。これは、以前に紹介した、中国の「真珠の首飾り計画」にも関連することだ。簡単に言えば、「もうアメリカは東アフリカになんて関与したくない、中国はやりたいらしいね、それならあんたたちが代わりにやんなさいよ」ということだ。衰退するアメリカ帝国の縮小と新興の(以前のことを考えると復活の)中華帝国の拡大が交差している。

 しかし、バイデンが大統領になって政権を掌握すれば、このような米軍撤退計画はご破算になるだろう。そして、何の成果も出ない米軍の駐留がずっと続き、金が垂れ流され続けるだろう。衰退のアメリカ帝国がいつまで耐えられるか、見ものだ。

(貼り付けはじめ)

トランプはソマリアから将兵のほぼ全員を撤退させるように国防総省に命令を出した(Trump orders Pentagon to pull nearly all troops from Somalia

エレン・ミッチェル筆

2020年12月4日

『ザ・ヒル』誌

https://thehill.com/policy/defense/528842-trump-orders-pentagon-to-pull-nearly-all-troops-from-somalia

トランプ大統領は国防総省に対して、来年早々までにソマリア駐留の米軍将兵700名のほぼ全員を撤退させるよう命令を出した、と国防総省は金曜日発表した。

トランプ大統領は「国防総省と米アフリカ中央軍司令部に対して、2021年初旬までに米軍将兵の大多数と物資のほとんどを再配置し直し、ソマリア国外に出す」ことを命じたと、国防総省は声明の中で述べている。

現在、約700名の米軍将兵がソマリアに派遣されている。ソマリアでは10年以上にわたり、アメリカ軍が、ソマリア国内のアルカイーダ関連組織アル・シャバブと、そして最近ではISISの地方組織との戦いを支援している。アメリカ軍はソマリアの安全保障部隊が武装組織と闘うために訓練を行い、支援を行っている。また、空爆も実施している。

今回の国防総省の発表は、クリストファー・ミラー国防長官代理の突然のソマリア訪問の後になされた。ミラーのソマリア訪問は感謝祭の後に実施された。米軍の撤退が実施されるのではないかという噂が持ちきりの中で、ミラーはソマリアを訪問し、その中で、アメリカ軍のパートナーはテロリスト組織との戦いに貢献していると述べた。

国防総省は金曜日、アメリカは「アフリカらから撤退もせず、関与を止めることもしない」と強調した。また、「幹部職員はアフリカのパートナー諸国との関係を維持し、政府のあらゆるレヴェルでの支援を継続する」とも述べた。

国防総省はソマリアから撤退する将兵の数やどこに駐屯している将兵が撤退するのかについて発表してはいない。しかし、「将兵の一部は東部アフリカ外に派遣し直されるだろう」と発表している。「残りの将兵はソマリアから出て、ソマリアの近隣諸国に配置し直される。これは、アメリカとパートナー諸国がソマリアの国境を越えて作戦を実行するためだ。その目的はソマリア国内で活動している暴力的過激主義集団に圧力をかけるためだ」としている。

『ウォールストリート・ジャーナル』紙は、ソマリア国内の米軍はケニアとジブチの基地に移動させられ、ソマリア国内の対テロリズムの目的が達成されないことになるだろうと報じた。

今回の発表は、トランプ大統領が来年1月に大統領の座から退く前に海外の戦闘から米軍の将兵を撤退させようという動きを反映している。

2020年11月、トランプ大統領は来年1月中旬までにアフガニスタンから2000名、イラクから500名の米軍将兵を撤退させるように命じた。彼の命令は米軍と安全保障関係の指導者たちからの助言に反するものである。

ソマリアからの米軍の撤退は、最近解任されたマーク・エスパー国防長官の計画に反するものである。エスパーはサヘル地域のアフリカ北部の国々からの将兵を撤退させつつ、アフリカにおいてより少ない将兵を駐屯させるべきだと主張していた。

