古村治彦の政治情報紹介・分析ブログ

SNSI研究員・愛知大学国際問題研究所客員研究員の古村治彦のブログです。翻訳と評論の分野で活動しています。日常、考えたことを文章にして発表していきたいと思います。古村治彦の経歴などについては、以下のアドレスをご覧ください。http://soejimaronbun.sakura.ne.jp/goaisatsu.html 連絡先は、harryfurumura@gmail.com です。よろしくお願いします。

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 古村治彦です。

 

 今回は、2017年2月16日に発売となる『天皇とは北極星のことである』(斎川眞・副島隆彦著、PHP研究所、2017年)をご紹介します。


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天皇とは北極星のことである


 この本は、『天皇がわかれば日本がわかる』(斎川眞著、ちくま新書、1999年)に新たな内容を加えた内容になっています。著者の斎川眞先生は副島隆彦先生と早稲田大学法学部の先輩・後輩として古くからのお付き合いのある方で、副島先生とお酒を飲みながらの、談論風発の中で、この本の構想は出来上がっていたということです。

 

 斎川眞先生は日本法制史という、日本の法や政府形態の歴史の研究者です。

 

 今上天皇が生前退位(譲位、abdication)の希望を表明したというニュースを受けて、私たちは、私たちが生きる現代と天皇という地位や職責について考えなくてはならなくなりました。そうした中で、「天皇とは何か」「そもそも日本とは何か」ということを考えねばならなくなりました。

 

 この本は、天皇について、私たちが知るべき知識を数多く与えてくれ、私たちが考えるにあたっての材料を与えてくれます。

 

 以下に目次と副島先生によるあとがきを掲載します。

 

『天皇とは北極星のことである』、ぜひお読みください。

 

(貼りつけはじめ)

 

天皇とは北極星のことである 目次

 

 

序文││副島隆彦  1

 

日本の建国  5

 

天皇号の秘密  15

 

第一部 ● 天皇という称号

 

第一章  「天皇」とは、「北極星」のことである  32

 

「天皇」という言葉の意味  32

 

第二章 「王、皇帝」の称号は、臣下が献上したものである  38

 

君主の称号  38

 

新羅の君主号 48

 

第三章 日本の天皇号はいつから使われたか、『日本書紀』には書いていない  54

  

日本の天皇号  54

 

天皇号の献上は史料にない  57

 

『日本書紀』が主張するものは何か  60

 

「天皇」号は、いつ使われ始めたか  62

 

「天皇」とは北極星のことである  66

 

「天皇」号は、六世紀終わりから七世紀初めにかけて献上された  68

 

第四章  天皇について「歴史学」として確実に言えること  88

 

倭の五王 88

 

第五章 天皇の地位を保証する「天壌無窮の神勅」  101

 

天皇統治の正当性  101

 

天壤無窮の神勅  103

 

第六章 天皇にはなぜ「姓」がないのか  111

 

なぜ天皇には姓がないのか  111

 

第二部 ● 中国と日本

 

第一章 冊封体制」とは何か  122

 

皇帝が統治する国が帝国である  122

 

「冊封体制」という言葉は昭和三十七年に生まれた  124

 

冊封体制というシステムについて  126

 

なぜ冊封体制というシステムが存在するのか 130

 

第二章 冊封体制とは、中華帝国の世界秩序のことである  140

 

中華帝国は東アジアの宗主国である  140 

 

中華帝国の政治の論理  143

 

第三章 天命思想とは、王朝交替の思想である  155

 

王朝交替の思想  155

 

第四章 日本は、中華帝国に朝貢して、世界史に登場した  159

 

世界史への登場  159

 

倭の女王卑弥呼は外臣である  165

 

第五章 遣隋使・遣唐使は、中華帝国の官職・爵号はいらないと伝えた  171

 

冊封秩序からの離脱  171

 

第六章 日本という国名は、律令体制に伴ってあらわれる  184

「日本」の国名はいつから使われたのか  184

 

「日本」の国名は方位によってつけられた  185

 

第三部 ● 「中華帝国」のようになりたくて律令を作った

 

第一章 日本は、中華帝国のような国家になりたかった  192

 

設計図と技術者  192

 

先進国の法制度の導入――法の継受  194

 

第二章 遣隋使や遣唐使の本当の目的  204

 

律令の法典編纂  204

 

第三章 なぜ律令体制を作りたかったか  212

 

「天皇」は日本の王  212

 

第四章 律令国家は、行政指導・官僚統制型の国家である  224

 

行政指導・官僚統制型国家  224

 

第五章 結論 そして、国家の枠だけが残った  231

 

名分論は天皇と律令体制に行き着く  231

 

江戸時代まで存続する官位と称号  236

 

おわりに――斎川眞  243

 

あとがき――副島隆彦  255 

 

=====

 

あとがき

今からもう二十年前の一九九七年のことである。私は、大学の先輩で日本法制史(ほうせいし)学者である、斎川眞(さいかわまこと)氏に、この本を書くように強く勧めた。そして二人で酒を酌み交わしながらこの本を書き進めた。斎川氏は、本来なら、早稲田大学法学部の日本法制史の教授になるべき人だった。

 

この本は、日本法制史学というマイナー(少数派)の学会からの画期的な業績である。振り返って、思い起こせば、私はこの本の書名を『天皇とは北極星のことである』にすべきだとちくま書房の編集部に、執拗(しつよう)に求めた。初めからそのように考え、そのように再三強く要望した。ところが、編集部が、どうしても『天皇がわかれば日本がわかる』にすると言って聞かなかった。「それならそれで仕方がない。しかし、後々きっとこの本の重要性が認められる時代がきます。そのときは『天皇とは北極星のことである』という書名に戻して出版し直します。いいですね」「わかりました。それでいいですよ」と編集部から言質(げんち)を取っている。この件は斎川眞氏も了解している。

 

この「天皇=中国からもらって来た王(おう)の呼称」のことについて、私、副島隆彦の体験談を以下に少し書く。

 

私は、一九九八年に中国を旅行した。この時に、北京で以下の体験をした。それは、北京城(紫禁城[しきんじょう]。天安門広場の北側)に行った時のことだ。そこに大きな、「太和(たいわ)殿」という正面の大門があって、ここに「太和」という言葉が使われている。「太和(たいわ)」は「始まり(初原)の平和」という意味だが、「大和」と同じだ。

 

この時、そうか、「大和」というのは、「大きな平和」という意味だろう。英語で言えばgrand peace「グランド・ピース」だ。この「大きな平和、秩序即ち大和を喜ぶ」という東アジアの歴代の支配者(皇帝)たちの支配観をここで理解した。そして、それを日本に持ってきて、奈良の「やまと」という地名にかぶせた。「大和」を「やまと」とむりやり読むことにしたのだと分かった。どこをどう解釈しても、「大和」は、語源学(etymology エティモロジー)からは「やまと」とはならない。「やまと」は「山門」である。長門(ながと)と同じ素朴な日本製漢字である。奈良盆地に山門国(やまとこく)があったのである。

 

ベルナルド・ベルトルッチ監督の映画『ラスト・エンペラー』(一九八七年作)の中に、清(しん)朝最後の皇帝・愛新覚羅溥儀溥儀(アイシンカクラフギ)(プーイー)が、宦官(かんがん)(ユーナック)たちまとめて二〇〇〇人ぐらいを一斉に退職させるシーンがあった。溥儀が免職される宦官たちを眼下に集めて、故宮の城郭から眺め下ろす場面だった。ここで使われた、実際の北京城の中の城塞の中の前の広場に私が立った時、通訳の中国人(なかなかの知識人だった)が、石で敷かれた地面を指さしながら「こちらの溝は、武官=将軍たちが、皇帝から死を賜(たまわ)る時(首を斬られる時)に流れた血を流す溝です。それと平行して走るこちらの溝は、文官(ぶんかん)=マンダリンたちが死を賜る時に血を流す溝です」と言って、敷石の上の地面の細い溝を指し示して

くれた。このことが今も思い出される。

 