国防総省監察官総監室、国務省、アメリカ合衆国国際開発庁は、ソマリアからの米軍の撤退という決断に反対する助言を行ってきた。先月、これらの省庁は、ソマリアの軍隊と警察は、アメリカ軍の支援なしに、ソマリア国内でテロリストの脅威に抵抗することはできないと発表している。

国防総省、国務省、アメリカ合衆国国際開発庁は共同報告書の中で、「ソマリア軍と警察には大規模な国際的支援なしに、アル・シャバブとISISソマリアからの脅威を封じ込めることは不可能だ。ISISソマリアはアル・シャバブに比べて規模は小さいが脅威となる可能性を秘めている」と書いている。

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国防長官代理がソマリアへ驚きの訪問(Acting Defense secretary makes surprise trip to Somalia

セリーヌ・カストロヌヴォオ筆

2020年11月27日

『ザ・ヒル』誌

https://thehill.com/policy/defense/527741-acting-defense-secretary-makes-unannounced-trip-to-somalia

クリストファー・ミラー国防長官代理は金曜日、ソマリアを突然訪問した。米国防長官として初の東部アフリカにある国ソマリアへの訪問となった。

金曜日に国防総省によって記者発表がなされた。今回のソマリアはミラー国防著感代理による4カ国訪問の最後の訪問地となった。ソマリアの前に、ミラー国防長官代理は事前に発表を行わずに、ソマリアの近隣諸国であるジブチ、バーレーン、カタールにある米軍基地を訪問した。

CNNの報道によると、ミラーはソマリアの首都モガディシュに数時間滞在した。ジブチにあるアメリカ軍のレモニエール基地を訪問後に、ミラーはモガディシュに到着し、アメリカ軍関係者と会談を行った。

ミラー国防長官代理の外国訪問中の記者発表で、国防総省は、「ミラー国防長官代理が、アメリカの国益、アフリカにおけるパートナー諸国と同盟諸国、国際社会の対テロ活動の継続的な活動の重要性に脅威を与えている各暴力的過激主義組織の縮小に向かうアメリカの努力を再確認した」と述べている。

今回のミラーのソマリア訪問は、トランプ大統領がソマリアに派遣されている米軍将兵から約700名を撤退させる命令を出す計画を持っているという報道が出ている中で、実行された。現在、米軍は、アルカイーダの関連団体で最大のアル・シャバブとISIS組織と対抗するための対テロリズム活動のために将兵を派遣している。

国防総省は現在までソマリアからの米軍撤退を正式に発表していないが、国防総省の幹部職員がCNNの取材に応じ、ソマリアからの撤退は数日中に実行される見込みだと述べた、と報じられている。

ミラーは国防長官代理に就任して初めての海外訪問を行った。今月、トランプ大統領は今月初めにマーク・エスパー国防長官を解任し、ミラーは国防長官代理に就任した。

ミラーが国防長官代理となって以降、国防総省は、トランプ大統領からの命令により、2021年1月15日までに、アフガニスタンの駐留米軍将兵の数を4500名から2500名に、イラク駐留の米軍将兵の数を3000名から2500名にそれぞれ削減すると発表している。1月15日はトランプが大統領の座から退く直前の日時である。

アフガニスタンからの米軍の撤退に対しては、専門家、連邦議員、米政府の幹部職員だった人々から反対の声が挙がっている。アフガニスタンでは、アメリカが駐留米軍の規模を縮小することで、タリバンとの和平交渉におけるアメリカ側の立場羽弱くなると指摘する人々が多く出ている。

連邦上院多数党(共和党)院内総務ミッチ・マコーネル連邦上院議員(ケンタッキー州選出、共和党)は今月、アフガニスタン駐留の米軍の急激な削減を支持するのは連邦議会内でも「ごく少数」になるだろうと発言した。マコーネルは「米軍の削減は私たちの同盟諸国に損害を与え、私たちが損害を被ることを願っている人々を大変に喜ばせることになるだろう」と述べた。