次の日に、私は北京市の南五キロぐらいの小高い丘に行った。ここが中国で初めての世界文化遺産に登録(一九八〇年)された「天壇(てんだん)公園」である。「天壇」は国宝級の施設である。観光名所として今も有名な場所だ。私が行った時はまだ、草ぼうぼうの平たい台形地だった。その真ん中(中心)に、大理石で敷き詰めた広い円形の舞台があった。直径で二〇メートルぐらいはある真円形の壇である。そして「この台の上には、皇帝しか上がれませんでした。ここの中心で、中国の歴代の皇帝たちは、天文(てんもん)を実行しました。星占い(占星[せんせい])をしたのです。そこでまつりごと(政)を行った。中国の歴代の皇帝には宗教はありません。皇帝たちはここで当時の天文学に従って、その年の運勢、吉凶を占う占星を行いました」。このように中国人通訳ははっきりと説明した。今、日本人が、ここに行けば、聞く方に知性と教養があれば私と全く同じことを学ぶだろう。

 

それが、この本の斎川氏の文章の中に出てくる「円丘(えんきゅう)」のことである。本書三三ページに「昊天上帝(こうてんじょうてい)とは、冬至(とうじ)に圜丘(えんきゅう)(円形の丘[おか]のこと。王が冬至に天[てん]を祭る丘)に於(お)いて祀(まつ)る所の天皇大帝(てんこうたいてい)なり」とある。この円丘がまさしく私が行った天壇公園である。

 

ここで、「中国の歴代皇帝には、宗教はない。天文学で政治を行った」という一行は、大変重要である。日本人は、大きな意味での中国という国を分かっていないのだ。

 

日本最古の寺である四天王寺(してんのうじ)(大阪)と、法隆寺( 斑鳩寺[いかるがでら]。奈良)の両方に残っている、今も古式の儀式の舞(まい)で使う衣装は、「中国の皇帝から拝領した」と公言されていて完全に中国の古式の宮廷舞踊である。その衣装の背中の部分には、龍(りゅう)の絵柄(中国皇帝の象徴)と大きな七つの点で北斗七星(ほくとしちせい)( 北辰[ほくしん]ともいう。より正確には、八つ目の星が重なって存在する)が描かれている。

 

あれやこれや大きく関連させて推理すると、こういうことが分かってくる。四天王寺と法隆寺は兄弟寺であり、どちらも蘇我(そが)

氏(中国華僑系)の一族の生活拠点である。聖徳太子とは誰か?聖徳太子は蘇我入鹿(いるか)だ。入鹿その人である。入鹿大王(おおきみ)である。当時の最高権力者だった蘇我馬子大王(おおきみ)の子である。

 

本書は、日本における「天皇」という称号の成立について、歴史文献(史料)「にのみ」基づいて論じたものである。これが、本書の特徴である。

 

斎川氏は日本法制史の学者である。日本法制史という分野の学問は、法学部に属し法学の基礎研究の一分野であり、日本の過去の法律を研究対象にする、法についての歴史学である。

 

ふつう法律学というのは、現在の法律を研究するので、法制史などという古くさい学問があることを、知らない人が多い。法制史学者というのは、日本全国に僅かに一〇〇人くらいであり、筆者もその一人である。

 

法制史は、学問としては厳格なものであるが、この学者の数から想像できるとおり、法学部のなかでは、ほとんど人気のない傍流の学問である。「天皇」とは、もともとは、「王(おう)」や「皇帝(こうてい)」と同じ、中国の君主の称号である。称号というよりは、位(

くらい)と言ったほうが、わかりやすいであろう。

 

紀元五七年に中国の後漢(ごかん)王朝の光武帝(こうぶてい)から「漢委奴国王(かんわぬこくおう)」という金印をもらった倭(わ

)の奴(ぬ)国や、三世紀に魏(ぎ)王朝から「親魏倭王(しんぎわおう)」という称号をもらった邪馬台国(やばたいこく)の卑弥呼(ひめこ)(ヒメミコだ)や、五世紀(西暦四〇〇年代)の魏(ぎ)晋(しん)南北朝の南朝国である宋王朝から「倭国王」に任命された「倭の五王」のことは、よく知られている。

 

ここからわかるように、日本の政治支配者(君主)の称号(位)は、「王」であった。しかも、この「王」とは、中国が日本に与えた称号であった。

 

「天皇(てんおう)」という称号(位)は、この「王」という称号(位)に取って代わったものである。王から天皇に変更されたのは、七世紀初め(西暦六一〇年頃)推古(すいこ)天皇(女帝)のときであった。

 

この「天皇」という称号(位)は、中国王朝から与えられたものではなく、自分たちで勝手につかったものである。七世紀初めに推古朝の役人たちが、「天皇という、この立派な称号をどうかおつかい下さい」と、王に献上したものである。

 

斎川氏が本書(三八ページ)で書いている如く、この「天皇」という称号は、前述したとおり、「王」という称号に代わる称号である。このときからずっと、日本の君主の称号は「天皇」である。当然のことだが、この称号は現在も生きつづけている。

 

「天皇」は、「皇帝」と同格の君主の称号であるが、日本の天皇は、実際は、皇帝ではなかった。十六世紀のおわりに来日した、イエズス会のロドリゲスという人物は、『日本語小文典(下)』(池上岑夫訳、岩波文庫、一五九ページ)のなかで、つぎのように言っている。

 

 

「日本の国王は、皇帝に相当する名をいくつも使っているが、中国人は、これを嗤(わら)っている。その理由は、中国の国王は、中国内外に、王の称号を持つ者を何人も従えているから、まさしく皇帝であるが、日本の国王は、そのような王を従えていないか

ら、ただの国王であって、皇帝ではないからである」(『日本語小文典』、読みやすくするため、訳文をすこしかえた)

 

 

このとおり、外側から見れば、比較によってすぐに真実が明らかになる。このロドリゲスの理解が、世界から見た冷徹な日本理解である。だから、日本は、ずっと王制の国なのである。日本が、六世紀に、この日本列島に立て籠もって、中国風の律令国家を作り上げると決めたときからずっと、日本は、「天皇」を君主とする王制の国である。当然、現在もそうである。日本国憲法の第一章(第一条│第八条)は「天皇」である(『天皇がわかれば日本がわかる』「あとがき」)。

 

以上のとおりです。本を読む喜びを知っている人は賢明な人だ。大きな真実を知ることで、人間は真に賢くなる。

 

なお、北極星という星は果たして存在するのか、という問題がある。厳密に天文学(アストロノミー)の分野では、北極星(The Polar Star[ザ・ポーラー・スター])という特定の恒星(こうせい)は存在しない。現在の北極星は、こぐま座α星のポラリス Polarisである。古代からずっとあの星が北極星だ、ということになっている星は変わる。そして別の星(スター)になる。地球の地軸の歳差(さいさ)運動(首ふり運動)によって約二万六千年の周期で別の星が北極星となる。現在の天文学では、北極星はPole Star(ポールスター)(北極の方向にある星)と書く。古代の人々は、かすかにこのことに気づいていた。現在の私たちで、あの星が北極星だと見分けられる人は、空気の澄んだところで天体望遠鏡で星の観察をしている人たちだけだろう。

 

最後に、この本が完成するまでに、PHP研究所の大久保龍也氏の真摯なお誘いと指導をいただいた。著者二人の感謝の気持ちを表明します。

 

二〇一七年一月

副島隆彦

 

(貼りつけ終わり)
 


(終わり)







アメリカの真の支配者 コーク一族
ダニエル・シュルマン
講談社
2016-01-22

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アメリカ政治の秘密
古村 治彦
PHP研究所
2012-05-12




 古村治彦です。

 今回は、2015年12月17日に発売になります、 副島隆彦著『信長はイエズス会に爆殺され、家康は摩り替えられた』(PHP研究所)をご紹介します。日本の歴史において人気のある分野である戦国時代の織田信長、豊臣秀吉、徳川家康に関して、歴史の定説を覆す、副島隆彦の歴史論となっています。年末年始の読書に最適の1冊です。宜しくお願い申し上げます。

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 はじめに

 

 日本の戦国時代について、これがより大きな見方からの真実だろう、と自分が確信したことをこの本に書く。

 

 信長、秀吉、家康の3人が主従(親分と子分)として生きた時代は、合わせて50年間である。わずか50年なのだ。

 

 ・桶狭間の闘い(1560年5月)、・本能寺の変(1582年6月)、・関ヶ原の戦い(1600年9月)で、合計50年間だ。日本の戦国時代(の後半)のハイライトは、この3つだ。日本人にとって長年そういうことになっている。この共通理解(土台)に私も乗る。桶狭間の奇襲(1560年5月19日)の時、信長は26歳だった。秀吉は2歳下だから24歳だった。家康(松平元康、世良田元信)は、信長より8歳下で18歳だった。

 