国防総省監察官総監室、国務省、アメリカ合衆国国際開発庁(USAID)が水曜日に発表した共同報告書は、ソマリア軍と警察はアメリカ軍の支援なしにはソマリア国内におけるテロリストの脅威に抵抗することは不可能だとしている。

報告書には次のように書かれている。「長年にわたり、ソマリア政府、アメリカ政府、そして国際社会からの反テロリズムの圧力を受けながらも、東部アフリカにおけるテロリストの脅威は減少していない。アル・シャバブは南部ソマリアの多くの地域で行動の自由を保持している。そして、アメリカの国益を含むソマリア国外での攻撃の能力と意図を示している」。

「ソマリア軍と警察には大規模な国際的支援なしに、アル・シャバブとISISソマリアからの脅威を封じ込めることは不可能だ。ISISソマリアはアル・シャバブに比べて規模は小さいが脅威となる可能性を秘めている」。

(貼り付け終わり)

(終わり)


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アメリカ政治の秘密
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ハーヴァード大学の秘密 日本人が知らない世界一の名門の裏側
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ダニエル・シュルマン
講談社
2015-12-09






 

 パリで大規模なテロ事件が起き、多くの人々が犠牲となった事件が発生し、数日経ちました。犠牲となった人々を悼む動きはパリやフランス国内、更には世界中で見られます。犠牲となった人たちを悼むことは人間としてとても自然なことで、その感情もまた人間らしいものです。

 

 インターネットのSNS大手のフェイスブックでは自分のアイコンにフランス国旗を重ね合わせて哀悼と連帯の意を表示できるようになっています。私はあの三色旗の間の線が何かを閉じ込める格子のように見えるなぁと感じていますが、そうしたもまた人間的な感情の発露であると思います。

 

 フランスのオランド大統領は、IS(イスラム国)との「戦争」を宣言し、フランス憲法を改正するということまで発表しました。「自由・平等・博愛」で出来ていたフランスが急速に戦争国家へ転換していっています。

 

(新聞記事転載貼り付けはじめ)

 

パリ同時多発テロ:仏大統領、対テロ戦で憲法改正へ

毎日新聞 20151117日 2354分(最終更新 1118日 0113分)

http://mainichi.jp/select/news/20151118k0000m030139000c.html

 

 ◇過激な思想を持つモスクの閉鎖の検討も

 

 【パリ賀有勇】パリ同時多発テロを受け、フランスのオランド大統領は16日、テロ攻撃に柔軟に対応するため、非常事態宣言によらなくても強力な治安対策をとれるよう憲法改正に乗り出す方針を示した。また、国内のテロ対策を強化するため、危険人物を国外に迅速に追放したり、過激な思想を持つモスク(イスラム礼拝所)の閉鎖を命じたりすることの検討を始めた。同時テロで犯行声明を出した過激派組織「イスラム国」(IS)に対する空爆強化だけでなく、国内でもテロ対策に全力を挙げる姿勢を鮮明にした。

 

 非常事態宣言の根拠となる非常事態法は、アルジェリア独立戦争初期の1955年に公布され、現代のテロ攻撃などを想定していない。そのため、発動するには厳しい条件が課せられている。仏ルモンド紙によると、オランド氏は国民の自由に配慮するため、非常事態宣言に代わる手段で治安対策を強化できるよう、憲法改正を行う意向だという。

 

 憲法改正には、上下各院での過半数の賛成に加え、両院合同会議での5分の3以上の賛成か、国民投票での過半数の賛成が必要になる。

 

 また、オランド氏は議会に対し、テロ事件後に出した非常事態宣言を3カ月延長するよう要請した。現行の宣言下では▽裁判所の捜索令状なしでの家宅捜索▽報道規制▽人や車の往来の制限▽集会開催や夜間外出の禁止▽カフェやレストランの閉店−−などを命じることができる。