 私は今62歳だから、もう50年間(半世紀)を自覚的に生きた。日本の戦国時代を代表する軍事権力者3人が輝いていたのは、今から約500年前のたった50年間のことだ。日本の戦国時代がどんなに激しい動乱の時代だったと言っても、僅か50年間のことだ。

 

 私は、これまで、きっとこれが真実だ、と自分で吟味(審査)して、こっちが真実だろうと判定したことしか本に書かない、という態度で生きてきた。

 

 私は虚偽の言論が世の中に平気でまかり通っていると、我慢できなくなる。どうしても“真実の暴き言論”の爆弾投下を行いたくなる。

 

 日本の戦国時代の歴史の定説、通説にも多くのウソ(虚偽)がある。最近また「戦国もの」の真実への関心が起きている。この論戦に私が参加しないわけにはゆかない。自分が持っている“真実暴き刀”を持ち出して、このケンカの中に私は飛び込んでゆく。

 

副島隆彦

 

 

=====

 

はじめに

 

第1章 現代に伝わる「徳川家康像」はウソの塊

 

清洲会議に仕組まれた戦国武将たちの野望 14

三大事件を一つに繋いでこそ真実が浮かび上がる 18

バテレン以外に信長を殺せる者はいなかった 22

なぜ「明智本」はあと一押しの真実に踏み込まないのか 28

摩り替わり説を決して認めない史実捏造派 34

戦国時代の真実を塗り替える決定的文章 37

もはや禁圧するしかなかったキリスト教の恐怖 42

 

第2章 山崎の合戦で明智光秀はなぜ敗北したのか

 

「明智本」から発見できる戦国時代の真実 48

光秀の書状が書き換えられた理由 52

なぜ「キリスト教の日本侵略」のテーマがタブーだったのか 55

 

第3章 信長を爆殺した本能寺の変の真相 

 

フロイスの信長への好意的な人物評 64

大男の黒坊主・彌助とはどんな人物か? 68

不倶戴天の本当の意味を考えない知識人 71

「不寝の番」の侍たちが油断した隙に爆殺を実行 73

「明智本」が取り逃がしている巨大な敵 77

秀吉が本能寺を移したのはなぜか 80

証拠隠滅のために光秀の殺害を命令 83

「変」の命令者に気づいた秀吉がとった行動 88

あまりにも不自然な信長の最期の言葉 92

南蛮寺から放たれた大砲を見抜いた八切止夫 96

なぜ光秀は真犯人に仕立てられて殺されたのか 100

 

第4章 信長が見抜いたキリスト教の虚偽とは          

 

わずか二年しか布教しなかったザビエル 106

裏で動く特別な才能を持つ細川藤孝の真骨頂 109

義昭をあっさり見捨てて信長に付く 112

僧侶の腐敗と堕落に怒り心頭に発した信長 115

 

5章 信長暗殺計画を秀吉と家康は知っていた

 

光秀を生きたまま連れ帰った忍者・水野忠重 120

やはり明智憲三郎説には無理がある 124

犯行を隠すために捏造情報を広めたバテレン 128

秀吉の隠れ子分だった“毛利の外交僧” 132

信長と同じ危険に気づいてバテレン弾圧を始める 135

光秀の句をもとにした定説のバカらしさ 138

「四国攻め阻止説」も事実隠蔽のためだった 142

裏付ける根拠がない「唐入り阻止説」 145

 

6章 地球儀から日本征服を見抜いた信長の眼力

 

地球儀を献上したことで失敗したバテレンの征服計画 148

気づかれたからには信長を殺すしかない 152

兼見日記の改作、削除は何を意味するのか 156

次第に孤立する光秀の周りで何が起こっていたのか 161

 

7章 秀吉、家康、藤孝の「三人の密約説」は成立しない

 

家康のおかげで処罰を免れた細川ガラシャ 166

どうしても三人密約による共同犯罪にしたいわけとは 168

秀吉の“股肱の臣”の筆頭だった加藤清正 173

 

8章 呪われた江戸城の家康重臣たちのその後

 

家光の生母が春日局であるという事実 180

尊王勢力を打ち破って綱吉を継嗣にした力とは 182

「三ざる」は家康摩り替えの緘口令だった 189

 

9章 信長の「天下人」が始動する桶狭間の戦い

 