 

 一方、オランド氏は実行犯の中に監視対象者がいたにもかかわらず、国境を自由に行き来していたことなどを問題視し、新たなテロ対策を打ち出した。テロリストの流入を防ぎ、テロの芽を事前に摘むことを目的に▽過激思想を持つモスクの閉鎖▽危険とみなした外国人を速やかに国外追放するための手続きの簡素化▽国境警備に当たる職員やテロ対策に当たる警察官の増員▽過激思想の持ち主の監視強化−−を検討する。

 

 ISに対する軍事攻撃を巡り、オランド氏は17日、パリでケリー米国務長官と会談。空爆を強化し、圧力を強めていく方針を確認した。また、仏大統領府は、オランド氏がオバマ米大統領とワシントンで24日に、プーチン露大統領とモスクワで26日にそれぞれ会談すると発表した。

 

(新聞記事転載貼り付け終わり)

 

私は昨日まで鶴見俊輔著『思い出袋』(岩波新書、2010年)を読んでいました。鶴見俊輔はハーヴァード大学哲学科卒の哲学者で、ベ平連にもかかわっていた人物です。『思い出袋』は、彼が80代になってから書いた随想を集めた本です。この本を読んで、現在の状況を示唆する部分があったので、以下に引用します。

 


(引用はじめ)

 

もうひとつは、一九四五年日本占領のときに海軍軍医として日本にきた同級生が、名簿をたよりに私をたずねてきた。初対面だったが、彼が最高優等賞を取ってハーヴァード大学を出ていることは後で知った。彼、エリック・リーバーマンが話題にしたのは、米国はこれから全体主義になるだろうということだった。一九三〇年代のアメリカで学生だった私には、信じられなかった。しかし、二〇〇一年九月十一日の同時多発テロのあとにテレビに登場した米国大統領ブッシュが、「私たちは十字軍だ」という演説をしたとき、リーバーマンの予測が六十年たって当たったことを感じた。(50ページ)

 

 そのホッブスはイギリス革命の動乱の中で、終生はなれない恐怖とともに生まれた双子だった。ホッブス『リヴァイアサン』を読むと、自分一個の生命を保つためならば、各個人はなにをしてもいいという強い個人的な思いにその文体が支えられているのを感じる。彼が専制的支配を許すのは、そのような各個人の生命を守りたいためで、ホッブスをひっくりかえしたルソーのほうが全体主義に近い。(56ページ)

 

(引用終わり)

 

 今回のテロ事件に対する反応は2001年9月11日にアメリカで起きた同時多発テロ事件とその後を髣髴とさせるものです。鶴見のハーヴァード大学の同窓生は、彼に向かって、「アメリカは全体主義国家になる」と予言しましたが、アメリカが帝国として世界を支配する上で、国家の変質が起きているということだったのでしょう。そして、その「地」が暴き出されたのが、2001年の同時多発テロ事件だったのだと思います。

 

 鶴見俊輔はまた、思想家トマス・ホッブスとジャン=ジャック・ルソーを裏表の関係にある存在としてとらえています。ホッブスは各個人が「万人の万人に対する闘争」に嫌気がさして、自分たちの権利を一部放棄してでも、自分たちを食い殺す怪物である国家(リヴァイアサン)の支配を受け入れると主張しました。ルソーは、『社会契約論』で社会の成員全員が一致する一般意思による支配を主張しました。

 

 フランスは「自由・平等・博愛」というルソー的な建前を押し通してきましたが、「生命の危機」に直面することで、その装飾が剥がされ、ホッブス的な専制支配を受け入れる方向に進んでいます。更に言えば、「自由・平等・博愛」という建前の中に、人々を「抑圧」する要素があって、そのために簡単に専制的な方向に転換できるのだと思います。それを鶴見俊輔は「ホッブスをひっくりかえしたルソーの方が全体主義に近い」と喝破しているのだと思います。

 

 西洋の近代的な価値観を体現したようなフランスを戦争国家へと簡単に転換させたテロ事件ですが、アメリカの共和党ネオコンと民主党人道主義的介入派にとっては、大きな追い風となっているようです。今回の事件で誰が「利益」を得るのか、という視点から見れば、今回の事件を仕組んだ人々の存在が浮かび上がってきます。残念なことは、日本、そして安倍政権はその仲間に入っているようだということです。

 

(終わり)



アメリカ政治の秘密
古村 治彦
PHP研究所
2012-05-12


野望の中国近現代史
オーヴィル・シェル
ビジネス社
2014-05-23


 
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アメリカ政治の秘密
古村 治彦
PHP研究所
2012-05-12



 

 古村治彦です。

 

 今回から2回にわたり、イラクとシリアのイスラム国についての論稿をご紹介します。分かりやすい内容となっています。お読みいただければ、状況が少しは理解できると思います。

 

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イラクとシャームのイスラム国(ISIS):その短い歴史について

―情熱的な空想から殺人集団になるまでのテロリスト・グループの進化

 

ボビー・ゴウシャウグ(Bobby Ghoshaug)筆

2014年8月14日

『ジ・アトランティック(The Atlantic)』誌

http://www.theatlantic.com/international/archive/2014/08/isis-a-short-history/376030/

http://www.theatlantic.com/international/archive/2014/08/isis-a-short-history/376030/2/

 

イラク全土の掌握という危機を招来させたスンニ派武装勢力であるが、2014年7月初めにモスルに殺到した時、突然地上に出現したように人々には思われた。しかし、「イスラム国(Islamic State)」という簡単な名前に最近変えたグループは、1990年代初めから、様々な名前と様々な形で存続してきたのだ。その歴史は、政治的、宗教的な理想主義者たちが殺人集団になるまでの、現代のテロリズムがどのように進化してきたかを語るもの勝ちなのである。

 

●「タウヒードとジハード集団」(Jama'at al-Tawhid wal-JihadJTJ):初期段階

 

 このグループは、20年以上前に、ヨルダン生まれのアブー・ムスアブ・アル=ザルカウィ(Abu Musab al-Zarqawi 1966~2006年)の情熱的な空想から生まれた。ザルカウィは町のチンピラであったが、1989年にムジャヒディーン(mujahideen)に参加すべくアフガニスタンに向かった。しかし、ソ連と戦うためには時期が遅すぎた。彼はヨルダンに戻り、それ以降数十年にわたり、国際的な「聖戦(jihad)」暴力運動における指導者として活動した。彼はアフガニスタンに戻り、テロリスト養成のための訓練キャンプを作った。1999年にはオサマ・ビン・ラディン(Osama bin Laden 1957~2011年)に会ったが、彼のテロ組織アルカイーダ(al-Qaeda)には参加しなかった。

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ザルカウィ 

 
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ビン・ラディン
 

 2001年にアフガニスタンのタリバン(Taliban)政権が崩壊し、ザルカウィはイラクへの避難を余儀なくされた。ブッシュ政権がアルカイーダがイラク国内にいてサダム・フセイン(Saddam Hussein 1937~2006年)大統領とつながっていることの証拠として使われるまで、ザルカウィの存在はほとんど知られていなかった。 実際には、ザルカウィは組織に属しておらず、自分自身でテロ組織を構築しようとしていた。2003年にアメリカはイラクに侵攻した。その直後、現在のイスラム国の前身となる組織を作った。それがタウヒードとジハード集団(Jama’at al-Tawhid w’al-Jihad、英語で直訳すると、一神教と聖戦の党[the Party of Monotheism and Jihad])である。この組織のメンバーのほとんどがイラク人ではなかった。

 