今川義元の本陣の横っ腹を突いた信長軍 196

両軍が衝突した場所は今も判然としていない 202

「天下人」の天下とは何を指すのか? 204

 

10章 戦の天才武将たちを破っていく信長の力

 

新家康は伊賀者だという事実 212

川中島の合戦で歴史に名高い大激突 216

 

11章 洋式大砲が勝負を決めた関ヶ原の戦い

 

家康はなぜ自信を持って進撃できたのか 222

一五万人の合戦でも、実際に戦ったのは一〇分の一 230

命がけで戦う兵は一大名当たり二〇〇〇人くらい 234

三成は三キロ先の小早川の陣まで見渡せたはず 237

家康を強気かつ大胆にさせた秘密とは何か 241

本陣を移した最大の理由は、アダムズの洋式大砲の存在 246

確固たる集団指導体制は秘密の共有にあった 250

『史疑』に連綿と書かれた徳川家康の新実話 255

 

12章 新時代のまさに嚆矢となった洋式の巨砲

 

実際に関ヶ原の現地を確認して分かったこと 262

三成挙兵の報が届いても態度を変えなかった家康 265

ウイリアム・アダムズから得た重大な知識 268

アダムズの世界最新鋭の大砲が天下を分けた 272

キャノン砲の威力に驚き寝返った小早川 277

戦国時代の終わりを告げたもの 280

 

おわりに

 

 

=====

 

 おわりに

 

 これで私の「真実の信長、家康」を書き上げた。

 

 日本の戦国時代(西暦で1500年代)についての私なりの歴史の全体概観がこれで出来た。鬼才・八切止夫の業績の復権、復活を誓いながら。

 

 私はいつも、ものごとを大きく全体像で捉まえる、という考え方をする。そのために評論家業をやっている。

 

 知識や学問や思考の過程がたどる道というのは、常にそのようなより大きな広々とした高みに至る、ということを目指す。これができない者は相当に頭のいい人とは、どうせ言われない。かつ、この作業は自分勝手な偏った考えであってはならない。証拠(史料、文献、証言、諸事実)を提示しなければいけない。

 

 Truth  is  mightier  than  power.  (トルース・イズ・マイティアー・ザン・パウア)

「真実は権力よりも強い」 はずなのである。しかし隠され、押し潰され、闇に葬むられたままの真実も多い。その理由は、事件から450年も経った今の今でも、真実が明らかにされることが不都合な人々がいるからだ。それらの真実は、ごく少数の堅い決意と志を持った者たちによって、無念に満ちた地底から掘り起こし救い出されるべきものである。恨みを呑んで死んでいった者達の怨霊が私たちのまわりの中空を今も舞っている。

 

 この本を書くために、私は桶狭間、京都の真実の本能寺跡、松平郷、上州(群馬県)世良田村、清州城、岐阜城、関ヶ原、駿府城などに行った。現地に行って事件の現場を歩き回って考える必要がどうしてもある。現地に行くと多くの収穫が有る。眼に見えないはずのものが見えてくる。調査旅行の幾つかに同行してくれて、この本が完成するのを辛抱強く待ってくれたPHP研究所の大久保龍也氏に感謝申し上げる。

 

平成二十七年十二月

副島隆彦

 

(終わり)









野望の中国近現代史
オーヴィル・シェル
ビジネス社
2014-05-23


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 古村治彦です。

 今回は、2014年1月21日に発売します拙著『ハーヴァード大学の秘密 日本人が知らない世界一の名門の裏側』(PHP研究所)をご紹介いたします。

 「あとがき」を皆様にご紹介します。

 


==========

あとがき

 

 前作『アメリカ政治の秘密』を二〇一二年五月に出版していただいた後、師(ルビ:メンター)である副島隆彦先生から、「君はアメリカで政治学の勉強をしてきたのだし、次はハーヴァード大学の政治学の全体像について書いてみてはどうか」という提案があった。この提案を受けて、私は、本書『ハーヴァード大学の秘密 日本人が知らない世界一の名門の裏側』の準備に取り掛かった。構想を練り、準備するのに予想以上の長い時間がかかってしまった。本として出版できるのかという不安を持ちながらの執筆であったが、このように出版していただけることになり、ホッとしている。

 

 本書『ハーヴァード大学の秘密』は、「ハーヴァード大学」をキーワードにして、幅広いテーマを取り上げている。副島先生の提案通りに政治学の全体像を描くことは、私の力不足でできなかったが、ハーヴァード大学で教えられている政治学、ハーヴァード大学の政治学を代表する学者、留学全般に関することを網羅することはできた。多くの読者の皆様に、それぞれの興味関心と重なる部分からお読みいただけたらと思う。

 

 そして、第1部では、ハーヴァード大学出身の日本人人脈を取り上げた。ハーヴァード大学をキーワードにして、張り巡らされた人脈の地下茎を掘り起こす作業を行った。私は、これを属国日本の政界のたけのこ掘りと呼んでいる。このたけのこ掘り作業を通じて、ハーヴァード大学から送り出された人材たちは、現在に至るまで日本の中枢を形成し、日本を動かしてきたを発見した。正直なことを言えば、ハーヴァード大学出身者たちを中心にして人脈がここまで広く形成されていたことは私にとって大きな驚きであった。私はこれからもたけのこ掘りの作業を続けていく。

 

 ハーヴァード大学は、「合理性(rationality ルビ:ラショナリティ)」の総本山と言うべき存在である。政治学部では、政治学の分野で主流となっている理論である合理的選択論(Rational Choice Theory ルビ:ラショナル・チョイス・セオリー)が教えられている。副島先生が推薦文の中で書いているように、合理性とは、一言で言ってしまえば、「自分が得をする、生き延びる」ために行動するということである。この合理性(ラチオともいう)はユダヤ思想(ユダヤ教)の中心となり、そこから資本主義(Capitalism ルビ:キャピタリズム)と近代(modern ルビ:モダーン)が生まれた、ということである。合理性を身につけることこそが、資本主義社会で成功するためには必要なことだ。ハーヴァード大学で学んだ日本人たちも当然のことながら、この合理性を身につけている。

 

 私が前著『アメリカ政治の秘密』でも指摘したことでもあるが、最近のアメリカの日本管理には鷹揚さがなくなっている。ジャパン・ハンドラーズたちはより露骨に、かつより性急にアメリカの利益追求の姿勢を示すようになっている。アメリカと、そして自分たちの利益追求に一直線に進んでいる。それは、ジャパン・ハンドラーズたちの中で世代交代が起こり、若い世代は合理的選択論を学んだことで、合理性をより重視する姿勢を取るようになっているからだ。管理する側と管理される側を分けるものが「合理性」なのである。

 

 日本管理のジャパン・ハンドラーズが合理性を武器にしているならば、それに対抗するために、私たちも彼らが使っている武器を手に入れて使えるようにするべきだ。そうすることで、ジャパン・ハンドラーズの意図を見抜き、自分たち、そして日本が損をしないように賢く行動できるようにしなくてはならない。本書が読者の皆様にとって、合理性について、そして合理的選択論について学ぶ契機になれば幸いである。

 

 本書刊行にあたり、多くの方々にお世話になりました。

 私の師である副島隆彦先生には、本書に推薦文を寄せていただきました。ハーヴァード大学をテーマとして取り上げたのは、先生からの示唆を受けてのことでした。本として出版できてホッとしています。心からお礼を申し上げます。

私の同僚である中田安彦氏には今回もお世話になりました。中田氏とのやり取りを通じて、多くの刺激を受け、様々なアイディアが生み出すことができました。中田氏のような同僚がいてくれることは私にとって大きな力となっています。感謝しています。

 更に、ここで名前を記すことはできませんが、アメリカの大学教員事情について話してくれた先輩、スポーツビジネスの世界、そして早稲田大学大学院スポーツ科学研究科について多くの有益な情報を提供してくれた友人、そして、東北楽天ゴールデンイーグルスと本拠地である仙台という街に私の関心を向けさせてくれた友人にもお世話になりました。加えて、家族や友人の支えも励みになりました。記して感謝します。

 最後に、本書の刊行にあたって、PHP研究所の大久保龍也氏には、前作同様、お世話になりました。なかなか筆が進まない筆者を、寛容をもって見守り、伴走をしていただきました。心から感謝を申し上げます。

 

 

 

                        二〇一三年一二月

 

                        古村治彦(ルビ:ふるむらはるひこ)


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