 ザルカウィの発言内容なビン・ラディンとよく似ていいたが、彼の攻撃対象は全く別であった。そのスタートの時点から、ザルカウィの愛情はイスラム教徒同胞、特にイラクの人口の多数を占めるシーア派に向けられた。ビン・ラディンとアルカイーダはシーア派を異端(heretics)と見なしていた。しかし、シーア派を殺害対象とすることはほとんどなかった。

 

 ザルカウィの意図は、イラク国内でシーア派にとって最も神聖な祈りの場所であるイマーム・アリ・モスクを爆破することであった。爆破事件が起きた時、私はその現場にいた。 多くの生存者たちは「どうして私たちなのだ?アメリカ人がそこら中にいるというのに、どうして私たちなのだ?」と言っていたことを記憶している。

 

 一つの理由、それは「とても簡単にできたから」である。シーア派は反撃する能力を持っていなかったために、攻撃対象にされやすかった。また、そこには政治的な計算もあった。サダム・フセインの失脚後、長年イラクの権力構造を支配したスンニ派の政治家たちに代わって、シーア派の政治家たちが権力を掌握した。ザルカウィはシーア派に対するスンニ派の憎悪を利用して、協力者を作り上げ、自分たちのグループにとっての安全な隠れ家を探そうとしたのだ。それはうまくいった。ザルカウィは、シーア派が多く住む地区や町にあるモスク、学校、カフェ、市場で自爆攻撃を繰り返した。

 

●アルカイーダ:その勃興と衰退

 

 2004年までには、ザルカウィは国際「聖戦」運動におけるスーパースターとなった。それは、イラク国内で自爆攻撃を繰り返し行っていたからだ。そして、オサマ・ビン・ラディンの信認を得た。ザルカウィは自分が率いる組織をビン・ラディンのアルカイーダに合流させた。この組織は、「メソポタミア・アルカイーダ(al-Qaeda in Mesopotamia)」と呼ばれる。これとアフガニスタンの類似組織「マグレブ・アルカイーダ(al-Qaeda in the Maghreb)」と混同してはならない。

 

 しかし、ザルカウィの参加後すぐに、アルカイーダの幹部たちは、ザルカウィの一般人を攻撃対象にすることに不安を持つようになった。2005年、ビン・ラディンの右腕アイマン・ザワヒリ(Ayman al-Zawahiri, 1951年~)はザルカウィに手紙を送り、その中で彼の戦術を窘めた。しかし、ザルカウィはそれを無視した。昨年、ザワヒリはISISの新しい指導者アブー・バクル・アル=バグダーディ(Abu Bakr al-Baghdadi 1971年~)の過度な残忍性に苦しめられた。そして、そのことを注意したのだが、今回もそれは無視された。

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バグダーディ 

 

 2006年春頃までに、ザルカウィは自分ことを「アミール(Emir イスラム教国の首長)」や反乱軍の司令官以上の存在だと考えるようになっていた。彼は精神的な指導者にもなりたいと思うようになっていた。ザルカウィの「首長」としての後継者バグダーディも同じ考えに取り憑つかれた。そして、モスルを奪取した後、自分自身を「カリフ(教皇)」に任じた。ザルカウィは自分の協力者たちに対してだけでは飽き足らず、女性はヴェイルを必ず着用することや犯罪者には斬首刑で臨むことなど、イスラム宗教法シャーリア(sharia)のザルカウィによる厳しい解釈にスンニ派の人々は従うべきだと主張するようになった。これに抵抗する場合、たとえスンニ派の指導的な立場にある人でも処刑された。

 

 しかし、ザルカウィの野望は2006年6月に突然幕を閉じることになった。アメリカ空軍の戦闘機が2発の500ポンド爆弾を、バクダッドから北に20マイル行ったところにあったザルカウィの隠れ場所に落としたのだ。

(つづく)



野望の中国近現代史
オーヴィル・シェル
ビジネス社
2014-05-23








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